血 縁 信 仰 か ら 地 縁 信 仰 へ の 展 開 ( 西 田 )
血
縁
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一 こ の 論 題 を 検 討 す る に あ た つ て は、 ま ず 氏 寺 信 仰 の 変 遷 に つ い て 考 察 せ ね ば な ら な い。 最 初 に 藤 原 氏 に つ い て 氏 寺 の 変 遷 を 概 観 す る と、 政 権 を ほ ぼ 独 占 し た 藤 原 氏 は、 平 安 中 期 以 後 そ の 内 部 に お け る 政 権 争 い の た め に、 氏 族 と し て の 結 合 か ら 各 家 の 結 合 へ の 分 化 を き た し、 藤 原 氏 全 体 の 氏 寺 と し て の 興 福 寺 以 外 に そ れ ぞ れ の 家 の 氏 寺 を 存 立 す る こ と と な る。 御 堂 関 白 道 長 の 子 孫 御 堂 一 流 の 氏 寺 は 頼 長 の ﹃ 台 記 ﹄ 久 安 六 年 正 月 一 日 の 条 に ﹁ 興 福 寺 ・ 極 楽 寺 ・ 法 性 寺 ・ 法 興 寺 ・ 法 成 寺 ・ 平 等 院 已 上 氏 寺 ﹂ と 見 え る 如 く 繁 栄 を 極 め る こ と に な る の で あ る が、 こ れ は 一 面 に お い て は 他 の 門 派 の 反 感 を 惹 起 し、 各 家 の 氏 寺 の 分 化 を 促 す 結 果 と な つ た の で あ る。 御 堂 関 白 一 流 の 氏 寺 に 対 立 し て 高 藤 の 建 立 に か か る 勧 修 寺 が そ の 子 孫 所 謂 勧 修 寺 一 門 の 氏 寺 と 呼 ば れ、 こ の 寺 に お い て 修 せ ら れ た 法 華 八 講 が 一 門 に よ つ て 氏 御 八 講 と 呼 ば れ て い る こ と 等 が こ れ に あ た る。 更 に ﹃ 大 府 記 ﹄、 ﹃ 永 昌 記 ﹄ 以 下 子 孫 の 日 記 に 勧 修 寺 八 講 の 際 の 行 香 の 氏 人 を 記 す る 場 合 に、 そ の 氏 人 と 云 う の は 藤 原 氏 の 氏 人 と 云 う 意 味 で は な く 高 藤 の 子 孫 勧 修 寺 一 門 の 人 々 の み を 指 す の で あ り、 ま た ﹃ 大 鏡 ﹄ に 高 藤 を 指 し て ﹁ 勧 修 寺 の 氏 の は じ め な り ﹂ と 云 う 如 く 藤 原 氏 内 部 に こ の 一 門 だ け で 独 立 の 一 つ の 氏 族 を 形 成 し て い る か の 如 き 感 が あ り、 事 実、 藤 原 氏 の 長 者 と は 別 に 勧 修 寺 一 門 の 長 者 さ へ 持 つ て い た の で あ る。 さ ら に 時 代 は か な り 降 る が 室 町 時 代 に 至 る と、 勧 修 寺 一 門 の 一 支 族 た る 甘 露 寺 親 長 の ﹃ 親 長 卿 記 ﹄ 文 明 九 年 潤 正 月 十 九 日 の 条 に よ る と 一 門 を ﹁ 親 類 の 人 々 ﹂ と い う 風 に 考 え る 意 識 が あ り、 そ こ に は 氏 と い う 共 同 団 結 体 よ り は む し ろ 自 分 を 中 心 と し て 己 と 他 と の 個 人 的 関 係 を 主 と し て 考 え る も の で あ り、 中 世 末 期 に は 血 縁 の 意 識、 一 門 ま た は 家 の 観 念 が ま た 更 に 変 質 し て き て い る 事 実 が 考 え ら れ る の で あ る。 