する組香(九)
著者 矢野 環, 福田 智子
雑誌名 社会科学
巻 48
号 3
ページ 1‑26
発行年 2018‑11‑30
権利 同志社大学人文科学研究所
URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000356
一 本稿は︑﹁︽資料︾竹幽文庫蔵﹃香道籬之菊﹄の紹介︱和歌を主題
とする組香︵一︶︱﹂︵﹃社会科学﹄第
46巻第 3号︑二〇一六年一一
月︶︑﹁同︱同︵二︶︱﹂︵﹃社会科学﹄第
46巻第 4号︑二〇一七年二
月︶︑﹁同︱同︵三︶︱﹂︵﹃社会科学﹄第
47巻第 1号︑二〇一七年五
月︶︑﹁同︱同︵四︶︱﹂︵﹃社会科学﹄第
47巻第 2号︑二〇一七年八
月︶︑﹁同︱同︵五︶︱﹂︵﹃社会科学﹄第
47巻第 3号︑二〇一七年十一
月︶︑﹁同︱同︵六︶︱﹂︵﹃社会科学﹄第
47巻第 4号︑二〇一八年二
月︶︑﹁同︱同︵七︶︱﹂︵﹃社会科学﹄第
48巻第 1号︑二〇一八年五
月︶︑﹁同︱同︵八︶︱﹂︵﹃社会科学﹄第
48巻第 2号︑二〇一八年八
月︶に引き続き︑竹幽文庫蔵﹃香道籬之菊﹄所載の組香について︑と
くに和歌を主題とする組香を対象に︑翻刻と考察をおこなうもので
ある︒本稿では︑御の巻から︑小男鹿香︑高砂香︑待乳山香︑月宴
香︑花野香︑白梅香︑隅田川香の︑計七つの組香を取り上げる︒資
料に関わる基本的な説明は︑﹁︽資料︾竹幽文庫蔵﹃香道籬之菊﹄の
紹介﹂︵﹃社会科学﹄第
46巻第 2号︑二〇一六年八月︶を参照された
い︒また︑凡例および香道用語解説は︑前掲﹃社会科学﹄第
46巻第 3号に詳述しているので︑本稿では︑以下にその概略を記すにとど
める︒ 凡例一︑翻刻本文は︑底本の原態を尊重しつつ︑漢字・仮名ともに
通行の字体を用い︑適宜︑句読点を施す︒また︑朱書きには︑﹁︵朱︶﹂と示し︑一面の終わりには〝﹂〟を付して丁数を記す︒
一︑考察には︑︵
1︶竹幽本組香の方法︑︵
2︶和歌作品との関
わり︑というふたつの観点を設ける︒
一︑︵
1︶の冒頭には︑構造式を記す︒また︑解説を要する香道 用語には﹁*﹂を付す︒それらの用語については︑﹁香道用語
解説﹂︵﹃社会科学﹄第
46巻第 3号︶を参照されたい︒
一︑︵
2︶で引用する和歌作品の本文は︑特に断らない限り﹃新 編国歌大観﹄Ver.2︵角川書店︑二〇〇三年︶に拠る︒
一︑巻末には影印を付す︒
︽資料︾
竹幽文庫蔵﹃香道籬之菊﹄の紹介 │ 和歌を主題とする組香︵九︶ │
矢 野 環 福 田 智 子
二
︽御巻︱一九︾小男鹿香
︻翻刻︼
△︵朱︶小男鹿香
玉葉集 藻壁門院少将 さほ鹿の声きく時の秋山に又すみのぼる夜半の月影 此哥を以て組侍たる也︒
一 試なし︒
一 二炷開︒
一 十炷香の札を用︒﹂御四四ウ
一 さほ 一朱鹿の香︑声き
二
朱く時の香︑秋山
三
朱の香︑又すみ
四
朱のぼる香︑夜
半 五朱の月影香︑各二包充︑都合十包打交︑二包充一同に焚出
し︑二炷充にて包紙を開くべし︒
一 聞様は︑無試十炷香の例に等し︒然ども︑一二三と順に札
を打に及ず︒銘々心次第にて︑順を定て札をうつべし︒
小男鹿に︵朱︶ 一の札 声きく時︵朱︶ 二の札﹂御四五オ
秋山︵朱︶ 三の札 又すみのぼる︵朱︶ ウの札 夜半の月影︵朱︶ 一ウ二三 二枚充打︒
一 記録点は︑無試十種香のことく︑二炷上下にて結聞たるに
点をかくる︒上一点︑下二点充かくる也︒独聞は上下の差 別なく三点充かくるべし︒認様次に出せり︒﹂御四五ウ
小男鹿香記 ︹表︺﹂御四六オ
︻考察︼
︵
声きく時 開 さほ鹿 1︶竹幽本組香の方法
秋山 5 2= 10 =×
夜半の月影 又すみのぼる 2
本香には︑﹁さほ鹿﹂﹁声きく時﹂﹁秋山﹂﹁又すみのぼる﹂﹁夜
半の月影﹂の香︑各二包︑計十包を用意する︒試香はない︒二
炷焚き出しては包紙を開き︑正答を披露する二炷開きを五度行
う︒
答えには十炷香札を用い︑無試十炷香の要領で札を打つ︒もっ
とも︑無試十炷香では通常︑一炷目に﹁一﹂の札を打ち︑二炷
目以降は︑異香が出るたびに﹁二﹂﹁三﹂﹁ウ﹂の札を順に打っ
ていくが︑本組香では︑その順序に従う必要はなく︑自分で思
い思いに順序を決めて札を打ってよいとする︒本伝書には︑﹁さ
ほ鹿﹂の香に﹁一﹂の札︑﹁声きく時﹂の香に﹁二﹂の札︑﹁秋 ⎫⎜⎜⎜⎜⎬⎜⎜⎜⎜⎭*
*
*
**
*
三 山﹂の香に﹁三﹂の札︑﹁又すみのぼる﹂の香に﹁ウ﹂の札︑﹁夜
半の月影﹂の香に﹁一﹂﹁ウ﹂の札と﹁二﹂﹁三﹂の札をそれぞ
