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園田尚弘

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Academic year: 2021

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園田尚弘

Uber die Baudelaire‑Arbeit von Walter Benjamim

NAOHIRO SONODA

I序

Ⅱベンヤミンのボ‑ドレール研究の経過と出版事情

Ⅲボードレールにおける衝撃の経験と大衆

Ⅳボ‑ドレ‑ルにおけるアウラの崩壊とアレゴリー

Ⅴむすび

I序

ベンヤミン研究家,あるいはベンヤミンに興味を有する人々にとって,ベンヤミンという思 想家は,ベンヤミンの多彩なプリズム的思考に魅かれつつも,その全体像を叙述しようとする とどうもうまくいかないという厄介な対象であるようだ.アドルノも述べていることだが,ベ ンヤミンの初期の著作は謎めいた秘儀的趣むきを呈しているし,晩年の著作は形式的にも内容 的にも断片的性格が強い.それゆえ日本のある評家からは思想的完結性をみない断片的性格に ベンヤミンの思想の核を求めてはどうかという意見も提出されている(1).

小論の対象であるベンヤミンのボードレール研究にも,この断片的性格が顕著に出ている, いやそれ以上に見様によれば,それは彪大な断片であるとさえ言えるかもしれない.しかしな がらナチの迫害によって自殺に追いこまれたこの特異な思想家の晩年の壮大な企図に,歴史に 寄せる,彼の絶望に色どられたユートピアへの希求を読む者は,自らの手でそのエスキスなり

とも提示したいという誘惑に抗しないのである.

IIベンヤミンのボードレール研究の経過と出版事情

晩年のベンヤミンは1927年から1940年まで,未完に終った19位紀の現実へのコメンタ‑ル として計画した「パリの路地」の完成に,その努力を傾注した.彼はここで19世紀ヨーロッパ の象徴的首都としてのパリを包括的に取り扱い, 19憧紀の歴史哲学的構成を描きだすつもりで あった.ボ‑ドレール研究はこの壮大な「パリの路地」の中心的位置を占めるものであった.

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しかし高まるファシズムの圧力によって亡命を余儀なくされたという事情や更には, 「パリの 路地」という壮大な計画の実現が自ら疑わしくなったという事情もあって,ボードレールにつ・

いての論文を「パリの路地」から切り離してみようという計画が生まれ1937年に彼は,ボー ドレ‑ル論を独立させた.しかし勿論この意図は19位紀の歴史哲学的構成を意図した「パリの・

路地」とまったくかけ離れた無関係なものではあるはずもなく.少なくともボードレ‑ル研究 は「パリの路地」の「細密モデル」 (Miniaturmodell)<富)を提示するはずであった.

ベンヤミンがその「ボ‑ドレ‑ルにおける第二帝制のパリ」終結後の1938年秋に述べたとこ ろによれば,本来のボードレール論は三部に分かれていて,第一部は「アレゴリカーとしての ボードレール」の題の下に問題提起をおこない,第二部の「ボ‑ドレールにおける第二帝制の パリ」でその問題解決に必要なデータを記述し,問題の解決自体は, 「詩的対象としての商品1 と題した第三部でなされるはずであった!3).しかしこの構想もついに実現されるに至らず,書 きあげられたのは,このうちの第二部「ボ‑ドレ‑ルにおける第二帝制のパリ」 (ベンヤミン の言を借りれば『社会批判的試み』 )だけにすぎない.

「ボ‑ドレールにおける第二帝制のパリ」は1.ボヘミアン, 2.遊民, 3.近代の三章から成っ ている.しかしながらこの論文は印刷に付されることなく1969年, R. Tiedemann編の「シ ャルルボードレ‑ル,高度資本主義における拝情詩人」 (Suhrkamp Verlag)に収録される までついに陽の目を見ることがなかった.この論文を掲載するはずであった「社会学紀要」の 編集部が掲載を拒否したからである.この論文では理論的考察が控えられ,素材の集積にとど まっているというアドルノの手きびしい批判もあって(ォ),ベンヤミンは論文の改稿に着手し, 主として第二部「遊民」にもとづく,きわめて精緻な理論的展開を示す「ボードレ‑ルの幾つ かのモティーフについて」を完成し1940年の「社会学紀要」に発表したのである.それゆえ ベンヤミンが生前に発表したボ‑ドレ‑ルに関する論文はこれ一編だけにすぎない.

