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学習におけることばの役割
山 崎 俊 男
1 日常生活・職業生活における学習のタイプ
われわれは日常生活や職業生活において,いろいろなことを学んでいる。そ して知識を拡めたり,技能に上達したりしているわけである。そこで今,こう した学習のタイプを大きく5つに分けてみよう。
(1) 目から手への学習(目→手学習)
俗にいう「見よう見まね」というものを考えてみよう。他人のすることをよ く見た上で,それをまねてやってみる。これは「目で見たことを手で作業する」
といえよう。この場合「手」のみで作業するとは限らず,身体の他の部分も使 うことがある。しかし一番中心になるのは「手」なので,「手」で代表させた わけである。したがってこれを「目→手学習」と名づけておく。以下「手」と
いうのは同様な意味で,かならずしも「手」だけを意味しない。
では,「目→手学習」の実例を考えてみよう。職人の技能の学び方は大部分こ れに属する。徒弟制度における技能の修得は,始め使い走りや雑用から出発し,
そうした間に先輩の仕事の仕方を見ておぼえる。そしてやさしい仕事から少し ずつ習って行く。この場合主人や先輩はあまり説明してくれないし,手をとっ て教えたりもしてくれない。文字通り「見よう見まね」で学習し,あとは経験 を重ねることによって上達して行く。
ところでこの「目→手学習」の特徴は何か。それは「ことば」が重要な役割
を持たないという点である。よく「職人には理屈はいらない」と言う。しかし
職人でも,心の中ではいろいろと考えたり工夫したりしている。むしろ「職人
にはことばはいらない」といった方がよい。「説明したりするのは余計だ」「よ
い考えは実行で示せ」ということである。
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ところで,職人の場合のような極端な例はさておき,日常生活について考え てみよう。家庭で学ぶことの多くは「目→手学習」に属する。幼児期において,
日常生活の能力を学ぶのは,大抵「目→手学習」による。衣服の着方,戸のあ け方やしめ方,ラジオやテレビの操作などに至るまで,大抵「見よう見まね」
つまり「目→手学習」によって学んで行く。
では職場ではどうか。職場で仕事の仕方を学習する場合にもこれが多い。も ちろん先輩などの説明によりおぼえることも多い。しかし,特に「教えてもら
う(ことばで)」ことなしに学びとることが多い。これは大体において「目→手 学習」に属する。
以一ヒのことからわかるように,「目→手学習」は,われわれの生活の中で,一・
番基礎的なタイプの学習であろう。また量的に見ても,恐らく一番多く行って いる学習でもあろう。
(2)ことばから手への学習(ことば→手学習)
「目→手学習」だけしかできないとしたら,人間の資格はない。人間の学習 は,何等かの意味で,「ことば」がかなりの役割を持っている。人のすること を見て学びとることには限界がある。そこで,「目→手学習」に説明が加えら れたり,「目→手学習」なしに「ことば」で教えられることもある。つまり,手 本がなくても「ことば」での指示により「学習」することが可能なのである。
一番簡単な例として,軍隊の「教練」を考えてみよう。軍隊では,上官の命 令(それはことばで与えられる)を忠実に実行しなくてはいけない。そこで兵 隊は命令どおり行動するように訓練される。その最も初歩が「号令に従って集 団行動する」ことである。これらは学校で徒手体操を学ぶ時とは大いに異な
る。体操は身体を運動させることが主目的で,号令に従うことが主目的ではな い。したがって徒手体操の場合は,教師が示範してみせ,子どもがそれを見て まねるのでもよい。つまり「目→手学習」だけでも,体操の主目的は果せる。
しかし教練ではそうはいかない。教官が右を向いたから兵隊がそれを見て右を
向く,これでは教練にならない。教練では,教官の手本をまねるのが目的では
ない。教練で大切なのは,号令に正しくかつ速かに従うことである。「号令
学習におけることばの役割 (93)
(ことば)」を実行する。これは「ことば→手学習」の典型といってよいだろ
う。
軍隊の例から考えてもわかるように,命令系統の厳しい職場では,必ず教練 のようなものが大切にされる。つまり「ことば→手学習」をたたきこまれるわ けである。家庭でも厳しい「しつけ」をする場合には,「ことば→手学習」が重 視される。つまり親が命令したことを,子どもは「ハイ」といってすぐその通
り実行しなくてはならない。これがひどくなると,教練的(軍隊的)な雰囲気 になることはいうまでもない。これは親の生活を見よう見まねで学びとって行
く生活様式とは大分違う。親の手本とは無関係に,親の命令に従うのである。
ところで「ことば→手学習」は日常生活にも実に多い。家庭用電気器具の使 用法を,説明を聞いておぼえるなども,「ことば→手学習」に属する。もちろん 電気屋がやって見せるのを見て学ぶのだから「目→手学習」も入る。しかし電 気洗濯機の場合などは,電気屋が本当に洗濯して見せるわけではないから,説 明をよく聞いておぼえることが多い。つまり「ことば(説明)→手(洗濯)学
習」である。
では職場ではどうか。職場,ことに近代的な大工場では「ことば→手学習」
が大切になる。日常の仕事は,大抵上役が「ことば」で指示する。上役がいち いち手本を示すのではなく,「ことば」で指示するだけのことが多い。一般の 労働者はこれをよく聞いて,正確に実行しなくてはならない。また機械の取扱 いのルールが文章化されていることもあり,その規則を読んでその通り機械を 操作しなければいけないことも多い。こうしたことはまさしく「ことば→手学 習」である。だから「ことば→手学習」ができない者は,近代産業の労働者と して大変不適当なのである。この点で徒弟制度における職人とは大分異なった 能力が要求される。
(3)目で見たことをことばに表わす学習(目→ことば学習)
また軍隊の例になって恐縮だが「目→ことば学習」も軍隊ではなかなか厳し
い。たとえば点呼の時の報告,斥候の時の報告などでは,正確で簡潔な表現が
