江州中井家帳合法の総括 四二
江州中井家
帳合法の総括
−記帳技術と決算手
続一
小
倉
栄
一
郎
幽 は し が き 金銀出入帳は現金の出納管理簿であるばかりでなく、これに基いて相手勘定に転記が行われるところの原始記録簿、特 殊仕訳帳に等しい機能を果している。各記入には符印が押されて、相手勘定との連絡がとれている。 大福帳は特異な発達をとげて、総勘定元帳に近い内容をもつにいたっている。一々の勘定が口取されて、金銀出入帳そ の他から、該当する口座へ転記されるのである。転記済の証として符印㊥が用いられ、また摘要書中にも﹁大帳に出 す﹂とあるように、大帳ともいわれ、中井家の大福帳は非常に進歩したものであった。 これらの帳簿間で取引は必ず複記される。洋式簿記に於げるごときご面形式と貸借複層にはなっていないけれども、取 引複記原則が樹立されているのである。これあるが故に決算が複決算、貸借対照表と損益計算書の利益が一致する決算が 可能となるのであるから、取引複記原則は技術的基礎であるといえる。 での関係は他の帳簿の間ででも変らない。次に戌年の記帳から抜粋して前癌に述べたところを図解して置こう。 成年店卸目録は紛失しているので想像によって補填した。戊年金銀出入帳︵存︶
戊年大福・帳、︵葎︶ .← ”−ーー つll一!一t−1書一⋮一ll−H劉鎚本家。 去年店卸眉録︵印r1︶.
勧本家借貸.口戊九月え ーミ陣月曜塁入一、金弐干四百七拾七両 屠卸⋮引残 ’三分ト 預り 拾壱匁九分三厘 甘 i一 , ●卜 f●ーー =,量[十月十二白一、金五拾両也, 山村様貸一1
. ﹁ 一︷ ‘f十月十四B一、金七両三朱ト 出、入帳尻金.引震蓼四厘・屡.纏、候 金弐千四百弐拾弐両壱分野 引残〆 壱匁七分四厘 預り 窯憩繍繋難戊八月廿九日 八月廿二日・﹁、四拾八文 附木代 一、山壱匁 番茶代九月 ⋮;じ一 、 , li−h F 、 一B一墨一聖li11星﹂畠 ・i ii レ⋮8i,11⊥㊨借用 ⋮ ︸ ︸一U 心 訟 り 過不足 鋤複引幕 ■﹂ 塾 ﹁l i一雲騨魏定戊九躰+野 ㎝一、銀六厘過 一、銀九分九厘不足 ⋮ 嘉瀦 ” ・弊繹盟山主⋮⋮ 一 . f 層一 L>㌧一’Σ ㌧﹂諸入・用 ﹂ 部.∼一﹂ 一 一 幽 一 ユ:: 一様江立替物書誓 握一店残﹁品 山村様江﹂・雛四分農駅藻朧*一、弐匁 尺四分 三布五尺 魂欄 冒 惣〆難頚堺壱文 六分六厘 壱メ百八十八文 此銀十七匁四分三厘為金五拾奄両壱分ト 拾四匁〇七厘’ 右之内 金五拾両也 本家日野表へ附 替に改 受取引日金壱罐解七厘 , 1二太田屋の給金帳
当時の給与制度の常として、まず丁稚小僧として店入りしてから半元服までは、夏冬の仕着せ︵綿服・帯・儒梓、前垂・ ゆ 下駄等︶と若干の小遣を貰うだけで、給金と名付けるものはまだ与えられなかった。 このような状態であるから日々の必 要に応じて店から立替亡し、これが前貸金として処理されるのが常であった。給金帳は、したがって、この前借金の計算 を奉公人銘々について口座を設けて計算するための帳簿である。 . 記帳法を知る前に、先づ日々の記入を検討して彼等の日常生活を想像して見よう。 店に入るにはしかるべき人の紹介が必要であった。各口座には﹁忠兵衛口﹂などと本人の呼名︵必づしも本名ではない︶ で口座を設け、その項に﹁何村の何の某口入﹂と責任が明らかにしてある。次に分に応じて年間の給与程度が決められて いるのであるが、これは他聞をはばかってか、記事で記入してある。 ﹁口入一身田利左工胃殿 嘉兵衛口 当座手伝故月時井〆位之見当﹂ これは店の嘉兵衛の口座である。臨時の地元雇入の人であるから月幾何程ということが書かれている。しかし嘉兵衛は 三番目の口座で、またしばしば集金や商用旅行に出ていることが金銀出入帳の記録で知られるので、軽い地位ともいえな いであらう。口座の順は身分の順ではなかろうか。 