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経済教育と算数・数学

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要旨  経済教育には数学が必要であるがそれを苦手とする生徒,学生が多い。その背景には現在の算数・数学教 育の在り方,大学入試制度に問題があることが指摘されている。ところが,江戸期から戦前までの算数・数 学教育ではかなり高度な経済に関する数学の学習がなされてきた。本稿では,なぜ日本の算数・数学教育が 経済との関係を希薄化させてきたのか歴史的に検討する。そのことを通して,現代の経済教育に必要な数学 的リテラシーを日常生活から経済学の学習まで展望する。 キーワード:経済教育,算数・数学リテラシー,『塵劫記』,生活算数・数学,経済数学

Ⅰ.はじめに

 本稿の問題意識は以下のとおりである1)  経済学の学習には数学的知識が必要である。ところ が,経済学を学ぶ上で数学を苦手とする経済学部学生 は多い。その存在は『分数のできない大学生』以来周 知の事実となっている2)。また,日本学術会議の「参 照基準」にも経済系大学生の数学の学力不足と大学で の数学教育の必要性の指摘がされている3)  その原因は,西村和雄らが指摘するように,一つに は,学習指導要領の変化による算数・数学の学習時間 の絶対的不足であるが,ほかに,「参照基準」が指摘 するように経済学が文系科目に分類されていることに より,数学と経済が別の世界の話であると生徒も教師 も捉えているからとも推定できる4)  もう一方,日常生活でも数学的な知識と技能も必要 である。しかし,日常生活でも数学を苦手とする人間 は多い。経済活動と数学は切り離せないのだが,算数 や数学教育のなかで数学的リテラシーが十分に育てら れていないことが推定される。日常生活と数学教育に 関しては,実は,戦後の算数・数学教育で生活単元型 の学習のなかで「社会をよくする」ための数学が提唱 されていた時期があり,それが実践されていたことが あった。また,戦前の高度な算数教育に関しては,か なり高度な経済計算が教えられていたことが,最近, 大竹文雄と横山和輝によって紹介されている5)  大竹は,高等小学校三年の算術教科書の紹介から, むかしの小学生が複利計算など高度な経済計算を学習 していたという。  横山も同様に,複利計算を戦前の小学生が行ってい ることを紹介し,それが成果を上げていたと論じて, 現在の金融教育,経済教育の問題点を指摘している。  しかし,両氏とも複利計算について言及しているが, 学校制度,算数・数学教育のなかでそれらがどんな位 置をしめていたか,また,それがなぜ消えたのか,現 在の状況に関する言及は残念ながら少なく,それをど う克服してゆくのかについての展望は,両氏の紹介か らは,すぐには見えてはこない。  本稿では,一つは,経済学の教育のために,どのよ うな数学教育が求められるか,それはどのようにした ら可能になるのかという問題意識と,もう一つ,日常 生活のなかで経済と数学がどのようにしたらスムーズ に結合できるのか,その方策は何かという問題意識の もと,経済教育と算数・数学教育の関係を探り,その あり方を考察する。

経済教育と算数・数学

-算数・数学教育の歴史的検討から-

The Journal of Economic Education No.36, September, 2017

A Historical Study on Economic Education and Mathematical Education

ARAI, Akira 新井 明(上智大学非常勤講師)