れ二枚組み合わせるという札の打ち方が記載されているが︑本
組香には試香がなく︑このように香名に合わせて札を打つこと
はできない︒だが︑五種類の香の区別を十炷香札で答える場合
の標準的な札の打ち方が具体的に示されていることにより︑札
打ちの順序を個々に定めるときの参考にはなるであろう︒
記録点は︑同香を二炷ともに聞き当てた場合に︑﹁上﹂︵先に
出た香︶を一点︑﹁下﹂︵後に出た香︶を二点とし︑その数の合
点を記録に記す︒独り聞きの場合は︑﹁上﹂﹁下﹂の区別なく三
点である︒
︵
2︶和歌作品との関わり
冒頭に掲げられている歌は︑﹃玉葉集﹄巻第四秋歌上︑五七〇
番に載る︒
光明峰寺入道前摂政家歌合に月下鹿藻壁門院少将
さをしかの声きく時の秋山にまたすみのぼる夜はの月かげ
香名﹁さほ鹿﹂﹁声きく時﹂﹁秋山﹂﹁又すみのぼる﹂﹁夜半の月
影﹂は︑すべてこの歌に拠る︒ 作者の藻壁門院少将は︑藤原信実女︒後堀河天皇の中宮︑藻壁門院︵一二〇九〜一二三三︶に仕えた︒
なお︑﹁月下鹿﹂題の歌は︑勅撰集には他に︑次の二首の歌が
見出される︒
家七首歌合に︑月下鹿といふ事を
光明峰寺入道前摂政左大臣
みかさやま月さしのぼるそらはれてみねよりたかきさをし
かのこゑ﹃続古今集﹄巻第五秋歌下︑四五〇番
月下鹿を 後堀川院民部卿典侍
さをしかの嶺のたちどもあらはれて妻どふ山を出づる月か
げ﹃続千載集﹄巻第四秋歌上︑四〇六番
いずれも鎌倉前期の詠歌である︒本組香も︑この時代の美意識
を汲もうとしたものか︒
なお︑中院通村﹃渓雲問答﹄では︑﹁月前月下同事也﹂とする
が︑﹁月前鹿﹂の勅撰集における例は︑﹃続後拾遺集﹄﹃新拾遺
集﹄﹃新続古今集﹄に各一首見え︑﹁月下鹿﹂よりも勅撰集に登
場する時期は遅いようである︒ *
*
四
︽御巻︱二一︾高砂香
︻翻刻︼
△︵朱︶高砂香
千載和哥集 前中納言匡房 高砂の尾上の鐘も音すなり暁かけて霜やおくらん
此古哥を旨として組香となし侍る︒
一 十炷香の札を用︒
一 高砂香︑住江香︑各三包充︑尾上鐘の香四包ウ香也︑都合十包
出香とし︑皆焚終て包紙を開くへし︒﹂御四八オ
一 尾上鐘香斗り外に拵へ試に出す︒其餘は試なし︒
一 聞様は︑尾上鐘には尾上鐘札うつ︒高砂・住江の香には︑順
を定て︑暁と霜の札を︑無試十炷香の例に札うつべし︒上
下にて結たるを中りとする也︒
一 札打様
先に出たる試なし 暁の札 一の札用︵朱︶
後に出たる試なし 霜の札 二の札用︵朱︶﹂御四八ウ
尾上鐘出たるは 尾上鐘の札 三の札ウの札の内を心次第に打べし︵朱︶
一 記録点は︑尾上鐘一点︑暁二点︑霜三点充也︒独聞の差別
なし︒又︑尾上鐘香は試を聞せたる故に︑聞違たらば過怠
の星二つ充︑何人にても付るべし︒皆中は相生松と認る︒認
様次に顕す︒ ︵二行分空白︶﹂御四九オ
高砂香之記
︹表︺﹂御四九ウ
︻考察︼
︵
高砂 1︶竹幽本組香の方法
住江 3
尾上鐘 コ 10 4
本香には︑﹁高砂﹂﹁住江﹂の香︑各三包と︑﹁尾上鐘﹂の香
︵ウ香︶四包の計十包を用意する︒試香は﹁尾上鐘﹂の香のみ︒
十炷すべてを焚き終わってから包紙を開き︑正答を披露する︒
答えには十炷香札を用いる︒﹁尾上鐘﹂の香には﹁三﹂か﹁ウ﹂
のいずれかの札を打つ︒﹁高砂﹂﹁住江﹂の香は︑試香がないた
め︑区別がつかない︒そこで︑試香のない香のうち︑先に出た
香には﹁一﹂の札︑後に出た香には﹁二﹂の札を打つ︒これは︑
無試十炷香の札の打ち方であり︑同香の組み合わせを聞き当て
ると点が得られる︒なお︑﹁一﹂の札を﹁暁﹂の札︑﹁二﹂の札
を﹁霜﹂の札と称し︑出た札を香之記に記録する際には︑﹁暁﹂
﹁霜﹂と書く︒
記録点は︑独り聞きであるか否かに関わらず︑﹁尾上鐘﹂を聞 ⎫⎜⎬⎜⎭ ⎫⎜⎜⎬⎜⎜⎭****
*
*
*
*
*
五 き当てると一点︑﹁暁﹂は二点︑﹁霜﹂は三点である︒また︑﹁尾
上鐘﹂の香は︑試香があるため︑聞き違えた場合は﹁過怠﹂︵罰︶
として星を二つ付ける︒この場合も︑聞き違えた人数は問わな
い︒すべて聞き当てたときは︑記録に﹁相生松﹂と書く︒
︵
2︶和歌作品との関わり
冒頭に掲げられている歌は︑﹃千載集﹄巻第六冬歌︑三九八番
に載る︒
堀河院御時︑百首歌たてまつりける時︑よめる
前中納言匡房
たかさごのをのへのかねのおとすなり暁かけて霜やおくら
ん
大江匡房︵一〇四一〜一一一一︶は︑平安時代後期の碩学︒儒
学者・歌人︒いわゆる豊嶺の鐘の故事﹁豊嶺に九鐘有り 秋霜
降れば則ち鐘鳴る﹂︵山海経︶を踏まえた詠である︒
本組香は︑この歌から︑香名﹁高砂﹂﹁尾上鐘﹂と︑札名﹁暁﹂
