――目次――
論文
1,
栄西:その禅と戒との関係, 石田瑞麿, Zen and Discipline (戒) in Eisai, Mizumaro ISHIDA, pp.1-23.
2,
近世の祭祀仲間衆とその解体:旧上州碓氷八幡の場合, 相葉伸, A Case Study of Shinto Local Cult
Group: Its Organization and Dissolution, Shin AIBA, pp.25-47.
3,
初期グノーシス主義の一形態:魔術者シモンをめぐって, 菊池栄三, A Type of Primitive Gnosticism:
Represented by Simon Magus, Eiz
ō KIKUCHI, pp.49-68.
4,
ベルグソンの道徳・宗教思想について:「道徳と宗教の二源泉」への試論, 三谷好憲, On the
Philosophy of Religion in Bergson, Yoshinori MITANI, pp.69-91.
5,
内村鑑三における人間苦の問題:その苦難観の変遷をたどって, 鈴木範久, On the Religious
Development of Kanzo Uchimura, With Special Reference to His Attitude toward Human Sufferings,
Norihisa SUZUKI, pp.93-112.
展望
6,
日本人のキリスト教研究に対する外人の批判について, 菅円吉, Enkichi KAN, pp.113-119.
書評
7,
佐藤賢順著『宗教の論理と表現』, 梶芳光運, Kōun KAJIYOSHI, pp.120-123.
8,
勝又俊教著『仏教における心識説の研究』, 玉城康四郎, Kōshirō TAMAKI, pp.123-130.
Posted in 1962
(昭和37)年
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興味あることは、さきに示したことに窺われる 25 に、﹁担輿 扶律 ﹂ を天 ムロ宗の典籍によって論証しながら、逆に同 じものによって同法華経口の説くところを批判し たことである。それ は 、あるひとの非難として、同法華経 L には﹁ 若 持 此経 是名 持戒。 疾 得仏道﹂とあるから、﹁ 乗急 ﹂であれば、﹁ 戒緩 ﹂ であってもよい、と説いたことに対する論難に うかがわれるもので、﹁ 天 ムロ宗弘 決云 。 登容二 破戒 - 称為 二仏乗 @ 若緑 二 是名 持戒文 り数犯 工事成り 但読二 法華 - 市有 レ効 者。 などを援用して、﹁ 法 華 経芸。 於戒有 欠漏不堪 受
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云 。一切 破 戒亦 不親近敬意兵破戒 人尚 不親近。泥目 恩 二足 タ伯 仕 何 % 八十人 ︵ 3 3 ︶ り 還 破戒 哉 。 其逮 二星 則 築造句Ⅱ空費 -@ 時 六時 2 弾 り 伸二景 名 持戒文 ゅ妄犯 二四重十重二戒め 是 晋三大乗 - 赤井 二 小乗 - 乎 ﹂と論じてい ることに認められる。こうした論難は栄西の天 ム ロ宗に対する関係を想起するとき、ここにい う ﹁ 成人﹂がど う したひ とであるか解らないだげに、興味を感ぜさせる が 、しかし実はそれはかりではなく、㍉法華経 ヒ にい う ﹁持経﹂を 西 ﹁持戒しとする、そうした戒の捉え方をまっ たく許そうとしなかつた、栄西の考え方が端的 注目しなければならないのである。言葉をかえ て 言えば、栄西が 戒と 指すものは抽象的に捉え ろ れた、﹁本有 戒 ﹂ な ㏄ 栄 どといった 理戒 ではなくて、具体的な 、現 実に足をすえた 事戎 であることを極めて明白に 襄 叫 つてⅠいる ハ りである。 卜 しれ 7 う に 足場を置いていることである。このこ 局 して、﹁担架 経 しに示す﹁ 扶律説常 ﹂ に ﹁間日。