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『組織神学を学ぶ人びとのために −− 組織神学の主要著作』(V)…レベッカ・A・クライン,クリスティアン・ポルケ,マルティン・ベンテ編

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一 [

﹃組織神学を学ぶ人びとのために

     

││

組織神学の主要著作﹄

V︶

レベッカ・

A・クライン、クリスティアン・ポルケ、マルティン・ヴェンテ編

︵佐々木

勝彦訳︶

使

  宗 教 改 革 者 た ち は 信 仰 の 指 導 と 前 進 に 特 に 神 学 的 関 心 を 示 し た。 彼 ら は、 ル タ ー の 二 つ の 教 理 問 答 書︵ 一 五 二 九 ︶、 ジ ュ ネ ー ヴ教会信仰問答 ︵一五四二︶ 、ハイデルベルク信仰問答 ︵一五六三︶ を生みだした。これにより教理問答書は、神学的文書において正 典を取り扱う際の独自な著作形式とみなされた。しかしながら教 理問答書を生みだしたということだけで、なぜ宗教改革の神学は 全体として教理問答の性格をもったのかという理由を説明するこ とはできない。その性格の本質は、宗教改革の神学が神学的事態 に関する教理を常に学習者の能力から構成したことにあった。こ のように宗教改革の神学は、受洗したキリスト者の教育と訓練を 彼 らの神学的思惟の方法とした。そのための神学的根拠は、宗教 改革の神学が神学全体を、個々人の救いにとって知るべき必要不 可欠な事柄に基づいて方向づけようとしたことにあった。救いに 必要不可欠な事柄に関する知識は、聖書を読むことにより自主的 に自らのものとされなければならないのである。   神学を信徒による聖書の理解に基づいて方向づけるこのやり方 を決定づけたのは、宗教改革者の新しい聖書理解であった。この 理解は、聖書の正しい解釈は、教理に関する教会の権威ある機関 ︵ 教 皇、 教 父、 公 会 議 ︶ で は な く、 聖 書 そ れ 自 体 の 明 晰 性 と 明 瞭 性を通して可能になるということから出発していた。 M・ルター

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二 は 聖 書 の 自 己 解 釈 に 関 す る 彼 の 教 理︵ scriptura sui ipsius inter-pr es ︶ に お い て、 J・ カ ル ヴ ァ ン は 聖 書 に 関 す る 聖 霊 の 内 的 証 言 ︵ testimonium inter num ︶ に 関 す る 彼 の 言 及 に お い て、 こ の 理 解 を 展開した。宗教改革者の聖書解釈は、方法的論の点で釈義的熟慮 と 教 義 的 熟 慮 を 相 互 に 結 び つ け る 解 釈 学 的 循 環 論 法 に 従 っ て い た。つまり、個々の聖書箇所の詳細な解釈は、常に読者の生活へ の適用と結びつけられ、次に後者は再び聖書の解釈を啓発するも のとみなされた。本文の解釈と適用の間の運動は、次のように遂 行された。つまり、 本文と生活の間の諸々の類比が指摘されるか、 あるいは約束と成就の弁証法が聖書の適用の規範とされた。それ ゆえ宗教改革者たちの聖書本文に対する釈義的関心は、決して古 めかしいものではなく、常に、実践的で応用神学的な思考形式へ と移行して行った。

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三 ﹃組織神学を学ぶ人びとのために ││ 組織神学の主要著作﹄ ︵ V︶

マルティン・ルター

  

﹃大教理問答﹄

マルティン・ヴェンテ

  

  マルティン・ルターは、一四八三年一一月一〇日、アイスレー ベンに生まれた。彼は宗教改革を始めた人物であり、一生涯、そ の最も重要な主唱者であった。彼が時代の出来事にどれほど強い 影響を与えたかは、 彼が死んだとき、 彼の神学に基づいて中央ヨー ロッパの政治体制が変革されたことに示されている。一五〇一年 に学業を終えると、一五〇五年までエアフルトで︿七つの自由学 科﹀ ︵ ar tes literales ︶ を学び、 唯名論に強く影響された。それに続 い て、 父 の 願 い に よ り 法 学 を 学 ぶ 予 定 で あ っ た。 と こ ろ が 一五〇五年七月二日、彼はシュトッテルンハイムの近郊で落雷に 遭い、 修道士になることを誓った。 彼はエルフルトのアウグスティ ヌス隠修修道会に入り、一五〇七年、司祭に叙階され、同じ年に 神学研究を始めた。一五一一年、ヴィッテンベルクの修道院に移 り、一五一二 年、神学博士の学位を授与され、ヴィッテンベルク の 聖書教授となった。さらに一五一二年以降、彼は修道院の副院 長になり、一五一五年からは修道会の十の修道院の管区長代理と なった。また一五一四年以来、彼はヴィッテンベルク教区教会の 説 教 職 の 務 め を 果 た し た。 一 五 一 六 年 以 来、 ︽ ド イ ツ 神 学 ︾ と い う表題で、ドイツ神秘主義の精神で書かれた論文をいくつも出版 した。ここに現れるのは、聖職者の生活とそこにおいて実践され た︿経験﹀の神学に対するルターの高い評価である。教授として ま ず 彼 は 詩 篇 の 講 義 を 行 い︵ 1513 -1515 ; W A 3, 11 -652 ; 4, 1 -462 ︶、 次 に ロ ー マ 書︵ 1515 /16 ; W A 56 , 157 -528 ︶、 ガ ラ テ ヤ 書 ︵ 1516 /17 ; W A 57 /III , 5 -108 ︶、 へ ブ ル 書︵ 1517 /18 ; W A 57 /III , 97 -238 ︶ の 講 義 を 行 っ た。 そ の さ い 彼 は 次 の こ と を 認 識 し た。 つ ま り神の義が 人間に与えられ、人間は信仰における神の言葉を通し て の み 救 い に 到 達 す る の で あ る ︵︽ 宗 教 改 革 の 突 破 ︾ に 関 す る 論

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四 争 に つ い て 包 括 的 に 扱 っ て い る も の と し て は、 L ohse 1968 と L ohse 1988 を参照︶ 。   これは、ローマとの対決の第一段階になった。一五一七年一〇 月三一日、ルターは、横行していた贖宥券の販売に対抗し︽贖宥 の 効 力 を 明 ら か に す る た め の 討 論 ︾︵ 九 五 箇 条 の 提 題 ︶︵ W A 1, 233 -238 ︶ を 送 付 し た。 ロ ー マ で は 彼 を 告 訴 す る 手 続 き が と ら れ、 一五一八年、アウクスブルクにおいて教皇特使枢機卿カエタヌス による審問が行われた。一五二〇年、ルターは︿宗教改革主要文 書﹀において彼の神学を表明した。すなわち﹃ドイツのキリスト 者 貴 族 に 宛 て て ﹄︵ W A 6, 404 -469 ︶ に お い て 彼 は、 聖 職 者 階 級 が 世 俗 階 級 の 上 位 に 位 置 づ け ら れ て い る こ と に 異 議 を 唱 え た。 ﹃ 教 会 の バ ビ ロ ン 捕 囚 に つ い て ﹄︵ W A 6, 497 -573 ︶ に お い て 彼 は、 七 つのサクラメントを二つに減らした。 ﹃善きわざについて﹄ ︵ W A 6, 196 -276 ︶ に お い て 彼 は、 十 戒 を 解 釈 し、 善 き 業 は た し か な 信 仰 の救いの前提ではなく、その結果であることを指摘した。そして ﹃キリスト者の自由﹄ ︵ W A 7, 20 -36 ︶ において彼は、人間は信仰に おいてすべての人間と事物の主人であると同時に、愛において彼 らの家臣であることを簡潔に説明した。一五二〇年、ルターの教 説はローマ側から有罪と判定された。一五二一年、選帝侯フリー ド リ ヒ︵ 賢 公 ︶ の 強 い 要 求 に よ り、 ル タ ー の 事 件 は ヴ ォ ル ム ス で の帝国議会で審議されることになった。彼は撤回を拒否し、破門 され、その後、帝国追放となった。彼はフリードリヒ賢公によっ てヴァルトブルク城に保護され、そこで特に新約聖書をギリシア 語からドイツ語に翻訳した。   宗教改革を秩序ある軌道に乗せるため、一五二三年、ルターは ヴィッテンベルクに戻った。彼はそこで死ぬまで講義を続け、聖 書の翻訳を完成し、説教し、数多くの手紙で宗教改革の発展を導 き、 一 五 三 三 年 か ら は 重 要 な 論 争 を 行 っ た ︵ W A 39I /II ︶。 一五二五年、宗教改革内部の相違がやがて分裂の要因となり始め た。つまりルターは Th・ミュンツァーに反対した。ミュンツァー は農民戦争において神の国を直接地上に導入しようとしたからで ある。ルターは指導的な人文主義者ロッテルダムのエラスムスに 反対した。エラスムスは、人間は神に対して自由意志を持つと主 張 し た か ら で あ る︵ ﹃ 奴 隷 意 志 に つ い て ﹄[ W A 18 , 600 -787 ]︶ 。 さ ら に 一 五 二 五 年、 ル タ ー は 脱 走 し た 修 道 女 カ タ リ ー ナ・ フ ォ ン・ ボ ラ と 結 婚 し、 彼 ら の 間 に 六 人 の 子 供 が 生 ま れ た。 一 五 二六 -一五三〇年、ルターは、キリストの臨在の問題をめぐりツヴィン グ リ 及 び 他 の 高 ド イ ツ 地 方 の 宗 教 改 革 者 た ち と 論 争 し た︵ ﹃ キ リ ストの聖餐について。 信仰告白﹄ [ W A 26 , 261 -509 ]︾ ︶。 一五二九年、 ルターは小教理問答と大教理問答を出版した。 注目すべきことに、 二つの本文はルターの関係者たちにとって論争の種とならず、彼 ら はこれらを︽ある仕方で、ルターが書くことのなかった教義学

