愛知淑徳大学論集 一コミュニケーション学部篇一 第4号 2003 21−34
グローバル化と情報化の進展に伴うSCMにおける リスクマネジメントについて
上 原 衛*
1.はじめに
1990年代に入ってからのいわゆる大競争(メガ・コンペティション)の到来による企業競争激化に対 応する一つの方途として,サプライチェーン・マネジメント(Supply Chain Management;以下「SCM」)
が近年注目されている。そして,企業活動のglobal化・情報化の急速な進展にともない, SCM研究も
「Global SCM」,「e−SCM」(PwC 2000,山下2002a,山下2002b)へと拡大しつつある。企業活動のglobal 化と情報化は互いに独立に進展しているのではなく,両者は密接な関連性を持っている。国際化の進展 により増大する時間的・空間的制約を情報化が克服し,逆に情報化の進展を国際化が促進するという相 互依存の関係が成立するのである。著者らは,このようなglobal化と情報化の相互依存関係に注目し,
これらのシナジーをめざした「Global e−SCM」(松丸,山下ほか2001)のマネジメント・コンセプトを 提示している。
しかし,サプライチェーンは共同事業に取り組む一つの有機的集団と見ることができるので,参加企 業の中の個別企業で発生したリスクがたちどころにチェーン全体に伝播する。このように,サプライ チェーンを構成する個別企業が有しているリスクを,サプライチェーン全体が共有(「リスク共有」)す るという新たな潜在的リスクを抱えることになる。特に,SCMをglobal化と情報化の視点と規模で実施 するGlobal e−SCMにおいては, global化と情報化の進展に伴う潜在的リスクが増大しているため,これ らのリスク増大と「リスク共有」による「三重のリスク増大」が生じている(後藤,山下2003)。さら に,著者は,経済機構の消費者側で起こった「変動」が,サプライチェーン内に情報の遅れ,納期の遅 れ,在庫の増加といった事態を次々と引き起こし,このような影響がサプライチェーンを遡るにつれて 大きくなり「変動の拡大」という現象(ブルウィップ効果といわれる)が,リスクについても生じるこ とを指摘している(上原 2003)。このように,global化と情報化が進展した現代のサプライチェーンに おいては,リスクについて「三重のリスク増大」とブルウィップ効果による「リスクの変動の拡大」が 生じるのである。
一方,近年のアメリカ企業の復活に重要な役割を果たした経営手法として「ベンチマーキング」が注 目されているが,後藤・山下は,企業におけるglobal化と情報化の進展が,企業活動に介在するリスク を増大させることに注目し,「ワースト・プラクティス」に学ぶことを基本コンセプトとした「ネガティ ブ・ベンチマーキング」を提案している(後藤,山下2003)。これは,従来のベンチマーキングのよう に「ベスト・プラクティス」に学ぶことも大切であるが,失敗事例,とりわけ企業に致命的な損害を与 えるようなワースト・プラクティスあるいはワース・プラクティスに学ぶことも重要であるという視点
*1
rジネスコミュニケーション学科
から,ネガティブ・ベンチマーキングが「全体最悪化」を防止する機能を発揮しうることが提示されて いる。さらに,サプライチェーンにおける「三重のリスク増大」に対しては,ネガティブ・ベンチマー キングがリスクマネジメントに果たす役割が大きいことが提示されている(後藤,山下2003)。
本研究では,これらの研究を踏まえて,global化と情報化の進展にともなうサプライチェーン,特に,
これらの相互依存関係に注目しこれらのシナジーをめざしたGlobal e−SCMを構成する企業群に生じる 新たなリスクに対するリスクマネジメントについて,ネガティブ・ベンチマーキングが一つの解決策に つながるのではないかという点を指摘したい。これによって,これまで個別に研究されてきたサプライ チェーンにおける三重のリスク増大と全体最悪の防止(上原,山下2004),リスクのブルウィップ効果
(上原 2003),ネガティブ・ベンチマーキング(後藤,山下2003)を,一つの枠組みのなかで議論し,
統合することによって,グローバル化と情報化が進展している現代におけるサプライチェーンのリスク マネジメントの解決策を検討する。
2.グローバル化と情報化の進展に伴うSCMの新たな展開 (Global SCM, e−SCMからGlobal e−SCMへ)
近年,急速な勢いで進展する企業活動のグローバル化,情報化を反映して,「Global SCM」,「e−SCM」
という,新しいタイプのSCM研究が展開され始めている。これらは,①グローバル化と②情報化を基軸 とした,SCMの対象範囲の拡張として,次のような2つの側面から捉えることができる(松丸,山下ほ
か2001)。
①Globa1 SCM:domesticな全体最適→globa1な全体最適
