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『文机談』注釈(一)

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Academic year: 2021

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︿ 凡 例 ﹀ 一 、 本 稿 は 隆 円 作 ﹃ 文 机 談 ﹄ 全 文 の 口語 ・ 語 釈 等を 試 み た も の で あ る 。 一 、 本 文 底 本 には 柳 原 本 ﹃ 文 机 談 ﹄( 孔 版 ・ 珍 書 同 好会 . 大 正 六 年 刊 )を 用 いた 。 一 、 校 訂 に用 いた 本 は 伏 見 宮 本 ﹃ 文 机 談 ﹄( 吉 川 弘文 館 ・ 昭和 四 十 六 年 十 二月刊 ) で あ る め 一 、 便 宜 上 、章 段 を 設 け 、 通し 番 号 を 付 け て標 題 を 掲 げ た 。 ま た 本 文 に句 読 点 ・ 会 話 符 号 等 を つ け た 。 一 、 四 絃 来 我 朝 事 里 の な み の う え な れば 、 後 会 いつ れ の と き を 期 し が た く お ぼ え 侍 り け れ ど も 、 命 を 君 にた て ま つる は忠 臣 のな ら ひ な れば 、 事 と せず 、と も 縄 を と き て 七 日 七夜 と い ひ け る に 、 西域 の東 のと ま り 、 明洲 と い ふ所 に着 し侍 ぬ 。 一 、 廉 承 武 は 大 唐 の比 巴 の博 士 な り 。 開 元 寺 のう ち に 一 舘 を し む 。 これ 蘇 緬 惴鯀 鰍ど いふ 。 仁 明 天 皇 の御 宇 、 承 和 第 二 の と し 、 秕 耽 朋 獗 齷 噫 難 饑 勣 艪 隆 ・ か も ん のか み藤 原貞 敏 と い へる 人 を 遣 唐 使 と し て比 巴 を な ら ひ に つか はす 。 こ の貞 敏 は 刑 部卿 継 彦 の 第 四 の 子 、 わか く よ り 琴を ひき 給 。 先途 ほ ど とを き 万 ︹ 通 釈 ︺ 一 、 四絃 、 我 が 朝 に来 た る 事 一 、 廉 承 武 は 唐 の琵 琶 の博 士 であ る 。開 元 寺 の中 にあ る 一 舘 に住 ん で いた 。 これ を 翹 材 館 と いう 。仁 明天 皇 の 御 世 、 承和 二 年 ( 八 三 五) 掃 部頭 藤 原 貞 敏 と いう 人を 遣唐 使 と し て 琵琶 を な ら わす た め に 派 遣 さ れ た 。 ( こ の仁 明 天 皇 は 嵯 峨 天 皇 の第 二皇 子 。 和 琴 . 御笛 . 琵 琶 にす ぐ れ て い た 。 ) こ の藤 原 貞 敏 は 刑 部 卿 継 彦 の第 四 男 で、 若 い時か ら 琴 を お ひ き にな ら れ た 。 ( 唐 は ) 前 途 ほ ど 遠 いは る か 海 上 にあ る 国 な の で、貞 敏 は 帰 朝 し て人 々 に再 会 でき る のは い つにな る か 予 期 し が た く 思 わ れ た け れ ど も 、 命 を 主 君 に献 上 す る のは 、 忠 義 な 家 臣 のし き た り な の で、 これ を 全 く 問 題 にし な い で、 出 帆 し て 七 日 七晩 か か って、 中 国 の東 のは て の 明洲 と いう と ころ に着 いた 。

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︹ 校 訂︺ * 翹 材 館 原 文 には ﹁ 翅 我舘 ﹂と あ る 。 今 伏 見宮 本 によ る 。 ︹ 語 釈 ︺ ○ 大 唐 唐 の美 称 。 き わい が ○ 開 元寺 中 国安 徽 省 (中 国東 部 、揚 子 江淮 河 の両卞 流 域 を 占 め る 省 )宣 城 県 に あ る官 立 院 。玄 宗 の開 元 二六 年 ( 七 三 八) 建 立 。 ○ 翹材 館 館 の名 。才 能 のあ る 人 物を 招 致す る ため に建 て たも の 。 ら ○ 仁 明 天 皇 第 五十 四代 天 皇 。 名 は 正 良 。嵯 峨 天 皇 の第 二皇 子。 天 長 十 年 ( 八 三 三) ∼嘉 祥 三 年 ( 八 五 〇 ) 在 位 。 母 は 皇 后 橘 嘉智 子 。 ○ 承 和 第 二 のと し ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹄ 承 和 二 年 ( 八 一二 五) 十 月 十 九 日 条 に、 ﹁ 以 二 従 六位 下 藤 原 朝 臣 貞 敏 一 為 二 遣 唐 准 判 官 一 ﹂ と 見 え る 。 も っ とも 、 小 野篁 が副 使 とし て進 発 し なか っ たり し て 、結 局 、 四 船 のう ち 、 第 一 、 四 の 二船 が 承 和 五 年 ( 八 三 八 ) 七月 五 日 に進 発 、 第 二船 は 同 月 二十 九 日進 発 、帰 朝 し た のは 承 和 六年 ( 八三 九) 八 月 十 九 日 の こと であ っ た ( ﹃ 続 日本 後紀 ﹄ ) 。 ○ か も ん の か み (掃 部 頭 ) 令 制 で掃 部 寮 の長 官 。 従 五位 下 相 当 官 。 ○ 刑 部 卿 刑 部省 ( 律 令 制 で 八省 の 一つ。太 政 官 の右 弁 官 局 に属 し て訴 訟 の裁 判 や罪 人 の処 罰 など を つ か さ ど っ た 役 所 ) の長 官 。 ○ 継 彦 天 長 三年 ( 八 二 六) 五月 七日 、 従 三 位 非 参 議 と な る 。 参 議 浜 成 の三 男 。 母従 三 位 多 治 県守 女 。伺 五 年 ( 八 二八) 二月 二十 六 日 薨 。 年 八 十 ( ﹃ 公卿 補 任 ﹄ ) 。 ○ 藤 原 貞 敏 本 朝 琵 琶 濫 觴 之 師 也 。 承 和 年 中 遣唐 使 、在 唐 十 五年 ( ﹃ 尊 卑 分 脈 ﹄ ) 。 大 同 二年 ( 八 〇 七)に生 ま れ 、貞 観 九 年 ( 八 六 七 ) 十 月 四 日卒 。 年 六 十 一 歳 。 ﹃ 三 代 実録 ﹄貞 観 九年 十月 四 日条 に 、 ﹁ 承 和 二年 為 二美 作 掾 一象 二遣 唐 使 准 到 官 ⑩ 五年 到 二 大唐 而達 ・ 上 都 ⑩ 逢 下 能 彈 二 琵 琶 の者 劉 二郎 加 七 年 為 二 参 河 介 ⑩ 八 年 遷 二主 殿助 4 少 選 遷 二 雅 楽 助 岶 九 年 春 授 二 従 五位 下 4数 歳 転 頭 。 斉 衡 三 年 象 一一備前 介 ⑩ 明春 加 二 従 五 位 上 4 天 安 二年 二母 憂 一解 レ 官 。服 関 拜 二 掃 部 頭 適 貞 觀 六年 ( 八 六 四 ) 兼 二 備 中 介 ご と あ る 。 ○ 西域 タ リ ム盆 地 ( 東 ト ルキ ス タ ン) を いう が 、 こ こ では 中 国 を さ す 。 にん ぼう ぎ ん ○ 明 洲 唐 代 の 州 の名 。 そ の治 所 は 今 の浙 江 省 寧 波 市 ( 鄭 県 ) 。日 本 の遣 唐 使 は こ こを 上 陸 地 点 と し た 。   二 、 謁 廉 承 武 事 か の開 元 寺 の き た な る 水 舘 にた つ ね 行 て 王 牒 を 官 察 府 に つ みこ ひ) (す なはち ) く 。 察 府 こ れ を 請 て 、 銀 青 大 夫 に奉 る 。 大 夫 則 奏 聞 を へ て る すなは ち  唐 勅 を 承 武 にく だ す 。 承 武 則 、 朝 使 貞 敏 に謁 す る こ と を 得 た り 。 ︹ 通 釈 ︺ 二、 廉 承 武 に謁 す る 事 そ の 開 元 寺 の 北 にあ る 水 舘 にた ず ね て 行 き 、 日 本政 府 か ら の (貞 敏 を 承 武 に紹 介 し て いた だ き 、 琵 琶 の御 伝 授 を 願 いた いと い う ) 公 文 書 を 官 察 府 に提 出 し た 。 官 察 府 では これ を う け て、 銀 青 大 夫 に献 上 す る 。 そ こ で銀 青 大 夫 は これ を 国 の君 主 ( 文 宗 ) に奏 上 し 、 天 子 の勅 命 を 廉 承 武 に申 し 渡 し た 。 廉 承 武 は そ こ で 日本 の使 者 貞 敏 に会 う こと に な っ た 。 ︹ 校 訂 ︺ (2)-58一

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* 謁廉 承 武事 伏 見宮 本 に は ﹁ 武 師 謁 事 ﹂と あ る 。 ︹ 語釈 ︺ ○廉 承 武 ﹃ 三 代 実 録 ﹄ 貞 観 九 年 十 月 四 日 条 によ る と ﹁ 劉 二郎 ﹂ と あ る 。 ○ 水舘 未 詳 。 ○ 牒 文 章 を 書 き し る す ふ だ 。 公 文 書 。 O 官 察 府 監察 府 か 。唐 代 職 官 には な い 。牒 を 監督 、 取 締 る 役 所 か 。 ○ 銀 青 大 夫 銀 青 光 禄 大 夫 の こと 。 銀 印 青 綬 を 光 禄 大 夫 ( 従 二位 の お 唐 名 ) が 佩 び た も の。 ○ 唐 勅 唐 帝 の勅 命 。 当 時 は 第 十 四代 文 宗 ( 八 二六 ∼ 八 四 〇) の時 代 。 三 、 承 武 師 請 牒 事   た ち ま ち に 勅 旨 の か た じ け な き を つた ふ る にお よび て 、 承     武 面 を 地 にた れ て勅 答 のか た じ け な き おも む きを 奏せ むと す。 ハ しら べ  す な は ち あ た ら し き 調 二三 調 を貞 敏 にさ つ く 。 官 令 そ のひ と つ を き き て十 のこ と を さ と る 。 武 師 お ど ろ き て いは く 、 ﹁ 貴 殿 は 日 本 に いつ れ の人 の弟 子 哉 。 も と よ り妙 曲 の つ く せ り や ﹂ 貞 敏 の いは く 、 ﹁ わ れ さ ら に他 の師 な し 。 曲 を つ く さ ば 、 い か でか そ の道 を も と め む 。 