main : 2012/3/21(13:56)
は じ め に
本書の目的は ,“物質とは何か”から説き起こし ,物質科学,つまり固体結晶 の構造,性質,機能を研究・開発する科学の大切さと ,この分野の研究の面白 さとを合わせて ,できるだけ平易に解説し ,ひいては ,高エネルギー加速器研 究機構,および ,物質構造科学研究所における最先端研究への視点を明らかに することである. 西暦2000年代の初頭に生きる我々の日常生活は ,有史以来かつてない程 , 種々の精巧で軽便な電子機器に満ち溢れている.携帯電話,ノートパソコン , 等々であり,これらを通じ ,我々は地球規模で流れる種々雑多な大量の情報を 時々刻々,的確に選択し ,受け取ることができる.日常生活の原動力であるエ ネルギーの生産と消費という観点に立てば ,これら電子機器は電力エネルギー を消費する側に位置するが ,各家庭や公共施設の屋根には同類の電子機器とも いえる太陽電池が次第に設置されるようになり,日常生活での電力エネルギー の生産も順次普及しようとしている.これら日常生活の基盤,つまり現代文明 の根幹を支える電子機器の作動原理こそ,1900年代初頭,ニュートン的世界観 を乗り越えて確立された量子力学にほかならない. 量子力学は本来10−10mという我々の日常生活からはかけ離れた極微の世界 での物理現象を記述する法則であった .しかし ,これが上記の物質科学と結合 して発展することにより,1900年代の量子力学の黎明期を切り開いた物理学者 には想像もできなかったほど ,広汎に我々の日常生活に入り込み,現代文明の 根幹を担うに到ったのである. 学問としての物質科学は ,前述のごとく,固体結晶の構造,性質,機能を研 究する科学であり,中心となる分野は固体物性物理学である.しかし ,物質を 実際に合成し ,さらにその性質を測定し ,10−10mの微視的な規模に至るまで 精緻に解析し ,よりさらには上記のような種々の応用を開発する学問でもあるmain : 2012/3/21(13:56) vi は じ め に ため ,現在においては ,物性物理学のみならず ,合成化学から ,光学,電子工 学,情報工学,等々の諸分野にまたがる広汎な学問へと発展している. 本書の第1章「現代文明と物質科学」では ,“量子力学とは如何なるものか” から説き起こし ,物質科学との関連,現代社会とのかかわりまでを ,話題を厳 選して解説する.第2章「原子と化学結合,物質の結晶構造」では ,各原子の量 子力学的特徴を表す周期表から始め ,物質の構造的な成り立ちをいかに考える べきかを説明していく.第3章「電子状態と物性の発現」では ,固体中の電子 が原子核による正イオンの格子上で ,遍歴する状態から局在した状態まで ,い かなる性質を示し ,それがいかにして巨視的物性となって現れるかを通覧する. 本書は ,大学の理学部や工学部の3年,4年に在学し ,量子力学や物理学を 専門に学び始めた段階にある学生諸君を主な対象とした参考書である.本書を 完全に読みこなすには ,大学の理学部や工学部で1年次,2年次で学ぶ初等の 数学,物理学,量子力学に関する基礎知識を既に習得していることが望ましい. しかし ,それが完全ではなくても,本書のみを読み進めれば ,理解は可能なよ うに配慮し執筆してある.本書が ,これから物質科学の研究を志す若い方々に 何等かのお役に立てば ,真に幸甚である. 本書の企画・出版に際しては ,高エネルギー加速器研究機構名誉教授 木村嘉 孝先生,共立出版編集部 吉村修司氏に ,多大な御尽力を頂きました.誌面を借 りて ,心より感謝いたします. 2012年1月 執筆者を代表して 那須 奎一郎