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園田尚弘

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Academic year: 2021

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長崎大学教養部紀要(人文科学篇) 第20巻 第1号 77‑86 (1979年9月)

ヴァルター・ベンヤミンの

「歴史の概念について」

園田尚弘

"Uber den Begriff der Geschichte"

Walter Benjamins

NAOHIRO SONODA

1 「歴史の概念について」の成立をめぐって

ヴァルター・ベンヤミンは1940年、ナチスの手を逃れてフランスからの亡命 の途次、ピレネー山中で48年の生涯を自らの手で閉ざしてしまった。彼がその 晩年の努力を傾けて完成をめざしていた仕事は、 19世紀の歴史哲学的構成を描 きだすための、パリをめぐる論考であった。この「パリの路地」と呼ばれる壮 大な企図は完成に至らず、更には、この路地論の細密モデル(Miniaturmodell)

として計画されたボードレ‑ル論も、充分の展開を見るに到らなかったOそれ にしても、彼はナチスによる政権獲得、ユダヤ人迫害、戦争と、次第に高まっ てくる野蛮の大波にもまれながら、この仕事を手離すことなく、執劫にその努 力を継続した。ここで論じるベンヤミンの「歴史の概念について」も、路地論 との関連において考えられるのが妥当であろう。しかしながら、この18章の短 章からなる歴史哲学の仕事は、路地論とのつながりを超えて、ベンヤミンの思 考の特質を折りこんだ、さらに現在時‑の激しい批判をも含んだ文章として、

多大の関心と注目を寄せられるべきであろう。

ところで「歴史の概念について」と題されたこれらのテーゼが、ベンヤミン にとって、いかなる意味をもっていたかを、彼がアドルノ夫人にあてた手紙に よってみてみよう。ベンヤミンは次のように書き送っている。

「戦争と戦争をもたらした情勢が私にいくつかの思想を書き下す気にさせま した。それらの思想について、私は20年にわたってそれをあたためてきたし、

私自身からもそれを隠しつづけてきたということができます。 ‑‑‑テキストは

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多くの意味で簡約化されています。このテキストを読むことがあなたを(グレ ーテル・アドルノ)どの程度驚かせるか、あるいは私はそれを望まないのです が、あなたを混乱させるか、私にはわかりません。

いづれにしろ特に17番目の考察にあなたの注意を向けて欲しい。この考察 は、私の仕事の方法論について簡明に述べているということで、この考察と私 のこれまでの仕事のかくれた、しかし一貫した関係を認識させるものです。ち なみに、これらの諸考察は実験的性格のものだと言え、ただたんに「ボ‑ドレ ール」を続けるための準備に役立つだけではない。これらの考察のなかで、他 の局面において現われてくる想起(Erinnerung) (と忘却)の問題に私はなお 長い間取り組むことでしょう。この書き物の出版という考えほど私に遠いもの はない(あなたが今、手にしている形では尚更だが)ということは、あなたに 言う必要はないでしょう。これを発表するなら熱狂的な誤解に門戸を開くこと になるでしょう。」1

引用した手紙によれば、ベンヤミンはこのテーゼの発表を望んでいないが、

それでも1941年6月になって、 「歴史の概念について」の原稿は、合州国に居 を移していた社会学研究所に送り届けられたのだった。研究所のメンバーは、

ベンヤミンの死がこの原稿の公表を義務づけると考えて、 1942年にロスアンジ ェルスで刊行された騰写版刷りの「ヴァルター・ベンヤミンの記念に」におい て掲載した。

友人達にあてたベンヤミンの手紙等によって、彼の死の年、 1940年2月に は、原稿の大体の形ができあがっていたと推定されるが、正確な執筆時期は確 定されない。ベンヤミン全集の編者であるR.ティーデマン、 H.シュヴッペ

ンホイザーが全集第1巻につけた注によれば、彼らは、歴史というテ‑マその もの‑の興味は、グレーテル・アドルノあての手紙にも書かれているとおり、

ほとんどベンヤミンの学生時代にまでもさかのぼるかもしれないが、この仕事 の準備は遅くとも1937年「フックス論」が書かれたときに始まり、そしてテー ゼの執筆が始まったのは早くとも1939年の末、恐らくは1940年の春に始まった

