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土地変革と資本主義の構造(二) : 研究動向にもと づくひとつの見透し

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(1)

土地変革と資本主義の構造(二) : 研究動向にもと づくひとつの見透し

その他のタイトル The Land Reform in the French Revolution and the Type of French Capitalism (2)

著者 吉田 静一

雑誌名 關西大學經済論集

巻 14

号 1

ページ 29‑72

発行年 1964‑04‑08

URL http://hdl.handle.net/10112/15414

(2)

フランス資本主義の停滞性が問題視されはじめたのは︑

端をきって資本主義を確立したイギリスにたいしてフランスが立ち遅れ︑

において絶えず遅滞をしめしたことは︑すでに一九世紀の初めに同時代人によっていち早く自覚されるところとな

(1)2) っており︑以来この事実は︑フランスの近代経済史研究がひとしく認めてきた事実といってよいであろう︒

土地変革と資本主義の構造口︵吉田︶

* 一三巻四•五・六合併号〕

土 地 変 革 と 資 本 主 義

しかも以後フランス資本主義がその発展

̲

それほど古いことではない︒もっとも︑世界史の先

I

—研究動向にもとづくひとつの見透しーー

J

︵ 

構 造 二

(3)

開西大學﹃舘済論集﹄第一四巻第一号

したとおりであり︑ し︑このばあい︑第一に︑比較の甚準と視角とにたいして疑問をさしはさむ余地が十分にあることは︑すでに指摘︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑フランスに固有の問題としてわ

かにしようとしてきたところであった︒ただたんにイギリス資本主義にたいする立ち遅れと停滞という事実のみで︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑は︑それをフランス資本主義に固有の問題として論ずるまでもない︒フランス資本主義の立ち遅れと停滞とが︑ま

さにそれ固有の問題領域をくりひろげるにいたるのは︑

ンスのみならずイギリスをも追い抜くにいたるアメリカ︑

の意味でのフランス資本主義の停滞性が自覚的に問題にされはじめたのは︑

( 4 )  

このように︑近年フランス資本主義の停滞性が問題視されはじめたのにともなって︑停滞性をもたらした

要因を解明しようとする試論が少なからず提出されてきた︒もとよりそのばあい︑

とは決して一様ではなく︑

の動機からみて︑

のみならず第二に︑フランス資本主義の停滞性という事実が︑

0年代以降のことであったことは︑

さまざまである︒しかし︑ ひとしくイギリスに立ち遅れながら一八七0

( 3 )  

ドイツとの比較においてであったのである︒そうしてこ

フランス資本主義の停滞性を問題の対象にすえようとしたそ

それらは︑およそ三つに大別しうるようにおもわれる︒その︱つは︑経済成長を促す︑あるいは

逆に妨げる諸条件を歴史的に究明し︑後進国開発という現代的課題にこたえようとするものである︒このばあい︑

( 5 )  

フランス資本主義がその例証としてとりあげられるのは︑停滞要因をそこから抽出するためにほかならない︒

これと関連するけれども︑もう少し視野をせばめ︑ れわれの前に立ち現われてくるのが︑これまでにわれわれが努めて明ら

それほど古いことではないといってよ

それぞれの問題意識と研究視角

フランス資本主義の停滞要因を歴史的にさぐること

それとは対照的な今日のフランス経済の急速な成長にたいするひとつの見透しをえようとするものであ

1 0  

(4)

味においてそれを理解するためには︑ る︒つぎのことばが︑は︑戦前期の停滞︑ この第二の動機のよって来るところをしめすであろう︒

そうしてまた実際に︑ ﹁近年のフランス経済の急速な成長

フランスの経済生活の既定の特質とみなされてきたものと著しい対照を

なしている︒現在のこの高揚が︑以前の拡張局面と同じく一時的で﹃例外的﹄であることを将来明らかにするかど

うかは︑部分的には︑以前の遅滞の諸原因が︑永久に根絶されたか︑あるいはされるかどうかにかかっている︒⁝

( 6 )  

