識字の経験的意味 [ PDF
4
0
0
全文
(2) 基本的にマンツーマンで学習者とボランティアがペアをつ. 者のペースにあわせようと思いはじめた。. くることになっている。毎週毎週おなじペアで学習をつづ ける。しかし学習者がお休みしたり、 (こちらのほうが多い. 3 フィールドのなかへ. のだが) 学生ボランティアは不意に休んだりする。 実際は、. 今わたしがいつも一緒に学習するのはじゅんこさんであ. 当日きている学習者とボランティアが適宜ペアをくんで学. る。 じゅんこさんは小柄ながらがっしりした感じの 80 歳に. 習するということになる。. なる在日Ⅰ世の女性である。 朝鮮半島でうまれ、 渡日した。. はじめのうちわたしをがっかりさせたのは、先週一緒に. 「青春学校」 が開校された 94 年から今までずっと参加して. 学習したことを次の週(今週)にはきれいに忘れてしまわ. いる。 公民館から歩いて 10 分ほどのアパートにひとりぐら. れることだった。単に文字をおぼえてもらうということに. しをしている。何度か体調を崩したが、今も元気に毎回(毎. しか意識がなかったわたしは、学習者の覚えの悪さにいら. 週)かよってくる。 「字なんかおぼえるひまないし。働いて. だっていた。文字とか漢字というものは割と簡単におぼえ. (いたから)字なんか関係ない。畑とか田んぼとか一生懸. られるものとわたしは思いこんでいた。しかし学習者にと. 命働けば食えたけんね。教える人もおらんし、これせない. ってはそうではない。学習の効率からいっても、毎週おな. かんていう人もおらんし。やれやれていうときに主人がな. じペアで学習することが効果的である。先週学習者がどの. くなったやろ。 (それでも)不便とかはなかった。そんとき. ような学習をし・どの程度理解しどの程度理解しなかった. はね、 字がわかっていいかわからんでいいかわからんもん。. のか・何を理解しなかったのか、それらのことをボランテ. 字はしらんやったけど家の親も主人の親もきびしかったけ. ィアが把握していれば学習もスムーズにすすむ。ボランテ. ん社会勉強はした」という。 「学校あるから見にいこう(っ. ィアとしては「先週までにやったことは当然理解されてい. て)いわれたっちゃ。大阪(に)姪がひとりおるんよ。う. るだろう、 だから今週はその次にすすもう」 と考えている。. ちたちとおなじようなばあさんばっかり勉強しようんや。. しかしそうはうまくはいかない、ということがわかってく. 人がみにきたら緊張するやろ。やけん うちらがみにきた. る。学習者が先週学習したことを覚えていないのだ。先週. らうろうろせんでじっと後ろに座っとけっち(そこの夜間. までかろうじて進んだところを土台にして今週は次に進み. 中学の先生に)いわれたっちゃ。で、黙って座っときなさ. たいわけだが、先週やったはずのことを忘れてしまわれて. い(それでいいんよ)っちいわれたっちゃ。で黒板がある. いるので、今週も先週とまたおなじことをくりかえす。 「先. やろ。先生がふたりおるっちゃ。そしたら、自分のなまえ. 週勉強したことも忘れてしまうっちゃんね」とすまなそう. ぐらい書けるんやないか。そのときビッときたっちゃ。 (勉. に・自分でもくやしそうに学習者はいう。人によって違う. 強している在日のハルモニたちが)なんぼでもおるやろ」 。. わけだが、わたしがペアを組んで学習した学習者のなかに. だからじゅんこさんも自分にもなんだかできそうな気がし. も「あーこれ先週も出たよね。やったけどわからん」とい. たという。自分とおなじような境遇の在日の女性たちが夜. うもいるし、 「こんなん、うちはじめてみたよ」ととぼけて. 間中学で勉強している。そこでの体験から「自分のなまえ. いるのかからかっているのかやったことすら本当に忘れて. ぐらいかけるんやないか。そのときビッときたっちゃ」と. しまっているのかわからない、という人まで様々である。. いう。