以上の「ボ‑ドレールにおける第二帝制のパリ」, 「ボ‑ドレールの幾つかのモティ‑フにつ いて」と題された,まとまったテキストの他にも,ボ‑ドレール研究に際して,ベンヤミンは

「悪の華」中の個々の詩についてこの注釈や覚書きを数多く書き残している.これらの遺稿の 一部はすでに「セントラル・パーク」の題名のもとに刊行されていたが, 1974年,今迄未発表 であったものも含めて,ベンヤミン全集(Gesammelte Schriften)の第‑巻,第三部に掲載 された. (ただし, 「パリの路地」の構成とのつながりがより密接であると判断されるボードレ

‑ルに関する断片は未刊の全集第五巻「路地論」 (Das Passagen‑Werk)に一括して収録され る予定である.)以上のテキストのうち主として「ボードレールの幾つかのモティーフ」に拠 って,我々は次にベンヤミンが見てとったボードレールの詩の特色について言及したい.

lllボードレールにおける衝撃の経験と大衆

ベンヤミンによれば,ボードレ‑ルは,遍在する衝撃の体験によって投損された大衆の経験 に自らを同化することを選んだ,大都会の詩人であった.ボードレールの詩は衝撃の体験が

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「規準になった」 (5)経験に基礎を置いている.

衝撃は何らかのかたちで,それに対して抵抗がなされなければ,人はただたんにノイローゼ に陥ってしまうだけだろう.衝撃収容のメカニズムは,それではどのようにして,人間の内部 で遂行されるであろうか.ベンヤミンはフロイトの仮説に拠って,意識による衝撃の収容プロ

セスを説明している.

フロイトによれば,有槻体というものは, 「固有のエネルギー量をあたえられていて,なに よりもまず,有機体内で演ぜられるエネルギー転換の特殊な形式を外界の巨大なエネルギ‑の 均等化する影響,つまり破壊的な影響からまもる努力をしなければならない. 」(6)外界の巨大 なエネルギーによる威嚇は衝撃による威嚇である.衝撃が与える外傷(トラウマ)としての影 響を少なくするために,意識は衝撃をできる限り円滑に統制する.つまり意識には刺激の防衛 という機能が与えられている.しかしながら外からの衝撃が意識によって防御されると衝撃を ひき起す事件には本来の意味での体験の性格が付与される.そうなればこの事件は詩的経験に とっては不毛なものとなる.しかもなおそのような経験にもとづいた詩が可能とするなら,そ のような詩は高度の意識性を予想させずにはおかない.その詩はその創作の際働いた計画とい う観念を呼び起すであろう.以上のことがボ‑ドレールの詩にぴったり適合するのである.高 度の意識性をもって衝撃に対抗する詩人の姿は,ボードレールにあっては. 「戦斗」という比 境の形をとる.

画家コンスタン・ギイの仕事中の姿をボードレールは次のように描写している. 「テーブル の上に身をかがめて,紙の上にさきほどまで事物にそそいでいたのと同じ視線を鋭どく投げ, 鉛筆,ペン,絵筆をつかって戦い,コップの水を天井まで飛び散らせシャツでペンをぬぐいな がら,まるで形象が逃げさってゆきはしまいかと恐れるように大急ぎで,激しく活額に動き, 一人でいながらまるで喧嘩腰でわれとわが身をこづきまわしている.」 (7)

このコンスタンタン・ギイについての描写と同じように,詩作中の詩人を示す「悪の華」の なかの一編「太陽」 (le soleil)の最初の節には幻想の叫いにとらえられたポ‑ドレ‑ル自身の 姿がみられる.