こ う し て 血 族 信 仰 が 家 に 分 岐 する 傾 向 は、 氏 長 者 を 通 じ て の 氏 と 氏 寺 と の 結 合 か ら 家 単 位 で 個 人 が 直 接 に 旦 那 寺 に 連 る と 云 う 近 世 的 な 信 仰 意 識 へ 近 づ き つ つ あ る の で あ り、 歴 史 的 な 氏 寺 関 係 に か わ る よ り 自 由 な 師 檀 関 係 が 生 じ て く る こ と に な つ た の で あ る。 あ と で 詳 し く 述 べ る よ う に、 中 世 末 期 に 至 る と、 勧 修 寺 一 門 を 例 に と つ て み て も、 万 里 小 路 家 と 清 浄 華 院、 中 御 門 家 と 真 如 堂、 甘 露 寺 家 と 盧 山 寺 と 云 う 風 に 家 単 位 で 浄 土 宗 系 寺 院 と 地 縁 的 な 師 檀 関 係 を 結 ぶ こ と に な る の で あ る。 二 さ て、 氏 寺 信 仰 の 変 遷 を 考 え て い く 上 で、 今 一 つ 重 要 な こ と は、 浄 土 教 信 仰 の 普 及 に 伴 な い、 寺 院 自 体 が 菩 提 寺 的 乃 至 往 生 院 的 性 格 を 濃 厚 に う ち 出 し た こ と で あ る。 つ ま り わ が 国 に お け る 本 来 の 仏 教 寺 院 の 有 り 方 と は 異 質 な 寺 院 が 摂 関 期 に お い て 成 立 し た こ と に 注 目 し な け れ ば な ら な い。 元 来 氏 寺 と は 氏 族 の 繁 栄 を 祈 る 現 世 利 益 的 な 信 仰 を 多 く 含 む の で あ る が、 浄 土 信 仰 が 貴 族 階 級 に 行 き 亘 る と き、 そ こ に は 法 成 寺 及 び 平 等 院 に 見 る 如 く 一 身 一 門 の、 引 い て は 衆 生 の 浄 土 往 生 を 求 め ん と す る 寺 が ま た 氏 寺 と 見 な さ れ て い る。 し か し 来 世 を 重 ん ず る 浄 土 信 仰 の 道 場 が 同 時 に 氏 寺 で も あ る と 云 う 事 に は 既 に 矛 盾 が 含 ま れ て い る。 浄 土 教 的 な 信 仰 が 現 世 利 益 的 な 信 仰 に う ち 勝 つ て く る と き、 そ れ は 当 然 万 人 の 差 別 を 軽 視 ま た は 無 視 す る 事 を 要 求 し て く る べ き も の で あ つ て、 自 分 一 人 の 念 仏 の 為 に 他 人 を 退 け る が 如 き 態 度 は 否 定 さ れ る の は 勿 論、 更 に 信 仰 を 氏 族 一 門 に 限 る 事 も ま た 否 定 さ る べ き で あ つ て、 こ の 矛 盾 が や が て 氏 寺 意 識 の 変 化 ・ 氏 寺 信 仰 の 衰 退 を き た す 原 因 と な る の で あ る。 三 翻 つ て、 時 代 は 降 る が 室 町 期 に お い て 公 家 階 層 が 浄 土 教 へ と 著 し く 傾 斜 し た 原 因 を 考 え る と、 彼 等 が 現 世 に 対 す る 危 機 意 識 を 非 常 に 強 め た こ と を あ げ ね ば な ら な い。 