NEWSLETTER 1996.1 0 . N . . 19
〒2 2 1
横浜市神奈川区六角橋3 ‑ 2 7 ‑ 1
電話( 0 4 5 ) 4 8 ト5 6 6 1 ㈹ 神奈川大学言語研究センター gANAGA
WA
セ ン タ ー 改 革 構 想 ‑1一
教 育 活 動 の 活 性 化
保 崎 則 雄
基本理念
言語研 究セ ンターが設立 されて
、2 0
年 を経た現 在 、その存在意味、価値 についての討論 は、的を 得た意見がある ものの、なかなかまとまらず所謂 bandaidsolutionの域 を出てい ない よ うに も思 われる。過去5年間、セ ンターはその改革の過渡 期 にあった と判断 されるが、現実 には多 くの所員 の意識 をか りたて、セ ンターを発展 させ る とい う ことに関 していえば、い くつかの実施案 は残念 な が ら効 を奏 して こなかった ようである。おそ らく 今 、そ して これか らthequartercentennialに向 か う今 後4
年 の 間 で必要 な こ とは、 見 直 し と い う考 えで は な く、 ま さにCarter政権 時のzero budgetsystemの如 く、マルチ メデ ィアラボの新 設 とい う新 しい枠 と共 に、新 しくセ ンターを構築 す るとい う方向であろう。それが、またニューズ レターNo.17にある武内先生の "Reform OrDie"の趣 旨であろうし、 また、国広先生の 「雑用 を減 らし、研究の充実 を」 とい う声 、佐藤 (夏生 )先 生 の 「ソフ トの充実」、そ して鈴木 (広子 )先生 の 「抜本 的改革」 の具現化 とな り得 ると考 える。
そ してなによ りも山口所長 になってか らの懸案事 項であるセ ンター改革 とい う方向 と進路 を同 じく す る ものであろうと信 じる。
以下3部にわたる一連のセ ンター再構築構想は、
文部省が95年2月 に決定 した
、
F高度情報通信社 会推進 に向けた基本方針』、 そ してそれ をさらに 具体的に提示 した 『教育学術 、文化スポーツ分野 における情報化実施指針』(95年8月)を踏 まえて、 日本 の高等教育機 関の一部である大学教育の 中の神奈川大学 とい うマクロか らミクロとい う捉 え方、そ して また現実の教育機 関で働 く‑教員 と しては、学習者が学 びやすい、効果のある、 しか もで きれば効率の良 さ、合理性 も考慮 し、教 える 者、学ぶ者が喜 びを持つ ような授業 を、 さらに‑
教育工学研 究者 としては、地球 をその学 びの場、
教育環境 と捉 えるとい う立場 に立 っての理念であ ることを付 け加 えてお く。言い替 えれば、理念 を 基 に した具体策 とい うことになろう。誤解 な きよ う付記 してお くが、以下の構想 は、現状が どうの こうの とい う観 点か らの ものではない。すで にこ の方向で進 んで きている内容 も、 また まった くの 新 しい内容 も同次元で含 まれている。過不足 な ど がある と思われるので、 これ を契機 にセ ンター内 外で出来 る限 り多 くの活発 な意見交換、議論 を期 待 したい。
1)教育活動の活性化
現在何が問題 になっているか。今 までセ ンター に寄せ られた要望 な どを分析す ると新 しい教育 メ デ イア (コース ウエアを含 む)を十分生かす学習 環境が出来ていない、 とい うことに尽 きるようで ある
。1 9 9 0
年代 の学習者が どんな能力、技能、知 識 をどこまで身につけることを望 んでいるのか、我 々教育提供者 としては どの ような力 をつけて社 会 に送 り出 したいか、原点 に戻 ってみ る必要があ る。管理部 門に関す ることは後 に譲 るとして、教 育 に関す ることでは、以下の ような案が考 え られ る。
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7日
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1‑
a
)教 育 ・学習 メデ ィア利用 の ための ワー ク シ ョップ開催セ ンターで は今 までテ クノロジー (広 義 の意味 であ り、単 に電気 で動 くもの とい う程 度 の もので はない ) に関す る技術 公 開が積極 的 に図 られて き た とは思 えない。テ クノロジーの理想 的 な発展 は 利用者 の不 十分 な技術 、能力 を補完、延長、転換、
