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戦後社会意識研究史の一考察 一工一トス論の視点から一

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戦後社会意識研究史の一考察 一工一トス論の視点から一

安河内 ,恵 子 (社会学)

古賀倫嗣*(社会学)

1.近代化論と「エートス」問題

 日高六郎によれば,マイナス・イメージをもつ「近代主義者」のレッテルを 貼られた多様な論者たちに,なんらかの共通項があるとすれば,それは「日本 の近代化」と「近代的人商」への強い関心だとされている川。近代化論が,

「近代化」という社会に関する問題関心とともに「近代的人間」という人間に 関する問題関心を内包していたということは,近代化論の理論構造の二重性を 意味することになった。近代化論の視点は,二つの問題関心のあいだで揺れ動 き,さらに現実の日本社会の発展過程とも絡みあって,近代化をめぐる議論は,、

さまざまな変化と変質をうみ出しつつ展開されていった。

 日高によれば,こうした議論は,「近代化」を捉える指標をどう考えるかに

       パラ ダイ ムよって,四つの理論枠組に分類できる(2)。

 (1)近代化を封建社会から資本制社会への構造的転換過程と捉える立場  その多数派はマルクス主義的な歴史的移行論に立つものであったが,戦後の

社会学者たちの多くがそれに完全に同調するものでないにしても,この立場で ほぼ一致していた。構造的転換の指標は,封建的土地所有関係の解体,資本主 義的生産様式の確立,市民的自由権の保証,の3点が考えられていた。この立 場からは,資本主義社会から社会主義社会への転換が予想されており,前近代

*愛知大学文学部

(2)

56       安河内 恵 子・古 賀 倫 嗣

→近代→超近代への移行が展望されていた。1945年の敗戦の時点で「近代化」

が議論されたときには,制度革命と人間の意識革命を内包した,前近代→近代 の構造的転換論がその中心的な潮流であったのである。

 (2)産業化論的近代化論

 産業においては停滞的な社会,制度・思想においては伝統的な社会が,生産 力の飛躍的増大をテコとして「離陸」し,新しい産業社会へと転換していく過 程である。転換のテコとして,技術革新がもつ意義は大きい。マルクス主義的 社会体制論の影響は弱く,体制や政治形態の差違は重要視されない。

 (3)複数の近代化指標を設定し,そのひとつひとつを尺度とした測定値で近   代化の程度を捉えようとする立場

 この方法は,指標の尺度について恣意的になりやすいこと,それぞれの構造 的連関が必ずしも明確ではないといった欠点をもつが,国際比較研究には適し ている。

 (4)特異な「近代化」論

 この立場を純粋化すると,近代化の内実は歴史的に規定された近代から分離 して,いわば超歴史的なカテゴリーとなる。近代化は歴史的な近代から,ある いは歴史そのものから剥離された概念として考えられている。象徴的,超歴史 的な「近代化」の設定である。

 わが国の近代化をめぐる議論は,こうした四つの理論繰組のなかで,変質を 内包しながら展開されていっだご「敗戦直後に近代化あるいは近代的人間の問 題が議論されたときには,いまあげた四つの接近方法のうち,第1と第4とが 最も重要だった(3)」が,1960年に開催された「箱根会議」の頃には,論点が 第3に移り,さらに富永健一の『社会変動の理論』の登場によって第2の産業 化的近代化論の水準が現われたといえる。本稿では,第1と第4の水準の近代 化論として,大塚久雄,丸山真男,川島武宜,の3人と,それから少し遅れて 登場する特異な存在であるベラーの理論を検討し,第3の水準を代表する「箱 根会議」の出席者の議論,そして最後に,第2の水準の近代化論として富永健 一の議論について,それぞれ「近代化」と「近代的人間」という複眼的視点で

(3)

考察を行ないたい。とりわけ,人間主体のもつエートスの問題の捉え方を中心 に検討を進めることにしよう。

 さて,戦後,大塚久雄,丸山真男,川島武宜らは,マルクスの強い影響を受 けながらも,戦時期に解体された社会科学の再建をウェーバー的視角から行な い,いわゆるrウェーバーとマルクス」という枠紬4)で,近代化論を展開さ せた。彼らに共通した視点は,それまでのマルクス主義の「経済決定論」的な 把握に対して,社会意識やエートスの問題の重要性を強調したことにあった。

大塚がエートス問題を共同体論と結びつけて「共同体の基礎理論」を考察した こと⑤,また丸山が「徳川期」の政治思想史の分析,戦時ファシズムの行動 様式や心理的メカニズムの分析において一貫して「主体の欠如」を追究してい

ること㈲,川島が「日本社会の家族的構成」を論じるなかで,その「二重道 徳」性を明らかにしていること俗などは,社会意識やエートスの視点から社 会科学を捉え直すというアプローチによってのみ可能なことであった。

 しかも,彼らが「近代化」の指標を「市民社会」として捉えられた「資本主 義」社会の形成過程に置き,そうした前提のうえで社会意識やエートスを強調       パラダイ ムしたことは,近代化の理論枠組を「伝統的工一トス」と「市民社会のエート ス」の対立図式として描き出すことになった。「市民社会」として抽象化され た「資本主義」社会,あるいはそれを支えている「市民社会のエートス」を  「近代化コの終着点としている以上,その視点からは当時の日本社会の発展段 階や強く把持されていた「伝統的工一トス」は,すべて完全に否定されるべき

ものであった。後に,丸山らに「近代主義者」というレッテルを貼った人々が,

彼らの近代化論を「欠如理論」と批判したことは,その事情を表わしてい

るく8)。

  「われわれにとって,八・一五を抜きにした近代化論が,…その出発点にお いて……ありえたろうか(9)。」安藤英治がいうように,わが国の近代化論が,

暗く重い戦争責任論から出発せざるをえないという特殊な状況に置かれていた ことはまぎれもない事実である。そうした思想史的背景のなかで,マルクスの 影響を受けた「近代主義者」は「経済的社会構成体」の変動の結果現われる近

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 58     安河内恵子・古賀倫嗣

代社会の「質」的変化を追究するだけではなく,社会意識やエートスのレベル においても「質」的な転換をも把握しようとしたのである。そして,両者を統 一的に捉えようとする視点は,いまわしい「伝統的工一トス」を全面的に否定  し,それにかわるべき「市民社会のエートス」を模索するという方法的態度を