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五 ﹃組織神学を学ぶ人びとのために ││ 組織神学の主要著作﹄ ︵ V︶ の 代 用 と み な す ︾︵ L ohse 1977 , 154 ︶ こ と が で き た。 一 五 三 〇 年 代以来、ルターはたびたび病気になった。彼は、彼の黙示録的な 時代理解にも鼓舞されて、ユダヤ人と教皇制に対し非常に厳しい 文書を書いた。一五四六年二月一八日、アイスレーベンで亡くな り、ヴィッテンベルクに埋葬された︵ルターの生涯と著作につい て は、 Schwarz 2002 あ る い は L ohse 1997 を 参 照。 前 者 は 簡 潔 で あり、後者は包括的である︶ 。

  

二 ・ 一   作品の位置づけ   ︿カテキズム︵教理問答︶ ﹀という概念は伝統的に三つの意味で 理 解 さ れ て き た。 つ ま り︵ 洗 礼 の た め の ︶ 教 育 の 出 来 事、 そ の 際 に取り扱う素材、最後に書物それ自体、の三つである。キリスト 教共同体はその初めから、大人の受洗者のための準備教育を行っ た。四世紀に幼児洗礼が行われるようになった後、子どもに代っ て代父母が、後に子どもたちに教育内容を伝えるという委託 を受 け て、教育を受けた。この教育内容つまり素材はそれ以後、洗礼 信条、主の祈り、愛の二つの戒めから成り立っていた。一二一五 年のラテラノ公会議を通して告解の実践が一般に義務づけられて 以来、十戒が頻繁に教理問答の素材として付け加えられるように なった。一五世紀以来それは、主として使徒信条、主の祈り、十 戒、それにアヴェ・マリアに限定された。一五二八年、一冊の本 が初めて明確に教理問答と呼ばれた。 ルターの教理問答によって、 その概念が一般に用いられるようになった︵カテキズムの歴史に ついては、 Fraas 1988 と P eters 1990 , 15 -17 を参照︶ 。   ル タ ー の 教 理 問 答 は キ リ ス ト 教 の 長 い 伝 統 を 受 け 継 い で い る。 そのさい彼はこの語の三つの意味すべてを知っている。まさに第 一の意味、つまり基礎的教授としての教理問答は、ルターにとっ て決定的なものである。彼は、この語を公的に初めて用いた﹃ド イ ツ ミ サ の 礼 拝 と 順 序 ﹄ の 中 で こ う 書 い て い る 。︽ 教 理 問 答 と は 教授という意味であり、異教徒がキリスト教徒になることを目指 して、キリスト教徒がキリスト教の中で信じ、行い、そして知る べ き こ と を 教 え、 示 す こ と で あ る ︾︵ W A 19 , 76 , 2 ︶。 ル タ ー は そ の た め に、 伝 統 的 に 使 用 さ れ て き た 素 材 を 用 い た │ │ も ち ろ ん アヴェ・マリアは除いて。三つの主要本文、すなわち十戒、使徒 信条、主の祈りと、遅くとも一五二五年からは、洗礼式と聖餐式 のテキストも用いた。以下において検討するように、ルターは伝 統的素材を、彼の教理問答が福音主義神学の至宝となるような仕 方で入念に検討した。彼は﹃奴隷意志について﹄と並んで彼の教 理問答を最も成功した文書とみなした︵ W AB 8, 99 , 7 f ︶。 すでに一五一六年以来、ルターは十戒に関する一連の説教を行

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六 い、 一 五 一 七 年 に 初 め て 主 の 祈 り の 講 解 を 行 っ た。 一 五 二 〇 年、 三つの主要部分をまとめた文書が刊行された。つまり︽十戒の簡 潔 な 形 式、 信 仰 の 簡 潔 な 形 式、 主 の 祈 り の 簡 潔 な 形 式 ︾︵ W A 7, 204 -229 ︶。 一 五 二 三 年 の 四 旬 節 と 一 五 二 八 年、 ル タ ー は 教 理 問 答 に関する一連の説教を行った。視察のためクールザクセンの教会 を訪れた際に、一般のキリスト者が彼らの信仰についてほとんど 何も知らず、牧師たちは決して良い教師ではないことが明らかに なったとき、 ルターは、 彼の教理問答に関する説教を取り入れて、 まず﹃大教理問答﹄ ︵ Gr oß er Katechismus. 以下、 G Kと略記︶ を、 そして次に﹃小教理問答﹄ ︵ Kleiner Katechismus. 以下、 K Kと略 記 ︶ を 書 い た。 K Kは、 G Kの 抜 粋 で は な く、 ︽ 綱 領 的 基 本 文 書 ︾ ︵ W enz 1996 , 248 ︶ と理解されている。前者は後者と同様に、祈り と家庭の部分が拡大されている。一五二九年一月初めにまず K K が 、 学 校 と 教 会 に 備 え ら れ る べ き と 文 書 し て 印 刷 さ れ、 次 に 一五二九年四月に G Kが書物の形で印刷された。 K Kは、信徒及 び家長の敬虔を深めるために、そして G Kは牧師の説教準備と教 え の 準 備 の た め に 構 想 さ れ た。 G Kは 主 と し て 牧 師 の た め に、 K Kは 主 と し て 信 徒 の た め に 構 想 さ れ た︵ 二 つ の 教 理 問 答 の 序 B SLK 501 , 4 -507 , 21 ; 545 , 2 -553 , 24 ; ルターの教理問答の誕生に ついては、 W enz 1996 , 243 -249 を参照︶ 。 二 ・ 二   G Kの形式的次元 二 ・ 二 ・ 一   G Kの構成   十戒、信条、主の祈りという三つの主要部分の構成については 議論の余地があり、かなり長い間論争されてきた。 ︿教理問答的﹀ 解釈は、主要部分の一つひとつが全体を一定の観点から範例的に 観察していることを強調する。その順序は厳密に体系的なものと して理解できないとしても、異なる主要部分は相互に光を投ずる で あろう。これに対し︿教義学的﹀解釈は主要部分の順序を必然 的 な も の と み な す。 と い う の は、 そ の 順 序 は、 律 法︵ 十 戒 ︶ か ら キ リ ス ト に お け る 救 い︵ 使 徒 信 条 ︶ を 越 え て 聖 霊 に お け る 愛 の 交 わ り︵ 主 の 祈 り、 洗 礼、 聖 餐 ︶ へ と 至 る 三 位 一 体的 - 済 史 的 道 筋を記述しているからである。われわれは教義学的解釈に従うこ とにする。なぜならルターは、三つの主要部分を共に取り上げる ときはいつも、この順序を守ったからである。さらにルターはす でに︽短い形式︾の中でこの順序のより詳細な体系的意味を説明 した。後述するように、 G Kにおいて彼は、主要部分を結びつけ る言わば [映画の] 中間字幕の中でこの意味を説明した。十戒は、 神 が 人 間 に な す よ う に 命 じ た こ と を 説 明 し て い る。 特 に 人 間 は、 神を信ずるべきである。もちろん︽いかなる人間も、十戒の一つ で さ え、 そ れ が 教 え て い る よ う に 成 し 遂 げ る こ と は で き ず ︾ ︵ B SLK 640 , 39 -41 ︶、 ま さ に 十 戒 の 課 題 は、 人 間 を 自 ら の 無 能 の

