「 方 法 一 論 争」 の 一 考 察
‑ 経済史研究の立場か ら‑
49
小 岩 信 竹
Ⅰ
歴史学派経済学の 方法についての 「方法論争」が, C. メソガ‑と G. シュ モ ラーの間に交わ され て以来,多数の論稿が, この問題について著わ さ れ た が, この論争を,経済学研究の大 きな流れの中に 位置づけた, ∫. シ ュンペー ターに よる著作の刊行以後, この論争についての関J 山 !,薄 らいでいた ように
( 1 )
思われ る。その理 由については,次の評価が,説明 している
。「さて歴史的過程を取 り扱 う科学におけ る歴史的研究の基礎的重要性につい ても, また この材料を扱 うべ き一組 の分析的用具を展 開す る必要性に つ い て も, これを疑 うなんの重大な問題 もあ りえないので, この論争はすべ ての他の 同 じような論争 と等 し く,全然的なきものであ った とい う風 にわれわれに映ず るか もしれない。・ ‑‑ この論争は く単にそれぞれの派〉 の優先権 と相対的重要 性 とに関す る くだけの〉 ものであ って,若 しもいずれの タイプの研究に も,そ れぞれの ウェイ トに値す るだけの立場が許 され るな らば,当然鎮 ま りうべ きも
( 2 ) のであ った。」
この評価を見れば,論争での論点は, もはや 自明な ところに落ちついたかの ような感があ るので,論争‑ の関心 の低下 も肯け るのである
。しか しなが ら,今 日の経済学 の方向の探究のために, この論争の再検討を提 唱す る研究者 もいる。即ち,玉野井芳郎氏は,その提唱者であ り,再検討 の意
( 3 )
義の一つ として,経済学の対象の拡大を指摘 している。 同氏の指摘に よれば経 済学の対象の拡大の要請は,経済学 と他の諸学 との共 同,更に統合化の要請 と
/ .If.iI
一 世 ノ L 、 持I A L
5 0 1
方向を同 じくす るものであ り,今 日の複雑な事象展 開を解明す るために必要 と され るのである
。ところで,玉野井氏は,別稿で,上記 の方向の 一例 として, ∫. ヒックスの 次の指摘を引用 されている
。「私の考 えているような経済史のひとつの大 きい役割は,経済学者,政治学 者,法律学者,社会学者お よび歴史家‑ 一般史家,思想史家,技術史家‑
が一堂に会 してたがいに話 し合える公 開討 論の場をつ くりあ げ る こ と で あ く 4 )
る 。」
た しかに, 「方法論争」の一方の当事者であるシュモラーの見解は,広範な ものであ り,諸学 の共同,統合化の具体例 として再評価 され るべ き面を持つ も のと思われ る。そ してまた,論争 の再検討 の必要性 の指摘 も,十分に首肯 しう るものと思われ る
。しか しなが ら,玉野井氏に見 られ る歴史学派 の再評価に至 る観点 自 体 は,
「方法論争」以後の研究の流れの中に位置づけた場合,漸新な ものと評価で き るものと思われ,且つその中に一つの問題点が含 まれ ていることに もまた,留 意 しなければな らないと思われ る
。それは,理論にとっての歴史の位置づけに ついての問題点であ り,経済史研究の側に とっても重要な論点である
。「 方法論争」は,周知の ように,経済事象の理論研究に歴史的観点を加味す ることを認めつつ も,理論研究が歴史科学ではない ことを強調 した メンガーの
『社会科学方法論』と, この著作∫ こよって批判 された歴史学派 の立場か らの, ( 5 )
シ ュモ ラーの反論に よ り惹起 された ものである
。そ してまた,論争の帰結を示 しているともいえる,歴史学派の立場を継承 している, A. シ ュピー トホフの 論稿において も,歴史的観点が理論研究に持つ重要性は認め られつつ も,理論
( 6 ) 研究 と,固有の歴史研究は,峻別 され ているのである。
もちろん, この ような論点は,近年の論稿の著者たちには,周知の ことであ ( 7 )
ろ う
。それゆえに, ヒックスの場合 も, また歴史学の他の諸学 との関係につい
7 ; ' d T ' ・ 琴
・ *t・ .・. .JJI/ .、E,.. /(. ‑.・.弘 .,Hj.., ヾ :.. .‑∴ ▼∵ .I.