生み出すことになった(1°)。

  「伝統的工一トス」に対するこうした否定的評価から脱却して,はじめて肯 定的・積極的な視点から捉えようとしたのは,ロバート・K・ベラーであった。

彼は,二つの意味で日本の近代化論の方向についての転轍機の役割を果たした。

すなわち,第1には「伝統的工一トス」の肯定的見解への転換であり,第2に は欧米の研究者たちを日本の近代化の研究に向けさせる役割を果たしたという ことである。

 ベラーが,『徳川期の宗教』(邦訳名,『日本近代化と宗教倫理』)を著したの は,1957年であり,戦後百家争鳴状況にあった近代化論争も一段落して,「近 代化」の方向それ自体が問われ始めた時期である。彼が直接に検討の対象とし て扱っているのは,明治期における近代化の問題であるが,はじめて「伝統的 工一トス」を肯定的に捉える分析視角が提起されることによって,「近代化」

の意味はいっそうの混迷をみることになった。それまで中心的な潮流であった

「市民社会・型近代化論の立場で使用されて註・近代化、とはまったく異

なったものが,新たに「近代化」という名称をもって出現したのである。

 ベラーは,「近代産業社会」を「社会体系においては経済体系に,価値体系 においては経済価値に非常な重要性をおく,という特徴ある社会四」と規定 している。「経済価値」とは,「とりわけ手段の合理化過程を特徴づけている諸 価値」をいい,「社会学の理論では,これらの価値は,行為理論でいう 『類型 変数』のうちの二つ,すなわち『普遍主義』と『遂行』を指している(12)」と 述べている。そして,「手段の合理化の過程,あるいは道具的行為とも呼びう るようなものでは,行為の目標は,差し当たり自明のこととされる。唯一の問 題は,いかにして与えられた目標に最高度の能率とまた最小限のエネルギーを

もって到達し得るかということである(13)」と説明している。

(5)

 こうした前提に立って,ベラーは日本では武士道において孝よりも忠が強調 されたため,「忠の道」という「個別主義」が「普遍主義」の機能的等価物と して現われ,それがもとから存在していた「遂行」価値と合体して,わが国の

「近代化」を推し進めたと主張する。それまでの「市民社会」型近代化論が,

「市民社会のエートス」を追究しているものである以上,それは「形式合理 性」の追究であり,同時に目標をも選びうるという「自由性」を有する「目的 合理的行為」の追究も意味するものであった。こうした把握からみると,ベ

ラーの見解は,たとえば「手段の合理化」(手段のみの合理化)にみられるよ うに,近代化論の内実の倭少化をもたらすことになった(14)。

 このような「近代化」の意味の変質のなかで,「伝統的工一トス」に対する 評価のあり方も変わらざるをえない。ベラーが『徳川期の宗教』を発表した3 年後の1960年には,日本の近代化に関して箱根で日米合同のシンポジウムが開 催された。日本側の議論がまだマルクスの影響下にあったのに対して,アメリ カ側では「オープン・システム」(J,W、ホール)の分析視角が提起され,日本 人学者を驚かせたのである。

 箱根会議では,「近代化」の概念理解について,基本的にはB.シュヴァル ッの考え方に即して㈱,作業概念が規定され,「近代化」のシンドロームを整 理することになった。ホールによって提起されたシンドロームの理論が検討に 付され,その結果次の修正一覧表で同意をみた(16)。

 (1)都市への,人口の比較的高度の集中と,社会全体の,都市中心的傾向の   増大。

 (2)無生物エネルギーの,比較的高度の使用,商品の広汎な流通,および   サービス機関の発達。

 (3)社会の成員の,広汎な横断的接触,経済・政治問題への彼らの参与の拡大。

 (4)環境に対する個人の,非宗教的態度の拡大と,科学的志向の増大,それ   にともなって進む,読み書き能力の普及。

 (5)外延的・内包的に発達した,マス・コミのネットワーク。

 (6)政府・流通機構・生産機構のごとき,大規模な社会諸施設の存在と,こ

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60     安河内恵子・古賀倫嗣

  れら施設が次第に官僚制的に組織化されていく傾向、

 (7)大ぎな人口集団が,次第に単一の統制(国家)のもとに統合され,この   ような単位間の相互作用(国際関係)が次第に増大する傾向。

  「近代化」のシンドロームについてのこれらの諸項目から明らかなように,

そこでは「市民社会」型近代化論で追究されてきた「質的変化」は姿を消して,

測定可能な「量的変化」に置き換えられている。前述した日高六郎の分類でい えば,(3)の「複数の近代化の指標の提示」への移行である。「市民社会」型近 代化論においては,「伝統的工一トス」の近代化が論じられていたのに対し,

ベラーでは「伝統的工一トス」による近代化への論点の移行が明らかであり,

さらに箱根会議においては,「近代的人間」の「エートス」問題を完全に捨象 し「社会の近代化」の量的把握へと変質していったのである。こうした変質が 生じたのは,「近代化」概念の定義が不明確なままに置かれ,「社会」と「人 間」という方法論的には異なる2つの視点の間で動揺するという簡題弾組の未 成熟の結果であった。

 ところで,この段階では「近代化」の量的把握から「産業化的近代化論」へ の移行は,いまだ明確には意識されていなかった。富永健一は,「近代化」の シンドロームの展開について高く評価しながらも,「項目をかぞえあげるにあ たってのなんらかのア・プリオリな基準となりうるようなものがそこには与え られておらず,また属性の完全枚挙ということはこの場合にはその性質上不可 能(17)」として,「ほんらいの意味の・理論、一それはなお遠い目標である 一に少しでも近づくためには,それらの経験的一般化は,何よりもまず説明

されねばならない(18)」と批判を行なっている。このような問題提起をしたう えで,彼はそうした諸項目を「被説明要因(従属変数)」と規定し,説明のた めの「独立変数」として「狭義における産業化(19)」を提案した。それにより

「現代の諸産業社会における共通の歴史的動向についての観察(20)」を企図し たのである。

 こうした定式化においては,もはや「8・15の原罪」を背負うことで出発し た「人間変革」,「エートスの全面的転換」という社会科学の課題は完全に捨象

(7)

