読みの主体性を保障する説明的文章の学習指導:―「テクストとの対話」に着目して―
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(2) 目次. 序章. 研究の目的と方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 1. 第1章. 説明的文章の学習指導における現状の把握と改善への試み・・・・・・… 3 第1節 説明的文章の学習指導における問題点・・・・・・・・・・・… 3 第2節 説明的文章の学習指導における新たな方向性・・・・・・・・… 6. 第1項既倒知識・経験の位置づけ・・・・・・・・・・・・… 6 (1)読みの「手段」としての位置づけ (2)読みの「目的」としての位置づけ 第2項 筆者概念の位置づけ・・・・・・・・・・・・・・… 10 (1)説明的文章の構造から見た筆者の位置づけ (2)筆者概念の位置づけの多様性と方向性. 第3項批判的思考の位置づけ・・・・・・・・・・・・・… 13 第3節 読みの主体性を保障する学習指導の定義・・・・・・・・・… 16. 第2章. 対話概念を説明的文章の学習指導に導入することの意義・・・・・・… 18. 第1節対話の価値的意義について・・・・・・・・・・・・・・・… 18 第1項対話への着目・・・・・・・・・・・・・・・・・… 18 第2項 「テクストとの対話」「仲間との対話」「自己との対話」・19. 第3項 対峙性と共同性の構築・・・・・・・・・・・・・… 20 第4項 社会性、自己照射、創造1生・・・・・・・・・・・… 23. 第5項考察のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・… 24 第2節方法としての対話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 25 第1項対話を促すテクスト構造・・・・・・・・・・・・… 25 (1)テクストの情報性 (2)テクストの情報性と対話. 第2項 「テクストとの対話」と葛藤・・・・・・・・・・… 30 (1)葛藤の四層 (2)葛藤の四層の考察. 第3章. 読みの主体性を保障する学習指導の実際・・・・・・・・・・・・・… 34. 第1節 学習指導案の検討から見えてくる学習者の読みの現状と課題… 34. 第1項学習指導案における「単元目標」の考察・・・・・… 34 第2項 学習指導案における「教材観」の考察・・・・・・… 35 第3項 学習指導案における「指導観」の考察・・・・・・… 36 第4項 学習指導案における指導計画の考察・・・・・・・… 37 第5項 学習指導案における三時の展開の考察・・・・・・… 39.
(3) 第6項学習指導案の考察のまとめ・・・・・・・・・・・… 42. 第2節. 「評価読み」を用いた読みの主体性を保障する学習指導のあり方・43. 第1項実践の前提・・・・・・・・・・・・・・・・… ●’43. 第2項実践の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 43 第3項実践の方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 45 第4項 実践の分析と考察・・・・・・・・・・・・・・・… 47 (1)児童の読みの実態把握 (2)児童の読みの変容を促すための第二次の発問の主旨 (3)児童の読みの変容の過程とその考察. 第5項総合考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 56 (1)既有知識・経験の観点から (2)筆者概念、批判的思考の観点から (3)「テクストとの対話」の観点から. 終章 研究の成果と課題・・・・・・・・・・・・・・・・… ・・・・… 59. 引用・参考文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 61 註射舌辛・・・・・・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ … 6 2. 巻末資料.
(4) 序章 研究の目的と方法. 研究の目的. 本研究の目的は、説明的文章の学習指導における学習者の読みの主体性を保障するため に、対話概念を用いることの有効性とその方法を先行研究より導き出し、実践により検討 を行うことである。このような考えに至った背景には次のようなことが挙げられる。 説明的文章教材を用いた読むことの授業において、画一的で硬直化した学習指導のあり 方が問題とされている。また、具体的な読みのあり方として、文章の内容と形式に乖離が. 生じ、一方を重視すればもう一方が軽んじられるという問題が存在する。そして、説明的 文章教材は客観的かっ正確な文章であるという誤った認識の上に立ち、学習者の読みに正 確さを求めることに終始した指導が広く行われている。このような学習指導においては、 学習者の読みは総じて受動的、一方向的になりやすい。説明的文章を読むことにおいて、 学習者の主体性を保障することが差し迫った課題である。. これらの問題点を克服するために、近年、新たな学習指導のあり方が模索されている。 それらを大別すると、大きく三つの観点に分類することができる。. 一つ目は、既有知識・経験への着目である。読むという行為は、読み手が無の状態で文 章を受け入れるような消極的な活動ではなく、読み手が既有知識・経験を文章と関わらせ ながら、新たな三下知識や経験を築く積極的な活動であることが明らかになっている。. 二つ目は、筆者概念への着目である。文章に顕在化された内容は、筆者が何らかの意図 を持って取捨選択したものであり、文章に顕在化された文章表現は、筆者の伝えたい内容 を伝達するための手段として筆者が選択したものである。すると、筆者の書き方の工夫を. 考えることは、筆者の伝えようとする内容とのつながりにおいてのみ可能になり、またそ の反対も成立する。つまり、筆者概念を導入することで、説明的文章の内容と形式は統合 されるのである。. 三つ目は、批判的思考への着目である。これまで、教材としての説明的文章は、その内 容や形式の客観性や正確さにおいて全く問題のないものとしてとらえられてきた。この説 明的文章教材に寄せる絶対的信頼は、文章の正確な読み取りを学習の主な目的にすること. へとつながつた。しかし、筆者の存在に着目すると、説明的文章は内容、形式のいずれに おいてもその筆者個人の認識・表現の産物であることを免れることはできない。したがっ て、読み手が文章の内容や形式を批判的に捉えることが必要となる。また、そのような批 判的思考を伴った読みは、読みの主体性を保障することにもつながってくるのである。. 本研究では、既有知識・経験、筆者概念、批判的思考という三つの観点を軸に、説明的 文章における読みの主体性を保障する学習指導を「自らの既有知識・経験と関わらせなが ら、筆者のものの見方・考え方を批判的に検討することを通し、自らの既有知識・経験を 再構成すること」と定義する。. 1.
