の趣旨と問題の所在
著者 東澤 靖
雑誌名 PRIME = プライム
巻 39
ページ 67‑83
発行年 2016‑03‑31
その他のタイトル Humanitarian Space in the Narrow Between Armed Conflicts and International Law: Purpose of the Feature and Problems
URL http://hdl.handle.net/10723/2749
を聞き、国民国家とは何か、民族自決のあり方な ど、ウクライナや東ヨーロッパだけではなく、今 後の国際関係全体を考える上でも沢山のヒントが
得られたと思います。今後、また教えていただき たいと思います。長時間、大変ありがとうござい ました。
1. はじめにー企画の趣旨
国際人道支援、それは武力紛争や自然・人的災 害が絶えることのない世界で、その必要性をます ます私たちに訴えかけ、可能な限り何らかの関わ りを持つことをいざなう活動だろう。そして実際 に国際人道支援活動は、実に膨大な数の地域、形 態そして人々によって行われている。苦しむ人々 の力になりたいという感情は、文化や宗教を問わ ず人がほんらい持っている博愛の精神に由来する のか、あるいは、理不尽な苦痛や暴力の中に人々 が放置されることは許されるべきではないという 人権や正義の信念に由来するのか、それはさまざ まかもしれない。しかし、つい最近の東日本大規 模地震とそれに続く福島原子力発電所事故で、ご く身近に体験したように、私たちの内には、そう した感情が確実に存在する。その容易には説明し がたい感情を、ここでは便宜的に人道主義と呼ぶ こととしたい。
そしてそのような人道主義が、国境を越え、と りわけ政治的・軍事的な暴力にさらされている市 民のために用いられるとき、それがさまざまな困 難に直面することも想像に難くない。
この小特集「国際人道支援の今日の課題」にお いては、国際人道支援活動を代表する2つの国際 組織である、赤十字国際委員会(ICRC)駐日事
務所と国境なき医師団(MSF)日本支部の協力 を得て、その活動と直面する課題を紹介すること とした。協力いただいた ICRC と MSF には、こ の場を借りてあらためて御礼を述べたい。この小 特集が、当研究所における国際人道支援活動のさ らなる研究や交流につながっていけば幸いであ る。
また、以下では、国際人道支援活動を取り巻く 課題の中で、いくつかの主要な問題と思われるも のを提示することとする。
2. 国際人道支援と国際・国内の政治
【国際人道支援の確立と赤十字運動】
国際人道支援と国際政治をめぐる第一の論争 は、武力紛争をとりまく国際・国内の政治に対し て、政治による制約を受けることなく支援を行う ための「人道的空間」(humanitarian space)を、
いかにして実現するのかという問いであった。
一般に国際人道支援の起源は、19世紀に誕生し た赤十字運動に求められる。スイスの実業家ジャ ン・アンリー・デュナンは、1859年に北イタリ ア地方でナポレオン三世軍とオーストリア帝国 軍との戦闘であるソルフェリーノの戦いに遭遇 した。デュナンがその体験の数年後に発表した 書籍『ソルフェリーノの思い出』は、その闘い と、傷つき、殺戮され、故郷を遠く離れてうち捨
人道的空間、武力紛争と国際法のはざまで
―企画の趣旨と問題の所在
東 澤 靖
(PRIME 所員)
論 文
特集 2:国際人道支援の今日の課題
てられた将兵を執拗に描き出すとともに、戦場近 くの村々の住民とともに救護に従事し、しかし限 られた医療資源のもとで救護された傷兵も、むな しく生命や四肢を失っていくのを目撃した体験を 描き出している (1)。その体験を契機にデュナン は、常設の国際的な救護団体の設立と、傷病兵や 衛生要員の保護のための条約を提唱した。そし て、その提唱は、4年後の1863年には、国際赤十 字 委 員 会(International Committee of the Red Cross:ICRC)の前身となる「5人委員会」の設 立、そして翌1864年には、スイス政府の主導で最 初のジュネーブ条約への採択へとつながっていっ た (2)。
このようにして始まった国際赤十字運動は、交 戦当事国からの中立性という活動原則を確立して いく。その活動原則は、長年にわたる経験を経て 拡充され、人道・公平・中立・独立・奉仕・単 一・普遍性の7つの基本原則を含む「赤十字基本 原則」に結実していく (3)。これらの基本原則は、
国際人道支援の倫理的正当性を基礎づけると同時 に、何よりも国際人道支援活動に「人道的空間」
を設けていくための、経験から導き出された極め て実践的な原則であった (4)。すなわち、人道支 援活動が交戦当事者のいずれか一方の立場に立て ば、他方の当事者の支配のもとにある傷病者や市 民にアクセスすることは困難となるし、人道支援 活動への従事者自身が攻撃の対象となる。そのた め、紛争に対する中立性を標榜することによって、
人道支援活動は、交戦当事者をはじめとする政治 的な介入を受けない状況を作り出そうとしたので ある。
しかし、人道支援活動が交戦当事者に対し中立 的であることにより、さらにはその活動を非政治 的なものとすることによって「人道的空間」を作 り出していくという思想は、倫理的にも、実際的 にも決して自明のものではない。国際赤十字運動 の中立性の功罪が激しく問われたのは、第二次世
界大戦中のホロコーストにおける赤十字の対応で あった。ICRC は、中立性の原則の下でその活動 を行うために関係国の同意を得て行うことを条件 としていた。そしてポーランドなどに移送されて いたユダヤ人の問題についても、強制移送の事実 やユダヤ人に対する迫害についての情報を得て、
ICRC の訪問を要請していたがドイツ政府に拒絶 されていた。そのようなドイツ政府の拒絶に対し、
ICRC は、ユダヤ人をめぐる人道法違反の状況を 対外的にアピールすべきかどうかを検討したが、
1942年に、アピールは望ましい結果をもたらさな いとしてそれを断念した。後に ICRC は、数少な い散発的な例外を除いて、「第二次世界大戦中に 迫害されたユダヤ人及び他の市民集団を支援する ICRC の努力は、失敗であった」と結論づけてい る (5)。ただ、後に触れるように、第二次世界大 戦当時のジュネーブ条約では、その保護の対象に、
戦争での傷病兵や捕虜を超えて、市民(文民)は 含められておらず、ICRC がユダヤ人などの市民 が強制収容された施設を訪問するなど、市民を保 護するための活動は、実務的な慣例以上に国際法 によっては承認されていなかった。しかしながら、
例え国際法が仮に存在したとしても、それを守ろ うとしない政府や軍事勢力、あるいは国際人道支 援の市民へのアクセスを認めようとしない政府や 軍事勢力が存在する場合、国際人道支援の活動分 野は極めて限定されてしまうという根本的な問題 は存在し続ける。
【中立性原則と表明活動(speakingout)】