口座は店・下男・台所・舟方・蔵・樽職人・大工・日雇・出入の順に区分してあり、全部で十八口あるが、その中には 附込口といって何入分かが混記される口座があるから、相当の頭数であったのであらう。 江州中井玉帳合法の総括 四五江州中井家鼠合法の総括 四六 在所登りや風入には店が小遣を支給したようである。太田屋給金帳では﹁国元行之醐にかし﹂として壱両程度の正金貸 が記入されている。これは後になって給料と差引精算する。 また同時に旅用として小金を別途に渡しているが、これは半月程後に返済している。そのほか、身の廻品の買物代も店 が支払うが、本人負担として口座に附込んでおり、またしばしば、各個に結髪賃をつけられている。金銀出入帳を見ると 同じ日に何人もが結髪賃を支払ってもらい、これが、夫々の人の口座に附上げられているのは、床屋が店に来たのであら うか。薬代も一々本馬の口座に記入されている。あるときは、某の病気のため薬を買ったが、その中の何服かを服用した のでその口座に附上げ、残りは山村氏が引受けたので、氏に貸にするという几帳面さである。尤も、食と住は馬入の計算 ではないから、その分担の記録は見られない。その故に大福帳に味噌醤油口や飯米・青物・粗葉粉口までが出て来るので ある。薬礼口に出される薬代は店負担分であるが、これと本人負担の薬代の関係は明瞭でない。突発的事件として、集金 か何かの商用に旅に出た某が、路用と小遣をもって逃亡したことがある。このときは直に損失にしないで、当人への債権 として処理するのであるが、給金帳には⊥げず、大福帳に貸借口として上げている。 さてこのようにして決算期に達すると、年間の前貸分が集計され、これから当入の給金相当額が差引かれて精算される のであるが、一般に前貸分が多くて店に借り残すことになり、次期に繰越されるのが多い。 ﹁店の忠﹂即ち﹁忠兵衛口﹂について引例してみよう。 忠兵衛口 忠兵衛は申年決算︵酉の八月末実施︶では給金を差引いて金二四両二分二朱ト五匁三 酉九月 分が前貸残となったが、これは他の債権と合算して﹁大福帳引残〆﹂という見出しで申 一︵⑬金弐拾四両弐分弐朱ト一紅型引残 年の店卸目録の有物之部︵貸借対照表借方︶に計上される。 ﹁大福帳引残〆﹂とはいう 五匁三分 貸 ものの、これは仕切帳・給金帳・大福帳の残の合計であるから、このことは、忠兵衛に
九月十二日 一三壱両や 右ハ国元行之醐かし
一薪0
出国元行旅用二持出しかし 右十月三日受取済 ⋮省略 七月七日 一弐拾四文 ⋮省略 引金三拾両弐分弐朱卜 銀六拾七匁三分七厘 由[六拾弐匁九分 此銀五十八匁九分六厘 六百八拾八文 為金 三拾弐両三歩ト 貸 銀五匁壱分八厘 内金七両や 給金引 引. 戌八月晦日改 一新帳写︻ 金弐拾五両三分ト かし 銀五匁壱分八厘 正金野 薄二てかし かミ結ちん 対する前貸給料が資産として貸借薄照表借方たる﹁有物之部﹂に計上されるということ である。今年はこの額を繰越して﹁酉九月﹂日付で﹁金弐拾四両弐分遅朱ト⋮引残貸﹂ の繰越記入が行はれ、これに今年度中の前貸や立替が加算されてゆく。九月十二日に前 貸のうち、金一両は返済せず、年度末に精算するが、同日の金一分の方は、十月三日に 返済するので、帳消にする。この帳消の方法は実に素朴であるが、一般に用いられる方 法で、他の記入が金銀出入帳の出金記入に照応しているのと同様に、これも出入帳の入 金記入と突合せられるようになっていて、これで立派な取引複記である。そこで出入帳 には[團印が押される。 結髪賃や薬代も前貸に加算せられて、酉年の八月末には前貸合計は金三二両三歩卜五 匁壱分八厘となる。忠兵衛の給金は七両であるから相殺するに足らず、またまた金二五 両三分ト五匁一分八厘の前貸となって次の年度に繰越されるのである。 この繰越額は他の同類の項目に合算され、﹁大福帳〆﹂という見出しで店卸目録の﹁有 物の部﹂に計上され、貸借対照表を構成する。 また、右で差引いた﹁金七両也給金﹂は他の給金や営業費用と合算され、家内諸入用 口として損益計算に計上されるのである。 