と考えている。現在、全集に収められている形で完成したのが、いつであるか は確定できないが、いづれにしても、彼の死の年に、彼がこのテーゼの執筆に 励んでいたことは、手紙等から明らかである。その意味で、このテ‑ゼがジョ ルジュ・サルの著書についての書評を除けば、ベンヤミンの最後のまとまった 仕事であるというR.ティーデマン等の説2は首肯できる。

この「歴史の概念について」執筆の時期、ベンヤミンは肉体的にも心理的に も技労困燈している。 1939年、大戦勃発と共に「敵国人」ということで、ナチ

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ヴァルタ‑ ・ベンヤミンの「歴史の概念について」 79 スに反対するユダヤ系ドイツ人であったにもかかわらず、フランス軍によって 二ケ月間、収容所に収容されて以来、彼は肉体的、精神的不調から逃れられな いでいる。 「神経の試銀については、あなたにそのことを語るまい。というの も絶え間のない騒音とたとえ一時間ですらも他人と離れることは不可能だとい うことが、結局のところ私にとって何を意味することになったか、あなたは容 易に想像できるだろうから。それだから私は現在、異常な疲労を感じており、

その疲労は道を歩くのに、通りの真申でしばしば立ち止まらなければならない 程のものなのです。 」 3

この1939年11月30日付けのホルク‑イマーあての、フランス語で書かれた手 紙によっても、ベンヤミンが二ケ月の収容所暮らしによって、容易にぬぐいさ ることのできない精神的ショックを受けていることが明らかである。ナチスの パリ侵攻をひかえた暗雲たちこめるパリの空の下で、肉体的不調と精神的技労 感に悩みながら、ベンヤミンは、 「歴史の概念について」を執筆している。苦 悩に満ちた当時のベンヤミンの個人的境遇を視野に入れてテーゼを読むとき、

それが与える記念碑的重みがわれわれ、後の世に生きる者の手に伝わってくる 思いがする。

2 「歴史の概念について」の構成について

個々のテーゼについて論及する前に、テ‑ゼ全体の構成について簡潔に述べ ておこう。勿論、個々のテ‑ゼを扱うさいに、それらのテ‑ゼの、全体との関 連については再び述べることにはなるが。

「歴史の概念について」は18のテーゼ(テ←ゼⅩⅦは短章のあとに、 A、 B と題された短章が続いているo )から成っている。まずテーゼIで大きなオリ エンティ‑ルング、方向づけがなされる。ここで神学とマルクス主義との、一 見結びつきの困難な二つの思想の結合をめざすベンヤミン独自の思想が比喰的 に語られる。第二テ‑ゼから第七テ‑ゼまでは当時の歴史思想として支配的で あった、歴史主義に対するポレミックである。しかしそれぞれのテーゼがひと

しなみに直接的に歴史主義を攻撃しているのではなく、テーゼⅡからテーゼⅣ までは、テ‑ゼIで示された歴史的唯物論者‑寄せられる期待を、神学的イメ ージを使用しながら語っている。

テーゼⅧからテ‑ゼⅩⅢまでは進歩信仰(社会民主党の進歩信仰)批判とみ なすことができる。この進歩信仰の批判をする際、ベンヤミンは進歩信仰の土 台となっている時間観に注目、批判する。この批判された時間観に対立する自 己の時間概念の提示と、それに基づく歴史記述の姿勢をうちだすのがチ‑ゼⅩ

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Ⅳから最後のテーゼⅩⅦまでの意図だと考えることができる0 3オリエンティールング‑テーゼI

テーゼIからベンヤミンは歴史的唯物論の支持者として現われる。しかし彼 は進化論的、機械論的唯物論を支持するのではない。水ざせるをロにくわえ、

トルコ衣装を着て、いつもチェスの勝負に勝つ人形の響話をベンヤミンは紹介 する。勿論、この人形をあやつっているのは、人目につかぬよう隠れた、チェ スの名人である小人であるが、ベンヤミンはこの比喰を使って、歴史的唯物論 が『いつでも勝つことに決まっている』と断言する。その場合の条件としてベ ンヤミンは『もしこんにちでは周知のように小さくて醜い、そのうえ人目をは ばからねばならない神学をそれが使いこなしているときには』とただし書きを つけている。言うまでもなく、この人形と人形使いの小人の関係は歴史的唯物 論と神学のそれに擬せられている。ベンヤミンはここで歴史的唯物論と、彼が