開発 す る もので あ る。Technologyphobiaを解 消 す る最 も効果 的 な方法 は、わか りやす く、楽 しめ、
意 味あ る習得 過程 の提供 であ る。 目的思考 の考 え 方 でい く必要 もあ る。一般 的 にマニ ュアル は問題 解 決 の方 向で書 かれていな く、合 目的的ではない。
このテ クノロジーで何 が 出来 るか、利用者 は何 を どの ように したいのか、例示 しつつ、発展 、触発 させ る ようなワークシ ョップの開催が定期 的 に必 要 であ る。参加 して よか った、得 を した とい う充 実感 の得 られ るワー クシ ョップには、 プロの力 も 必要 とす る。
1‑ b)ゼ ミ、卒業研 究 (学部生 、院生 )の研 究 発表会 の援助 、奨励
縦 のつ なが りの良い面 を残 して、 さ らに横 のつ なが りの活性化 を図 り、各教員 の 『我 が城』症候 群 か ら離脱 す る こ とに よって学 習者 の幅広 い学 習 を保証 す る。教育 に関す る発表 は より多 くの分野、
年齢 の人 間の参加 に よって初 めて よ り良い もの に なる。 ミニ学会 とい う風 に捉 えれば よい。 この実 施 に よ り、 プ レゼ ンテーシ ョン技術 、能力 も向上 す る。人文学会学生部会 の最近 の活動 、努力 を、
セ ンター と して もさ らにアカデ ミックに タイア ッ プ、バ ックア ップす る必要 が あ る。学生 の教 育活 動 を狭 く規 制す る方 向で講義科 目を捉 えるので は な く、逆 に広 げ る方 向で参加 させ るのであ る。そ れが学 問の 自由であ り、現代 の高等教 育 の主流 た る考 え方 であ る。要 は、学生 に もっ とアカデ ミッ クなプ レッシ ャー をか け、学習過程 、結果 か ら生 まれ る喜 び達成感 を持 たせ る ような行事 をバ ック ア ップすべ きであ る。参考 まで に付 け加 えれ ば、
今 まで の教 育活動 に関 して は
、PR
、参加者 の募 り方 に問題 が あ る。1‑C)新 しい形態 、内容 の語学 関連教育 の開発 :‑'"ち:.;■;;:;d!J.ニ':;.:;.̲: l
l l ど
まず 、学習者 の要求 、必要性 を時 間 をか けて真 筆 に観察 す る。見 た くない こ と、知 りた くない こ とも多 々出て くるであ ろ う。 しか し、 中学校 、高 等学校 で情報基礎 を学 習 し、 コンピュー タ機器 、 キーボー ド操作 を学 んで くる現代 の大学生 は専 攻 分 野 に拘 わ らず 、当然 、大学 にその延 長 、 あ るい はそれ以上 を期待 す る。高等教 育機 関 と しての大 学 はそれ を保証 す る義務 が あ る。当然 の こ となが ら、情報処理科 目で は、肝心 の語学教 育 が保 証 さ れ ない。 まず
、
F知 的 な道具 』 と して の メデ ィア 教 育が必要 で あ る。加 えて教員 は 『知識 の分配者』
で はな く、 『知 的活 動 の促 進 者 』 で なけれ ば な ら ない 。 ここで、team teachingの考 えが 応 用 で き、分野 、専攻 を超 え、従 来 の発想 を転換 す る よ うな講義 、教 育方法 、 さ らに、時 間割 、 カ リキュ ラムの構 築 、実践が必要 となる。
1‑ d)基礎 的 な メデ ィア教育 の必要性
これ だけの学習 メデ ィアが氾濫す る中、それ に つ いての実践 的、理論 的 な科 目が 開講 され ないの は、不 思議 であ る。 メデ ィア研 究 で も明 らか な よ うに、 まず最低 限の メデ ィア認識 を帰納 的、かつ 演樺 的 に押 さえ、その後各 自の問題解決 に向けて、
教 育課程 が援助 してい くこ とが望 ま しい。誰が教 える、 とい うよ り何 を どの ように どの ような環境 で教 えるか とい う、学習者 の学 習活動 に主眼 を置 いた考 え方 であ る。 自分 の問題解 決 のため に どの ようなメデ ィアが どの ように利用 で き、かつ濫用 してはい けないのか とい うこ とを具体 的、理論的
に学 ぶ こ とが肝 心 であ る。
1‑e)Telecommunicationの応用
人 間が移動 す るのは、想像以上 に不確実であ り、