た だ 世 を か さ ね た る 家 の風 な れ ば な り ﹂ と いふ 。 ︹ 通 釈 ︺ 三 、 承 武 師 、 牒 を 請 く 事 ただ ち に天 子 の恐 れ 多 い ご 意 向を 廉 承 武 に伝 え る に及 ん で 、武 師 は顔 を 地 にふ せ て天 子 のお ことば に恐 縮 申 し 上げ る 旨を 奏 上 し よ う と し た 。 そ こ で廉 承武 は あ た ら し い調 べ 二、 三曲 を貞 敏 に教 え伝 え た が 、貞 敏 は 一 を 聞 い て 十 のこと を悟 る ほ ど 聡 明 で あ っ た 。 武師 が お ど ろ い て 言 う には 、 ﹁ あ な た は 日 本 のど な た の お 弟 子 で す か 。も と も と こ んな にす ば ら し い演 奏 を 学 ん で い た の です か ﹂と 。貞 敏 が 答 え て言 う には 、 ﹁ 私 には 全 然 他 の 先 生 は お り ま せ ん 。も し 曲 を 学 び 尽す と す れ ば 、 (先 生 が い な い の で す か ら ) どう や っ て そ の道 を き わ め られ ま し ょう 。 こ れ は ただ 代 々続 い てき た わ が 家 の流 儀 で あ る に す ぎ ま せ ん ﹂ と答 え る 。 ︹ 校 訂 ︺ ・ * か た じ け なき を 伏 見宮 本 には な い。             * 勅 答 のか た じ け な き おも むき 原 文 には ﹁ 勅 答 の おも む き ﹂と あ る 。 今 伏 見宮 本 によ る 。 * 奏 せむ と す 原文 に は ﹁ 奏 せむ と ﹂と あ る 。 今 伏 見宮 本 によ る 。 ︹ 語 釈 ︺ ○ 勅旨 天 子 の 意志 。 詔勅 の 趣旨 。 ○ 勅 答 臣 下 が 天 子 の問 い に 答 え る こ と 。 ○ 官 令 役 人 。 こ こで は貞 敏を さ す 。 ○ そ のひ と つを き き て ﹃ 論 語 ﹄ ﹁ 公冶 長 ﹂ に拠 る 。 一 部分 を 聞 い て 他 の 万事 を 理 解す る こと を いう 。 ○ 貴 殿 は ﹃ 三代 実 録 ﹄貞 観 九年 十 月 四 日条 には 、 ﹁ 因 問 日 、 ﹃ 君 師 何 人 、 素 学 二 妙 曲 岬乎 ﹄ 。 貞 敏 答 日、 ﹃ 是我 累 代 之 家 風 、 更 无 二 他 師 一﹄ ﹂ と 見 え る 。

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四 、 貞 敏 為 婚 事   武 師 又 云 は れ 、 ﹁ 一 人 の 愛 女 あ り 。 そ の 名 を 劉 娘 と い ふ 。 ハ こた へ て いふ  た て ま つら ん こ と い か ん ﹂ 。 官 令 答 謂 、 ﹁ 一 言 こ れ お も き が * 守 な は ち ) ゆ え に 、 千 金 か へり て か ろ し ﹂ と い ひ て 、 則 む す め に あ ひ ぬ 。 女 も と よ り 琴 ・ 箏 な ど い み じ く ひ き け れ ば 、 あ た ら し き 曲 調 あ ま た な ら ひ と る 。 こ の 間 わ つ か に 四 ケ 月 の 程 な り 。 しん りよ ふ い ○ 一 言 これ お も き が ゆ ゑ に ﹁一 言 千 金 ﹂ 。秦 の呂 不 韋 が ﹃ 呂 氏 春 秋 ﹄ を 著 わ し た 時 、 咸 陽 の市 門 に千 金 と 共 に掛 け 、 一 字 でも 添削 でき た 者 には そ の金 を 与 え よう と 言 っ た と いう 、 ﹃ 史 記 ﹄ ﹁ 呂 不 韋 伝 ﹂ にあ る 故 事 に拠 る 。 ○ いみ じ く も ま こと にう ま く 。適 切 に。 ○ あ また 数量 の多 い さま 。数 多 く 。 五 、 帰 朝 事 ︹ 通 釈 ︺ 四 、 貞 敏 、 婚 を 為 す 事 武 師 が 又 言 う に は 、 ﹁ 私 に は 一 人 の か わ い い 娘 が い る 。 そ の 名 を 劉 娘 と い い ま す 。 あ な た に 差 し 上 げ た い が い か が で し ょ う ﹂ 。 貞 敏 が こ れ に 答 え て 言 う に は 、 ﹁ そ の ひ と こ と の お こ と ば の 重 さ を 考 え て み ま す と 、 千 金 も か え っ て 軽 く な る ほ ど 感 謝 し て お り ま す ﹂ と 言 っ て 、 す ぐ に 劉 娘 に 逢 っ た 。 そ の 娘 は ( 武 師 の 娘 ゆ え ) も ち ろ ん 琴 や 箏 な ど を ま こ と に う ま く ひ い た の で 、 あ た ら し い 曲 や 調 べ を 数 多 く 習 得 し た 。 こ の 間 、 わ ず か に 四 か 月 ぐ ら い の 間 で あ る 。 ︹ 校 訂 ︺ *云 は れ 原 文 ﹁ 云 わ れ ﹂ 。 今 意 改 す 。 *ゆ ゑ 原 文 ﹁ ゆ へ ﹂ 。 ︹ 語 釈 ︺ ○ 武 師 又 云 ﹃ 三 代 実 録 ﹄ (前 掲 ) に は 、 ﹁ 劉 二郎 日 、 ﹃ 於 戯 昔 聞 二 謝 鎮 西 ﹂ 此 何 人 哉 。 僕 有 一二 少 女 詩 願 令 レ 薦 二 枕 席 '﹄ 。貞 敏 答 日 、 ﹃ 一 言 斯 重 、 千 金 還 軽 ﹄ 。既 而 成 二 婚 礼 ゆ 劉 娘 尤 善 二 琴 箏 ハ貞 敏 習 二 得 新 声 数 曲 一L と 見 え る 。 さ て、 貞 敏 と も つ な を と き て本 朝 にか へ ら ん と す 。 こ こ に 武 師 の い はく 、 ﹁ 君し れ り や いな や 、師 弟 の深 契 は 一 旦 の約 諾 にあ ら ず 。皆 これ 三生 の 因縁 に よれ り 。 胡 琴 ・ 瑤 箏 の両 絃   を さ つ く る の み にあ らず 。 あ ま さ え 劉 公が た へ な るか た ち を   ゆ る し て 、す で に 父 子 の 礼 義 に い た れ り 。 一 流 一 河 に の ぞ む 、   な ほ こ の世 ひ と つ のよ し み には あ らず 。 况 や父 子 ・ 師 弟 の契 定 多 生 の 因 果あ る ら ん 。時 う つ り 日か さ ね てす で に帰 朝 の期 に のぞ め り 。 劉 公 と いひ 、 愚 師 と いひ 、 いか でか 別 離 のわ か   ただ し つら つら  れ を おも はざ らむ 。 但倩 事 の 心を 思 ふ に 、汝 は これ 日本 の牒 使 な り 。 さ ら に 唐 庭 にわ し る べ き 臣 にあ ら ず 。は やく 本 朝 に か へ り て 、 四 調を 帝 聞 に 奏 達 せ ら る べ し 。但 さつ く る所 の調 す で に 四十 一 ケ譜 也 と い へ ど も 、 いま だ 比 巴 のを のれ が 秘 曲 を さづ け ず 。 胡 比 巴 には 秘 々の曲 あ り 。 い は ゆ る楊 真 操 ・ 流 泉 ・ 啄 木 の 三曲 な り 。 これ を つ た へて後 、 す み や か にと も 綱 を 日域 にと き て、 飛 帆 を 西 南 の嵐 にま かす べ し ﹂と い へ り 。 (4)-56一

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︹ 通 釈 ︺ 五 、帰 朝 の事 それ か ら 貞 敏 は 、出 帆 し て 日本 に帰 ろう と し た 。 こ の時 に武 師 が 言 う には 、 ﹁ あ な た はご 存 知 か ど う か わ か ら な い が 、 師匠 と 弟 子 の 深 い言 い交 わ し は 、 一 時 の約 束 ご と で は な い。 皆 こ れ は 過 去 現 在 未 来 の 三世 ま でも つ な が る 因縁 に よ るも の であ る 。 ( わ たし は あ な た に) 琴 と 箏 の両 曲 を 教 授 す る だ け では な い。 そ れ ば か り か 美 し い顔 か た ち の娘 の劉 公 と の結 婚 を 許 し て 、す で に私 と あ な た と は 、父 子 の関 係 と な ってい る 。 同 じ 楽 音 にこ こ ろ ざ す と いう のも や は り 現 世 だ け の 因 縁 で は な い 。 い わ ん や 父 子 ・ 師 弟 の 約 束 ご と は 、 多 く の生 を 経 る間 に 結ば れ た 因 縁 に よ る のだ ろう 。時 は 経 過 し 、 日 を 重 ね て す で にあ な た が 帰 朝 す る時 期 に な っ た 。劉 公と い い 、 私 と い い 、 ど う し てあ な た と の別 離 を 悲 し く 思 わ な い こと が あ るだ ろ う 。 し かし な が ら よ く よ く 事 情 を 考 え て みる と 、あ な た は 日本 の朝 廷 の使 者 で あ る 。 ま っ た く 唐 の朝 廷 であ く せ く す べき 臣 下 で はな い 。 は やく 日 本 に帰 って、 四調 を 天 皇 のお 耳 に入 れ 申 す べき であ る 。も っ と も あ な た に授 け た と ころ の楽 曲 は す で に 四十 一 の楽 譜 に のぼ る が 、ま だ 琵琶 には う か が い知 る こと の でき な い曲 が あ る 。いわ ゆ る ﹃ 楊 真 操 ﹄ ﹃ 流 泉 ﹄﹃ 啄 木﹄ の三 秘 曲 であ る 。 これ ら の三 秘 曲 を 伝 綬 さ れ て のち に、 す み や か に出 帆 し て日 本 を め ざ し 、 帆 を ふ く ら ま せ て西 南 か ら 吹 く 風 にま か せ て早 く お 帰 り な さ い ﹂と 言 っ た 。 ︹ 校 訂 ︺ 公 * 劉 公 原 文 には ﹁ 劉 娘 と ﹂ と あ る 。 ミ し   * 礼 義 伏 見 宮 本 は ﹁ 儀 ﹂ 。 *な ほ 原 文 ﹁ な を ﹂ 。 今 意 改 す 。 ︹ 語 釈 ︺ て き ○ 胡 琴 も と 胡 国 ( 中 国 北 方 のえび す の 国 。 北 狄 の 国 ) か ら渡 っ た か ら いう 。 清 楽 用 の擦 弦 楽 器 。