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Ⅱ.日本における算数・数学教育の歴史と

経済との関わり

 ここでは,経済教育と数学教育に関して考察するた めの準備作業として,日本における算数・数学教育の 歴史と経済の歴史的関係を簡単に振り返ってみる。 1.江戸時代以前および江戸時代  江戸時代以前の算数・数学教育に関しては文献の制 約もあり,あまり言及されることがない。日本で本格 的な算数・数学教育が展開されたのは江戸時代からで ある。なかでも,江戸時代初期に発行された吉田光由 の『塵劫記』1627 年は,日本における庶民向けの数学 教育の先駆的テキストといってよいだろう6)  三巻からなる同書の上の巻では,数,単位,面積, 体積,重さなどからはじまり,九九,掛け算と学び, 割り算はそろばんを使って計算させる。そのうえで, コメの積み上げ問題や両替問題,利息の計算,絹・木 綿の売買問題など実利的知識,計算技能を習得させる 内容になっている。  中の巻では,様々な具体的事例に基づく計算が紹介 されている。事例では,船賃,升の大きさ,検地,屋 根ふき,河川工事の計算などが扱われ,当時の土木工 事などの理工系的な内容に拡張している。  下の巻では,ネズミ算,倍々算,からす算,人口計 算など各種の応用問題や,誕生日をあてるままこだて のようなクイズに近い問題が取り扱われる。  いずれも,江戸初期の経済生活に役立つものとして, 商人や武士のなかでも土木などを担当する者向けの実 用的なものとなっている。ここから,寺子屋向けの庭 訓物が作成され,それが普及して,日本人の数学リテ ラシーの向上に大きな功績を残しているといってよい だろう。 2.明治期から昭和前期  明治維新後,西洋数学が導入された。子供向けの算 数教育では明治 5 年(1873)の学制に基づいて,文部 省による『小学算術書』がだされ,民間でも『数学三 千題』のような計算問題中心の演習書が発行されてひ ろく利用された。  その後,民間による検定教科書が刊行されたが,明 治 38 年(1905)にいわゆる黒表紙本『尋常小学算術 書』が国定教科書として刊行された。同書は,三回の 大きな改定を経てはいるが,昭和 10 年(1935)のい わゆる緑表紙本(『尋常小学算術』)の刊行まで 30 年 近く日本の小学校向けの数学教育に大きな影響を与え 続けた7)  黒表紙本では,「生活上必須ナル知識」として,数 の数え方から加減乗除,小数,分数計算,比,歩合ま でが配当されていた。特にここで注目したいのは歩合 算の箇所であり,大竹,横山の紹介している計算はこ この部分とその延長部分である。  歩合算は黒表紙本では,尋常 6 年生の最後に学ぶ項 目で,歩合,損益,租税,利息,公債株式などの計算 を行う学習項目である。百分率の呼び方から始まり, 様々な経済に関連する計算を行わせることになってい る。一見すると生活に関係する重要な学習に見えるが, 公債や株式の知識や計算が当時の生徒の生活にどれだ け関連があったのかを考えると,かなり無理がある教 材だったといえよう。  緑表紙本は,1935 年(昭和 10 年)から発行使用が はじまり,1941 年(昭和 16 年)の完成と同時に国民 学校令により教科の整理統合が行われたため,短期間 の使用で終わり,幻の教科書ともいわれている8)  ここでは,算数教育の基本は「数理思想の開発」で あるとうたわれていて,黒表紙本が計算の形式を学び, 暗記的に計算処理をせざるを得ないような展開をして いたのに対して,数理的な考え方や思考過程を重視す るものとなっている。また,「日常生活を数理的に正 しくする」という目標のもとに,衣食住に関係する内 容を広く例として取り上げるだけでなく,自然現象や 理科的な内容も広くとりいれられ大幅に改善されてい る。その代りに,証券や債券など生徒の生活から遠い 事例は大幅にカットされている。 3.第二次世界大戦後の数学教育「生活算数・ 数学」  緑表紙本の後に,いわゆる青表紙本である『カズノ ホン』『初等科算数』が刊行されるが,戦後それらは 戦時色が強いということで墨塗り教科書となる。  その後登場したのが,いわゆる生活算数教科書であ る。これは昭和 22 年(1947)学習指導要領(試案) に基づくものである9)  この指導要領では,算数の目標が「日常のいろいろ な現象に即して,数,量,形の概念を明らかにし,現 象を考察処理する能力と科学的な生活態度を養うこ と」とされた。ここでの注目は「日常のいろいろな現 象」の部分である。驚くほど経済に関する事項が学習 項目として取り上げられているのである。  小学校の算数では,単元として「実務」が置かれ, 例えば,小学校 6 年生では貯金,貯金申込書,収支勘