見学からもどってきたじゅんこさんは病院で処方さ. これは学習者によって異なるのだけれども、まるで学齢期. れた薬のふくろにかかれた自分のなまえを・なまえだけを. の児童・生徒が学校空間でやっているのと同じようなこと. ノートに何冊もかいた。じゅんこさんは「青春学校」開校. を求める学習者もいれば、そういうことを特別もとめない. の学習者がわの中心となる。. 人もいる。人によって好みのやりかたが違い、また同じ人. はじめてじゅんこさんと一緒にペアを組んだとき、リー. によってもその時々の気分でいつもとは違うやりかたをも. ダーは「あのかたはどんな人(ボランティア)でも大丈夫. とめることもある。ずっと同じ学習者 ―ボランティアのペ. だから」というような意味のことをいった。それまでは別. アで学習してきてほとんどいつも学習のスタイルが変わら. の学習者と一緒に勉強していたわたしがそれとなく教室内. ないペアもあれば、そうでないペアもある。わたしは考え. を見渡していたときでも、じゅんこさんとペアを組むボラ. なおした。わたしが、学習者にもとめてきたのは、塾のバ. ンティアは一定していないようだった。じゅんこさんのペ. イトで中学生たちにもとめたような能力ではなかったか。. アの相手といえば、その日たまたま見学にきた見学者(そ. 今週やったことは今週のうちに覚えてしまい、それを土台. れは学校の教員だったり学生であったりする)であった。. にして次の週へすすみ、さらに次の週へすすむ………とい. だから当然じゅんこさんのペアというのは毎週毎週いれか. うようなやりかたは、この学習者たちには無理がある。気. わる人々であって、特定のパートナーと 1 年なら 1 年継続. 長にやるしかない、と感じはじめていた。わたしは、学習. して勉強していくというようなものではなかった。初めて.
(3) じゅんこさんとペアを組んで勉強するようになった際、わ. みとめない学習者にはボランティアもことさらそのような. たしは少なくとも 1 年間は継続して一緒に勉強したいとは. 働きかけ(成果をもとめてないのに成果をもとめようとす. 思ったものの、リーダーのいわれた「この人(じゅんこさ. ること)をしない。できないことができるようになること. ん)はどんなボランティアとでもうまくいく」ということ. は多分よいことなのだろうと思う。だから、 「ほとんど字が. ばには何の疑問も感じていなかった。それをさっぱりと否. 書けない」よりも、いくらか字が書けるほうがなおよいこ. 定したのはじゅんこさんだった。そのことばが聞かれたの. となのだろう。もっとよいことは、もっともっとたくさん. はまる 1 年一緒に勉強してきて、2 年目にはいってからだ. の字を書けるようになること・ほとんど誰の助けも借りず. ったと思う。 その日も例によって見学者がやってきていた。. に文字のよみかきができるようになることである。 しかし、. それらの見学者を眺めながらじゅんこさんとわたしは学習. 大変熱心であると同時に(それにもかかわらず)文字のよ. していた。見学者の何人かは、その日担当のボランティア. みかき能力はなかなか身につかない。現実に一生懸命努力. が欠席している学習者の横に座り、その日限りのペアを組. しても文字のよみかき能力は身につかない人もいる。それ. んで一緒に学習している。そして、そのような学習者と見. でも「青春学校」にいつもかよってくるのはなぜなのか。. 学者のペアを少し上目使いで見ながらじゅんこさんはいっ. じゅんこさんはいう。 「たのしい。みんなでおーたり(会っ. た。 「いっつも人が交代してうちもあーあーち聞きよるけど、. たり)顔あってはなしたり。ムリにおぼえるとはおもわん. ついてくれる人が適当やったらうちも適当にうんうんちい. し、今からおぼえてどこ(に)つかうか。みんなにおーて. いよるだけ。