国際人道支援は、それを妨害しようとする紛争 の当事者に対しても、中立性を守るために沈黙を 守るべきなのか、さらには、紛争当事者が同意し ない場合であっても国際人道支援活動は行われる べきなのか。
このような国際人道支援の中立性をめぐる問題 が意識的に提起されたのは、1968年から1970年に
かけて約200万人の戦死者・餓死者を生み出した ナイジェリアのビアフラ戦争であった。ナイジェ リア南西部ビアフラの独立を宣言した勢力とナイ ジェリア政府との間に行われた戦闘では、政府軍 がビアフラを経済封鎖することにより、市民の飢 餓状況が作り出された。ICRC は、紛争当事者の 同意を得て支援を実施するために、ビアフラで起 こっている事態について対外的に公表することは しないという守秘の誓約をしていた。
しかし国際的な支援活動がしばしば紛争の当事 者によって妨げられる事態を前にして、フランス の医師ベルナール・クシュネルをはじめとする ICRC の活動家が、メディアに向けて公然と紛争 の当事者を批判する行動を開始した。このことが クシュネルらによって、1971年の「国境なき医師 団」(MSF)の結成につながっていく (6)。MSF は、その活動の目的に人道支援活動のみではな く、世論に向けて警告を発するという表明活動
(speaking out)を含めようとしたのである (7)。 しかしながら、国際人道支援活動が紛争の当事 者の非人道的行為について警告を表明すること が、紛争の当事者である政府や勢力との間に緊張 関係を生み出すことは、容易に想像できる。1983 年から1985年にかけてのエチオピアの飢饉では、
子どもたちが飢餓に苦しむ状況に対して、アフリ カの飢餓と貧困を解消する目的で著名なアーティ ストも巻き込んで、チャリティのための一大キャ ンペーンが展開された。一方で現地の医療支援活 動に従事していた MSF は、飢餓と貧困の一因が、
自然災害以上にエチオピア政府が内戦に対抗する ために住民を強制移住させたためであるという事 実を公表し、それを批判するとともに強制移住の 停止を要請した。そのため、MSF は、エチオピ ア政府によって追放されることとなった (8)。
紛争の当事者による妨害を受けることなく、支 援を必要とする人々にアクセスすることは国際人 道支援活動の前提条件である。しかし、そのアク
セスを確保するために、目の前で起きている非人 道行為に対して沈黙を守るべきなのか。国際人道 支援の中立性と、実際に苦しむ人々を生み出して いる紛争や政治に対する立場性という問題は、形 を変えながらも、引き続き国際人道支援活動の間 で議論され続けている (9)。
【独立性原則と「拒否する論理」】
中立性原則と並んで、非政府組織による人道支 援活動が、強く依拠しているのは、その活動を自 らの組織の目的、通常は苦しむ人々に救援を与え ることそれ自体を、紛争やそれを取り巻く政治か ら独立させることである。人道支援を行うかどう か、どの地域でどのような態様で行うか、逆にど のような場合に人道援助を中止するか。そうした 判断は、紛争の当事者はもちろん、武力紛争に介 入し、あるいは国家規模の人道支援を実施する各 国政府や国際機関の思惑からも独立しているとい うのが、人道主義に基づく人道支援を行う場合の 原則とされる。
しかし、そうした独立性の原則は、実際にはさ まざまな形でその修正を迫られる。紛争の当事者 である政府や勢力が支配する紛争地域、あるいは 各国政府や国際機関が管理する難民キャンプなど において、その支配・管理する者の承認や黙認な しに実際の人道支援を行うことはできない。人道 支援を必要とする人々にアクセスするために、人 道支援活動は、その地域や支援の態様など、かず かずの制限や変更を加えられることもある。紛争 の当事者が人道支援組織の活動の見返りに、金銭 やサービスの提供、政治的宣伝への協力を条件と することもある。人道支援組織を政治的な目的で 利用しようとすることは、介入や支援を行う各国 政府や国際機関にもあり得ることだろう。
そのような人道支援活動の独立性を損なうよう な事態に直面する場合、人道支援組織は、大きな ジレンマの中に置かれる。支援を必要とする人々
てられた将兵を執拗に描き出すとともに、戦場近 くの村々の住民とともに救護に従事し、しかし限 られた医療資源のもとで救護された傷兵も、むな しく生命や四肢を失っていくのを目撃した体験を 描き出している (1)。その体験を契機にデュナン は、常設の国際的な救護団体の設立と、傷病兵や 衛生要員の保護のための条約を提唱した。そし て、その提唱は、4年後の1863年には、国際赤十 字 委 員 会(International Committee of the Red Cross:ICRC)の前身となる「5人委員会」の設 立、そして翌1864年には、スイス政府の主導で最 初のジュネーブ条約への採択へとつながっていっ た (2)。
このようにして始まった国際赤十字運動は、交 戦当事国からの中立性という活動原則を確立して いく。その活動原則は、長年にわたる経験を経て 拡充され、人道・公平・中立・独立・奉仕・単 一・普遍性の7つの基本原則を含む「赤十字基本 原則」に結実していく (3)。これらの基本原則は、
国際人道支援の倫理的正当性を基礎づけると同時 に、何よりも国際人道支援活動に「人道的空間」
を設けていくための、経験から導き出された極め て実践的な原則であった (4)。すなわち、人道支 援活動が交戦当事者のいずれか一方の立場に立て ば、他方の当事者の支配のもとにある傷病者や市 民にアクセスすることは困難となるし、人道支援 活動への従事者自身が攻撃の対象となる。そのた め、紛争に対する中立性を標榜することによって、
人道支援活動は、交戦当事者をはじめとする政治 的な介入を受けない状況を作り出そうとしたので ある。
しかし、人道支援活動が交戦当事者に対し中立 的であることにより、さらにはその活動を非政治 的なものとすることによって「人道的空間」を作 り出していくという思想は、倫理的にも、実際的 にも決して自明のものではない。国際赤十字運動 の中立性の功罪が激しく問われたのは、第二次世
界大戦中のホロコーストにおける赤十字の対応で あった。ICRC は、中立性の原則の下でその活動 を行うために関係国の同意を得て行うことを条件 としていた。そしてポーランドなどに移送されて いたユダヤ人の問題についても、強制移送の事実 やユダヤ人に対する迫害についての情報を得て、
ICRC の訪問を要請していたがドイツ政府に拒絶 されていた。そのようなドイツ政府の拒絶に対し、
ICRC は、ユダヤ人をめぐる人道法違反の状況を 対外的にアピールすべきかどうかを検討したが、
1942年に、アピールは望ましい結果をもたらさな いとしてそれを断念した。後に ICRC は、数少な い散発的な例外を除いて、「第二次世界大戦中に 迫害されたユダヤ人及び他の市民集団を支援する ICRC の努力は、失敗であった」と結論づけてい る (5)。ただ、後に触れるように、第二次世界大 戦当時のジュネーブ条約では、その保護の対象に、
