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民事詐欺の違法性 と責任 ( 3)

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(1)

怪 三

亘 ;

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̲̲‑」

[41]

民事詐欺の違法性 と責任 ( 3)

本 尚 繕

目 次

序論

第 1節 本稿 の課題 2 本稿 の構 成

1 ドイツ法

1

詐欺 の前史

1 ローマ法 と自然法 2 19世紀 の詐欺論

1 款

ドイツ民法典の成立前期 1 自然法学説 と歴史法学派

2

経済眉 由主義の影響

2款

ドイツ民法典の成立過程

第 1項 詐欺取消規定の立法過程

2

不法行為規定の立法過程

( 以上

、63

3号)

( 以上

、634

号)

( 以上、本号)

2

詐欺 の違法性 と責任

l第 1節 転 回す る 自由意思の要保護性

2 保護の範囲 と限界

2 日本法

1

民事詐欺論 の展 開

1 日本民法 と自然法

第 2

意思決定 自由の要保護性

第 2

民事詐欺の違法性 と責任

1

比較法の帰結 の考察 一裁判例 を素材 として 一

第 2

民事詐欺 の違法性 と責任

結論

北法63( 5・ 2 8 4) 1 5 8 4

(2)

民事詐欺 の違法性 と責任 (3)

2

19

世紀 の詐欺 論

第 領款 ドイツ民法典 の成 立前期 第

1

項 自然 法学 説 と歴 史法学派

り 自然法 学 説 の衰 退

① その背景

ローマ法 にお け る

dolus

は欺 同者 の行為 態様 に着 目 してい たのであ る が 、 しか しキ リス ト教 思想 か ら展 開 され た 自由意思論 が法 的概 念 として 自然法学説‑ 受 け継 がれ

199

、 その成果 と して プロイセ ン一般 ラ ン ト法 に お け る民事 詐欺 は被欺 同者 の 自由意思 を害す る行為 と して理解 された。

‑後 述 す る よ うに、 ドイツ民法

123

条 1項 の詐 欺取 消 制 度 の 目的 も意思 決 定 自由の保 護 と して理解 され てい る

それ ゆえ、 プ ロイセ ン一般 ラ ン ト 法 にお け る詐欺解釈 が

19

世紀 を支配 し続 けてい た な ら、 この解釈 と現行

ドイツ民法 典 の関連 は明快 であ る

ところが、以下 の事 情 か ら、 自然演 学 説 は次 第 に衰 退 し、 この こ とに よ っ て詐 欺 解 釈 は再 び ロ ー マ 法 の

dolus

へ 近 づ い た。 そ こで、 まず 自然法 学説 が 衰 退 した背 景 につ い て簡 単 に確認 す る

フラ ンス革命 を通 じて軍事力 を増 した フラ ンス に対 して、他 の小 さな ドイ ツ諸 国家 は フ ラ ンス と同盟 を結 ぶ こ とに よって存 立 の可 能性 を求 め、 い わゆ る ライ ン同盟が

1806

7

月 に締結 され た

2

0 0 。 この 同盟 に よっ

199

自然法学説 の影響 は刑法学 において も見 られ、例 えば フォイエルバ ッハ

(paulJohannAnselm voaFeuerbach,17751833)

は詐欺 を真実性 に対する権 利の侵害 として理解 した

(PaulJohannAnselm voaFeuerbach,Lehrbuchdes gemeineninDeutschlandgeltendenPeinlichenRechts,180日Neudruck1996),

S.1213u.359)

フォイエルバ ッハの見解は

19

世紀 における刑事詐欺解釈学の 出発点であった

(MichaelPawlik,unerlaubteVerhaltenbeim Betrug,1999,S.