﹁霜﹂を採る︒﹁尾上鐘﹂の香のみ試香があるのは︑﹁尾上鐘﹂を
聞くという当該歌の意を踏まえたのであろう︒
なお︑香名﹁住江﹂と褒美のことば﹁相生松﹂は︑﹁高砂﹂と ともに﹃古今集﹄仮名序に見える︒
しかあるのみにあらず︑さざれいしにたとへつくば山にか
けてきみをねがひ︑よろこび身にすぎたのしび心にあまり︑
ふじのけぶりによそへて人をこひ松虫のねにともをしのび︑
たかさごすみの江のまつもあひおひのやうにおぼえ︑をと
こ山のむかしをおもひいでてをみなへしのひとときをくね
るにもうたをいひてぞなぐさめける
右の傍線部分は︑後に謡曲﹁高砂﹂においても取り上げられる
ところである︒また︑後水尾院にも次のような歌がある︒
春
江山春興多
引植ゑし松も高砂住の江の春にあひおひのみどりをやみん
﹃後水尾院御集﹄一九八番
本組香は︑冒頭の匡房詠に依拠しながらも︑歌枕﹁高砂﹂から︑
﹃古今集﹄以来の﹁住江﹂﹁相生松﹂へと発想を広げて組み立て
られている︒ *
六
︽御巻︱二二︾待乳山香
︻翻刻︼
△︵朱︶待乳山香
新勅撰集 弁基法師 まつち山夕こへ行て庵崎の角田川原に独かもねん
新古今集 小野小町 誰をかも待乳の山の女郎花秋と契れる人そ有らし
此二首の歌に因て組侍たる也︒
一 十炷香の札を用︒﹂御五〇オ
一 一二三の香︑各三包充︑ウ香四包︑都合十三包の内︑一包
除け︑残十二包出香とし︑皆焚終て包紙を開くべし︒
一 一二三の香︑外に拵へ試に出す︒客香試なし︒
一 香組合様如次
一の香二包 ウ香一包 一結也︒
二の香二包 ウ香一包 一結也︒
三の香二包 ウ香一包 一結也︒
以上三結を初に焚出し︑九炷終て︑一の香一包︑二の香﹂御
五〇ウ一包︑三の香一包︑以上三包打交て︑其内より一包除
け︑跡にウ香一包入て︑都合三包と成るを一結にして︑終
に三炷聞に焚出すべし︒此時は︑ウ香斗を聞て︑地香二炷
は聞捨にすべし︒ 一 札名目認様 ウ一一︵朱︶ 待乳山 一ウ一︵朱︶ 夕こえ行て
一一ウ︵朱︶ 庵崎の ウ二二︵朱︶ 角田川原に 二ウ二︵朱︶ 独かもねん 二二ウ︵朱︶ 誰おかも﹂
御五一オ
ウ三三︵朱︶ 女郎花 三三ウ︵朱︶ 秋と契れる 三ウ三︵朱︶ 人そ有らし 乁︵朱︶終三炷の名目 初ウ︵朱︶ 橋場 中ウ︵朱︶ 渕崎 末ウ︵朱︶ 駒形
一 記録点は︑何人にても一点充也︒終三炷の中りは二点充か
くる︒認様左のごとし︒﹂御五一ウ
待乳山香記 二除︵朱︶
︹表︺﹂御五二オ
七 ︻考察︼︵
一 初 1︶竹幽本組香の方法
2
二 コ 終 1 3=
2
1
3− 1=
2
⁝
1 三
2
+ + + 1×
3 ウ
4=
1
1
1
1
本香には︑地香﹁一﹂﹁二﹂﹁三﹂の香︑各三包と︑﹁ウ﹂香
︵客香︶四包の計十三包を用意し︑このうち一包を除いた残り
十二炷を用いる︒すべてを焚き終わってから包紙を開き︑正答
を披露する︒試香は︑﹁一﹂﹁二﹂﹁三﹂の香のみ行い︑﹁ウ﹂香
の試香はない︒
初段では︑﹁一﹂﹁二﹂﹁三﹂の香︑各二包に︑﹁ウ﹂香を一包
ずつの三包三組を作り︑一炷ずつ焚き出す︒九炷焚き終わった
ら︑残りの﹁一﹂﹁二﹂﹁三﹂の香各一包計三包から一包を除き︑
ウ香一包を加えて三包にしたものを一組として︑三炷聞きにす
る︒その時︑地香の二炷は聞き捨てにし︑﹁ウ﹂香のみを聞く︒
答えには十炷香札を用いる︒初段では︑一炷ごとに﹁一﹂﹁二﹂
﹁三﹂﹁ウ﹂の札を打つ︒一組ごとに︑地香の同香二炷に﹁ウ﹂
香一炷が交じることになるが︑記録には︑その組み合わせによ
り︑九つの聞きの名目を記す︒ 次の終段では︑初段と同様に一炷ずつ札を打っていくと﹁ウ﹂
の札が一枚足りなくなる︒初段終了時に︑﹁ウ﹂札一枚を連中に
返却したものか︒あるいは︑折居を廻す際に︑地香の札のみを
打ち︑﹁ウ﹂香の時は札を打たないことで答えとするか︒また︑
地香二炷は聞き捨てにすることから︑伝書には記されないが︑名
乗紙を用いて答えを出すか︒記録には︑﹁ウ﹂香が三炷のうちの
何炷目に出たかによって︑三つの聞きの名目を記す︒
記録点は︑独り聞きであるか否かに関わらず︑前段では一炷
聞き当てると一点である︒終段では︑﹁ウ﹂香を聞き当てた時に
二点を得る︒
︵
2︶和歌作品との関わり
本組香には︑冒頭に二首の歌が掲げられている︒一首目は︑
﹃新勅撰集﹄巻第八羈旅歌︑五〇一番の歌である︒
︵題しらず︶ 弁基法師
まつち山ゆふこえゆきていほさきのすみだがはらにひとり
かもねむ
もっとも︑この歌は︑﹃万葉集﹄巻第三︑三〇一︵二九八︶番に
載る︑万葉歌であった︒