②e.SCM:Bto B→Bto B&C
①は,BPRのめざす「個別企業における全体最適」から, SCMのめざす「サプライチェーンにおける 全体最適」への拡張の延長線上に位置づけられるものであり,SCMにおいて拡張した全体最適の範囲を
さらに拡張させることを示している。②は,Bto B中心のSCMに, e−businessにおけるBto Cを取り 込むことにより,サプライチェーンの範囲をBtoB&Cへと拡張させることを意味する(山下2002b)。
グローバル化と情報化の2つの流れは,互いに独立に存在するものではなく,グローバル化により企 業における時間的・空間的制約が増大し,それを情報化の流れの中でITが克服するという関係が存在す る点が重要である。これにより,グローバル化の進展が情報化を推し進め,それによる時間的・空間的 制約の克服がグローバル化を進展させるという相互に強化し合う関係が形成される(山下2002c)。
このような相互依存関係は,グローバル化の流れから生じたGlobal SCMと,情報化の流れから生じた e−SCMとを統合することにより,両者のシナジーを生み出す可能性を示唆するものである。そこで,著 者らは両者のシナジーに注目し,両者を統合した「Global e−SCM」のマネジメント・コンセプトを提示
している(図1)(松丸,山下ほか2001)。
Global e−SCMの特徴は,グローバル化と情報化を基軸として, SCMの空間を拡張するところにある。
これにより,上記のシナジーがグローバルなサプライチェーンの中に反映されると同時に,顧客満足
(CS)の観点から市場の動向がストレートに反映されることになる。
Global e−SCMでは,従来のSCMのみならず, global businessやe−businessにおけるキー・コンセプト
グローバル化と情報化の進展に伴うSCMにおけるリスクマネジメントについて(上原 衛)
も加わるため,その構造は次のように多面的な性格を持つ(松丸,山下ほか2001)。
●Global化により増大した「時間的・空間的制約の克服」
●個別企業の最適化からGlobalなサプライチェーンにおける「全体最適」へ
●Globa1なサプライチェーンにおけるIT活用による「同期化した行動」
●SCMとe−businessの統合による「BtoB&C」と「二重の情報共有」(金子,山下2001)
●顧客とのインタラクティブな関係の形成による「顧客満足(CS)」
図1 Global SCMとe−SCMの統合(松丸,山下ほか2001)
3.Global e−SCMにおける「三重のリスク増大」
3.1Global化と情報化によるリスクの増大
企業におけるgloba1化と情報化の進展は,それらのシナジーを生み出す一方で,以下のように,企業 活動に介在するリスクを増大させる。
まず,global化の進展について考えてみると,政治面・経済面(特に為替)・文化面(特に宗教)等,
多くの面でリスクを増大させることは明らかである。さらに,コミュニケーション・ロスによる企業活
動の効率性の低下も,リスクを増大させる要因となる。また,2003年の春に,中国大陸や香港を中心と
して広がりをみせた,重症急性呼吸器症候群(SARS)の影響は,国際分業,コストメリット等の理由で
国内生産から中国・東南アジァ生産へのシフトを進めてきた多国籍企業にとって深刻な事態が懸念され
た。特に,SARS発生の中心と見られている中国は,すでに「世界の工場」として多国籍企業の主要な
生産基地としてサプライチェーンに組み込まれているため,その影響が心配された。日系企業では中国
の工場においても部品や完成品在庫を1〜3日分しか持たない例は珍しくない。万一,部品メーカーで SARSの感染者が見つかり,工場が閉鎖されればその部品を使う他の工場でも生産がストップしかねな いという事態が危惧された。このため,急遽生産の一部を中国からタイ・ベトナム等に移すことを検討
しはじめた企業もあった。しかし,生産拠点を簡単に移動できないエレクトロニクスや機械などの業種 もあり,1週間以上の工場の操業停止を想定して,2週間分程度の在庫を積み増し,サプライチェーン の維持を検討する企業もあった。2003年5月に日本貿易振興会(ジェトロ)がアジア進出日系企業に対
して行った,SARSの影響に関するアンケートによると,中国進出日系企業においては86.2%が事業へ の影響について「あり」と回答した。また,SARS対策を具体的に講じた中国進出日系企業は,95.7%
にのぼり,その対策は「部品・在庫の積み増し(31.0%)」,「代替生産拠点の検討(8.5%)」という内容 であった。