115)

詐欺 を真実 に対する権利 の侵害 として捉 える解釈 は

ConradCucumus,

UeberdasVerbrechendesBetrugs,1820,S.3u.70

において も見出された。

200

ランケ ( 村岡哲 訳)「 列強論」林健太郎 ( 編)『 世界の名著 続

11

(1974

年)

70

頁以下、ハ フナ‑ 。前掲注

146・144145

頁お よび

151

頁、 フルブロック ・前 掲注

60・144

頁、ハル トウング ・前掲注

112・228

頁、ゲルハル ト シュック ( 屋 敷二郎 訳)「ライン同盟規約 と近代 ドイツ立憲主義の端緒

一橋法学 3 巻 2 号

北法

63(5・283)1583 [42]

(3)

て、例 え ばバ ー デ ンにお い て は、 フ ラ ンス民 法 と若 干 の補 充条 項 を加 え た法 典 が バ ー デ ン地 方 法 と して成 立 し、 これ は1900年 まで効 力 を有 し 201。プ ロイ セ ンは1806年 に フラ ンス と戦 争 を開始 し202、これ に敗 れ た も の の 、 この敗 戦 は プロ イセ ンにお け る改 革 の契 機 を与 え203、 い わ ゆ る解 汲 戟 争 (1813年 か ら1814年 ) に お い て プ ロ イ セ ン は フ ラ ンス 軍 を破 204、これ に よって ドイ ツ資本 主 義経 済 が 発 展 す る条 件 も整 え られ た205。

問 題 は法 典 の 整 備 で あ り、 ドイ ツ解 放 を契 機 と して テ イボ ー (Anton

(2004年)489頁 を参照。

201「ナポ レオ ン法典が、 プロイセ ン一般 ラ ン ト法典 (ALR)と同様、市民 的 な 自由 と平 等 にのみ関す るか どうか は、 問題 で あ

り、 さ らに 「ライ ン同 盟 時代 の ナ ポ レオ ン法典 の継受 の試 み は、 その多 くが挫 折 した けれ ど も、

そ の後 の ドイ ツの 自由主義 の発 展 に貢献 した

とい う評価 も見 られ る ( 十嵐 清 「ドイ ツにお け るナ ポ レオ ン法 典 の推 受 ‑Fehrenbacb,Traditionale Gesellschaftundrevolution畠resRecht;dieEinftihrungdesCodeNapoleonin denRheinbundstaaten,G5ttingen,1974の紹介‑」北 大法学論集293 .4 併号 (1979年)798J799頁お よび809)この間の経緯 が ドイツ史の全体 的評 価 に与 える影響 について は本稿 において検討 し得 ない ものの、現行 ドイツ民 法典 における総則編の部分草案の担 当者 たるゲ‑プハル トがバーデ ン出身者 で

あった点は、詐欺取消制度の理解 において重要である。 この点は後述する

202プロイセ ンが開戦‑踏み切 った理 由は、必ず しも明確 ではない。 この点 に ついて、 フルブロック ・前掲注60・152頁 を参照

203フルブロ ック ・前掲注60・144頁 を参照。例 えば、世襲華 氏制の廃止、土地 売買 と職業選択 に対す る拘束の廃止、あるいは一般兵役義務 の導入な ど (ハル

トウング ・前掲注112・340344頁)。

204「プロイセ ン的 一国民 ドイツ的パ ースペ クテ ィブに支配 された第‑の時期 に 特徴 的であるのは、 ライン同盟 とプロイセ ンの対照であ り、プロイセ ンは、一 八〇六年の対 ナポ レオン敗戦以後、改革 によって再 び強力 とな り、反ナポ レオ ン運動の中心 となって、一八一三年 一一四年 の解放戦争 におけるナポ レオ ンの 没落 を もた らした とされる」(ゲルハル ト シュ ック (権左武志 ・遠藤泰弘 訳)「ラ イ ン同盟の改革 と一八

〇年前後の連続性 問題」北大法学論集555 (2005 午)2029)

205フルブロ ック ・前掲注60・147‑149頁 を参照。 プロイセ ンの復興 ・躍進 は、

プロイセ ン一般 ラ ン ト法 と現行 ドイツ民法典 の関係 において重要 な意味 を持 この点 は後述す る。

[43]

