長崎大学教養部紀要(人文科学篇) 第21巻 第1号 117‑122 (1980年8月)
ホーフマンスタールの「塔」に関する ベンヤミンの二つの書評
園田尚弘
Zwei Benjaminsche Rezensionen uber Hofmannsthals "Turm"
NAOHIRO SONODA
I
ベンヤミンが文筆家としての道を歩みだすにあたって、ベンヤミンの著作を 大いに推賞した作家は、フーゴー・フォン・ホーフマンスタールであった。ホ ーフマンスタールは、ベンヤミンの「ゲーテ」の親和力」を激賞し、ホーフマ ンスタールが主宰する雑誌、「ノイエ・ドイッチェ・バイトレーゲ」に全文を発 表させた。さらに、ホーフマンスタールは、フランクフルト大学によって拒否 されたベンヤミンの教授資格論文「ドイツ哀悼劇①の根源」の一部を、やはり
「ノイエ・ドイッチェ・バイトレーゲ」に発表させた。ベンヤミンにとって、
高名このうえない作家の好意は、文筆活動に従事するうえで、多大の喜こびで あったろうことは想像に難くない。敬意をこめた文章で、ホーフマンスタ‑ル にあてて、ベンヤミンは自らの文芸上の計画を伝えたり、執筆した書物の献呈 を行なったりしている。
このような実際的な接触にもかかわらず、ベンヤミンが、ホ‑フマンスター ルの作品について批評した文章は決して多くない。というよりもまとまった形 で評したものは、この小論で扱う「塔」についての書評だけである。しかもそ れぞれの書評も長いものではない。
「塔」が、とりわけ、ベンヤミンの関心を刺激したことは、第一に、彼が二
度にわたってこの作品の書評を「リテラーリッシェ・ヴェルト」誌に報告して
いること、第二に、ベンヤミンが1940年にアドルノに送った手紙で、ホーフマ
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ンスタールについて述べた際、 「塔」の書評でかって書き記したと同じ表現で もって、ホーフマンスクール評価を行なっていることなどからみてとれるので ある。③
さらにベンヤミンが、ホ‑フマンスタールの作品のなかで、とりわけ「塔」
を二度にわたって論じた動機のひとつに、ベンヤミンの論文「ドイツ哀悼劇の 根源」との関連をあげることができよう。ベンヤミンは「ドイツ哀悼劇の根 源」の大部分を、 1924年5月から10月までカプリ島に滞在したおりに執筆して いる。この論文において、ベンヤミンがドイツ哀悼劇への考察をいっそう深め ていた時期に、哀悼劇と銘うたれた「塔」が発表されたのである。 「塔」の書 評において、 「ドイツ哀悼劇の根源」においてみられる洞察のいくつかが登場
しても、これは当然のことであった。
さて「塔」についてのベンヤミンの第‑番目の書評は、 1926年4月9目付け の「リテラーリッシェ・ヴェルト」誌に発表された. 「塔」についての第二番 目の書評は、 1928年3月2目付けの「リテラーリッシェ・ヴェルト」誌に発表 された。同じく「塔」と題された作品をその批評の対象としているが、両者の 対象は少しくその内容を異にしている。すなわち前者の書評が扱っているの は、ミュンヒェンのプレーマー・プレソセ書店から1925年に刊行された「塔」
(小論では第二稿と称する)であり、後者の書評で対象となるのは、舞台用脚 本として書き改められたものである。 (小論では最終稿と称する。 )㊨
Ⅲ
罪‑番目の書評で、ベンヤミンは、 「塔」がカルデロン」の「生は夢」にそ の素材を仰いでいることから書きはじめている。そしてバロック劇の素材を基 礎にしたことで「独創性」の欠如を考えるだろう読者に対して、ドラマにおい て、たんなる「独創性」は「その概念からいって、偉大なドラマの最も個性的 生命を規定する歴史的緊張の力の場の外部にある」と説明して、もっぱら発明 をよしとする見解を反駁している。ドラマにおいては、形式の構成や組み合せ が重要であり、原作とヴアリアントのあいだの緊張のなかに真の生産的な迫力 が出てくるのであって、たんなる独創はディレッタントの情熱でしかないとい
うのである。
それでは、古いスペインの作者のドラマはどのようなものだろうか。ベンヤ
ミンは、カルデロンの「生は夢」のあら筋を紹介して、ドラマの中心に「夢」
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があることを指摘する。生は夢に他ならない、しかしそれにもかかわらず、
われわれ人間は夢のなかでも正義を行なわなければならないという、二つの 意味がこめられたカルデロンの作品は、ベンヤミンによれば、 「演芸風の (spielerisch)、ロマン語系のロマン主義的要素をびっくりするはど多様に展開
した芝居(Schauspiel)」であった。ホーフマンスタールにあっては、しかし、
スペイン演劇の伝統である恋愛劇も、夢の超越的道徳性もともに消えうせてい る。夢の機能は一変し、 「夢は覚醒した世界がそのまま入りこんでしまう、よ り真実の世界になっている。 」
