論 説
行政の判断過程における過誤欠落に関する一考察
ヴィール判決以降,第一,第三ミュルハイム・
ケルリッヒ判決及びもんじゅ判決を題材に
赤 間 聡
1.はじめに 2.ヴィール判決とそれ以降の展開 3.第一,第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決 4.論証過程における欠落としての判断過程における欠落 5.もんじゅ判決における過誤欠落問題 6.むすびにかえて1.はじめに
東日本大震災を経て,ほとんどが稼働を停止していた原子力発電所も,2013 年夏の新規制基準施行と同時に続々と再稼働申請が行われている。その一方で, 活断層の判定や津波対策などをめぐる問題で,現時点では規制庁による再稼働 審査はすんなり進行する見通しにはない。また,福島第一原子力発電所におけ る汚染水問題も毎日のように報道され,こうしたことが私たちの原子力に対す る考えや感情を複雑なものにしている。 さて,現在,再稼働の是非をめぐっては,差止めの民事訴訟が係争中のよう であるが 例えば大阪地決平成25年 4 月16日判例時報2193号44頁 ,今後の行 政訴訟については,行政行為の処分性の問題があり,事業者が提訴するかもし れないものをも含め,どのような形で裁判となるのかは判然としない。それで 高知論叢(社会科学)第108号 2013年11月も,現時点で過去の原子力発電所に関する行政訴訟を振り返るということは, 十分意義があることだと考える。というのは,規制庁が行う行為は原子炉等規 制法の遵守,指針の定立とその適用という法的決定の側面を有するものであ り,行政訴訟ではそうした法的側面が審査される。そうである以上,再稼働 後の行政訴訟の有無にかかわらず,過去の事例を検討することは,今審査を 行っている規制庁にとっても予防法学の視点から重要であるといえるからで ある。 こうした関心から,本稿では原子力をめぐる行政訴訟での司法審査問題を扱 うことにする。周知の通り,この領域での司法審査のあり方については,伊方 原発最高裁基準(最判平成 4 年10月29日民集46巻 7 号1174頁)がある。そこで 最高裁は,司法審査は「行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点か ら行われるべきであって,」とし,行政判断の違法は「現在の科学技術水準に 照らし,右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり, あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会 若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤, 欠落があり,被告行政庁の判断がこれに依拠してされた」場合に認められる, としている。このいわゆる判断過程の統制方式については,しかしながら,当 初からこの手法の曖昧性が学説で指摘されてきた。そして,その後のもんじゅ 裁判では,特に現実に起きたナトリウム漏えい事故との関係で,この審査方式 の問題点が顕在化し,そのことで司法実務上も学説上も多くの混乱を生み出し 現在に至っている,といえる。こうした事情を踏まえ,本稿では判断過程を論 証過程と捉える立場にたって,これまでとは少し違う角度から,司法審査のあ り方,特に過誤欠落の見出し方を模索しようとするものである。そして,この ことで,判断過程の統制をめぐる今後の議論に貢献することを目指す。 以上のような視座に立って,本稿は司法審査のあり方について分析・検討を すすめるものであるが,その題材を主としてドイツのヴィール判決以降に出さ れた第一ミュルハイム・ケルリッヒ判決(1988年),第三ミュルハイム・ケル リッヒ判決(1998年)及びもんじゅ高裁判決(2003年)に求める。わが国での原 子力訴訟を考えるにあたって,ドイツにおける判例,学説を検討することの意
義については,いまさら説明するまでもないが1,特に第一,第三ミュルハイム・ ケルリッヒ判決を選んだ理由については,あらかじめここで述べておくことが, 以降の理解について有益であろう。 ドイツのヴィール判決は,すでにいくつかの紹介があるように2,原子力発電 所の安全性に関する行政の判断に対して,司法が実体的審査を行うことを抑制 し,判断過程の統制を示唆した著名な判決である。この判決は,それ以降の事 実審 ヴィール判決は,結局,証拠調べのあり方論になる および上告審であ る連邦行政裁判所の先例になっていったが,実際の具体的事例の審理において, 異なる審査密度が示された。この点で顕著な差異が出たのがミュルハイム・ケ ルリッヒの原子力発電所をめぐる第一と第三の二つの判決である。筆者の試み は,この二つの審査密度の差異を,審査が及ぶ論証過程の段階の差として捉え る。そしてこの視点から今度はわが国のもんじゅ判決についても分析を進める ものである。 以下,まず 2 ではヴィール判決及びそれ以降の展開を概観する。次に,3 で ミュルハイム・ケルリッヒ原子力発電所を巡る二つの判決をみる。その後 4 では ドイツ行政法の分析的論証理論で知られるコッホの学説に依拠しつつ,この二つ の判決で行われている論証過程の追試方法を分析する。そして 5 ではもんじゅ 差戻後控訴審判決を同様の方法で分析し,最後に若干の私見を述べることにする。
2.ヴィール判決とそれ以降の展開
1985年の連邦行政裁判所ヴィール判決3はわが国でもしばしば言及されるド イツ原子力訴訟に関する著名な判決である。事例は加圧水型原子力発電所を建 1 とりわけ,高木光『技術基準と行政手続』(弘文堂,1995),同 『行政訴訟論』(有斐閣, 2005),高橋滋『現代型訴訟と行政裁量』(弘文堂,1990),同『先端技術の行政法理』(岩 波書店,1998)を参照。 2 注1)の文献また,その他いくつかについては,赤間聡「環境基準としての規範具 体化行政規則 判例および「規範具体化」の意味を中心に 」青山法学論集46巻3号 (2004)92~38頁,注2)参照。 3 BVerwGE 72, 300.設計画していた電力会社に対して与えられた第一次部分許可4が周辺住民らに よって争われたものである。判決はここで安全性審査における行政の優先的判 断権5を認め,放射線防護数値などについて争った住民らの主張を退けた。こ の判決の概要については,筆者は別稿で述べておいたので6,ここでは司法審査 に関わる部分に限定し,判決のポイントをまとめることにする。 まず,ヴィール判決において述べられた司法審査論には三つのポイントがあ る。一つ目は行政の優先的判断権の正当化について,二つ目はリスク調査・評 価の際,行政が遵守しなければならない義務について,三つ目は司法審査のあ り方についてである。第一の点は司法との関係においてリスク調査・評価の責 任は原子力法 7 条 2 項第 3 号の規範構造からして行政にある,とした点であ る7。これはヴィール判決が連邦憲法裁判所カルカー決定に依拠した部分で,専 門性と柔軟性をもつ行政機能を生かして初めて最善のリスク管理は可能になる という動態的人権保障論と結びついている。第二の点であるリスク調査・評価 義務について,この判決は,再度カルカー決定に依拠しながら次のように述べ る。リスク判断において行政は最善を尽くさなくてはならない。行政はリスク 調査・評価活動に際して,支配的な科学学説だけに依拠するのではなく,それ とは異なるが尊重に値する(vertretbar)学説はすべて考慮しなければならず, さらに判断において不確実な部分が残るときには十分保守的にならなければな らない,と8。そして第三の点について,この判決は連邦憲法裁判所ザスバッハ 判決に依拠しながら,限定的な司法審査について以下のように述べる。まず, 上に挙げた第一の点から,科学論争及び科学論争から帰結するリスク評価につ いて決定する権限は行政にあり,司法はそれに対して自らとってかわって判断 を下すものではない,とした上で,司法審査は行政の判断が恣意なきリスク調 4 部分許可の制度については,高橋・前掲注(1)123頁以下参照。 5 裁量との違いについては文献も含め,赤間聡「専門技術的裁量と科学技術的判断に関 する行政の優先的判断権の論理 原発の安全性判断を題材に 」青山法学論集53巻 2号 (2011)69~111頁(69~82頁)参照。 6 赤間・前掲注(2)75頁以下。 7 BVerwGE 72, 300(316). 8 BVerwGE 72, 300(316).
