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Read Against the Grain: Rereading George Eliot

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Academic year: 2021

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Read Against the Grain: Rereading George Eliot

著者

藤田 眞弓

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Page 52 11/08/01 14:04

論 文 内 容 の 要 旨

本論は George Eliot の作品を個々に再読することによって、彼女の前期/後期に分けられた創作期のそ れぞれの特徴とされてきたものそのものを見直すことを主眼としている。 Eliot の作品は、従来、その創作期の特色から前期と後期に分けられ、前期作品は作家の自伝的要素や 幼い頃の思い出を題材とし、登場人物たちの「感情」を主な関心事とした“charming”な作品であり、 後期作品は、前期において自らの経験という素材を使い果たしてしまったため、複雑なプロット構成を持 つ道徳的、知的内省を作品の中心に据えた“intellectual”な作品、だというのが一般的見解とされてきた。 つまり、前期の charming で emotional な文体は Romola(1863)辺りを境に stern で intellectual な文体 に取って代わられたと。

以 上 の よ う な 評 価 が、Leslie Stephen の George Eliot(1902)、そ し て F. R. Leavis の The Great Tradition(1948)以降、Eliot の作品研究においては定着している。しかし、本論で藤田氏は、今日なお Eliot の作品批評に影響を与え続けているこのような評価を見直し、従来とは少し視点を変えて作品を再 読すれば、むしろその逆の評価を下すことも可能であることを指摘、Eliot の作品群は二分され、固定的 な評価を与えられることを拒んでいるとの見解を提示する。具体的には、Adam Bede、Silas Marner など の前期作品こそ、その根底には厳格で強烈なイデオロギーを含んでおり、Middlemarch に代表される後 期作品に intellectual discourse を転覆しかねない要素が存在していると言う。また、その橋渡しをする作 品として、The Mill on the Floss が取り上げられ、この作品の結末の洪水の場面が intellectual discourse と emotional discourse のせめぎあいを描いているとの見解を示す。

まず、第章では、Adam Bede と Silas Marner が取り上げられ、従来「牧歌的」「寓話的」と言われて きた両作の中に、ある特定の信条、観念しか認めず、そこから逸脱する登場人物は作品から排除する (Adam Bede の Hetty)、もしくは、その枠組みに囲い込もうとする(Si1as Marner の Silas)強烈なイデ

オロギーが存在しているという。

第章では藤田氏は The Mill on the Floss を取り上げ、最後の結末の場面は Maggie が represent する emotional discourse と、Tom が represent する intellectual discourse がせめぎあう場であることから、デ ウス・エクス・マキナのような「洪水」が悲劇のカタルシスの役割を果たすどころか、かえって読者を当 惑させている原因であることを論じている。 第章では後期作品から Middlemarch が論じられ、その批評史を振り返った上で従来はあまり顧みら 【T:】Edianserver/関西学院/博士学位論文/第50集/ 藤田眞弓

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博 士(文 学)

学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称

藤 田 眞 弓

氏 名

2011年月日

学位授与年月日

学位規則第条第項該当

学位授与の要件

甲文第107号(文部科学省への報告番号甲第367号)

学 位 記 番 号 (副査) 教 授 (主査) 教 授 論 文 審 査 委 員

Read Against the Grain: Rereading George Eliot

学 位 論 文 題 目

木 野 光 司

花 岡

福 岡 忠 雄

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Page 53 11/08/01 14:04 れてこなかった Will Ladislaw の人物造型を再考している。これにより、19世紀初期の変貌するイギリス 社会(選挙法改正や医療技術の進歩など)の詳細な描写など、intellectual な要素ばかりが注目されてき た本作が実はその intellectual discourse を転覆しようとする要素を内包していることを指摘する。 “Intellectual/emotional”という二つの軸は Eliot の作品のみならず、作家本人を語る上で欠かせない キーワードでもあるという。作家としてのキャリアを開始する前、彼女は雑誌編集者、翻訳家、ドイツ哲 学の研究者として既に活躍しており、このような経緯から彼女が小説家として intellectual discourse を志 向していることは、想像に難くないとする。しかしながら、それと同時に彼女は Marian Evans Lewes と して、既婚者 G. H. Lewis の生涯にわたるパートナーとして生きる道を選んだ、情熱的な愛に生きた女性 でもあったことを指摘した上で、Intellectual/emotional discourse の両者の間にいかに折り合いをつけさ せるか、または両者をいかに共存させるかが、彼女の生涯のテーマだったと結んでいる。