されてしまっている。富永が明治以降の一貫した産業化について指摘すると き㈱,そこには丸山らにみられた「8・15」に対する心理的なこだわりは まったくみられない。

 これまで検討してきたように,同じく「近代化論」と呼ばれるものも,論理 的にも実体的にもさまざまな意味あいを含んでいる。初発の近代化論であった

「市民社会」型近代化論においては,「市民社会」として把握された「資本主 義社会」と「市民社会のエートス」との関連の追究という「質的変化」が課題 と考えられていた。ところが,アメリカ人学者であるベラーは,まさにアメリ カ人であったがゆえに「8・152の呪縛から自由であり,既存の「近代化」理 解から脱却し,「伝統的要素」による近代化を論証し,近代化の「量的把握」

への道を開いたのである(22)。ベラーの研究は「近代化」の意味転換という意 義において転轍手であったが,同時にベラーまでは「市民社会」型近代化論者

と同様に,「エートス」や社会意識の意義を強調していたということは十分注 意されてよい。彼が前後の近代化論の画期をなすものであったとすれば,ベ ラー以後の近代化論は「近代化」という結果の「量的把握」作業の精緻化をそ の研究課題として展開させたといえよう。富永が『社会変動の理論』を発表し た1965年に,「市民社会」型近代化論のチャンピオシであった大塚そのひとに よって,ザ近代化」と「産業化」とはまったく別の概念であるとあらためて主 張が行なわれたのは象徴的である㈱。しかし,大塚自身もまた,もはや自分 の主張する「近代化」概念をもってしては,現実の日本社会を説明することが むずかしいということを痛切に感じていたことであろう。

2.戦後社会意識研究の展開

 日本の社会学が戦後いちはやく取り組んだ社会意識研究においても,「近代 化」論と同様,「伝統的工一トス」の問題は避けることのできない課題であっ た。そして,社会学の領域では,「市民社会」型近代化論が行なった分析視角

とは別の方法論で「近代的工一トス」を検討することになった。

(8)

62       安河内,恵子・古賀倫嗣

 その最初の試みは,日高六郎を中心とする「旧意識の温存と変容」の研究で ある(24)。ここでは,上からのシンボル操作と下からの「旧意識」の呼応関係 がみごとに分析されている。この分析にみられた方法論的な基本線が,のちの 社会意識研究を導く「赤い糸」となった。「上から」の旧意識は,国体観念や 家族国家観を踏まえたうえでの「天皇シンボル」,「天皇意識」であった。もち ろん,天皇の「人間宣言」によって現人神=天皇制は否定され,その結果「非 政治化」,「心情化」,「部分化」されたが(25),「天皇」意識の温存は上からの天 皇シンボルの操作に対して,いまだ十分な社会的統合力を可能にしていた。そ して,その天皇シンボルが国民に「神格化された天皇に対する絶体随順」や  「家父長化された天皇に対する赤子の情(26)」などを呼び起こし,心情的に作

用するとき,それは「下から」の旧意識の一翼をなす「家父長的家族主義」に 通底するものであった。

 ところで,「下から」の旧意識すなわち「醇風美俗」はこのような「家父 長的家族主義」と「ムラ秩序」の2契機から構成されていた(27)。そして,日 高らによれば「国体護持」とイエとムラの「醇風美俗」とが天皇を媒介として 共鳴しあっていると分析された。

 「周知のごとく,明治政府は《国体観念》のなかへ《醇風美俗》のエネルギーを 吸いあげ,《忠》と《孝》とを一本にすることで,《国体の精華》を上ふら構成しよ

うとしたのであるが,そのさい皇室を国民の総本家とする家族国家観は,けっ きょく実際的には《醇風美俗》のアナロジーにすぎなかった(28)。」

 この文章から明らかなように,天皇制イデオロギーは「家族国家観」に立脚 していたのであり,それゆえこのイデオロギーが共鳴をおこしていたのは,

「下から」の旧意識のうちの「家父長的家族主義」の方のみであった。しかし,

日高は「下から」の旧意識を必ずしも2つの原理からの構成物としては考えて おらず,この研究論文の限界をなすことになった。このような限界は,この研 究を出発点とするのちの研究にもそのまま受け継がれることになった。戦後の 社会意識研究において「旧意識」の分析が,すなわち「伝統的工一トス」の分 析という課題が徐々に後退していくのは,こうしたところに理由が存在してい

(9)

た。

 ところで,この論文にはのちに引き継がれていくもう1つの論点がある。そ れは,「旧意識」に対立するものとして「階級意識」を設定していたことであ る。「市民社会」型近代化論とは別の視点で研究が行なわれたというのはこの 意味においてである。

 「階級意識」を明確に分析枠組に位置づけたのは,日高,高橋徹らによって 行なわれた「労働者の政治意識」研究であった㈲。同研究では,「上から」の 旧意識が,「天皇制イデオロギー」,「反共イデオロギ⊃,「ナショナリズム」

の3つに拡大され,「下から」の旧意識が「伝統的価値態度」として捉えられ,

       パラ ダイム

両者の合力が「階級意識」の成長を阻止するという理論枠組がつくられた。そ して,現実の意識調査により得られた相関係数に基づいて,因果連鎖図が第1 図のように表示されている㈲。

       パラ ダイ ム

 しかし,同研究は,安田三郎が批判するように⑪,理論枠組と因果連鎖図        パラ ダイ ムとがうまく適合しないため,因果連鎖図を無視して理論枠組が一人歩きしてい るという論理的矛盾は否定できない。安田が因果連鎖図を第2図のように書き 直すべきと主張したのも当然であろう。

第1図 日高らによる因果連鎖図

階級意識

/ \

伝統的

価値態度

5拳オ。ギー   ↑

天皇制 イデオロギー

ナショナリズム

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64     安河内恵子・古賀倫嗣

第2図 安田による修正因果連鎖図

イデオロギー

 ところで,日高らの分析は前述したように「下から」の旧意識を構成する2 要因の関連を十分には把握していない。そのため,「上から」の旧意識の中心 的要因たる「天皇制イデオロギー」が統合機能を失っていくにしたがって,

