武力紛争と子ども
著者 澤 良世
雑誌名 PRIME = プライム
号 28
ページ 55‑58
発行年 2008‑10
URL http://hdl.handle.net/10723/695
本稿では、 「パレスチナの子どもたちの日常生 活を通してパレスチナの問題を考える」 という田 中好子氏の問題提起のコメンテーターとしてシン ポジウムに参加した筆者のパレスチナについての 問題意識を示し、 子ども時代の10年以上を武力紛 争のもとで暮らした若者が紛争後の社会の復興と 和解に向けた取り組みで主要な役割を担っている シエラレオネの事例から、 武力紛争を経験した社 会にみられる新しい可能性を紹介する。 そして、
シンポジウムではほとんど議論されなかったが重 要であると思われる武力紛争と子どもの権利の問 題を考察し、 紛争下の子どもと国際社会の役割に ついて考えるための手掛かりとしたい。
パレスチナへの関心
筆者がパレスチナの人々の暮らしに関心を持つよ うになったきっかけは古居みずえ氏の著書 インティ ファーダの女たち (1)との出逢いであった。 古居氏 は、 1988年以来、 イスラエル占領地に通い続けて、
パレスチナの人々の姿を、 とくに女性と子どもに焦 点をあてて写真や映画で精力的に紹介している。
パレスチナとのいまひとつの出逢いは ルート 181 という映画だった。 題名の181というのは
「Future Government of Palestine」 と題する国連 パレスチナ分割案の総会決議番号である。 この映 画はパレスチナ人とイスラエル人の監督の共同制 作で、 二人は、 1947年に国連が構想し、 採択した
分割線を辿りながら、 イスラエル人とパレスチナ 人にとってのパレスチナ問題をインタビューによっ て明らかにする。 監督のひとりは、 「人々に問い かけ、 その声に耳を傾け、 真実を引き出し、 トラ ウマを再び浮かび上がらせること。 それは、 二つ の社会が歩み寄るための不可欠な条件なのです。
歴史の真実を明らかにし、 他者の存在とその経験 を配慮することなくして、 平和はあり得ません。
このことを私たちはあらためて痛感させられまし た」 と述べている(2)。
パレスチナの人々が故郷を追われて、 すでに60 年になる。 パレスチナ難民問題の難しさは、 一つ の難民グループとしては圧倒的に数が多く、 もっ とも長く続いている、 という点からも明らかであ る。 1948年の第一次中東戦争を受けて、 翌1949年、
国連パレスチナ難民救済事業機関 (UNRWA) が 創設された。 その後、 問題の解決が見られないた め、 国連は
UNRWA
の権限委託期限の更新を重 ね、 現在は2011年6月30日まで期限が延長され、中東における440万人以上のパレスチナ難民に教 育、 医療、 救済・社会サービスなどの支援を提供 している。 難民問題全般に取り組む
UNHCR
(国 連難民高等弁務官事務所) が創設されたのが1950 年であるから、UNRWA
の歴史はそれより古く、UNHCR
がいくつもの国や地域の難民問題を担当しているのに対して
UNRWA
の活動はパレスチ ナ難民だけが対象である。 世界各地の難民問題の 多くは武力紛争が終結すれば、 帰還、 再定住とい武力紛争と子ども
澤 良 世
(元ユニセフ職員)
武力紛争と子ども
う過程を経て収束に向かうが、 パレスチナの場合 には、 バングラデシュやモザンビーク、 シエラレ オネのような形の解決の見通しがないのが現状だ。
さらに、 難民の置かれている状況に関しても、 シ リアやレバノン、 ヨルダン川西岸、 ガザなど、 パ レスチナ人が暮らす土地によって問題の性質に差 異があることも、 パレスチナ問題への取り組みを、
いっそう難しくしていると思われる。
そのような現実に対して国際社会に何ができる のだろうか。 一つは監視を強化することだと考え る。 監視の強化にはジャーナリストの活動や国外 の
NGO
との連帯が非常に重要な役割を果たす。当事者が 「世界が観ている」 と感じ、 被害者が私 たちは孤立しているのではないという確信をもつ ことができるような環境を作っていくことが大切 である。 もちろん、 食糧などの物資の提供、 教育、
医療、 トラウマのカウンセリング、 職業訓練など、
大きなニーズを抱えている人々への多岐にわたる 支援が必要であるが、 個々の援助活動には人々の 基本的な権利が守られるような環境を創ることを 目標とする視点が不可欠だと思われる。
そして、 ルート181 の監督が指摘しているよ うに、 対立する社会が歩み寄り、 和解と共生を実 現するためには正しい歴史認識が必要である。 和 解のプロセスの難しさについては、 朴裕河 (パク・
ユハ) 氏が 和解のために―教科書・慰安婦・靖 国・独島 (3) で示唆に富んだ分析を示している。
多くの日本人が韓流ブームを楽しみ、 韓国の若者 が日本の映画や音楽に興味をもつ時代を迎えても、
他者の声に耳を傾け、 和解を実現させる努力が必 要とされる関係が残されている。 そんな身の回り の現実を認識することがパレスチナ問題の複雑さ と重要性の理解につながるのではないだろうか。
