2008年度 修士論文
「離婚増大社会における『夫婦の劣化』と『夫婦再生』の研究」
A study on the Degradation and Restoration ofMarital Restoration of Marital Relationships in the Divorce Increasing Society
指導教授:主査 北山 晴一教授 副査 萩原なつ子教授 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科 比較組織ネットワーク学専攻博士課程前期 07VM006C 岡野 厚子 Atsuko Okano
2008年度 修士論文要旨 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科 比較組織ネットワーク学専攻博士課程前期 07VM006C 岡野 厚子 Atsuko Okano 題名 「離婚増大社会における『夫婦の劣化』と『夫婦再生』の研究」
A study on the Degradation and Restoration of Marital Restoration of Marital Relationships in the Divorce Increasing Society
指導教授:主査 北山 晴一教授 副査 萩原なつ子教授 要旨 筆者は1991年に「離婚相談所」を開設し、18年間離婚カウンセラーとして約2万件 の相談に応じてきた。近年、離婚増大社会といわれ離婚が話題になることが多い。実 際に相談所に訪れる夫婦の数も年間で開設当初の約10倍を数えるようになった。だ が、上昇を続けていた離婚率は、2007年のデータでは下降を見せた。これが一時的な ものなのか、これからも続く傾向としてあらわれたのか現段階では判断ができない が、離婚に直面したときの相談ケースを詳しく検証してみることで見えてくるものが あるのではないか。夫婦はなぜ劣化するのか、愛情がピークとなって結婚したがゆえ に親密性がなくなっていくのか、愛情がなければ結婚生活が続けられないのかなど夫 婦の劣化のメカニズムがあるなら検証していきたいと考えた。そして一人ひとりの個 性を大切に家族をマネージメントすること、家族の危機管理に注意を払うことは家族 の幸せがもたらす社会の幸福につながるシステムとなりうるのではないだろうか。 たしかにカウンセリングを続けてきた約20年を振り返ってみると、何かが変わって きたという実感があった。相談の件数、内容はもとより、夫婦としての生活形態やコ ミュニケーション手段など、すべてのことに変化があったのではないかと考えざるを えなかった。しかしこれはあくまでもカウンセラーとしての実感であって、果たして 本当に変わったのかということを探りたかった。変わったのならば、何がどう変わっ たのか、そしてそれはどうして変わったのか。それらを感覚ではなく、数々の先行研 究、データ、アンケートなどをもとにして、実証したいということが、本研究、本論 文を進める発端となった。 変わったといっても、そもそも何が変わったのか。それを探るためにまずは夫婦と
いう生活形態を探ることにした。そこで家族という単位でのモデル形態を検証した。 第二次世界大戦後から現在までの家族モデルの変遷を追い、家族というモデルはどの ように形成され、どのように変化していったかを見た。そのなかにおいて、夫婦とい う単位での形態はどのように変わっていったか。それを第1章で考察した。 第2章では視点をさらに深く夫婦へと向け、多様化していったモデルの中で夫婦はど の時点で離婚が浮かび上がってくるのかということを検証した。離婚理由の個人化と いうこともそこでは考察した。第3章では筆者の相談所における過去のデータを検証す ることで、離婚理由の変化や、性別、年齢、収入、家族構成などでどのような違いを 見せるのかということを浮き彫りにした。そこでは差異だけでなく、共通項も取り出 すことでさらに現代において特徴的なものを考察することができた。 今後の課題として残るものは大きくふたつにわけられる。ひとつは現在の離婚を取 り巻く社会的な機関の検証である。最終章に述べたとおり現在、私的機関の離婚相談 所、弁護士などが中心となる法律的な離婚相談、そして自治体などが設置している離 婚相談窓口などがそれぞれ横並びにあるというのが実情である。本論文では、筆者の 相談所のデータをもとにケーススタディを行ったが、他の機関での相談実例、対処法 などを吟味して、さらに現代夫婦の離婚とその再生方法というものを検証していかな ければならないだろう。そしてそれぞれの長所、短所などを実証したうえで、それぞ れの機関がどのような役割を果たすべきなのかという考察まで深めていきたい。 もうひとつは、離婚に限らず「夫婦モデル」をめぐる現象を検証しなくてはならな いだろう。離婚ということはすでに婚姻をしているということが前提であるが、現代 においては結婚をして子どもを産み、家族としてひとつの共同体をなすということに 必然性があるのか。離婚という一点においても本論文で検証したように理由が個人化 していくのだから、そもそも結婚自体を見直さなくてはいけないのではないだろう か。例えば再婚ということにおいては離婚した理由をしっかり検証したうえで、同じ 轍を踏まないように相手を慎重に選ぶとよい。さまざまな家族形態、婚姻形態の中か ら戦後家族モデルのように「豊かな生活」というスローガンに向かって進んでいった ように新しい時代にあった目標を作りたい。そういった諸事情をより深く検証し、新 たな「家族モデル」、「夫婦モデル」というものを創出できればと考えている。
目次 Contents はじめに……ⅰ 第1章 日本における結婚形態の変遷と理想的な家族像 1-1 変化し続ける日本の家族構造……1 1-2 戦後日本の家庭構造……2 1-3 戦後家族モデルの解体と団塊の世代……3 1-4 家族の二極化……6 1-5 多様化する夫婦のあり方……9 第2章 多様化する離婚。離婚の「個人理由」化 2-1 夫婦の「劣化」……11 2-2 「劣化」の発火点……13 2-3 「劣化」から「離婚」へ……15 2-4 諸外国との離婚観比較……17 2-5 「個人化」する離婚原因……23 第3章 離婚相談所という場所 選択肢としての「離婚」と「再生」 3-1 カウンセリングデータから見る離婚の劣化点……27 3-2 分析結果の概要……27 3-2-1 相談者の性別に見た各種相談内容……27 3-2-2 相談者の年齢別構成と各相談内容……29 3-2-3 相談者の年収別構成と各相談内容……32 3-2-4 相談者の結婚生活の年数別構成と各相談内容……36 3-3 相談事例によるケーススタディ……39 3-3-1 新居購入などによる住環境の変化に関する相談事例……41 3-3-2 夫の浮気、妻の浮気による相談事例……43 3-3-3 病気による劣化……45 3-3-4 セックスに関する相談事例……46 3-3-5 家族観の相違に関する相談事例……47 3-3-6 経済的理由による相談事例……49 3-3-7 モラルハラスメントに関する相談事例……50 3-3-8 壮年、老年期特有の相談事例……51 3-3-9 修復のためのカウンセラーによるアドバイス……53 3-3-10 相談事例の分析結果……54 第4章 「夫婦再生」という新しい家族モデル
4-1 「離婚」と「夫婦再生」……56 4-2 「夫婦再生」をめぐる社会的システム……56 4-3 「夫婦再生」という新しい家族モデル……57 おわりに ……59 参考文献 資料1・2