ホーフマンスタールにあっては、さらに登場人物もカルデロンの場合とはぢ がっている。 「塔」において、ホーフマンスタールは、ジギスムントの見張り 役、教育者であるユリアンという人物を新たに造形したが、ベンヤミンはこの 人物について、 「至高の存在に関与するために、意志をほんのわずかでも外界 にさらそうとしない男、つまり献身というただひとつのモメントが欠けている 男がかくも現実性を具えて、舞台に登場したことはない」と述べて賞讃してい
る。この人物と対照的な医者も、 「塔」には登場してくる。これらの新たに造 形された登場人物に言及しながら、ベンヤミンは、 「塔」の属する文学的領域 が「悲劇以前」であると呼んでいる。ベンヤミンによれば、ドラマとは祭式、
つまり言葉と行動とのあいだの緊張を原型としている。言葉と言葉のあいだの 対決(論争)、行為と行為とのぶつかり合い(格斗)でもない「行為とせりふ のあいだ自体で、極と極のあいだでとびかう祭式の緊張だけがドラマ的なので ある。 」そしてこのドラマ的なもの自体は悲劇以前のものである。ジギスムン
トーまさしく言語が拒まれている殉難者‑が主人公として登場してくる「塔」
が悲劇(Tragodie)と呼ばれず、それと対決的にドイツ演劇で盛んになった形 式一哀悼劇と名づけられているのは充分に理由があることであると、ベンヤミ
ンは考えている。こうした意味で、ベンヤミンは「塔」を17世紀の哀悼劇の伝 統を受けつぐ作品であると見なし、カルデロンの改作という事態にも、この哀 悼劇の精神に拠って、素材からロマン主義的色彩をはがしてしまったドイツ演 劇の伝統を見ているのである。
Ⅲ
ベンヤミンは、 1928年に発表された書評において、再度このドラマを取りあ
げる横縁になったのは、ひとつの稿から他の稿への進展によって、作者の仕事
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のやり方や、その素材の構造に対して、めざましい洞察が開かれるからである と述べている。事実、ベンヤミンは、ここで、 「塔」第二稿と最終稿とを比較 してみることによって、内容の変更をもたらした洞察がどのようなものであっ たかを明らかにしようとしている。ベンヤミンは「塔」最終稿では、 「キリス ト教的哀悼劇の意味での殉教者の純粋な特徴が、ますますはっきりと造形化を 要求し、それとともに、夢のモチーフが後退し、ジギスムントをめぐるアウラ がますます明るくなった」と、最終稿の特色を性格づけている。
ベンヤミンはさしあたりこの特色を、言語の面と筋の変化の面から取りあげ て、両稿を比較している。夢二稿でホーフマンスクールが苦斗して獲得した言 葉の美しさと大胆さは、音声が嘆きに他ならないということであった。ジギス ムントは人里離れた牢獄に生まれるとすぐ幽閉されるのであるから、雄弁が拒 否されるのは当然であるが、それにしても「塔」第二稿と最終稿でのジギスム ントの言葉はかなり変化している。第二稿ではジギスムントの動物人間的言葉 は、いよいよ暗欝に、地界的に、脅迫的な言葉に変っていった。これに対して 最終稿では王子、ジギスムントがときおり沈黙をぬって語る言葉は、 「自然に
キリスト教的な魂」の飾りのない言葉である。
次に内容的な面からみると、 「塔」は最終稿において、第三幕の終りの部分
‑ジギスムントが宮廷で父親に乱暴をはたらいたかどで、処分されるシーン‑
から第二稿とは異なった方向をとっている。
ベンヤミンはその変化を、政治的行動が強調されるためと説明している。そ してその展開を賞讃している。たしかに最終稿における四幕以降の政治的対決 の描写は迫力に富んでいる。ベンヤミンは最終稿における劇の展開を政治的要 素と終末論的要素が浸透し合い、この両者の対抗関係のなかで、ホーフマンス タールがあらゆる革命における永遠なものを捉えたのだと解釈している。いづ れにしてもこのことによって「雰囲気としては17世紀」に類似した背景におい て演じられる「塔」の事件の経過が保証されているのである。
さてジギスムントは、第二稿では子供の王によってその使命がひきつがれ
「中間王」と命名されたが、最終稿では、暴徒オリヴィ工によって暗殺され、
暗黒の世界がとり残されたままに終る。ベンヤミンは、主人公ジギスムントが 軍隊や諸侯の統卒者としてではなく、成熟した人間として、旅人として死ぬ
ことに読者の注意を換起している。彼は、ジギスムントが死にぎわにロにする
「希望することはないほどわたしは快よいのだ」というせりふをハムレットの
せりふ「用意されてあることが一切なのだ、人間は自分が何から去ってゆく
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のか知らないのだから、早すぎた別れをすることに何ほどのことがあるだろ う」に関連させている。そしてシェクスピア以前の血まみれの運命劇が、 「‑
ムレット」に基礎づけられたキリスト教的な哀悼の世界に変化してゆく過程 を、ホーフマンスタールが第三稿から最終稿まで辿った過程にも認められると 主張している。この書評を終るにあたって、ベンヤミンは、本来なら数十年を 要する転化の内的必然性を、第二稿から最終稿までのわずか数年の問に現実化 したホ‑フマンスタールの詩人としての偉大さを、大いに賞揚しているのであ る。
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