103 岩崎理恵:東京外国語大学非常勤講師
『スラヴ文化研究』Vol.18 (2020) pp.103-114 研究ノート
映画『運命の皮肉』より アレクサンドル・コチェトコフの
«С любимыми не расставайтесь!»
岩崎理恵
《要旨》
エリダール・リャザーノフ監督の『運命の皮肉』は、ロシアの大みそかの定番映 画として、長年にわたりテレビ放映されてきた。その魅力のひとつは劇中、登場人 物らの心情を代弁する歌の数々であるが、その基になっているのはロシア・ソ連の 有名無名の文学者の詩である。
その中に、あえて曲を付けず、映画の主人公ジェーニャとナージャの朗読という 形で再現されているものが一篇だけある。映画の終盤に流れる「愛する人と離れな いで」がそれであり、1932年に詩人アレクサンドル・コチェトコフによって書かれ た。しかしこの詩が活字になり、最終的にこの映画によって広く知られるに至るま でには、40年に及ぶ紆余曲折があった。
本稿ではコチェトコフの経歴や、この詩が生まれるきっかけとなった出来事につ いて、また作品がその普遍的なメッセージによって人々の心をとらえ、後世に残る ものとなっていった経緯について明らかにする。
《キーワード》
ロシア文学、詩、アレクサンドル・コチェトコフ
非常勤先の大学で、ロシアの大みそかの定番映画である『運命の皮肉』を鑑賞する時間 を設けるようになったのは、普段の文法漬けの授業から少し離れて、ロシアの新年の雰囲 気、お祝いや乾杯の表現を楽しみながら知ってもらえたら、と考えたためだった。«вы»と
«ты»という人称の使い分けや「名前・父称・姓」というロシア人の名前の構成など、知識 として教えることが、この映画では面白さのスパイスにもなっている。繰り返し観るうちに、
エリダール・リャザーノフ監督自ら詩を選んで作られた歌の数々が、主人公らの心情を代 弁する大切な役割を担っていることに気づき、歌の解釈も含めた鑑賞も面白いかも知れな いと考えるようになった。映画の挿入歌の基になっている詩には、ボリス・パステルナー ク、マリーナ・ツヴェターエワといった、帝政末期のいわゆる「銀の時代」や、エヴゲニー・
エフトゥシェンコ、ベラ・アフマドゥーリナら、ソ連の「雪どけ」時代を代表するような
詩人の作品が含まれている。その一方で、この映画に使われたことで改めて光が当てられ たような作品もあり、作者への興味も湧いた。手始めに、ロシア語の読解が難しい学生た ち向けにすべて翻訳で紹介してみたところ、孤独を詠った歌の数々に、思いのほか共感の声 が上がったことに驚かされた。
東京外国語大学でこの授業を行うにあたっては、実際に詩を読み解く課題も取り入れた。
詩を読む、というと難しく捉えられがちだが、映画の解釈にヒントを与えてくれる歌の歌 詞として読む、という入り方であれば、身構えずにすむのではないかと考えたからである。
作曲を担当したミカエル・タリヴェルディエフによる繊細なメロディと、まだ無名のアー ラ・プガチョワ、1 映画『モスクワは涙を信じない』の主題歌「アレクサンドラ」で知られ るシンガー・ソングライターのセルゲイ・ニキーチンの声が詩に命を吹き込み、それぞれ に歌としての新たな魅力を放っていることは、誰もが感じるところだろう。
そうした中で、あえて曲を付けず、映画の主人公ジェーニャとナージャの朗読という形 で再現されているものが一篇だけある。作品終盤、ジェーニャがナージャの家を出て、モ スクワのわが家へ帰っていく道中に流れる«С любимыми не расставайтесь»(愛する人と離 れないで)である。
— Как больно, милая, как странно, 何と苦しく、奇妙なことか
Сроднясь в земле, сплетясь ветвями — 地中でつながり、枝をからませながら
Как больно, милая, как странно 何と苦しく、不可解なことか
Раздваиваться под пилой. 鋸で二つに引き裂かれるのは
Не зарастет на сердце рана, 心に受けた傷は癒えず
Прольется чистыми слезами, 清らかな涙となって流れる
Не зарастет на сердце рана — 心の傷は癒えず
Прольется пламенной смолой. 燃えるような樹脂となって流れ出す
— Пока жива, с тобой я буду — 生きている限り、私はあなたと一緒
Душа и кровь нераздвоимы, — 身も心も分かちがたく
Пока жива, с тобой я буду — 生きている限り、私はあなたと一緒
Любовь и смерть всегда вдвоем. 愛と死はいつも二人づれ
Ты понесешь с собой, любимый, あなたは心に抱いていく
1 この映画のためのレコーディング時期は不明だが、プガチョワのキャリアの転機になったと言わ れる、国際歌謡コンクール「黄金のオルフェ」でのグランプリ受賞、及び楽曲 «Арлекино» (道化師)
でのレコードデビューが1975年の夏、映画のテレビ放映はその年の暮れのことであるから、ちょう ど飛躍の直前と言えるだろう。
Ты понесешь с собой повсюду, どこへでも携えていく
Ты понесешь с собой повсюду どこへでも携えていく
Родную землю, милый дом. 故郷の地を、なつかしい家を
— Но если мне укрыться нечем でももし僕が、癒しがたい悲しみから
От жалости неисцелимой, 逃れることができなかったら
Но если мне укрыться нечем もし僕に、寒さと暗闇から
От холода и темноты? 身を守るすべさえなかったら?