アフリカの紛争とその後
「紛争と子ども」 というテーマについて、 紛争
後の和解と共生の可能性をも視野に入れて考える ために、 とくに1990年代に武力紛争が多発したア フリカの経験を紹介したい。
例えば、 西アフリカのシエラレオネでは武力紛 争が1991年から10年以上続いた。 この紛争では多 くの子どもが暴力の犠牲者であっただけでなく、
残虐行為の加害者でもあった。 10代の子どもや 若者が敵と味方に別れて戦い、 一般市民に対して 残虐行為を繰り返した。 冷戦終結後の世界で多発 した紛争のほとんどすべてが、 総人口の50%以上 を18歳未満の若い世代が占める国で起きている。
シエラレオネも例外ではなく、 シエラレオネの 内戦は 「若者がいなければ戦うことができなかっ た」(4)といわれる。 米国のジャーナリストのロバー ト・カプランは、 1994年2月号の アトランティッ ク・マンスリー 誌に掲載された
“The Coming of
Anarchy”
と題する記事で、 シエラレオネは 「救済不可能 (beyond salvage) な状況にあるというの が一般的な認識」 であると述べ、 若者たちが 「発 火寸前にある液体のように極めて不安定な流動体 のなかの遊離分子 (loose molecules)」(5) のよう に危険な存在になったと論じている。 シエラレオ ネの若者が危険を引き起こしうる 「遊離分子」 で あったかどうかについての判断は、 シエラレオネ の紛争でだれが、 なぜ戦ったのかという議論とも 密接にかかわっている。 だが、 シエラレオネの紛 争で若者が中心的な役割を担ったという点は誰も が認めるところである。
内戦終結から6年が過ぎたシエラレオネでは、
戦争の担い手であった若者が復興の担い手として、
そして、 和解と共生の触媒としての役割を果たし ていることが実感される。 このような変化の理由 の第一に挙げられるのは、 若者たちが 「戦争が問 題の解決策でないことを10年間の内戦から学んだ」
という点である。 シエラレオネの 「国家復興計画」
では、 内戦の経験によって若者の政治意識が変化 し、 意思決定のプロセスへの参画の期待が高まっ
た、 と分析している(6)。 内戦の経験によって若者 が 「目を開かれ」 「賢く」 なり、 従来の社会関係 に民主的な変化を実現させ、 それが戦争を回避す るための方法を探し出すうえで役立っているとい う指摘もある(7)。
例えば、 若者のイニシャチブで始まったバイク・
タクシー事業は、 若者の雇用の機会を創出し、 市 民に交通手段を提供し、 さらに、 敵対して戦った 若者たちと若い兵士の残虐行為の犠牲者であった 市民の間に信頼関係を築いたとして、 地域社会で 高い評価を得ている。 また、 四肢切断の犠牲者や タクシー運転手、 露天商、 イスラム青年など多様 な団体の若いメンバーが推進する平和と和解のた めの運動では、 「平和モニター」 (peace monitor) 制度を設けて、 元戦闘員の社会復帰や地域社会の 問題解決に取り組んでいる。 「平和で公正な、 暴 力排除の選挙」 であった、 と国際社会から高い評 価を得た2007年の国政選挙では、 若者たちの市民 社会組織が投票者教育や選挙運営で主要な役割を 担った。 その後、 ケニアで起きた選挙後の混乱の 原因について、 シエラレオネの若者は 「ケニアの 若者は戦争経験がなく、 平和の尊さを知らないか ら」 と考えていた。
武力紛争と子どもの権利
武力紛争と子どもの権利については、 戦争の被 害者としての子どもの保護に関する共通理解が拡 大するいっぽうで、 近年、 「戦争犯罪の加害者と しての子ども」 の法的責任という問題も議論され るようになり、 1989年に国連で採択された 「児童 の権利に関する条約」 (以下、 「子どもの権利条約」) の基本理念である 「子どもの最善の利益」 の最優 先と戦争犯罪は処罰を逃れるべきでないという主 張との整合性についての論議が注目されている。
戦時における子どもの保護については、 すでに
「1949年ジュネーブ第4条約 (文民保護条約)」 第
24条で規定されている。 しかし、 子どもが兵士と して武力紛争に参加するというのは近年の現象で はないが、 その問題性が議論されるようになった のは比較的新しく、 敵対行為に直接参加する子ど もの年齢について規定した1977年のジュネーブ諸 条約の二つの追加議定書が最初であったと指摘さ れる(8)。 「子どもの権利条約」 は、 第38条2項で
「締約国は、 15歳未満のものが敵対行為に直接参 加しないことを確保するためのすべての実効可能 な措置をとる」 とし、 さらに3項で 「締約国は、
15歳未満の者を自国の軍隊に採用することを差し 控えるものとし、 また、 15歳以上18歳未満の者の 中から採用するに当たっては、 最年長者を優先さ せるよう努める」 と規定している。
国連安全保障理事会が子どもと武力紛争の問題 を取り上げた最初のケースとなった安保理決議12 61号 (S/RES/1261, 1999) は、 武力紛争下での子 どもを狙った殺害、 四肢切断、 性的暴力、 誘拐な どや、 子どもの徴用と使用を終結させ、 国際法を 遵守すること、 国連の平和維持・平和構築活動に 携わる人員には子どもの保護や権利、 福祉につい ての適切な訓練を実施すること、 などを求めてい る。
