公共財理論の展望︵2
山之内 光躬
おそらく︑財政学という名称は︑公共経済学に︑おきかえられる
べきであろう︒一lO蝉二ψoDげ︒¢勺℃臣三8℃霊昌琶︒①お①㊤℃・じ︒・
一 公共財理論の展望(2)
わたくしは︑これまで︑いくつかの機会に︑伝統的な︑狭義の財政論一新古典派ならびにケイソジアソの℃〇一一・
口︒巴国8づ︒ヨ鴫のなかで論じられてきたもの一とは別に︑現段階では︑公共財の理論の積極的な展開が必要であ
ることを指摘し︑そして︑これが︑将来︑財政理論の一つの新しい領域を形成するものであることを予想してきた︒
少なくとも︑伝統的に公共財理論をもたなかった︑英米派財政理論においても︑ 閑・︾.ζ二ωひq雷︿Φと﹀.↓.
℃①poo犀の編集による︑Gミ鈎思いミミ鳴目ぎ︒壱ミ℃ミミ母霊§§ミH霧︒︒︑のなかで︑ヨーロッパ大陸の︑初期の
公共財理論の古典的貢献が英訳され︑この理論に対する強い関心が表明されていたが︑すでに︑一九五〇年代後半か
ら六〇年代にかけて︑現代の英米派財政論を中心として︑かなり豊富な︑公共財理論の新しい展開が開始されていた︒ ︵1︶わたくしは︑旧稿において︑このような公共財理論の部分的展望を試みたが︑ごく最近まで︑日本では︑この研究領
域については︑それほど強い関心は示されておらず︑少なくとも︑財政理論の領域においては︑一部をのぞいて︑エ
ネルギッシュな分析的努力は払われなかったといってよい︒また理論経済学の分野でも︑価格メカニズムの対象外に へ2︶属するこれらの領域が︑一般的関心をひくまでにはいたつていなかった︒
ところが︑特に一九七〇年に入ってから︑日本でも︑にわかにこの問題がクローズ・アップされ︑財政理論のみな
らず︑経済理論においても︑急速に︑これに分析の眼を向けばじめたのである︒一九七〇年︑イギリスのケンブリッ
ジで開催された︑国ooぎB①三〇ωooδ蔓の第二回世界会議では︑市場の価格メカニズムの有効圏外のものとされて
いる︑外部経済効果の問題や公共財︵℃二げ一一〇 ︵甲OO住ω︶の問題が︑中心テーマとして活発に論議されたというが︑そ
れに呼応するかのように︑一九七〇年度の日本の理論経済学会や財政学会においても︑公共経済学に関連した問題
が︑共通テーマとしてとりあげられている︒
このように︑特に一九七〇年に入ってからの日本で︑財政学や理論経済学の研究者に対して︑このような価格メカ
ニズムの働かない領域へ︑経済分析を適用していくことへの︑強い関心を喚起した最大の原因としては︑経済の高度
成長過程で︑にわかに表面化してきた︑公害︑外部不経済等の側からのインパクトがあげられるであろう︒
もともと︑伝統的な新古典派的経済学は︑その根底において︑市場の価格メカニズムを前提としており︑したがっ
て︑その分析対象は︑当然︑マーケッタブルな財・サービスを扱う私的セクターとしての市場経済であった︒しか
し︑われわれが直面する︑新しい現象としての公害問題は︑市場が有効に機能しえない領域に属し︑このような分野
の相対的な拡大が︑ここに新しく認識され︑この三市場圏に対する︑経済分析の可能性が問われなければならなくな
ったのである︒
ところで︑もともと︑無限の人間欲求を充足するのに︑有限の経済資源を配分しなけれぽならないところに︑必然
的に選択の問題が生じてくるのであり︑まさに︑この点にこそ︑経済の根源的な問題が横たわっていたはずである︒
新古典派経済学は︑このうち︑マーケヅト・メカニズムを通じて配分される財・サービスを対象として︑それらの配
分ルールを発見することを課題とし︑いわゆる︑私的財の需要と供給の理論を定式化したのであり︑そして︑その直
66
公共財理論の展望(2)
線的応用としての財政論は︑一定の財政方式の︑個人の市場反応に対する効果の分析をその主題とした︒
しかし︑選択が︑経済の根底的な問題であったとするならば︑いわゆる共同消費︑便益不可分性のゆえに︑排除原
則Φ×o冒ωδ旨土研鼠亘Φがあてはまらない︑これまで経済学の対象からはずされてきた︑公共財・サービスも︑実
は︑欲求と資源に関する選択のプロセスを回避しえないという意味で︑基本的な経済の問題であるはずであった︒こ
こで︑新たに︑経済学は︑マーケット・メカニズムのみを対象とすべきなのか︑が問われなけれぽならないのであ
る︒ このようにして︑公共セクターの資源配分も︑選択の問題に関連しており︑したがって︑共同的選好方式を通じて
の資源配分の効率的決定は︑経済分析の固有の対象とならなければならないはずであった︒もともと近代経済理論や
伝統的財政理論は︑このような共同的選好が決定される場としての︑政治的プロセスそのものには︑ほとんど関心を
払うことなく︑そこでは︑政策決定者の良識をインプリシットに仮定し︑個人的選好とは︑はっきり分離された︑政
治︑社会制度を与件としてみなしてきたが︑いまや︑非市場領域の相対的拡大とともに︑新しい認識がおこり︑経済
理論ならびに財政理論の領域でも︑徐々に︑この新しい対象領域を含めた︑いわゆる真の意味の政治経済学の可能性
︵3︶ ︵4︶が論じられたり︑また︑公共財や公共経済学の問題がとりあげられるようになってきた︒
ところで︑今日一つの傾向としてあげられるのは︑公共財の私的な無償消費としての公害論の展開であろう︒しか
し︑ここで定義されている︑環境そのものを公共財とみなす見解は︑いわゆる系譜としては︑イタリや財政論や
囚旨醇朝8吋ω①= 国﹁涛=昌α曽巨から︑ω鋤ヨ=①冨︒昌一ζ¢ωひq麺く①やじd口︒冨⇒一再にいたる︑公共財の理論のな
かでとりあげられてきた︑公共財・サービスの概念よりは︑やや広範である︒すなわち︑公共財理論としての︑現代
公害論の一つの特産は︑公害を単純な外部不経済の問題としてのみ︑とらえるのではなく︑環境破壊という︑負の公
共財という解釈をとっていることであろう︒つまり︑これらの解釈は︑環境一般︑すなわち︑空気︑水︑海洋︑静寂
等が︑すべて共同消費を特徴とし︑特定個人をその便益から排除できないという︑純粋公共財の一般的特質にあては
まるところがら導出されているのである︒しかし︑一般の経済学では︑これらは希少性をもたず︑財の処分にあたっ
て︑経済的配慮すなわち選択を不必要とする︑自由財とよぼれてきたものにほかならない︒したがって︑自由財とし
ての環境は︑集合的に︑公共セクターを通じて配分される︑いわゆる公共財・サービスとは異なり︑本来その配分に