必要であり,これは決して容易ではない。だからかなりの練習を要する。
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軍隊というところは,ある意味で「ことば」を大靭にするところである。つ まり「目→手学習」だけでなく,「ことば→手学習」「目→ことば学習」をかな りさせられる。これはわれわれの日常生活とは大分違う。
ところで「目→ことば学習」も,軍隊ほど厳格なものでなければ,日常生活 にはいくらでもある。家庭で,子どもが学校などのできごとを親に報告するこ
とは,大切な「目→ことば学習」であろう。職場でも「作業の状況を上役に報 告する」「機械の故障の様子を修理係に説明する」などは,大切な「目→こと ば学習」であろう。こうしたことは近代的企業では大切なことであり,労働者 は「目→ことば学習」になれていないと困るのである。
なお「目→ことば学習」における「目」の意味は,「目」以外の感覚器官で 感じたことも含めてよいだろう。しかし手で感じたり,耳で聞いたり(ことば 以外のことを)することは,何といっても量的に少なく,その重要度も概して 低い。したがって「感覚器官で感じる」を「目」で代表させたわけである。以下
「目」の意味をそのように使う。
(4)ことばで表わされたことを見て確認する学習(ことば→目学習)
人が言ったことを本当か嘘か現場へ行って見てたしかめる。こうしたことは 日常生活ではかなりある。これは一見何でもないことで,学習などという程の こともないと思われる。しかし少し複雑なことになるとそう容易なことではな い。たとえばどこかへ見学に行く。大抵見学する前に説明を聞く。しかしいざ 本当の見学になると,さっと見流してしまい,説明と見たこととが結びつかな い。これなどは説明(ことば)を見てたしかめる(目)ことのむずかしさを示
している。
その他日常生活では
○人に命令したり,依頼したことが正しく行われているかどうか見て確かめ
る。
○他人の言行の不一致を批判する。
○子どもが「友達が教師の指示に従っているかどうか」を確認する。
などいくらでもある。
学習におけることぽの役割 (95)
なお,「ことば→手学習」にともなってなら,いつも「ことば→目学習」があ るといってよい。むしろ「ことば→目学習」なしには「ことば→手学習」はあ
りえない。手でした仕事の確認は,大抵の場合「目」で行う。だから「ことば
→手学習」を確実に行うには,「ことば→目学習」が不可欠である。しかしこ の場合は,2つが一体となっているのだから,特に「ことば→目学習」として
とり上げるまでもなかろう。
(5)ことばからことぽへの学習(ことば→ことば学習)
これにはいろいろなものがある。たとえば,
ことばのやりとり(会話)。
ことばを使って理論を述べる。
話しことばを書いた文章にする。 一 話の内容を要約する。
などのように。いずれも,その背後にある事実を問題にすれば,「目→ことば 学習」「ことば→目学習」が入ってくる。しかし一応「ことば」は「ことば」と
して独立している場合も多く(悪くいえば空理空論), こうした場合には「こ とば→ことば学習」になる。
学問的なことなら,文法や論理学の学習は「ことば→ことば学習」の典型で
あろう。
なおここで「ことば」という場合には,「数字」「記号」なども含めて考えよ
う。
(6) まとめ
今までの5つの学習を図にすると次の頁の上図のようになる。
図にしてみると,3つ程問題点があるのに気がつく。
第1は①の逆はないかということ。つまり「目→手学習」の反対「手→目学 習」はないだろうか。作業というものは,たえず目などのコソトロールによっ
て行われている。したがって手の仕事が目で見ることにもどり,また手の仕事
を調節をする,ということになる。結局「目→手学習」は,厳密にいうと,「目
2手学習」である。そういう意味では「手→目学習」はたしかにある。しかし,
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ば⑤ば博
と▲丁ーと
・ー・%
(知覚)①(作業)
学習におけることぽの役割
①目→手学習
②ことば→手学習
③目→ことば学習
④ことば→目学習
何の目当てもなしに手を動かし,その結果を目て たしかめるということは,非常に少ない。 (もっ とも幼児期にはかなりあるが)したがって特に
「手→目学習」としてとり上げる必要はないと思 う。「手→目学習」があるとすれば,それは「目→
手学習」の一部と考えてよかろう。
第2には②の逆はあるだろうか。つまり「こと ば→手学習」の反対「手→ことば学習」はあるだ ろうか。これもたしかにある。手でした作業が指 示(ことば)に合っているかを確かめる。これは
「ことば→手学習」にはつきものである。しかし この場合は,手でしたことを直接「ことば」と照 らし合わせるのではない。大抵その結果を「目」
で見て確かめるのである。したがって「手→こと ば学習」ではなく「手……目→ことば学習」とい
⑤ことば→ことば学習うべきである・図にすると左のようになる・
第3は,「ことば→ことば学習」における相互性
ことば
ー\呼
//即
である。行動(手)や知覚(目)と直接結びつく具体的なこと ばと,より抽象的なことばとの違いがある。そしてこれら2つ の間は,一方通行ではいけない。相互に往復しなくてはならな い。したがって「ことば→ことば」は必ず「ことばごことば」
でなくてはいけない。
2 学習のタイプ分けとその問題点
学習のタイプ分けについては,実際はそう単純ではなく,い ろいうな問題がある。そこで今,主として大きな問題点を4つほど述べてお
く。
(1)2つ以上のタイプが重なる学習
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たとえば機械の使用法を学習する場合を考えよう。教える人は,やって見せ てさらに説明を加えるのが普通である。したがって教えてもらう人(学習者)
は,「目→手学習」と「ことば→手学習」を同時にしている。このように現実 の社会で行われている学習は,2つ以上のタイプが重なっていることが多い。
そして2つ以上重なった方が学習の能率が上るのが普通である。
