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『宗教研究』172号(36巻1輯)

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(1)

――目次――

論文

1,

栄西:その禅と戒との関係, 石田瑞麿, Zen and Discipline (戒) in Eisai, Mizumaro ISHIDA, pp.1-23.

2,

近世の祭祀仲間衆とその解体:旧上州碓氷八幡の場合, 相葉伸, A Case Study of Shinto Local Cult

Group: Its Organization and Dissolution, Shin AIBA, pp.25-47.

3,

初期グノーシス主義の一形態:魔術者シモンをめぐって, 菊池栄三, A Type of Primitive Gnosticism:

Represented by Simon Magus, Eiz

ō KIKUCHI, pp.49-68.

4,

ベルグソンの道徳・宗教思想について:「道徳と宗教の二源泉」への試論, 三谷好憲, On the

Philosophy of Religion in Bergson, Yoshinori MITANI, pp.69-91.

5,

内村鑑三における人間苦の問題:その苦難観の変遷をたどって, 鈴木範久, On the Religious

Development of Kanzo Uchimura, With Special Reference to His Attitude toward Human Sufferings,

Norihisa SUZUKI, pp.93-112.

展望

6,

日本人のキリスト教研究に対する外人の批判について, 菅円吉, Enkichi KAN, pp.113-119.

書評

7,

佐藤賢順著『宗教の論理と表現』, 梶芳光運, Kōun KAJIYOSHI, pp.120-123.

8,

勝又俊教著『仏教における心識説の研究』, 玉城康四郎, Kōshirō TAMAKI, pp.123-130.

Posted in 1962

(昭和37)年

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(4)

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︶的位置にあるといったったがりであることが ︵ 9 明 らかである。これを栄西の他の言葉によって ぅ かがぅと、 禅は戒を ﹁方便﹂としてとるということになる。かれ性 ナ ﹂ ぅ した浄戒を方便とすることについて、﹁ 此禅 宗 者。不ま 必望二 長遠 之 ︵ O l Ⅰ ︶ 果 ゆ小ま敬朋 二 後日 2 盗 づ以二 浄戒 - 篤二方便 弓抜 -- 眼前 2 毒箭 ィ期 二郎 生之妙悟 - 也 ﹂といい、また 問 答 を設けて﹁間日。 若繭 甚深実相。凡夫行業 難 。 及 。 以二 何方便 - 両行 両得 耶 。谷口。遺教経 云 。俊二国 此戒 - 得レ生 - 藷 禅定没滅 苦 智慧づ是政 戒を 先とし初めとする、ということでもあった ナ られるもので、これをきわめて 悶明 な一・ ニの 比丘当主持 レ戒 清浄 勿 。 令 二段 欠づ若 無二浄戒 づ 諸善 Ⅱ間日。 若爾 者。破戒人生二幅 心 - 後還得レ禅否 。 側 に止めて左に掲げてみると、つぎのように言 っ め 穂首 不レ得レ生 。足取 当 。 知 。成鳥 二 第一安穏 功 ﹂とはすでに明らかである。こうした考え方は栄 各通。大理 磐経云 。・・・⋮修禅 要決云 。・・・⋮ 天 ムコ 止 葉を換えてい

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りも重いということを示したことである。しか も 栄西はさきに﹁ 以 戒律 為宗 ﹂と 記 め % レ初以 O 。 禅為 。 究 ︵ 7 1 ﹂ ︶ という文章が記されている のである。こうした後に続げられた問答のなか からうかがえること @ は、 禅は戒を土台としてその安定︵浄化Ⅴの上 に 建てられる、という前後関係であって、その軽重 本末の関係を汲みと