費用負担をともなうことばない︒それに対して︑一般的に︑これまでの公共財の理論が分析の対象としてきた︑公共
セクター配分による公共財・サービスは︑全体としてみるとき︑決して無償財ではない︒たしかにこれら公共財・サ
ービスは︑個別経済主体からみるとき︑便益と費用負担との間に︑直接対応関係はないが︑集合的には︑これら二つ
の側面は効率的に照応していなければならないのであり︑費用一便益関係からみるかぎり︑それらを同一のカテゴリ
ーに分類することは無理であろう︒共同消費を特質とする︑自由財としての環境一般が︑いまや︑経済的配慮を必要
とするようになったことは︑それらが︑もはや︑自由財としては論じられなくなったことにほかならない︒したがっ
て︑ここに︑公害を排除するための手段が必要になるが︑このような手段としての公共セクターの配慮は︑本来の公
共財・サービスとして.扱われるものである︒
いずれにせよ︑公害の問題を公共財のカテゴリーで論じていく場合には︑まだいくつかの解決されるべき問題が残
されている︒これらをいかに統合︑解決していくのかが︑今後の課題となるであろう︒公害の問題をどのようなカテ
ゴリーで論じていくにせよ︑ここでは︑明白に︑マーケット・メカニズムのルールの適用は無効であり︑より広範な
公共経済理論の︑エネルギッシュな展開が期待されなければならない︒
しかし︑ここでは︑公害の側からのインパクトによって︑経済理論や財政理論の領域で︑それぞれ︑公共経済理論
68
や公共財理論の意義が認識され.ここに︑新しい学問領域が形成される可能性と必要性が生じたことを指摘するにと
どめ︑公共財のより包括的な定義についての詳論は︑別の機会にゆずることにしよう︒
二 公共財理論の展望(2)
伝統的な財政理論や経済通論の主流は︑少なくとも︑公共セクターについての経済分析は︑いわゆるマクロ経済分
析の応用としてのフィスカル・ポリシー︑あるいはミクロ分析としての帰着理論の研究にかぎられ︑非市場圏の配分
のプロセスに経済分析を適用しようとする︑公共財の理論をもたなかった︒特に︑新古典派の財政論や経済学が︑公
共財の理論を欠き︑伝統的に︑政治過程における選択の問題への分析的努力を怠った理由の一つは︑もともとイギリ
スの古典学派の℃o耳8巴国oopo白州のなかでかかげられた︑oげ80ぴqo<Φ﹃昌ヨΦ暮の理想︑さらには︑財政勘定のう
ちの︑公共経費の側面を軽視するという︑一連の学統であろう︒ところが︑私的財・サービスと同様︑公共財・サー
ビスについても︑それらが個人の効用関数に入りこむという観点から︑いちはやく︑限界分析用具を導入して︑この
問題にアプローチを試みたのが︑イタリや財政学の一派であった︒このような意味で︑古典的な公共財理論の系譜を
トレースするならば︑まず︑ 一八八三年目︑﹈≦9謹Φo勺9口け巴①o巳のOo日電一σ葺︒巴冨滞︒ユ︒ユ①一﹃言費8α巴一Φω娼①ωΦ
︵5︶O自σσ膏げρにまでさかのぼることができるであろう︒勺塑暮巴Φo巳の特徴は︑従来の伝統財政論における︑租税配分
の決定が︑かならずしも︑個人的観点から︑合理的に行なわれているとはいえず︑それは予算の経費の側面と︑同時
的に決定されなけれぽならない︑という指摘にあった︒かれにとっては︑公共経費の各費目︑つまり公共財・サービ
スのパターンの決定︑その配分の基準は︑それらの限界効用の比較であり︑それは︑明らかに毛厳壁日ω蜜三①楓
ド<o昌ωやい仙9妻巴鎚︒・の︑経済理論における限界分析の手法を︑その出発点にしたものであった︒英米派の伝統
的財政論にはみられなかった︑このような近代利益説に立脚する財政理論は︑一八五〇年代︑ならびに一八穴○年代
の︑ ﹁鑓旨︒Φωoo﹁長髪鑓以来の伝統にそうものであったが︑まさにこれが︑ qmqoζ帥NNo一P>暮︒巳︒ユ︒<三
ΩΦζ碧oPい9ぴq一国日溜α凶国霞80じU餌﹁o昌ρζ僧霞︒﹁鋤ω冨三等とともに︑イタリや財政論の独自の伝統を構成し
︵6︶たのである︒そして注目すべき事実は︑これらの伝統のなかに︑英米派財政論が︑伝統的に無視してきた︑公共財に
関する選択理論が胎生されていたことである︒
しかし︑このうち︑より直接的な意味で︑現代の公共財の理論に結びついているものとしては︑ ζ留No冨の同 ︵7︶α9江ωoδ昌け強︒αΦ一丁︷一昌餌⇒鑓〇二σσ一凶︒曽︵HQ︒㊤O︶があげられるであろう︒現在︑公共財のポーラー・ケースの定義と ︵8︶して公認をえている℃十三﹀.ωpヨg鉱ωoつの定式化は︑すでに旧稿で指摘したように︑すでに︑基本的には冨pNN9鋤
の論文で展開されており︑QDp日口Φ一ωoコは︑そのより精密な定式化をはかったにすぎない︒竃pNNo訂によれぽ︑ い
かなる経済においても︑効用を極大化しようという性向が︑資源を種々の用途に配分するにあたって︑分配後の︑配
分されたすべての財の最終効用が均等になるように︑配分を行なうのであり︑公共財の価格形成は︑いかなる経済単
位においても︑公共負担の分配後の︑公共財の最終効用が均等になるような方法で行なわれるのである︒そして︑こ
の価格形式は︑市場の価格形成とは異なるのであって︑それは公共財の効用の補完的性格と︑それらの消費の客観的
な条件に基づいているとのべ︑消費の不可分性こそが︑単一市場価格の設定を不可能にする技術的理由であるとし ︵9︶たのである︒ここにはすでに︑現代の純粋公共財の定義が︑素朴な形で提出されているのである︒その意味におい
て︑これは︑ω鋤ヨ器一ωo亭ζ=ωσq錘くρじU=o冨昌9コその他の現代公共財理論の出発点を提供したものといえるであろ
︾ク︒ さて︑このようなイタリや財政学派の貢献とは別に︑公共財理論の系譜として︑きわめて重要な位置を占めるもの
70
公共財理論の展望(2)
として︑旨︒げ£︒昌O¢ω鐙h≦8犀の①=ならびにそれを継承した国﹃貯幻︒び①計い5血9三という︑スウェーデンの一派をあ
︵10︶ ︵11︶げなけれぽならない︒毛一〇閃ω①=については︑別の機会に部分的な考察を試みたが︑かれらは︑一般的にいって︑公
共支出プログラムと租税配分方式の︑同時的決定の政治過程に︑個人的選好の反映を企図したが︑それは≦N一〇冨Φ=
においては︑基本的には︑近代民主主義社会の志向を示すものにほかならなかったし︑またい巳Oo三では︑むしろ