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七 ﹃組織神学を学ぶ人びとのために ││ 組織神学の主要著作﹄ ︵ V︶ 洞察へと導くことにある。使徒信条は、戒めを成就するための力 が ど こ か ら 来 る の か を 示 し、 ︽ わ れ わ れ 全 員 に、 わ れ わ れ が 神 か ら 期 待 し、 ま た 受 け 取 ら ね ば な ら な い も の を 提 示 し、 要 す る に、 神を徹底的に認識するようにわれわれを導く。しかしそれはまさ に、われわれが十戒に従ってなすべきことをなしうることに仕え な け れ ば な ら な い ︾︵ B SLK 646 , 7 -12 ︶。 最 後 に 主 の 祈 り は、 い か にして人間が祈りにおいて、使徒信条の中で詳論された三位一体 的な神の自己 -贈与に祈りにおいて与るのかを示している。   たとえわれわれが ︿教義学的﹀ 解釈に基づいて考えるとしても、 ︿教理問答的﹀解釈から相対的な権利を剥奪することはできない。 なぜなら第一の主要部分から第二の主要部分を越えて第三の主要 部分へと前進することにより、第一の主要部分の内容が廃棄され ることは決してないからである。むしろ重要なのは、 G Kにおけ るルターの根本的問いの内容が、いかにして人間は、十戒の中で 説 明された神の善き意志を満たしうるのかということを述べてい ることである。使徒信条と主の祈りは、神がそれによりわれわれ を 助 け る 方 法、 つ ま り︽ 神 の す べ て の 戒 め に 対 す る 喜 び と 愛 ︾ ︵ B SLK 661 , 36 f ︶ を 手 に 入 れ、 信 仰 を も っ て そ れ ら を 満 た す 方 法 を記述している。宗教改革陣営の内部で論争が起こったとき、こ のような確認は重要な意味をもった。反律法主義の人びとが、キ リスト者にとって律法は廃棄されたものであるとの見解を主張し たとき、ルターは、キリスト者の生活の本質は十戒の正しい成就 にあることを強調したからである。したがって、ルターの解釈の 特徴は次の二つの観点にある。つまり一方で律法は自分の罪性の 認 識 へ と 通 じ て い る︵ usus elenchthicus ︶。 他 方 で │ │ 特 に G K に お い て │ │、 ル タ ー は 十 戒 の 解 釈 の 中 で キ リ ス ト 教 倫 理 の 根 本 的 特 徴 を 展 開 し て い る︵ usus ev angelii な い し usus adhor ta-tivus ; Her ms 1987 , 89 -91 ︶。 こ う し て 三 つ の 主 要 部 の 分 類 に お い てもう一つの次元が見えてくる。つまりそれが十戒から使徒信条 を越えて主の祈りに至るとき、主の祈りは、聖霊と祈りによって 強められたキリスト者が今や満たしうる十戒の中へと再び合流し て 行 く。 し か し キ リ ス ト 者 は 同 時 に 恒 常 的 に 罪 人 の ま ま で あ り ︵ simul iustus et peccator ︶、それゆえキリスト者は再び使徒信条と 主の祈りへと向かうように指示される。その結果、三つの主要部 分はこの点で循環構造を示している。したがってルターは教理問 答 を 日 々 読 む よ う に 勧 め て い る の で あ る︵ B SLK 547 , 29 -548 , 6 ; 557 , 5 -26 ; GK の構造を巡る論争については、 W enz 1996 , 253 -261 と Peters 1976 を参照︶ 。 二 ・ 二 ・ 二   G Kの人間学の観点   ル タ ー の 関 心 事 を 明 ら か に す る た め に 、 わ れ わ れ は 今 や G K の人間学を一瞥しておかなければならない。これは、第一戒の解

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八 釈の最初の部分をより詳細に検討することによって行われる。   ︽ あ な た に は、 わ た し を お い て ほ か に 神 が あ っ て は な ら な い。これは、わたしのみをあなたの神とせよという意味であ る。これにより何が言われ、そしてどのように理解されるべ き な の だ ろ う か。 ︿ 一 人 の 神 ﹀ を も つ と は 何 を 意 味 す る の だ ろうか。また、 ︿神﹀とは何であろうか。答えはこうである。 ︿ 神 ﹀ と は、 人 が そ こ か ら す べ て の 善 き も の を 期 待 し、 い か な る 困 窮 の 時 に も そ こ へ と 避 難 す べ き も の で あ る。 ︿ 一 人 の 神をもつ﹀とはしたがって、心からこのお方を信頼し、信ず る こ と で あ る。 わ た し が す で に し ば し ば 述 べ て き た よ う に、 心の信頼と信仰のみが、なにものかを神にも偶像にもするの である。もし信仰と信頼が正しければ、 あなたの神も正しい。 その反対も然りである。 信頼が偽物で正しくないところでは、 正しい神もそうではなくなる。なぜなら信仰と神の二つは共 属しているからである。したがってあ なたの心が依拠し、そ し て 信 頼 す る と き 、 そ の お 方 は 本 当 に あ な た の 神 な の で あ る。 ︾ こ の 引 用 文 に よ り、 人 間 は 関 係 存 在 で あ る こ と が 明 ら か に な る。 彼 の 関 心、 彼 の 人 格 の 中 心 │ │ ル タ ー は こ れ を こ こ で は︿ 心 ﹀ と 呼 び、 他 の と こ ろ で は︿ 良 心 ﹀ と も 呼 ぶ │ │ の 特 徴 は、 そ れ が自らのうちに安らぐことなく、最終的究極的決定機関との関係 のうちにあることである。この決定機関は真の神ないし偶像でも ありうる。ルターによると人間はだれでも神ないし偶像をもって いる。なぜなら各人はその心を、彼が信頼し、困ったときにはい つ も そ こ か ら 助 け を 期 待 す る 何 も の か に 結 び つ け る か ら で あ る。 人間は関係存在として信ずる存在である。たとえ多くの人間がそ の信頼の対象を神ないし偶像と呼ばないとしても、この神学的言 表は妥当性をもつ。第一戒の更なる解釈においてルターは、偶像 と い う 言 葉 で 世 俗 的 対 象 が 理 解 さ れ て い る こ と を 明 ら か に す る。 したがって問題になって いるのは、自分の自我と自分の業の偶像 化 、 あ る い は 金 銭、 賢 明 さ、 教 養、 そ し て 人 望 で あ る。 ︽ 金 と 財 産をもつ者は、自らを安全と考え、あたかも天国のただなかにい る か の ご と く、 喜 び、 そ し て 恐 れ る こ と が な い ︾︵ B SLK 561 , 17 -19 ︶。   人間はしかし構造的に宗教的であるだけでなく、そこにはいか なる中立的領域もありえない戦闘状態の一部でもある。人間は信 仰と不信仰の間のどこかに立つことはできず、むしろ人間は信仰 ︵ 彼 の 心 が 真 の 神 に 依 拠 し て い る と き ︶ か、 あ る い は 不 信 仰︵ 彼 の 心 が 偶 像 に 依 拠 し て い る と き ︶ か の ど ち ら か の 状 態 に あ る。 こ のように人間の根本的状況は救済論的責任を負わされている。よ

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九 ﹃組織神学を学ぶ人びとのために ││ 組織神学の主要著作﹄ ︵ V︶ り正確に言うと、堕罪の諸制約の下では、人間は自から自分の心 を、神御自身ではなくただ偶像に依拠させることができるだけで ある。堕罪の状態にある人間は、自ら神に向かう力をもっていな い。合理主義の種々の変種の場合と異なり、ルターはこう考えて いる。つまり、 人間は彼の人格の中心︵彼の︿心﹀と、 それによっ て 影 響 さ れ る 彼 の 意 志 ︶ を 彼 の 理 性 に よ っ て、 神 に 依 拠 す る よ う に 動 か す こ と が で き な い。 す な わ ち 神 と の 関 連 で︵ coram Deo ︶、 人 間 の 意 志 の 能 力 は 不 自 由 で あ る︵ ser vum arbitrium ︶。 神 の み が その言葉を通して人間を、彼の心と彼の意志を神に依拠させるよ うに動かすことができる。そのためには、 神の約束の言葉 ︵ pr om-issio ︶、 つ ま り そ の 言 葉 が 告 知 す る こ と を 成 就 す る 遂 行 的 言 葉 が 必 要 に な る。 こ う し て 理 性 と、 そ れ に よ っ て 影 響 さ れ る 行 為 は、 今や心と意志のそのつどの構えによって用いられることになる。   こ こから、すでにルターの神学概念を参照するように指示する 更 な る 観 察 が 生 じ て く る。 ル タ ー が、 ︽ 心 の 信 頼 と 信 仰 の み が ⋮⋮神を生みだす︾と記すとき、彼は、われわれの信仰が神を作 り出すというフォイエルバッハの思想を先取りしているのではな い。むしろ、正しい神関係であるあの信頼をわれわれに可能にす るのは神御自身である。そのかぎりで︿神を生みだす﹀のは、神 御 自 身 で あ る。 ま さ に 近 代 神 学 の 種 々 の ア プ ロ ー チ と 異 な り、 G Kにおいて話題になっているのは、理論的理性の観点それ自体 からみた神ではなく、ただ実践的理性の観点からみた神、つまり 信 頼 の 源 泉 で あ る。 そ れ ゆ え 重 要 な の は、 ︿ 信 仰 と 神 ﹀ が 共 属 し ていることである。ルターにとって神学は知恵の諸要素をもつ実 践 的 学 問 で あ る︵ Bayer 1994 , 49 -55 ︶。 ル タ ー 神 学 の 関 心 は フ ォ イエルバッハの異議に対抗し、理論的理性の観点から企てられる 神証明が与える確信、したがって 信仰の生活実践を無視する確信 に 到達することにあるのではない。その代わりに G Kは、信仰の 観点から、いかにして神御自身が、われわれが神にふさわしい神 への信頼に到達することができるようにしてくださるのかを記述 する。すなわち、われわれはまったく神に信頼しなければならな い、と十戒は言う。使徒信条は、われわれがそのための力をどこ で見いだすのかを説明し、そして主の祈りは、われわれがいかに してそれをわがものとするのかを説明する。このように G Kの構 成︵ 二 ・ 二 ・ 一 を 参 照 ︶ は、 第 一 戒 の 解 釈 の 中 で 示 唆 さ れ て い る 堕 罪後の人間の根本的状況に応えており、この点からさらに解明す る こ と が で き る︵ 第 一 戒 の ル タ ー の 解 釈 に つ い て は Ebeling 1969 を、人間学については H ärle 2008 を参照︶ 。 二 ・ 二 ・ 三   G Kの神学概念   これまで述べたことからルターの神学概念のさらなる諸次元が 展 開 さ れ る。 神 学 の 対 象︵ subiectu m theologiae ︶ は、 ︽ 罪 深 く 失