— За расставаньем будет встреча, 別れの後には再会が訪れる
Не забывай меня, любимый, 愛しい人、私を忘れないで
За расставаньем будет встреча, 別れの後には再会が待つ
Вернемся оба - я и ты. 戻ってくるのよ、私も、あなたも。
— Но если я безвестно кану— でももし僕が人知れず消えてしまったら
Короткий свет луча дневного, — 昼の束の間の光のように
Но если я безвестно кану もし跡形もなく、白くかすむ
За звездный пояс, в млечный дым? 銀河の彼方に沈んでしまったら?
— Я за тебя молиться стану, あなたのために、私は祈るわ
Чтоб не забыл пути земного, 地上の道を忘れてしまわぬよう
Я за тебя молиться стану, あなたのために、私は祈るわ
Чтоб ты вернулся невредим. あなたが無傷で帰るよう
Трясясь в прокуренном вагоне, 煙草にけむる車両に揺られながら、
Он стал бездомным и смиренным, 彼は一人淋しく、おとなしくしていた
Трясясь в прокуренном вагоне, 煙草にけむる車両に揺られながら、
Он полуплакал, полуспал, 彼は半ば涙し、半ばまどろんでいた
Когда состав на скользком склоне, 列車が、滑りやすい斜面で
Вдруг изогнулся страшным креном, 不意にすさまじい角度で蛇行した時
Когда состав на скользком склоне 列車が、滑りやすい斜面に差しかかり
От рельс колеса оторвал. 車輪がレールから外れた時
Нечеловеческая сила, 途方もない力が
В одной давильне всех калеча, 一瞬でみな押し潰し
Нечеловеческая сила, 途方もない力が
Земное сбросила с земли. 地上のものを地からふり落とした。
И никого не защитила 誰も守ることはできなかった
Вдали обещанная встреча, 遠く約束されていた再会も
И никого не защитила 誰一人守ることはできなかった
Рука, зовущая вдали. 彼方で呼んでいた手も。
С любимыми не расставайтесь, 愛する人と離れないで
С любимыми не расставайтесь, 愛する人と離れないで
С любимыми не расставайтесь, 愛する人と離れないで
Всей кровью прорастайте в них, - その人の一部になって
И каждый раз навек прощайтесь, そして毎度、永遠の別れを言って
И каждый раз навек прощайтесь, そして毎度、永遠の別れを言って
И каждый раз навек прощайтесь, そして毎度、永遠の別れを言って
Когда уходите на миг! たとえ一瞬でも離れる時には。
7連から成るこの詩は、行の頭に振られたダッシュ記号が示す通り、最初の4連が男女 の対話の形を取っている。それぞれ男女どちらが発した言葉なのかは、相手への呼びかけ
(第1連1行目の«милая»、第2連5行目・第3連6行目の«любимый»)や、主語の性に 対応する述語の形(第2連の頭の形容詞短語尾形«жива»、第4連6、8行で、接続詞чтоб を伴って目的を表現している動詞の過去形«не забыл», «вернулся»等)によって明示されて いるため、迷うことはない。映画では、この男性の言葉をジェーニャ役のアンドレイ・ミャフ コフが、女性側をナージャの「声」を演じるヴァレンチナ・タルイヂナがそれぞれ読んで いるわけだが、2 その振り分けは詩の元々の構成によるものであり、監督による演出では ない。