同じ問題の経済的側面に重点がおかれたのである︒もともと︑集合的決定としての︑政治過程には︑強制の要素がと
もなう︒したがって︑このような集合的決定のプロセスに︑個人主義的な選好ルールを適用していくためには︑すな
わち︑市場経済に類似したルールの適用が可能であるためには︑まさにこの強制の要素が排除されなけれぽならな
い︒そこでまず︑芝8障ω①一一がねらったのは︑この強制性の排除としての︑満場一致ルールの確立であった︒けだ
し︑集団的決定に随伴する強制性が排除されるのは︑満場一致のケースのみであるからである︒もっとも︑現実的な
政治過程においては︑満場一致ルールの厳密な適用は不可能であるため︑墨壷障ωΦ=はその修正ルールとして︑いわ
ゆる︑相対的同意のルールを提案した︒また︑政治的側面よりも経済的側面に集中しようとした︑い冒α9匡は︑ こ
の強制性を分析過程から排除するために︑少数自発的交換の単純モデルを展開したのである︒
さて︑このような話一〇犀ω①一一の集団意思決定のためのルールの設定と︑い一昌α餌巨の自発的交換モデルという素朴
な試みは︑イタリや学派の影響とは別に︑その後の公共財理論を︑二つの方向において︑規定したのである︒
その一つは︑公共財をインプリシットに仮定した︑社会選択理論の発展である︒妻ざ屏ωΦ一一とは︑ かならずしも直 ︵12︶線的には結びつかないが︑この分野での啓発的な研究としては︑まず︑∪自己8昌じd置︒屏と囚Φロ昌Φ9ト諺頃︒毛が
あげられなければならないであろう︒国簿︒吋では︑公共財が明示的に論及されてはいないが︑その論議は︑単一の選
択対象が選好される場合のプロセスを詳細に分析したのであり︑これに関連して︑︿投票のパラドックス﹀あるいは︑
︵13︶︿循環多数決﹀の問題が指摘されたのである︒また﹀凌︒ミは︑じUす︒閃の提出した問題を発展させ︑より精密な社
会選択理論の定式化をはかったのである︒さらにまた︑民主主義社会の想定のもとに︑その集団意思決定の合理的な
ルールを追求しようとした﹀算ゴ︒⇒︽Uoぞ口︒・︑ならびに︑明示的に公共財と集団の集合的行動を解明しようとする
§婁;§等の貢献蝿・基本的には・この震にあるものとして・看過しえないであろう︒
そして︑乏ざ犀ωΦ=を直接的な出発点として︑しU冨︒閃・﹀冥︒毛の線と結びついて︑民主主義的︑個人主義的モデル
での︑政治的プロセスに対する経済分析の展開をはかるものに︑<ぐαq一巳餌O腎︒自bとしての︑冨ヨ⑦ωζ●しd露︒げ薗昌鋤昌 ︵15︶およびOoao質臼巳﹁ooFのすぐれた貢献がある︒これらは︑公共財の問題を︑あるいはインプリシットに︑あるい
はイクスプザシットに包括しながら︑いずれも基本的には︑イデオロギー論としての政治論としてではなく︑可能な
かぎり︑実証的な︑公共財をめぐる集団意思決定のルールの設定を志向するものであって︑現代の公共財理論の一つ
の固有の分野を構成するものである︒
つぎに︑芝皆犀ω①一一−い営畠曽三の︑もう一つの︑より経済的側面に力点を置く方向にそうものとしては︑いぼ畠三の
少数者自発的交換モデルを出発点として展開されたものがある︒これはすでに︑ 自︒渇母αしご︒毛9によって進展さ︵16︶ 戸17︶ このモデルは︑最近のじUβoげ鋤昌帥⇒ より精密に再述されたが︑れ︑その後︑デンマークのピ①罵一〇ゴ鋤昌ωΦ昌によって︑ ︵18︶の少数者モデルに基礎を提供し︑それはまた︑多数老モデルへの拡張のための予備的分析として提出されている︒こ
の流れのなかでは︑特に効率性のための必要条件が追求された︒特に純粋公共財の個別需要者には︑異なった限界価
格が必要であるという認識は︑すでに︑をざ評ω2一において︑インブリシヅトに含まれており︑ピ冒ユ帥三によって明 ︹19︶確に表われたが︑し;9ぐ¢コはその定式化のなかで︑これを強く主張した︒ この差別的限界価格という条件は︑最近ま
での自発的交換理論のなかで明確に論議されてきたが︑最近では︑本質的に同じ問題が︑結合費用のもとでの︑公益
72
公共財理論の展望(2)
事業の価格決定の理論にもおこっており︑またピーク・ロードの調整に関連して︑異なった限界価格の問題が論じら
れている︒
もちろん︑毛8犀ωΦ一一は︑公共財の領域では︑自発的な個人行動が︑効率的な解に到達しえないことを指摘してい
たが︑いぎα騨げ一においては︑自発的解の困難は︑それほど重視されていない︒ そして︑この点こそ︑ ω鋤日信⑦一ωop・
罎Oωゆq鑓O①が︑い言島9げ〒じσ○を①づモデルの欠陥として鋭くついた点であって︑かれらは︑純粋の公共財を含む︑自
発的交換においては︑個人はその真の選好をかくすという困難を指摘して︑自発的交換メカニズムの失敗を強調した
︹20︶のである︒これは︑いわゆる公共財に関する︿フリー・ライダ;﹀の問題であって︑その基本は︑すでに芝ざ閃ω①=
のなかにあるが︑フリー・ライダーの問題は︑いわゆる︿多数出窓人のディレンマ﹀す﹃ぴq①昌二日σ貞門凶ωo昌①門︑ω象− ︵21︶冨ヨヨ鋤の一つのケースであり︑これはしd8げ僧昌帥昌やO冨︒昌によって論じられるようになった︒しかし︑このブ
リー・ライダーの問題は︑単なる経済分析のみで解明しうる性質のものではなく︑もっと包括的な集団決定の理論が
必要とされなければならない︒ここにさきにみた芝ざ閃ω色目・=p自9三の政治的側面と︑この経済的な側面とが︑再び
結合されなければならないわけである︒この両側面に架橋をはかり︑その統合を試みているのが︑最近のしU99昌僧団
ならびに↓二=oo〆にほかならない︒
わたくしは︑一応︑不完全ではあるが︑以上のように︑公共財理論の発展を系譜的に考察したのであるが︑公共財
理論の焦点は︑いわゆるQりoa巴Oooαωの性格とその広義の最適配分︵集団の合理性基準の問題をも含めて︶の特質
であるようにおもわれる︒伝統的に公共財の理論をもたなかった英米派の財政論も︑特に一九六〇年代に入り︑きわ ︹22︸めて多岐にわたる研究が発表されており︑その文献は豊富である︒しかし︑これらには︑まだ︑学問的体系は与えら
れておらず︑将来の発展が期待されるのである︒
わたくしは︑この展望の以下の部分では︑最近の公共財理論の傾向のうち︑やや断片的ではあるが︑ζ一×ωユΩooユω
についての分析という︑公共財の定義に関連する新しい問題と︑いわゆる民主主義社会の想定のもとに︑集団の公共
