張九齡と王維の五言「拗律」について
丸 井
(一)はじめに
(二)張九齡の五言「拗律」とその特
附【補】張九齡の五律における「失粘」「失對」の例
(三)王維の五言「拗律」とその特
附【補】王維の五律に見られる特殊な對偶表現の例
(四)變格形態の種とその出現度
(五)おわりに
(一)はじめに
張九齡(678-740)と王維(701-761)の五言律詩に、拗おう字じ、すなわち 體詩の仄律から外れた文字が多數出現していることを、筆 はかつ て「杜甫の五言『拗律おうりつ』について(下)」という小論で指摘した(1)。張九齡、
王維といえば、の開元ないしは天寶年の宮詩壇をした詩人た ちであるが、その彼らの五律がしばしば詩律をして作られているこ とは、これまであまり論じられてこなかったように思われる。その詩律 からのが、彼らの五律の風格にいかなる影を與えているかを知る ことは、張九齡や王維の究、ひいてはの體詩の究において、
一定の意義を有するであろう。本稿では、張九齡と王維の五言律詩作 品の仄配置や對偶表現を、體詩の韻律に照らして再度細かく査し、
彼らの五言「拗律」に見られる特を明らかにしてみたい。
なお、本稿における究手法は、基本にの小論のそれを踏襲す るが、かつて用いた表記や呼稱には煩瑣で不用なものがあったので、本 稿では表記と呼稱を再檢討し、素な表現を心がけた。以下、本稿で用 いる表記や呼稱をあらかじめ整理しておこう。
五言律詩の句型には、仄式の句である a式「●○○●」と A式
「●●○◎」、そして式の句である b式「 ○○●●」と B式「○
○●●◎」とがある。a式、A式、b式、B式という句型の呼稱とその
仄配置は、王力氏の『語詩律學』第一章「體詩」第六「仄 格式」に基づく(2)。○印は聲、●印は仄聲、◎印は聲韻脚を表す。ま た印は、本來は仄聲であるが、聲をも用いうる箇を、 印は、本 來は聲であるが、仄聲をも用いうる箇を表す。そしてこれら四つの 句型を、反法と粘法の規則にしたがって列ねてゆくと、五言律詩には以 下の四種のパターンがあることになる。
1「仄 式・首聯上句非押韻型」
首聯 a式:●○○●/B式:○○●●◎
頷聯 b式: ○○●●/A式:●●○◎(對句)
頸聯 a式:●○○●/B式:○○●●◎(對句)
尾聯 b式: ○○●●/A式:●●○◎
2「仄 式・首聯上句押韻型」
首聯 A式:●●○◎/B式:○○●●◎
頷聯 b式: ○○●●/A式:●●○◎(對句)
頸聯 a式:●○○●/B式:○○●●◎(對句)
尾聯 b式: ○○●●/A式:●●○◎
3「 式・首聯上句非押韻型」
首聯 b式: ○○●●/A式:●●○◎
頷聯 a式:●○○●/B式:○○●●◎(對句)
頸聯 b式: ○○●●/A式:●●○◎(對句)
尾聯 a式:●○○●/B式:○○●●◎
4「 式・首聯上句押韻型」
首聯 B式:○○●●◎/A式:●●○◎
頷聯 a式:●○○●/B式:○○●●◎(對句)
頸聯 b式: ○○●●/A式:●●○◎(對句)
尾聯 a式:●○○●/B式:○○●●◎
本稿では、以上四種のパターンをもって五言律詩の正格とみなし、こ れに對して、拗字が見える句や聯を變格と呼び、この變格を多少とも含 む五律を五言「拗律」と呼ぶことにした。「拗律」とあえて括弧付きで表
記するのは、たとえば b式の生型である「 ○●●●」(「仄三」。「下 三仄」ともいう)や「 ○●○●」(「挾み」)など、今日の常識に照らし て正格に準ずる句型と見なされるものまで、この五言「拗律」の中に含 まれてしまうからである。一方、A式の生型である「●○○◎」
(「三」。あるいは「下三」「三」ともいう)や B式の第一字が仄聲に なった「●○●●◎」(「孤」)のように、律詩制作上の禁忌ないしは破 格とされるものもまた、ここでいう五言「拗律」には含まれる。よって 本稿後の結論の段階では、變格の形態ごとに出現度を算出し、より 細な分析を行なうことになるであろう。
さて、詩の五律中に時々見られる變格は、以下の六種の形態にほぼ 集することができるが、論の便宜上、便な呼稱を付しておく。な お、下線を施した仄符號は、それが拗字であることを示している。
①「aB變格聯」(上句 a式第三字び下句 B式第三字が拗字)
a式:●●○●/B式: ○○●◎(3)
②「丑特殊形式」(4)(上句 a式第四字び下句 B式第三字が拗字)
a式:●○●●/B式: ○○●◎
③「上句多仄聲聯」(上句 a式第三・四字、下句 B式第三字が拗字)
a式:●●●●/B式: ○○●◎
④「仄三」(上句 b式第三字が拗字)
b式: ○●●●
⑤「挾み」(上句 b式第三・四字が拗字)
b式: ○●○●
⑥「三」(下句 A式第三字が拗字。首聯上句の場合もある)
A式:●○○◎
よって、本稿における五言「拗律」の分析では、これら「aB變格聯」、
「丑特殊形式」、「上句多仄聲聯」、「仄三」、「挾み」、「三」とい う呼稱を用いながら、詩中に現れた變格を一つ一つ確していくことに なる。なお、詩本體のほうに下線が引かれている場合、それらはおおむ ね粘法を失した「失粘」や、反法を失した「失對」を示すが、對偶表現 上目すべき箇などを示している場合もあるので、そのつど明を加 えていこう。
中國詩文論叢 第二十九集
( 30)
(二)張九齡の五言「拗律」とその特
それではまず、張九齡の五言律詩計84首のうちから、五言「拗律」と して目すべきものを順見ていくことにする。單に仄や對偶の査 だけでなく、作詩の時期や場、また詩の容などにも留意することと し、以下では奉和製、唱和・ 答、行・宦、詠懷、挽歌詞といっ たジャンルに分けて論をめるが、結論をいえば、張九齡の五言「拗律」
は、いずれのジャンルにも滿なく見られる。なお底本には熊飛氏の
『張九齡集校』(三冊)(北京:中書局 2008年11)の上冊を用い、詩 の解釋に際しても多く同書を參照したが、詩の訓讀や日本語譯は筆が 私に施した。なお、張九齡の五律には「失粘」や「失對」がやや目立つ ので、末尾に補を立て、別論ずることにした。
1.奉和製
「奉和製經孔子舊宅」(「製『孔子が舊宅を經』に和し奉る」)
孔門太山下 不見登封時 b式:●○●○●/A式:●●○○◎
徒有先王法 今爲明思 a式:○●○○●/B式:○○○●◎
恩加萬乘幸 禮制一牢祠 b式:○○●●●/A式:●●●○◎
舊宅千年外 光空在茲 a式:●●○○●/B式:○○○●◎
(孔門 太山〔=泰山〕の下/見ずや 登封〔泰山に登って行われた封禪の 儀式〕の時=
いたづら徒
に先王の法有りて/今 明〔玄宗を指す〕の思ふところと 爲る=
恩は加ふ 萬乘の幸みゆき〔天子の行幸〕/禮は制す 一牢の祠まつり〔生贄を獻 げて行われる祭祀〕=
舊宅 千年の外/光 空しく茲ここに在り)
開元十三年(725)のに、玄宗が泰山で封禪の儀を執り行い、その後 曲阜の孔子の舊家に立ち寄って詠んだ詩に、張九齡が和したものである。
奉和製の五律にしては、隨に拗字を配した、自由な詠みぶりにまず かされる。首聯は「挾み」と「三」の取り合わせであり、頸聯 上句には「仄三」が見える。この「仄三」は禁忌ではなく、代の 五律に普に見られるものだが、張九齡の五律中にはとりわけ多く出 現し、一つの特色をなしている。また、頷聯下句と尾聯下句のB式の第 三字が拗字(○○○●◎)であり、このままでは問題とされないが、上句 a式の第三字も同時に拗字(●●○●)となった場合、本稿ではこれを