51 ( 8 )
て,同様の指摘を行 っている他の論者の場合 も,その考え方が通例の考え方 と 異質であることを付記 しているのであろ う。
さて,主 として理論研究の側か ら行われ る, この ような歴史研究の二重の, 相反す る位置づけを,歴史研究の側では, どの ように受け とめれば よいのであ ろ うか。少 くとも,諸学の共同に歴史研究が役立つ ことには何の異論 もあるま い。そ してまた,経済分野での理論研究 との関係についてみれば,過去の事象 の解明とい う歴史研究の課題達成のためには,理論研究の成果を も,十分に吟 味 しつつ,考慮 してゆかねばな らない ものと思われ る。更に, この 目的の達成 のためには,何故,理論研究が歴史研究を二重に位置づけるのかを,十分に理 解 してお くことが不可欠であろ う。 この理解な しに,理論研究に接するとして も,その成果を掛酌することさえ,おぼつかないのではないだろ うか と思われ るのである。
このような問題関心か ら,以下,上述の 「方法論争」以来の峻別が,理論研 究の出発に際 しての方法的手続であることを確認 し,歴史研究にとっても,従 来 の理論研究の側か らす る限定を理解 しつつ,必ず しもその限定にとらわれ る 必要がない ことを見て,歴史研究の二重の位置づけの内容を考察す ることに し
く 9 ) たい。
注(1)
戦前以来の, 「方法論争」についての諸文献については,邦語文献に関 して, メ ンガー,シュモ ラーの主要論文の邦訳である,戸田武雄訳 『メンガー社会科学の方 法に関す る研究』, 日本評論社,1 9 3 7 年,に付 された訳者の 「は しがき」を参照。
また,波多野鼎 『 現代の経済学』,春秋社,1 9 48 年 も見 よ。欧語文献については, J . A. Sc hump et e r"Ep ah ende r m gme n‑undMe t ho de nge s hi c hi t e , 〟 Wi y t s c ha ft und Wi y t s c ha ft s wi s s e ns c ha ft ,1 91 4( 中山伊知部,東畑精一訳 『 経済学史』岩波
書店,1 95 0 年), E ・ Sa l i n ,Ge s c hi c ht ede y Vo Z k s wi y t s c ha ft s Z e hy e ,2t e Au fl . , 1 92 9( 高島善哉訳 『 ザ リーン経済学 史 の 基 礎 理 論』,三省堂,1 9 4 4 年), ∫ . A.
Sc hump et e r ,Hi s t o y y o f Ec o no mi cAnal y s i s , Oxf or d Uni ve r s i t y Pr e s s ,1 95 4 , Pa r tI I I ,( 東畑精一訳 『 経済分析の歴史』,岩波書店,1 95 8 年)等に紹介がある。
( 2 ) Sc hum p e t e r ,Hi s t wyo fEc o nm i cAnal y s i s ,p・ 81 4( 東畑訳,p. 1 71 1 )。
.'f ・. ∵ .
,・I.
Ji.;・= ・.Tr.!.r' .'・:I:A
5 2
( 3 ) 玉野井芳郎 『 転換する経済学』,東京大学出版会,1 9 7 5 年,p. 1 02.
( 4 ) 玉野井芳郎 「 経済理論の進展 と社会科学の統合」 ( 『 思想』5 6 2 号,1 9 7 1 年所収) p. 5 7 .原文は,J o hnHi c ks ,A The o r yo fEc o no mi cHi s t o r y, oxf o r dUni ve r s i t y Pr e s s ,1 96 9,p・ 2 ・( 新保博訳 『 経済史の理論』, 日本経済新聞社,1 9 7 0 年,p. 8 ,但
し,訳文の一部は変更 されている)0
( 5 ) Ca r lMe nge r ,Unt e r s uc hunge nt i b e rdi eMe t ho dede rSo c i al wi s s e ns c ha ft e n , undde r Po l i t i s c he nOe k o no mi ei ns b e s o nde r e ,Le i pz i g ,D unke r& Humbl o t , 1 8 8 3( Ca r lMe nge r , ,Ge s amme l t e We r ke ,Ba nd I I ,1 9 69,J IC ・B ・Mo hr( Pa ul Si e t xc k)Tdbi ngen,1 9 69) , Gus t a vS c hmo l l e r ,"ZurMe t ho do l o gy de r St a a t s ‑ undSoz i a l‑ Wi s s e ns ha f t e n " Sc hmo l l e r s Jahr b uc h 7,1 8 83(いずれ も,戸田前掲 訳書所収) 0
( 6 ) Ar t hur Spi e t ho f f "The " Hi s t or i c a l" Cha r a c t e rofEco nomi c The o r i e s " ,The Jo ur nalo fEc o no mi cHi s t o r y ,ⅩⅠ ト2,1 9 5 2・
( 7 ) Hi c ks , o P ・c i t ,p・ 2 ・( 新保訳 p・ 8 ‑9 ) O
( 8 ) 例えば,Ra lphDa vi s …Hi s t o r y a nd t he
S∝i a l Sc i n c e " N・B・Ha r t e e d ,The St udyo fEc o no mi cHi s t o r y ,Fr a nkCa s s ,Lo ndo n,1 9 71 ,p. 31 5.