禅宗 何強勧ニ 戒行 - 耶 。谷口。 兄 心。念念相応諸波羅蜜。 雄 鈍根小智。 とは、﹁興禅護国論﹂に 、天 ムロ宗の﹁釈義﹂ や ﹁ 私決 ﹂や﹁止観 義 例ヒを訓 ︵㏄㏄︶ の義 こそ、末世にふさわしいものである、 と語 らせていることや、また随所 担架 扶律 顕官意地﹂﹁今 北 禅宗祖 子 。決択身心 。守護戒律。心木 澄浄 。歓然 ︵ 9 2 ︶ ︵ o 3 り ︶ 而 持戒清浄。葉裏絵心月期 然 。 如 大経 中扶律説 常 。 則此 意 地 ﹂と記している ︵ 為 ︶ 寄りかかり、その 扶 げに安住している感が深い , ﹂とはいなめないのである。そのことは、たと, ぇば ﹁ 扶律 禅法﹂とい ︵ 7 2 ︶ い、﹁外灯ニ % 興扶 待づ内供 二 般若智慧ゅ藍尾禅宗Ⅱ 故謂二之 弘禅 - 也﹂と いつた表現に端的に示されているが、ここで 注 目されることは、こうした戒律重視が﹁ 浬薬 経口 の ﹁ 扶律 顕官﹂の 義
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そしてその 雨 戒の把握の仕方も シナ の道宣や湛 然の説を拠りどころとしたものであった。すなわ ち 道宣が或るひと の 言に、自分は大乗の人であって小乗の法を行 ず る 必要を認めない、と舌口つたことをとって 、 ﹁ 此則 内幸垂ロ 薩 定心ぺ ︵ 几 4 u Ⅰ ︶ 外閲ニ 声聞 2 行め白井 二 如法達士ゆ執 能鑑レ 2 者 哉 ﹂ と 評したことをよりどころとして、栄西はこの 評言こそ禅宗にと っ ︵ Ⅱ︶ @ て要枢 であるとし、大小の戒に対しては﹁外学 二 声聞威儀 弍 内壁書 薩慈企 ﹂といった関係が両 戒の正しい在り方で あると考えたのである,こうした、外に声聞の 威儀をたもち、内に菩薩の大悲を存するといつた 両 戒の捉え方は 、栄癩 """", " 。 ""
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︵Ⅰ Ⅰ r 3 ︶ が 望まれたことを知るのである。栄西はこの ょ う なシナ禅林伝統の宗義をうげて﹁四分梵網等 戒 。是正 所 官地﹂﹁ 今 ︵ g 3 ︶ ︵ 8 3 ︶ 此 完本レ ニ エ成 2 大小 り 偏曲持戒梵行 央 ﹂﹁ 待 兼 二 雨域 ニ といった大小二戒の護持を、そのままの 形で移植したわ け で ある。"""" 。 "'". Ⅰ " ) " ギ廿 "" 五
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もそのままの形で包容されなくては は 栄西の考え方と類似したものを 認 大乗の円頓戒から 切 離して、それと たのであろう。 さてこのように栄西は外に声聞の 薩 戒の受持においてたもたれるもの らない。いわば菩薩戒のこころがこ 聞の律儀もただの声聞の律儀に終ら つて受持されるのである。したがつ ているからいえるのであるが、ここ である。栄西はこれを﹁出家大綱ヒ ならないと認め、その法華開会をまた﹁菩薩 意 ﹂ とおさえたわけである。そこに めることが可能である。これは、 証貢 がシナ 天ム 回教学の円 戒 観を日本天台の一向 して率直に理解しょうと努めたからである。 そ @ ﹂にはからずも両者の相似が生じ 律儀、内に菩薩の慈心と対照させていることは、 ここにい う 菩薩の慈心が梵網 菩 であり、いってみれば菩薩戒そのものを含めて いわれているのを知らなければな の 菩薩の慈心であり、この菩薩戒のこころを こナ ﹂ろとして菩薩戒が受持され、 声 ないで、その二乗の心を払拭しつくされた、 大 小の差別を超えた声聞の律儀とな て ﹁比奈 不レ撰 ニ成 2 大地﹂といわれるのも、こ ︵ 8 ︶ う した菩薩戒の心をその基盤とし で 任意されることは、この﹁ 心 ﹂はまた禅の心 とも一つになって行くということ の中で次のような表現を通して語っている。 そ れは菩薩戒を説明した言葉のなか ︵ 7 4 ︶ 小乗である四分律も﹁令望 こ 菩薩 開権意 - 故 。