(2)いくつかのタイプが連続してまとまりのある学習となる場合 たとえばこんな場合を考えよう。
①子どもが交通事故の現場を目撃する。(目)
②子どもは親にその時の様子を報告する。(ことば)
③親はそれに関連して子どもにいろいろと注意を与える。(ことば)
④子どもはそれをおぼえ実行し,交通事故の起らないようにする。(手)
これは「目→ことば→ことば→手学習」の典型といってよかろう。学校など では,これを「目→ことば学習」(事実の報告),「ことば→ことば学習」(話し 合いなど),「ことば→手学習」 (注意事項を守る)と3つに分けてしまうこと がある。しかも学校では,最後の「ことば→手学習」が切り離されてしまい,
実際には実行されないことが多い。しかし職場などでは,最後の「ことば→手 学習」(実行)が大切なのである。たとえば次のような例を考えよう。
①問題(たとえば機械の故障)が起る。その様子をよく調べる。(目)
②上役にその様子を報告する。場合によれば同時に解決策を上役に具申する (ことば)
③上役の指示を受ける。場合によれば具申した解決策の承認を得る。(こと
ば)
④その解決策を実行する。(手)
これなどはやはり「目→ことば→ことば→手学習」である。この場合,一連の 流れがスムーズに行き最後まで完全に行われること,これが大切なのである。
ところでこうした学習は,親とか上役の人などが介入することも多いが,そ
うでないこともかなりある。生活上の問題を文章にしてまとめ,それにもとず
いて実践する。こうしたタイプの学習も,大体において「目→ことば→ことば
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→手学習」に属する。そしてこの場合には,他人がまったく介入していない。
以上のように,日常生活における学習は,1つのタイプが孤立してあるので はなく,いくつかのタイプのものが連続している場合が多い。その典型が今上 げた「目→ことば→ことば→手学習」であるが,その他にもいろいろある。3 つ程上げてみよう。
○目→ことば→ことば→目学習(見たことについて話し合い,もう1度よく
見る)
○ことば一→目→ことば学習(抽象的な法則を実地に見て確かめ,もっと具体 的にその現象を説明する)
○ことば→ことば→手学習(抽象的な表現を具体的な表現になおして,それ を実行する)
(3)「ことば」における「聞く・話す」と「読む・書く」の違い
いろいろなタイプの学習の中で「目→手学習」以外は,直接「ことば」が関
係している。
まず「ことば→手学習」を考えよう。この場合,次の2つに分けられる。
聞く→手学習 読む→手学習
たとえば電気器具の使用法を学ぶ場合,電気屋の説明を聞いておぼえるとした ら「聞く→手学習」である。これに対して,「使用法の説明書」を読んで使い 方を学ぶ場合には,「読む→手学習」になる。この違いはかなり大きい。まず
「読む→手学習」のためには文字が読めて内容を理解する能力が必要である。
ではそれだけで「読む→手学習」がスムーズにできるかというと,そうとは限 らない。たとえば電気器具の使用法を学ぶ場合,小説などをよく読み読書力の ある人でも,説明書を読んで使いこなせる人は非常に少ない。どうも人に説明
してもらわないと使い方がわからない,という人が多い。つまり「聞く→手学
習」でないとだめなわけである。いやそれでもだめで,実演を見ないとだめな
人も少なくない。つまり「目→手学習」でないと電気器具の使用法を学びとれ
ない人も多い。結局むずかしさからいうと
目→手学習 聞く→手学習 読む→手学習
易↑↓難
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となる。もっともこうした場合「読む→手学習」にも「目→手学習」が加わる ことが多い。つまり説明書には文章だけでなく図解がしてある。だから純粋の
「読む→手学習」ではない。しかし中心は「読む→手学習」である。
以上のように「読む→手学習」はむずかしいので,これがうまくできるかど うかが,社会における人間の優劣をきめる1つの基準になっているようであ る。つまり,文書で指示されたことが処理できる,あるいは実行できるという ことが,社会で上の地位(指導的地位)につくための必要条件なのである。た とえば工場で新しい機械を据えつけて運転するとしよう。その機械の原理を知 り,説明書などを読んで運転の手配をすること,これができなくては技術者と はいえない。
以上のように「ことば→手学習」は 聞く→手学習
読む→手学習
に分かれるが,同様なことは「目→ことば学習」についてもいえる。
目一ことば学習旧コ報鞘
ところで「目→話す学習」については,説明の要はないが,「目→書く学習」
については,例を上げて説明を加えよう。まず「目→書く学習」の初歩的なも のは,日常のことをメモすることである。さらに小遣い帖をつける,日記をつ ける,手紙で近況を知らせる。職場では,物品の数を記録する,当直日誌をつ ける,さらに複雑なことになると,1週間の作業の進捗状況を報告書にして提 出する,といった具合にいろいろある。これに比らべると,日常生活では「目
→書く学習」はむしろ少ないといってよい。手紙を除くと手帖のメモ程度がせ いぜいで,あとは「目→話す学習」で間に合う。
「ことば→手学習」「目→ことば学習」が2つに分かれるように,「ことば→
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学習におけることぽの役割
目学習」も「読み書き」が入るかどうかによって2つに分かれる。また「こと ば→ことば学習」の場合には,組合せが複雑でいくつにも分けられるにしても,
「読み書き」が入るか入らないかによって,大きな違いがあることに変りはな
い。
(4)社会の進歩にともなって起る学習のタイプの変化
社会が進歩発展すると,学習のタイプについてもいろいろな変化が起る。質 的にも量的にも。そこでその変化をはっきりさせるため,
職人的な社会 近代的企業
を対比させて,学習のタイプの違いを考えてみよう。いささか大ざっぱな考え 方だが,社会の進歩発展の方向を示唆することになるので無意味ではあるま