財決定の問題を扱う︑しd9び睡気餌旨の単純集合決定モデルという二つの項目を紹介することにする︒
74 三
公共財理論は︑私的財とは対照的な集合財の特質を論じ︑そして︑これら集合的な財やサービスの配分の問題を扱
うものである︒このうち︑問題を公共財の定義に限定するならば︑公共財のポーラー・ケースとしての︑純粋公共財
についての理論的定式化は︑ 竃鶴No冨−ω9菖ρ巴ωopをはじめとして︑十分な展開が行なわれてきたといえよう︒し
かし︑われわれが現実に直面する公共財には︑このような純粋なケースはまれであって︑部分的にマーケッタブルな
要素を混信しているものがほとんどである︒したがって︑公共財の理論が︑なんらかの︑具体的な政策的提言に結び
つくためには︑そのポーラーケースの制約をはずして︑現実の︑公共セクター配分の財やサービスを包括する理論構
成が必要になった︒つまり︑そのためには︑いわゆるζ気①匹Oooαωについての分析が十分に果たされなければな
らなくなったわけである︒
最近では︑このζ酵①αOoo畠ωについての研究の必要性が徐々に認識されるようになり︑これについての貢献が
︵23︶あらわれてきている︒ここでは特に最近の竃賃ωひq置く①の定式化を中心にして︑考察しよう︒
まったく︑ノン・ライバルな便益をもたらす︑純粋のωoo壁一〇〇〇餌ωは︑現実にはほとんど存在しないわけで︑
種々の程度に外部効果をもたらす種々の財やサービスは︑実は社会的な特質と私的な特質を混有している︒したがっ
て︑ポーラー・ケースについての有用性とは別に︑これらのζ一×Φ創Ooo創︒・についての定式化がはかられなけれぽ
公共財理論の展望(2)
ならない︒か︑ζ望ωぬ門鋤く① によれば︑混合のケースは︑
(a)
P
0
黒瀞
DP→
A十B(b)
S
DB
D臥
HL
:EB︑ーーー−
N
^i
B 十 SA
D
・(c)
0
P
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DA+B
: ; : ; lF 旨
S l : : 願
S
P十S
D
A十B
。・+D・↑
A十B A十B
0 E
図一1
1 かぎられたスピル・オー︒バー効果をもつ財
2 非代替的な外部効果
3 混合便益財 ︵24︶に分類され︑かれはそれぞれのケースについて分析を加えている︒ここでは普通の﹈≦舛①ユOoo島ωのケースをとり
あげよう︒
このケースは︑Xを私的財︑Yを社会的財とすれぽ︑個人A︑Bの効用関数が︑
C﹄11¢﹂︵×トご照\ご曜臥+切︶
d駒Hd鳴︵×きk摯曜し︒+し
として表わされる場合である︒いま︑特定の財Xが私的欲求と社会的欲求の双方を充足するものと仮定しよう︒図一
1︵a︶は︑私的構成を示しており︑U国ゴは個人Aの需要曲線であり︑∪♂は個人Bの需要曲線である︒私的構成
のもとでは︑個人の需要曲線は水平に合計されなければならないから︑総需要曲線は︑U詳志となる︒つぎに︑図
11︵b︶においては︑この財についての社会的欲求の構成が示されている︒ここでは︑社会的財としてのXに対す
る個別需要曲線は︑その集合性のために︑垂直に合計されなけれぽならないから︑ここでの総需要曲線は︑∪♂+し・に
なる︒図一1︵c︶におけるSS線はXの供給曲線であり︑∪︑﹂志と∪評志を垂直に積み重ねると︑∪︑︑+〜志が
えられ︑これが私的需要と社会的需要の総計を示すことになる︒Xの適正降場量はOEである︒単位費用ERのう
ち︑EFが消費者によって︑私的に支払われる部分であり︑そしてFRに等しい補助金が︑予算を通じて社会的コン
ポーネントに支払われることになる︒図i1︵a︶が示すように︑AとBはO勺国画の市場価格で︑それぞれOH
とOLを購入する︒そして︑図一1︵b︶に示されているように︑Bの租税負担はENであり︑AのそれはNBであ
76,
るが︑この場合︑図一1︵b︶のEBは図11︵c︶のFRに等しくなっている︒まったく私的な財という︑かぎら
れたケースでは︑三一1︵c︶のFRはゼロであり︑完全に社会的な財の場合には︑EFはゼロである︒
なお︑竃ロωぴq茜く①は︑同様のアプローチが︑かれのいわゆるメリット欲求の要素を含む財についても適用できる
とのべ︑さらに︑種々の財が︿私的欲求﹀対︿社会的欲求﹀ならびに︑ ︿個人欲求﹀対︿メリット欲求﹀という︑双
方の次元で評価されるとして︑わたくしがすでに
公共財 理論の展望(2)
外部性が適用され,排除原則が
適用できない程度 100%
■
純粋社会 的欲求
●
0%
一
一
一
一
﹁
・●● ︸﹄:−﹂
﹁
●● 一 ● 一
● 一
一
一
︸
●
●● ●
●
● メリット社 会的欲求 純粋メリ.●
ツト欲求 100%
消費者の選択の重要性
同一2 0%
旧稿︵公共財理論の展望1︶で紹介した︑ じU二︐
oゴ帥コ四昌のボックス・ダイアグラムによる︑公共
財の二元的分類手法にならって︑図一2のよう
な︑やはり︑ボックス・ダイアグラムによる分類
︵25︶を試みている︒
なお︑ついでながら︑竃偉ω㎝q8︿Φは︑同時に︑
この分類を︑資本主義制度と社会主義制度におけ
る︑財政システムの比較に関連して論じており︑
そのような観点からみれぽ︑資本主義制度のもと
では︑ほとんどの資源が︑上方の象限に位置づけら
れる欲求の充足に用いられ︑共産主義制度では︑
下方象限における欲求が重要になってくるとい
う︒これは︑経済が真の共産主義に進展していく
につれて︑十分な無料財が供給されるという︑いわゆるフルシチョフ・ヴィジョンに反映されており.これらには排
除原則が適用可能で︑しかも外部性はあてはま牡ないけれども︑メリット財の基準のもとに利用されるものになると
いうわけである︒また︑消費者主権の承認は︑イデオロギーの問題であるのに対し︑外部効果は技術上の問題であっ
て︑消費者の選好が︑外部効果の特質をもつ財やサービスに︑重点をおくかどうかは︑社会制度の価値観によるより
も︑むしろ嗜好︑所得︑選択の有効性によることが指摘されている︒
さて︑ここでは︑公共財の定義に関連して︑特に冨一×①住Ooo住ωについての竃伍ωσq辛くΦの最近の分析を中心に検
討してきたが︑公共財理論における︑公共財そのものの定義にしても︑環境の問題をも含めて︑必ずしも一意的な定 ︵26︶義が設定されているわけではない︒いずれにせよ︑公共財理論が現実の具体的な政策的提言において︑有効性をもつ