はじめに 本研究の主眼は「離婚の個人理由化」を検証することにある。離婚の個人理由化という ものは筆者が約20年の間、離婚相談のカウンセリングで実感したことでもあった。以前は 浮気や金銭関係などの相談が多かったが、近年になるにつれ相談事由が夫婦間の「人間関 係」に関するものが増えてきたのだ。本論でも取り上げるが中野収も「『家族』する家 族」のなかで、「そんなことで離婚するの」といった理由が増えてきたことを指摘してい る。それゆえ、以前は法律系の離婚相談が機能していたが、近年は法律系では解決できな い事由が増え、筆者の運営するような相談所における相談件数が増大してきたのではない かと考えた。 しかしそれはあくまでも離婚カウンセラーとしての「実感」であって確証ではない。そ れゆえに、夫婦を取り巻く環境、例えば家族モデルという形態の変遷、社会・経済的状況 の変化、そしてさまざまなデータ、アンケートを検証することで、離婚の個人理由化がど のようなものなのかということを整理、統合し実感に確証を与えようと考えた。 離婚をするということはそもそも婚姻を結んだ夫婦でなくてはならない。ということ は、子どもがいるかいないかといった人員構成は別にして、少なくとも離婚をする夫婦は 家族として共同体を築いているということである。そこで、第1章においては、家族モデ ルの変遷を考察した。わが国は第二次世界大戦における敗北という、国家としての大転換 を経験した。まずはそれ以前、明治期において日本の家族はどのようなものであったかを 検証する。そして大戦の敗北後、日本国憲法が施行されたことによって家族はどう再編成 されたか。さらには高度経済成長を迎えるにあたって形成された家族モデルとはどのよう なものであったかを見る。経済が家族モデルに大きな影響を与えるのであれば、高度経済 成長の終焉による低成長時代、そしてバブルの崩壊ということは当然多大な影響力を持つ ことになる。それが家族にどういった影響を与えたか。上記のようなことを考察すること により、夫婦の属する共同体である家族のモデルの変遷を検討することが第1章の主眼で ある。 そこで考察した家族モデルにおいて、夫婦という単位に視点を絞るのが第2章である。 ここでは夫婦が離婚に至るプロセスを「劣化」と名づけて、その着火点を含めて詳細に考 察していく。男女間での差異や、経済的状況による差異など、特徴的なことを取り出して いく。また、韓国とアメリカにおいて離婚率が上昇した時期との比較検討をして、日本に おいて離婚率の上昇した時期に何があったのかということも検討する。 そして第3章においては、筆者の運営する相談所の過去18年間のデータをもとに、離婚 に直面した夫婦の相談内容を詳細に検討することにする。ここでは、家族の人員構成、世 帯の収入、性別など、さまざまな項目にわけて、それぞれにおいて特徴的な理由を見つけ ることで、比較検討をしていく。そのなかで、差異を見つけることあるいは共通項を見つ
けることで、18年間の離婚理由の変遷と現代における特徴を浮き彫りにすることができた と考える。また、この章では、現代に特徴的な相談理由をもとに、数件の相談実例を取り 出しケーススタディを試みる。その夫婦の相談内容を検討、分析、そして相談の後、その 夫婦が再生したのかそれとも離婚、別居をしたのかということをあわせて考察すること で、これまでの考察をさらに深めて実証していく。 第4章は前3章の考察を受けて、夫婦の再生を取り巻く社会的システムなどを見ていくこ とで、夫婦再生、新しい夫婦モデルというものを考察する。それを本論文のまとめとして たい。
第1章 日本における結婚形態の変遷と『夫婦の劣化』の構図 1-1 変化し続ける日本の家庭構造 この章では日本、とくに近代以降の家族制度を法的な側面、生活的な側面、経済的な側 面といった観点で見ることで、一般に「家族」という形態がどのようなモデルを必要とし たかを検討していきたい。また、その家族のモデルが近代以降、どのような変遷を遂げて きたかということを同時に検討することで、家族のなかにある「夫婦」という単位のあり 方のモデルと変遷も取り出していくことにする。 近代、とくに昭和22年までの日本の家庭構造は、江戸時代に発達した武士階級における 「家父長制」を基にした家族制度が根幹にあった。これを社会的に「制度」として定めた のが、明治民法(明治31年制定)に採用された「家制度」であるといえる。 明治民法では、明治前期に整備された戸籍制度を基礎に、家族法が規定された。明治4 年に制定された戸籍法では、それまで戸籍上も夫婦別姓であったものを、戸主を中心に家 族は同じ姓を名乗るように変え、財産は長男にのみ継承されるものと規定した。 この戸籍法の制定、とくに財産相続と姓の改定によって、国民の家族意識が新しく塗り 替えられたのである。『明治の結婚、明治の離婚』で湯沢雍彦は、次のように述べてい る。 「明治時代は、半ば過ぎまで離婚がとても多い社会だった。その離婚率は昭和40年ころに 比べると3倍近く、最近と比べても5割近く高い。当時、統計が発表されている諸国のな かでは日本がトップだった」(湯沢:2005,P7) 「明治16年の離婚件数は12万7162件、離婚率3.39。2005年の離婚率は2.02なので、その 1.5倍も高い。明治30年までの離婚率は2.6∼3.4という高い水準にあった。以降、今日まで これほど高い離婚率はない。…(中略)…現在の日本の離婚率は、アメリカの3位、韓国 の7位に比べ、世界の22位でかなり低いものである。ところが明治民法が施行された明治 31、32年に急激に低下した」(湯沢:2005,P88-92) 明治民法が制定されるまで、結婚はうまくいかなければいつ別れてもかまわないという もので、永続的結婚観がなかった(湯沢:2005,P63-4)。しかし明治32年に「家制度」 を規定した明治民法が施行され、戸主である長男が親や未婚の親族を扶養するという規定 は改められ、すべての子が平等に家族の義務と権利をもつようになった。また妻の相続 権、財産分与もみとめられた(関口ほか:2005,P195-6)。 この家族構造は、第二次世界大戦敗戦後の昭和22年に日本国憲法が施行され、「家制 度」が廃止されたことによって大きく変化をしはじめる。 1-2 戦後日本の家庭構造
昭和22年(1948年)に施行された日本国憲法では、それまで民法上で規定されていた 「家制度」が廃止された。「直系家族制のもとでは、家族は3世代によって構成されるこ とが多い。そして、家の成員は代々交替するが、家そのものは直系的に継続されていくこ とになる。」(望月:1996,P4)と指摘されるように、廃止された理由としては、家を 統括する戸主の権限により家族の権利が犠牲にされる側面があり、それは憲法24条等に反 するというものであった。 これにより、江戸時代から明治の初めまで続いた、一夫多妻制とも呼べる家族モデルが 崩壊した。それに代わり、戦後家族とも呼べるモデルがあらわれる。 戦後家族の本質を家族社会学者の山田昌弘は「成長性」と指摘している。戦前の家族モ デルは、家業の継続を軸に家族生活の維持を主目的としていたのに対し、戦後家族モデル は経済的豊かさや感情的な豊かさの持続的増大を目指し、さらに世代を超えて自分の子ど もが自分より豊かになることを組み込んだモデルであるとしている。 「戦前の家族モデルは、家業の継続を軸に家族生活の維持を主目的にしていた。一方、戦 後形成された家族モデルの本質は、その『成長性』にある。家族をめぐる社会制度、家族 への期待、家族についての意識などは、ことごとく、成長性を前提とし、また、成長性を 可能にする方向で形成された。」(山田:2005,P119) 敗戦によって日本では、国家主義的価値観が否定され、伝統的な村落共同体の解体が進 んだ。