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一〇 われた人間と、 義と救いをもたらす神︾ ︵ W A 40II , 328 , 1 f ︶ である。 し た が っ て ル タ ー は 彼 の 神 学 概 念 を 専 ら 神 か ら 形 成 す る こ と も、 また専ら人間から形成することもせず、ただちに両者をその関連 性において捉え、また人間を堕罪の諸制約の下で考える。神学の 中心的課題は、この関連性の中で諸々の正しい区別の遵守に注目 す る こ と で あ る。 よ り 厳 密 に 言 う と、 神 の 課 題︵ opus Dei ︶ が 人 間 の 課 題︵ opus homininum ︶ か ら 区 別 さ れ る こ と に 注 意 す る こ と である。人間の罪性の本質は、この区別をあいまいにすることに ある。なぜなら罪を犯した人間はその心を偶像に寄せ、自らの業 ないし他のこの世的な価値によって自らを救おうとするからであ る。   神学の第二の有名な定義は、次の通りである。つまり︽律法と 福音を正しく区別することができる者は、神に感謝し、自分が神 学者であることを知るべきである︾ ︵ W A 40I , 2 07 , 17 f ︶。ルターは、 人 間 が 為 す べ き こ と を、 ︿ 律 法 ﹀ と い う 語 で 表 示 し、 ま た わ れ わ れが為すべきことを為しうるように、神がわれわれのために行う ことを︿福音﹀と呼ぶ。こうして第二の定義は神学の中心的課題 を改革する。 G Kは、彼が律法と福音を適切に区別しているとい う点で、宗教改革の神学の卓越した著作である。即ち十戒は律法 を、 使徒信条と主の祈りは福音を際立たせているのである ︵ B SLK 661 , 23 -25 ︶。   ルターによると神学の中心的課題は正しい区別に精通すること であるが、彼の神学概念は同時に、神学の近代的理解の広範な潮 流にとって特徴的な一定の諸々の分離をうまく逃れている。 G K は、専門家と信徒の双方のために書かれているため、両者のため の神学が分離することをうまく逃れている。さらにそれは、教義 学と倫理の分離を逃れている。なぜなら G Kは、霊におけるキリ ストの臨在を通して人間の最内奥がどのように形成されるのかを 記 述しているからである。同時に人間は社会倫理へと向かうよう に指示され、ルターによると神の言葉と悪魔の公的戦いである世 界史の只中に立たされる。最後に G Kは聖書神学と経験神学の分 離を逃れている。たしかにルターにとって神学とは本質的に聖書 解釈であり、教理問答は︽聖書全体の簡潔な抜粋であり、概要で あ る ︾︵ B SLK 552 , 32 f ︶。 こ こ に は 律 法 と 福 音 の 区 別 も 組 み 入 れ られている。なぜならルターはこの区別を聖書全体の内容的中心 とみなすからである。しかし同時に聖書の解釈は三つの方法で経 験と関連づけられる。第一に、聖書の言表の相当数は経験を通し て支持される。 自分の心を金銭に寄せる人間が不幸になることは、 一般的に知られていることである︵ B SLK 570 , 45 -571 , 22 ︶。第二 に、聖書の解釈を通して、何よりもまず相当数の経験の真理が目 に 見 え る よ う に な る。 な ぜ な ら 自 分 の 罪 性 に 気 づ か な い こ と は 、 人間の罪性に属することだからである。まず律法がこの罪性を暴

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一一 ﹃組織神学を学ぶ人びとのために ││ 組織神学の主要著作﹄ ︵ V︶ 露し、この洞察の内的習得へと導く。第三に、聖書解釈と経験の 対立がある。それは試練として突きつけられ、神学者にとって重 要な意味をもつ。この神学者は聖書から出発しつつ、聖書におい て伝達される神の救いの意志と矛盾し、したがって神の言葉の一 体性を脅かす諸々の世界経験をする。これらの諸経験は、再び新 たな経験へと通ずる革新され今や深められた聖書解釈に至る。そ の結果ルターは、聖書に由来し、また聖書へと導くこの経験との 関連で、 ︽経験のみが神学者を生みだす︾ ︵ W A TR 1, 16 , 13 ︶ と言 うことができる。以下において、 これまで述べたことを前提とし、 ルターの三つの主要著作の中心的観点の解釈に基づき、 また洗礼、 聖餐式、告解に関するルターの詳論を見通しつつ、 G Kの重要な 内 容 を 再 構 成 し て み た い と 思 う︵ ル タ ー の 神 学 概 念 に つ い て は、 Bayer 1994 , 35 -126, Ebeling 1995, Beutel 2005 a, b, c を参照︶ 。 二 ・ 三   内容   ルターは、十戒をユダヤ教独自の戒めとして理解したのではな く、すべてのひとのこころに記された自然法︵ lex naturalis ︶ の仕 上 げ と し て 理 解 し た︵ B SLK 661 , 25 f ︶。 こ の 点 で 十 戒 は 何 も の に も凌駕されず、それは愛の二重の戒めの仕上げである。もちろん 十戒は堕罪によって曇らされている。それはイエス・キリストか ら初めて、再び完全に判読可能な、彼によって成就され、そして 彼にふさわしいものとして解釈される。   ル タ ー は、 ア ウ グ ス テ ィ ヌ ス的 - 世 的 伝 統 を 受 容 し、 像 の 禁 止の戒めを第一戒に組み入れる。なぜならどちらも偶像礼拝を禁 止 し て い る か ら で あ る︵ B SLK 564 , 19 -28 ︶。 し た が っ て 十 戒 の 第 一 の 板 は 第 一 戒 の 他 に 名 前 の 聖 化 と 安 息 日 の 聖 化 の 戒 め を 含 み、 人 間 の 神 関 係 を 規 定 す る。 第 二 の 板 は 残 り の 七 つ の 戒 め を 含 み、 人間の隣人関係を規定する。そ のさい二つの次元は︽元来統一的 な 関 係 構 造 の 構 成 的 要 素 ︾︵ Her ms 1990 , 8 ︶ で あ る。 な ぜ な ら ま さに神関係は、この世において隣人に仕えることを人間に義務づ けるからである。 十戒の決定的構造原理は、第一戒を中心に据えていることであ る。 な ぜ な ら 他 の す べ て の 戒 め は、 第 一 戒 か ら 結 果 と し て 生 じ、 そ れ に よ っ て 刻 印 さ れ、 再 び そ れ へ と 帰 っ て 行 く か ら で あ る ︵ B SLK 642 , 45 -644 , 22 ︶。 第 一 戒 は、 人 間 の 信 頼 に 満 ち た 全 き 献 身としての信仰を要求する。 したがって第一戒が満たされるとき、 すべての戒めが満たされる。このように、十戒の統一性は第一戒 において保証される。第二の戒めは多くの戒めを基礎づける。な ぜならそれは、身体的な人格存在のもつ諸条件の下での、全き献 身を説明しているからである。身体をもつ人間は言語と交わりに よって特徴づけられている。その結果、彼らは名前の聖化と安息 日 に お け る 共 同 体 の 祝 祭 を 通 し て 神 に 仕 え る ︵ 第 二 と 第 三 の 戒