北法

63(5・282)1582

(4)

民事詐欺の違法性 と責任 (3)

FriedrichJustusThibaut,17701840)

は全 ドイツに適用 され る法典 の制 定 を主 張 した の で あ るが、 しか しサ ヴ イニ ー

(FriedrichCarlvon Savigny,17791861)

はテ イボーの法典統一論 に反対 し、 さ らに 自然法

に も反発 した。サ ヴイニーの理解 によれば、 自然法 は、法 に とって欠 く べ か らざる民族 の特性 を理性 に基づいて削 ぎ落 し、結果 として民族か ら 精神生活の最良部分 を奪 うか らである

206

、とい う。そ して、サ ヴイニーは、

制定法的拘束力 を受 けない ローマ法学 に 目を向け、 自然法学 の結晶たる プロイセ ン一般 ラン ト法 に も攻撃 を加 えたのであった

207。

サ ヴイニーの歴史法学派の影響 は周知であろ う

歴史法学派の登場 に よって、 プロイセ ン一般 ラ ン ト法 における私法分野の学 問的発展 は停滞 し

208

、 プロイセ ン一般 ラン ト法 の成立か ら閏 もな くして、 ドイツにおけ る 自然法時代 は終寓 を迎 えた

209。

そ して、 この ことは詐欺解釈 に も影響 を及 ぼ したのである

( 彰詐欺 と自由意思の轟離

当時の詐欺 の解釈論 において も、 ローマ法 に近い理解が見 られ る

例 え ば、 ダベ ロ フ

(ChristophChristianDabelow,17681830)21

0 は意 思 の

206FriedrichCarlvonSavigny,Vom BerufunsrerZeitftirGesetzgebungund Rechtswissenschaft,1814,S.ll13i,u.115117.

207

ヴイーアツか 一・前掲注51

・419

頁および

476

頁。

208

ヴイ‑アツカー ・前掲注

51・420

頁。確かにサヴイニーはプロイセン一般ラ ン ト法を講義 していたが、 しかしプロイセン法がパンデクテシ法から逸れてい る点を簡単に紹介 しているに過 ぎず、 実質はローマ私法の講義であった。 サヴイ ニーのプロイセン法講義について、石部雅亮 =野田龍一 「 イェ‑ニゲ ン稿 『 サ ヴイニー ・プロイセン一般ラント法講義

』(1)

法政研究

48

1

(1981

年)

196

頁を参照。

209HermannConrad,in:VortrgedberRechtundStaatvonCarlGottlieb Svarez(17461798),1960,hgg.voaHermannConradundGerdKleinheyer,S.

XIX.

210

ダベロフは、ネッテルブラッ ト

(DanielNettelbladt,17191791)

の弟子で

あ り、ネッテルブラットはヴオルフの弟子であった ( ヴイーアッカー ・前掲注

51

・394

頁以下)

ネッテルブラッ トについて、「 法律行為の概念 は、中世の一

方的約束

(promissio)

にその萌芽をもつ長い歴史的発展の産物であるが、そ

北法

63(5・281)1581 [44]

(5)

自由 を法律 行為 の第一 条 件 と して理解 せ ず 、 さ らに詐欺 の存否 を判 断す る基 準 と して、錯 誤 が他 人 に よって惹起 され たか否 か、 か か る惹起 が意 図 的 に行 われ たか否 か 、 その際 に利 得 す る 目的 また は加 害 の 目的が存 す るか否 か、 を重視 する211。 す なわ ち、 ダベ ロ フの詐 欺 論 に よれ ば、 プ ロ イセ ン一 般 ラ ン ト法 の理解 と異 な り、被 欺 同者 の意 思 自由 に対 す る侵 害 とい う観 点 は詐欺 解釈 の要 素 と して取 り入 れ られず 、 む しろ解釈 の基 点 は欺 同者 で あ って212、 この意 味 にお い て ローマ法 にお け るdolusの解釈 へ接 近 してい るの で あ る213

れが確立 したのは、ネ ッテルブラッ トあた りであると考 えて間違いなかろう之 思 う」 (浜上則雄 「法律行為論の 『ローマ ・ゲルマ ン法系

的性

格 」

阪大法学 65

(1968

年)

19頁)0

211christophChristianDabelow,HandbuchdesPandecten‑Rechts,2.Te

l l ,

1817,S.22u.25.