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興味あることは、さきに示したことに窺われる 25 に、﹁担輿 扶律 ﹂ を天 ムロ宗の典籍によって論証しながら、逆に同 じものによって同法華経口の説くところを批判し たことである。それ は 、あるひとの非難として、同法華経 L には﹁ 若 持 此経 是名 持戒。 疾 得仏道﹂とあるから、﹁ 乗急 ﹂であれば、﹁ 戒緩 ﹂ であってもよい、と説いたことに対する論難に うかがわれるもので、﹁ 天 ムロ宗弘 決云 。 登容二 破戒 - 称為 二仏乗 @ 若緑 二 是名 持戒文 り数犯 工事成り 但読二 法華 - 市有 レ効 者。 などを援用して、﹁ 法 華 経芸。 於戒有 欠漏不堪 受

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Ⅱ 故謂二之 弘禅 - 也﹂と いつた表現に端的に示されているが、ここで 注 目されることは、こうした戒律重視が﹁ 浬薬 経口 の ﹁ 扶律 顕官﹂の 義

(9)

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そしてその 雨 戒の把握の仕方も シナ の道宣や湛 然の説を拠りどころとしたものであった。すなわ ち 道宣が或るひと の 言に、自分は大乗の人であって小乗の法を行 ず る 必要を認めない、と舌口つたことをとって 、 ﹁ 此則 内幸垂ロ 薩 定心ぺ ︵ 几 4 u Ⅰ ︶ 外閲ニ 声聞 2 行め白井 二 如法達士ゆ執 能鑑レ 2 者 哉 ﹂ と 評したことをよりどころとして、栄西はこの 評言こそ禅宗にと っ ︵ Ⅱ︶ @ て要枢 であるとし、大小の戒に対しては﹁外学 二 声聞威儀 弍 内壁書 薩慈企 ﹂といった関係が両 戒の正しい在り方で あると考えたのである,こうした、外に声聞の 威儀をたもち、内に菩薩の大悲を存するといつた 両 戒の捉え方は 、栄

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︵Ⅰ Ⅰ r 3 ︶ が 望まれたことを知るのである。栄西はこの ょ う なシナ禅林伝統の宗義をうげて﹁四分梵網等 戒 。是正 所 官地﹂﹁ 今 ︵ g 3 ︶ ︵ 8 3 ︶ 此 完本レ ニ エ成 2 大小 り 偏曲持戒梵行 央 ﹂﹁ 待 兼 二 雨域 ニ といった大小二戒の護持を、そのままの 形で移植したわ け で ある。

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もそのままの形で包容されなくては は 栄西の考え方と類似したものを 認 大乗の円頓戒から 切 離して、それと たのであろう。 さてこのように栄西は外に声聞の 薩 戒の受持においてたもたれるもの らない。いわば菩薩戒のこころがこ 聞の律儀もただの声聞の律儀に終ら つて受持されるのである。したがつ ているからいえるのであるが、ここ である。栄西はこれを﹁出家大綱ヒ ならないと認め、その法華開会をまた﹁菩薩 意 ﹂ とおさえたわけである。そこに めることが可能である。これは、 証貢 がシナ 天ム 回教学の円 戒 観を日本天台の一向 して率直に理解しょうと努めたからである。 そ @ ﹂にはからずも両者の相似が生じ 律儀、内に菩薩の慈心と対照させていることは、 ここにい う 菩薩の慈心が梵網 菩 であり、いってみれば菩薩戒そのものを含めて いわれているのを知らなければな の 菩薩の慈心であり、この菩薩戒のこころを こナ ﹂ろとして菩薩戒が受持され、 声 ないで、その二乗の心を払拭しつくされた、 大 小の差別を超えた声聞の律儀とな て ﹁比奈 不レ撰 ニ成 2 大地﹂といわれるのも、こ ︵ 8 ︶ う した菩薩戒の心をその基盤とし で 任意されることは、この﹁ 心 ﹂はまた禅の心 とも一つになって行くということ の中で次のような表現を通して語っている。 そ れは菩薩戒を説明した言葉のなか ︵ 7 4 ︶ 小乗である四分律も﹁令望 こ 菩薩 開権意 - 故 。篤二 大乗戒 ニ としたのである。かれはここで法華 開 会の立場からは小我 戒に 変えてしまう鍵を摘んでいることになるが 、また舌口葉を換えていえば、大小雨戒の相違は戒 相 そのものの違いで ほ なくて、それを受持するものの心の持ち方の 差 によってきまぁ、ということにもなる。 しかしこうした考え方は、最澄以降、日本天台 ではまったく認められたことがなかつた。日域 と い 5 名は小我 を捨 棄 した、純大乗の絶待 戒 とされることを通して ﹁ 仮受 小 成 ﹂をさえ捨てさ つ たからである。 し たがつて 上 記の湛然 - にみられる、シナ 天 ムロ伝統の法華開会を基盤と

