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第 一 章 研 究 の 目 的 と 背 景

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(1)

学 位 論 文

菅原道真における白居易の受容

二○一二年九月 潘怡良 岡山大学大学院 社会文化科学研究科

(2)

凡 例....................................................................1 序 論..................................................................2 第一章 研究の目的と背景..................................................3 第二章 従来の研究........................................................5 第三章 研究の構成と概要..................................................8 本 論....................................................................9 第一部 比較表現を中心として................................................10

第一章 菅原道真における比較表現の受容....................................10 第一節 はじめに........................................................10 第二節 道真詩における比較表現..........................................10 第三節 道真における白詩の比較表現の受容................................18 第四節 受容のちがい――讃岐の守の時期と太宰府の時期....................35 第五節 まとめ..........................................................37 第二章 菅原道真の子供を詠ずる詩..........................................39 第一節 はじめに........................................................39 第二節 子供を論ずる詩における比較表現の受容について....................40 第三節 家学、文章道の継承への望みと子供に対する勧戒....................45 第四節 子供を悼む詩....................................................52 第五節 まとめ..........................................................59 第二部 見立て表現を中心として..............................................61 第一章 道真詩における「雪」の見立て......................................61 第一節 はじめに........................................................61 第二節 喩詞としての雪..................................................61 第三節 被喩詞としての雪................................................78 第四節 まとめ..........................................................89 第二章 道真詩における「月」の見立て......................................91 第一節 はじめに........................................................91 第二節 道真にとっての月................................................92 第三節 道真独特の月の見立て............................................106 第四節 まとめ..........................................................122 第三章 道真詩における「梅」の見立て........................................124

第一節 はじめに.........................................................124

(3)

第二節 「梅」の見立て表現................................................124 第三節 被喩詞としての「梅」...............................................129 第四節 分身としての梅...................................................138 第五節 まとめ...........................................................144 第四章 道真詩における「舞妓」の見立て......................................145 第一節 はじめに.........................................................145 第二節 「早春内宴、侍仁壽殿、同賦春娃無氣力、應製一首」における舞の表現

................................................................146 第三節 踊りの最高潮での悲しみ..........................................154 第四節 道真詩における喩詞としての「舞妓」...............................159 第五節 まとめ...........................................................166 結 論...................................................................170 参考文献.....................................................................174 初出一覧.....................................................................177

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凡 例

一 、菅 原 道 真 の 詩 に つ い て は 、川 口 久 雄 校 註『 菅 家 文 草・菅 家 後 集 』( 岩 波 書 店 、 一 九 六 六 年 )を 用 い る 。そ の 訓 読 は 、「 平 安 初 期 の 古 訓 に 近 づ く べ く 努 力 」(九

七 頁)さ れ た も の だ が 、拙 文 で は 、基 本 的 に は 川 口 氏 の 訓 読 に 基 づ き つ つ 、特

殊 な も の に つ い て は 、 現 代 の 通 常 の 訓 読 を 用 い る こ と と し た 。 ま た 、 難 解 な 詩 文 の 解 釈 に つ い て も 、 主 に 川 口 氏 の 解 釈 を 参 照 し た 。

二 、道 真 詩 の 詩 題 に 付 す 作 品 番 号 は 川 口 久 雄『 菅 家 文 草・菅 家 後 集 』( 同 上 )に 依 る 。

三 、白 居 易 の 詩 文 に つ い て は 、顧 学 頡 校 点『 白 居 易 集 』(中 華 書 局 、一 九 七 九 年) を 用 い る 。 著 者 の 判 断 に よ り 他 の テ キ ス ト に 拠 る 場 合 は そ の 旨 を 記 す 。 訓 読 は 、 お お む ね 佐 久 節 『 白 楽 天 全 詩 集 』(日 本 図 書 セ ン タ ー 、 一 九 七 八 年)に 従 っ た 。

四 、白 詩 の 前 に 付 す 番 号 は 、花 房 英 樹 氏 が『 白 氏 文 集 の 批 判 的 研 究 』(朋 友 書 店 、 一 九 六 ○ 年)に お い て 定 め た 白 居 易 の 詩 文 の 作 品 番 号 で あ る 。

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序 論

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第 一 章 研 究 の 目 的 と 背 景

菅 原 道 真 ( 八 四 五 ~ 九 ○ 三 ) は 平 安 朝 漢 詩 人 の 最 高 に 位 置 す る 詩 人 で あ る 。 行 論 の 便 の た め 、 こ こ で 、 そ の 一 生 を ご く 簡 単 に 述 べ て お く 。

菅 原 道 真 は 字 は 三 、 幼 名 は 阿 古 。 祖 父 清 公 、 父 是 善 、 共 に 文 章 博 士 に 任 ぜ ら れ た 。 紀 伝 道 の 家 学 を 継 ぐ 者 と し て 、 幼 少 か ら 厳 し い 教 育 を 受 け て 、 島 田 忠 臣 に 師 事 し た 。家 風 に 甚 大 な 影 響 を 受 け た 道 真 は 、少 年 時 代 か ら 、「 詩 臣 」で あ る こ と を 目 標 と し て 詩 文 の 創 作 に 研 鑽 を 積 ん だ 。 少 青 年 時 代 は 順 風 満 帆 、 十 八 歳 で 文 章 生 試 に 及 第 し 、 三 十 三 歳 で 文 章 博 士 に 任 ぜ ら れ た 。 だ が 、 四 十 二 歳 、 讃 岐 守 に 移 さ れ 、 三 年 後 、 帰 京 し た 。 そ の 後 は 、 五 十 五 歳 、 右 大 臣 に 任 じ ら れ 、 位 人 臣 を 極 め の だ が 、 二 年 後 、 太 宰 府 に 左 遷 さ れ 、 二 年 後 、 太 宰 府 で 没 し た 。 道 真 の 作 品 は 、昌 泰 三 年( 九 ○ ○ )、醍 醐 天 皇 の 求 め に 応 じ ら れ 、道 真 が 自 己 の 手 で 編 定 し た『 菅 家 文 草 』十 二 巻 、及 び 延 喜 三 年( 九 ○ 三 )、太 宰 府 流 謫 中 の 詠 詩 を 選 び 、 紀 長 谷 雄 に 送 付 さ れ た 『 西 府 新 詩 』 に よ っ て 編 成 さ れ た 『 菅 家 後 集 』一 巻 が 現 存 し て い る 。『 菅 家 文 草 』は 進 献 当 時 の 原 型 を 受 け 継 い で い る と 思 わ れ1、 詩 四 百 六 十 八 首 、 散 文 百 五 十 九 編 、『 菅 家 後 集 』 は 詩 四 十 六 首 を 収 め て い る 。 こ れ ら の 作 品 に は 、 道 真 の 生 涯 が 忠 実 に 記 録 さ れ て い る 。

菅 原 道 真 が 白 居 易 の 影 響 を 強 く 受 け て い る の は 周 知 の こ と で あ る 。 留 学 僧 慧 萼 が 会 昌 四 年 ( 八 四 四 ) に蘇 州 南 禅 寺 で 写 し た『 白 氏 文 集 』六 十 七 巻 本 が 菅 家 に 伝 え ら れ た と 言 わ れ2、道 真 の 詩 の 先 生 で あ る 島 田 忠 臣 は「 坐 し て 吟 じ 臥 し て 詠 じ 詩 媒 を 翫もてあそぶ 、 白 家 を 除の ぞ ば 余 り 能 は ず ( 坐 吟 臥 詠 翫 詩 媒 、 除 却 白 家

1 川 口 久 雄 『 平 安 朝 日 本 漢 文 学 史 の 研 究 上 』( 明 治 書 院 、 一 九 五 九 年 ) に 依 る 。 2 丸 山 キ ヨ 子 『 源 氏 物 語 と 白 氏 文 集 』( 東 京 女 子 大 学 大 会 、 一 九 六 四 年 ) 64 頁 。

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余 不 能 )」(「 吟 白 舎 人 詩 」) と 、 白 詩 へ の 酔 心 ぶ り を 表 現 し て い る 。 道 真 は 家 風 の 影 響 を 受 け て 、忠 臣 以 上 に白 詩 を 愛 読 し 、技 法 の 上 に お い て 、ま た 精 神 と 感 情 の 面 に お い て も 、 白 居 易 の 影 響 を 深 く 全 面 的 に 受 け て い る 。

道 真 は 平 安 朝 漢 詩 文 芸 の 展 開 に お い て 独 自 の 位 置 を 占 め て い る と 評 価 さ れ て い る 。 道 真 は 自 己 の 詩 歌 創 作 の 中 に よ く 『 白 氏 文 集 』 を 取 り 入 れ て 、 白 詩 の 表 現 を 広 げ て 深 化 さ せ て い る 。 そ の 中 で 、 筆 者 は 以 下 の 点 に 着 目 し た 。

第 一 に 、 道 真 詩 に お い て は 、 比 較 表 現 が し ば し ば 見 え 、 特 に 讃 岐 客 居 、 太 宰 府 謫 居 の 時 に 詠 じ た 「 比 較 表 現 」 を 含 む 詩 に は 、 白 居 易 の 影 響 を 受 け て 、 道 真 の 「 兼 済 」、「 独 善 」 の 思 想 が 見 え る こ と で あ る 。 道 真 は 白 居 易 の 「 … よ り … ま し だ 」( 「 譲 歩 」 ― 「 比 較 」 ― 「 肯 定 」 の 比 較 図 式 ) の 比 較 表 現 を 学 ん で 、 自 分 自 身 を 慰 め て い る 。