篤二 大乗戒 ニ としたのである。かれはここで法華 開 会の立場からは小我 戒に 変えてしまう鍵を摘んでいることになるが 、また舌口葉を換えていえば、大小雨戒の相違は戒 相 そのものの違いで ほ なくて、それを受持するものの心の持ち方の 差 によってきまぁ、ということにもなる。 しかしこうした考え方は、最澄以降、日本天台 ではまったく認められたことがなかつた。日域 と い 5 名は小我 を捨 棄 した、純大乗の絶待 戒 とされることを通して ﹁ 仮受 小 成 ﹂をさえ捨てさ つ たからである。 し たがつて 上 記の湛然 - にみられる、シナ 天 ムロ伝統の法華開会を基盤と
である。しかしこれ が天 ムロ教学をシナ天台の伝統に 柚 さして研究し ようとした 証 真によってかなり素直に取上げられ たことは注意してよ い 。かれは﹁ 戒 無二大小二という提言について ﹁菩薩 難 不同 こ 小乗出家 - 営中小乗 成 典市聖毒口 薩 仝 星 県ヱ 合 未 成 - ㏄︶と考え、 ﹂ (10) 10
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九二別文 - 里六 % 林ル % 掘 弱佳士 ﹂︵ 尼 5 こ ︶ - といつたところに落着 いたかぎりでは、 別授 梵網成をとって最上のもの としなかつたことが 有夫 ま 択 - わかる。 い やむしろ、﹁伝教大師の別 授 菩薩戒 の 正否を説﹂いてはならない、とした弁護は 、栄 西 自身がその当時 ぅ げた 妨 難に対する自己弁護のためでもあった と さえ考えさせるものがあって 、 正しく最澄の円 戒 を 擁護しょうとした ︵ 6 5 ︶ だけのものではないようである,﹁栄西 北頃負 - @ 種 妨難 ゆ共八者別弟子中多多。他門中文 有レ 数央 。﹂といい、﹁有志 ︵ つ ミ 1 リ ︶ ヱ 弟子 設得レ理勿レ譚レ 勝二旅帥 づ 雄二糖 怠 - 勿レ見レ 短 ﹂といつた言葉を﹁出家大綱 ヒ 0 巻末に記し て Ⅰ りる @ しとや、本章 日 散大師 別授 菩薩戒 之 正否 - 芙 。大師 巳逝 。講会 二 汝哉ピ、
き戸 芳雄 @ - ︵ 4 @ ︶ といって、古人を鞭打っ非情をせめ 、結局は﹁ 善戒 経文ワ イ
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くてはならないと思われるが、ここでかれは、
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れども、最澄の別授戒、すなわち
単授
梵網成
に
﹁何の過失﹂もないこと、末代のために必要なも
のとなっていること
などを示している。その理由は明示されていな
いが、梵網成
が
四衆にひとしく自誓受を許してい
るから、これに
ょっ
ても菩薩比丘の名を得ることができること、
梵
網の八万威儀のなかには、﹁五戒・八戒・十戒・
二百五十戒を博ごし
ていることなどを、栄西のあげた理由と考え
も
れてよいだろう。しかしこのような理由はあまり
直接的ではなく、
そ
れとして重みを持つていない。それというのも、
栄西自身、最澄が何故あのような
別授
菩薩戒を
創設したのか、その
﹁ 元
意は全く之を示す﹂︵
3
5
︶
ことができない、として
いることからも
肯
づけるのである。そしてさら
に
﹁ 其
菩薩
究覚
道理
︵ 受力
︶
只
不二五
相
是非
- 也
﹂という抽象論を説くととも
に
﹁ 若別授
菩薩戒不正者
授
二具成
- 行二具
戒
- 人之苦
也
。
汝何
音也。
損レ
道
重ニ悪道
- 波
代受レ
苦辛。故君仏ニ比目是非
レ他之
蛙手
堕二
悪道
- 武能
救レ汝
。穴賢穴賢。
自
。今旦後見
守二枚目
情
- 莫
レニエ
伝
(12) 12。 ゴツ '
,ヒ
栄 西 い か , え り な で い ほ よ な
あ こ る れ
を
た さ と ら え に @ ま 糸田第