(5) 一方で、対話の特徴を明らかにした上で、この研究で目指す読みの主体性を保障する説 明的文章の学習指導を実現するためには、対話概念を導入することが有効であることを提 示する。そこでは、「自己との対話」、「仲間との対話」、「テクストとの対話」の三つの対話. の働きを読みの観点から考察し、対峙性や共同性の構築という対話の特徴が説明的文章の 読みにおいてどのように機能するのかについて考察する。 また、三つの対話の中でも、すべての対話の起点となる「テクストとの対話」に着目し、 それを促すテクスト構造を明らかにすることで、対話活性化への手がかりを見つけていく。 最後に、「テクストとの対話」に着目した説明的文章の授業を実際に行い、論者が導き出 した理論の検討を行う。. このように、本研究では、説明的文章の学習指導において学習者の読みの主体性を保障 するために、対話概念を導入することについてその方法を明らかにし、有効性を検討する ことを目的とする。. 研究の方法. 本研究では、説明的文章の学習指導における読みの主体性を保障するために、対話概念 を導入することの有効性について論じていく。そのためには、説明的文章の学習指導にお いて、読みの主体性を保障するために必要な要素を抽出する必要がある。また、対話につ いての特徴や読みにおける働きを明らかにすることも必要である。これらを行うための具 体的な研究の方法は、以下に示す通りである。. 第1章. 先行研究より説明的文章の学習指導における問題点を明らかにし、近年における 学習指導の新たな傾向について整理、考察する。また、それらをもとに、本研究 で目指す「読みの主体性を保障する説明的文章の学習指導」について定義する。. 第2章. 先行研究より対話の特徴を明らかにし、説明的文章の学習指導に対話概念を導入 することの有効性を考察する。また、先行研究より対話の活性化に寄与する要素 や方法を見出す。. 第3章. 第1章、第2章から得た知見を生かし、実践を行い検証する。. 2.
(6) 第1章説明的文章の学習指導における現状の把握と改善への試み 第1章では、これまでの説明的文章の学習指導における問題点を明らかにするとともに、 それらの問題点を克服するために考案された新たな理論や方法について考察していく。. 第1節説明的文章の学習指導における問題点 説明的文章の学習が面白い、説明的文章の指導が楽しいという声はあまり聞かれない。 同じ国語科、読むことの学習であるにも関わらず、説明的文章教材を用いた学習指導は文. 学的文章教材を用いた学習指導に比べて敬遠されている1。ここでは代表的な問題点を挙 げてその原因を探っていきたい。. まず、画一的で硬直化した学習指導のあり方が問題として挙げられる。渋谷孝氏は説明 的文章教材を用いた読み方指導のほとんどは、全文の通読→意味段落分け→各意味段落に おける精読→まとめ読みの四段階に分けられると指摘する。そして、第一段階の全文通読 の後、文章を精読して理解する過程も経ることなしに、第二段階で段落を意味のまとまり. で分けるという学習の流れは成立しないと批判する2。これは説明的文章における学習指 導について、全体の流れが画一化していることだけでなく、学習指導のあり方そのものに も課題が残ることを示唆している。. 小田迫夫氏は、「従来の説明的文章指導の多くは、表現内容に対する底の浅い知的理解の. 上に、知的興味のわきにくいく要点把握→段落関係把握→文章構成理解→要旨の把握確認. 〉の作業を重ねてきた」と述べる3。渋谷氏が単元全体の流れが画一化していることを指 摘したのに対し、小田氏は、渋谷氏のいう第三段階(各意味段落における精読)の具体的 な読みの流れについても画一化していることを指摘している。. また、小田氏の指摘から15年以上後に、吉川芳則氏は説明的文章の学習が嫌われる要 因として「画一的で硬直化している説明的文章の学習指導過程や学習活動」を挙げ、「要点・. 要旨まとめ、接続語や指示語の検討、段落相互の関係の検討、文章構成図作成等のいわゆ る要素分析的な学習活動」を「おきまり型」として批判している4。 これら渋谷氏、小田氏、吉川氏の指摘より、説明的文章教材の学習指導は、単元全体の. 流れにおいても、またその部分における具体的な読みの流れにおいても画一化が認められ る。さらに、この問題は長い期間にわたり認識されているにも関わらず、依然改善に至っ ていないことも示唆されている。. このように、画一化された枠の中で画一化された読み方を強いることは、学習者が主体 的に学ぶ姿勢を阻んでいる。主体的な学びが保障されず、受動的、一方向的な学びを強い られる説明的文章の学習指導のあり方の中に、学習者の多くが説明的文章を敬遠する原因 を見出していると考えられる。. 次に、学習指導における具体的な読みのあり方に関する問題を、読みの対象と読みの方. 3.