第 二 に 、 道 真 の 見 立 て の 表 現 に も 白 居 易 の 影 響 が 見 え る こ と で あ る 。 藤 原 克 己 氏 は 、「 道 真 は 、見 立 て の 技 巧 に 最 も 彫 心 鏤 骨 し た 詩 人 で あ っ た 」3と 述 べ て い る 。『 菅 家 文 草 』の 初 め の 一 首 001「 月 夜 見 梅 花 」及 び『 菅 家 後 集 』の 巻 末 最 後 の 一 首 514「 謂 居 春 雪 」 は 、 と も に 雪 、 月 、 梅 花 を 素 材 と し て 詠 じ た も の で あ る 。 そ れ は 偶 然 か も し れ な い が 、 私 に は 道 真 の 文 学 に お い て 、 「 雪 月 花 」 の 表 現 が そ の 中 軸 を 占 め る も の で あ る こ と の 象 徴 の よ う に 思 え る 。 道 真 に お け る 白 詩 の 受 容 を 考 察 す る に 当 た っ て は 、 雪 月 花 の 表 現 を 精 密 に 比 較 研 究 し な け れ ば な ら な い 。そ し て 、道 真 詩 に お い て 、雪 月 花 と し ば し ば 同 時 に 登 場 す る「 舞 妓 」 も 、 都 の 繁 華 生 活 の 象 徴 と し て 、 白 詩 に 強 く 影 響 を 受 け た こ と が う か が え る 。

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拙 文 で は 、 菅 原 道 真 に お け る 、 比 較 表 現 、 子 供 を 詠 ず る 詩 及 び 見 立 て 表 現 に 典 型 的 な 「 雪 」、「 月 」、「 花 」、「 舞 妓 」 の 表 現 を 対 象 と し つ つ 、 道 真 が ど の よ う に 白 居 易 の 影 響 を 受 け て い る の か 、 ま た 影 響 を 受 け つ つ も 、 そ こ に ど の よ う な 独 創 が 見 ら れ る の か 、 さ ら に は 、 こ う し た 分 析 を 通 し て 、 道 真 の 精 神 と 思 想 の 白 居 易 と の 違 い 、 及 び そ の 一 生 に お け る 変 化 を も 考 察 す る こ と を 目 的 と す る 。 こ れ を 基 礎 と し て 、 道 真 の 詩 に お け る 白 詩 の 影 響 に つ い て 、 表 現 形 式 そ の も の に 密 着 し て 全 面 的 に 考 察 し て い く 。

第 二 章 従 来 の 研 究

本 章 で は 、 道 真 及 び 道 真 詩 の 研 究 史 に つ い て ま と め て お く 。 道 真 を 天 神 崇 拝 の 対 象 と す べ き で は な く 一 人 の 詩 人 と す べ き だ と 指 摘 し た の は 、高 山 樗 牛 の『 菅 公 伝 』( 同 文 館 、一 九 ○ ○ 年 )、及 び 井 上 哲 次 郎 の『 菅 原 道 真 』( 北 海 出 版 社 、一 九 三 六 年 ) で あ る 。 そ れ 以 降 、 道 真 の 詩 人 と し て の 意 識 に 関 す る 研 究 が 展 開 さ れ た 。秋 山 虔 氏 の「 古 代 官 人 の 文 学 思 想 」( 東 京 大 学『 国 語 と 国 文 学 』三 十 四 ― 十 、一 九 五 五 年 )は 、当 時 の 政 治 状 況 を 論 じ て 、「 文 章 経 国 」の 詩 人 と し て の 論 理 的 な 道 真 の 姿 を 提 示 し て い る 。 大 曽 根 章 介 氏 は 「 菅 原 道 真 ― 詩 人 と 鴻 儒 ― 」

(『 大 曽 根 章 介 日 本 漢 文 学 論 集 』 第 一 巻 、 汲 古 書 院 、 一 九 九 九 年 ) に お い て 、 道 真 の 「 鴻 儒 」 か ら 「 詩 人 」 へ の 変 遷 過 程 よ り 道 真 の 思 想 の 根 幹 を 指 摘 し て い る 。 後 藤 昭 雄 氏 の 「 文 人 相 軽 ― 道 真 の 周 辺 ― 」(『 平 安 朝 文 学 論 考 』 桜 楓 社 、 一 九 八 一 年 )は 、「 詩 人 無 用 論 」が 盛 ん で あ り 、文 人 社 会 に お け る 派 閥 党 争 と し て

「 儒 家 」 派 と 「 詩 人 」 派 が 対 立 し て い る 背 景 の 下 で 、 詩 人 と し て の 道 真 の 立 場 に つ い て 論 じ て い る 。 藤 原 克 己 氏 は 「 平 安 朝 の 知 識 人 ― 文 章 道 と 菅 原 道 真 ― 」

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(『 菅 原 道 真 と 平 安 朝 漢 文 学 』東 京 大 学 出 版 会 、二 ○ ○ 一 年 )に お い て 、道 真 に お け る 「 詩 道 」 の 本 質 は 風 月 言 志 で あ り 、 道 真 は 本 質 的 に 風 月 言 志 の 詩 人 で あ っ た と 論 じ て 、 こ の 思 想 の 下 で の 道 真 の 政 治 参 加 に つ い て 考 察 し た 。 波 戸 岡 旭 氏 は「 菅 原 道 真[ 九 月 十 日 ]の 詩 に つ い て 」(『 宮 廷 詩 人 菅 原 道 真 ―「 菅 家 文 草 」

「 菅 家 後 集 」 の 世 界 』 笠 間 書 院 、 二 ○ ○ 五 年 ) に お い て 、 道 真 の 宮 廷 詩 人 と し て の 矜 持 を 強 調 し た 。 谷 口 孝 介 氏 は 「 詩 人 の 感 興 ― 菅 原 道 真 [ 讃 州 客 中 之 詩 ] 啓 進 の 意 図 」(『 菅 原 道 真 の 詩 と 学 問 』 塙 書 房 、 二 ○ ○ 四 年 ) に お い て 、 道 真 の

「 詩 人 」、「 詩 臣 」の 問 題 を 繞 っ て 、「 客 意 」と「 応 制 」と い う 詩 の 主 題 の 違 い と 統 一 、 律 令 官 人 と し て の 道 真 等 の 問 題 に つ い て 考 察 し た 。

次 に 、 道 真 の 作 品 に お け る 白 居 易 の 影 響 を 検 討 し た 研 究 に つ い て 述 べ る 。 金 子 彦 二 郎 氏 の『 平 安 時 代 文 学 と 白 氏 文 集 ― 道 真 の 文 学 研 究 篇 第 一 冊 ― 』( 芸 林 舎 、 一 九 七 七 年 ) は 、 道 真 に お け る 白 居 易 の 影 響 を 綿 密 に 指 摘 し た 。 さ ら に 、 川 口 久 雄 氏 の『 平 安 朝 日 本 漢 文 学 史 の 研 究 上 』( 明 治 書 院 、一 九 五 九 年 )、同 氏 の「 菅 原 道 真 の 文 学 と 元 稹 ・ 白 楽 天 の 文 学 ― 太 宰 府 に お け る 敍 意 一 百 韻 詩 を め ぐ っ て

― 」(『 平 安 朝 漢 文 学 の 開 花 ― 詩 人 空 海 と 道 真 ― 』吉 川 弘 文 館 、一 九 七 五 年 )、金 原 理 氏 の 『 平 安 朝 漢 詩 文 の 研 究 』( 九 州 大 学 出 版 社 、 一 九 八 一 年 )、 菅 野 礼 行 氏 の 『 平 安 初 期 に お け る 日 本 漢 詩 の 比 較 文 学 的 研 究 』( 大 修 館 書 店 、 一 九 八 八 年 ) な ど 、 道 真 に お け る 白 居 易 の 受 容 を 繞 っ て 、 多 く の 論 著 、 論 考 が 積 み 重 ね ら れ て い る 。

そ の 中 で 、 道 真 詩 の 表 現 に つ い て は 、 藤 原 克 己 氏 の 「 比 喩 と 理 知 ― 菅 原 道 真 の 詩 の 表 現 ― 」(『 菅 原 道 真 と 平 安 朝 漢 文 学 』 東 京 大 学 出 版 会 、 二 ○ ○ 一 年 ) に お い て 、道 真 詩 に お け る 見 立 て 表 現 の 特 徴 が 論 じ ら れ て い る 。藤 原 氏 は 、「 修 辞