まず第1連は、恋人と自分を木になぞらえ、まさに「生木を裂く」ような、別れのつら さを訴える男性の言葉である。2行目の、地中では根を、地上では枝を絡ませあって…と いう形容も、恋人たちの仲睦まじさを例えたものと解釈できる。また後半 4行の比喩も、
傷ついた人間が血や涙を流すように、木を傷つければ樹液が流れ出し、凝固して樹脂とな る、というアナロジーに基づいたものだろう。6行目の「涙слёзы」、8行目の「樹脂смола」、
2 ヴァレンチナ・タルイヂナは、この作品にナージャの友人ヴァーリャ役で出演している女優であ る。ナージャを演じたバルバラ・ブリルスカはポーランド人で訛りがあったため、ナージャの台詞 はタルイヂナが、歌はプガチョワがそれぞれ吹き替えた。画面の「ナージャ」が、この3人の女性 のいわば三位一体によって生まれたことは、映画の日本版 DVD に収録されたインタビューでリャ ザーノフ監督が明かしている。
またこの後、原文では2度にわたって出てくる「血кровь」といった「内から流れ出すも の」は人が、また木が生きていることの証であり、生命の象徴である。こうした語の置き換 えや、5・7行目、「傷が癒える」という意味で、植物にも関わりの深い語根«рас(т)-»を含む
«зарастёт» 3 という述語を用いることなどによって、第1連の混然とした表現が生みだされ
ている。
恋人の訴えに対し、女性は「生きている限り、私はあなたと一緒」と力強い言葉で応じ る。「魂と血душа и кровь」4 のように分かちがたく、「愛と死любовь и смерть」のように 共にある、それが私たちなのだから…。この時、第 2連2 行目で用いられている述 語«нераздвоимы
ニラズドゥヴァイームィ
»(二分できない)は、第1連4行目に出てきた動詞«раздваиватьсяラズドヴァイヴァッツァ
»(二 分される)を受けたものであり、数字の「2」、«два»から派生した動詞«двоить»に分離を表
す接頭辞 раз-が付いた«раздвоить»の被動形動詞現在短語尾形に、否定の не-を付けて作
られた形である。5 こうした動詞を使ったやり取りの根底にあるのは、恋人たちが共 有 す る 「 自 分 た ち は 二人で一体なのだ」という思いである。「二 つ に 引 き 裂 か れ る
(раздваиваться)のはつらい」「私たちを二分することはできない(нераздвоимы)」と
いうこの呼応、さらに4行目の «вдвоёмヴドゥヴァヨム»(二人で)という副詞、こうした音と意味の繰 り返しが、他にどれほど言葉を費やすよりも、女性の思いを雄弁に伝えているのではない だろうか。
この間、各連で繰り返される«земля»という名詞と形容詞形の«земной»は、木が根をお ろす「大地・土」(第1連2行目«в земле»)から「故郷の地」ひいては「祖国」(第2連8 行目«родную землю»)、さらには天体としての「地球」(第4連6行目«пути земного»)へ と徐々に意味を変えながら、より広い空間へとイメージを広げていく。第 3‐4 連では男 性と女性の言葉が4 行ごとに切り替わるが、「もし僕が…」と仮定の話をして不安にから れる男性を、女性は母のような温かさで包み、きっとまた会える、必ず戻ってこられる、
と励まし続ける。
このように、第4連までは«я»と«ты»のやり取りによって恋人2人の世界が描かれるわ けだが、第5連では一転して、3人称での語りに切り替わる。第5連で「彼(он)」と言及
3 不定形は «зарасти»、「育つ・伸びる」という意味の«расти»に開始(~し始める)や過度(~し過ぎ る)を表す接頭辞«за-»が付いた、人・植物どちらも主語となりうる動詞である。すなわち、「(草や苔 が)一面に生える」「(髪、ひげなどが)伸びる」という意味を持つ。Тихонов А. Н. Словообразовательный словарь русского языка. Т. 2. М., 1985. С. 21; Ширшов И. А. Толковый словообразовательный словарь русского языка. М., 2004. С. 743-744.