給金帳は元来給与計算のための人名勘定から成っている費用勘定である筈のところ、制度にからんで前貸債権の計算口 江州中井家帳合法の総括 四七江州中井家帳合法の総揺 四八 座に転化して費用勘定と資産勘定を兼ねるものとなったのである。 記帳方法としては、金銀出入帳に前貸のための出金、叉は、返済の入金が記入され、その転記という形で、給金帳の当 該入のぼ座に記入されるのである。その際、金銀出入帳には廟印が押される。前年店卸目録からの繰越記入に[表罫]印 を押し、当年店卸に計⊥するときは、店卸目録の方に㊨印を押すという手続は前と同じである。 ① 江頭恒治教授著﹁近江商人﹂ 一五八頁。
②同書
一六〇頁。 ③給金帳は嘉永二年酉の九月吉日の日付あるもののほか、虫害のため判読困難となった⋮⋮辛十一年⋮⋮のもの⋮⋮辰のもの計三冊 ある。後者は年代を推定するに至っていない。ここでは前者を引用した。金銀出入帳と突合せのできる年代であるためである。三太田屋の問屋仕限帳
嘉永二年のものが一冊だけ残っている。これは嘉永二年酉八月頃から記帳しはじめ、翌年に百⋮っているものであって、 畑鼠との連絡もとれるので史料として好都合であった。掛売を計算するための顧客たる酒問屋の人名勘定口座を牧妬して いる。売掛金勘定、又は得意先元帳といった性質の帳簿である。 仕切帳という名称も我が国在来の簿記での普遍的な帳簿名であるが、太田屋の場合は世の慣用とは全く異っている。世 の通用名称としての仕切帳は﹁仕入帳・買日記・仕込帳とも云い、其用方は買入貨物代金の事を明記す。即ち買先姓名を 国々により類別するか、若くは⋮⋮﹂もので仕入費用の勘定である。大津地方の例も同様で、大福帳前上の基礎帳簿にな っている。仕切状︵勘定書︶の控をすることによって記入が進められたところがらこの名が出たと思われるが、その故に、 、問屋では売方。買方の相殺計算をする帳簿に転託するもあり、さらに転じて、 ﹁貨物売上を明記するものにして、即ち、売先姓名・貨物の品位・数量・諸入費・売渡の月日等を論証し、売掛となるべきものは、必ず之を大福帳に記すを例とす る。L︵横浜︶という用法もあるから、全く逆の科目にも用いたものである。 太田屋の﹁問屋仕限帳﹂は後者の場合であって、売先の問屋をはじめ、地域別に区分された小口掛売先や、神主その他 の消費者さえも口座が開かれている。 この帳簿の記帳法は早々には断定できない。というのは、主たる相手勘定に﹁売立帳﹂と呼ばれる売上勘定に相当する 綜括簿があった筈であるが、太田屋の場合にはごれが残っていないからである。他の帳簿に記載されている記事から推定 すると、﹁売立帳﹂は、﹁店売場売立﹂﹁小場貸売口﹂﹁酒切手売[[﹂﹁薫香売立口﹂﹁問屋出し口﹂に区分されていたと考え られる。 ﹁問屋館谷帳﹂と﹁売立帳﹂の二つを根幹として、補助的記入帳が多数用いられていた。 ﹁春屋並隠江米渡島﹂ ﹁蔵有 五慾帳﹂﹁酒出高斗酒調子帳﹂﹁樽00貫目帳﹂というのが年代は不揃ながら残っている。これらはすべて物量計算されて いるもので、醸造過程から貯蔵過程までの内部製造過程を計算したのである。太田屋は物量計算であるが、中井家の別の 支店、押立店では醤油醸造についで金額計算をやっている。我が国固有の工業会計史料となるのではなかろうか。 酒が蔵を出ると販売過程の計算を担当するのが﹁売立帳﹂﹁問屋門限帳﹂﹁酒切手番計帳﹂等である。そのうちで、原始 記録となったのは﹁問屋仕限帳﹂で、﹁売立帳﹂はその綜括転記簿である。﹁問屋仕限帳﹂には問屋への大口取引をはじめ として、地元、諸地方︵西方、松坂方等の口取あり︶の小口掛売、神主等を相手とした大口消費者売も口座を設けている。 出荷の際に当該口座に物量で明細記録をして、その後に単価を示し、金額に換算して、売掛金の表示が行はれるのであ る。このような出荷が次々と行はれ、掛売記録が累積されてゆくが、この記事はまとめられて、その時々に他店に対する 掛売と総括され、 ﹁売立帳﹂の問屋出し口に計上される。このような総括転記の済んだ証が﹁問屋仕限帳﹂の金額表示に 江州中井家帳合法の総括 四九