戦争での傷病兵や捕虜を超えて、市民(文民)は 含められておらず、ICRC がユダヤ人などの市民 が強制収容された施設を訪問するなど、市民を保 護するための活動は、実務的な慣例以上に国際法 によっては承認されていなかった。しかしながら、
例え国際法が仮に存在したとしても、それを守ろ うとしない政府や軍事勢力、あるいは国際人道支 援の市民へのアクセスを認めようとしない政府や 軍事勢力が存在する場合、国際人道支援の活動分 野は極めて限定されてしまうという根本的な問題 は存在し続ける。
【中立性原則と表明活動(speakingout)】
国際人道支援は、それを妨害しようとする紛争 の当事者に対しても、中立性を守るために沈黙を 守るべきなのか、さらには、紛争当事者が同意し ない場合であっても国際人道支援活動は行われる べきなのか。
このような国際人道支援の中立性をめぐる問題 が意識的に提起されたのは、1968年から1970年に
かけて約200万人の戦死者・餓死者を生み出した ナイジェリアのビアフラ戦争であった。ナイジェ リア南西部ビアフラの独立を宣言した勢力とナイ ジェリア政府との間に行われた戦闘では、政府軍 がビアフラを経済封鎖することにより、市民の飢 餓状況が作り出された。ICRC は、紛争当事者の 同意を得て支援を実施するために、ビアフラで起 こっている事態について対外的に公表することは しないという守秘の誓約をしていた。
しかし国際的な支援活動がしばしば紛争の当事 者によって妨げられる事態を前にして、フランス の医師ベルナール・クシュネルをはじめとする ICRC の活動家が、メディアに向けて公然と紛争 の当事者を批判する行動を開始した。このことが クシュネルらによって、1971年の「国境なき医師 団」(MSF)の結成につながっていく (6)。MSF は、その活動の目的に人道支援活動のみではな く、世論に向けて警告を発するという表明活動
(speaking out)を含めようとしたのである (7)。 しかしながら、国際人道支援活動が紛争の当事 者の非人道的行為について警告を表明すること が、紛争の当事者である政府や勢力との間に緊張 関係を生み出すことは、容易に想像できる。1983 年から1985年にかけてのエチオピアの飢饉では、
子どもたちが飢餓に苦しむ状況に対して、アフリ カの飢餓と貧困を解消する目的で著名なアーティ ストも巻き込んで、チャリティのための一大キャ ンペーンが展開された。一方で現地の医療支援活 動に従事していた MSF は、飢餓と貧困の一因が、
自然災害以上にエチオピア政府が内戦に対抗する ために住民を強制移住させたためであるという事 実を公表し、それを批判するとともに強制移住の 停止を要請した。そのため、MSF は、エチオピ ア政府によって追放されることとなった (8)。
紛争の当事者による妨害を受けることなく、支 援を必要とする人々にアクセスすることは国際人 道支援活動の前提条件である。しかし、そのアク
セスを確保するために、目の前で起きている非人 道行為に対して沈黙を守るべきなのか。国際人道 支援の中立性と、実際に苦しむ人々を生み出して いる紛争や政治に対する立場性という問題は、形 を変えながらも、引き続き国際人道支援活動の間 で議論され続けている (9)。
【独立性原則と「拒否する論理」】
中立性原則と並んで、非政府組織による人道支 援活動が、強く依拠しているのは、その活動を自 らの組織の目的、通常は苦しむ人々に救援を与え ることそれ自体を、紛争やそれを取り巻く政治か ら独立させることである。人道支援を行うかどう か、どの地域でどのような態様で行うか、逆にど のような場合に人道援助を中止するか。そうした 判断は、紛争の当事者はもちろん、武力紛争に介 入し、あるいは国家規模の人道支援を実施する各 国政府や国際機関の思惑からも独立しているとい うのが、人道主義に基づく人道支援を行う場合の 原則とされる。
しかし、そうした独立性の原則は、実際にはさ まざまな形でその修正を迫られる。紛争の当事者 である政府や勢力が支配する紛争地域、あるいは 各国政府や国際機関が管理する難民キャンプなど において、その支配・管理する者の承認や黙認な しに実際の人道支援を行うことはできない。人道 支援を必要とする人々にアクセスするために、人 道支援活動は、その地域や支援の態様など、かず かずの制限や変更を加えられることもある。紛争 の当事者が人道支援組織の活動の見返りに、金銭 やサービスの提供、政治的宣伝への協力を条件と することもある。人道支援組織を政治的な目的で 利用しようとすることは、介入や支援を行う各国 政府や国際機関にもあり得ることだろう。
そのような人道支援活動の独立性を損なうよう な事態に直面する場合、人道支援組織は、大きな ジレンマの中に置かれる。支援を必要とする人々
へのアクセスを確保するために、独立性の全部ま たは一部を犠牲にするか、あるいは、自らの独立 性を損なわないために、そしてそのことが国際人 道支援活動全般をより強いものにするものだと信 じて、支援を中止し、結果的に支援を必要とする 人々を見捨てるか。
もちろん国際人道支援活動は、このようなジレ ンマに常に直面するわけではないだろうし、その 直面する問題の程度もさまざまだろう。しかし、
それぞれの人道支援組織は、そのようなジレンマ を抱えながらも活動を継続する論理、あるいは一 定の場合には人道支援活動を行わずまた撤退する という「拒否する論理」を持つことが必要とな る (10)。
【国際人道支援のパラドックス】
国際人道支援活動が直面してきた問題は、国際・
国内の政治による妨害だけではない。「人道的空 間」を作り出そうとする活動が、武力紛争を逆に 長期化させるという問題が指摘されてきた。先 のビアフラ戦争においてもすでに、人道支援によ る食料支援が分離独立派を助けることになり、か えって戦争の継続と飢餓の長期化という悲劇的な 結果をもたらしたことが指摘されていた (11)。さ らに、紛争の長期化の問題と並んで、紛争の当事 者が、人道支援を紛争の資源として利用して紛争 を継続させ、あるいは難民キャンプなどで避難民 を支配するための手段として利用しているという 問題が起こってきている。そして、諸国家を巻き 込んだ大規模な人道支援が常態化する中で、人道 支援が現地の政府や反政府勢力などに、むしろ紛 争を開始させ、継続させるというモラル・ハザー ドの結果をもたらしていることも指摘されてい る (12)。
例えば、1994年の大虐殺の後にツチ族系の政権 ができたルワンダでは、フツ族系の旧政府関係者 や民兵集団が隣国ザイール(現 DRC)などのフ
ツ族住民の難民キャンプに避難し、フツ族住民に 対する強制的な管理を継続した。国際社会は、こ うした難民キャンプに人道支援を行ったが、旧政 府軍勢力は、住民の自発的帰国を禁止し、支援か ら軍事活動継続のための物資や資金を調達し続け た (13)。それによって国際人道支援は、紛争を継 続させる効果を持つことになった。
こうした、国際人道支援による紛争の長期化と いうパラドックス、さらには紛争の当事者による 支援の悪用という事態は、人道支援活動にとって、
程度の差はあれ、解決困難な「人道援助の構造的 矛盾」であるとも指摘されている (14)。その場合、