神学的と名づけている経験を総合しようと試みている。この場合彼がどのよう な経験を神学と名づけているのかは、全集の注に掲載されている断片から想定 できる。 「回想(Eingedenken)のなかで、われわれは歴史を根本的に非神学 的に理解することを禁じる経験をする、一一。 」 4神学とは、何ら正統的な神 学のことを言っているのではなく、過去を回想する姿勢を意味しているのだ。

そしてこの回想の姿勢はベンヤミンの歴史的唯物論の特徴であり、革命の原理 を救済の観念でもって躍動させようとする意図を示している。あるいは野村修 のように、神学は機械的な唯物論に堕落させないための「解放への主体的な意 志の表現」 5と考えることもできよう。いづれにしろ、テ‑ゼIですでにベン

ヤミンの思想的主題の方向づけは明瞭に描かれている。

4歴史主義批判‑テーゼIIからテーゼⅦまで

テーゼⅡからテーゼⅦでは歴史主義の歴史観が批判されている。しかしテー ゼⅡ、 Ⅲ、 Ⅳはさしあたって間接的な批判にとどまっている。

さてベンヤミンは第二テ‑ゼで個人の幸福のイメ‑ジが救済(Erlosung) のイメージと結びついていることを指摘したのち、この個人的歴史の経験を、

集団の歴史へ転移させている。 rよく考えてみるとわかるけれども、われわれ が抱いている幸福のイメ‑ジには徹底的に時代の色がしみついている。われわ れの羨望をよびさますことができる幸福は、われわれが語りかける可能性があ った人間や、われわれにその身をゆだねる可能性があった女とともに、われわ

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ヴァルタ‑ ・ベンヤミンの「歴史の概念について」 81 れが呼吸した空気のなかにしかないOいいかえれば、幸福のイメージには救済 のイメ‑ジが結びついて共鳴し合っている。歴史の対象とされる過去のイメー ジについても事情は同様である。 J可能な欲求の成就としての幸福は、しか し、取り逃されたままである。まさしくそれゆえにこそ幸福の概念は敗北とカ タストローフが積みあげられている過去という場所で獲得される。ベンヤミン のいう歴史的唯物論者の眼はかくして抑圧された過去に向けられている。 (チ

‑ゼXKで批判される社会民主党の歴史意識は、これに対して、解放のイメ‑ジ を未来にひきのばしたのだった。 )この過去というページにつけられた索引を 引いて、過去のありとあらゆる事柄を完全に人類が引用できる日はベンヤミン がテーゼⅢで述べているところにしたがえば、 『最終審判の日』である。過去 が救済を期待しているとすれば、救済された人類によって初めて、歴史が完全 な形で所有されるにいたるというのである。

チ‑ゼⅣの冒頭には、へ‑ゲルからの引用がモットーとして立てられてい る。 rまず食物と衣類を求めよ。そうすると神の国は自ずと君たちの手に入る だろう。 』ベンヤミンはこのテーゼにおいて、マルクス主義の重要な柱である 階級斗争について語っている。へ‑ゲルの引用にもあるようにまず食物と衣類 という粗筆で物質的なものをめぐる斗いがこなくてはならない。粗筆で物質的 なものなくして精神的、繊細なものはないのだが、しかしそれは結果として、

あるいは勝者の獲物としての在り方とはちがった形で存在する。つまりそれら のものは階級斗争のなかにr確信や勇気やユーモアや策略や不屈さとして生き ているJのである。そしてそれらのものの影響力はさかのぼって過去の時代に

まで及び、支配者たちの勝利という勝利に疑問を投げかける。過去は抑圧され たままに救済を待ち望んでいる。しかしこの期待に無頓着な歴史家たちは勝利 者に感情移入して、歴史を記述してきた。ベンヤミンはこのような歴史家たち

のもつ歴史観を厳しく批判している。

チ‑ゼⅤからテーゼⅦにおいて、ベンヤミンは歴史主義の姿勢をとりあげて 真向うから批判を浴びせている。歴史主義はドイツにあっては、特に19位紀後 半からアカデミズムの性界で隆盛を迎えた方法であったが、それはつとにニ‑

チェによっても過剰な知識の蒐集にすぎぬものとして批判されてもいた。ベン ヤミンは歴史主義の歴史像を問題にして、それがゴットフリート・ケラーの言 葉r真実はわれわれから逃げ去りはしない』に典型的に現われているとみる。