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八 弁基歌一首
亦打山 暮越行而 廬前乃 角太河原尓 独可毛将宿 まつちやま ゆふこえゆきて いほさきの すみだかはら
に ひとりかもねむ
右或云︑弁基者春日蔵首老之法師名也
また︑二首目の歌は︑﹃新古今集﹄巻第四秋歌上︑三三六番の歌
である︒
︵題しらず︶ 小野小町
たれをかもまつちの山のをみなへし秋と契れる人ぞ有るら
し
本組香では︑以上の﹁まつち山﹂の歌二首を句ごとに切り︑答
えの札の名目に用いている︒
ところで︑弁基や小町の歌の﹁まつち山﹂は︑紀伊国と大和
国の国境︑紀州街道の峠道が通じる真土峠の古称と考えられる︒
ところが︑その場所をめぐっては︑江戸時代に至るまで様々な
説が提示されていたようである︒いま試みに︑﹃江戸名所図会﹄
﹁真土山﹂の項を︑多少長いが引用してみよう︒なお︑本文は︑ Japan Knowledgeに収録されている翻刻に拠る︒底本は︑﹃江
戸名所図会﹄ CD-ROM版︑ちくま学芸文庫﹃新訂江戸名所図会
Ⅰ〜Ⅵ﹄である︒
真土山︵まつちやま︶
按ずるに︑﹃井蛙抄﹄︹頓阿︑一四世紀中頃︺・﹃八雲御抄﹄
︹順徳院︑一三世紀初頃︺等の書に︑﹃万葉集﹄に載せたる
弁基法師が真土山の詠を︑駿河国とす︒﹃催馬楽註秘抄﹄︹一
条兼良︺︑宗祇︹一四二一︱一五〇二︺の﹃名所方角抄﹄等
には︑﹁大和・紀伊の国境﹂とあり︒﹃藻汐草﹄︹宗碩︑一六
世紀初頃︺には︑武蔵国に入れたり︒ある書に云く︑大和
に信土山・角田川ありて廬崎なし︒駿河に隅田川・庵崎あ
りて真土山なし︒ただこのむさしには真土山・角田川・菴
崎ともにありて︑全くそなはれりとす︒されど︑この地に
真土山・庵崎あるは︑後人﹃万葉集﹄に因みて名づけしも
のなりと云々︒また按ずるに︑西山公︹徳川光圀︑一六二八
︱一七〇〇︺の﹃釈万葉集﹄にも︑この書は勅撰の体にあ
らざるよし論ぜられたり︒しかるときは︑弁基法師の和歌
もまぎれて︑駿河国へ入りしならんか︒なほつまびらかに︑
隅田河の条下に註す︒菊岡沾涼︹一六八〇︱一七四七︒俳
人︺云く︑﹁往古本所の辺り海面なりし頃は︑当山を沖より
九 入津の船の目当てにしける﹂とぞ︒按ずるに︑いまもこのあたりを山の宿と字し︑新鳥越の地を山谷といふも︑みな山に因みある名なり︵山谷︑いまは三谷に作る︶︒陵谷の変
は︑すでに古人も論ずるところにして︑山川の形勢も千載
を経れば︑同じからぬよしいへり︒またある人の説に︑﹁い
まの日本堤を築き立つる頃︑この真土山のあたりの土を穿
ち取りて︑築き立てける﹂といひ伝へはべれば︑この岡い
にしへはなほ高かりしなるべし︒
︵﹃江戸名所図会﹄﹇十七﹈第六巻十七冊九十三丁〜︶
ここには︑頓阿をはじめ︑順徳院や一条兼良︑宗祇︑宗碩らの︑
﹁真土山﹂の所在についての言及が列挙されている︒とくに注目
すべきは︑元文二年︵一七三七︶頃︑本伝書に先立って成立し
たとされる﹃香道蘭之薗﹄の著者︑菊岡沾涼の名が見えること
であろう︒そして︑﹁真土山﹂が︑宗碩﹃藻汐草﹄において武蔵
国の地名とされ︑沾涼も同様に武蔵国︑江戸の地に所在を見出
していることに注意したい︒
本伝書では︑終の三炷の名目に︑﹁橋場﹂﹁洲崎﹂﹁駒形﹂とい
う江戸の地名を用いている︒﹁橋場﹂は︑武蔵と下総との間の渡
し場である︒﹃義経記﹄﹃源平盛衰記﹄に拠れば︑ここに浮き橋
を架けたという
︒また
︑﹁洲崎﹂は
︑元禄年間
︵一六八八〜
一七〇四︶に海岸を埋め立てて﹁洲崎の原﹂と称した場所であ
る︒元禄十六年︵一七〇三︶には︑名主の久右衛門が買い受け
たため︑その名にちなんで﹁久右衛門町﹂と呼んだ︒さらに︑
﹁駒形﹂は︑蔵前と浅草の間にあって︑隅田川に臨む地区を指す︒
浅草側にある駒形堂︵馬頭観世音を祀る︶に由来する地名であ
り︑江戸時代当時から繁栄していた︒このように︑本組香は︑
﹁まつち山﹂を武蔵国︑江戸にある歌枕と見て︑その近隣の地名
を用いて作られている︒江戸時代における﹁まつち山﹂の所在
に対するひとつの理解が反映したものと見られよう︒
︽御巻︱二三︾月宴香
︻翻刻︼
△︵朱︶月宴香
續後撰集 後京極摂政前太政大臣 寄月祝といへるこゝろを四方の海風静なる浪の上に 曇りなき夜の月を見るかな
此哥によつて綴たる組也︒
一 十炷香の札を用︒﹂御五二ウ
一 四方の海の香︑曇無夜の香︑各三包充︑風静の香︑浪の上
の香︑月の香︑見る哉の香︑各一包充︑都合十包出香とす︒
一 四方海香︑曇無夜香︑風静香︑月の香︑外に拵へ試に出す︒