い。
まず職人の社会では「目→手学習」が大部分を占める。これに反して近代的 企業では,「目→手学習」が量的にもかなり減るし,質的にも重要度が低くな る。もっとも下級職員の仕事においては,「目→手学習」がかなり残る。しかし 上級職員になれば「人のやるのを見て,手先の作業に熟練する」といった,「目
→手学習」はほとんどなくなる。
次に職人の社会では,「ことば→手学習」のうち「聞く→手学習」が大部分で
「読む→手学習」はほとんどない。もっとも図面を読みとる程度のことはある が,とにかく一般的には「職人には読み書きはいらない」で通っている。また
「聞く→手学習」も相対的に見たらずっと少ない。これに反して近代的企業に おいては,「目→手学習」の減少にともなって「ことば→手学習」の重要度が増 す。一般の職員はほとんど「ことば→手学習」を中心に仕事を学んで行く。いわ ゆる「ことばで教えてもらう」が中心である。もちろんこうした場合にも,「目
→手学習」が残ってはいる。しかし相対的な重要性は,多分に「ことば→手学 習」に移る。この場合,下級職員では「聞く→手学習」が中心になる。これ淋 上級の職員になると「読む→手学習」が大切になることはいうまでもない。
その次は「目→ことば学習」についてだが,これも,職人の社会ではあまり
学習におけることぽの役割
(101)大切ではないし,あっても「目→話す学習」で間に合う。これに対して,近代 的企業では「目→ことば学習」の比重が増し,「目→書く学習」も大切になっ
てくる。
さらに「ことば→目学習」についても同様で,職人の社会ではあまり大切で はない。しかし近代的企業では,きめられたこと(大抵ことばで表わされてい る)がその通り行われているかを確認する能力,これが大切になる。ことに上 級職員では,部下の作業が規則通り行われているか,あるいは指示通り行われ ているかを確認することが,非常に大切になる。そして複雑化した内容になる と「読む→目学習」がより大切になることはいうまでもない。
最後に「ことば→ことば学習」についてはどうか。これは職人の社会では非 常に少ない。相談したり,弁解したり,意見をいうようなことは非常に少ない。
まして「読み書き」で応答したり,文章で理論を展開することなどはほとんどな い。これに反して近代的企業では「ことば→ことば学習」が大切になってくる。
何かあると打ち合せ会や連絡会をする。その場合ことばのやりとりの能力が大 切になる。もちろんこうした時には「目→ことば学習」も大切なのだが,それ に関連して規則や書物を資料とした説明も大切になる。またさらに,質問や修 正意見等を述べることも必要になる。こうなると大体において「ことぽ→こと ぽ学習」になる。
近代的企業では「職人に理屈はいらない」ではすまされない。
なお「ことば→ことば学習」においても,複雑化すればする程,文章にする ことが大切になる。また上級職員になると「読み書き」中心の「ことば→こと ぽ学習」が大切になることは当然である。
以上をまとめると次のようになる。
① 近代的企業では,職人の社会に比らべて,「ことば」の役割がより大き
くなる。
②近代的企業では,職人の社会と違って,厳密で安定性のある「ことば」
つまり「文字」が必要になる。ただしこのことは,そこで働く人がただ「読
み書き」ができればよいということではない。経験や行動と結びついた
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学習におけることぽの役割
「読み書き」が大切だということなのである。
3 学校における学習のタイプ (1)学習のタイプとその実例
〔目→手学習〕これは小さい子ども程大切である。教師の示範をまねる,友達 や上級生のするのを見てまねるなど。最も典型的な例は,教師の徒手体操を見 てまねることである。同様に体育においては「目→手学習」が多い。習字や図 工における写生なども,大すじにおいては「目→手学習」に属する。その他工 作・家庭科などで示範作品を見て作る場合も,細部には創意工夫があるにして も,大すじは「目→手学習」である。また集団生活における行動様式は,大体 において「目→手学習」で学びとることが多い。
〔ことば→手学習〕 このうち「聞く→手学習」は実に多い。「ベルが鳴った ら席につきなさい」「わかった人は手を上げて」から,複雑な理科の実験に至 るまで非常に多い。俗にいう 「先生の説明をよく聞いてやる」は,ほとんど
「聞く→手学習」である。同様にしつけの面で,「先生のいうことをよく聞く
(よく聞いて守る)」というのも「聞く→手学習」といってよいだろう。
ところで「読む→手学習」はどうか。これは案外少ない。実はこれは大切な はずなのに,実際は「聞く→手学習」にすりかえられてしまう。たとえば教室 に何か連絡事項を掲示しておく。ところがこれを読んで実行する子ども,つま
り「読む→手学習」をする子どもは少ない。そのため連絡事項が徹底しない。
そこで教師が念を押すためについ口でいってしまう。結局「聞く→手学習」に なってしまう。理科の実験でも同様である。教科書の説明をよく読めば実験で きることでも,一応教師が説明してしまう。ここでも「読む→手学習」が「聞
く→手学習」にすりかえられてしまう。
〔目→ことば学習〕 これは学校では割合に多い。このうち「目→話す学習」
の例としては,子どもが自分の体験を教師や友達に話すことなどがある。日常
の授業でも,学級会でも,その他学校の日常活動の中でもこれが多い。ところ
が小学校の高学年あたりになると,どうしても「目→ことば学習」が減ってく
学習におけることぽの役割
(103)る。つまり直接経験をもとにした話が少なくなり,間接経験(聞く読む)を通 じての話が多くなる。このことは受験中心の詰め込み教育が激しくなると一層 顕著になる。もっとも受験中心にならなくても,子どもが大きくなると,「目
→ことば学習」が減り「ことば→ことば学習」が多くなることは避けられない。
ところで「目→ことば学習」のうち「目→書く学習」はどうか。これも学校 では案外多い。日記・作文,理科における実験・観察の記録,見学などの感想 文などのように。
