平成24年度 修士課程学位論文
図画工作科における工芸ジャンルの現状と可能性について
兵庫教育大学大学院 学校教育研究科 教科内容・方法開発専攻 文化表現系教育コース M11190J 岡田 恵里子
目次
はじめに.................、.................、..、.、.、............、..、...................................................、.......1
第1章 「身近なものを作る」工芸教育の歴史...........................、.......................、.......3
第1節 工芸教育の歴史一北欧から世界へ一...............、.......、..............................、....3
第2節 工芸教育の日本での広がり.....、、...、.......................................、......、、.、............4
第1項 後藤牧太らによるスウェーデンの手工教育の導入............、........、....、.......5
第2項 日本における手工教育の成立と変遷.......................、.........................、......7
第3項戦後の工芸・工作教育の変遷.........................................................、..、.....8
第2章 図画工作科における工芸教育の取り扱い.、.........、...........................................9
第1節 図画工作科における 伝統工芸 及び「身近なものを作る」ことの取り扱い
について...................、..............、........................、..........、、、............................、、............9
第1項 学習指導要領での工作(工芸)の取り扱い..................、......、...................9
第2項 現代の教科書での工芸ジャンルの取り扱い...............................、...........12
第3項 小学校現場での工芸ジャンルの取り扱い................................、、............15
第3章 r丹波布」を取り入れた授業の調査と検証.........、..........、.............................21
第1節 「丹波布」を用いた学校と社会教育施設との連携授業について、..、.........、.21
第1項 丹波布について、...、...................、.........、.......、.、...........、..........、..........、、.....21
第2項 実践授業の概要 . .... .... .... .... .... .......21
第2節 実践授業を通して得た社会教育施設との連携の成果と課題 ... 29
第1項丹波布づくりふりかえりカードの分析考察...........................................29
第2項 社会教育施設と連携することで得られた美術教育的効果について........33
第3項 社会教育施設などとの連携の課題について...................、...................、.、.34
第4章 学杜連携を教科教育へ結びつけるために.........、.....................................、.....36
第1節 学杜連携を促進するための第3の機関について...........................、...........36
第1項 学校教育と社会教育の連携の歴史について.......................、、. ..........36
第2項 文部科学省による推進事業について...........、........................ ..........38
第3項 第3の機関を設置し学杜連携の強化を図った実践例、............ .........39
第4項 実践例から考える第3の機関設置の意義とあり方について 、.......,....41
第2節 工芸教育のもつ可能性について..............、......、............................_。__.42
おわりに、...........................…................、.......、................................、...........,. ...44
註.....................................,........................................、..........、.................. .....46
付録.....、.........、..........................、.................................…................、......... ..._...47
はじめに
筆者は教育大学で学び、また芸術系美術コースに所属し、制作活動を行う中で、学校教 育、特に美術教育として「手で身近なものを作る」ことの重要性を感じるようになった。
現代の子どもたちは自分の使うものや身の回りの物をほとんど既製品でまかなうようにな り自分が毎日身に付けている服や使っている食器がどんな材料からどうやって作られるの か知ること、またものづくり自体の経験やものをつくる中で工夫をするといった経験が日 常生活において乏しい現実がある。このような子どもたちの現状に対し、「手で身近なもの をつくる」つまり工芸教育を学校の授業として行う必要があると考える。
筆者が考える工芸教育とは、
・自然の材料のよさを感じること
・伝統を学ぶことができること
・ものをうみ出したり工夫する経験ができること
・手指の技能を発達させること
・ものを大切にする心を育むこと
・発想力や創造力を育むこと
などの教育効果が期待されるものである。これらの工芸教育の持っ教育的効果を現代の子 どもたちの教育に取り入れていくことが今後さらに必要になると考え、工芸ジャンルのも つ可能性について研究することにした。