棹 も 胴も 竹 製 。 小 さ い丸 胴 の上 面 に蛇 皮 を 張 り 棹 の上 部 に紫 檀 な ど の糸 巻 が あ る 。 二弦 を 張 り 、 馬 尾 毛 の弓 の弦 で 二弦 の 間を 通 し て擦 り な らす 。 二 胡 。 ○ } 旦 し ば ら く の間 。 一 時 。 当 座 。 〇 三 生 さ ん し ょ う 。 過去 ・ 現在 ・ 未 来 。 ○ 因 縁 ゆ か り 。 関 係 。 ○ あま さ え あ ま つ さ え の約 。 ○ 礼 義 本 来 は 社 会 のき ま り にあ っ た 交 際 上 の動 作 、 作 法 。 こ こ で は 関係 ぐ ら い の意 。 〇 一 流 ︻ 河 ﹁一 河 の流 れ を 汲 む ﹂ 。 同じ 流 れ を 水 を 汲 む のも 、前 世 か ら の 因 縁 で あ る と い う仏 教 の たと え 。 ○ 多 生 何 度 も 生 を か え て こ の世 に生 ま れ 変 る こと 。 ○ 奏 達 奏 上 ( 天 子 に 申 し 上げ る こと ) し て 上 聞 ( 君主 の 耳 に 入れ る こと ) に達 す る こと 。 ○ 楊 真 操 琵 琶 の秘 曲 の名 。 中 国 か ら 伝 え ら れ た 独 奏 曲 。 ○ 流 泉 平 安 時 代 の琵 琶 の独 奏 曲 ( ﹃ 源 平 盛 衰 記 ﹄ 三 一 ) 。 都 率 の内 院 の 秘 曲 と菩 提 楽 と が あ る 。 ○ 啄 木 琵 琶 の秘 曲 。解 脱 楽 。 ○ と も 綱 船 の後 方 、 船尾 の方 にあ っ て 船を つ な ぎと め る 綱 。 ﹁ と も 綱 を と く ﹂ で出 帆 す る 。 ○ 臼域 日本 国 の異 称 。 六 、 為 授 曲 事

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貞 敏 お も へら く 、 ひ と つ に は 師 範 な り 。 ひ と つ に は お や な   り 。 か た が た 心 ぼ そ く は お ぼ え け れ ど も 、 ま こと にと ど ま る べき み ち にあ ら ぬう へ 、 臣 家 のな ら ひ 、 王 命 か ぎ り あ り け れ ば 、 た だ いた ら ん こと を のみ い でた ち け り 。 か の三 秘 曲 を 良 . 辰 にえ ら び て 、 ゆき む か ふと い へ ど も 、よ の こと を のみ 談 じ て、 あ へて曲 を ば さづ け ず 。 日は 黄 昏 にし づ み 、 月 は東 嶺 に す す む 。 ︹ 通 釈 ︺ 六 、曲 を 授く け る事 貞 敏 が 思 う には 、 一 方 では 武 師 は わ が師 で あ る 。他方 親 でも あ る 。 いず れ にし ても 心 ぼ そ く は 思 う け れ ど も 、 事 実 上 立 ち 止 ま れ る はず の所 でも な いう え 、臣 下 の習 い と し て 、天 皇 のご 命 令 で 日数 も 限 ら れ て いる の で、 一 途 に 秘曲 の わざ を 習 得 す る こと だ け を 考 え て武 師 の所 へ 出 か け た 。 こ の 三 秘曲 を ( 学 ぶ た め に) よ い 日柄 を え ら ん で 武 師 の許 に 出 か け は し た も の の、 武 師 は 、 世 の中 の こと だ け を 話 し て、 し い て秘 曲 は授 け な い。 ( す で に) 日は 傾 き 夕 暮 れ と な って、 月 は 東 の嶺 に昇 っ てく る 。 ︹ 校 訂 ︺ * お ぼ え 原文 ﹁ おぼ へ﹂ 。 今 意 改 す 。 ︹ 語 釈 ︺ ○ 王 命 か ぎ り あ り け れ ば 天 皇 のご 命 令 に は限 度 が あ る の で 日数 が 限 ら れ て い る こ とを い う 。 けい たい ふ ○ 臣 家 卿 ・ 大 夫 に仕 え る 臣 下 。 ○ い た ら ん こ と 楽 曲 を 極 め る こ と 。 ○ 良 辰 よ い 時 。 よ い 日 柄 。 吉 日 。 吉 辰 。 七 、 夢 相 事 か や う に のみ し て黙 止 す る こと す で に三 十 度 な り け れ ば 、 貞 敏 あ やし く 思 ひ て心 に崇 廟 を 念 じ 、春 日 の社 に い のり 申 け るし るし にや 、 ま ど ろ め る 枕 上 に 三尺 の金 人 来 て のた ま は く 、 ホ ただ   ﹁ 天 子 の た か ら は 金 玉 にあ らず 。 只才 芸 の人 をも て臣 と す ﹂ と い へり と み て 、 お ど ろ き て み れば 、 か た は ら に 一 む すび の   つつみ 物 あ り 。 これ 後 唐 の時 、 御 門 よ り 給 は り た り し 蘭 林 坊 の砂 金 三 百 両 な り け り 。 これ を み る に、 ﹁ ま こと や 、 人 に心 ざ し を み ゆ る 事 は 、 た か ら こ そあ る べか り け れ ﹂ と 、 心え て 銀 の扇 にた か く 盛 て第 三度 と い ふ に ひざ ま づ き て 、 目上 にあ げ て低 頭 。 