一〇
浪の上の香︑見る哉の香は試なし︒
一 四方海香三包︑風静香一包︑浪の上香一包︑打交て都合五
包を上の句と名付く︒曇無夜香三包︑月の﹂御五三オ香一包︑
見るかなの香一包︑打交て︑此五包を下の句と名付る︒
一 上の句五炷を一炷充焚出し︑五炷聞終て札を記録して︑包
紙を開く也︒又︑下の句五炷も同然にすべし︒
一 記録点は︑風静と浪の上と両種ともに聞中たるは︑一炷に
二点宛︑都合四点也︒一炷聞たるは一点也︒月と見る哉と
両種ともに聞中たるは︑一炷に二点充︑都合四点也︒一種﹂
御五三ウ聞たるは一点也︒四方海と曇無夜は︑独聞二点︑二
人より一点充也︒
一 札打様
四方海︵朱︶ 一の札 曇無夜︵朱︶ 二の札 風静︵朱︶ 三の札 月︵朱︶ 三の札 浪の上︵朱︶ ウの札 見る哉︵朱︶ ウの札
一 記録認様左のごとし︒﹂御五四オ
月宴香之記
︹表︺﹂御五四ウ ︻考察︼︵
四方の海 コ 1︶竹幽本組香の方法
風静 コ 3 1
浪の上 5⁝上の句︵開く︶
曇無夜 コ 1
月 コ 3 1
見る哉 5⁝下の句 1
本香には︑﹁四方の海﹂﹁曇無夜﹂の香︑各三包と︑﹁風静﹂﹁浪
の上﹂﹁月﹂﹁見る哉﹂の香︑各一包の計十包を用意する︒試香
は︑﹁四方の海﹂﹁曇無夜﹂﹁風静﹂﹁月﹂の香について行う︒﹁浪
の上﹂﹁見る哉﹂の香には試み香はない︒
まず︑﹁四方の海﹂の香三包と﹁風静﹂﹁浪の上﹂の香各一包
の計五包を﹁上の句﹂︑﹁曇無夜﹂の香三包と︑﹁月﹂﹁見る哉﹂
の香各一包の計五包を﹁下の句﹂と名付ける︒そして︑﹁上の
句﹂の方から︑一炷ずつ焚き出す︒五炷すべてを聞き終わって
から答えの札を記録する︒なお︑折居は五つ重ねて廻す時もあ
るが︑本組香では一炷ずつ廻したものか︒その後︑包紙を開い
て正答を披露する︒次に﹁下の句﹂も同様に行う︒
答えには十炷香札を用いる︒﹁四方の海﹂には﹁一﹂の札︑﹁曇
無夜﹂には﹁二﹂の札︑﹁風静﹂﹁月﹂には﹁三﹂の札︑﹁浪の ⎫⎜⎜⎬⎜⎜⎭⎫⎜⎜⎬⎜⎜⎭*
*
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*
*
一一 上﹂﹁見る哉﹂には﹁ウ﹂の札を打つ︒記録点は︑﹁上の句﹂の﹁風静﹂と﹁浪の上﹂の香︑あるいは︑
﹁下の句﹂の﹁月﹂と﹁見る哉﹂の香︑それぞれに両方の香を二
炷ともに聞き当てると︑聞き当てた人数に関わらず︑一炷につ
き二点の計四点︑どちらか片方の一炷のみ聞き当てた時は一点
とする︒﹁四方の海﹂と﹁曇無夜﹂は︑独り聞き二点︑二人以上
では一点である︒
︵
2︶和歌作品との関わり 冒頭に掲げられている歌は
︑﹃続後撰集﹄巻第二十賀歌
︑
一三六一番に載る︒
寄月祝といへる心を 後京極摂政前太政大臣
よもの海風しづかなる浪のうへにくもりなきよの月を見る
かな
作者は︑藤原良経︵一一六九〜一二〇六︶︒鎌倉時代初期の公卿
で︑当時を代表する歌人の一人︒﹁寄月祝﹂という歌題から︑﹁く
もりなきよ﹂は﹁曇りなき夜﹂に﹁曇りなき世﹂が掛けられて
いるのであろう︒本組香の香名としては︑上の句を﹁四方の海﹂
﹁風静﹂﹁浪の上﹂︑下の句を﹁曇無夜﹂﹁月﹂﹁見る哉﹂に分けて︑ それぞれ用いている︒また︑上の句と下の句の香を︑それぞれ前段と後段として︑同じ手順を二度繰り返す構成になっている︒波の穏やかな海の情景と︑曇りのない月の空の情景とを重ねる趣向か︒︽御巻︱二四︾花野香︻翻刻︼
△︵朱︶花野香
古今和哥集 紀貫之 秋野ゝに乱れて咲る花の色の千種に物を思ふ比かな
此哥によつて組侍たる也︒
一 試なし︒
一 十炷香の札を用ゆ︒
一 一二三の香︑各三包充︑客香一包︑都合十包出香とし︑﹂御
五五オ皆焚終て包紙を開くべし︒
一 一二三の香︑各二包充︑以上六包と︑一二三ウの香︑各一
包充︑四包と︑左右に分置て︑初に六包の方より二炷聞に
三度焚出し︑終て四包を一炷聞四度に焚出すべし︒
一 無試十炷香の例に︑一二三と順を立て︑札を打也︒折居
一 三 五 二 四 六
七八九十と折居を度毎に廻し︑札を受て記録には一炷聞よ
り上に四炷の札銘を認て︑﹂御五五ウ其下に二炷聞六炷の札銘 **
*
一二
を認て︑後に十炷の包紙を一同に開く也︒
一 記録点は︑上に記す一炷聞に斗り点をかけ︑二炷聞の中た
るは︑秋の草花の名を二字認る是点の心也︒片中は一字の草花の名
を記す︒褒美に︑聞の下に︑皆中を花野と書︑不中は霜の
朝と書︒其外は炷数を書へし︒客香二点︑地香一点充︑各
独聞の差別なし︒記録左の如し︒﹂御五六オ
花野香之記
︹表︺﹂御五六ウ
︻考察︼