〔ことば→目学習〕理論的なこと,ことばで表現されたことを,目で見て確 かめることも案外多い。これはすでに述べたように,「ことば→手学習」にとも なってなら,いくらでもある。ところが学校では,「ことば→目学習」が独立 で行われることが案外多い。たとえば教師の説明を聞き,教師の実験を見て事 実を確認する。これなどは「ことば→目学習」である。これが子どもが自分で 実験してみるのなら,「ことば→手学習」あるいは「目→手学習」になるのだ が。また教師の課題をだれか1人の子どもが前に出てやってみる。それを他の 子どもは正しいかどうか見ている。この場合,実際にやっている1人の子ども は「ことば→手学習」をしているのだが,他の見ているだけの子どもは「こと ば→目学習」をしているにすぎない。つまり見ている子どもは「ことば→手学 習」のかわりに「ことば→目学習」をしていることになる。
このように考えてみると,現在の日本の学校では,本来「ことば→手学習」
であるべきことを「ことば→目学習」で間に合わせている場合が多い。
〔ことば→ことば学習〕 これは学校では実に多い。学習がほとんど「ことば
→ことば学習」になってしまうこともある。
まず話しことばを書きことばにする,つまり字を習うこと,これは学校教育 の出発点とさえ考えられている。もっともこれには「目→手学習」も入る。黒 板や教科書の字を見てそれをノートに書き写すのは,明らかに「目→手学習」
である。しかし,その発音や意味を習うのは「ことば→ことば学習」になる。
その他「ことば→ことば学習」の例は枚挙にいとまがない。
○教師の話をノートに書く。
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学習におけることぽの役割 ○本を読んで要点をまとめる,感想をかく。
○ことばの解釈や定義を学ぶ。
○人の話を批判する,解説する。
○人の話の疑問点を質問する。
○教師の質問に応じた答を,本の中からさがす。
○参考書を読んでその中の問題をとく。
○親や教師などに伝言する。
○教師の話や本の内容を記憶し,ペーパーテストに書く,あるいはレポート に書く。
○算数の計算問題をとく。
1日の子どもの学校生活を時間的に見たら,「ことば→ことぼ学習」が一番 多いかも知れない。ことに受験中心の教育では,「ことば→ことば学習」ばか
りになりやすい。
(2)2つ以上のタイプが重複および連続する場合
〔2つ以上のタイプが重なる学習〕 日常生活の場合と同様に,学校で行われ る学習も,2つのタイプが重なることが多い。一番多いのは「目→手学習」と
「ことば→手学習」の重なりである。
○体育において,教師が示範をして見せるとともに,説明や指示を与える。
それにもとついて子どもが実際に練習する。
○「姿勢をよくしましょう」と教師がことばで指示すると同時に,教師自身 も胸をはってみせる。そして子どもがそれをまねる。
こうしたことは,ことばの指示と視覚にうったえる手本とが,同時に子どもに 働きかける。つまり子どもにとっては,「ことば→手学習」と「目→手学習」と が重なっていることになる。
この場合問題となるのは,2つのウェイトの違いである。つまり「目→手学 習」が主で「ことば→手学習」が副の場合もあり,両方が対等の場合もあり,
逆の場合もある。一般に小さい子どもの場合は,「目→手学習」が主になり,
「ことば→手学習」が副になる。そして,子どもが成長するにつれて,「こと
学習におけることぽの役割
(105)ば→手学習」のウェイトが大きくなることは間違いない。年令が進んでも「こ とば→手学習」のウェイトが増さず,いつまでも「目→手学習」ばかりしてい る子どもは,概して知能が低い。したがって一般の子どもには,年令が進むに つれて「ことば→手学習」のウェイトを大きくしてよい。またするべきだろう。
もっともむずかしい内容の学習になると,やはり「目→手学習」が大切にな り,「ことば→手学習」が副次的役割になってしまう。したがって手本を見せ る,示範して見せることが大切になるのである。
以上「目→手学習」と「ことば→手学習」の重なりについて述べたが,その 他にもいろいろな重なりがある。
○「目→手学習」と「目→ことば学習」(教師がよい手本と悪い手本とを見 せ,生徒によい手本をまねさせる。同時にその違いを「ことば」でいわせ
る。)
○「ことば→ことば学習」と「ことば→目学習」(理科の実験の場合,書物 などの知識をもとにして結果を推定するとともに,実験の結果を目で見て 確認する。)
以上の2例も前と同様で,2つのどちらにウェイトが多くかかるかによって,
かなり学習の様子が変るのはいうまでもない。
〔2つ以上のタイプが連続している場合〕 まず割に多いのは「目→ことば→
手学習」であろう。学校での学習は,ただの猿まねではいけない。目で見たこ とを直接まねて実行するだけでは困ることが多い。そこでまず見たことを「こ とば」に表現して確認し,しかる後実行に移すことが多い。実験や作業などは,
教師が示範して見せ,それをすぐまねさせることもある。しかしその前に,仕 事の要点や手順をノートさせることがある。ノートして確認した後作業に入る わけである。つまり.示範を見る(目)→実際にやってみる(手)の間に,ノ ートする(ことば)が入るわけである。もちろん口でいわせてすますことも多 い。しかしいずれにしても「目→ことば→手学習」となっていることに違いは
ない。
今の場合は,その作業が模倣的な場合であった。しかし同じような場合でも,
(106)
学習におけることぽの役割 創造的なことが途中に入ることも多い。そうなると,
目→ことば→ことば→手学習
になる。たとえば栽培や飼育などの場合,日記をつけながら行うこと。そして その途中で自分で工夫したり,教師や親の助言などもとり入れる。これなどは
まさに「目→ことば→ことば→手学習」のくりかえしである。
「目→ことば→ことば→手学習」は,
経験から理論や法則を発見し,その理論や法則にもとついて実践する と解釈できることが多い。これをもう少し,具体的に分解してみると次のよう
になる。
①現実を認識する。ただし認識を確実にするためことばで表現する。(目 →ことば学習)
②そうした認識をもとにして思考し,.その解決策を考え出す。(ことば→
