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園田尚弘

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レオ・レーヴェンタールの『クヌート・ハムスン論』について

園田尚弘

uber "Knut Hamsun" von Leo Lowenthal

Naohiro SONODA

はじめに

『社会研究誌』に掲載されたレ‑ヴェンタールの論文は文芸社会学の分野に属する 仕事である。それらの論文のなかでは、近・現代のヨーロッパの作家と作品がマルク ス主義的立場から分析、評価されている。レーヴェンタールはベンヤミンのように同 時代の作品に批評家として臨むことは稀であった。それらの論文の多くは、

̀̀ Erzahlkunst und Gesellschaft " (1971)、 ̀̀ Literature and the Image of man " (1957)にまとめられた。前者はドイツの小説と小説家を扱い、後者ではセル

バンテスから‑ムスンまでのヨーロッパの作家を論じている。 (なおこの著作のドイ ツ語版は" Das Bild des Menschen in der Literatur "と題して1966年に刊行さ れている。)

社会研究所は1930年代には、とりわけファシズムの脅威を暴露し、分析し、これと 闘うことに意を用いた。権威主義の問題への関心は、研究所の経験的研究、また比較 的経験的観点の薄い研究にもはっきり現れている。 1930年にフランクフルト社会研究 所の正式所員になったレ‑ヴェンタールは、研究所が総力をあげて取り組んだ権威主 義と家族に関する経験的調査では、 『権威と家族』としてまとめられた書物の第三部 の編集に協力した。しかしかれの研究所に対する貢献は文芸社会学的分析による権威 主義の研究にあった。読者の受容研究の先駆的研究と称せられる『ドストエフスキー 研究』、 C.F.マイヤー論やイプセン論などそれぞれに注目すべき論文が『社会研究誌』

に発表されている。そのなかでもとりわけ『‑ムスン論』1)は、自他ともに認める高い 評判を呼んだ論文である。レ‑ヴェンタール著作集第二巻の編者は、その後記に「‑

ムスン論考はドイツの読者にとくに推奨したい」2)と述べている。ドゥビェルはこの論 考を「文学的、政治的ドキュメント」3)であると形容している。一般にレ‑ヴェンター ルの論文は研究所の権威主義研究の方向性をよく踏まえているとされるが、それはレ‑

ヴェンタールが研究所の経験的調査に協力しているところからきていると恩われる。

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本稿では、 『ハムスン論』にみられるレーザェンタールの研究上の方法的枠組みに 注目して、とくに同じような分野の仕事を残しているベンヤミンやアドルノを視野に 入れてイデオロギ‑批判の特色を明らかにしたい。とくにレーザェンタールは‑ムス ンの作品にみられる自然観を詳細に論じているので、その際にレ‑ヴェンタールがとっ ている観点については、これを啓蒙主義批判にみられるアドルノやホルク‑イマーの 自然と人間の関係に関する論述と比べて考えてみたい。

i

レ‑ヴェンタールがその論文『クヌート・‑ムスン、権威主義的イデオロギーの前 史のために』において叙述の対象にしたクヌート・‑ムスン(1859‑1952)は今日の 日本ではあまり読まれることのないノルウェ‑の作家である。しかし‑ムスンは19世 紀末から第2次世界戦争期までのヨーロッパやアメリカで高い評価を得た小説家であっ

た1920年にはノーベル文学賞も受賞している。彼の本領である長編小説のなかで特 に世評の高かった作品はいくつか日本語にも翻訳されている。しかし北欧の作家のな かでは、イプセン、ストリンドベリヒ等に比すれば、その名前はそれほど流布しなかっ

たように恩われる。

‑ムスンは第2次世界戦争中、ナチスを支持し、それと内応したノルウェーのキス リング政権を支持、それに協力したため、一時ノルウェー国民の支持を失ってしまっ た。戦後には戦争犯罪人にも指名されている。しかしそのことで‑ムスンの作品がまっ たく魅力がないのだと証明されたわけではない。ヘッセをはじめとする高名なドイツ の作家たちはほとんどハムスンのファンであった。またたとえば、 『私は決して加担 したくなかった』でレーヴェンタールと対談しているH.ドゥビェルはつぎのような告 白をしている。 「恥ずかしいことですが、思春期の後半には、私は‑ムスンの大の崇 拝者、熱狂的崇拝者でした。」4)