特 に 応 仁 ・ 文 明 の 大 乱 を 経 て 中 世 末 期 に 至 る と、 当 代 第 一 等 の 学 者 三 条 西 実 隆 の 言 葉 を 借 り る な ら ば、 ﹁ 末 世 澆 季 の 世 ﹂、 ﹁ 法 滅 の 時 ﹂、 ﹁ 無 道 の 世 ﹂、 ﹁ 濁 乱 の 世 ﹂、 ﹁ 不 レ 可 レ 説 の 乱 世 ﹂、 ﹁ 神 威 皇 鑑 無 き が 如 き 末 代 ﹂ ( 典 拠 は い ず れ も ﹃ 実 隆 公 記 ﹄ ) と あ つ て、 貴 族 階 層 に と つ て、 危 機 感 が 大 変 高 ま つ た 時 代 で あ つ た こ と が 理 解 で き る の で あ る。 彼 の 日 記 に よ る と 三 条 西 家 は 公 卿 階 層 の 第 三 等 大 臣 家 に 属 す る 中 流 貴 族 の 家 系 で あ る に も か か わ ら ず、 日 々 の 生 活 の 糧 を 得 る に も 苦 労 が 多 く 土 倉 に も た び た び 入 質 し て い る。 公 卿 と 云 え ど も 当 時 は お し な べ て 斜 陽 貴 族 で あ り、 現 実 逃 避 の 態 度 が 濃 厚 で あ つ て 酒 宴 ・ 連 歌 な ど に よ つ て 刹 那 な り と も 浮 世 の 憂 悶 を 忘 れ よ う と す る 生 活 で あ つ て、 現 実 ば な れ し た 有 職 故 実 の 研 究 に 情 熱 を か た む け、 し か も こ の 世 に 絶 望 し て 熱 烈 に 浄 土 を 欣 求 す る と 云 う 生 活 態 度 で あ つ た。 血 縁 信 仰 か ら 地 縁 信 仰 へ の 展 開 ( 西 田 )
-351-血 縁 信 仰 か ら 地 縁 信 仰 へ の 展 開 ( 西 田 ) 四 さ き に も 少 し ふ れ た よ う に、 家 単 位 で 個 人 が 直 接 に 旦 那 寺 に 連 る と 云 う 近 世 的 な 信 仰 意 識 に つ い て で あ る が、 師 檀 関 係 の 固 定 化 は、 従 来 の 研 究 で は 徳 川 幕 府 の 寺 院 政 策 上 の 所 産 で あ る か の ご と く に 主 張 さ れ て い る が、 既 に 早 く 中 世 末 期 に お い て 師 檀 関 係 固 定 化 の き ざ し が 見 え る。 そ の 事 例 と し て は、 公 家 階 層 に あ つ て は、 旦 那 寺 の 僧 が 斎 参 り を す る 風 習 が 固 定 化 し た こ と が あ げ ら れ る。 浄 土 宗 が 室 町 時 代 に お い て 宮 廷 へ 接 触 す る の は、 後 花 園 天 皇 の 葬 送 の と き か ら で あ る。 甘 露 寺 親 長 の ﹃ 親 長 卿 記 ﹄ 文 明 二 年 十 二 月 廿 六 ・ 廿 七 日 の 両 条 に よ る と、 代 々 天 皇 家 の 御 廟 所 で あ つ た 泉 涌 寺 の 住 僧 は 応 仁、 文 明 の 乱 を さ け て 地 方 へ 疎 開 中 で あ り、 勅 願 寺 で あ る 元 応 寺 の 住 持 も 坂 本 辺 へ 移 住 し て い て 急 の 役 に た た な い。 そ こ で 浄 土 宗 百 万 遍 知 恩 寺 の 住 僧 が 後 花 園 天 皇 の 葬 送 に 出 仕 し た の で あ る。 こ う し て そ れ 以 後、 浄 土 宗 と 禁 裡 と の 関 係 が 密 に な つ て い く の で あ る が、 公 家 衆 に あ つ て は す で に よ り 早 く か ら 浄 土 宗 と の 師 檀 関 係 を 認 め る こ と が で き る。 