そんななか日本に住む人々は、自分が特別で必要不可欠な存在であるということを 認めたがった。そこでは「家族」こそが自分を特別な存在として認めてくれる最も身近で 有力な存在であった。 「…伝統的な村落共同体の解体が進む。すると、自分を『特別な存在』として認めてくれ るものとして『家族』がもっとも有力な存在となる。」(山田:2005,P122) この家族モデルの変化は夫婦関係にも変化をもたらしている。戦後の家族目標が豊かな 生活の追及であったことはさきほど述べたとおりだ。家族という単位が社会的、個人的機 能を効率よく発揮するためには「男は仕事、女は家事」が必要という、性役割分業意識が 広く普及したのである。 当時の典型的な夫婦形態は、夫はサラリーマン、妻は専業主婦という形態である。まさ に「男は仕事、女は家事」という性役割分担を体現している。このため家族の生活水準は 夫の収入のみと連動するという状況が生まれ、配偶者、とくに夫選択行動や家族意識に大 きな影響を与えることとなった。この点について、山田は以下のように言及している。 「男性は結婚相手によって自分の人生のコースが変わるものだと思いもしない」 「女性は結婚する相手の職業や経済状況、価値観、家族の状況などによって自分の人生の コースの修正を迫られる」(山田:1996,P42-3) 山田のいうようなこういったことが、現在でも起きている晩婚化、未婚化傾向の根底に あるのは当然のことであろう。 この戦後家族モデルは、高度経済成長期(1955年∼1973年)に広く普及した。逆の観点 からすれば、日本が経済成長をなし遂げたというその事実が、このモデルの機能的な部分
における成功を実証したともいえるだろう。生活リスクへの対処や子どもの養育という社 会的機能と、生きがいとしての家族存在や豊かさの向上といった個人的機能が果たされた のだ。 ところがこの戦後家族モデルは、高度経済成長期という特殊な時期だったからこそ実現 できたともいえる。経済が成長し続け、個人としても生活水準を上昇させ続けることで豊 かさや幸福感といったものをもたらしてくれるモデルであったからだ。しかし同時にこの 標準的モデルから外れたものへの差別意識が生まれるなどの理由から、標準的な家族形態 そのものが自己目的化してしまうという矛盾した構造が生まれた。 戦後家族モデルは高度経済成長の終焉、より具体的にいうならば1973年オイルショック と時を同じくして、活躍基盤を徐々に失い、問題を露呈していく。そしてついには解体さ れていくことになるのである。 1-3 戦後家族モデルの解体と団塊の世代 1973年のオイルショックを契機に、日本経済はそれまでの高度成長期から低成長時代を 迎えることになる。 ここに登場したのが団塊の世代の夫婦である。戦後の1947年から1949年のベビーブーム に生まれた世代を堺屋太一が「団塊の世代」と名づけたが、その団塊の世代の結婚適齢期 に当たるのが1970年から1974年なのである。 戦後家族モデルは生活水準の持続的成長が目標とされてきたことは前節で述べた。むし ろ持続的成長がない限り存在しえないモデルだったのであるということも同時に検討し た。生活のなかで豊かさを感じるためには、常に生活水準が上昇し続けなくてはいけな かったのである。ところが高度経済成長が終わり低成長時代へと移行すると、当然収入の 伸びは鈍化してくる。山田昌弘は『家族というリスク』のなかで専業主婦という役割に着 目して、この低成長時代において「夫の収入が上がり続けるという期待が失われていく課 程であった」(山田;2001;P156)としてモデルの崩壊を論じている。この時点で物質 的な豊かさを享受するという戦後家族モデルは、自己崩壊せざるを得なくなったのであ る。 当然、戦後家族モデルは突然消滅したわけではない。低成長時代に入り、夫となる男性 の収入の伸びが鈍化すると、以下のような二つの変化が目立つようになった。 1 妻のパート労働進出 これに関しては「非正規雇用者の70%は女性であり全体の45%は既婚女性である」(武 田ほか:2007,P35)という指摘がある。 2 未婚化・晩婚化 これに関して山田は以下の2点を指摘している。 「日本では未婚化社会といわれるように晩婚化傾向がつづいている」 「平均初婚年数は1975年ごろから上昇しはじめここ10年は25歳から34歳までの未婚率上 昇が顕著である」(山田:2000,P69) これは戦後家族モデルから逸脱した家族形態のように見える。しかし実際には、「男は
仕事、女は家事、豊かさを追求する家族」という根本部分はまったく変わっていない。豊 かさを追求あるいはさらに経済的な向上を続けなくてはいけないという、上記の要素に欠 けた部分を補う、つまり戦後家族モデルに固執するための非常手段だったのである。 豊かさを追求するというところを補うために、妻がパートなどの仕事をする。あるいは それまでの仕事を続けるために結婚そのものを先送りするという緊急対処にでたのだ。実 は団塊の世代の女性はこの時点で時代に即応していたのだ。 国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」(2005年6月発表)の「結婚年 次別にみた、恋愛結婚・見合い結婚構成の推移」を見ると、1935年から1945年までは 69%が見合い結婚だったものが、1960年代末に逆転し、団塊の世代の結婚適齢期にあたる 1970年から1974年には、恋愛結婚の割合が61.5%になっている。 団塊の世代の女性は、結婚は恋愛結婚で、気に入った相手がいなければ結婚を先送りす る、(読売広告社他:2001,P50-53)相手の収入が低ければパートとして働きに出ること もいとわない、といった傾向を持っていたことがわかる。 (図1) (国立社会保障・人口問題研究所:2005,http://www.ipss.go.jp/、2009.1.10) ただし、働く女性は次第に増えてきた印象があるかもしれないが女性労働力率(女性人 口に占める労働力人口の割合)は決して上昇していない。目立った上昇がみられるのは20 代後半と30代前半であり、結婚後も働き続ける女性の割合はそれほど増えていない(武田 ほか:2007,P30-1)。子育てが一段落する時期には働く女性の割合は増えるが正規雇用
は増えず、多くの女性はパートやアルバイトとして働くことになる(武田:2007, P32)。 女性が本格的に社会進出し、パートタイムではなくフルタイムの共働き夫婦が目立つよ うになるのは1985年の男女雇用機会均等法(雇用の分野における男女の均等な機会及び待 遇の確保等に関する法律)の施行後のことであり、さらに顕著になってくるのは1995年以 降のことである。ということはあくまでも夫の収入が主軸にあり、妻は補足的な収入を得 ていたということである。そして彼女たちの主役割は家事であったということだ。これは 戦後家族モデルの役割をとっているといえる。 しかしここで注目しておきたいのは、経済の低成長化が家族の分業や女性の晩婚、未婚 化に影響を及ぼしたことだけではなく、家族間の情緒関係にも影響を与えているというこ とである。 戦後家族モデルの目標は「生活が豊かになること」であったことはすでに述べた。家族 の愛情が曖昧でも互いの役割を果たすことが愛情であると思い込むことができ、家族の愛 情に対する疑念が起きなかったのである。これについて山田は以下のように言及してい る。 「夫にとっては、家族の豊かな生活のために、長時間労働を行い外でお金を稼ぐことが愛 情表現となり、妻にとっては、夫や子どもの世話をしたり癒したりすることが愛情表現で あるという意識が普及した」(山田:2005,P135) ところが低成長時代に入り、生活水準の大きな上昇が望めなくなると、役割が愛情と等 価とはならなくなり、家族間の愛情が曖昧になりはじめたのである。戦後家族モデルの解 体によって、役割型というモデルも否定され始めたのだ。 1-4 家族の二極化 1990年にはバブル経済が終わりを告げ、経済の低成長化に加速がかかった。日本の離婚 率は、このバブル崩壊を境に急上昇することになる。