危 険 を伴 い、 また無駄が多 い。情報 、つ ま り教 育 内容 、教授 時間 を 自由 に移 動 させ るのが学習者 に とって は一番都合 が よい 。言 い換 えれ ば、 F学 習 者各 自のキ ャンパ ス』 とい う考 え方 であ る。 この 方法 だ と、抜 け、 さぼ りの部分が 明確 になる。勿 論 、 キ ャンパ スで会 うとい う授業形態 は別 の意味 が あ るので保持 す る。両者 のバ ラ ンス を考 え、学 習方法 、学習 内容 、 目標 を分析 、整理 し、現代 、 そ して もっ とも効果 的 と判 断 され る 自分 の授業 に
即 した教授方法 を考案す るのが よい。その結果、
私の授業のシステムでは、毎週全 て学生 と会 う、
とい う分析結果 も当然 あるであろ う。具体的にい えば、授業予定、シラバスな どを
WW
Wのホームページ として制作 してのせ てお くとい うことが ま ず考 えれる。新 しい概念 によるカ リキュラムを作 成 し、メデ ィアを効果的に利用 したクラス、Inte rnet利用 の教育の開拓、遠隔教育の実施 、電話利 用 の言語教育の実施 な どが早晩実施 されて しかる べ きであろう。
今 まで、学習者、教育提供者の足跡 によ りつな が っていた大学が、アナログ、デジタル情報通信
網 を中心 としたケーブルでつ なが りつつある。物 理的には確 かにそ うであるが、そのつ なが りを意 味、意義ある もの として発展 させ る教材 、人材 、 学習者、教授法のネ ッ トワークの構築 はそのシス テムを利用す る我 々の知恵如何 である。昨今電子 キ ャンパス、マルチメデ ィアキ ャンパスなる言葉 があるが、なに も新 しい ものではない。新 しいの はハ ー ドウェアだけである。概念 は、すでに
4 0
年 以上 も前か ら存在 していた。今熟慮 しな くてはな らないのは、む しろそれを構築、利用、修正、廃 棄する自由、勇気、行動力 を持ちうるか という我々 大学教育関係者 の意識である。その意識、態度 なくしては、大学教育 は進歩 しえない。
ノーザ ン・ライ ツかオ ー ロラか 、
イ ンデ ィジネ スかネ イテ ィブか
中 本 信 幸
着 と畏 敬 の念 を こめ て 「北 の 光 」 と発 音 して い る ようだ。 ぼ くもい まで は、ノーザ ン ・ライ ツNorthernLightsとい うことばの響 きその もの がなつか しい。
フェアバ ンクスの中心地 にあるパ ブで ビールを 飲 んでいた ら、エスキモーの人たちに話 しかけ ら れた。ぼ くはエスキモー出身に見 えるようである。
エスキモーのなかに日本人そっ くりのひとがいる。
ここ数年、フェアバ ンクスはエスキモーやイ ン ディアンら世界のネイティブ文化が競演 される公 共の広場 アゴラにな りつつある。アラスカ大学 こ そが、世界 のネイテ ィブ文化 の研究 と復元のメ ッ カになっている。教職員、学生の
1 5%
か ら2 0%
が ネイテ ィブで、ネイテ ィブの言語や文化 の研 究者 も集 まっている。大学 内の博物館 と図書館 はエス キモー、ア レウ ト、イ ンデ ィア ンら先住民族の資 料 を豊富 に蒐集 している。ひろいキャンパスには、テ レビ局、FM局、病院、郵便局、消防署、千人 収容 のコンサー ト ・ホール もある。演劇学部では 全米各地 は もとよ り、世界各地か らやって きた青 年たちが学 んでいる。 ここで教鞭 をとる演劇 人ふ 昨年3月、エルグ‑の (年配の)方々ばか りの
旅行団に加 わってアラス カの フェアバ ンクスに滞 在 した。旅行 団の大多数の方々の最大の関心 は、
オーロラを見 ることだった。
フェアバ ンクス滞在 の第‑ 日の夜 、マイナス
3 0
度以下の凍てついた夜空 にオーロラの多彩 で華麗 な舞踏が繰 り広 げ られた。幸いに も、それか ら三 夜つづけてオーロラが寒天 を彩 ったのである。フェ アバ ンクスはアラス カのほぼ中央 に位置 し、北極 圏か らわずか2 0 0
マ イル (約1 60
キ ロ)にあ る。現 地 の人 たちはオー ロラを、 ノーザ ン ・ライ ソ、つ ま り、「北 の光」と呼 ぶ。 オー ロラは、 ローマ 神話 の 「夜 明 けの女神」ア ウロラAuroraに由来 す る。彼 女 は太陽神 アポ ロ ンの妹 だ。 ロシアで もオーロラの こ とを「セ‑ ヴェル ノエ ・シヤ ーニ エceBepHOe CH兄HHC/Severnoesiyanie」とい う。
となる と、南極 に近 い地域 で はオー ロラの こ と を 「南 の光」 とい うこ とになる。
英語 で 「オーロラを見 た」 と言いたければ、