こ こ に武 師 す す み い た り て 、 これ を み て い はく 、 ﹁ 礼 は ゆ き き た る を も てた ふ と み 、志を み る は 則 重宝 にあ り ﹂ と い ひ て 、 忽 にう し ろ な る 比 巴 を いだ き よ せ て 、 秘 調 秘 曲 を 又 二、 三 曲 相 伝 す 。 ︹ 通 釈 ︺ 七 、 夢 相 の事 こ のよ う に ば か り し て武 師 は 秘 曲 に つい て何 も 言 わ ず 、 そ れ が す で に三 度 に 及ん だ 。 そ こ で貞 敏 は ふ し ぎ に思 って、 心 に皇 祖 のみ た ま や に祈 念 し 、 ま た 春 日 の神 社 に祈 り 申 し た と ころ 、 そ のお し る し であ ろう か 、歯 ど う ん で い る枕 も と に 三 尺 の金 の仏 像 が 来 て言 う に (6)-54一

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は 、 ﹁ 天 子 のた か ら は 金 や 玉 では な い。 た だ 才 能 と 技 芸 のあ る 人 を 自 分 の臣 下 に す る の であ る ﹂ と 言 っ た の を 夢 み て 目 が さ め て み る と 、 そば には ひと む す び の つ つみ 物 が あ る 。 これ は ( 後唐 の と き ) 帝 か ら いた だ いた 納 殿 の砂 金 三 百両 であ っ た 。 これ を み て、 貞 敏 は 、 ﹁ 本 当 に人 に真 心 を 示 す には 、宝 が ふさ わ し い の であ ろ う ﹂ と ・ 30 得 て 、 銀 の扇 に高 く こ の砂 金 を 盛 り 、 ( 武 師 が 面 会 す る ) 第 三 回 目 と いう と き にひ ざ ま つ い て、 頭 上 にさ さ げ 、 頭 を 低 く 下 げ た 。 す る と 、 武 師 は す す み 出 て、 こ れ を み て言 う には 、 ﹁ 礼 は 人 と 人 と が 互 い に行 き 来す る ( 施 し 報 い る ) こ と を 尊 び 、 そ の志 を 知 る には 貴 重 な 宝 物 に よ る の であ る ﹂ と 言 ってす ぐ に、 後 方 にあ る 琵 琶 を か か え こん で、 秘調 、 秘曲 を さ ら に 二、 三曲 伝 授 し た 。 ︹ 校 訂 ︺ * 後 唐 の時 伏 見 宮 本 には な い。 ︹ 語釈 ︺ ○ 崇 廟 祖 先 のみ た ま や 。 天 子 の祖 先 を ま つ る と ころ 。 ○ 金 人 き ん じ ん 。 金 属 で鋳 造 し た 人 の像 。 金 色 の仏 像 。 ○後 唐 五代 (唐 末 に、次 々 に起 こ っ た 五 つ の王 朝 。 ま た 、 そ の時 りよ う しん 代 。 梁 . 唐 ・ 晉 ・ 漢 ・ 周 。 周 辺 に 興 亡 し た 十 国 を 合 わ せ て 五 代 十 りそ んき よう 国 と も いう ) の 一 。李 存 勗 の建 てた 国 。 四代 、 十 四年 ( 九 二三 ∼ 九 三 六) 続 いた 。 た だ し 、 こ こは ﹁ 渡 唐 ﹂ の誤 ま り か 。 ○ 蘭 林 坊 平 安 京 内 裏 の北 西 部 朔 平 門 と 武 乾 門 と の間 にあ る 建 物 。 宮 中 の御 物 、 御 書 な ど を 納 め る と ころ 。 ま た 内 に御 書 所 ・ 絵 所 が 置 か れ た 。 ○ 礼 は ゆ き き た る を も て た ふ と み ﹃ 礼 記 ﹄ 第 一 ﹁ 曲 礼 ﹂ に、 ﹁ 礼 尚 二 従 来 幻往 而 不 レ来 非 レ 礼 也 。 来 而 不 レ往 亦 非 γ 礼 也 ﹂ と あ る 。 ○ 志 を み る は 則 重 宝 に あ り ﹃ 礼 記 ﹄ 第 三 ﹁ 檀 弓 上 ﹂ に見 え る 、 ﹁ 有 二 其 礼 ハ無 二 其 財 ハ君 子非 レ 行 也 ﹂ な ど の句 を さ す か 。 八 、 玄 上 牧 馬 事 又 席 宴を ま う け て 、 経 営 し て 二面 の胡比 巴 ・ 四 巻 の家 譜 を そ へ 送 る 。 一 面 紫 檀 玄 上 、 一 面 紫 藤 牧 馬 を のを の これ ら な り 。 大唐 開 成 三年 九月 七 日な り 。 默 鞍 糾 鋩 餓 蹄 文。 日 本 承 和 二 年 に当 れ ると や ら む 。 承し か ど も 隆 円さ やう の事 にく ら け れ ば 、和 漢 の年 代 記 を も 勘 合 し 侍 ら ず ・ 蜷 人 の申 を き き を け る ば か り 也 。 ︹ 通 釈 ︺ 八 、玄 上 ・ 牧 馬 の 事 又 、宴 席 を 設 け営 ん で 、 二面 の 胡 琵 琶 と 四 巻 の家 系 図 と を そ え て 贈 っ た 。 一 面 は紫 檀 で でき た ﹁ 玄 上 ﹂ で あ り 、 一 面 は 紫藤 で で き た ﹁ 牧 馬 ﹂ が そ の 二 つ の胡 琵 琶 であ っ た 。 