中 原 康 富 の ﹃ 康 富 記 ﹄ に よ る と、 応 永 年 間 か ら す で に 浄 土 宗 円 福 寺 と の 関 係 が 見 え て い て 亡 父 そ の 他 の 先 祖 の 月 忌 毎 に 円 福 寺 の 僧 を 招 請 し て 念 仏 を 唱 え て い る。 中 原 氏 は 清 原 氏 と 並 ん で 明 経 道 の 博 士 家 と し て 著 名 で 中 世 以 後 代 々 局 務 を 世 襲 し て い る 官 人 の 家 筋 で あ る。 円 福 寺 は も と 京 都 五 条 坊 門 猪 熊 の 地 に 所 在 し、 浄 土 宗 西 山 義 の 諸 師 に 相 続 さ れ た 寺 院 で あ る。 中 原 氏 は こ の 寺 と 地 縁 的 な 関 係 に よ つ て 師 檀 関 係 を 結 ん だ と 思 わ れ る の で あ る が、 さ ら に そ の 関 係 を よ り 強 固 な も の に し た の は 子 息 五 郎 丸 を 官 務 小 槻 長 興 の 猶 子 と し て 円 福 寺 へ 入 室 せ し め た こ と に よ つ て い る。 康 富 は 文 安 元 年 七 月 十 四 日 の 条 で、 ﹁ 詣 二 円 福 寺 墳 墓 一 ( 中 略 ) 愚 息 小 児 出 逢、 円 福 寺 之 附 属 之 弟 子 分 也 ﹂ と 彼 の 日 記 に 書 き と ど め て い る。 師 檀 関 係 を 具 体 的 に 示 す 史 料 と し て は、 文 安 元 年 八 月 廿 七 日 の 条 で は、 是 日 五 条 坊 猪 熊 円 福 寺 講 土、 故 長 老 暢 意 上 人 第 七 回 忌 日 也 ( 中 略 ) 蝋 燭 代 三 十 疋 送 レ 進 也、 代 々 為 二 師 檀 一姻。 と と 見 え る の が 代 表 的 な も の で あ る。 万 里 小 路 時 房 の ﹃ 建 内 記 ﹄ の 語 る 処 に よ れ ば、 万 里 小 路 家 と 清 浄 華 院 と の 関 係 は 清 浄 華 院 第 八 世 敬 法 上 人 の と き か ら 始 ま る こ と が 知 ら れ る の で あ る が、 時 房 の 祖 父 ( 仲 房 ) 及 び 祖 母、 時 房 の 父 (嗣 房 ) の 臨 終 の と き の 善 知 識 は 敬 法 上 人 で あ り、 第 九 世 僧 然 定 玄 は 仲 房 の 子 息 で 時 房 の 叔 父 に あ た る。 こ こ で も、 万 里 小 路 仲 房 は 自 分 の 子 息 を 敬 法 上 人 の 弟 子 と し て 入 室 せ し め て 師 檀 関 係 を よ り 強 固 な も の に し て い つ た の で あ る。 ﹃ 建 内 記 ﹄ 永 享 元 年 六 月 九 日 の 条 に よ つ て こ の こ と を 具 体 的 に 知 る こ と が で き る。 祖 父 祖 母、 亡 父 両 代 臨 終 善 知 識 事、 浄 華 院 敬 法 上 人 也、 三 衣同前 一 鉢 亡