人目を忍ぶみそかごとをそっと隠した鎧戸が, 人けない窓々に下りるこの古びた場末町に沿って, 残酷な太陽が息を継がせぬ矢音ひびかせ,

街と野の上,屋根屋根と牧場の上を,貫くときに, 僕は行く,ひとり,風変りな武者修業に,

街の隅々に偶然の生みだした韻律を嘆ぎまわり, 舗石につまづくように言葉の上に足を取られ, 時にはばったり,長いこと夢みていた詩句を見出し(8)

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この詩のなかで武者修業におもむく剣士とは詩人のことであり,芸術創作の過程自身は決斗 と幻想の斗いとして理解されるのである.

このように自分の仕事を斗いという形象のもとに理解したボードレールの仕事を,ベンヤミ ンは一連の即興と名づけたが,それは一連の衝撃に他ならない.例えば詩人の有名なソネット

「通りすがりの女に」 9) (A une passante):は衝撃のいや破局の形象を示している.なぜなら ここでは「魅惑の瞬間に永遠の別離が重なり合い,大都市の生活が愛につける傷あとを示して いる」的のだから.

ところでボードレールの詩的原理となった衝撃は現代人の統覚をも支配している.ボードレ ール以来拝情詩の大衆的成功が困難になった状況の原因をベンヤミンは読者の経験の構造が変 化したためと推定している.このような変化はまず視覚と聴覚の債域に現われた.写真と電話の 使用によって人間の時間構造は変質を受ける.というのもこれらの機械は複雑な過程を手の一 瞬の操作によって解決することができるからである.特に指をひと押しするだけで一つのでき ごとを長時間にわたって確保できる写真機はいはば死後の衝撃をあたえる.危険な交差点でた えず神経をはりつめていなければならない大都市の交通機関によって動きまわることもまた一 連の衝撃を与える.しかしこのような知覚はコンベアでの大工場生産のリズムに最も決定的な 姿をとって現われる.こま切れになった大工場生産のモメントはここでは工場労働者にとって 物化された連関として一連の衝撃となって現われるのである.コンベアでの流れ作業では(マニ ファクチュアではまだ個々の部門で経験に基礎を置く技術の形態が維持されていたが)経験が 入りこまないように隙間をぴったりと塞がれている.そのかわりに人間をすべての伝統から排 除し,たんなるアトム的体験に堕さしめる心理的メカニズムが登場する.(ちなみにこのような 経験の構造の変化に対立するものとして,ベルグソンは経験の本質を持続と定義し<真>の経 験を回復しようとした.しかしそれは大工業時代における,社会的生から出発するのではなく, かえってそれを回避している.それゆえその持続の観念は歴史から遠ざかったものである.)

さてこのような知覚の変化をベンヤミンは人間集団の全存様式の変化によってもたらされた ものとみなす.具体的に言えばそのような知覚様式の変化は資本主義体制下での大衆の出現と 関係している.ベンヤミンはかって「芸術作品にたいする享受者のがわのこれまでのさまざま の態度が現在新たに生まれかわる母胎は大衆である. (ll)」と述べ,現代芸術における大衆の役 割を強調した.広大な歴史的時間のなかで人間の集合体のあり方が変化するにつれて,その知 覚様式も変化することは,つとにリ‑グルやヴィックホフによって指摘されていた.しかしな がら彼らはある時代の知覚に固有な外面的特徴を表面的に指摘するだけで満足してしまった.

ベンヤミンは,彼らの認識を一歩おしすすめ,知覚の変化に現われる社会的転回を指摘しよう とする.大衆はその意味でベンヤミンにあっては,歴史的現象のひとつの重要なメルクマール であった.

ベンヤミンはボードレールの詩においても,準撃の形象が大都市q2群衆82) との接触という事 実と密接な関連をもつことを指摘する.勿論大都会の群衆がとりあげられたのは,フランスに

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あってボ‑ドレ‑ルをもって嘱矢とはしない.エゴ‑はすでに群衆を彼の塀想の対象とした し,バルビ工はすでにその詩のなかで大都会の群衆を描写している.ボードレールは彼らとち がって,個々の詩のなかでこの大都会の群衆を直接にモデルとはしなかった.しかしこの群衆

は隠れた形象として,彼の詩作に刻みこまれている.