本論文では、人々が必要なものを自ら生み出すことで成立してきた 伝統工芸 に着目 し、小学校の図画工作の時間に 伝統工芸 を取り入れることにより引き出される美術教 育としての効果を検証すると同時に、効果的な取り入れ方を考察することにした。尚、伝 統工芸と一口に言っても非常に多岐にわたるものであるが、本研究では本学(兵庫教育大 学)に隣接する丹波地方にある「丹波布(たんばふ)」又は「丹波木綿(たんばもめん)」を 題材にして研究を進めたい。
本論文では、工芸教育の重要性とその効果を明らかにし、今後の工芸教育の普及のあり 方について社会教育施設との連携を一つの方策として考察した。
第1章では、北欧における工芸教育の始まりと発展、その教育方法と理念が日本にどの ようにして導入され現在に至るのかについて傭瞭していく。
第2章では現代の図画工作科における工芸教育がどのように取り組まれているかについ て調査及び考察した。第1節では学習指導要領と主要な図画工作科の教科書における工芸 教育の取り扱いについて調べたるとともに、小学校の現職教員を対象としたアンケート調 査を行い、学校現場での取り組みの実態と教師の工芸に対する意識、社会教育施設との連
撲に関する実態を調査し考察した。アンケートの結果、教員が工芸教育を行うことに教育 的意義を感じながらも授業に取り入れることができない状況にあることがわかった。この 状況を打開するための方策として社会教育施設との連携に着目し、12年にわたり学校と社 会教育施設とが連携して行っている、「丹波布」をつくる授業について調査および検証をす
ることにした。
第3章では兵庫県丹波市にある佐治小学校で行われている、伝統芸品「丹波布」を作る 授業をもとに社会教育施設と連携して工芸の授業を行うことについて調査・検証した。こ
の授業が子どもたちに与える教育的効果を検証するとともに、学校と社会教育施設との連 携の効果と課題についても考察した。その結果、学杜連携を図ろうとする際に、学校側の 需要とそれに適した社会教育施設の供給とを結びっけるものがないということが課題とし て見えてきた。そこで学校と教育施設とを結びつけるコーディネーター的な存在の第3の 機関を設置するという発想に至った。
第4章では、第3章で考えた第3の機関の存在がすでに取り組まれている先行研究から その効果と学校教育と社会教育のこれからのあり方について考察した。その結果、この第
3の機関を活用することで学校と地域・社会を連携によってより強く結びつけることがで きるのではないかと考えた。
このようにして、学校だけでなく社会全体で子どもたちを育てていく体制をつくるきか っけとして工芸の授業で連携を行うことができる。また、そこで生まれた連携を他の教科 にもいかしていくことができるようになると考える。
これからの時代において、地域社会全体で子どもたちを育てていくことがとても重要に なり、筆者は工芸教育がそのきっかけとなることが可能であると考えている。
第1章 「身近なものを作る」工芸教育の歴史
第1節 工芸教育の歴史一北欧から世界へ一
現在日本の小学校で行われている「図画工作科」の始まりは、1980年(明治23年)、野尻 精一(山形師範学校の校長)と後藤牧太(高等師範学校教諭)が当時のスウェーデンの手工教 育を学びそれを日本に持ち帰ったことから始まる。当時スウェーデンのネースではオット
ー・ Tロモンが設立したネース手工師範学校でスウェーデン式の手工教育が行われていた。
この頃、手工教育はr手工科・スロイド」と呼ばれていた。まずこのr手工科:スロイド」
について見ていく。
スロイド(s1δjd=スウェーデン語)とは、本来r木彫り、木工」という意味で、現在では 手仕事を意味している。隣国のフィンランド語での表現ではkasity6(カシテユオ)といい、
k査si(手)とty6(仕事、労働)の複合語で、これもまた手仕事を意味している。これらの手仕 事とは、家内工業や商業が十分発達していなかったフィンランドで昔から続けられてきた
自給自足生活を支える生活技術で、食器や家具、繊維製品、農具・農機具、馬車、ソリ、
舟、家など、生活に必要なありとあらゆる品々を手で作ることであった。従来、北欧では 自分たちが日常生活で使う製品を各家庭内で手作りし、その製作技術は、親から子へと受 け継がれてきた。このため、手仕事は親から子へ、子から孫へと伝える教育的作用があっ たのである。
北欧ではこのようにして手仕事からものづくりの技術や労働を愛する姿勢など、手でも のを作ることの大切さを、家庭を中心に伝えられてきた。しかし、イギリスで始まった産 業革命が1840年にフィンランドにも到来し、人々は工場で作られた簡易で取り換えのきく 生活用品を買い求めるようになった。自分たちで使うものを作る必要が無くなったため、
家庭での手仕事は急速に衰えていった。また手仕事が失われていく」方で、それを生業と していた農村の人々が都市に仕事を求めて流れ込んでいくという現象が起こった。その中 の」部の人々は都市での社会生活に馴染めず失業し、身を持ち崩し始めた。そして社会全 体としても、自分に必要な物は安い工場製品に頼り、壊れればすぐ代わりのものを買うと いう流れができ始めていた。これらの事態が社会問題となった頃、再び手仕事が注目され 始めるのである。初めに手仕事の大切さを訴え、手工教育の発端となる考えを生み出した のは、フィンランド人のウノ・シュグネウス(Uno Cygnaeus,1810.1O.12−1888.1.2)であ る。{1)彼は父親から、手でものを作ることの有効性について教えられ、繰り返し練習をし てその技術を習得する教育を受けて育った。その後彼は大学を卒業し、教師として各地を 回る機会を得るが、その中で自国の初等教育のレベルの低さに気が付き、何が足りないの か考え始めた。1839年の夏、彼はアメリカに在住していた際にその地に暮らす人々の生活
を見て、手仕事を子どものうちから練習させることが重要であると確信した。そしてフィ ンランドに戻ってきた彼は教会学校長などの教職に携わりながら、自国の初等教育におい て手仕事を組み込むことを主張し始めるのである。この主張を受けて、労働することの重 要性や喜び、ものを生み出し大切にすることで培われる想像力や精神力など、社会で力強 く生きるために必要な力を養うために手仕事が有効でありその教育の必要性が見直された。
そして、手仕事を子どものうちに学はせるよう、初等教育に取り入れようという運動が起 きるのである。この流れを汲んで1866年、フィンランドにおいて世界で初めて手仕事を学 ぶこと、つまり手工教育が始まるのである。このシュグネウスの教育理念を受け継ぎ、手
工教育の体系を完成させたのがスウェーデン人のオットー・サロモン(0tto
Sa1om㎝,1849−1907)である。彼はユダヤ人の両親のもとで1849年11月にスウェーデンの イェーチボリに生まれた。彼が大学生の頃、母方のおじにネースに移り住むよう求められ、
それを機にかねてから教育に関心を持っていたので近くの国民学校を訪問したり、日曜学 校で教えたりするようになった。そんな中、手でものを作り出すことの重要性に気が付い たサロモンは1872年、小学校を卒業した少年たちを対象にした手工教育を施す学校を設立 した。またサロモンは1877年にフィンランドを訪れシュグネウスに出会い交流を深める中 で、手工の小学校の教科としての必要性を確信した。そこでサロモンは手工教育の体系化 に取り組みはじめ、北欧の伝統的手工芸を調査・検討して教育的手段として組織だてをし たのである。これがスロイド・システムまたはネース・システムと言われるものである。