これに反してベンヤミンはr過去のイメージはちらりとしかあらわれぬ』と主 張するOそれゆえに歴史的唯物論者は一回かぎりの過去のイメ‑ジが向けられ

ているのは現在であることを明白に意識し、現在の一瞬、一瞬のうちにも逃げ

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去ってゆくかもしれないイメージを認識しなければならないのである0 われわれは過去をrありのままにJ叙述したと称する歴史像をいかにも客観 的なものと思いがちであるが、しかし過去を歴史的に関連づけるということは r危棟の瞬間にひらめくような回想を捉えることである。 』そしてこの回想す る主体は抑圧された階級である。一方歴史主義の立場に拠った歴史記述者は勝 利者に感情移入している。勝利者‑の感情移入はもちろん支配者にとって都合 が良い。しかし勝利者の戦利品としての文化財で野蛮のドキュメントでないよ うなものはない。それは文化のドキュメントであるとともに、また野蛮のドキ 3TメントでもあるOそしてそれら幾多の天才と、その天才と同時代の名もない 同時代の人々の苦役によって成立した文化財の伝達のプロセスも、決して野蛮 から自由でないとすれば、歴史的唯物論者の課題は『できるだけこのような伝 達からも断絶すること』を心がけることである。

チ‑ゼVにおいて述べられる過去の姿のとらえ難さという点、更にテ‑ゼⅦ において述べられる文化財の二面性という点は特に晩年のベンヤミンが強調し ようとしていた思想であったと思われる。彼は「歴史の概念について」におい てだけではなく、 1937年に執筆された「フックス論」においても、ほとんど同

じ文章でこの二点を力説しているのである。

5、進歩信仰の批判‑テーゼⅧからテーゼXⅢまで

アカデミズムに巣食う歴史主義の歴史観と並べて、ベンヤミンが批判の対象 とするのは、ドイツ社会民主党に根深く巣食っていた進歩信仰である。この両 者を思想的に克服しなければファシズムとの思想的斗争に勝利することは難か

しいとベンヤミンは考えていたにがちいない。

テーゼⅧではファシズムにチャンスを与えることになるものとして進歩信仰 が語られる。危機の時代には『非常事態』ということがやかましく宣伝され る。̀,しかし被抑圧者の伝統を考慮するならば『非常事態』は被抑圧者にとって は『通常の状態』に他ならなかった。その事態に応じた歴史観をうちたてるこ とこそ肝要である。しかしベンヤミンにとって、ファシズムにチャンスを与え ていると思われたのは、歴史の法則として進歩の名においてファシズムに対抗 する視点であった。

チ‑ゼⅨで、ベンヤミンは『新しい天使』と題されたP.クレーの絵につい て語りながら、進歩の意味について説明している。ハ『それにはひとりの天使が 描かれており、天使は、かれがみつめている何ものかから、いまにも遠ざかろ うとしているところのように見える。かれの眼は大きく見開かれており、口は

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ヴァ)I/メ‑ ・ベンヤミンの「歴史の概念について」 83 ひらき、葦は拡げられている。.Iベンヤミンは歴史の天使もきっとこのような 様子をしているにちがいないと述べる。つまり天使は未来に背を向けて、顔を 過去の方に向けているのだ。われわれが過去のなかに事件の連鎖を見るのに対 し、この天使はカタストローフだけを見る。天使の意向としては、死者たちを 目ざめさせ、テーゼⅥでも言われたように過去のものに『希望の火花』をかき たててやりたいのだろうが、強風が未来の方に運んでしまう。この強風が進歩 であるとベンヤミンは説明してい,る。ちなみに強風は楽園から吹いて来る。

進歩信仰にしがみついているものに対するベンヤミンの批判はテーゼⅩでも 展開される。ここでは反ファシズムの立場に立ったものが頼りにしていた政治 家たちが、惰性的な歴史像から離れられないために次々と倒れていった事実を 指摘して、これらの政治家たちがしがみついていた歴史像ときっぱりと手を切 ることを望んでいる。このような政治家たちの集団として、ベンヤミンはテー ゼXIで社会民主党の名を挙げて、その路線を痛烈に批判しているが、ドイツ共 産党もその批判を逃れられるわけではない。社会民主党の償応主義はやはり彼 らの進歩信仰にその根を置いている。彼らはr自然制御の進歩のみを認めて、

