▲1970 年頃の池子の森。東西に走る京浜急行逗子線
▲池子の森上空から(現在) ▲池子の森自然公園開園(2015 年 2 月)
池子の森をめぐる歴史
米軍池子住宅地区及び海軍補助施設が所在する「池子の森」は、かつて第二次世界大戦前に 旧日本軍により弾薬庫が造成・使用され、終戦後は連合国軍に接収され、引き続き弾薬庫とし て使用されていました。また、弾薬庫として使用されなくなった後には、米軍家族住宅の建設 計画が持ち上がり、住宅建設を巡って市を二分する大きな問題となった歴史を持っています。 平成26年11月、米軍池子住宅地区及び海軍補助施設の一部土地、約40ha の日米の共同 使用が開始され、平成27年2月には池子の森自然公園が開園し、現在は市民と池子米軍家族住 宅居住者が共同で利用しています。 様々な変遷を経た、池子の森の歴史をお知らします。 昭和 13 年 (1938 年) 3 月旧日本海軍が軍用地として買収開始。弾薬庫として使用
昭和 16年 (1941 年) 12 月太平洋戦争開戦
昭和 18 年 (1943 年) 4 月逗子町が横須賀市に強制合併される。
昭和 20 年 (1945 年) 8 月太平洋戦争終戦
9 月連合国軍が弾薬庫を接収管理し、後に在日米陸軍・海軍が弾薬庫
として使用開始。昭和 53 年 7 月まで弾薬庫として使用される。
昭和 22 年 (1947 年) 11 月弾薬庫が爆発。日本人 6 名が重軽傷。火薬庫 7 棟、火薬 600
t、山林 100haが焼失、周辺住民約 1,000 人が避難
昭和 25 年 (1950 年) 7 月逗子町が横須賀市から分離独立
昭和 29 年 (1954 年) 4 月逗子市制施行
9 月市議会が「池子駐留軍接収地一部返還要請決議」を可決
返還運動が開始される。(*注①)
11 月市民組織「池子接収地返還促進協議会」結成。返還署名活動開始
昭和 42 年 (1967 年) 1 月「池子接収地返還促進協議会」が市民を加えた全市的運動組織と
して「逗子市池子接収地返還促進市民協議会」へと発展
昭和 47 年 (1972 年) 12 月池子接収地の一部(管理事務所地区約 6ha)が第一運動公園用
地として返還される。
昭和 52 年 (1977 年) 8 月池子接収地の一部(久木地区約 2.5ha)が返還され、跡地に久
木中・小学校共同運動場を建設
10 月弾薬庫から火薬が最終搬出される。
昭和 53 年 (1978 年) 7月
池子弾薬庫閉門。市長が鍵を預かる。
弾薬庫が遊休化したとして、市、県が政府関係機関、米軍に全面
返還要請書を提出
10 月池子接収地の一部(
マイクロ通信施設約 0.13ha)が返還され、
第一運動公園の拡張及び道路を整備
昭和 54 年 (1979 年) 9 月米海軍第 7 艦隊司令官が池子弾薬庫に 1,000 戸程度の住宅を建
設したいとの談話を発表
昭和 56年 (1981 年) 6 月日米防衛首脳会談で池子米軍住宅建設計画を合意
昭和 57 年 (1982 年) 8 月市長、県知事、横浜市長連名で「住宅建設計画の中止と即時全面
返還の要望書」関係政府機関、米国大使、米軍司令官宛て提出
10 月市、市議会、池子接収地返還促進市民協議会共催で「米軍住宅 建
設反対、全面返還、国営自然公園実現」を訴え、1,000 人参加
の第 1 回市民大会開催
昭和 58 年 (1983 年) 7 月国(防衛施設庁)が市、県、横浜市に対し「池子は米軍住宅建設
の適地」と通告。市と県は同日、計画の中止を要請する共同声明
昭和 59 年 (1984 年) 6 月市は「33 項目の条件」(*注②)を付し、米軍住宅建設受け入
れを表明。この後、住宅建設反対運動等が起こり、12 年にわた
る市を二分する「池子問題」となる。
昭和 60 年 (1985 年) 1 月市長、防衛施設庁長官に池子弾薬庫への米軍家族住宅建設計画中
止を要請
11 月日米合同委員会、「池子弾薬庫」から「池子住宅地区及び海軍補
助施設」に用途変更
昭和 62 年 (1987 年) 5 月県知事が市長、防衛施設庁長官へ調停案提示
10 月市長、県知事へ調停案を返上
平成元年 (1989 年) 9 月横浜防衛施設局、実質的な本格住宅建設工事に着手
平成 6 年 (1994 年) 11 月市は 33 項目を含む合意 5 項目をもって米軍家族住宅建設に合
意 (三者合意)(*注③)
平成 8 年 (1996 年) 4 月住宅の一部が完成し、320 戸の入居開始
平成 10 年 (1998 年) 8 月住宅建設事業が終了し、入居が完了(837戸)
平成 15 年 (2003 年) 7 月国は横浜市域に 800 戸の住宅建設が適切であるとの日米間の認
識が一致したと発表
平成 16 年 (2004 年) 9 月市、横浜市域への追加建設計画の白紙撤回を求め、横浜地方裁判
所に訴状を提出した。(いわゆる「池子の森裁判)
平成 18 年 (2006 年) 3 月横浜地方裁判所において「却下」言渡し。
平成 18 年 (2006 年) 4 月
東京高等裁判所に控訴
平成 19 年 (2007 年) 2 月東京高等裁判所において「棄却」判決。市議会において上告費用
補正予算否決。市長、上告を断念
平成 20 年 (2008 年) 11 月市長が南関東防衛局に対し、
「
(仮称)池子緑地公園基本構想」を
提示し、返還を要請
平成 21 年 (2009 年) 7 月南関東防衛局が池子住宅地区内の一部土地約 40haの返還を