ためには︑特に︑外部効果に関連した冨冥①ユOooOωを中心とした︑包括的な研究が期待されなければならない︒
78 四
さて︑本稿の最後の考察として︑最近の公共財の理論のなかで展開されている︑民主主義的集団という想定のもと
で︑公共財に関する集団的選択を︑財政方式との関連において分析しようとする試みに移ろう︒
周知の通り︑イギリスで発展した︑伝統的な古典学派および新古典学派の財政理論は︑財政の租税の側面にのみ力
点をおき︑支出の側面を軽視してきたが︑そこでは︑租税賦課はエクスターナルなものであり︑収入そのものは︑徴
収と同時に経済から脱落したのである︒したがって︑課税の原則としての︑租税原則論が重点的に展開されたのであ
る︒これは︑個人の公共財の需要とは無関係の︑費用配分原則にほかならなかったわけで︑このへんに︑切二9月差9・づ
が︑伝統的財政論に対する一つの告発として︑︑ミミ腎ミご亀ミ馬ミb鳴ミ︒ミ犠臆︑§ミ霧︵一㊤①刈︶を提出しなけれぽ
︵27︶ならない理由があったのである︒じd二〇﹃即づ餌pによれば︑原則論としては︑民主主義的な政治過程においては︑個人
の選好表明の集約選程から︑集合的決定︵直OO一一①Oけ即く① 一︶①O陣ω一〇昌︶が導出されなければならないのである︒そして︑
公共財の関する財政的決定も︑けっして︑その例外ではない︒ここでは︑現代の公共財理論の新しい開拓者の一人で ︵28︶ある︑しd二9pコ9︒づの︑単純集合決定モデルを中心に考察して︑その特質を明らかにすることにする︒
さて︑まずここで︑民主主義のモデルを導入して︑財政的決定は︑すべて個人が投票プロセスに参加することによ
って︑直接的に行なわれるという仮説を採用し︑三個人のモデルを中心に検討してみよう︒まず︑この状況で︑不確実
性︑無知︑財政的イリュージョン等が存在しないとす
公共財理論の展望(2)
D
一 一 一 一 甲一
一 一 一 一 一
X
公共財数量
図一3 租
税
1P
価 格
0
れぽ︑単一の公共財に対する個人的需要のモデルは︑
図で示されるように︑個人が︿巴一〇﹃89訂oq>の基
準で︑選択対象に直面するのでないかぎり︑OPの単位
租税一価格で︑OXの公共財を需要することになる︒
この点は︑その個人にとっては︑オプティマルではあ
るが︑かれは︑この公共財の集合的決定の参加者の一
人にすぎず︑政治的選択のプロセスからでてくる︑集
合的決定によって︑この個人的オプティマルは修正さ
れざるをえない︒したがって︑これらの決定モデル
は︑複数行動を対象とするものでなければならないの
である︒
このような観点から︑切Uqoげ餌昌目口が最初に試みた︑最も単純なモデルぽ︑同享な三個人モデルであった︒ ここで
は︑一定の租税一価格の構造が与えられた場合︑租税が一般的生格のものであるかぎり︑桔果ぽ︑図一3のケースと
同じであり︑これはまた︑パレート・オプティマルの必要限界条件をみたすであろう︒公共財が不変費用で供給さ
れ︑その投票された数量に対して︑均等税方式を採用することに︑同意がえられているとすれぽ︑個人のおのおのの
く私的選択﹀が与えられているとき︑公共財の需要量はOXであり︑個人の要求する公共支出水準は同等である︒こ
のような状況での意思決定の結果は︑満場一致ルールのもとでも︑単純多数決ルールのもとでも︑同じものでなけれ
ばならない︒租税方式についての決定が︑あらかじめ︑同音心をえている場合には︑単一の独裁者や多数連合がもたら
すような︑集団の他のメンバーを搾取する機会は︑すべて排除されるからである︒要するに︑このモデルでは︑すべ
ての個入は同等であり︑比例所得税方式であろうが︑累進所得税方式であろうが︑明確に差別的でない課税方式で
は︑すべての個人は同等の租税−価格に直面することになる︒公共支出プログラムは︑常に︑ ︿理想的な効率性﹀を
保証するわけである︒
さて︑このような制約的モデルから一歩を進めて︑つぎに︑じdβ09昌9︒⇒は︑三個人の問に︑単一の公共財に対す
る評価あるいは需要が異なるという︑一つの差異要素を導入する︒しかし︑このモデルにおいても︑課税方式の側面
については︑この差異要素とは無関係であると考えられるので︑この三個人がいずれも︑すべての一般税に関連する
点では︑やはり同等であるという仮定を留保するかぎり︑このような租税方式はすべて︑おのおのの個人にすべて同
等の租税−価格を課すことになる︒
さて︑図〜4︵a︶において︑∪ご∪きUQは︑それぞれ︑個人A︑B︑Cの公共財に対する需要曲線を示す︒し
たがって︑ここでは︑個人は︑それぞれ︑個別的には︑×ひ×し・噂図委という公共財の単身を選好することになる︒
80
(a)
DA PB
Dc
一 一 一 髄 一 一 一 冒 薗 一 一 一
一 } 一 一一 一 一
XC XA XB
租税−価格
0
︶b ・ーーIIl︐︵
A
B I
ic
Xc XA XB
公共財数量 図一4
選好序数
0
r
ωだから・このケースでは・意思決定の委任方式のいかんによ・て︑異な・た結果がもたらされるであろう︒
腱また︑図i4︵b︶においては︑縦座標に個人の選好序数をとっており︑したがって︑こ・では︑個人の選好関数
翻は・単一ピークを描き・このピークは・その集団にと・ての︑個人のベストな結果を示すわけで︑・れは図14︵・︶
公 が︑単純多数決ルールのもとで︑ある︑確定的な結果が存在することを保証している点である︒すなわち︑このケー 共︑ 財 の︑それぞれの︑個人的な均衡点に対応している︒重要なことは︑個人の選好関数が︑単一ピークを示すという特質 理
︵29︶スでは︑循環多数決の問題は生じない︒そして単純多数決のもとでは︑集団のうちで︑中間の選好パターンをもつメ
ンバーの︑単一ピークによって示される結果が選択されるであろう︒つまり︑このモデルの構造では︑中間の個人の
選好パターンが︑集団の選好結果となるために︑集団の意思決定に関する︑個別的選択のプロセスの分析領域に︑多
数決ルールを導入することが可能になるのである︒しかし︑満場一致のルールでは︑結果はかなり不確定である︒す
なわち︑このモデルでは︑×匹と×︒の間で︑不確定なのである︒
つきに︑公共財に対する同等な需要関数をもっているが︑個人の租税−価格決定に関連する一要素︑たとえぽ所得
82
(a)
DA=DB二二Dc