(7) 法の観点から述べていく。. まず、学習指導における読みの対象について、内容と形式の乖離という問題を取りあげ る。小田氏は、説明的文章を読むことの指導において、内容は、ある文章固有のものであ るのに対し、形式は他の文章でも用いられる一般性を持つという理由から、形式に重点を おいた学習指導が多いと述べる。また、形式を重視すると内容が軽んじられ、反対に内容 を重視すれば形式への志向が弱くなるという内容と形式の乖離の問題が生じる5。 この内容と形式の乖離は、形式主義と内容主義という二つの対立を生み出した。形式主 義、あるいは技術主義とは、文章中の言語表現や文章構成などを内容理解とは切り離した 形で取り立てて指導することを指す。一方で、内容主義とは、言語表現や文章構成などの 形式面を全く指導の対象とはせず、そこに描かれている内容だけを対象とする指導を指す. 6。このことに関して、森田信義氏は「通読」を経た後の第二次の読みを、次のように表 現している7。. 説明的文章の学習指導が急速に精彩を欠くのは、この段階である。既に知ってしま った内容・ことがらを繰り返し学習の対象にするか、形式的な段落の学習に陥るか、 あるいは読解基礎技能と称するスキル学習に走るか、いずれもまっとうなものとは言 えない。. これより、形式主義、内容主義はそれぞれに固有の問題を持つが、形式と内容のどちら を学習対象にしょうとも、学習者の主体的な学びは保障されにくいという点で共通点が見 出せる。. 1980年代には、渋谷氏、森田氏、小田氏らによって形式と内容の止揚についての議論が. 深められた。例えば森田氏は形式と内容を統合するものとして筆者の工夫を追求する読み を提案した。同じように、小田氏は書き手の論理を読み手に伝える「レトリック」に着目 することを提案した。両氏の提案に共通するように、筆者の存在を意識することで内容と 形式の問題を解決できる可能性が見出せる。. 次に、学習指導における読みの方法に関する問題として、小田氏は「理解に正確性、論 理性を求める読ませ方の形式化、画一化8」を挙げている。森田氏は、さらに批判的に次 のように述べている9。. (前略)内容の偏りや論理の飛躍あるいは言語表現の不適切さがあるかもしれない ものを正確になぞってみたところで、それが到着点であるならば、そうした学習から 得るところは少ない。. 森田氏は説明的文章教材の読みの学習指導において、「教材としての説明文はその内容、. 4.
(8) 論理、表現にまったく問題がないと考えがちjな読み手の誤った認識が、文章を正確に読 むことを説明的文章教育の大きな目的にならしめ、そして形式主義を生み出すことにつな がったと指摘する。また、読み手がその正確さについて絶対的な信頼を寄せることについ て、それは「教科書教材の魔力」によると批判を込めて述べている10。森田氏が、説明的 文章教材の正確さについて疑問を投じたことは、同時に批判的思考を取り入れることの妥 当性や必要性を高めるきっかけになったと言えよう。 これら小田氏、森田氏の指摘により、読みに正確さを求める説明的文章の読みにおいて、. 読み手は文章の内容や形式を絶対的なものとしてあるがままに受け入れることを強いられ ることが明らかになった。このような読みの方法を用いる学習指導において学習者の主体 性が保障されることはないと考える。. ここまでに取り上げた、説明的文章の学習指導における問題点を以下にまとめる。. ・単元全体の流れや精読段階における読みの流れの画一化. ・内容と形式の乖離 ・説明的文章の客観1生や正確さに対する過大な信頼. これら三つの問題はそれぞれに独立して存在するのではない。説明的文章の客観性や正 確さに対する過大な信頼が形式主義を生み出すことにつながり、形式主義への偏りが学習 指導過程を画一化すると同時に、それに反対する立場としての内容主義を生み出したと考 えると、全ての問題は相互に関連している。また、これら相互に関連した問題は、総じて 読み手である学習者の主体的な読みを保障することなく、受動的、一方向的な読みを強要 してきたのである。. つまり、読みの主体性を保障する学習指導を創造していくことが最も重要な課題であり、. それが説明的文章を用いた学習指導を学習者にとって親しみやすいものへと改善していく 鍵となるのである。. 第2節では、読みの主体性を保障するための新たな学習指導の方向性について考察する。. 5.
(9) 第2節説明的文章の学習指導における新たな方向性 第1節において、説明的文章の学習指導の問題点を考察した。その結果、読みの主体性 が保障されず、受動的で一方向的な読みが強いられていることが明らかになった。これを 克服するための提案は近年、多様になされている。. 本研究においては、読みの主体性との関係において特に重要だと考えられる次の三つの 観点に焦点化して考察していく。. 一信. 既有知識・経験 筆者概念. 批判的思考. 第1項既有知識・経験の位置づけ 認知心理学の知見より、読み手は既有知識・経験を文章と関わらせながら能動的に読む ことが分かっている。そこで、読みにおける既有知識・経験の位置づけを渋谷孝氏、藤原 宏氏、河野順子氏の三者の理論より考察していく。. (1)読みの「手段」としての位置づけ. 渋谷孝氏は、文章の理解における既有知識の位置づけについて次のように述べているll。. 新しい対象に対した時、第一に児童がその対象に共通する既有の体験や知識や、知 識の程度によって、読み取りの深さが左右されるとともに、第二に対象の理解に不足 する自分の認識なり、知識なりをどの程度意識しているかによって読みの理解度の条 件が規定される。. 渋谷氏が30年以上も前にすでに文章の理解における既有の体験や知識の位置づけを行 っていたことや、不足する認識や知識を意識するというメタ認知の働きについて触れてい. たことは注目に値する。渋谷は、読むという行為の中で、既有知識・経験がどのように働 くのかについて次のように述べる12。. (前略)わかるということは、認識が明確になること、既知の体験によって未知の 対象について類推、推測、想像することである。問題は、その類推、推測、想像活動 などの原動力となる既有の経験をどのように作用させていくかにある。. このように、渋谷氏は既有知識・経験を読むための手段として位置づけている。渋谷氏 は、「児童がある教材に接した場合、児童の生活体験上のさまざまな実感的な要素が、指導. 6.