江州中井家帳合法の総括 五〇 添えて押されている豊田[印である。また、物量表示には⑨印が押されているがこれは、﹁酒出高石酒調子帳﹂や﹁蔵有酒 改帳﹂等の帳簿との照合印である。 限月が来ると掛代金が、内金または全金で回牧されて来る。これは金銀出入帳に記入された上で、 ﹁問屋罵言帳﹂では 入金の旨を記入して大きく○で囲み、その入金の関係する限りの既に行はれてある掛売記事を横線で消すのである。この 帳消法は、前にも給金帳の項で解説したように、素朴ではあるが立派な一記入となるのであって、その行はれたことを証 して﹁金銀出入帳﹂の入金記事には爾一印が押されるのである。 店売の場合には、 ﹁酒売場控帳﹂が庭帳として用いられたようである。これは、蔵出した一定量の酒が、時折在高検討 をうけながら、日々の売高を物量計算するもので、売仕舞までが一連の計算になっている。これは金額表示をなさないが 現金売のことであるから、金銀出入帳に﹁店売酒何桝話合何勺﹂として入金記入されるのと対応するわけで、 ﹁酒売場控 帳﹂から物量で、 ﹁金銀出入帳﹂から金額で﹁売立帳﹂に転記される。しかして、前ご者には等身印が押捺される。 以上の推定は﹁売立帳﹂を欠いているというものの店卸目録の損益計算書、売買党益計算に相当する﹁勘定の部﹂を手 がかりに復元想像したもので、中井家の他店の場合とも類比せしめているから、論証に耐えると思う。 第ご図は上述の記入関係を一覧に示したもので、販売現場での最も便利な原始記録と、決算に最も便利な勘定体系とを 巧妙に連結せしめている。取引複記の状況に注意されたい。
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司法省編纂 滝本誠一校閲﹁日本商事慣例類集﹂四九頁 同書 五三頁 同書 四七頁酉年問屋此限帳︵存︶
口申年店卸下書︵存︶
加藤藤太夫殿一望、
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酉八月十六日積 一、㊨劒菱弐樽 ⑳ 貫〆四百弐拾七一
一 差拾五.両此 訳
拾六樽 二重 メ弐百目轄七善
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西八月廿九日積 、ーノ\一’‘♪略
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大福帳分 略戊年酒売場控帳︵存︶
引墨八月廿一日改 〆六桝五合三夕 売場有漏 八月廿二日 一壱桝三合 .売物 出 ’一︶!﹀
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上 売 壱斗〇三合弐タ 右ハ八月十日より廿九日まで売仕舞の 樽不足番酒口に出すーー −一㌔/
蔵有酒改帳
酒切手番附帳
酒出高有田調子帳
申之年冬仕込
月〆書本帖 ︵存
)一︶’﹀\ノー〆鞠.、〆、
獄一画釧,一︺
申年店卸目録︵存︶
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一 ③ 戊 ㊨一、ン
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月十九日 受取 夫忠兵衛受取
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奥田治市兵衛殿 加 か画 し塩 入戊年金銀出入帳︵存︶
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酒 出團
古 酒 入拾七樽半 外に 旧記, 又 新酒團