こうした例からみても、 ‑ムスンが昔も今もそれなりに読者を熟狂させる魅力をもっ ていることが推察される。

第1次世界戦争後のドイツでは、ハムスンの長編小説は、賞賛のまとであった。社 会民主党系の文芸批評も、ブルジョア文芸批評も、 ‑ムスン賛美においては一致して いた。とりわけ‑ムスンをもちあげたのは、代表的ナチスイデオロギーの鼓吹者、 A.

ローゼンベルクであった。かの『20世紀の神話』のなかで、かれはこの作家に最大級 の賛辞を呈している。

ドイツにおける‑ムスン受容にももちろん変化はあった。レーザェンタ‑ルは『‑

ムスン論』の第五章で‑ムスン受容の変遷を追跡している。それによれば、 ‑ムスン 受容の初期にあっては、必ずしも‑ムスンがいたるところで賛美されたわけではない。5)

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たとえばレオ・ベルクは「改良主義的オプチミズムの立場からではあるが」、ハム スンにみられるマゾヒスティックな汎神論から吹きつけてくる危険な嵐の予兆を嘆ぎ 取っていた。

あるいはドイツ社会民主党の指導的理論史『新時代』においては1890年代には、はっ きりとした‑ムスン拒否の姿勢がみられた。そして「生きた人間が描かれていない」6)、

あるいは「‑ムスンは歪曲し読者を愚弄する強い傾向を証している」7)等々の否定的見 解が、 90年代全般にわたって保持されていた。さらにハムスンについて明快な意見を もっていたプレ‑‑ノフは「ハムスン以前には、こんなにあからさまなやりかたで、

労働者に対するブルジョアジーの階級敵対感が文芸のなかで表現されたことはなかっ た。」8)と述べている。そして同時に‑ムスンの著作における革命的特徴がまがいもの であることをも指摘している。

しかし‑ムスン評が否定から肯定へと転換する季節が訪れてくる。第1次世界戦争 中から戦後時の‑ムスン評はおしなべて、 ‑ムスンへの讃歌が高らかに合唱されるこ とになった。レ‑ヴェンタールは、その傾向は「中央ヨーロッパの現在におけるもっ とも広範な階層の政治的諦念と、かれらがイデオロギー的誘惑におちいっていること と関係がある」9)とみる。レーヴェンタールはその具体的で簡潔な証拠として『20世紀 の神話』をあげたのである。

ドイツにおける‑ムスン受容の歴史における否定から肯定への流れ、しかもファシ ズムによる‑ムスン賛美の指摘のなかでも明らかなように、レ‑ヴェンタール自身の 意図は、 ‑ムスンの作品にみられるイデオロギーを批判することであった。

ところで、そのような目論見のために執筆された「権威主義的イデオロギーの前史 のために」という副題をもっ、この予言的論文は1937年に『社会研究誌』に発表され たが、執筆時には必ずしも賛意をもって迎えられたわけではなかった。フランクフル ト内部のメンバーによっても、レ‑ヴェンタールの見解には疑念が表明されたという。

ドイツの軍隊が1940年にノルウェーに侵入したとき、 ‑ムスンのナチズムへの共感は、

誰の目にも明らかになったのであるが、論文執筆時には、 「マルク‑ゼだけでなく、

ベンヤミンもまた‑ムスンを擁護した」10)という。この論文はこうした意味からレ‑ヴェ ンタールの仕事のなかで最重要な論文のひとっである。

Il

『クヌート・‑ムスン論』は著者によって五っの部分に分けられている。第一章を 除くあとの四つの部分では,具体的に‑ムスンの作品からさまざまの側面をとりだし 論評を加えている。あるいは既に述べたように、第五章の部分では、ドイツにおける