「aB變格聯」と呼んで重する。
「奉和製李書入蜀」(「製『李書の蜀に入るをる』に和し奉る」)
眷言感忠義 何有山川 b式:●○●○●/A式:○●●○◎
徇今如此 離空復然 a式:●●○○●/B式:○○○●◎
皇心在恤 澤委昭宣 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
功後 明年或勞 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
(眷言 忠義に感ず〔陛下=玄宗=が李書どのに目をかけられ、その忠義 を謝するお氣持ちは〕/何ぞ山川を間へだつ有らん〔李どのが幾山河をてた蜀 にられても、やはりお變わりになることはないだろう〕=
〔李どのが〕
を徇まもること 今 此の如し/離 空しく復た然り=
皇心 恤〔努めて民 をしむこと〕に在り/ 澤〔陛下の 政と恩澤は〕 昭宣〔李どのによる 蜀地での宣揚〕に委ゆだぬ=
〔一年〕 功をせし後/明年 或いはるを 勞ねぎら
はん)
開元二十四年(736)、部書であった李隱が、州長史および劍 南度訪使として蜀にる際、玄宗が詠んだ別の詩に、張九齡が和 した五律である。首聯上句と頸聯上句に「挾み」が出ているほか、頷 聯の對偶性が干いように見える。ちなみに尾聯下句第四字の「勞」
は、「いたわる、ねぎらう、たまわる」という意の場合には去聲(號韻)
に讀む。
2.唱和・答
「陽韋明府」(「陽の韋明府にる」)
君有百煉 堪斷七重犀 b式:○●●●●/A式:○●●○◎
誰開太阿匣 持武鷄 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
竟與書佩 應天子提 a式:●●●○●/B式:○○○●◎
何時操宰 當使玉如泥 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
(君に百煉のやいば有り〔君は利な物=のような非凡な才氣=を有する〕/
七重の犀〔牛皮を七重にして作った鎧〕を斷つに堪へたり=
誰か開かん 太 阿〔寶劍の名〕の匣はこ/持ちてかんや 武の鷄〔鷄をくのにこのような 寶劍を持つ必があろうか〕=
竟つひ
に書に與あたへて佩びしめ〔政府の高官にこ そ與えて佩びさせるか〕/た應に天子の提さぐるなるべし〔あるいは劉邦の ような未來の天子こそが提げているはずのもの〕=
何いづ
れの時にか操宰〔刀を 操って始末する機會〕にはん/當に玉をして泥の如くなら使むべし)
中國詩文論叢 第二十九集
( 32)
開元の初め、張九齡がまだ左拾であった頃に、陽(現・湖南省縣)
の縣令であった韋某(未詳)にった五律である。首聯上句は b式の第 二字と第三字を拗おうした特な形。首聯下句と頷聯上句とは粘法を失して いる(「失粘」)。また、頷聯上句と尾聯上句に「挾み」があり、頸聯は 上下句の第三字を拗字とした「aB變格聯」である。
「和姚令公從幸湯喜」(「姚令公の『湯に幸するに從ひてを喜ぶ』に和 す」)
萬乘飛 馬 千金狐白裘 a式:●●○○●/B式:○○○●◎
正逢銀霰積 如向玉京 b式:●○○●●/A式:○●●○◎
瑞色鋪馳 文拂旒 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
聞吉甫頌 不共郢歌儔 b式:○○●●●/A式:●●●○◎
(萬乘〔天子〕 馬を飛ばす/千金 狐白裘=
正に銀霰の積もるに逢ひ/
玉京〔天の居あるいは仙界〕に向おいてぶが如し=
瑞色 馳〔天子の 專用〕に鋪しき/文 旒〔色のある旗さしもの〕を拂ふ=
た聞く 吉甫の頌〔の名臣・尹吉甫の頌歌。姚崇の詩に喩える〕/郢歌〔楚のし い歌の意。張九齡自身の詩に喩える〕と共に 儔ともがらたらず)
開元四年(716)春、當時紫令の位にあった姚崇が、新豐にある泉 に玄宗が行幸するのに隨從して詠んだ詩に、張九齡が唱和した五律であ る。首聯下句 B式の第三字、および尾聯上句 b式の第三字(「仄三」)
以外に拗字はない。これならば正格の五律としてもよい作品である。
代の五律には、この詩のように無な拗字を含んでいるものが實はかな りある。このあたりから後世、五律における第三字の仄を問題としな い考え方が生じたものであろうが、事はそれほど單ではない。たと えば A式の第三字を拗すれば、「三」(●○○◎)という禁忌を犯す ことになるのであるから、五言句第三字の仄配置にはやはり意を拂 わねばならない。
3.行・宦
「初發曲江溪中」(「初めて曲江溪中を發す」)
溪流且深 松石復陰臨 B式:○○○●◎/A式:○●●○◎
正爾可嘉處 胡爲無賞心 a式:●●●○●/B式:○○○●◎
我不別 物亦有 b式:●○●●●/A式:●●●○◎
自匪嘗行邁 誰能知此 a式:●●○○●/B式:○○○●◎
(溪流 く且つ深し/松石 復た陰臨す〔溪流にかぶさり臨む〕= 正に爾かく も嘉す可き處/胡爲れぞ賞する心無からんや=
我 ほ別るるにびず/物 にも亦たのす有り〔物象にもまた因の染みんだものがある〕=
嘗て 行邁せるに匪ざる自よりは〔故 を離れてみた經驗がないかぎり〕/誰か能く 此のを知らん〔この後ろ髮引かれる氣持ちをどうして理解できようか〕)
武后の長安元年(701)に、士科の受驗のために初めて故 を離れ、
洛陽に赴くときの作。張九齡は長安二年(702)に第したが、當時の 考功員外は沈期。張九齡の生の事跡を記した徐の「始興開國伯文 獻張公銘」には「考功沈期尤激揚、一擧高第」〔考功沈期の尤 も激揚するにして、一たび高第に擧げらる〕とある。頷聯に「aB變格聯」
が見られるほか、首聯上句と尾聯下句の B式第三字がいずれも拗字、ま た頸聯上句に「仄三」がある。
「使湘水」(「使ひして湘水にる」)
歸舟宛何處 正値楚江 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
夕逗村宿 浦樹行 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
于役已彌 言旋今 a式:○●●○●/B式:○○○●◎
郊千里 流目雲生 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
(歸舟 何れの處にか宛とどまる/正に楚江のらかなるに値あふ=
夕に村に逗 じて宿り/に浦樹に縁よりて行く=
于役 已に彌ひさしく/言ここに旋かへれば 今 にふ=
郊〔故 〕 ほ千里/流目すれば〔見渡せば〕雲生ず)
開元十四年(726)六に、南嶽・衡山に使いし、さらに故 は嶺南の 南に向かおうとする時の作。首聯上句と尾聯上句に「挾み」、頸聯に
「aB變格聯」があるほか、頷聯下句と頸聯上句が「失粘」となっている。
4.詠懷
「敍懷二首其一」(「懷ひを敍ぶ二首 其の一」)
讀群史 抗迹 古人 a式:●●●○●/A式:●●○●◎
被!有懷玉 佩印從負" a式:●●●○●/A式:●●○●◎
志合豈兄弟 #行無賤貧 a式:●●●○●/B式:●○○●◎
孤根亦何$ 感激此爲% b式:○○●○●/A式:●●●○◎
中國詩文論叢 第二十九集
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(より群史を讀み/抗迹〔志を高く持して〕 古人をふ=