彼は後にこの学校をネース師範学校と改め手工教員養成の専門学校にし、国内外からたく さんの人々を受け入れスロイド・システムの講義を行った。1888年の夏のコースに日本人 も参加し、ここで学んだことを日本に持ち帰るのである。このようにして、手工教育は生 まれ、これ以降北欧諸国を参考にして手工教育は世界に広がっていくのである。
第2節工芸教育の日本での広がり
日本では、手工は明治19年(1886)に高等小学校の加設科目、師範学校では必修科目とし て始められた。当時の初代文部大臣の森有礼が教育改革に力を入れており、普通教育の基 礎をつくりあげた頃であった。しかし、実際には小学校ではほとんど手工は加設されず、
また師範学校でも手工を教授するものはいなかった。これは当時の人々の中で、手工は何 をすればよいのかはっきりしていなかったためである。この状況をうけ、文部省は師範学 校の手工教員養成のための養成講座を開いた。この時手工教授法を担当したのが上原六四 郎である。彼はフランスの手工文献を翻訳し、そこに自分の見解を加えて教授した。この 養成講座の第一回目に出席した森有礼は訓辞として「いま小学校に手工を課すのは困難で あるが、しかしこの時勢を変えなければならない。この講習会はその種子を蒔くものであ
4
る。まず師範学校で十分実施されることを望む。」(2〕と述べ、さらに次のような言葉で手工 の必要性を明言した。
「手工・農業ノ学科ハコレ金ク児童二勤労ノ習慣ヲ養成シ其ノ長スルニ及ンテハ、以テ独 リ英ノ」個人ノ白保自治ヲ得ル為ノミナラス其ノ家族、親戚、朋友、同郷及ヒ国家ノ為其 ノ仁情義気ヲ尽クス二足ルヘキ実カノ基本ヲ得セシムルニアリ、即能ク、国民教育ノ趣旨 ヲ連センカ為ナリ。… 」(3〕
この言葉を受け、各地の師範学校に手工が加設されるようになった。また明治21年から は東京府において府下小学校教員のための手工教員養成講座も開かれるようになった。こ の講習会も上原六四郎が担当し、この時の講義内容が〈東京府学術講義・手工科講義録>
として出版され、日本の手工教育草創期の基礎となった。
第1項 後藤牧太らによるスウェーデンの手工教育の導入
森有礼、上原六四郎らにより進められていた手工教育の発展は、明治22年2月に森有礼 が暗殺されたことで影を落とし始めていた。そこで新たな手工教育の発展の鍵となったの が後藤牧太である。
後藤牧太は1853年に愛知県の医師の長男として生まれた。慶庵義塾大学で英学を学んだ 後、明治14年(1881)東京師範学校の教諭となった。明治16年に東京師範学校科規則が改 定され、小学師範科に実業科が設けられることになり、その実業科の中の工業を後藤が担 当することになった。後藤は工業の授業で木や竹、硝子等を用いて日用品及び簡易機械の 製作等の授業に携わった。(4〕前述した通り、明治19年の学校制度の改革で高等小学校と尋 常師範学校に手工科が創設されることとなったが、その頃手工科の教員養成においてどの
ようなことを教授すればよいのかは、まったくの手さぐり状態であった。上原などの存在 もあって日本国内で手工教育を盛んにしようという動きは続けられていたが、文部省は先 進諸国の手工教育についてさらに調査・研究する必要があると感じ、英学を学び語学も習 得している後藤を派遣することに決めたのである。
後藤は明治20年から23年までイギリス・スウェーデン・アメリカなどの国々で手工教 育と物理学を学んだ。特に明治21年にスウェーデンで学んだことが、その後の日本に大き
く影響してくるのである。
明治21年後藤は、当時ドイツに留学中であった野尻精一と共にスウェーデンを訪れる。
そこではオットー・サロモンが創設したネース手工師範学校の外国人向けの夏期講座が行 われていた。そこで後藤と野尻の二人はサロモンから直接指導を受け、サロモンの確立し たスロイド・システムを学んだのである。
諸国での調査・研究を終え明治23年に帰国した後藤は、東京工業学校に師範学校の教員 養成のため新設された機械特別科において手工教授法を担当することとなった。また翌年 には高等師範学校の理工学科に手工を新設し、ここでスロイド・システムによる授業を行
った。後藤の行った手工教育はサロモンと同じ理念のもと、日本らしい竹などを材料にし た題材設定であった。こうして後藤はスウェーデンのスロイド・システムを日本に紹介し、
日本における手工教育の指針を表したのである。
以下に後藤の示した手工の目的と手工科教材選択標準を掲載する。
1.手工教育の目的
手工を小学校に課す日的について次のようにまとめている。(5〕
r第一 第二 第三 第四 第五 第六 第七 第八
手を普通一般に器用うならしむること 労働を愛するの気風を養成すること
自特心即ち自らを頼む心を養成すること 秩序精密及び清潔の習慣を養成すること 注意と勉強の習慣を養成すること 眼の練習と審美心を養成すること 実物に接するの利益あること 手工は他の学科の助けとなること
その他手工の種類によりては児童の健康を助くる動力を有す。木工の如きは是なり。又 手工は実用に適する知識を与うるものとす。要するに手工の目的は手を器用にし、又職業 上の徳性即ち身体を用うる仕事に於ける徳性を養い、その実物に接し、知能を発育するの 効力を有するにあり。」
2 手工科教材選択標準
手工教材の選択標準について主要な点を描きのように述べている。(6)
「一 手工は生徒の力に適すべきものたること 生徒の好む仕事を選ぶこと
有用品を製し得べき仕事を要すること 教科の順序を立ち得べき仕事を要すること 手の普通の練習を与うべき仕事を要すること 精密の習慣を養い得べき仕事たること 清潔の仕事たること
眼の練習となり審美心を養い得べき仕事たること 健康に効力あるべき仕事を要すること
有用の知識を与え且つ学校の経済に相応するの仕事を要すること」
注)後藤は学習者のことを生徒としているが、小学校が対象のため正確には児童であるだ
ろう。
後藤の活躍もあり、明治23年(1890)小学校令が改正され、尋常小学校にも手工が加設
科目として実施されることになった。これまでは手工科は農業・商業と並んで記され実業 科目として取り扱われてきたが、ついにこの小学校令によって尋常小学校から一貫した普 通教育として手工が行われるようになるのである。
第2項 日本における手工教育の成立と変遷
明治25年以降、手工教育は一般に普及するが、主に次の3つの要因から教科としての危 機にさらされた。
1.現場教員の問題 2.手工教育の理解の問題 3.教育思潮の変化