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一二 め ︶。 最 終 的 に 彼 ら は こ の 世 の 中 で、 そ し て そ こ で も 神 に ふ さ わ しく生きなければならない︵第二の板︶ 。 第一戒によって要請される全き献身は、今やルターによって三 重の点から説明され、明確化される。すべての戒めは、つまり禁 令のみならず戒めも、 一つの戒めにおいて定式化される。 したがっ て例えば第二戒の名前の濫用の禁止は、神の名前を正しく用いる べしとの要求によって補足され、その間にひとは神について適切 に学び、あらゆる苦しみの中で神に請い求める。さらルターは戒 めにおいて要求される事柄の内容の範囲を、この世全体に向かっ て、また自分の内面に向かって拡大する。例えば第四戒において 両親への服従は他の社会的諸関係へと拡大されている ︵主人/僕、 当 局 / 臣 民 ︶。 こ れ に 対 し、 心 の 憤 り は 戒 め を 破 る こ と で あ る と す る 第 五 戒 に お い て、 そ の 内 面 化 は 特 に 明 ら か に な る。 最 後 に、 新しい他の戒めの個々の規定は絶えず第一戒によって相対化され る。 例 え ば 、 両 親 を 敬 う 戒 め に 対 し、 争 い 事 が 起 こ る 場 合 に は、 ひとは人間よりも神に従わねばならぬことが付け加えられる︵十 戒 に つ い て は、 Her ms 1990, W enz 1996 , 63 -286, Peters 1990 を 参 照︶ 。 続く二つの問いによってルターは使徒信条へと移行する。つま り、信仰の服従を要求するこの神とは誰か。したがって信仰の対 象は誰か。そして信仰の根拠は何か。最初の問いに対する答えに おいて、 キリスト者と非キリスト者は分かれる。非キリスト者は、 ひとりの神がいることを知ろうとするが、キリスト者はまず、こ の 神 が 人 間 に 対 し 善 き こ と を 考 え て お ら れ る こ と を 知 る。 ︽ な ぜ ならここで、つまり三つの項目すべてにおいて、神は、その父親 としての心と言葉でまったく言い表しがたい愛の深淵を啓示しか つ 開 示 し た か ら で あ る ︾︵ B SLK 660 , 28 -32 ︶。 第 二 の 問 い は、 い かなる人間も戒めのひとつさえ履行しえないという十戒によって 惹 き 起 こ さ れ た 洞 察 を 引 き 継 い で い る ︵ B SLK 640 , 39 -41 ︶。 し た がって大事なのは、 戒めを履行する力がどこからやってくるのか、 つまり信仰の根拠は何かを明らかにすることである。使徒信条の 要点は、信仰の対象としての三一の神が同時に信仰の根拠である こ と に あ る。 三 一 の 神 が 信 仰 を 喚 起 し、 そ れ に よ り わ れ わ れ が 三一の神との正しい関係のうちに立つことができるようになるた めに、この三一の神は、愛としてのその本質に基づきわれわれの ために自らを与える。三つの項目のすべて、つまり創造に関する 項目、和解に関する項目、そして救いに関する項目は、このこと を目指している。 ︽なぜなら神は、まさにわれわれを救い、聖とするために、 われわれをお造りになったからである。神がわれわれすべて に与え、譲り渡したものの他に、つまり天と地にあるものの

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一三 ﹃組織神学を学ぶ人びとのために ││ 組織神学の主要著作﹄ ︵ V︶ 他に、神はその御子と聖霊も与えて下さった。それは、御子 と 聖 霊 を 通 し て わ れ わ れ を 御 自 身 に 至 ら せ る た め で あ る ︾ ︵ B SLK 660 , 32 -38 ︶。 これまでの伝統と異なり、ルターは使徒信条を一二使徒に従っ て一二の部分に分けず、それを内容的に三一の神の、信仰を引き 起こす救済の行為に合わせ、それを三つの位格に従って三つの項 に区分する︵ B SLK 646 , 35 -647 , 19 ︶。第一項はおもに父なる神に 割り当てられ、この神は、創造し保持する創造者であるが、人間 は被造物であることを強調する。創造者と被造物の差異が強調さ れ る が、 そ の 際、 こ の 世 の す べ て が︽ 神 の 必 要 に 役 立 つ も の ︾ ︵ B SLK 648 , 19 f ︶ と し て 規 定 さ れ る こ と に お い て 明 ら か に な る 父 なる神の善も明示される。人間の課題は、そのことについて神に 感謝し、神に仕えることである。この奉仕のより詳細な規定は十 戒にみられる。その結果、十戒は使徒信条の第 一項の中にその救 済 史的位置を有することになる。しかし人間は堕罪のゆえに罪を 犯し、あたかも人間が自らすべてのものに服従するかのごとく生 きている。あるいはルターにならって言えば、人間は悪魔に支配 されている。 第二項は、教理問答全体の中心を同時に使徒信条の中心に位置 づける。なぜならそれはイエス・キリストを、悪魔の力から解放 す る お 方 と し て 紹 介 す る か ら で あ る。 支 配 の 交 代 が 生 ず る と き、 このことが起こる。すなわち神は自ら自分を子の神として差し出 し、その結果、もはや悪魔ではなくイエス・キリストが︽わたし の 主 ︾︵ B SLK 651 , 33 ︶ と な る。 ル タ ー は 第 二 項 の 他 の す べ て の 言表を、つまりキリストの真の神性、処女降誕、十字架刑、その 他を、したがってイエス・キリストに関する古代教会の存在論的 言表のすべても、これらの救済論的中心規定に結びつける。こう して彼はそれらを、キリストがどのようにして人間の主になるの かとい うその方法を説明するものとして理解する。 キ リストの主としての存在は、第三項において記述される聖霊 の働きにおいて完成される。聖霊は、それが人間を聖とすること において聖である。ここでも第三項の広範な諸規定も、このこと がどのようにして起こるのかという方法を説明するものとみなさ れる。聖霊は人間を教会へと導き、したがって告知へと導き、こ の告知が彼にとって真実であることを分からせる。こうして死か ら生への移行としての罪の許しが生ずる。この罪の許しはキリス ト 者 の︽ 実 存 全 体 の 根 本 的 特 徴 ︾︵ Her ms 1987 , 112 ︶ で あ り、 二 重の次元をもっている。つまり、神は人間の罪を許し、したがっ て人間も互いに許しあうことができるようになる。キリスト者の 特徴は、さらに罪を犯しても、そのさい諸々の罪が彼を今やたし か に な お 永 遠 の 罪 に 定 め る こ と が な い と い う こ と に あ る。 他 方、

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一四 彼の聖化もそのつど強まって行く。なぜなら聖霊によって惹き起 こされる義認の言葉は実際に効果をもたらす局面をもち、単に正 しいと宣告するだけでなく、正しさを生みだすからである。この ように理解されるべき三一の神の働きにより、信仰が惹き起こさ れ、十戒が成就される。つまり神は信仰の根拠であり、また信仰 の 対 象 で あ る︵ 使 徒 信 条 に つ い て は、 Her ms 1987 , W enz 1996 , 286 -322 , P eters 1991 を参照︶ 。 たしかに聖性の成長は死に至るまでやむことがなく、主の祈り は、この持続する戦いの中で人間がとるべき正しい態度を記述す る。神は威嚇と約束をもって、それ自体すでに存在する神の国が わ れ わ れ の も と に も 来 る よ う に 祈 る こ と を わ れ わ れ に 勧 め る ︵ B SLK 673 , 8 -23 ︶。 こ う し て そ の 祈 り は そ れ 自 体 聖 霊 を 通 し て、 それが祈り求めるものをもたらす。なぜなら主の祈りは祈願およ び嘆願として、すべて のものを神から受け取ることを学ぶように 教 える信仰的な態度へと人間を導くからである。まさにここにお いて主の祈りは模範的な仕方で第一戒を成就する。したがって祈 られているその内容は、十戒と使徒信条の内容に対応する。それ ら は、 悪 か ら の 救 済 を 祈 る 第 七 の 祈 り に お い て 要 約 さ れ て い る。 こ の 祈 り は、 第 一 の 三 つ の 祈 り に お い て 言 い 表 さ れ て い る 要 求、 つまり正しい神関係に対する要求と、第二の三つの祈りにおいて 言い表されている要求、つまり成功裏に行われるべき世界関係に 対する要求を、自らのうちに統合している。こうして主の祈りは 自ずから、主の祈りが同時にその成就である十戒への移行を遂行 する ︵主の祈りについては W enz 1996 , 322 -347 , P eters 1993 , Nico-laus 2005 を参照︶ 。 G Kは、洗礼、聖餐式、告解についての熟考で終る。二つのサ ク ラ メ ン ト︵ 洗 礼 と 聖 餐 式 ︶ の 理 解 の た め に、 ル タ ー は そ の つ ど そ の本質、その有用性、受領者の範囲を規定する。アウグスティ ヌスとの関連で、彼はサクラメントの本質を神の言葉と素材的要 素の結合として把握する。宗教改革内部の敵対者に対し、ルター は、神が身体的・精神的存在としてのわれわれに常に外的諸秩序 を用いて働きかけることを強調する。すなわちルターの場合、内 部と外部は本質的なものとして媒介される。これゆえに彼は聖餐 式におけるキリストの現臨も強調する。サクラメントの有用性の 本質は、罪の許しにある。洗礼は新しい生へと導くのに対し、聖 餐式はそれに留まることを助ける。サクラメントは、人間の業や 価値ではなく神の言葉に基づいて有効なものになるので、 それは、 自分の罪を知る人びとによって受領されなければならない。たし かに告解はサクラメントではないが、キリスト者により自発的に なされるべきである。なぜならそれは、罪の許しを願い、許しの 言 葉 が 与 え ら れ る 中 で そ れ を 得 る た め の 、︽ キ リ ス ト 教 的 本 質 ︾ ︵ B SLK 727 , 39 ︶ の表現だからである。