唐 朝 の開 成 三 年 ( 八 三 八 ) の 九 月 七 日 であ る 。 日本 の承 和 二 年 ( 八 三 五) にあ た っ て い ると いう こ とだ が 。 し か し う か が っ た こ の隆 円 は そ のよ う な 事 に暗 い の で 、 日本 と 中 国 と の年 代 記 を 読 み 合 わ せ る こと も し てお り ま せ ん 。 た だ 人 々 の言 う こ と を 聞 い て記 し た だ け です 。 ︹ 語 釈 ︺ ○ 宴 席 う た げ 、さ か も り の席 。 ○ 経 営 こ こ では 宴 席 を 設 け 営 む こと 。 ○ 胡 琵 琶 胡 琴 、 琵 琶 の古 称 。 も と 胡 国 か ら 渡 っ たか ら い う 。 清

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楽 用 の擦 弦 楽 器 。 ( 五 の ︹ 語釈 ︺ 参 照 ) ○ 家譜 琵 琶 相 承 の 血 脈書 。 ○ 紫藤 紫 色 の藤 の花 。 ○ 紫 檀 塗 紫 檀 の木 目 に擬 し た 漆 塗 。 ○ 紫 檀 マメ科 の常 緑 喬 木 。 ○ 玄 上 玄 象 と も 。 村 上 帝 御 代 には 琵 琶 の 逸 物 と さ れ た ( ﹃ 教 訓 抄 ﹄ ちな 八) 。 玄 上 宰 相 の 所 有 であ っ た ゆ え 、 か れ の名 に因 ん で命 名 し 、 玄 上 と いう 亡 も 伝 え る 。 村 上 帝 が 月 明 の夜 、玄 象 を 弾 じ る間 、廉 承 武 が 現 われ 、 こ れ は貞 敏 に授 け たも のと 語 る 。 ぼく ば ○ 牧 馬 琵 琶 の名 器 。 玄 象 と 並 び 称 せ ら れ る。 撥 面 に牧 の馬 が 描 か れ て いる の で こ の名 が あ る と いう ・ ﹃ 糸 筥 伝 ﹄ は ・襠 ( 背 面 の ふく れ た 所 ) に馬 の形 が あ る と す る 。 ○ 開成 唐 の文 宗 の年 号 ( 八 三 六 ∼ 八 四 〇) 。 ○ 承 和 二 年 八 三 五 年 。事 実 は 、 開 成 四 年 ( 八 三 九) 、つま り 承 和六 年 のこ と であ っ た (﹃ 三 代 実 録 ﹄ 貞 観 九 年 十 月 四 日条 ) 。 九 、 着 此 朝 事     王 し ろき 事 な か り け れ ば 、 風波 し つ か にし て 、貞 敏 ほど な く 本 朝 の西 のき し に つき ぬ 。 御 門 お ほ き に叡 感 あ り て、 いそ ぎ貞 敏 を め す 。 仁 明 ・ 文 徳 二代 これ を ま な び な ら は せ お は し ま す と い へ ど も 、 た へ な る 御 き れ よ う な か り け れば 、 清 和 の 聖 主 いま だ 東 宮 に てわ た ら せ お は し ま し け る のみ ぞ あ き ら か に つ た へ し ろ し め さ れ け る 。 貞 敏 は ふ か く 呂 律 を わ き ま へて、 三 代 の御 師 範 を け が す 。 勅 あ り て つ ね に龍 楼 に侍 ら し め て妙 曲 を ぞ 奏 し け る 。 又 横笛 、比 巴 の調 によ く も 和合 せざ り け る 事 を も 、 こ の 人 のみ こ そ と と の へ 合 給 け れ 。 賀 殿 と いう 楽 は (さけ び) ( つ た え ) 破も な ら で急ば か り を 号 け る と か や 。 比 巴 に て こ の貞 敏 伝 わ たせ り け り 。本 朝 に て嘉 祥 楽 を と り 入 て 、 破 と は 用 ら る る也 。 ︹ 通 釈 ︺ 九、 此 の朝 に着 く 事 悪 天 候 に も な ら な か っ た の で、 風 や 波 も 静 か であ って、 貞 敏 は ま も な く 日本 の西 岸 に着 いた 。 仁 明天 皇 は 非 常 に感 嘆 し 、 急 い で貞 敏 を 呼び よ せ ら れ た 。も っ とも 仁 明 ・ 文徳 の 二代 は 、 琵 琶 を 貞 敏 か ら お 習 い遊 ば し た いと い っても 、あ ま り 達 者 では な か っ た 。 それ で清 和 天 皇 が まだ 東 宮 で いら っ し ゃ っ た が 、 こ の清 和 天 皇 だ け が 琵 琶 を 貞 敏 か ら た し か に伝 授 遊ば さ れ た の であ っ た 。 貞 敏 は 深 く 琵 琶 の曲 調 を わ き ま え て、 三 代 の天 皇 の御 師 匠 を つ と め た 。 天 皇 の仰 せ で い つ も 東 宮 (清 和 天 皇) の許 に控 え 申 し てす ば ら し い曲 を 奏 でた の で あ っ た 。 又、 横 笛 は琵 琶 の 調 子 にぴ っ た り と は 合 わな か っ た のだ が 、 こ の貞 敏 だ け が これ を 合 わ せ られ た の であ る 。賀 殿と いう 楽 は ( 中 国 ) では 、 ﹁ 破 ﹂ にも な ら ず 、 ﹁ 急 ﹂ だ け の曲 と さ れ た そ う だ 。 こ の貞 敏 は 琵 琶 で これ を 伝 え てひ ろ め た と いう こと だ 。 日本 では 嘉 祥 楽 を と り 入 れ て、 ﹁ 破 ﹂ と し て用 いら れ た の であ る 。 ︹校 訂 ︺ *王し ろき 原文 の ま ま 。 未詳 。 *な か り 原文 は ﹁ な り ﹂ 。今 意 改す 。 ︹ 語 釈 ︺ ○ 王 し ろ き ﹁ 著 し ろ し ﹂ ﹁ 面し ろし ﹂ な ど が 考 え ら れ る が 、 不詳 。 (8)-52一