査・評価に基づいてなされたか否か,という点に及ぶ,とする9。 このようなヴィール判決における司法審査基準は,原子力の安全性に関する 司法の実体判断を抑制する趣旨であることは明らかであるが,その抑制の内実 についてはなお,行政権限との緊張関係を含むものであった,とみることがで きる10。というのは,まず,第二の点である行政のリスク調査・評価義務はか なり厳しく設定されているのに対して,第三の点であるそのチェック方法が 「恣意なきリスク調査か否か」というように単純化されているからである。「恣 意なき」権力行使とは,連邦憲法裁判所の伝統的理解によれば11,判断の出発 点と判断の帰結とがどのようにみても不整合な場合にのみ認められる。すなわ ち,裁判所は行政の判断過程と決定とを見比べてみて,そのつながりがもっと もらしい(plausible)か,あるいは説得力がある(überzeugend)かをみる審査, いわば,外見的な審査にとどまることになる12。そうすると,このような簡単 な審査方法で,科学的見解に接する際,行政に要求される上記の厳格な義務履 行がチェックできるのか,という問題が生ずる。 加えて,判断余地論の理解の問題もある。判断余地とは法律要件部分に含ま れるある一定の不確定法概念の解釈と適用に行政の優先的判断権を認める理論 および実務である13。上で挙げた原子力法 7 条 2 項第 3 号の施設設置要件「施 設およびその操業によって発生する損害に対して,科学技術的知見に基づく必 要な防護措置」というのは明らかに不確定法概念なので,ヴィール判決を普通 に読めば,判断余地から行政の優先的判断権を導き出した,と読める14。とこ ろで,伝統的理解では,判断余地論においては,事実認定における裁判所の権 9 BVerwGE 72, 300(317). 10 ヴ ィ ー ル 判 決 以 降 の 原 子 力 判 例 の 展 開 に つ い て は Dieter Sellner, Atom- und Strahlenschutzrecht in: Eberhard Schmidt-Aßmann, u.a.(Hrsg.), Festgabe 50 Jahre Bundesverwaltungsgericht, Köln 2003, 741‒770参照。ただし,本稿は判例の評価を必ず しもこれに従っていない。 11 BVerfGE 89, 1, 14. 12 Sellner 前掲注(10)749‒750. 13 赤間・前掲注(4)69頁以下。 14 ヴィール判決自身は判決の正当化で直接判断余地については言及してはいないが,そ の後にヴィール判決をこのように理解する判例がある。BVerwGE 81, 185(190).
限の後退は必ずしも予定されてはいない。したがって,行政が終局的に選択・ 依拠したデータや仮説の評価についてはともかく,その前段階となるそれらの 収集のあり方,ヴィール判決がいうところの幅広い調査については,当然にそ こには事実認定問題が含まれており,これを裁判所が控える理由はない。しか し,この事実認定を厳格に行えば行うほど,科学問題に裁判所が自ら答えるこ とになっていく,というジレンマが生ずる。 このように,ヴィール判決は後の判例にとって先例的な役割を果たしたが, その捉え方次第では司法審査密度に大きな差がでる不確定要素を含んでいた, ということもできる。そしてこれは1998年の第三ミュルハイム・ケルリッヒ 判決で明らかに顕在化するのである。が,これに触れる前に,上で挙げた行政 のリスク調査・評価義務と恣意なき調査という審査基準がヴィール判決から第 三ミュルハイム・ケルリッヒ判決にいたるまで,どのように理解されてきたか, について触れておくことが有益であろう。下では三つの判例を挙げてこの点を 検証したい。 恣意なき調査という概念を調査欠落(Ermittelungsdefitiz)がないこと,と 理解したのは1987年判決である15。事例は周辺住民が原子力施設の立地場所が 低く,洪水により炉心溶融を招くおそれがあるとして設置許可に対する取消訴 訟を提起したものである。ここで控訴審は証拠調べによって,立地の高さから みて洪水の危険がないとする行政の決定を実質的に肯定した。これに対して上 告審判決では,控訴審は自己の見解から原子力法 7 条 2 項の要件充足を判断し てはならないと,この判断代置審査を批判し,代わりとなるあるべき審査方法 を次のように述べている。司法審査は行政の思考過程を追試することで,原子 力法 7 条 2 項が要求するリスク調査・評価義務における欠落の有無を見出すこ とである。そしてこの欠落は行政決定の前提となる調査資料が不十分であった り,調査と結びついたリスク評価が十分用心深くなされていない場合に認めら れる,と16。 15 BVerwGE 78, 177. 16 BVerwGE 78, 177(180‒181).
こうした判断代置審査に対する否定は1989年判決17でも再度確認されている。 事例は原子力発電所設置の第一次部分許可につけられた附款を事業者が争った ものである。附款の内容は事業者がテロ対策として銃で武装することであった。 判決は施設がしっかり守られているか否か,それはどのような方法においてか, といった問題は行政の責任で決定されるべき問題だとした。そして,施設武装 に関する問題は予測が関わる問題であり,実践理性ではその生起が否定も肯定 もできな事態については,行政が行った予測を裁判所が訂正することはできな い,としている18。 87年判決で使われた調査欠落という概念を使いながら,実質的に,87年判決 よりも審査密度は上がっているようにみえるのが1996年判決19である。事例は 燃料棒の設置変更許可を周辺に住む原告が争ったもので,白血病に関する新た な知見が活かされているか,否かが争点の一つになったものである。原告は新 しい知見である白血病調査が許可手続でなされた鑑定で考慮されていないと主 張したが,控訴審はこれを認めず原告の主張を退けた。上告審判決では,行政 の鑑定内容が答えようとしている問題と原告が新知見に基づいて不安に感じて いる問題とでは内容的なズレがあるとして,この控訴審の事実認定を不十分と した。判決はいう。行政は白血病調査の内容を知らなかったか,あるいは不当 に軽視したか,これを控訴審はなお審査しなければならない,と20。 さて,上で概略してみた三つの判決では,ヴィール判決の基本姿勢は維持さ れている。しかし,裁判所の審査が「恣意なき調査の有無」から「調査欠落の 有無」へと変わることで,行政のリスク調査・評価義務に対して向けられる司 法の目は厳しくなる要素を含んでいたようにみえる。調査欠落を見出すために は,裁判所の中にあるべき調査の観念がなければならないからである。もちろ ん,判例はあるべき調査を示して調査結果を代置する実体判断を許しているわ けではなく,行政が十分な調査資料を収集しているか,否かという外側からの 17 BVerwGE 81, 185. 18 BVerwGE 81, 185(195‒196). 19 BVerwGE 101, 347. 20 BVerwGE 101, 347(360).