(10) 者の予想もつかぬような重みを持って関係してくる」と述べる13。つまり、児童の生活体 験上の実感的な要素が異なれば、それぞれの児童が教材の中で着目する箇所やその解釈の 仕方が自然と異なってくるということである。 そのことについて渋谷氏は、「問題は、児童の具体的、実感的なものに由来する認識と、. 抽象的、論理的なことばや数についての認識をどのように関係づけて、より高次の認識が できるように導いていけるかどうかにある」と述べる14。 このように、渋谷氏の論においての学習者の位置づけは、文章をあるがままに受け取る ような受容的なものでなく、既有知識・経験を用いて類推、推測、想像するという主体的 なものである。しかし、次の文に見られるように、渋谷氏の論において学習者の読みは、 文章の枠に規定されたものであることに気づく15。. (前略)読み手の生活上の過去経験ということを重視しすぎると主体読みというこ とが、各自それぞれの読み、十人十色の読み、文章を自己化することに傾きすぎる読 みになってしまう傾向がある。そうなったとしたら、それは正しい方向ではない。も う一つの段階、自己が客体的作品に吸収されることが必要である。. 次に、藤原宏氏が既有知識・経験をどのように位置づけているかについて考察する。. 藤原氏は、国語学力のすべての内容を支えているのは、言語思考力であるとし、言語思 考力を構成する中核的能力として「関係把握力」を設定している。関係把握の対象となる 諸要素を第一層から第四層までの四つに分類し、各層の要素を結びつける力を関係把握力. と定義する16。表1−1は、それら関係把握の諸要素を藤原氏が整理したものである。 藤原氏は、読みの指導における関係把握の流れについて図1−1のように示している。. まずAの要素(言語・記号)とBの要素(言語記号の表わす事物・事象・現象など)との 関係を客観的、普遍的に結びつけ、関係を把握できる読み手によって文や文章の意味内容 は生じてくる。しかし、読む活動が行われる際には、読み手が既有する諸要素と文章に書. かれている事柄・内容との関係が生じてくる。つまり、Bの諸要素とDの諸要素(言語受 容者固有のもの)との関係を結びつける精神作用が働くのである。こうして、Aの要素と. Bの要素との関係把握、Bの要素とDの要素との関係把握を通して「A・B・D」の部分 が出てくる。. 「A・B・D」は「すべての読み手に共通する部分」と「読み手ごとに異なる部分」の 二つに分けられる。このうち「すべての読み手に共通する部分」はAの要素とBの要素と の関係把握から生まれ、これはAの要素とBの要素の結びつきにおける客観性、普遍性が もたらした結果である。次に、「読み手ごとに異なる部分」はBの要素とDの要素との関係. 把握から生まれる。これは、読み手ごとに固有であるDの要素の主観性や主体性がもたら した結果である。. 7.
(11) 表1−1関係把握の対象となる諸要素の分類(藤原1987P.24). A. B. C. 分野の記号. D. 分野の内容. 語別言儲. B. Aの文章によって表される事物・事象・現象など(文章の意味する事柄・内容). 読みの方向. D. 読み手の有するもの(読み手の持つ経験・知識・考え方・感じ方・思想・論理など). A. Aを読むことによって、読み手にもたらされる反応や結果(読み手の理解・鑑賞の内容). B すべての読み手に共通する部分(A+B). 読み手ごとに異なる部分(B+D) (主観的内容). (客観的内容). 図1−1文章を読む行為における関係把握の流れ(藤原1987をもとに論者が一部加筆). 8. 層. 層↓第. 層二王. 層三連. 層四第. 文章(言語)…語・語句・文・段落・文章全体など. D. 関係把握︵結び付け︶の対象となる諸要素. − 吾 一言口2 語句3 文4 文の集合、段落5 完結している文章全体. ① 語が意味するもの② 語句が意味するもの③ 文が意味するもの④ 文の集合、段落が意味するもの⑤ 完結している文章全体が意味するもの. 1 知識・情報2 経験・体験3 物の見方・考え方・感じ方4 思想・論理5 感情・心情6 立場7 その他の諸要素. ︵右欄と同じ︶. A.
(12) 藤原氏はこれらの関係把握の特徴を踏まえ、読みの学習指導における留意点を次のよう に述べる17。. したがって、読むことの指導で大切なことは、同一の教材文である場合は、すべて の児童生徒が理解すべき部分を確実に正しく理解できるように保障することが一つ、 そしてもう一つ、それに劣らず大切なこととして、児童生徒の一人ひとりによって読 みの結果や結論に相違が出てくることを大事に取り扱うような指導をすることがある。. このように、藤原氏は読みの指導において「すべての読み手に共通する部分」を確実に 正しく理解させ、「読み手ごとに異なる部分」を保障することを説いている。そして「すべ ての読み手に共通する部分」が「正確」さを養い、「読み手によって異なる部分」が「豊か さ」を養うと述べる18。. ここで、渋谷氏が学習者の読みを文章の枠に規定していたのに対し、藤原氏は学習者が 文章の規定の枠の外に出て読むことを位置づけていることが読み取れる。この点において、. 藤原氏の論における読み手は、渋谷氏の論における読み手に比べ、読みの主体性が保障さ れる可能性が高いと考える。. しかし、藤原氏の論において、既有知識は「豊かさ」を養うための手段であり、既有知 識・経験が読みの手段としてみなされている点においては、渋谷氏と変わりはない。. (2)読みの「目的」としての位置づけ. 一方、河野順子氏は、既有知識・経験を手段以上のものとしてとらえている。河野氏は、. 「学習者側に立つ」学習指導として「学習者が既に持っている知識を想起し、生きて働く. 力として学習者自らが再構成していくことのできる学習指導」を挙げている19。それを詳 しく説明したのが次の文である20。. (前略)説明的文章教材というテキストを媒介にして、子ども一人ひとりが持って いる三三知識をもとに、テキストに顕在化している表現・論理・構造という述べ方を 手がかりにして、筆者の見方・考え方・述べ方に出会い、自分なりに解釈し、自分な りにテキストの内容に述べられている世界を捉え直し、自分なりの見方・考え方・述 べ方を形成することこそが子どもにとって必要な生きて働くカではないか(後略). ここから分かるように、河野氏は既有知識・経験を文章への理解を深めるための手段と. 捉えるのではなく、文章を読むことを通して、既有知識・経験自体を再構成することを読 みの目的と捉えている。つまり、既有知識・経験は手段ではなく、それ自体が目的なので ある。. 9.