情報化の進展についても,機密情報の流出,プライバシーの侵害,システム障害等,多くの面でリス クを増大させることになる。2003年5月に個人情報保護法が成立したことによって,顧客のプライバ シーを保護する対策やビジネスパートナーとの情報共有に関する管理対策を講じること等の情報セキュ リティ・リスクマネジメントが一層求められている。また,上原・山下が指摘しているように,「個人の 発言オプション行使による第三のリスクの増大」(上原,山下2002)は,やはりこの情報化の進展がも たらす重大なリスクである。
したがって,Global e−SCMを構成する企業群は, globa1化と情報化によって増大するリスクの大きさ を十分に認識し,これに対する適切な対応が必要なのである。
3.2サプライチェーンにおけるリスクの共有
Global e−SCMを構成する企業群は, global化と情報化の相乗効果をめざす一方で,それらによって増 大するリスクに対する適切な対応が必要であることは,前述の通りである。しかしながら,Global e−
SCMによって増大するリスクは,これだけではない。 Global e−SCMを構成する個別企業が有するリス クをサプライチェーン全体が共有することによるリスクの増大である。後藤・山下は,これを「リスク 共有」として提示している(後藤,山下2003)。1997年のアイシン精機の工場火災ではトヨタの工場が四
日間全面停止した。さらに,2003年9月の新日鉄名古屋製鉄所のガスタンク爆発事故による操業停止が トヨタ自動車の操業停止につながりかねない影響を及ほしたこと,また,その数日後のブリヂストン栃 木工場の火災が自動車メーカーの生産に影響を及ぼしかねない事態に至ったことは記憶に新しい。
2003年春を中心に蔓延したSARSの教訓から,日本のメーカーは中国に生産を一極集中するリスクを 再認識した。電気・電子メーカーは汎用性の高い部品の比率が高いため,供給メーカーの選択が比較的
自由であるため,結果的に,サプライヤーの多角化や分散を選択したところが増えた。リスクの分散を
選択したわけである。しかし,自動車用の鋼板などではもともとサプライヤーは1〜3社の選択肢しか
ないうえ,自動車メーカーの要求による特注品の生産が求められる。自動車をはじめ,中国メーカーを
寄せ付けない国際的な競争力や独自性を発揮している日本のメーカーには,品質や仕様面で調達先を多
様化させ分散させることが困難なところが多い。従って,「リスク共有」や「リスクの集中」に対応する
ために,「リスク分散」は一つの方法ではあろうが,分散を図ることが困難な企業もある。他の調達先を
グローバル化と情報化の進展に伴うSCMにおけるリスクマネジメントについてパニ原 衛〕
探すことは時間とコストがかかる上,調達先の多様化によって技術の流出が起こりうるということを勘 案すれば,確立した供給先と絶えず情報共有を行い,緊急時に復旧支援をするなどの迅速な対応をとり 供給先を支えてあげることのできる対応を準備しておくほうが合理的であり,これが突発事故への最大 のリスクマネジメントになると考える企業もある、
このように,Global e−SCMに限らずSCMを構成する企業群においては,一つの企業のリスクであって も,それがサプライチェーン全体のリスクとなるのである,SCMのめざす全体最適の思想は,サプライ チェーンを構成する企業間のつながりを強化する働きを持つ,これにより,情報共有・知識共有が進展 すると同時に,リスク共有についても進展するのである。Global e−SCMでは, SCMのリスク共有と,
global化と情報化それぞれによって生じるリスクが加わるため,「三重のリスク増大」が生じている,
4.サプライチェーンにおけるリスクのブルウィップ効果 4.1リスクのブルウィップ効果について
第3節では,サプライチェーン,特に,GlobalなSCMを構成する企業群においては「三重のリスク 増大」が生じるという視点を提示したが,本節ではこれに加えて,サプライチェーン内ではリスクにつ いてもブルウィップ効果が生じることを示す(上原 2003),
経済機構の消費者側で起こった「変動」は,サプライチェーン内に情報の遅れ,納期の遅れ,在庫の 増加といった事態を次々と引き起こし,このような影響はサプライチェーンを遡るにつれて大きくなり
「変動の拡大」という現象が生じる。これはサプライチェーンにおけるブルウィップ効果(図2)
(Charles H. Fine 1999)といわれている。サプライチェーンの上流では,消費者と同じ周期で変動を経 験するが,鞭の柄の部分から遠い鞭の先端にいるため,変動(振幅)が大きくなる。
顧客 小売業者 卸売業者 メーカー 第一段階 装置メーカー (工場) サプライヤー
ざ∠〉しク しク しク しク
図2 サプライチェーンにおけるプルウィップ効果(Charles H. Fine 1999)
サプライチェーン内でリスクが発生した場合も同様の現象が生じる。ここで,リスクの認知をリスク
マネジメントの,Z場をとり,「発生確率」とその「事象が生じたときの結果の程度」の積の期待値と考え
ることにする,この場合,例えば、サプライチェーン内でリスクが発生し品不足が発生すると,営業マ
