著者 徐 玄九
出版者 法学志林協会
雑誌名 法学志林
巻 110
号 3
ページ 321‑349
発行年 2013‑02
URL http://doi.org/10.15002/00008584
﹁ 韓 国 に お け る 歴 史 認 識 論 争 ﹂
徐
玄 九
はじめに
歴史認識は政治的な性格を多分に含んでいる︒それは︑過去の記慣が現在と未来を規定する側面を強くもっている
からである︒韓国圏内の政治に占める歴史問題の重さはいまさら強調するまでもないことかもしれない︒たとえば︑
二
OO
五年から直武技︿ノ・ムヒョン)政府が推進した﹁真実・和解のための過去史盟理委員会﹂﹁親自民民族行為真相糾明委員会﹂が社会的規模の論争へと発展したことは記儲に新しい︒または︑李明博(イ・ミョンパク)現職大
統領の﹁品﹂(日本名口竹島・韓国名一独品)訪問︑さらには︑次期純国大統領・選挙を目前にして純国与党の大統間
候補・朴櫛思(パク・グンへ)の軍事独裁時代の﹁負の側面﹂
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一九
六一
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権限を強めた﹁維新体制﹂︑民主化運動の弾圧︑具体的には軍事独裁政樹下で行われた﹁司法殺人﹂と呼ばれる﹁人
民革命党再建委員会事件﹂(一九七四年)││に対する認識が問題となり︑﹁負の側面﹂を初めて認め︑被害者やその
﹁締国における歴史認益治争﹂(徐}
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O怠第三号
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歴史問題や領土問題の政治性が政権維持︑または政権交代の﹁武器﹂として用いられた事例は数多いが︑だからと
いって︑幾度も繰り返される歴史認識をめぐる論争を単なる﹁権力争奪戦﹂として片づけることはもちろんできない︒
このような論争がもつもうひとつの重要は意味は︑取り上げられた直接的・間接的主題の再解釈を越えて今後の韓国
社会がめざす方向やどのような社会でありたいのかという根本的な聞いを含んでいることにある︒
そこで本稿では︑純国近現代史研究の現況に総点を合わせ︑時代状況の変化とそれにともなって示された歴史認識
を︑とりわけ近代化と閲迎して﹁ナショナリズム﹂の評価をめぐる論争の主な争点を術者の観点から概括的に盤理し
た上で︑若干の指摘と展望を提起したい︒具体的に検討するものは︑
一九
七
01
八0
年代に韓国の民主化運動時代に大きな影響を及ぼした﹃解放前後史の認識﹄︿一九七九
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八九年)と︑それを批判し韓国の近現代史の﹁再認識﹂を要求した﹃解放前後史の再認識﹄(二
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六年)と︑そして時期を同じくして前の二つが示した﹁認識﹂をともに批判した﹃近代を読み直す﹄(二
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︒
周知のとおり︑ナショナリズムという巨大現象を担えることの困難さは︑ナショナリズムの研究史にみられる古典
的な論争︑すなわち︑民族の永続的性格を強調する﹃原初論(胃
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B﹀﹂と民族を近代の産物とみなす﹁逝
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﹂の対立︑またはその延長線上にある﹁主観主義﹂や﹁客観主義﹂の対立を改めて検討す
るまでもなく︑たとえば︑ベネディクト・アンダーソンが﹃担保の共同体﹄のなかで指摘したナショナリズムに聞す
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る三つのパラドクスを思い浮かぶだけでも容易に想像できる︒そのうえ︑イデオロギーとしてのナショナリズムがそ
れ自体として自己完結的な実体としてではなく︑常に他の多憾な理念との結合体として現れるという事実がナショナ
リズムに閲する議論をより複雑化させている︒
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世紀隣国は︑自力で独立を維持することができず長い植民地支配下におかれた︒その後︑訪れた﹁解放﹂と強いられた分割占領︑そして朝鮮・戦争と分断国家の成立を半世紀にもみたない短い期間のなかで辿鎖的に経験した︒こ
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のような経験のなかで蓄積された﹁恨﹂はナシ冒ナリズムの感情として呼び起こされ︑この感情に支えられた運動と
してのナショナリズムは自己矛盾を抱えながら複雑に展開した︒
たとえば︑植民地支配期には自由主義︑共和主義と結合したナショナリズム運動と︑
一九
二
0
年代からは社会主義と結合したナショナリズム運動の流れもあった︒さらには︑
一九
三
0
年代後半からはファシズムの影響を受けたナショナリズム迎動も登場した︒朝鮮戦争後の分断国家はいずれもナショナリズムを支配イデオロギーとして動員したが︑
とりわけ韓国の場合は﹁反共イデオロギー﹂で武装した軍事独裁政権が︑﹁パノプ・アイコン﹂を仲間微志せるような管
理・監視体制のもと︑国家に忠誠を尽くす﹁国民作り﹂にナショナリズムを最大限動員した︒このような体制は逆説
的だが︑自らを栂対化させる抵抗ナショナリズムを生み︑これが後に血で購った民主化迎動を支えたことは周知のと
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おり
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る︒
このように︑韓国のナショナリズムは︑植民地時代は﹁独立のための理念﹂として︑民主化運動の時代には﹁民主
主義確立のための理念﹂として︑そして今なお続いている分断の時代に﹁統一のための理念﹂として位置付けられて
いた
︒
一九
八
0
年代後半以後︑韓国は民主化運動が一定の成果を上げ︑国外的には現実の社会主義国家別地に始まる脱冷戦とグローバル化という内外的に急辿な変化に直面するなか︑これまでのナショナリズムに対する批判が本格的に服
開Sれた︒現悲韓国におけるナショナリズムに関する論議は﹁近代﹂に対する評価と開辿して大きく三つに分類でき る
﹃純 国に おけ る歴 史忽 識桂 昌争
﹄( 徐}
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法学
中広
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第一
一
O巻
第 三 号