審査に限られる。それでも,この審査は調査内容に関する判断を一切抜きにし てできるものではない。安全審査で求められる内容はどのようなもので,行政 はどのような調査が利用可能であったか,を判断する必要があるからである。 実際,上の96年判決では従来の放射線に関する見解はどのような影響について4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 答えるもので,原告の不安の根拠になる新しい知識は何に関する4 4 4 4 4 判断なのか, ということが問われている21。このようにみる時,調査欠落審査は専門的判断 の妥当性そのものには及ばないにしても,その判断の有効領域の確定及び こ ちらが重要だが 複数の専門的判断の論理的関係にまでは及ぶといえる。そし て,その結果として,行政が主張する既存の防護措置正当化に「論理の飛躍」 を見出す場合には,調査欠落がありとして,行政処分を取消すこともできるこ とになる。この点については,以下では二つの判決をみながら,調査欠落審査 のあり方を検討していくことにする。
3.第一,第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決
1960年代後半,ラインラント=プファルツ州のミュルハイム・ケルリッヒに 原子力発電所の設置計画が立てられ,1975年には事業者に第一次部分許可が与 えられた。しかし,この許可には最初から問題があった。許可では原子炉建屋 とその他の施設を同一敷地内に一体として立てるコンパクトタイプが予定され ていたが,1974年の許可手続の最中に,敷地の一部に断層が,そして別の一部 には粘土質の頑丈でない部分があることが地質調査から判明した。にもかかわ らず,事業者と許可庁は許可後に施設を分離タイプにし,かつ設置場所も変更 することで合意し,許可庁はそのままオリジナルのプランに対して許可を出し た。そしてその後原子炉建屋の位置がオリジナルプランとは70メートルほど離 れたところにする変更プランが了承され,この新プランに対して,1977年に第 二次部分許可が出された。これに対して原告が第一次部分許可の取消しを求め て提訴したのが,第一ミュルハイム・ケルリッヒ事件である22。判決では第一 21 BVerwGE 101, 347(361). 22 BVerwGE 80, 207. この間に憲法異議もあったが,その点については,山田洋「行政次部分許可と第二次部分許可の関係如何など,いくつかの争点があるが,ここ では調査欠落についてだけみていくことにする。 判決は極めて単純である。まず,行政は実践理性により排除されないリスク がまだ明確化されていないうちは,そして防護措置について確信を持てない場 合には,許可を出すことは許されない,とし,判決は調査・評価の徹底を行政 に義務づける。そしてこれがなされないまま決定が出される時は調査欠落にな り,処分の取消は免れないとする。ただし,リスクは一旦考慮されば,それが 軽視されたとしても,裁判所はそのリスクが現実に存在するか否かについては 実体判断しない,とも加えられている。その上で,当該事例においては,第一 次部分許可の対象は,決して実現する見込みがないことが分かり切っていた架 空のオリジナルプランであったと認定,地質調査は変更後のプランのために使 われたものであるから,オリジナルプランについてはしっかりした調査がなさ れないまま許可が出されたとし,この第一次部分許可を取消した23。 その後,事業者はこの敗訴の原因は形式的な問題であると考え,正式な新し い建設計画の申請を行った。行政はこの新しいプランに対して様々な鑑定を実 施し,1990年に第一次部分許可を出した。これに対して住民らによって再度取 消訴訟が提起された。まず,すでに取消された1975年の第一次部分許可の効力 と新しく出された第一次部分許可との関係が争われた後,実質的な安全性問題 が焦点になったのが第三ミュルハイム・ケルリッヒ事件である24。ここで控訴 審は調査欠落を認め第一次部分許可を取消した。そして,上告審でもこれが支 持されたのである。 判決は基本的にはヴィール判決を踏襲しているが,大きな違いはリスク調査 とリスク評価を切り離し,特にリスク評価に行政の優先的判断権を関わらせて いる点である。判決はいう。行政の優先的判断権はもっぱら政治的4 4 4 に答えられ 手続きへの参加権 : 西ドイツ連邦憲法裁決定をめぐって」一橋研究 6 巻 3 号(1981)112 ~125頁参照。なお,判決は前半部分で原子力法上及び原子力手続令上の手続瑕疵の問 題を,後半部分で設置許可要件充足(原子力法 7 条 2 項)の問題を議論している。 23 BVerwGE 80, 207(216-217). 24 BVerwGE 106, 115.
るリスク評価に特に関わる,と25。そうするとリスク調査に関する優先的判断 権はどうなるのかが問題になる。この点,判決では一見したところ,従前の見 解を次のように繰り返しているだけである。現在の知見から肯定も否定もでき ない実践理性では排除できないリスクをも考慮しなければならない,と26。し かしながら,ここでの「考慮しなればならない」は,第一ミュルハイム・ケル リッヒ判決の「考慮しさえすればよい」とのニュアンスと完全に異なる。とい うのも,第三事件上告審判決においては,行政による考慮の実質的な中身を審 査した控訴審での事実認定が全面的に支持されているからである。 控訴審の考えはこうである。地震の揺れに対するリスク調査にあたって,規 範となるのは原子力技術委員会基準である。しかし,この基準から自動的に申 請場所の地震リスクが計算されるものではなく,それを適用するにあたって, 申請場所の過去の地震や地質の調査および(数値の)確定が必要になる。この ためには十分な調査が行わなければならない。この点,たしかに行政は調査を 行ったが,調査結果である地震強度は不確定な幅を有するものであった。さら に,地震強度と表面最大加速度との関係においても不確定な幅がある。にもか かわらず,行政はこれら不確実性をどのように処理したかを不明にして,地震強 度及び表面最大加速度の確定に至った。行政は自己の安全性判断を正当化しな ければならず,そのためにデータが示され,かつ評価されなければならない。し かし,当該事例ではこの過程を追うことはできない。ここに調査欠落がある,と27。 さて,以上の第一と第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決とを比べた場合,調 査欠落の意味が異なるのは明らかである。前者は調査そのものの不存在に欠落 をみるのに対して,後者は調査はあったが,調査のあり方に欠落を見出してい る。そしてこの調査のあり方の欠落の認定根拠は,2で指摘した96年判決が行 き着く先の「論理の飛躍」にある。控訴審は行政が自身で行った鑑定結果と地 震強度および表面最大加速度の確定判断との間には論理の飛躍があることを見 逃さなかったのである。これを実体判断代置といえるだろうか。そしてこれは 25 BVerwGE 106, 115(122). 26 BVerwGE 106, 115(121). 27 BVerwGE 106, 115(124-125).