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的 」 表 現 ( 在 京 時 代 作 ) と 「 直 叙 的 」 表 現 ( 讃 岐 客 居 と 太 宰 府 謫 居 ) と い う 二 つ の 指 標 を 設 定 し て 、『 菅 家 文 草 』、お よ び『 菅 家 後 集 』に よ り 、例 を 挙 げ つ つ 、 道 真 の 見 立 て 表 現 を 論 理 的 に 分 析 し て 、「 ま こ と に 、見 立 て こ そ は 詩 人 の 痼 癖 で あ っ た 。 し か し て 、 道 真 が 、 白 居 易 の 詩 か ら 徹 底 し た 影 響 を 受 け る こ と を 通 し て 、 独 自 の 詩 人 形 成 を 遂 げ た の で あ っ た と す れ ば 、 そ の 独 自 性 を 生 み 出 し た ゆ え ん の も の も ま た 、ま さ に こ の 痼 癖 で あ っ た と 言 っ て よ い の で あ る 」4と 論 じ て い る 。波 戸 岡 旭 氏 は 、「 菅 原 道 真[ 九 月 十 日 ]の 詩 に つ い て 」(『 宮 廷 詩 人 菅 原 道 真 ― 「 菅 家 文 草 」「 菅 家 後 集 」 の 世 界 』 笠 間 書 院 、 二 ○ ○ 五 年 ) に お い て 、「 道 真 詩 と 雪 月 花 」、「 詠 雪 詩 考 」、「 詠 月 詩 考 」、「 詠 梅 詩 考 」 な ど 各 章 に 、 お お よ そ 詩 の 詠 出 さ れ た 時 間 の 順 番 に 、 道 真 の 各 時 代 の 雪 、 月 、 花 の 詩 作 を 検 討 し た 。 白 居 易 の 影 響 を 受 け た 所 に つ い て も 多 数 指 摘 し て い る 。 道 真 の 見 立 て 表 現 に お け る 白 詩 の 影 響 に つ い て は 、 専 論 と し て は 論 じ て い な い が 、 行 文 中 に に し ば し ば 論 じ ら れ て い る 。そ の ほ か 、江 藤 高 志 氏 は 、「 菅 原 道 真 の 擬 人 的 表 現 と 尤 物 の 受 容 ― 雨 中 の 花 と 汗 に 潤 う 妓 女 と の 重 な り 」( 都 留 文 科 大 学 国 語 国 文 学 会 編『 国 文 学 論 考 』 第 四 十 七 号 、 二 ○ 一 一 年 ) に お い て 、 道 真 詩 に お け る 「 雨 中 花 」 の 表 現 を は じ め と し て 、「 舞 汗 」な ど 、花 に 見 立 て た「 尤 物 」に 関 す る 表 現 に つ い て 論 じ て い る 。 ま た 、 白 居 易 の 受 容 、 及 び 道 真 の 「 尤 物 」 が 後 世 に 与 え た 影 響 も 論 じ て い る 。

拙 文 は こ れ ら の 論 を 踏 ま え た 上 で 、道 真 に お け る 詩 作 の 表 現 、及 び 思 想 的 に ど の よ う に 白 居 易 の 影 響 を 受 け て い る の か 、 ま た 道 真 の 精 神 と 思 想 に つ い て 白 居 易 と ど の よ う な 違 い が あ る の か 、 及 び そ の 一 生 に お い て ど う い っ た 変 化

4 藤 原 克 己 著 ・ 前 掲 註 ( 3 )・ 29 3 頁

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が あ る の か を 検 討 し た い 。

第 三 章 研 究 の 構 成 と 概 要

拙 文 の 構 成 は 以 下 の よ う で あ る 。

「 第 一 部 比 較 表 現 を 中 心 と し て 」 で は 、『 菅 家 文 草 』『 菅 家 後 集 』 に お け る 比 較 表 現 を 中 心 と し て 、 白 居 易 の 影 響 を 考 察 す る 。

そ の う ち 、「 第 一 章 菅 原 道 真 に お け る 比 較 表 現 の 受 容 」で は 、道 真 詩 に お け る 白 居 易 の 比 較 表 現 の 受 容 の 考 察 に よ り 、讃 岐 に 赴 任 し た 時 、白 居 易 の「 兼 済 」 と 「 独 善 」 の 精 神 を よ く 取 り 入 れ 、 太 宰 府 に 追 放 さ れ た 時 に は 、 白 居 易 の 「 … よ り … ま し だ 」 と い う 表 現 の 力 を 借 り て 、 自 分 自 身 を 慰 め て い る こ と を 明 ら か に す る 。 続 く 「 第 二 章 菅 原 道 真 の 子 供 を 詠 ず る 詩 」 で は 、 道 真 が 上 述 の 白 居 易 の 「 … よ り … ま し だ 」 の パ タ ー ン を 使 っ て 、 自 分 自 身 ま た 子 供 た ち を 慰 め る こ と を は じ め と し て 、道 真 の 子 供 を 詠 ず る 詩 に 見 ら れ る 白 居 易 の 影 響 を 論 じ る 。

白 詩 に は 「雪月 花 の 時 最 も 君 を 憶 う 」 (2565「 寄 殷 協 律 」 )の 句 が あ る 。 道 真 の 文 学 に お い て も 、 前 述 の よ う に 「 雪 月 花 」 の 表 現 が そ の 中 軸 を 占 め る も の で あ る よ う に 思 え る 。 ま た 道 真 詩 に お け る 「 舞 妓 」 は 、 「 雪 月 花 」 と し ば し ば 同 時 に 登 場 し て 、道 真 の 都 で の 宮 廷 生 活 と 強 い 繋 が り が あ る と 思 わ れ る 。「 第 二 部 見 立 て 表 現 を 中 心 と し て 」 で は 、 道 真 詩 に お け る 「 雪 」、「 月 」、「 花 」 及 び 「 舞 妓 」 の 表 現 に つ い て 、 ど の よ う に 白 居 易 詩 及 び そ の 他 の 影 響 を 受 け て い る の か を 考 察 す る 。

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本 論

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第 一 部 比 較 表 現 を 中 心 と し て

第 一 章 菅 原 道 真 に お け る 比 較 表 現 の 受 容

第 一 節 は じ め に

道 真 の 作 品 に は 、 比 較 表 現 が し ば し ば 見 え る が 、 こ の 比 較 表 現 に は 白 居 易 の 影 響 が 見 ら れ る 。 本 章 は 、 道 真 の 詩 に お け る 比 較 表 現 に つ い て 、 そ れ が 技 法 の 上 に お い て 、 ま た 精 神 と 感 情 の 面 に お い て 、 白 居 易 か ら ど の よ う な 影 響 を 受 け て い る の か を 考 察 す る こ と を 目 的 と す る 。 こ れ を 通 じ て 、 道 真 の 詩 に お け る 白 詩 の 影 響 に つ き 、 表 現 形 式 そ の も の に 密 着 し て 精 密 に 考 察 し た い 。

第 二 節 道 真 詩 に お け る 比 較 表 現

道 真 の 詩 で 比 較 表 現 が 見 え る の は 二 十 首 で あ る 。 そ の う ち よ く 使 わ れ る 比 較 表 現 は 、「 猶 … … に 勝 る 」、「 豈 に … … 若 か ん や 」、「 縦た とい 」、「 不 若し か ず」、「 不 如し か ず」な ど で あ る 。 二 十 の 用 例 の 比 較 表 現 の 部 分 を 、 作 詩 の 年 代 順 に 挙 げ る 。

01. 夜 深 纔 有微光透 夜 深 け て 纔わずかに微 光び こ うの 透と おる こ と 有 り

珍 重猶 勝到 曉 無 珍 重 す 猶お 曉あかつきに 到 る ま で 無 き に勝ま されり ( 012「 八 月 十 五 夜 、 月 亭 遇 雨 待 月 」 )

こ の 比 較 は 、「 纔 に微光 が 透る 」が「 譲 歩 」、「 曉 に 到 る ま で 無 き に 」が「 比 較 」 、 「勝れ り 」 が ま し だ 即 ち 「 肯 定 」 と い う 図 式 で あ る (「 譲 歩 」 ― 「 比 較 」

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―「 肯 定 」の 比 較 の 図 式 は 、澤 崎 久 和 に 拠 る 。後 述 )。以 下 、同 様 に 、比 較 表 現 の 特 徴 を 簡 単 に 記 す 。

02.若

向 公庭論 若し公庭に 向 い て 論 ぜ ば

應 知 兩 取 身 知 る べ し 兩ふ たつ な が ら 身 に 取 る こ と を ( 028「 仲 春 釋 奠 、 聽 講 孝 經 、 同 賦 資 事 父 事 君 。 并 序 」 )

こ の 二 句 は 、 も し 「 孝 道 」 と い う こ と を 、 朝 廷 に 仕 え る 者 の 立 場 か ら 論 ず る な ら 、 君 に は 忠 、 親 に は 孝 、 こ の 二 つ を と も に 身 に 体 験 し な け れ ば な ら な い の 意 。 こ れ は 語 法 上 は 比 較 で は な く て 仮 定 表 現 で あ る 。 け れ ど も 、 内 容 的 に は 、 た だ 孝 で あ る の で は な く て (曽 子 や 晋 の 王 祥 が ひ た す ら に 孝 で あ る の と 比 較 し て )、孝 と 忠 の 両 方 を 体 現 し な け れ ば な ら な い と し て い る か ら 、一 種 の 比 較 と み な す こ と が で き る 。

03. 知 音 皆道空消日 知 音 は 皆 な道 う 空 し く 日 をしょう消す な る な り と 豈 若

. .

家 風 便 詠 詩 豈 に 家 風 の 詩 を 詠 ず る に 便 り あ る に 若 か ん や ( 038「 停 習 彈 琴 」 )

こ れ は 、 琴 を 弾 く こ と よ り 、 家 風 の 詩 を 詠 ず る こ と が 大 切 だ と 言 っ て い る 。 04.縱 使 清 光 纔 透出 縱 使

た と い

清 光 纔 に透り 出 ず と も 當 勝

. .