一五桝 一壱桝 十八日 一弐拾樽 酒 ’ 店現金発 小場現金売 蔵に有酒 弐斗三桝弐夕 店売場に有酒出酒
複記) 小場貸元 番酒 名 江戸 米屋 始 房吉殿﹂一哲∼一
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一一一 加藤 藤太夫殿..田川L
酒切手口酒切手売口
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⋮番酒口番酒売立口
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︵第二図︶ 売上関係記入関連図
問屋出し口
四太田屋の記帳法総括
e 勘定体系と帳簿組織. 店卸目録と呼ばれる決算報告書は貸借対照表と損益計算書に相当する﹁借用之部﹂﹁有物之部﹂及び﹁徳用之部﹂﹁損之 部﹂から構成された複式損益計算体系になっている。その当然の結果ではあるが、勘定体系は極め整備されていて、両計 算に必要なすべての勘定を有している。唯︸の例外は決算整理事項の︸であるところの資本金に対して附けられる﹁利足 取﹂﹁利息払﹂︵受取刹息・支払利息︶の勘定が見当らないことである。 ︵これも史料不足か調査未了によるもので、事実は別帳か 何かで存在していたかも知れない。︶しかし、決算整理は店卸目録の準備計算書である﹁店卸︵目録︶下書﹂で処理することが できるのであるから、その意味で勘定体系は完全であるといえる。 このような全勘定が一冊の帳簿に口座を開くという形での総勘定元帳は存しないが、簿記技術としては別に支障がない ばかりでなくむしろその方が便利であったに違いない。 ﹁大福帳﹂には最も多くの勘定が集められていて、別帳に分けられている給金帳・問屋書卓帳も、一口座として﹁給金 帳口﹂﹁仕限帳口﹂を大福帳中にもっている。 ﹁大福帳﹂に口座のない勘定は別帳に分けて夫々の名称をつけられている。 ﹁金銀出入帳﹂は現金勘定に相当する。 ﹁給金帳﹂は給料勘定兼前貸給料勘定、﹁問屋仕限帳﹂は売掛金勘定︵得意先元 帳︶、﹁売立帳﹂は売上勘定として決算に結びつけられている。 現存しないが、﹁貸借帳﹂﹁仕入帳﹂の類もあったと思われる。これらの外に多くの帳簿が補助的記録計算量として用い られていた。 江州中井家帳合法の総括 五三江州申井家帳合法の総括 五四 取引が発生すると右の諸帳簿に直に記入されたものではなく、何らかのメモ的な書類があったか、記憶されているかし て、計算が確定し謹上で記入されたものではなからうか。その故は、金銀出入帳にしても、売場控帳や問屋雷門帳にして も筆の誤りが皆無といってよい。充分整理されて秩序立てて記入されている。 帳場に支配入が坐り、駒寄せに駄馬がつながれ、多敷の丁稚小僧が忙しく立働くという状景よりも、日が暮れてから、 行燈の下で大きな算盤をはじぎ、確信もって筆を下すという状景の方が想像される。時としてはこ日影が一時に記入され ている箇所もある。 − とにかく原始記入簿と計算簿が分化する︵洋式の仕訳帳と元帳のごとくに︶という条件はなかったもので、原始記録簿と転 記計算簿の区別をつけることは無理がある。しかし、取引の頻度からいって現金取引と掛売が大多数を占めるので、その 記入を円滑に漏れなく行うために自ら順序が定ってくるであろう。現金取引については先づ金銀出入帳に出金入金の記入 を行った上で、ここからの転記という形で相手勘定たる他帳簿に記入されるのである。この手続を﹁附出す﹂ ﹁出す﹂と いったのである。詩に例外的な処理をしなくてはならない取引については、処理法を註記している。 ﹁⋮⋮帳に出す﹂と いった記事がみられる。しかし日常通例の取引はこのような誰記は必要でなく、ただ陣=庫止㊨等の符印が押されれ ば充分であったのであらう。掛売上については先づ対人的な債権の確保のために問屋仕限帳の当人の口座に記入が行はれ ここから売立帳に附説されたものである。売立帳に転記が終ると売上[印が押されるのである。 , 一般的にいってこの二帳簿が、原始記録簿︵特殊仕訳帳︶と毛ての役割を果し、他帳簿がそれから転記をうけることにな る。尤も、その区別は前述のごとぎものであるから、取引によっては他の帳簿で計算された結果を附け出すこともあり立 場が逆になることもありうる。③印はこのような場合の照合印であろう。