ことば学習)
③その解決策を実行に移す。(ことば→手学習)
というわけで,人間の認識・思考・実践の基本的関連を示すものになるだろ
う。
以上の他にも,いろいろなタイプの連続する学習があるが,実例は省略して
おく。
4 学校での学習の特徴
(1) ことばの役割が大きい
学校での学習は・何といっても「ことば」が大切な役割を持っている。学校 は「読み書きを習う」ところ,学校は「教師の話を聞いてものをおぼえる」と ころ。こうした学校観からすれば,学校は「ことば」に関する学習をするとこ ろとなる。
しかしこの場合は,むしろ「ことば→ことば学習」ばかりといってよい。「読
み書きを習う」ことは,話しことばを書きことばになおすことである。「教師
の話を聞いておぼえる」のも,やはり「ことば」の反復でしかない。そこでこう
学習におけることばの役割
(107)した教育に対して批判が起る。つまり現実とかかわり合いのない「ことば」の 学習に対する批判である。そこで直接経験の中から学習することが大切にされ てくる。つまり「目→ことば学習」が必要になる。
○生活綴方
○社会科で日常の生活経験からの話し合いを大切にする。
○生物・自然現象などの野外観察をして記録をつける。あるいは口頭で報告
する。
一方実践との結びつきも重視されてくる。つまり「ことば→手学習」が必要 になる。そこで作業的な学習が大切にされてくる。
○クラスで相談し実行するいろいろな学級活動 ○理科における実験・栽培・飼育
○模型などを作る工作
○絵をかいたり,図をかいたりする作業
また「ことぽ→目学習」も大切にされてくる。学校で習ったことを生活の中 で見て確かめる。これは学習指導の方法として大切である。
○生物や自然現象について習ったこと(ことばで)を野外で見てたしかめる。
○いろいろなところへ見学に行く。
○理科でならった原理の応用を日常生活の中でさがす。
以上のようなわけで,学校は ことば→ことぽ学習
が大切なだけでなく 目→ことば学習 ことば→手学習 ことば→目学習
なども大切にされるようになって来た。しかしいずれにしても,「ことば」が重 要な役割を持つ学習である。
〔注〕「ことぽ」を中心に考えると,5つの学習のタイプを次のように分けて・名称を
つけてよいだろう。
(108)
学習におけることぽの役割 目→手学習(ことぽを使わない学習)
ことば→手学習l
lill難1惣欝トをまを使う学習
以下,上のような名称を用いることもある。なお「読み書き」に関しても同様な使い
方をする。ではなぜ学校では「ことばを使う学習」が大切にされるのか。まず次のこと に気がつく。学校では1人の教師が大勢の子どもを指導する。だから「ことば」
で一斉指導するのが便利である。したがって「ことば」が大切にされる。この 理由は確かに一理ある。しかし本質的な理由ではない。
それでは学校で「ことば」が大切にされる本質的理由は何か。それは次の2
点である。
○ ものごとを深く理解するには「ことば」が不可欠である。
創意工夫は,「ことば」という道具を使う思考によって行われる。
○ 「ことば」を使う学習は,日常生活ことに家庭生活では充分なされてい ない。またなされにくい。
(2) 「ことば」偏重の学習になりやすい
学校での学習では「ことば」が大切にされている。しかしこれが行きすぎる といろいろ弊害が起る。いわゆる「ことば偏重」の教育になる。つまり「口先 のうまい人間が幅をきかす」「読書を多くする物識りだけがえらく見える」とい
う教育になる。これでは実行力のない人間を養成することになりかねない。学 校の優等生は必ずしも実社会で役に立つとはかぎらない,というわけである。
この理由は簡単で,次の2つにまとまる。
① 「ことば→ことば学習」のみの重視 ②「目→手学習」の軽視
①については,よくいわれることなので今さら説明する必要もないだろう。「こ
とば」が大切であることは「ことば」と「ことば」のつながりが大切なだけで
はない。「ことば」と直接経験や「ことば」と実践との結びつきが大切なので
学習におけることぽの役割
(109)ある。このことを感違いして「ことば→ことば学習」のみを重視しては,大変 な誤りになる。これでは本当に生活に役立つ学習にならない。またどうしても 抽象的な学習内容にかたよる。したがって子どもが学習に興味を失ってしまう ことも多い。しかも現実の学習では,「ことば→ことば学習」が必要以上に重 視される一方,「目→手学習」が軽視されることが多い。「目→手学習」は職人 的学習であることも事実だが,また現実の社会ではこれが大切であることも否 定できない。見よう見まねでおぼえることは,平易な仕事においては非常に多 い。したがって「目→手学習」はやはり大切である。だから学校でも,教師が
「ことば」で説明するだけでなく,手本を見せる,示範をしてみせる,図解す るなどを大いにして,「目→手学習」を子どもにさせることが必要である。ま たむずかしい教材を学習する場合,「ことば→手学習」の補助手段としても「目
→手学習」は大切であろう。
その他,子どもの興味を引くためにも,「目→手学習」は大切である。
○学習にあきやすい小さい子ども ○知能の低い子ども
○学習意欲を失っている劣等児 ○情緒不安定の子ども
などは「目→手学習」をとり入れた学習指導が大切である。
(3)読み書きの役割が大きい
学校での学習においては「ことば」の役割が大きいことはすでに述べた。そ の中でも「読み書き」が大きな役割を持っていることはいうまでもない。学校 は昔から「読み書きを習うところ」とされて来た程であるから。
ではなぜ学校では「文字」の教育を重視するのか。その理由は次の3点にま
とまる。
① 社会が進歩発展し,複雑になってくると「文字」の重要性が増す。つま り現在より未来の方が「文字」の重要性が増すと考えられる。したがって 未来の社会で活躍する子どもには「文字」の教育が大切になる。
②「文字」を使う学習は一般にむずかしい。したがって組織的な指導のも
(110)
学習におけることばの役割
とに学習することが必要になる。だから学校で教えることが大切になる。
③ 「文字」を使うことは日常化していない。ことに家庭生活では「文字」