を被て 玉を懷く有り〔人は、うちに高貴な心を宿しているが、そとは粗末なを ているものだ〕/印を佩ぶるは たきぎを負ひしに從よる〔の朱買臣はい頃 貧しく、 を賣って糊口を凌いだが、後年會稽の太守となり、太守の印を佩 びるようになっても、い頃の苦勞を忘れまいと、當時の粗末な衣をて いた〕=
こころざし志
合するに 豈に兄弟ならんや〔志を同じくするのは何も兄弟ば かりではない〕/道みちおこな行はるれば 賤貧無からん=
孤根 亦た何にからん/
感激して此ここにりを爲す)
不の思いを友人に吐露した、五律二首作の第一首。熊飛氏はこの 詩を、開元四年(716)に左拾の官を辭し、老母を見いに故の韶州 曲江縣へ歸る直の作とする。「失對」が二箇もあり、かなりの破格で あるが、頷聯と頸聯の對偶律は守られている。また首聯下句と頷聯下句 の A式は、いわば「挾み仄」ともいうべき形態になっており、張九齡の 五律中ここにのみ見える。頸聯は「aB變格聯」、尾聯上句は「挾み」
である。
「雜詩五首其三」(「雜詩五首 其の三」)
良辰不可 心賞更蹉 b式:○○●●●/A式:○●●○◎
日塊然坐 有時勞歌 a式:○●●○●/B式:●○○●◎
庭攬 江上托波 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
路無能 憂空復多 a式:●●○○●/B式:○○○●◎
(良辰 ふ可からず〔よい日和に惠まれることは稀であり〕/心賞 更に 蹉たり〔心に宜しきことどももまた得いものだ〕=
日 塊然として坐 せば〔ひねもすぽつねんと部屋に居れば〕/時有りてか勞歌ふ〔時に役夫 の歌聲が聞こえてくる〕=
庭 を攬り/江上 波に托す=
路くし て能くする無し/憂 空しく復た多し)
開元十五年(727)、洪州の刺史であった頃の作。官!のなかなか思わ しくないことを"く詩であろう。首聯上句に「仄三」、頷聯に「aB變 格聯」、頸聯上句に「挾み」が見える。
「晨出郡舍林下」(「晨に郡舍の林下に出づ」)
晨興#北林 蕭散一開襟 B式:○○●●◎/A式:○●●○◎
復見林上 娟娟未沈 a式:●●○●●/B式:○○○●◎
片雲自孤 叢筱亦深 b式:●○●○●/A式:○●●○◎
無事由來貴 方知物外心 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
(晨に興おきて北林をみ/蕭散 一たび襟を開く=
復た見る 林上のの/
娟娟としてほ未だ沈まざるを=
片雲 自おのづから孤にして/叢筱〔群生する しのだけ〕亦た深なり=
無事なるは由來貴し/方まさに知る 物外〔世外〕の 心)
開元二十五年(737)四、監察御史の子諒が玄宗の鱗に觸れて杖 されると、その當時、書右丞相の位にあった張九齡もの推人で あったと見なされたことから、その責任を問われ、荊州大督府の長史 に左された。張九齡とその政敵・李林甫との確執が、この背景にはあっ た。この五律は張九齡が荊州で詠んだものとされるが、なるほど、拂曉 の配のを眺めつつ散策する張九齡のを彷彿させる作品である。頷 聯は上句の第四字と下句の第三字を拗した特な形(a式:●●○●●/
B式:○○○●◎)で、王力氏はこれを「丑特殊形式」と呼んだ。張九 齡の五律中、この形態が現れるのはここのみであるが、後するとおり、
王維の五律中には複數例出現する。なおこの聯は對偶律も守られていな いが、上下句の敍が一貫していれば、頷聯に限って許される、「蜂體」
と呼ばれるもの(5)。
5.挽歌詞
「故刑部李書挽歌詞三首其一」(「故刑部李書の挽歌詞三首 其の一」)
仙宗出趙北 相業山東 b式:○○●●●/A式:●●●○◎
明嘗爲禮 嘉謀作忠 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
論經白虎殿 獻賦甘泉宮 b式:○○●●●/A式:●●○○◎
與善今何在 生已空 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
(仙宗せんそう〔老子になる李乂どのの家系は〕 趙北に出で/相しやう業げふ〔宰相として の李乂どのの家業は〕 山東よりこる=
明 嘗て禮を爲し/嘉謀 ば 忠を作なす=
經を論ず 白虎殿〔儒たちが洛陽の白虎觀で經學を論じた故事。
もって李乂の學識の高さを讃える〕/賦を獻ず 甘泉宮〔の揚雄が甘泉宮 で『甘泉賦』を獻じた故事。もって李乂が時世を諷喩する度胸のあったこと を讃える〕=
善に與あたふ〔善人に壽を與える天のようなお方〕 今 何いづく にか在る/生 み已に空し〔李乂どのに託された人びとのみも、いま 中國詩文論叢 第二十九集
(36)
では空しいものになってしまった〕)
開元四年(716)正、刑部書の李乂がくなった時に、張九齡が詠 んだ挽歌詞三首作の第一首である。挽歌詞のは嚴肅な容であるか ら、常は詩律を 守して作られるものだが、この五律は首聯上句に
「仄三」、頸聯は建物の名の平仄をそのまま用いたために、「仄三」+
「三」の組み合わせとなっている。
「故刑部李書挽歌詞三首其三」(「故刑部李書の挽歌詞三首 其の三」)
永歎常山寶 沈埋京兆阡 a式:●●○○●/B式:○○○●◎
同盟會五 表記千年 b式:○○●●●/A式:○●●○◎
渺漫野中 茫空裏 a式:●●●○●/B式:○○○●◎
共悲人事 唯對杜陵田 b式:●○○●●/A式:○●●○◎
(永く歎ず 常山の寶〔趙の子が常山=恆山=に隱したという寶符を、毋 恤が代州=山西省北部一帶の地=のことであろうと言い當てた故事に基づく。
ここでは李乂の賢を讃え、その去をいていう〕/京兆の阡みちに沈埋せるを= 同盟 五に會し〔古代には、ある侯がくなると、同盟國は五に會合 した〕/表 千年を記す=
渺漫たり 野中の/茫たり 空裏の= 共 に悲しむ 人事のゆるを/唯だ對す 杜陵の田に)
上記作のうちの第三首。頷聯に「仄三」、頸聯には「aB變格聯」
が出ている。張九齡の五律が詩律上、かなり大らかに作られていること が、こうした挽歌詞からもよく窺われよう。「仄三」の多用と、「aB變 格聯」の使用とが、張九齡の五言「拗律」の特として、まずげうる であろう。
【補】張九齡の五律における「失粘」「失對」の例
さて、さきにげた「陽韋明府」詩、「使湘水」詩、「敍懷二首 其一」詩に見られたように、張九齡の五律には「失粘」「失對」がやや目 に付く。これを初の律詩未熟期の余波と考えることもできようが、
張九齡本人の風格とも相い關するのではないかと筆には思われる。
「失粘」「失對」の例はまだまだあるので、以下ではそれらを集中に見 てみたい。
「姚事入蜀各賦一物得卜肆」(「姚事の蜀に入るをる おのおの各 一物を賦 し 卜肆を得たり」)
蜀嚴已久 沈冥空思 b式:●○●●●/B式:○○○●◎
嘗聞賣卜處 憶下簾時 b式:○○●●●/A式:○●●○◎
驅傳應經此 懷賢儻問之 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
歸來事 偶心期 b式:○○●●●/A式:●●●○◎
(蜀の嚴〔卜筮で名を馳せた、いにしえの蜀の人・嚴君は〕 して已に 久し/沈冥 思ふ所ひと空し=
嘗て聞く 賣卜の處〔嚴君はにおいて、卜 筮で一日の收入が得られると〕/ほ憶ふ 下簾の時〔簾を下ろして店を閉 め、『老子』をじたということである〕=
傳を驅れば 應に此ここを經つべし