(13) 以上、渋谷氏、藤原氏、河野氏の三者における既有知識・経験の位置づけを考察してき た。渋谷氏は、早い時期に既有知識・経験を文章を読むための手段として位置づけたこと に価値を見出せるものの、渋谷氏の論における読み手は文章の枠に規定された読みを強い られることが予想された。藤原氏の論については、読みを文章に規定しないことで読みの 主体性を保障しようとしている点は注目に値する。しかし、既有知識・経験を読むための 手段として位置づけている点で、渋谷氏の論と大きく変わりはない。このように、既有知. 識・経験を読むことの手段として位置づけることによって、読むことにおける主導権は文 章の側、つまり筆者の側に存在すると予想される。その点において、読みの主体性は保障 されにくい。一方、河野氏は既有知識・経験を再構成することを読むことの目的ととらえ ている。そして、その目的を実現するための手段として読むことを捉えているのである。 このように、既有知識・経験を再構成することを読むことの目的と位置づけることにより、 読みの主体性は最も保障される可能性が拓かれる。. 第2項 筆者概念の位置づけ 第1章第1節では、説明的文章の学習指導における問題の一つとして、読みの対象に内 容と形式の乖離が生じていること、そして内容と形式の乖離を克服するものとして、筆者 の存在を位置づけることを述べた。つまり、文章に顕在化された内容は、筆者が何らかの 意図を持って取捨選択したものであり、文章に顕在化された文章表現は、伝えたい内容を. 伝達するために筆者が選択したものであるととらえた場合、形式と内容は相互に深く関わ ってくる。. このように、説明的文章の学習指導において重要な役割を果たす筆者の存在について、 第2項では詳しく考察していく。. (1)説明的文章の構造から見た筆者の位置づけ. 浜本純逸氏は文学作品の構造と説明的文章の構造を比較することで、それぞれの特徴を 明らかにし、説明的文章の学習指導における筆者の位置づけを行った。 浜本氏は文学作品においては「書き手が作品の外にいる」という点から、「文学作品は作. 者の生活事実から一応切り離された虚構の世界であり、現実を超えた異空間である」と述 べる。一方、説明的文章においては「書き手が文章の中にいる」と考え、「説明的文章の世. 界は現実と地続きである」と述べる21。このような構造の特徴をとらえた上で、浜本氏は 筆者について次のように述べる22。. 説明的文章の場合は「筆者はどう考えていますか」という発問には必然性があるが 文学作品の場合は許されない。文学作品では「この状況で人物○○はどう思っていま すか」という発問しか許されないことになる。「作者はどう考えていますか」という発. 10.
(14) 問はかなりの手続きを経た後でないと許されない。. 浜本氏は、説明的文章を読むことにおいて筆者概念を取り入れることは「必然性がある」 と表現するように、それなくしては読むことに支障があることさえ示唆しているのである。. (2)筆者概念の位置づけの多様性と方向性. では、説明的文章の読みにおいて筆者概念を取り入れるとは、具体的にどのようなこと を指すのであろうか。. 渋谷孝氏は筆者の意図について次のような見解を示している23。. (前略)読み手は、文章を読みながら、書き手が書こうとした意図は推察できる。 しかしそれは読み手の推察した理解であって、書き手の意図と一致するものではない し、一致しないことが誤読なのではない。. さらに、渋谷氏は筆者概念は「読み手である児童生徒が当該の文章を読んで、筆者の立 場についての推察による理解をすること」と述べている。そして推察することは「読み手 における理解行為」であると位置づけている24。つまり、渋谷氏は、筆者の立場を推測す ることを、文章の理解のための手段とみなしている。しかし、このような理解行為を目的 にした筆者概念の位置づけにおいては、学習者の読みは文章の枠に規定されることを否め ず、このような読みにおいて学習者の主体性は保障されにくいと考える。 一方、倉澤栄吉氏は筆者概念の目的を文章の理解にとどまらず、読者の世界を拡充する ことであると主張する。倉澤氏は、「筆者想定」を次のように定義する25。. 第一次想定. 文章作成の動機や意図を想定する。. 第二次想定. 取材、構想の過程を想定する。. 第三次想定. 筆者と直接に対面し、読み手の世界を拡充する。. 倉澤氏の「筆者想定」は、読むという行為を「人間と印刷の対面や対決」ではなく「人 間と人間との対決」として考えようという目的論に基づいている26。つまり、「筆者想定」. において、読みの対象は文章ではなく筆者という一人の人間なのである。 三段階から構成される想定の中で、特に注目したいのが第三次想定である。ここでは「筆. 者と直接に対面し、読み手の世界を拡充する」とある。その具体的な指導例として倉澤氏 が示したものを一部抜粋して図1−2に示す。 これらの例からも明らかなように、倉澤氏の「筆者想定」による読みが目指すところは、. 決して文章の枠に規定された理解ではない。読み手は既有知識・経験を想起しながら、筆. 11.