か 一 一 v ァ し の 内 小 谷 乗 に戒 当
せこ 。 つ っ て い み て て 青 み ぅ る とと
ろも
な っ対
と北 条
し く て のみ 類
る似
が 、 尋思 め ら れ る そ れ @ ま単
化 @ し偶
然
と @ ま 13 (13) 一者人天威。二者小乗 戒 。三者権大乗戒。四者 圓 とあって、表現にも類似性が感ぜられ る 。ところがこれば然を撰者とする 偽撰 の同金剛宝戒釈義 章ヒとは ぼ 一致している。そこには﹁ 今就 三代所説戒 ぺ 略挙 -@ 積 異 - 駅レ義 。 が "
串
ケ廿 " ド ・ - モ ・ ナ @ イ ;. Ⅰ サ 比 l *@!@@ せ臣て 、これらの文がその再治のときに付加された
ものと考えられることなどは、この
ょう
な推測を
許している。
2
さてこのように考えてくると、最澄創設の別
授 菩薩戒に対しては、その創設の元旨はわからない
として、即かず
離
れ
ずといった態度をとり、消極的な支持に止ま
つ たものとみてよいが、ここで注意して置かな
げ
ればならないことは、
栄西
作
とされる﹁円頓三案一心
戒ヒの
存在であ
る
。
この書については、これが取上げられた場合で
も
、内容上では安然の﹁普通底
釈
﹂が多く用いら
ね
、そのことが、
︵ Ⅰ︶ g
-@@
この書を栄西
撲
と認めたことなどが、わずかに
撰 者を栄西にあてよ
う
とする例証とされたにすぎ
ない。いわば積極的
な
証拠はまだ見出されていないというのが、
い つ
わりないところであろう。
,したがつて真偽いずれともまだ決定していない
とみてよいようであるが、いまここで幾つかの
問題を提示して、
別
の 角度からこれを考えてみたい。
︵
0 6
︶
モ是ヲタハ
手
テ四
トス﹂︵
6
1
︶
として﹁一八人天威、
一
一八二乗
戒
、三八菩薩戒、四八
ルい戒
﹂︵
6
2
︶
としている
が 、この分類法は法
t"@*<WS1i@yV?cが 、
栄
西 が在
唐
中 Ⅴ ァ Ⅰ タま ク一 ま 。略
儀
を垂
じ後
正 浩一年
ソブ し な つ て再
「
治
て 以 て 同 ⅠⅠ 月け l 震 の
初
学
v ァ し 始 ⑬ 」)そ
@ と し ナ - Ⅰ も の で あ つr-@r,
ハ いま 門 釈義 章 ㌔の叙述の順序に従って け ㈲⋮の 数字を付けたが、 司 円頓二 % 一心 戒 ﹂の順序は ab ⋮のとおりで ㈹⋮顕戒論 雄 畦豆、自今 己後不レ受 三月間利益 り 自誓願 棄 臣捨 二百
動か於亡 小乗法 - 下り可二敗 レ手 [= 手執 ロ口 読叩 已上
ロ
釈義 草し
㈱⋮ 是 nn 就中ロ二百五十戒八十者ロ
三千威儀六万 組 荷足 n+ 則し比丘具足戒 也 。五百戒八十者倍し
六千威儀十二万 細行 是ハ
一︶比丘尼具足戒 也。
㈲・・・
若破二 一成一則 破 臣一切一半 レ之故 [= 諸成Ⅱ一
成浩 犯 nn 君 犯 一成︶ 則犯 三諸成づ 而還 nn 受 孝之放縦雄毅一小壺一
披 一切 破犯 一切 犯ロ 必定 堕 ニ悪趣一
防軽 [n 羅 り入︵ 戒 ハ一口奏二行獄卒や若人二鬼畜 自千 道ゴ則 小口戒善ハ一し箆ハ干支口持者 n+ 則り成三一乗り忘臣
nn Ⅱ弓場 先仏性ゃ
㈲・・・
鰯掘経云、
寧越 三野千之小一真 レ起 三一乗 之 Ⅰ 煮掘 経回。黒癩野干 ノ心ヲ 八発ストモ一念 モ 二乗 発スヘ カラス。 9 サレハ伝教大師 ハ 大乗戒 ヲ 受給 テ後 ハ心憂 物ハ 小乗 - リケ鉤いテ 起請 ヲカキテ 元ク。 自 ムコ城壁戸閾 ノ 利益 シ 。 誓 二百五十戒 ヲ棄 ト地。 ス 慈覚大師 ノ 起請ニ元クモ読シト云 。 いヲ テ有 ハ受 地獄 ロニ ︵ママ︶ e 此戒 ハ % レ ヤスシ。 故 土器Ⅰ 楡ヘタり 。イカ二会キモ 二度 ノ 周三エコト ナシっ況ヤ破 レタラン ヲヤ 。 C 君寵 持 ヌレ八二乗 ト成テ仏ノ種ヲイリウシ ナウ 物 ト成ル 也 。仁成徳アリテ地獄ヰ行 ハ談庁 。︵ママ︶畜生道 法王 ト成ル ヰ行 ハ 師子虎狼 鷲鵠ト成ル 。 ﹁円頓二家﹃ 心戒ヒ ム僧ノ 成ヰ二百五十戒アリ 0 是 二三千 ノ 威儀六万 ノ 細行 ア り 。ス尼 ノ戒 二五百戒アリ。比ヰ六千威儀十二万 ノ 細行