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四
第一は︑抵抗的ナショナリズム擁護論である︒この立場は︑近代歴史学︑社会科学的方法論でナショナリズムを分
析し︑南北の統‑論と民族解放︑民主化︑民衆解放論と結合した﹁抵抗的ナショナリズム﹂の理論を継承しつつ︑ナ
ショナリズムそれ自体がもっ負の側面の克服を目指す立場である︒
第二は︑グローバル化に合わせてナショナリズムからの脱却と︑その対案としていわゆる﹁文明史観﹂を提示する
立場である︒ここにいう﹁文明﹂とは近代資本主義文明を意味し︑﹁無限蹄争﹂を繰り広げている資本主義世界シス
テムの不均等を現実として認め︑その体制のなかで﹁地位上昇﹂を目指す立場をとる︒この立場か・りすれば︑﹁ナシ
ョナリズム﹂にこだわることは有害無益なものでしかない︒
第三は︑ポストモダニズム論の彬曹を強く受けたトランスナシ冒ナリズム論である︒この立場は︑既存の歴史叙述
や現実対応論のナショナリズム的要紫がもっ問題点と虚構性を胤披露して批判する過程で登場した︒師団におけるナシ
ョナリズムは民主主義︑または社会主義と結合したが︑その強烈な原初的性格のためにナショナリズムが他の理念を
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圧倒し︑たとえば︑社会主義理念も﹁人閥解放と社会革命は目標ではなく︑民族解放の達成のための手段﹂と化した
と批判し︑これまでのいわゆる﹁抵抗的ナショナリズム﹂が果たした役割は一定部分認めつつも︑ナショナリズムそ
れ自体の問題点と限界︑危険性を強調し︑ナショナリズムの解体を主張する︒
以下では︑この三つの立場をそれぞれ代表する﹃解放前後史の認識﹄︑﹃解放前後史の再認識﹄︑﹃近代を読み直す﹄
のなかで展開された議論を当時の時代状況の文脈を踏まえながら検討する︒
臣 民 型 政 治 文 化 か ら の 脱 却
│
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﹃ 解 放 前 後 史 の 昭 識
﹄
南北分断と朝鮮戦争を経て︑韓国におけるナショナリズムの理念とその政治的権威は他の価値を圧倒した︒当時の
公式ナショナリズムは反共イデオロギーと結合して﹁韓国H反共主義H民族﹂対﹁北朝鮮日共産主義H反民族﹂とい
う構図をなしていたが︑この﹁反共イデオロギー﹂をかぎして軍事独裁政権が行った弾圧は﹁臓女狩り﹂を情梯させ
るものだった︒このような状況のなかで求められたのは﹁反共﹂と﹁経済発展﹂であり︑他の価値への配慮が欠滞し
たがために︑二の次︑三の次に追いやられた自由や人樹︑民主主義といったものは︑政治社会的現実としてではなく
謹められた現実を訴えるイデオロギーとしてのみ機能し︑﹁閣下﹂の許す範聞でのみ偽善的に存在した︒
しかし︑この等式からは︑民族的同質性が強調されればされるほど︑自己矛盾に陥らざるを碍ない︒なぜなら︑北
朝鮮は同じ民族でありながらも︑民族的同質性を破壊するかもしれない反民続的な存在であり︑民族の生存を品開かす
一帯危険な侵略勢力とみなされていたからである︒すなわち︑北朝鮮は︑民族の内部であると同時に外部でもあり︑
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もっといえば︑北朝鮮の人々に対しては﹁同腕﹂慨念はおろか︑﹁人間﹂としても見ていなかったのである︒
このような﹁民族なき民族主義﹂としての﹁国家主義史学﹂に代わるものとして︑民主化運動が本格化するなか︑
軍事独裁握力に抵抗する民衆的ナショナリズムに正統性を付与した﹁民衆史学﹂が生まれた︒
冷戦体制の最前線を生きざるを得ない現実のなかで︑南北のそれぞれの理念と体制を乗り越えようとする議論が
﹁民族﹂という共通のキーワードをもって活発に鹿閲された︒白楽附(ペク・ラクチョン)の﹃民族文学と世界文学﹄
︿一九七八年﹀︑哨安部吉(カン・マンギル)の﹃分断時代の歴史認識﹄(一九七九年﹀︑朴玄埠(パク・ヒ司ンチこの
﹃民
族経
済論
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一九
八
O
年)など︑人文社会科学者によって提起されたナショナリズム的議論がそれである︒とくに差高吉は︑同書のなかで︑分断時代を克服するための歴史学の課題を﹁統一民族国家樹立に貢献できる﹃史実﹄の研
究﹂︑﹁続一志向的民族主義諦の確立﹂をあげていた︒このような議論がもっていた大きな意味は︑国民に対して﹁白
﹁ぬ凶における医史認扱鈴争﹂(徐)
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法 学 志 鉢 第 二
O巻
第 三 号
一 一 占 ハ
紙委任状﹂を要求する臣民型政治文化からの脱却の試みにあった︒すなわち︑これは多分に理念的ではあったが民衆
をナショナリズムの主体として位置付け直し︑国際的には冷戦︑圏内的には軍事独裁極力による抑圧と民主主義の不
在という一九八
0
年代の政治社会状況を打開するための理論的武器を作り上げたことにある︒これを代表するものが﹃解放前後史の認識﹄(以下︑﹃認識﹄)である︒公式ナショナリズム言説に対する挑戦とい
う側面から﹁下からのナショナリズム﹂に歴史的意味を見出そうとした﹃認識﹄は︑﹁一
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・二六事件(朴正照大統領暗
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一九
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月一五日に第一巻が刊行された︒崖元植(チェ・ウォンシク)によれば︑﹃認識﹄は﹁七
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年代の民主化闘争によって書き直された韓国近現代史論﹂であり︑﹁植民地と解放︑米ソの分館占領と分断国家の出現︑そして綿回戦争(朝鮮戦争)と南北の敵対的共存とい
う一迎の激動の中で維新体制を文脈化しながら︑:・厳重な内外の検閲と戦いながら協識した結果︑獲得した切実な心
の文字で書かれた﹂ものであり︑﹁韓国版﹃深夜叢書﹄﹂とまで評された︒進歩としての歴史に信頼を寄せ︑それをも
って現実の矛盾を批判し︑その現実を変えようとして︑冷戦と軍事独裁の時代に刊行されたこの本は︑解放から六
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年間︑斡国で最も大きな影響を及ぼした本の一つに・選ばれており︑朝鮮半島の統一と民主主義の速成という明確な問
題意職をもって︑民主化運動を支
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︒
﹁内在的発展論﹂を前提としながら韓国の歴史における普週性の発見とその実現を目指していた﹃認識﹄であった
が︑この時期のナショナリズムに関する言説はどれも基本的には血統︑文化︑歴史的伝統の同一一憶を強調する原初的