あげんして人がついたときは、うちもあーあ. あそびに行く。 勉強する勉強するとおもわん。 (青春学校に). ーち聞きよるだけ」 。 「あげんして」というのは、あのよう. でたらいい。ムリにわかるともおもわん」 「かえってきたら. に毎週毎週ペアをくむ人間が交代すると、という意味であ. だれもおらんやろ。 (青春学校にいっても)しゃべってあそ. る。わたしはそのことばが放たれた時、すぐにその意味を. ぶだけ。自分ひとりではできん。 (家では)だーれもきくこ. 了解した。瞬時に「これは本音だな」と思った。そんなこ. とできんけん」 。わたしはじゅんこさんにたのしんでほし. とばが学習者であるハルモニから出てくるとは思ってもい. い・わらってほしいと願うばかりである。そこでいつもこ. なかったからである。それまでは、学習者はボランティア. ういうことにしている「じゅんこさんぐらい大物になった. に対して漠然とした感謝のきもちのようなものを持ってい. ら、 『勉強勉強』とかいわんでいいと。そげな小さなことは. るのだろう、と考えていたのだが、そうではない、ハルモ. 小物のすることばい。なかなかおぼえられんとは頭の中の. ニたちはよくボランティアを見ているのだ、と悟った。じ. 風通しがいいとばい。風通しがよすぎて習ったことが風に. ゅんこさんは、見学者がやたら多かったりカメラのフラッ. とばされようっちゃ」 。じゅんこさんは「そうっちゃ。風通. シュがたかれたりすることにかなり敏感である。フラッシ. しがいいけんおぼえられんのやな」 といって笑ってくれる。. ュが光ると、上目づかいにそちらに一瞥する。横にいるわ. 「うちも遊びまわって忙しいやろ。やけ家におっても勉強. たしはその様子に気づき、いつもすこし怖い感じがする。. せんちゃ。遊びまわってとびまわって忙しいけん勉強でき. あまりに見学者がおおいときには、じゅんこさんはわたし. んちゃ」という。わたしはいう「そうやね、じゅんこさん. にむかって(あるいはリーダーにむかって)こういう。 「な. の仕事はそれやけんね。おとなは仕事せないかんもんね。. んであんな(あんなものが)くるか」 「なして(普段とくら. じゅんこさんの場合あそびが仕事やもんね」 。 「そうっちゃ。. べて)倍もおるか!」 「なんで、できんのに見せないかんか. 仕事がいそがしいっちゃ」 。 「青春学校」とは「奪われた文. ちゃ。いろいろ(いろんな人を)ひっぱってきて。おかし. 字を取り返す」その具体的な場とされているのだから、学. いやろ。みせものじゃないっちゃ」 。. 習者はそのような「奪われた文字を取り返す」行為者とし. わたしはつとめてパートナーである学習者(じゅんこさ. て識字者(スタッフ・見学者・マスコミ)から規定される。. ん)にことさら何かを求めようとはしてこなかった。上達. それは、青春学校を訪れ、そしてその場かぎり・一回かぎ. というような成果をのぞむボランティアがいることは知っ. りの見学で帰ってしまう見学者の目にはまさに「奪われた. ており、またそうのぞむ学習者がいることも知っている。. 文字を取り返す」行為者として映るであろう。しかし、学. 目にみえて上達するということはおそらくは楽しいことで. 習者自身の自己規定はそうではない。あてがわれた役割を. あり快であり、なによりできなかったことができるように. はっきりと認識しながらも、別の意味づけをおこなってい. なるという経験はそれだけで得がたい経験なのであろう。. る。そこでおこなわれる行為は、国語の教科書を読んだり・. わたしの考えはこうだ。上達というような成果をのぞむ学. それをノートに書写したりといった、表面上たしかに文字. 習者に対しては、のぞむ成果がでるようにボランティアが. のよみかきをなす行為である。しかしそこに学習者自身に. かかわっていけばよい。成果をだすことにことさら意義を. よって付与された意味は、よみかきというより、単なる遊.