である。しかしこれ が天 ムロ教学をシナ天台の伝統に 柚 さして研究し ようとした 証 真によってかなり素直に取上げられ たことは注意してよ い 。かれは﹁ 戒 無二大小二という提言について ﹁菩薩 難 不同 こ 小乗出家 - 営中小乗 成 典市聖毒口 薩 仝 星 県ヱ 合 未 成 - ㏄︶と考え、 ﹂ (10) 10

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九二別文 - 里六 % 林ル % 掘 弱佳士 ﹂︵ 尼 5 こ ︶ - といつたところに落着 いたかぎりでは、 別授 梵網成をとって最上のもの としなかつたことが 有夫 ま 択 - わかる。 い やむしろ、﹁伝教大師の別 授 菩薩戒 の 正否を説﹂いてはならない、とした弁護は 、栄 西 自身がその当時 ぅ げた 妨 難に対する自己弁護のためでもあった と さえ考えさせるものがあって 、 正しく最澄の円 戒 を 擁護しょうとした ︵ 6 5 ︶ だけのものではないようである,﹁栄西 北頃負 - @ 種 妨難 ゆ共八者別弟子中多多。他門中文 有レ 数央 。﹂といい、﹁有志 ︵ つ ミ 1 リ ︶ ヱ 弟子 設得レ理勿レ譚レ 勝二旅帥 づ 雄二糖 怠 - 勿レ見レ 短 ﹂といつた言葉を﹁出家大綱 ヒ 0 巻末に記し て Ⅰ りる @ しとや、本章 日 散大師 別授 菩薩戒 之 正否 - 芙 。大師 巳逝 。講会 二 汝

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き戸 芳雄 @ - ︵ 4 @ ︶ といって、古人を鞭打っ非情をせめ 、結局は﹁ 善戒 経文

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くてはならないと思われるが、ここでかれは、

消極的ではある

れども、最澄の別授戒、すなわち

単授

梵網成

﹁何の過失﹂もないこと、末代のために必要なも

のとなっていること

などを示している。その理由は明示されていな

いが、梵網成

四衆にひとしく自誓受を許してい

るから、これに

ょっ

ても菩薩比丘の名を得ることができること、

網の八万威儀のなかには、﹁五戒・八戒・十戒・

二百五十戒を博ごし

ていることなどを、栄西のあげた理由と考え

れてよいだろう。しかしこのような理由はあまり

直接的ではなく、

れとして重みを持つていない。それというのも、

栄西自身、最澄が何故あのような

別授

菩薩戒を

創設したのか、その

﹁ 元

意は全く之を示す﹂︵

3

5

ことができない、として

いることからも

づけるのである。そしてさら

﹁ 其

菩薩

究覚

道理

︵ 受力

不二五

是非

- 也

﹂という抽象論を説くととも

﹁ 若別授

菩薩戒不正者

二具成

- 行二具

- 人之苦

汝何

音也。

損レ

重ニ悪道

- 波

代受レ

苦辛。故君仏ニ比目是非

レ他之

蛙手

堕二

悪道

- 武能

救レ汝

。穴賢穴賢。

。今旦後見

守二枚目

- 莫

レニエ

(12) 12

(14)

。 ゴツ '

