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Vol.68 , No.2(2020)059梁 特治「新羅 法朗の禅について――天順本『菩提達摩四行論』を手掛かりに――」

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Academic year: 2021

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新羅 法朗の禅について

―天順本『菩提達摩四行論』を手掛かりに―

梁   特 治

はじめに

これまで新羅前期に入唐して四祖道信(580∼651)の法を伝えた法朗(630前後 ∼730前後)は,半島における 「達摩禅初伝者」 であったにも関わらず,その評価 は羅末麗初(9世紀末∼10世紀初)に南宗禅を伝えた諸禅師に比べて低い. その理由として資料の制約があること,その法系が絶えたこと等が挙げられ る.しかし,中国禅宗の実質的起点となる道信禅を継承した法朗の禅は,「九山 禅」 の道義以前に伝播された 「達摩系の禅」 という面で重要な意義をもつ. その法朗について,崔致遠 「大唐新羅国故鳳岩寺教諡智証大師寂照之塔碑銘 并序」(893年建碑)には,「法胤四祖(道信)為五世父,東漸于海. 游数之,双 峰法朗,孫慎行(神行)1),曽孫遵範,玄孫慧隠,来(末)孫大師(智証).郎(法 朗)大師,従大医之大証」(『朝鮮金石』上p. 90)と記されている. つまり,智証道憲(824∼882)が,道信―法朗―神行―遵範―慧隠の系譜に連 なるとした上で,法朗が道信のもとで大悟したと記している. ただ,碑文の内容はあくまで系譜に関するもので,法朗の禅については未だ十 分に解明されていない. 本研究は,朝鮮半島で天順8年(1464)に高麗版初雕本を基に復刻されたとす る天順本『菩提達摩四行論』末尾の 「朗禅師」 の一段の検討を通して,道信 ・ 神 行(704∼779)との思想的共通点を見出すことで,「朗禅師」 が即ち法朗である可 能性について検証する.

法朗の禅風――天順本『菩提達摩四行論』を手掛かりに――

現在,奈良県天理図書館に所蔵される天順本『菩提達摩四行論』は,『二入四 行論』の諸本中,最も完本に近いテキストである. 中でも天順本の最大の特徴は,敦煌本『二入四行論長巻子(仮称)』等と同じ

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内容をもつ異本でありながら敦煌本の 「雑録」 第二 ・ 第三の部分を完全に補って いる点にある(椎名1996, 192). その 「雑録」 第三の末尾には 「朗禅師」 の言説が次の様に示されている. 朗禅師曰,心若起時,即依法看使滅,依色法看不見.色惑起,見色作色解.心是色作法. 依法看,実无物可見.乃至云,一切法都是妄想計校作.是无有実処.所有見処,皆自心現 妄想.道似何物,而欲修之,煩悩似何物,而欲断之.(典籍別巻p. 36) この前半の所説には,後の北宗系の人に顕著となる看心や本来心を失わぬ事を 強調する存心などの実践法が示されている. つまり,身心を構成する四大五蘊がもとより空なることを観ずるというもので あるが,これは天順本 · 第十七 「離念消融差別門」 に対応する. 心雖即惑入,而不作无惑解.①解心若起時,即依法看起処.心若起分別時,即依法看分別 処.若貪若瞋若顛倒,即依法看起処.②若不見起処,即是修道.若対物不分別,亦是修 道.但使有心起処,即検校依法併当却.(典籍別巻p. 12) 先ず傍線①は前掲の朗禅師が示した前半部に対応し,傍線②は朗禅師の末尾の 説示に通じている.即ち,「もし起こる処が見つからなければ」 無事であり,そ れは直に任運なる真の修道に他ならない.「もし物に対して分別しなければ」 無 心なのであり,それも直に任運なる真の修道に他ならないのである. 特に 「朗禅師」 の語は,「離念消融差別門」 よりも 「無事」 に徹底した表現で ある点には注意する必要がある.それは法朗の師 道信も 「亦不念仏,亦不捉 心,亦不看心,亦不計心,亦不思惟,亦不観行,亦不散乱,直任運亦不令去,亦 不令住,独一清浄究竟処,心自明浄」(『楞伽師資記』「道信」 章[韓2018, 315,以下『敦 煌』])と無事に徹底しているからである. それはまた道信が問者に対し,次の様に説き示していることからも窺える. 問,臨時作若為観行.信曰,直須任運.又曰,用向西方不.信曰,若知心本来不生不滅, 究竟清浄,即是浄仏国土,更不須向西方.(『敦煌』p. 316) ここで道信は,問者が 「時を選んで修行するのに,いかに観察し実践すればよ いか」 という問いに,「直ちに(計らいをせず)なりゆき(運)に任せることだ」 と 答えており,道信と 「朗禅師」 の禅は軌を一にしている. 一方,看心については,道信の場合,「初学坐禅看心,独坐一処,先端身正坐