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一五 ﹃組織神学を学ぶ人びとのために ││ 組織神学の主要著作﹄ ︵ V︶

  

教 理 問 答 書 と ま さ に K Kは ル タ ー の 最 も 成 功 を 収 め た 著 作 で あった。 K Kはすでに一六世紀のうちにヨーロッパのほとんどす べての重要な言語に翻訳され、どの世代の人びとも最初に読みか つ書くことを学ぶ基本図書とみなされた。まったくルターの意味 において彼の教理問答は、同時にブレンツ、メランヒトン、その 他の人びとに教理問答を起草するきっかけを与えた。教育学的理 由から、しかしルター派内部の争いのためにも、またカトリシズ ムに対する連合強化のためにも、ルターの教理問答の重要性が高 まった。結局それは一五八〇年、和協信条書に取り入れられ、教 会 法 的 権 威 も 当 然 与 え ら れ る 信 仰 告 白 文 書 の 地 位 を 与 え ら れ た。 ルターが範例として理解した彼の教理問答から、それ自体説明が 必要な規範が生じた。こうして一方で、 教理問答の解釈が行われ、 他方で、教理問答の素材を補足して、疑似スコラ的形態をもつ包 括的教義学を生みだす努力が重ねられ た。 敬 虔主義において教理問答は特に慰めと訓戒の観点から読まれ た。人びとは伝承された素材を簡略化するのではなく、その時々 の関心事に応じてそれを拡大した。まず啓蒙主義の時代には、ル ターとの関連で、あるいは全く自由に、新しい教理問答を書く試 みがなれさた。一九世紀初めの教派意識の再覚性により、教理問 答 が 新 た に 注 目 の 的 と な り、 そ れ は 信 仰 告 白 書 と し て 強 調 さ れ、 また理解された。教理問答に関するこの枠組の中で始まった歴史 学的研究は、一九二九年︵ルターの二つの﹃教理問答﹄の誕生か ら 丁 度 四 百 年 目 に 当 た る ︶ に そ の 頂 点 に 達 し た。 教 会 闘 争 の 間、 教理問答は、家族と共同体のための実践的教科書として再発見さ れた。第二次世界大戦後、一九六〇年代まで、それらは学校と共 同体において特に規範的教科書として取り扱われた。重要であっ た の は、 そ の た め に 一 九 五 四 年 に ド イ ツ 福 音 合 同 ル タ ー 派 教 会 ︵ VELKD ︶ と 合 同 福 音 主 義 教 会︵ EK U ︶ に よ っ て 編 集 さ れ た 教 理 問答書の新版の発行であった。経験的諸学問に対する神学の開放 に刺激を受け、一九六五年から一九七五年にかけて、大いに注目 されたのは教理問答の自主的習得であった。そしてその最後の年 に、伝統の仲介とその状況に応じた習得ないし獲得との間のバラ ンスをとるための努力が明確になった︵影響史に関しては、比較 的簡潔なものとしては Fraas 1988 と Gr ünber g 1988 を、包括的な ものとしては F raas 1971 を参照︶ 。

  

引用資料 M .L ut he r,D er G ro ße K ate ch ism us ,in : D ie B ek en nt nis sc hr ift en d er e va ng e-lis ch -lu th er is ch en K irc he , h g.v . V E L K D , G öt tin ge n 19 98 ¹², 5 41 -73 3 ︵ ab ge k. G K . ︶ .  U m d en G eb ra uc h fü r d ie L es er z u er le ich te rn ,w er de n

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一六 die Z ita te in d er s pr ac hli ch g eg lä tte te n Ve rs io n pr äs en tie rt, die U ns er G lau be .  D ie B ek en nt nis sc hr ift en d er e va ng eli sc h -lu th er isc he n K irc he . A usgabe f ür die Gemeinde,G ütersloh 1986 , bietet. 入門資料 Die A

uslegung des Ersten Gebotes im GK

︵ B SLK 560 , 5 -572 , 14 ︶. 文献資料 Peters 1976 ; Her ms 1987 ; 1990 ; W enz 1996 , 231 -347 .

参考文献

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一七 ﹃組織神学を学ぶ人びとのために ││ 組織神学の主要著作﹄ ︵ V︶ K irc he . E in e h ist or isc he u nd s ys te m ati sc he E in fü hr un g i n da s K on ko rd i-enbuch. Bd. 1. Berlin 1996 .

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一八

ヨハンネス・カルヴァン

  ﹃キリスト教綱要﹄

マティアス・

A・ドイシュル

  

  ヨハンネス・カルヴァンは、一五〇九年七月十日、パリの北西 九十キロに位置する主教座のあるノワイヨンに生まれ、一五六四 年、 ジ ュ ネ ー ブ で 亡 く な っ た。 こ の わ ず か の 鍵 と な る 資 料 か ら、 カルヴァンの時代における彼の位置に関する一定量の情報が明ら か に な る。 す な わ ち ル タ ー が 彼 の 贖 宥 状 の 命 題 を 公 表 し た と き、 カルヴァンはやっと八歳になったばかりであり、カルヴァンが彼 の最初の神学書を公刊したとき、ツヴィングリはすでにその四年 前つまり一五三一年に亡くなっていた。したがってカルヴァンは 第二世代目の宗教改革者であった。彼の著作は特に彼の前任者の 認識に強く影響されることがなかった。カルヴァンは短い期間で あるが常にフランス語圏で暮らした。彼がドイツ語を理解してい た こ と を 示 唆 す る も の は な い ︵ Neuser 1986 , 36 ︶。 彼 は ド イ ツ 語 で 書かれた宗教改革の文書をそもそもただ翻訳で知っていたにす ぎ なかった。彼は二五歳で故国を後にしたが、彼は生涯フランス と関係を持ち続けた。つまり彼の注意は特別な仕方で一つ国の宗 教改革の支持者に向けられた。その国では、宗教改革の教理が貫 徹されず、しかも時折憂慮すべき迫害に曝されていた。カルヴァ ンの教育過程は次のようにして洗練された。つまり一五二三年か ら一五二七年にかけてパリで自由学科を学び、その後オルレアン とブールジュで法律を学んだ。 しかしながらこのゆえに、 カルヴァ ン は 神 学 的 教 養 を 身 に つ け な か っ た と 結 論 づ け る の は 誤 り で あ る。彼が学んだ二つの高等教育機関の一つは、神学研究の準備に 特に力を入れていた ︵ van’t Spijk er 2001 , 111 ︶。言語の研究と並ん で、スコラ的論証法の訓練も行われた。その重心は修辞学と論理 学 の 教 育 に 置 か れ、 そ れ ら は カ ル ヴ ァ ン の 思 惟 の 重 要 な 基 盤 と なった。それに加え、 カルヴァンは一五三一年から人文学の研究

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一九 ﹃組織神学を学ぶ人びとのために ││ 組織神学の主要著作﹄ ︵ V︶ に取り組み、宗教的人文主義者たちの勢力圏内にあったパリの王 立教授団に加わった。   カルヴァンが正確にいつ宗教改革の側に回ったのかということ については、議論の余地がある。彼自身は﹁突然学問へと回心し た ﹂︵ subita conversio ad docilitatem ; CR 59 , 21 ︶ と 語 っ て い る。 その特徴はもちろん時間的経過ではなくむしろ神の予期せぬ介入 にある。確実なのは、新大学長ニコラ・コップが、明確に福音主 義的性格をもつその学長就任演説のゆえに起訴された後に、カル ヴァンが一五三四年の初めパリを立ち去ったことである。おそら くカルヴァン自身がその演説の原稿を作成したと考えられている ︵この問題に関する議論については、 Scholl 1994 , 7 -9 を参照︶ 。福 音 主 義 者 を 扇 動 者 と し て 迫 害 す る こ と に な っ た 一 五 三 四 年 十 月 一八日の所謂プラカード事件との関連で、彼はフランスに完全に 背 を 向 け た。 彼 は ま ず バ ー ゼ ル に 向 か い ︵ 一 五 三 五 年 ︶、 結 局 一五三六年七月初め、旅の途中でたまたま偶然にジュネーブに着 い た。 当 地 の 宗 教 改 革 者 G・ フ ァ レ ル ︵ 一 四 八九 - 五 六 五 ︶ は、 今ここで必要とされている助けを拒絶するなら、神は、自分の研 究のために獲得しようと努力しているカルヴァンの余暇を呪うで あろう、 と脅かした ︵ CR 59 , 25 ︶。 カルヴァンは留まった。 ジュネー ブでは、福音にふさわしい教会に関する彼の観念を実現する機会 が提供された。そのさい彼は市議会と激しく衝突した。一五三八 年 か ら 一 五 四 一 年 ま で、 ジ ュ ネ ー ブ を 追 放 さ れ た カ ル ヴ ァ ン は、 シ ュ ト ラ ス ブ ー ル に 滞 在 し な け れ ば な ら な か っ た。 そ こ で 彼 は、 フ ラ ン ス か ら 亡 命 し た 人 び と の 共 同 体 の 牧 師 と な り、 M・ ブ ー ツァー ︵一四九一 -一五五一︶ から重要な刺激を受けた。ジュネー ブに戻ってからも、彼の教会形成の可能性は市議会の変化する多 数派に依拠していた。したがって例えばカルヴァンが、反三位一 体 論 者 セ ル ヴ ェ ト