ナショナリズム観を共有していた︒さらに︑民族を超歴史的範鴎として絶対化したり︑ナショナリズムを道徳的規範
としたりした点においてもその性格を同じくしていた︒とはいえ︑﹃認識﹄が果たした最大の功舗は実賎的な面にお
いて﹁臣民型政治文化﹂を脱する機運を作りだしたことであり︑このことに閲してはいくら強調してもすぎることは
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一九
九
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年代に入り経済的発展と民主化の成功︑さらに現実の社会主義国家の閥横など国内外の歴史的な変化は︑これまでの主流をなしていた変革理論を衰退させた︒この時期に従来の﹁内在的発展論﹂に対抗して登場してきたの
が安乗直に代表される﹁植民地近代化論﹂である︒﹁植民地近代化論﹂の主な主張は周知のとおり︑韓国の経済成長
の理由を植民地下での産業化に求めるものであったが︑それぞれの立場から批判と反批判が繰り広げられた︒この
﹁植民地近代化論﹂は﹃解放前後史の再認識﹄に受け継がれていく︒
2
民族主義からの脱却
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﹃解
放前
後史
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認識
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﹃解放前後史の再認識﹄の性格
﹃解放前後史の再認識﹄(以下﹃再認識﹄)は出版前から主要日刊紙に連日のように取り上げられるなか︑二
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六年二月に刊行された︒この本は︑上下二巻構成で植民地下の一九三
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年代から解放後の一九五九年までを対象に︑ニ八人の論文が掲制された︒出版後間もなく大手掛唐(教保文郎)の人文科学部門ベストセラーになり︑典例的に多数
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の論
評も
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この本に参加した人々の主義主張は︑必ずしも同じではない︒他の編著にもみられる傾向だが︑﹃再認識﹄が一人の
研究者によって箸されたものではなく︑植民地近代化論の系譜に辿なる新保守主義的な
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ポストモダニズムの立場をとる研究者たちによる編著であることから︑全体としては不協和音を奏でている感は百め
﹁綿闘における震史認識論争﹂{徐}
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法 学 志 休 第 二
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このことと関連して韓国文学者の崖元植は﹁読み終わった最初の感想はかなり忠実な選集であったという安堵感で
あった﹂が︑﹁論文を選別した編者たちの紫附らしい見識の高さに比べ︑それらを総括している編者たちの視覚は非
常に鱗線的であり:・この論文選集の編者たちは代表性を過度に行使している﹂として︑編者たちと筆者たちの聞に横
たわる亀裂を指摘した︒また︑季刊誌﹃歴史批評﹄の編集長・林大植(イム・デシク)からは﹁両極端の連帯により
実現されたのは︑反対と批判のための連帯であり︑奇異な反対の連帯を可能にした結節点は︑脱民族と脱民衆﹂であ
るという批判がなされた︒そのほかにも︑鹿市怠f者の金型捕からは﹁分断国家である大鵠民国の正統性に執着し︑・:
独裁の眠史を合理化する論理が過去田端であるという点において時代錯誤的である﹂と批判され︑隣国現代史研究者
の朴泰均からは﹁植民地時期に閲する論議はおおよそ﹃脱民族︑脱国家﹄の論理を示している反面︑解放後に関する
論議は︑あまりにも民族主義的であり︑国家主義的である﹂として﹃再認識﹄の論理矛盾が指摘された︒
数ある評論のなかでもとくに注目されるのは︑﹃認識﹄と﹃再認識﹄両方の執筆者でもある李完範(韓国学中央研
究院教授)からなされた批判であろう︒彼は﹁﹃認識﹄以後の研究成果を反映したこのような本が必要であることに
は共感する﹂が︑﹁﹃認識﹄を左派偏向として蹄倒するなど︑歴史認識に問題があると主張する編集委員たちの指摘は
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日報
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六年二月九日)として同曹の編集者たちを批判した︒これらの歴史認識をめぐる論争は学界に止まらず︑マスコミやインターネットの掲示板などでも議論が交わされた︒
一種の社会現象と化した歴史認識論争は︑このこと自体が社会思想史の一つの研究対象であるが︑それはさておき︑
﹃認識﹄に代表される民主化運動期の﹁学術運動﹂としての学問と︑民主化以後に新しい模索にのり出した今日の学
問との︑辿続と断絶の問題を考える上でも﹃再認識﹄の出版はそれなりの意味をもち︑個別論文で展開されている縞
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論のなかには︑これまでの研究を発展させたものや示唆に富んだものも少なくない︒
さて︑具体的な詰点の検討に入る前に︑同書の出版後に現われた様々な反応について簡単に触れておこう︒その一
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六年二月二日)や﹁歴史の忘却を要求す
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年代末︑韓国社会の理念紬を左に移動させるに帯与したとすれば︑﹃再認識﹄は金大中︑鹿武鑑政府を経て理念軸が左に傾斜したとの判断のもと︑これを右
に移動させようとする意志を明らかにしている﹂(﹃国民日報﹄二
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六年二月九日)などの歓迎と憂慮の声が同時に︐ ︑
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金大中・直武控政府に批判的な﹁ニュlライト﹂にとって﹃再認識﹄は︑﹁その実践を裏付ける歴史認識を提供する
という意味を持っていた﹂と評した︒実際に︑岡曹が出版される二年前に結成された﹁自由主義迎帯﹂(二
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四年
一一月二三日)は︑その倒立宣言文の中で﹁われらの愛する祖国︑大韓民国が絶体絶命の危機に顕している︒自由民
