〔臨床報告〕
炎症性乳癌を伴う異時性両側性乳癌の1例
東京女子医科大学第二病院外科(主任:坪井重雄教授)
山崎 靖夫・松村 功人・高 興野・成味 純・
ヤマザキ ヤスオ マツムラ イサ ト コウ コウスケ ナル ミ ジユン
服部 俊弘・梶原 哲郎・坪井 重雄
ハツトリ トシLロ カシワラ テツロウ ツポイ シゲオ
(受付 昭和5正年3月6日)
はじめに
最近われわれは,異時性両側性乳癌でありなが ら,一側に炎症性乳癌というきわめて特微ある症 状を呈した症例を経験した.
両側性乳癌を分類する時には,両側とも原発性 である両側性原発性乳癌と,両側性転移性乳癌と に分けることができ,このうち原発性のものを,
同時性のものと異時性のものに分類している.こ れらの判定基準については,諸家により意見を異 にするところだが,一側が炎症性乳癌である場合 の本邦での報告は,大島1)が報告した1例しかな く,非常に珍しい症例と思われるので,文献的考 察を加え報告する.
症 例
患者:永○千○子 37歳,女性 主訴:左乳房皮膚発赤,硬結,疹痛.
生活歴:独身で,妊娠の既往は無い.
家族歴:特記すべきことなし.
既往歴:昭和48年2月初旬,右乳房腫瘤に気付き,腫 瘤の大きさは,小指頭大であった.自発痛,圧痛,発 赤,腫張,発熱など自覚せず,そのまま放置しておいた
が,腫瘤が次第に大きくなり,8月に入ると発赤を伴っ てきたため,当科を訪れ,右乳癌と診断され,8月7日 入院した.
現症:当時,体重55㎏,体格中等,栄養良好で ある.乳房は視診上,左右対称で乳頭陥凹,潰 瘍,乳下びらん等はなく,触診では,右乳房外側 上方に,くるみ大の軟骨様硬,表面凹凸不平の境 界明瞭な腫瘤が触知された.移動性は良好で胸筋 膜との癒着はないが,dimplingがあった.同気 腋窩にリンパ節を1コ触知したが,対側の左乳 房,対側腋窩,頚部には,異常を認めなかった.
心・肺,血液,生化学などの諸検査にも異常を認 めなかった.
入院3日目に,右側定型的乳房切断術を行ない,
右腋窩部の郭清を入念に行なったが,転移を思わ せるリンパ節は認められなかった.
割出標本および病理所見:腫瘤の大きさは,
8×7cm直径の硬い灰白色の腫瘍で,割面は,膨 隆し,所々黄白色のstreakがある.鏡検像で は,正常の乳腺組織を置換して浸潤性に発育し,
乳頭状突出,腺腔形成をなし,核は一部に核分裂 Yasuo YAMAZAKI,16ato MATSUMURA, K65uke K6, Jun NARUMI, Toshihim HATTORI, Tetsu δ
KAJIWARA, Shigeo TSUBOI 3 Department of Surgery(Director:Pro£Shigeo TSUBOI),Tokyo Women s Medical College Second Hospital:Acase of non simultaneous bilatcral mammary cancer with玉nHammatory carcmoma.
写真1 病理組織像(右側)腺腔形成をなし比較 的異型性は,少ない.
写真2 同前拡大像
像を呈するが,比較的異型性は少ない,乳頭腺管 癌であった.またリンパ節の転移はなかった(写 真1,2).
術後補助療法 術後マイトマイシンC(MMC)
50㎎のone shotを行ない,維持療法として週1 回5Fu 500mgを計10回行なった.
現病歴(左側):第1回目の手術時より1年8 ヵ月後の昭和49年10月下旬より,対側乳房に発赤 が現れ,発赤は急速に増強し,同時に乳房全体の 硬結に気付き,時々疹痛を伴ってきたため.昭和 49年12月16日に当科に再入院した.
現症:入院時の視診上異常所見は,乳頭を中心 としてほぼ乳房全体に発赤を証明し,乳房は浮腫 状であった.触診所見では,乳房には腫瘤を触れ ないが,全体として緊満感が強く(写真3),腋窩 には,2×2cmのリンパ節を始めとする3個の転
灘
℃
鍛
写真3 左乳房全体の紅斑,浮腫が見られる.