4 直訳ではこのような意味になるが、訳詞では「血」を、魂・心に対置されるものとしての「肉体」
の意味で解釈した。
5 第1連の動詞は、語尾の-сяによって自動詞化した«раздвоиться»(二分される)の、不完了体のペ アである。Тихонов А. Н. Словообразовательный словарь русского языка. Т. 1. М., 1985. С. 272; Ширшов.
Толковый словообразовательный словарь русского языка. С. 262.
されているのは、先に登場した男性であり、第 5・6 連の描写は、別れを惜しみながらも 出発していった彼の「その後」である。実はこの転換には、この詩が生まれるきっかけと なった出来事が反映されている。それを明らかにする前に、まずこれを書いた人物につい て触れておくのがよいだろう。
***
この詩を書いたのはアレクサンドル・セルゲーヴィチ・コチェトコフ(Александр Сергеевич Кочетков: 1900-1953)という人物であるが、いわゆる「ロシア・ソ連文学史」の ようなものに、必ず名前があるとは限らない。以下の経歴は、記述があった2冊の文学辞 典から引き、まとめたものである。6
アレクサンドル・コチェトコフは 1900年、モスクワ郊外に生まれた。生年から言えば 前述のパステルナーク(1890年)やツヴェターエワ(1892年)より10歳ほど若く、人生 の岐路に立つ17、8歳の時点でちょうど革命を迎えたことになる。事実、コチェトコフは モスクワ大学文学部に入学はしたものの、1年で赤軍に動員されてしまい、除隊後も大学 に戻ることはなかった。その後は図書館司書などの仕事もしながら文学活動を行うが、生 前に日の目を見たのは子供のための詩集«Мороз»(『マロース』、1927 年)、ベルギーの作 家シャルル・ド・コステルをテーマに、韻文で書かれた戯曲«Вольные фламандцы»(『自由 なフラマン人たち』、1937 年、С. В. シェルヴィンスキーとの共作)、«Николай Коперник Торнский»(『コペルニクス』、1938年)、それに«Надежда Дурова»(『ナジェージダ・ドゥー ロワ』、1942年、К. А. リープスケロフとの共作)など数作に過ぎなかった。精力的に取り 組んでいたのは翻訳の仕事であり、もっとも知られたものとしてはアルニムとブレンター ノの「少年の魔法の角笛」がある。またペルシャの詩人ハーフィズや、グルジア、リトア ニア、エストニアの詩作品に加え、さまざまな民族叙事詩、例えばエストニアの「カレヴィポ エク」やアルメニアの「サスンのダヴィト」、カザフを始めテュルク系民族に伝わる「ア ルパムス・バトゥル」等のロシア語訳にも携わっていたようである。余談ながら、コチェ トコフについて伝えている数少ない文献の中に«Литературная Армания» (文学アルメニア)
やカザフスタン作家同盟の機関誌«Простор» (プラストール)のような雑誌が含まれてい るのは、こうした縁からと推察される。
上記からも分かるように、コチェトコフの文学活動の核となっていたのは一貫して韻文 であり、前述の文学辞典によれば14歳で詩作を始め、「1918年には後期象徴派のヴャチェ
6 Скатов Н. Н. (ред.) Русская литература ХХ века. Прозаики, поэты, драматурги:
Биобиблиографический словарь. Т. 2. М., 2005. С. 285-287; Шайтанов И. О. (сост.) Русские писатели.