父 出 家 師 同 敬 法 上 人 也、 剃 髪 役 彼 当 住 等 熈 上 人 也、 亡 母 同 前、 又 亡 母 臨 終 善 知 識 等 熈 上 人 也。 定 玄 上 人 者 祖 父 御 息、 先 公 御 弟 也、 亡 母 井 予 円 頓 戒 師 匠 也、 予 自 二 少 年 一養 育 恩 山 二 是 高 州 当 住 上 人 者 定 門 者、 敬 法 上 人 之 弟 子、 定 玄 之 同 寮 也、 戒 法 井 住 持 附 属 者 定 玄 上 人 之 所 レ 許 レ 授 也、 由 緒 之 趣 如 レ 此、 先 公 者 初 妙 喜 円 月 中 巌 和 尚 之 弟 子 也、 終 帰 二 浄 土 宗 一 於 二 浄 花 院 一 遂 二素 懐 剛 以 二 敬 法 上 人 一為 二 師 匠 一也。 と 見 え る 史 料 に よ つ て 清 浄 華 院 第 八 世 敬 法 上 人、 第 九 世 僧 然 定 玄 上 人、 第 十 世 等 熈 上 人 と 万 里 小 路 一 族 と の 具 ハ 体 的 な 関 係 を 知 る こ と が で き る の で あ る。 忌 日 に 関 し て は、 父 万 里 小 路 嗣 房 の 忌 日 は、 毎 月 六 日、 母 の 忌 日 は 毎 月 四 日、 お の お の 毎 月 欠 か さ ず 仏 事 を 営 ん で い る。 曾 祖 父 万 里 小 路 季 房 の 正 忌 日 は 五 月 廿 日、 祖 父 万 里 小 路 仲 房 の 正 忌 日 は 六 月 二 日、 外 祖 母 正 忌 日 は 六 月 十 九 日、 お の お の 欠 か さ ず 仏 事 を 営 ん で い る。 ま た 祖 父 仲 房 に 関 し て は、 亡 父 母 と 同 様 に 毎 月 ご と の 月 忌 を も 営 ん で い る。 そ の 他、 高 祖 父 宣 房 の 月 忌、 外 祖 母 の 月 忌、 曾 祖 父 の 月 忌 の 記 述 も 時 と し て 記 載 さ れ て い る。 ま た 養 母 甘 露 寺 氏 の 月 忌 を も 営 ん で い る。 月 忌 毎 の 仏 事 を 営 む よ う に な つ た の は こ の 時 代 の 大 き な 特 色 で あ る。 し か も こ の 斎 参 り に 招 請 さ れ る の は 万 里 小 路 家 の 場 合 は 浄 花 院 の 僧 で あ つ た。 ﹃ 建 内 記 ﹄ 正 長 元 年 二 月 四 日 の 条 で は、 先 批 御 忌 日 也、 招 請 浄 花 院 長 老 ( 等 縄 )、 ( 中 略 ) 先 点 心、 次 勤 行、 阿 弥 陀 経、 往 生 礼 讃、 念 仏 等 也、 次 御 霊 供 跣 舩 陥 霊 供、 颯 経 了、 次 斎 食 了 分 散。 布 施 物 追 可 二 沙 汰 送 フ 之。 と 見 え て い る が、 こ れ と 類 似 の 史 料 は 枚 挙 に い と ま の な い ぐ ら い に 検 索 す る こ と が で き る。 次 に 特 種 な 事 例 で あ る が 当 時 の 信 仰 形 態 を 知 る 上 で 興 味 深 い 記 事 を 示 す と、 ﹃ 建 内 記 ﹄ 永 享 十 一 年 六 月 一 日 の 条 に、 曾 祖 母 誠 覚禅尼、 御 霊 供、 毎 月 之 儀 也、 毎 月 錐 ニ レ可 精 進 一 看 経 以 後 随 下 世 俗 祝 二 朔 日 一之 儀 上 用 二 魚 味 一也。 と 見 え て い て、 年 中 行 事 優 先 と 云 う 時 代 の 風 潮 を よ く あ ら わ し て い る よ う に 思 わ れ る。 中 御 門 中 納 言 宣 胤 の ﹃ 宣 胤 卿 記 ﹄ も 真 如 堂 と の 師 檀 関 係 を 知 る 上 で の 格 好 の 史 料 で あ る が、 こ こ で は 従 来 の 持 仏 堂 に か わ る 役 割 を 寺 の 本 堂 が は た し て い る こ と に 注 目 し な け れ ば な ら な い。 