非難されるべきであろうか。以下ではこの問題を論証過程の段階という視点か ら検討していくことにする。
4.論証過程における欠落としての判断過程における欠落
上で見たように,ヴィール判決以降,裁判所は実体判断を避け,行政の思考過程 を追試する Nachvollzug der gedanklichen Operationen der Genehmigungsbehörde (87年 判 決 ),Nachvollzug der behördlichen Gedankengänge(98年 判 決 ) という手法をとってきた。そして学説でも原子力等の科学技術法領域における司 法統制においては,計画裁量の統制で使われる衡量過程(Abwägungsvorgang)・ 基礎づけ過程(Begrundungsvorgang)の追試が有効である,と主張されてい る28。これらは総称で判断過程の統制と呼んでよいだろう。しかしながら,第 一と第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決ではこうした判断過程の統制を用いな がら,上で見たような司法審査密度に差が出ているし,また学説も判断過程の 統制という概念でそれほど明確な審査方法を示唆しているわけではない。この 理由は,本稿の視点からみると,三つほどあるように思える。まず,第一に, 行政決定に至る過程,特に原子力発電所の安全性に関する判断過程は複数の判 断の集合体でありながら,終局的に許可不許可という一つの判断に集約される。 しかし,判断としてのこうした全体像が明確化されないまま,追試が行われて いること。第二に,第一の点と関連するが,裁判所が審査を控えるのは上記の 判断の中のどの部分で,どのような形で控えるのかが明確にされていないので, 「統制」の意味が判然としてこないこと。第三に,追試後の評価基準の問題が ある。これは 2 で挙げたザスバッハ判決基準であるが,「もっともらしい」や 「説得力ある」という基準は,判断過程を評価する上で漠然としすぎて,あま 28 Eberhard Schmidt-Aßmann, in: Theodor Maunz, Günter Dürig , et al., Grundgesetz : Kommentar , Art. 19 IV(2003)Rdn. 187, 213-216. わが国で近時主張されている,論証 過程の追試もここに属するように思えるが,以下本稿が基礎にしているドイツ論証理論 と同一であるか否かは,別途論究したい。山本隆司「リスク行政の手続法構造」城山英 明 , 山本隆司編『環境と生命 (融ける境超える法5)』東京大学出版会(2005)所収3 ~59頁参照。り役に立たない,ということが挙げられる。筆者はこうした問題を解決するた めには,判断過程の統制をより精緻化する必要がある,と考える。そこで下で は,行政法における分析的論証モデルを提唱するコッホの議論を参考に,判断 過程の追試そのものの分析,判断における過誤欠落の分析的検討を行うことに する。 (ア)コッホの予測概念分析 H. J. コッホの行政法における不確定法概念の研究,及び行政法における論 証理論・基礎づけ理論(Begründungslehr)29はドイツでは重要な研究として位 置づけられている。筆者はこれについては別稿で述べておいたので詳細は省く が30,簡潔に述べると,コッホの行政法理論の特徴は英米の分析哲学の成果を 取り入れ,特に概念分析を活かした法解釈と事実認定論を採用している点にあ る。ここでは,問題となる原子力法 7 条 2 項第 3 号の施設設置要件である「必 要な防護措置」という不確定法概念の解釈・適用がどのような判断過程を経過 するのか,をコッホの予測概念の分析を参考に検討してみたい31。 不確定法概念の中には,将来の害悪などを予測することの不確実さゆえに, 予測概念(Prognosebegriffe)といわれるものがあること ただし表現は統一 的でない は,行政法学者に認識されてきた。コッホがその典型例の一つと して挙げるのが連邦インミッシオン防止法の「環境への有害な影響」である32。 29 Hans-Joachim Koch, Unbestimmte Rechtsbegriffe und Ermessensermächtigun-gen im Verwaltungsrecht, Frankfurt am Main,1979; Hans-Joachim Koch / Helmut Rüßmann, Juristische Begründungslehre , Eine Einführung in Grundprobleme der Rechtswissenschaft, München, 1982. また,ハンス・ヨアヒム・コッホ編岡田正則監訳『ド イツ環境法』(成文堂,2011)も参照。 30 赤間聡「公法上の不確定な法概念とその適用の合理化(1) H. J. コッホ及び R. アレ クシーの公法理論を中心に 」青山法学論集第38巻第 2 号(1996)1~30頁。 31 以下述べていくように,本稿の立場はコッホの論証理論に完全に依拠するものではな い。むしろ,原子力法の適用の場面における論証理論の限界を意識しつつ,再構成を試 みるものである。なお,コッホの概念分析や論証理論が判断過程の統制においてもつ意 義については,既に高橋滋教授が20年以上前に指摘していたことである。高橋・前掲注 (1)『現代型訴訟と行政裁量』112頁以下参照。 32 Koch / Rüßmann 前掲注(29)206-209. また,コッホ編岡田監訳・前掲注(29)183頁
連邦インミッシオン防止法は人間,生態系,環境を有害物質による汚染から守 ることを目的としており,汚染物質排出施設の設置・操業の許可要件としては, 環境への有害な影響がないという不確定法概念を含む規定を設けている(同法 4 条~ 6 条)。そして同法 3 条 1 項によれば,「環境への有害な影響」とは「そ の種類,量からして,公衆または近隣に対する危険,重大な損害,重大な負 荷を生じさせる性質を有するもの」とある。このように,「環境への有害な影 響」とは,人や環境に与えるであろう重大な損害や負荷の可能性であるので, 将来の事態の予測を含む予測概念であることは明らかである。そして,原子力 法の 7 条 2 項第 3 号の不確定法概念も放射能物質放出という将来の損害の抑制 を図るものであるから,同様の予測概念といえる。 さて,この予測概念の適用においては,申請者・申請物件が将来の事象を惹 起するか否か,という予見を必要とするから,この判断が特に専門性が強い場 合には,申請対象に対する予測概念の適用を包摂裁量とみる考えがある。これ が先に挙げた伝統的判断余地論である。が,もう少し細かく見ると,将来の 予見に関する判断は,法が予定する将来の害悪の種類,及びその蓋然性の特 定,そしてその害悪を引き起こすであろう原因の特定に関する部分に分かれ る33。上の連邦インミッシオン防止法の「環境への有害な影響」(S)についてい えば,1)まず法が予定する害悪として発がん(Z)や循環器系疾病(Y)が特定 され,2)加えて産業との兼ね合い,リスクの比較等で社会で容認できるこう した害悪の発生率を決める,3)その後にこうした害悪をこうした蓋然性で惹 き起す有害物質およびその排出量のリスト(K)が調査から特定される。これを 論理式で簡単に表示すると,連邦インミッシオン防止法が予定する害悪を法が 予定する蓋然性で引き起こす場合には「環境への有害な影響」(S)がある(→ S 「場合には」は→で示す),と解釈・具体化(konkretisiern)が始まる。法が予 定する害悪は発がん(Z)あるいは循環器系疾病(Y)である(Z ∨ Y「あるいは」 は∨で示す),と解釈・具体化が進む。そして最後にこの二つの害悪を法が予 以下も参照。 33 Koch / Rüßmann 前掲注(29)207. なお,以下の論理式はコッホのものを単純化し, 一部修正して示してある。