「北 の光 を見 た」 と表現 しない と通 じない。 ロ シア語 で も同 じだ。極 地 の人 び とは、特別 の愛
(3)
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た りと出会 った。ひとりは、ロシアのサ ンク トペ テルブルク出身の演出家 ・演劇学者アナ トーリイ ・ アン ト‑ヒン、 もうひ とりは、イタリア系 アメ リ カ人の トマス ・リッチオ助教授 だ。
トマス ・リッチオは、ニュー ヨークの劇場 ラ ・ ママで も演 出家 として活躍 し、アメ リカ本土で前 衛 的演 出家 、振付 け師、 トレーナー、演劇学者 と
して知 られていた
。
「西 欧の演劇文化 にみ き りを つけて」1988年、アラス カ大学 に身 を落 ち着 け、エスキモーの人び とのなか にとびこみ、独特のエ スキモー演劇 を作 り上 げ、エスキモーのパ フォー マ ンス ・グループ 「チュマ劇 団」の主催者 になっ ている。「東洋」 と 「西洋」の、あるいは、「民族」
の枠 を超 えて、 自然界 と共生 していた太古の人類 の歴史の記憶 を現代人の身体のなかに呼び戻 し、
新 しい演劇表現 を創造す る試みだ。真 の伝統 と現 代 に橋がか りを渡す作業 といえようか。
91年以来、 トマス ・リッチオは、エ スキモー演
劇 の創造 を模範 に して、南アフリカ、デ ンマーク、
サ ンク トペテルブルク、ヤク‑ツクな どに招かれ て、魅力的なパ フォーマ ンス を作 って きた。昨年 はス ウェーデ ン、オース トラリアに招かれ、今秋 はソウルの国立芸術大学で講義 とワークシ ョップ を行 なう。ぼ くは、いま、 トマス ・リッチオを日 本 に呼ぶ計画 を練 っている。大方の ご理解 とご協 力 をお願い したい。
トマス ・リッチオは、「インディジネス ・パ フォー マ ンス に関す る新著 を近刊す る」 と書 いて きた。
「ネイテ ィブ」が征 服 者 や移住 者 に対 す る 「原 住 民」 とい う、や や軽侮 的意 味合 い に受 け取 ら れかねない。 とい うこ とか ら、「イ ンデ ィジネス
i nd i ge no us
」が用 い られてい る ようだ。 日本 の外 務省 も 「ネイテ ィブ」のかわ りに、 この語 を使 う ようにすすめているとい う。
「先住民」
「土着民」とい う日本語 を用いず に、さしあた り、「インディ ジネス文化」 と呼ぶ ことに しようか。
ロ シ ア 語 は ど こ が む ず か しい の か ?
堤 正 典
私 はロシア語学 を専攻 し、 ロシア語文法 を研究 対象 としている。 また、授業では、 ロシア語 を教 えている (言語以外 のロシアや東欧 (中欧)に関 す る諸々の話 もす るが、厳密 には専 門分野 とは言 えない
)
。ロシア語 をや っていると言 うと、「珍 し いですね」 とか、 「むずか しいで しょう」 と言 わ れることがある。 日本の人 口をはるかに超 える話 し手 を有 し、国連の公用語で もあるこの言語 に日 本でかかわっている人は、研究者だけで も相 当数 いる し、 もっ と少数の人がかかわるだけの言語 も た くさんあることを知 っているので、私 自身は珍しい とは思わない。 しか し、平均的な 日本人の感 覚では珍 しいのか もしれない。
むずか しいか どうかについては、勿論 むずか し くない とは思わない。 しか し、他の言語 に比べて むずか しい とか とい うと、一概 に比較で きない。
日本人が外 国語 として学ぶ には どの言語 に もそれ な りのむずか しさがある ものである。ただ し、い くつかの部分 に分 けてみ ると多少の ことは言 うこ とがで きる。 ロシア語 は 日本人 にとって どこがむ ずか しいのあろうか。
ロシア語 の発音で、個 々の音 は、子音 のい くつ か を除いてそ うむずか しくはない。英語 と比べ て も、子音 はや さ しいか、せいぜ い同 じくらいむず か しいかであ り、母音 はロシア語 の方がはるかに 簡単である。語のアクセ ン トも発音 の面か らは大 変 なことはない。それ に対 して、文 におけるイ ン トネーシ ョンは多少 の練習がいる。疑問文である ことをイン トネーシ ョンだけで示す場合があ り、
これについては耳 と口の慣 れが必要である。