文 亀 二 年 四 月 十 二 日 は 亡 き 妻 の 一 周 忌 に あ た る の で 宣 胤 は 四 月 五 日 晩 よ り ﹁ 参 二 籠 此 御 堂 こ し て ﹁ 自 二 明 日 一 七 ヶ 日 為 二 称 名 念 仏 一 也 ﹂ と 日 記 に 書 き と ど め て い る。 即 ち 持 仏 堂 に 籠 る か わ り に 寺 の 御 堂 に 参 籠 し て 七 ヶ 日 精 進 潔 斎 し て お 籠 り を し て 念 仏 に あ け く れ や が て 十 二 日 の 正 当 の 日 を 迎 え る の で あ る。 血 縁 信 仰 か ら 地 縁 信 仰 へ の 展 開 ( 西 田 )
血 縁 信 仰 か ら 地 縁 信 仰 へ の 展 開 ( 西 田 ) 四 月 十 二 日 の 条 で は、 今 日 北 堂 一 回 正 忌 也、 於 二真 如 堂 ↓ 以 二 僧 十 二 口 一修 二 百 万 返 念 仏 一 ( 中 略 ) 余 又 一 身 唱 二 百 万 反 一 至 二今 日 一終 功、 又 毎 日 請 僧 別 少 布 施、 錐 ニ レ 存 懇 志 一 所 レ 不 レ 及 レ 力 也、 宰 相 来、 於 レ 堂 有 レ飯、 晩 参 二 墳 墓 嚇 催 レ涙。 と 具 ハ 体 的 に 記 載 し て い る。 ﹁ 錐 二 レ 存 懇 志 一 所 レ 不 レ 及 レ 力 也 ﹂ と は 実 に 興 味 深 い。 当 時 お し な べ て 斜 陽 化 し た 貧 乏 公 卿 の 一 面 を さ ら け だ し て い る。 さ て、 宣 胤 が 真 如 堂 へ 参 籠 中 に ち よ つ と し た ハ プ ニ ン グ が 起 る の で あ る。 四 月 六 日 の 条 で 昨 夜 洛 外 神 楽 岡 の 宣 胤 の 屋 敷 に 盗 人 が 数 十 人 乱 入 し て 衣 服 雑 物 等 の 盗 難 に あ つ た と あ る。 今 回 が 初 度 で は な く、 前 の 洛 中 の 屋 敷 が 一 度 火 災 に 会 い 盗 賊 の 乱 入 は 洛 中 で 二 回 今 回 の 神 楽 岡 で 三 回 目 で あ る が、 せ め て も の な ぐ さ め は 真 如 堂 で お 籠 り を し て い た の で 危 害 を 加 え ら れ な か つ た と 仏 の 加 護 を 喜 ん で い る。 ﹃ 宣 胤 卿 記 ﹄ に お い て も ﹃ 建 内 記 ﹄ に 見 え る の と 同 じ よ う に 月 忌 命 日 に 関 す る 多 く の 史 料 を 見 出 だ す こ と が で き る。 亡 き 父 母 に 関 す る 月 忌 命 日 に つ い て は、 文 明 十 三 年 正 月 三 日 の 条 に、 故 一 位 殿 月 忌、 精 進 備 二 霊 供 一如 レ 常、 於 二 真 如 堂 一供 二養 僧 一 楽 人 景 俊 来、 慈 恵 大 師 別 課 如 レ 例。 と 見 え、 文 亀 元 年 十 二 月 十 二 日 の 条 で は、 母 堂 月 忌、 請 僧 等 如 レ 例、 参 二詣 真 如 堂 一 称 名 念 仏 移 ロ、 次 参 二墓 所 嚇 以 レ 次 代 々 列 祖 悉 廻 向 ( 下 略 ) と 見 え て い て、 亡 父 母 の 月 忌 命 日 に 斎 参 り 墓 参 り す る 風 習 が 確 立 し て い た 様 子 を 知 る の で あ る。 