て成仏可能という禅の立場から説示対象の同一性に基づき,教説を分類すること なく均質化するのは延寿が最初である.唐代以前の教判を解体する延寿の理論は, 宋代以降の仏教に大きな影響を与えた. 4. 中西俊英(東大寺総合文化センター華厳学研究所研究員)「唐代華厳教学の『起信 論』化――法蔵・慧苑を中心として」 『大乗起信論』との関係から華厳教学の大成者法蔵(643–712)とその弟子慧苑 (673?–743?)の五教判を分析した.法蔵は新羅僧元暁(617–686)の『起信論別記』 から真如・生滅門の定義を踏襲し『起信論』を五教判の終教,四宗判の如来蔵縁 起宗に配する一方で,新たに二門の交徹という解釈を生みだし如来蔵縁起宗の定 義に用いた.法蔵の著作において『起信論』が配される範疇は和会・包摂の性格 を強め,それはそのまま慧苑の真具分満教(『続華厳略疏刊定記』で『華厳経』を配す る範疇)に継承される.また『華厳経』の解釈である十玄門について慧苑は,法 蔵の『起信論』解釈に基づきつつ,従来の十玄門理解を改め独自の二種十玄説を 構築した.以上のことから華厳教学の『起信論』化――法蔵が『起信論』を再解 釈し,それに基づき慧苑が華厳教学そのものを再構築する――という華厳教学の 展開が推測される. 5. 土屋太祐(新潟大学准教授)「宋代禅の課題――排仏論との関係から」 北宋の禅僧仏日契嵩(1007–1072)の護法論である『輔教編』と宋代の排仏論を 比較し,宋代仏教の置かれた状況を考察した.『輔教編』は大きな枠組みとして, 人・天・声聞・縁覚・菩薩の五乗の教判論を持つ.該書は,仏教が国家の教化の 助けとなることを証明し,排仏論に反論することを目的としているが,世間的な 「善」を実現するのは,主に人天乗の五戒十善・因果応報観念である.一方,最上 の菩薩乗は「一心源」に基づき仏果にいたるものとされるが,世間的な「善」と の関係は判然としない.宋代の排仏論はその後も,悟りにいたる性命道徳の説と 世間的な秩序を担保する因果応報の観念に論理的な関係が無いことを問題視する. 契嵩の護法論が排仏派に対してどれほどの説得力を持ちえたかは疑わしい. 【まとめ】 各パネリストにより宗派,造像銘に見える浄土思想,教判の展開と解体,華厳 教学の変遷,排仏論に対する宋代禅の反論など各種の観点から唐・宋の仏教に分 析が加えられた.その後フロアから貴重な質問や意見をいただくとともに,パネ リストの土屋氏からは中国思想史全体のなかで唐宋間の仏教の変化をとらえるこ との重要性が指摘された. 今回のパネル発表により,唐から宋にいたる中国仏教の変遷の一斑が明らかに なるとともに,その全貌の解明に向け今後とりくむべき問題が共有されるにいたっ た. 第 67 回学術大会パネル発表報告 (287)
唐・宋代の仏教の諸相
代表 柳幹康(花園大学国際禅学研究所専任研究員・専任講師)
【問題提起】 唐宋間の変革期において中国社会全体が大きく変化したのにともない,中国仏 教もその様相を一変させた.唐から宋にかけての仏教の展開を解明することは, 中国仏教全体を理解するうえで重要である.本パネルでは五名の発表者がそれぞ れの観点から,唐・宋代の仏教に対して多角的に分析を加えた. 【各発表要旨】(以下各自による要旨) 1. 張文良(中国人民大学哲学院教授,仏教与宗教学理論研究所専任研究員・副所長)「唐 代仏教において宗派は本当に存在したのか」 唐代仏教において宗派が存在していたか否かは,近代以降今日まで中国仏教界 で盛んに議論されてきた問題である.宋代には「天台宗」や「華厳宗」などが確 立したが,これらは主に思想の伝承を表す概念であり,所謂「宗派」の概念と完 全に合致するわけではない.近代には主に日本仏教の「宗派」に関する言説の影 響をうけ,「八宗」「十宗」等の概念が中国仏教史の著作に多く用いられるように なるが,これがそのまま唐代仏教に遡及できるかについて中国の学者は疑問視し ていた.1990 年代以降,隋唐仏教における宗派の存在が正面から論じられるよう になるが,いまなお解決を見るにいたっていない. 2. 倉本尚徳(中央研究院歴史語言研究所助研究員)「唐代石刻より見た浄土信仰―― 北朝時代との比較」 北魏時代の造像銘には,天と混合した西方浄土信仰が見られる.