〔君も馬車を驅って蜀に入れば、きっとの店の跡を經るだろうし〕/賢を 懷へば 儻あるいは之を問はん〔賢人はいないかと思うにつけ、嚴君の事跡を問 いたくもなるだろう〕=
歸來せば 事をかん〔そしていずれへり、
蜀での經驗を私たちにいて聞かせるだろう〕/ として心期〔知己の意〕
に偶あへりと〔確かに知己=嚴君=とってきたのだぞと〕)
「答陳拾竹簪」(「陳拾が竹簪をらるるに答ふ」)
與君嘗此志 因物復知心 b式:●○○●●/A式:○●●○◎
我鐘龍 非無玳瑁簪 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
幽素宜相重 雕豈任 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
爲君安首 懷此代金 b式:●○○●●/A式:○●●○◎
(君と此の志を嘗ためすに〔君とその素志を確し合うのに〕/物に因りて復た 心を知る〔り物が、その本心を明かしてくれることもある〕=
我にる 鐘龍の〔君が私に鐘龍竹の簪をってくれたのは〕/玳瑁の簪無きに非ず
〔別に玳瑁製の簪を購あがなえなかったからではなかろう〕=
幽素〔素朴さ〕 宜し く相ひ重んずべし/雕〔やかさ〕 豈に任ゆるすならんや=
君が爲に首 を安すえんに〔禮として、君に簪をあつらえたいと思うにつけ〕/此が金 に代かはらんことを懷ふ〔この竹製の簪が、良質の金にも値する、かけがえの ないり物だと氣づくのである〕)
詩は開元元年(713)以に京に任官していた頃の作。「姚事」に ついては未詳。諧謔味を帶びた快な五律であるが、首聯上下句に
「失對」が見られる。後詩は開元の初め、左拾であった頃、右拾の陳 貞という同僚から竹製の簪をられ、それに答えた五律である。頷聯
中國詩文論叢 第二十九集
( 38)
下句と頸聯上句とのに「失粘」が見られる。
「楊府李功曹」(「楊府の李功曹をる」)
生屬良友 結綬光輝 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
何知人事拙 相與宦非 b式:○○○●●/A式:○●●○◎
別路穿林盡 征帆際歸 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
居然已多意 況復兩 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
(生 良友に屬あひ/綬を結びて光輝をむ〔二人して仕官しながら、榮はえあ る將來を見たものだ〕=
何ぞ知らん 人事拙なく/相ひ與ともに宦非なるを= 別路 林を穿ちて盡き/征帆 に際いたりて歸る=
居然 已に意多し/況んや 復た兩違たがふをや)
「林亭寓言」(「林亭の寓言」)
林居逢晏 物使多 b式:○○○●●/A式:●●●○◎
不時與 芬榮奈汝何 a式:○●●○●/B式:○○●●◎
更憐籬下 無如松上蘿 b式:●○○●●/B式:○○○●◎
因依自有命 非是陽和 b式:○○●●●/A式:○●●○◎
(林居 晏に逢ふ/物にへばをして多から使む=
か う し
〔香〕 時に 與あづか
らず/芬榮〔美しい〕 汝を奈何せん=
更に憐む 籬下のの〔=才 あるら=が低位におり〕/松上の蘿に如しく無きを〔蘿=つまらぬら=に 先を越されていくのを憐れむ〕=
おのづ自
から命めい有るに依るに因りて〔しかしこれ もまた命のなせるわざであって〕/是れ陽和をつるに非ず〔春のかい 日差し=天子の愛=に惠まれなかったわけではないのだ〕)
詩は開元四年(716)に官を辭して故へ歸ろうとする頃の作。「良 友」の李某(未詳)同樣、世渡り下手でうだつの上がらぬおのれ自身を く詩である。詩題にある「楊府」というのは揚州の大督府の意。また 李某の職位である「功曹」とは功曹參軍のことで、正七品下の官であっ た。この詩、首聯下句と頷聯上句のに「失粘」が見られる。後詩は同 じ開元四年(716)の、故に居しながら不をかこっていた頃の作。
頸聯に「失對」が見られるが、對偶上は「流水對」になっている。
「故刑部李書荊谷山集會」(「故刑部李書の荊谷山に集會す」)
嘗聞繼老 身 彌耽 B式:○○●●◎/A式:○●●○◎
結宇倚壁 疏泉碧潭 a式:●●●○●/B式:○○○●◎
苔石隨人古 寄酒酣 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
山光紛向夕 歸興杜南 b式:○○○●●/A式:○●●○◎
(嘗て聞く 老〔=老子〕を繼ぐと/身はきて に彌いよいよ耽る= 結びし 宇は壁に倚り/疏まばらなる泉は碧潭にく=
苔石 人の古りたるに隨ひ/
酒の酣なるに寄す=
山光 紛として夕に向かふ/歸興杜の南)
「三三日申王園亭宴集」(「三三日 申王が園亭に宴集す」)
稽亭事 聞 b式:○○○●●/A式:○●●○◎
飛閣凌樹 池雲 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
藉人留 銜鳥赴群 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
向來同賞處 惟恨碧林 b式:●○○●●/A式:○●●○◎
(稽亭〔會稽山陰の亭。ここでは申王の園亭に比する〕 事をい/
〔の梁孝王・劉武が水のほとりにった庭園。現・河南省丘市。
ここでは申王の園亭に比する〕 聞に勝まさる=
飛閣 樹を凌ぎ/池に 雲つ〔池のおもてに夕燒け雲が映っている〕=
を藉しきて 人 を留め
/を銜みて 鳥 群に赴く=
向來 同ともに賞めづる處/惟だ恨む 碧林のず るを)
詩は開元七年(719)ごろの作。熊飛氏はこの「刑部李書」を、李 乂ではなく、李日知のことではないかとする。荊谷山とは長安萬年縣の 東南にあった山の名で、李日知はここに池亭をえ、後を れては談 笑し、酒宴を催すなどしていたらしい。頷聯下句と頸聯上句の!に「失 粘」があり、頷聯には「aB變格聯」が出ている。後詩も開元七年(719) ごろの作。申王とは睿宗の第二子、李"のことであり、玄宗の兄にあた る。詩同樣、頷聯下句と頸聯上句との!に「失粘」がある。開元初期 の張九齡の五律には、こうした粘法・反法からの#$がしばしば見られ る。
「奉和%制&'陝州作」(「%制『&に陝州に次やどりて作る』に和し奉る」)
馳 當河陝 陳詩問國風 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
川原三晉別 襟帶兩京同 b式:○○○●●/A式:○●●○◎
後殿函關盡 旌闕塞( a式:●●○○●/B式:○○●●◎
行省洛陽陌 光景麗天中 a式:○●●○●/A式:○●●○◎
中國詩文論叢 第二十九集
( 40)
(馳〔天子の專用〕 河陝〔陝州〕に當り/陳詩 國風を問ふ= 川原 三晉別れ〔川の流域一帶はかつて晉と呼ばれたが、韓・魏・趙の三卿が侯 となって分裂した〕/襟帶 兩京同ひとし〔山川がとりまくの地という意味 では、長安も洛陽も同じである〕=
後殿に函關〔=函谷關〕盡き/旌 闕 塞〔洛陽の南にあった山の名。伊闕ともいう〕にず=
行きて洛陽の陌みちを省み れば/光景 麗天の中うちならん)
この詩は開元十二年(724)十一、玄宗の洛陽への行幸に隨從した 中、河南の陝縣に立ち寄ったときの奉和 制の五律であり、當時張九齡 は中書舍人の身分であった。頸聯下句と尾聯上句とのに「失粘」が、