一 1一−響1 一 一 脚 ■ 一 一 冒 一 コロロて コ ロユ
⁝=
一一﹁1覧マ︐TII 暫 一 ﹁ ■し や ロト ド コニ ﹁ =
= 一 皿︸一 一 層 冒 一
一占一一」一■_■■_■_
;1、
XA XA
恥p賄 込肱
X61Xc XB
0
、 、
、 、、A
蓑 A ll
XA XA
︶b
︵ ︑ lIlIl ﹁一 トー1
−lll昏1﹂ し一 ︐ C 7 C
B
XごXc XB 0
公共財数量
図一5
選好序数且党−面父ロ ノー←丁壬丁壬丁
公共財理論の展望(2)
水準の異なる三個人を考えよう︒このケースは︑図15︵a︶に示されている︒同等な需要関数ならびに︑均等税と
いう租税価格を仮定するかぎりでは︑結論は︑どのような投票ルールの場合でも同じであろう︒しかし︑いま︑個
人︑A︑B︑Cの所得が︑それぞれ︑低︑中︑高の水準にあるものとし︑個人の所得水準と租税方式とを関連させる
ことで︑個人の租税−価格が異なるものと仮定しよう︒租税方式が比例所得税のケースでは︑図15︵a︶におい
て︑個人はそれぞれ︑若き℃寧℃︒という租税−価格に直面することになる︒個人はすべて同等な需要表をもち︑し
かもそれぞれ異なった租税一価格が与えられているために︑いまや︑公共財の選好量は同じではない︒この場合に
も︑決定ルールのいかんによって︑異なった結果がでてくるであろう︒多数決ルールでは︑ここでも︑中間の所得者
が影響力をもつ傾向がある︒そして累進課税方式のもとでも︑租税−価格の較差を拡大するけれども︑この結論は︑
修正されないであろう︒いま︑累進方式を導入するにあたって︑Bの租税−価格を不変のままで︑Cの租税−価格を
引上げ︑そして︑Aの租税−価格を引下げるという︑いわゆる︑税率構造の︑シムメトリカルな変化という方式をと
れぽ︑このモデルの一般的結論は変らないであろう︒しかし︑累進方式が︑Cの租税−価格を引上げ︑AとBとの租
税−価格を引下げるという︑ノン・シムメトリカルな税率構造の変化によって︑導入されるならぽ︑単純多数決のル
ールでは︑公共財の供給量を拡大する結果を生じるし︑また︑逆方向に︑Aの租税−価格を引下げ︑︐BとCとのそれ
を引上げるという形で導入すれば︑公共財の供給量の減少という︑逆の効果を生じるであろう︒
満場一致ルールのもとでは︑比例方式に対する累進方式の効果は︑図15︵b︶に示されているように︑解の領域
が︑比例方式より広くなるであろう︒そして︑すべての︑条件つき多数決ルールのもとで︑解が見出される領域は︑
累進方式の方が広範であって︑公共セクタ⁝の適正規模についての不同意の程度は大きいはずである︒
最後に︑同等の逆心パターンをもつけれども︑所得が異なる︑三個人のモデルを考察しよう︒ここでは︑個人の所
彌 肱
Dc公共財数量
租税一−1価格
0
図一6
は︑ある租税−1価格の排列構造が︑意思決定ルールの影響を受けない︑
らない︒すなわち︑公共財に対する限界.評価の順位構造が与えられると︑
税i価格の︑ある賑位構造が存在すべきなのである︒
パレート・オプティマリティーの必要条件をみたすものであるが︑
格関数の所得弾力性︑d3⁝⁝公共財に対する需要つ所得弾力性︑
﹁↓一1︒0 80 得が異なるために︑公共財に対するそれぞれの需要が異なるケースが設定されている︒所得効果が個人の選択行動を変えるので︑個人の限界評価あるいは需要関数は異ならなければならない︒ここで︑公共財に対する所得弾力性係数が正であるとすれば︑関連の数量範囲にわたって︑三個人の需要関数が︑所得水準によって排列されるであろう︒それらは︑図一6に示されているように︑需要関数U諏はU切より下位にあり︑それらはいずれも︑UQより下位にあるように排列されるのである︒三個人それぞれにとっての租税−価格は︑比例税方式のもとでも︑累進税方式のもとでも︑所得に照応して変化する︒したがって︑所得弾力性係数が正であるかぎり︑租税−価格は︑限界評価あるいは需要関数に対応している︒このこと 一意的な結果をうむことを示すものにほかな いわゆるく完全中立性Vを保証するような租 この結果は︑政治的選択ルールの性格に左右されることなく︑ この完全中立性の必要条件は︑ ︵T⁝⁝租税一価 ε 帽−⁝・公共財に対する需要の価格弾力性とすれぽ︶
84
公共財理論の展望(2)
てある︒そして︑この条件が成立するとき︑意思追走ルールは重要ではない︒需要の所得弾力性がゼロである場合に
は︑租税一価格構造の所得弾力性もゼロでなければなら.ない︒もし需要の所得弾力性が一であるとすれば︑比例方式
のもとでは︑租税一価格の所得弾力注ぶ一であるから︑需要の郷倉弾力性も一である場合にはじめて︑完全中立性が
達成されるのである︒需要の価格弾力斥ぽ︑通常は負であるから︑需要の所得弾力性が正であるとすれば︑完全中立
性が成立するためには︑所得の増加につれて︑租税一価格も上昇しなければならない︒
このようにして︑公共財に対する需要ゆ所得弾力性が高く︑一方︑その.洒格弾力佳が低い場合には︑中立性を達成
するためには︑累進税構造が必要であろうし︑他方︑価格弾力性に対して︑所得弾力性係数の下方シフトは︑租税i
価格関数の逆進性を緩和することになるであ.ろう︒
もちろん︑以上の完全中立性の意味するところは︑その制度が︑政治的選択をするためのルールに下して︑中立的 ︵30︶であるということであり︑この条件をみたすことによって︑パレート厚生曲面上の一点が達成できることになる︒
さて︑ここでとられている︑平等選好モデルは︑もちろん︑非常に制約的なものである︒個人には︑相互に選好の
差異があることは︑当然のこととして承認されなければならない︒しかし︑この点について︑じd二〇げ磐餌鵠は︑私的財 コ ロ コについても︑公共財についても︑特定の個別的財を考察するよらば︑需要のパターンに︑かなり広範なちらばりがあ
ることを認めたうえで︑もしそれらの財の︑全体的一括としてのパッケージを考えた場合にほ︑選好の差異はある程
度残るけれども︑所得水準との関連は別として︑それらは相対的に小さいことを指摘して︑このモデルの有効性を主
張するのである︒そして︑その最終的な検証は︑所得効果の検討によって与えられるのであり︑もし︑個人間の所得
の差異が︑嗜好の差異よりも優勢ならば︑同等選好工︑デルは︑ここでの目的には︑かなり有効なわけである︒もし公