‑ムスン評の変遷について、興味深い考察を展開している。

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第一章の部分でレーヴェンタールは、直接には‑ムスンに言及することなく、自由 主義から、自由主義以後のイデオロギーの変質について語っている。ここではハムス

ンの名前すらも挙げられることがない。この部分でレ‑ヴェンタールはまったく抽象 的、一般的に‑ムスンのイデオロギーをかたちづくる諸要素を分析している。かれは

ここで自由主義以後のイデオロギーに占める「自然」の役割、社会的変化に伴うブル ジョア哲学の変質、生の内容の変質等について語る。その意味で第一章は『‑ムスン 論』全体への導入部であるとともに、その理論的骨格でもあるということができよう。

レーヴェンタールはここで、自由主義以後のイデオロギーのなかでは自然は現代人が その狭苦しい社会的現実から逃れるための避難所となっていることを指摘する。近代 都市は、ブルジョア階級の上昇期においてはなお可能であった「幸福」と「権力」の 幻想を、その工場群や帳簿によって打ち砕いてしまう。帳簿や機械への屈辱的な奉仕 は市民から自由で充足した生活への希望を奪ってしまう。そして平均的市民たちが熱 望する成功や安定は、焦慮にみちた苦痛の多い努力によっても獲得される見込みは少 ない。そのような状況のなかで、自然との直接的交わりは自由への約束と思われるの である。自然とのこの直接的交わりにおいては、自然との社会的対決の際とは異なっ て、ひとは責任と苦労に満ちた競争的関係から免除される。 ̀社会的生産という観点か

らみると、自然との関係はまさしくこのような関係である'それによって自然との交 わりは「幸福と慰めの限りなき泉として作用するのである。」11)自然とのこのような交 わりにおける体験と幻想のなかで「個人としての市民が社会的弱さと受動的役割から 逃れてほっと一息っくとき、自然のほうでは活動性を免除してくれる。 ̀この活動性の 免除は個人の滅亡という罰において行われなければならないのだが'」12)

レ‑ヴェンタールは、この種の社会的活動の中断としての自然憧憶が自由主義上昇 期と自由主義以後にあっては、必ずしも同一ではない、と論じている。つまりペトラ ルカからヘルダーリンに至るまで、自然との出会いには、最高の楽しみという位置づ けがなされたが、このばあいの自然への道は逃避ではなく、散歩というかたちで行わ れたというのである。 「そしてこの散歩の気晴らしは、社会化された人間の肯定的活 動の役に立たねばならぬさまざまの力を伸びひろげるのであった。」13)

これにたいして現代においては、支配層と無力化する大衆の関係が自然憧憶に投影 される。しかしこの場合でも、ただちに「無力さの鏡」14)として現れるわけではない。

支配に対する市民層の関係は分裂的で、権力に対する反抗が直ちに敬意の念と結びつ いている。

レーヴェンタールは支配に対する市民層の無力感と強大さへの畏怖の念を現代の自 然憧憶に重ね合わせる。そして「現代の自然憧憶にあっては、圧倒的な強大さへの崇 拝が、自らの無力の賛美とむすびっいている」15)と解釈している。この場合、自然への

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関係は、社会的領域で作用する暴力に対する関係の写像を含んでいる。 「つまりひと は、自然を賞賛しつつ、それらの暴力と同一化するのである。無垢の自然もまた力で あり、人間には到達しがたく、壮大に思われる無時間性は社会にとって決定的な指導 が変更不可能で永遠なのだという感情を再生産する。」16)自然体験という自然との感傷 的かかわり合いのなかで、もし現実の野蛮さが否定されるというのなら「自然の賛美 にも社会的野蛮さが反映されているのである。」17)レ‑ヴェンタールは現在の市民大衆 の自然との関係をこのように把握することによって、感傷性と野蛮性との二重の様相 を含んだ関係を明らかにする。かれは、批判としての自然逃避の機能が崇拝としての 自然逃避へと移行している事態を指摘している。自然はもはや悩みのパラディグマで はなく、壮大なもの、英雄的なもののパラディグマである。