212このことは、本人 も指摘 している。Dabelow,a.a.0.(Fn.211),S.25.

213自由意思 を法の基盤 ない し出発点 として認めるヘーゲル (GeorgWilhelm FriedrichHegel,17701831) も自由意思 と詐欺 を結 び付 けているわけではない (GeorgWilhelm FriedrichHegel,GrundlinienderPhilosophicdesRechtsoder NaturrechtundStaatswissenschaftim Grundrisse,1821(Neudruck1970),§4 u.§99Zusatz(ここで、ヘーゲルは、 自由意思 を否定するフォイエルバ ッハの 見解 を批判 している)。 なお、同書の邦訳 として、例 えばヘーゲル (藤野渉 ・ 赤滞正敏 訳)「法の哲学」岩崎武雄 (編)『世界の名著 35ヘーゲル』が存在する

以下では、同邦訳書 を引用す る)。む しろヘーゲルによれば詐欺 は犯意 な き不 (unbefangenesUnrecht)と犯罪 (Verbrechen)の中間 に位 置す る独 立 し た不法類型であ り、 しか もヘーゲルの理解 によれば犯意なき不法は刑罰 を生ぜ

しめないが、しか し詐欺 は刑罰を生ぜ しめ(ヘーゲル・掲・289頁お よび292頁)、

む しろ詐欺 と犯 罪は犯意ある不法 (begangnenUnrecht)として間置 させ るこ とも可能であって、つ ま り詐欺 は犯意 な き不法 よ りも犯罪 に近 い。 この点 に ついて、RudolphvonJhering,Schuldmomentim ramischenPrivatrecht,1867,

S.5nitFui5n.1を参 照。 さ らに、AlexanderLafaer,UnrechtundNotwehr,

ZStW 21(1901),S.545.;賃ansAlbrechtFischer,DieRechtswidrigkeitnit besondererBerticksichtigungdesPrivatrechts,1911(Neudruck1966),S.120

参照。

その後、ヘーゲルの詐欺解釈 は支持 されていない。例 えば、 イェ‑ リングの 評価 によれば、ヘーゲルの理解 は不法行為の一種 である詐欺 を強引 に類概念

[45]

北法

63(5・280)1580

(6)

民事詐欺の違法性 と責任 (3)

自然法学説 の衰退 は刑 法学 において も見 られ た。権利 を重視 す る哲学 的形式 の命題 は必ず しも実定法 と一致せ ず、 この こ とが実務 に弊害 と混 乱 を引 き起 こ し、批 判 され始 め たの で あ る

214。

例 え ば、 ビル ンバ オ ム

(JohannMichaelFranzBirnbaum,1792‑1877)

は権利侵 害 に代 えて、財 の侵 害 とい う観 点か ら犯 罪 を捉 え るべ き旨 を説 き

215

、 これ を詐欺 罪 に も 妥 当 させ てい る

216。

本稿 が注 目す る点 は、 ビル ンバ オムが刑事詐欺 と対 比 され た民事 詐欺 と して

actiodoli

( の み) を挙 げ てい る点 で あ る

ビ ル ンバ オム に よれば、詐欺 は策略 的挙 動 に よって他 人 に不利益 を与 える こ とを意味 し、これ に相 当す る概念 が ローマ法 の

dolusmalus

であ って、

へ押 し込める内容であ り、法律家 にとって理解 し難い区分であった、 とい う

(Jhering,a.a.0 .