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定,勘定書,領収書が学習項目として登場する。  新しく登場した中学校でも「生活経験」が列挙され, そのなかの数学的な技能を身につけるという構造のカ リキュラムが提示されている。「日常生活」には自然 現象,農作業,工場経営,貯蓄や投資が登場する。少 し詳細に紹介しよう。  例えば,第 7 学年(新制中学 1 年生)では,歩合算 に相当する領域として,「百分率,歩合を含む実際問 題を解く」というタイトルで,「a 利率を表す問題,b 割合に関する問題,c 手数料に関する問題,d 家計の 予算を作る問題,e 損益に関する問題,f 価格の上が り,下がりに関する問題,g 家計の勘定に関する問 題」の 7 つが学習項目として挙げられている。  例として,「家庭の買い物で,品物の 1 割引きの値 段を求める」という学習課題と,「おかあさんを助け て,家の予算をたて,お金を経済的に使う」という学 習課題が挙げられている。さらに,用語としては, 「利息,利率,年利,日分,元金,期間,元利合計, 単利,複利,割引,手数料,勘定書,予算,原価」が 挙げられている。  メインの数学的技能では,「百分率や歩合を含む四 則計算をする。一つの数の,与えられた百分率や歩合 に当たる大きさを求める。」などが指示され,「複利表 を用いる」まで指示されている10) 4.その後の展開  生活算数・数学は,数学教育関係者から激しい批判 に合う。これは初期社会科がうけた批判と同根である。 一つは,学力低下,もう一つは教材や教え方からの批 判である。学力低下に関しては,戦前の水準にくらべ て二年の遅れが出たとの調査結果が国立教育研究所か ら発表されている。教材や教え方批判では,当時の進 歩的教育学者である海後宗臣や梅根悟からの批判が加 えられた11)。また,のちに「水道方式」を提唱する遠 山啓らが組織する数学教育者協議会からも「学力低下 の最大の原因は,生活単元学習である」という批判が 加えられた12)  これらの批判を受けた形で,1958 年(昭和 33 年) に系統学習に基づく学習指導要領が実施されて,算 数・数学教育は大きく転回をはじめる。  この指導要領では,「数学的な考え方」という概念 が登場したが,基本的な考え方は緑表紙本で登場した 「数理思想の開発」への回帰に近かったとされている。 この指導要領で,生活単元的な経済的な問題,特に金 融関係の事例はほとんどなくなり,指導内容は,「数 と計算,量と測定,数量関係,図形」の四領域にまと められた。このうち,数量関係は新しく導入されたが, 「割合,式・公式,表・グラフ」から構成されている。 これは,生活単元学習でも扱われていた領域だが,事 例は自然科学的,抽象度が高い扱いになって,生活の においがしない算数・数学がここからはじまったとい えるだろう。  その後,1968 年(昭和 43 年)の数学の現代化をス ローガンとした改定がある。これはスプートニク ショック後のアメリカの数学,理科教育の現代化の流 れに呼応したものである。その理論的なバックボーン となったのは,ブルーナーの『教育の過程』である。 彼の主張は,それまでのアメリカの学校教育に大きな 影響をあたえていたデューイ流の生活教育観を転換さ せるもので,1958 年の改定からはじまった体系主義 的な教育内容の転換を思想的に支えるものとして受け 入れられた。  次は,1977 年(昭和 52 年)の改定とほぼ 10 年ごと の改定が続く。特にこの 77 年改訂では内容が豊富す ぎて,「詰め込み,落ちこぼし」の批判がされた。  そして,1989 年(平成元年)に学習内容の 3 割削減 のいわゆる「ゆとり教育」の指導要領が告示され,こ んな指導要領では学力が低下するという大きな批判を 生み出したことは周知のとおりである。 5.現在の算数・数学教育  ここでは,紙数の関係もあり,中学三年生だけを取 り上げる。  学習項目は以下の四つである。  A 数と式,B 図形,C 関数,D 資料の活用 である。  これは小学校算数と基本的に同じである。これに 〔数学的活動〕という学習活動が加えられている。そ の内容は以下の通りである。 ア 既習の数学を基にして,数や図形の性質などを 見いだし,発展させる活動 イ 日常生活や社会で数学を利用する活動 ウ 数学的な表現を用いて,根拠を明らかにし筋道 立てて説明し伝え合う活動  ここで注目したいのは,イの「日常生活や社会で数 学を利用する活動」の部分である。これは,特に前に 紹介した戦後の「生活算数・数学」の時代と対比して, 経済教育と算数・数学教育とのかかわりを考察する手 がかりとしたい部分である。ここも中学三年生だけを 抽出しておく13)