これらによって手工の教科としての存在意義が揺らいでしまっていたが、明治33年の小学 校令の改定で手工の教育目標が明示されるとともに、師範学校の手工教員養成の課程を高 等師範学校に設置することで手工教育の充実を図ろうとした。さらに日本における教育的 手工を完成させようという動きも出てきた。その中心となったのが上原六四郎と岡山秀吉 である。二人は今までの自分たちの小学校での実践をふまえた上で、後藤がスウェーデン から持ち帰ったスロイド教育をその特質や目標などは尊重しつつ、教材に独自のものを加 えて日本における教育的手工教育を完成させた。そして明治37年には小学校の教師用の手 工教科書をつくりあげた。ここでようやく日本の小学校における手工教育の形が整ったの
である。
その後も岡山秀吉らの活躍により、欧米の発想を取り入れたり新しい材料が考案された りするなどして手工教育は発展を続けた。そして、大正15年の小学校令により手工科は高 等小学校で初めて必修の科目となったのである。
第一次世界大戦後、日本に労作教育の思潮が入ってきた。また同じころ、その戦いで負 けたドイツが教育改革で公民科と作業科を設置し、そのことが国の再建に大きな効果をも たらしたことが日本にも伝わってきた。そのことがきっかけとなり作業教育を実施する中 学校が現れはじめた。その流れを汲んで、昭和6年の中学校令施行規則の改正で公民科と 作業科が新設された。また同時に教育課程も改定され、卒業後に就職を希望する第一種課 程と、卒業後に進学を希望する第二種課程が作られた。それぞれの課程は基本科目と増加 科目とで構成されており、作業科は第一種・第二種課程ともに基本科目として必修の教科
とされた。
作業科については、「作業科ハ作業二体リ勤労ヲ尚ビ之ヲ愛好スルノ習慣ヲ養ヒ目常生活 上有用ナル知能ヲ得シムルヲ以テ要旨トス 作業科ハ園芸、工作、英ノ池ノ作業ヲ加スベ シ…」(7)とされ、ここで初めて「工作」という科目が現れるのである。その後昭和12年の 末に教育改造を目指して教育審議会が設置された。その教育審議会により図画や工作は芸
能科としてまとめられ、分教科となった。この芸能とは、芸術技能を略したものである。
また一方では昭和14年(1939)から第二次世界大戦が勃発した。その影響もありながら、
昭和16年の国民学校令により小学校は国民学校と改称され、手工科は工作科となり初めて 必修教科となった。この国民学校令においては芸能科に音楽、習字、図画・工作が含まれ ており、その日的は国民に必要な芸術技能を磨き情操を養い、国民生活を充実させるとさ れていた。しかし戦争の影響でこれらの内容はほとんど実施されなかったようである。
第3項 戦後の工芸・工作教育の変遷
第二次世界大戦に敗れた日本は、連合国占領軍の管理のもと教育再建を行い、昭和22年
(1947)教育基本法、学校教育法などを公布し教育全体の立て直しを行った。その中で、
図画と工作は一つに統合され、学校教育施行規則により小学校と中学校に「図画工作科」
として必修化された。図画と工作を一つにしようという試みは明治37年頃から小学校の低 学年を対象に一部で行われていたが、この統合は占領軍の意思によるものであった。
またこの時、教育基本法などと共に学習指導要領が編集された。本来は各都道府県や市 町村の教育委員会が編集すべきであるが、すぐには難しいので文部省がサンプルを作ると いうことで昭和22年第一次試案と呼ばれる最初の学習指導要領が出来上がった。
この第一次試案の学習指導要領図画工作編は小・中学校がまとめられた一冊として発行 された。この試案における図画工作教育の目標は、
「①自然や人工物を観察し、表現する力を養う。
②家庭や学校で用いる有用なものや、美しいものを作る能力を養う。
③実用品や芸術品を理解し鑑賞する能力を養う。」(8〕
とされている。
その後、昭和33年に文部省告示として示された学習指導要領はそれまでとは性格を大き く変えていた。主な特徴は次の三点である。
「①各教科、教科外活動とを固定して、自由に取捨・分合することができない。
②時間配当を全国画一に規定し、配当時間の幅がなくなった。
③各教科の目標、指導内容等は全国どこでも、やらねばならない最低の基準を示すもの
である。」
昭和33年の学習指導要領の改定では中学校における図画工作科は美術科と改称された。
美術科では芸術性や創造性を主体とした表現や鑑賞に限定し、生産技術に関する工作や製 図の分野はこのとき新設された技術科に移行させられた。
以後、この性格を維持しつつ学習指導要領はその時代の教育的二一ズに合わせて改定され ていくのである。
8
第2章 図画工作科における工芸教育の取り扱い
第1節 図画工作科における 伝統工芸 及び「身近なものを作る」
ことの取り扱いについて
第1章の第2節2項でもふれているように、現代においては小学校の科目に工芸はなく、
その考えは工作教育へと発展し現在は図画工作科として小学校の必修科目となっている。
ではその図画工作科において「工作」の部分はどのように示してあるのか、また工芸の考 え方がどのように反映されているのかについて次項では見ていきたい。
第1項 学習指導要領での工作(工芸)の取り扱い
現行の学習指導要領は平成20年に改訂が行われ、同23年から完全実施となっているも のである。現行の図画工作科の目標は「表現及び鑑賞の活動を通して、感性を働かせなが ら、つくりだす喜びを味わうようにするとともに、造形的な創造活動の基礎的な能力を培 い、豊かな情操を養う」(9)とされている。この目標の下、各学年においてそれぞれの発達 段階に応じた目標とその具体的な指導事項などについて、学習指導要領解説をもとに、工 作(工芸)の取り扱いと、その教育のねらいを確認していく。
現行の学習指導要領では教科の目標及び学年の目標を受けた内容は、「A表現」と「B鑑 賞」及び「共通事項」で示されている。特に「A表現」の中の「(2)表したいことを絵や立 体、工作に表す活動を通して、次の事項を指導する」では、各学年の発達段階に応じて手 や体を使って表し方を工夫することや、使う道具から先人の知恵や人々のつながりを感じ ること、また作品をつくる過程やその用具について考える時、文化の大切さに気が付いた り歴史的な背景にも着目することが大切であると記されている。また「B鑑賞」の中でも、
身の回りの生活や社会に能動的にかかわりながら、伝統的な文化を大切にしそれを継承し 新たに創造する基礎を培う活動が鑑賞の活動であるとされている。これらは手や体を使っ て作品をつくる中で、基礎的な技術を身に付けたり、材料やその工夫のやり方から他の人 とつながることができ、先人の作り上げた文化にふれることができるという点で、工芸の 考え方に通じていると考える。この「A表現」「B鑑賞」は全学年共通であるので、この点 が常に意識されるべきであろう。
次に学年ごとに詳しく見ていく。まず第1学年及び第2学年では、周りの人や物、環境 などに体全体で関わっていくことで、体の感覚や技能を働かせるようにすること、また面 白さや楽しさを作品などから感じることが目標とされている。この学年では具体的な工 作・工芸の例はあげられていないことから、まずは手などの感覚をつかんだり、いろいろ な材料に触れてみることが大切であると考える。
第3学年及び第4学年では、前学年よりも手などの働きも巧みになり、扱える材料や用