ンは顧客から受注した場合に製品がないと顔がつぶれる,また機会損失が生じ大変な損失を被ってしま
うと考える。すなわち,「事象が生じたときの結果の程度」を過大評価し,在庫を用意しようとする。こ
のような影響はサプライチェーンを遡るにつれて「事象が生じたときの結果の程度」が増幅し,図2の
ようにメーカー,第一段階サプライヤー,装置メーカーを遡るに連れて「在庫の積み増し」という現象
が生じる。第3節で述べたように,SARS対策に際して,中国進出日系企業の31.0%がSARSの発生を想
定して,「部品・在庫の積み増し」を行い,品不足を避iけるために在庫を抱えた。上流の第一段階サプラ イヤー,装置メーカーに遡るにしたがって,在庫を積み増すことに至ったのではないかと考える。これ はまさに,「事象が生じたときの結果の程度」の拡大=「変動の拡大」と考えれば,サプライチェーン内 ではリスクにおいてもブルウィップ効果が生じると考えることができる。
このように,サプライチェーン中で生じたリスクにおいても,チェーンを遡るにつれてチェーンの参 加者は「事象が生じたときの結果の程度」を拡大(変動の拡大)させ,ブルウィップ効果を発生させて しまうことを示したが,4.2では,この点について,ハロー効果を想定することによってリスクを過大評 価してしまう心理的バイアスが背景に存在するという視点から検討する。
4.2ブルウィップ効果におけるリスクの過大評価
4.1では,サプライチェーン内でリスクが発生し品不足が発生した場合,営業マンが在庫を積み増し,
さらに,上流の第一段階サプライヤー,装置メーカーに遡るにしたがって,在庫を積み増すことに至り,
「事象が生じたときの結果の程度」の拡大,すなわち,リスクの変動(振幅)が増大して行くという例 を示した。では,なぜリスクの振幅が大きくなるのであろうか。
4.1で示した例のように,何らかのリスクの発生に伴い品不足が発生すると,営業マンとしては顧客か らの受注に対して,商品がないと顔がつぶれるまたは機会損失が生じ,大変な損害が発生すると考えて しまう。商品がなく対応ができない場合,営業マンは自社に対する評価を,組織の内外の人たち,特に,
顧客がハロー効果によって評価してしまう (特徴的な側面→負の全体的な印象の形成→個々の側面の負 の評価)であろう事を想定してしまい,そして,その想定を回避iするために,営業マンは「事象が生じ たときの結果の程度」を過大評価する。そして,営業マンは過大評価した「事象が生じたときの結果の 程度」とその「発生確率」の積の期待値によってリスク認知を行い,過剰在庫を抱えることに至るとい う心理的プロセスを辿るのである。SARSの発生に際して,1週間以上の工場の操業停止を想定して,2 週間程度の在庫を積み増し,サプライチェーンの維持を検討したケースも同様のことがいえる。
4.3リスク認知の「二面性」について
著者らは,先行研究において「ハロー効果の想定による自社のリスクの過小評価=自社に対する寛大 化傾向」を指摘した(上原2002b)。特に,このような傾向は,「弱いハロー効果」が示唆する通り,発生 頻度が高く定量化することが容易なリスクよりも,発生頻度が低く定量化が困難であいまいなリスクに おいて顕著なことを指摘した。
しかし,上述のとおり,ブルウィップ効果においてはハロー効果の想定によるリスクの「過大評価」
を指摘した。この2つのリスクの認知プロセスは,矛盾ではなく,リスク認知の二面性を表しているも のと考える。すなわち,リスクを「発生確率」×「事象が生じたときの結果の程度」という期待値で捉 えた場合,サプライチェーン内では情報共有が行われ情報伝達が早く正確であるため,情報を隠すこと が困難であり発覚する可能性が高くなる。従って,リスク認知者はリスクの情報がそのままサプライ チェーンを構成するすべての企業・メンバーに伝わることを想定する。そして,組織を構成する企業・
メンバーのハロー効果が生じるであろうことを想定し,これを回避しようとして,「事象が生じたときの
グローバル化と情報化の進展に伴うSCMにおけるリスクマネジメントについて1上原 衛}
結果の程度」を過大評価してしまうのである,一方,先行研究で著者が指摘している第三のリスク(上 原2002a)を引き起こす原因となる第一のリスクは,発生頻度が極めて低く,ひょっとしたら隠し通せ る可能性があると考え,リスクが発覚する主観確率を50%未満としてしまい,隠蔽しようというバイア スがかかるので,「事象が生じたときの結果の程度」を過小評価してしまうのである。このハロー効果に よるリスクの過小評価と過大評価の二面性は,リスク認知における心理的な側面を評価のバイアスの視 点で捉え,表現したものである。
リスクの正確 な認知
想定
組織内外の人のハロー効果 特徴的な側面 負の全体的印象の形成 個々の側面の負の評価
想定
実際のリスク
(特に発生頻度が低く
定量化が困難なリスク)