(厚生労働省、2007、「平成18年 人口動態統計の年間推計」、 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei06/index.html、2009.1.10) ではそれまでは、いわゆる「夫婦円満」という状態で果たして夫婦が存在していたか。 それについては疑問を持たざるをえない。日本国憲法の制定される1948年以前に離婚率が 高かったという事実を考えれば、戦後家族モデルのなかでの夫婦は、離婚の発端となるよ うな夫婦間の問題に蓋をされていたと考えるほうが妥当だろう。そういった問題を内包し ていた夫婦が離婚に踏み切れなかった要因のひとつに、離婚後の生活を維持するのが困難 だという点があった。今日でも離婚は男性より女性を大きな困難に陥れる。とりわけ中高 年女性が一人前に生活できる職業が少ないので不本意な夫婦関係になっても女性は離婚し て自立の道を選べずしかたなしに家庭内離婚に案じざるを得ない(匠:1997,P164) かったのだ。 上記で触れたが85年の男女雇用機会均等法により女性の社会進出が大幅に改善され、離 婚後の生活の維持という点が解決の方向に向かったから離婚率が上昇したと考えられるの ではないか。だがしかしここにはさらなる矛盾が生じることになる。85年当時、危険視は されていたがバブルは存在し、日本経済も活況のなかにあった。しかしバブルがはじけた ことにより、中年女性の収入の見通しはより困難になり経済的要因はより大きくなったと 考えるべきである。さらにいえば再婚に対する土壌も未整備もままであった。 にもかかわず、バブル崩壊後に離婚率が上昇するのである。それはなぜか。結論からい えば、バブルの終焉によって、「夫」側の収入が不安定になり、これまで続いてきた戦後 家族モデルの維持がついに不可能になったのである。女性の経済的地位が上下することよ りも、ここでは夫の経済的地位が下落したことに目を向けるべきなのである。 バブル崩壊までは、豊かな生活のためには、家庭内別居をしてでも我慢して婚姻生活を 続けたほうが生活のためにはよかった。ありていにいってしまえば「まし」だったのであ る。しかし夫の収入が不安定になり生活さえも保証されないとなると、経済生活上でも離 婚したほうが「まし」という状態になってしまったのである。中野収も「『家族する』家 族」のなかでこのように指摘している。
「…結論をいえば、離婚したほうがいい。それしかない。離婚後、それぞれにどういう生 活が待っているにしろ、やはり離婚がいい。 こういう離婚が許されること、可能であること、離婚後も両者に生活の決定的破綻が見 舞う可能性がごく低くなった…」(中野:1992,P169) ここに戦後家族モデルは完全に崩壊する。もちろん全世帯がそうなったわけではない。 「男は仕事、女は家事、豊かな生活」を実現し続けることのできた家族もいた。しかし、 リストラされるサラリーマンや事業に失敗する自営業者が急増し、「離婚したほうがま し」という夫婦が急増したのが事実なのである。 この状況を山田昌弘は「家族の二極化」と『迷走する家族』のなかで呼んでいる。その 家族の経済基盤によって、90年代から家族が二極化していくことになるのである。 経済基盤の変化は、夫婦の関係だけでなくさまざまな影響をもたらしている。リストラ や倒産、失業率の上昇、そしてそれに共振するかのように自殺者数も増加したのである。 厚生労働省の行う人口動態統計調査をみると、90年代以降、失業者が上昇するとともに自 殺者数もまた増加しているのがわかる。 また、内閣府が発表している「失業者数・自殺者数の推移」のグラフによれば、昭和30 年代前半、失業者数がそれほど高くない状況にありながら、自殺者数が現在と同程度に高 くなっている。しかしこれが高度経済成長の始まりとともに両者ともに激減している。そ して90年、バブルの崩壊とともに、自殺者数、失業率ともに再び急上昇するのである。 中高年男性の自殺は、リストラや倒産が引き金となり、住宅ローンや借金の返済、つま り「豊かな家族生活」を守る最後の手段となっているケースも少なくない。再就職の見込 みもなく、借金を抱えた中高年男性は、戦後家族モデルから見れば不必要な存在というこ とになってしまう恐れさえあったのだ。 経済的な理由が家庭問題より多いのであるが、男性は家族に相談しないで一人で問題を 抱えこんでいるのではないだろうか。家族や子供をもったために不幸が倍加されることも あることもわれわれは知っておかねばならない。家族というものがわれわれに感じさせる パラドックスをもっとはっきり認識することが必要である(河合:2004,P178)という ことになってしまったのだ。こうして戦後家族モデルは経済的要因によって完全に崩壊 し、やがて夫婦は離婚へと進んでいくのである(河合:2004,P11-2)。 (図:失業者数・自殺者数の月次推移)
(図:「失業者数・自殺者数の推移」) (内閣府、2008、「平成19年度版自殺対策白書」、 http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2007/html/part1/b1_1_08.html、 2009.1.10) 1-5 多様化する夫婦のあり方 バブル崩壊を契機に戦後家族モデルも瓦解したのであれば、その後の家族モデルはいっ たいどのようなものになったのだろうか。さらにその崩壊後の家族のなかで「夫婦」とい う単位はどのようなものとして変化していったのだろうか。 例えば夫婦別姓の議論が出始めたのは70年代である。夫婦別姓については90年代に選択 的夫婦別姓案導入のための民法改正案が国会に提出されているにもかかわらずいまだに論 争の続いている問題だ。 現在、婚姻後に姓を変えるのは97%までが女性側である。企業などでは、結婚をしても 旧姓を名乗り、キャリアを積み上げていこうとする女性も増えてきており、旧姓を使用す
るケースも少なくない。 ただし、これでは不便であるために、入籍をせず事実上の婚姻生活を送る「事実婚」を 選択し、別姓を貫いている男女は増えてきているとはいえない。総務省の「国勢調査報 告」によれば、2002年の段階で、18歳から34歳の未婚者で同性をしている人の割合は、男 性2.3%、女性2.4%であった。これでは結婚して家族として共同体を作るという従来のモ デルを覆す数値ではない。しかし、同棲に対する意識は変わってきているようだ。杉浦な どの指摘によれば、「50歳未満の既婚女性で、『男女が一緒に暮らすなら結婚すべきであ る』という考えを支持する割合は92年の84%から02年の69%まで下がっており、…(中 略)…少しずつ受け入れられる方向に動いている」(杉浦他:2007,P38-40)のである。 そのほかいわゆるシングルマザー、シングルファザーといわれる、母子世帯、父子世帯 も同じような数値の伸びを見せる。同調査によれば母子世帯数は95年の52万9361世帯から 2000年には約10万件増え、62万5904件と報告がある。わずかな上昇ではあるが、同棲と 同じに双方とも確実に増加している。 また、数値では大きな増加を見ることはできないが、結婚に関連して、週末婚、事実 婚、別居婚などの言葉が創出され一般に認知されたということは、夫婦の多様なあり方を 認め始めたということの証左になろう。 