尾聯に「失對」が見られる。奉和 制の五律にこのような仄律上の があることをどう解釋すべきか。思えば、頭にげた「奉和 製經 孔子舊宅」(開元十三年作)も、仄上かなり自由な詠みぶりの五律であっ た。筆はこれらの現象を、直諫の士でもあった張九齡という詩人の、
韻律の型にとらわれぬ、大らかな風格のであると見なしたい。下に げる玄宗の原詩は、正格と呼びうる端正な五律である。時はすでに開 元中期、體詩の韻律は十分に熟していたと考えられる。
【參考】玄宗〔李基〕 制「陝州」(「に陝州にやどる」)
境出三秦外 分二陝中 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
山川入 風俗限西東 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
樹古棠陰在 餘讓空 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
鳴笳從此去 行見洛陽宮(6)b式:○○○●●/A式:○●●○◎
(境は出づ 三秦の外/は分かる 二陝の中=
山川 ・に入り/風俗 西東を限る=
樹は古りたるも棠陰在り〔燕の召公は棠の樹陰で政務を執り、
人民はその善政をって、召公の後も樹を伐らなかったというし〕/は 餘のこ
るも讓空し〔かつて が作をすると、農民たちはお互いに作地を讓 り合ったというが、!に果たして、それほどの"量があるであろうか〕=
鳴 笳 此從ここ より去る/行きて見ん 洛陽の宮)
(三)王維の五言「拗律」とその特
續いて、王維の五言律詩計102首における拗字の出現#況を細かく見て ゆく。作詩の時期や場、詩の$容にも留意するのは、張九齡の五律を 分析したときと同樣である。以下、應制・應%、&答・應酬、閑居、'
別、その他のジャンルに分けて論をめる。底本にはの趙殿の『王 右丞集箋』(上:上古出版 2007年10 )を用い、かつ陳鐵民氏の
『王維集校』(四冊)(北京:中書局 2008年7 )および入谷仙介氏の
『王維究』(東京:創文 1976年3 )を參照したが、詩の訓讀や日本語 譯は筆が私に施した。なお、王維の五律には特殊な對偶表現がしばし ば見られるので、末尾に補を立て、別論ずることにした。
1.應制・應
「奉和製賜史供奉曲江宴應製」(「製『史供奉に曲江の宴を賜ふ』に和し 奉る 應制」)
侍從有鄒枚 瓊筵就水開 A式:●●●○◎/B式:○○●●◎
言陪柏梁宴 新下建章來 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
對酒山河滿 移舟樹迴 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
天文同麗日 景惜行杯 b式:○○○●●/A式:●●●○◎
(侍從に鄒・枚有り〔初の鄒陽と枚乘のごとく文學に長じた、翰林供奉の 史どののような侍臣がおられる〕/瓊筵 水に就きて開く=
言ここ
に柏梁〔の 武が建てた柏梁臺〕の宴に陪し/新たに建章〔の武が長安の西に建 てた宮殿〕より下りて來たる=
酒に對すれば〔圍は〕山河に滿ち/舟を移 せば樹迴めぐる=
天文 麗日を同ともにす〔折しも麗らかな日和に惠まれたので〕
/景〔日脚〕をめて行杯を惜しまん〔時をれて、心ゆくまで杯をらせ たいものだ〕)
開元二十五年(737)の作といわれる應制詩である。詩題に見える「供 奉」とは詔敕のを掌る翰林供奉のことであるが、史某という人物は 未詳。なお、王維の應制の五律はこの一首しかなく、殘りの應制詩は五 言排律に十一首、七言律詩に一首ある。頷聯上句に「挾み」があるほ かに特に拗字は見あたらないが、頷聯「言 陪-柏梁宴/新 下-建章 來」(7)
の「宴」「來」二字の對偶性がややいように思われる。
「從岐王楊氏別業應」(「岐王に從ひて楊氏が別業に過よぎる 應」)
楊子談經 淮王載酒 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
興闌啼鳥換 坐久 多 b式:●○○●●/A式:●●●○◎
逕轉迴銀燭 林開散玉珂 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
嚴時未! "路擁笙歌 b式:○○○●●/A式:○●●○◎
中國詩文論叢 第二十九集
(42)
(楊子〔の揚雄。ここは別業の人・楊氏を指す〕 經を談ぜし/淮 王〔の淮南王劉安。ここでは岐王に比する〕 酒を載せて過よぎらる=
興 闌たけ
て啼鳥換はり/坐久しくして多し=
逕は轉じて銀燭迴めぐり/林は開きて 玉珂散ず〔林の切れるところで、參列 たちは馬に乘って散會してゆく〕= 嚴 時 未だかず〔未明の門は堅く閉ざされたままだが〕/路 笙歌 を擁ようす〔岐王のお付きの たちは、伍の先頭で囃し歌にまだ打ち興じてい る〕)
開元八年(720)頃に長安で作られた應詩である。岐王・李範は睿宗 の第四子で、玄宗の弟。應詩もまた王維の五律中には極めて少なく、
この詩を含めて二首(もう一首は「從岐王夜讌衞家山池應」詩)しかない が、二首ともに仄律、對偶律のいずれに照らしても正格に屬する。
2.答・應酬
「喜三至留宿」(「三の至りて留宿するを喜ぶ」)
門洛陽客 下馬拂征衣 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
不枉故人駕 生多掩 a式:●●●○●/B式:○○○●◎
行人深巷 積帶餘暉 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
早同袍 高車何處歸 a式:●●○○●/B式:○○○●◎
(門 洛陽の客〔詠を指す〕/馬を下りて征衣を拂ふ=
故人の駕を枉げ ざれば〔知人とてめったにここには立ち寄らないので〕/生 多くを掩おほ ふ〔ふだんはだいたい門を閉ざしたままにしている〕=
行人 深巷にり/
積 餘暉を帶ぶ=
早 袍を同ともにせし 〔幼なじみである君よ〕/高車 何れの處にか歸る〔車など仕立てて、一體どこへ歸るつもりか。慮なく、
ここに泊まってゆきたまえ〕)
開元十三年(725)、竹馬の友である詠がれて官吏となり、齊州
(現・山東省濟南市)に赴任する、王維が左されていた濟州(現・山 東省濟縣)に立ち寄り、その宿舍に泊まった際に、王維が詠にった 五律である。首聯上句と頸聯上句に「挾み」が見え、かつ頷聯は「aB 變格聯」であるが、この聯「不 枉-故人駕/生 多 掩-」は明らかに 對偶律をしている。
「寄荊州張丞相」(「荊州の張丞相に寄す」)
思竟何在 悵深荊門 b式:●○●○●/A式:●●○○◎
擧世無相識 身思舊恩 a式:●●○○●/B式:○○○●◎
方將與農圃 藝植老邱園 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
目盡南飛鳥 何由寄一言 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
(思ふ所ひと 竟つひに何いづくにか在る/悵すれば荊門深し=
世を擧げて相識〔知人〕
無く/身をふるまで舊恩を思ふ= 方まさ
に將まさに農圃〔ここは農夫の意〕と/藝 植〔植え付け〕して邱園に老いんとす=
目は盡く 南飛せる鳥〔南へ歸る鳥 は、界の外にえてしまった〕/何に由つてか一言を寄せん)