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【中学 3 年】 ・2 次方程式:活用の問題で,『塵劫記』の俵杉算 の解法を 2 次方程式を使って説明させる。 ・いろいろな関数:箱の輸送料金を関数のグラフで 表す。(階段状のグラフ) ・相似形の図形:活用の問題で,ピザの大きさ M サイズと L サイズ,どちらが得かを説明させる。 ・標本調査:缶詰などの品質検査を紹介。 ・社会とつながる:割引クーポンで売り上げアップ (POS データの紹介) ・数学の歴史:伊能忠敬の紹介 ・数学を切り開いた日本人:伊藤清(伊藤の公式)  ここでは,社会で使われる数学的な問題がかなり しっかりと紹介されている。ただし,教科書に書かれ ているからと言って,実際にそれが教室で行われてい るものではないというのは,社会科,公民科でも同様 である。とはいえ,生活算数・数学的な要素の復活が ここに見られることは確認しておいてよいだろう。

Ⅲ.経済教育に必要な算数・数学リテラ

シーとは何か

 ここでは,これまでの調査を踏まえて,経済教育に 必要な算数・数学リテラシーについて考察してみたい。 対象が広すぎるので,まず,日常の経済生活において 必要な算数・数学リテラシーは何かという問題と,次 に大学の経済教育で必要な数学リテラシーは何かとい う問題に区分して考察する。 1.日常の経済生活において必要な算数・数学 リテラシーとは何か  日常の経済生活で必要な数学的な知識はどのような ものか,ヒントは,まず過去の算数教育が要求してき た内容とレベルにあると考えられる。  江戸時代の『塵劫記』の昔に戻る必要はないとして も,「読み書きそろばん」のレベルはどんな時代でも 基本になろう。そこからは,数の読み方からはじまり, 整数,分数,小数,マイナスの概念,それを踏まえた 加減乗除の知識と技能が最低日常生活に必要な知識と 技能になる。  マイナスの概念では,マイナス金利が導入され,経 済の日常世界にもマイナス概念が登場した。その意味 では,現代の経済生活にはマイナス概念が必須の内容 となっているといえよう。  金銭管理でいえば,小遣い帳をつけることは単純な 足し算,引き算の世界である。しかし,小遣い帳はか なりの管理能力が必要な知的作業になる。ここから, 簿記や会計の世界は計数能力から言えば紙一重である。  高校生でいえば,携帯電話料金の計算や管理,割引 の計算なども必要な知識と技能になる。これらの加減 乗除の理解は,マイナスを除くと,小学校算数の役割 である。  加減乗除の世界から広がってゆくと,方程式,関数 などの世界になり,中学数学の世界となる。  例えば,金利計算。単利計算は中学までで扱われて いるが,複利計算は高校の範囲になる。  ほかには,比例の知識と技能が日常生活で活用する ことの多い領域である。これは中学 1 年での学習項目 である。  このように日常生活という形で考えると,圧倒的に 中学卒業までの「数と式」「関数」が必須の知識とな る。これに加えて,「資料の活用」が理解できれば, ほとんどの経済生活には対応できると考えられる14) 2.経済学を学ぶための数学リテラシーとは何 か  まず,高等学校の「政治・経済」や大学入試問題で でてくる数学関連の事項をピックアップしてみたい。 ・需要曲線と供給曲線(関数のグラフ,連立方程 式) ・弾力性(変化率,微分) ・経済成長率(変化率) ・信用創造(無限等比級数) ・ケインズの投資乗数(無限等比級数) ・多重債務(複利計算,対数関数) ・為替レート(比率,換算) ・比較生産費説(割り算,関数)  無限等比級数の総和は数Ⅲの領域なので,きちんと は学習していないが,公式だけは教科書に登場してい る。ほかは,高等学校の数Ⅰまでの学習で対応できる ものである。  次に,大学初年級のレベルでどのような数学的知識 が必要なのかをみてみる。  その例として,藤田康範の『経済・金融のための数 学』を挙げておこう15)  この本では,算数から数学への準備として,関数, 関数のグラフ化,変化の割合,方程式,文字式,展開, 因数分解を扱う。これは中学数学レベルの話である。 そのうえで,次のような数学の学習項目と経済学の関 連を説明してゆく。