徹 夜 甚 簷 疏 當 に 徹 夜 甚 簷じ ん え んの 疏う とき に勝ら ん ( 039「 八 月 十 五 夕 、 待 月 、 席 上 各 分 一 字 」 )

用 例 01 と ほ ぼ 同 じ 表 現 。 た と え 僅 か の 光 が 雲 を 透 し て 出 る だ け で も (譲 歩 )、

夜 通 し ま っ く ら で あ る よ り は (比 較 )ま し だ (肯 定 )の 図 式 で あ る 。 05. 當 家 好 爵 有遺塵 當 家 の 好 爵 遺塵 有 り

不 若. .

槐 林苦出 身 若 か じ 槐 林 にねんごろ苦 に 出 身 す る に は

(15)

( 131「 絶 句 十 首 、 賀 諸進士 及 第 、 賀 橘 風 」 )

二 句 は 、 「 あ な た の 家 は 高 い 位 を 有 し 先 祖 の 遺 し て く れ た 業 績 が あ る 。 だ か ら 三 公 の 位 に ま で 出 世 す る の が い い で す よ 」 の 意 。 比 較 さ れ る 状 態 は 、 無 為 に 過 ご し て 出 世 し な い こ と が 想 定 さ れ て い る 。

06. 餘 音 縱 在微臣 聽 餘い んは 縱た とい微し んが 聽 き に 在 り と も 最 歎‧ ‧

孤 竹 海 上 沙 最 も 歎な げく は 孤ひ とり 海う みの 上ほとりな る 沙 を 行 か ん こ と を ( 183「 早 春 内 宴 、 聽 宮 妓 奏 柳 花 怨 曲 、 應 製 」 )

早 春 の 宮 中 の 宴 会 で 、 宮 妓 の 舞 は 最 高 潮 に 達 し た 。 そ の 音 が ど れ ほ ど 私 の 心 に 響 こ う と も 、 独 り 讃 岐 に 行 か ね ば な ら な い 私 の 悲 し み こ そ は 最 も 嘆 か わ し い も の な の だ 。 「 最 」 の 字 は 、 「 ど ん な 感 動 よ り も 、 私 の 悲 し み は 深 い 」 の 意 で 用 い ら れ て い る 。

07. 就 中. .

何 事 難 仍舊 就 中 に 何い ずれ の 事 かむかし舊に 仍 る こ と 難か たけ ん 明 月 春 風 不遇時 明 月 春 風 時 に遇わ ず

( 221「 路遇白 頭翁」 )

二 句 は 道 真 の 前 の 国 司 、 安 氏 (安 部 興 行 )と 保 氏 (藤 原 保 則 )の 二 人 が 、 讃 岐 の 民 の た め に 奔 走 し て す ば ら し い 政 治 を 行 っ た と の 白 頭 の 翁 の 話 を 受 け た も の 。 こ の 二 人 の 長 官 の 善 政 に 感 嘆 し 、 「 な か で も 彼 ら の ま ね を し に く い の は 、 明 月 の 美 し い 時 や 春 風 の 心 地 よ い 時 を 顧 み ず に 民 の た め に 働 く こ と だ 」 の 意 。 08. 風 月 能 傷 旅 客 心 風 月 能 く 傷い たま し む 旅 客 の 心

就 中. .

春 盡淚難 禁 就 中 に 春 盡 く る と き に なみだ淚禁と どめ 難 し ( 224「 春 盡 」 )

こ の 詩 は 、 白 居 易 の 「 春 盡 」 の 影 響 を 受 け て い る (後 に 詳 述 )。 そ の こ と は 川

(16)

口 氏 が 『 白 氏 文 集 』 に 、 「 春 盡 日 」 、 「 春 盡 勧 客 酒 」 、 「 春 盡 日 天 津 橋 醉 吟 」 な ど の 詩 が あ る と 、 す で に 指 摘 し て い る5

09. 不 用. .

春 庭 無 限 色 用 い ず 春 の 庭 の 限 り な き 色 を

欲 看 秋 畝 有 餘 粮 秋 の 畝う ねに 餘 れ る 粮か て有 る を 看 ん こ と を 欲ほ っす ( 286「 詶 藤 司 馬 詠 廳 前 櫻 花 之 作 」 )

「 春 、 庭 先 で 限 り な く 美 し い 色 に 咲 く 桜 の 花 は す ば ら し い が 、 そ れ は 華 美 に す ぎ な い 。 秋 の 実 り が 豊 か で 、 ど っ さ り 余 分 の か て ま で 収 穫 が あ る か ど う か を 見 極 め た い も の だ 」 の 意 。

10. 只 合 萬 家 知採用 只 だ 合ま さに 萬 家採り 用 い る こ と を 知 る べ し 縱.

焚 筋骨不.

焚 名 縱た とい 筋 骨 を 焚 く と も 名 を 焚 か じ ( 293「 端 午 日 賦 艾 人 」 )

「 只 合 … … 」 の 句 は 、 端 午 の 節 日 に 、 ど こ の 家 で も 、 「 艾 人 」 、 邪 気 を 除 く よ も ぎ で 作 っ た 人 形 を か ざ る 風 習 が あ る こ と を い う 。 そ の 「 艾 人 」 の 筋 骨 は 焼 い て も 、 名 ま で は 焼 い て 失 っ て し ま い た く な い の 意 。 川 口 氏 の 注 に 、 「 私 は ど ん な こ と が あ っ て も 秩 満 ま で 立 派 に つ と め あ げ た い 、 名 を 汚 し た く な い と の 意 を こ め る 。 」6と あ る 。

11. 滿 衙 僚 吏 雖 多 俸 滿 衙 の 僚 吏 俸 多 し と 雖 も 不 若. .

東 風 一 片 雲 若 か ず 東 風 一 片 の 雲 に は ( 295「 喜 雨 」 )

役 人 た ち の 俸 禄 が 多 い こ と よ り も 、 東 風 が 吹 き 、 雨 が 降 っ て 、 庶 民 の 耕 作 に 役 立 つ こ と の ほ う が も っ と 嬉 し い の 意 。 白 居 易 の 兼 済 の 志 を 意 識 し て い る 。

5 川 口 久 雄 校 註 『 菅 家 文 草 ・ 菅 家 後 集 』( 岩 波 書 店 、 一 九 六 六 年 ) 279 頁 。

6 川 口 久 雄 校 註 ・ 前 掲 註 ( 5 )・ 34 1 頁 。

(17)

12. 從 始 南 來 長 鬱 悒 始 め て 南 に 來 た り し と き よ り 長つ ねに 鬱 悒 た り 就 中. .

此 夜 不. 勝

悲 就 中 に 此 夜 は 悲 し み に勝え ず ( 298「 八 月 十 五 日 夜 、 思 舊 有 感 」 )

「 南 」 は 讃 岐 。 「 不 勝 」 の 二 字 が あ っ て 、 比 較 の 意 は 明 ら か で あ る 。 こ の 詩 に つ い て は 後 で 言 及 す る 。

13. 縱.

使 春 聲 天 地 滿 縱 使た と い 春 聲 の 天 地 に 滿 て り と も 不 如. .

萬歲報 山 椒 萬歲 山 椒さんしょう(山 頂 に 同 じ )に 報 ぐ る に 如 か ず ( 364「 早 春 侍 内 宴 、 同 賦 開 春 樂 、 應 製 」 )

川 口 氏 は 、 「 た と い 春 楽 の 声 が 天 地 に み ち よ う と も 、 か の 武 帝 の 寿 を 賀 し て 山 神 が 万 歳 と 呼 ん だ よ う に 、わ が 君 の 万 歳 を 呼 ぶ の に こ し た こ と は な い 」7と 述 べ て い る 。

14. 毎 憶 脂 膏 多 渥 潤 毎つ ねに 憶お もう 脂こ うの 渥あ くじゅん潤多 き こ と を 那.

恩 澤 繞 身 來 那い かん ぞ 恩 澤 の 身 を 繞め ぐり て 來た る に 勝 え ん ( 380「 賦 雨 夜 紗 燈 、 應 製 、并序 、于時 九 月 十 日 」 )

恩 沢 の 潤 い を 強 調 す る た め に 、潤 い の 典 型 と も い え る「 脂 膏 」の「 渥 潤 (ね と ね と し て う る お い が あ る こ と )」を 比 較 の 対 象 と し 、そ れ よ り も 潤 っ て い る と す る 。

15. 年 有 一 秋 秋 有 三 年 に 一 た び 秋 あ り 秋 に 三 有 り 就 中. .

季 白 意 難 堪 就 中 に 季すえのあ きぞ 意こころ え 難 き ( 436「 九 日 後 朝 、 同 賦 秋 深 、 應 製 」 )

一 年 の 中 、 秋 に は 初 秋 、 中 秋 、 晩 秋 が あ る が 、 な か で も 晩 秋 九 月 は 人 の 心 を た え が た く 悲 し ま せ る の 意 。

(18)

16. 雖 云 昨翫新英 菊 昨 新 英 の 菊 を 翫

もてあそ

ぶと 云 う と 雖 も 豈 若. .

有 心 難 老 容 豈 に に 有 心 老 い 難 き 容 に 若 か め

( 449「 九 日 後 朝 、 侍 宴 朱 雀 院 、 同 賦 秋 思 入 寒 松 、 應 太 上 皇 製 」 )

菊 の 花 は 、 松 の 葉 の 四 時 を 貫 い て い つ ま で も 老 い な い 千 年 の 緑 を 茂 ら せ る 様 子 に 及 ば な い の 意 。

17.微臣 把 得 籝 中 滿 微臣 (菊 花 を )把 る こ と 得 て 籝か ごの 中 に 滿 つ と も 豈 若. .