)

ただ し、ヘーゲルの犯意なき不法は後にイェ‑リングによっ て提唱される客観的違法論の基礎であ り、客観的違法論 と詐欺論の関係につい ては後述する

214RichardLoening

,

UbergeschichtlicheundungeschichtlicheBehandlungdes deutschenStrafrechts,ZStW 3(1883),S.330.

内藤謙 「 刑法 における法益概念の 歴史的展開 (

1)

」東京都立大学法学会雑誌

6

2

(1966年)241

頁 も参照。

215J.M.F.Birnbaum,UeberdasErfordernii5einerRechtsverletzungzum BegriffedesVerbrechens,mitbesondererRdcksichtaufdenBegriffder Ehrenkrnkung,ArchivdesCriminalrechts,N.F.1834,S.150u.172176.

ビルン バオムの主張は、現在 に至る法益論に影響 を与 え、刑法学史において重要な位 置 を占める

この点について、内藤 ・前掲注

214・242

頁以下、杉藤忠士 「 刑法 における実質的法益概念 とその機能 ‑とくにフォイエルバ ッハか らビンディン グまで

‑」

青 山法学論集

133 (1971年)161

頁以下、伊東研祐 『 法益概念 史研究

(1984年)29

頁以下 を参照。 もっとも、確かに法益論 は権利侵害説 に 対する批判 として登場 したのであるが、 しか し後の理解 によれば法益 は権利 も 包摂するのであって、結局は権利侵害が法益侵害 を意味 し、これによって違法 性 を基礎づける理解‑連なる。 これは ドイツ民法典の起草過程においても重要 であ り、 この点は後述する。

216J.M.F.Birnbaum,BeitragzurLehrevonFalschungundBetrug,

i

nsbesonderedberdiesogenannteVerletzungdesRechtsaufWahrheitals Hauptmerkmal dcrFえ1schung,ArchivdesCriminalrechts,N.F.1834,S.527 536.

北法

63(5・279)1579 [46]

(7)

さ らに

actiodoli

crimensteliinatus217

は類似 す る成立要件 を備 える

218

、 とい う

219。

こめ ように、当時の学説が 自然法学 的詐欺解釈 か ら離反 してい る様チ が窺 われ る

この点 について、 さ らに以下 で も確 認す る

( 2) 歴 史法学派 の台頭 ( Dサ ヴ ィニーの詐欺論

自然法学説 の衰退 に伴 い、民事詐欺 の解釈 は 自由意思 か ら離 れ、 ロー マ法 の理解 に近づいた。 この こ と自体 がサ ヴイニーの歴 史法学 の直接 の 影響 であ るか否か、 は必ず しも明確 で はないと しか し、 ローマ法 に依拠 した民事 詐欺 に関す る最 も重要 な論者 は、や は りサ ヴイニーであ ろ う

そ こで、サ ヴイニーの詐欺論 を概観 す る

217stellionatus

はローマ法における刑事詐欺 を意味する

この点について、前 掲注

29

お よび

Birnbaum,a.a.0.(Fn.216),S,552

も参照。

218Birnbaum,a.a.0.(Fn.216),S.550551f.

219

こうした理解 はビルンバオムのみではない。例 えばガイプ

(GustavGei

b,

18081864)

は、権利侵害説に対するビル ンバオムの批判 を基本的に支持 し、

さらに民事詐欺 と刑事詐欺 の画定基準 として、例 えば損害の程度 を挙 げ、

軽微 な損害 は民事法上の請求権

(ctiodedolo)

を基礎づけ得るが、 しか し 刑法の適用 を受ける詐欺は一定程度以上の損害が必要であって、その程度は 民族 的見解

(Volksansicht)

によって判 断 さj tる旨を説 く

(Geib,a.a.0.(Fn.