」ユ・避
事象が生じたときの結果の程度
リスクの正確 な認知
実際のリスク
リスクが発覚すると 考える主観確率が低
い時リスクの大きさを正確に公表しな いという対応のまずさがもたらす
「第三のリスク」の発生。
リスクが発覚すると
考える主観確率が高
い時過大評価
情報共有
リスク共有リスクの大きさ(事象が生じたとき の結果の程度)を過大評価し、リス
クの「ブルウィップ効果」が発生。
図3 リスク認知における「過小評価」と「過大評価」の二面性
5 ネガティブ・ベンチマーキングによるサプライチェーンのリスクマネジメント 現在のような不確実性の高い時代に,企業が現状をブレークスルーするために何かを「お手本」にし
ようにも,何を手本にしたらいいのかがわからないのが実状である。この問題に対して,ベンチマーキ ングは,現状をプレークスルーするための「お手本を何に求めるか」を明確にした。それは,「ベストに 学ぶ」(Leaming the Best)ということである。世界一流の企業のベスト・プラクティスに学ぶことは,
学ぶ対象を明確にするという利点のみならず,下記のような利点を持っている(山下2000)。
現在,アメリカ企業でベンチマーキングが積極的に採用されている理由の一つとして,ベスト・プラ クティスに学ぶというプラス思考が,従業員のポジティブな態度をもたらす利点をあげることができる。
また,自らの業界にとらわれることなく,世界一流の異種企業をベンチマークすれば,同業種では考え られなかった方法で改善を行うことが可能となると同時に,競合他社に対してアドバンテージを持つこ とができる(山下2000)。
これらの成果をめざして,一般にベンチマーキングでは次のようなステップを踏むとされる。
(表1)ベンチマーキングのステップ(ダイヤモンド・ノ、一バード・ビジネス編集部編1995)
①業績を世界レベルの会社と比較し,測定する。
② 自社の業績のうち二流である分野を浮かび上がらせる。
③最高の業績を生み出す世界のベスト・プラクティスを見つける。
④ なぜ業績にギャップがあるのかを見つける。
⑤世界でトップ・レベルの会社の業績に合致させる,または凌ぐために,どのようにビジネスを改
@善すべきかを提案する。
⑥業績を継続的に改善するためのサポートを行う。
ここで注意すべきことは,①〜④において業績と実践方法(ベスト・プラクティス)の両面から比較 を行うことであり,またその際に比較の対象となるのは世界でトップ・レベルの会社であり同業他社に 限定されないということである。また,⑤と⑥で日本企業が得意としてきた「改善」,「提案」がキーワー
ドとなることも注目に値する。アメリカ企業のベンチマーキングにおいて「優れた他者に学ぶ」に改善 と提案が加わることは「日本の組織特性への接近」を意味している(山下2000)。
5.1「ネガティブ・ベンチマーキング」の概念(後藤,山下2003)
従来のベンチマーキングは,ベストに学ぶ精神を前提としていたが,相次いでリスクに直面し,また,
不祥事を起こす一流企業の事例をふまえると,企業活動の負の側面にも目を向ける必要があることがわ かる。すなわち,成功している企業からその優れた面を学んでいくだけでなく「失敗」した事例をベン チマーキングに取り入れるのである。
そこで,後藤・山下は「ワースト・プラクティス」に学ぶことを基本コンセプトとした「ネガティブ・
ベンチマーキング」を提案している(後藤,山下2003)。これは,ワースト・プラクティスあるいはワー ス・プラクティスと同じ失敗を繰り返さないようにすることで,最悪の事態(例えば,企業に破壊的な 影響を与えるリスク)を防止するのである。従来のベンチマーキングの中核をなす概念が「Leaming the Best」であるのに対して,ネガティブ・ベンチマーキングの最大の特徴は「Learning the Worst」にある。
したがって,ネガティブ・ベンチマーキングはリスクマネジメント,とりわけ企業に致命的な損害を 与えるようなリスクに対して有効性を発揮するという意味で,従来のベンチマーキングを補完し強化す る役割を果たしうるものと考えられる。畑村は,今まで強い負のイメージがつきまとっていた失敗につ いて,そのプラス面に目を向け,失敗の法則性を理解し失敗の要因を知り,失敗が本当に致命的なもの になる前に未然に防止する術を覚える必要があるとして「失敗学」を提唱し,「他者の失敗に学ぶ」必要 性を提示している(畑村2000)。ネガティブ・ベンチマーキングは,畑村の「失敗学のすすめ」(畑村
2000)を,ベンチマーキングからアプローチし,新たなコンセプトとしたところに特徴がある。
後藤・山下が提案している「ネガティブ・ベンチマーキング」は次のようなステップを展開している
(表2)(後藤,山下2003)。
グローバル化と情報化の進展に伴うSCMにおけるリスクマネジメントについて(上原 衛)
(表2) ネガティブ・ベンチマーキングのステップ(後藤,山下2003)