この組織されない通りすがりの不定形の群衆,街路歩行者の「秘から現在」(13)をベンヤミンの 織細な眼は,例えば先述した詩「太陽」や「通りすがりの顛埠こ」のなかにも見出す. 「太陽」

のなかで詩人がくり出す剣の一撃は「群衆のあいだに道を開くためのものである」(M)と解釈さ れ,通りすがりの女に魅惑されるという現象は「群衆を通じてはじめて都会人の前に出現す

る」Wと説明される.早くはE.A.ポ‑の「群衆の人」やE.T.A.ホフマンの「従兄の隅 窓」で文学上の素材となった群衆はボードレ‑ルにとっては,アムビバレンツの対象である.

彼は群衆にひきつけられ絡みつかれたが,しかし一方で群衆の非人間的性質という感情は,け っしてかれを去ることがなかった. 「かれは自分を群衆の共犯者とし,ほとんどその同じ瞬間 に群衆から離反する」的のである.まさしくそれゆえにこそ,ボ‑ドレ‑ルは「堕落した女た ち非人たちまでが秩序のある生活様式に味方し,放蕩悪瀬に止めをさし,金銭の他には何も 存続させようとしない日を目撃し」(W)内面に運動と魂が満ちている群衆という,最後の遊民 (Flaneur)として,群衆に抱いていた幻想が消滅するとき,ボードレールは自らを群衆にこづ きまわされている者と言い,群衆に無力な怒りを向けるのである. 「群衆にこづきまわされた ことを,ボ‑ドレ‑ルは,かれの生をかれの生たらしめたあらゆる経験のなかでも決定的な経 験,何ものにもかえがたい経験として取りあげる.」68)

IVボードレールの詩にみられるアウラの崩壊とアレゴリー

文明化された社会に生きる大衆の経験に同化したボ‑ドレールによって,芸術の存在様式も 変化した.ベンヤミンはボ‑ドレ‑ル以来変化した現代芸術の特微を. 「アウラの崩壊」と名 づけた.彼はアウラに「どんなに近距離にあっても近づくことのできない一回限りの現象」 (19)

という定義を与え,次のような比境的説明を加えている. 「ある夏の日の午後,ねそべったま ま,地平線をかぎる山なみや影を投げかける樹の枝を眼で追う‑これが山なみの,あるいは 樹の枝のアウラを呼吸することである.」 eo)この「どんなに近距離にあっても近づくことので きない一回限りの現象」という定義は,時間空間的知覚のカテゴリ‑における芸術作品の礼拝 的価値の公式化以外のものではない.もともと芸術作品が儀式‑の奉仕という形で成立した以 上,芸術作品のアウラ的存在様式は儀式性から離して論ずることはできない.アウラは芸術作 品における神的なものの現前を受けることによって生きている.伝統の関係に組みこまれた過 去の芸術作品には「ここ」と「今」にもとづく作品の一回性が与えるアウラがただよってい た.しかしながら資本主義体制下の技術の発達(特に複製技術の発達)によって芸術作品から はアウラが消滅してゆく.

ベンヤミンは複製技術のなかでもとりわけ写真機がアウラの崩壊に決定的に寄与したと主張

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し,そのことをアウラと視線の関係から説明している.元来,視線には,みつめるものからみ つめ返されるという期待が内在している.しかしながら写真機は視線を返すことなしに人間の 姿を撮しとるのである.それゆえ写真機は,みつめ返されるという期待が実現されたとき視線 に与えられるアウラの経験をもたらさないのである.アウラを経験するというのはある人問も しくはある事象に目を見ひらく能力を与えることである.一般に人間社会における反応形式に おいてもあるいは自然の人間にた規、する関係においてもみつめられている人,もしくはみつめ られていると感じる人は目をみひらく.しかしボードレ‑ルの拝情詩には,見る能力が失なわ れたと言ってよいような眼の描写がたびたび現われる軌ボードレールの詩にあっては,写真 機の場合がちょうどそうであるように,人間の眼に応える期待が空しく終ってしまうのであ る.