人道支援活動に求められるのは、そのような矛盾 の存在を認めながら、最も効果的な人道支援の方 法を模索することなのかもしれない。
【「新たな戦争」のもとでの国際人道支援】
さらに国際人道支援を取り巻く状況としてしば しば指摘されるのは、冷戦後に顕著となった「新 たな戦争」のもとでの活動の困難性である。これ は、後に触れるように、国際法のもとでの「戦 争」とは、国家同士が一定の手続を経て開始する 武力紛争を想定している。実際には、そのような 手続を経ない国家間の武力紛争、植民地独立戦争 などのように正式な国家を当事者としない武力紛 争、さらには一定の規模を持った内乱や武装勢力 間の武力紛争が存在し、国際法もそれらを取り込 んできた。しかし、冷戦の終結以降、国内の混乱 や外国勢力の影響によって、政府が事実上存在せ ず、あるいはその統治権が及ばない地域で、地方 武装勢力が割拠して武力紛争を継続する状況が国 際社会の注目を引くようになった。そうした武力 紛争、すなわち「新たな戦争」は、伝統的な国家 間の紛争としての戦争と対比して、「不法かつ寄 生的な経済行為で生計を立て、小火器や他のロー テクの兵器類を使用し、そして市民を食い物にし て危害を与えるのを主とする、非国家アクターに
よって主に遂行される国内の武力紛争」と定義さ れる (15)。
そうした「新たな戦争」における紛争の当事者 は、統制をうける政府軍や反乱軍だけではない。
民兵、準軍事組織、地方軍事指導者など、種々雑 多な組織を形成し、そこには大量の子ども兵士も 含まれることがある。そうした組織は、特に経済 的な利害で集まっている場合、明確な政治的目標 も、忠誠を示す対象も持たず、また、武装勢力と して著しく規律や統制を欠くことを特徴とする。
そのような武力紛争のもとでは、市民は、不幸な 犠牲者というよりは、むしろ意図された被害者と なり、紛争の当事者は、市民を自らの利害のため に利用することはあっても、市民の生活や安全に ついては関心を持たない。
紛争の当事者が、何らの政治的目標も大義も持 たず、国内はもちろん国際社会の評価に何らの価 値を置かないとすれば、国際人道支援組織が掲げ る人道主義への理解や共感は、活動を認めさせる ための梃子としては、ほとんど意味を持たないか もしれない。また、紛争の当事者が著しく規律や 統制を欠く場合、国際人道支援組織がその当事者 の了解を得たとしても、活動の安全が確保される わけではない。そのため人道支援組織にとって、
紛争の当事者の同意を得て、統制された状況の中 で市民にアクセスすることはますます困難とな る (16)。逆に、人道支援組織がアクセスを獲得す るためには、経済的な利益の提供を含めて、紛争 の当事者を納得させるようなインセンティブを提 供する必要に迫られるかもしれないが、そのこと はすでに述べた独立性をめぐるジレンマへとつな がっていく。
【政府系の国際人道支援】
これまで挙げてきた問題は、非政府主体である 人道支援組織が、その活動において直面する課題 を概観してきた。さらに今日では、非政府組織を
主体とする人道支援以上に、国家や国家連合、あ るいは国連や難民高等弁務官事務所(UNHCR) などの国際組織による、政府系の人道支援が実際 の人道支援の大半を担っている。そして、民間の 人道支援組織も、しばしばそうした政府系の人道 支援に組み込まれ、資金援助と委託を受けて人道 支援活動を行うことが多くなっている。
このことを2014年の数字で見てみれば、武力紛 争に限らず自然災害や伝染病などを含む、すべ ての国際人道支援に支出された資金は、総額245 億ドル(約3兆円)にのぼる (17)。これは前年比 19%の増加率であり、主要な支援先は、シリア、 中央アフリカ、南スーダン、イラク、またエボラ ウィルスの影響を受けた西アフリカ諸国であっ た。この資金総額のうち、民間の資金は58億ド ル(2013年は54億ドル)なのに対し、政府の資金 は187億ドル(2013年は151億ドル)であり、政府 の資金は、資金の割合(76.3%)でもその増加率
(23.8%増)においても、民間の資金を圧倒して いる。なお政府資金のうち168億ドルは、OECD 諸国による。
このように政府系の人道支援が拡大してきた背 景としては、人道支援と安全保障との関係が強 まってきたことが指摘されている (18)。すなわち、 紛争の長期化によって失敗国家(failed states) となった地域は、それらの地域にとっての脅威で あるだけではなく、近隣諸国あるいは国際社会に とっての脅威となるという考え方である。その端 的な例は、2001年の9/11後のアフガニスタンに対 する西側社会の対応である。アメリカによる報復 攻撃によってタリバーン政権が崩壊した直後に、 国連安全保障理事会(安保理)は、テロリズムの 温床を根絶する国際的努力の一環として、国際 治安支援部隊(ISAF)派遣に先立ち、加盟国に 緊急人道支援の提供を呼びかけた (19)。それ以降、 失敗国家はテロリストの温床となっており、それ をなくすために国際人道支援が必要だという認識
へのアクセスを確保するために、独立性の全部ま たは一部を犠牲にするか、あるいは、自らの独立 性を損なわないために、そしてそのことが国際人 道支援活動全般をより強いものにするものだと信 じて、支援を中止し、結果的に支援を必要とする 人々を見捨てるか。
もちろん国際人道支援活動は、このようなジレ ンマに常に直面するわけではないだろうし、その 直面する問題の程度もさまざまだろう。しかし、
それぞれの人道支援組織は、そのようなジレンマ を抱えながらも活動を継続する論理、あるいは一 定の場合には人道支援活動を行わずまた撤退する という「拒否する論理」を持つことが必要とな る (10)。
【国際人道支援のパラドックス】
国際人道支援活動が直面してきた問題は、国際・
国内の政治による妨害だけではない。「人道的空 間」を作り出そうとする活動が、武力紛争を逆に 長期化させるという問題が指摘されてきた。先 のビアフラ戦争においてもすでに、人道支援によ る食料支援が分離独立派を助けることになり、か えって戦争の継続と飢餓の長期化という悲劇的な 結果をもたらしたことが指摘されていた (11)。さ らに、紛争の長期化の問題と並んで、紛争の当事 者が、人道支援を紛争の資源として利用して紛争 を継続させ、あるいは難民キャンプなどで避難民 を支配するための手段として利用しているという 問題が起こってきている。そして、諸国家を巻き 込んだ大規模な人道支援が常態化する中で、人道 支援が現地の政府や反政府勢力などに、むしろ紛 争を開始させ、継続させるというモラル・ハザー ドの結果をもたらしていることも指摘されてい る (12)。
例えば、1994年の大虐殺の後にツチ族系の政権 ができたルワンダでは、フツ族系の旧政府関係者 や民兵集団が隣国ザイール(現 DRC)などのフ
ツ族住民の難民キャンプに避難し、フツ族住民に 対する強制的な管理を継続した。国際社会は、こ うした難民キャンプに人道支援を行ったが、旧政 府軍勢力は、住民の自発的帰国を禁止し、支援か ら軍事活動継続のための物資や資金を調達し続け た (13)。それによって国際人道支援は、紛争を継 続させる効果を持つことになった。