開元二十五年(737)に荊州大督府の長史に左された張九齡を思っ て詠んだ五律である。王維は開元二十三年(735)頃、當時中書令であっ た張九齡に 擢されて右拾の官に就いたことから、生その「舊恩」
れがたいものがあった。首聯は「挾み」と「三」の取り合わせ、
頸聯上句にも「挾み」がある。
「酬部蘇員外田別業不見留之作」(「部蘇員外が田別業に過よぎり留 まら見れざるの作に酬ゆ」)
貧居依谷口 喬木帶村 b式:○○○●●/A式:○●●○◎
石路枉迴駕 山家誰候門 a式:●●●○●/B式:○○○●◎
漁舟膠凍浦 獵火燒原 b式:○○○●●/A式:●●●○◎
惟有白雲外 疎鐘夜猿 a式:○●●○●/B式:○○●●◎
(貧居 谷口に依り/喬木 村を帶ぶ=
石路 枉げて駕を迴めぐらす/山家 誰か門に候またん=
漁舟 凍浦に膠つき/獵火 原を燒く=
惟だ白雲の外/疎 鐘に夜猿を間まじふる有るのみ)
陳鐵民氏によれば、天寶十一載(752)後の作という應酬の詩である。
ただし部員外の蘇某については未詳。頷聯は「aB變格聯」であり、
かつこの聯「石路 枉 迴-駕/山家 誰 候-門」の「枉」「誰」二字の對偶 性がややいが、首聯「貧居 依-谷口/喬木 帶-村」が對句となって いるため、ここは「偸春體」(8)と見なすことができる。なお、頸聯下句の
「燒」の字は、「野燒き」を意味する場合には去聲(嘯韻)に讀む。王維の 答・應酬の五律には、應制・應のそれとなり、自由な拗字の配置 と、對偶上のやかさが見られる。
中國詩文論叢 第二十九集
( 44)
3.閑居
「淇上事田園」(「淇上の事 田園」)
屏居淇水上 東野曠無山 b式:●○○●●/A式:○●●○◎
日隱桑柘外 河明閭井 a式:●●○●●/B式:○○○●◎
牧童村去 獵犬隨人 b式:●○●○●/A式:●●○○◎
靜亦何事 荊乘晝關 a式:●●●○●/B式:○○○●◎
(屏居す 淇水の上ほとり/東野 曠むなしくして山無し=
日は隱る 桑柘の外/河は 明るし 閭井〔村里〕の=
牧童 村をみて去り/獵犬 人に隨ひてる= 靜〔隱。王維自身をいうか〕 亦た何事ぞ/荊 晝に乘じて關とざせる)
開元十六年(727)頃、淇水(河南省北部を流れる川)のほとりに隱棲し ていたときの作。仄律上、王維の五言「拗律」の 特を集したと もいうべき作品である。すなわち頷聯はいわゆる「丑特殊形式」、頸聯 は「挾み」+「三」の取り合わせ、尾聯は「aB變格聯」であって、
代表な變格の形態をほぼ羅している。對偶上の問題はなく、頷聯・
頸聯ともに名高い對句である。
「歸嵩山作」(「嵩山に歸りて作る」)
川帶長 車馬去閑閑 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
流水如有意 禽相與 a式:○●○●●/B式:●○○●◎
臨古渡 日滿秋山 b式:○○○●●/A式:●●●○◎
迢遞嵩高下 歸來且閉關 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
(川 長を帶び〔らかな川の流れは、長々となる木のみをめぐ り〕/車馬 去ること閑閑たり=
流水 意有るが如し/禽 相ひ與ともにる= 古渡に臨み/日 秋山に滿つ=
迢遞たり 嵩高〔=嵩山〕の下/歸 來して且しばらく關を閉ざさん)
王維は開元二十二年(734)に洛陽にあって、當時中書令であった張 九齡に引きを求める詩「張令公に上る」を獻ずるなどしていたが、同年 秋には嵩山に歸隱したという。この詩はその頃のものであり、つとに名 詩のれ高いが、頷聯に實は「丑特殊形式」が見えており、しかもこ の聯「流水 如 有-意/禽 相 與 」の下三字の對偶性がややく感 じられる。
「歸川作」(「川に歸りて作る」)
谷口疎鐘動 漁樵稍欲稀 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
悠然山 獨向白雲歸 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
菱蔓定 楊輕易飛 a式:○●●○●/B式:○○○●◎
東皋春色 惆悵掩柴 b式:○○○●●/A式:○●●○◎
(谷口に疎鐘動き/漁樵 稍やうやく稀ならんと欲す=
悠然として山れ/獨り 白雲に向かひて歸る=
菱蔓 くして定めく/楊 輕くして飛び易し= 東皋〔川の東岸の意か〕 春の色/惆悵して柴 を掩おほふ)
王維は遲くとも天寶三載(744)には宋之問の有であった田の別墅 を買い取り、ここに「川別業」を營み始めたという。頷聯「悠然 山 /獨 向-白雲 歸」は明らかに對偶律を失しており、頸聯は「aB變格 聯」である。
「黎拾裴廸見秋夜對雨之作」(「黎拾きん・裴廸ぎらる 秋夜 雨に 對しての作」)
促織鳴已 輕衣行向重 a式:●●○●●/B式:○○○●◎
燈坐高 秋雨聞疎鐘 b式:○○●○●/A式:○●○○◎
白法狂象 玄言問老龍 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
何人蓬徑 空愧求羊蹤 b式:○○●○●/A式:○●○○◎
(促織〔こおろぎ〕鳴くこと已にに/輕衣 行くゆく重ぬるに向かふ〔輕 裝から徐々に重ねする季になってきた〕=
燈 高に坐し/秋雨 疎 鐘を聞く=
白法〔善行〕 狂象〔念〕を調ならし/玄言〔家の言〕 老龍〔=
老龍吉。『子』知北篇に見える古代の得の人〕に問ふ=
何人か蓬徑を みん〔誰が私のいぶせきまいなどをみようぞ〕/空しく愧づ 求羊の蹤あと
〔古代の隱・の庵をしばしば訪れた羊仲と求仲にも比すべきお二人=
黎と裴廸=のご來駕には、なんとも忝なく思われることよ〕)
これも川での作とされ、秋夜の雨の中を右拾の黎と友人の裴廸 とがわざわざ別を訪ねてくれたことを喜ぶ五律である。首聯に「丑 特殊形式」、頷聯と尾聯には「挾み」と「三 」の取り合わせが見ら れ、ともに王維の五言「拗律」に特!"な形態である。
中國詩文論叢 第二十九集
( 46)
「汎陂」(「陂に汎ぶ」)
秋空自明迥 況復人 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
暢以沙際鶴 之雲外山 a式:●●○●●/B式:○○○●◎
澄波澹將夕 方閑 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
此夜任孤棹 夷 殊未 a式:●●●○●/B式:○○○●◎
(秋空 自おのづから明迥たり/況んや復た人じんかんにきをや=
くつろ暢
ぐに沙際の鶴を以 てし/之を雲外の山にぬ=
澄波澹たんとして將に夕ならんとし/しろくして 方に閑のどかなり=
此の夜 孤棹〔一人で乘る小舟〕に任まかす/夷 い い う〔= 豫〕して 殊に未だらず)
これも川に閑居していた時期の作とされる五律である。首聯上句と 頸聯上句に「挾み」。一首の中に「挾み」を多用するのも、王維の五 律の特の一つにげうる。頷聯には「丑特殊形式」、尾聯には「aB 變格聯」が見える。なお頷聯「暢以-沙際鶴/-之-雲外山」の「以」
「之」二字の對偶性がややく感じられる。
「登裴廸秀才小臺作」(「裴廸秀才が小臺に登りて作る」)
端居不出 滿目雲山 b式:○○●●●/A式:●●●○◎
日鳥邊下 秋原人外閑 a式:●●●○●/B式:○○○●◎