かのゲーテの詩句 遠きを恐れず魅せられて お前は飛んでくる.鱒

にみられるアウラの経験に満たされた愛の古典的描写には遠くを夢見る忘我の視線が存在す る.しかしボ‑ドレ‑ルの詩には視線のない眼が現われる. 「遠さの魔術をあきらめることが ボ‑ドレ‑ルの拝情詩における決定的モメンである」的なら,そのときアウラの崩壊が彼の拝 借詩に刻みこまれてゆくのは当然なのである.

さてボードレールの詩に刻印されたアウラの崩壊はボードレールの文学的手法を特徴づける アレゴリーのなかで明白にされる.アレゴリーは抽象的な概念あるいは明白な思考の過程を具 体的,形象的に描く絵画や文学で使われる手法である.ベンヤミンは正統的美学からは追放さ れていたアレゴリーの救済を旗印Lに芸術理論家としての地歩を占めただけあって,これまで ドイツ文学史にあっては,アカデミズムの正統な研究対象とはなり難かった17世紀のバロック 悲劇におけるアレゴリ‑について論じたことがあった. ‑それがベンヤミンの主著, 「ドイ ツ悲劇の起源」であるが.彼はここで死んで滅びた自然が‑仕界の受難史としての歴史がバ ロックにとっての自然である. ‑メランコリーの視点の下でアレゴリ‑になることを叙述し た.そのつながりから,ベンヤミンが19世紀のアレゴリカ‑,ボードレ‑ル‑と進んでいった ことは,自然な歩みでもあるだろうが,ともかくも,ベンヤミンは「憂欝によって養なわれた ボ‑ドレールの天才がアレゴーリッシュなものである」叫としてボードレ‑ルの実質を大胆に 言い切っている.しかしながらバロックのアレゴリ‑とは対訳的に. 「ボ‑ドレ‑ルのアレゴ

リーにはこの世におし入るために世界の調和的な像を破片のままにとどめておくことが必要で あった怨恨の痕跡が刻み込まれている.」餌怨恨の本質をなすものは投損された経験からくる 焦慮に他ならない.ボ‑ドレールが万物照応(Correspondence)という言葉によって定着し た,あらゆる危機を免がれた,回想(プルーストの言い方にならえば無意識的回想)のなかで 時間を越えて生き続ける経験はもはや近代人の所有ではなかった.ボ‑ドレ‑ルのアレゴ‑リ ヅシュな視線は経験をだまし取られ,自分の過去を死財として記録しておく近代人の疎外され

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た視線である.

そのような疎外を生みだしたものは,他ならぬ商品経済の進展であった.商品経済のもと で,自らの生活を維持するために,市場で自らの労働力を売らねばならない人間は,自分自身 から切り離されている.ここでは人間の持分は自由な自己決定ではなく,抽象物へ,即ち価値 法則,マルクスの用語で言えばものの交換価値‑適応することである.「ものは商品として初め て人間をお互いに疎外する作用を及ぼす.ものはその価格によってそうした作用を及ぼす.も のよりもむしろものの価格が人間のあいだに介在してくる.」鮒高度化した商品経済において, 商品の価格が,不合理な,生産者とは無関係な,また一方で資本家にも計量できないメカニズ ムで形成されるというその無政府状態が,アレゴリーと,アレゴリーが代理をつとめるものと の関係のなかに反映される.そうした意味でボードレ‑ルのアレゴ‑リッシュな観照方法の完 結したかたちは商品である.それゆえベンヤミンはボードレールのアレゴリーを商品の物神的 性格の表現として把握し,アレゴリカーとしてのボードレールの本質を浮かびあがらせようと するのである.

W3Ki薗

以上の我々の叙述では,アレゴリーと商品経済の関係が大まかな指摘にとどまってしまった が,ベンヤミンがその間の事情をたんに暗示したにとどまっているのでやむを得ないのであ る.ベンヤミンはボ‑ドレ‑ルを,プロレタリア‑トが市民階級のために作った歴史的プロセ スにおける証人とみなし,ボ‑ドレールの作品のもつ証人の性格を打ちだそうとしている.し かしその意図を実現するためには,手法と,具体的,歴史的データとの関係について,更に詳

しく理論的に展開する必要があったであろうと思われる.アペルシュに富んだ数々のフラグメ ントのなかに,その方向づけは見てとれるとしても,それの十全な展開を図る時間が彼に残さ れていなかったことが,かえすがえすも惜まれるのである.