,ヒ

栄 西 い か , え り な で い ほ よ な

あ こ る れ

た さ と ら え に @ ま 糸田

か 一 一 v ァ し の 内 小 谷 乗 に

戒 当

せこ 。 つ っ て い み て て 青 み ぅ る と

ろも

な っ

北 条

し く て の

み 類

が 、 尋思 め ら れ る そ れ @ ま

化 @ し

と @ ま 13 (13) 一者人天威。二者小乗 戒 。三者権大乗戒。四者 圓 とあって、表現にも類似性が感ぜられ る 。ところがこれば

然を撰者とする 偽撰 の同金剛宝戒釈義 章ヒとは ぼ 一致している。そこには﹁ 今就 三代所説戒 ぺ 略挙 -@ 積 異 - 駅レ義 。 が "

ケ廿 " ド ・ - モ ・ ナ @ イ ;. Ⅰ サ 比 l *@!@@ せ臣

て 、これらの文がその再治のときに付加された

ものと考えられることなどは、この

ょう

な推測を

許している。

2

さてこのように考えてくると、最澄創設の別

授 菩薩戒に対しては、その創設の元旨はわからない

として、即かず

ずといった態度をとり、消極的な支持に止ま

つ たものとみてよいが、ここで注意して置かな

ればならないことは、

栄西

とされる﹁円頓三案一心

戒ヒの

存在であ

この書については、これが取上げられた場合で

、内容上では安然の﹁普通底

﹂が多く用いら

、そのことが、

︵ Ⅰ︶ g

-@@

この書を栄西

と認めたことなどが、わずかに

撰 者を栄西にあてよ

とする例証とされたにすぎ

ない。いわば積極的

証拠はまだ見出されていないというのが、

い つ

わりないところであろう。

,したがつて真偽いずれともまだ決定していない

とみてよいようであるが、いまここで幾つかの

問題を提示して、

の 角度からこれを考えてみたい。

0 6

モ是ヲタハ

テ四

トス﹂︵

6

1

として﹁一八人天威、

一八二乗

、三八菩薩戒、四八

ルい戒

﹂︵

6

2

としている

が 、この分類法は法

t"@*<WS1i@yV?c

が 、

西 が

中 Ⅴ ァ Ⅰ タま ク一 ま 。

正 浩一

ソブ し な つ て

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@ と し ナ - Ⅰ も の で あ つ

(15)

r-@r,

ハ いま 門 釈義 章 ㌔の叙述の順序に従って け ㈲⋮の 数字を付けたが、 司 円頓二 % 一心 戒 ﹂の順序は ab ⋮のとおりで ㈹⋮顕戒論 雄 畦豆、自今 己後不レ受 三月間利益 り 自誓願 棄 臣捨 二百

動か於亡 小乗法 - 下り可二敗 レ手 [= 手執 ロ口 読叩 已上

釈義 草

㈱⋮ 是 nn 就中ロ二百五十戒八十者

三千威儀六万 組 荷足 n+ 則し比丘具足戒 也 。五百戒八十者倍

六千威儀十二万 細行 是

一︶比丘尼具足戒 也

㈲・・・

若破二 一成一則 破 臣一切一半 レ之故 [= 諸成Ⅱ

成浩 犯 nn 君 犯 一成︶ 則犯 三諸成づ 而還 nn 受 孝之放縦雄毅一小壺

披 一切 破犯 一切 犯ロ 必定 堕 ニ悪趣

防軽 [n 羅 り入︵ 戒 ハ一口奏二行獄卒や若人二鬼畜 自千 道ゴ則 小口戒善ハ一し箆ハ干支口持者 n+ 則り成三一乗り忘

nn Ⅱ弓場 先仏性

㈲・・・

鰯掘経云

寧越 三野千之小一真 レ起 三一乗 之 Ⅰ 煮掘 経回。黒癩野干 ノ心ヲ 八発ストモ一念 モ 二乗 発スヘ カラス。 9 サレハ伝教大師 ハ 大乗戒 ヲ 受給 テ後 ハ心憂 物ハ 小乗 - リケ鉤いテ 起請 ヲカキテ 元ク。 自 ムコ城壁戸閾 ノ 利益 シ 。 誓 二百五十戒 ヲ棄 ト地。 ス 慈覚大師 ノ 起請ニ元ク