(15) 者の書き方や考え方に向き合い、文章の枠を超えて自分の世界を拡充しているのである。 このことは、次の倉澤氏の文にも表れている27。. 文章を読むということは、けっして単なる理解ではなくて、むしろこれは生産だと. する考えです。主体を大事にする限りにおいて、文章を読むという仕事は、受け身で はなくて、積極的な創造であり、生産である(後略). ここまで、渋谷氏と倉澤氏の筆者概念に関わる理論を考察してきた。渋谷氏が筆者概念 の目的を文章の理解と位置づけたことで、読み手は文章の枠に規定された受動的な読みを 強いられることが危惧される。一方、倉澤氏が筆者概念の目的を読み手の世界の拡充であ ると位置づけたことで、読み手は文章の枠にとらわれることなく主体的な読みを保障され ることが期待できる。. 長崎伸仁氏は「筆者を読む」ことについて「筆者の主張や思想、なかには筆者そのもの を読むこと等、筆者概念の幅が広い。読ませ方においても、筆者に学ぶという姿勢で学習 させる場合と、批判的に読ませる場合がある」と指摘し、筆者概念の定義の曖昧さを示唆 している28。しかし、これは筆者概念を方法的側面から捉えようとしたときに生じる問題. である。筆者概念についてその目的的側面に着目し、文章の理解にとどまらず読み手の世 界の拡充することを目的とすることで、説明的文章の読みの主体性を保障することができ る。. ものの見方・考え方 へえ一、「……」そんな考えもあるのかな。一つ勉強させてもらった. 「……」ここのところは、ずいぶん古めかしい考えだな 材料. 「……」ここはほかに「……」こんな材料も加えていいのではないか 「……」ここは蛇足ではないか。それよりも… 表現. 「……」このような言葉は初めて知った。辞書や辞典をあたって調べてみたい わたしだったら、「……」ここは「……」という言葉を使う 構成. 筆者がこの文章で一番言いたいことは「…」こう言うことだと思う。それなら ば書き出しを「…」に変えたほうがいいのではないか 発展 この文章を読んで、ほかに…のような文章が読みたくなった この文章を読んで…という題材で書いてみたくなった. 図1−2第三次想定における読み手の世界を拡充する具体的指導例(倉澤1998). 12.
(16) 第3項 批判的思考の位置づけ 第1章の第1節において説明的文章教材を用いた学習指導における問題点の一つに、文 章を正確に読むことを学習指導の最終目標に掲げた授業が多く展開されていることを前述 した。これは、森田氏が「教科書教材の魔力」と批判するように、教科書教材は客観的で 正確であるという読み手の誤った認識から生じる問題であると言えよう。このような、文 章の内容や形式をあるがままになぞり、絶対的なものとして受け入れることを強いる学習 指導において、学習者の読みに主体性は保障できない。. この問題を克服し学習者の主体性を保障するための方法として、批判的思考を用いた読 みに注目が集まった。都教祖荒川教育研究会の「批判読み」、小松善之助氏の「データ吟味 読み」、大西忠治氏の「吟味読み」、森田信義氏の「評価読み」など、各研究者は実践経験. に基づき批判的思考を用いた読みを提案した。その中でも、理論的な確立が十分になされ ていると論者が考える森田信義氏の「評価読み」を中心的に取り上げ考察したい。 森田信義氏は、説明的文章の学習指導において、読みの対象と読みの方法についてどの ようにとらえているのであろうか。. まず、読みの対象について森田氏は次の三つを挙げている29。. ①教材の内容(情報). ②教材の論理 ③教材の表現 森田氏は、多くの実践において読みの対象が内容か形式の一方に偏っていると指摘する。. 内容に偏った実践には主に「①教材の内容」を学習対象とする。この読みは、読み手の未 知の内容(情報)に対する興味・関心を学習指導の原動力にしている。しかし、新しい内 容(情報)には持続性がなく、既に知った内容を繰り返し学習の対象とすることで学習者 の興味・関心は殺がれていく。これを克服するためにさらに未知の内容(情報)を受容す る感動を重視しようと関連教材を投入し、内容主義に陥る危険性もあると指摘する。. 形式に偏った実践においては、主に「②教材の論理」や「③教材の表現」を学習の対象 としている。ここでは、客観性や正確さにおける教材の優位性を前提に掲げ、教材の論理. 展開、論理構造、言語表現などがどのようになっているのかを細かく読み取ることが行わ れている。これら形式に偏った実践においては、読み手は読みに個性を問われることはな く、画一的で主体性を欠いた読みを余儀なくされる3・。 森田氏は、形式に偏った読み、内容に偏った読みの問題点を以上のように指摘した上で、 論理に着目することで問題解決を図ろうとしている。. 「論理」とは、認識の対象になっているものごとの間の関係(脈絡や構造)である. 13.
(17) と規定しておく。私たちが説明的文章において(を通して)出会う論理は、内容と言 語(形式)の統一されたものである。すなわち、内容と形式を統一的にとらえるため の手段であると言ってもよい31。. しかし、森田氏にとって論理を捉えることは、単に形式と内容を止揚するための方法で はない。森田氏は、説明的文章教育の学習指導の重要な目的として「論理的認識能力の育 成」を挙げているのである32。. 国語科説明的文章の学習指導とは、意識的な言語活動を通して、論理とは何か、論 理的認識とは何かを学習させ、自らも「実の場」で論理的に認識し、論理的に表現で きる力を培う任務をもつものである33。. 次に、森田氏が説明的文章教育における読みの方法をどのように捉えているかを考察す る。森田氏は読みの方法として「確認読み」と「評価読み」の二つを挙げている。 まず、「確認読み」において読みの姿勢は以下の通りである34。ここでは書かれている ことをあるがままにとらえ、教材の仕組みを確認することを目的とした読みが行われる。. [読みの対象】. ①説明文教材の内容 ②説明文教材の論理 ③説明的文章の表現. [読みの姿勢]. 懊一. 森田氏は、読み手は書かれたものを叙述に沿って理解しなければいけないという義務を 負っているとし、主観的、恣意的な読みに対置するものとして、「確認読み」を行うことに. 一定の価値を見出している。しかし、「確認読み」は、「読み手よりも教材に身を寄せた読. みである」と述べ、教材の優位性を前提に行われるがゆえに、読み手の個性や多様性を生 み出しにくい読みであると危惧する35・36。 次に「評価読み」について森田氏は「『あるがまま』にとらえる過程やとらえた結果に、. 自らの価値観、論理感覚、方法観等を基準にして吟味、評価を加える過程において機能す る」と述べ、以下のように示す37。. [読みの対象]. [読みの姿勢1. ④説明文教材の内容. は、なぜそのようであるか. ⑤説明文教材の論理. は、分かりやすいか. ⑥説明的文章の表現. は、問題を抱えていないか. 14.