( 9 ) 本稿の考察は, 「方法論争」に依 りつつ,主 として経済事象の分野に即 して行 う が,理論研究 と歴史研究の同様の関係は,他の社会科学の対象分野でも,見出しう るのではないかと思われ る。 もちろん,夫 々の分野の独 自性の考慮は必要であると はいえ。
Ⅰ
さて, 「方法論 争 」 で の論 点 の詳 細 につ いては, シ ュンペ ー ターの著 作等 の 先学 の業 績 に委ね ,理論 研 究 が歴 史研 究 と峻 別 され るに至 る要 点 のみ を見 てお こ う . メ ンガ ーは, 『社 会 科 学方法 論 』 第一 編 にお い て, 「現 象 の具 体的 な
● ● ・ ●● ●● ( 1 )
もの, もっ と正 し く云 うな ら, 個性 的なる も の I ndi vi duel l en の認 識 」 に 向け
4. 44 4 4 4
位)らるれ もの及 び, 「現 象 の一 般 的 な る もの Gener el l en の認 識 」 に 向け られ る
もの とい う,現 象 界 の認 識 の方法 の区分 を行 い, 同様 の区分 が 国民経 済現 象 の
研 究 方法 につ いて も言 え る とす る。 そ して また, 夫 々の領域 の研 究 方法 の差 異
と, 夫 々の特 質 につ い て の考 察 を行 い, 国民経 済 の定型 及 び定型 的 関係 を研究
す る理 論 的 国民経 済 学 は, 「人 間経 済 の最 も本源 的 な ・最 も根 本的 な ・要 因 の
I;,I. .A. I . L〜1. I∴ ・
5 3 探究,経済事象の度合の確立,及び,かの最 も単純な要素か ら人間経済の より
( 3 )
複雑な現象形態が発展する法則の探究」を課題 とす るが,最 も本源的な要田と ( 4 )
は,欲望,財貨,及び欲望充足の努力であるとい う
。この ような,一般的な法則把握を 目指 して複雑な要素を除 くとい う経済学の 方法は,それ までに も存在 した ものであるが,考察が徹底 し,論点が詳細に及 んでいる
。例えば,注におけ る次の ような指摘は,その例である
。●●●●● ●●
「理論的国民経済学は,国民経済現象の一般的本質 gener el l eWes enと一般
●●● ●●
的連関 gener el l eZus a mmenha ngとを研究すべ く, 国民経済の概念を分析 して 此の分析か ら起 る結論を抽 き出 した りしてはな らぬ。現象乃至現象の一定側面 が国民経済学の領域の理論的研究の対象なのであ って,その言葉の上の影像, 即ち概念がその対象なのではない。概念の分析は個 々の場合には,国民経済の
●●
理論の叙述のためにある種の意義を有ち うるけれ ど,理論的国民経済学の領域
●●
における研究の 目標は,国民経済現象の一般的本質 と一般的連関以外にはあ り ( 5 )
えない。」
理論経済学の対象についての この ような指摘には,歴史学派批判 としては当 っている面 もあろ うが,問題 となるのほ,そ してまた我 々の関心事は, この よ うな手法や,認識の方法を規定する対象,即ち経済事象の特質,特にその歴史 性は どの ような ものであるのか とい うことである 。 この点の考察は, 『社会科 学方法論』では,第二編で行われている
。ここで メンガーは,現実の人間経済 現象の発展を認め,特に 「国民経済的事象の発展の事実及び この事実を国民経
( 6 )
済的事象の現実理論に於て掛酌す る必要」 も認めている。そ してそれを 「歴史
t T )
的観点」 と呼ぶ ことも同意す る
。しか しなが ら,他方, この ような発展及び地 方間の差異を顧慮すべ きであるとす る科学的要請の実現は, 「全 く厳密には到
( 8 )
達できない」 としている。即ち, 「あ らゆる国民経済の現実理論は,寧 ろ,あ る程度 まで どうして も,歴史学派がその方法で完全に克服 し得 ると考えている
( 9 )
欠陥仁苦 しむのである。」 この ように して,経済過程で生起す る事象の発展,
、 {・野、賢
̀ ∴こ ′ 1
5 4
即ち歴史性は,地域性 とともに認め られつつ,それ らは,単純な事実か ら構成 され る理論にとっての付加的要素 として取 り扱われているのである
。一方,経済事象の発展は,全 くの混沌 として取 り扱われているわけ で は な い。発展には, 「 具体的現象の時間的変化 ( 即ち個性的発展) と, 自然科学の
0 功
種の発展に比すべ き現象形態の発展 ( 即ち一般的発展)」があるとされ,理論 研究はそれ らを掛酌する必要があることが指摘 され る
。しか しなが ら,その掛 酌の方法は触れ られていないのである
。メソガ一にあっては,経済事象の変化 は発展 として処理 されつつ,純粋理論に発展の 要素を 加味する ことが 「 歴史 的」 と呼ばれてはいるものの,経済事象の個性的性格の理解は,歴史科学の対 象なのであって,理論研究 とは別なのである
。また,理論経済学が前 提 と す る,欲望,財貨,欲望充足の努力と,事象の歴史性 との間に生起する諸問題が 方法に及ぼす影響についての問題は,重要視 されていない。純粋理論構築の可 能性の論証 こそが最大の関心事であった と思われ るメンガーの著作にあっては,
この ように して,歴史的問題は別の課題 として峻別 され,理論研究にとっての 付加的な問題 と見なされているのである
。以上の, メンガーの歴史学派批判を基礎 とした所説に対するシュモラーの反 論は, メンガーの主張する理論研究が,経済事象の孤立化的な方法であ り . ,そ の方法に より,現実の経済事象の持つ複雑な性格を捉えるとが可能であるとは