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……徐徐斂心,神道清利,心地明浄.観察分明,内外空浄,即心性寂滅.……初 学者前方便也,故知,修道有方便,此即聖心之所会」(『敦煌』p. 326–327)と,主 に初学の方便門として用いており,「朗禅師」 が法朗であるとする立場からすれ ば,先の看心の用い方も道信と同じ初学に対する方便門である. それは 「朗禅師」 の言葉と,道信が初学に対し坐禅の方法を説いた次の一段 が,内容的に対応することからも理解できる. 若初学坐禅時,於一静処,直観身心.四大五蔭,眼耳鼻舌身意,及貪嗔痴,若善若悪,若 怨若親,若凡若聖,及至一切諸状,応当観察.従本以来空寂,不生不滅,平等無二,従本 以来無所有,究竟寂滅,従本以来,清浄解脱.(『敦煌』p. 325) この道信の説示中,傍線部分は前掲の 「朗禅師」 が示した前半の一段と内容的 に対応しており,続く 「朗禅師」 の末尾の言葉と併せ考える時,「朗禅師」 のい う看心とは,道信と同じ初学に対する方便門であり,末尾の 「悟りがいったい何 だからといって修行しようとするのか,煩悩がいったい何だからといって断滅さ せようとするのか」 という言葉こそが 「朗禅師」 の禅の本領である. それは道信の 「時を選んで修行して悟りを得ようとするよりは,直に任運なる 無事に徹しきれ」(『敦煌』p. 316)と諭した言葉とも通じている. 一方,「朗禅師」 の末尾の語は,『宗鏡録』巻97の,「朗禅師云,凡有所見,皆 自心現.道似何物,而欲修之,煩悩似何物,而欲断之」(T48, 941b)と,若干の異 同はあるものの(傍線部)一致している. さらに,A『宗鏡録』巻99ならびに『心賦注』巻4には,『大乗入道安心論 (法)』の所説として,B天順本の第五(末尾)第六段とほぼ一致する語が含まれ ている.すなわち, A.大乗入道安心法0 (『心賦注』は 「論0 」)云,若以有是為是,有所不是.若以無是為是,則 無所不是.一智慧門,入百千智慧門.見柱作柱解,得柱相不作柱解.観心是柱法,無柱 相.是故見柱即得柱法,一切形色,亦復0 如是(『心賦注』は 「得0 」).(T48, 950c; Z111, 148a) B.若以是為是,則有所不是.若以无是為是,則无所不是.一智慧門,八百千智慧門(第 五).見柱作柱解,是見柱相作柱解.覩心是柱是柱相,法无柱柱相.是故見柱即得柱法, 見一切形色亦如是(第六).(典籍別巻pp. 8–9) この様にAとBはほぼ一致するものの異同があることから『大乗入道安心論 (法)』は天順本系の異本の可能性がある.ならば,『宗鏡録』中の 「朗禅師」 の 一段は,天順本系の異本より抜粋したものと言える.

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ところで,沖本(2006)は従来の諸研究を基に原本は慧可の没後,早い時期に 一部が散逸し,それらを再編して現本に近い形にしたのは『楞伽師資記』の著 者·浄覚(683∼750頃)だとする.つまり,沖本は『楞伽師資記』の序文中,天順 本の第2 「論主意楽差別門」 の内容と対応する一段が存在すること等を挙げて, 第一の四行説以外の大部分は浄覚が序文を付して再集成したものであるという. 一方で,弘忍(601∼674)門下で早くから中原に進出した法如(638∼689)や神 秀に学び,且つ『修心要論』の作者とも目される元珪(664∼716)などの北宗禅 者が自派の正統性を顕彰するために,原 「四行論」 を基に当時の活動背景に沿っ た思想形態に増補 ・ 編集し,それがやがて北宗禅の思想体系として定型化して いったものなのか,という考察も必要であろう.いずれにせよ,天順本の 「雑 録」 第三の部分は浄覚を含め後世の加筆である可能性が頗る高い. そもそも道信と神行の生没年は明らかであるが,後に示す様に神行が法朗の没 後に入唐し,神秀門下の普寂(651∼739)の弟子 ・ 志空の下で3年間修行したこと を勘案すれば,法朗の生没年は凡そ630年前後から730年前後と推定でき,それ は法如や元珪,浄覚らの在世の頃と重なるのである.その中,浄覚と法朗につい ては時期的に直接面識があったとは考えられないが,同門の志空やその会下で学 んだ神行から法朗の言葉を伝え聞いたという可能性は十分にあり得るのである. したがって,法朗の禅風を理解するには,道信とともに神行の禅風を探索する ことが重要であり,それによって法朗禅のある程度の理解は可能となろう.