社会の退歩を認めようとしない。 』こうした立場からすると、技術的進歩はそ のまま労働者の勝利である。社会民主党の路線はゴータ綱領、さらにはJ.デ ィーツゲンにも見られるように、技術的進歩をそのまま自分たちの流れに沿っ たものと信じていたO彼らの頭にはF労働の生産物を労働者が管理し得ないか ぎり、生産物は労働者自身にどんな効能があるのか。 』という問いは浮んでこ なかったのである。.ベンヤミンは「複製技術時代の芸術」においても、テクノ クテシー批判を展開している6:が、社会民主党の路線における政治戦略と経済 的観念にも技術至上主義の特徴をとりだしている。例えば彼らの労働と自然の 関係について言えば、自然は労働に⊥方的に搾取されるがままである。ベンヤ ミンはフーリエの自然一労働観‑そこでは労働は自然の胎内に可能性として まどろんでいる創造睦を自然自体が発現するのを助けている‑を対置して、

労働が一方的に自然を搾取するだけの社民党の腐放した労働概念をくっきりと 浮き彫りにしている。

チ‑ゼXEにおいても、ベンヤミンはテ‑ゼXIに続き、社会民主党のバラ色の 末来観を批判している。そして歴史的認識の主体としての戦斗的な被抑圧階級 の解放‑の役割を今一度強調する。ベンヤミンはここでも、社会民主党が労働 者階級に未来の子孫の解放者の役割だけをあたえるのに対して、解放への意志 の原動力としての先人たちの苦悩や憎悪を対置している。われわれが幾度も強 調してきたように、このテーゼにおいても、テーゼⅡに呼応しつつ、抑圧され

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た過去を解放する闘争のなかでの革命的なチャンスの合喝は、む,しろ過毒から 来るとされるのである。

テーゼⅩⅢもやはり社会民主党の進歩信仰と、その土台になっている時間̲観 の批判である。社会民主党員たちの進歩信仰の土台にな?ている時間は均質で 空虚な時間である。この均質で空虚な時間を通?、て歴史械進むと、彼らは考え たのだったoこの時間観に対して、ベンヤミン且当然自らの時間概念を嘩示し なければならない。テーゼⅩⅣ以降で硬は自己の時間額令を提示しヾその時間 概念に基づく歴史記述の姿勢をうちだすのである。

6歴史の惰性的連続性をうち破るチャノジスとしてめl『今という時』

(Jetztzeit) 「一一テーゼⅩⅣからテ⊥ゼⅩ、Ⅷまで

テーゼⅩⅣに至って、ベンヤミンは進歩信仰の土台をなす均質で窄虚な時間 に対して、 『今という時』 (Jetztzeit)という彼独自の概念を主張するTo,平板 な歴史の連続性をうち破り、現在が特定の過去の時代卓出逢車軍車が『今封や う時』である.ロペスピェールはそのようなものと・してJ古代ロー1亨に出違っ た。フランス革命はそうした意味で、ロ‑了の自覚的回帰であった。7‡見事金に おける革命的民衆の行動は、まさしく平板な時間‑の反抗、惰性的時間q)打破 という事態を現出させた。ベンヤミンは,5‑ゼⅩ.Vにおいて『バリーのいくつか の場所でたがいに独立に、 ,そして同時に、塔の時計が射撃されるという事件』。

が起ったことを、歴史の連続性の革識をうち破る象徴的事件とみなしているO,

行動の時期にある革命的階級と同じように、歴史的唯物論者も歴史の連続を

打破する人間である。歴史主義が過去の永遠の像を現出する.のに対して、彼は

過去という現にある唯のものの経験を提璃するのである。葱O.場合ヾ歴史的

唯物論者が歴史叙述の根抵に据えるのは.=『構成の原理』なのである。ベンセ.ミ

ンがアドルノ夫人にあてた手紙でも、・磯はこの日:分の方法を述べたテ‑ゼⅩⅦ

に特に注目して欲しいと書いているので.ここでわれわれは肴のテ‑ゼの全体

を引用しておこう。 『歴史主義は一般史において頂点に達する。唯物論的歴史

叙述は、一般史とは方法的に、他の何よりもきわだって異なっている。蝣‑‑般史

はいかなる理論的武装ももっていない。丁般史のやり方は加法的であるOそれ

は均質で空虚な時間を充すために大量の事実を動員する。唯物論的歴史叙述の

ほうでその原理としているのは構成の原理である‑a:こ思考の運動だけが思考に属

するのではなく、その停止も思考に属するO緊張がはらまれた局面において突

然に思考が停止するとき、そこにショックpが生まれ、そのショックを通じて,,

思考がモナドとして結晶する。歴史的唯物論者はただひとりで歴史的対象に近

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ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」 85 づくのだが、その場合彼はモナドとしての対象に近寄るのである。この構造の なかで歴史的唯物論者は事件のメシア的静止の合図を、別の云い方で言えば、