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天 候 の悪 い こと を いう の で はな いか 。 ○ 本 朝 わ が 国 の朝 廷 。 ○ 叡 感 天 子が 感 嘆 す る こと 。 ○ 仁 明 天 皇 第 五十 四代 天 皇 。 名 は 正 良 。 嵯 峨 天 皇 の第 二皇 子 。母 は 皇 后 橘 嘉 智 子 。 在 位 、 天 長 一 〇年 ( 八三 三) ∼ 嘉 祥 三年 ( 八 五 〇 年 ) 。 み ちや す ○ 文 徳 天 皇 第 五 十 五代 天 皇 。名 は道 康 。仁 明 天 皇 の 第 一 皇 子 。 母 は 藤 原 冬 嗣 の女 順 子 。 承 和 九 年 ( 八 四 二) 立 太 子 、 嘉 祥 三 年 ( 八 五 〇) 即位 し た 。 在 位 九年 にし て 三 十 二歳 で崩 御 し た 。 ○清 和 天皇 第 五 十 六 代 天 皇 。 文徳 天 皇 の 第 四 皇 子 。 母 は 太 政 大 臣 こ れひ と 藤 原 良房 の女 明 子 。名 は 惟 人 。嘉 承 三 年 ( 八 五 〇 ) 三 月 二十 五 日 出 生 、 同 年 十 一 月 二十 五 日立 太 子 。 天 安 二年 ( 八 五 八) 八歳 で 即 位 。 在 位 申 に ﹃ 貞 観格 式 ﹄を 編 修 さ せた 。 元 慶 三 年 ( 八 七 九 )出 家 、法 諱 は 素 真 。 水 尾 天 皇と も いう 。 ○ 呂 律 音 楽 の調 子 。 ﹁ 呂 ﹂ は 陰 の音 律 。 音 楽 の 調 子 で ほぼ 今 の 一 オ ク タ ーブ を 十 二 律 と い い そ の 中 の 陰 の音 律を いう 。 ﹁ 律 ﹂ は 音 楽 の調 子 。 ○ 勅 天 皇 のお こと ば 。 ○龍 楼 皇 太 子 の異 称 。 いち こ つ ○賀 殿 雅 楽 の 一 。左 方 。 壱 越 調 。新 楽 。 四 人舞 。 貞 敏 が 琵 琶 曲 で はや しの まく ら 伝 え 、 舞 は 林 真 倉 が 作 っ た と いう 。 甘 泉 楽 ・ 嘉 祥 賀 殿 楽 と も い う 。 ○ 序 破 急 雅 楽 な ど の緩 急 、 高 低 な ど を 表 わ す 語 。序 は 一 曲 を 最 初 の 部分 で時 に太 鼓を 用 い る 外 は無 拍 子 で 、舞 人 が舞 台 に現 れ る 。 破 は中 間 の部 分 で ゆ る い拍 子 で静 か に 舞 う 。 急 は 最 終 の部 分 で早 い拍 子 で急 に 舞 う 。 十 、 貞 師 卒 事 * ( つひ )( そ つし ) さ て貞 観 九 年 に歳 六 十 一 に て終 に卒 給 ぬ 。 一 男 大け んも つ 良 臣 あ り け れ ど も 、道 を つた へ ず 。 当 道 に これ を 祖 師 と す 。 ︹ 通 釈 ︺ 十 、貞 師 卒 の事 さ て貞 観 九 年 ( 八 六 七) に貞 敏 は 六十 一 歳 で つい にな く な ら れ た 。 長 男 の大 監 物 良 臣 が いた け れ ど も 、 こ の道 を 伝 え て いな い。 こ の琵 琶 の道 では 、 こ の貞 敏 を 開 祖 と す る 。 ︹校 訂 ︺ * 九 年 原 文 には ﹁ 六年 ﹂ と あ り 。 今 ﹃ 三 代 実 録 ﹄ によ る 。 ︹ 語 釈 ︺ ○ 大 監 物 律 令 制 で中 務 省 の職 員 。 監 物 の上 で上 位 のも の。 大 蔵 省 ・ 内 蔵 寮 の倉 の鍵 を 管 理 す る 責 任 者 。 ○ 良 臣 ﹃ 尊 卑 分 脈 ﹄ に貞 敏 の子 と し て良 春 ( 式 、従 五上 、大 監 物 ) イ と 農 省 (雅 楽 頭 、 1 臣 ) と の 二名 が 見 え る 。 こ の 農 省 に 付 せ ら れ イ た ﹁ ー 臣 ﹂ の 注 は 、 良 春 に付 け ら れ た も の であ ろ う 。 ○卒 給 ぬ ﹁ 卒 し 給 ひ ぬ ﹂ 。 ﹃ 三代 実 録 ﹄ 貞 敏 九年 ( 八 六 七 ) 十月 の 条 に 、 ﹁ 従 五位 上 行 掃 部 頭 藤 原朝 臣 貞 敏 卒 。 ( 中 略 ) 卒 時 六 十 一 。 ( 後 略 ) ﹂と 見 え る 。 ○ 祖 師 開 祖 。 ﹃ 尊卑 分 脈 ﹄ に 貞 敏 を ﹁ 本 朝 琵琶 濫 觴之 師 也 ﹂と す る 。

参照

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