① 自社のリスクを世界レベルの会社と比較し,測定する。
② 自社のリスクのうち最悪の事態を招く危険性のある分野を浮かび上がらせる。
③最悪の事態に陥った世界のワースト・プラクティスを見つける。
④ 自社とワースト・プラクティスとの共通点を見つける。
⑤世界のワースト・プラクティスと同様の失敗・不祥事を防止するために,どのようにビジネスを
@改善すべきかを提案する。
⑥ リスク回避のための継続的な改善に対するサポートを行う。
5.2全体最悪化防止としてのネガティブ・ベンチマーキング
Global e−SCMに限らずSCMを構成する企業群においては,一つの企業のリスクであっても,それがサ プライチェーン全体のリスクとなることは前述の通りである。SCMのめざす全体最適の思想は,サプラ イチェーンを構成する企業間のつながりを強化する働きを持つ。これにより,情報共有・知識共有が進 展すると同時に,リスク共有についても進展するのである。
そこで,情報共有・知識共有による全体最適化という正の側面のみならず,リスク共有による「全体 最悪化」という負の側面にも目をむける必要がある。SCMにおいて,このような全体最悪化を防止する 上で,ネガティブ・ベンチマーキングの果たす役割はとても大きい。ワースト・プラクティスあるいは
ワース・プラクティスをサプライチェーン全体で学ぶことにより,全体最悪が起こらないような仕組み を作り上げるのである。
さらに,Global e−SCMでは, SCMのリスク共有のみならず, global化と情報化それぞれによって生じ るリスクが加わるため,いわば「三重のリスク増大」に対抗しなければならない。このような三重のリ スク増大に対する適切な対応が求められるのである。その意味からも,Global e−SCMにとって,「ネガ ティブ・ベンチマーキング」が全体最悪を防止する意義は大きいものと考えられる。
5.3ネガティブ・ベンチマーキングによるリスクマネジメント
著者は,「発生頻度に注目したリスクマネジメントの概念モデル」(上原2002a)において,統計的計 測手法で把握できるリスクと発生頻度が極めて稀であるが故に「大数の法則」を前提とする確率論が利 用できないリスクを分離してリスクマネジメントを行う必要があるという視点を提示した。すなわち,
①「大数の法則」が成立し統計的計測手法で把握できるリスクにおいては,リスクの存在とその大きさ を認識することが重要であることを示し,②発生頻度が極めて稀であるが故に「大数の法則」を前提と する確率論が利用できないリスクにおいては,(7)意思決定者に対して直接・生の情報を伝達させるか,
または,(イにのようなリスクを発生させてはならないというコンプライアンスやリスクマネジメントの ポリシーを明確にしておく対応をとらない限り「隠蔽」が発生するというものである。
以下では,「三重のリスク増大」のなかでも,とりわけ発生頻度はきわめて低いが一度発生すれば企業
に致命的な損害を与えるリスクに対するリスクマネジメントに対して,ネガティブ・ベンチマーキング
が一つの解決策として機能することを提示する。
5.3.1低エントロピー源としての機能を発揮する経営倫理
著者は,発生頻度が極めて稀で大数の法則が成立しないリスクにおいては,事態が発覚する主観確率 が小さければ隠蔽や虚偽報告を行ってしまい,リスクが発生してしまうことを示した(上原2002a)。ネ ガティブ・ベンチマーキングによって企業内部においてリスクの影響の大きさを認識することが可能と なり,これによって事故や不祥事の隠蔽および虚偽報告が発覚する確率を高めることができ,経営倫理 が低エントロピー源として本来果たすべき機能を発揮することができる(上原,山下2003)。
5.3.2 ミドルのエンパワーメントによる組織の活性化とリーダーシップの強化による情報・知識の蓄 積と共有
これまでの日本の事例では,リスクが顕在化しその対応のまずさによって不祥事や不正に繋がった ケースが多いが,これらの事件は大数の法則が成立しない極めて稀な事件であったため,組織の意思決 定者に直接・生の情報が伝わらなかったケースが多い。これらのケースでは,トップ・マネジメントが 事前に事態の把握を行っておらず,事前に対処することができなかったこと,内部告発によって不正が 明らかになったことが特徴的であり,組織のミドル・アップやリーダーシップが弱かったことが明らか になっている。
山下は,ベンチマーキングによってミドルのエンパワーメントが組織の活性化につながるとしており,
また,ミドル・アップ&ダウンがうまく機能すればリーダーシップの強化が同時に達成できるとしてい る(山下2000)。したがって,ネガティブ・ベンチマーキングにおいても,ミドルのエンパワーメント が組織を活性化させリーダーシップの強化にもつながると考えるため,失敗や事故のネガティブな情報 でもボトムからトップへ伝達され,トップ・マネジメントもリーダーシップを発揮することができるも のと考える。これにより,大数の法則が成立しないリスクにおいて,組織の意思決定者に対して直接・