抑圧された過去のための斗いにおける革命的チャンスの合図を認めるのだ。彼 は歴史の均質な経過のなかから特定の時代をうちだすためにこの構造を認識す る。そのようにして彼はある特定の時代からある特定の人生を、特定の人問の 仕事のなかから特定の作品をうちだすのである。彼のやり方の成果は、作品の なかに人生の仕事が、人生の仕事のなかに時代が、時代のなかに歴史の全継過 が保存され止揚されているということにある。歴史的に把握されたものという 栄養に富んだ果実は、その内部に味わい深いが、しかし味をもたない核として 時間を所有しているのだ。 』

このテーゼの背景に、われわれは、ベンヤミンが全力を傾けてその完成を急 いでいた対象‑19世紀を,ボ‑ドレールを;そして悪の華をおぼろげにうかが うことができるように思う。と同時に彼独得のモナド論をも認めることができ る。モナドとして結晶された微少なイメ‑ジを仔細に観察することによって、

壮大な全体的なイメ‑ジに到達する彼の方法がこのテーゼに明瞭にうかがえる のである。 『どんな場合にも、理念よりはひとつの衣服のひだのほうが、永遠 である。 』とかつてベンヤミンは言ったことがある。

最後のテ‑ゼにおいて、ベンヤミンは歴史的唯物論者の姿勢が回想の姿勢で あることを、今一度強調する。そしてこの回想の姿勢がユダヤ的出自であるこ

とを露わにする。 『周知のことだが、̀ユダヤ人には、未来を探し求めることは 禁じられていた。その一方で律法と祈りとがかれらに回想を教えている。 』回 想は予言者に教示を仰ぐ人々を捕えている未来という民からかれらを救い出 す。のっぺりとした直線的時間としての未来に期待を抱くことなしに、抑圧さ れつづけている過去に向けての回想こそが、マルクス主義を神学的救済観念に よって基礎づける試みといわれるベンヤミンの思想的主題の鍵をなすものであ る。 「意識的に数千年の支配のインタレストに従ってきた歴史学が過去をゆが め、幸福を中途半端にし、不幸を悲劇として完結したかにみせていることにた いし」 7 、回想は幾重にも疑問を投げかけるのである。回想は過去を死んだ形 においてではなく、現在をその姿のなかに含んだものとして再現するのであ る。しかも現在はメシア的な時間のかけらをふくんだまま刻一刻と流れ去って ゆく。このようなメシア的、黙示録的な一瞬、一瞬の連続が歴史である。ベン ヤミンは歴史をこのように把握することによって、 『歴史主義』の歴史観と進 歩信仰を克服しようとしたのであった。

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1. Benjamin, Gesammelte Schnften Bd 1, S. 1223を参照 2. ebenda, S. 1227

3. Benjamin, Bnefe 2, S. 835

4. ders, Gesammelte Schriften, Bd 1, S. 1235 5.野村,ベンヤミンの生涯, S. 200

6・ベンヤミンのテクノクラシ‑批判については,拙稿「複製技術による芸術概念の変 質」 (長崎大学教養部紀要人文科学第17巻, 1977, S.177ff)参照

7.野村,ベンヤミンの生涯, S.199

書誌

1.テキスト

Benjamin, Walter : Gesammelte Schriften Bd. 1. Frankfurt a. M. 1974.

ders. : Ulummationen, Frankfurt a. M. 1969.

ベンヤミン:暴力批判論,ベンヤミン著作集1,晶文社 2.その他の参考文献

Benjamin, Walter : Briefe, Frankfurt a. M. 1969.

Bulthaup, Peter (hrsg) : Materialien zu Benjamins Thesen "Uber den Begriff der Geschichte", Frankfurt a. M. 1975.

Kaiser, Gerhard : Benjamin, Adorno. Zwei Studien, Frankfurt a. M.

1974.

野村修:ベンヤミンの生涯(平凡社) 同:スヴェンボルの対話(平凡社) 好村富士彦:希望の弁証法(三一書房)

(昭和54年7月31日受理)

参照

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