文字 は、 ラテ ン文字 にない ものや、あって も英 語 な どとは表す音が異 なる文字があって、大変だ .lh∴.;;日..日三三A;!1..1H;1111∴ liltl:!∴Hl.il亡tE.Jil一:il=liill!ii.;J至..lJ主日日lM lTIilこiこjLりi:'L::l日日LHlH日日L:日l:1:Iil.11∴Ⅰ:lこ∴∴I:i;l汁Il三H:.H▲H.I̲.iい).:日日l‑:=lì!:‑:.三三l:.ji:
I!"!‖川l日日日日ltHLl日.'日日HtHl己F.;:Hi:‖l':‑Il;i亨:l!二日iHT‑Hll';Ill.Ili■!日.i:日.Lli=L:HEPHl!"i日日lS:‖rl;:1!E三11:■li●l日日)i!llHi批:)H:≦l:HIHl‖】FlL:Hl=i=llHL:二!しこ宇目I'H:‑iii!. と思われるようである。だが、文字 とい うものは
本来習わなければ読めない ものである。音声言語 と異 な り、 このことは母語話者であって もそ うな のである。ロシア語の文字数33はそんなに多い方 ではない (大文字 ・小文字があるが、大 きさが違 うだけの もの も多 い)。読み方 は きわめて規則 的 である。ただ、実際 に文字 をす らす ら読むには、
結局 どの言語であって も単語 をた くさん知 ってい ることが必要である。
語嚢、すなわち単語 については、それな りの数 を覚 えなければな らないのは どの言語 も同 じであ る。それで も、英語 な どは外来語 として 日本語 に 入 って きている語が多いので、その分有利であろ うか (その中には実際の英語 の使 い方 と違 うもの もあるか ら、かえって紛 らわ しい場合 もある)。
学習者 を一番悩 ませ るのは文法であろ う。文法 は大 きく分 けて、語形変化 をあつか う形態論 と語 による文の成 り立 ちをあつか う構文論 (統語論 ) とに分かれる。ロシア語 の教科書 で中心 となる文 法項 目は形態論であ り、変化表がた くさんでて く る。ロシア語 は、正 しい変化形 を組み合 わせて用 いることが主たる構文論上の規則 であるか ら、語
形変化 を覚 えれば文法上 はなん とかなる言語であ る (それ以外 に構文論・上の規則がないわけではな い)。語形変化 を覚 える とい うのは、単 に変化 の しかた (語尾)を覚 えるだけでな く、いかなる変 化形があ り、いかなる場合 に変化す るのか も覚 え ることが必要 になる。 したが って、変化形が多 け れば多いほ ど変イヒす る場合分 け も多 くな り、個 々 の変化語尾 とあわせてさらなる記憶の負担 となる。
形態論が複雑 な言語 はい くらであるが、やは りロ シア語 におけるこの負担は小 さくはない。 しか し、
語形変化が多い とい うのに も利点があって、それ を身につけて しまえば文の係 り受 け関係が誤解 の しょうが ないほ どよ くわかることになる。
中学か ら学ぶ英語 とは異 な り,通例大学以降で 始めるロシア語お よび他 の言語 は、授業の進み方 もより速 く、 よ り短い期 間で一定の レベルに到達 す ることが要求 される。勉 強す る時間が同 じな ら ば、 ロシア語の ように文法 に負担がかかる と語嚢 数 に しわ よせがい くことになる。文法や語菜の効 率の よい理解 と記憶 には、学習者の努力 とともに、
優 れた教材 を用 いることを含 めて教 師の役割が大 きいのである。
新 指 導 要 領 と 入 試
高 橋 一 幸
現行 の文部省学習指導要領 は、平成元年 に公示 され、中学校 では平成5年度 よ り、高等学校 では 6年度 より実施 に移 されている。知識の量 を重視 す る従来の学力観 に替 わ り、 自ら学ぶ意欲等、学 習者 の情意面 にも配慮 し、思考力 ・表現力 ・判断 力 な どを重視す る 「新 しい学力観」が再定義 され、
外 国語 (英語 )の場合 、指導要領 の大綱 を示 す
「目標」 には、「外 国語 を理解 し、外国語で表現す る基礎 的な能力 を養い、外 国語で積極的にコミュ ニケーシ ョンを図ろうとす る態度 を育てるととも に、言語や文化 に対す る関心 を深め、国際理解 の
;;…'Ei;'てL:.三王'':t三::;二tH;;;;‖喜;I;::二;71..I.;̲IT"LI l■'■'■
基礎 を培 う
。
」 (中学校 ) とある。高校 で も下線部 の 「基礎 的な」が とれ、 「深 め」 が 「高 め」 に、「基礎 を培 う」が 「深 め る」 に替 わるだけで、 ほ ぼ同様 の文言である。 この ような趣 旨を受けて、
中高の英語の授業 は、文法訳読 中心か ら、 コミュ ニケーシ ョン重視 の授業へ と大 きく変 わ りつつあ る。