1.複製技術時代の芸術(晶文社)の佐々木基‑の解説を参照.

2. Benjamin, Briefe. S. 750.

3. ders, Briefe, S. 833ff.

4.アドルノの批判については1938年11月10日のベンヤミン宛てのアドルノの手紙を参照.

5. Benjamin, Gesammelte Schriften, Bd. 1*2, S. 614

6. Freud.快感原則の彼岸,フロイト書作集6(人文書院) 166頁.

7. Baudelaire,現代生活の画家,ボードレ‑ル全集第Ⅳ巻(人文書院) 304頁以下.

8.福永武彦訳を借用,他のボードレ‑ルの詩も同様.

9.原詩を掲げる.

街は僕のまわりで喚いていた.耳を聾するばかりに.

壮重な苦しみの色を見せ,背の高い,痩せた,喪服の 女が通りすぎた,みやびやかな片手を延べ,

花飾りで緑どりしたスカートの端をつまみながら.

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軽やかに,気高かげに,彫像のような足を見せて.

僕は狂人のように身をよじらせ,彼女の眼を飲んだ,

はら

嵐を畢んだこの鉛色の空の中に, 魅惑する優しさを,命を奪う快楽を.

稲妻のように‥.そして夜!一束の問の美しい人よ, その眼ざLは一瞬に僕を生へと呼び戻したのに, もはや永遠の中でしかお前に会うことはないのか?

彼方で,ここから遠く離れて!遅すぎるのだ!もう決して お前の行方を僕は知らず,僕の行方をお前は知らない,

おお僕はお前を愛しただろうに,お前はそれを知っていたのに!

10. Benjamin, Gesammelte Schriften, Bd l*2, S. 623 ll. ebenda, S 503

12・ベンヤミンは大衆を群衆とほとんど同義語として使用している.それゆえ筆者もこの二つの概念 に明確な区別を設けず用いている.

13. Benjamin. Gesammelte Schriften Bd. 1.2, S. 622 14. ebenda, S. 618

15. ebenda, S. 623 16. ebenda, S. 626 17. ebenda, S. 652 18. ebenda.

19. ebenda, S. 479 20. ebenda.

21. Goethe, Gedenkausgabe (Artemis Verlag) Bd. 3, S. 299

221ベンヤミンはこのような眼の威力を歌ったものとして次のようなボードレールの詩句をあげてい る.

お前の眼の輝きといったら,飾り窓が, 縁日で燃えさかる灯明台にそっくりで, 美の法則なんててんで知らぬくせに, 借物の力をところ構わずふりまわす.

(悪の華,憂愁と理想25) 23. Benjamin, Gesammelte Schriften, Bd. 1*2, S. 670 24. ders, Illuminationen, S. 194

25. ders, Gesammelte Schriften, Bd. 1.2, S. 671 26. ders, Gesammelte Schriften, Bd. 1.3, S. 1174

書誌

1.テキスト

Benjamin, W. : Gesammelte Schriften, Bd. 1*1, 1*2, 1*3, Abhandlungen, Frankfurt a. M. 1974

ders∴ Illuminationen, Frankfurt a. M. 1969

ders. : Angelus Novus, Frankfurt a. M. 1966 ders. : Briefe 2Bde. Frankfurt a. M. 1966

2.参考文献

Tiedemann, R. : Studien zur Philosophic Walter Benjamins (edition suhrkamp 644) Uber Walter Benjamin (edition suhrkamp 250)

Walter Benjamin (Text + Kritik 31/32)

Zur Aktualit云t Walter Benjamins (suhrkamp taschenbuch 150)

アドルノ, Th. W.,ヴァルター・ベンヤミン(河出書房新社) 野村修,スヴェンボルの対話(平凡社)

(昭和49年9月30日受理)

参照

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