一 經 遺 在 家 豈 に 若 か ん や 一 經 の 遺の こり て 家 に 在 ら ん に は ( 460「 九 日 侍 宴 、 同 賦 菊 散 一 叢 金 、 應 製 」 )

「 菊 花 」 を ど れ だ け た く さ ん 摘 み 、 か ご い っ ぱ い に な ろ う と も 、 家 に 先 賢 の 書 い た 一 経 が あ り 、 そ れ を 子 孫 に 伝 え る ほ う が ま し だ の 意 。 家 業 ・ 家 学 を 大 切 に 思 う 気 持 ち を 詠 じ て い る 。

18. 思 量 汝 於 彼 汝 を 彼 ら に 思 量 す る に 天 感 甚 寛 恕. . .

天 感 甚 し く 寛 恕 な り ( 483「 慰 少 男 女 」 )

自 分 も 子 供 も 不 遇 (譲 歩 )だ が 、か つ て 栄 華 を 誇 っ た 都 の 官 僚 の 子 供 、「 南 助 」・

「 弁 御 」 の 落 ち ぶ れ て い る の に 比 べ る と (比 較 )、 「 甚 寛 恕 」 だ (肯 定 )と の 図 式 で あ る 。 白 詩 の 「 贈 内 子 」 ( 1015) を 意 識 し て い る 。 こ の 詩 に つ い て は 、 第 二 章 で 詳 述 す る 。

19. 忘 卻 是 身偏用 意 是 の 身 を 忘 卻 し て 偏え に 意こころを 用 う れ ば 優 於 誼 舎 在 長 沙 誼 が 舎い えの 長 沙 に 在 り し に 優 れ た ら ま し (504「 官 舎 幽 趣 」 )

も し も 我 が 身 の 上 に と ら わ れ る こ と か ら 離 れ て 、 も っ ぱ ら 衣 食 な ど 身 辺 の 問

(19)

題 に 心 を 使 う な ら 、 賈 誼 が 長 沙 と い う 卑 湿 の 地 に 謫 居 し て い た の よ り は 、 自 分 の 方 が ま し だ と 、 仮 定 の 情 況 (心 境 )と 賈 誼 の 貶 謫 の 状 況 と を 比 較 し て い る 。 20. 涼 秋 月 盡 早 霜 初 涼 秋 月 盡 き て 早 霜 の 初 め

殘 菊 白 花雪不 如. .

殘 り の 菊 の 白 き 花 は 雪も 如 か ず ( 505「 秋晩題 白 菊 」 )

秋 の 終 わ り 、冬 に な ろ う と い う 時 、雪 の 白 さ も 残 菊 の 白 さ に は 及 ば な い の 意 。

比 較 の 内 容 を 以 下 の 表 に よ り 示 す 。

題 名

比 較 の 文 字

比 較 内 容

制 作 時 期 ・ 場 所 01 012「 八 月 十 五 夜 、

月 亭遇雨 待 月 」

猶 勝 微 光 の 透 る > 曉 に 到 る ま で 無 き

貞 観 七 年 ( 八 六 五 ) ・ 都 02 028「 仲 春 釋 奠 、 聽

講 孝 經、同 賦 資 事 父 事 君 、 并 序 」

若 忠 ・ 孝 両 方 > た だ 孝 貞 観 九 年 ( 八 六 七 ) ・ 都

03 038「 停習彈 琴 」 豈 若 詩 を 詠 ず る こ と > 琴 を 弾 く こ と

貞 観 十 二 年

( 八 七 ○ ) ・ 都

04 039「 八 月 十 五 夕 、 待 月 、 席 上 各 分 一 字 」

縱 使 清 光 が 僅 か に 透 り 出 す > 徹 夜 甚 簷 の 疏 き

貞 観 十 二 年

( 八 七 ○ ) ・ 都

05 131「 絶 句 十 首 、 賀 不 若 出 身 > 出 身 し な い こ と 元 慶 八 年 ( 八

(20)

諸進士 及 第 、 賀 橘 風 」

八 四 ) ・ 都

06 183「 早 春 内 宴 、 聽 宮 妓 奏 柳 花 怨 曲、應 製 」

最 歎 独 行 の 悲 し み の 深 さ > 歌 舞 の 与 え る 感 動 の 深 さ

仁 和 二 年 ( 八 八 六 ) ・ 讃 岐

07 221「 路遇白 頭翁」 就 中 最 も 難 し い 事 ( 最 高 級 ) 仁 和 三 年 ( 八 八 七 ) ・ 讃 岐 08 224「 春 盡 」 就 中 風 月 の 悲 し み の 中 で 春 尽 の

悲 し み は 最 も 深 い (最 高 級 )

仁 和 三 年 ( 八 八 七 ) ・ 都 09 286「 詶 藤 司 馬 詠 廳

前 櫻 花 之 作 」

不 用 秋 の 畝 に 余 分 の 粮 が あ る > 春 の 庭 の 限 り な く 美 し い 景 色

仁 和 五 年 ( 八 八 九 ) ・ 讃 岐

10 293「 端 午 日 賦 艾 人 」 縱 名 を 焚 か じ > 筋 骨 を 焚 く( 仮 定 )

仁 和 五 年 ( 八 八 九 ) ・ 讃 岐 11 295「 喜 雨 」 不 若 東 風 一 片 の 雲 > 満 衙 の 僚 吏

が 俸 多 し

仁 和 五 年 ( 八 八 九 ) ・ 讃 岐 12 298「 八 月 十 五 日

夜 、 思舊有 感 」

就 中 此 夜 の 悲 し み > 始 め て 南 に 来 り し と き よ り こ の か た 、長 に 鬱 悒

仁 和 五 年 ( 八 八 九 ) ・ 讃 岐

13 364「 早 春 侍 内 宴 、 同 賦 開 春 樂 、 應 製 」

縱 使 … 不 如

万 歳 が 山 椒 に 報 ぐ > 春 声 の 天 地 に 満 て り

寛 平 五 年 ( 八 九 三 ) ・ 都 14 380「 賦 雨 夜 紗 燈 、 那 勝 恩 沢 の 身 を 繞 り て 來 る 脂 > 寛 平 六 年 ( 八

(21)

應 製 、并序 、于時 九 月 十 日 」

膏 の 渥 潤 多 き こ と 九 四 ) ・ 都

15 436「 九 日 後 朝 、 同 賦 秋 深 、 應 製 」

就 中 秋 の 悲 し み の 中 で 晩 秋 の 悲 し み は 最 も 深 い (最 高 級 )

寛 平 九 年 ( 八 九 七 ) ・ 都 16 449「 九 日 後 朝 、 侍

宴 朱 雀 院、同 賦 秋 思 入 寒 松 、 應 太 上 皇 製 」

雖 云 … 豈 若

有 心 、老 い 難 き 容 > 昨 、新 英 の 菊 を 翫 ぶ

寛 平 九 年 ( 八 九 七 ) ・ 都

17 460「 九 日 侍 宴 、 同 賦 菊 散 一 叢 金 、 應 製 」

豈 若 家 に 先 賢 が 書 い た 一 経 が あ っ て 、子 孫 に 残 せ る > 菊 を か ご に い っ ぱ い 掴 む

昌 泰 二 年 ( 八 九 九 ) ・ 都

18 483「 慰 少 男 女 」 甚 寛 恕 自 分 の 子 供 が ま だ 恵 ま れ て い る > 南 助 、 弁 の 御

昌 泰 四 年 ( 九

○ 一 ) ・ 太 宰 府

19 504「 官 舎 幽 趣 」 優 於 自 分 が 大 宰 府 に 左 遷 さ れ た 苦 し さ > 賈 誼 の 謫 居 の 苦 し さ

延 喜 二 年 ( 九

○ 二 ) ・ 太 宰 府

20 505「 秋 晩 題 白 菊 」 不 如 雪 > 残 り の 菊 の 白 い 花 延 喜 二 年 ( 九

○ 二 ) ・ 太 宰 府

第 三 節 道 真 に お け る 白 詩 の 比 較 表 現 の 受 容

(22)

以 上 の 道 真 の 詩 の 比 較 表 現 に は 、 白 居 易 の 影 響 が は っ き り 見 て と れ る 。 そ の 中 に は 、白 居 易 の 兼 済8の 志 の 影 響 を 受 け た も の が あ る 。そ れ は 、道 真 が 讃 岐 の 守 の 時 の 詩 に 最 も 多 く 見 ら れ る 。

例 え ば 次 の 句 。

不 用 春 庭 無 限 色 用 い ず 春 の 庭 の 限 り な き 色 を

欲 看 秋 畝 有 餘 粮 秋 の 畝う ねに 餘あ まれ る 粮か て る を 看る こ と を 欲 す ( 用 例 09、 286「 詶 藤 司 馬 詠 廳 前 櫻 花 之 作 」 )

こ れ は 、 仁 和 五 年 ( 八 八 九 ) 、 道 真 が 讃 岐 の 守 の 時 の 作 。 二 句 は 、 「 春 、 庭 先 で 限 り な く 美 し い 色 に 咲 く 桜 の 花 は す ば ら し い が 、 そ れ は 華 美 に す ぎ な い 。 秋 の 実 り が 豊 か で 、 ど っ さ り 余 分 の か て ま で 収 穫 が あ る か ど う か を 見 極 め た い も の だ 」の 意 。こ れ は 、白 居 易 の「 独 善 」9― ― 自 分 一 身 の 快 適 を 思 う に つ け て も 、 「 兼 済 」 ― ― 民 の 平 安 こ そ 大 切 だ と 思 う 思 想 を 摂 取 し て い る 。