主主義と市場経演という理念的正当性と大韓民国建国の歴史的正統性が執権勢力によって疑問視され︑国家のアイデ
ンティティが掴なわれている
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国民的叡智を集めて先進国の建設へと逃避しなければならないこの無限競争の時代において︑雌武技政備は自虐史観を撒き散らし︑支配勢力の交替と既存秩序の解体のために﹃過去との戦争﹂に自らの
命迎をかけている(防点│引用制どとしながら︑﹁解放前後史の再認識│著者との出会い│﹂という企画を立て
て︑全国を回りながら講演会を聞いた︒また同じ立場から現在の教科書の対案を示すための﹁教科書フォーラム﹂
五年一月)や﹁自由主義教育運動連合﹂(ニ( 二
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五年七月)なども学校の現場から自虐史観を一掃するために悶曹を教壇で積極的に活用することを表明した︒
﹁鈎凶における腿史認織論争﹂{徐}
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法 学 窓 林 錦 二
O巻
第 三 号
三三O
﹃再認識﹄の編集委員の一人︑朴枝番(パク・ジヒャン)が同曹の﹁はしがき﹂で述べた出版動機も右の団体の意
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つまり︑﹁歴史学者の職務放棄﹂とさえ恩わせるほど﹁ひどく歪曲されている﹂韓国社会の歴史認識を
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前後史の認識﹄を指している︒
朴枝番と同じく同曹の編集委員の一人︑李栄駕(イ・ヨンフン)は︑二
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七年に行った﹁座談会論争﹂のなかで阿世の出版動機とその性格について次のように述為︒﹁私がナショナリズムを批判しながら﹃再昭 隣国近現代史
識﹄を刊行し︑﹃教科書フォーラム﹄に関与するようになったのは学問と思想の自闘を抑圧されるかもしれない危機
感からです︒決定的な契機は過去史清算法です︒過去史清算法は植民地収奪論に立脚したものです﹂︒つまり︑解放
後の韓国現代史を否定的に論じたことで︑かえって現実政治に葛藤を誘発し︑社会的分裂を助長したのはほかでもな
く﹃認識﹄であり︑同番による﹁歴史の政治化﹂︑すなわち虚武鑑政権の過去史清算事業に対する度発があったとこ
とから﹁現代史をどのように研究してきたのかということを総体的に捉えたというよりは﹃認識﹄を標的にして批判
するために論文を書いた﹂と告白した︒
我田引水のそしりを免れないかもしれないが︑﹃紹職﹄の﹁再認韻﹂という省察的意味のある言葉に見合った﹁歴
史の再説﹂を目指したならば︑﹃認識﹄から強い能曹を受けた一九八
0
年代の﹁迎助国﹂が帯びていた家父長的な色彩を個人の自体性や男女平等という次元から批判しても良かったかもしれない︒または﹁進歩﹂を自任している側の
﹁理念の進歩性と現実の保守性﹂の矛盾を指摘し︑彼らの普遍的価値からの逸脱を告発しても良かったかもしれない︒
しかし︑編集者たちによる﹁前書き﹂(朴枝香)や﹁なぜ再び解放前後史なのか﹂(李錆駕)︑﹁解放前後史の新たな
地平﹂(第九部﹁座談﹂﹀などは﹁民族至上主義﹂的な帽向に対抗的な方向性を示す実践的な必要性からなされた議論
とは恩われるが︑当時の参与政府(直武鎧政権﹀に対する批判にこだわりすぎた結果︑﹁国家至上主義﹂に陥ってし
まった側面がある︒このために︑朴枝香自らが述べた﹁すこしでもバランス﹂をとるためという意義も︑他の執筆者
による研究の意義吉えも無にされてしまいかねない危うさがつきまとい︑﹃再認識﹄への多くの批判もこの点に抑制中
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ナショナリズムと植民地近代の評価
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﹂︑
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の過去消算問題﹂︑﹁分断と朝鮮戦争﹂︑﹁農地改革と李承晩政権の評価﹂など多岐にわたる︒たとえば︑帝国日本の性
格規定は﹁侵略と収奪﹂の側面よりは﹁経済力発展︑近代化に寄与﹂の側面を強調し︑植民地削と親日問題について
は︑﹁親日対反目︑愛国対売国﹂などの二分法的傾向をもっ﹃認識﹄に対して︑﹁帝国日本に抵抗しながらも模範とせ
ざるをえなかった矛盾をはらんだ重層的状担﹂としてこの問題を捉えようとする︒個別論文に対する具体的な検討は
別の機会に譲るとして︑以下では︑ナショナリズムと近代の評価を中心に論点を整理しよう︒
周知のとおり︑ナショナリズムをどう評価するかについては時代や地域ごとに大きな括れがあった︒﹁偏挟﹂︑﹁排
外的﹂︑﹁非合理的﹂といった否定的に評価されることも︑﹁解放﹂や﹁進歩﹂と結び付けられて向定的意義をもっと
されることも少なくなかった︒また﹁抑圧民族のナショナリズム﹂と﹁披抑圧民族のナショナリズム﹂︑﹁良いナシヨ
ナリズム﹂と﹁悪いナショナリズム﹂︑﹁進歩的ナショナリズム﹂と﹁反動的ナショナリズム﹂などの区分をめぐって
これまで多くの議論が積み重ねられてきたし︑理論の世界においては﹁シヴィック・ナショナリズム﹂と﹁エスニツ
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国における歴史認織紛争﹂A徐}
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法学芯林
第一 一
O巻
第三 号
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ク・ナショナリズム﹂を区別して︑それぞれの文脈においてとらえなおそうとする流れもある︒かつて戦後日本でも
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‑つの有力な流れを形成していた﹁他企﹂なナショナリズムを櫛想した発想もあったが︑﹃認讃﹄は基本的にこれと
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すなわちナショナリズムに聞していえば︑﹃昭識﹄はナショナリズムがもっ否定的な部分をある程度認めながらも︑
それが歴史的な文脈においては抵抗の理念として大きな役割を果したことを強調した︒この﹁低抗ナショナリズム﹂
を韓国が阻かれている現実問題の解決のための︑すなわち民主化や統一などのための理念として強調していたのに対
して︑﹃再認識﹄は基本的に民族を越単とする普眼の区分がもっ危険性を告発しつつ︑ナショナリズムの欺附的属性
を強調する﹁イデオロギー暴露﹂の戦略をとる︒
執筆者のひとり趨寛子(チョウ・カンジャ)は︑﹁﹃民族﹄の力を欲望した﹃親日ナショナリスト﹄李光株﹂のなか