ХХ век: Биографический словарь. М., 2009. С. 288. ただし作品の発表年が食い違っている例もあ り、ここでは主に前者に依拠している。
スラフ・イヴァーノフと知り合い、その資質を認められた」旨の記述もある。7 しかし後述 するように、本来«Баллада о прокуренном вагоне»(煙草にけむる車両のバラード)と題さ れていたこの詩と、作者であるアレクサンドル・コチェトコフの名前が正しく結びついたの は、その死後10年以上も経った1966年のことだった。出版に尽力したのは、彼と交流のあ ったレフ・オーゼロフという詩人であり、コチェトコフの経歴や人となりを伝える紹介文ま で添えている。この詩が書かれた経緯はその中に、コチェトコフの妻、ニーナ・プロズリー チェレヴァの回想を引く形で紹介されている。
1932年の夏、私たちはスタヴロポリの父のところで過ごしました。秋になって夫は 一足先にモスクワに帰り、私が後から追いかけることになっていました。チケットも、
もう買ってありました。スタヴロポリ支線でカフカス駅まで行き、そこでソチからモ スクワへの直通列車に乗り換えることになっていました。私たちは離れるのがつらく て、できるだけ出発を引き延ばしていました。出発の前日になって、チケットを払い 戻し、もう3日間だけ滞在を延ばすことにしたのです。[...]チケットを買い直し、夫 は出発しました。カフカス駅から送られてきた手紙には、その道中の心境が綴られて いましたが、その中に「半ば寂しがりполугрушу」「半ば眠っているполусплю」とい う表現がありました。詩では「半ば泣きполуплакал」「半ばまどろんでいたполуспал」 となっていた部分です。
夫が当初の到着日を知らせたモスクワの友達は、彼が帰ってきたのを奇跡だと思い ました。ソチからの列車で起きた、恐ろしい事故に巻き込まれて死んだと思っていた からです。ソチの保養所から戻るところだった知り合いは亡くなりました。夫が死を まぬがれたのは、その電車のチケットを売ってしまい、スタヴロポリに留まったから でした。
その後モスクワから送られてきた最初の手紙に「Вагон」(車両)の詩«Баллада о
прокуренном вагоне»(煙草にけむる車両のバラード)が書かれていました。8
7 コチェトコフと、イヴァーノフ及び女流詩人ヴェーラ・メルクーリエヴァとの師弟関係について は、以下の資料でも触れられている。Кукулин И. Легализованное заклинание в интерьере советского бидермайера: о возможных жанровых, стилистических и социокультурных истоках стихотворения К.
Симонова «Жди меня» [https://urokiistorii.ru/article/52199] (2020年10月20日閲覧). とりわけメルクーリ エヴァとは、文学グループ「ヴェルテップ」の同人として共に作品集«Золотая зурана»(黄金のズル ナ、1926年)を出して以来、長い付き合いとなった。Николаев П. А. (гл. ред. и сост.) Русские писатели 20 века: Биографический словарь. М., 2000. С. 467-468.
8 オーゼロフがこのエピソードを詳しく紹介しているのは、初出の1966年のアンソロジー[後述]
ではない。確認できた限りでは、その後何度か雑誌に掲載された中で、1978年の「ユーノスチ」の 誌面上に記載があった。また 1985 年に刊行されたコチェトコフの作品集でも同じ内容が繰り返さ れており、注6の文学辞典にもそのまま引用されている。Лев Озеров «С любимыми не расставайтесь!»
つまりこの詩は1930年代当時、実際にあった列車事故を背景として生まれ、9 特に5‐6連 の部分は、自身が「彼(он)」になり得たはずの詩人が、想像を膨らませて書いたものな のである。第5連の後半から第6連の前半にかけての描写からは、列車の脱線の様子をま るでスローモーションで見ているかのようにありありと思い浮かべることができる。特に 効果的なのは、第5連の5・7行目で繰り返されている«Когда состав на скользкомス コ ー リ ス カ ム
склоне
スクローニェ
»と いう詩行でのс, к, л等の子音反復(аллитерация)の手法であり、「滑りやすい」という意 味の形容詞«скользкийス コ ー リ ス キ ィ
»と、似たような音を持つ«склонス ク ロ ン»(傾斜)という名詞を組み合わせ て使うことで、響きからも、そのつるつるした危うい感じを連想させている。一方、第6 連4行目の«Земноеゼムノーイェ сбросила
ズ ブ ロ ー シ ラ
(ズ)с
землиゼ ム リ ー»という一節では«з»の音が繰り返されている。始め と終わりの2語[下線部]は同一語根の名詞と形容詞であり、10 音が重なるのは当然では あるが、無声子音の有声化により、通常は濁らない「ス」の音として発音されるはずの文 字«c»(述語«сбросила»の頭の«c»、ならびに前置詞の«с»)までもが、後ろに続く有声子音
(動詞の 2 番目の音«б»、および前置詞の後の名詞«земли»の頭の«з»)の影響で「ズ」と 濁ることになる。この語頭で 3度繰り返される「ズ」の音が、「地上のものを、地からふ り落とした」という一節に、いっそう不吉な響きを加えるのである。
人間のささやかな希望や約束も、残酷な運命の前には無力だった。二人称から三人称へ、
という視点の移り変わりによって、目の前にいた相手が突然、永遠に姿を消してしまうと いう現実がかえって迫ってくる。
さらに第7連では、これまで単数で出てきた«любимый»(愛する人)(第2‐3連)が複 数形に変わる(«С любимыми»)。また述語も«не расставайтесь»(離れてはいけない)、
«прощайтесь»(別れの挨拶を交わしなさい)などの命令形に変わり、もはや詩の男女に限
定された話ではなく「あなた(達)もどうか、愛する人(達)と離れないで」という普遍 的なメッセージに変わっていくのである。「別れの後(Заザ расставаньем
ラ ス タ ヴ ァ ー ニ ェ ム
)の再会」(第3連)
を待つのではなく、決して離れてはいけない(неニ расставайтесь
ラ ス タ ヴ ァ イ チ ェ ス
)、その別れがいつ、永遠 のものになるか分からないのだから…。同じ詩行が 3 度繰り返された後の 4 行目«Всей
кровью прорастайте в них»は、字句通り訳すと「全身の血で、彼ら(愛する人たち)の中
// Юность. 1978. № 2. С. 92-94.; Александр Кочетков С любимыми не расставайтесь! Стихотворения и поэмы. М., 1985.