口取引複記
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○ ○ ○目 ○ 福 口 帳国
国/”・ ..V國
國圖 ゴ 国團 4 .・︾ 入)v
始記
−﹀開︵
.,参︵第三図︶記帳系統図
前期 店卸目録 .,!店卸下書 噛 (決算集計)》爵$
︾⋮ ・V⋮裾
:補.当期
店卸下書 (決算) 当店期
卸 目 録議缶
/給金帳
某々 口
引残貸正金貸
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(取引複記)問屋仕限帳
③物量
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⑨内金受取
[阿圏一
︵綜括転
ム ︵綜括転記︶酒売場控帳
月〆書本帳
蔵有酒改帳
酒出高有酒調帳
−∀国
物量
團
團
決算を成立せしめるための条件として取引複記は厳格に行われた。第三図はその状況を示したものである。 毎年度の開始記入は店卸目録、又は、店卸下書からの転写という形で行はれて、正しく前年度末の残高が繰越された。 この手続で記入された金額には顧凶印が押されている。また年度末決算のために店卸下書に集計されるのであるが、そ の金額には多くは﹁黒印が押された。これは﹁改帳﹂が存して残高の検討が行はれたのではなからうか。これらはやはり 取引複記の原則を崩さないわけである。 しかし、帳簿は二面形式でなかったし、貸借平均原理といった盲検作用は働かない。これは記帳に誤りのある場合に非 常に不利である。 実際問題として貸借対照表の計算と、損益計算書の計算が一致しないで、決算︵店卸目録の計算︶が成立しないことも何 例かある。とりわけ太田店の場合には頻繁に起った。このような不手際は仙台店、ではあまりなかったし、押立店ではある にはあったが、その原因を突止めるために苦心している跡が見える。即ち、﹁金銀差引調﹂﹁店卸書抜帳﹂という相当大部 な集計表が店卸目録に附属せしめられているのである。これは他店の場合は金銀出入帳の内容を科目別に集計して掲げた もので、その差引に期末残高を加えると平均する形になった現金取引の綜括表であるが、押立店のものには掛取引につい ても合算して作成している例がある。これらは一般に現金過不足の証明位にしかならないが、押立店のものは一種の試算 表的役割を果していこるとが推測されるのである。この計算書についてはまだ研究不充分で断定的なことは言い得ない。 ⇔ 勘定形式と記帳形式 帳簿には二種ある、一は美濃紙四ッ折にしたものを袋綴じした形で、袋帳と呼ばれ、大ぎなものは厚さ二尺近くに及ぶ ものがある。金銀出入帳、問屋選鉱帳、大福帳等はこの形である。ごは美濃紙縦半折を長いまま綴じたもので、長帳とい われる。売立帳等はこれである。 江州中井家帳合法の総括 五七 ■
江州中井家帳合法の総括 五八 各頁に予め記入位置を定めたり、欄や罫線を引くことはない。すべて白紙の頁に一定の配置を守って毛筆で記入する。 白紙に記入するのではあるが、一応の記事の配置は定っていたわけで、整然と記載されている。 正負の金額は欄を分けずに同列に並べられていることが多く、加算すべき金額か、差引くべきものかを示す符号さえつ けられていないことが多い。摘要書によって判断されたものであらう。しかし、勘定によっては明瞭に区別されているも のがあって興味、深い。 その一つは加算さるべぎ金額は頁の上辺から書くが、差引くべぎ金額は中程から下の部分に、即ち、半分下げて記入す るのである。