移を思わせるリン腿節を触知した.乳頭分泌は無 い.上腕の浮腫は軽度であるが,患者自身が重苦 しさを訴えていた.前回根治手術部の局所再発や 腋窩部のリンハ節腫張は無かった.以上の所見よ
り,炎症性乳癌を疑い,左乳腺および左腋窩リン パ節の生検を行なった.
組織学的所見(生検):乳癌は,組織学的に核 の異型性が強いinmtrating scirrhous carcinoma であった(写真4,5).また一部の乳腺内リンパ
写真4 病理組織像(左側)inHltrating sdrrhous carclnomaであった.
管に癌細胞の栓塞した像が見られる(写真6).
臨床検査成績:血液,生化学検査では,軽度の 貧血,LDHの上昇を見る以外には,特に異常は 無かった(表1).ホルモン定量においても特に異 常は無い,x線上,肺,骨系統などへの転移像も 証明できない.
治療および経過:臨床的,組織学的にも,炎症
写真5 同前拡大像
写真6 リンパ管内に癌細胞の栓塞が見られる.
表1 Laboratory Examination
MMC20mg
oneshot
図1 動脈管挿管による制癌剤投与法とスケジュ ーノレ
写真7 胸部X−P像
Blood Cell Count
R360×104
Hb 10.79姐 Serum Chemistry T.P. 6.99/dl
上DH626
RA(一) CRP(一)
LE(一)
Urinalysis no abno㎜alities Respiratory function E.C.G. no㎜al
Ht
W
6,700 34%
AIG L84
Acid phos 1.l
ASLO(一)
no abnormalities
性乳癌と診断し,根治術は行なわず,ホルモン療 法,化学療法を主として行なうことに決め,昭和50 年1月14日,両側の卵巣別出術を行なった.卵別 後も,乳房の発赤・浮腫は消失せず,皮膚に米粒 大の皮膚転移を生じてきたため,2月に入り,鎖 骨下動脈からの制癌剤の局所投与法を行なった.
投与法は,MMC20mgをone shot注入した後
に,5Fu 250㎎を週2回の割で持続注入した(図 1).しかるに乳房の熱感,騒騒,浮腫は増強す るも消失せず,3月に入り全身倦怠,咳漱を訴え るようになった.胸部レ線像で左肺下野に胸水の 貯留を認め,癌性胸膜炎を疑った(写真7).局所 の疹痛はその後も増強し,喘鳴,咳漱が頻回となり,5月29日癌性胸膜炎にて死亡した.
考 按
両側乳癌を論じる場合,次の3点が問題とな る.第1に,両側とも確かに別々の癌であるか,
あるいは,1側は他側からの転移であるかどうか の判定.第2は,両側乳癌の発生する頻度,第3 は,両側乳癌の治療および予防的反対側乳房切断 術の問題などである.
る組織像を有/.,2) 各肝瘍は異なった臓器に離 れて存在し,3)各腫瘍は固有の転移をつくらね ばならない一という厳格な条件である.乳癌の場 合,左右の病理組織像が全く異った像を示すもの であれば,左右とも原発性のものであるというこ とができるが,乳癌の約80%は,病理組織学的に 乳頭腺管癌,あるいは硬【生癌の如く,似た組織像 である.したがってたとえ両側とも原発性の癌で あっても,似た組織像を示す場合が多い,両側乳 癌の判定基準には,病理組織学的所見は,一部の 症例を除いては,参考にならない場合が多く,臨 床的所見に重きがおかれている.したがって判定 基準も諸家によってまちまちで,Guiss2), Moer−
te13), Rabbins4), Spratt3)などの判定基準がある.
日本では,北条6),癌研7)などの定義がある.表示 の如く,同時性,異時性に分類され,両癌の根治 性,局所再発のないことが重視されている(表
2).
表2 原発性両側乳癌の判定基準 原発性同時性両側乳癌の判定基準(癌研)
1.各側の乳癌が根治的手術の対象となり得ること.
2.手術後早期の局所再発をみないもの,
3.壮時手術症例中,手術間隔の6ヵ月以内のもの を含める.
原発性異時性両側乳癌の判定基準(癌研)
1.第1癌に対し,根治的乳房切断術を施行せる症 例であること.
2.第1癌と第2癌の手術間隔が6ヵ月以上経過し ていること.
3.第2癌手術時までに局所再発または遠隔転移の ないこと.
4.第2癌手術術後,早期局所再発をみないこと.