(4) びである。. いんだ」 という感覚が自分に蘇ってくることを願いつつも、 独力では実現できない人達への、仲間からの呼びかけであ. 4 考察. り手助けである。. 実際に、文字のよみかきができないこと・その能力をも. 最後にふたりの学習者の声をあげる。 「わりとここにきた. たないことでどのような不都合が生じるのだろう。いわれ. らリラックスできるんですよね。おなじ境遇のひとがいる. ることは、病院や役所のうけつけで恥をかく・行先表示が. っていう。おなじ境遇なんだなあと思ったら。そして、あ. 読めない・買物をするときに値段がわからない・試験をう. せらず長い目でやっていけばいいんだなあ。今から社会に. けられない・自分で新聞を読めない・自分で本を読めない。. 出ていかないけんっていうのもないし。わりと安らげるん. だから、ひとりで外出できない・ひとりで買物ができない・. ですよね。 」 「そうね。みんな人がいっぱい集まるからね。. ひとりで電車に乗れない。しかし、ひとりで文字の読み書. みんな集まるでしょ。話しするでしょ。それが楽しいね。. きをする、ということとはおなじことなのだろうか?文字. 家におってもテレビしか話してくれんやろ。………テレビ. のよみかきができるようになったので、ひとりで外出でき. じーっとにらみつけてもしょうがない。家にじーっとおっ. たり買物できたり電車に乗れたりするようになった、とい. てもしょうがない。人間とか不思議なもんよ。そうじゃな. われるけれど、そうではなくて、文字のよみかきができな. あい。ひとりすむんじゃない」 。. くたってひとりで外出できたり買物できたり電車に乗れた りすることが可能になる道もあるのではないか。もし、文 字のよみかきができないゆえにさまざまな不都合を被ると しても、その問題の解決にはいくつかの方途がある。不都 合という領域をこえて、文字のよみかきができないゆえに 自己信頼がない(欠如)状態にあるのだとしても、自己信 頼感の欠如は、文字のよみかき能力を、文字のよみかき能 力をもたない当人が当人自身の努力(あるいはときに援助 をうけて)によってのみ解決(回復)すればよいのか。そ もそも教室にはさまざまな人々がさまざまな目的やたのし みをもって参加している。 われわれがかかわる学習者にも、 試験をうけて定時制高校へ入学した人もいれば、ひらがな の読み書きに苦労している人もいれば、日常の生活のこと ばとして朝鮮語を使用するハルモニなどさまざまである。 人間解放のためとか自分を取りもどすためだとか明言しな がら活動しているのでもない。ただ単に「家におってもし かたない」からでもあり、友だちとあうのが楽しみだから でもある。しかし「識字とは単なる文字の読み書きではあ りません」 。 あるいはそのような多様な人々が集い多様な活 動がなされるからこそ、識字活動は「単なる読み書き」に とどまらない・ひいては人間解放の営みとなるのだという 語彙が使用される。実際に青春学校でおこなわれるのは、 条件をつけない互いの承認であり、経験や感情のわかちあ いである。文字のよみかき能力がないことによって不当な あつかいをうける。人々の不当な視線をうける。そのこと によって自己信頼をうしなう。ある人はそこから文字のよ みかき能力を習得することで自己信頼をとりもどす。しか し、文字のよみかき能力を習得することに失敗する人々も いる。 そのような人々は自己信頼をえることができないか。 そうではない。識字教室のような場に集うこと・語りあう ことによって自己信頼をとりもどしていく。 「私はこれでい.
(5)
関連したドキュメント
を高値で売り抜けたいというAの思惑に合致するものであり、B社にとって
と言っても、事例ごとに意味がかなり異なるのは、子どもの性格が異なることと同じである。その
であり、 今日 までの日 本の 民族精神 の形 成におい て大
1 単元について 【単元観】 本単元では,積極的に「好きなもの」につ
口文字」は患者さんと介護者以外に道具など不要。家で も外 出先でもどんなときでも会話をするようにコミュニケー ションを
としても極少数である︒そしてこのような区分は困難で相対的かつ不明確な区分となりがちである︒したがってその
きも活発になってきております。そういう意味では、このカーボン・プライシングとい
下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