事実婚は行政などに提出する書類上では入籍をしていなくても、共同生活など、事実上 の婚姻生活を送ることを意味しており、周囲の人間も二人を夫婦と認識している。さらに 離別することになっても、法律婚の場合と同じように二人の共有の財産がある場合は、財 産分与の請求が行われるのが一般的で、相手の不貞行為などが原因となった場合には慰謝 料請求も行われる。 ただし、法律上の入籍はしていないために、法定相続人にはなることができない。その ため、夫婦でありながら相続権は持つことができない。また、事実婚の夫婦に子どもが生 まれた場合、非嫡出子扱いとなり、認知の手続きが必要となる。 これらのデメリットを避けるため、子どもができたことを契機に婚姻届を提出し、法律 婚に切り替える夫婦も多いというのが特徴である。一部のいわゆる「出来ちゃった婚」も これに含まれ、高い離婚率を示しているのも見逃すことのできない事実である。 事実婚とは逆の、別居婚という形態もある。民法第752条には「夫婦は、同居し、互い に協力し扶助しなければならない」と定められており、同居の義務があるが、当事者の合 意のうえであれば別居という形態の婚姻生活も可能である。 以上のように、事実婚、別居婚、週末婚といった、多様な夫婦関係が90年代以降、その 言葉の創出とともに認知されることとなった。ただし、これまで述べたように積極的な選 択としての異形態というわけでなく、愛情が薄れるなど夫婦関係は破綻しているのに、女 性が経済的に自立できず関係の清算ができないために、家庭内別居をするというケースも 多く出てきたのも特徴である。このように90年代から2000年にかけて、夫婦関係は多様化 を見せてきたのである。 戦後家族モデルの崩壊は、夫婦間や親子間にだけ影響を与えているわけではない。「豊 かな生活」を実現するのが目的だった家族モデルは、経済的不安ゆえに実現不可能とな り、その結果、努力しても報われないという不安を抱える人も増えたのである。 二極化した一極、成功者ではないいわゆる「負け組」と呼ばれる階層の人は「努力すれ
ば豊かな家族生活が築ける」という戦後家族モデルの枠組みからもれ、「努力しても報わ れない」という時代的な絶望感と同調していったのである。 ただし、経済低迷のなかでも、スローライフやロハス、あるいはカントリーライフ、マ ルチライフといった、低生活水準においても、他人から評価されるものを追及しながら家 族生活を営むといった、新しいライフスタイル、夫婦モデル、家族モデルがあらわれてき た。また、これらを積極的に支援する機関も同時にあらわれてきたのである。再婚市場 や、熟年結婚市場も、徐々にではあるが整備されてきている。 ここで重要になるのが、多元的家族モデルの創造である。誰もが同じ家族を追及すれば そこに二極化の構造が生まれてくる。だが、家族モデルを個人それぞれに抱えることで、 自分が満足できる家族モデルを創り出す、つまり家族の個人化を追及していけば、やがて 21世紀型の新しい家族モデルが出来上がる。劣化した夫婦も、離婚に直面している夫婦 も、これまで長い間受け継がれ、崩壊したにもかかわらずそのイメージを色濃く残してい る戦後家族モデル像を破壊し、新しい夫婦像を示すことで再生することが可能なのであ る。多元的な家族モデルを提言し、夫婦を互いに目標とさせることで、夫婦は再生しうる のである。 婚姻件数71万組、離婚件数25万5,000組、離婚率2.02%(いずれも2007年)という数字 はまさに新しい時代に即した新しい家族モデルの創造を促すものであろう。 明治憲法の制定によって始まった日本の近代家族モデルは、戦後高度経済成長と歩調を あわせるように発達していったが、90年バブル崩壊とともに完全に崩壊した。この閉鎖的 家族状況のなかで、明るい展望を見せるのが「多元的家族モデル」なのである。 夫婦関係は家族モデルに半歩遅れるように劣化、崩壊へと進んできた。現在の離婚率の 高さはしかし、夫婦関係の崩壊を意味しているわけではない。「劣化夫婦」は修復する方 法もあれば、再生することもできる。そのための支援機関も多数あらわれてきている。例 えば筆者が開設している離婚カウンセリングもそのひとつである。その筆者自身のカウン セリングデータをもとに、その劣化夫婦再生の方法を検証する作業は第3章で行いたい。 そのまえに次の第2章では、劣化夫婦の行き着く先である離婚の原因を近隣の諸外国の離 婚事情ともに整理、考察していく。
第2章 多様化する離婚。離婚の「個人理由」化 2-1 夫婦の「劣化」 前章で見たことは家族モデルの変遷、とくに戦後家族モデルの崩壊についてであった。 昭和22年以前の近代は明治民法を根底とした家族モデルが一般的で、離婚率も高かった。 しかし現行の憲法施行以後は「戦後家族モデル」とも呼べる役割分担のモデル、経済向上 を前提としたモデルができあがり、離婚率が下がった。しかしバブルの崩壊後、生活レベ ル、とくに収入が安定しないことを大きな要因として戦後家族モデルが崩壊し、それに半 歩遅れるように夫婦という単位にもその波は訪れて、90年代前半から離婚率が急激に高 まったということを検討した。そして最後には現在の夫婦のあり方の多様性ということに も触れた。 この章ではバブルの崩壊以後、つまり戦後家族モデルの崩壊以後、家族内における最小 単位である「夫婦」というものがどう変わっていったかということに目を向けていきた い。 前章で述べた「夫婦の多様化」には経済の低成長化により、男性への観点が変わったこ と、女性も家族または夫婦の経済的役割を担うことで夫婦間の情緒関係が変化してきた点 が関連していることは見逃すことのできない事実である。 戦後家族モデルでは「生活が豊かになること」が家族、夫婦の共通する目的だったが、 低成長時代ではそれは望むことができなくなった。目標を共有できたからこそ、家族、夫 婦が協力し、ひとつのコミュニティを形成していたのだ。だからこそ愛情がたとえ曖昧で あってもそれに対する疑念が起きにくかったのである。また互いに夫婦または家族として 自分の役割を果たすことが愛情であると思うことができたともいえる。 「高度成長期には、夫婦であれば、夫が給料を『家族のために』稼ぐことが家族への愛 情、妻は家事や育児をすることが家族への愛情というように、お互いの役割を果たすこと が愛情だと感じることができた。それは徐々に生活が豊かになっていくからこそ、お互い を必要な存在と感じられたのである」(下線筆者)(山田:2005,P198) ところが経済の低成長化が女性の社会進出を促し、役割自体が曖昧になることで、関係 が崩壊していくことになる。日本の経済状況に沿うようにして、夫婦、家族関係も変化し ていくのである。つまり、高度成長期の終焉、1970年代後半から関係は徐々に変化してい くのである。 ただし、変化そのものが夫婦の劣化、家族の崩壊につながるわけでない。愛情関係が曖 昧になるにつれ、愛情を作り出すとされていたものの変容が始まるのである。 高度経済成長期は、夫が給料をより多く稼ぐことが役割つまり愛情であり、妻は家計を 預かり、育児をするということが役割つまり愛情であった。生活が豊かになり続けること で、互いを必要な存在であると認めることができたのである。 一方、低成長時代では生活の豊かさが頂点に達し、持続的な成長は望めなくなる。その ため、現在の生活を享受することが当然と感じ、夫婦は従来の役割以外に、パートナーと