具の範囲が広がってくることからより多様な材料や題材に取り組むことができる。この学 年では「A表現」の(2)のウにおいて、絵を描く中で新しい表し方を見つけて立体にした り、用途や仕掛けを加えて工作に表したりするなどの児童の発想や偶然性をいかすために 柔軟な指導の工夫が必要とされるとしたうえで、次のような例を挙げている。「例えば、簡 単な木版などによる表現では、彫り進めることから表したいことを見付けたり、版そのも のも材料として使ったりするなどが考えられる。また、粘土を焼成することによって生ま れる表現を生かして作品をつくったり、焼成した粘土のかけらを材料に使ったりするなど、
できるだけ多様な体験をさせることが重要である。」とし、ここで粘土を焼成することや、
焼成したものにふれることが明記されている。これは、前学年までにも材料として使って きた粘土が、焼くことで新しい材料になることを体験させ、材料自体の面白さや材料が変 化することに気付かせるためである。この時期の児童たちにとって材料の新しい手ざわり や思いがけない変化は、より発想を豊かにすることにつながるのでここで具体例として粘 土を焼成することが挙げられているのだと考える。鑑賞の面から見ても、粘土で形をいろ いろ変えてみてそれを鑑賞し、もっととがらせようと考えたり、この部分はこの色がいい なと考えたりすることができ、鑑賞しながら新たな表現を考えることができる。また、粘 土を焼成することによって全体的な色合いが変化することや、紬薬の色が変わることも児 童の発想や想像力を刺激することにつながると考える。これらのことから、粘土を焼成す
ることが具体例として挙げられているのだと考える。
第5学年及び第6学年では中学年までに培ってきた能力を活かしつつ、作品のテーマや 構想を練ることや、自分なりの表し方をさらに工夫できるようになる。形や色などから分 析的に見たり、意図や気持ちなどを読み取ったりするなど、作品などを深くとらえること ができるようになる。また社会的な視野の広がりから我が国及び諸外国の美術作品などに 対しても親しみをもってとらえることができるようになる。また、高学年の児童は、自分 なりに納得のいく表現や鑑賞の活動ができたり、作品を完成させたりしたときなどに充実 感を感じる傾向が強くなってくるので、児童が納得いくまでじっくり取り組めることや作 品をつくりあげたという達成感が味わえるような題材を取り扱う必要がある。この学年で も「A表現」(2)ウにおいて「…土粘土に石やガラス玉などを組み合わせて焼成するなど、
いろいろな方法が考えられる。」(10〕と明記されている。これは児童が自分の表したいことを どのように表現するか方法を考えたり、材料を考えたりできるようにいろいろな経験をさ せることが重要であり、その具体的な例として挙げられている。また「B鑑賞」の(1)イ
において工芸品を実際に使うなどしてよさや美しさを感じられるようにすることと、伝統 文化について「我が国の伝統や文化は、人々が前の世代から受け継ぎ、維持、変化させな がらつくりだしてきたものである。また、生活の中で今も生きて働いており、自分たちの 感じ方や見方を支えるものである。伝統と文化に関する学習については、自分たちのよさ を再発見するような視点で行い、これを大切にしたり、芸術や自然の美しさを味わったり する態度の基礎を育成することが大切である。」(H)と明記されている。
1O
内容の取扱いと指導上の配慮事項では、(2)においてr各学年のrA表現」の(2)につ いては、児童や学校の実態に応じて、児童が工夫して楽しめる程度の版に表す経験や焼成 する経験ができるようにすること。」(12)と記されている。この項については次のぺ一ジで詳 しく書かれており、粘土を焼くことで独特の美しさが生まれることや、日常生活で使える ほど丈夫になることを知ったり、着色したりする経験ができることや、地域によっては伝 統と文化に関する学習と関連させることができるとされている。
このように学習指導要領では各学年において発達段階に応じた題材が例として挙げられ ており、その中に工芸のジャンルは「焼成すること」が明記されている。また取り扱う材 料も身近なものや自然のものを使うなど工芸教育に深く関わっていると考える。そして、
それらの経験を通して、手や体全体の技能を発達させたり、ものを作ることの喜びやその よさを感じられるようにしたり、想像力を高めることができるようにすることが目標とし て掲げられているので、図画工作科の授業において工芸教育に関わるこれらのことを取り 扱うことは重要視されていると言えるのではないだろうか。また授業時数については指導 計画書作成上の配慮事項の(2)において「各学年の内容の「A表現」の(2)の指導に配 当する授業時数については、工作に表すことの内容に配当する授業時数が、絵や立体に表 すことの内容に配当する授業時数とおよそ等しくなるように計画すること。」(13)とされ、工 作を取り扱う授業時数を、絵や立体に表すことを取り扱う授業時数とバランスよく計画す ることが求められている。
第2項 現代の教科書での工芸ジャンルの取り扱い
前項で学習指導要領での工作の目的や目標について見てきた。本項では、実際に現場で 主に使用されている教科書にはどのような題材が挙げられているのかを調査した。
教科書で取り扱われている工芸ジャンルの題材の数を調べるにあたり、「手を使って自然 の材料や道具に親しみながら身近なものをつくる」ことに関する題材を工芸ジャンルとし てを取り上げることとする。また題材数の比較のために、絵に表す題材との数を比較する。
●東京書籍では3・4年生の教科書の全部で26ある題材のうち、工芸ジャンルの題材は 3っ(例:「ねん土の話」粘土を焼成することを体験する題材)取り上げられていた。これ に対して絵に表す題材の数は8であった。
5・6年生の教科書では全部で24ある題材のうち、工芸ジャンルの題材は3つ取り扱われ ていた。これに対するこれに対して絵に表す題材の数は8であった。
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「轟山■1・年標
{ 「ねんどの一」P45・46 膏 膏_____ __.」
12
●開隆堂は3・4年生の教科書の全部で38ある題材のうち、工芸ジャンルの題材は3つ 取り上げられていた。これに対して絵に表す題材の数は14であった。
5・6年生の教科書では全部で35ある題材のうち、工芸ジャンルの題材は3つ(例:「わ たしはデザイナー 12さいの力で」木の板を加工して本棚などの日用品をつくる題材)取
り上げられていた。これに対して絵に表す題材の数は14であった。
聰刊岨咀岬■}■1^■肺■
.}耐
一㎜}■
囲壁堂 5・6年生
「わたしはデザイナー」P34・35
し
1………舳舳…舳
●日本文教出版は3・4年生の教科書で全部で20ある題材のうち、工芸ジャンルの題材 は2つであった。これに対して絵に表す題材の数は7であった。
5・6年生の教科書では全部で19ある題材のうち、工芸ジャンルの題材は2つ(例:r使 って楽しい焼き物を」身近なものを焼き物でつくる題材)であった。これに対するこれに 対して絵に表す題材の数は6であった。