市民のこうした自然崇拝の状況から農民の理想化が出現してくるのは簡単に理解さ れる。なぜなら農民の場合には、現在の社会における産業による自然の加工のなかに 存在する生産への関与と消費への関与のあいだの歪んだ関係は高度に止揚されている ように見える」からである。レ‑ヴェンタールがここで農民をもちだしてくるのは、

感傷的‑野蛮的自然概念と農民の理想化という事態が、ブァシズムの政治的イデオロ ギーの準備に他ならないという視点からである。しかし産業による自然との対決が、

あらゆる歴史的段階において、市民層の閉塞感やそれに伴う楽天的な理性‑の信頼喪 失をもたらしたわけではない。 19世紀の市民たちはまだ知性の力を信頼していた。そ してかれらの知性への信頼は、科学による諸問題の克服という期待に基づいていた。

レーヴェンタールによれば、自然の征服によって期待されるものへの幻滅とともに知 性の力に対する市民の敗北主義が登場する。

「精神を本質的にただ競争の精神として、極度に繊細に考案された搾取の装置とし て体験するが、状況全体の力により精神的エネルギーを現実の変化に役立たせること ができないグループ」18)の社会的運命は、ブァシズムの運動のなかに渦巻く反知性主義 と結びついている。これらグループにとって知性は「かれらの本来的生活にはいかな る関係もない支配の道具として文章とスローガンの抽象的混ぜものとして現れる。」19) 知性の力によって現状の変革の方策を失った者の精神に反対する闘いこそが、自然へ の憧憶に駆り立てるのである。

ところでブルジョワ社会の反知性主義的潮流はその初期段階から存在している。し かしその内実はそれぞれの歴史的段階において異なっている。たとえば文学的ロマン 主義には反知性主義的潮流がみうけられる。しかしそこには封建的絶対主義に抗する プロテストという側面も存在していたOしかしレ‑ヴェンタールが「生の哲学者」と して挙げているベルグソン、ディルタイの反理性主義的モチーフにあってははその意 味合いに変化がみられる。 「いかなる合理主義的カテゴリーにも含まれないこの生の

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流れはあらゆる個人を貫き、泣っしさり、生活のあらたな創出に駆り立てるが、暗闇 から発し、さらに豊かな世界充溢に突き進むこの生の流れの力動性は、現在の社会を 規定する無制限な創造性という原理を賛美する。それはこの生産性の出費を疑問にす ることなしに、この原理を賛美するのである。」20)

生の哲学にあっては理性的なものに否定的なアクセントが置かれるというのは周知 のことであるが、しかしこの哲学には楽観的なてものがつきまとっている。なぜなら

「生の哲学はたんなる生活とともにすべての人間的事物における死んだもの、硬いも の、疲れ、取り残されたものの克服も保証されている、と請け合う」21)からである。そ のような点からレ‑ヴェンタールは、ロマン派とディルタイらの生の哲学との親近性 について指摘する。科学、技術による自然の制御と、その成果の配分への期待を、レー ザェンタールは両者に共通する意識とみるが、その意識はまた「自由主義的意識の簡 潔な表明でもある。」22)

物質的向上に対する広範な市民の期待と結びついていたこの生の哲学も、期待が消 滅する時代、つまり最近の段階においてはその意味が変化する。レ‑ヴェンタールは その変化を「行動主義的生の哲学」23)から「諦念の生の哲学」24)へという表現で把握し ている。変質した生の哲学は、歴史、自然のなかに存在するすべてのものとまったく おなじように、ある全体の分肢を構成するのだという恩想のなかに慰めを兄いだすま でにいたる。 「平均的運命の無力さと見すばらしさば、自己の無意味さの経験のなか で真正の性質の経験とすべての出来事の意味の経験がつくられるのだという慰めに変 えられるのである。」25)

レ‑ヴェンタールはこのように、イデオロギーにおいて自然の持っ意味、それの変 遷、時代の進展とともに顕著になった理性の役割の減少、生のカテゴリーの変化に言 及しながら、 ‑ムスンのイデオロギーの特徴を暗に述べている。その意味でこの第一 章の抽象的、思想史的記述は、 ‑ムスンの作品への具体的接近のための理論的助走の 役割を果たしている。