「下から」の旧意識それ自体も意味をなさなくなったのも当然である。高橋は,

そのあとの研究でも「上から」のシンボル操作として戦前日本にみられたタイ プの「ナショナリズム」,すなわち天皇を中心とした「家族国家観」,「再軍備」,

「愛国心」などから構成された「ナショナリズム」をあげており,イエ制度を 基盤とした「天皇制イデオロギー」と深い関連をもつものとして表わされてい

る(32)。

 しかし,この時期にはこのような「家父長的家族主義」に関する「下から」

の旧意識はすでに消失し始めていた。つまり,「下から」の旧意識と呼応する ことを前提とした「上から」の旧意識という分析枠組は,崩壊をよぎなくされ ていたのである。先に,「下から」の旧意識には,もう1つの「ムラ秩序」の 原理が存在していることを指摘したが,次にこの問題の検討が行なわれなけれ ばならない。

 さて,日本社会の基礎構造の理解のためには「身分制」と「自然村秩序」と

(11)

いう2つの社会原理が必要なことを,はじめて指摘したのは安田三郎であっ た(33)。それは,従来の社会意識研究が「意識の変化のメカニズム(34)」を欠い ているという彼自身の批判から展開されたものである。安田は,「身分制原理」

を次の5項目で考えている(35)。

 (1)自己規範意識をともなっている(「商人の子は商人らしく」)。

 (2>行動様式が微細な点まで儀礼的に規定されている。

 (3)身分の全体性(学生であるということは学校内においてのみならず外に   おいても強い影響をもちうる)。

 (4)階層的身分をさしている。

 (5)家との関連において存在している。

 そして,なかでも特に重要なのは(3)全体的身分概念と(4)階層的身分概念であ

る。

 これに対し,「自然村秩序」は,〈1)個人の自己主張を排し,〈2)情緒的融合を 高め,(3)階層的差別を隠蔽し,(4)集団内の平和を保ち,〈5)集団外に対しては冷

酷な闘争を促す,という性質をもった秩序,ないしそれに関する意識であ

る(36>。

 この二つの原理は,イエという集団において明確に現われるように強力な補 完関係にたつこともあるが㈱,また矛盾と対立の関係でも現われるもので あった(38)。そして,安田によれば,戦後の社会意識の変質は,身分制原理か ら部落制原理=自然村原理への移行として捉えられる。

 しかし,安田のこうした「移行」説は厳密には正確ではない。なぜなら,

「自然村秩序」はすでに「身分制」原理を内包しているからである。この「移 行」は,ぐ家父長的家族主義」から「自然村秩序」への「移行」と表現した方 がより正確であるが,両者とも身分制原理を内包した概念である。両者の差違 は,身分的上下関係による差別の方が強調されるか,それともその差別の感情 による隠蔽の方が強調されるか,その力点の違いに帰せられるのである。

 このように,戦後日本の社会意識の変質は「家父長的家族主義」から「自然 村秩序」へ移行として総括される。戦前における天皇制イデオロギー,家族国

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66     安河内恵子・古賀倫嗣

家観は,「家父長的家族主義」に立脚していたが,戦後,「天皇の人間宣言」と ともに天皇は「象徴天皇」の以上でも以下でもなくなり(39),もはや「上から」

の総合イデオロギーとしての機能は果たしえない存在になった。それは,民法 改正により「家父長的家族主義」がその物質的基盤を失ったことと軌を一にし ている。「下から」の旧意識として「家父長的家族主義」のみを考え,またそ れと呼応するものとしての「上から」の旧意識を「天皇制イデオロギー」だけ に限定していては,もはや現状分析は困難だと考える根拠は,こうした現実の 急激な変化にある。「下から」の旧意識における「家父長的家族主義」は急激 に姿を消してしまったのであり,「下から」の旧意識を考えるさいには,もう

1つの社会原理である「自然村秩序」を念頭に置くべきなのである。

 そして,戦後における「伝統的工一トス」をめぐる議論の論点の移動を「家 父長的家族主義」から「自然村秩序」への移行として把握することがなされる べきである。庄司興吉は,「大衆社会状況」を大衆化の進展,イデオロギーの 終焉,家郷の解体,焦点の定まらぬ反乱の4点による「日本的なるものの根底 的解体」として捉えている(4°)。庄司のいう「家郷の解体」は「家父長的家族 主義」の解体に相当するが,それが解体したとしても依然として「自然村秩 序」は残存し続ける。「伝統的工一トス」を担ううえでより大きな力をもって いた前者が,歴史的に脱落していったというだけなのである。つまり,「家郷」

=「家父長的家族主義」として現われていた「日本的なるもの」は解体したが,

かわりに「自然村秩序」としての「日本的なるもの」が前面に現われてきたと いうことなのである。こうした「日本的なるもの」の二層構造についての認識 は,庄司だけではなく多くの論者に共通して欠落していた。「自然村秩序」と して現われる「伝統的工一トス」への視点の転換が求められたゆえんはこのこ とにあった。

3.大衆社会における「エートス」問題

「伝統的工一トス」の特徴は,「神の器」観すなわち世俗内神秘主義,家父

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長的家族主義,自然村秩序,世俗内禁欲の4点に求めることができる。

 世俗内神秘主義とは,儒教文化圏において広くみられるように,世俗の内部 において自己完成が目指され,その自己完成によって1人1人の人間が「神」

となりうるという性格のことである。わが国の場合,世俗内神秘主義が「職業 労働」と結びつけられたところに,中国との差違がある⑭。いずれにせよ,

個人は「審美的価値の体現者」となりうるのであり,その意味で自己目的的と いうことができる。家父長的家族主義とは,家の制度的側面を強調する「家」

の論理に基づく社会原理のことである。所与性の「血縁」の是認によって成立 するが,家族主義はたんなる血縁関係にとどまるものではない。「家」が実体 化されるにしたがって,その内部に「身分的上下関係」の相互意識が形成され,