既に示した給金帳の場合や、金銀出入帳の出金合計の場合を参照されたい。 この形式がさらに進むと、﹁過不足勘定﹂︵現金過不足︶で見られるように、頁の上半分に﹁過﹂の金額ばかりを並べ、 下半分に﹁不足﹂のみを記入するご面形式とすることがある。正負いつれに残高が出るか予定でぎない勘定であるが故に かえってこのような形式が生れたのであらう。一般の勘定では、期首の在高を正として、その減少を負と考える処理がな されている。資産であっても、負債であってもその関係は同じに考えられている。従って、 取引の貸借無記︵左と右に複 記する︶のごとき工夫には大分距離がある。 この点はまこ之に形式的で、一見些細な事のようであるが、簿記技術の発達上重大な要因が欠けていたことになる。既 に指摘したように、決算の計算原理はまさに複式決算であり、また会計制度の一々にも軽視し難いすぐれた発達が見られ るのであるが、そのような原理上での発達にもかかわらず、技術的には頻るぎごちない方法、組替による集計方式をとっ ている。そこには次のような欠点がある。 ① 機械的、形式的取扱によって簿記を低級労働化する可能性が存しない。我が国固有の経営管理方式として権限は極 端に中央集権的であって、その職掌における権威は種々の制約によって間められていた。帳簿は高級職能とされていた。 ,
中井系の家法書によると、元方諸帳面を大帳に写す際には元方支配人と、同次役の立合を必要とし、両替通帳は締り役支 配人の管理と規定して居って、店員一般の所管事項ではなかったようである。従って上記の必要はなかったのではあらう が、簿記法そのものとしては満足できない点である。 ② 技術的な関連から出発して勘定理論や、計算原理を発見、又は、発達せしめる可能性がない。抽象的な計算要素、 例えば資本金や利益金、積立金についての発見や工夫は往々にして記帳技術から誘導されるものがある。太田屋の店卸目 録では後に示すごとく、繰越欠損金を﹁有物之部﹂︵資産︶に掲げる方式を発見しているのであるが、有物とか資産という 概念からはこの発見は至難である。果してどのような理解に基いて繰越欠損金を貸借対照表の借方に掲げる方法をあみ出 したのであらうか。若しこの方法が一般的に敷桁し応用されるなら、 ﹁対置減法﹂一般を発見する契機となり、他の勘定 の場合にも利用され、ひいては帳簿の形式の改良にも想到する筈であるが、繰越欠損金は﹁大福帳﹂に独立の口座をもつ 計算要素ではなくて、店卸目録︵従って下書︶の範囲で処理される項目であるので、対置減法が一般化するには至らなかっ たのであらう。このような取扱が店卸計算の場に限ってではあるが、例外的にでも、免に角発見されていることは注目 に価する。思うに、中井家の会計原則では、利益概念が極めて独特のもので、投下資本に対する一定利息を繰入︵海路処分︶ た上で倫.剰余あるとぎにこれを﹁徳﹂と呼び、不足すれば﹁損﹂という。損の場合に資本金、又は、利益留保によって補 翼することを認めれば、この責任附利益留保の管理的意義が半減する理である。ζのようにして、欠損は店限りで処理す ることを要求したようで、そのために、望性金や徳用積金から差引くことがでぎなかったので、店卸計算上、有物之部に 掲げることを考え出し・たのには違いないが、この問題は太田屋に限らない。押立店の﹁庚寛政高年酉年店卸勘定帳﹂でも 子忌に生じた欠損金の処理について、同じ問題の解決に迫られたものであらうか、損益計算書たる﹁損之部﹂に﹁申歳よ り損金也﹂と掲げている。年代的には六十年前のことであるけれども、この処理の方は技術的な解決なしに出来る処理で 江州中井家帳合法の総括 五九