モ読シト云 。 いヲ テ有 ハ受 地獄 ロニ ︵ママ︶ e 此戒 ハ % レ ヤスシ。 故 土器Ⅰ 楡ヘタり 。イカ二会キモ 二度 ノ 周三エコト ナシっ況ヤ破 レタラン ヲヤ 。 C 君寵 持 ヌレ八二乗 ト成テ仏ノ種ヲイリウシ ナウ 物 ト成ル 也 。仁成徳アリテ地獄ヰ行 ハ談庁 。︵ママ︶畜生道 法王 ト成ル ヰ行 ハ 師子虎狼 鷲鵠ト成ル 。 ﹁円頓二家﹃ 心戒ヒ ム僧ノ 成ヰ二百五十戒アリ 0 是 二三千 ノ 威儀六万 ノ 細行 ア り 。ス尼 ノ戒 二五百戒アリ。比ヰ六千威儀十二万 ノ 細行

アひ

J 。

戒 八一

(16)

栄 金剛宝戒 ト ハ字ンタル 也 ﹂︵ 4 7 ︶ ということは、 後 者に﹁円頓成仏。⋮・・・ 以レ 情偽 二 初入 - 也 。 謂 諸仏 適言。一切加来金剛宝戒。Ⅱ タユ ム事 無ク 一心金剛宝戒 ト ハ車地﹂﹁ 疑フ心、 ツユ チリ 計 モ燕クシテ 受 ツル 心ノ 堅固ナル 即仏 二テ 百枚二仏 ノ 一心㏄

占め二リ。 口 このようにみてくると、両者の関係はきわめて 密 接 なことがわかる。そして相似はこれだげに 止 まうない。第三の 菩薩戒においてもこれが認められるのである。︵ 6 6 ︶ し たがってこれからすれば、一が他を参照したか 、 二つともある何か を 参照したかの執れかである、と考えることが できる。しかしおそらく二つとも何かあるものを 参照したとするのが ︵ 7 久 し ︶ 穏当であろうか。両者の間には相似のまうたく 認められない部分がむしろ多いから、後者の関係 かと思われるが、 し かしそれはそれとして、こうした同じグループ に 属すると考えて よ いこの二つの者の関係はど う いうことになって い るめ だ るぅか 。 ﹁釈義 章 L が法然の撰述でないことはすでに衆知 のことである。これを法然の真 撰 とした最初の 文献は了誉望 向の ㍉仁ト 式抹払珊 ︵ 8 5 L ︶ であるから、法然没後一世紀あまりの 間 にこの偽作が撰述されたにちがいない。いず れにせ よ 浄土宗系の 著者の手になったものであることが明らかであ るが、そうとすると、これと相似する同三 % 一心 戒 L も天台宗系か 浄 土 宗系かのいずれかとなろ う 。 またこの書は天 ム ロロ伝法門に属する著述とされ る ﹁一心金剛 成 体 秘決 ﹂とも近い思想をもつてい る 。たとえば第四 の 戒を﹁一心金剛宝戒﹂と呼び、これを﹁活花 ノ ヵ 怜セ玖 ﹂︵ 9 6 ︶ 呼んでいるが、これは 司 秘法 口 では梵網 の 仏性戒体を国分 と し 、﹁ 果 公尭 寛 円頓戒﹂ ほ ﹁本門 寿 量三身 即 ︵ Ⅱ 0 し ︶ に 出るものとする思想と轍を等しくしている。 また﹁ 仏ノ 一心金剛 宝戒 ト 五ハ 我力 心力弘二 テ有ト 表事 ヲ 悟り知 , ︵ ノ 巧 、 Ⅰことにもめるといス フ が、 日秘 吐い L では﹁只者 旦佳苗三 性徳 本有金剛宝戒桂二 誠 心中 弍 固持 二住 本有三身威徳 ゅ思下我 印仏果