定する蓋然性をもって惹き起す有害物質およびその排出量のリスト(K)が特定 される(K → Z ∨ Y)。以上,簡単に K → Z ∨ Y → S で表記されよう。Kは 解釈・具体化の終着地点であるから,ここを定める行政規則は規範具体化行政 規則(Normkonkretisierende Verwaltungsvorschriften)と呼ばれることにな る34 判断余地を前提としてではあるが。最後に,申請物件である施設の操業 計画⒜が事実認定されれば,たとえば,a → K → Z → S という法適用が行わ れる35。この予測概念の法適用は,結論である許可・不許可の側から振り返れば, 決定の理由づけの側面をもつものであるから,この意味で行政の論証過程と呼 べるものである。そして,司法審査はこれに対してチェックを行うものである から,それが実体判断代置審査か過程の統制審査かは別にして,審査の対象は 上の論理式に該当する部分となる。すなわち,1)法がある蓋然性をもって懸 念する害悪は Z ∨ Y で妥当か,2)自然科学的判断 K → Z ∨ Y は妥当か,3) a の事実認定は妥当か,である。 (イ)原子力法における予測概念 ところで予測概念としての「環境への有害な影響」と原子力法の「必要とな る防護措置」とでは大きな違いがある36。それは害悪の蓋然性,及び害悪を引き 起こす法則探求に関する部分である。まず,原子力法の場合,害悪は放射性物 質による生命,健康,財産損害であることは容易にわかる。しかし,法がこれ を許容する蓋然性については,通常運転時の低線量被爆の場合は別として,一 番重要となる放射能物質放出事故においては特定することが困難を極める。む しろ許容される蓋然性の特定よりは,カルカー決定がいうように,この予測概 34 これはヴィール判決による命名であるが,上の流れをあくまで法解釈と捉えるコッホ の立場からは,ここに拘束力を認める理由はない。Koch / Rüßmann 前掲注(29)208-209. コッホ編岡田監訳・前掲注(29)232頁参照。
35 正式には,
∧
x(Zx ∨Yx → Sx),∧
x(Kx → Zx ∨Yx), Ka,Ka → Za,Za → Sa,Sa. そしてさらに,Sa を不許可に帰結させるのが法適用の全体像である。こうした法論理の基 本形については, Koch / Rüßmann 前掲注(29)39-57を参照。
36 本稿では原子力安全性に関する基本書として,特に近藤駿介『原子力の安全性』(同文
念の法適用には,現代の科学技術でベストを尽くした危険除去(Bestmögliche Gefahrenabwehr)を行い,実践理性上可能な限り損害可能性を排除すること が重要となる。あえていえば,このことの裏返しとして,法が許容する災害の 蓋然性とは実践理性が及ばない残余リスク(Restrisiko)であるといえる37。第 二に,事故による害悪,放射性物質放出事故の予測は,それが地震などの外部 事象によるものであれ,あるいは機器故障という内部事象によるものであれ, 自然法則と構造物のメカニズムの相互作用によって決定される。特に原子力発 電の場合には,災害が重大であるだけに,施設は想定される事故の防止及び事 故拡大の防止という多重防護システムをとっている。そうすると,予測判断は 事故防止である余裕設計からスタートして,それがうまくいかなかった場合の 防護措置,またそれがうまくいかなかった場合の防護措置…という失敗の連鎖 として論理化される38。 以上のことをコッホの論理式で単純化すると,各部分部分での防護機能不全 =排除されないリスクの集積が災害の蓋然性となる。例えば,冷却材喪失事 故を念頭に置けば,放射能外部漏れ事故の蓋然性(Y)は一次冷却材喪失(A) ∧ ECCS 不全(B)∧圧力容器損壊(C)∧格納容器損壊(D)→ Y となる(∧は 「かつ」を示す)。ABCDの事態が現代の科学技術基準で実践理性上排除され る場合には,Yもまた実践理性上排除される。したがって,予測概念の適用と いう観点から見た場合,原子力法の第一次的な法適用者である行政は事業者の 申請に対して,各項目がすべて実践理性上排除された場合に 通常,これは安 全審査指針で定められた起因事象の様態を数値化し,それに対応する防護措置 を数値化する解析によって行われる ,許可を与えることでき,排除されない, あるいは不明の状態では許可は禁止される39,ことになる。そうすると,原子 力の設置許可を出した場合,行政の論証はABCDの否定論証となる。少し 粗く書くと,¬ A(一次冷却材喪失が実践的に排除できる)∧ ¬ B(ECCS 不全 37 これがカルカー決定の基本的な立場である。BVerfGE 49, 89. 38 こうした発想の典型例がいわゆる確率的安全評価であろう。佐藤・前掲注(36)240頁 以下参照。 39 第一ミュルハイム・ケルリッヒ判決を想起。BVerwGE 80, 207(216-217).
が実践的に排除できる)∧ ¬ C(圧力容器損壊が実践的に排除できる)∧ ¬ D (格納容器損壊が実践的に排除できる)→ ¬Y(事故による放射能放出が実践的 に排除できる)となる(¬ は否定を示す)。ところで,このようなABCDの否 定論証はどのようになされるであろうか。ABCDは各々でまた多重防護が働 いているので,個々の事故シナリオの否定が論証になる。たとえば,一次冷却 材喪失の蓋然性の否定は配管破損が一つの事故シナリオになるので,配管の厚 さという十分な余裕設計(E)や十分な保守点検(F)などが ¬ Aの論証になる40。 E∧F→ ¬A。そしてEとFそのものはまたその肯定論証を必要とするからさ らにこれが続けられる。G→F…。このうち,一番上のレベルの判断,A(一 次冷却材喪失)∧B(ECCS 不全)∧C(圧力容器損壊)∧D(格納容器損壊)→ Y (放射能外部漏れ)は,指針で明示もしくは,前提としている論理である。こ のレベルの判断を便宜上「大枠判断」と呼んでおく。大枠判断で現れる個々の 項目の否定論証,すなわちE∧F→ ¬A という下のレベルの判断を「element 判断」と呼ぶことにする。E,F部分もさらに論証が進めば,element 判断は さらに下位の element 判断で基礎づけられる。 さて,このように考えた場合,たとえば判例や学説でしばしば使用される 「 事 故 シ ナ リ オ 」(Störfallszenarios)や「 判 断(eigene Überzeugung, eigene Bewertung)代置」という語が如何に多義的であるかが判明する。というのも, 行政に優先的判断権があるとしばしばいわれる事故シナリオという概念にして も,大枠判断における事故シナリオ,element 判断におけるそれ,あるいは下 位の element 判断におけるもの,と階層レベルで,シナリオ作成における詳 細さが,それゆえ専門性,予測難易度が異なる。したがって,それらが全て等 しく行政の優先的判断権に属する,とするのは疑問である。上で挙げた89年判 決,事業者が許可の附款につけられた過重なテロ対策を争った事例では,確か に,事故シナリオは行政の優先的判断権に属する,とされた。しかし,ただこ の場合でも,事故シナリオは無制約に行政権限に属するのではなく,「実践理 40 原子力訴訟の大部分がこうした項目と細目における主張と反論になっているが,裁判 所における論理整理の意識は随分と差があるようにみえる。たとえば,伊方原発松山地 裁判決と後述するもんじゅ高裁判決とを比較した場合,後者の方が体系性を有する。
性で肯定も否定もできない状況については」という限定をつけている41。これ はある意味で判断階層の上下と優先的判断権の関わりを指摘したとも理解でき よう。同様のことが実体判断についてもいいうる。この点はドイツでも我が国 でも長らく議論されてきた点なので,少し詳細に論じたい。 原子力法の第一次的法適用者である行政によってなされた多段階の判断 A∧B∧C∧D→Y…はどれも自然科学的,工学的判断の性質をもつこと は明らかである。仮に裁判所の審査が行政と同じ立場での二度目の法適用 (Wiederholung der Rechtsanwendung)であるとするならば42,自身が新たに 論理式を作り直して,申請書をこれに当てはめて安全性審査を行うことになっ てしまう。これは自ら論理式を作らなくとも,行政のA∧B∧C∧D→Y…と いう論理式及び最後の事実認定に対して,肯定なり否定なりの評価で結論を導 き出した場合にも同様である。87年判決の例でいえば,控訴審は,証拠調べに おいて,洪水の大きさ,施設への流入ルート,そして配管・電源の支障など, 事実認定に至るまで綿密に行ってしまった。これは,たしかに,ザスバッハ判 決が否定した実体判断代置に他ならない。しかしながら,ザスバッハ判決にし たがって,追試して論理の「もっともらしさ」をチェックするにしても,大枠 判断を初めてとして,すべてが自然科学的,工学的判断の性質を持つものであ るから,どちらにしても裁判所の審査は論理の一貫性をチェックする程度で済 むはずがない。要するに,実体判断は事実認定に至るまですべて行うことが禁 じられるのであって,過程の統制であっても,最初の大枠判断を含め,裁判所 は少なくとも一度は実体判断をしないと,審査そのものが成り立たない。87年 上告審判決でも,「施設に水が押し寄せれば,機器の破損の可能性があり,そ うすると冷却システムが危うくなることもあり得る」,この程度の実体判断を 控訴審に禁止したわけではないであろう。 41 BVerwGE 81, 185(195-196). 我が国においても,指針にない事故シナリオについて, 司法審査の対象となりうるとの見解がある。交告尚史「大規模施設と司法審査 原発訴 訟を念頭に置いて 」公法研究53号(1991)195~204頁(198頁以下)。 42 Udo Di Fabio, Risikoentscheidungen im Rechtsstaat : zum Wandel der Dogmatik