で﹁民族主義は大衆的権力を生成する最高の装置であり:・官製民族主義も抵抗的民族主義もともに︑大衆の生存欲望
を刺識し動員し統合しようとする権力意志﹂(第一巻︑五二六頁)の産物に過ぎないとして︑﹁あらゆる﹂ナショナリ
ズムを﹁忌避﹂の対象と捉えた︒閉じく執筆者のひとり金哲は﹁没落する新生
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﹃満洲﹄の夢と﹃農軍﹄の誤読﹂のなかで︑民族・ナショナリズムの神話の虚構性を強調したうえで︑植民地期のナショナリズム運動の実態を﹁敵対的
共犯関係﹂︑すなわち﹁帝国の体制のなかで民族の傾域を分節し明瞭にすることによって︑究極的には帝国の体制を
安定化させる﹂(第二巻︑六二六頁)ものとしてとらえた︒
組寛子や金哲のナシ日ナリズムに閲する識論は﹁措抗と協調﹂の狭間で民族という主体に刻まれている分裂の可能
性に考える上で示唆に富んだ論点が示されている︒たしかに﹃認識﹄が中心的な理念として位置付けた抵抗ナショナ
リズムも厳雷な意味では︑抑圧と動員︑場合によっては暴力的に作動する危険性を平んでいる以上︑それが攻撃的な
ものか︑防御的なものか︑または宗主国のものか︑植民地のものかを問わず︑ナショナリズムの論理そのもののなか
に平んでいる﹁排除﹂と﹁同化﹂という負の側面から自由にはなれない︒
この二人が共有する実践的な問題意識︑すなわち︑従来︑世俗化された神のごとく至高の価値が付与され︑韓国の
歴史の上に君臨しているかにみえた民族に対する批判には多くの部分で共感を覚える︒しかし︑論者たちが強調する
ナシ日ナリズムの僻苦から脱そうとするならば︑またはナショナリズム的観点からの歴史の一元化を克服しようとす
るな
らば
︑
ナショナリズムを最初から悪として決めつけて論を進めるよりは︑なぜ︑これほどまでに強烈に斡国社会
がナショナリズムに揺れ動くのか︑または︑ナショナリズムがいっ︑なぜ︑そしてどのように他のイデオロギーと結
合したのかという内在的批判と分析を鹿史的・現実的な文脈のなかで行うことが﹃認識﹄を標的として叩くよりも︑
はるかに生産的なものとなったのではないだろうか︒
次に︑﹃認識﹄の二分法を乗り越えると自負した朴枝香と李柴繭(イ・ヨンフン﹀の議論はそれ自体分かりゃすい
﹁二分法﹂を駆使してナショナリズム批判を行っている︒朴枝香(パクジヒャン)は︑﹁民牒主義︹
E E
s r
g )
﹂
と﹁愛国心(官三︒晋
﹂の対比で論を展開し︑﹁愛国心は互に衝突する必要がないのに反して︑民族主義は排他
g )
的﹂(第二巻︑六八二頁)であることから︑民族主義から脱して﹁借金な愛国主義﹂を志向すべきだと主張した︒李
鍛蹴は国家を﹁文明の象徴﹂として位聞付けているのに対して︑民族については﹁低い水捕の統合として野蛮と言え
る氏族が居座っている﹂(第一巻︑五六頁)と批判した︒さらに︑解放後の混乱の原因を﹁伝統小腿社会に描荏して
いる野蛮性﹂(第‑巻︑六一頁)にもとめ︑その野蛮性のために自体的な市民社会が成立しなかったとという︒だか
ら﹁一二世紀初めの現在でも韓国人の精神世界は︑近代社会を先に成立させた西ヨーロッパで一般的に観察される合
理主義や経験主義︑多元主義に基づく思考方式に慣れていない︒韓国人の精神世界は︑依然として中世的な善悪史観
﹁健闘における庇史総織諸争﹂{徐}
一
ー一
ー一 一 一
ー一
法学怠林第一一O巻第三号三三回
や根本主義の民に陥っている﹂(第一巻︑五三頁)という︒李築薫の民族批判は﹁国家H文明﹂︑﹁民族H野蛮﹂の構
図で
ある
︒
さらに︑植民地と近代化に関する見解をみると︑朴技番は﹁わが国で近代化が起こったが︑それが偶然日帝時代だ
ったというふうに言うのが多分正しいでしょう﹂︹第二巻︑六四九頁)といい︑李柴璃は﹁文明史﹂的観点を強調し
ながら︑﹁植民地期を︑朝鮮の伝統文明と︑日本を通して入った西ヨーロッパ起揮の近代文明が︑相互融合する時代﹂
(第一巻︑五七頁)と考える︒このような姿勢は二人の論文をみるかぎり一貫しているが︑﹁偶然﹂や﹁相互融合﹂と
いう言葉にみられるような植民地認識の希薄さが目立つ︒
このような﹁文明H近代﹂への志向の背後には︑﹁分別力のある利己心を本性とするホモ・エコノミクス﹂(第一巻︑
五五頁)に対する信念が存在する︒この信念のもとで︑いわゆるグロl
パリ
ゼ
lションとそのイデオロギーである新
自由主義に﹁便乗﹂することを韓国の進むべき唯一の方向として信じて疑わない︒しかし︑今から考えると奇妙にも
思える︒なぜなら当時は﹃再認識﹄がそれほど批判した﹃認識﹄の歴史認識をもって政権を運営した側がまさに新自
由主義的政策を積極的に推し進めたからである︒
﹃再認識﹄がそれほどおそれおののく﹁左派政掘﹂も経商政策の面からみれば決して﹁左派﹂的ではなかった︒政
治的には民主主義の価値の噂置と平和主義の対北観を堅持し︑それをある程度実現したことは十分評価されてしかる
べき
だが
︑経
済政
策だ
けは
︑
一九
八
0
年代以降︑六人の大統領が交代し︑﹁パイ﹂を大きくしその分配だけを考えればよかった時代から︑政策に厳しい優先順位をつけなければならない時代に変わっても︑ある意味一貫していたので
ある
しかし︑新自由主義がもた司りしたものは︑李柴議などがあこがれてやまないすばらしい﹁文明﹂などではなく︑国 ︒
と国の問︑地城と地域の問︑または同一地域の内部榔成員の間に絶えず不均等と植民性を深化させたことは誰の目に
も明
らか
なこ
とで
ある
︒
このような意味で︑最近はやりの様々な分析概念まで用いて韓国近現代史を﹁再認識﹂すると意気込んだ﹃再認
識﹄に欠けていたものは︑近代の富がどこから来たのか︑または誰の犠牲の上にもたらされたのかという問題と︑文
明として近代化されたにもかかわらず︑一部の人を除いて多数の人々の暮らしがより苦しくなったのはなぜか︑とい
う問題に対する自覚ではなかっただろうか︒苦痛の鹿史の内容もなく︑その苦痛をどのように終わらせるかに対する
悩みもないまま︑過去と現在の﹁痛史﹂を﹁勝ち組﹂だけの﹁楽史﹂として﹁再認識﹂しようとするならば︑これこ
︻ お︾
そ﹁歴史からの逃亡﹂というほかないだろう︒
3
二分法からの脱却││﹃近代を説み直す﹄
﹁内発的発展論﹂と﹁植民地近代化論﹂が論争を繰り広げる最中︑ポストモダニズム論が紹介され︑従来︑国家と
民族を神聖不可侵の歴史の主体として想定してきたことに対して批判が加えられ︑イデオロギー︑階級︑統一︑革命
などの﹁大きな物語﹂に対する懐疑と再評価がなされはじめた︒そのような過程のなかで﹁民族﹂も﹁ナショナリズ
ム﹂もその再評価から自由ではなかった︒これまで韓国近代史研究を主導してきた民衆史学と制民地近代化に対して
西欧中心的︑近代主義的︑目的論的︑単綿論的発展史観に陥っているとの批判が向けられた︒このような状況のなか
︻ 帽 岬 }
で︑それぞれの立場から批判と反批判が繰り広げられた︒
円釘 }
﹃解放前後史の再認識﹄と時期を相前後して出版された﹃近代を読み直す﹄(以下︑﹃読み直す﹄)は︑近代性に対す
﹃帥 料用 闘に おけ る歴 史認 諮詰 争﹂ {徐
﹀
三三
五
法学怠祢
第一 一
O巻第三号
ヱ ハ
