中世歌論に及ぼした仏教思想の影響
稲
田 繁
夫
一
申世の歌論は平安後期に︑もののあはれの歌論が分裂して︑基俊
などの保守派と経信・俊頼等の新傾向派が対立し︑これらを調和し
た余情とか静寂美を中核とした幽玄の歌論が俊成を中心として完成
し︑この幽玄が定家の有心美となって瀾熟し︑これが為家の平淡美︑
為兼の素適美・官能美︑更に冷泉派の流れをくむ心敬などの〃冷え
痩せ〃た美へと発展深化する上にその美意識の流れを見ていくこと
ができる︒ ところで申世は政治的︑社会的な大変動期にあたり︑一方まれに
みる天災地変の続出とあいまって日本化された浄土︑禅などの新仏
教が民心に浸透し︑この新仏教が時代の物心両面の生活に反映し
た︒広く申世の文化一般が仏教思想の影響を受けているのはいうま
でもないことであり︑申世の文芸はまた仏教を切り離しては語るこ
とができないのであるが︑歌論においても仏教思想の及ぼした影響
は大きい︒
もちろん中世歌論における美意識の主流は万葉・古今などの古典
主義に立っているのであるが︑既に古くから用いられた〃幽玄〃と
いう語に︑その理念内容として静寂感を加えたものは︑やはり中世
仏教思想の影響であり︑幽玄の美と内容が心敬などに至って〃冷え
・痩せ・枯れ〃た美に沈潜していったのは歌論における美意識の申
核に迫った仏教思想の影響であり︑美意識の要素としての中核の外
の聞題ではあるが︑歌人の人生態度とか詠歌態度などの方法原理・
申世歌論に及ぼした仏教思想の影響︵稲田︶ 指導原理の方面は︑中世歌論を仏教思想の影響で蔽っているといっ ても過言ではないであろう︒ 二 中世歌論に及ぼした仏教思想の影響はまず第一に歌道即仏道とい う考え方である︒徒然草五九段にいうように人生の一大事は出家入 道である︒それは如来の真言に随順することでなければならない︒ ところが和歌を含めて広く文芸は狂言綺語であって︑ 和歌を綺語と云へる事はよしなき色ふしによせて︑むなしきを思 つづけ︑或は染汗の心によりて︑思はぬ事をも云へるは︑実にと がたるべし︒ ︵沙石集巻落末九︶ という和歌にのみ没頭して日暮しをしていた俊成にとってこれは一 大関心事であった︒正徹物語によると 俊成卿老後になりてさても朝暮歌をのみよみみて︑更に当来のつ とめもなし︒かくては後生いかならむとなげきて 住吉の御社に一七日参籠して︑もし歌はいたづらごとならば今よ り里道をさしをきて︑一向に後生のつとめをすべし と祈念したら満願の夢申に明神現じて︑ 和歌仏道全二なしと 示されたので︑ さて此道の外別して仏道をもとむべからず︒と確信していよいよ 歌道に精進した経緯が記されている︒正徹物語には引き続いて定家 も同じく住吉社に参籠して﹁この事を歎﹂いたところ︑﹁汝月明か
一
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二〇号
なり﹂との明神のお示しにより︑明月記を記述する確信を得たとあ
る︒つまり百世歌人たちは仏道と歌道とを深刻な悩みと反省の上に
立って﹁和歌仏道全二なし﹂と証得したのであった︒
俊成は古来風体抄上に天台止観を引用して和歌と仏教との関係を
取り上げ︑歌は
狂言綺語のたはぶれには似たれども︑ことのふかきむねもあらは
れて︑これを縁として︑仏の道にも通はきむ
ためにあるものであり︑
この道︵和歌︶に心を入れむ人は︑ようつ代の春千歳の秋の後は︑
皆此のやまと歌の深き義によりて︑法文の無尽なるをさとり︑往
生極楽の縁と結び︑普賢の願誓に入りて︑この詠歌のことばをか
へして仏をほめ奉り︑法を聞きてあまねく十方の仏土に往生し︑
まっは娑婆の衆生を引導せむとなり︒
つまり俊成にとって歌道は仏道に入るための縁であり︑前提である
と考えられているのである︒
三五記は定家の真作とは考え難いが︑鎌倉期から室町期へかけて
成立改変されていき︑三条家伝来の奥書をもっているので相当広く