があまりいらない。大抵話しことばで間に合う。家庭で学ぶチャンスが少 ないので,学校で学ぶことが大切になる。
以上のようなわけで,学校では「文字を使う学習」が大切なのである。しか しこれは,ただ「読み書き」を習えばよいというのではない。「本を読んで理 解する」「文章を正しく書く」この2つは大切ではあるが,これだけでは不充
分である。
○読んで学んだことを実行する。
○現実を正しく把握し,文章に表現する。
○読んだことを直接見てたしかめる。
のような場合の「読み書き」も大切なのである。
したがって「読み書き」が大切なのは,国語の時間だけではない。国語の時 間は・どちらかというと・「ことば→ことば学習」が中心になる。だから国語 以外の教科でも,「読み書き」を重視しないのはよくない。国語の時間でない から,話しことばでわかればよい。読んだり書いたりできなくてもよい。こう
した考えは,必ずしも正しくない。国語以外の教科でも「読み書き」が大切で ある。つまり国語で「ことば→ことば学習」としての「読み書き」を学習する とすれば・他の教科では「読む→手学習」「目→書く学習」「読む→目学習」な どを大切にする必要がある・これは数学・社会・理科のような知的教科だけの ことではない。体育や図工などでも大切である。つまり,実技と文章表現との 結合が必要になる。ルールブックを読んでそれに従う,工具の使い方を本を読 んでおぼえる,といった「読み」の学習も大切である。こうしたことをしない と「読む→手学習」が不足してしまう。したがって,読解力があっても「読む
→手学習」ができず・「聞く→手学習」しかできない人間が育ってしまう。
まとめていうと次のようになる。
学校では「読み書き」が大切にされるが,これは「読み書き」そのものを
学ぶだけではいけない。「読み書き」を使うことも充分学ぶ必要がある。
学習におけることばの役割
(111)5 日常生活や職業生活における学習と学校における学習との比較
(1)日常生活における学習と学校における学習との比較
第1表は,この2つの比較を表にまとめたものである。もちろん厳密なもの
ではないが。
〈第1表〉日常生活における学習と学校における学習の比較
目→手学習
ことば→手学習
目→ことば学習
ことば→目学習
ことば→ことば 学 習
目常生活における学習
・これが断然多い
・質的にも重要
・人物評価はこれでされやすい
・目→手学習の次に多い
・聞く→手学習が多い
・読む→手学習は少ない
・これは大分少ない
・目→話す学習が大部分
・目→書く学習は簡単なことで足
りる
・これで人物評価されることも多 い(説明上手として大切にされ
る)
・やってはいるが案外大切にされ
ない・聞く→目学習が多く 読む→目学習が少ない
・これで人物評価されることは少
ない・これは割に少ない
・読み書きはあまり入らない
・これで人物評価されることは少
ない学校における学習
・量的に見ても大分少ない
・質的にもあまり重要でない
・これで成績が評価されることは 少ない
・目→手学習に比らべると大分多
い
・聞く→手学習が多いが 読む→手学習も大切
・これはかなり多い
・目→・書く学習も多くなる
・複雑な目→:書く学習が大切
・これで成績が評価されることも 多い(作文・実験のレポートな
ど)
・これが割に多い
・聞く→目学習もあり 読む→目学習もある
・これで成績が評価されることは 少ない
・これが非常に多い
・話す聞くも多いが,読み書きが 断然多い
・他の学習がこれにすりかえられ やすい
・成績の評価は多くこれでなされ る,ことに読み書きでなされる この表のこまかい説明は省略して,全般的な特徴を上げてみよう。
①日常生活では「目→手学習」が多く,学校では「ことば→ことば学習」
が多い。
②日常生活では「読み書きを使う学習」が少なく,学校では「読み書きを
(112)
学習におけることばの役割 使う学習」が断然多い。
③人間の評価については,日常生活では「目→手学習」で評価されること が多く,学校では「ことば→ことば学習」で評価されることが多い。こと に学校では「読み書き」中心の「ことば→ことば学習」(ペーパーテスト)
で評価されることが多い。
このような違いがあるので,学校的な学習が得意な子どもと,日常生活の学習 が得意な子どもとの違いが出てくる。つまり「ことば→ことぽ学習」の得意な 子どもは,学校の成績がよい。これに反して,「ことば→ことば学習」が下手 でも「目→手学習」が得意な子どもがいる。こうした子どもは,学校では成績 がよくないが,日常生活では「気のきく子ども」「ものおぼえの速い子ども」
としてほめられることが多い。
しかしこうしたこともだんだん変ってくるようである。つまり日常生活でも
「目→手学習」万能な時代は去りつつある。たとえば家庭用電気器具の普及を 考えよう。電気というものを視覚的直観のみで取扱うのは危険である。視覚を 越えた「電流」という概念を理解するためには「ことば」がどうしても必要に なる。したがって,電気器具の取扱いは,「ことば→手学習」「目→ことば学 習」「ことば→ことぽ学習」などで学ぶことが多くなる。こうなるとだんだん 学校的学習も必要になる。
上の例は電気に関することだが,同様な例はいくらでもある。
結局,日常生活における学習が,だんだん学校的なものに近づいて来つつあ る,ということであろう。しかし現在の段階では,まだまだ両者のひらきは大
きい。
(2)職業生活における学習と学校における学習の比較
職人的職業における技能の習得と,学校における学習との比較はどうか。こ れは日常生活における学習との比較と大体似ているから省略しよう。
したがって職人の社会も近代化してくれば,「目→手学習」のみでは通用しな
くなってくる。新しい機械を使う,複雑な図面を使う。こうなってくると「こ
とばの必要な学習」も大切になるし,「読み書き」も必要になってくるだろう。
学習におけることぽの役割
(113)職人の社会も,少しずつではあるが,学校の学習に似たことが行われるように
なってきた。
さて職人の場合はそのくらいにして,近代化された企業内での仕事はどうだ ろうか。近代化された企業内での職場の学習はどんな特徴があるだろうか。そ れはすでに述べたように,「ことば」の役割が大きくなるということであった。