文 明 十 三 年 七 月 十 日 の 条 で は、 詣 二 吉 田 墳 墓 一 真 如 堂 僧 一 人 相 伴。 ( 下 略 ) と 記 載 さ れ て い る か ら、 今 日 見 ら れ る 墓 回 向 の 形 式 も 既 に こ の 時 代 に は と と の つ て い た の で あ る。 さ て、 文 明 十 三 年 七 月 廿 九 日 の 条 は 宣 胤 の 伯 母 に 関 す る 記 載 が 見 え る が、 ﹁ 今 日 伯 母 長 誉 禅 尼 紐 謝、 長 病 及 老 衰 之 間、 奉 ニ レ 送 東 山 真 如 堂 ↓ 今 日 事 切 揖 ﹂ と 見 え て、 こ こ で も 従 来 の 持 仏 堂 に か わ つ て 臨 終 行 儀 が 寺 で 行 な わ れ て い る こ と が 知 ら れ る。 室 町 時 代 に は 公 家 衆 の 触 繊 に 対 す る 忌 避 が き わ め て 強 く、 前 述 の 三 条 実 隆 で す ら 永 年 召 し 使 つ た 下 女 が 死 に ひ ん し た と き 触 繊 を の が れ る た め に 重 病 の 下 女 を 夜 中 に そ つ と 道 端 へ 捨 て て い る。 死 体 は 不 浄 な も の、 し か し 追 善 回 向 に よ つ て 祖 霊 が 仏 と な つ て 子 孫 に 繁 栄 を も た ら す と 云 う 信 仰 が 普 遍 化 し つ つ あ る の を 知 る の で あ る。 こ の よ う な 風 潮 を う け て こ こ で 見 ら れ る 寺 院 の 形 態 は 正 に 菩 提 寺 乃 至 は 往 生 院 そ の も の で あ り、 墓 寺 の 様 相 が 濃 厚 に 見 ら れ る の で あ る。 逆 修 乃 至 は 預 修 信 仰 が 減 少 し て 追 善 供 養 の 形 態 が 著 し く 増 大 す る 過 渡 期 が 正 し く 中 世 末 期 で あ つ た と 云 い う る よ う に 思 わ れ る。
山 科 家 一 族 に 関 す る 史 料 と し て は 教 言 卿 記、 教 興 卿 記、 言 国 卿 記、 言 継 卿 記、 言 経 卿 記、 言 緒 卿 記 等 と 応 永 十 二 年 か ら ほ ぼ 時 代 を 追 つ て 現 存 し て い る。 そ の 他 に 山 科 家 の 家 司、 大 沢 久 守、 重 胤 等 の 日 記 で あ る ﹃ 山 科 家 礼 記 ﹄ が 現 存 し て い る。 こ れ ら の 日 記 を 時 代 を 追 つ て 追 跡 調 査 す る と 興 味 深 い 結 果 を う る こ と が で き る。 こ の 中 か ら 清 浄 華 院 と 師 檀 関 係 を 結 ん だ 時 期 を 特 に 中 心 と し て 考 察 を 進 め た い。 結 論 か ら さ き に 云 う と、 始 め 禅 刹 と 師 檀 関 係 を 結 ん で い た と 思 わ れ る 山 科 羽 林 家 に あ つ て は 徐 々 に 天 台 浄 土 系 へ と 傾 斜 を 示 め し、 や が て 中 世 末 期 か ら 近 世 初 頭 に か け て 清 浄 華 院 と 師 檀 関 係 を 固 め る の で あ る。 先 年 清 浄 華 院 の 宝 物 庫 を 実 地 踏 査 し た 際、 明 治 初 年 の 編 纂 に か か る も の で は あ る が ﹃ 清 浄 華 院 歴 代 霊 名 簿 ﹄ な る 一 本 が 現 存 し 有 力 な 檀 越 と し て 万 里 小 路 家 と 山 科 家 と の 歴 代 霊 名 が 記 入 さ れ て い た こ と を み て も こ の こ と は 明 ら か で あ る。 