im öffentlichen Recht, insbesondere am Beispiel der Arzneimittelüberwachung, Tübingen, 1994, 463. ファビオはこれを批判している。
加えて,裁判所は行政によるA∧B∧C∧D→Y…を追試しながら,同時に 法解釈として,リスクが不明のままにされた場合には調査欠落が認定され,許 可は禁止されるそのような項目4 4 4 4 4 4 4 を,あらかじめ事実認定前に定めておく必要が ある。このために,裁判所は行政による論理の展開を踏まえつつ,これに肯定・ 否定の評価を加えながらも これは後述のもんじゅ裁判における漏えいナトリ ウムの熱的影響と審査項目との関係に関わる ,自身固有の取消のための論理 式を定立していくことになる43。これは実体判断なしにはできない作業である ことは明らかである。問題はどのレベルの,どのようなタイプの判断に実体判 断が禁止されるか,という点に尽きる。 (ウ)原子法における安全審査論証とヘンぺル・オッペンハイムモデル 科学法則,工学的判断を含む論証に対して,裁判所はどのように追試しう るか,この点をまずは,再びコッホの科学的論証についての見解を参考にし ながら検討したい。まず,科学的論証は連邦インミッシオン防止法の例で示 したとおり,法解釈・具体化のために必要になるが,さらに,事実認定におい て証拠から事実を推論する時にも使用される。コッホはこの論証形式を基本的 にはいわゆるヘンぺル・オッペンハイムモデル=演繹的法則的モデルに求めて いる44。これは説明項(explanans)に1)法則と2)初期条件を置き,被説明項 (explanandum)である3)事実 それは過去でも将来でも構わない を導き 出す推論形式である。これを原子力の安全性論証においてみると,1)の法則 には,たとえば,応力解析の前提となる力学法則や材質の耐性に関する経験則, あるいは学説として通用している仮説 設計基準地震認定の前提となる地震に ついての一般的考え方等 などが入り,2)には予定荷重や歴史地震等を置く, そしてこの二つから論理操作により,3)被説明項である予測される事実を導 43 このように,ある意味で形成的な 行政作用の形成性とは異なる 司法作用は法理論 上否定され得ない。これについては,Koch / Rüßmann 前掲注(29)85-103. また,行政 裁量を討議論証理論(Argumentationstheorie)の点から分析したアレクシーの裁量瑕 疵論も結局はここに行きつく。Robert Alexy, Ermessensfehler, JZ 1986, 701-716. 44 Koch / Rüßmann 前掲注(29)271-345. ただし,厳密には,確率論がらみの議論があ るので,それほど単純ではない。
きだし,それに対する耐性が示される申請内容=設計内容を正当化する推論形 式になる。例えば,上記E(配管の厚さ)の妥当性は,1)力学法則,材質の 耐性に関する経験則,2)予定している特定温度と特定水圧から,3)予測さ れる当該施設の当該部位にかかる応力を前提に,論証される45。 さて,ここが裁判の争点になった場合,裁判所が実体判断を行うというこ とは,証拠調べによって,2つの説明項の妥当性について自己の見解(eigene Überzeugung)をもつことを意味する。これが通常許されないとされるのは, 力学法則,化学法則は通常一般には争われないものであっても,材質の耐性を 実験データから一般化する作業,あるいは特定部位での負荷の予測などはその 実験方法が確定されていなかったり,予算的,時間的に実験の方法やその回数 に限界があることなどから,純粋な科学問題といえない一部政策的な要素が含 まれていること46,また,地震や地質などに関する学問はその性質から事柄に よっては実験がそもそもできなかったり,様々な仮説が併存する場合があり, 裁判所が科学問題について決着をつけることは避けなければならない,という 理由があるからである。こうしたことから,ここに行政の優先的判断権を認め ることはそれ相応の根拠がある47。しかし,そうすると,ヴィール判決以降展 開されてきたリスク調査の過誤欠落などは裁判所に認定できないのではないか, という疑問が生ずる。調査とは説明項である法則やデータの根拠に関わる事柄 だからである。この点どのように考えるべきなのか,これを再び第一及び第三 ミュルハイム・ケルリッヒ判決を見ながら検討することにする。 45 機器の余裕設計についての一般的論証スタイルを考える上で,近藤・前掲注(36)114 頁以下が参考になる。 46 いわゆるトランス・サイエンス問題である。Alvin M. Weinberg, Science and Trans-Science, Minerva 10(209-222)(1972),特に209-211を参照。なお,ワインバーグの 紹介としては,小林傳司『トランス・サイエンスの時代:科学技術と社会をつなぐ』 (NTT出版,2007)120頁以下参照。 47 Fabio 前掲注(42)275,286.また,わが国においても,実験・証明の判断余地ともい える点を指摘する交告尚史教授の見解がある。「伊方・福島第二原発訴訟最高裁判決を めぐって<座談会>(特集 伊方・福島第二原発訴訟最高裁判決)」ジュリスト1017号 (1993),9~35頁(15,23~24頁)。
(エ)第一及び第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決の論証分析 すでにみたように,第一及び第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決で問題に なっていたのは立地の地震リスクである。上で挙げた考察から,地震リスク (Z)は大枠判断の項目であるので,これが実践理性によって排除されなければ, 災害の蓋然性(Y)もまた排除されない,との実体判断(Z→Y)が前提となる48。 したがって,行政が行う地震リスクの否定(¬ Z)論証の追試が裁判所の課題 となる。地震リスクの否定論証は予測される揺れ(W)と地盤のズレ(V)を前提 に,施設の位置と耐震構造(b)によって行われる ただし,これが一回の許可 で行われるか否かはここでは問題にしない。これをヘンぺル・オッペンハイム モデルを使って単純化すれば,bの正当性は,説明項に1)地震動応力の計算 式及び地質と地盤のズレに関する一般的法則・推測,及び2)当該敷地での地 震強度及び地質状況から,被説明項である3)予測されるW及びVを導き出す ことで行われる。 さて,第一ミュルハイム・ケルリッヒ判決は,リスクが現実に存在するか否 かについては実体判断はしない,と述べた上で,申請対象であるオリジナルプ ランは地質調査がなされていないまま許可が出されている点に,調査欠落を 見出している。これを上のヘンぺル・オッペンハイムモデルで考えると,被 説明項Vを正当化するための法則,及び初期条件の一部欠落ということにな る。すなわち,被説明項である施設の位置と耐震構造(b)を正当化するため に,ヘンぺル・オッペンハイムモデル上必要となる論証「形式」の非充足=欠 落が調査欠落とされたのである。ここには法則の否定や事実認定の否定といっ た裁判所による実体判断はない。判決が「不明のままにしている」(ungeklärt bleiben)という時49,これは論証形式上必要となる項目の欠如を意味している といえよう。 これに対して,第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決では少し事情が異なる。 ここでは行政は地震の調査と地質の調査は行っている。しかし,調査結果であ 48 しかし,実際には連邦行政裁判所は調査欠落の認定と災害の蓋然性との論理関係を認 めていない。BVerwGE 106, 115(127-128). 49 BVerwGE 80, 207(216-217).