新 カリキュラムの中学生が初 めて受検 した今年 度の入試問題 ‑ とりわけ、公立高校入試問題 には 以上の ような点‑の配慮が見 られる。例 えば、大 阪府高校入試問題 を見 る と、文法知識 を試す、答
h...b".;;;t'i"u≡::I.i'Z;:;::∴..';' T'
(5)
えはひ とつ式の英文和訳、和文英訳問題 は影 をひ そめ、英文 日記の要約や、大阪に関す るス ピーチ を英語
5‑1 0
文で 自由に創作 させ る問題 な どが見 られる。評価の客観性 を保つためには採点は一苦 労であろうが、新 しい方向性 を示す出題 と言 えよ う。 また、大都市部ほ ど導入の遅かった ヒア リン グ ・テス トも次年度 よ り実施 される愛知県、東京 都 を含 め、北海道 を除 く全都府県で実施の運 びである。
一方高校 では、指導要領の趣 旨をふ まえ、科 目 編成が大幅 に変わ り、 4技能 を総合的に扱 う 「英 語 Ⅰ
、 Ⅱ
」 とともに、c ommt mi c at i ver e adi ng/
wr i t i ng
を意識 して、訳解 中心 に陥 りが ちだ った 従来の 「英語 ⅡB」が 「リーディング」に、文法 ・ 作文中心の「
ⅡC」が 「ライテ ィング」 に、 さら「言 語 相 対
和辻哲郎 は名著 F風 土 』 の 中で人 間 と風 土 の 間柄 は 「共 同体 の形成 の仕 方 、意識 の仕 方 、 し たがって言語の作 り方、更 に生産の仕方や、家屋 の作 り方等 々において現れて くる
。 」( 1 3
頁) と述 べ ている。 この ように、 自然 と人間 との関係 で文 化型 を規定す る考 え方 は文化人類学者のコン ドン( J. Co ndo m)
や石 田英一郎等 に も見 られる。言語 の実質
( c o nt e nt )
を成す語桑、成句 、 メに一部私学 を除 き採択の少 なかった、会話 中心の
「ⅡA 」
が 、 日常場面 で の会話 を主 と して扱 う「オーラル ・コミュニケーシ ョン
A
」、 リスニ ング 中心の「 0. C. B
」、ス ピーチ、 デ ィベ ー ト、 デ ィ ス カ ッシ ョンな ど、o p
ini o nmak i ng
やe xc ha nge
を中心 に指導す る
「 0. C. C」
の3
科 目に細 分化 され、少 な くとも 1科 目は選択履修 させ なければ な らな くなった。さて、来年度 は新 カリキュラムの高校生が初 め て臨む大学受験である。言 うまで もな く大学人試 問題が中高の教育現場 に与 えるイ ンパ ク トは甚大 である。改訂指導要領の趣 旨と現場での教育実践 をどの ように受 け とめて出題す るか、各方面か ら 注 目を受 ける年 となろう。
説 」 再 考
伊 藤 克 敏
タフ ァー等 は社会 、文化 的 な面 を反映 してお り、
言語 間の相違 は著 し く、 それ らが各 言語 の話者 に特有 の思考形式 を与 えてい る もの と思 われ る
( La ko
ff,1 989)
。認知 意 味論 、神 経 言語 学 、民 族心理学 、文化 人類 学等 の観 点 か ら考察 してみ たい。 また、子供 が どの よ うに して民族特有 の 思考型式 を身に付 けてい くのか につ い て も調 べ てみたい。THE RUDE BRI DGE
1 0
年 ほ ど前 、友達 に奨 め られ てRo be r tB.
Pa r ke r
の作 品 を読 み始 め た。 最初 に取 り上 げ たのはEa r l yAut u mn
とい う作 品であ った。Spe ns e r
とい うハ ンサ ムで屈 強 な私立探偵 が活 躍 す るハ ー ド ・ボイル ド物 で あ るが 、 この主人公 にはそ こはか とな く人情 味が漂 ってお り、恋 人 のSus a nSi l ve r ma n
と交 わす会話が生 き生 きと Ll̲
国 広 哲 弥
ていて酒落 てい るのが魅 力 で あ る。全作 品 に近 い
2 0
巻 を読 み上 げたが、最新作T h l ' nAi
r( 1 9 9 5 )
を読 んでいた ら、次の ような個所 が あった。t heo l df a r m ho us ewewe r er e ha bbi ngl n Co nc o r d,Mas s . ,a bo utt hr e emi l e sf r o m t he r ud ebr i d get hata r c he dt hef l ood.