北斉時代にな ると新たに阿弥陀像が出現するが,その造像銘に生天願望は表されず,『観無量寿 経』を典拠とする語が新たに見られる.また,この時代の石窟には阿弥陀西方浄 土を表した浮彫図が新たに出現するが,窟内の一側壁乃至一部分を占めるにすぎ ず,十方浄土のうちの一浄土としての存在である.唐代になると,阿弥陀仏に関 わる瑞像である阿弥陀五十菩薩像が出現し,石窟の正壁に据えられる事例が多く 見られるようになる.また,一窟全体を西方浄土に見立てた「浄土堂」も見られ るようになる.唐代後期には,浄土結社が盛んに行われるようになり,西方浄土 を願う信徒たちが「九品往生社」を結成し「往生碑」を建立する事例も見られる. 3. 柳幹康「教判の展開――経典の体系化から一心への集約」 南北朝期から唐末五代にいたる教判の展開を概観し,当初は経典の分類・体系 化に重きを置いていた教判が,中唐の圭峰宗密(780–841)を経て五代の永明延寿 (904–976)にいたり,禅宗所伝の一心に仏説を集約させる一元的理論に転じたこ と,および教判史上における延寿の独自性について論じた.すなわち,仏説を分 類しない立場は延寿以前にあり(菩提流支・鳩摩羅什の一音教など),教説の説示対 象を禅宗所伝の一心とする理解も同様に延寿以前に見えるが(宗密),今生におい (286) 第 67 回学術大会パネル発表報告 ─ 753 ─て成仏可能という禅の立場から説示対象の同一性に基づき,教説を分類すること なく均質化するのは延寿が最初である.唐代以前の教判を解体する延寿の理論は, 宋代以降の仏教に大きな影響を与えた. 4. 中西俊英(東大寺総合文化センター華厳学研究所研究員)「唐代華厳教学の『起信 論』化――法蔵・慧苑を中心として」 『大乗起信論』との関係から華厳教学の大成者法蔵(643–712)とその弟子慧苑 (673?–743?)の五教判を分析した.法蔵は新羅僧元暁(617–686)の『起信論別記』 から真如・生滅門の定義を踏襲し『起信論』を五教判の終教,四宗判の如来蔵縁 起宗に配する一方で,新たに二門の交徹という解釈を生みだし如来蔵縁起宗の定 義に用いた.法蔵の著作において『起信論』が配される範疇は和会・包摂の性格 を強め,それはそのまま慧苑の真具分満教(『続華厳略疏刊定記』で『華厳経』を配す る範疇)に継承される.また『華厳経』の解釈である十玄門について慧苑は,法 蔵の『起信論』解釈に基づきつつ,従来の十玄門理解を改め独自の二種十玄説を 構築した.以上のことから華厳教学の『起信論』化――法蔵が『起信論』を再解 釈し,それに基づき慧苑が華厳教学そのものを再構築する――という華厳教学の 展開が推測される. 5. 土屋太祐(新潟大学准教授)「宋代禅の課題――排仏論との関係から」 北宋の禅僧仏日契嵩(1007–1072)の護法論である『輔教編』と宋代の排仏論を 比較し,宋代仏教の置かれた状況を考察した.『輔教編』は大きな枠組みとして, 人・天・声聞・縁覚・菩薩の五乗の教判論を持つ.該書は,仏教が国家の教化の 助けとなることを証明し,排仏論に反論することを目的としているが,世間的な 「善」を実現するのは,主に人天乗の五戒十善・因果応報観念である.一方,最上 の菩薩乗は「一心源」に基づき仏果にいたるものとされるが,世間的な「善」と の関係は判然としない.宋代の排仏論はその後も,悟りにいたる性命道徳の説と 世間的な秩序を担保する因果応報の観念に論理的な関係が無いことを問題視する. 契嵩の護法論が排仏派に対してどれほどの説得力を持ちえたかは疑わしい. 【まとめ】 各パネリストにより宗派,造像銘に見える浄土思想,教判の展開と解体,華厳 教学の変遷,排仏論に対する宋代禅の反論など各種の観点から唐・宋の仏教に分 析が加えられた.その後フロアから貴重な質問や意見をいただくとともに,パネ リストの土屋氏からは中国思想史全体のなかで唐宋間の仏教の変化をとらえるこ との重要性が指摘された. 今回のパネル発表により,唐から宋にいたる中国仏教の変遷の一斑が明らかに なるとともに,その全貌の解明に向け今後とりくむべき問題が共有されるにいたっ た. 第 67 回学術大会パネル発表報告 (287)