る批判理論やポストコロニアル論の立場にたゥて︑植民地期から朴正照政描までの時代を対象に歴史︑社会︑文学な
どの各方面の論文二八編(六部構成﹀からなる︒新しい近代認識の必要性を唱える同曹は︑近代はもはや憧慌の対象
でも︑目指すべき目標でもなく︑近代主義が内在している暴力を直視し︑近代を越える展望を聞く必要性を説く︒
同曹の編集委員たちは︑近代的知識体系や価値観に疑いの目を向け︑﹁国家と市場の暴力によって支配される近代
的な暮らし﹂を省察するとともに︑歴史と現実に対する多様な理解を目指しているのだと︑自らの立場をこのように
円 曲 岨 }
表明
した
︒
﹃再認識﹄が﹃認識﹄を近代学問の水準にも満たない﹁神話﹂だと批判したのに対して︑﹃読み直す﹄は﹃認識﹄が
もつ時代的意義や﹃再認識﹄の﹁植民地近代化論﹂がもっ部分的妥当性は認めつつも︑双方を﹁民族と国家を分け合
ったまま︑又は共有したまま近代を特権化する知的実践の一環﹂であり︑時代遅れの﹁近代的言説﹂に止まっている
と批
判し
た︒
すなわち︑どちらも﹁近代主義﹂的な歴史認識のもとに二項対立構図│﹁自主・従属﹂︑﹁収奪・開発﹂︑﹁分断・統
ご︑
﹁独
裁・
民主
﹂︑
﹁成
長・
分配
﹂
l
で歴史解釈をしており︑帝国日本による支配と収縁︑これに対抗した韓国の抵抗運動というこつの抽で歴史が語られたことに批判が向けられた︒さらに︑このように術成された歴史像は﹁一極の
レトリックであり﹃神話﹄として機能した﹂のであり︑解放後の分断国家もナショナリズムの﹁神話性﹂を歴史的事
実として撞遣し︑歴史学もまたナショナリズム運動を﹁当為﹂と見なす﹁規範としての歴史学﹂を作り上げたとして︑
既存
の歴
史学
にも
責任
を問
・九
問︒
﹃読み直す﹄の編集を担当した予海東(ユン・ヘドン)は︑﹃認識﹄を克服するという趣旨で出版された﹃再認識﹄
が現実的にはニュlライトによって政治的に利用されてしまっただけでなく︑学問的にも﹁内的分裂﹂があると指摘
した
︒
つまり︑植民地期を扱った第一巻では植民地近代化論と脱ナショナリズムまたは脱近代の論文が混在しており︑
第二巻では﹁国家建設
F E E E E Z m )
﹂過程に肯定的な評価で一貫していることから﹃認識﹄の治理を逆さまにし
A却)
ただ
けの
解釈
に過
ぎず
︑﹃
認識
﹄に
対す
る逆
偏向
を指
摘し
た︒
さら
に︑
﹃認
識﹄
の﹁
民族
﹂・
﹁収
奪論
﹂と
﹃再
認識
﹄の
﹁国
家﹂
・﹁
植民
地近
代化
論﹂
は対
立す
るよ
うに
みえ
て︑
実
は認識論的基盤を共有しているものであり︑﹁植民地近代化論﹂者のいうように植民地支配下で後の国家建設のため
の土台を一定部分構築できたことがあったにしても︑支配下で自己決定権を持たない状態での経済的指標のみで近代
化したととらえることに対しても批判が向けられた︒
﹁内因﹂のみを強調したナショナリズム的歴史叙述の﹁内在的発展論﹂と︑反対には﹁外国﹂のみを担調した一面
的な歴史叙述の﹁植民地近代化論﹂に共通する限界を克服するために﹃読み躍す﹄が提示したのが﹁植民地近代位﹂
( B
E E
S o
雪巳包論│植民地下の朝鮮人が直接または間接集茄したことで構成された近代性│で払制︒﹁植民
地近代性﹂論は︑近代に解放と抑圧の両側面があるように植民地支配もまた収森と抑圧︑そして文明化と開発という
両側面を同時に説明するための枠組として﹃読み直す﹄の執筆者らにも積極的に受容され問︒
しかし︑金聖捕によれば﹁植民地近代化論﹂と﹁植民地近代性論﹂の違いはそれほど大きくないという︒なぜなら︑
﹁外国﹂を強調する面においては﹁植民地近代性﹂も﹁植民地支配をする帝国主義側の外的影響力を基本的な要諜と
決め︑朝鮮人はこれを受容する客体と設定して﹂おり︑その速いは﹁植民地近代化論は植民地支配と近代化を英化し
︻m v
ている反面︑植民地近代性論はその肯定的な面と否定的な面を同時にみている﹂だけに過ぎないと主砲した︒
とはいえ︑従来の二分法的歴史叙述においては控目されてこなかった主国を浮かび上がらせたことや朝鮮の植民地
経験を世界史的な地平で捉えなおそうとした試みは意義あることに間違いない︒もちろん︑﹁良いこともあったが︑
﹁純
国に
おけ
る歴
史認
設詰
争﹂
{徐
)
三 一 ‑ 一
七
法尚子山晶体策ごO巻第三号三三八
惑いこともあった﹂というような結論になりがちなこのような分析に対して︑一般的に向けられる批判は︑従来の歴
史や社会に与えられていた意味を否定しながらも︑歴史的文脈において有していた意味や差異を暖昧にし︑その上︑
特に代案も提示できないまま﹁失語症﹂に陥ってしまうことに向けられる場合が多い︒
このような﹁失語症﹂に陥ることなく︑従来の二分法的な歴史解釈を乗り越えようとして注目される論文に︑第二
部﹁親日の論理
l
﹃協力﹄は恩組である﹂に収められている予大石(ユンデソク)の﹁櫛民地国民文学論﹂があげられる︒﹁親日﹂の概念を﹁植民地協力﹂としてとらえ直した予大石は︑親日行為を﹁民族の裏切り者﹂とする既存の
ナショナリズム的観点からではなく︑﹁植民地時代の主体たちが思想的に悩んだ末の協力として理解﹂し︑﹁親日﹂を
単なる植民地下朝鮮の固有の経験としてではなく︑同じ時期の世界史的な出来事として植民地椀力への協力と近代権
力への協力を同一線上で図解しようとする︒その延長で︑近代化の経験もまた﹁民族﹂だけではない﹁階扱﹂・
﹁性
﹂・
﹁人
種﹂
・﹁
文化
﹂な
どの
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域で
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協力
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て再
解釈
して
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︒
従来
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論で
は︑
一九三九年末から一九四五年前半期の文学を﹁親白文学﹂または﹁暗黒期文学﹂として否定的な
意味で語られることが多かった︒代表的には︑この時期の文学を﹁事大主義的に日本追従を内容とする文学﹂であり︑
﹁売
図的
文学
﹂と
評し
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親日
文学
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出版
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一九
六六
年)
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︑
予大石はその
評価
を異
にす
る︒
つまり︑﹁親日﹂や﹁度目﹂という観点からではなく﹁内地﹂とはことなる文学様式を作りだした
植民地の現実的﹁差異﹂に注目して︑﹁植民地文学人﹂の近代的主体形成過程としてとらえ直そうとする︒