また内包されていく。家父長的家族主義の指標は,第1に身分的ヒエラルヒー の原理であるが,それを隠蔽するヂ恭順意識」の強調も重要である幽。

 第3の自然村秩序は,家父長的家族主義とは反対に,感情的融合や情緒的統 合によってなりたつ。これがその背後に身分的上下関係をもつことはいうまで

もないが,感情による統合を第1の原理とするところにこの契機の特質がある。

最後の,世俗内禁欲は,世俗内神秘主義とワン・セットの関係にある。世俗内 禁欲は,儒教倫理だけではなくピュウリタニズムにも共通に現われるが⑭,

両者の差違は,世俗内禁欲が「神の器」としてなされるか,それともぐ神の道 具」としてなされるかということにある。世俗内禁欲と「神の器」観の結合は,

自己目的的な価値合理的行為しか生みえず,現存の社会体制への批判という変 革的契機は存在しない。

 自己目的的であるということは,個人の内面にだけ関心が向けられるという 意味で,受動的である。なぜなら,そこでは行為の自由性が存在していないの であるから,必然的に受動的とならざるをえないのである⑭。所与の枠のな かで「世俗内禁欲」に徹し,そうすることにより「神の器」となることが求め られている状況においては,与えられた秩序や伝統に対する疑いや自問,そし てそこから生まれる行為の自由性は現われようもない。

 このように,受動性をもって現われる自己目的性は,さらに「私性への埋

(14)

68     安河内恵子・古賀倫嗣

没」を志向させることになる。自己目的性が要求する,現存の規範や伝統的慣 行の受容とそれへの順応は,行為自体への集中を最高の道徳として表わし,そ うした内面への注視は「私性」という自己中心性と共通する性格をもつことが らであった。

 これに対して,家父長的家族主義の論理は「全体性」への志向をもつもので あった(45)。そして,「上」という外側へ向かうこうした論理を利用して,「上」

を無限の高さまで引き伸ばしたものが,家族国家観に基づく「天皇制」(=お 上!)であった。「上から」の巧みな操作と「下から」の旧意識によるそれへ の追従によって,家父長的家族主義は「全体性」の志向をよりマクロなレベル で現わせしめたのである(46)。「伝統的工一トス」を構成する4つの契機のなか で,「全体性」志向をもつ契機が家父長的家族主義にほかならないのは,「全体 性」が「下から」の旧意識に根ざしている家父長的家族主義を利用して,その なかに自己を貫徹すべく,「私性」埋没への志向を圧迫したからにすぎない。

このような状況の下では,鈴木広がいうように,「私的生活が独自の価値の世 界として社会的に確立していない(47)」という意味において,個人の「私」生 活はそのまま「全体性」へと直結せざるをえないものであった(48)。他方で,

日常的利害関心や生活欲求について強烈な要求をもつ個人が,家父長的家族主 義に基づいた天皇制イデオロギーや「国体」観念の虚構制に気付き,これらを

「タテマエ」化していくのは当然であった(49)。そういう意味では,家父長的 家族主義がもつ「全体性」とは,決して真の「全体性」認識ではなかったので

ある。

 そして,このような似而非「全体性」志向をもった家父長的家族主義が,民 法改正の歴史過程のなかで崩壊したあとでは,それにかわって自然村秩序が前 面に登場することになった。自然村秩序は身分的上下関係の論理を内包しなが

らも,まず第1にはそうした上下関係を隠蔽する感情的融合の論理が強く現わ れた。情緒的価値による統合が最優先され,個人は行為の内面へと注視するよ うになる。家制度という上からの強制を支えに規範力をもっていた家父長的家 族主義が,その支えを失うやいなや崩壊していったのに対し,自然村秩序は

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「下から」の旧意識に基盤をもっていたがゆえに,容易にはつきくずされな かった。

 神島二郎は,「近代日本における天皇制の正統性的根拠は基本的には自然村 秩序におかれ,しかもその自然村的実体の崩壊過程がこの秩序形態に逆作用し てくるところに,日本ファシズムの特質がある㈹」と考えている。神島のい

うザ自然村秩序」は,神道主義,長老主義,家族主義,身分主義,自給自足主 義という5つの原理をもっている。

 神道主義とは,「いわゆる神道官僚を支柱とした国家神道のことではな」く,

「民間信仰」のことである(51)。神道主義において注目されるべきことは「自 然村秩序の維持に重要な役割を果たしている祭の機能である」と述べられてい るが,その「機能」とは「共同体成員の情動的統合の機能」のことである⑭。

祭のもつ「情動的統合の機能」は自然村秩序をつくりだすうえで重要であるが,

これは神道主義の範疇で理解されるよりは,むしろこれを独立に把握するほう が適切であろう。なぜなら,自然村秩序を現代社会にまで敷桁させて理解しよ

うとすれば,祭の代替としてのレクリエーションなどによる「情動的統合」は,

神道主義をこえた重要性をもつからである。現代社会に生きる自然村秩序の機i 能としては,情動的統合,情緒的融合の概念が重要である。

 第2の長老主義であるが,自然村において原理的には貫徹する論理としても,

これを独立した論理と考えることは疑問である。すなわち,長老主義は第3の 家族主義と衝突をおこすものであり,衝突をおこした場合には家族主義が優i先 することからも,長老主義を家族主義に従属する論理として考えておきたい。

 第3の家族主義については説明は不要であろう。「武士的エトス」との関連 で捉えられていることを指摘するだけにとどめ,第4の身分主義を検討するこ

とにしたい。神島は,「家格は,家から見れば,長老主義であるが,個人から 見れば,身分主義である」というが,個人からみる身分主義は二重の意味を

もっている。つまり,一方でそれは本家分家関係という身分的上下関係として 現われてくると同時に,他方では「家」の内部での身分的上下関係(家長と家 成員,長子と二三男あるいは女子といった上下関係)を現象させるからである。

(16)

70     安河内恵子・古賀倫嗣

そして,自然村秩序において重要なのは,身分主義そのものではなく,「身分 的上下関係の差別の隠蔽」である。それは,先の「祭」による場合もあれば,

また集団内の平和を維持しようとする「和」の論理に基づく場合もある。

 きだみのるは,『にっぽん部落』のなかで,部落が「全会一致主義」である のは「多数決ではしこりができるから」だと述べている(53)。つまり,全会一 致とは村成員の感情を優先した「和」の尊重によるものである。神島は,この ような「和」の論理について,「社会組織上『和』が基本原理として説かれて きたが,これは……情動的融合を基礎にした全員一致にある(54)」という。し かも,「全員一致の原理は,本来ハレの氏神との共食における融合を基盤とし て形成されたものであり,祭において参与者のあいだにおこる情動的連鎖反応 を通して個人心が共同心に帰向(55)」することによるとしている。神島による