流布したものであり︑中世の歌人に対する影響は大きかったと思わ
れる︒その三五記鷺末に︑定家の言葉として
経巻卿のいはく︑和歌は隠遁の源として︑菩提をすすむる要路な
りと︒このこと誠なるかなや︒
とあって︑これは﹁ささめごと﹂にも﹁経信卿云︑和歌は隠道のみ
なもと︑菩提をすすむる直路也︒直如実相のことはり三十一字にお
さまれりといへるを︑定家卿此旨を懇に称揚し給へり︒﹂
と記されているところを見ると︑俊成・定家二代にわたって仏道即
歌道という考え方が強く受けつがれているのを知ることができる︒
その考え方は前述したように経信卿において言われ︑正徹の後をつ
二
ぐ心敬も﹁さぎめこと﹂にこれを受けついで︑ ﹁経信卿云︑和歌は
隠道のみなもと︑菩提をすすむる直路也﹂とか︑ ﹁西行上人も歌道
はひとへに禅定修行の道とのみ申されしと也︒誠︑道に至り侍は頓
悟直路の重なるべし﹂と記しているのは︑三五記の﹁西行上人云︑
歌は是禅定の修行なりといへり﹂を受けついだものであろう︒黒馬
に至ると和歌・連歌・仏道三位一体の境地に到達したことは前述し
たところと合わせて︑
大和歌の道は︑昔より代々のあつめに伊勢の海のなぎさの玉の数
々をみがき︑和泉の杣木のしなじなをけづりつくし侍は︑今更の
ことにあらず︒つらね歌もおなじ道に侍れ云々
という﹁さざめζと﹂によって明らかである︒
三
俊成の幽玄美は長明無名抄によると︑俊恵の質問に答え自詠の申
で︑
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里 を﹁是をなん︑身にとりてはおもて歌となん思ひ給ふる﹂と答えた
ことからすると︑しみじみとした寂蓼感︑深く沈潜した静寂の境地
が俊成の詠歌する心の地色と成っているのが知られる︒そのような
心の地色は︑いわゆる浄土の寂光にも似た世界で︑前述した古来風
体抄の﹁やまと歌の深き義によりて︑法文の無尽なるをさとり︑往
生極楽の縁と結びーー﹂という弥陀浄土の寂光の詩的揺曳が俊成に
おける幽玄美の心情要素となっているとみることができるであろ
︐つ︒
心得においては和歌・連歌・仏道三位一体の考え方から︑詠歌の
心の地色が仏教的無常感の色濃きものとなってきた︒ ﹁さざめこと
﹂に︑
野道は無常述懐を心詞の旨として︑哀ふかきことを云ひかはし︑
一色にふけり名にめでて︑千世万代鶴亀宿をたのしびなどいひ
あへらんこそうたて侍れ︒かくいはひ侍とていつれの人か百とせ 誰の人か千年をへん︒昨日はさかへ今日はおとろへ︑朝に修しも
夕の煙となる︒たのしびかなしびたな心をかへすよりも程なし︒ といって︑人生とは朝露の如きものだから︑男女の色情にふけると
か︑万代を祈るとかの歌は﹁うたてき﹂ものである︒歌とは無常述
懐を述べるのが本筋であるというのである︒心敬においては人生の
一大事は仏の衆生摂受の悲願に随順して︑その願力に乗じて決定し
て往生せんとすることであり︑歌はそのためにこそあるのであるか
ら︑無常述懐を旨として︑﹁はかなき世の申のことはりをもすすめ
侍﹂るべきものでなければならないというのである︒それは心敬の
みによって見つけられたものではなく︑ ﹁いにしへの歌人は述懐無
常をむねとし侍る﹂と︑和歌の伝統はこういう流れの上に立つと考 えるのである︒だからこそ﹁歌道は我国の多羅尼也︵さぎめこと︶
である︒多羅尼というのは仏の本誓を示す真言の章句︑陀羅尼呪を
いうのであって︑ ﹁愛情にひかれて︑よしなき色にそみ︑空の詞の
かざり﹂ ︵沙石集巻五本︶ ﹁よしなき色ふしによせて︑むなしきを思
ひつづけ︑或は染汗の心によりて︑思はぬ事を思ひつづけ︑或は染
汗の心によりて︑思はぬ事をもいへるは︑実にとがたるべし︵△⊥︶
というような﹁染歌﹂や狂言綺語としての歌ではなく︑ ﹁聖教の理
をものべ︑無常の心をも嘗て︑世縁俗念をうすくし︑名利情動をも
わすれ︑風葉をみて︑世上のあだなることをしり︑二月を詠じて心