木地二百∼二体上 時 。 即住 三ニ身円満威徳二︵ 2 ︶け。 とい ラ 。さらに注意され 西 ることは、これを﹁ 信 ﹂の 当 相において 捉, えていることで、前者が﹁ ヤカテ仏二テ有 ケ リト 信 スル 心ノ 金剛 ノ如 ニテ

(17)

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い て 終 る い 至 にるから

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(18)

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い と っ し た て

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五 つ す た る と ユ 7 ( Ⅰ 7) 西 されるが、 日禅苑 清規 ヒ から最も多く栄西が教 えを受けたものは、すでにみたような、戒にお いては大小を選ばないと

﹂を按じて記したことや、その他随所に司

禅苑

清規

ヒの

文を引用したことから推測

さて以上によって、大小雨域

対する菩薩の心

がこれをいわゆる菩薩戒と決定する要因である

とした栄西の考え

方が明らかになった。そしてそこでは従来の別

日域によって菩薩戒を考えようとしなかつた

西の特殊性も認めら

︵ 9 7

れたと思

。恐らくこうした意味において栄西

﹁ 禅戒

﹂すなわち禅宗の浄戒を考えたと思われ

るが、こうした

禅戒

のなかで栄西は清規に対してどのような位置を与

えていたのであろうか。

栄西が禅林の規範として重んじた清規が司

禅苑

清規

であったことは﹁興禅護国論

b

の﹁第八陣

宋文目

﹂を﹁

︵ 士 l

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︵ 0 8

栄 ら る 西 か の に 栄 も し

西

の な と と い し さ と て れ し は る た 三 よ の 宗 ぅ で 併 に あ 修 な る は っ か 表 た ら 向 か 、 き 、 こ で そ の の よ 内

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明 述 と ら な い か あ っ ほ え て さ て も

れ す 禅

る る 宗 必 必 で

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が 性 る あ は し 8 局 局 。 い 最 。 澄 た の ナ i 月 U こ 授 の

『 薩

三 戒

聚 v こ 一 対 , ひ し

て E@ そ が め ど 一 フ亡 @ 止 ソヨ 、 し な て 明 Ⅰ・ - こうした観点から、 日 円頓王蒙一心 戒 L をひと まず栄西の著述のなかからはぶこ うと 思 う 。栄西 という人物につい ては、諸家によってその評価も異なり、 褒 芝も なかばするから、そうした意味での栄西の性格の 二重性をとりあげて 強調するとすれば、 三宗併修 をとった栄西とし ては﹁活花人ムロ﹂の立場に立つてこうした著述を ものするということ も 考えられないことはない。しかしそれはその ような性格を誇大税したかぎりであって 、 そ うし た 点を背景に予想し なければ、やはり㍉興禅護国論 ヒ など一連の著 ぬ と﹁円頓三案一心 戒 L の間には少からず間隙が 認められると思われ d く ;

(19)

" 。

てあるが、叢林の規矩については触れない。

むしろ無住の﹁雑談集

﹁持律坐禅

﹂の条が

﹁中北建仁寺

本願。

窺い知らせるよ

yv, w-ry-@ri-. ".,"-@@ いわは、﹁清規﹂はこの程度にしか重みをもたな かつたのてある。 このことは、裏を返していえば、清規はまった く ﹁ 禅苑 清規 ヒの 説示にしたがつて、これをその まま日常の行儀の 規矩にあて、これによって叢林の厳正を期した ナ ﹂とを語る、と考えられそうであるが、事実はそ ぅ ではなかつたらし い 。㍉正法眼蔵随聞記口の語るところでは、僧衆 はそれぞれの分に随って三業を守り、持戒に 努 めるところがあった ビ 7. ㌔ "" 斗 " 』 モ ・ 百 つ こ に て と は 、 を 二