生の情報を伝達し意思決定者の正しい判断と行動をとるリスクマネジメントが実現できる。
なお,ベンチマーキングは目指すべき「目標数値」を定めておく方が達成水準を明確にすることがで きる。大数の法則が成立するリスクにおいては統計的手法を利用し数値化した目標を示すことが可能で ある。一方,大数の法則が成立しない場合は明確な目標数値を定めることができないが,その代替とし て定性的ではあるが他者の致命的な失敗事例をリスクマネジメントの指標とし,他者の失敗を繰り返さ ないというアプローチもベンチマーキングとすることができるものと考える。したがって,発生頻度は 極めて稀で大数の法則が成立し難いリスクのリスクマネジメントとして,定性的なアプローチであって
もベンチマーキングとなりうるものと考える。
5.4サプライチェーンにおけるリスクマネジメント
第4節で述べたとおり,リスクを「発生確率(P)」×「事象が生じたときの結果の程度(V)」という 期待値(E)で捉えた場合,サプライチェーンにおける「三重のリスクの増大」は「P」と「V」の両方 が増大するか又は,極めて発生頻度「P」が低い多義性のあるリスクが発生するものと考える。一方,
リスクのブルウィップ効果は「V」が増大するのである。
上記5.3で述べたとおり,ネガティブ・ベンチマーキングはその全体最悪化防止の機能によって,「三
グローバル化と情報化の進展に伴うSCMにおけるリスクマネジメントについて(上原 衛)
重のリスク増大」に対抗することが可能である。特に,発生頻度が低い多義性のあるリスクについては,
ネガティブ・ベンチマーキングによって,①企業内部においてリスクの影響の大きさを認識することが 可能となり,これによって経営倫理が低エントロピー源として本来果たすべき機能を発揮し,②ミドル のエンパワーメントによる組織の活性化とリーダーシップの強化による情報・知識の蓄積と共有するこ とになり,「三重のリスク増大」に対するリスクマネジメントとなりうることを示した。
また,リスクのブルウィップ効果については,リスク認知者はリスクの情報がそのままサプライ チェーンを構成する組織のメンバーに伝わり,組織を構成するメンバーのハロー効果が生じるであろう
ことを想定し,これを回避しようとして,「事象が生じたときの結果の程度(V)」を過大評価してしま うと考えられるが,その背景には,事象が生じたときの適切な対応策が準備されていないことが不安を 増幅させリスクを無用に過大評価してしまうことが理由の一つと考えられる。したがって,ネガティ ブ・ベンチマーキングの他者に学び対応策を事前に用意しておくという機能によって,リスクの過大評 価を避けることができるものと考える。
さらに,「リスクが発覚すると考える主観確率」の高低によって,リスク認知の「過小評価」と「過大 評価」に繋がるというリスク認知の「二面性」に関しても,後者(過大評価)への対応は上述のとおり であるが,前者(過小評価)の場合は,ひょっとしたら隠し通せるかもしれないという考えが主観確率 を下げるものと考えるため,「三重のリスク増大」への対応と同様に,ネガティブ・ベンチマーキングに よって,①企業内部においてリスクの影響の大きさを認識させ,さらにリスクが発覚する確率を高める ことによって経営倫理が低エントロピー源として本来果たすべき機能を発揮させ,②ミドルのエンパ ワーメントによる組織の活性化とリーダーシップの強化による情報・知識の蓄積と共有することにより,
リスクの過小評価を防止することができるものと考える。
6.社会的な監視体制と自主的な監視体制によるリスクマネジメント
前節で示したとおり,ネガティブ・ベンチマーキングの,①企業内部における経営倫理が本来果たす べき機能を発揮させることができる点と,②ミドルのエンパワーメントによる組織の活性化とリーダー シップの強化による情報・知識の蓄積と共有が,サプライチェーンにおける「三重のリスク増大」,リス クのブルウィップ効果とリスク認知の「二面性」に対応するための一つの方途となるものと考える。
上記①について更に議論を深めると,これは大数の法則が成立しないもとで企業がリスクをしっかり と認識するためには,リスクや事故・不祥事の隠蔽および虚偽報告が発覚する確率を高める必要がある ということを示している。発覚する確率を高めるための一つの方法として,企業のリスクや事故・不祥 事に対する社会的な監視体制を強化することが必要となる。社会的な監視体制の強化により,企業の不 祥事,とりわけそれに対する隠蔽や虚偽報告が発覚する確率を高めるのである。もしこの確率が高まれ ば,公表することを選択するようになるものと思われる。近年,企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)が重視されており,欧米の機関投資家などはこれに対する企業の取り組み姿勢によって 投資先を決定する,社会的責任投資(SRI)を増やしているが,このように社会的監視体制が整備され つつあるものと考える。