論 文 審 査 結 果 の 要 旨

藤田真弓氏の研究対象は19世紀のイギリスの小説家 George Eliot である。George Eliot という男名前は 彼女のペンネームで、本名は Mary Ann Evans というれっきとした女性である。あえて男名前にした理 由の一つは、当時、中身の薄い大衆迎合的小説を量産していた他の女性作家と同列にみなされることを 嫌ったからだといわれている。彼女の作家としての経歴は、1858年の Scenes of Clerical Life を皮切りに 1876年の Daniel Deronda にいたるまで18年に及び、その間 Middlemarch を含むいくつもの優れた作品を 世に問うていて、彼女の作品は文学史的に言えばイギリス小説のキャノン中のキャノンとなっている。た だ、作品によっては非常に長く、また中身も知的、思想的に奥が深く、そのため、ともすれば若い研究者 たちは敬遠する傾向がある。その点、彼女を自らの研究対象とした藤田氏の果敢さに敬意を表したい。

紙幅の関係上、以下の報告は藤田氏の論文のごく一部を選んで紹介、批評するものであるが、氏の論文 の最も核心に当たる部分であることをお断りしておく。

本 論 文 の タ イ ト ル、Read against the grain と は「木 目 に 逆 ら っ て 読 む」と い う 意 味 で、Walter Benjamin が提唱、Terry Eagleton が実践して見せて一躍有名になった言葉である。Eagleton によれば、 小説はリアリティを写し取るというが、そもそも生のままのリアリティなるものはありえず、それはすで にしてイデオロギーによって「加工」されたものであり、その加工されたリアリティを、テクストは写し 取っているに過ぎない。だとすれば、テクストを「木目に沿・っ・て・読む」ことは、テクスト中に埋め込まれ たイデオロギーに操られて読むことであり、最終的にはそのイデオロギーを追認したり、再生産すること に繋がる。そこで必要になるのが「木目に逆・ら・っ・て・読む読み方」だというのである。 この考え方に沿って、藤田氏は Eliot に関して既に定着した見方にあえて逆らい、再検討することを提 唱する。その第一は、Eliot の作家経歴を前半と後半に二分し、前半が charming で emotional な作品の多 い時期であるのに対し、後半は知的、哲学的色合いの強い作品が顕著であるとの Leslie Stephen や F.R. Leavis の見方に対する異議申し立てである。藤田氏によれば、一件 charming で emotional に見える初期 作品においても実は強力なイデオロギーがその根底に横たわっている。例えば初期作品の一つ Adam Bede においてそれが露呈するのは Hetty に対する冷酷な取り扱いである。無知ゆえに過ちを犯し、結婚 の枠外で子供をもうけてしまった彼女は、思い余って嬰児を野に放置、死なせてしまう。勿論、彼女の行 為は罪深く、当時の法のもとでは死刑は避けられない。しかし、問題は彼女を妊娠させた男の方がなんら 過酷な仕打ちを受けていないことである。ここからあぶりだされるイデオロギーは、一つにはセクシュア リティ、特に女性のセクシュアリティへの過剰な警戒、その結果としての virgin or whore,つまり処女 でなければ娼婦という、女性に対する二分法である。もう一つは、女性の性を厳しく管理する一方で、男 【T:】Edianserver/関西学院/博士学位論文/第50集/ 藤田眞弓

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Page 54 11/08/01 14:04 性の性的放縦は黙認するというダブル・スタンダード、そのダブル・スタンダードの背後にある patriarchy,家父長制度である。つまり、一見パストラル的世界と見えるこの作品も、実はイデオロギー と言う「蛇」を隠し持っていたというのが氏の主張である。極めて大胆で、興味深い指摘であるが、あえ て批判を試みるなら、氏の主張「前期作品の中にも、後期作品の特徴とされる intellectual な要素が実は 隠されている」と言うのにはやや疑問がある。後期作品での Eliot の intellectualism とは、信仰の問題、 Judaism の問題など深刻な問題に対し作家自身が自ら考察を重ね、独自の答を出そうとした結果である。 それに対し、前期作品のイデオロギーとは、当時の social formation を裏から支えていた価値体系のこと であり、それがテキストに浸透した結果に過ぎず、その両者を同列に置くことにやや違和感を覚えた。 ただ、論の立て方は一貫していて、作品ごとに、既に定着し合意された解釈に異議を申し立て、それに よってその作品のこれまで見えてなかった相貌を浮かび上がらせようとの手法は最後まで、極めて効果的 であったと思う。 本論文が博士論文としての要件を十分に備えていることは間違いなく、本論文審査委員三名は、論文の 審査並びに2011年月17日に実施した口頭試問の結果から、藤田真弓氏が本論文によって博士(文学)の 学位を受けるに値すると判断し、ここにご報告申し上げます。 【T:】Edianserver/関西学院/博士学位論文/第50集/ 藤田眞弓

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参照

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