僅 説 門

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仁 、禅門における清規までは手がとどかなかつ た 、と考えたほうが正しいようである。同斎戒 勧進 文ヒ にも﹁ 受 , 葮 頂 - 一門衆評有縁道心 衆早 永二出離 - 応ドニ二修斎癬 ︵ 9 ︶ ことして、斎戒こそは﹁ 皆以為二 各各解脱 一 至要 也 。仏言下 レ念二 斎戒 - 非ニ我 弟子 ニ苔ム 。他門他人 猶可レ肚 二化吉見沢 一 P, ヲ 従来。︵ 乎 0 9 ︶ ﹂ といつているよさに、非時食と菩薩 戒を守るに急で、 禅 ︵ ll 9. ︶ 門 独特の﹁・清規﹂をそだてるまでには至って い ないのである。このことは、栄西の禅が 円密と井 修の禅であるほかな かつたという、時代の先駆者が負わされる制約 を脱 れることができなかつたこととも相応ずるも のであ ヴ 、さらに 田 た 建仁寺の禅が栄西没後、護戒の風が乱れるに つれて振わなくなっていつたこととも関連してい る だろう。月客 と井 修の栄西の禅がせめて清規を主体にして旧来 の 菩薩戒を従とする風儀を育てたならば、そこに 独 自性を発揮すること ができたのではなかろ 5 か 。すでに 旧 仏教側に 属する高弁でさえ、清規をつくつて従来に示し、 日常の行儀を正そ う としたのである。栄西はその点時代の動きに 対 して後退したといつて よ いかもしれない。 哩 Ⅰ﹁元亨釈書 L 第二巻︵ 仏 全一 0 一・一五五上︶。 2 ㍉ 興禧 護国論 L 中巻︵大正蔵 人 0. 一 0 上 ︶。 3 同上巻︵ 同 ・五丁︶。 4 周中巻︵ 同 ・ 一 0 中 ︶。 5 回申告︵ 同 ・ 一 0 下 ︶。 6 ﹁元亨釈書 L 第二巻︵ 仏 全一 0 一・一五八丁︶。 7 辻善之助氏コ日本仏教典 L 第三巻︵ 七 0 | セ一︶。 8 上巻︵大正蔵 人 0. 二丁︶。 西 9 法然は専修念仏にたいして﹁すけさ、 ね ﹂ ﹁本願の念仏﹂といつているが、これと対象的である " 拙稿﹁法然上人の戒律 観 ﹂ ︵下︶︵仏教史学、ニブ一︶参照。 穏 ㍉ 興祀 護国論 J 下巻︵大正蔵 人 0. 一 三下︶。 栄 Ⅱ回申 巻 ︵ 同 ・八丁︶。そのほか﹁足立 以二 大小我り偽 廿 如来 膵 傍人二方便一意地 し ︵ 同 ・ 一 三十︶ と も い う 。

(21)

: 。 一 Ⅰ・ 一 ""@"" Ⅰ ノ ・

は 同上巻︵ 同 ・ セ上 ︶。 鳴 同中巻︵ 同 ・ 八 上 |中 ︶。 Ⅱ同下巻︵ 同 ・一二丁︶。そのほか︵右上・几下など に ︶も引く。 巧 同上巻︵ 同 ・ 七 上︶。 ㎎古田 紹欽氏は ﹁栄西における持戒持律思想の意義 ﹂︵日本仏教学会年報二五︶の中で﹁ お先 ﹂を﹁為末 ﹂と同義と解してお られる︵ 二 二五、二三四︶。したがつてまた﹁道元に おける持戒持律の展開﹂においても、栄西の﹁戒律を 宗とする﹂という 考え方は、戒律宗ともなりかれない、といわれる︵ 輔 Ⅱ・仏前掲上巻︵ 同 ・ 七 上︶。 穏 ・ 穏 司天台 霞 標し三編第四巻︵ 仏 全一二五・三セ 三下り。 れ日興 輝 護国論 L 中巻︵前掲,一二上︶。 % 同中巻︵ 同 ・兄上︶。 % 同下巻︵ 同 ・一四十︶。 % 何 正法眼蔵随聞記 口 第四巻︵岩波文庫本、七二︶。 あ 前掲上巻︵ 同, ニ丁︶。 60 同上巻︵ 同 ・三上︶。 却 同中巻︵ 同 ・人中︶。 % 同上巻︵ 同 ・三下︶。 ㈲同上巻︵ 同,セ上 ︶。 ㏄同下巻︵ 同 ・ 一 三上 |中 ︶。 町コ出家大網 L ︵明治三年富岡新三郎翻刻本による︶ には﹁般若弘経昌二 於此 晴一 浬盤 製法壺井 ニ 今日 ニ ︵ 一 右 ︶といつている り ﹁般若﹂は膵に連なり、﹁担架﹂は戒律と結ばれている 0p 前掲下巻︵ 同 ・ 一 三下 | 一四土︶。 ㏄同下巻︵ 同 ・一四七 |中 ︶。 制 同下巻︵ 同 ・一二丁︶。 (20) 20