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・一次関数(ケインズ型消費関数) ・一次方程式(ケインズ経済理論) ・連立方程式(リプチンスキーの定理とストルパー =サミュエルソンの定理・GDP の決定) ・二次関数とそのグラフ(利潤最大化のための生産 量),二次方程式(所望利潤と生産量) ・不等式(購入可能領域・生産可能領域) ・定義域の定まっている関数とそのグラフ(比較優 位説) ・二つのグラフの交点・接点(利潤最大化する生産 量の導出) ・分数関数・無理関数(等量曲線・無差別曲線) ・指数関数・対数関数(現在割引価値) ・等差数列とその和(二次の費用曲線の導出) ・等比数列とその和(資産価格の理論・信用創造) ・漸化式(GDP の決定) ・微分(需給曲線の導出) ・積分(需給曲線の図形的意味) ・偏微分と条件付き最大化(予算制約での効用最大 化)である。  この本では,確率・統計などは扱われていない。し かし,経済学を学ぶ上で必要な最低限の数学的知識が あげられており,それらは高等学校の数学をある程度 マスターしていれば可能であり,あとは大学での教育 の責任ということがうかがえる。

Ⅳ.まとめと課題

 以上,経済教育と算数・数学教育の関連を歴史的に トレースして,現状まで見てきた。ここから,これま での知見をまとめて,残された課題に言及してゆきた い。 1 生活レベルでの算数・数学教育の課題は,まず, 算数・数学嫌いを少なくすることが必要である。 そのヒントは,『塵劫記』と「生活算数」にあると 思われる。つまり,日常生活で必要な算数・数学 の知識と技能をマスターするために,現在の学習 指導要領や教科書以上に,もっと現実に当てはめ た学習を行うことである16) 2 そのために,社会科教師をはじめとした経済教育 関係者ができることは,経済を教えるときに,算 数・数学ではこれをどの段階で,どのように教え ているかを知っておくことである。つまり,数学 科へ視線を越境させることが大事である。例えば, 需給曲線の導き方やグラフを説明するときに,数 学のグラフと同じ部分と違う部分を教える側が自 覚して教えるのと,そうでないときには生徒の理 解度は異なるはずである。 3 もっと言えば,現代版の『塵劫記』,「生活算数・ 数学」を作り上げることが必要になろう。正直に 言えば,数学者が生徒向けや一般向けに書く数学 の啓蒙書,導入本は,パズル的,自然科学的な傾 向が強すぎて経済教育では使えない。経済学者が 書く数学に関する導入本は,高等学校までの数学 教育の実態を踏まえていないものが多く,これも 学校の経済教育で使うには難しいものが多い。 4 現代版『塵劫記』「生活算数」では,数や計算に対 する恐れをなくすように体験的ドリルをたくさん 作っておくとよいだろう。要は,数字に対する親 しみ,計算に対する恐れをなくしておくことが肝 心ではなかろうか。そのことが,数学的アルゴリ ズムを徹底して理解させることに通じるであろう 17) 5 要は,経済教育関係者はもっとお隣の算数・数学 教育に関心をもってゆくこと,算数・数学教育者 に対するリスペクトと啓蒙をすすめること。その 風通しを良くするだけでも現状を打破するヒント は得られるのではないかということを当面の結論 にしておきたい18) 註 1) 本稿は,2016 年度第 32 回本学会大会の自由研究発表での 原稿を大幅に整理したものである。なお,文中敬称は省 略させていただいている。 2) 岡部恒治・戸瀬信之・西村和雄編『分数のできない大学 生』東洋経済新報社,1999 など。特に西村は精力的にゆ とり教育批判とそのなかでの数学教育の危機を訴えてき た。 3) 「参照基準」5 学修方法及び学修成果の評価方法に関する 基本的な考え方の④その他「導入教育」の箇所で「数学 の学力が不足している学生あるいは数学的な思考になれ ていない学生の入学が多くなる傾向がある」と指摘され ている。また,7 経済学分野の学士課程と数学・統計学の 部分では,経済学で求められる数学とそれを「苦手とし て経済学部に進学する学生も多い」との指摘がある。『経 済学と経済教育の未来』桜井書店,p.280 及び p.283。 4) 前掲『経済学と数学教育の未来』のなかでは,八木紀一 郎と大坂洋が数学教育に関して言及している。特に,大 坂は,学術会議の判断を妥当として,中学校レベルの数 学の理解が重要であることを指摘している。同書 pp.73 ~ 76。 5) 大竹文雄「複利を理解していない日本人」日本経済研究 センター HP『経済脳を鍛える』2015 年 8 月 17 日号。横 山和輝『マーケット進化論』日本評論社,2015,pp.219 ~ 258。 6) 吉田光由『塵劫記』岩波文庫版。例えば,利息計算でい えば,単利法だけでなく複利法まで計算させる問題が登