•••これら諸原因の研究には、歴史的興味以上のものがあるのだ。」

さいごは︑経済成長の過程における企業者

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の役割を重視する立場のものであって︑そこでは﹁フ

ランスの金融家︑産業家︑あるいは商人の性格および精神状態が︑その国の経済の相対的に遅れた状態にどのてい

( 7 )  

どまで責任があるか﹂が問題とされる︒そうしてこのようなフランスの企業と企業者精神との研究は︑フランスの

産業および商業の脆弱性の解明を通じて︑過去一五0年にわたるフランスの政治的衰退︑世界経済における相対的

( 8 )  

に低い地位を解明するうえに有用なのである︒

右の三つを認めることができる︒したがって︑ フランス資本主義の停滞性を問題にのせた最近の諸研究は︑それぞれの問題意識と視角とを異にし︑大別しても

それら諸研究のなかから抽出しうる停滞要因も︑正確かつ十分な意

それをその文脈においてとらえることが求められるであろう︒

説明とを幾分なりとも補充しながら︑問題にこたえるための手がかりを探ることにしよう︒

土地変革と資本主義の構造口︵吉田︶ 以下ここで

は︑このことを十分考慮にいれたうえで︑最近の諸研究が注視する要因を幾つかとり出し︑かつそれにそう資料と

*本号は︑前号の﹁フランス資本主義の停滞性について﹂の続稿をなすものである︒本号では︑前号の副題を主題にし︑その続

編であることをしめす意味で口とし︑全体の目次をここに掲げた︒

(5)

醐西大學﹃網済論集﹄第一四巻第一号 (1 )

J .A . Ch ap ta l,

De l 

' in d u st r i e  franfoise, 

1 81 9 ,  t om e  2 ,   pp.  25 6 7,  4 25

4 28 .  F .L .A .  F er r i er ,

Du  

go uv er ne   , 

nt c on s i de ,

  ` 

da ns   ses   ra pp or ts   av ec e     l co mm er ce ,  1 80 4 ,   pp. 

52

7 

5 34 .  

Fについては︑坤四竿乍﹃フランス重商主

義論﹄第四章を参照︒

(2

) 

Cf•

H.   See,  Hi st oi re  e c

o  

mi qu e  d e  l

a   France•t•2`

p .   2 46 .

  なお、

Bert•

Ho se li tz

が︑イギリスと比較したばあい︑フラ

ンスは経済成長と工業化における立ち遅れ型をしめすけれども︑しかしこの両国も︑一六世紀には︑生産性︑技術︑経済 組織においてそれほどの差がなかったばかりか︑フランスが若干ながらアヘッドしさえしていた︑と指摘していることに

は、やはりここで注目しておきたい。B.F•

Ho se li tz ,' En tr ep re ne ur sh ip   an d  c a pi t a l  fo rm at io n  i n  Fr an ce   an d  B ri ta in   si nc e  17 00 ,' in  C ap it al  F or ma ti on  a nd E  co no mi c  Gr ow th , 

Co nf er en ce  o f  th e 

Universities•

Na ti on al  B ur ea u  Co mm it te e  f or  E co no mi c  Research, 

1 95 5 ,   p .   29 4.   (3 .) 参考までにケンプの前掲論文から︑つぎの一節を引用しておく゜ー﹁フランスの経済的停滞は︑一九世紀の初頭に工業

i nd u s tr i a li z a ti o n がイギリスに先んじられたとき︑明らかとなった︒それは︑後進国ドイツが︑一八五

0年後の決定

的な二0

年間に工業国の前面に躍り出したとき︑関心をひきはじめた︒この時代までにフランスでも︑工業化が行なわれ つつあったけれども︑発展率は︑これら他の諸国の率に後れをとった︒これが問題の本質であった︒すなわち︑旧い︑文 化的に進んだ︑そして政治的に有力な国が︑その隣国および競争国と同じ早さで︑しかも十分に工業化することに失敗し

た、ということがそれである。」Tom•

Ke mp ,  a r t.   c i t e ,   p .   32 7.  