アひ
J 。戒 八一
栄 金剛宝戒 ト ハ字ンタル 也 ﹂︵ 4 7 ︶ ということは、 後 者に﹁円頓成仏。⋮・・・ 以レ 情偽 二 初入 - 也 。 謂 諸仏 適言。一切加来金剛宝戒。Ⅱ タユ ム事 無ク 一心金剛宝戒 ト ハ車地﹂﹁ 疑フ心、 ツユ チリ 計 モ燕クシテ 受 ツル 心ノ 堅固ナル 即仏 二テ 百枚二仏 ノ 一心㏄
占め二リ。 口 このようにみてくると、両者の関係はきわめて 密 接 なことがわかる。そして相似はこれだげに 止 まうない。第三の 菩薩戒においてもこれが認められるのである。︵ 6 6 ︶ し たがってこれからすれば、一が他を参照したか 、 二つともある何か を 参照したかの執れかである、と考えることが できる。しかしおそらく二つとも何かあるものを 参照したとするのが ︵ 7 久 し ︶ 穏当であろうか。両者の間には相似のまうたく 認められない部分がむしろ多いから、後者の関係 かと思われるが、 し かしそれはそれとして、こうした同じグループ に 属すると考えて よ いこの二つの者の関係はど う いうことになって い るめ だ るぅか 。 ﹁釈義 章 L が法然の撰述でないことはすでに衆知 のことである。これを法然の真 撰 とした最初の 文献は了誉望 向の ㍉仁ト 式抹払珊 ︵ 8 5 L ︶ であるから、法然没後一世紀あまりの 間 にこの偽作が撰述されたにちがいない。いず れにせ よ 浄土宗系の 著者の手になったものであることが明らかであ るが、そうとすると、これと相似する同三 % 一心 戒 L も天台宗系か 浄 土 宗系かのいずれかとなろ う 。 またこの書は天 ム ロロ伝法門に属する著述とされ る ﹁一心金剛 成 体 秘決 ﹂とも近い思想をもつてい る 。たとえば第四 の 戒を﹁一心金剛宝戒﹂と呼び、これを﹁活花 ノ ヵ 怜セ玖 ﹂︵ 9 6 ︶ 呼んでいるが、これは 司 秘法 口 では梵網 の 仏性戒体を国分 と し 、﹁ 果 公尭 寛 円頓戒﹂ ほ ﹁本門 寿 量三身 即 ︵ Ⅱ 0 し ︶ に 出るものとする思想と轍を等しくしている。 また﹁ 仏ノ 一心金剛 宝戒 ト 五ハ 我力 心力弘二 テ有ト 表事 ヲ 悟り知 , ︵ ノ 巧 、 Ⅰことにもめるといス フ が、 日秘 吐い L では﹁只者 旦佳苗三 性徳 本有金剛宝戒桂二 誠 心中 弍 固持 二住 本有三身威徳 ゅ思下我 印仏果
争
木地二百∼二体上 時 。 即住 三ニ身円満威徳二︵ 2 ︶け。 とい ラ 。さらに注意され 西 ることは、これを﹁ 信 ﹂の 当 相において 捉, えていることで、前者が﹁ ヤカテ仏二テ有 ケ リト 信 スル 心ノ 金剛 ノ如 ニテ"
下可
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L、 て 栄 て 。 < ム -0 る ん 験 ト ト ニ ノ な の 西
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は戒
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司 必 一 こ 以 げ 」 肇
乳房室三百 荒毛義魑
っ わ つ も 一 を 信 い か 歩 同 顕 法身り進んでじくし 二
い て 終 る い 至 にるから
二仏果
よ う-
く Ⅰ 6) 16
栄 思、 い
わ
う れ こ る と で、そ あ
さ
大
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「 た ,情 戒 」 な に護 在
持
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だ のけ 情
V, 甲 」終
に ら よ せ つ た て ぃ そ て, の 、 差 長 ; ; く解
持 消