して、心のよりどころという役割を求めるようになった。前述の山田の引用は以下のよう に続く。 「しかし、豊かな生活に到達すると、その生活を享受することが『当たり前』と感じられ るようになってくる。それが『コミュニケーション』なのである。」(山田:2005,P 199) 夫婦は互いを相談相手とし、コミュニケーションを求めるようになったのである。これ が80年代の大きな特徴である。 元来男女間のコミュニケーションは、女性は会話を中心とする言語交流に重点を置くの に対し、男性はセックスを中心とした身体的交流に重きを置く。 とすると、夫婦間のコミュニケーションも夫と妻とでは求めるものに差異が生じること になる。この夫婦間コミュニケーションが決定的に崩れると、やがてコミュニケーション のまったくない夫婦関係が生まれ、家庭内離婚、家庭内別居といわれるような形態の生活 が始まるのだ。林郁の「家庭内離婚」や 口恵子の「家庭内別居」という言葉がブームに なったのも80年代後半から90年代にかけてのことなのである。 つまり、経済の低成長化により、夫婦関係は役割型からコミュニケーション型に変化し た。そしてコミュニケーションが行き違うということによって夫婦関係が「劣化」してい くという傾向が生まれたのである。ちなみに本論のなかで、これから「劣化」という言葉 を使うことにするが、それは上記のように夫婦間の離婚へとつながるような「ずれ」を指 すこととする。80年代のニューファミリー、友達夫婦という理想を抱き、結婚を理想化 し、生活という現実の中で家計の破綻による不和やコミュニケーションの不一致で互いを 避けるようになる。かつて友達夫婦、ニューファミリーを目指した男女が少しずつ開いて しまったくい違いをどうやって埋めていくのか。どうやってお互いの意識の違いを夫婦双 方が自覚して調整していくのか(狭間:2006,P17)。そうして互いの魅力を失わせるこ とで夫婦の劣化が進んだのが90年代なのである。 2-2 「劣化」の発火点 現在筆者は離婚カウンセラーとして、問題を抱えた多くの相談者と日々対面している。 相談者の訴えを聞くと、なかには離婚して当然だと思えるケースも少なくないが、実際に は取るに足らない理由や、非常に個人的な理由で世の中では通らないのではないかと思え る相談もある。これは中野収の「『家族する』家族」など多くの書籍、新聞などで指摘さ れていることなので、筆者の独断とはいえないだろう。またその相談から、現在直面して いる問題さえ解決すれば再生できる夫婦も少なくない。 ここではそれらの多くの対面経験と過去のアンケートデータから、なぜ夫婦は離婚に至 るのかということを考察してみたい。 最初に注目すべきことは、離婚を切り出すのは男性よりもむしろ女性のほうが多いとい うことである。離婚経験者のうち、離婚を強く望んだのは自分だ、と答えた女性は、全体 の約3分の2にのぼった。
また、女性の66.7%までもが、実際に離婚を考え始めてから遅くとも5年以内に離婚し ている。逆に男性は、離婚という自体に直面するまで、離婚そのものについて考えたこと がなかったと回答したものが実に36.4%にも達していた。 夫婦間にこのような意識の差が生じるのは大別すると2つの理由がある。 1 男女間の「離婚」の捉え方の差 2 コミュニケーション方法の差 1は男性のほうがより「離婚」というものに対する抵抗感が強いという傾向が見られ る。「バツイチ」という言葉があるように、離婚は人生のなかでは「×」に属するものなの だ。実際には戸籍に「×」印がつくことから「バツイチ」という言葉は生まれたのだ、 ニュアンス的にもやはりバツというのは失敗、欠陥といったイメージがどうしても含まれ る。男性は自分の人生のなかで、失敗や欠陥を恐れ、これを回避しようという価値規範が あるのだろう。 2番目のコミュニケーション方法の差は、離婚に対する話し合いの場でも歴然とその差 は伝わってくる。例えば話し合いの席で男性が「またその話?」という発言を聞き、嫌気 がさしたような顔をすることがある。それに妻の不満を、ヒステリーの一種だと思ってい たという夫もいる。会話によって互いを理解使用する女性に対し、男性は身体的交流に よってコミュニケーションをとることに重きを置く傾向があることはさきほど述べた。こ れが妻に対する暴力にまで発展してしまう最悪のケースもあるが、暴力は女性にとってコ ミュニケーションにはなりえないのだ。 この男女間のコミュニケーションの差が徐々に開いていくことによって、夫婦は離婚へ と進むことになってしまう。 では夫婦劣化の着火点はいつなのだろう。実際に離婚した夫婦のその後の話を聞くと見 えてくるものがある。 例えば「初めて親に挨拶に言ったときに、何となく自分の家の雰囲気と違うなと、いま 思えば感じたんです」という人もいれば「最初から何となく違うのかなって思っていた。 でもそのうち慣れるかなと」という人もいる。このように「いま思えば」という言葉で結 婚それ自体が失敗の原因だったと理由を挙げる夫婦は少なくない。 離婚理由でもっとも多いのは「性格の不一致」であるが、それは「相手にどうしても理 解されなかった」「性格が著しく合わなかった」という理由が、離婚することの説明とし て最も共感を呼びやすいためではないだろうか。「努力したが、結局最初から違ってい た」といった“いま思えば”という理由が、離婚後に振り返った劣化の着火点として見えて くるのである。
2-3 「劣化」から「離婚」へ 90年代から始まった夫婦の劣化は、しかしそのまま離婚の増加へと結びついたわけでは ない。 90年代当時の夫婦の劣化はコミュニケーションの悪化によって愛情を感じることができ なくなったことが大きな要因であるが、経済低成長下では離婚しても同じ水準の生活を維 持できるという保証がなかった。離婚するという選択よりも、たとえ家庭内別居、家庭内 離婚の状態でも、婚姻生活を続けたほうがましであると感じられたのである。 とくに女性にとって、この問題は大きかった。夫が仕事をし、妻は家事をするという戦 後家族モデルのなかで生活をしていた女性は、離婚をしてしまえば日々の生活すら送るこ とができないというケースが大半だったのである。 たとえ離婚したとしても、正社員としての職があるわけではない。中年の女性の就職先 はパート程度の地位しかないというのが実情だった。厚生労働省の雇用均等・児童家庭局 の資料にある、「平成18年 働く女性の実情」にも「女性は第一子の出産を機に7割が離 職しているにも関わらず、25歳から39歳にかけての層の就業希望は強く、その能力発揮が 望まれるところである。しかし、一旦離職し、一定期間就業を離れた女性にとって希望に 沿った再就業のチャンスを得ることは容易ではない」と書かれている。 自営業者の場合でも離婚すればそのまま家族従業者としての地位も失うことになる。中 年でなく、若年の女性であっても、小さな子どもがいるといった場合には、パートタイム の職さえ探すのが困難であった。 一方男性側も、法律的な女性の地位向上によって、一方的に離婚を決定することはでき なかった。離婚するために養育費の支払い、共有財産の分与などをする必要がある。慰謝 料を支払わなければ妻が離婚に応じないというケースも増えた。女性だけでなく、慰謝料 や養育費を支払うことで、男性も生活水準が結婚中よりも落ちてしまうのである。 社会的な地位としても、「バツイチ」などと呼ばれ、おとしめられてしまう。仕事上で も敬遠され、昇進などに響くという状況もあったほどだ。さらには離婚者の男女交際は活 発ではなく、再婚もできないことが多かった。また、就職して経済的には困難がないとし ても、一人暮らしで子どもと離れて暮らすといったことを考えれば、婚姻生活を続けたほ うがいいと考える人も多かった。 こういった経済的要因、再婚の可能性の低さ、そして心理的要因によって、90年代前半 までは夫婦が劣化していたにもかかわらず離婚に至るケースは今と比べてそれほど多くな かったのである。 バブル景気の期間は1986年12月から1991年2月の4年3ヶ月といわれているが、ちょうど 1986年あたりから離婚率は下がり、バブルの終わった1991年あたりから上がり始めたので ある。このバブル期の一時的な離婚率低下の理由は、バブル経済の影響で「豊かな生活」 という共通コミュニケーションが復活したから戦後家族モデルが一時的に適用できたから である。 そして90年代半ばの94年に年金分割法案が可決されたことを境に、離婚率は上昇してい くのである。