共財の個人需要の差異が︑所得や資産の差異と無関係であるならば︑それらを基準とした課税方式は︑経済的にはま
つたく無意味であるし︑資源配分に重大なゆがみをもたらすことになる︒一般課税方式の発展のなかで︑集団のすべ
てのメンバーは︑公共サービスの便益を共有し︑そして︑これらの便益は︑ある方法で︑所得資産の位置に関係づけ
られるという︑仮説をインプリシットに含んだうえで︑個人の租税負担額の算定基準に︑個人の所得や資産を用いた
ので臥罷︒このように考えると︑個人需要は︑所得資産の水準に照応して配列されるので︑一般課徴方式も︑これに
関連づけられなければならないわけである︒また︑↓般税によってまかなわれるサービスは︑非差別的便益をもたら
さなけれぽならない︒もしそうでなければ︑一般税方式と同様︑同等選好モデルも︑適用できなくなるであろう︒
さらに︑じU自︒冨爵コのモデルでは︑個人行動について︑選択対象に関する完全な情報が与えられていることが仮
定されている︒もちろん︑この仮定は非現実的であり︑個人は︑無知︑不確実性︑錯覚等の条件のもとに︑選択行動
をしなければならないが︑しd昌︒げ讐餌コによれば︑不確実性や錯覚を含む財政方式は︑明らかに非効率的結果は導く
けれども︑この方式では︑同意に達する費用は相対的に低いはずであり︑これは︑この方式がもつ︑しぼしぼ看過さ
れやすい︿効率性﹀であるという︒したがって︑選択行動に不確実性をともなう方式は︑政治的同意に達する費用を
低減すると同時に︑配分上おかした︿誤謬﹀という費用を増加させるのであって︑個々の方式の全般的な効果を判定
する際に︑これら二つの要素が︑秤量されなければならないことになる︒
86 五
わたくしは︑この展望の最後に︑伝統的財政論への︑一つの告発としての︑じU¢9鋤母指の新しい試みの一部であ
る︑公共財の財政的選択に関する︑単純集合決定モデルを考察してきたのであるが︑かれらの試みの根底に︑個人が
政治過程への参加を通じて︑財政的選択を行なうという︑民主主義の仮説を認めるのである︒現実の社会制度におい
公共財理論の展望(2)
ては︑卜九皇紀以来︑参政権の拡大を通じて︑民主主義的な節会的選択を記入二開放していく過程が展開されてきた
にもかかわらず︑伝統的な財政論では︑依然として︑その分訴のプロセスで︑財政的政策の決定が︑個人的選択とは
完全に分離されたまま扱われたのである︒したがって︑厚生経済学的財政理論をも含めて︑かれらの仮説では︑個人
は究極的な財政的選択の権限をもたず︑そのために︑そこでは︑なんらかの些準の設定には︑規範へのエクスターナ
ルな依存要素が求められたのである︒個々の市民への政策決定が︑外生的に与えられる︑伝統的アプローチは︑この
意味において︑非民主主義的なものであった︒
いずれにせよ︑公共財に関する財政的選択理論は︑もはや︑財政方式による個人の市場選択反応という伝統的財政
論の領域を︑越え出たレベルに移っているのである︒したがって︑ここであげた選択工︑デルぽ︑広く︑財政方式その
ものの選択穣.さらには意思決定のル︼ルそのものを扱うものではないが・個人が私的財と同様に︑公共財・芋ビ
スを選択する際の選択行動を分析し︑そして︑民主主義社会における︑いくつかの財政方式の︑選択行動に対する効
果の方向を予測するための試みにほかならない︒
この単純集合決定モデルは︑非現実的な︑きわめて制約的な仮説のうえに構成されているにもかかわらず︑それが
財政論の伝統︑主流からの大胆な転換を意図しているところに︑このアプローチの最大の意義を認めなければならな
い︒さきに指摘した︑経済理論の領域における︑公共経済理論の活発な展開とならんで︑いわゆる財政的選択を問題
にする︑公共財の理論の発展が期待されるのである︒
︵未完︶
註
︵1︶﹁公共財理論の展述﹂早稲出社会科学研究第四号
︵2︶ もちろん︑部分的には︑公共財配分の問題に︑明示約にはふれないものの︑一︶£︒⇔o麟コ空罐︒ぎやス¢∋さ3>﹁﹁o≦等の︑
社会的選択理論の線にそ↓.た︑稲田献⁝氏や村上泰亮氏等の研.究がある︒
︵3︶ たとえば︑稲田献一﹁︐政治経済学の可能性﹂−⁝1多数決ルールの研究をめぐって・・1︑経済セミナー雨雪ρ一ρZρミO
︵4︶嚇たとえ14幽︑建元止弘・渡辺経彦編﹁現代の経済学﹂i−−i公共凝済学をめ.ぐってi.i︵昭和四五莞︐︶2︑公共経済学の諸問
題参照︒
︵5︶この∴⁝⁝⁝文の英訳は︑︸〃.﹀.竃屋㏄箋︿︒︒a>.︑一..勺奉8cぎらミい魯︒・き馬壽偽導S壱ミ︑さミ§§〜ら偽・お訊︒︒.に収
録されているひ︑︑OO暮ユσ漏瓜Oコε子O↓︸旨〇一︐︽Ch葺OO回ωδユσロユOコOh℃¢げ=∩国×℃¢コ巳ε門Φ︑︑
︵6︶ 財政論のイヌリヤの伝統については︑﹄7︷.訂煽67四昌餌ジ..H逼ωn冨昌N⇔Oo=e閃ヨ碧No︑︑ ︑門70胃E冨昌↓H目時一島︒ローロ
閃冨O巴︑一.7ΦO﹁ざ︑幌防警k園.詮Qo萱畿討亀︑ミ職跨へ乱h昏C嵩Oミヒ・︸㊤¢O●・を瓶夢昭押G
︵丹︶ ¢ぴqOζ鋤NNO一嘗︑.↓げO﹁O﹁ヨユO口Oh︹7¢勺ユOΦも駐Oh剛信σ=O OOOαoo︑︑ け﹁ロロω一㏄一∩匹 h﹁O∋ 一丸四=mb噛 一コ O︑黛騎6う軌ら肋軌Σ鳳詠偽
§偽QO可鳶\㌧旨ミ昏勘ら︾︑帆遭篇㌶偽恥・
︵8︶ ﹇︐準公共財とその配分・万式﹂早稲田社会科学研究 第一一・三合三号
︵9︶6い9言鎚NN︒耳ε.Ω門︑Q翁肋§噛電.おム轟
︵01︶ 一く●≦剛O﹃ω①=︑︑国一砂蟹O¢Φω ℃ユ⇒N一℃ α○﹁ αq①弓⑦07け〇二 訂OooρΦ二①﹁¢コぴq︑︑層 ︑︑暁ミ貸醤h馬寺偽O︑偽異いら浮鳴 $職鳴︑㊤黛ら尋ミ蕊題篭℃ 一Qoり①⁝
両ユ﹃ ﹇一口α9ゴ㌍ b艦驚 O偽︑偽ら︸勘容ミ馬 職俺︑ bσ日豊鷺ミ偽謎へ箪︑偽噛 一㊤一〇一︑.国一謬一σq① ωけユけ二αqΦ ﹁﹁uρoq①昌 α①﹁ ωR①仁①﹁けげ①〇二〇嚇︑讐b篤偽
ミミ身為ミ簗曹ミ鳶頭ミOQ偽§ミミひ一Φ鱒︒︒ これらはいずれも6︑蕊鴇畠ミきQ↓曹︒曇ミ.︑ミミ鳶ミ篭§ミに英訳が
収録されている︒胃=ρθ!<剛6評ω色ど弓>Z①≦勺門﹃9ロ冨eh﹄口︒︒門︑円ロ×〇二〇コ︑︑讐国ユ7﹇ぎ畠四包℃︑.﹄賃2目9︒×二〇昌一◎勺Oo︒凶二く①
しoO一¢二〇づ︑讐り国﹁剛評ピ陣⇒α自ρゴ一 儀儀ωCヨ① OO自門﹁O︿①﹁oo一一〇口Φω二〇コω一図再7①一﹃詳①O﹁団Oh︑﹃鋤×帥戸一〇昌.︑.