仙
言い難いとい う点に主眼点が置かれていた。 また, メンガーが理論研究の前提 とした諸要素に触れ,それ らが科学的に導 出された ものでないことを批判 して
吻
いる
。更に, シュモラーは,その後 も経済学方法論の研究を続け, メンガーの批判
も行いつつ,その主張を も, 自らの体系の中にと りこもうとした。その中で,
自らの立場を,経済史研究 より出発 し, 「 近代の文化世界の よ り重要な国民経
済的現象を,一方 自然的,生物学的及び技術的発展の,他方心理学的道徳的 ‑
政治的及び社会的 ‑歴史的発展の,一般的連関の裡に設定 し,か くて国民経済
●. ・ ▼ I y. /̲J L/こ .A ..ir ..J .I.̲...蔓 「ur̲/ ,
5 5
:覗
の生成を明 らかにす るとい う企 図」 と, 「これに加えての国民経済の個 々の諸 制度 とをそれ 自身の進展過程に応 じて, またその決定的な 自然的及び精神的局
8 4 ) 0 9
面 との連関に於 て,叙述す ること」の企図を持 った 「一般国民経済学」の樹立 を 目指す と記 している。
メンガー批判については,先の論点に加えて, メンガーが認めた歴史的観点
叫
を加味 した研究が具体化 していない点を問題 としている。 シ ュモ ラーにあって は,固有の理論に対す る関心は高 くない一方,その究極の関心は,壮大な体系 を持つ経済学の樹立だ ったのであ り,歴史研究それ 自体で もなか った と思われ る。
メンガーとシ ュモラーの 論争 に よって 惹起 され,その後 も 続 いた 「 方法論 争」の総括 としては,先に見た シュンペ ーターの研究等があるが, シュンべ‑
タ‑がその立場を高 く評価 した研究者であ り,既に指摘 した ように歴史学派の 観点を継承 している, A. シュピー トホフの研究がある 。1 9 5 2 年に 英訳の上発
( 柿
表 されたその論稿 「経済理論の t t 歴史的M性格」は, S. ボラ ー ドに よ り, 1 9 5 0 年代に残 った 「方法論争」の反響 ( e c ho e s ) と見倣 され ているも の で あ
09
る。 この論稿に よ り,歴史学派の側か らす る,理論に とっての歴史的観点の重 視 と,理論研究 と固有 の歴史研究の峻別の論点を見てゆ こう
。シュモ ラーの学説に よって一応の集成をみた ドイ ツ歴史学派の学説 の 体 系 紘,多様な諸側面を持 ち,論者に よって 種 々の 差異が あ る。 シ ュピー トホフ は,それ までの歴史学派 の観点を総括 し,且つ 自らの主張を も混 じえつつ, ド イ ツ歴史学派経済学 の基本思想を,大 よそ以下の よ うな ものであ ると指摘 して
鳩
いる。即 ち, 「多 くの経済現象は,時間 と場所 に規定 され ている。」そ して経 済理論は, 「 歴史の経過 の中に生起す る経済生活の型 ( f 凪t t er n) を区 分 す る
軸
ことに よってのみ」それ らの事象を取 り扱 うことがで きる。多 くの型 軸 ( pat t em) は, シュピー トホフが,経済様式 ( e c o no mi cs t yl e) と呼んでその 性格を とら えた,基本的な経済制度の,基本的且つ類型的な差異に よって規定 さ れ て い
1一. ⊥一 7Jl一 旬ヽ V Jさ、 ‑1. I
5 6
る
。従 って,包括的な経済理論 とい うものは,多 くの個別的な理論を含む。一 方,個別的な理論は,限 られた適用性を持 っているのである
。経済様式が変化 すれば理論 も変化せ ざるをえない。か くして,理論家の仕事は止む こ と が な い。 この意味で,経済理論, と りわけ個別的理論は 「 歴史的」な性格を持つ と い うのであ る。更に, シ ュピー トホフは,歴史学派経済学者が, この ような考 え方をお し進め,理論の歴史性を忘却す る理論家に対す る批判を行 った と主張 す る
。例えば, リス ト, クニース,そ してシ ュモ ラーがその例 として取 り上げ られている
。シ ュピー トホ フに よれば, しか しなが ら,歴史学派に よる歴史的 な理論 の構築 とい う目的については,その方 向‑の研究の進展が十分ではなか った とい うことになる
。さて, シ ュピー トホフは,以上 の ように歴史学派の考え方を要約す るに当っ て,既 に見た ように,経済様式 ( ec o nomi cs t yl e)の概念を 提唱 し,その差異
‑の着 目として,それ までの歴史学派の観点の再構成を試みている。 この論稿 の英訳者である F. レ‑ ドリヒは, この点に読者 の 注意を喚起 しつつ,次の注 を付 している 。 「読者は, シ ュピー トホフ教授が経済様式の フ レーズで,二つ の異 った事実を指 していることを見 るであろ う
。即ち,一つは経済生活の様式 ( 制度的な段階),他はそれ らの様式の把握のために作 られた概念的なモデル
物
である。」 シ ュピー トホ. フに よれば, レ‑ ドリヒが注意 しているように,経済 逗 コ
様式 とい う理論的概念は, 「異 った制度的段階 ( 経済生活 の様式)」の時間に 規定 された差異を分析す るための道具で もある 。 そ してその概念は, 「その助
軸
けを借 りて,時間的な同一性が,理論分析に とって有効であ るようにす る」た めの道具なのであ る
。この ことの説明のために, シ ュピー トホフは,経済的な知識‑の接 近 方 法
餌