っ す て る と憎
い と っ し た て考
た 行 , え儀 刀
な で規 あ
五 つ す た る と ユ 7 ( Ⅰ 7) 西 されるが、 日禅苑 清規 ヒ から最も多く栄西が教 えを受けたものは、すでにみたような、戒にお いては大小を選ばないと﹂を按じて記したことや、その他随所に司
禅苑
清規
ヒの
文を引用したことから推測
さて以上によって、大小雨域
に
対する菩薩の心
期
がこれをいわゆる菩薩戒と決定する要因である
とした栄西の考え
方が明らかになった。そしてそこでは従来の別
授
日域によって菩薩戒を考えようとしなかつた
栄
西の特殊性も認めら
︵ 9 7
︶
れたと思
う
。恐らくこうした意味において栄西
は
﹁ 禅戒
﹂すなわち禅宗の浄戒を考えたと思われ
るが、こうした
禅戒
のなかで栄西は清規に対してどのような位置を与
えていたのであろうか。
栄西が禅林の規範として重んじた清規が司
禅苑
清規
ヒ
であったことは﹁興禅護国論
b
の﹁第八陣
宋文目
門
﹂を﹁
禅
︵ 士 l
8
︶
︵ 0 8
︶
栄 ら る 西 か の に 栄 も し
西
の な と と い し さ と て れ し は る た 三 よ の 宗 ぅ で 併 に あ 修 な る は っ か 表 た ら 向 か 、 き 、 こ で そ の の よ 内経
う実
路 な
はは 善 阿
明 述 と ら な い か あ っ ほ え て さ て もれ す 禅
る る 宗 必 必 で安 然 あ
が 性 る あ は し 8 局 局 。 い 最 。 澄 た の ナ i 月 U こ 授 の菩
『 薩三 戒
聚 v こ 一 対 , ひ し戒
て E@ そ が め ど 一 フ亡 @ 止 ソヨ 、 し な て 明 Ⅰ・ - こうした観点から、 日 円頓王蒙一心 戒 L をひと まず栄西の著述のなかからはぶこ うと 思 う 。栄西 という人物につい ては、諸家によってその評価も異なり、 褒 芝も なかばするから、そうした意味での栄西の性格の 二重性をとりあげて 強調するとすれば、 三宗併修 をとった栄西とし ては﹁活花人ムロ﹂の立場に立つてこうした著述を ものするということ も 考えられないことはない。しかしそれはその ような性格を誇大税したかぎりであって 、 そ うし た 点を背景に予想し なければ、やはり㍉興禅護国論 ヒ など一連の著 ぬ と﹁円頓三案一心 戒 L の間には少からず間隙が 認められると思われ d く ;蒋
。
" 。
一
よ
う
てあるが、叢林の規矩については触れない。
むしろ無住の﹁雑談集
仁
﹁持律坐禅
事
﹂の条が
﹁中北建仁寺
ノ
本願。
が
窺い知らせるよ
う
yv, w-ry-@ri-. ".,"-@@ いわは、﹁清規﹂はこの程度にしか重みをもたな かつたのてある。 このことは、裏を返していえば、清規はまった く ﹁ 禅苑 清規 ヒの 説示にしたがつて、これをその まま日常の行儀の 規矩にあて、これによって叢林の厳正を期した ナ ﹂とを語る、と考えられそうであるが、事実はそ ぅ ではなかつたらし い 。㍉正法眼蔵随聞記口の語るところでは、僧衆 はそれぞれの分に随って三業を守り、持戒に 努 めるところがあった ビ 7. ㌔ "" 斗 " 』 モ ・ 百 つ こ に て と は 、 を 二僅 説 門
か き あ
に 木 つ食
して
事 て
に い 一 放 る も ま け が 衣
る
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"
喫 容 二 作 は はの ん で
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清 と か 規 し に ヒ て 出 か示 家
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目
Ⅰ
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㌔ ヰ"Vl@@9.