つまり分業が進めば「ことば」での連絡・指示などが大切になる。したがって 職人の社会のように「読み書きは不要」というわけにはいかない。しかし「こ とば」の役割が大きいといっても,誰もが同じではない。近代的な企業では分 業が徹底している。しかもその分業は,横の分業ばかりでなく縦の分業も徹底
している。つまり直接手を使って働く者と管理的仕事をする者との分業であ る。実はここに大きな問題がある。
そこで今,両者の学習のタイプを比らべて,その上で学校における学習のタ イプとの比較をしてみよう。
まずはなはだ厳密さを欠くが,下級職員と上級職員との2つを対比させ,そ の違いを第2表にまとめてみた。ここで下級職員とは,たとえば工場における 工員のような職種で,上級職員の指示により直接実務を行う者である。つまり 手先の技能を中心に仕事を行う者としよう。また上級職員とは,下級職員を指 揮監督したり,仕事の計画を立てたり,あるいは幹部職員の指示を具体化して 実行に移すようなことをする者としよう。工場では技術者といわれるような職 種を考えたらよいだろう。
この表で明らかなように,下級職員では,どうしても手先の技能がものをい い,「ことば」の重要性が低い。ことに「読み書き」の重要性が低い。これに 対して,上級職員では,手先の技能はあまり問題ではなく,「ことば」の有効 な使用がものをいう。もちろん「読み書き」を使う学習が非常に大切になる。
また別の観点に立てば,判断力や創造力がものをいい,さらにそれを「ことば」
で表現する能力が大切なのである。
以上のことを頭において,学校の学習との比較に移ろう。
学校での学習は,何といっても上級職員の仕事のタイプに似ている。つまり
(114)
学習におけることぽの役割
〈第2表〉企業内における上級職員と下級職員との学習タイプの比較 学習タイプ
目→手学習
ことば→手 学習
目→ことば
学習
ことば→目 学習
ことば→こと ば学習
上繍員(管理的地位にある者・仕事の計画を立てる等をする者)
事程 が大 仕れ すは るそ て感 しす 下か いを働 少接先な手を 虫ぼと,V に直手 はもいな こも少切れとなで
・読む→手学習が大切
この読むことの中には外国語も含ま
れる・目一・話す学習・目→書く学習ともに 大切,つまりものごとを説明する能 力が大切
・複雑なことでも,まとめて報告書に するような,高度の「目→書く学習」
も必要
・これが非常に大切,これが下手では 部下の監督ができない,また作業の 管理もできない
・読む→目学習も大切(外国語をも含
む)
○これが非常に大切
・上からの指示を下の者へ伝達する能 力
・下の者の意見を上へ伝達する能力
・読んだこと(外国語も含む)を平易な 話しことばにして下の者に指示説明 する能力
・文書での質問や指示に文書で答える 能力
・会議等で説明や討議をする能力
・人と交渉をする能力
○いずれも「読み書き」が非常に大切
下級糧傷簾離霧薯)
・これがかなり多い
感で学びとり,手速く仕事をす る能力が大切
・聞く→手学習が多く,これが大
切・読む→手学習は簡単なもので間 に合うし,そう多くない
・目→話す学習で大体間に合う
・口→書く学習はメモなど簡単 なものができればよい
・聞く→目学習で閲に合う
・大体において平易なことが見て 確かめられればよい
・これはあまり大切でない
・しかし何か問題が起ったりした 時はこれが大切になることもあ
る
・読み書きの入る「ことば→こと ば学習」はあまりいらない
「ことばを使う学習」が多く,ことに「読み書きを使う学習」が多い。この点 が非常に共通している。ことに「ことば→ことば学習」が多い点で共通してい る。このことは別の表現をとると,上級職員になるには充分な学校教育を受け ることが必要だということに外ならない。事実上級職員は大部分が大学高専出 で占められている。
ところで下級職員の仕事と学校の学習との比較はどうか。この2つにはどう
してもずれがある。つまり「ことば→ことば学習」1つをとっても,学校では
これを重視するが,下級職員の場合にはあまり重要でないことが多い。中学の
学習におけることぽの役割
(115)ホームルームで会議の仕方を習っても,卒業して職業につけば命令されたこと をするだけで,会議はおろか話し合いの能力を生かす余地もない。こうした例 はめずらしくない。また中学でむずかしい「読み書き」を習ったり,物の理屈 を学んだりしても,卒業して職業につけば,「感」でぱっぱっと片づけて行く 仕事が多くて役に立たない。こうしたことから,職人の場合程でなくても,や はり学校の勉強はあまり役に立たぬ,ということは争えぬ事実であろう。
しかし以上のようなずれも,企業が近代化すればする程変ってくるであろ う。つまり下級職員でも「目→手学習」が減って「ことば→手学習」が多くな る。そしてそれにともなって,「目→ことば学習」なども必要になる。また「こ とば→ことば学習」もそう多,くはならないにしても,だんだん必要になってく る。こうなってくると,学校の学習に大分近づいてくるわけである。したがっ て学校教育の実際的価値もだんだん高まって行くのである。現に大企業では,
工員でさえも主に高校卒を採用するようになってきた。
以上のことをまとめると次のようになる。
①学校の学習のタイプは,上級職員の仕事のタイプと共通点がある。した がって,学校教育は将来社会で上の地位になる者にとって役立つことが多
い。
②学校の学習のタイプは,下級職員の仕事のタイプとは大分ずれがある。
したがって学校教育は,一生下級職員ですごす者にとっては,あまり役に 立たないことが多い。
③②のことは事実だが,下級職員でも,次第に学校的学習が大切になって くる。しかしこれは学校での学習が,「ことば→ことば学習」の偏重から脱 皮することを前提としている。
6 む す び
最後に,次のような4点を指摘してまとめとしよう。もちろんさまざまな疑
問点も多く,そう簡単にいい切れないことばかりだが。以下それを箇条書にし
て,若干説明をつけ加えよう。
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