神行の禅風

神行は,現在の慶尚北道慶州の出身で,30歳で出家し,後に運精律師の下で 奉事して2年の修練苦行を積んだ(「丹城断俗寺神行禅師碑」『朝鮮金石』上p. 114). 後,瑚踞山で化導する法朗に師事して法嗣となる. その時の様子について 「神行碑」 には,「聞法朗禅師,在瑚踞山,伝智慧燈, 則詣其所,頓受奥旨.未経七日,試問之曲直,微言冥応,以即心無心.和上 曰,善哉.心燈之法尽在於汝矣」(同上p. 114)と,神行が法朗の下で七日を経ず して 「即心無心」 なる禅の奥旨を悟り法朗の法を嗣いだと伝えている. 師の没後,彼は入唐して志空の下で3年間修行して神秀 · 普寂系の北宗禅を修 得する.その後,彼は帰国し鶏林にて後学の育成に努めた.「神行碑」 には鶏林 での彼の学人接化について次の様に伝えている.

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然後還到鶏林,倡導群蒙.為道根者,誨以看心一言,為熟器者,示以方便多門,通一代之 秘伝,伝三昧之明燈.(同上pp. 114–15) 碑文には,神行が学人接化の方法として,道に根を下ろしたばかりの初学には 「看心」 の一言を以て誨え,器が熟した篤参者には多門の方便(或いは多門に通ず る方便)を以て一代の秘伝を通じ,三昧の明燈を伝えたと記している. ここで神行の熟器に対する 「多門の方便」 について二つの解釈ができる. 一つは,神秀 ・ 普寂の系譜から見た 「方便門」 解釈である.つまり,北宗系 「大乗五方便」 に説かれる無生の悟りに導く 「方便門」 解釈である. もう一方の解釈は,道信 ・ 法朗の系譜から見た 「方便門」 解釈である.つま り,神行が熟器の者には,道信の五種心の方便を開示して『入道安心要方便法 門』の玄義に通ぜしめ,祖師伝来の一行三昧の明燈を伝えたという解釈である. そのどちらであったかは資料の制約上,判別し難いが,神行が法朗より道信禅 を継承し,志空からは北宗系の禅を継承した正に方便多門の禅風であったことは 明らかである.

結び

天順本の 「朗禅師」 前半の所説には,後の北宗系に顕著となる看心や存心の実 践法(方便)が示され,後半には道信禅の本義(無事)が示される. したがって,朗禅師が法朗であるとする立場からすれば,朗禅師の看心に通ず る説示は道信が初学に 「坐禅看心」 をもって化導し,神行も初学に 「看心」 の一 言を以って化導することからも道信の初学への方便門である.続く末部の語も道 信禅の本領を朗が継承しているのである.つまり,道信·朗·神行は思想的に共通 する.したがって,朗禅師の一段は新羅·法朗の説示の可能性がある. 〈一次文献〉 『朝鮮金石』『朝鮮金石総覧』上(朝鮮総督府亜細亜文化社,1976) 典籍別巻 柳田聖山 ・ 椎名宏雄編『禅学典籍叢刊』別巻(臨川書店,2001) 『敦煌』韓伝強『禅宗北宗敦煌文献 校与研究』(江蘇人民出版社,2018) 〈二次文献〉 沖本克己 2006『二入四行論』禅語録傍訳全書2,四季社. 椎名宏雄 1996「天順本『菩提達摩四行論』」『駒澤大学仏教学部研究紀要』54: 189–214. 〈キーワード〉 新羅の禅,法朗,天順本『菩提達摩四行論』 (花園大学国際禅学研究所客員研究員)

参照

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