鱒やヴ仁 、禅門における清規までは手がとどかなかつ た 、と考えたほうが正しいようである。同斎戒 勧進 文ヒ にも﹁ 受 , 葮 頂 - 一門衆評有縁道心 衆早 永二出離 - 応ドニ二修斎癬 ︵ 9 ︶ ことして、斎戒こそは﹁ 皆以為二 各各解脱 一 至要 也 。仏言下 レ念二 斎戒 - 非ニ我 弟子 ニ苔ム 。他門他人 猶可レ肚 二化吉見沢 一 P, ヲ 従来。︵ 乎 0 9 ︶ ﹂ といつているよさに、非時食と菩薩 戒を守るに急で、 禅 ︵ ll 9. ︶ 門 独特の﹁・清規﹂をそだてるまでには至って い ないのである。このことは、栄西の禅が 円密と井 修の禅であるほかな かつたという、時代の先駆者が負わされる制約 を脱 れることができなかつたこととも相応ずるも のであ ヴ 、さらに 田 た 建仁寺の禅が栄西没後、護戒の風が乱れるに つれて振わなくなっていつたこととも関連してい る だろう。月客 と井 修の栄西の禅がせめて清規を主体にして旧来 の 菩薩戒を従とする風儀を育てたならば、そこに 独 自性を発揮すること ができたのではなかろ 5 か 。すでに 旧 仏教側に 属する高弁でさえ、清規をつくつて従来に示し、 日常の行儀を正そ う としたのである。栄西はその点時代の動きに 対 して後退したといつて よ いかもしれない。 哩 Ⅰ﹁元亨釈書 L 第二巻︵ 仏 全一 0 一・一五五上︶。 2 ㍉ 興禧 護国論 L 中巻︵大正蔵 人 0. 一 0 上 ︶。 3 同上巻︵ 同 ・五丁︶。 4 周中巻︵ 同 ・ 一 0 中 ︶。 5 回申告︵ 同 ・ 一 0 下 ︶。 6 ﹁元亨釈書 L 第二巻︵ 仏 全一 0 一・一五八丁︶。 7 辻善之助氏コ日本仏教典 L 第三巻︵ 七 0 | セ一︶。 8 上巻︵大正蔵 人 0. 二丁︶。 西 9 法然は専修念仏にたいして﹁すけさ、 ね ﹂ ﹁本願の念仏﹂といつているが、これと対象的である " 拙稿﹁法然上人の戒律 観 ﹂ ︵下︶︵仏教史学、ニブ一︶参照。 穏 ㍉ 興祀 護国論 J 下巻︵大正蔵 人 0. 一 三下︶。 栄 Ⅱ回申 巻 ︵ 同 ・八丁︶。そのほか﹁足立 以二 大小我り偽 廿 如来 膵 傍人二方便一意地 し ︵ 同 ・ 一 三十︶ と も い う 。
て
: 。 一 Ⅰ・ 一 ""@"" Ⅰ ノ ・は 同上巻︵ 同 ・ セ上 ︶。 鳴 同中巻︵ 同 ・ 八 上 |中 ︶。 Ⅱ同下巻︵ 同 ・一二丁︶。そのほか︵右上・几下など に ︶も引く。 巧 同上巻︵ 同 ・ 七 上︶。 ㎎古田 紹欽氏は ﹁栄西における持戒持律思想の意義 ﹂︵日本仏教学会年報二五︶の中で﹁ お先 ﹂を﹁為末 ﹂と同義と解してお られる︵ 二 二五、二三四︶。したがつてまた﹁道元に おける持戒持律の展開﹂においても、栄西の﹁戒律を 宗とする﹂という 考え方は、戒律宗ともなりかれない、といわれる︵ 輔 Ⅱ・仏前掲上巻︵ 同 ・ 七 上︶。 穏 ・ 穏 司天台 霞 標し三編第四巻︵ 仏 全一二五・三セ 三下り。 れ日興 輝 護国論 L 中巻︵前掲,一二上︶。 % 同中巻︵ 同 ・兄上︶。 % 同下巻︵ 同 ・一四十︶。 % 何 正法眼蔵随聞記 口 第四巻︵岩波文庫本、七二︶。 あ 前掲上巻︵ 同, ニ丁︶。 60 同上巻︵ 同 ・三上︶。 却 同中巻︵ 同 ・人中︶。 % 同上巻︵ 同 ・三下︶。 ㈲同上巻︵ 同,セ上 ︶。 ㏄同下巻︵ 同 ・ 一 三上 |中 ︶。 町コ出家大網 L ︵明治三年富岡新三郎翻刻本による︶ には﹁般若弘経昌二 於此 晴一 浬盤 製法壺井 ニ 今日 ニ ︵ 一 右 ︶といつている り ﹁般若﹂は膵に連なり、﹁担架﹂は戒律と結ばれている 0p 前掲下巻︵ 同 ・ 一 三下 | 一四土︶。 ㏄同下巻︵ 同 ・一四七 |中 ︶。 制 同下巻︵ 同 ・一二丁︶。 (20) 20
ヰ ⅠⅡ Ⅰ セ @ 35
西駆
栄 21 (21) な 文 い 究 宗 一 一 一 一で頓
二敗不 同舟 領一一
=
, 、 Ⅰ 、五
-
聚戒 中 一 l 四 @@K
@ し、 つ芭互 ;
戒 いヒ て 四 を @
「 栄 注意し 一九丁) 九
栄西
。 て右 西 の 上 の 一
も 著 0 サ 乍 考 」