道 真 に は 、 ま た 次 の よ う な 詩 が あ る 。

滿 衙 僚 吏 雖 多 俸 滿 衙 の 僚 吏 俸 多 し と い え ど も

8 「 兼 済 」―「 兼

ね て 済

すく

う 」、広 く 人 民 を 救 済 す る の 意 。政 治 と ほ ぼ 同 義 。ま た 白 居 易 に お い て は「 独 善 」 に 対 す る 語 と し て 、 公 務 の 意 味 を 持 つ 。

9 「 独 善 」 ― 「 兼 済 」 に 対 応 す る 語 。「 窮 す れ ば 独 り 其 の 身 を 善 く し 、 達 す れ ば 兼 ね て 天 下 を 済 う ( 不

遇 の 時 に は 自 分 の 人 格 の 修 養 に 努 め 、 よ い 君 主 に め ぐ り あ っ て ポ ス ト を 得 る な ら ば 天 下 の 民 を 救 う ) 」 と は 、 も と 孟 子 の 言 葉 で あ る 。 白 居 易 は 、 こ の 「 独 善 」 を 、 親 友 元 稹 に 送 っ た 手 紙 「 元 九 に 与 う る 書 」の 中 で 、公 務 か ら 離 れ て 一 人 で い る 時 の プ ラ イ べ ー ト の 快 適 と い う 意 味 に 変 え 、し か も 「 兼 済 」 = 公 務 と 、「 独 善 」 = プ ラ イ ベ ー ト の 快 適 と を 、 同 じ 価 値 の も の だ と 言 い き っ た 。

(23)

不 若 東 風 一 片 雲 若 か ず 東 風 一 片 の 雲 に は ( 用 例 11、 295「 喜 雨 」 )

こ れ も 仁 和 五 年 の 作 。 役 人 た ち の 俸 禄 が 多 い こ と よ り も 、 東 風 が 吹 い て 、 雨 が 降 っ て 、 庶 民 の 耕 作 に 役 立 つ こ と の ほ う が も っ と 嬉 し い 。 讃 岐 の 地 方 長 官 だ か ら 、 民 の 幸 福 を 考 え る の は 当 然 と い え る が 、 こ の 表 現 は 、 白 居 易 の 独 善 よ り も 兼 済 と い う 思 想 を 摂 取 し て い る 。

こ こ で 、 白 詩 の 表 現 を 確 か め て お こ う 。 例 え ば 次 の よ う な 詩 が 、 独 善 ― ― 自 己 一 身 の 快 適 を 感 ず る に つ け て も 、 兼 済 ― ― 民 の 幸 福 こ そ が 大 切 だ と い う 思 い を 表 し て い る 。

白 居 易 は 元 和 二 年 ( 八 〇 七 )、盩厔 県 尉 の 時 の 五 古 0013「 月 夜 登 閣 避 暑 」 に 次 の よ う に 詠 っ て い る 。

… …

開 襟 當 軒 坐 襟 を 開 き て 當 に 軒 に 坐 す べ し 意 泰 神 飄 飄 意 泰や すら か に し て 神 飄 飄

迴 看 歸 路 傍 迴 り 看 て 路 傍 に 歸 れ ば 禾 黍 盡 枯 焦 禾 黍 盡 く 枯 焦 す

獨 善 誠 有 計 獨 り 善 き は 誠 に 計 有 る も 將 何 救 旱 苗 將 た 旱 苗 を 救 う に 何 れ ぞ

襟 を 開 い て 軒 下 に 座 る と 、 気 持 ち が 安 ら か で の ん び り す る 。 ふ り か え っ て 路

(24)

の そ ば を 見 る と 、 禾 黍 は す べ て 枯 れ て い た 。 自 分 一 身 の 「 独 善 」 は 工 夫 す れ ば 何 と か な る も の だ が 、 旱 の 苗 を 救 う の は い っ た い ど う す れ ば い い の だ ろ う 。 道 真 の 思 い は 、 白 居 易 の こ の 詩 と 同 じ だ ろ う 。

諷 諭 詩 0055「 新 製 布 裘 (新 た に 布 裘 を 製 る )」 (元 和 二 年 [八 ○ 七 ]~ 元 和 十 年 [八 一 五 ]の 作 )は 、 こ う 詠 う 。

… …

中 夕 忽 有 念 中 夕 忽 ち 念 う 有 り 撫 裘 起 逡 巡 裘 を 撫 し て 起 き て 逡 巡 す 丈 夫 貴兼濟 丈 夫 は 兼濟 を 貴 ぶ

豈 獨 善 一 身 豈 に 獨 り 一 身 を 善 く せ ん や 安 得 萬 里 裘 安い ずく に か 萬 里 の 裘 を 得 て

蓋 裹 周 四 垠 蓋 い 裹つ つみ て 四 垠 に 周あ まね か ら し め ん

穩 暖 皆 如 我 穩 か に 暖 か な る こ と 皆 な 我 れ の 如 く に し 天 下 無寒人 天 下 に寒き 人 無 か ら し め ん

ふ と 夜 中 に い き な り 思 う こ と が あ る 。 綿 入 れ の 上 着 を 撫 で な が ら い き つ も ど り つ す る 。一 人 前 の 男 は「 兼 済 」の 志 が 大 切 だ 、ど う し て「 独 善 」、自 分 一 人 の こ と ば か り 考 え て い て よ か ろ う 。 世 の 中 の 民 の す べ て が あ た た か い 綿 入 れ の 上 着 を 手 に 入 れ て 、 私 の よ う に 暖 か く 、 安 ら か に 暮 ら し て 、 天 下 に 寒 さ を 訴 え る 人 が な い よ う に し た い も の だ 。

こ の 詩 に は 、「 兼 済 」「 独 善 」の 語 が 、二 つ と も 出 て い る 。自 分 一 身 の「 独 善 」

(25)

よ り も 、世 の 中 の 民 、皆 が 幸 福 に な る よ う に と 願 う 、「 兼 済 」の 志 が 、こ こ に 典 型 的 に 見 ら れ る 。

さ ら に も う 一 例 だ け 挙 げ て お く 。

大 和 五 年( 八 三 一 )、河 南 尹 の 時 の 七 言 排 律 2893「 新 製 綾 襖 成 感 而 有 詠 」は 、 次 の よ う に 歌 っ て い る 。

水 波 文 襖造新 成 水 波 の 文 襖 造り て 新 た に 成 る

綾 軟 綿 匀 温 復 輕 綾 軟 か に 綿 匀ととのい 温 か に し て 復 た 輕 し

晨 興 好 擁 向 陽 坐 晨 に 興 き て は 擁 す る に 好 し 陽 に 向 か っ て 坐 す 晩 出 宜 披 蹋雪行 晩 に 出 で て は 披 る に 宜 し 雪 を 蹋ん で 行 く

… …

百 姓 多寒無 可 救 百 姓ひゃくせい 多 く 寒こ ごゆ る も 救 う 可 き 無 し 一 身 獨 煖 亦 何 情 一 身 獨 り 煖 か な る も 亦 た 何 の 情 ぞ 心 中 爲 念 農 桑 苦 心 中 農 桑 の 苦 を 念 う が 爲 に

耳 裏 如 聞 飢 凍 聲 耳 裏 飢 凍 の 聲 を 聞 く が 如 し

爭 得 大 裘 長 萬 丈 爭い かで か 大 裘 の 長 さ 萬 丈 な る を 得 て 與 君 都 蓋 洛 陽 城 君 と 都す べて 洛 陽 城 を 蓋 わ ん

波 の も よ う の 上 着 が で き あ が っ た 。 綾 絹 は や わ ら か い し 、 中 の 綿 も 整 っ て い て 、 暖 か い う え に 軽 く て 、 気 持 ち が い い 。 朝 起 き て 、 太 陽 の 下 に 座 っ て も 、 夜 出 か け る と き に 着 て 、 雪 を 踏 ん で 歩 い て も 大 丈 夫 だ … … だ が 、 民 は ほ と ん ど が 寒 い の を ど う す る こ と も で き な い 、 私 一 人 だ け 暖 か い の は た え が た い こ と だ 。

(26)

心 の 中 で 、 畑 仕 事 や 養 蚕 の 辛 さ が よ く わ か る の で 、 耳 の 中 で 飢 え 凍 え て い る 人 た ち の 声 が 聞 こ え る よ う だ 。 ど う に か し て 洛 陽 と 同 じ ぐ ら い の 大 き さ の 上 着 を 手 に 入 れ て 、 洛 陽 の 民 み ん な を お お っ て や り た い 。

下 定 雅 弘 氏 は 、「[ 裘 ] は 白 居 易 の 身 体 を 暖 か く 包 み 、 幸 せ に し て く れ る も の で あ り 、 た だ そ の こ と を 歌 う 詩 も あ る の で す が 、 白 居 易 は [裘 ]の 暖 か さ に 接 す る と 、 [独 善 ]だ け で は な く 、 [兼 済 ]を 思 う 癖 が あ る の で 、 年 を と っ て も 、 し ば し ば こ う い う 歌 い 方 に な り ま す 。」1 0と 述 べ て い る 。「 裘 」は 白 居 易 に と っ て は 、 寒 さ を し の ぎ 、 快 い 暖 か さ を も た ら し て く れ る 、「 幸 福 」 の 一 つ の 象 徴 で あ る 。 自 分 の 幸 福 だ け で は な く 、民 の 幸 福 が も っ と 大 切 だ と い う 思 い 、こ れ は 、「 兼 済 」 の 志 で あ る 。