(マサチューセ ッツ州 コンコー ドの、奔流 にかか る粗 末な橋
か ら
3
マイルばか り行 った ところで私たちが改 装 していた古い農家 )この
' t her udebr i d get hata r c he dt hef l ood'
とい う表現が何 とな く普通で はない。
F/J、学館 ラ ンダムハ ウス英和 大辞典 (第2版 )』 を引いてい た ら、a r c h
の項の用例 として これ とまった く同 じ 表現が あ り、( Lon gf e l l ow
) とあ った。 さて は ロングフェローの詩の引用 であったのか。そのの ち、教室でテキス トに使 うため にEa r l yAut u mn
を読み返 していた ら、' t hes t at ueo fMi nut e ma n'
(独立戦争の時の緊急召 集兵 の像 )が 出て きた。この写真がた しか中内正利著 Fアメリカ文学 カメ ラ紀行』(研究社 )の中にあ ったはず だ と思 って 開いてみた ら、やは り出ていた。そ して、その像 の台石 に
Eme r s o n
の' Co nc o r dHymn'
が刻 まれていることが記 されていた。その第一行 が 'BY
THERUDE BRI DGE THATARCHED THE FLOOD'
だったのである。F小学館 ランダム」 のLo n gf e l l o w
は間違 い だ とい うこ とになる。Ra nd o m Hou s e
の親辞書 を見たら、この用例はあっ たが、作者 の名前 はなか った。 日本 語版 の編者 (筆者 もその一人)が間違 って付 け加えたのである。手元のカー ド ・ボ ックス を調べてみた ら、パ ー カーは
Pa s t l ' me
で もこの一行 をさ りげな く使 って いた。い まの場合 は英和辞典でたまた ま見つかっ たか らよかったが、手元の引用句辞典 には、研 究 社 の に も、P e n g
u}'nDI c t l ' o na r y o fQu ot at l ' o ns
に も出ていない。パ ーカーの ようなアメ リカの作 家が使 う引用句の元が分かる引用句辞典 をだれか 作 って くれない ものだろうか。言語 ・心 ・知識
一慶庵義塾大学国際研究集会 に出席 して‑
武 内 道 子
慶庵義塾大学独 自の大型研究助成の第一回 目の 研 究対象 として 「言語知識 と認知のイ ンターフェ イス」が採用 され、その総決算 として同 じ名前の 国際集会が3月25日 (前夜祭 )か ら29日まで開催 された。
26日‑28日の 3日間は午前が フォーラムと呼ば れた、比較的少人数の専 門家 による討議、午後が 公開講演。最後の
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日目に言語獲得 と関連性理論 に関す るワークシ ョップが開かれた。 フォーラム は百名以上、公開講演 は二百名 ぐらい、二つのワー クシ ョップも補助椅子 をた くさん持 ちこまなけれ ばな らないほ どの盛況であった。使用言語 は英語 で、欧米か ら呼 ばれたゲス ト以外 の人にとっては 母語ではなかったのだが、議論 は活発で 、熱気 に あふれていた。フォーラムはそれぞれの 日に特定のテーマが割 り当て られていた。初 日のテーマは 「文法 と知識」
とい うタイ トルで、言語 と知識 との関係 について であった。チ ョムスキーの立場では言語研究は即、
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言語 の知識 の研 究である、 したが ってそれは認知 科学 の一部である し、究極 的には人間の生物学で あるとされている。一方言語 についての理論 と、
言語の知識 についての理論 は、片方が他方 に対 し てある種 の制約 を与 える とい う形で非常 に密接 な 関係 はあるが、一応別である と考 えなければまず いのではないか、その意味では、文法理論 は究極 的には人間の生物学 にはな り得 ない とい う議論が ある。後者 の代表者 としてニュー ヨーク市立大学 のJ.カッツ教授が、前者の観点でカ ッツの議論 に 反論す る立場 の人が ロ ン ドン大 学 のD.ウ イル ソ ン教授であった。 (ウイル ソ ン教授 は実 は9月か らの私 (在外研 究員 )の指導教 授 であ る。)二人 の議論が 問題提起 となって、 日本人3人の討論者 の コメ ン トを交 え、白熱 した議論が行 われた。 フ ロアか らも反論が沢 山出て議論が盛 り上が った。
こうい う基礎論 は重要であるに もかかわ らず、 日 本では敬遠 されが ちなので今 回の議論 は とて も有 意義であった。
二 日目のテーマは 「学習可能性 と認知」 と題 さ れ、文法獲得が どんな風 に進んでい くか を