「和」の論理のこうした理解は,「和」と祭のさいの情動的融合とをことさら 結びつけようとするものである。「和」の論理は,本来的には祭の情動的融合 に由来するものであるが,前者を後者の帰結としてのみ理解するのは妥当では ない。祭は「ハレ」という言葉が示しているように,「非日常的」な事柄に属 するが,「和」は日常的に要請される生活の論理である。

 第5の自給自足主義は,神島によれば「『閉じた社会』が自己生産をもって 自己消費にあて外部に依存せずに自活する経済原則」であるが,より重要なの は,自然村に包摂されることによって「かれらは外部にたいして自らを開放せ ず,この態度を克服しようとすれば,おのずから攻撃的姿勢とならざるをえな い」という「対外意識」のあり方まで内包していることである(56)。こうした

「対外意識」のあり方は,ウェーバーのいう「対内道徳」,「対外道徳」の「二 重道徳」の存在を前提としている。自然村秩序における「和」の論理と,こう した攻撃的対外意識のあり方との組合せは「二重道徳」を明確に示すものであ る。このような対外道徳の内実を「自給自足」という言葉で表現するのは不適 当であり,「二重道徳」の存在と表わした方がよいであろう。

 以上のような神島「精神構造」論の検討によって,先の5つの原理は次の4 原理に修正することが可能である。すなわち,情動的統合,身分的上下関係の

(17)

差別の隠蔽,「和」の論理=対内秩序優先の原理,二重道徳の存在,の4原理 である。これらの自然村秩序の基底には,あたかも自然村の社会関係が「平 等」であるかのような「感情」による社会的統合が存在している。家族主義に おいてもそうであったが,自然村秩序においても「感情的包絡」が重要な役割 を果たしているのである。

 宮島喬は,公と私について次のように述べている。「わが国の伝統的価値体 系のなかでは,およそ『私』の生活には,ポジティヴな位置があたえられたた めしはなく,『公』は『私』を見下し,両者の媒介関係は弱く,いわんや『プ ライヴァシー』のそれとして権利化されるような思想的基盤を欠いてい

た(57)   o」

 家父長的家族主義は,「私的生活が独立の価値の世界として認められていな い」ゆえに,公(全体性)と私(私性)とが直結した論理である。家父長的家 族主義による感情的融合は「上」へと方向づけられ,「献身価値」として作用 していた。これに対し,自然村秩序は内側へ向かい,「充足価値」として現わ れる。「私性」との絡みあいにおいて,「献身価値」から「充足価値」への転換 がみられるのであるく58)。それが,高度経済成長期以後の,「『私』の生活の復 権」(宮島)の確立過程であり,「全体性」との厳しい緊張蘭係が育たないまま

に,「全体性」は「私性」のなかに消滅してしまった。

 本来,自己目的性は「私性」埋没へ向かうか,それとも「全体性」志向をみ るかについては,まったく中立的な概念である。そのことは,自己目的性が家 父長的家族主義という似而非「全体性」志向においても存在していたことから も明らかであろう。しかし,自己目的性は,その志向が外側ではなく内側にあ るという意味で,そして受動的であるという意味で,「私性」への埋没という 結果をみやすいことは指摘できる。行為が「手段的」となることによって「自 由性」が増大するのであれば,「自己目的性」は「自由性」を喪失した「順応」

しかありえず,このような受動性からは真の「全体性」認識は生じえないから である㈲。

  「『私』の生活の復権」が可能となってからは,もっぱら自然村秩序が主導

(18)

72     安河内恵子・古賀倫嗣

的役割を担ってきたのにはそれなりの理由がある。上下関係を「感情」によっ て隠蔽し,感情的融合による一体感を生ぜしめる自然村秩序は,内側へ方向づ けられている自己目的性と調和的であり,それゆえ「私性への埋没」という大 衆社会状況とも共鳴関係をもちやすい。自己目的性は,もともと受動的な性格

をもつことから,「自由性」や形式合理性を獲得しえず,それゆえ「全体性」

の認識へも到達しがたいのである。

 さて,これまでの検討は第3図の問題関連図にまとめることができる。この 関連図に基づいてこれから解明されるべき項目を述べておこう。

 (1)「私性」への埋没

  「伝統的工一トス」の神の器=世俗内神秘主義と世俗内禁欲の2契機は,自 己目的的・受動的であり,また個人の内面への志向性をもつため,身分的上下 関係を隠蔽しようと働く自然村秩序の感情的融合,情緒的統合とも共鳴して作 用する。「私性」への埋没,すなわちプライヴァタイゼーションは,;「快楽原則 に準拠する自己愛(6°)」を中心としており,それゆえ身分的上下関係を第一義 的に強調する家父長的家族主義よりも,感情的融合を強調する自然村秩序の方 が,それとの調和関係がよいことは明らかである。このように,本来内面へと 方向づけられた志向が,大衆社会状況や「中」意識のびまんとの接触のなかで いっそう増幅され,「私性」への埋没,すなわちプライヴァタイゼーションを 促進させている。

 (2)「全体性」認識からの離脱・逃避

 「伝統的工一トス」は内面への志向が強く,その意味で「全体性」認識は希 薄であった。そして,志向が「私性」に向かうにつれ,ますます「全体性」認 識は離脱し始める。政治や「全体性」に対する合理的評価ではなく,「心情的」

反発や「心情的」理解が前面に出てくる。政治問題のエピソード化や,私小説 風の政治家像の乱造現象もこの水準で捉えられる。「上から」の大衆操作も,

主にこの心情的反応過程に焦点が置かれ,巧みに問題の核心が隠蔽されて真の

「全体性」認識への到達を阻止している(61)。

 (3)形式合理性・「自由性」獲得の判定

(19)

§濡 + 鯉

口     類

 鶏

幼〈

輿製

4田拭搬 恥〉

顧起 ぱ鋒 蜆州

(20)