29),S.111133

i当時の実務 も詐欺罪を肯定する前提 として損害の発生 を要求 していたようである

この点について

、Gtinther,Betrug,aus:JuliusWeiske,

RechtslexikonfdrJuristenal1erteutschenStaaten,Bd.2(1840),S.91

を参照) 。 ガイブもビルンバオムと同様に、民事詐欺 としてローマ法の

actiodo

l iを挙げ るのみである

ガイブの見解 においては、民族的見解 という用語が多用 されている点 も注 目される

ガイブによれば、「 全ては常 に変転 し、民族か ら生 まれ、民族の内 に生 きる見解に左右 される」 、 という

(Geib,a.a

. 0.

(Fn.29),S.123)

ガイブの 理解がサヴイニーの歴史法学派 と如何なる関係に立つか、 という点は必ず しも 明確ではない。 しか し、サヴイニーの歴史法学派が当時の刑事法の領域に対 し て も影響 を及ぼ していたことは指摘 されている

この点に関 して

、PeterSina,

DieDogmengeschichtedesstrafrechtlichenBegri茸S"Rechtsgut",1962,S.14

お よび内藤 ・前掲注

214・239

頁の注

8

も参照。

[47]

北法

63(5・278)1578

(8)

民事詐欺の違法性 と責任 (3)

確 かにサ ヴイニーは自然法学説 を退 けたが、 しか し自由意思の意義 を 完全 に否定 しているわけではな く、 自由意思が法律 関係 において活動 し 得 る余地 を認める

220

。ただ し、サ ヴイニーは、自由意思の作用 よ りも、ロー マ法 の原理 を重視する

す なわち、サ ヴイニーによれば、例 えば錯誤 を 理 由 とす る意思表示が全 て無効 であるな らば、詐欺 に基づ く契約 も無効 になるはずであるが、 しか し特定のローマ法源 を見 る限 り、錯誤 に基づ く意思 は意思 として作用 してお らず、その証拠が

dolus

の理論 であって、

ローマ法 は詐欺 に関 しては錯誤の詐欺 による発生 に注 目しているのでめ り、それゆえローマ法 においては詐欺 それ 自体が法律 関係 の単独 の発坐 原因であって、したがって詐欺 は意思表示 の有効性 に何 ら影響 を与 えず、

む しろ詐欺 に見出される反良俗性

(Unsittlichkeit)が実定法的反作用 を

生み出 し、これが不法

(Unrecht)

として認識 される

221

、とい う

そ して、

サ ヴイニーによれば、詐欺 の要件 として、相手方の不利益‑向け られた 悪 しき意図

(baseAbsicht)が存在 しなければな らない 222

、 とい うので ある

以上の如 く、サ ヴイニーは欺 同者の違法性 を重視す る

223

サ ヴイニー が被欺同者の 自由意思 を重視 しない理 由は、 まず は彼が ローマ法 に基づ い て欺 同者 の違法性 を重視 す る反射 的帰結 であろ うが、 しか しサ ヴイ

220例 えば、FriedrichKarlYonSavigny,System desheutigenRbmischenRechts,

1.Bd.,1840,S.57.

なお、同書の邦訳 としてサヴイニー ( 小橋一郎 訳)『 現代ロー マ法体系 第

1』(1993

年)が存在する

以下では、同邦訳書を引用する。

221FriedrichKarlYonSavigny,System desheutigenRamischenRechts,3. Bd.,1840,S.115fE.,340ff.u.358mitFuan.(a).