(グラフ:日本の離婚率の推移) (厚生労働省、2007、「平成18年 人口動態統計の年間推計」、 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei06/index.html、2009.1.10) 2-4 諸外国との離婚観比較 ここまでは日本国内における家族観、夫婦観を検討してきた。そして家族モデルの崩壊 とともに、90年代前半以降、とくに95年以降に日本では離婚率が上昇の一途をたどってい ることを確認した。さらにその理由として、戦後家族モデルのなかで役割型として成立し ていた一種の愛情と呼べるものが、経済の低成長ととともに機能しなくなったことなどが 挙げられた。ただしこれらの「戦後家族モデル」、「バブル経済」、「90年代の離婚率の 上昇」といったことは、日本国内における考察である。ここでは一度目を外国へ向けるこ とで、結婚観、離婚観といった根幹にある概念を浮き彫りにしてみようと思う。 もちろん、いまや経済は世界規模で活動しており、2008年のサブプライムローンに端を 発した株価の急激な下落のように、一瞬にして世界経済が激変する時代である。経済と家 族モデルとが密接な関係にあるというのは考察したとおりだが、それでもやはり国によっ て夫婦関係、離婚事情は異なってくる。文化や風習、宗教、歴史といったさまざまなもの が要因として背景にあるのだから当然のことであろう。 図2-1は厚生労働省が平成19年に公表した「人口動態統計の年間推移」における「人口 動態総覧の国際比較」である。調査年が異なるため、完全に同時期のものとして数値を示 すことはできないが、この表を見てわかるように、各国の離婚率は0.73∼3.6もの大きな開 きがある。 とくにイタリアの0.73とアメリカの3.6という数字の間にはどのような差異が存在するの であろうか。イタリアにおいては離婚が法的に認められるには3年間の別居が前提であ り、法的には経費がかかることなどで別居は年々増加しているが正規の離婚に至る例は少
ない(村上:2004,P181)。 日本の離婚率(2.02)は先進諸国と比べると決して高い数値とはいえない。もっとも 2003年には日本でも離婚率は2.3であったので、この表のなかで比較するならば低い数値 というわけにもいかない。 もう1点、総務庁統計局が発行している「世界の統計2005」には、先進国だけでなく世 界60カ国の比較がされている。(図2-2) この表からは、2002年当時における日本の離婚率(2.30)は世界で22番目に高いもの だったことがわかる。トップはロシアの5.3、以下ベラルーシ、アメリカ、ウクライナ、 キューバと続き、7位に韓国、14位にイギリスが入っており、イタリアはここでも55位と いう低い離婚率を示している。 深刻な貧困に悩まされている発展途上国の離婚率が高いのは、急速な経済成長により家 族が小型化して、家族意識についても急速な変化があったからであろう。結婚に「家」や 「ムラ」といった力が及ばなくなったからではないだろうか。 また、一部を除いた先進国の離婚率が高い理由はそれだけに留まらないと考えざるをえ ない。仮に伝統的なものの衰退という理由だけで離婚率が高いのならば、家族モデルの二 極化は終わりをつげる方向に向かっているといえよう。 だが、やはり離婚率の上昇は伝統的な理由だけではなく、家族意識についても急速に変 化していったためであろう。それらの理由を探るため、各国の文化、風習などの背景を考 察する。 (図2-1) (厚生労働省、2008、人口動態統計年報、 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii07/index.html、2009.1.10)
(図2-2) A 韓国の場合
まずは韓国での事情を見てみよう。礼節を尊び、年長者を敬い、倫理的に優れた社会を 建設することを目標とし、礼は仁をもととする規範であり、仁は礼を通して実現されると 教える儒教精神が、世界で唯一残っているのが韓国である。 その韓国で近年離婚率が高まっている。前項の「世界の統計2005」でも、62カ国中7位 (2.85)と高い数値を示している。儒教的な身体的価値観や家族観と離婚は矛盾する現象 だと一見すると思われるが、この離婚率の高さの原因はどこにあるのだろうか。 内閣府が平成14年度に調査した「男女共同参画社会に関する国際比較調査」には、「女 性は結婚したら家族を中心に生活した方がよい」かどうか、さらに「相手に満足できない ときは離婚すればよい」かどうかという設問があった。これに対する各国の回答は以下の 図のようになっている。 (図 女性は結婚した家族を中心に生活した方がよい) (図 相手に満足できないときは離婚すればよい) (内閣府、2004、「男女共同参画社会に関する国際比較調査」、http://www.gender.go.jp/ intl-compare/shukeihyo.html、2009.1.10) 「相手に満足できないときは離婚すればよい」との設問に、韓国では「賛成」と答えた人 が13.1%しかいなかったのに対し、「女性は結婚したら家族を中心に生活した方がよい」 との設問に「賛成」「どちらかといえば賛成」と答えた人は26.3%だったのである。
また、清水が『変容する世界の家族』のなかで1996年に韓国と日本の大学生意識調査を 行った金香男のデータをもとに、「9割を超える韓国の大学生が離婚に肯定的である」 (清水:1999,P60)と指摘している。 儒教では男女は各位において差はあるものの、愛においては平等であると教えられてい る。ところが実際の家庭生活では、権利は男だけに与えられており、女性には従順と義務 だけが要求されていることが多い。儒教では人間関係のなかでもっとも尊ばれるのは父子 関係であり、さらにそれを拡大した年齢の上下関係である。夫婦関係ももちろん重要なも のではあるが、とくに家族の中においては夫婦関係よりも父子関係のほうがより重要視さ れているのである。 そのため、夫婦間の愛が冷め関係が破綻しても、妻は子どものために家庭という枠組み だけは守るという儒教型家庭がモデル化されてしまったと考えられる。 それが近代化により、女性たちが一方的な忍耐と奉仕を拒絶し、儒教の結婚と家庭の伝 統を放棄しはじめているというのが、韓国の現在の矛盾した結婚観と離婚率の急増の意味 といえるのではないだろうか。 このことにおいて清水は以下のように指摘している。 「…韓国の家族はその外形においても、あるいは家族意識についても急速に変わりつつあ る。家族を取り巻く社会経済的な環境の変化が急速であっただけに、ことに世代間の違い が際立っている。若い世代は強く個人主義的、あるいは自由主義的であり、中高年は非常 に伝統主義的である」(清水:1999,P61) これは筆者がこれまで考察した、戦後家族モデルの崩壊と離婚率の上昇という関係に少 なからず相似したものを見てとれる。 B アメリカの場合 日本が最も強く影響を受けている国が、アメリカである。