このような観点は︑解放以後の国民国家形成の歴史を﹁文明﹂への歴史ととらえる﹃再認識﹄とはちがって︑解肱
以後の歴史を近代の抑圧性と﹁協力の経験と思想﹂を通して植民地近代性が貫徹する過程として理解しようとする︒
つまり︑この時期に行われた﹁大衆の国民化﹂は植民地経鞍と留接な関係があり︑﹁協力の経験と思想﹂が植民地近
Aお ︼
代と国民形成を媒介したという︒
もう‑つ注目されるものとして﹁トランスナショナル・ヒストリー﹂がある︒予海東は︑近代社会を貫徹している
植民性を解体する実践論理としてナショナリズムの辿続的解体とその実践方針として﹁一国史﹂の解体という野心的
な問題提起を行った︒安海東や林志弦などによって︑従来の﹁一国史﹂の限界を乗り越える代案として提起された
﹁トランスナショナル・ヒストリー﹂は︑﹁国史
( E
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二 回 一a o ‑
‑
山︑とが本来もっている問題︑すなわち︑それ自体が本来体制の正当化のために作られた道具としての性格をもち︑過去の歴史を今の国家が作られる発展過程としてみ
てきたことによって生じた限界を克服するためのパラダイム転換を促すものである︒
タ海東が提示するトランスナショナル・ヒストリーの具体的な内容は︑﹁ヨーロッパ中心主義一からの脱皮﹂︑﹁中心
に対する周辺の問題提起﹂︑﹁国史
S E S E
m ‑ ‑ M
ミ)の二文法的視座の克服﹂︑﹁地域史
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ミ)の閉
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る︒
もう一人林忠弦のいう﹁辺境史(出O
互角
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弓
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は︑
一国の国境に限定された﹁国史﹂パラダイ
ムからは﹁棚上げ論﹂しか現実的な方法が見つからない﹁島﹂をめぐる日韓の葛藤や高句斑をめぐる中韓の歴史論争︑
いわゆる﹁東北
L
臨﹂問題を考える上で示唆に富む︒この﹁辺境史S g
e 雪
国 E
o
弓﹀﹂的アプローチは︑争点となっている辺境地域を多様な文化の出会いと交流の場として捉えなおすことで三国史﹂がもっ限界を乗り越えようと
する
試み
であ
る︒
かつ
て
E‑Hカlは歴史を﹁現在と過去の対話﹂と定義した︒そこで問題となるのは︑当然ながら識が現在と過去
の対話を主導するのかという対話の主体であり︑これまで﹁民族﹂や﹁国家﹂または﹁階級﹂を主体に歴史の単一中
心的理解が支配的だったことは周知のとおりである︒そこで歴史の複眼的理解の必要性を主張し︑﹁誰の歴史なのか﹂
﹁韓国における歴史認識治争﹂(徐)
三三
九
法学志休
第一
一
O巻
第 三 号
三回
O
または﹁雄のための歴史なのか﹂を問う﹃読み直す﹄の問題提起は従来の歴史叙述を考えれば大きな意味をもっ︒
おわりに
かつて高随王朝から朝鮮王朝へと歴史が大きく変わろうとしてときに歴史の中心にいたニ人が交わした﹁歌﹂があ
一三
六七
i
一四二二年︑朝鮮王朝三代王・太宗)と鄭夢周(チョン・モンジュ︑三七
1
一三九二年︑高麗王朝末期の政治家)との聞に交わされた﹁何如歌﹂と﹁丹心歌﹂がそれであ開︒李芳遣は﹁此亦伺如彼亦何如︑域臨堂後垣競落亦伺如︑我輩若此為不死亦伺加(世の中はとにもかくてもあるもの る
︒李
芳違
(イ
・パ
ンウ
ォン
︑
ぞ︑万寿山の孤高の加く絡み合えるも世の姿︑われらもかくは手を取りて百年までも楽しまんとと歌った﹁伺加歌﹂
を踏み絵にして︑過去にこだわらず新しい時代の流れに便乗して末長く栄えようではないかと鄭夢周を鵠う︒鄭夢周
はその場で﹁此身死了死了一百番更死了︑白骨為塵土務腕有無也︑郷主一片丹心寧有改理敵(この身死に死にて百た
ぴ死すとて︑白骨盟となり魂腕ありとも消ゆとも︑君への一片丹心変わることあらんや)﹂と歌った﹁丹心歌﹂をも
って自らの﹁不事ニ君﹂の信念を伝え︑李芳迫の勧誘を拒否した︒その鄭夢周は間もなく暗殺されたが︑この﹁丹心
歌﹂
は今
も人
気が
高い
︒
国頭でも述べたように︑歴史認識をめぐる論争は︑直接的・間接的主題の再解釈を越えて今後の韓国社会がめざす
方向やどのような社会でありたいのかという根本的な聞いを含んでいる︒このような意味で︑今回の新自由主義的な
グローバル市場経済システムのなかで右往左往している輯国社会に突き付けられた﹁伺加歌﹂に︑それぞれの論争の
当事者たちはどう答えようとしているのかを検討することは決して無意味なことではないだろう︒
さて︑これまで概略ながら韓国における歴史認識をめぐる論争を︑﹃解放前後史の認識﹄︑﹃解放前後史の再認識﹄︑
﹃近代を読み直す﹄を対象に検討してきたが︑それぞれが示したナショナリズムに対する評価は︑それを﹁理念﹂と
捉えるか﹁言説﹂と捉えるかによって︑またそれを生み出した近代世界システム│宗主国/植民地︑あるいは中心/
周辺部という構図ーへの対応の仕方によって異なっていた︒以下では︑これまでの議論を近代世界システムへの対応
という側面から改めて検討しなおすことでおわりに代えたい︒
すでに述べたように︑韓国のナショナリズムを︑植民地時代は﹁独立のための理念﹂として︑民主化運動の時代に
は﹁民主主義磁立のための理念﹂として︑そして今なお続いている分断の時代に﹁統一のための理念﹂として位置付
けた﹃認識﹄は︑ナショナリズムを﹁理念﹂として捉え︑それを﹁解放論﹂と結合させた︒すなわち︑
一国
的な
次元
の﹁民族解放論﹂または﹁民族革命論﹂を迎鏑的に鹿間させ︑最終的には世界体制を変革できるという鹿盟を示した︒
実現性は極めて乏しかったが︑それでも理念としてのナショナリズムが冷戦や帝国主義に抵抗しながら果たした役割
やその意義は正当に評価されるべきだろう︒しかし︑現実においては資本主義的ヘゲモニーに吸収されかけているの
もまた隠せない事実である︒だからそこ︑このような理念を引き継ぐナショナリズム揖謹論者たちが歴史的・現実的
文脈においてナショナリズムが果たした肯定的な役割を強調するのは︑ナショナリズムそのものの擁護ではなく︑
﹁阿加歌﹂を突き付ける不均等な近代世界システムへの対抗論理の再構成にその儲心があると恩われる︒抵抗ナシヨ
ナリズムこそが国籍を持たない資本の力に対抗できるとするこの立場は︑﹁統制的理念﹂として﹁解放論﹂をかかげ︑
ナショナリズムが平んでいる負の側面を自覚しつつも理念的な民族を砦に﹁丹心歌﹂的態度をとる︒
これとは対照的に﹃再認識﹄と﹃読み砲す﹄は︑どちらかといえばナショナリズムを﹁言説﹂と促え︑それがいつ
どのような過程で想像されたのか︑また何を強制し︑なにを排除してきたのかを分析することに主眼点をおく︒この
﹁抽 隣国 にお ける 歴史 認総 論争
﹂︿ 徐}
三回
一
法学志休
第一 一
O巻
第三 号
三四
二
立場からは︑﹁良いナショナリズム﹂と﹁悪いナショナリズム﹂︑﹁進歩的ナショナリズム﹂と﹁反動的ナショナリズ