白 居 易 は 、「 元 九 に 与 う る 書 」に お い て 、自 分 の 志 は「 兼 済 」だ が 、左 遷 さ れ た 今 、 そ の 生 き 方 は 「 独 善 」 だ と 述 べ て い る 。「 兼 済 」 と 「 独 善 」 の 語 は 、『 孟 子 』に 拠 っ て い る 。し か し 、白 居 易 の「 独 善 」の 内 実 は 、『 孟 子 』の「 独 善 」と は 異 な る 。下 定 氏 は「 独 善 」に つ い て 次 の よ う に い う 。「 孟 子 の [独 善 ]は 、[窮 ] し た 時 に も 義 を 失 わ な い と い う 意 味 な の だ が 、こ こ で は 、そ れ だ け で な く 、[閑 適 詩 ]の 根 拠 づ け で あ る こ と か ら 、逆 に 直 前 に 述 べ た 閑 適 詩 の 定 義 を も 吸 収 す る 意 義 を 担 っ て い る は ず で あ る 。 即 ち [窮 ]し た 時 に 義 を 失 わ な い こ と に は 限 定 さ れ ず 、 [或 退 公 独 處 、 或 移 病 閑 居 、 知 足 保 和 、 吟 玩 情 性 ]と い う 、 広 く 閑 居 の 快 適 に 向 か っ て 開 放 さ れ る 内 容 を も 支 え る 概 念 で あ る は ず で あ る 。」1 1白 居 易 に お い て は 、「 兼 済 」は「 [器 を 畜 え 用 を 貯 め ]― ― 才 能 を 生 か し て 活 躍 す る 」1 2、「 独 善 」 は 「 [志 を 養 い 名 を 忘 れ ]― ― 心 を 気 高 く 保 ち 名 利 を 求 め ず 、 [独 善 ]を 楽 し

1 0 下 定 雅 弘 『 白 楽 天 の 愉 悦 ― ― 生 き る 叡 智 の 輝 き 』( 勉 誠 出 版 、 二 ○ ○ 六 ) 2 50 頁 。

1 1 下 定 雅 弘 『 白 氏 文 集 を 読 む 』( 勉 誠 社 、 一 九 九 六 ) 373 頁 。

1 2 下 定 雅 弘 ・ 前 掲 註 ( 1 0 )・ 46 頁 。

(27)

む 人 な ら 一 生 何 の 悩 み も な い 」1 3。 白 居 易 は 、 江 州 に 左 遷 さ れ る 前 に は 、 そ の 思 想 に お い て 兼 済 が 大 部 分 の 比 重 を 占 め て い る 。 江 州 左 遷 以 降 、 白 居 易 の 政 治 へ の 熱 情 は 沈 静 し 、「 兼 済 」と 拮 抗・並 立 す る 「独 善 」の 観 念 が 確 立 し た と さ れ る

1 4

以 上 、白 居 易 の 兼 済 ・独 善 に つ い て 、そ の 意 義 を 確 か め 、典 型 的 な 用 例 を 挙 げ た 。 以 下 、 比 較 表 現 の 検 討 か ら は や や 離 れ る が 、 白 居 易 の 兼 済 ・ 独 善 と 、 道 真 の 兼 済 ・ 独 善 の ち が い に つ い て 、 少 し 述 べ て お き た い 。

白 居 易 は 、 江 州 に 左 遷 さ れ る 前 、 そ の 思 想 に お い て 、 兼 済 が 大 部 分 の 比 重 を 占 め て い た の に 対 し て 、 道 真 は 、 讃 岐 へ の 赴 任 の 後 、 兼 済 を 意 識 す る 作 品 が 多 く な っ て い る 。「 何 れ の 人 に か 寒 気 早 し 」、 冬 に な っ て ど の よ う な 人 に 寒 気 の つ ら さ が も っ と も 早 く 感 じ ら れ る だ ろ う か 、で 始 ま る 200~ 209「 寒 早 十 首 」、221

「 路 遇 白 頭翁」、 228「 問 藺 笥翁」、 229「 代翁答 之 」、 230「 重 問 」、 231「 重 答 」 な ど は 、 そ の 代 表 的 な も の で あ る 。 だ が 、 道 真 の 「兼 済 」へ の 思 い は 、 白 居 易 と 同 じ も の で あ っ た だ ろ う か ?

道 真 の 讃 岐 へ の 赴 任 に つ い て 、 坂 本 太 郎 氏 は こ う い う 。 道 真 が 「 父 祖 代 々 の 学 者 で あ っ て 、 少 壮 よ り 中 央 に 重 き を な し た 者 が 、 博 士 の 任 十 年 で 突 如 地 方 に 転 出 し た こ と は 意 外 で あ る … そ の 事 情 と し て 、学 者 の 間 の 対 立 抗 争 が は げ し く 、 菅 家 門 徒 の 勢 い が 増 大 す る の を 恐 れ て 、 一 時 道 真 を 地 方 に や っ て 、 そ の 勢 い を 抑 え よ う と し た 学 者 の 運 動 が 功 を 奏 し た の で は な い か 、 と い う こ と が か ん が え ら れ よ う 」1 5。 道 真 は 白 居 易 と 同 じ よ う に 、 都 で 朝 臣 と し て 勤 め て き た の に 、 四 十 二 歳 で 初 め て 都 か ら 離 れ る こ と に な っ た の で あ る 。 悲 し み は 深 い 。 だ が 、

1 3 下 定 雅 弘 ・ 前 掲 註 ( 1 0 )・ 46 頁 。

(28)

彼 は 悲 し み に 沈 む の で は な く 、 讃 岐 に 着 い て か ら は 、 本 格 的 に 一 人 前 の 地 方 官 と し て 、そ の 責 務 を 果 た す べ く 努 力 し 始 め た 。道 真 は 、仁 和 三 年( 八 八 七 )に 、 次 の 詩 を 詠 じ て い る 。

離 家 四 日 自 傷 春 家 を 離 れ て 四 日 自 ら に 春 を 傷い たむ 梅 柳 何 因 觸 處 新 梅 柳 何 に 因 り て か 觸 る る 處 に 新 た な る 爲 問 去 來 行 客 報 爲 に 去 來 す る 行 客 の 報ぐ る こ と を 問 う 讚 州 刺 史 本 詩 人 讚 州 刺 史 本 詩 人

( 243「 題 驛 樓 壁 」)

京 都 の 家 か ら 離 れ て 四 日 目 、 自 ら 春 を 傷 み 悲 し む 。 梅 の 花 、 柳 の 木 、 な ぜ い た る と こ ろ で こ う も 鮮 や か で 、 私 の 心 に し み い る の か ? 往 来 の 旅 人 を 見 れ ば そ の 理 由 が わ か る か と 思 っ た が 、 彼 ら は 梅 や 柳 に 何 の 興 味 も な い 、 な ら ば 、 讃 岐 の 長 官 と な っ て い く 私 は 本 来 や は り 詩 人 で あ る ら し い 。

遠 藤 光 正 氏 は こ う い う 、「 こ の 詩 を 見 る と 、道 真 は 嘗 て 学 儒 で あ っ た 己 れ を 措 き 、 今 は 讃 岐 の 国 司 で あ る 身 に 徹 し 切 っ て い る こ と が 分 か る 。 か よ う に 彼 は 誠 実 な 態 度 で 政 治 に 精 励 し て い た こ と が 伺 い 知 ら れ る が 、 彼 の 本 質 は [詩 人 ]と 詠 じ て い る 」1 6。道 真 は 讃 岐 に い る 時 、前 任 国 司 の 安 部 興 行 、藤 原 保 則 に 学 ん で 、 清 廉 を 心 掛 け 、「 兼 済 」 の 志 を 果 た そ う と し た 。 た だ し 、 自 ら 、「 四 時 王 澤 を 歌 わ ん こ と を 廢 め ず 、 長 く 詩 臣 の 外 臣 た ら ん こ と を 斷 た ん ( 四 時 不 廢 歌 王 澤 、 長 斷 詩 臣 作 外 臣 )」( 324「 三 月 三 日 、侍 於 雅 院 、賜 侍 臣 曲 水 之 宴 、應 製 」)、と い

1 6 遠 藤 光 正 「 讃 州 時 代 の 菅 原 道 真 と [ 寒 早 十 首 ] 」 ( 大 東 文 化 大 学 東 洋 研 究 所 『 東 洋 研 究 』 第 一 一 三 号 、 一 九 九 四 年 ) 10 4 頁 。

(29)

う よ う に 、 道 真 に と っ て 、 一 番 大 切 な の は 、 文 章 道 で あ り 、 天 皇 と の 親 し い 関 係 で あ り 、 天 皇 の お そ ば に あ っ て 「 詩 臣 」 で あ る こ と で あ る 。

道 真 に は ま た 、 天 皇 側 近 の 儒 臣 で あ り た い と の 思 い を 述 べ た 次 の よ う な 作 が あ る 。寛 平 三 年( 八 九 一 )の 作 、353「 金 吾 相 公 、抂 賜 遣 懷 、答 謝 之 後 、偶 有 御 製 、 有 感 更 押 本 韻 、 事 君 之 道 、 盡 于 此 篇 。 某 不勝助 喜 、 兼 敘 私 情 、 有 如 白 日 、 敬 以 呈 上 」 。