(18) このように、「確認読み」が教材の仕組みがどのようであるかを確認する読みであったの に対し、「評価読み」は教材を自らの考えに照らして対象化し評価する読みである。これは、. 「確認読み」において絶対的な存在であった教材や筆者を、対象化、評価することで読み 手と同じ位置に引き下ろす機能を持っている。 森田氏は、「実の場」において、情報の受け手は常にその価値や問題を吟味し選択してい るという点を挙げ、「実の場」にも生きる説明的文章の読みの力を育成するためには「評価. 読み」が必要であると述べる。つまり読みに評価や吟味という批判的思考を取り入れるこ とで、読み手を画一的で個性のない読みから解放し、主体性を保障することにつながると 考えている。. このように、森田氏は説明的文章の学習指導において、読みの対象を内容と形式を結ぶ 論理であるととらえ、読みの方法としては「確認読み」の意義を認めながらも、学習者の 「実の場」に生きる主体的な読みを促す読み方として「評価読み」の必要性を説いている。. 森田氏が批判的思考を用いて論理を読むという理論を提案したことは、後に難波博孝氏 が「論理力」=「論理的読解力」+「論理的思考力」+「論理的表現力」とした上で論理 力を構成する三つのカに「適切さ」の必要性を含めていることにも関係しているのではな いかと考えられる38。. また、読みにおいて批判的思考を取り入れることは、近年話題に上がっているPISA 型読解力の「熟考・評価」の観点からみても価値が見出せる。鶴田清司氏はPISA型読 解力における批判的思考の位置づけを以下のように示した39。. そもそも、PISA型読解力における「熟考・評価」とは、「書かれていることを生 徒の知識や考え方や経験と結びつけること」であった。そこでは、テキストを自分の 既有知識・既有経験と結びつけながら思考・判断・評価することが求められている。 つまり、筆者のものの見方・考え方・さらに表し方・述べ方について批判的(クリテ ィカル)に読むことである。. 15.
(19) 第3節 読みの主体性を保障する学習指導の定義 第1節では、説明的文章の学習指導におけるさまざまな問題を取り上げた。それらの問 題は、総じて読みの主体性を保障しない学習指導を作り出していた。. 第2節では、読みの主体性を保障する学習指導を創造するために、既有知識・経験、筆 者概念、批判的思考の三つの観点から考察を行った。. まず、既有知識・経験について次のことが分かった。既有知識・経験を文章を読むため の手段と見なす立場において、読みの主体性は保障されにくい。一方、既有知識・経験の. 再構成を目的とし、そのための手段として文章を読むという立場においては、読みの主体 性が保障される。. 次に、筆者概念について次のことが分かった。筆者概念を導入する目的を文章の理解で あるとする立場において、読みは文章の枠に縛られ、読みの主体性は保障されにくい。一. 方、筆者概念を導入する目的を読み手の世界を拡充することとする立場において、読みは 文章の枠に規定されず、主体性が保障される。. 最後に、批判的思考を行うことで、絶対的な存在であった教材や筆者を、読み手と同じ 位置に引き下ろすことができることや、読み手が文章に即した画一的な理解から解放され ることが明らかになった。つまり、批判的思考を用いた読みにおいて主体性が保障される ということである。. では、説明的文章において「読みの主体性を保障する」とは、具体的にどうすることあ ろうか。既有知識・経験、筆者概念、批判的思考の三つの観点の考察から得た知見を生か し、次のように定義したい。. 自らの二二知識・経験と関わらせながら、筆者のものの見方・考え方を批判的に 検討することを通し、自らの三三知識・経験を再構成すること. 第2章においては、このように定義した読みの主体性を保障する学習指導を行うに際し、 対話概念を導入することの意義を考察する。. 1長崎伸仁氏は『新しく拓く説明的文章の授業』明治図書 1997pp.10−11の中で、説 明的教材と文学教材についての意識調査を学生に行い、その結果、説明文教材の学習は 不人気であったことを示している。. 2渋谷孝『説明文教材の新しい教え方』明治図書 1999 pp.41・43 3小田匹夫「なぜ説明文から知的好奇心が喚起されないか」『教育科学国語教育』明治図 書No.364 p.10 4吉川芳則『小学校説明的文章の学習指導過程をつくる一楽しく、カのつく学習活動の開. 発一』明治図書2002pp.6−21 5小田迫夫「説明文の指導を見直す」『月刊国語教育研究』日本国語教育学会 No。213 pp.3’7. 16.