万 里 小 路 家 と 山 科 家 と が き わ め て 密 接 な 親 近 関 係 に あ つ た 点 に 関 し て も ﹃ 言 継 卿 記 ﹄ の 記 載 に よ る と、 浄 土 宗 の 宗 祖 法 然 上 人 の 御 忌 に 際 し て は、 今 日 法 然 之 御 忌 也、 東 山 知 恩 院 に 法 事 有 レ 之、 万 里 小 路 黄 門 誘 引 也。 姻 ( 天 文 十 四 年 正 月 廿 五 日 条 ) と 見 え て い て、 言 継 は 万 里 小 路 中 納 言 と つ れ だ つ て 東 山 知 恩 院 の 法 然 上 人 御 忌 法 要 に 参 詣 し た。 言 継 の 子 息 山 科 言 経 の ﹃ 言 経 卿 記 ﹄ に よ る と 浄 花 院 の 僧 及 び 塔 頭 松 林 院 の 僧 が 盛 ん に 斎 参 り の た め に 山 科 家 へ お も む い た の で あ る。 最 後 に 甘 露 寺 権 大 納 言 親 長 の 日 記 ﹃ 親 長 卿 記 ﹄ と 子 息 権 大 納 言 従 一 位 元 長 の 日 記 ﹃ 元 長 卿 記 ﹄ に よ つ て 盧 山 寺 と の 師 檀 関 係 を 見 て い く こ と に し た い。 特 に ﹃ 元 長 卿 記 ﹄ に よ る と、 亡 父 母 の 年 忌、 月 忌 を 営 ん だ こ と が 確 実 に 見 え、 毎 月 十 七 日 の 条 で は 亡 父 親 長 と 盧 山 寺 と の 師 檀 関 係 が 見 え、 亡 母 の 月 忌 に 関 し て は 始 め 葬 礼 の と き 導 師 を 務 め た 想 運 庵 が 斎 に 入 来 し て い た が 途 中 か ら 盧 山 寺 長 老 が 出 向 く よ う に な つ て 甘 露 寺 家 と の 師 檀 関 係 が 固 定 化 す る こ と に な る の で あ る。 盧 山 寺 は 現 在 天 台 宗 に 属 す る が 当 時 は 浄 土 宗 西 山 派 に 属 し、 元 長 も ﹃ 元 長 卿 記 ﹄ 永 正 八 年 正 月 十 一 日 の 条 に 見 え る よ う に ﹁ 来 廿 五 日 故 法 然 上 人 三 百 年 忌 也、 伍 於 二 西 岡 光 明 寺 一 如 法 念 仏、 従 二 来 十 九 日 一執 行 伝 ﹂ と 浄 土 宗 祖 法 然 上 人 の 御 忌 会 に つ い て 多 大 の 関 心 を 払 つ て い た の で あ る。 五 地 縁 信 仰 の 展 開 を 勧 修 寺 流 を 中 心 と し た 室 町 公 家 衆 と 浄 土 宗 と の 関 係 に か ぎ つ て 考 察 を 進 め て き た の で あ る が、 寺 院 に か ぎ ら ず 神 社 に お い て も 地 縁 信 仰 へ の 傾 斜 を 認 め る こ と が で き る ( 別 載 )。 中 世 末 期 は 寺 院 神 社 を 問 わ ず 氏 族 を 中 心 と し た 歴 史 的 な 血 族 信 仰 に 変 つ て 各 家 乃 至 は 個 人 を 中 心 と し た 近 世 的 な 地 縁 信 仰 に 変 つ て い く 云 わ ば 過 渡 的 な 時 代 に あ た る と 云 い う る よ う に 思 わ れ る。 血 縁 信 仰 か ら 地 縁 信 仰 へ の 展 開 ( 西 田 )