『‑ムスン論』の最良の部分はハムスンの作品の分析においてなされるイデオロギー 批判にあるが、ここで展開されているレ‑ヴェンタールの理論的枠組みの特徴をまえ

もって論じておくことはむだではないだろう。

ひとくちにフランクフルト学派と総称されることがあるが、たとえばレーヴェンター ルの自然一人間観と、啓蒙の弁証法にみられるアドルノたちの自然一人間観とのあい だにはほおおきな違いがみられる。レ‑ヴェンタールは当時の市民の自然体験におけ る感傷性と野蛮の二重性をうまく掴みだしているが、そうした二重性が必ずしもいっ の時代にも妥当するとはみていない。 19世紀には逃避としての自然体験という側面は 薄かったとみている。産業による自然の利用がもたらすものへの期待がなお信じられ

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ていたからである。市民層の窮乏化、生産力と生産手段との矛盾といったレ‑ヴェン タールの論点が背景にあると思われるが、 20世紀においても自然の合理的征服という 観点はレーヴェンタールから失われてはいない。レ‑ヴェンタールの自然一人間観と

自然の脅威に怯えてきた人間が自己保存のために自然を客体として措定し、そのこと がまた自然の一部としての人間を硬化させ、さらに自然支配が他者の支配を生み出し、

社会自身が第二の自然として人間を呪縛するというプロセスを提示した『啓蒙の弁証 法』の自然観とのあいだには明白な相違がみうけられる。あるいは自然の収奪を厳し

く批判したベンヤミンの人間一自然観にも達していないようにみえる。アドルノとホ ルク‑イマーの『啓蒙の弁証法』が1944年に執筆されているいう事情をさしひいても、

レーヴェンタールの立場は今日からみれば、楽観的に思われる。しかしそのことによっ て、 ‑ムスン解釈の意義も失われるというわけではない。 ‑ムスンの小説が読者に及 ぼす独特の魅力にひそむイデオロギー的含意の分析は説得性をもっている。レーザェ ンタールが論文の第‑章で展開した理論的枠組みを使って具体的的に作品を分析して いる場面を以下で覗いてみたい。

=

レ‑ヴェンタールにとって、ハムスンは第1次世界戦争後出現したファシズムイデ オロギーの先触れをっげた小説家であった。レ‑ヴェンタールは、 ‑ムスンの長編小 説『飢え』が現れた1890年という年を、自由主義終蔦後のイデオロギーが文芸の世界 に姿を見せた年としてとりわけ注目している。工業化の進んだ中部ヨーロッパと異な り、主として農業と漁業に依存した後進地の北欧を舞台にした‑ムスンの小説が、中 部ヨーロッパで盛んに愛読されるのは、ハムスンの小説が、とくにヨーロッパの中小 ブルジョアジーの社会的必要性に応える要素を所有しているからだと、レ〜ヴェンター ルは解釈している。

‑ムスンの名を一躍世界に高からしめた長編小説『飢え』に例をとって、レ‑ヴェ ンタールは、 ‑ムスンを愛読するヨーロッパの中小ブルジョアジーの社会的意識の特 徴を挙げている。それによれば、それらは(1)人生の闘いにおける受動的諦念、 (2) 知性に対する嫌悪、 (3)理想の蔑視、 (4)捕捉Lがたいものに流れに身をまかせる傾

向、 (5)都会からの逃避、 (6)逃避の場所としての自然である。ハムスンの後期の作 品もまた、無力感と権力への陶酔という点では前期のものとまとまった統一をなして

いる、とレーヴェンタールは捉えている。

レ‑ヴェンタールはハムスンのイデオロギーを明確化するために、ハムス′ンの自然 把握に注目している。そしてその自然把握を構成しているつくつかのファクターを分 析している。平和、孤独、同一性の体験、自然における激動といったファクターがと