遙知林際 不見此簷 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
好客多乘 應門莫上關 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
(端居 を出でず/滿目 雲山をむ=
日 鳥邊に下り/秋原 人外
〔世外〕に閑しづかなり=
遙かに知る 林の際〔私の川莊があるくの林のあた りからでは〕/此の簷を見ざるを〔この小臺の軒端をむことはできない ことが、ここに登って分かった〕=
好客 多くに乘ず〔上客はよく夜に 乘じて出かけてくるものであるから〕/應門〔門番よ〕 關を上とざすこと莫か れ)
陳鐵民氏はこの詩も川での作ではないかとする。ならば裴廸の小臺 は、王維の川莊からはまれなくとも、そうくない離にあったよ うだ。頷聯の寫はことに有名であり、對偶性にも問題はないが、ここ に實は「aB變格聯」が使われている。また、頸聯「遙 知-林際/不 見-此簷」も對偶性にほぼ問題はなく、しかも「流水對」をなしており、
かつ上句の「挾み」もほどよいアクセントになっている。
4.別
「岐州源長史歸」(「岐州の源長史の歸るをる」)
握手一相 心悲安可論 a式:●●●○●/B式:○○○●◎
秋風正蕭索 客散孟嘗門 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
故驛槐里 長亭下槿原 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
征西舊旌 從此向河源 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
(握手 一たび相ひれば/心悲しみ 安んぞ論ず可けんや=
秋風 正に蕭 索たり/客は散ず 孟嘗の門〔孟嘗君の客はその門をあとにする。王維の 上官であった故・崔希常侍を孟嘗君に、源某を客に喩える〕=
故驛 槐 里〔の京兆府興縣の古名〕にじ/長亭 槿原〔咸陽附 にあった亭の 名か〕に下る=
征西〔河西度使であった崔希〕の舊旌〔を持した源長 史は〕/此ここ從より河源〔河の源〕に向かふ)
開元二十六年(738)秋、長安にて、岐州(現・陝西省鳳附 )の長史 であった源某(未詳)が任地に歸るのをる五律である。首聯に「aB變 格聯」が、頷聯上句と尾聯上句に「挾み」が出ている。なお、頷聯
「秋風 正 蕭索/客 散 孟嘗門」は明らかに對句になっていない。
「錢少府田」(「錢少府の田にるをる」)
色日向好 桃源人去稀 a式:●●●●●/B式:○○○●◎
手持子賦 目老莱衣 b式:●○○●●/A式:●●●○◎
候山櫻發 時同燕歸 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
今年酒 應得柴 b式:○○○●●/A式:○●●○◎
(色 日に好よきに向かひ/桃源 人 去ゆくこと稀なり=
手には持つ 子 の賦〔後の張衡が作った「歸田の賦」〕/目もてる 老莱の衣〔春秋時代 の隱士・老莱子が七十にして五の衣をけ、老父母を樂しませた故事 に基づく。錢の歸は老親を見うためでもあった〕=
つね
に山櫻の發ひらくを 候まち/時は燕の歸るに同じ=
今年 の酒/應に柴にるを得べし)
陳鐵民氏はこの五律を乾元二年(759)、給事中復職後の作とする。こ の「錢少府」は錢のことで、かつて田縣の尉でもあったので「少府」
と呼んだ。この詩、首聯が特な形態をなしており、本稿で「上句多仄 聲聯」と呼ぶもの。筆はかつてこの形態を、杜甫の五言「拗律」に特 有のものとして、集中に論じたことがある(拙稿「杜甫の五言『拗律』に
中國詩文論叢 第二十九集
( 48)
ついて(下)」參照)。乾元二年といえば、杜甫も官職をてて秦州に到り、
五言「拗律」を多作し始めた頃に當たる。王維のこの五律も、杜甫のこ の種の變格と同樣、首聯の仄上の甚だしい不均衡を、「色 日 向-好
/桃源 人 去 稀」という對偶均衡により補っている感がある。
5.その他
「雜詩」(「雜詩」)
雙燕初命子 五桃初作 a式:○●○●●/B式:●○○●◎
王昌是東舍 宋玉西家 b式:○○●○●/A式:●●●○◎
小小能織綺 時時出浣紗 a式:●●○●●/B式:○○●●◎
親勞使君問 南陌香車 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
(雙燕 初めて子を命ひきい/五桃 初めてを作つく〔かのように く麗しい乙 女子よ〕=
王昌〔詩にしばしば引かれる色男〕是れ東舍にして/宋玉 西 家に次やどる=
〔梁の武が「河中之水歌」で唱った洛陽の女兒・莫愁のように〕
小小にして能く綺を織り/〔春秋越の國の美女・西施のように〕 時じ時じ 出 でて紗を浣ふ=
親しく勞す 使君の問ひて〔地方長官までもが「この娘は一 體どの家の子か」とじかに身元をね〕/南陌に香車をむるを〔貴女の家 の南のりに、女性用の車を差し向けてくるにちがいない〕)
制作年のよく分からない作品であるが、王維の五言「拗律」の典型 な例としてげておきたい。首聯は對句で、しかも「丑特殊形式」
となっており、頸聯上句にも第四字を仄聲にした形が見える。頷聯上句 と尾聯上句に「挾み」を同時に置く形態は、の「黎拾裴廸見 秋夜對雨之作」詩、「岐州源長史歸」詩にも見えた。
「使至塞上」(「使ひして塞上に至る」)
單車欲問邊 屬國居 B式:○○●●◎/A式:●●●○◎
征蓬出塞 歸雁入胡天 b式:○○●●●/A式:○●●○◎
大孤烟直 長河日圓 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
蕭關逢候騎 在燕然 b式:○○○●●/A式:○●●○◎
(單車にて邊を問はんと欲し〔單身、邊境を訪おとなおうとし〕/屬國 居〔古 地名。現・蒙古自治〕をぐ=
征蓬 塞を出で/歸雁 胡天に入る= 大に孤烟直なほく/長河に日圓まどかなり=
蕭關〔古關名。現・ 回族自治
〕 候騎〔物見の騎兵〕に逢へば/ 燕然〔古山名。現・モンゴル人
民共和國〕に在りと)
開元二十五年(737)に、王維が初めて涼州に至った時の作とされ、
はなはだ有名な五律であるが、實は首聯下句と頷聯上句に「失粘」が見 られる。王維の五律において粘法をえた箇はここのみである。なお、
『文』卷二百九十六はこの詩の首聯を「銜命辭天闕/單車欲問邊」
(a式:○●○○●/B式:○○●●◎)に作るが、それならば「失粘」にな らず、端正な五律となる。『文』は北宋の雍煕三年(986)に っ たものだが、當時の詩律觀に照らして、大詩人・王維の五律にこのよう な「失粘」があることを訝る向きがあったのではないかと、筆はひそ かに考える。
【補】王維の五律に見られる特殊な對偶表現の例
さて、の「奉和製賜史供奉曲江宴應製」詩、「酬部蘇員外 田別業不見留之作」詩、「喜三至留宿」詩、「歸嵩山作」詩、「歸川作」
詩、「汎陂」詩、「岐州源長史歸」詩に見られたとおり、王維の五律 の頷聯は、しばしば對偶律にあまり拘泥せずに作られている。このほか、
首聯を對句に仕立ててしまい、代わりに頷聯の對偶性を放棄する「偸春 體」や、首聯・頷聯・頸聯をみな對句にしてしまうもの、「流水對」を驅 使したものなど、王維の五律の對偶表現はなかなか變に富む。以下で はそうした對偶上の特な例を見てみよう。
「川閑居裴秀才廸」(「川に閑居す 裴秀才廸にる」)