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方
一 イコ し 一 一八号 えヵ
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Ⅰ 逆参照。
れは )るし 」 ,、
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㏄上巻︵旧版伝教大師全集 四 、二 0 セ ︶。
Ⅰ
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一 九・ " 一 一 一 。 本対 校 の 異
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小文庫蔵本によって掲げるの m. ㏄ 同 ︵一方︶。 く ㌍ ) ブ円ノ 。 . ㏄多賀茂が数本の異同をたしかめてこの㍉円頓三家 一心 戒ヒ 全文を㍉仏教史学 b ︵ 九ノ 二︶に史料紹介し ているが、いまは 額 銘 刃77%9?
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心曲
宅
巡れ れ ㏄に同じ。
近世の祭祀仲間
衆 とその解体
25 (25)
たセ蔵
。 、
し前
似 る。
上 会 社 て に 同 州 そ塞
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稚さ ら エ / Ⅰ 。 の 自 力 ぐ を 人 こ ぼ 緒 八通計
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井
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石
玉台攻
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」 て 方 頭 は し、 し 以 な て
矢
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社おの
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圭
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に 圭 三 に 森 回 に よ れ 圭 つ一百はの
、
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一 、下田老友喜 畝拾 七歩 化石青石三斗大升入合 一 、上皇 セ畝 二歩 此君 セ 斗入弁九旬 九 オ人手 一 、中島七度仁政 セ歩 化石化 斗 仁井三合三旬三才三毛 高石合九百仁井 四升 二合三旬三才一毛 一 、上田 壱反 三敏措大参 此君位百三 井 一 、中島 壱反仁拾 二歩 化石竜 石セ升 六合六旬六才六手 一 、下島青皮 仁拾五歩 化石人耳玉井 一 、下田六賊 歩 化石 セ斗 仁井 高石合田面 四斗 七弁六合六旬六才六 毛 一 、上田 壱反 捨歩 此方菅君五斗玉井 一 。中田四敵 仁拾 人参 此 五六坪丸井六合六才六手 三和尚 同 三 和尚 同 同 同 国 阿 国 高石合三石木 耳壱升 三合五旬九才元手 一 、上田 壱 反正敏大参 此君位石仏斗入弁 一 、上田五献 セ拾 人参 此 石人計四才 一 、上島人 畝歩 此 石上ハ坪 エ ハ弁 高石合三石 セ 斗入弁 一 、上田八献 拾 光参 化石竜 石 仁井元元三合 一 、下田六賊 歩 化石 七斗 仁井 一 、中島老友光敏三孝 化石竜石丸 井 一升 一 、上 島 仁治売券 化石 セ升セ合 高石ムロ四万一天 口 一 、上田青皮仁助人参 化石竜百八井口弁 一 、中 畠壱 反正 セ 大参 化石竜五五斗一升九会九旬九才人 毛 一 、下島老友 七 歓伯 拾 玉歩 化石竜百七元 高石合囲百四 斗 三井九会九旬九才人 毛 大和尚 同 国 同 同 同 正和尚 26 田和尚 ② ) 同 同
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