こうした、国際人道支援による紛争の長期化と いうパラドックス、さらには紛争の当事者による 支援の悪用という事態は、人道支援活動にとって、
程度の差はあれ、解決困難な「人道援助の構造的 矛盾」であるとも指摘されている (14)。その場合、
人道支援活動に求められるのは、そのような矛盾 の存在を認めながら、最も効果的な人道支援の方 法を模索することなのかもしれない。
【「新たな戦争」のもとでの国際人道支援】
さらに国際人道支援を取り巻く状況としてしば しば指摘されるのは、冷戦後に顕著となった「新 たな戦争」のもとでの活動の困難性である。これ は、後に触れるように、国際法のもとでの「戦 争」とは、国家同士が一定の手続を経て開始する 武力紛争を想定している。実際には、そのような 手続を経ない国家間の武力紛争、植民地独立戦争 などのように正式な国家を当事者としない武力紛 争、さらには一定の規模を持った内乱や武装勢力 間の武力紛争が存在し、国際法もそれらを取り込 んできた。しかし、冷戦の終結以降、国内の混乱 や外国勢力の影響によって、政府が事実上存在せ ず、あるいはその統治権が及ばない地域で、地方 武装勢力が割拠して武力紛争を継続する状況が国 際社会の注目を引くようになった。そうした武力 紛争、すなわち「新たな戦争」は、伝統的な国家 間の紛争としての戦争と対比して、「不法かつ寄 生的な経済行為で生計を立て、小火器や他のロー テクの兵器類を使用し、そして市民を食い物にし て危害を与えるのを主とする、非国家アクターに
よって主に遂行される国内の武力紛争」と定義さ れる (15)。
そうした「新たな戦争」における紛争の当事者 は、統制をうける政府軍や反乱軍だけではない。
民兵、準軍事組織、地方軍事指導者など、種々雑 多な組織を形成し、そこには大量の子ども兵士も 含まれることがある。そうした組織は、特に経済 的な利害で集まっている場合、明確な政治的目標 も、忠誠を示す対象も持たず、また、武装勢力と して著しく規律や統制を欠くことを特徴とする。
そのような武力紛争のもとでは、市民は、不幸な 犠牲者というよりは、むしろ意図された被害者と なり、紛争の当事者は、市民を自らの利害のため に利用することはあっても、市民の生活や安全に ついては関心を持たない。
紛争の当事者が、何らの政治的目標も大義も持 たず、国内はもちろん国際社会の評価に何らの価 値を置かないとすれば、国際人道支援組織が掲げ る人道主義への理解や共感は、活動を認めさせる ための梃子としては、ほとんど意味を持たないか もしれない。また、紛争の当事者が著しく規律や 統制を欠く場合、国際人道支援組織がその当事者 の了解を得たとしても、活動の安全が確保される わけではない。そのため人道支援組織にとって、
紛争の当事者の同意を得て、統制された状況の中 で市民にアクセスすることはますます困難とな る (16)。逆に、人道支援組織がアクセスを獲得す るためには、経済的な利益の提供を含めて、紛争 の当事者を納得させるようなインセンティブを提 供する必要に迫られるかもしれないが、そのこと はすでに述べた独立性をめぐるジレンマへとつな がっていく。
【政府系の国際人道支援】
これまで挙げてきた問題は、非政府主体である 人道支援組織が、その活動において直面する課題 を概観してきた。さらに今日では、非政府組織を
主体とする人道支援以上に、国家や国家連合、あ るいは国連や難民高等弁務官事務所(UNHCR)
などの国際組織による、政府系の人道支援が実際 の人道支援の大半を担っている。そして、民間の 人道支援組織も、しばしばそうした政府系の人道 支援に組み込まれ、資金援助と委託を受けて人道 支援活動を行うことが多くなっている。
このことを2014年の数字で見てみれば、武力紛 争に限らず自然災害や伝染病などを含む、すべ ての国際人道支援に支出された資金は、総額245 億ドル(約3兆円)にのぼる (17)。これは前年比 19%の増加率であり、主要な支援先は、シリア、
中央アフリカ、南スーダン、イラク、またエボラ ウィルスの影響を受けた西アフリカ諸国であっ た。この資金総額のうち、民間の資金は58億ド ル(2013年は54億ドル)なのに対し、政府の資金 は187億ドル(2013年は151億ドル)であり、政府 の資金は、資金の割合(76.3%)でもその増加率
(23.8%増)においても、民間の資金を圧倒して いる。なお政府資金のうち168億ドルは、OECD 諸国による。
このように政府系の人道支援が拡大してきた背 景としては、人道支援と安全保障との関係が強 まってきたことが指摘されている (18)。すなわち、
紛争の長期化によって失敗国家(failed states)
となった地域は、それらの地域にとっての脅威で あるだけではなく、近隣諸国あるいは国際社会に とっての脅威となるという考え方である。その端 的な例は、2001年の9/11後のアフガニスタンに対 する西側社会の対応である。アメリカによる報復 攻撃によってタリバーン政権が崩壊した直後に、
国連安全保障理事会(安保理)は、テロリズムの 温床を根絶する国際的努力の一環として、国際 治安支援部隊(ISAF)派遣に先立ち、加盟国に 緊急人道支援の提供を呼びかけた (19)。それ以降、
失敗国家はテロリストの温床となっており、それ をなくすために国際人道支援が必要だという認識
が定着していくことになる。
政府系の国際人道支援は、その予算においても 規模においても、NGO の人道支援組織が行う活 動とは比較できないほど大規模なものとなる。し かしそこでの問題は、「諸国家が人道的活動の拡 大を促進するとしても、それは国家的利益の足跡 を残すような方法で行われる」ということであ る (20)。言いかえれば、国家が主導または関与す る国際的人道支援は、国家の資金を用いることを 有権者に納得させるために、人道支援の実施の有 無や方法において、結局はその国家的利益に添う ように行わざるを得ない。それは、苦しむ人々の 救済を最大の目的とする人道主義とは、必ずしも 重なり合うものではない (21)。
また、政府系の国際人道支援は、政府の機関や 国連などの多国籍機関だけではなく、実際にはそ の少なからぬ部分が民間の人道支援組織を通じて 実施されている。2013年の統計では、国際人道支 援に支出された政府の資金は、その8%が国際赤 十字・赤新月社連盟、19%が NGO によって用い られている (22)。政府の資金により人道支援の実 施を受託する人道支援組織は、当然のことながら、
その援助対象の地域、人々、方法の選定において、
完全な独立を保つことは困難であり、各国政府や 国際組織の意向による影響を受けざるを得ない。
【国際的な軍事的介入と人道支援】
政府系の国際人道支援は、対象地域の不安定な 治安状況に対応するために、あるいは前述のよう に9/11以降に顕著となったテロリズムの温床を根 絶するという目的のもとに、しばしば国際的な軍 隊組織の介入とともに実施される。その場合、国 際人道支援活動は、政府系の人道支援の一つとし て行われる場合に、たとえ独立して行われる場合 でも、大きな困難に直面する。人道支援が国際的 な武力介入と同視されて、紛争の当事者や住民か ら警戒され、さらには攻撃の対象とされることに