を,次の ように分類 している 。 1.非歴史的理論 ,2. 歴史的理論 (a. 「理念
型 ( i dea lt ypes ) 」を道具 として使 う純 粋 理 論, b. 「現実型 ( r ea lt ypes ) 」
を道具 として使 う経済的現実理論),3. 経済史。
、.・・ 卓1 ・l/, .∴ 、../I ,1. ・ ∵ , ヽ
5 7
この うち,非歴史的理論 とは,すべ ての経済生活が共通 に持つ関係や,任意 の ( a rbi t r a r y) 論理的に考 え られた モデルを問題 とす るものであるとし,歴史 的理論 としては,時間に制約 された条件を含む純粋理論 と,事実の理論化上 し ての現実理論があるとしている
。また歴史は,事象や過程を個性的に取 り扱 う、
とい うのである
。経済事象の歴史性に見合 った形での歴史的理論の構成に とっ て不可欠な考察の道具が,先の経済様式なのであ り,それは,経済事象に即 し た概念であ ると同時に,理論的な概念なのである
。シ ュビー トホフの論稿の英訳者である レ‑ ドリヒは, 「訳者序言」で, 「 歴 史的 」hi s t o r i s c h とい う表現 の内容を考察 している
。歴史学派が依拠す る認識 論者の通例 として,それは歴史過程 の個性的性格を強調す る表現なのであ り,
餌
シ ュピー トホフの含意 も同様であることに注意を喚起 しているのである
。この 点で同様の議論を展 開 した メンガーと対比 してみれば, シ ュピー トホフの方法 は,対象の歴史性に即 して,非歴史的理論研究 と,歴史研究の 間に,い ま 一 つ,歴史的理論研究の可能性を主張 している点に特徴があると考 え られ る
。更 に,対象の歴史性については,個性的な歴史過程の中に,理論分析が可能な経 済様式の諸相の存在を主張 しているのである
。この意味で, シ ュピー トホフの 立場は,経済分析におけ る歴史的観点を重視 した歴史学派経済学 の一つの典型 であると言えるものと思われ る
。しか しなが らここで, シ ュピー トホフが,歴 史的理論が,歴史ではな く理論であることを強調 している点に,注 目しなけれ ばな らない。 「私の立場 の理解は, 「歴史的」理論 と歴史の間の違 いを把捉す ることにかか っている
。歴史は,理論 と対照的に,現象や過程 と,その個性 に
鮒
関 して,かかわ るのである 。」
ところで, シ ュピー トホフの この よ うな考 え方は,先に見た ように, ドイ ツ 歴史学派経済学 の一つの帰結なのであって,そのすべ てではない。 シ ュンペ ー
● ●●●
ターは, シ ュピー トホ フの立場について, 「 ‑経済現象 のあ らゆ る相面 (ファ
榊
セ ッ ト) 」 ( 訳文の ゴチ ック及びル ビを変更)の研究を試みた シ ュモラーの立
.1 3‑ ・p .. ..:・∵ L'r< ・.∫
171 1‑l,、
・ノ ・.;
58
申
場 か ら離れ てい る ものの, 「特殊 な方 向におけ るその展 開」であ る こと, こと
亡瑚
に, ゾンバル トの 「シ ュモ ラー以上 の シ ュモ ラーとな った」 と言われ る総 合的 観 点 と対照的であ る、 ことを指摘 してい る
。しか しなが ら, シ ュピー トホ フの論 稿か ら,歴史学派 の継承者 においてす ら,理論 と歴史が峻 別 され てい る ことを 知 ることがで きるのであ る
。注(
1 x2 ) Ca r lMe nge r ,Unt e r s uc hunge n us w. S. 3. ( 戸田訳 p. 35) 傍点訳文 ( 原文隔
字体).以下,断わ りのない限 り同じo(3)
Ibi d. S・ 4 5 1( 同上 p. 71 ) .
(4)Ibi d ・S, 4 5 ・(同上 pp. 71 ‑2) O ( 5 ) Ibi d. S・ 6
ff.( 同上 p. 39) .
(6)Zbi d. S・ 1 08. ( 同上 p. 1 2 9) .
(7)
Zbi d ・S・1 1 0 ・(同上 pl 1 31 ) . .
(8)
Zbi d. S・1 1 3 ・(同上 p. 1 34) .
(9)Zbi d. S. 1 1 4. ( 同上 p. 1 3 5) .
㈹ Zbi d ・S. 1 01 ・( 同上 pp. 1 23 ‑ 4) .
如)
Gus t a vSc hmol l e r" ZurMe t ho do l o gyus w. 日
的 Ibi d. S・ 243 ・( 戸田訳 p. 31 8) o
a う 一色 う Gus t avSchmol l e r" Vo l ks w ir t s c ha f t , Vol ks w ir t s cha f t s l e h r eund‑ r he t h o d 〃Ha‑
ndwb y t e r b uch de r St aat s wi s s e ns c ha ft e n ,1 91 1( 戸田武雄訳 『国民経済, 国民 経済学及び方法』,有斐閣 ,1 93 8 年 ,pp. 57 ‑8) 0
8 8 Zbi d・( 同上 p. 99)
O的 Ar t hurSpi e t ho f f ,op.c i t .
的
Si dneyPouar d〟Ec o nomi cHi s t or y‑ A S c i e nc eo fS∝i e t yr N.B.Ha r t eed. o b・
c i t . ,p. 293.
8 軸 Zbi d. p. 1 3 2.
ej
) Zbi d. p. 1 33.