江州中井家帳合法の総括 六〇 ある。六十年の歳月は長いけれども、太田屋の処理法に到達するには経験や理念的累積のみでは不可能であると判断する。 正負逆になる計算要素を反対側に置いて処理するということは、計算上の性質が逆であるという認識のみでは出て来な い工夫であって、二面計式の勘定によってはじめて可能となるものである。そしてこの計算法が洋式簿記法の基本技術と なり、且つ、逆側に配置する形式が、ある計算要素の性格を他の要素の逆のものであると知らしめることが多い。しかも これが会計原理を推進するに役立ったことを想起したい。 ● ㈹ 記帳の正否検証を機械的に行はしめるところの試算の便を欠いている。全面的突合せによる以外に方法がないので ある。 ω 諸勘定間の有機的関連がつけ難い。例えば勘定間の振替や相殺の場合にその欠点が表面化する。資本金勘定たる望 性金のごとぎ抽象概念が既に定立されているのに、記帳技術では﹁望性金に渡す﹂等の人的想定に立脚した記帳技術を必 要としたこと、また、前掲の本家口と山村様口との相殺の場合には現金仕訳、即ち、仮定⊥の入金と出金に分けて処理し 摘要書で実態を表現した等、その具体的現れである。 資産と費用の闇の内容的関連のごときも認識し難くかったと思われる。減価償却法については、賃貸料の考え方はあっ た︵仙台︶が、一般には早期賞却というよりは簿外資産化することによって目的を達したようである。 太田屋にはその例 が見当らないが、押立店の場合、建設途中は蔵有物︵国定資産︶と望性金が累加してゆく、即ち、新投資が進む。完成する と一挙に蔵有物を落し、望性金も同額減少せしめる。︵減資扱い︶本家では﹁外に蔵建物幾何あり﹂と店卸帳に註記するだ けである。これほどに理念的に固定資産のあり方が認識されつつも、費用化することに想い到らぬのであるが、その距離 は極めて僅少であったといえる。 ㈲ 決算手続は日常の記帳手続とは別の原理によって行は逸る。即ち、一貫した技術によって貫かれていない。︵次稿参照︶
中井欝欝合法は決算の原理的構造には洋式簿記法に劣らぬ合理性と厳密性をもっているので、この点には感歎し、我が 国固有の簿記法に誇を禁じ得ないのであるが、日常の記帳技術という段になると、取引複記原則がみられるのみであって ︵勘定体系の完備は決算原理の派生物である︶ 技術的合理性は存しないのである。その故に、部分的には興味ある形式を生み 出していながら、局部的利用に止って、技術一般は頭打ちの状態にある。厳密な意味での複式簿記に展開されるためには この点で一つの阻碍が存し、これは相当技術の全面に影響している。この障碍を取除くにはあと幾何の日時と、どの程度 の工夫努力が必要であっただらうか。 根本的障碍は簿記技術そのものよりも、記帳五穀計算用具の性質等といった簿記そのものとは別の要因から由来すると 老えられる。しかるが故に、これが解決は容易であるともいえるし、逆に.、極めて根深く、抜き難いものがあるとも、いい うるのである。巧妙な洋式簿記法が完成された形で導入され一般に普及した今日、我が国在来の簿記法はもはや推進され る余地はないであろう。このような新しい条件変化がなかったならば、かくも発達展開されたであらう等と論じることは 死児の齢を数えるに似て、意味のないことである。我が国固有の簿記法研究の目標は、その原理と技術を正しく理解し、 計算内容を誤りなく解釈することのできるように、当時のありのままの姿を再現することにつぎる。 ただその欠点は何であれ、少くとも次のように評価することは正当であらう。我々の祖先ぽ種々の技術的制約にもかか わらず、原理的には完全な会計法を心得ていた。このような思考的完成の域にあったという事実の裏には、それを必要と する実際的要求と、その思想を生み出す経済的経営的条件が完成していたという事実がある。その具体的反映が簿記にみ られるのである。 ① 拙稿﹁江州中井家の決算報告法について﹂彦根論叢 三七号 六〇頁下段。 ②拙稿﹁江州申井家帳合法の記帳技術−金銀出入帳と大福帳i﹂挿入の写真参照、彦根論叢五六号、三二頁。 ③江頭恒治教授著﹁近江商人﹂一五七頁。④拙稿﹁江吐出井家の決算報告法について﹂七六頁。 江州中井家帳合法の総括 六一