貨 幣 の 分 析 に つ い て の 一 考 察
阪 口 伸 六 郎
轟
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八 七 六 五 四 三 ニ ー
はしがき
貨幣観と数量読
貨幣環境と干渉
リァレ●タームノ実物分析・貨幣分析
投費貯蓄論雫胤子論孚
むす︑び ◎ }
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.一はしがき
貨幣の問題は︑経濟学においては最も古い問題に属するものの一つである︒然しながら︑最も古い問題ではあるが
39常に新しい問題ででもある︒ということは︑近代経濟.単をそれまでの経濟学とわかつ基本的なポイントが︑貨幣の問3
〜貨幣の分析についての一考察
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商塁討究第四巷第三號
題にあるといわれているからである︒從來﹁貨幣は商品の影の如きにすぎない﹂と考えられてきた︒﹁貨幣はヴェー
ルなりや﹂といつたような問題がそれであつて︑われわれがこの問題について被覆なりや否やの何れを採るかに從つ
て︑経濟理論の構成も著しく異つたものと取扱われたからである︒
この問題は軍なる貨幣観をめぐる論孚以上に︑新たなる意義を包藏するものとして認められ論義せられるに至つて
いるからである︒﹁貨幣ヴェール観よりの晩出﹂ということは︑すなわち﹁貨幣・利子・資本を別々の領域において
考えては︑けない﹂ということを意味するものであつて︑﹁貨幣.利子.資本は願わくば常に同一の局面において考
察されねばならない﹂ということである︒今日樹も貨幣理論と経濟理論の綜合続一が再検討され︑エリスをして近時
の経濟理論の動向を﹁貨幣の再費見﹂と稻せしめたことも宜なる哉︑と私には思えるのである︒とにかくヶインズの
一般理論出でて既に十七年猫も貨幣の再三稜見がなされねばならないのである︒私は昭和二十七年六月金融学会にお
いて貨幣観について報告をしたので︑(勿論思付の未熟な謬見にすがなかつたのであるが)其の時の要旨を記して議
論のいとぐちと致したいのである︒
﹁貨幣はヴェールなりや否や﹂という問題について︑貨幣的世界が實物的世界π及ぼす干渉作用を嘲
貨幣観との關係より考察する立場が0るが︑私はその立場を一歩進めて︑干渉作用のもつ効果關連の局
面をも併せて考察し︑補完關係と代替關係とを︑それぞれ景氣攣動の段階に從つて交互に活躍せしめる
ことによつて︑貨幣・利子・資本の三つの理論を同一の局面において統一的に把握するが如き一つの序
読的な試論を試みる次第である︒從つて貨幣的動態理論の傾向よりかんがみ︑ハイエクとケインズの理
論を探りあげ︑中立貨幣の立場に就いてはリヵアド効果並びにルンドベリイ効果を重要硯し︑ケインズ的
立場よりケインズ効果とビグー効果の二つの貨幣的効果を検討し︑實物的効果と貨幣的効果とを併せて
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考えて︑所得分析・償格分析・資本分析の相交錯する場面を見出さんとした︒ことに最近のヶインジァン'
が﹁儂格分析より所得分析へ﹂の方向に向つているが︑私は反樹に﹁所得分析より償格分析へ﹂の方向
を辿るべきではなかろうかとの見解を持つに至つた︒それ故にこそ︑景氣攣動論の中に効果關連を導入
して資本理論と貨幣理論との綜合を志すものである︒
以ヒが報告の大要であるが︑本稿において私は先す最初に﹁そもそもケインズは一般理論において︑貨幣的現象の
孫析とリァルな経濟現象の分析との何れにアクセ︒︑トを強くおいているか﹂を問題の出嚢点としたいと思う︒と
いうのはごく最近の理論の動きをみると︑近代経濟学の理論と從來の理論との匠別を貨幣に求めて﹁貨幣ヴェール観
ロよりの脆出﹂というメルクマールを掲げているが︑果してそれでよいかどうかいささか疑問になつてきたからであ
る︒.