さらに,企業内部でもリスクの影響の大きさ(期待値)が認識され,自主的な監視体制の整備を進展
させることが重要である。具体的にはインターナル・オーディットやセルフ・アセスメントによるネガ ティブ・ベンチマーキングを実現させることの重要性を指摘したい。インターナル・オーディットやセ ルフ・アセスメントは上記①と②の両方に機能を発揮すると考える。即ち,インターナル・オーディッ トやセルフ・アセスメントにネガティブ・ベンチマーキング機能を導入し,組織の内部者が自主的に監 視することによって,企業の内部から経営倫理が本来果たすべき役割を醸成させ,ミドルのエンパワー
メントによる組織の活性化とリーダーシップの強化による情報・知識の蓄積と共有が達成できるものと 考える。加えて,インターナル・オーディットやセルフ・アセスメントは他者に対する信頼の構築にも 重要な役割を果たすものと考える。山岸は信頼の概念を「相手の能力への期待」と「相手の意図への期 待」に分け,さらに,後者を「安心(リスク管理者がだますとリスク管理者の首を絞めるという仕組み)」
と「(狭義の)信頼(人格の評価や評判などの情報に基づいており,相手の自己利益への評価とは関係し ないもの)」に分けることができると指摘している(山岸1998)。これをふまえ,中谷内は(広義の)信 頼を築き上げるためにはダイレクトに「狭義の信頼」を引き上げることは困難で,もう一方の「安心」
を築いて意図への期待を改善させるべきであり,そのためには他者から監視・制裁制度を強いられる前 に自らがそれを提案することが,「安心」のみならず「(狭義の)信頼」をも高める可能性があると指摘
している(中谷内2003)。これらをふまえると,インターナル・オーディットやセルフ・アセスメントと いう自らが自らの責任をとるリスク・アセスメントの手法が,社会に対する「安心」を築き,ひいては
「狭義の信頼」を引き上げ,最終的には社会的に「広義の信頼」を築きあげることができるものと考え
る。
7.おわりに
本研究では,global化と情報化の進展にともなうサプライチェーン,特に,これらの相互依存関係に注 目しこれらのシナジーをめざしたGlobal e−SCMにおいて, global化と情報化とリスクの共有という「三 重のリスク増大」が生じていること,さらに,リスクのブルウィップ効果が生じる可能性があることを 指摘し,これらのリスクに対するリスクマネジメントとして,従来のベンチマーキングを補完し強化す る意味を持つ「ネガティブ・ベンチマーキング」がサプライチェーンにおける「全体最悪化」を防止す る機能を発揮しうることを示唆した。
これによって,これまで個別に研究されてきたサプライチェーンにおける三重のリスク増大と全体最 悪の防止(上原,山下2004),リスクのブルウィップ効果(上原2003),ネガティブ・ベンチマーキング
(後藤,山下2003)を,一つの枠組みのなかで議論し,統合することが可能となったものと考える。こ
こで指摘しているネガティブ・ベンチマーキングと社会的・自主的な監視体制の構築が,今後のサプラ
イチェーンのリスクマネジメント,とりわけGlobal e−SCMにおける三重のリスク増大とリスクのブル
ウィップ効果に対して,新たなアプローチの方向性を与えるものとなれば幸いである。
グローバル化と情報化の進展に伴うSCMにおけるリスクマネジメントについて(上原 衛)
参考文献
Charles H. Fine(小幡照雄訳)1999 サプライチェーン・デザイン 企業進化の法則日経BP社 後藤智之,山下洋史2003Global e−SCMのための「ネガティブ・ベンチマーキング」 日本経営シ ステム学会第30回全国研究発表大会講演論文集,pp. 135−138
畑村洋太郎2000 失敗学のすすめ 講談社
金子勝一,山下洋史2001e−SCMにおける「二重の情報共有」 日本経営システム学会第27回全国 研究発表大会講演論文集,pp.47−50
・ 松丸正延,山下洋史,金子勝一,林誠,上原衛 2001Globale−SCMの概念 日本経営システム学 会第27回全国研究発表大会講演論文集,pp.39−42
中谷内一也2003 環境リスク心理学 ナカニシヤ出版
高梨智弘1995 アメリカ企業を復活させたベンチマーキング ダイヤモンド・ハーバード・ビジネ ス編集部編『ベンチマーキングの理論と実践』 ダイヤモンド社,pp.3−19
・上原衛2001 オペレーショナルリスクにおける「第三のリスク」の存在 日本経営システム学会誌,
VbL 18, No. 1, PP. 65−71
・ 上原衛2002a発生頻度に注目したリスクマネジメントの概念モデル 日本経営システム学会誌,
VbL 19 N。.1, PP.
S1−47