(物
Zbi d. p. 1 3 6.
的鯛
Zbi d. p. 1 3 7.
鰯
Zbi d. p. 1 34.
幽
Fr i t zRe dl i c h , HTr a ns l a t e r ' si nt r o duc t i on" Ib i d. p. 1 31.
的 Ar t hurSpi et ho l f ,op.c i t . ,p. 1 3 7.
餌
Sc hump et e r
,Hi s t o ryo f Ec o no mi c Anal ys i s p. 81 3 ・( 東畑訳 p. 1 706)
.なお,シュピー トホフは,上記の論稿と同様の趣旨を別稿, Ar t hurSpi e t ho
ff "Di eAl l
ge
‑5 9
me i ne Vo l ks wi r t s c h a f t s l e hr e a ls ge 監hi c hi t l i c h e Th e o r i e .Di e Wi r t s c h a f t s s t u e H , Sc hmo l l e r よJahr b uc h,1 9 3 2 で展開しており,シュンペソクーは,この論稿を引用
しつつ,考察を加えている。
餌
tb i d. p. 81 6.
(同上p. 1 71 4 ) 。 軸 tb i d. p. 81 7.
(同上p. 1 71 8) 0
Ⅲ
「方法論争」は, マル クスの 『経済学批判』等の経済分析についての著作が 刊行 された後に行われた ものであるに も拘 らず,十分 にマル クスの立論の吟味 を行 っていない とい う欠点を持 っていると思われ るが,それでは, マル クスの 立論は, 「方法論争」及び,そ こでの,理論 と歴史 の関係についての論点 とは 無縁であろ うか。
マル クスの経済分析についての諸著作, と りわけ 『経済学批判要綱』の公刊 以後,経済過程の社会科学的分析の方法論についての考察が深化 した ことは, 周知の ことである。 ところで, マル クスの経済分析の方法は,分析対象に対す
( 1 )
る歴史的な見方 と不可分であることが指摘 され ている
。この ような,マル クス の経済分析 の方法 と,分析対象の歴史的な見方 との不可分性は,その経済分析 の対象 となる経済過程におけ る 「もっとも抽象的な範噂で さえ も‑ ほかな ら ぬその抽象性のゆえに‑ すべ ての時代にたい して妥当す るにかかわ らず, し か もこの当の抽象 とい う親定性の点では,やは りまざれ もな く歴史的諸関係の 産物であ るとい うこと,そ してその完全な妥当性は,ただ これ らの諸関係にた
( 2 )
い してだけ, これ らの諸関係の内部でだけ とい うことである 。 」 とい う特性を 持 ち,マル クスがその分析を行 った ことに よるものであろ う
。確かにマル クスは,例えば生産について,一般的な規定の存在を認 め つ つ も, 「しか しいわゆ るすべ ての生産 の一般的条件 とは,右の ような抽象的な契
( 3 ) ●●●●● ( 4 )
機 にはかな らな い 」 として, 「 現実の歴史的な生産段階」の把握の必要性を述
べ ている。 しか しなが ら,他方,マル クスが,対象の歴史性を指摘す ることと,
60
その分析の方法が,過去の事象の追求 とい う歴史的方法を採用す ることとは臭 っていることも周知であろ う
。マル クスは,現実 の経済過程 の把握が, 「経済
( 6 ) 的諸関係が種 々さまざまの社会形態の継起の うちに歴史的 に しめ る関係」の問 題ではないことを強調 し,更に明瞭に, 「ブル ジ ョア経済 の諸法則を展開す る
( 6 )
ために,生産関係の現実 の歴史を書 くことは必要ではない。」 と述べ ている ●●●●●●●●●●
。即ち,マル クスの方法は,重要性の評価は全 く異なるとはいえ,経済事象の一 般的な把握 の方法 と,過去の事象の追求 についての歴史的な把握の方法のいず れを も,克服 しているもの と見 ることがで きる
。そ して また, この ような方法 上 の克服,止揚がな され る理 由は,現実 の経済の法則的把握のためには,一般 的,歴史的の夫 々の方法が夫 々の問題を持 ってお り,適当ではない面を持った
( 7 )
めであろ う
。ここで生起 して くる問題 の一半,即ち理論研究が, どの ように し て歴史的方法を克服す るのか とい う問題は, 「方法論争」での最大の争点であ った。従 って,マル クスの方法 と 「方法論争」での論点 とは,決 して無縁であ るとは言えない。
ところで,歴史過程の中で生起す る経済事象把握の方法をめ ぐる上記の論争 が行われた根拠は,歴史過程 の複雑な性格 の中か ら,如何 に して,法則的な諸 事象を取 り出すかが,困難な課題だか らであ るが,今 日では,時代の制約を基 準 とした場合の,理論研究の多様性 の承認 とい うシュピー トホフの立場,換言 すれば,任意のモデルや,現実的理論等の多様な研究の共存 の承認 とい う考 え 方に,異議を唱えることはな されていない。そ して また, この ような考 え方が 一般化す るに当っては,マル クスの影響 も無視で きないのである
。例えば,吹 の ような指摘 もあ る 。
「マル クス主義 に導かれている今 日のわれわれの考察様式にとっては,民族
● ●●●●
の生の発展を この定型的な経済段階に よって制約 された ものとみな した り,請