1998年に採択された 「国際刑事裁判所に関する ローマ規程」 では、 国際的な武力紛争と非国際的 な武力紛争の双方において、 15歳未満の子どもを 強制的に徴募し、 志願に基づいて編入し、 敵対行 為に積極的に参加させるために使用することを戦 争犯罪と規定している。 また、 1999年に
ILO
総 会で採択された 「最悪の形態の児童労働の禁止及 び撤廃のための即時の行動に関する条約 (第182 号)」 は、 武力紛争に使用するために18歳未満の 者を強制的に徴集することの 「禁止及び撤廃を確 保するため即時のかつ効果的な措置をとる」 こと としている。 さらに、 2000年に国連総会で採択さ れた 「武力紛争における児童の関与に関する児童 の権利に関する条約の選択議定書」 は、 「軍隊に武力紛争と子ども
採用することができる者の年齢及びこれらの者が 敵対行為に参加する年齢」 を 「子どもの権利条約」
第38条で規定された15歳から18歳に引き上げた。
2007年1月29日、 国際刑事裁判所 (ICC) の第 一予審法廷はコンゴ民主共和国の武装勢力コンゴ 愛国者解放戦線 (FPLC) 司令官のトーマス・ル バンガ被疑者が15歳未満の子どもを戦闘兵として 徴用した容疑が固まったとして、 公判を開始する ことを発表した。 国際刑事裁判所の最初のケース で子どもの権利の侵害が争点のひとつとなったの である。
シエラレオネでは、 2002年1月に国連とシエラ レオネ政府の合意に基づいて特別法廷が設置され、
訴追された12人全員が15歳未満の子どもを強制的 に徴募して敵対行為に参加させた罪に問われてい る。 また、 シエラレオネの特別法廷の規程には、
特別法廷が15歳から18歳未満の子どもについても 管轄権をもち、 子どもであっても原則的には犯し た罪の重さによっては刑事責任を問われる (第7 条)、 という前例のない規定がある。 現実には15 歳から18歳で訴追された子どもはいないが、 この 規定は専門家の間で議論を呼んでいる。 子ども兵 士は崩壊国家の犠牲者で、 保護されなければなら ない被害者である、 という主張がある。 いっぽう、
「人道に対する罪」 を犯した人間が法の裁きを逃 れる社会に正義は実現できない、 とする見解があ る。 しかし、 後者の議論をリードするアムネス ティー・インターナショナルなども、 子どもの保 護の重要性に十分な配慮をした慎重な議論を展開 していることに注目すべきである。
子ども時代を武力紛争のもとで生きたシエラレ オネの若者は、 「戦争が問題の解決策でないこと を内戦の経験から学んだ」 と考え、 平和の尊さに ついて語る。 日本は敗戦を経て平和憲法を手に入
れた。 しかし、 いまなお世界各地で多くの人が武 力紛争や組織的な暴力の脅威から逃れられない状 況にある。 歴史や経験から学び、 子どもの権利が 守られない現実を理解し、 その知識を手掛かりに 戦争と平和の問題を考えるとき、 どのような国際 貢献が可能であり、 必要であるかが明らかになっ てくるのではないだろうか。
註
(1) 古居みずえ (1990) インティファーダの 女たち 彩流社。
(2) クレイフィ、 ミシェル (2005) 「他者の声に耳 を傾ける」 季刊前夜別冊ルート181:パレス チナ〜イスラエル旅の断章 影書房、
p.8。
(3) 朴裕河 (2006) 佐藤久訳 和解のために―
教科書・慰安婦・靖国・独島 平凡社。
(4)
Women’s Commission for Refugee Women and Children
(2002)“Precious Resources:
Adolescents in the Reconstruction of Sierra Leone,” Participatory Research with Adoles- cents and Youth in Sierra Leone, April-July.
(5)
Kaplan, Robert
(1994)“The Coming Anarchy,”
The Atlantic Monthly, February,
44-76.(6)
National Recovery Strategy: Sierra Leone
2002-2003,http://www.daco-sl.org/encyclopedia/6-lib/6_2gov.
htm.
(7)
Peters, Krijn
(2006)“Footpaths to Reinte- gration: Armed Conflict, Youth and the Rural Crisis in Sierra Leone,” Ph. D. dissertation submitted to Wageningen University, The Netherrlands, p.136.
(8) 藤田久一 (2003) 新版国際人道法 (再増 補) 東信堂高文社、