より、支援を必要とする人々へのアクセスがより 困難となり、支援の要員に対する危険性が増大す るからである (23)。
また、人道支援の目的達成を標榜する軍事的 介入の必要性や正当性をめぐる議論も、古くは
「人道的介入」、近時では国家の「保護する責任
(Responsibility to Protect: R2P)」という概念の もとになされている (24)。
「人道的介入」をめぐっては、自衛のための緊 急措置以外の武力行使をすべて違法とする国連憲 章のもとでも、人道目的のやむを得ない軍事的介 入についてはそれを認める余地があるのではない かという主張、逆に、法的問題を離れても実際の 国際政治のもとで純粋な人道目的の軍事的介入は 存在しないし、むしろ濫用の危険性が高いといっ た主張が戦わされてきた。
比較的新しい概念である「保護する責任」と は、国家に主権が認められる正当性の根拠は、そ の国家の領域内の住民を保護することにあり、国 家がその第一次的責任を果たさない場合には、国 際社会がその国家の主権にもかかわらず、国家に 代わって住民を保護する責任もしくは権利がある という考え方である。
「保護する責任」は、2001年にカナダ政府設置 にかかる「介入と国家主権に関する国際委員会
(ICISS)」が公表した報告書「The Responsibility to Protect」によって提唱され、その後、2005年 の国連総会ハイレベル全体会合で採択された成果 文書である「2005年世界サミット成果文書」の中 に、「集団殺害、戦争犯罪、民族浄化及び人道に 対する犯罪から住民を保護する責任」として盛り 込まれることになった (25)。その中には、平和的 手段が適切ではなく国家当局が明白に住民保護を 行わない場合には安保理を通じて強制的措置を含 む集団的措置を「とる用意があること」(139項)
が含まれていた。その後、実際に安保理は、2011 年のアラブの春の中で、リビアへの武力行使を国
連加盟国に認める決議1973を採択する際に、その 根拠として「保護する責任」を援用した (26)。す なわち、「リビア当局によるリビアの住民を保護 する責任を繰り返し、武力紛争の当事者は市民の 保護を確保するためにすべての可能な手段を取る 第一次的責任を負うことを再確認」するとともに
(前文第4段落)、それが行われていない状況を前 提に安保理は、「市民と市街地の保護、ならびに 人道支援の速やかかつ妨げのない通過と人道要員 の安全を確保する自らの決意を表明」(第9段落)
することとしたのである。
このような人道目的の軍事介入は、人道支援活 動との連携によって、その活動に対する紛争の当 事者の妨害を排除し、支援対象の市民と支援活動 の要員に安全を提供することによって、人道支援 活動の実効性を向上させる側面はあるかもしれな い (27)。しかし、人道支援活動と軍事的介入の連 携は、新たな紛争の当事者となる軍事介入と人道 支援活動との区別をあいまいなものとし、人道支 援組織の中立性に対する紛争当事者の認識、それ を基礎とする人道支援活動の安全性や独立性を損 なうという影響も持つことになる (28)。
さらにひるがえって考えてみれば、政府系の国 際人道支援は、諸国家が行動をとるがゆえにもた らされる問題よりも、依然として、諸国家が行動 をとらないことの問題の方がより深刻であるかも しれない。「保護する責任」などの規範の発展に もかかわらず、世界中で絶えることのない人道的 危機に対して、安保理が何らの行動もとらないと いう例は、パレスティナやシリアを想起するまで もなく数多くある。結局のところ、人道主義の論 理は、それぞれの国家の利益という論理の前には、
あまりにも無力なのだろう (29)。
そうであればこそ、非国家主体による人道支援 活動は、政府系の人道支援が量的に圧倒する中で もその重要性が減じることはないし、人道支援組 織が不必要な国際政治の制約を受けることなく、
「人道的空間」を確保できるための方策が、探求 されなければならない。
3. 国際人道支援と国際人道法の発展
すでに見たように国際人道支援活動は、その活 動を困難にする国際・国内の政治の状況の中で「人 道的空間」を確保していくために、多くの課題に 直面してきた。他方で、その活動の中立性ある いは非政治性を強調する国際人道支援活動が、紛 争による被害の抑制や紛争そのものの終結のため に、国際・国内の政治に対して一定の影響力を行 使するという政治的機能を果たしてきたことも、 否定しようのない事実である (30)。そのような政 治的機能には、国際人道支援活動を担う NGO が、 被害の抑制や紛争への国際社会の介入を求めて、 非公開の働きかけやキャンペーンを行うなど多様 な形態が含まれるであろう。しかし、本稿では、 その中でも国際人道法や国際法など、国際人道支 援活動が法制度の発展や変化に与えてきた影響、 そしてそうした発展や変化の故に新たに直面する 問題を見てみることにする。
(1)人道支援と国際人道法の発展
武力紛争における国際人道支援の活動とそれが 依って立つ人道主義は、各国の利害によって支配 される国際政治の中に、「人道的空間」を設ける ための国際法である国際人道法を生み出し、発展 させることに大きな影響を与えてきた (31)。
ICRC の活動が誕生したのは、平等な主権国家 の間での戦争の正・不正を論じることはできずす べて正当であるという、無差別戦争観が支配する 時代であった。その中で、デュナンらの推進する 運動は、ICRC の設立だけではなく、引き続いて 1864年の負傷軍人の状態改善のための最初のジュ ネーブ条約の成立につながったことは、前述した とおりである。1864年ジュネーブ条約では、人道
が定着していくことになる。
政府系の国際人道支援は、その予算においても 規模においても、NGO の人道支援組織が行う活 動とは比較できないほど大規模なものとなる。し かしそこでの問題は、「諸国家が人道的活動の拡 大を促進するとしても、それは国家的利益の足跡 を残すような方法で行われる」ということであ る (20)。言いかえれば、国家が主導または関与す る国際的人道支援は、国家の資金を用いることを 有権者に納得させるために、人道支援の実施の有 無や方法において、結局はその国家的利益に添う ように行わざるを得ない。それは、苦しむ人々の 救済を最大の目的とする人道主義とは、必ずしも 重なり合うものではない (21)。
また、政府系の国際人道支援は、政府の機関や 国連などの多国籍機関だけではなく、実際にはそ の少なからぬ部分が民間の人道支援組織を通じて 実施されている。2013年の統計では、国際人道支 援に支出された政府の資金は、その8%が国際赤 十字・赤新月社連盟、19%が NGO によって用い られている (22)。政府の資金により人道支援の実 施を受託する人道支援組織は、当然のことながら、
その援助対象の地域、人々、方法の選定において、