現實の貨幣は︑第一吹大載・一九二九年の大恐慌・第二次大職と移るにつれて貨幣そのものは随分韓攣を受けたの
であるが︑他方理論の貨幣にあつては︑貨幣理論が最も盛んだつたのは︑景氣循環論や景氣攣動論において璽あつ
た︒(たとえばハイエク等の貨幣的景氣理論をみよ)
ウところがその後ヶイ.ズ以後の景氣循環論においては︑景氣攣動は貨幣的現象ではないとされ︑その循環はリァル
なサイクルであつて(リ︒ル・アウトプ︒ト・ダイナミクスともいうべきもので)︑景氣循環の波の分析においては︑
リァル・タームに還元されたり.ルな維濟の中にその攣動や循猿の要因を求められるに至つた︒それ故に輩に貨幣を
考慮するだけでは到底景氣攣動の眞實の設明にはなり得なくなり︑物償攣動や貨幣量及び利子率の攣動は第二次的娑
因にしか顧りみられざるに至つてしまつた︒そこで私は現下のヶインズ理論解繹をめぐつて︑﹁貨幣の効果如何﹂.とい
う問題と﹁ケインズ理論の本質ははたして債格分析のみで捉え得るや﹂という問題を再吟味したいと思う︒
貨幣の分析についての一考察
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商學討究第四巻第三號
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= 貨 幣 観 と 歎 量 説
R・S・エリス編サーヴェイにおいて︑ヘンーー1・E・ヴィラードが﹁貨幣理論を廣義に用いることは︑それを景氣
攣動論との同義語となすばかりでなく︑主として貨幣量に影響する諸要素を取扱つている著作をきり離して読明する
ことを不可能ならしめるであろう︒換言すれば︑諸分野間の重複を最も少くするような方法で︑貨幣理論を財政理論
及び景氣循環理論から分離するのが好ましいと思われる﹂と言つているが︑斯くの如き立場からすれば︑﹁ヶインズ
経濟学の精髄は貨幣分析にあるか實物分析にあるか﹂ということが問われべきを意味するものと考らる︒
﹁貯蓄と投資による所得決定の理論﹂がヶインズ経濟学の精髄と解繹すれば︑ヶインズ経濟学の本質はリァルの理
論ともみられうるが︑これに野して︑﹁ケイ.ズ経濟学の基本は資本室義経濟に置かれており︑資本主義経濟はなる
ほどリァル・イ.カムから成立つてはいても︑それは貨幣の上にできあがつている﹂とみれば︑﹁流動性選好理論をめ
ぐる貨幣的要因に關する理論﹂こそが︑ヶイ.ズ理論全艦の中心と考えられ︑ヶイ︒ズ理論は貨幣的分析であるという
ことになる︒冒.
ケイ︒ズ艦系の中心理論は何であるか︒彼の禮系に從えぱ︑いま貨幣敏量が増大するとすれば(他の事情に攣化のな
いかぎり)利子率は低下するはすである︒そのためには︑大衆の流動性選好率の上昇程度が︑貨幣敏量の増大程度に
及ぱないことが必要である︒莉子率の低落はβ他の事情に攣化のないかぎり)投資の量を増大させるはすであるが︑
そのためには資本の限界効率の低下が利子率低下の程度に及ばないことを必要とする︒投資量の増大は(他の事情に
攣化のないかぎり)雇傭量を増加させるはすであるが︑そのためには消費性向の減退しないことが必要である︒履傭
の増加,すなわち所得の乗数的膨脹は物便を縢貴させる傾向をもつに至るも︑その縢貴の程度は︑生産の供給と賃金
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の高さに依存する︒以上の如く彼の艦系にあつては︑貨幣敏量・利子率・投資・浩費・所得・雇傭︒物慣という諸量は
相互に依存的な函敏的な關係において把握されていて︑そこにおける注目すべき理論構成は︑貨幣ヴェール観の脱出
ということであり︑それが貨幣敏量読の批判を通じてなされていることである︒
そもそも貨幣ヴェール観とは︑周知の如く﹁貨幣はヴェールであつて︑経濟諸力の動きはその背後に隠されている﹂
と考えられ︑貨幣は生産物の交換流通を圓滑ならしめる媒介手段に過ぎず︑貨幣の多寡は軍に物債の高低を左右する
にとどまるものと考えているものである︒それだから貨幣ヴェール観は︑﹁償値及び分配﹂の理論と﹁貨幣及び物慣﹂の
理論とは分つて考えられている所謂二分法の立場に立つものであるが︑﹁慣値及び分配﹂の理論では︑相封債格の攣動を
通じてすべての財の需給が均等化するとされて︑そこにおいては︑貨幣は全く捨象されているのである︒﹁貨幣及び
物慣﹂の理論では,貨幣敏量読が展開されているに渦ぎない︒しかもその上に︻供給はそれ自らの需要を創造するhと
いう販路法則が基底とされている關係上︑完全雇傭の前提を含むものと想定されているのである︒
これに反して︑ヴェールを腕したヶイ︒ズ理論にあつては︑貨幣量の増大と物償上昇との間に措定された軍純な比
例關係はもはや否定されてしまつている︒(フィシャアは景氣憂動過程における攣則的現象を排除して︑交換方程式の
・究極安當性を主張したのに封し︑ケイ・ズはその立場に反封を唱之た)ケインズは取引貨幣Mの物償水準ど取引量へ
の依存性を承認する︒生産要素の償格の下落は︑貨幣敏量不攣︑從つて物償水準不攣の下における生産費の低下を來
すが故に生塵活動を刺戟することになると考える敏量読的見解は否認される反面において︑勢賃低下︑償格下落︑
っ皿の減少・皿の増大︑利子率下落︑投資増大という過程を維て所得と雇傭の攣動が行われると強調する(季刊﹁理論経
濟学﹂第一巻第四號三二八頁)︒ここに至つてフィシャァ式の客観的機械的な形態は完全に晩皮されて主艦的動機的な形
態がヶイ.ズ式となつて出現し交換方程式は数量方程式に置換されることになつた︒︑かくしてケインズは﹁貨幣論﹂
●貨幣の分析についての一考察