使って楽しい焼き物を
ぺ紬
ソ
日本文 出 5・6年生上
「って楽しい焼物を」P32・33
。他一.。血},.……岬凹…伽…咄…岬舳…幽…….…舳…榊…。……榊舳},.、叶J
このように東京書籍・開隆堂・日本文教出版の三社の図画工作科の教科書では工芸ジャ ンルの題材が全体の題材数にしめる割合いが小さく、また絵に表す題材との数の比較にお いても取り扱いが非常に少ないということがわかった。
14
第3項小学校現場での工芸ジャンルの取り扱い
前1・2項において、工芸教育が工作として学習指導要領でどのように取り扱われてい るのかを確認し、それがどのように教科書に題材として反映されているのか調べた。その 結果、工芸ジャンルの題材自体が教科書において取り扱いが少ないことが分かった。この 状況を踏まえたうえで、現在の小学校の図画工作科ではどのように工芸ジャンルが授業で 取り扱われているのか知るために小学校の現職教員にアンケートを行うことにした。これ によって図画工作科における工芸の取り扱いの実態や指導者側の意識を多角的に分析し、
工芸教育の抱える問題や課題を明確にすることを目的としている。さらに、今後工芸教育 の小学校でのさらなる充実のための方策を打ち出す契機となるよう分析・考察を行う。
このアンケート調査を実施するにあたって、
①図画工作科の授業において具体的にどのような題材が工芸として取り組まれているの
か
②現場の教師は工芸を授業に取り入れる際にどのようなことが課題だと感じているのか ③図画工作科の授業において社会教育施設と連携することをどのように考えているのか ④現職の教員は工芸についてどのように考えているのか
の4点が明らかになることをねらいに設問を作った。①は小学校でどのくらいの割合で教師 が工芸ジャンルの題材を取り扱っているのか明らかにするためのものである。②は教科書に おける題材の取り扱いが少なかったことと、筆者の小学生時代の工芸ジャンルの題材の体験 の少なさを含め、指導する教師が工芸を取り扱う際に何らかの課題を抱えているのではない かという予測を裏付けるためのものである。③は教師が工芸に対して何らかの課題を抱えて いると仮定して、その課題を社会教育施設との連携によって解決することができるのではな いかと筆者が予測するためである。④は教師が工芸に対してどのような考えを持っているの か知ることで、その工芸の役割や授業でのさらなる工夫の余地について考えるためのもので
ある。
【調査の内容】
質問項日は「I.指導者の現在の状況」、「1I、学校の設備について」、「皿.工芸ジャン ルの授業を行うことの教育的効果と課題について」、「lV.工芸に対する指導者のイメージ」
の4つの観点から、計20項目を設定した。なお、分析・考察結果は質間ごとに示した。特 に任意のキーワードを列挙する自由記述での回答については、必要に応じてカテゴライズ
した図表を作成し、考察結果とともに掲示した。今回のアンケート調査の詳細は付録にて 掲載する。
【調査の対象】
兵庫県の東播磨・西播磨・丹波地方の約350校の小学校の図画工作科主任及び専科の教 職員。得られた有効回答数は132件。
【調査の時期】
実施期問:平成24年10月9目(火)〜11月9日(金)
【調査形式、内容】
調査方法:質問用紙を郵送し、同封の返信用封筒にて返送にて回答を得た。
調査用紙:A4用紙3枚 ※詳細は参考資料参照 設間数:大問9(小間を含めると計20項目)
調査内容:小学校における工芸教育の現状を4つの観点から問う。
I.指導者の現在の状況 1I.学校の設備について
皿.工芸ジャンルの授業を行うことの教育的効果と課題について lV.工芸に対する指導者のイメージ
【考察の手順】
①調査結果の集約及びデータ化〔全体の一覧表作成〕
②質問項目ごとにデータ化〔質問項目別の一覧表作成〕
③カテゴリーの設定とキーワードの分類 ④データの図式化〔表、グラフ等〕
⑤分析、考察
ヂ
【質問項目】
妻
…I.指導者の現在の状況
葦
1 ・性別 1 ・年齢 1 ・勤続年数
葦 ・図工専科です札
1 ・図工の授業で使用している教科書を教えてください。
…
苧■.学校の設備について
書
1 問1:現在、工芸に使う道具が備品として学校に所有されていますか。
16
間2:それは何と言う道具ですか。
問3:それらの道具は一年間を通してどのくらい使用されていますか。
間4:小学校において工芸に使う道具は必要でしょうか。
皿.工芸ジャンルの授業を行うことの教育的効果と課題について 問5:図工の授業において、工芸を取り扱ったことはありますか。
… ●「ある」とお答えの場合、どのような授業(題材)でした汎 葦 .その授業から・どのような教育的効果カミ感じられました机 1 ●「ない」とお答えの場合、何が要因だとお考えですか。(項目を選択) 1 圭 ・上の質問で選んでいただいた項目が改善されれば、今後さらに工芸を授業に取り人1 れたいと思いますか。 1 …
…問6: ㌫よ徹設(美術館 博物館など)を利用した図工科の授業を行わ1
●rある」とお答えの場合、具体的にどのような授業だったか教えてください。 1 量 ・社会教育施設などと連携して図工科の授業を行うことによって、どのような教育的1 壷 効果が感じられましたか。 姜 芙 問7:今後、工芸を図工の授業において取り扱いたいと思いますか。 l1 問8:小学校における工芸教育の意義、授業を行う際の留意点・問題点などについて自、
圭 由にお書きください。 ≡ 呈
1V.工芸に対する指導者のイメージ 1
∵間9:工芸教育に対するイメージや疑問に思っていることなど・自由にお書きくださし㌔.ノ
このアンケートの結果を分析・考察していく。アンケート全体の分析・考察は付録にて 提示し、ここでは特に注目したい設問に関して取り上げていく。
まず一つ目は、工芸ジャンルの授業が現場ではどのように状態にあるのか調べた間5「図
工艶_という設問について考察する。
この結果では約半数の学校の教師が工芸の授業を行ったことがあると答えた。工芸を授
業で取り扱ったことのある教師に対する続きの質問で、⊥雌_
という間いにはカテゴリーに分類すると、陶芸を含む粘土工作が一番多く、その他に紙工 作や織り・染色などの様々な題材が挙げられた。これにより、教師は教科書の題材や自分
の考えたオリジナルの題材を使って工芸を授業で取り扱っていた。そして「その授業から
幽Lという質問に対しては、「材料の感触や特徴を
味わうことができる」、rものづくりのよさを感じることができる」、r表現力・発想力・想 像力の育成ができる」、「ものを大切にする心を育むことができる」、「道具の安全な使い方 や特徴について学ぶことができる」、r伝統文化に触れることができる」などの教育的効果 があったという回答を得ることができた。このことから、現状で取り組まれている工芸ジ ャンルの授業において工芸を授業で取り扱っているまたは、取り扱ったことのある教師は 様々な教育的効果を感じその意義を見出していることがわかった。
その一方で、最初の質問で工芸を授業で取り扱っていないと答えた残りの半数の教師に その理由(要因)を選択式で回答してもらった。その結果は次のとおりである。