示し、横浜市域での住宅建設の協力を要請。市は回答せず。
平成 22 年 (2010 年) 9 月日米合同委員会が開催され、返還までの間の共同使用
(*注④)、返還協議の継続、当面の措置として横浜市域におけ
る住宅戸数を 400 戸程度とすることが承認された。
平成 23 年 (2011 年) 9 月共同使用等について協議するため、「池子住宅地区及び海軍補助
施設の一部土地のあり方に関する逗子市、在日米海軍及び南関東
防衛局による三者協議会」を設置
10 月市長が南関東防衛局長へ約 40haの土地の一時使用申請書を
提出
11 月「国有財産関東地方審議会」が開催され、池子住宅地区及び海軍
補助施設の一部度地約 40ha を都市公園敷地として一時使用す
ることについて、適当と認める答申があった。
平成 26 年 (2014 年) 4月日米合同委員会施設調整部会で横浜市域における住宅戸数を
171戸に変更することで一致
6 月日米合同委員会で
約 40ha の土地の
共同使用が承認される。
11 月池子住宅地区及び海軍補助施設一部土地約 40haの土地の共
同使用が開始
平成 27 年 (2015 年) 2 月池子の森自然公園が開園し、スポーツ施設の利用が開始された。
平成 28 年 (2016 年) 3 月池子の森自然公園緑地エリア開園(土・日・休日に限り開園)
*注①「接収地」:昭和 13 年、旧日本海軍により強制買収され弾薬庫として使用された。 戦後は、米軍に接収され同じように弾薬庫として使用されたことから、「池子弾 薬庫」と呼ばれていた。現在は、昭和 60 年に、日米両政府の合意により「池 子住宅地区及び海軍補助施設」との名称になっている。 *注②「33 項目の条件」:市が米軍家族住宅の建設を受け入れようとして、その代わりに 国に要求した 33 個の条件。弾薬庫使用の禁止や弾薬庫という施設の名前の変更、 文化会館や体育館などの建設など。 *注③「三者合意」:問題の解決に向けて、市が米軍住宅の建設を受け入れる時の国、 神奈川県、逗子市の合意 *注④「共同使用」:米軍が使用している施設や区域のうち、一時的に米軍が使用しない部 分を米軍の施設のまま、日本国や国民に使用させること。 ※ 詳しくは、基地対策課のホームページ「逗子市の基地対策」の「池子の歴史」を ご覧下さい。「池子遺跡群資料館」についての詳しい情報は、 http://www.city.zushi.kanagawa.jp/syokan/syakyou/newbunkazai/ikego-muse/ をご覧ください。 米軍家族住宅建設事業に先だち、平成元年(1989)~6 年(1994)にかけて 発掘調査が行われました。 長い間、人の立ち入りが制限されていたことにより、近代の開発で破壊されるこ となく、多くの遺跡・遺物が良い状態で残っていました。出土品は縄文・弥生時代 から近代までの長期に渡っています。弥生時代の河川跡から発見された遺物 241 点は、2002 年 2 月 12 日に神奈川県重要文化財に指定されました。 ぜひ資料館にもお立ち寄りいただき、過去に生きた人々の生活に思いを馳せてみ てください。 所 在 地:池子の森自然公園 公園管理事務所 2・3 階(入場無料) 休 園 日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日、年末年始) 開場時間:9 時~16 時 ▲公園管理事務所・池子遺跡群資料館 ▲県の重要文化財に指定されたものも展示されています ▲発掘調査現場(1989 年~1994 年)
未来に残したい 池子の森
池子の森についての詳しい情報は、 逗子市ホームページ「逗子市の基地対策」をご覧ください。 http://www.city.zushi.kanagawa.jp/syokan/kititai/index.htm 平成 29年(2017年)2月 発行:逗子市経営企画部基地対策課池子の森は、神奈川県レッドデータブックにより要注意種とされているカ エルの生息や、美しい花をつける山野草や花木が確認された自然の宝庫です。 (平成27年度池子の森自然公園環境調査より) また、コナラ、クヌギ、ケヤキ、スダジイ、イロハモミジ等の落葉広葉樹 林と常緑広葉樹林の自然林が残っており、池子の森は、まさに自然の博物館 であると言えます。 約 70 年間、ほとんど人の手が入らなかった池子の森は、薪炭林としての 利用やスギ・ヒノキなどの植林、山野草の採取が行われることがありません でした。その結果、植生だけでなく、数多くの野鳥や昆虫、水生生物が生息 しています。 横浜、鎌倉、三浦半島をつなぐ大きな緑地であり、首都圏に残された貴重 な森である池子の森を保全していく必要性は、地球温暖化が心配されている 今日、ますます高まっています。 ▲散策路 ▲緑地エリア 池周辺
【米軍池子住宅地区及び海軍補助施設】 面積:約 288ha(共同使用地(約 40 ha)を含む) 高層住宅 8 棟 528 戸、低層住宅 60 棟 326 戸 計 854 戸 管理事務所、消防施設、中央公共施設、小学校、 スポーツ施設、廃棄物分別施設、下水処理施設など 管理部隊:米海軍横須賀基地司令部 【横浜市域】約 36.8ha 【池子の森自然公園】(共同使用地)約 40ha ・スポーツエリア:400mトラック、野球場(大)(小)、 テニスコート(2 面) ・緑地エリア 【逗子市域】約 252ha (施設全体の約 87%、市の面積の約 14.5%) 久木中・小学校共同運動場 (返還地) 第一運動公園(返還地)