民族にとっての文化発展の死滅性を・ ‑‑国家お よび個人 の生活 に 対 す る 「資
本」の支配 と不可避的に結びついた結果 の もた らす ものとして提示す る,な ど
1、・㌧も・
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61 ( 8 )
とい うことは もはや まった く自明の ことであろ う 。」
この ようにマル クスの方法は,理論 の時代 に よる制約性 の認識 とい う点にお ( 9 )
いて,方法論争 の帰結 と共通性を持 つ ことがわか る
。さて, マル クスは, 『経 済学批判要綱』の序説 において,経済過程 の諸側面,生産,消費,分配の夫 々 の不可分性を説 き,それ らと,歴史的発展過程 の種 々の段階 との関係について 論 じている。即 ち,種 々の経済的範噂は,歴史的過程 に対応 しつつ,発展 して ゆ くとい う議論 であ る
。そ して また,歴史的発展 について, まず次 の よ うな規 定を与 えている。 「一般 にいわゆ る歴史的発展 の基礎 にあ る ものは,最後の形
的
態が過去の諸形態を 自分 自身にいた る諸段階 とみなす」 と
。マル クスに とって は,経済過程を分析す るためには,夫 々の段階 ごとに対応 した い くつ もの研究 を積み重ね てゆ く必要 はない。 「もっとも発展 した, また もっとも多様な,生
也 )
産 の歴史的な組織 」 (ブル ジ ョア社会)の解 明 こそが, 「同時 に,没落 しきっ
0 分
たすべ ての社会形態 の仕組み と生産 関係‑ の洞察を可能にす る
」 。しか もそれ は, 「まれに しか, しか もまった くか ざ られた諸条件 の もとで しか, 自分 自身
的 4 4
を批判す ることがで きないか ら」, 「ただ まった く限 られた意味で」 とらえ ら れなければな らない。 マル クスは,経済発展 の段階性を認めつつ,その段階認 識す ら,歴史的規定性を帯びていることを指摘 しているのであ り,歴史認識 自 体の問題性を も視野にお さめている
。胸
「すべ ての生産段階に共通 な諸規定」の存在 を認 めつつ,規定 の歴史性を強 調す るマル クスは,か くして,一般的方法を克服 し,且つ,歴史 的方法を も乗
りこえるのであ る
。注(1)
典型的な研究として,向坂逸郎 『マルクス経済学の方法』,岩波書店 ,1 959
年参照。なお,ここでは,マルクスの経済分析と,対象の歴史的なとらえ方が不可分で あることが,一般に認められていることが確認できればよい。この論点についての 研究は深化 しており,今 日の諸研究の論点としては,対象の歴史的把握の帰結とし ての唯物史観の定式の論証と,経済分析の完成の論理的先後関係について,あるい は, 『 資本論』が如何にして資本主義の歴史性を論証しているのか,等 が 問題 と
「 て 声 帯J t ∴
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62
されている。我 々の当面の関心は,歴史研究が理論研究の成果を どのように掛酌す べ きかを理解す る前提 としてのi理論研究が歴史研究を どのよ うに位置づけている のかの問題にあ り, この間題 と先の問題 とは,密接な関連があるとはいえ,両者は ひ とまず弁別 しうるものであ̀る。先の問題に関す る諸見解については,宇 野 弘 蔵
『経済学方法論』,東京大学出版会
,1 9 6 2
年,鈴木鴻一郎 「唯物史観 と 経 済 学」(『
経済学論集』3 3‑3, 1 96 7
年所収),林直道 『史的唯物論 と経済学』,上,下, 大月書店,1 9 7
1年,・平田喜久雄『
『資本論』の論理』,法律文化社,1 9 78
年 等 及 び,それ らに引用 されている諸文献を参照。 また, これ らの論点についてのマル ク スの著作の関連部分は,久留間鮫造編 『マル クス経済学 レキシコン2
方法Ⅰ
』,大 月書店,1 9 6 9
年に集成 されている。( 2 ) Ka rlM
arx,Gr undr i s s e de r Kr i i i k de rPo l i i i s c he nOe k o n o mi e , 1 8 5 7 ‑ 8 ( Di e zVe r l a g,Be r l i n,1 9 5 3,S. 2 6
・(高木幸二郎監訳 『経済学批判要綱』,ト
Ⅴ.大月書店
,1 9 5 8
年p・ 2 7)
0 (3)(4)Zb i d. S. 1 0 ・(同上 p. 1 0) 。 ( 5 ) Z b i d. S. 2 8 ・( 同上 p. 2 9) 。 ( 6 ) Zb i d. S. 3 64. (同上 p. 3 9 6) 0
( 7 )
マル クスの経済分析の方法が.歴史分析の方法 と異なることを強調 した研究 とし て,見田石介 『資本論の方法』,弘文堂,1 9 6 4
年がある。大内力 『経済学大系第一 巻経済学方法論』,東京大学出版会,1 9 8
0年,p. 80
以下 も見 よ。( 8 ) Ma xWe l 光r ," Ro s c he rund K
ni
esunddi el o g is c he nPr o bl e me de rhi t o r i s c h en Na t i ona l8konomi e 〟Ge s a mme l i eAu