(4

) ただし︑フランス資本主義の停滞性をいち早く自覚的に問題にした一論を︑われわれはウィットフォーゲル﹁経済史の自

然的諸基礎﹂

K. A. Wi tt fo ge

l 

Di e  n a ti i r li c h en   G ru nd la ge n  d er   Wirtschaftsgeschichte,'In

  : 

Ar i  " h i0

f

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So zi al wi

s  , 

se ns ch af t  u nd   So z i a/ p o li t i k.   Ja hr ga ng   67 ,  1 9 3 2.   ( f f i

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﹃ 吉

8汗的i

{

) なかに見出すことができる︒そこでは︑とくに﹁冶金工業の停滞︑機械化の緩慢﹂が問題視され︑つぎのような問いが投 げかけられている︒﹁いかなる原因が︑フランスの産業の発展をかくのごとく制約したのであるか︒大革命は資本家的経 済形態の普及にたいして︑あらゆる社会的諸前提をつくり上げた︒それにもかかわらず︑枢軸の産業部門におけるかかる 崎形は︑いったい︑どうしたわけであろうか︒﹂そうしてウイットフォーゲルは︑この秘密をとくことが︑﹁フランスの 最近の社会的

u政治的発展︑即ち︑准大な農民層の存続︑大部分小経営で働き︑これに相応してサンヂカリスト的・小市

(6)

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祝各ふ('~Qや玲肉゜

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A. Gerschenkron,'Economic Backwardness in Historical Perspective,'in The Progress of Underdeveloped Areas, 

edited by Bert F. Hoselitz, 1952. ,」兵逆刃寄涯終擬堕Jd..,iil.>Jv.,iiJQゃ迂0,.;:t‑!>̲].,ii)'('a¥t,Q¥J縄奴か」リ旦r<>Q

玲心0°S.B.Clough,'Retardative Factors in French Economic Development in the Nineteenth and Twentieth 

Centuries', in The Journal of Economic History, Supplement VI‑1946, R.E. Cameron,'Economic Growth and Stagn‑

ation in France, 1815‑1914,'in The Journal of Modern History Vol. XXX, No.1, 1958. 

(≪>) T. Kemp,'Structural Factors in the Retardation of French Economic Growth,'in Kyklos, Vol. XV‑1962‑Fasc. 2, 

p. 325. 

(1:‑‑) D. Landes.'French Entrepreneurship and Industrial Growth in the Nineteenth Century,'in The Journal of 

Economic History, Vol. IX, No. 1, 1949, p. 45. 

co) 1QD. Landes&'6!d. B.T. Hoselitz Qi<(Q史ぶ〇地Q.,iiJQ茶玲肉0D. Landes,'French Business and the 

Businesman social and cultural analysis,'in Modern France Problems of the Third and Fourth Republics, 

ed. E.M. Earle, 1951. J.E. Sawyer,'The Entrepreneur and the Social Order in France and the United States,' 

in Men in Business Studies in the History of Entrepreneurship, ed. W. Miller, 1951. 

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(7)

このフランスの対外貿易をさらに立ち入ってみてみると︑ しかもかえって一八九0年代にはドイツ︑

すますひらき︑

ギリスにはるかに及ばなかったばかりか︑以後その隔差はま

 

フランスの貿易額は︑

すでに第︱二表でみたとおりであ

もない事実であるが︑それが革命前の水準にまで戻ることが 命ならびにナボレオン戦争の時代に激減したことは疑うべく I

まず国外市場から゜ーフランスの対外貿易が︑革

ようやく一八二五年のことであった︒そうして

フランスの貿易額は︑次第に回復をしめし︑緩慢なが

( 1 )  

ら上昇していくこととなるのであるけれども︑しかしそれに

もかかわらず︑世界貿易におけるフランスの比重が︑徐々に

低下していったことは︑

る︒つぎの第五図は︑この事実をさらに具体的に裏付けるた

( 2 )  

めに掲げられたものであるけれども︑それによって知れるよ

一九世紀の前半においてさえイ

メリカによって追い抜かれるにいたっている︒のみならず︑

ぽ同じ頃を境にして︑フランスの対外貿易が慢性的な輸入超

︒第一八表が︑このこと過に転じていることが明らかとなる 濶西大學﹃華済論集﹄第一四巻第一号

5 各 国 の 貿 易 額

10

フラシ

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