なお、同書の邦訳 としてサヴイ

ニー( 小橋一郎 訳

)

『 現代ローマ法体系 第

3

巻 』

(1998

年) が存在する。以下では、

同邦訳書を引用する

222

サヴイ二一 ・前掲注

221・110頁 。

22

3この点について

、Sprenger,a.a.0.(Fn.64),S.385386

を参照。サヴイニーは 強迫に関しても、詐欺 と同様の理解を示す。すなわち、「 法的保護の根拠は、

畏怖する者の意思自由の欠落ではなく、強迫者の違法な反良俗性に置かれなけ ればならない」( サヴイ二一 ・前掲注

221・94

頁および

103頁)

北法 63( 5・ 2 7 7)1 5 7 7

[48]

(9)

ニ ーの表示 主 義

224

も無 関係 で はないで あ ろ う

225。

224

サ ヴイニーは表示主義者 であるか、 とい う点 は争われている (この点 につ いて、例 えば新井誠 「 サヴイニーの意思表示、法律行為概念 一特 に心裡留保 を め ぐって

‑」

民商法雑誌

96

巻 5号

(1987

年)

637

頁以下 を参照)

「 意思表示 に 関するサヴイニーの理論 において表示が独 自の意義 を持つのは心裡留保 だけで ある」 とい う指摘 も見 られる ( 新井 ・前掲

・650

頁)

ところが、サ ヴイニーの 理解 によれば、例 えば強迫 は自由意思 を害 さず、被強迫者 にも三種の選択の自 由が未だ残 され、すなわち第一は強迫者が欲する行為 を為す 自由、第二は強迫 に抵抗する自由、第三は強迫 された害悪 を被 る自由であ り、例 えば第‑ を選択 した被強迫者の意思表和 声現実に存在 しているのであって、 これに対 しては当 該意思表示の効力 を肯定 し、その法的効果 を認めて良い、 とい うのである ( サ ヴイニー 。前掲注

221・96

頁) 。 しか し、少 な くとも現代の法体系の理解 によれ ば、サ ヴイニーが言 う被強迫者の意思は自由な意思ではな く、む しろ内心の意 思 と表示 された意思の間に敵瀞が生 じている心裡留保 に近い状態である

(

「 詐 欺 は、表意者 は、 自己のな した意思表示が本来な らなされなかった ものである

ことを表意者が 自覚 していなかった点では、錯誤 と共通であ り、強迫は、表意 者 にこの点の 自覚がある点では、心裡留保 ない し虚偽表示 に近い

」 (鈴木禄弥

『 民法総則講義 ( 改訂版 )

』(1990

年)

147

))。

そ もそ も、サ ヴイニーによれば 個人の意思 よりも各個人の意思か ら成 る総意が重要であって、すなわちサヴイ ニーによれば法 は共通の民族精神 を意味する総意において存在 し、確かに総意 は各個人の意思ではあるが、 しか し個人の意思が総意 に反するならば、 これは 不法

(Unrecht)

であって、ゆえに個人的 自由は総意 によって拘束 され、総意 に没する、 とい う ( サ ヴイ二一・ 前掲注

220・49

頁)

。つ ま り、サ ヴイニーにとっ

て認識可能 な外界 において発露 した意思が重要 であって、その意思 は心理 的 出来事ではないのである

(WernerFlume,AllgemeinerTeildesbtirgerlichen Rechts,2.Bd.,DasRechtsgesch

a f

t,3.Aua,1979,S.50

を参照)

。要するに、「

ヴイニーは、カン トとは異 なる基礎 にもとづいて、 自由意思の概念 に規範的意 義 を確保 している

」(

筏浄安恕「ドイツ近代私法学 における三つの 自由意思概念

法政論集

20

1 号

(2004

年)

145

頁) 。

以上の点か ら、サ ヴイニーの立場 は、意思主義 よりも、表示主義に近い よう に思われる

そ して、 このことが、サ ヴイニーの詐欺論 において被欺同者の意 思決定 自由が必ず しも重視 されない理由の一端 を成 しているように思われるの である

225

サヴイニーの理解か らは、 主知主義の傾向 も見出される。この ことも、 サ ヴイ

ニーが被欺同者の 自由意思 を重視せず、む しろ欺同者の態度 を重視する一理由

を成 しているように思 われる

意思 より知性 ・理性の優位 を説 く主知主義 と意

[49]

北法

63(5・276)1576

(10)

民事詐欺 の違法性 と責任 (3)