前表を見てもわかるとおり、 アメリカはロシア、ベラルーシに続く世界第3位の離婚大国である。離婚率は4.19となっ ているが、感覚的には2組に1組が離婚するといわれている国でもある。 日本は夫婦の合意がなければ離婚には理由が必要で、協議で成立しない場合は家庭裁判 所の調停に申し立てることになる。あとでも考察するが、浮気、暴力といった要素があれ ば離婚の成立が早くなり、これを「有責主義」と呼んでいる。一方アメリカは「破綻主 義」ともいえる「無責離婚法」が1970年に制定され、夫婦の合意がなくても一方の意思で 離婚できるようになった。その結果が離婚率の高さにあらわれていると考えていいだろ う。 無責離婚法では従来のように相手の非を証明する必要がなく、またそのために裁判で争 う必要もない。ほとんどの州では特別な事由がないまま1年間別居状態にあれば離婚が成 立するようになっている。 清水はマサチューセッツ工科大学とハーヴァード大学の1980年「都市研究共同セン ター」の報告書から、以下の4点を重要点として挙げている。 「第一に若年成人人口の低い結婚率と高い離婚率、晩婚の傾向、低い出生率、これらは歴 史的趨勢と一致しており、むしろその親の世代のほうが長期的趨勢から逸脱していたとい
えること、第二に、夫婦からなる世帯数の増加は緩やかである一方、それとは異なる世帯 類型――単身世帯や一方の親からなる世帯など――が劇的に増加したこと、第三に既婚女 性の労働人口の増加、第四に、たとえばパートタイムからフルタイムといった女性労働に 関する変化である」(清水:1999,P181-2) また、非婚男女の増加もあげ、「アメリカにおける家族のあり方は、時ともに確実に変 化してきた」(清水:1999,P182)と指摘する。 離婚率が高い背景にはもうひとつ理由が考えられる。離婚の存在そのものを認めないカ トリック教会が「結婚を無効にし、存在しなかったものとしてみなす」として「婚姻無効 宣言」という、離婚を実質的に認める解釈を行うようになった点だ。 アメリカ、とくに内陸部の田舎には敬 なカトリック信者が多く、一度結婚したら離婚 はできないものという考え方が浸透していた。ところが教会がそのように離婚を認め、ま た先進国共通の女性社会進出で経済的に自立できるようになったことで、離婚率が高いま ま推移していると考えられる。「結婚し、嫌なら帰ればいい」という合理的な考え方が女 性の経済的自立によって現実的になったのである。 C イタリアの場合 先進国のなかでもきわめて離婚率が低いのがイタリアである。イタリア人は情熱的で、 恋愛も盛んなため、結婚や離婚も多いと見られているが、実際には離婚率は0.65で、調査 された62カ国中58位という低い数値である。 イタリアには30年ほど前まで離婚制度そのものが存在していなかったのである。イタリ アではカトリックが社会的にも大きな影響力をもっているが、さきほども述べたようにカ トリックの教義では離婚は認められていない。そのため離婚制度そのものが不要だったの だ。 しかし、イタリアでも多様な家族、夫婦形態という特徴がみられると村上和義は指摘す る。「1975年の新しい家族法により夫婦間・嫡子庶子間の完全な法的平等が規定された。 その後の20年の家族関係を巡る急激な変化は、過程と職場で主体性を高める女性を軸に展 開。女性は家事と職業の両立を試みながら、男性型ではない自律した社会モデルを追及、 両性間・世代間関係を大きく変革させてきた。父・夫・家長支配の旧来型の家庭は事実上 消滅し、個々人の欲望の充足の場としての、快適で解放的な家庭が出現している。 愛情を基礎にした多様なカップル形態が生まれ、男女の婚姻関係だけで家族を規定する ことは現実にはそぐわなくなって来ている」(村上:2004,P179) さらに「晩婚傾向も顕著で、平均婚姻年齢(1994)は男子29.3歳、女子26.5歳。大学卒 の女子では27.8歳と高学歴者ほど晩婚」(村上:2004,P180)とも指摘する。 それに大きな影響を与えたのが1970年に認められた離婚制度である。しかし手続きが煩 雑で、場合によっては教会の同意が必要になるケースもあり、それにともない離婚も煩雑 だったという事情がある。そのために離婚率が低いという側面もあった。 2-5 「個人化」する離婚原因
上記のデータ、例えばイギリスでは古くから個人主義が発達し、また女性が経済的に自 立する土壌が整っていたため、離婚率が高い傾向にあったり、ドイツでは結婚前の共同生 活のため離婚率が抑えられているといったように、さまざまな要因が離婚状況には複雑に 絡み合っている。 とくに宗教の問題は大きな要因であったことが上記の考察でわかった。アメリカのよう に、宗教が離婚抑制力として大きな力を発揮していたが、それが解かれることによって離 婚率が急上昇したのである。離婚率の大きな変動にはそういった力が関係しているという ことが、各国の離婚率の推移からもわかる。だがわが国にはそういった抑制力となる宗教 は存在しない。にもかかわらず90年を境に離婚率が上昇しているのは、韓国やアメリカで も見られたような女性の経済的自立ということが関係してくるということが再確認された 結果となったであろう。それまでは戦後家族モデルというものが「常識化」され、「信じ るべきもの」として存在していたということだ。宗教と同じとまでは考えることはできな いが、抑止力のひとつとして働いていたのだ。 その抑止力が力を失ったのが、これまで見てきたとおりバブル崩壊であった。それとと もに日本における離婚率はこれまでになく上昇している。 ここで一度、これまで検討したことをまとめてみたい。 1 日本には結婚、離婚を縛る宗教的な抑止力は存在しなかった。それゆえ明治民法で 「家制度」がというものが規定されざるをえなかった。 2 第二次世界大戦後、日本国憲法が施行されて以後は「戦後家族モデル」が形成され、 それが経済状況と合致し大きな力を得た。このとき離婚率は下降している。 3 しかし高度経済成長期は適合していたモデルが、バブル崩壊以後の低成長時代を迎え るにあたり機能しなくなった。つまり抑止力がなくなった。そしてまた離婚率が上昇し た。 このように近代以降の日本では離婚率の上昇、下降は夫婦個人間のものではなく、「家 族」というモデルによって左右されていたのである。 そのような家族モデルの変遷、離婚率の上昇のなかで、夫婦のあり方が多様化していっ たということは前章の最後の部分で検討した。そこにおいては離婚の理由も変容していっ たのである。 内閣府では毎年テーマを決めて「国民生活白書」を発行しているが、平成13年度版の テーマは「家族の暮らしと構造改革」というものだった。この白書のなかに「離婚原因と 離婚後の問題点」という調査結果が記載されている。 この調査では、最高裁判所事務総局が発表する「司法統計年表」をもとに、1970年、 1980年、1990年、2000年の10年おきの離婚理由をグラフ化している。このグラフを見て わかるのは、1970年から2000年の30年の間に離婚理由として「異性関係」や「同居に応 じない」「家族を捨てて顧みない」といった動機が減少傾向にあるのに対し、「性格があ わない」「精神的に虐待する」「浪費する」といった理由が増加傾向にある点だ。
(図 離婚の動機別割合)(内閣府、2002、「平成13年度版国民生活白書」、http:// www5.cao.go.jp/j-j/wp-pl/wp-pl01/index.html、2009.1.10)
かつて結婚というのは、家と家との結びつきだった。ところが恋愛結婚が一般化し、核 家族化が進行することで、結婚は個人と個人の結びつきへと変化した。結婚の個人化であ