る地震強度レベル 8 の認定自体が不確定な幅からの選択であり,地震強度レベ ル 8 に対応する表面最大加速度値もまた幅をもっていた。こうした二重の不確 かさを行政はどのように処理したかを不明にしたまま,表面最大加速度の確定 を行った。これが調査欠落とされたのである。したがって,ヘンぺル・オッペ ンハイムモデルにおける法則の項,及び初期条件の2項は充足されている。そ の限りでこのレベルでの論証形式の欠落はない。むしろ,初期条件である地震 強度の認定問題を争っているので,裁判所は禁止される実体判断代置をしてい るようにも見える。 ヘンぺル・オッペンハイムモデルによって,被説明項を正当化できるのは, 法則により初期条件が特定の帰結を導き出す場合である。しかし,地震強度と 表面最大加速度値は確定的な数値を導き出さない。加えて,行政は地震強度の 確定は不確実な幅からの選択であることを知っていながら,これを示さず,た だ確定された表面最大加速度値に政策的な余裕設計分を加味して正当化を図っ た。これはたしかに,概ねもっともらしい4 4 4 4 4 4 4 4 4 説明かもしれないが,事実の確定を しっかり行わないで,途中から政策的な判断で逃げたとの印象を裁判所に与え ても仕方がなかったのではなかろうか50。 この第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決は論証過程という点からみると,二 つの点を示唆しているようにみえる。一つ目は法則による論証が確定的に被説 明項を導き出さない場合には,行政は誠実にこれを認め,選択・確定のための 追加論証を行うことを要するとした点,二つ目は裁判所は,行政の論証をリス ク調査部分とリスク評価部分に一応をわけ,前者,すなわち数値確定の前提と なる行政のデータ収集のあり方に関してはしっかりとした事実認定を行う,と した点である。これをまとめると,行政はヘンぺル・オッペンハイムモデルの 論証に加えて,1)尊重すべき資料や見解は全て収集したことを示し,2)見解 の相違がある場合には,そこから帰結する様々な数値の幅があることをまず明 示し,保守性要求から3)もしその中から保守的な数値を選択しない場合には, その理由づけ,例えば予算による制限や工学的な余裕の理由づけ等が必要にな 50 BVerwGE 106, 115(125-126).
る。この場合,裁判所による実体判断の禁止は3)の理由づけには及ぶかもし れないが,そもそも行政が誠実に,1),2),3)の論証スタイルを遵守してい るか否かは,形式の問題として十分審査事項となる。第三ミュルハイム・ケル リッヒ判決はこの形式の欠如に調査欠落を見出した,と捉えることができよう。 このように考えた場合,第一,第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決では,司 法審査のあり方に違いがある。ヘンぺル・オッペンハイムモデルの遵守までの 追試が第一で,その先の論証を求めたのが第三ミュルハイム・ケルリッヒ判決 である。しかしながら,どちらも共に広い意味での論証形式の欠落をみている という点で,実体判断代置をしているとはいえない。特に第三ミュルハイム・ ケルリッヒ判決が示唆した道は,行政のリスク調査を厳格化したものとして理 解でき,これによりリスク評価,すなわち価値判断に踏み込むことなしに,行政 による恣意的な決定をある一定程度チェックできる審査である,と評価できる。
5.もんじゅ判決における過誤欠落問題
原子力の安全性に関する司法審査基準として,わが国で引用されるのは伊方 原発最高裁判決である。そこで最高裁は司法審査の観点を行政判断の不合理性 に求めるが,この不合理性の認定は安全審査基準が不合理であった場合,ある いは基準の運用に不合理があった場合,すなわち運用の判断過程において看過 し難い過誤,欠落があった場合に認められる,とした。しかし,これを巡って は学説では解説が分かれ,司法実務でももんじゅ裁判を巡って混乱した判決が みられた。この点につき,上述してきた筆者の視点からみると,最高裁がいう 「不合理な点」という審査基準はドイツにおけるザスバッハ判決の「もっとも らしさ」基準と同様に漠然としすぎて基準とはなりえないこと,「過誤,欠落」 が論証スタイルとの関係で考えられていないことに問題がある,ようにみえる。 そこで,これを明らかにするために,以下ではもんじゅ差戻後控訴審判決,特 に「2次冷却材漏えい事故対策」を巡る争点を題材に検討することにしたい51。 51 判例時報1818号 3 頁。本稿が参考にした判例評釈として,高木・前掲注(1)『行政訴 訟論』359頁以下,首藤重幸「もんじゅ原発行政訴訟控訴審判決」法学教室271号(2003)この部分は,実際に起きたナトリウ漏えい事故の経験から,当事者及び裁判官 の論理がもっとも見えやすい形を有しているからである。 本件は内閣総理大臣が動力炉・核燃料開発事業団に与えた高速増殖炉もん じゅの設置許可に対して,周辺住民である原告らがその許可の無効を主張して 始まった一連の裁判の一つである 後に事業者は組織変更から核燃料サイクル 開発機構となり,許可主体は省庁改革から経済産業大臣となっている。まず, 原告適格をめぐる裁判で平成4年,最高裁が原告適格を確認した後に,差戻し 後の本案審議において,平成12年福井地裁は原告の請求を棄却した。その後の 控訴審で許可の無効が確認されたのが本稿の扱うもんじゅ差戻後控訴審判決で ある。この高裁判決はその後,最高裁で破棄され原告の請求は棄却されている。 なお,福井地裁での本案判決前の平成7年12月にもんじゅでのナトリウム漏え い事故が起きている。 さて,「2次冷却材漏えい事故対策」を巡る争点は,上で挙げた伊方原発最 高裁基準である安全性審査における看過しがたい過誤欠落の有無が問われた 部分であるが52,判決はこのナトリウム漏れ事故対策の安全性判断に入る前に, 二つの法律上の前提問題をクリアする必要に迫られている。一つは基本設計の 問題であり,もう一つは無効確認訴訟が取消訴訟よりも実質的に司法審査密度 を下げているという点である。まず,基本設計問題については原子炉設置許可 の段階での安全審査の対象はベーシックな基本設計事項に限られるという見解 から,如何にナトリウム漏れ事故対策が基本設計事項に属するのか,を論じる 必要があった。この点につき,判決は運転実績が乏しく,技術,知見ともに不 48頁以下,山下竜一「行政法理論における原発訴訟の意義 もんじゅ訴訟差戻控訴審判 決を素材ににして」ジュリスト1251号(2003)82頁以下,中川丈久「もんじゅ事件差戻 後控訴審判決 原子炉設置許可無効確認訴訟の本案審理」環境法判例百選〔別冊ジュリ スト171号〕(2004)202頁以下,交告尚史「「もんじゅ」行政訴訟差戻後控訴審判決」平 成15年度重要判例解説〔ジュリスト臨時増刊1269号〕(2004)41頁以下,藤原淳一郎「高 速増殖炉「もんじゅ」の設置許可に違法があるとはいえないとされた事例」判例評論 571号(2006)184頁以下,亘理格「原子炉安全審査の裁量統制論 福島第1原発事故か ら顧みて」論究ジュリスト 3 号(2012)26頁以下。 52 なお,判決ではこの他に立地の地震リスク,蒸気発生器細管破断,炉心崩壊問題が争 われている。