●工芸を授 で取り ったことがrないとお答えの場合何が要因だとお考えですか(項
目を選択)
・各項目の回答数は以下の通りである。
①活動施設(環境)の不足…48
②教員の知識・技術・経験不足…52
③教科書の題材不足…16
④題材に時間がかかる…36
⑤題材費がかかる…29
⑥教育的意義を感じない…0
⑦その他…2
図1 60
50 ・・←
30 20←
鴇動傍1③教科1④題材⑤題材⑥教育
(現識.技1書の題1 三時間費がか的意義⑦その
境)の術・経1材不足1が♂かかる箭他
不足 験不足! i一…十一一
48 52116136 29 0 2
1」.._碑 ビ李ビ聖、.、._一I一.1.1.。..L _」..、
18
この結果を表したのが図1である。この問いの結果から、工芸を授業で取り扱わない理 由(要因)は②の教員の知識・技術・経験の不足が大きく関わることがわかった。またほ ぽ同じくらい①の活動施設(環境)の不足が影響していることも分かった。この結果は筆 者がアンケートを実施する前に推測したことを裏付けることとなった。やはり、教師の中 で工芸に対して壁がありそのことが授業に取り入れにくくさせ、実際に授業で工芸が取り 扱われることが少ないという現状にっながっていたのである。
その一方で⑥の工芸を授業で取り扱うことに教育的意義を感じないという回答は0であ ったことから、教員は教育的意義を感じていると推察される。これについてはアンケート の間8・9も関連しており、多くの教師が工芸のよさや工芸教育の意義について自由記述
していた。つまり、工芸のよさや授業に取り入れた際の教育的効果を認識しているものの、
実際に教師が授業に取り入れようとする際に他の要因がそれを阻害している実情があるの である。だからと言って、その要因を教師だけ、または学校だけで取り除くのはかなり負 担がかかるし、また時間的・金銭的に考えても早急な解決は難しいのではないかと考える。
そこで、他の機関と連携することでその課題を解決できるのではないかと改めて思案する に至った。
最後に工芸を授業で取り扱っていない教師に対して「上の質問で選んでいただいた項目 が改叢されれば、A後さらに工芸を授業に取り入れたいと思いますか」という質問をした。
その結果は「はい」… 50%、「どちらともいえない」… 43%、「いいえ」… 7%、
となった。この質問ではアンケートを行った筆者から、教師の抱えている工芸に対する課 題の解決策の例を挙げることはできていないが、それでも半数の教師が工芸を授業に取り 入れることに対して前向きな姿勢を持っていることがうかがえた。このように考えている 教師が工芸を授業で取り扱うことができるようになれば、全体の約75%の学校で工芸を取 り扱うことができるようになるのである。教師側に前向きな姿勢があるにもかかわらず、
その方策が明確に打ち出されていない現状を打破することが工芸教育のさらなる普及につ ながると考えた。
二つ目に、問6r今までに、社会教育施設(美術館・博物館など)を利用した図工科の
授墓を幽_という設問について考察する。この設問の意図は、調
査を行う前の筆者の予測として、教師が工芸を授業で取り扱おうとする時、高い専門性や 特別な設備が必要なことが大きな課題や負担になっている実情があり、その課題や負担を 解決するために、学校以外の機関と連携することが解決につながるのではないかという予 想を立てていたからである。現在すでに何かしらの機関と連携した授業を行っているので あればどのようなものがあるのか、また学校以外の機関(例として社会教育施設を挙げて いる)と連携することに対してどのような意識を持っているかがわかった。
まず問6の結果として24%の学校が 社会教育施設と連携したことがあると 答えた。カテゴリーごとに分類すると、
「美術館での鑑賞」が最も多く、その 他は多い順に「自然学校や専門施設で の陶芸の体験」、「美術館による出前授 業」、「博物館の鑑賞」、「専門家を学校 に招いての体験学習」となった。
続いて社会教室施幽」二⊆
図工科の授業を行うことによって ど
今までに社会教育施設を利用した 図工の授業を行ったことが ありますか
回答なし 3%
坦_という質問に対して、r質の高い授業を受けることができる」が最も多く、その他は多 い順に「本物の作品にふれることができる」、「社会でのマナーを身につけることができる」、
r芸術を愛する心情を育むことができる」、rものづくりのよさを感じることができる」、r表 現力・発想力・想像力の育成ができる」という回答が得られた。これにより教師が普段自 分だけではできないことや、教室だけでは感じることができない体験を社会教育施設との 連携によって実現できたと実感していることがわかった。
以上のことから社会教育施設と連携することが工芸をより授業に取り入れやすくする効 果的な方策であると考えた。
そこで次章では、まず学校と社会教育施設とが連携して教育を行う実践例について調べ、
今後の学校教育と社会教育との連携のあり方について考える。そして、その連携が工芸を 授業で取り扱いやすくする上で有効な方策になるよう手立てを考えていく。
調査の対象には、本大学の近隣であるということと、12年間にわたり学校と社会教育施 設とが連携を続けているということから、兵庫県丹波市にある佐治小学校と隣接した丹波 布伝承館とが連携して行っている、伝統工芸品の「丹波布」をつくる授業を選び、次章か
ら調査研究を行う。
20
第3章 r丹波布」を取り入れた授業の調査と検証
第3章では学校教育と社会教育施設とが連携して行う授業の実践例として兵庫県丹波市 にある佐治小学校で行われている、伝統芸品「丹波布」を作る授業について調査・検証す る。この小学校では近隣にある 丹波布伝承館 の職員の方々を講師として招き5・6年生 を通して地元の伝統工芸である丹波布について学習している。この「丹波布」とは昔から 丹波市佐治地方に伝わる機織りで、綿を育てて糸を紡ぎ、染色し織るという全行程を一人 で行うのが特徴的である。この丹波布を作る授業を通して、子どもたちがどのような経験 ができるのかまた学校教育と社会教育との連携がどのような教育的効果と課題を持ってい るのかについて考察する。
第1節 r丹波布」を用いた学校と社会教育施設との連携授業につ いて
第1項 丹波布について
丹波布は江戸の末期から明治の初め頃まで佐治地域(現在の兵庫県丹波市青垣町)周辺の 農家で織られ、京都や大阪などへ売られていた。当時は縞貫(しまぬき)や佐治木綿(さじも
めん)と呼ばれ親しまれていた。(14〕しかし、機械の機織り機の登場によりこれらは一時衰退 する。その後、昭和初期に民芸研究科の柳宗悦が京都の市でこれを発見し、その美しさに 注目してその産地・製法を調査し復興活動を行った。その復興活動により佐治木綿は復活 し、柳宗悦に「たんばぬの」と銘々されその名が全国に知られるようになる。現在では「た んばぬの」「たんばふ」の両方の名で親しまれている。