︵
初 1︶竹幽本組香の方法
⁝
一 6 = 後
3
3
二 ⁝ 3=×+×
4
2
1
三 4=×
ウ 1 1
本香には︑﹁一﹂﹁二﹂﹁三﹂の香︑各二包計六包と︑﹁一﹂﹁二﹂
﹁三﹂﹁ウ﹂の香︑各一包計四包を左右に分けて置き︑前者六包
を初段として二炷聞きを三度行い︑次に後段として後者四包を
一炷聞きで四度焚き出す︒試香はない︒
答えには十炷香札を用いる
︒無試十炷香の要領で
︑ 初炷に
﹁一﹂の札を打ち︑異香が出るたびに﹁二﹂﹁三﹂﹁ウ﹂の札を順
に打つ︒折居は﹁一﹂から﹁十﹂までを用意し︑一炷ごとに廻
して札を受ける︒記録には︑まず上方に後段の札銘を記し︑そ
の下に初段の二炷聞き六炷の札銘を認める︒その後︑十炷すべ
ての包紙を開き︑正答を披露する︒
記録点は︑後段の一炷聞き四炷にのみ︑合点で記入する︒前
段の二炷聞きを聞き当てた時は︑点の代わりに︑秋の草花の名
を二文字で記す︒どちらか一炷のみの場合は一字の草花の名を
書く︒聞きの名目の下には︑すべて聞き当てた時は褒美のこと
ばとして﹁花野﹂︑すべて聞き違えた時は﹁霜の朝﹂と記す︒そ
の他は聞き当てた炷数をそのまま書く︒﹁ウ﹂の香︵客香︶を聞
き当てると二点︑地香は一点で︑聞き当てた人数は問わない︒
︵
2︶和歌作品との関わり 冒頭に掲げられている歌は
︑﹃古今集﹄巻第十二恋歌二
︑
五八三番に載る︒
題しらず つらゆき
秋ののにみだれてさける花の色のちぐさに物を思ふころか
な ⎫⎜⎜⎬⎜⎜⎭ ⎫⎜⎜⎜⎜⎬⎜⎜⎜⎜⎭*
*
*
* **
*
*
*
*
一三 秋の野原に色とりどりの花が乱れ咲く情景に︑いろいろと恋に心を乱すさまを重ねた歌である︒本組香では︑香之記の上段に後段︑下段に初段の答えを記し︑後段の正答には合点を付すのみだが︑初段の正答には秋の草花の名を記す︒後段四炷・初段六炷の境界線をはさんで︑香之記の画面下方に︑花が咲き乱れる野原を表現しようとしたものか︒
なお︑すべて聞き当てた場合の褒美のことばは︑本組香の名
﹁花野﹂であるが︑すべて聞き違えた場合の﹁霜の朝﹂は︑三条
西実隆の和歌に︑その用例を見出すことができる︒
春日陪 春日社壇詠百首和歌 朝
おきてゆく霜のあしたの草まくらおもへばたへてねられけ
るよに﹃雪玉集﹄巻第十︑四一七七番
霜枯れの野辺で旅寝をした翌朝の冷え冷えとした情景が︑そこ
にはある︒
︽御巻︱二五︾白梅香
︻翻刻︼ △︵朱︶白梅香
呉竹集
しら〳〵ししらけたる夜の月影に雪かき分て梅の花おる
此哥によつて組侍たる也︒
一 十炷香の札を用ゆ︒
一 白妙の香二包︑夜の香三包︑雪の香三包︑月の香一包ウ香なり︑梅 の香一包是もウ也都合十包出香とし︑皆焚終て包紙を開くべし︒﹂
御五七オ
一 白妙の香斗り外に拵へ試に出す︒其外は試なし︒
一 白妙香一包︑夜香三包︑月香一包︑以上五包打交て初炷と
す︒白妙香一包︑雪香三包︑梅香一包︑以上五包交て後炷
とす︒
一 白妙に一の札︑夜に二の札︑雪に三の札︑月にウの札︑梅にウの札︑如此打べし︒
五炷充終て折居五つ重て廻し︑札を受る也︒
一 両客香︑独聞三点︑二人より二点充︑其外は︑独聞二点︑二
人より一点充也︒記録左の如し︒﹂御五七ウ
白梅香之記
︹表︺﹂御五八オ
一四
︻考察︼
︵
白妙 コ 初 後 1︶竹幽本組香の方法
2= 1+ 夜 1
3= 雪 3
3=
3 月
1= 梅 1
1=
1
本香には︑﹁白妙﹂の香二包︑﹁夜﹂﹁雪﹂の香︑各三包︑﹁月﹂
﹁梅﹂の香︵いずれもウ香︶各一包計二包の計十包を用意する︒
すべて焚き終わってから包紙を開き︑正答を披露する︒試香は
﹁白妙﹂の香のみ︒
﹁白妙﹂の香一包︑﹁夜﹂の香三包︑﹁月﹂の香一包の計五包を
初炷︑﹁白妙﹂の香一包︑﹁雪﹂の香三包︑﹁梅﹂の香一包の計五
包を後炷とする︒
答えには十炷香札を用いる︒初炷・後炷それぞれに︑五炷焚
き終わってから︑折居を五つ重ねて廻す︒﹁白妙﹂の香は試香に
よって聞き分け︑初炷の﹁夜﹂と﹁月﹂︑後炷の﹁雪﹂と﹁梅﹂
は︑出香の数により判断する︒すなわち︑﹁夜﹂﹁雪﹂の香は三
炷︑﹁月﹂﹁梅﹂の香は一炷が出香されるはずである︒﹁白妙﹂の
香には﹁一﹂の札︑﹁夜﹂の香には﹁二﹂の札︑﹁雪﹂の香には ﹁三﹂の札︑﹁月﹂﹁梅﹂の香には﹁ウ﹂の札を打つ︒
記録点は︑﹁月﹂﹁梅﹂の客香の独り聞き三点︑二人以上では
二点である︒その他の地香は︑独り聞き二点︑二人以上では一
点とする︒
︵
2︶和歌作品との関わり
冒頭に掲げられている歌は︑集付を﹁呉竹集﹂とする︒尾崎