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場している。例えば,「一年のあひだ,利に利をくわへ, ばいばいして十二月には何ほどになるぞ」という問題と その算法が登場している。同書,岩波文庫版,p.92。 7) 黒表紙本作成のキーパーソンは東京帝国大学教授であっ た藤沢利喜太郎である。当時の数学教育の趣旨は,小学 校令施行規則第一章第一節教則にある「算術ハ日常ノ計 算ニ修練セシメ,生活上ノ必要ナル知識ヲ与ヘ,兼テ思 考ヲ精確ナラシメルヲ要旨トス」に出ている。 8) 緑表紙本の実質上の著作者は,当時の文部省の図書監修 官であった塩野直道である。緑表紙本では,「児童の数理 思想を開発し,日常生活を数理的に正しく指導する」と して,数学体系の尊重が強調され,日常生活とあるが, それ以上に「数理思想」が強調されて理科的要素が強く なり,経済に関する生活知識教授の後退が目立つように なっている。 9) 以下,文部省『算数数学科指導内容一覧表』日本書籍, 1948 年より引用。同書は文部科学省の HP には全文が掲 載 さ れ て い る。 http://www.nier.go.jp/yoshioka/cofs_ new/s23em/index.htm   この指導要領を作った中心人物は,当時文部省の事務 官をしていた和田義信である。和田は,その後文部省か ら東京教育大学の教授になった。 10) この時期の算数・数学教育の実態に関しては,無著成恭 編『山びこ学校』のなかにある調査報告「学校はどのく らいお金がかかるものか」が参考になる。同書は初期社 会科の実践として紹介分析されているが,戦後初期の算 数・数学教育の視点からも紹介されてよいはずの実践で ある。ちなみに,編者の無著は,山形師範学校入学時に は数学科に所属し,その後社会科に移った経歴を持って いる。この調査はグループで行われ,直接は数学の学習 の中で行われたものではないが,数字やデータの扱い方 など当時の中学生の様子をうかがうことができる。グ ループの班長は,無著の教え子のなかで,家業の農業を 継ぎ,農業問題の評論家となった佐藤藤三郎である。岩 波文庫版,pp.160 ~ 172。   なお,『山びこ学校』と算数・数学教育の関連に注目し た記述に関しては,佐野真一『遠い「山びこ」』新潮文庫 版,p.228 のなかに,経済学者大熊信行が「これは生活綴 り方の伝統をうけつぎながら生活算数への道をひらいた」 と評したことをとりあげている。 11) 海後宗臣は「国語,数学のように基礎学習を受け持つ教 科は,これらの教科に特有の学習方法があり,生活単元 は不適当である」とのべ,梅根悟は「数学教育は,本来 の系統的な教材単元を中心にすべき」との批判を述べて いる。福森信夫「単元学習から系統学習への変革」日本 数学教育学会編『20 世紀数学教育思想の流れ』産業図書, 1997,p.158 より。 12) 前掲福森 p.158 より。遠山もそうであるが,海後,梅根の その後の教育へのかかわり方からみると,この時の生活 算数批判は,「たらいの水と共に大事な赤子を流してし まった」パラドキシカルな要素がうかがえる。 13) 引用したのは,東京書籍『新編あたらしい数学 3』からで ある。 14) 金融広報中央委員会が作成した『金融教育プログラム』 全面改定版,2016 年では,算数・数学との関連で,小学 校では加減乗除の計算と値段や費用の関係に気付かせる ことが指摘されている。