完全な独立を保つことは困難であり、各国政府や 国際組織の意向による影響を受けざるを得ない。
【国際的な軍事的介入と人道支援】
政府系の国際人道支援は、対象地域の不安定な 治安状況に対応するために、あるいは前述のよう に9/11以降に顕著となったテロリズムの温床を根 絶するという目的のもとに、しばしば国際的な軍 隊組織の介入とともに実施される。その場合、国 際人道支援活動は、政府系の人道支援の一つとし て行われる場合に、たとえ独立して行われる場合 でも、大きな困難に直面する。人道支援が国際的 な武力介入と同視されて、紛争の当事者や住民か ら警戒され、さらには攻撃の対象とされることに
より、支援を必要とする人々へのアクセスがより 困難となり、支援の要員に対する危険性が増大す るからである (23)。
また、人道支援の目的達成を標榜する軍事的 介入の必要性や正当性をめぐる議論も、古くは
「人道的介入」、近時では国家の「保護する責任
(Responsibility to Protect: R2P)」という概念の もとになされている (24)。
「人道的介入」をめぐっては、自衛のための緊 急措置以外の武力行使をすべて違法とする国連憲 章のもとでも、人道目的のやむを得ない軍事的介 入についてはそれを認める余地があるのではない かという主張、逆に、法的問題を離れても実際の 国際政治のもとで純粋な人道目的の軍事的介入は 存在しないし、むしろ濫用の危険性が高いといっ た主張が戦わされてきた。
比較的新しい概念である「保護する責任」と は、国家に主権が認められる正当性の根拠は、そ の国家の領域内の住民を保護することにあり、国 家がその第一次的責任を果たさない場合には、国 際社会がその国家の主権にもかかわらず、国家に 代わって住民を保護する責任もしくは権利がある という考え方である。
「保護する責任」は、2001年にカナダ政府設置 にかかる「介入と国家主権に関する国際委員会
(ICISS)」が公表した報告書「The Responsibility to Protect」によって提唱され、その後、2005年 の国連総会ハイレベル全体会合で採択された成果 文書である「2005年世界サミット成果文書」の中 に、「集団殺害、戦争犯罪、民族浄化及び人道に 対する犯罪から住民を保護する責任」として盛り 込まれることになった (25)。その中には、平和的 手段が適切ではなく国家当局が明白に住民保護を 行わない場合には安保理を通じて強制的措置を含 む集団的措置を「とる用意があること」(139項)
が含まれていた。その後、実際に安保理は、2011 年のアラブの春の中で、リビアへの武力行使を国
連加盟国に認める決議1973を採択する際に、その 根拠として「保護する責任」を援用した (26)。す なわち、「リビア当局によるリビアの住民を保護 する責任を繰り返し、武力紛争の当事者は市民の 保護を確保するためにすべての可能な手段を取る 第一次的責任を負うことを再確認」するとともに
(前文第4段落)、それが行われていない状況を前 提に安保理は、「市民と市街地の保護、ならびに 人道支援の速やかかつ妨げのない通過と人道要員 の安全を確保する自らの決意を表明」(第9段落)
することとしたのである。
このような人道目的の軍事介入は、人道支援活 動との連携によって、その活動に対する紛争の当 事者の妨害を排除し、支援対象の市民と支援活動 の要員に安全を提供することによって、人道支援 活動の実効性を向上させる側面はあるかもしれな い (27)。しかし、人道支援活動と軍事的介入の連 携は、新たな紛争の当事者となる軍事介入と人道 支援活動との区別をあいまいなものとし、人道支 援組織の中立性に対する紛争当事者の認識、それ を基礎とする人道支援活動の安全性や独立性を損 なうという影響も持つことになる (28)。
さらにひるがえって考えてみれば、政府系の国 際人道支援は、諸国家が行動をとるがゆえにもた らされる問題よりも、依然として、諸国家が行動 をとらないことの問題の方がより深刻であるかも しれない。「保護する責任」などの規範の発展に もかかわらず、世界中で絶えることのない人道的 危機に対して、安保理が何らの行動もとらないと いう例は、パレスティナやシリアを想起するまで もなく数多くある。結局のところ、人道主義の論 理は、それぞれの国家の利益という論理の前には、
あまりにも無力なのだろう (29)。
そうであればこそ、非国家主体による人道支援 活動は、政府系の人道支援が量的に圧倒する中で もその重要性が減じることはないし、人道支援組 織が不必要な国際政治の制約を受けることなく、
「人道的空間」を確保できるための方策が、探求 されなければならない。
3. 国際人道支援と国際人道法の発展
すでに見たように国際人道支援活動は、その活 動を困難にする国際・国内の政治の状況の中で「人 道的空間」を確保していくために、多くの課題に 直面してきた。他方で、その活動の中立性ある いは非政治性を強調する国際人道支援活動が、紛 争による被害の抑制や紛争そのものの終結のため に、国際・国内の政治に対して一定の影響力を行 使するという政治的機能を果たしてきたことも、
否定しようのない事実である (30)。そのような政 治的機能には、国際人道支援活動を担う NGO が、
被害の抑制や紛争への国際社会の介入を求めて、
非公開の働きかけやキャンペーンを行うなど多様 な形態が含まれるであろう。しかし、本稿では、
その中でも国際人道法や国際法など、国際人道支 援活動が法制度の発展や変化に与えてきた影響、
そしてそうした発展や変化の故に新たに直面する 問題を見てみることにする。
(1)人道支援と国際人道法の発展
武力紛争における国際人道支援の活動とそれが 依って立つ人道主義は、各国の利害によって支配 される国際政治の中に、「人道的空間」を設ける ための国際法である国際人道法を生み出し、発展 させることに大きな影響を与えてきた (31)。
ICRC の活動が誕生したのは、平等な主権国家 の間での戦争の正・不正を論じることはできずす べて正当であるという、無差別戦争観が支配する 時代であった。その中で、デュナンらの推進する 運動は、ICRC の設立だけではなく、引き続いて 1864年の負傷軍人の状態改善のための最初のジュ ネーブ条約の成立につながったことは、前述した とおりである。1864年ジュネーブ条約では、人道
支援組織(救護社)を中立のものとして扱うと する条文は見送られたものの、病院や救護に従事 する住民の中立の尊重と、戦場における中立の標 章としての赤十字の採用などが実現した (32)。こ れは、戦場において交戦当事者に人道支援の主体 と対象を、戦闘という政治的空間から区別させ
「人道的空間」を認めさせるための第一歩となっ た (33)。戦争の是非とは区別された、戦場におけ る人道的な取扱いを求める国際人道法は、その後、
1899年と1907年のハーグ万国平和会議で採択され た条約や付属規則によって、捕虜や傷病者の取扱 い、害敵手段の規制、占領地における敵国住民の 取扱いなどを定めるに至り (34)、また、ジュネー ブ条約も1906年に改訂される。