山轉 秋水日潺湲 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
倚杖柴門外 臨風聽(9) a式:●●○○●/B式:○○●●◎
渡頭餘日 墟里上孤烟 b式:●○○●●/A式:○●●○◎
復値接輿醉 狂歌五柳 a式:●●●○●/B式:○○●●◎
(山 轉うたたたり/秋水 日に潺湲たり=
杖に倚る 柴門の外/風に臨 みてを聽く=
渡頭 日餘のこり/墟里 孤烟上る=
復た値あふ 接輿の醉ひ て/五柳のに狂歌せるに)
「同崔興宗公」(「崔興宗の公をるに同ず」)
言從石閣 新下穆陵關 b式:○○●●●/A式:○●●○◎
中國詩文論叢 第二十九集
( 50)
獨向池陽去 白雲留故山 a式:●●○○●/B式:●○○●◎
綻衣秋日裏 洗鉢古松 b式:●○○●●/A式:●●●○◎
一施(10)傳心法 惟將戒定 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
(言ここに石の閣〔南嶽・衡山の石峰にあった樓閣〕從より/新たに穆陵の關
〔古關の名。現・湖北省縣附 〕に下くだる=
獨り池陽〔陝西省の古縣名〕に 向かひて去り/白雲 故山〔衡山〕に留まる=
綻衣 秋日の裏/洗鉢 古松 の=
ひとへ一
に傳心の法を施し/惟だ戒かいぢやう定を將もつてらん)
詩は川での名作であるが、首聯を「山 轉 /秋水 日 潺湲」
と對句にした代わりに、頷聯の對偶律を「倚-杖 柴門 外/臨-風 聽-
」のようにはずしている。後詩は天寶十二載(753)九の作といい、
詩題にある「公」は南嶽・衡山で修行した侶。首聯は「言 從-石 閣/新 下-穆陵關」と讀まれるごとく對句であり、かたや頷聯は「獨 向- 池陽 去/白雲 留-故山」と對偶律をはずしてある。いずれも「偸春體」
を驅使した五律である。
「友人南歸」(「友人の南歸するをる」)
萬里春應盡 三江雁亦稀 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
天水廣 孤客郢歸 b式:○○●●●/A式:○●●○◎
國稻秀 楚人菰米肥 a式:○●●○●/B式:●○○●◎
懸知倚門 遙識老莱衣 b式:○○●○●/A式:○●●○◎
(萬里 春 應に盡くべし/三江 雁 亦た稀なり=
天になりて水廣し
/孤客 郢に歸る=
國〔春秋時代に楚に滅ぼされた國〕 稻秀で/楚人 菰米肥ゆ=
懸はる
かに知る 門に倚りてむを/遙かに識る 老莱の衣)
「賀遂員外外甥」(「賀遂員外の外甥をる」)
南國有歸舟 荊門泝上流 A式:○●●○◎/B式:○○●●◎
茫葭外 雲水與昭邱 b式:○○○●●/A式:○●●○◎
檣帶烏去 江雨愁 a式:○●○○●/B式:○○●●◎
猿聲不可聽(11)莫待楚山秋 b式:○○●●●/A式:●●●○◎
(南國 歸舟有り/荊門 上流を 泝さかのぼる=
茫たり 葭かたん〔あしとおぎ〕の 外/雲水 昭邱〔楚の昭王の〕に與くみす〔なる意か〕=
ほばしら檣
は烏を帶 びて去り/江は雨になりて愁ふ=
猿聲 聽く可からず/楚山の秋を待つ こと莫かれ)
詩は制作年未詳の作。首聯は「萬里 春 應 盡/三江 雁 亦 稀」
という整った對句であるが、頷聯「-天 水 廣/孤客 郢 歸」の
「天」と「孤客」に對偶上、やや無理があるので、「偸春體」となる。
後詩は安祿山の亂以の作という。首聯は「南國 有-歸舟/荊門 泝-上 流」と讀めるとおり對句。その代わり「茫 葭 外/雲水 與-昭邱」
という頷聯は非對偶であるから、やはり「偸春體」になっている。
「 川閑居」(「 川に閑居す」)
一從歸白 不復到門 b式:●○○●●/A式:●●●○◎
時倚簷樹 看原上村 a式:○●○○●/B式:●○○●◎
菰臨水映 白鳥向山 b式:○○○●●/A式:●●●○◎
寂寞於陵子 桔槹方灌園 a式:●●○○●/B式:●○○●◎
(一たび白〔洛陽の東部にあった里の名〕に歸りし從より/復た門〔の 長安の東南にあった門の名〕に到らず=
時に簷の樹に倚り/く原上の 村を看る=
菰 水に臨みて映じ/白鳥 山に向かひてる=
寂寞たり 於 陵子〔=陳仲子。戰國時代の齊の人で、實兄の世話になることをって楚の 於陵に隱れた。もって王維自らに比する〕/桔槹けつかうもて方まさに園に灌そそがん〔陳仲 子の賢を聞いた楚王は、彼を宰相にえようと、使を於陵にわしたが、
陳仲子はその誘いを斷り、田に水をぎに出て行ってしまったという故事に 基づく〕)
「秦皇」(「秦皇をぐ」)
古嶺 幽宮象紫臺 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
星辰七 河九泉開 b式:○○●●●/A式:○●●○◎
有人渡 無春雁不迴 a式:●●○○●/B式:○○●●◎
更聞松韻切 疑是大夫哀 b式:●○○●●/A式:○●●○◎
(古 嶺をし/幽宮〔陵をいう〕 紫臺〔王宮をいう〕に象かたどる= 星 辰 七たり/河 九泉開く〔の天井の壁畫を想像していう〕=
〔水銀で作った〕有るも 人 ぞ渡らん/春無くして 雁 迴かへらず= 更に 聞く 松韻の切なるを/疑ふらくは是れ大夫の哀しめるかと〔始皇が泰山 を封じたときに雨宿りした五大夫松が、哀しみのあまり、痛切な風のを鳴 らしているのかもしれぬ〕)
詩は表題にあるとおり、 川での作。首聯「一 從 歸-白/不 復 中國詩文論叢 第二十九集
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到-門」は對句になっており、頷聯の「時 倚-簷樹/ 看-原上村」
も對偶性に優れる。後詩は王維十五の作というから、開元三年(715) 頃に作られた五律。實家から長安へ赴く中、驪山に立ち寄って詠んだ ものといわれ、頷聯・頸聯のみならず、首聯「古 - 嶺/幽宮 象- 紫臺」もしっかりとした對句である。仄上も頷聯上句に「仄三」が 出ている度であり、ほぼ正格の五律としてよい。王維が實は詩律をよ くわきまえていたことが、こうした作期の律詩からもはっきりと知ら れるのである。
(四)變格形態の種 とその出現 度
以上見てきたように、張九齡の五律にも、王維の五律にも、拗字の現 れる度ははなはだ高く、その上、張九齡は時として句の粘法や反法 に背し、王維はしばしば頷聯の對偶律を、おそらく故意にしてい た。以下では、張九齡と王維の五律に現れた變格の各形態の出現度を 算出し、杜甫と賈島の五律におけるそれと比較しながら、張九齡と王維 の五言「拗律」の特を見極める手立てとしたい。
1.「aB變格聯」(a式:●●○●/B式: ○○●◎)
張九齡 7首/ 84首( 8.3%)
王 維 12首/102首(11.8%)〔※1〕
杜 甫 83首/627首(13.2%)
賈 島 42首/226首(18.5%)
2.「丑特殊形式」(a式:●○●●/B式: ○○●◎)
張九齡 1首/ 84首( 1.2%)
王 維 5首/102首( 4.9%)〔※2〕
杜 甫 12首/627首( 1.9%)
賈 島 4首/226首( 1.8%)
3.「上句多仄聲聯」(a式:●●●●/B式: ○○●◎)
張九齡 0首/ 84首( 0.0%)
王 維 1首/102首( 0.98%)
杜 甫 21首/627首( 3.3%)〔※3〕
賈 島 6首/226首( 2.7%)
4.「仄三」(b式: ○●●●)
張九齡 35首/ 84首(41.7%)〔※4〕