fs L uZ e n f ur Wi s s e ns c h a ft s l e hr e(
松井秀親 訳 『ロッシャ‑とクニース』,一,未来社,1 95 5
年,p・ 55)
0( 9 )
「方法論争」の当事者のいずれの立場を も批判 し,マル クスの方法を評価す る見 解があることは当然であるが (大内前掲書,p. 30
以下等参照), ここではひ とまず,「方法論争」 と,マル クスの方法が,類似の課題の達成を 目指 していることがわか れば よい。
( 1 O Ka rlMa r
x,o 少.c i
i. ,S. 2 7
・(高木訳p.2 8)
0帥 Z b i d. S. 2 5 ・( 同上 p. 2 7) 0
伯 Zb i d. S. 2 6 ・( 同上 p. 2 7) 0
㈹ Zb i d. S. 2 6 ・( 同上 p. 2 8) 0
8 4 Zb i d. S. 2 6 ・( 同上 p. 2 7) 0
8 9 Zb i d. S. 1 0 ・ . (同上 p. 1 0) 0
㌧1.. ...L・; ;・ . .・⁚ '‑7F.. ヤ).J r.J・IT >.T';/ ]ー {‑ .★象 「.)・;.‑ .1・> ..).・、 √
63
Ⅳ
以上の 「方法論争」の展開及びその論点に関す るマル クスの方法についての 考察か ら明 らかにf i : ‑ った ことは,固有の理論研究が歴史性を重視す る場合にお いて も,理論に加味 され るべ き歴史的観点 とは,時代に制約 された諸事象の中 か ら,本質的な問題を把握す る際に留意 され る,方法上 の観点なのであって, 歴史的事象の追求を行 う研究が別に位置づけ られていた とい うことであ る
。近代社会の分析を主 とす るマル クスの方法が歴史観 と不可分であると言われ るのは,その方法が,経済過程で生起す る諸事象の一般性 と歴史性を踏 まえつ つ,特に一般性の強調‑の反論を行い,過去の事象追求へ の示唆を も与えてい るか らであろ う
。この間題は, メンガーにあ っては,一般的な理論に歴史性の 配慮を加えることに よって,不十分にではあれ,処理 され る問題 として取 り扱 われ,歴史学派, と りわけ シ ュピー トホフにあ っては,歴史的理論の構築に よ って処理 され る問題であった。
しか し,一方, マル クスの経済分析の方法が歴史的観点 と不可分であるとし て も, それ 自体が歴史分析なのではな く,更なる歴史研究 の余地が示 され, メ 1 /ガーや シ ュピー トホ フが歴史的観点を重視す るとして も,それ とは別の歴史 研究が,理論 と区分 された固有の領域 として位置づけ られ ていたのである
。この ような,理論研究の側か らす る歴史研究の位置づけは,理論構築の前提 についての方法的模索か らす る位置づけ及び,理論研究の領域におさまらない 史的領域 の指摘なのであ って,その ような指摘を行 うこと自体が,理論研究の 展開のための方法的手続 とい うべ き ものであろ う
。ところで,先の玉野井氏の提言は もとよ り,同氏が引用 された ヒックスの場 合 も,更に,やは り先に見たデイ ビスにあ って も,諸学 の共同の場 としての経 済史のとらえ方は,理論研究 の確固とした存立を前提 とした立論なのであ り, 理論構築に際 しての,上記の考察を前提 と した上での,‑層の展開と してとら
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6 4
え られ るべ き立論であ ると思われ る
。即ち,複雑な社会事象の中での理論的整 序を行 った上での,理論の事象‑の適用 と,多様な諸学の理論の交錯 のすすめ であ った。我 々が考察を加えた諸研究 の問題 とす るところは, まさに理論研究 の側か らす る,理論的整序の発端 の,歴史研究 の位置づけの方法についての論 点だ ったのである。歴史研究を行 う者が, この ような位置づけを理解す るとし て も,その ように位置づけ られた課題は歴史研究の一部にす ぎないことを強請 すべ きであろ う
。例 えば,過去の資本主義成立以前 の経済事象の理論的分析は, 理論研究の側か らの限定が どの ように行われていて も,歴史研究を行 う者にと
っての課題 としてあ り, また実際,歴史研究の側か らの分析が行われ続けてい るのである
。この意味で,歴史研究を行 うものにとっての課題は,以前か ら,
( 1 )
理論研究 の適用を許容す る広範な ものであ り続けた と言えるものと思われ る 。
諸学の理論研究の適用を許容 しつつ も,歴史家が懸念す るのは,デイビス も 記 しているように,適用 され る理論の成立 の前提が,対象 となる歴史事象に適 合的であるのか,そ して また,理論に包摂 しきれない事象の重要な側面を欠落
( 2 )
させ るのではないか とい うことであ り, ここに, よ り困難な問題が存在す ると 同時に,固有の歴史研究のい ま一つの課題がある もの と思われ る 。 「 実際問題
ヽ
として,社会科学,そ してその中で最 も確固 として打ちたて られている経済学 で さえ も,要求 され ている役割を満たす ことか らは,はるかに程遠 いが,今で
( 8 )
も,歴史家に提供す る多 くの ものを持 っている 。 」歴史研究 にとって,方法間 ( 4 )
の交錯 は歓迎すべ きことであると言えるもの と思われ る。
注(1)