彼 は す で に 死 刑 を 宣 告 さ れ て お り、 一五五三年にジュネーブに来ていた

の処刑に関わったことを 過 度 に 強 調 す べ き で は な い ︵ van’t Spijk er 2001 , 178 -182 を 参 照 ︶。 一五五五年以後、ようやく諸々の関係は完全にカルヴァンに有利 に展開するようになった。

  

  カルヴァンの作品は一方で教義的かつ論争的神学文書と、他方 で説教のような聖書註解に分類される。広範囲に交わされた手紙 がこれに加わる。彼の遺稿の最大部分を占めているのは聖書解釈 であるが、最も影響を与えたのは彼の教義学的主要著作﹃キリス ト教綱要﹄ ︵ Institutio christianae religionis ︶ である ︵以下、 Inst. と 略記︶ 。

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二〇 二 ・ 一   ﹃キリスト教綱要﹄の成立に見られるカルヴァンの神学的 思惟前進する神学   ﹃ キ リ ス ト 教 綱 要 ﹄ の 性 格 は そ の 表 題 と 歴 史 か ら 読 み 取 る こ と が 出 来 る。 ﹃ キ リ ス ト 教 綱 要 ﹄ は、 そ の 五 つ の ラ テ ン 語 版 ︵ 一 五 三 六、 一 五 三 九、 一 五 四 三、 一 五 五 〇、 一 五 五 九。 さ ら に フ ラ ン ス 語 の 翻 訳 版 も 出 版 さ れ て い る ︶ に お い て 数 多 く の 変 更 を 経 験 し、小さな四つ折り版で六章、五二〇頁から成る本から、大きな 二つ折り版で八〇章、六〇八頁から成る広範囲に及ぶ作品へとふ く れ あ が っ た ︵ OS 3, VI , 24 ; XXXVI , 34 f ︶。 し か も 後 者 の 印 刷 は 詰めた形になっており、字数が増えている。このことから人びと は す で に、 カ ル ヴ ァ ン は、 ︽ 前 進 し、 書 き、 ま た 書 く こ と に よ り 前 進 す る ︾ ︵ OS 3.7 , 8 f ︶ 神 学 者 に 数 え ら れ る こ と を 認 識 し て い た

これはアウグスティヌスの言葉で、ルターも自説の発展をこ の 言 葉 で 表 現 し て い る ︵ W A 54 , 186 , 26 f ︶。 一 五 四 三 年 以 来、 ﹃ キ リスト教綱要﹄の序はこの言葉で結ばれている。それは初めから ﹃ キ リ ス ト 教 綱 要 ﹄︵ ︽ キ リ ス ト 教 の 講 義 ︾︶ と い う 表 題 で あ っ た。 ﹁ 綱 要 ︵ Institutio ︶﹂ と い う 概 念 は す で に 古 代 に お い て 初 学 者 の た め の 手 引 き を 表 し て お り ︵ Bayer 1994 , 159 f ︶、 そ れ は 記 述 の 教 理 問答的性格を示唆する。この本は、一五三六年のサブタイトルが 示 す よ う に、 ﹁ ほ ぼ 敬 虔 の 完 全 な 要 約 と、 救 い の 教 説 に お い て 必 ず知るべきことのすべて﹂ ︵ OS 1, 19 ︶ を包括している。 要するに、 ︽ハンドブック形式の福音の教説の総体︾ ︵ OS 1, 223 ︶ を包括して いる。これに対応して、主題は伝統的な教理問答の順序に配列さ れ て い る ︵ 律 法、 信 仰、 祈 り、 聖 礼 典、 そ れ に 続 い て、 キ リ ス ト 教 的 自 由、 宗 教 的 権 力 と 世 俗 的 権 力 に 関 す る 章 ︶。 た だ し そ の 順 序 は、 カ ル ヴ ァ ン が ル タ ー の ︵ 小 ︶ 教 理 問 答 を 熟 知 し て い た こ と を 示唆するだけではない。教理問答的関心と並んで始めから弁証 的関心が表れている。つまりこの書物はフランス王フランソワ一 世に献呈されている。その献呈の辞の中でカルヴァンは、ある人 び と の 激 怒 に よ り 彼 の 国 に は︽ 健 全 な 教 説 の た め の 場 ︾︵ OS 1, 21 ︶ がもはや存在しないことを公然と訴えている。 したがって ︽綱 要︾として構想された教説の総体は同時に︽信仰告白として︾役 立つものであるとし、福音主義者は決して異端者ではないことを 王に納得させようとしている。   すでに一五三六年版において明らかなのは、カルヴァンが先行 する宗教改革者たちの思想に言及していること、しかし同時に彼 は そ れ を 新 た な 独 自 の 方 法 で 形 成 し て い る こ と で あ る ︵ Neuser 1986 , 38 f を 参 照 ︶。 た し か に ル タ ー か ら 教 理 問 答 の 構 成 が 借 用 さ れているが、カルヴァンは内容的に独自な道を進む。例えば、十 戒における像の禁止の異なる数え方と 解釈、律法の三重の用法の 記 述 、 あ る い は 使 徒 信 条 の 四 分 割 に 見 ら れ る と お り で あ る ︵ 後 述 参照︶ 。さらに、 カルヴァンは始めから二つの戦線と対決していた。

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二一 ﹃組織神学を学ぶ人びとのために ││ 組織神学の主要著作﹄ ︵ V︶ すなわち、一方でローマカトリックと、他方で心霊主義的、洗礼 主義的││フランソワ一世の目から見ると、本来福音主義的で扇 動的││立場と対決していた。右と左の境界設定はカルヴァンに とって真理発見の重要な原理となっている。 つまり彼は徹頭徹尾、 極 端 な 立 場 の 間 の︽ 中 道 ︾ を 指 摘 し よ う と 努 力 し た ︵ Battles 1996 , 139 -178 ︶。 そ の 際、 彼 に と っ て 最 終 的 な 羅 針 盤 と な っ た の は聖書である。極端な ︵過激な︶ 立場 は一部中立的に記述されて いるが、それは極めて頻繁に一定の神学的敵対者と結びつけられ る。ローマ側の戦線は確定しているが、他の戦線は時間の経過と 共に複雑化し、しかもますます拡大して行く。すなわち反三位一 体論者、 自由主義者、 さらにルター派の第一世代 ︵オジアンダー︶ と 第 二 世 代 ︵ ヴ ェ ス ト フ ァ ル ︶ も 心 霊 主 義 者 に 加 え ら れ て 行 く。 ﹃ キ リ ス ト 教 綱 要 ﹄ の 年 輪 か ら 最 終 的 に、 カ ル ヴ ァ ン の 関 わ っ た 種々 の神学的論争を読み取ることはできない。しかしこのことは こ の書物の体系的性格と矛盾しない。むしろその中にカルヴァン の思想の基本的特徴が表れている。すなわち対決と、誤った教説 と真の教説を区別する中で﹁天の教説﹂がますます明らかになっ てくる。第一版を特徴づける教理問答的関心と弁証的関心の相互 混入はしたがって依然としてこの著作の根本的特徴である。   たしかに教理問答的目的措定はすでにただちに押しやられてい る。注意を引くのは、カルヴァンの第一版はたしかにフランスの 彼の国民のために想定されていたのに ︵ OS 1, 21 ︶、フランス語の 翻訳が見当たらないことである。かつてそのような翻訳があった の か も し れ な い が ︵ Neuser 1986 , 48 f を 参 照。 K östlin 1868 , 13 -17 は す で に こ れ に 反 対 ︶、 も っ と あ り そ う な の は、 様 式 の 点 で、 民 衆の教理問答というよりも学術的な論究を思い起こさせるこの著 作 が、信徒の教理問答にとって始めからあまりに包括的であった ことである ︵ Blattles 1994 , 93 . Bayer 1994 174 f を参照︶ 。一五三七 年、これに代わってジュネーブ信仰問答が現れた。これは一部全 く逐語的に﹃キリスト教綱要﹄から取られているが、神学的論争 の 部 分 に は 触 れ て い な い。 一 五 三 九 年 以 後 の﹃ キ リ ス ト 教 綱 要 ﹄ の序は、首尾一貫して読者も新たに﹁神学の学徒﹂と規定してい る。カルヴァンの意図はこう記されている。   それは、神の言葉の作品に関する聖なる神学を学ぶ人々が、そ れに容易に近づき、また妨げられずにそれに向かって前進するこ とが出来るように準備し、教授することである。わたしはこう考 えている。 宗教の全体をそのあらゆる部分に置いて簡潔に要約し、 そして一つの秩序にまとめておいたので、この全体を正しく理解 した者はだれでも、主に聖書の中で探し求めるべきものが何であ るのかを容易に判断 できるようになる。また聖書の中に含まれて い るものを、どの聖句に関連づけるべきなのかを容易に判断でき