第2の発生頻度の問題であるが,女子医大第2 病院外科では,現在までに107例の乳癌の手術を 行なったが,両側異時性乳癌は,本職の1例のみ
(0.9%)で,転移性乳癌は2例(1.8%)であ る.ちなみに,炎症性乳癌は,霞網の1例のみで ある.また癌研久野7)は,同時性両側乳癌は,
0.5%,目時性両側乳癌は1.6%であると述べて
側乳癌は合計2.1%であった.
第3の治療の問題であるが,現在の治療方針と して,両側乳房切断衛を行うという点で,諸家の 意見も一致している.Hubbard9)は,家族歴で乳 癌患者を有する女性は,両側性乳癌になる危険性 があるため,対側の予防的simple mastectomyを
提案しており,Sanderslo), Kligore11), Robson12)
らも,症例を選んで家族歴に乳癌患者を有する女 性に,予防的simple mastectomyを行なってい
る.しかし予防的に対側乳房を切断することは犠 牲が大きく,むしろ術後再発,転移のコントロー ルを行い,対側乳房の観察を厳重に行うことが重 要であるというHaagensen13)らの意見もあり,
日本では大方が後者の意見を支持している.
炎症性乳癌は,1875年,Volkmann14)によって mastitis carciロomatosaと命名されて以来,現在 までに色々な名称で呼ばれてきたが,最近では,
inHamatory carcinomaの名称が最も良く用いら れている.正ee&Tannenbaum15),Taylor&Melt−
zer16)は乳癌の特殊な抱型として定義づけ,臨床 像は,きわめて特徴ある像を呈する.すなわち,
乳腺腫瘤の短期間における乳房内びまん性進展,
浸潤を期し,乳房皮膚の発赤,乳腫,局所の熱感 および無痛などの炎症症状を呈し,乳房の硬結と して触れ,多くは,リンパ節転移を伴い,また遠隔 転移を証明することが多い.本症の特徴ある炎症 様変化の本態は,皮下リンパ管,毛細血管への癌 細胞の侵入,栓塞,さらに逆行性転移によるリン パ液のうつ滞,毛細管充血によるとされている.
本邦での報告は少なく,大橋17),大島1)らの報告 がある。また第20回乳癌研究会18)にて炎症性乳癌 が特集されたが,全国45施設の集計で,乳癌総数 12,766例中,炎症性乳癌症例数は,114例,0.89
%と非常に少ない頻度であった.
本症は,予後が極めて悪いため,治療に関して は種々議論のあるところで,根治的乳房切断術,
単純乳房切断術,放射線治療,内分泌療法など
ると述べ,Richards&Lewison19)は動勢などの ホルモン療法の効果を説いている.しかし,いず れも一部を除いて,予後は悪く,和田ら20)は,制 癌剤動脈内注入および内分泌手術の併用療法が有 効であると述べている.
さて本症例は,1期癌根治術後,1年8ヵ月後 に,対側に皮膚発赤,乳房浮腫を主症状とした症 例である.1期癌術後,リンパ節転移は無く,遠 隔転移も見当らなかった.
転移性乳癌であるという考えも,完全には否定 できないが,やはり異母性の原発性乳癌と考える のが妥当と思われる.先程八時性乳癌の判定基準 について論じてきたが,例えば癌研の定義と比較 検討してみると,直壁性乳癌の4項目の定義のう ち,問題となるのは,第4点の第2癌手術術後,
早期局所再発をみないことというのに違反する ことになる.しかし,通常の乳癌と違い,この症 例は,i岨ammatory carcinomaである.したがっ てわれわれは,この症例が判定基準に合わないの は当然であって,両側乳癌の判定基準も,特殊型 に対して,もう一度再検討する必要でがあるので はないかと考える.乳癌の化学療法に関して著者 ら21)22)は,一定の制癌剤投与方式を試みているが,
本症例の如く炎症性乳癌に対しての治療には,頭 を悩すところとなった.結局,制癌剤の動脈内投 与と外科的内分泌療法の併用療法を試みたが,結 果は,全く効果がみとめられなかった、今後さら に検討を加えねばならないと考える.
結 語
われわれは,1側に炎症性乳癌を伴う異時性両 側乳癌を経験した.本邦では,炎症性乳癌を伴う 異常性両側乳癌という表題で発表したのは,初め てのケースと考えられる.炎症性乳癌という特殊 の乳癌などに対しては,一部,両側性乳癌の判定 基準が合致しないところもある.したがって判定 基準を再検討する必要があると考えられる.
おいて発表した).
文 献
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