74     安河内恵子・古賀倫嗣

 庄司興吉や宮島喬らは,プライヴァタイゼーションを拠点として「私生活」

を熟芳くという生活観をもち・「合理的批判・を行ないうる存在として  「市民」を待望している(62)。こうした「私生活型合理主義」が「私」生活 のうちに完結することなく,「公」すなわち「全体性」についての認識へと到 達することができるかいなかのみちすじは,まだ明らかではない。日本社会の 現状分析においては,既存の秩序や旧来の伝統を問い直す姿勢をうみだす合理 的批判精神や行為の「自由性」が,いかにして獲得されるかという課題として 考察される必要がある。

 (4)「共同的なるもの」の可能性

  「全体性」認識の1つの手掛りとして,「共同的なるもの」を考えることが できる。これまでの研究史では,階級意識という水準で検討されてきたが,

「感情的融合性」や「情緒的統合性」といったわが国の基礎構造を分析する視 点として考察される必要があろう。

 以上の4項目が,大衆社会状況を分析する視点としてエートス論が解明を求 められている課題である。敗戦直後いちはやく大塚,丸山らによって火をつけ られた「近代化」への問いは,今なお重要な意味を持ち続けている。そういう 意味では,私たち日本人はいまだ「近代」問題を歴史的に「解決」しきっては いない。「近代」を経ることなくすでに「現代」へと突入してしまった「現代」

      ブレイクロスル 日本社会は,どこに時代を通り抜ける「突破口」を見出すことができるであ

ろうか。

(1)日高六郎は,次のように述べている。

  「近代主義者たちに共通のものは,日本あ近代花とその性格そのものにたいする強  い関心である。同時に制摩的変革としての近代化だけではなく,その変革をになう主  体としての,いわゆる近代的人間確立の問題にたいする強い関心である。コ日高,「戦  後の『近代主義』」(日高,『戦後思想と歴史の体験』,勤草書房,1974年,所収)4頁。

(2)日高,同論文,18−19頁。

(3) 日高,同論文,21頁。

(21)

(4) 「ウェーバーとマルクス」という社会科学再建のためのテーマについては,内田義  彦「日本思想史におけるウェー・バー的問題」(大塚久雄編,『マックス・ヴェーバー研  究一生誕百年記念シンポジウムー』,東京大学出版会,1965年,所収),また内田芳明,

 『ヴェーバーとマルクスー日本社会科学の思想構造一』,岩波書店,1972年,などを  みられたい。とくに内田芳明は,「ヴェーバーとマルクス」と「ヴェーバー的問題」

 という2つの概念について論理的な整理を試みており,示唆的である。

(5)大塚久雄,『共同体の基礎理論』,岩波書店,1955年

⑥ 丸山真男,『日本政治史研究凶,東京大学出版会,1952年,および丸山,『現代政治  の思想と行動』増補版,未来社,1964年。前書においては,祖Z來学における「自然」

 から「作為」への転回の鮮やかな分析を通して「主体性」の問題へと迫り,後書では,

 軍国主義指導者の「無責任の体系」をあばきだすことにより「主体性」の欠如を指摘  している。丸山のいう「主体性」は「自己決定としての理性的自由」にうらうちされ  ているものであり,「主体性」をもたぬ者が「無責任」であるのは論理的にも当然で  ある。丸山,「日本における自由意識の形成と特質」(丸山,『戦中と戦後の間』,みす  ず書房,1976年,所収)303頁参照。

(7)川島武宜,『日本社会の家族的構成』,日本評論新社,1950年(初版1948年),および  川島,『イデオロギーとしての家族制度』,岩波書店,1957年。

(8)丸山真男は,この点について,「私の分析は,批判の側からも支持の観点からも,

 大体において日本の精神構造なり日本人の行動様式の欠陥や病理の診断として一般に  受け取られてきた。それは私にいわせればある面では当っているし,ある面では当っ  ていない」として,次のように述べている。

  「当っていない,あるいは明白な誤解と思われる受け取り方の例としては,もっぱ  ら欠陥や病理だけを暴露したとか,西欧の近代を『思想』化して,それとの落差で日  本の思想的伝統を裁いたとか,いったたぐいである。」他方,「見方が当っているとい  うのは,右のような論稿がいずれも戦争体験をくぐり抜けた一人の日本人としての自  己批半‖……を根本の動機としており,しかも三〇年代から四〇年代において何人の目  にもあらわになった病理現象を,たんなる一時的な逸脱ないしは例外事態として過去  に葬り去ろうとする動向にたいする強い抵抗感の下に執筆されたために,そういった  病理現象の構造的要因を思想史的観点からつきとめることにおのずからアクセントが  おかれたからである。」丸山,『日本の思想』,岩波書店,1961年,185−186頁6

(9)安藤英治,「近代化のパラドックスーウェーバーにおける近代と古代一」(『思想』

 第612号,1975年〜所収)。しかし,考摩ヵ漣べているように,初発の近代化論におい  て「ウェーバーとマルクス」という理論枠組で議論が展開されたことは,「近代化論  者ウェー一バー」という誤ったウェーバー像を広める結果となった。

働  「近代主義」の日本型を考察するうえで,大塚らの生活史に即した科学社会学的分  析が重要な作業として残されている。例えば,丸山真男の『戦中と戦後の間』などの  いわば自伝的な文献は,その適当な材料といえる。

⑪ BeUah, R. N, Tb』gα獺R81jgW Free Pres$,1957,堀一郎・池田昭訳,『日本近  代化と宗教倫理』,未来社,1966年,29頁。

⑫ ベラー,同書,29頁。

(13ベラー,同書,29−30頁。

(22)

76     安河内恵子・古賀倫嗣

(14 ベラーは,武士道における忠や孝の強調から、のちにはより伝統的な要素の強調へ   と立場を転換させたが,「近代化」(より正確には「合理化」)についてのこの立場に   は変化がない。1963年6月,マニラで開催された「南および東南アジアの近代化への   文化的動機づけ」に関する会議における発言でも,この基本的な把握は維持されてい   る。問題の多い,多義的な「進歩(progress)」ということばについて,「社会に関す   るサイバネティックなモデルを使用するとすれば,進歩は社会組織に適切に対応しよ   うとする組織自身の能力の増大として,これを規定することができよう」と述べて,