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りあげられている。

まず平和のモティーフは‑ムスンにおいてはめったに姿を現さない。そしてそのモ ナィ‑フが現れる場合も、本質的に進歩的だとは言えない、とレ‑ヴェンタールは考 える。 ‑ムスンは大都会とその文明を断罪して、その対極として森における孤独で平 和な生活を提示する。かれは都会人と自らを対時させて、 「私は平和をもっている。」

と宣言する。しかし、 ‑ムスンにおける都会人と森の生活の対峠は、レ‑ヴェンター ルによれば、 「人間蔑視と質の悪いエゴイズムを含んでいる。」26)偉大な叙情詩が自然の ながで平和への人間的憧憶を輝かせるとき、それは現状変革的であった。しかし‑ム スンにあっては、平和のモティーフは、決して既存の秩序を進歩的に否定するもので はなかった。 ‑ムスンは価値なきものにも、価値あるものにも悪意をもって検閲をお こなう。レ‑ヴェンタールは、価値あるものも、価値なきものも一緒くたに愚弄する

‑ムスンの態度は、たとえどんなに攻撃的に振る舞っても、既存の秩序と折れ合って いると考えるのである。

次にハムスンにおける自然と孤独の関係が考察されねばならない。自然との関係は、

まず最初には、社会生活において強いられた孤立状態の突破として現れる。孤独の自 然体験は物化された関係の克服として構想されている。人間と事物が敵対関係を免れ ているという意味では、 「人間が自然のながで実現する孤独という現象において、自 由の領域が輝くのである。」27)‑ムスンにあっては、自然は物化されない関係への約束 を示しているように恩われる。 ‑ムスンは社会的場で感じる苦痛を自然によって和ら げることで、心を慰める作用を及ぼす。しかしこの場合も、平和のモナィーフの場合 と同じく、既成のものに反抗しているようにみえて、実際はそこに逆戻りしている。

(未完)

1 )原題はKnut Hamsun. Zur Vorgeschichte der autoritaren Ideologie.テク ストとしてはZeitschrift負ir Sozialforschung. Herausgegeben von Max Hork‑

heimer. Jahrgang 6, 1937. Deutscher Taschenbuch Verlag. Miinchenl980.の 復刻版を使用した。なおL(うwenthalのSchriften 2. Frankfurt a. M. 1981. Das btirgerliche BewuBtsein in der Literatur.の第一部Studien zur europaischen Literatur von der Renaissance bis zur Moderne中の第七章にも同じ論文が掲 載されている。本稿執筆にあたっても適宜参照した。

2 ) Editorische Nachbemerkung von Helmut Dubiel, S. 446, in: Leo Lowenthal Schnften 2, Frankfurt a. M. 1981.

3) Ebenda.

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4) Leo LowenthalrMitmachen wollte ich nie中のDubielの発言から引用。なお Mitmachen wollte ich nieはedition suhrkamp Neue Folge Bandl4,1980.

5 ) Leo Lowenthal; Knut Hamsun. Zeitschrift fur Sozialforschung. Jahrgan g 6,1937, S.340.以下このテクストdtv reprintと略称する。

6 ) Die Neue Zeit,1890‑91,Bdl,Stuttgart 1891,S.803.(dtv reprintからのLowenthal

の引用に依る。

7) Die Neue Zeit,1893‑94,Bdn,S.376.(dtv reprintからの引用による)

8 ) George V.Plechanov,Art and society. New Yorkl937,S.66F.(dtv reprint, S.341からの引用)

9 ) LwenthahKnut Hamsun.dtv reprint,S.342.

10) L∂wenthal:Mitmachen wollte ich nie.S.170.

ll) Lowenthal:Knut Hamsun, dtv reprint,S.295.

12) Ebenda,S.296.

13) Ebenda,S.298.

14) Ebenda.

15) Ebenda.

16) Ebenda,S.299.

17) Ebenda.

18) Ebenda,S.300.

19) Ebenda.

20) Ebenda,S.300f.

21) Ebenda,S.3Ol.

22) Ebenda.

23) Ebenda,S.302.

24) Ebenda.

25) Ebenda.

26) Ebenda,S.306.

27) Ebenda.

(1996年7月31日受理)

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