丹波布の製法は綿を手で紡ぎ、地元の草木で染色し、手織り機で織りあげる。そして緯 糸に絹のつまみ糸を入れるのが特徴である。自然のもつ色彩やふっくらとした風合いと、
緯糸の中の絹の白い美しさが特徴的である。
第2項 実践授業の概要
佐治小学校では、5年生で綿を育て、6年生でその綿から糸を紡ぎ、染色して織るとい う授業を丹波布伝承館との連携で行う。この佐治小学校と丹波布伝承館との連携で行われ る授業は平成13年から継続して行われており、今年で12回目である。丹波布伝承館への 聞き取り調査では、連携のきっかけがどちら側からのアプローチであるかは現在ではわか らないということであった。丹波布伝承館ができたのが平成10年であり、そこから伝統工 芸の技術継承や認知の拡大に努めている伝承館の活動に小学校側が興味を持ったことがき
っかけではないかと窺える。平成13年の一回目の授業以降は、小学校側から継続して授業 の依頼を受けている。
丹波布伝承館は技術の継承や伝統工芸の認知の拡大などを目的につくられており、施設 内では丹波布の制作技術を2年間にわたって学ぶことができるようになっている。現在ま でに約50名がその過程を卒業し、丹波布づくりの技術を習得している。また卒業生が伝承 館の職員に加わることで、伝承館の活動の幅も広がってきているそうである。小学校へ授 業を教えに来ていた職員もここの卒業生であった。伝承館の中では、丹波布の材料や制作 工程を見学できるほか、使用する道具を直接触り工程の一部を誰もが体験できるようにな っていた。施設の一角にコースターなどに加工された丹波布も販売されており、伝統工芸 品を気軽に購入することもできるようになっていた。この施設は道の駅の隣にあるという こともあり、休憩に立ち寄った観光客や、遊びに来た地域の子どもたちが立ち寄りやすい ようになっている。
丹波布の伝承と認知の拡大に努める中で、小学校で丹波布について教える機会があるこ とはとても幸せなことだという思いを職員からの聞き取りで得た。丹波布自体が今の形に 復元されてまだ月目が浅いため、地域のどの世代にも認知の程度が低い。そのため、小学 校で丹波布について学ぶことで子どもたちへの認知が高まるほか、子どもたちを通して保 護者や地域の方々に丹波布について知ってもらうことができる。申には、自分の子どもの 話を聞いて興味を持ち伝承館を訪れたという方や、兵庫県独自の取り組みであるトライや
るウィークやトライやるワークで、佐治小学校出身の生徒が職業体験にくることもある。
一方で、小学校側としては丹波布伝承館との連携授業を行うことで、地域の伝統工芸に ついて学ぶことができるほか、学校だけでは行いにくい貴重な体験を子どもたちにさせる ことができるということを担任教師からの聞き取りで得ることができた。材料となる綿を 育てることから始まるこの授業は、子どもたちにとってとても興味深く、関心をもって取 り組むことができる題材なのである。これら、双方のメリットがあり12年の長きにわたっ て連携を続けることができているのだ。
具体的な丹波布についての学習は、6年生で全7回行われ、1回につき約90分の授業で ある。材料は子どもたちが育てた綿が主となり不足分は伝承館が補っている。使用する道 具も、伝承館の道具を借りて行う。この授業は総合学習の時間として扱われているが、一 部の伝承館の職員は図画工作科の授業と捉えており、意識のずれが感じられることもあっ た。筆者は3回目から授業を継続して観察し、必要に応じて子どもたちの発言を記録する などして授業を観察した。また最後の授業で子どもたちに丹波布について学んだことを振
り返ってもらう「ふりかえりカード」を書かせ、この授業の効果について分析するもので
ある。
《丹波布についての学習》(6年生)
第1回 丹波布伝承館の見学
22
第2回 糸くり(綿から種をとる)
第3回糸紡ぎ(スピンドルという道具を使って)
第4回糸の染色(こぶな草・栗の皮などを使って)
第5〜7回 布を織る
次に第3回以降の授業内容と考察を示す。
第3回 糸つむぎの授業
第3回の糸つむぎの授業は6月15目(金)の13時45分から15時頃まで行われた。
活動内容は、前回綿から種を取り除き繊維の部分だけにしたものを、スピンドルという道 具に糸状にしながら巻きづけるものだった。スピンドルとは、一本の割りばしの上部先端 にフックねじを取り付け、中央より少し下に段ボールを丸く切ったものをはめ込んだ道具 である。ある程度糸をつむいで、つむぎはじめをフックねじと段ボールの間にテープで貼
り、フックに通らせておく。スピンドルを宙吊りにした状態で段ボールの下の部分の割り ばしを摘まんで回転さると、つむいだ糸がフックを通って割りばしに巻かれていくという 仕組みである。
活動内容
○綿を一部から引き抜き、よ じりながら糸状にしてい
く。
○細く長く均一の状態の糸
をつむぐ。
○糸状にしたものをスピン ドルを回転させて巻きっ
ける。
児童の発言・反応
・「ふわふわして気持ちいいい。」
・「綿のどこから引っ張ればいい
の。」
・「糸が切れた!」
・「なかなか同じ太さにならない
よ。」
・綿の感触を楽しみながら、指先 の感覚を使って糸をつむいで
いた。
・「スピンドル回すのが難しい。」
・「糸が切れたらどうすればいい
の。」
・「コツが何となくわかったで!」
・スピンドルに巻きつける際の力 加減や、糸が不意に切れること に苦戦しながら粘り強く頑張
っていた。
○スピンドルにある程度糸 がたまったら、木の板に糸 を巻きつける。(次の染色 の回では根ごと染色液に
入れる)
○糸を巻き付けた板に名前 を書く。
・「こんなにっむげてたんや。」
・「糸が切れてもなおせるように なった。」
・「集中したら疲れた。」
・「どうやったらそんなにきれい にできるのか教えて。」
・友だち同士でコツを教え合った り、相手のいいところを褒め合
ったりしていた。
この授業の終わりの振り返りでは、「コツをつかめましたか」という教師からの質問に3 名が手を挙げた。感想の発表では、r最初は難しかったけど、だんだんできるようになりま した。」「だまってやれば上手くできました。」などの意見があった。筆者の観察でも、最初 はどうやればよいのかわからず苦労していたが、そのうちにやり方がわかり細く長い糸を 作ろうと集中する姿が見て取れた。また、一部の児童は作業に入り込みだまって取り組ん でいた。その中には、「できた一。息するの忘れとった一。」と達成感に満ちている児童も 数名いた。
第4回の糸の染色の授業は7月13日(金)の13時45分から15時頃まで行われた。
活動内容は、前回自分がっむいだ糸を自然の材料を使って染色するというものであった。
色を抽出するのはこぶな草と栗の皮で行った。今回は家庭科室で各班に分かれて行った。
活動内容
○綿が含んでいる油を 水で洗い流す
○バケツの中でしばら
く水にさらす。
010分くらいおいたら
水気を絞る。
児童の発言・反応
・「まだ白いな。」
・「ふわふわなのに油っい てるんや。」
・これから白い糸がどの ような色に染まるのか
楽しみにしていた。
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