(22)

ヰ ⅠⅡ Ⅰ セ @ 35

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栄 21 (21) な 文 い 究 宗 一 一 一 一

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参照。

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(23)

㏄上巻︵旧版伝教大師全集 四 、二 0 セ ︶。

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小文庫蔵本によって掲げるの m. ㏄ 同 ︵一方︶。 く ㌍ ) ブ円ノ 。 . ㏄多賀茂が数本の異同をたしかめてこの㍉円頓三家 一心 戒ヒ 全文を㍉仏教史学 b ︵ 九ノ 二︶に史料紹介し ているが、いまは 額 銘 刃

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(24)

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れ前掲上巻︵ 回 、二一六︶。 nO 前掲叡山文庫蔵本︵一六方︶ れ何︵一七古︶。 % 前掲上巻︵ 同 ・ 二 一六︶。 托 ㍉円頓三乗一心 成 口 が 、この一心の異名としてあげ たもののなかには、口伝法門系の文献にみえるもの がある。煩雑だから 一一指摘しないが、たとえば、如来蔵、本覚、元 初 、一 九品、一念などがそれである。これからすると、口伝 法門系に属する人 の 著述とみることもできる。 竹前掲叡山文庫蔵本︵三有 |左 ︶ ㌍第十三巻︵大正蔵二五,一五三十1丁︶。 沌 日興 禧 護国論 L 中巻︵前掲、人中︶。 ㏄同下巻︵ 同 ・一四 中 ︶。 額 同上巻︵ 同 ・ニ十︶、中巻︵ 同 ・人中、九 中 ︶ 等 。 ㏄・㏄同下巻︵ 同 ・一四丁︶。 射前掲明治三年翻刻本︵一台︶。 ぬ回︵ ニ ね + ︶。 ㏄式法 は ㍉南海寄帰内法伝 L ︵大正蔵五四︶の﹁ 十衣 食前 須 ﹂の条により、合法は同じく﹁入朝 弔 宙水﹂、 ﹁丸麦 斎 規則﹂、﹁ 十 大匙 筋 ムコ 否 ﹂、﹁十八便利二車﹂などの条によっている 辞 ﹁ 膵苑 清規 L ︵前掲出 続 蔵本︶第一巻﹁ 赴粥飯 ﹂ の 条 によって引用している。 ㏄第八巻︵延宝 セ年 開板本 ハ 奥書に﹁嘉元三年十二 月 二日 於 万徳手書写 畢 執筆慈眼喜之﹂とあるⅡ 一 0 左 ︶ ぬ目 出家大綱 仏 附載︵明治三年翻刻本、一七生︶。 ㏄ 同 ︵一八 右 ︶。 皿 同出家大綱しでは、斎戒を衣食・行儀ととらえ、 行 儀を戒行・律儀と解している。 23@ (23) が

心曲

巡れ れ ㏄に同じ。

(25)

近世の祭祀仲間

衆 とその解体

25 (25)

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