ム﹂といった歴史的文脈における差異はそれほど大事ではなく︑それよりもあらゆるナショナリズムの虚構性や神話
性の
鶴露
につ
とめ
る︒
つまり︑ナショナリズムは忌避の対象であり︑克服されるべきものでしかないのである︒この
ように︑同じナショナリズム批判の立場に立っている﹃再認識﹄と﹃説み直す﹄だが︑近代世界システムに対する態
度は
両者
異に
する
︒
一方の﹃再認識﹄は近代世界システムからの﹁何如歌﹂に対して︑﹃認識﹄の﹁丹心歌﹂的な態度はとらない︒彼
らのいう﹁民族
H
野蛮﹂から脱し﹁国家H
文明﹂を目指すという︑ある意味では﹁懐かし怠﹂を感じさせるこのような主棋は︑かつての﹁富国強兵﹂を想起させる︒これまでの緯国がこのような戦略のもとで異例的な早さで経済成長
を遂げたことを例に取り上げ︑今後も引き続き近代世界システムの不均等な現実に逆らうよりも︑それを認めた上で︑
そのなかで地位向上を追求する戦略をとるべきと考える︒﹁勝てば官軍﹂とするこの立場か︑りすればナショナリズム
にこだわる﹁丹心歌﹂的な態度は︑近代世界システムのなかでは赤字どころか自誠を意味する︒勝ち残るためには
﹁経済発展﹂による﹁国力増強﹂が必要であり︑そのためには﹁抑圧移譲﹂や﹁負の再生産﹂も仕方のないこととさ
れる︒確かに︑このような立場は資本主義以外の選択肢がない状況のなかで避けがたい現実性を持っているのも邪実
であるが︑今日の新自由主義的なグローバル市場経済システムがもたらす探刻な矛盾に対しては目を向けない︒いわ
ぱ﹁発展至上主義﹂がもっ限界もここで明らかになる︒
他方︑﹃読み直す﹄は︑現実の近代世界システムから突き付けられた﹁何如歌﹂に対しては答えを保留したまま︑
﹁丹心歌﹂や﹁伺如歌﹂そのものの言説がもっ抑圧性や暴力性を批判し続ける︒すでに述べたように︑﹁歴史の神話
化﹂や﹁時代遅れの近代的言説﹂として﹃認識﹄と﹃再認識﹄とをそれぞれ批判する︒前者に対しては︑韓国のナシ
ョナリズムが人間解放や社会革命を目的とする社会主義理念すらも民族解放の手段に転落させたことを︑後者に対し
ては︑慣れていた近代そのもののなかに実は抑圧性が内在しており︑その近代が提示する普遍的な価値もまた偽装さ
れた﹁西欧的特殊性﹂の欺簡に過ぎないことを指摘する︒
近代を乗り越えようとする﹃読み直す﹄の立場か・りすれば︑ある意味では﹁何如歌﹂にどう答えるのではなく︑そ
れを突き付ける近代世界システムそのものを相対化しようとするものだといえなくもない︒そうだとするならば﹃認
識﹄とある部分においては問題意識を共有するが︑﹃認識﹄が武器としている民族を共有できないことから同じ戦略
はとれない︒﹃再認識﹄の国家はなおさらである︒残るのは個人だけだが︑この概念もまた民族同様︑﹁抑圧的﹂な近
代が生み出したものにすぎない︒仮に彼らが主張とおりに︑ナショナリズムが解体され︑新自由主一義的な秩序下のグ
ロ1パリゼlションの過程で近代国民国家の蹴域したとしても︑国揺をもたない資本がもたらす不均等や植民性はそ
のままに残り続ける可能性が高い︒経済の力が政治や社会のそれを飲み込んですでに久しい︒しかも︑この問題に対
する根本的な解決策は今のところだれも持ち合わせていないようである︒そのことに自覚はしているが︑拠って立つ
価値をすべて失った﹃読み直す﹄は﹁何加歌﹂に対しては答えを保留せざるを得なかった︒とはいえ︑もちろんこの
ことで﹃読み直す﹄からの問題提起が無意味だったことにはならない︒歴史認識の再考という文脈においては大きな
問題提起をなしているからである︒
以上︑近代世界システムへの対応という側面から﹃認識﹄︑﹃再認識﹄︑﹃読み躍す﹄の立場を検討したが︑これらそ
れぞれの立刷明から展開した歴史認識をめぐる論争が﹁意悶せざる結果﹂として隣国祉会にもた・りした最大の功摘は︑
何といっても現代版の﹁何加歌﹂にどう筈えるかに対する悩みを一部の政治家や研究者だけではなく︑社会全体に共
有させたことであろう︒
﹁係
国に
﹄お
ける
墜史
認滋
論争
﹂{
徐)
三回三
法 主 芯 林 第 二
O巻
m =
一 号三四
四
かつて︑ミュンヒハウゼン男爵が馬に乗ったまま沼に落ちたときに自らの後ろ髪を引っ掘り上げて馬共に脱出した
円相
︼
というほらふき男爵の武勇伝があるが︑この沼に落ちたミ品ンヒハワゼン男爵にわれわれの自画像をみる︒﹁神も仏
もない﹂なかで自力でその沼から出ることは容易ではないが︑そのまま沈んでいくわけにもいかない︒いま行われて
いる歴史認識をめぐる論争をとおして︑われわれの﹁かつて﹂と﹁いま﹂の自画像を暗認し︑﹁これから﹂の背写真
を想像してみようとした試みは龍顕蛇尾に終わった感が拭えないが︑﹁何如歌﹂にどう答えるかについて悩み続けな
がら︑同時に人々が共存しうる社会に関する共通の背写真の共有に努力し︑それをもって現実の問題に立ち向かう他
ない︒その際にぶつかる民族や近代などがもっ両義性に苛立ちを覚えながらもそれに耐えて直視していくことが︑な
により大事であろう︒このことは︑中江兆民の有名な言葉をもじっていえば︑主張としては﹁陳腐﹂かもしれないが︑
実践としてはまだまだ︑いやこれからも﹁新鮮﹂であり続ける︒
(1
)
ナショナリズムの現笛家たちが直面した三つのパラドタスとは︑第一に﹁歴史家の客鰻的な自には国民︹ヰlション﹀は近代的な
現象にみえるのに︑ナショナリストの主観的な目にはそれが古い存在とみえるといことである﹂︒第二は﹃社会文化的概念としてのナ
シロナリティ︹国民的姉崎︺が形式的管適性をもつのに対し︑それが︑具体的にはいつも︑手の錯しようのない固有さをもって則慣れ﹄
第三に︑﹁ナショナリズムがもつあの﹃政治的﹄影響力の大きさに対L︑それが釘学的に貧困で・:ナシ日ナリズムは︑他のイズム︹主
義︺とは違って︑そのホップズも︑トタゲイルも︑マルクスも︑ウ
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パーも︑いかなる大思想家
‑ b 住み幽さなかった﹂ことをさす︒
ベネディクト・アンダーソン﹃想像の共同体﹄(白石さや・白石隆訳︑NTT出版︑一九九七年﹀ニニ
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三頁
︒
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v
個人の内にこもってしこりをはす情緒の状態をさす﹁恨﹂は︑とくに遅刻代の倒派された歴史的現%のなかで民族の﹃恨﹂として
怠織化され︑低筑怠織を生み出した︒この﹁恨﹂に閲する研究は人文社会各方面から多︿の研究がなされたが︑江かでも準御事﹃恨の
文化論│純国人の心の・阪にあるもの﹄(挫康俊訳︑学生社︑一九七八年)は注図するに値する︒
(3 )
数多く発表された純国のナショナリズムに関する論考のなかで︑特定時期のむのではなく鈴鹿涯現代金体を対象として論じたもの
として︑金栄作﹁似国民族主義の全体像│恩怨史的協館協造を中心に﹂﹃乱巴奇叫将司吋守司祖鳩斗
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