雅嘉﹃和歌呉竹集﹄がまず念頭に浮かぶが︑現時点ではその中
に当該歌を見出し得ない
︒ また
︑﹃和歌呉竹集﹄が寛政七年
︵一七九五︶に成立したのに対し︑本伝書﹃香道籬之菊﹄は︑宝
暦六年︵一七五六︶の序文を有し︑四十年ほど先行する︒
当該歌が載るごく初期の作品は︑﹃和漢朗詠集﹄であろう︒
白
しらしらししらけたるとしつきかげにゆきかきわけてむめ
の花をる
﹃和漢朗詠集﹄巻下︑八〇四番︵傍線筆者︒以下同じ︒︶
白髪の翁が白い月光の下︑白雪を掻き分けて白梅の枝を折ると
いう﹁白﹂の情景が詠まれている︒第二句﹁しらけたるとし﹂
は︑本伝書では﹁しらけたる夜の﹂になっているが︑これと同 *
*
*
*
*
*
* *
**
*
一五 じ本文で当該歌を載せるのは︑﹃撰集抄﹄巻八第一四﹁公任中将
の時︑梅花を折る歌の事﹂である︒
むかし︑村上の御門の末のころ︑如月の十日の初めつか
た︑雪いみじく降り重なりて︑月︑ことに明かくて︑暁︑梁
王の苑に入らざれども︑雪︑四方に満つ︒夜︑庾公が楼に
も登らねども︑月︑千里を照す︒木ごとに花咲く心地して︑
いづれを梅と分きがたきに︑公任の中将を召して︑﹁梅の花
折りて参れ﹂とて︑つかはしけるに︑ほどなく︑雪を散ら
さず折りて参り給へりけるに︑御門︑﹁いかが思ひつる﹂と
仰せのありけるに︑﹁かくこそ︑詠みて侍りつれ﹂とて︑
しらじらししらけたる夜の月影に雪かき分て梅の花折
る
と申されければ︑大きにめでたがらせ給ひて︑叡慮ことに
感じて︑ゆゆしきまでに褒め仰せの侍りけるに︑公任︑そ
の座にて︑けしからぬまでに落涙せられ侍りければ︑主上
も御涙かきあへさせおはしまさざりけり︒
公任は︑君のかくほどまで思しめしけるかたじけなさに︑
袖をしぼらるれば︑君は中将の心をはからせおはしまして︑
袂をぬらさせ給ひぬる︑かたじけなくぞ侍る︒
四条の大納言の﹁この世の思ひ出はこれに侍り﹂とて︑の たまひ出すたびには︑袖をしぼりかねていまそかりけるぞ︑さこそあるべきと覚えて侍れ︑末の世には︑かやうのためしもあるまじきにや︒︵本文は岩波文庫本に拠るが︑表記や句読点等に手を加えた
箇所がある︶
﹃撰集抄﹄では老いの要素はなく︑作者は公任で︑この歌に村上
天皇がたいそう感嘆したという話になっている︒
本伝書における﹁白妙﹂という香名は︑当該歌の﹁しら〳〵
し﹂﹁しらけたる﹂といった語句をそのまま用いにくかったため︑
言い換えたのであろう︒その他四つの﹁夜﹂﹁雪﹂﹁月﹂﹁梅﹂の
香名は︑当該歌の語を用いたものである︒中でも香名﹁夜﹂は︑
﹃和漢朗詠集﹄の和歌本文にはない︒本伝書が︑﹃撰集抄﹄所載
説話そのものに拠ったかどうかは定かではないが︑﹁しらけたる
夜の﹂という本文に拠って初めて︑本組香が成り立つことがわ
かる︒︽御巻︱二六︾隅田川香
︻翻刻︼
△︵朱︶隅田川香
古今和歌集 在原業平
一六 名にしおはゝいざ事問む都鳥我思ふ人はありやなしやと
此哥を種として綴たる組也︒
一 試なし︒
一 十炷香札と名乗紙とを用︒
一 一二三都鳥の香︑各三包充︑客香一包︑都合十三包の﹂御
五九ウ内︑十二包出香とし︑皆焚終て包紙を開くべし︒
一 一二の香︑各二包︑三の香一包︑以上五包打交て︑大包と
して左と記置く也︒都鳥香三包︑ウ香一包打交︑其内一包
除け此一包は不用 ︑残たる地香四包を加へ︑都合七包よく交て︑又
大包して右と記置べし︒左り包より始て一炷充焚出す︒札
は一炷〳〵に受てよし︒
一 札打様は︑無試十炷香の例に聞て札打也︒都鳥三包﹂御五九
オとウ香一包交て︑四包の内より一包除たる残三包を聞て︑
其餘香を第一に聞中るべし︒此三炷にウ札三枚を打故に︑ウ
香除たる時は都鳥三炷にウ札三枚によろし︒若又都鳥三包
の内︑除たる時は︑ウ札三枚の内︑何炷目に出たるかウ香
成と聞通りを札十二枚打たる後に名乗紙に認出す︒地香三
炷は左五包の内にて︑試心に聞く故に別条なし︒﹂御五九ウ
初に打たるウ札︑客と思ば 初ウと認 中に打たるウ札︑客と思ば 中ウと認
末に打たるウ札︑客と思ば 末ウと認 ウ札三枚共にウと思ざるは 都鳥と認
右の内︑聞に随ひ名乗紙に認出すべし︒
一 記録点は︑地香︑独聞の差別なく各一点充︑都鳥独聞三点︑
二人より二点充︑客香独聞四点︑二人より三点充かくるべ
し︒記録認様左のことし︒﹂御六〇オ
隅田川香記 都鳥除︵朱︶
︹表︺﹂御六〇ウ
︻考察︼
︵
一 1︶竹幽本組香の方法
2
⁝
1
⁝ 二
2
5
1 三 3 1
2
7 都鳥
3
4− 1= 客 3
1
本香には︑地香﹁一﹂﹁二﹂﹁三﹂﹁都鳥﹂の香︑各三包と︑客
