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の 理 念 を 体 現 す る 教 育 実 践 に 関 す る 研 究

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Academic year: 2021

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ESD の 理 念 を 体 現 す る 教 育 実 践 に 関 す る 研 究

新 居 浜 市 に お け る と り く み の 分 析 を と お し て ー

人 間 教 育 専 攻

現 代 教 育 課 題 総 合 コ ー ス 岡 本 育 大

本研究の出発点となる問いは4つある。これ からの世界はどうなっていくのだろうか。私た ちの生きているあいだに、どのように世界は変 わっていくのだろうか。これからの世界を、人 間として生きるということは、どのような意味 をもつのだろうか。私たちは、この地球上でど のように生きていけばよいのだろうか。これら の聞いは、それぞれに固有の生涯をいかに生き るかという問いであり、万人に当てはまる普遍 的で画一的な「正解Jを求めることができない がゆえに搾り出される問いである。

小論はこれらの聞いに、 ESDの視点から応答 する試みである。ESDはある面においては近代 の産物であり、科学社会を背景としていながら も、根底のところで原初的な人間存在の本来的 なあり方に根ざした教育観といえるからである。

第一章では、ESDの理念と実践について述べ ている。歴史と政策的方向性から理念を抽出し、

実践によって育てていく能力やそこで重視され る価値観について素描する。また、ユネスコが 提唱し「学習の 4つの柱」から、既存の実践を ESDの実践として捉えなおす rESD額縁論j

にも言及する。そのうえで、子供が実際に学び 体験することのできる場として、層状学習シス テムのなかに位置づけられた「地域jについて 考察する。

第二章では、ESDのとりくみを分析する視点

指 導 教 員 谷 村 千 絵

を示している。一つ自は活動を分析する視点と して、「活動主体」を縦軸、「授業の型」を横軸 にとった二次元座標を用いる。二つ目は関係性 についての視点として、学習者を取り巻く関係 を、共時的なくかかわり)と通時的なくつなが り)に区分する。三つ目は、オドノヒューの理 論をもとにした「連鎖円環システム」から、と りくみの連続性や相互作用を捉える視点である。

第三章では、自治体をあげて ESDにとりく んでいる新居浜市において、その一環として実 践された防災教育について考察している。

いずれの学校も地域とのくかかわり〉を重視 しており、学校が地域コミュニティのなかに入 っていく」、「地域の人びとが学校運営に積極的 に協力するJ

r

地域でともに子供を育てるために 学校と地域組織が協力し合う」という 3つの関 係が看取された。また、それぞれの学校の立脚 点が「現在J

r

未来J

r

過去」という〈つながり〉

の軸のなかでの位置の違いとして示される。

このような(かかわり)とくつながり〉の違 いが、それぞれの教育実践の差異を際立たせて いる。 3校それぞれの特徴あるとりくみは、防 災教育の域にとどまらず、自分の暮らす地域に ついて考えるために必要な視座を子供たちに提 供したといえる。

第四章では、新居浜市における未来志向の郷 土史学習の実践をとりあげている。実践校では 学校と地域の良好なくかかわり)とくつながり)

(2)

− 46 − に支えられ、多様なとりくみがおこなわれてい る。それらは相互に関連しながら ESDの全体 像をバランスよく形づくっていくものである。

また、それらのとりくみにおける活動や、予期 せぬままならなさ、不確定性への柔軟な対処を 通して、子供は受動的な学習者から能動的な主 体へと自らの生を変容させていった。そこに到 来した学びは、多様なくかかわり)と(つなが り)のただなかに自らを置き、「かけがえのなさ」

を自覚したうえで、世界と自己との関係を絶え ず更新し、生を主体として駆動していくという ESDの理念を体現した学びであった。

このような学びは、「体験的教育人間学jによ って捉えることができるものといえるだろう。

第五章では、分析した実践とかかわらせつつ学 びを駆動させているものについて考究している。

学びとは、絶えず更新され続けていく新たな文 脈のなかに自分自身を位置づけ、意味づけてい

く営みということができるだろう。

そのような学びは、共同体のなかで「先生」

に出会うことと、役割を自覚することによって 駆動される。ここでの先生とは、教え導く先達 というだけでなく、不確実な生を、自己規定す ることなく生きることへと誘う「生のモデルj

でもある。また、役割や責任に目覚めるという 過程には、自らの存在を(かかわり)のなかで 認められているということが必要である。自ら がくかかわり)のなかに重みをもった人間とし て位置を占め、意味づけられているということ よって学びは駆動し、固有の私として生きてい き、新たな学びを駆動させるというダイナミズ ムが生まれるのではないか。

将来世界がどのように変化するのかに対して はその不確実性ゆえに、どのような応答も困難

であると言わざるをえない。不確実性とは、偶 然の変化の積み重ねである。どのように変化し ていくかわからない世界を、こうして生きてい るという現実を引き受けるということが必要に なるだろう。

それは、ほかの誰でもないこの「私Jという 固有性、あのときでも、これからでも、いつか でもない「いま」、そこでも、どこかでもない「こ こj を生きるという責任である。その責任は、

私ではないものを引き受けるという体験によっ て、私たちにもたらされるのである。これが人 間として生きるということがもっ意味について の応答となるのではないか。

生きるという体験は、私たちをく私・いま・

ここ〉から超越させるものである。それは(私・

いま・ここ〉を十全に体験したことによって生 じる新たな地平を拓いていく営みであり、私た ちにさらなる自己変容をもたらすものといえる。

自分たちの生活のなかに、見過ごしていたもの を見つけることからはじまる学びこそが、人間 として生きることの根源的な問いに対する応答 である。

私たちは生きるという体験の連続のなかで、

〈私・いま・ここ)から世界への応答を続けて いる。そして、その応答を重ねていくなかで拓 けてくる(かかわり)や(つながり〉の地平、

そこで見出される自分自身が、そしてそれを取 り巻く他者それぞれが有する「かけがえのなさJ を知るのである。

ESDの理念を体現した学びをもたらす教育 実践とは、「誘惑する生のモデル」としての他者 に出会う機会をつくることにほかならない。そ の出会いをもたらすメカニズムは、私たちの生 の内奥に秘められながら、いまもどこかで発現 することを待っているのである。

参照

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