9 ソチ・モスクワ間を走る特急列車がリュブリノ・ダーチャ駅[現クバン駅]付近で事故を起こし たのは1932年10月16日、36名の死者及び多数の負傷者が出たとされる。
Володихина Н. «С любимыми не расставайтесь!» История создания легендарного стихотворения //
Аргументы и факты. 07. 06. 2017.
[https://stav.aif.ru/society/person/s_lyubimymi_ne_rasstavaytes_kak_bylo_napisano_izvestnoe_stihotvorenie]
(2020年10月1日閲覧).
10 Тихонов. Словообразовательный словарь русского языка. Т. 1. С. 368.; Ширшов. Толковый словообразовательный словарь русского языка. С. 333-334.
に生えなさい」といった意味である。つまり血管と根のイメージが重ね合わされ、第1連 の木の喩えに戻っていくのである。
ここで使われている動詞«прорастатьプ ラ ラ ス タ ー チ
»11 は、第1連の«зарастиザ ラ ス チ ー» と同様、木と人間のア ナロジーに関わる語である。同時に連の内部では、共に命令形であり、音も類似する«неニ расставайтесьラ ス タ ヴ ァ イ チ ェ ス
»(離れてはいけない)と並べられている(«прорастайтеプ ラ ラ ス タ イ チ ェ
»)。
これらの語に共通して含まれる「ラス」という音は、«рас(т)-»という語根を共有する動
詞(第1連«зарастёт»、第7連«прорастайте»)、また「別れ」を意味する名詞及び動詞
(第3連«расставаньем»、第7連«не расставайтесь»)の一部として現れていたものだが、12 第 7 連では、続く4‐6行目で3度繰り返される名詞«раз»(~回、~度)の末尾の有声 子音«з»が無声化することにより、最終行を除く、ほぼすべての行で響くことになる。
8行のうち6行までが同じ詩行の繰り返しになっている上に、これほど密な音反復が重な るのは、この最終連だけである。詩の前半部分では、音反復の効果はむしろ、連から連への つながりを作っていくところにあり、すでに見た第1‐2連での「ドゥヴァ」の音の繰り返 しや、その直前で繰り返される分離の接頭辞「ラズ」の音(第1連«раздваиваться»、第2 連«нераздвоимы»)、13 さらに第1連と第3連の「ザラス」(第1連«зарастёт»、第3 連«За
расставаньем»)等の細かな音の共鳴によって、冒頭の3連の連続性を作り出していた。一
見して目につく、詩行まるごとの繰り返し(奇数行同士、あるいは連続した行)ばかりで なく、語根や接頭辞といった、意味を持つ最小単位をも含む子音反復によって、緻密な音 構成がなされているのである。
第7連の後半4行では、帰結(5‐8行目)と条件(8行目)の部分の«навекナ ヴ ェ ク»(永遠に)
と«наナ миг
ミ ク
»(一瞬)の対置が鮮やかに効いている。「いつも、これが最後になるかも知れ ないと思って別れなさい」というメッセージは、奇跡的に難を免れ、自分にとって大切な ものを改めて実感したであろう、作者の思いそのものであろう。
***
先に引いた回想を元に、この詩の執筆年は 1932年とされている。しかしそれが活字に なったのは、それから30年以上も後のことであった。1966年、当時刊行が始まった詩のアン ソロジー«День поэзии»(詩の日)に掲載され、翌年にもアンソロジー«Песнь любви»(愛の
11 動詞«прорастать»は、«расти»に接頭辞про-(貫通)を付けた«прорасти»の不完了体のペアであり、