申の潔理をもさとらば︑仏道に入る媒ち︑法門をさとるたより﹂
︵沙石集巻五本︶になるのであって︑人生の一大事を述べた﹁真言﹂
であり︑ ﹁歌道は我国の多羅尼﹂といい︑ ﹁歌をば日本の陀羅尼
︵耕雲口伝︶﹂というのである︒
申世歌論に及ぼした仏教思想の影響︵稲田︶ 心敬の詠歌の心の地色が全く﹁仏の心﹂の地色を庶幾していたζ とは︑歌人の修行地として︑ 古道に入らん輩はまつ艶を旨と修行すべきことといへり︒艶とい へばとて︑ひとへに句の姿こと葉のやさばみたるにはあるべから ず︒姿・詞の胸のうち人間の色欲もうすく︑万にあとなきを思ひ しり︑人の情を忘れず︑その人の恩には一つの命もかろく思ひ侍 らん人の胸より出たる句なるべし︒︵さざめこと︶ によってうかがえる︒﹁心の艶﹂とは人間的ななまなましい喜怒哀 楽の情感ではなく︑そういう人間的な情感を仏の教えによって捨象 した欣求浄土の寂光である︒ ﹁御法の門に入て︑心の源を孕めんに も︑脇道︵歌道︶を学びて哀ふかき事をさとらんにも︑此身を明日 あるものとたのみ︑さまぎまの色にふけり︑宝を重くし︑ほこらか におもふことまことなき人の申にはおぼろげにもありがたくこそ侍
れ︵さざめこと︶心敬においては︑ここにおいて全く和歌・仏道無一二体の境地が 關明せられている︒ このような無常述懐を本旨とすべき歌は︑人生の一大事をそれに よって証得し︑菩提心を起こす大きな契機をなすもので︑沙石集巻 五本によると︑大原三無の一人︑小原上人︵寂念︶︑西行法師など の歌会に﹁老後の述懐﹂の題詠に或る上人︵縁忍上人︶が 山の葉にかげかたぶきてくやしきは空しく過ぎし月日なりけり の歌が残されているのを年月遠く離れた無住法師に深い感銘を与え ていると述べているし︑村上帝が近習の歌仙の老後の述懐 いっとても身のうき事はかはらねど昔は老を歎きやはせし によって御菩提心深くならせられ︑また兼盛歳暮の歌 かぞふれば我身につもる年月をおくりむかふと何にいそぐらむ の歌によって御門が発心なさった説話が記されている︒
三
長崎大学教育学部人文科学研究報告第二〇号
このように︑歌は無常述懐を本旨とするものであり︑﹁胸のうち
人間の色欲もうすく︑万にあとなきを思ひしる﹂人の胸から詠まれ
るものであるから︑歌道に入る人々がさまざまの能芸混合して稽古
すろことが世間に多く見えるめは好ましいことではない︒﹁さざめ
こと﹂に﹁諸道の真実の賢出の人は余の能芸あるべからず﹂とい
い︑学問・仏道・修行・手跡などは相資の道で兼ねて学んでも︑相
互に助け合うものであるが︑歌道・仏道・学問に囲碁・双六などは
﹁相反にて大いに悪しきたぐい﹂として堅くいましめているのは︑
世阿弥が﹁風姿花伝序﹂で好色・博突・大酒を三重戒として子孫に
戒律として教えているのと規を一にしている︒
心敬においては申世歌論における美意識の深化した極限としての
﹁心の艶﹂を旨として修行すべきであるとしたが︑その﹁心の艶﹂
は﹁いはぬ所に心をかけ︑ひえ・さびたるかたをさとり知る﹂ ︵さ ざめこと︶で︑それは歌の美意識への仏教思想の影響というよりも
むしろ和歌美の核心と考えられているともいえるであろう︒これは
応仁乱後の世相の申で︑飽くまで己れの内なる世界を求めてやまぬ
心敬の内的沈潜の至極に到達した︑早世歌論における美意識の凝精
である︒このような詠歌における志向性は︑歌論においては古くか
ら︑﹁思ひ入る﹂とか﹁沈思﹂という語によっていわれてきたが︑
特に﹁仏道・歌道全二無し﹂という歌道・仏道一体観によって深化
せしめられたのである︒沙石集巻五本に
和歌の一道を思とくに︑散乱鹿道の心をやめ︑寂然静閑なる徳あ
り︒又言すくなくして︑心をふくめり︒惣持の義あるべし︒惣持
といふは︑即陀羅尼なり︒
とあるが︑﹁散乱鹿動の心﹂とは﹁生死の動乱﹂ということで︑人
間は仏教典に頻出しているところの﹁一切恐催﹂つまり生きとし生
ける者すべてが不安の生活をしている︒その不安の人生におそれお
四