  「進歩はこうして単に学習を意味するだけではなくて,学習能力を『学習し合う』能  力の増大をも意味する。この種の学習能力は『内的構造を深いところで再調整し,そ  のことによって根本的に新しい機能を展開させる能力』を含む。こうした定義の見地  からすれば,近代化は,近代における特に急激な進歩の増大として概念化することが  できよう」と指摘している。ここにおいても「近代化」の過程を「適応能力の増大」

 や「手段の合理化」と把握していることは,疑いない。ベラー,「エピローグー近代  アジアにおける宗教と進歩一」(ベラー編,佐々木宏幹訳,『アジアの近代化と宗教』,

 金花舎,1975年,所収)209頁。

⑮ シュヴァルッは問題を次のように提起した。「ウェーバーにしたがって近代化の概  念に境界を設けるとすれば,次のような方式が可能だろうと思われる。近代化は,人  間が多様な諸目的のために,そのエネルギーを物質的,社会的環境の『合理的な』統  御にたいして組織的,永続的かつ意図的に適用することをふくんでいる。私が意図的,

 組織的,永続的,という形容副詞を用いるのは合理化そのものの過程が『現代』より  もはるか以前から始まっており,有史以来の人間の歴史とほとんど同じくらいまでさ  かのぼれることは明らかだからである。」Schwartz, B.,、4〃26ig叫yρ∫Mo4ε琉2αzioη,

 鶴見良行訳,「近代化とそのあいまいさ」(武田清子編,『比較近代化論』,未来社,

 1970年,所収)196−197頁。こうした「目的合理性」の把握は,ベラーの理解とほと  んど一致する。

⑯ジョン・W・ホール,細谷千博訳,「日本の近代化にかんする概念の変遷」

  (Jansen・MB(ed), C肋η9τηg J砲伽θ∫θんz吻4ε∫ノ0ωατ4 Mo4εrη斑z鋤,1965,細谷  編訳,『日本における近代化の問題』,岩波書店,1965年,所収)16−17頁。

(1力 富永健一,『社会変動の理論』,岩波書店,1965年,176頁。

(1鋤 富永,同書,177頁。

(19 富永,同書,268頁。

(20 富永,同書,268−269頁。

⑳ 「産業化とか都市化とかいう語に接するときまずもって私が思いうかべるイメージ  は,このように『明治百年』としても『戦後二十五年』としても,どちらにせよ長期  的に不可逆的に,おそろしく大きなエネルギーですすんできた歴史というものの流れ  である。……(中略)……日本人はこの百年間にずいぶん右往左往し,そして,一度  は敗戦のために完全な中断を体験したけれども,この前後をべつとすれば,産業化と  いう側面に関しては,おどろくほど着実な歩みを積みかさねて,こんにちにいたって  いるということがいえるであろう」という文言をみられたい。富永健一,『産業社会  の動態』,東洋経済新報社,1973年,48−49頁。

㈱ ベラーは,「非西欧諸国の中で日本のみが,伝統社会が伝統的指導権のもとで急激

(23)

 な改革に着手し,全力をあげて逆行しようにも逆行できない近代化の過程をはじめる  ことができた点」を強調し,この近代化の過程は「伝統社会自体の構造によって明ら  かにしなければならない」という視点から,近代化過程に作用した伝統社会的な要素  の解明を行なった。ベラー,堀・池田訳,前掲書,5頁。このような「近代化」と  「伝統的」要素をワン・セットで捉える観点は,「市民社会」型近代化論者にとって  矛盾以外のなにものでもない。

㈱ 大塚久雄,「近代化と産業化の歴史的関連について一とくに比較経済史の視角から  一」(『大塚久雄著作集 第四巻 資本主義社会の形成』,岩波書店,1969年,所収)

 参照。

⑭ 日高六郎・升味準之輔・高橋徹,「旧意識の温存と変容」(『日本資本主義講座 第  九巻 軍国主義の復活』,岩波書店,1954年,所収)。

㈱ 日高ほか,同論文,179頁。

¢θ 臼高ほか,同論文,179頁。

働 日高ほか,同論文,173頁参照。この論文においては,「下から」の旧意識を,「家  父長的家族主義」と「ムラ秩序」の2つに厳密に分けているわけではない。「それら  の徳目をささえる社会的単位は,家秩序,同族団秩序,部落(村)秩序など順次拡大  しながら,しかもそれぞれの家,それぞれの同族団,それぞれの部落は,たがいに内  部へむかっては強い凝集を,外へむかっては激しい緊張を示すものであった」という  文言が示すように同じ性格をもつものとして用いられている。両者に違いがあるとす  れば,それはたんに生活関連の広がりの差違ということだけである。しかし,私たち  は「下から」の旧意識を,「家父長的家族主義」と「自然村秩序」という2つの構成  原理で考えたい。2つの原理は基本的には別の論理でなりたっている。このことの説  明は後述する。

⑳ 日高ほか,同論文,174頁。

⑳ 日高六郎・綿貫譲治・高橋徹・城戸浩太郎,「労働者の政治意識」(城戸浩太郎,

 『社会意識の構造』,新曜社,197◎年,135−172頁,所収〉。

陶 日高・綿貫ほか,同論文,168頁。

岡 安田三郎,W代日本の階級意識』,有斐閣,1973年,20頁。

⑬ 高橋徹ほか,「都市勤労市民層の政治意識とコミュニケーション行動」(『東京大学  新聞研究所紀要』第7号,1958年,所収)。

㈹ 安田三郎,「現代日本=部落社会論」(安田,『社会移動の研究』,東京大学出版会,

 1971年,450−463頁,所収)参照。

(鈎 安田,同書,453頁。

倒安田,同書,455−456頁。

㈹ 安田,同書,456−457頁。

⑰  「家においては,一面において家長を頂点とする身分階層が厳重に敷かれていたと  同時に,他面において〈厳父慈母〉,ぐ情は父子〉といわれるような帰一があり,或は  また,その家長すらも親族会議の決定に拘束されるという,集団原理の作用が存在し  た。このような補完的二面性をもつ〈家〉のアナロジーが国家にまで拡大された時,

 明治家族国家イデオロギーが成立した。」安田,同書,457頁。しかし,私たちはこう  した捉え方に同意できない。この点については,行論のうちに明らかにするが,次の

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