種子や土などの内側から外へ伸びる、すなわち「芽吹く」「生え出す」といった意味を持つ。出典は 注3を参照のこと。
12 とりわけ後者3例(第3連«расставаньем», 第7連«не расставайтесь», «прорастайте»)は、さらに 母音aを含む「ラスタ…」という2音節の反復になっており、音の一致の効果は十分感じられる。
13「ラス」「ラズ」共に、その後に続く子音まで有声・無声の対応になっている(«раст-»、«разд-») ことも統一感を感じさせる。
歌)に収録された。14
その一方で、この詩はすでに大祖国戦争の最中、作者不詳のまま広まっており、様々な ワリアントが生まれるほど共感を集めていたという。この事情についても、コチェトコフ の友人で作家のヴィクトル・ヴィトコーヴィチが語った話として紹介されている。15
それによると戦時中の1942年、タシケントへ疎開していたコチェトコフの元を、作家の レオニード・ソロヴィヨフが訪ねた。ソロヴィヨフは自身の小説『ナスレッディン・ホジャの 物語』を基にした映画『ブハラのナスレッディン』(1943年、ヤーコフ・プロタザーノフ 監督)の撮影が行われていた当地を、脚本の共同執筆者であるヴィトコーヴィチと共に訪 れたのである。コチェトコフの朗読を聞いたソロヴィヨフはこの詩にほれ込み、写しをも らっていった。戦時中、ソ連海軍の機関紙«Красный флот»(赤い艦隊)の従軍記者をして いたソロヴィヨフはその後、行く先々で誰彼となくこの詩を読んで聞かせた、というので ある。
特定の詩がある時代、ある状況下で人々の共感を集め、書き写され、手紙や口伝てで人 から人へと伝えられていくという事象として、この詩はコンスタンチン・シーモノフの
«Жди меня»(待っていておくれ)と比較されることがある。16 しかし後者がまさに戦地で
書かれたものだったのに対し、コチェトコフの詩は 10年も前に、まったく異なる状況下 で綴られたものである。それでもなお心に響く普遍性をそなえたこの詩に、人々は自分の 思いを重ね、心の拠りどころとした。コチェトコフは 1966年よりずっと以前に、そうし た「読者」たちを得ていたのである。
この詩がもっぱら、その最も印象的なフレーズ«С любимыми не расставайтесь...»(愛す る人と離れないで)という呼び方で言及されるようになったのは、むろん映画「運命の皮 肉」によるところが大きい。すでに触れたように、この詩は映画終盤で主人公ジェーニャと ナージャの声で朗読される。手違いによって出会い、心ならずも共に新年を迎え、口論し、
歌を歌い、打ち明け話をする中で2人は次第に惹かれ合っていくが、大みそかの夜の終わ りと共に思いを断ち切ることを決意する。後ろ髪を引かれる思いで帰っていくジェーニャ の映像の背景に、この詩が流れるのである。
一篇の詩を2 人で読むということは、同じ思いを共有することである。しかもこの時、
ナージャはレニングラード、ジェーニャはモスクワへの道中におり、物理的な距離と心の 距離は反比例している。映画の人気と共に、この詩と作者への関心も高まるが、この詩以 外の作品をも含むコチェトコフの詩集が世に出たのは1985年、詩人の死後実に30年以上が
14 Александр Кочетков Баллада о прокуренном вагоне // День поэзии. М., 1966. С. 297-298; Песнь любви.
Лирика русских поэтов. М., 1967. С. 292-293.
15 Озеров. «С любимыми не расставайтесь!». С. 93.
16 Кукулин. Легализованное заклинание в интерьере советского бидермайера(前注7参照).