遣 懷 兩 字 千 金 價 遣 懷 の 兩 字 千 金 の 價

忠 信兼陳 一 筆 端 忠 信兼ね て 陳つ らね た り 一 筆 の 端

分 藥 莫嫌爲 口 苦 藥 を 分 ち て嫌う こ と 莫 し 口 の 苦 き を 爲 さ ん こ と を 履 冰 誰道不 心 寒 冰 を 履 み て 誰 か道 わ ん 心寒き こ と あ ら ず と

精 誠 底 露 新 章 句 精 誠 底 露 す 新 た な る 章 句 努 力 奔 波 舊 素 飡 努 力 奔 波 す 舊ふ るき 素 飡す さ ん

偏 欲播 揚 肝 膽 曲 偏 に 肝 膽 の 曲 を 播 き 揚 げ ん こ と を 欲 す

慙 將 碎 瓦 報 幽 蘭 慙 ず ら く は 碎 け し 瓦かわらを 將 ち て 幽 蘭 に 報 い ん こ と を

こ れ は 道 真 が 讃 岐 か ら 帰 っ て 、 宇 多 天 皇 に 奉 じ た 作 で あ る 。 「 遣 懐 」 は 藤 原 時 平 が 道 真 に 贈 っ た 述 懐 の 詩 作 を さ す 。 大 意 は 以 下 の 通 り 。

「 遣 懐 」 の 二 字 に は 千 金 の 価 値 が あ る 。 こ の 詩 の 筆 端 に は 、 「 忠 」 と 「 信 」 と が 兼 ね て 述 べ ら れ て い る 。 薬 を 分 け 与 え て 飲 む 人 ( 君 主 ) の 口 に 苦 い の を 嫌 っ て は い け な い 、 氷 を 踏 め ば 心 が ひ や り と す る こ と が な い わ け が な い (こ の 二 句 、 主 君 へ の 諫 言 を 厭 う て は な ら な い こ と を い う )。

(30)

時 平 公 の こ の 新 た な 詩 句 に は 真 実 の 誠 が 現 れ て い る 。 努 力 し て 、 昔 か ら の 俸 禄 を 盗 む 汚 名 を 返 上 し よ う 。 後 漢 の 竇 融 の よ う に ま ご こ ろ の 「歌 」を 歌 い 広 め た い 、 砕 け た 瓦 の よ う な 役 立 た ず の 身 だ が 幽 蘭 白 雪 の 曲 の よ う な 、 貴 い 恩 顧 に お 酬 い 申 し 上 げ た い 。

こ の 詩 は 、 自 分 の 本 来 の あ り よ う が 、 や は り 、 天 皇 の お そ ば に あ っ て 、 詩 臣 と し て お 仕 え す る こ と に あ る と の 思 い を 、改 め て 確 認 し て い る も の だ と い え る 。 道 真 の こ の 思 い は 彼 の 生 涯 を 貫 き 、 終 始 一 貫 し て い る 。 だ が 、 讃 岐 の 守 と い う 地 方 長 官 と し て 行 政 に 直 接 責 任 を 持 つ よ う に な っ た 時 、道 真 は 、白 居 易 の 「兼 済 」へ の 志 を と り わ け 強 く 意 識 し 、自 分 な り に そ の 実 現 に 努 め よ う と 最 大 限 の 努 力 を し た 。 そ れ は 、 ま さ に 道 真 の 性 格 、 そ の 常 人 な ら ぬ 生 真 面 目 さ を 証 す る も の だ ろ う 。 そ し て そ れ だ け で は な く 、 道 真 は 、 ま さ に そ の 真 面 目 さ に よ っ て 、 独 善 ば か り で は だ め で 、 兼 済 こ そ 大 切 と い う 、 白 居 易 独 特 の 心 動 き を も 正 確 に つ か ん で い た の で あ る 。

道 真 は 、 白 詩 の 「 就 中 」 を 用 い た 表 現 を 摂 取 し て い る 。 中 で も 、 そ の 悲 し み の 表 現 の 影 響 を 強 く 受 け て い る 。 「 就 中 」 は 一 種 の 最 高 級 の 表 現 で あ る 。 比 較 の 用 法 の 一 つ と 見 て い い だ ろ う 。 白 居 易 が 「 就 中 」 を 使 う 比 較 表 現 は 十 首 に 見 え る が 、そ れ は 半 分 以 上 で あ る 六 首 が 悲 し み の 表 現 で あ る( 後 掲 )。道 真 も「 就 中 」を 使 っ て 、「 最 高 級 」の 悲 し み を 表 す 作 品 が い く つ か あ る 。ま ず 、悲 し み と は 関 係 が な い が 、 白 居 易 の 影 響 を 受 け て い る 例 を 見 る 。

仁 和 三 年 ( 八 八 七 )、 讃 岐 で の 作 。

(31)

就 中 何 事 難 仍舊 就 中 に 何い ずれ の 事 か舊に 仍 る こ と 難 け ん 明 月 春 風 不遇時 明 月 春 風 時 に遇わ ず

( 用 例 07、 221「 路 遇 白 頭翁」 )

こ れ は 、 安 氏 (安 部 興 行 )と 保 氏 (藤 原 保 則 )の 二 人 の 国 司 が 、 讃 岐 の 民 の た め に 奔 走 し て す ば ら し い 政 治 を 行 っ た と の 白 頭 の 翁 の 話 を 受 け 、 こ の 二 人 の 長 官 の 善 政 に 感 嘆 し て の 句 。 「 な か で も 彼 ら の ま ね を し に く い の は 、 明 月 の 美 し い 時 や 春 風 の 心 地 よ い 時 を 顧 み ず に 民 の た め に 働 く こ と だ 」 の 意 で あ る 。 こ の 二 句 の 上 句 は 、 「 兼 済 」 に 当 た り 、 下 句 の 「 明 月 春 風 」 は 、 「 雪 月 花 」 に ほ ぼ 等 し く 、 白 居 易 の 「 独 善 」 に 相 当 す る 。

こ れ は 、 や は り 白 居 易 の 「 兼 済 」 の 思 想 を 我 が も の と し 、 や は り 白 居 易 が よ く 用 い る 「 就 中 」 の 語 に よ っ て そ れ を 強 く 表 現 し た も の と い え る 。

以 下 二 例 は 悲 し み の 表 現 で あ る 。 仁 和 三 年 ( 八 八 七 ) 、 讃 岐 で の 作 。

風 月 能 傷 旅 客 心 風 月 能 く 傷い たま し む 旅 客 の 心 就 中 春 盡涙難 禁 就 中 に 春 盡 く る と き に 涙

なみだ

と ど

め 難 し ( 224「 春 盡 」 )

こ れ は 解 釈 の 必 要 が な い 。 読 め ば す ぐ に 白 居 易 の 「 春 尽 」 の 影 響 を 受 け て い る こ と が わ か る 。 白 居 易 に 「 春盡日 」 「 春盡 勸客 酒 」 「 春盡日 天 津橋 醉吟 」 な ど の 詩 が あ る こ と 、 川 口 氏 が す で に 指 摘 し て い る (上 述 )。 こ こ で は 、 川 口 氏 が 挙 げ て い な い 「 春盡」 の 詩 3446「 春盡日 宴 罷 感 事 獨 吟 」 を 見 て お く 。

(32)

五 年 三 月 今 朝 盡 五 年 三 月 今 朝 盡 く

客 散 筵 空 獨 掩 扉 客 散 じ て 筵 空 し く 獨 り 扉 を 掩 う 病 共 樂 天 相 伴 住 病 は 樂 天 と 共 に 相 い 伴 い て 住 し 春 隨 樊 子 一 時 歸 春 は 樊 子 に 隨 い て 一 時 に 歸 る 閑 聽 鶯 語 移 時 立 閑 に 鶯 語 を聽き て 時 を 移 し て 立 ち 思逐楊 花 觸 處 飛 思 い は 楊 花 を逐

っ て 處 に 触 れ て 飛 ぶ 金 帶 縋 腰 衫 委 地 金 帶 は 腰 に 縋 わ り て 衫 は 地 に 委 す 年 年 衰 瘦 不勝衣 年 年 衰 え 痩 せ て 衣 に 勝 え ず

道 真 は 、 白 詩 の 「 春 盡 」 、 即 ち 嘆 老 惜 春 の 感 傷 を 深 く 意 識 し つ つ 、 そ の 悲 哀 の 情 感 を「 就 中 」の 語 を 用 い る こ と で 、い っ そ う 鋭 く 際 立 た せ て い る の で あ る 。 仁 和 五 年 ( 八 八 九 ) 、 讃 岐 で の 作 。

從 始 南 來 長 鬱 悒 始 め て 南 に 來 り し と き よ り 長つ ねに 鬱 悒 た り 就 中 此 夜 不勝悲 就 中 に 此 夜 は 悲 し み に勝え ず

( 用 例 12、 298「 八 月 十 五 日 夜 、 思 舊 有 感 」 )

こ の 詩 に は 「 不 勝 」 の 二 字 が あ る こ と で 、 比 較 の 意 は 明 ら か で あ る 。 川 口 氏 註 に 、 「 四 年 前 の 早 春 、 は じ め て こ の 南 海 の 地 に 赴 任 し て き た 日 よ り 、 長 い 間 憂 鬱 の 気 持 ち を い だ き つ づ け て き た が 、な か で も 今 宵 は か な し み に た え な い 」17

17川 口 久 雄 校 註 ・ 前 掲 註 ( 5 )・ 34 4 頁 。

参照

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