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精神疾患を脳の障害として考えることは誤りか 植野

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Academic year: 2021

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精神疾患を脳の障害として考えることは誤りか

植野 仙経(Senkei Ueno)

京都府立洛南病院

本発表では、精神疾患を脳の障害として考えること(脳の疾患モデル)は誤り ではないと主張する。そのために精神医学における神経科学的研究を推進する立 場からの主張を紹介し、その主張には三つの問題点が考えられるが、それでも脳 の疾患モデルは誤りとはいえないことを論証する。

脳の疾患モデルによって精神疾患の神経科学的研究を推進する立場からは 、以 下の理由から自らの立場の正当性が主張される。

(1)パーキンソン病における抑うつ、アルツハイマー病における妄想のよう に、脳の疾患によって精神の症状が生じる例は多い。

(2)神経科学的な研究を放棄することには危険がある。たとえば神経科学的研 究を軽視することで、認知症様の状態を呈する様々な(ときに治療可能な)疾患 の患者に「認知症」という診断名を一律につけて施設に収容することにも似た精 神医学の現状が続くことになる。また「精神疾患は、弱者を抑圧するために社会 が作りだしたシステムだ」として精神疾患を社会のせいにする反精神医学の主張 は、患者から医学的治療を受ける機会を奪う危険がある。

(3)神経科学的な研究を進めることには良い効果がある。たとえば「心の問題 だから気合で治せ」と言って患者を苦しめる等の無理解による問題を取り除くと いう効果がある。

(4)精神疾患と「悩み」とは区別が必要である。なぜなら「悩み」を病気扱い して精神科の薬を使って対処することには問題があるからだ。「悩み」は人生の 問題であって病気ではない。「悩み」は弁護士や心理士など、それに応じた専門 家があつかう問題である。精神疾患は脳の疾患であり精神科医が扱う問題であ る。

(5)精神疾患の診断は、その人の言動を了解しようとしても「ここから先はど うしても了解できない」という根源的な症状の有無に今のところ基づいている。

そして、精神疾患には肺や腎臓の疾患(あるいは感染症や悪性腫瘍)のような病 理学的な定義がまだない。そのために診断の正誤が検証できない。診断の検証を 可能にするためにも神経科学的研究が必要である。

これらの主張のうち(3)(4)(5)には以下の批判がある。

(a)薬物依存症は精神疾患であるが、薬物依存症を脳の疾患モデルで考えるこ とは人を薬物使用に駆り立てる心理的要因や社会的要因を軽視させる。そして薬 物の使用や再使用における個人の行為者性の役割を軽んじさせ、臨床的に悪影響

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を及ぼす。すなわち精神疾患の脳の疾患モデルは時に悪い効果をもつ。

(b)うつ病の認知行動療法のように、精神疾患に対して心理士が心理療法を行 うこともある。脳の疾患モデルによって精神疾患と「悩み」とを分け、前者は精 神科医が、後者は心理士が扱うものとする二分法は間違っている。

(c)脳の疾患モデルによる研究が進んでも精神疾患の診断をめぐる困難は残 る。たとえば神経科学的研究によって精神疾患の一部(疾患A、疾患B、疾患 C)に病理学的定義がなされて診断の検証が可能になったとしても、そのような 病理学的定義を伴わない了解不能な心的現象(疾患Dや、当初は疾患Aと思わ れたが疾患 Aの病理学的定義を満たさなかった疾患 E)もまた、何らかの精神疾 患として位置づけられ続ける。だとすれば、結局のところ精神疾患は神経科学的 研究では解明できない。精神疾患とは何かを明らかにするには神経科学以外の方 法が必要である。

批判(a)(b)には、ナシア・ガミーが提唱する精神医学の方法論、すなわち 多元主義が答えとなる。精神疾患には脳の疾患以外のモデルで扱うのが適切な疾 患もあるだろう。脳の疾患モデルには限界や弊害もある。だからといって脳の疾 患モデルそのものが誤りだとはいえない。ある方法に欠点があることは、その方 法全体が誤りだということではない。大事なのは、限界や弊害も含む特徴をふま えたうえで、方法論的自覚をもって神経科学的研究を行うことである。

批判(c)に対しては「その批判を認めてもなお、病理学的定義を伴わない了 解不能な心的状態を脳の疾患モデルで考えることは誤りとはいえない 。それゆえ に神経科学的研究をすすめることは誤りではない」というのが発表者の暫定的な 解答である。

批判(c)に関して言えば、了解不能な心的現象をどのように扱うかが、精神 医学のさまざまな立場を規定してきたといえる。

ヤスパースは『精神病理学総論』において、精神病理現象をあつかう方法には 感情移入(共感)などによる了解と自然科学的に因果関係を解き明かす説明とが あるとし、了解の限界は自然科学的な説明で扱われる生物学的な過程の存在を示 唆するとした。これは精神疾患の脳の疾患モデルと親和性のある立場である。

一方、社会や文化の影響を考慮して了解の幅を広げようとする立場がある。社 会学や人類学的なアプローチ、さらには患者個人の了解不能な言動を家族や社会 の病理の表われとして考える「反精神医学」の立場もここに含まれるといえよ う。

さらに「『了解不能』とされる事態は、了解する主体と了解される客体との間 に生じる間主観的な現象であり、その現象の本性は主観と客観の二分法を前提と する自然科学では明らかにできない」とする立場がある。すなわちフッサールや ハイデガーの影響をうけた現象学的(人間学的)精神病理学である 。

発表では、これらの立場に関する私見も合わせて述べる予定である。

参照

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