香一包の計十三包を用意し︑このうち十二包を用いる︒すべて
を焚き終わってから包紙を開き︑正答を披露する︒試香はない︒
﹁一﹂﹁二﹂の香︑各二包と︑﹁三﹂の香一包の計五包を交ぜ︑
大包みにして﹁左﹂と書いておく︒また︑﹁都鳥﹂香三包とウ香
大包
「左」
⎫⎜⎜⎬⎜⎜⎭ ⎫⎜⎜⎜⎜⎬⎜⎜⎜⎜⎭
…「右」
⎫⎜⎜⎜⎜⎬⎜⎜⎜⎜⎭ ⎫⎜⎬⎜⎭***
*
*
一七 一包の計四包を交ぜ︑そのうちの一包を除いた三包に︑残りの地香﹁一﹂﹁二﹂の香︑各一包と﹁三﹂の香二包の計四包を加え︑
計七包を大包みにして﹁右﹂と書いておく︒
まず︑﹁左﹂の包みから一炷ずつ焚き出す︒答えには十炷香札
を用い︑無試十炷香の要領で︑一炷ずつ札を打つ︒﹁左﹂の包み
の香五包は︑﹁一﹂﹁二﹂の香が各二包と﹁三﹂の香が一包出る
ことがわかっているので︑それらの香を覚えておく︒
次に︑﹁右﹂の包みの香を一炷ずつ焚き︑札を打っていく︒﹁左﹂
の包みの香を試香として︑﹁一﹂﹁二﹂の香各一包と﹁三﹂の香
二包を聞き分ける︒残り三包は﹁都鳥﹂の香とウ香である可能
性があるが︑とりあえず同じ札を打っておく︒一包除いた香が
ウ香であればすべて﹁都鳥﹂ということになり︑また︑﹁都鳥﹂
が除かれたとすれば︑ウ香が残り三炷のうちの初・中・末のい
ずれかに出ることになるが︑ウ香が出たかどうか︑出たのなら
ば初・中・末のいずれかということを︑最後に名乗紙に記して
提出する︒
記録点は︑﹁一﹂﹁二﹂﹁三﹂の地香の場合︑聞き当てた人数に
関わりなく一点ずつである︒﹁都鳥﹂の香は独り聞き三点︑二人
以上聞き当てると二点とする︒また︑客香は︑独り聞き四点︑二
人以上では三点と︑得点が高い︒ ︵
2︶和歌作品との関わり
冒頭に掲げられている歌は︑﹃古今集﹄巻第九羈旅歌︑四一一
番に載る︒いわゆる﹃伊勢物語﹄第九段︑東下りの業平歌であ
る︒
むさしのくにとしもつふさのくにとの中にあるすみだ
河のほとりにいたりてみやこのいとこひしうおぼえけ
れば︑しばし河のほとりにおりゐて︑思ひやればかぎ
りなくとほくもきにけるかなと思ひわびてながめをる
に︑わたしもりはや舟にのれ日くれぬといひければ舟
にのりてわたらむとするに︑みな人ものわびしくて京
におもふ人なくしもあらず︑さるをりにしろきとりの
はしとあしとあかき河のほとりにあそびけり︑京には
見えぬとりなりければみな人見しらず︑わたしもりに
これはなにとりぞととひければ︑これなむみやこどり
といひけるをききてよめる
︵在原業平朝臣︶
名にしおはばいざ事とはむ宮こどりわが思ふ人はありやな
しやと
本組香では︑﹁都鳥﹂の香に客香が交じっているかどうかを︑﹁右﹂ **
*
*
*
一八
の包みで聞き分けるところに︑構成の要がある︒これら二種類
の香は︑あわせて三炷出香されるが︑すべて﹁都鳥﹂の香か︑
﹁都鳥﹂二炷と客香一炷なのか︑もし後者ならば︑客香一炷が︑
三炷のうちの何番目に出たかが問われる︒本組香で焚かれる五
種類の香のうち︑﹁一﹂﹁二﹂﹁三﹂の香は︑すでに﹁左﹂の包み
で出香されているため︑﹁右﹂の包みでも︑すでに聞いたことの
ある香と認めることが可能であるが︑﹁都鳥﹂の香と客香は︑二
炷︑あるいは三炷出る可能性のある﹁都鳥﹂を聞き分けること
で︑客香一炷の有無や出香の順を判断することになる︒この趣
向は︑﹁都鳥﹂に﹁ありやなしや﹂と﹁事とはむ﹂という右の業
平歌の表現を︑巧みに組香に利用したものである︒
附記 本稿は︑﹁古典籍の保存・継承のための画像・テキストデータベー
スの構築と日本文化の歴史的研究︵同志社大学人文科学研究所第
19
期研究会第
4研究︑および科学研究費助成事業基盤研究︵C︶課題
番号16K00469︑いずれも二〇一六〜二〇一八年度︶におけ
る研究の一部である︒
一九 ︻影印︼ 綴じ糸を外し︑袋綴じを一丁ずつ開いて撮影したもの︒
︵御・四四丁裏︶ ︵御・四五丁表︶
︵御・四五丁裏︶
二〇
︵御・四六丁表︶︵御・四八丁表︶
︵御・四八丁裏︶
二一 ︵御・四九丁表︶︵御・四九丁裏︶ ︵御・五〇丁表︶︵御・五〇丁裏︶
二二
︵御・五一丁表︶
︵御・五一丁裏︶ ︵御・五二丁表︶
︵御・五二丁裏︶
二三 ︵御・五三丁表︶︵御・五三丁裏︶ ︵御・五四丁表︶︵御・五四丁裏︶
二四
︵御・五五丁表︶
︵御・五五丁裏︶ ︵御・五六丁表︶
︵御・五六丁裏︶
二五 ︵御・五七丁表︶︵御・五七丁裏︶ ︵御・五八丁表︶︵御・五九丁裏︶
二六
︵御・五九丁表︶
︵御・五九丁裏︶ ︵御・六〇丁表︶
︵御・六〇丁裏︶