②詐欺 と主観的違法性

恩の優位 を説 く主意主義の関係 について、前述 (本誌63

4

2ト22頁)を参照。

確 か にサ ヴ イニー は、権利 の発生 ・消滅 の理 由に関係す る法律 事 実 の最 も 重 要 な部類 と して、行為 の 自由 とい う概 念 を指摘 す る (サ ヴ イニー ・前掲注

221・22)既 に確認 した ように、例 えばプ‑ フェ ン ドルフの理解 あるい はプ ロイセ ン一般 ラ ン ト法の規定 においては行為 の 自由は 自由意思 と密接 な関係 を 有 したのであるが、 しか しサ ヴイニーが理解す る行為 の 自由においては、理性 の使用 (Vernunftgebrauch)が重要 な意 味 を持 つ (サ ヴ イニー ・前掲注221

23頁お よび79頁)。 さらに、サ ヴイニーによれ ばnaturalisratio(自然 的理性) は、あ らゆる人 間の本性 に内在す る共通の法意識 に見 出 される もの として理解 されている (サ ヴイニー ・前掲注220・115頁お よび358)サ ヴイニーは次の ように述べ る法 の一般 的 な課題 は、 まさに、 キ リス ト教 的人生観 において 現 れる ような、人 間の本性 の道徳的使命 に帰せ られる とい うのは、キ リス ト 教 は、われわれが生活の規則 と認め うるのみな らず、実際 に も世界 を変 えて き たのであ り、 したが って、われわれの思想 はすべ て、 どんなにキ リス ト教 と無 関係 にみ えて も、それ どころかキ リス ト教 に敵対 す る ようにみ えて も、や は り キ リス ト教 が支配 し、浸透 しているか らである」 (サ ヴ イ二一 ・前掲注220・70

頁。 なお、サ ヴ イニーはル ター派 を信奉 す る父 とカル ヴァン派 を信奉 す る母の 間に生 まれ、 さ らに妻 はカ トリックであ り、サ ヴイニー に とって確 か に宗教 は 実生活の規準 であったが、 しか しキ リス ト教思想 にお ける宗派の差異 それ 自体 は重要ではなかった、 と言 われているこの点 について、田中耕太郎 「サ ヴイ ニーに於 ける国際主義 と自然法思想 」神川彦桧 (編)『山冒教授還暦祝賀論文集』

(1930

年)

340頁の注 (3) を参照)。

これ に対 して、既 に確認 した ように、例 えばカ ン トは主意主義の立場 であっ たのであ った (前掲注179)す なわち、「サ ヴ イニ‑ は、いか に も ドイツ的で 形而上学 的な当時の時代思潮 にのっ とりつつ、そ こに新 たな法学の構築 を進 め る とい う極 めて重要 な貢献 を果た してい る それは私法学 と学 問の上 では 自由 を擁護 しなが らも、法の本質、法実務、法哲学 については、 自由主義お よびカ ン ト的 な立場 とは襖 を分 かつ ものであった」 (ヨア ヒム ・リュ ッケル ト (耳野 健 二 ・西川珠代 訳 )「サ ヴイニーの法学 の構 想 とその影響史 一法律 学 ・哲学 ・ 政治学の トリア‑デ」比較法史学会 (編) 『比較法史研 究の課題 一思想 ・制度 ・ 社会①

(1992

)245頁)。 なお、サ ヴイニーの主知主義 を示唆す る文献 として、

安 田幹太 「法律 解輝 に於 ける主知 と主意船 田享二 (編) 『京城帝国大学 法文 学禽 私法 を中心 として』(1930

年)

347頁、玉井克哉 「ドイツ法治 国思想 の歴 史的構造 (2)

国家学会雑誌10311・12 (1990

年)

24頁 も参照。後述す る

ように、ボワソナー ドも主知主義 に近い。そ して、 ボワソナー ドの詐欺論 には

北法

63(5275)1575 [50]

参照

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