しかし、第一次世界大戦が始まった当時におい て、赤十字運動に条約が認めていた権限は戦争に おける傷病者の保護であり、捕虜の保護は含まれ ていなかった。それでも ICRC は、1914年にジュ ネーブに国際捕虜機関を設置して捕虜に関する情 報の収集と伝達や捕虜収容所への援助物資の提供 も開始した (35)。そのような活動が先行する中で、
第一次大戦後の1929年には、傷病者に関するジュ ネーブ条約の改訂だけでなく、捕虜の待遇に関す る条約が採択されることとなる (36)。
また市民を保護する権限は、第二次世界大戦に 至っても、依然、赤十字運動には認められていな かった。ICRC は、第二次世界大戦において、実 際には交戦当事国内の外国人や占領地で抑留され た市民の保護を交戦当事国に要請し、前述のよう にユダヤ人の収容所への訪問をナチス政府に打診 するなどの行動を行っていた。それにもかかわら ず、条約による裏付けのない要請は、それを拒否 する交戦当事国の前に無力であり、ホロコースト をはじめとする非人道的行為への歯止めとはなり 得なかった。そうした経験は、第二次世界大戦後 におけるジュネーブ条約の全面的な改訂作業へと つながっていき、1949年のジュネーブ4条約の1
つとして、市民の保護を対象とするジュネーブ条 約が採択されるに至った (37)。
1949年のジュネーブ4条約には、その他にも重 大な規範上の発展があった。それは4条約の共通 第2条において、これらの条約は、法的に有効な 戦争だけではなく、「すべての宣言された戦争又 はその他の武力紛争の場合」に適用されることが 明記されたのである。第二次世界大戦における武 力紛争は、必ずしも戦争が宣言された状況だけで はなく、交戦当事国が戦争とは認めない武力衝突 においても発生していた。そのため、ICRC が第 二次世界大戦の前から(1938年第16回国際赤十字 総会)、そのような条項を含めることを求めてい たが、それが実現したのである (38)。
さらに1949年のジュネーブ4条約の共通第3条 は、国家間の武力紛争ではなくとも、「締約国の 一の領域に生ずる国際的性質を有しない武力紛争 の場合には、各紛争当事者は、少なくとも次の規 定を適用しなければならない」として、非国際的 武力紛争においても最低限守られるべき規範を定 めることになった。その規範には、①敵対行為 に直接に参加しない者の人道的待遇や傷病者の収 容・看護、② ICRC を含む人道的機関の役割を承 認することなどが含まれている。そのことによっ て、国際・非国際を問わず武力紛争における非戦 闘員の保護とそのための人道支援活動の役割が、
国際法において承認されることになった。
こうした非戦闘員の保護とそのための人道支援 活動の役割は、その後も1960年代の世界各地での 植民地独立闘争などを経て、さらに拡充されて いった。ICRC は、1971年に「国際武力紛争に適 用される国際人道法の再確認と発展のための政府 専門家会議」を開催し、それによって開始された 作業は、1977年の2つのジュネーブ追加議定書と して結実した (39)。第一追加議定書は、ジュネー ブ4条約を補完するものとして、4条約で分けら れていた犠牲者の対象をまとめてその保護措置を
規定するとともに、害敵手段・方法に関する規程 も取り入れた。あわせて第一追加議定書は、ジュ ネーブ4条約の共通第2条によって適用される国 際的武力紛争に、「人民の自決の権利の行使とし て人民が植民地支配及び外国による占領並びに人 種差別体制に対して戦う武力紛争」が含まれるこ と(1条3項)、また、「文民たる住民」に対する
「性質上人道的かつ公平な救済活動であって不利 な差別をすることなく行われるもの」については、
武力紛争への介入又は非友好的な行為と見なされ てはならないことなどを明記した(70条1項)。
第二追加議定書は、ジュネーブ4条約の共通第3 条によって非国際的武力紛争に適用される規範を さらに拡大充実させ、捕虜、傷病兵そして市民に 対する人道的待遇のための各種の保障を定めてい る。
以上に概観してきたように、ICRC を中心とす る国際人道支援活動は、武力紛争において、一定 の人々が紛争の当事者から区別して保護され、ま た保護に従事する人道支援組織が紛争当事者に よって承認されるべきことを、国際的な規範とす ることに大きな役割を果たしてきた。そして、そ うした規範が適用されるべき状況も、正規の戦争 からすべての武力紛争へ、国家間の武力紛争から 国内の武力紛争へと拡大してきた。その意味で、
国際人道支援活動は、国際・国内の政治に対し、「人 道的空間」を拡大させるという政治的な役割をこ れまで果たしてきたと言える。しかし、それによっ て国際人道支援活動を取り巻く問題が、国際法に 限ってみてもすべて解決されるわけではないこと は無論である。条約による保護という法的な枠組 みは、その条約を受け入れていない国家やあるい は条約を実際には履行しない国家に対して、必ず しも有効には機能しない。また、紛争の当事者が 武装集団などの非国家主体である場合、国家を拘 束する条約上の義務は、それらの武装集団にとっ ての規範とはならず、あるいは武装集団がその構
成員をどれだけ規律できるのかという問題は残る ことになる。
(2)国際刑事司法の発展と人道支援活動
【国際刑事司法の発展】
第二次世界大戦後における国際人道法のもう一 つの発展は、国際刑事司法の確立であり、それは 武力紛争に関わる国際犯罪について個人の刑事責 任を追及するための国際的な裁判機関を設けるこ とであった。
その最初の経験は、枢軸国における戦争指導者 を裁くために連合国によって設置された、国際軍 事法廷(IMT)と極東国際軍事法廷(IMTFE) である。これらの国際法廷は、すでに述べたジュ ネーブ条約やハーグ条約・規則を根拠とする戦争 犯罪、あるいは1929年のパリ不戦条約などを根拠 とする平和に対する罪と並んで、国際慣習として 成立していたとする人道に対する罪を、国際犯罪 として裁いた。それらの国際法廷で適用された法 は、その後、国連の国際法委員会において、ニュ ルンベルク諸原則(ニュルンベルク法廷の憲章と 判決において承認された国際法の諸原則、1950 年)として法典化された。それによって、戦争犯 罪、平和に対する罪、人道に対する罪が、時効の 適用を受けない国際犯罪として確認されるととも に、それらの国際犯罪に関与した個人の責任や上 官の責任が明確化されることとなった。また、第 二次世界大戦後の同じ時期に、ジェノサイド条約
(集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約、1951 年)や、1949年ジュネーブ4条約において重大な 違反行為の訴追義務や被疑者の引渡し義務が確立 した。これらを含めて武力紛争に関わる国際刑事 司法の基礎が成立していった。しかし、ジェノサ イド条約などで設立が予定されていた常設の国際 刑事裁判所は、国連の国際法委員会においていっ たんは作業が開始されたものの、冷戦の影響下に あった国際政治の中で、事実上停止させられるこ