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二二 るようになる ︵ OS 3, 6, 18 -25 ︶。   したがって﹃キリスト教綱要﹄は、メランヒトンの﹃ロキ﹄と 同様に独自な聖書の用い方を指導し、聖書の解明を意図している ︵ OS 3, 8, 5 -7 を 参 照 ︶。 繰 り 返 し 主 張 さ れ た の は、 ﹃ キ リ ス ト 教 綱 要﹄とカルヴァンの聖書解釈との関係を過大評価してはならない と い う こ と で あ っ た ︵ Str ohm 2001 , 313 f; Selder huis 2004 , 13 ︶。 カルヴァンが両者を緊密に関連づけるように望んだことは間違い な い。 ﹃ キ リ ス ト 教 綱 要 ﹄ は 特 に、 聖 書 註 解 を 詳 細 な 教 義 学 的 補 説 か ら 解 き 放 と う と し た ︵ OS 3, 6, 26 -29 を 参 照 ︶。 反 対 に、 カ ル ヴァンの釈義的認識は直接 ﹃キリスト教綱要﹄ に流れ込んでいる。 例えば一五四〇年のローマ書註解の釈義的認識が一五三九年版に 流 れ 込 ん で い る ︵ Park er 1980 , 41 -45 ; Her on 2005 , 1 -3 を 参 照 ︶。 し かしながら﹃キリスト教綱要﹄の神学的機能が問題になるとき に は、 こ の 判 断 は 誤 り で あ る ︵ McGrath 1990 , 146 f も 同 じ 見 解 で ある︶ 。なぜならカルヴァン自身の理解によると、 ﹃キリスト教綱 要﹄は各人を、自ら聖書それ自体に向かおうとする状況に置こう としているからである。まさに﹃キリスト教綱要﹄の神学的機能 の特徴は、聖書を視野に入れた解釈学的鍵としてのその機能にあ る。   したがって﹃キリスト教綱要﹄は自らの生活における自立的な 聖書の使用へと導くべしとの﹃キリスト教綱要﹄の教理問答的機 能は、時の経過の中で変化し、消え失せて行く。一五三九年版の ﹃ キ リ ス ト 教 綱 要 ﹄ に お い て 初 め て 極 め て 中 心 的 な 章 ︵︽ キ リ ス ト 者の生活︾ Inst. III , 6 -10 ︶  が現れたのは偶然ではない。カルヴァ ンが、シュトラスブールでの経験に刺激され、共同体の生活の実 践的問いのために多くの頁を割いたことにより、一五四三年版は こ の方針を拡大する。四つの共同体の職制に関する教説と教会規 則に関する詳細な論究が今や初めて、しかも基本的な形式で現れ る ︵ Inst. IV3 と 12 ︶。   ﹃キリスト教綱要﹄の最終版は決定的な切り込みを行っている。 徐 々 に 付 け 加 え ら れ た 補 足 的 素 材 は こ の 著 作 に と っ て 重 荷 と な り、主題の厳密な配列を心掛けていたカルヴァンは、もはや満足 で き な か っ た ︵ OS 3, 5, 11 -15 を 参 照 ︶。 そ こ で 一 五 五 九 年、 カ ル ヴ ァ ン は、 ︽ ほ と ん ど 新 し い 著 作 と み な す こ と が で き る ︾︵ OS 3, 1 副 題 ︶ よ う な 仕 方 で、 彼 の 著 作 を 書 き 変 え た。 数 多 く の 置 換 と 拡張を通して、以下に記述されるような﹃キリスト教綱要﹄の古 典的形態が誕生した。 二 ・ 二   ﹃ キ リ ス ト 教 綱 要 ﹄︵ 一 五 五 九 ︶ の 古 典 的 形 態 四 巻 本 ││一主題   一五三六年版の﹃キリスト教綱要﹄とその後の全ての版はすで

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二三 ﹃組織神学を学ぶ人びとのために ││ 組織神学の主要著作﹄ ︵ V︶ にルターの教理問答と異なり、使徒信条を四つに細分化している ︵ OS 1, 75 -93 ︶。 つ ま り、 父, 子、 聖 霊、 教 会、 の 四 区 分 で あ る。 この四分割は、一五五九年、最終的にこの著作全体つまり今は四 巻 本 に 分 割 さ れ る 著 作 全 体 の 構 成 原 理 に な っ て い る ︵ 全 章 の 概 要 については、 OS 5, 503 -506 を参照︶ 。   ︵一︶   ︽創造者なる神の認識︾ ︵ De cognitione Dei cr eatoris ; OS 3, 31 ︶。   初めに、神認識の諸可能性と、聖書の教説もそれに属するその 源泉が議論される。その後でカルヴァンは三位一体論と創造論を 取り上げる。特異なのは、そこにおいて神の像を作ろうとする人 間の衝動が不信仰の表現として解釈される像の禁止に関し詳細に 論ずる章である ︵ Inst. I, 11 ︶。さらに始めから、 ﹃キリスト教綱要﹄ 全体にとって特徴的な、神認識と自己認識の共属性が現れる。つ まり︽確かなのは、人間があらかじめ神の顔を見ずに、自分自身 を 見るために神の眼差しから外れて行くなら、人間は決して自分 自 身 の 真 の 認 識 に 到 達 し え な い こ と で あ る ︾︵ Inst. I, 1, 2 ; OS 3, 32 , 10 -12 ︶。 こ の 意 味 で カ ル ヴ ァ ン は、 彼 の 著 作 を 次 の よ う な 綱 領 的 命 題 で 書 き 始 め る。 ︽ ま ず 真 の、 そ し て 確 固 た る 知 恵 の た め に保持されるわれわれの知恵の総体の本質は、二つの部分に、つ ま り 神 の 認 識 と わ れ わ れ 自 身 の 認 識 の う ち に あ る ︾︵ Inst. I, 1, 1 ; OS 3, 31 , 6 -8 ︶ 神認識と自己認識に集中することにより、 ヨー ロッパ神学の中心的論点が取り上げられており、その論点はアウ グスティヌスにおいて見いだされ、古典的な仕方で定式化されて いたものである。つまり︽わたしは神と魂を知りたい。さもなけ れば、無、無である!︾ ︵ A ugustinus, Soliloquia I, 7 ; C SEL 89 , 11 , 15 -17 ︶。 そ の 際 カ ル ヴ ァ ン は 、 そ れ に よ り 神 の 卓 越 性 と 人 間 の 地 上 性 ︵ 低 さ ︶ の 間 の 深 淵 が 視 野 に 入 っ て く る 神 の 存 在 に つ い て の 認識に特別な重点を置く。神との交わりに入るために、仲保者キ リストによって克服されなければならないのは、神の存在につい て の 認 識 で あ り、 最 初 に 罪 が 問 題 に な る の で は な い ︵ Inst. II , 12 , 1 ︶   ︵ 二 ︶  ︽ キ リ ス ト に お け る 救 済 者 な る 神 の 認 識。 そ れ は ま ず 律 法の下で祖先たちに、そして最後にわれわれにも福音に お い て 啓 示 さ れ た ︾︵ De cognitione Dei redemptoris in Christo ; OS 3, 228 ︶。 この本は、預言者、王、祭司という仲保者なるキリストの三つ の 職 務 の 教 説 に お い て 頂 点 に 達 す る ︵ Inst. II , 15 ︶。 あ ら か じ め 救 済の必要性が指摘されており、したがってここで罪の教説と律法 の教説が取り上げられる。そのさい福音と律法は弁証法的に対置 され るわけでなく、それらはむしろ双方とも、啓示の歴史の中で ま す ま す は っ き り 現 れ て く る ︽ ひ と つ の ︾ 恵 み の 契 約 に 属 す る ︵ Inst. II , 9 -11 ︶。

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