中学・高校では,関数を用いて 価格や費用を計算すること,金利に関数する学習を数学 において取り上げることができることが示唆されている。 同書 pp.60 ~ 61。また,現指導要領で登場した「数学活 用」という科目における「社会生活と数学」という学習 項目で,単利法と複利法,ローン問題,公共料金や税金 の仕組みなどを学ぶこともできると示唆されている。し かし,「数学活用」は教科書も二冊しか発行されず,次期 の学習指導要領では消滅する予定である。 15) 藤田康範『経済・金融のための数学』シグマベイスキャ ピタル 2009。藤田の著作をとり上げたのは,個人的な話 であるが,筆者の息子の中高時代の数学の先生だったか らでもある。経済学者と数学の関係を物語るエピソード である。 16) もちろん,これは『塵劫記』や戦後の「生活算数・数学」 がもっている時代性,歴史的特質との対応性,そのなか での先進性や制約を無視するということではない。 17) アルゴリズムとは,ある目的をもって一連の作業をする ときの手順を明確に表現したものであり,コンピュータ のプログラムが典型的なものである。アルゴリズムは, 出てくる用語の定義,作業の手順からなる。これは,算 数・数学では,式の定義,答えを出す計算方法,それが どんなことに使えるかの三つの要素として登場する。現 在の算数・数学教育で欠けているのは,三つめの「それ がどんなことに使われるか」の部分であろう。新井紀子 『生き抜くための数学入門』理論社,2007,p.47 および p.153。 18) 現在すでに次期の学習指導要領の準備が進行している。 数学に関しては「算数・数学ワーキンググループ」が作 られていて,次のような意見が出されている。   「社会科や理科と違い,数学は事象という広い言葉を 使っているというところが大切なのではないか。つまり, 数学が役立つ,様々な実社会や生活等に役立つというこ との重要性は当然だが,数学そのものが持っている美し さ,あるいは厳密さ,数学そのものが考えられた後に全 く知らないところで利用されているということなど,数 学そのものを楽しんで考えるというところも数学の活動 として大切にしたい。」   「文系の立場からは,それ(数学)が美しいことだとい うことにびっくりした。数学の勉強,それから研究まで ずっとしてきて,そう思っている人と,そうでない人た ちの間にはそれぐらいのギャップがあることが伝わると …共通言語で話ができると思う。」  http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chu-kyo3/073/siryo/attach/1366544.htm より引用。   数学教育関係者の独特の思考法が前者の「数学そのも のが持っている美しさ」などの発言から伺うことができ よう。また,後者の発言は,明記されていないがビジネ ス関係者からの発言であろう。   また,日本学術会議などからも算数・数学教育の改善 の提案がされている。それらを見ておくだけでも,経済 教育と算数・数学の関連に思いをはせることができるは ずである。

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参照

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