︵11︶ ﹁oDO9巴bu巴雪ooと公共財﹂早稲出社会科学研究 第五号
︵12︶ じ・切冨2♂SミSミ6辺ミ.60ミミミ馬島ミミ︑唱︑ミ.︑︑ミ葛・一㊤切Q︒鴨この太・はかれの一九四八年︑ 一九四九年に発表された
数篇のきわめて啓発的な諭文が主日体になっている︒
訳・一・﹀罵︒≦砺09ミ6専ミら亀ミミセミミ譜ミξ︑ミ勲 一〇㎝一この本は社会的選択理論の現代の古典となっていること
は周知の通りである︒
88
公共財理論の展望て.2.)、
憲︶︿投票の・ハラドヅクス﹀についてはv瞬.ンき暮︒.︒鮮電﹄1冊壽証ヨ露①監ζ︒蔑竃げ§§毘⑩︒幕
二四§覧①の9婁①寄N巴︒図︒h<︒菅伽q︑︑℃ヨ9号29ヨ興§匙︒けぴ①参さミ鳴ミ§ミ§勘§暁§恥ミミミ母ミ
︵14︶﹀尋︒ξu︒善ρぎ肉§§鳶§・§ミb§ミε弘︒認⁝§・霞︒ぎp暴多重.・ミ︒ミミミ︾ミ§ @ F9§ミ●お①αを参照コまた八循環多数決Vについては︑O・しd冨︒ぎ8●o貫℃勺・ωり1朝Oを参照︒
H霧朝・
︵15︶旨舅望9き雪9巳O.↓巨︒︒ぎ§恥O§ミ婁ミG§§罫ち①ヨρ↓巳δ鼻噂§ミミ黛〜§ミ§ミ蕊ミ象︑帖ミ砺噂
@ ワごい観じd・︒ぎ鐸寒︑爵ミ§こ・b・.§ミ§ぎ§・し§こ陰顕しd・︒冨§﹄蕾b§§織§亀の§ミ
ミぎミ鳶Os腎㌔δ①◎︒..︵16︶=︒語混同︒蓄・㍉§ミ貯ミ昏§華謹︒︒脚︑︑雷・同慶§・琶︒:h<︒二置貰§≧§け冨︒山国8き巨︒
園①ωoロ門αΦQ︒︑︑・§恥Oいミこミ督冒鷲§ミミコ肉q§o§陸物・お膳ら︒●なおこの論文.は︑跨.国.︾こさ黛概ミ偽偽§ミ恥盲︑鳴肉8§o§詩勲
一㊤①㊤・に収録されている︒ ・
︵17︶量こ留日︒・・p︑.︒︒︒§乞︒窓︒pい言畠三.・塁Φ︒蔓︒hu器§冨二︒:亀忌日︒気門巳ぎ器ω...ミ§§§ミ
︵8ユ︶︒こ●罫bu⊆§§も笥塙謡§翫§島§愛8・︒搾 . @ §腎さミ讐Ooい忌導§肉昏§§量ま切矯電・§L心︒噂
ハp︶︒h﹄﹄睾・p.︑宙.幕塗屋§・︑︑︒鼠けこ鵠§譜§き§・肉§§量電﹄藁の︵釜︒h即︾・さ︒・養蚕少↓譜・↓ぎ蓬ミ︑導§ミ苫§ミし蓼藍g畳・二⁝勺.︾.ω§琶・β︑︑臣・臣8蔓︒h
@ ]診σ=O国×b①昌O詳ロ民①︑︑㌣沁匙賠ミ鳥\肉らq論も§漕い黛謡概要ミ鳶勘畠℃同O研心●なおこの論文は︑諺.国.︾こ肉ミミ§偽防.§尋書鳶
@肉︒§oミ跨3HO㊦⑩に帆録ざれている︒
︵磐.ド罫じ﹂g冨葛ジ㌧§§賊堅ミ⑦§ぎβ鼻℃.︒げ・冨;.第ミおご罫9・§層8●鼻
︵22︶ ・公土ハ財理論の包括的な文献解題は︑ 9竃.■bd億︒げ伊野鋤P駐日鳴b鮎ミミミ織謎翫Qミ辱嚇督ミ㌔ミミ腎.Ooo職吻 の各説早末に示され
ている︒
愈︶H≧・・︑・︒び帥一口耳目﹄・ミ寝︑§軋い§ぎ︒ワ︒肝戸鋭鼠︒ω・・円ゆくΦ・.︑て冠︒<陣ω陣◎雷団︒鴨ω︒︒一餌お︒︒鳥の︑︑凱昌匂・§選5
@ ・下塵〇三ぎpミミら肉§§碧し馨u譲︑﹂b︒全冬葵■︾■累霧㎎鑓くp霞§N魯︒・妹§し¢①P℃℃・下b︒o鶴・℃●
@蓄Nσ①壇し黛§..抽縣ミこ︑馬坤・へ脳・帖ら3まメ︒冨冨=し◎ ︐
︵24︶ 即﹀辱罎儀Qり騎腎ロ<ρ..℃δ<δ陣︒訪︑.o℃.ar 等駄ミ詩鳴ミ篭ミM暗葛勺℃・δ心一μ癖硲︒・
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︵26︶ たとえば︑村上泰亮﹁公共財の定義﹂現代の経済学︵2︶を参照︒
︵27︶ 同■國≦.じ噂仁07餌p蝉P︑黛ミ帆偽ミ壽額壽a萱門bQミoo検ミ跨℃さ亀6っ9一〇①8勺.島こOQO
︵28︶ ︸.冨畠じ︒¢oげpp田ピbミ謡︒象︑ミ鳶︑︑q飛吻勲9叶顧︒唱.oびp僧一ピ℃℃.同心膳i一①QQ¶
︵29︶ O団巳同︒巴言巴︒嵩げδωの問題は︑U勉昌︒働昌しd訂︒犀が詳細に論じているが︑この問題の先駆的貢献は︑すでに︑ ρい.
Oo像鴨opによって果されており︑そのパンフレット︑︾ζΦ子︒αoh↓鋤吋冒ひqく08ωo口竃︒鴇島睾↓≦oHωω自Φω︵一◎○刈①︶
は︑プリンストン大学図書館に収められている貴重な文献であるが︑これは︑O弩︒碧bd冨︒ぎ↓曹↓譜︒蓮ミOoミ§ミQ翁
§賊肉筆ミ§ρお朝Q︒のβ・暑魯住院として収録されている︒鯉ρo吋等の先駆的業績として注昌すべきものであろう︒
︵30︶ なお︑完全中立性の概念に関連した︑より詳細な論議については︑一・鼠︒じd9冨錘Pb§ミミミ讐㌔着ミ鈎・8・o一けこ ︾場①巳㌶80冨箕興目を参照︒
︵31︶ このことは︑近代槽税制度が︑かならずしも利益原則の線にそって発展してきたことを意味するのではない︒この点につ
いては︑oh旨ζ.bd目び聾鋤Pb鴨ミ︒らミ畿ら℃きミ塗oPo搾矯剛﹁・窃刈i一㎝︒︒●
︵23︶ ω二〇冨日建は︑財政的方式そのものの選択についても新らしいアプローチを試みている︒o℃.o搾憎℃ρ冥昌の
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