十分な原子炉の場合には,審査すべき「基本設計の安全性にかかわる事項」は 広範囲に渡る,と理由づけている。もう一つの点は行政行為が無効とされるの は,「重大かつ明白な瑕疵」がある場合に限定され,司法による詳細な審査に 歯止めをかけている点である。この点につき,判決は,まず,違法の明白性 は,特段な事情がある場合には,無効要件として必ずしも必要としないという 無効要件緩和の法理を述べた上で,当該事例ではこうした例外的事情があると している。すなわち,原子炉設置許可処分では人間の生命,身体,健康,そし て環境という重大な利益の侵害が問題になっており,これは処分無効の判断で 害されるであろう行政処分の法的安定性という価値よりも重要度が高い。した がって,原子炉設置許可処分の無効要件は,違法(瑕疵)の重大性をもって足り, 明白性の要件は不要である,と。 次に「瑕疵の重大性」について。判決によれば,瑕疵が重大であるのは,そ れが安全審査の根幹にかかわり,それによって放射性物質が環境に放散される ような事態の発生の具体的危険性を否定できない時,としている。こうした瑕 疵が問題になるポイントの一つが2次冷却材漏えい事故対策の安全審査である。 要点はこうである。2次主冷却系設備は炉心で発生する崩壊熱を1次冷却材か ら受け取る役割をもっている。したがって,2次冷却材漏えいなど事故により, 2次主冷却系設備が機能不全に陥れば,炉心の熱を吸収した1次冷却材は,そ の熱を放出することができず,沸騰して冷却能力を失い,原子炉が溶融,暴走 するなどの重大事故に発展する危険性がある。ここから,2次冷却材漏えい事 故対策は重大な瑕疵が問題となる項目となる。このことは,2次冷却材漏えい 事故が安全審査指針(「高速増殖炉の安全性の評価の考え方について」及び「発 電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針について」)で設計基準事故 に選定されていることからも裏づけられる。 それではこの安全審査のどこに看過しがたい過誤欠落があるとみたのだろう か。2次冷却材として使われるナトリウムの漏えい事故対策のうち,まず漏え い防止対策として配管の余裕設計,保守点検等がある。また漏えいしてしまっ た際の高温ナトリウムによる熱的影響等による事故拡大に対する防止策の一つ として床面に鋼製のライナを設置する対策がなされている。ところが,この床
ライナー設置を含め事業者が行った対策の基礎になる解析や知見には不十分な 点が多く,これを見過ごした安全審査は瑕疵がある。そしてこの瑕疵はその帰 結が2次主冷却系の全冷却能力の喪失,そして炉心溶融,ひいては放射性物質 の外部環境への放散の可能性を否定できない点で看過し難い過誤,欠落である。 以上が概要であるが,下では4で行った予測概念の具体化及び論証形式という 視点から,もう少し詳細に,そして学説も踏まえてこれを分析していきたい。 なお,その際,無効確認と取消の違いである瑕疵の重大性要件については,あ えて触れないようにする。その理由は,学説も指摘しているとおり53,この問 題は処分後の新知見に対応する行政の責務・権限を,そしてこれに対する訴訟 類型を完備する立法があれば,おのずから解決する法技術論に属する問題であ り,この議論に深入りすることはかえって判断過程の過誤欠落問題の本質を見 失わせるおそれがあるからである。 (ア)判決「総論」と大枠判断 まず,判決を予測概念の具体化という視点からみると,高裁はこれをほぼそ の「総論」部分で手がけている。「予測される害悪」として判決が挙げている のが,「人間の生命,身体,健康,そして環境が脅威にさらされる放射性物質 が周辺の環境に放出される事態」(Y)である。そしてこれが起こるシナリオと して,原子炉本体又はその容器の工学的設計に不備があるか,若しくは,何ら かの要因(外乱)によってそのような事態が生じる場合,と指針に沿って具体 化を始めている。このシナリオは特に「高速増殖炉の安全性の評価の考え方に ついて」で挙げられている各種の異常事象や事故のことであるが,当事者主義 のもとで争点として,地震リスク,2次冷却材漏えい事故,蒸気発生器伝熱管 破損事故,炉心崩壊事故が審議されることになる 事業者の技術的能力につい ては5号要件なので省く。問題となる2次冷却材漏えい事故(Z)についていえ ば,判決によれば,これがまず2次主冷却系設備の機能不全(A)を帰結した上 で,かつ1次冷却材冷却能力不全(B)そして終局的に放射性物質が周辺の環 53 高木・前掲注(1)『行政訴訟論』374~379頁。
境に放出される事態(Y)に結びつけられている。 さて,既に述べたように,予測概念の具体化は行政訴訟においては,まず第 一次的に行政による具体化が先行し,それを裁判所が追試,もしくは評価・ 代置という作業をたどる。したがって,裁判所はこの点をよほど意識しない と,二つが混在し,ややもすれば誤解54を生じさせるおそれがある。ここでも A,B,Yが事象の連鎖として単純に結びつけられていることから,行政判断 を代置しているような印象をあたえる。しかし,筆者はこの点については4で 述べた。すなわち,どのような審査を行うにせよ,そこに過誤欠落があったと きには設置許可が禁止されるそうした項目を,あらかじ事実認定前に定めてお かないと,審査自体が成り立たない。そしてこの項目は当然に先行して行われ る行政による法の具体化 ここではA(2次主冷却系設備の機能不全)∧B(1 次冷却材冷却能力喪失)∧…(判決の明言はないが,C(圧力容器損壊)∧D(格 納容器損壊))→ Y(放射能外部漏れ) に対する評価を伴う以上,実体判断で ある。が,この大枠判断のレベルでの実体判断を批判することはできない,と。 したがって,あえて,筆者流の判断過程の統制の側から判決を訂正すると,「安 全審査に瑕疵があり,その結果として,放射性物質が環境に放散されるような 事態の発生の具体的危険性を否定できない」ではなく,「行政が実践的にリス クを排除すべき安全審査の項目において,その審査の過程において瑕疵があり リスクの排除が不明な場合には,放射性物質が環境に放散されるリスクの排除 もまた同時に不明となり,これが実践的に排除されている,とはいえない」の 謂いが正解であるように思える。しかし,これは単なるレトリックの問題であ り,実体判断の批判は,判決「各論」においてなされるべきである。 54 高木・前掲注(1)『行政訴訟論』384~388頁,藤原・前掲注(51)190~192頁。こうし た二つの法適用における混同の危険は既に,伊方原発最高裁判決当時から一部で指摘 されてきた。前掲注(47)「伊方・福島第二原発訴訟最高裁判決をめぐって<座談会>」 29頁,交告発言内「レビュー」概念を参照。また,交告・前掲注(41)198頁も参照。な お,ドイツにおいては,たとえば,ゼンドラー判事のように,二つの法適用の違いを認 識する法学方法論の意識が高い裁判官もいることを付記しておきたい。Horst Sendler, Normkonkretisierende Verwaltungsvorschriften im Umweltrecht, UPR 1993, 321.