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人の 研究者が実験 によって説得的に示そ うとした。文 法は全部がいっぺんに獲得 されるわけではな く、あるものは確かに初 めか らあるとしか思い ようが ないようにときが くると現れて くるのだが、ある ものはそ うではな くて、その言語 に即 して獲得 さ れなければならない らしい とい うようなことがわ かって きている。 日本人
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人の討論者のなかに神 経内科医 (東京女子医大)がいて、脳研究が言語 研 究の中にも取 り入れ られ、関心が重な りあってきたことを強 く思った。
三 日目は 「言語 とモジュラリテ ィ」 とい うタイ トルで言語知識その ものがいったいどんな性質 を もつ ものなのか とい うことがテーマであった。文 法の内部でのモジュール性 に焦点 を絞 って
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人の 外国人 (ジュネーブ大学 とラ トガ‑ズ大学)が話 を した。言語知識 に関 して、赤ん坊は生 まれた と きは言わばデフォル ト状態で同一だが、 5才 ぐら いまでに受け取 る刺激の違いに応 じて、互いに全 く異なった個別言語が獲得 されるということが説 得力があった。その ところが言語獲得のワークショップのテー マにつながってい くわけだが、並行 して行われた、
私が発表 した関連性理論のワークシ ョップについ て紹介 したい。言語の重要な機能はコミュニケー シ ョンの手段 として用い られるとい うことである (それが唯一の機能ではないにして も)。その場合、
言語知識が具体的な状況で使 われるわけだが、感 覚や知覚あるいは世界 に対す る信念や常識 といっ た言語以外 のさまざまな情報 を我々は駆使 してい る。 しか しこの場合、あ らゆる知識が相互作用す るとい うのではな く、意識は しないか もしれない がある種 の原理が働いている。これは 「関連性の 原理」 と呼ばれ、この原理 についての理論 を関連 性理論 と呼ぶ。それは人間である限 り免れること がで きない、普遍的な原理 とい うことでこの
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年 注 目を浴 びている研究領域である。先ほど言及 し たD.ウイル ソンはこの原理 の創 設者 の一人であ るが、関連性理論の創設者が参加するというので このワークシ ョップも多 くの注 目を浴びたようで ある。ウイルソンと一緒 にこの理論 を強力 に推 し IH.‥.HJHJJL.,J三日 LJHHLLH"Il:lJJ‑■Lll̲J■LIL.‖tLll1日JHH.L"日.LJ一1‑.JLJJ=進めているD.ブレイクモア (サザ ンプ トン大学 ) もこのワークシ ョップの特別討論者 として招待 さ れた。私は彼女の関連性理論の入門書 を翻訳 した
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年)が、 2
年半ぶ りの楽 しい再会であった。発表論文はアメリカとイギ リスか ら
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人、国内か ら3
人の計5
本で、その発表 に対 してウイルソン とプ レクモアが厳 しい議論 を挑み、白熟 した討論 が9
時か ら夕方の6
時まで延々と続いた。私にとっ ては9月か ら仲 間に入れて もらえるか どうかの試 金石の場 というような思いがあった。夜のパーティ で 「安心 した」 と言われた ときはほっとした。さてこの国際集会 に参加 してはっきり認識 した ことは、言語学が新 しい展開を見せているとい う ことである。これまでの言語学 は特定の個別言語 に注 目して、それについて観察 し、で きるだけ正 しく記述することに焦点があった といえよう。そ れに対 してここでい う言語学は、人間が言語 を知 識 として受け入れてお り、その知識が人間の認知 における一つの要素 として働いていることに注 目 して言語研究を行 うわけである。言語が しか じか のシステムをもっているとして も、いったいなぜ そうなのだろうか とい う問いに答 えることがで き るような説明理論 を求めようとしているとい う点 が特徴的だ と思われる。言語学でやっていること が認知科学全体 を引っ張 って きた とい うことと、
ここにきて言語研究者 と言語以外の認知研究者 と の間の対話が非常 に盛んになって きたことを強 く 感 じた。これか らの人間の知の研究において、言 語学 とい う一つの領域 にとどまらず、他の領域の 研究者 との知的交流が二十一世紀 に向かって非常 に重要 になって くる、そ ういう意味でこの国際集 会の持つ意義は大 きい と思 う。
(編集後記)
ご研究の紹介 を兼ねた、ご研究周辺の話 を お寄せいただ きたい とい うお願いに