経ってのことであった。17
***
最後に、この映画に「登場」するその他の詩人たちとコチェトコフの関わりについて触 れておこう。
ボリス・パステルナークが10年もの歳月を費やして書き上げた小説「ドクトル・ジヴァ ゴ」がもたらした栄誉と苦悩については知られているが、詩人と親交があったコチェトコフ は、創作過程で本人による朗読を聞いている。パステルナークが後に知人への書簡で「ド クトル・ジヴァゴの第1部が生まれた頃の感情とアイディアのほとばしりは[...]私の生 涯の大切な時期、ひとつの時代であり、その後もう二度と訪れることはありませんでした」
と書いた、その重要な時にコチェトコフは立ち会っていたのである。18
また20年近い亡命生活を終えて1939年に帰国したマリーナ・ツヴェターエワとも、ほん のわずかな期間ではあるが交流があった。19 両者が知り合ったのは 1940 年、共通の知人 で詩人のヴェーラ・メルクーリエヴァを通じてのことである。20 独ソ戦開始後、ツヴェターエ ワがエラブガに疎開する直前の1941年7月、コチェトコフは夏の間モスクワ郊外のペス キに借りていた家に、ツヴェターエワと息子ゲオルギーを招いている。また、ついにモス クワから疎開する際には、孤児となったゲオルギーを伴ってタシケントに移動したという。21 リャザーノフ監督の文学への造詣の深さとロシア詩への愛によって、詩人たちはこの映 画の中で文学的「再会」を果たしたと言える。中でもコチェトコフの詩は、時代や状況を 超えて響き続ける言葉として、あえて人の声で再現された特別な作品である。この映画の テーマ曲をひとつだけ選ぶなら、劇作家ウラジーミル・キルションの書いた«Я спросил у
ясеня...»(私はとねりこにたずねた…)に違いないであろうが、コチェトコフの詩も、人
の絆を描いたこの映画の「裏のテーマ曲」とも呼べるものではないだろうか。
17 Александр Кочетков С любимыми не расставайтесь! Стихотворения и поэмы. М., 1985.
18 Русская литература ХХ века. С. 286-287.
19 以下はモスクワのツヴェターエワ博物館のホームページからの情報である。Мария Цветаева и Александр Кочетков [https://dommuseum.ru/speczproektyi/neizvestnaya/marina-czvetaeva-i-aleksandr- kochetkov](2020年10月9日閲覧).
20 ツヴェターエワは、メルクーリエヴァが革命直後、文学活動のため故郷のウラヂカフカスからモ スクワに上京した時期に会っているため、この時は約20年ぶりの再会であった。また1935年以降、
メルクーリエヴァはコチェトコフ夫妻と共にペスキで夏を過ごす習慣になっており、ツヴェターエ ワの訪問時にも同席していた。Русские писатели 20 века. С. 467-468.
21 疎開後、ゲオルギーが姉アリアードナの恋人サムイル・グレーヴィチに宛てた手紙(1942年3月 26日付)には、1941年 10月30日にモスクワを発ち、翌月23日にようやくタシケントに到着した こと、コチェトコフの「甥」として住居登録を済ませ、食事の配給を受けられるようになったこと などが綴られている。Георгий Эфрон Письма. М., 2002. С. 34-39.
Aleksandr Kochetkov’s poem “Do not part with your loved ones”
from the film “Irony of Fate, or Enjoy Your Bath!”
IWASAKI Rie
Eldar Ryazanov’s movie “The Irony of Fate, or Enjoy Your Bath!” is iconic in Russia, having been aired on New Year’s Eve for many years. One of its charms is songs performed by the protagonists, which reveal the feelings they otherwise dare not speak of.
The lyrics of these songs are based on poems by Russian/ Soviet poets. Among them is a poem
«С любимыми не расставайтесь» (“Do not part with your loved ones”) by Aleksandr Kochetkov.
The poem consists of seven stanzas, with the first four written in amoebean verse, in which a couple laments their parting. The lovers emphasize how inseparable they are and share hopes of a reunion.
The next two stanzas, however, describe a train accident in third-person narrative, in which the man in the dialogue probably lost his life.
There is a story behind this poem: in 1932, Kochetkov narrowly escaped a train wreck that took more than thirty lives. Deeply shaken, he wrote this “The ballad of the smoke-filled train car”.
Its message, clear and simple, is stated in the last stanza: “Do not part with your loved ones, cherish every moment you spend with them” — a message that calls to all people in all times.
Key words: Russian literature, poetry, Aleksandr Kochetkov