(20) 6河野順子『〈対話〉による説明的文章の学習指導一メタ認知の内面化の理論提案を中心 に一』風間書房 2006 p.9 7森田信義『説明的文章教育の目標と内容一何を、なぜ教えるのカ1・一一一』漢水社 1998 p。25. 8小田迫夫『説明文教材の授業改革論』明治図書 1986 p.3 9森田信義「情報の質を問う読みを求めて」『,月刊国語教育研究』日本国語教育学会 No.213 p.25. ユ09と同じp.25 n渋谷孝『説明的文章の指導過程論』明治図書 1973 p.99. 1211と同じp.100 13渋谷孝『説明的文章の教材本質論』明治図書 1984 p.9. 1413と同じ 1511と同じp.101 16藤原宏「国語学力論序説」『思考力を育てる国語教育』明治図書 1987 pp.12・52. 1716と同じp.40 1816と同じp.51 196と同じp.1 20河野1頂子『入門期の説明的文章の授業改革』明治図書 2008 p.16 21浜本純減「説明的文章の構造と文学作品の構造」『国語教育基本論文集成 第15巻 国 語科理解教育論(5)説明文教材指導論II』明治図書 1994 p.564. 2220と同じ 232と同じp.84 242と同じp.86 25高話栄吉『倉沢栄吉国語教育全集11情報化社会における読解読書指導』角川書店 1988 p.324. 2625と同じpp.242・251. 2725と同じp.303 281と同じp.139 29森田信義「説明文による論理体験を」『教育科学国語教育』明治図書 No.449 p.13. 3029と同じpp.13・14. 317と同じp.91 327と同じp.95 337と同じp.13 3429と同じp.15 3529と同じp.15 36長崎伸仁氏は『新しく拓く説明的文章の授業』明治図書 1997 p.14の中で、「評価 読み」に対応するものとして「教材の枠に拘束された読み」を唱え、この読みにおいて は「学習者の個性や存在ばかりか筆者の姿、貌、いや影さえも見えない」と述べている。. 3729と同じp.16 38難波博孝・三原市立木原小学校『楽しく論理力が育つ国語科授業づくり』明治図書 2006 pp.24−25. 39鶴田清司「『批評』による思考の活性化と授業の活性化」『教育科学国語教育』明治図 書No.686 PP.5・7. 17.
(21) 第2章 対話概念を説明的文章の学習指導に導入することの意義 第2章においては、第1章で定義した「読みの主体性を保障する説明的文章の学習指導」 を実現するために、対話概念を導入する意義と方法について考察する。. 第1節 対話の価値的意義について 第1節では、対話の特徴や機能を先行研究から得た知見をもとに整理し、それらと説明 的文章を読むこととの関係について考察する。. 第1項 対話への着目 山元隆春氏は文学の学習について次のように述べている1。. このようにテクストを〈思考されるべき対象〉としてばかりでなく、<コミュニケ ーションの媒介物〉として捉え、〈探求の場面〉を形成していく過程こそが文学教育 におけるく核〉である。(中略)そういった過程を成立させる上でく対話〉という営み はきわめて重要な意味を持つ。. このように、山元氏はテクストを読みの対象としてのみならず、コミュニケーションの 媒介物としてとらえている2。つまり、山元氏は読みの行為をテクストに書かれたことを 読み手が受け取る一方向的で主体性を欠いたものではなく、テクストと読者の間に生じる 相互作用、つまり〈対話〉であると考えている。 山元氏の指摘は文学の学習について述べたものであるが、同じ読むということにおいて、 説明的文章の学習指導にも適用できる可能性が拓かれている。. 実際に、河野順子氏は対話の概念を説明的文章の学習指導の核として取り入れている。 河野氏は、「学習者側に立つ」説明的文章の学習指導として次のように定義している3。な. お、ここで河野氏が言う「学習者側に立つ」とは論者が繰り返し述べてきた「読みの主体 性を保障する」とほぼ同等と考えてよいだろう。. 学習者が自らの既有知識をもとに、他者(筆者、教材、教師、学習者)との意味的 相互交渉の過程を通して、自らの丁丁知識を新たに再構成していく意味的〈対話〉を 実現する学習指導。. 河野氏は上に示したような意味的く対話〉が実現する学習指導において、他者との間に 差異を見出すことを通して葛藤が生じる必要があると述べる4。. 18.
(22) 第2項 対峙性と共同性の構築 初めに、コミュニケーションの一形態としての「対話」を考察してみる。「対話」という. 言葉は日常生活において様々な場面で使われる用語であり、それがこの言葉の意味を曖昧 にしている原因でもある。一般的には一対一の話し合いというようなイメージを持ってい る人が多いのではなかろうか。. 村松賢一氏は、話す・聞くという観点からコミュニケーションの一形態としての対話を 考察している。その中で「対話」の特徴としていくつか挙げているが、本研究では特に「対 峙性」と「新たな共同性の構築」に注目する5。. まず、対話の対峙性について、村松氏は「同質性(隣り合わせの関係)を崩し、対峙性 (向かい合わせの関係)を作り出すことが対話を展開する原動力となる」と述べる6。つ まり自分とは違う他者の存在を意識することが対話をもたらすということである。. これは、説明的文章を読む場面に当てはめて考えた場合、テクストをそのまま受け入れ るだけの読み方では、読みにおける対話は発生しないということになる。自らの既有知識 や経験と照らし合わせながら、テクストを批判的に読むことを通して対峙性が生まれ、そ れが対話を活性化する原動力になるのである。これを、森田氏の「確認読み」「評価読み」. の理論に当てはめて考えてみる。まず、書かれてあることをありのまま捉える姿勢の「確 認読み」において、読み手は筆者と隣り合わせの関係にあるため対話は生まれない。一方、. 書かれたことに吟味・評価を加える「評価読み」において、読み手は筆者と向かい合わせ の関係にあるため対話が生まれる可能性が高いということである。また、このことは、河 野氏が意味旧く対話〉を実現するための学習指導における必要条件として、他者との間に 差異を見出し葛藤を生み出すことを挙げていることとも関連する。. 次に、村松氏は新たな共同性の構築について、対話は対峙性を持つもの同士が共通の理. 解を築いていく試みであると述べ、それは噺たな自己同士が関係性を組み直」すことで 実現すると述べる7。. このことは、説明的文章の学習指導における批判的思考について次のような示唆を与え る。批判的思考をすることは粗探しをすることやひねくれた行為であるとみなされること が少なくないが、対話の特徴としての共同性の構築の観点から考えた場合、対峙する、あ るいは批判的思考をするということは、筆者や仲間の意見を全く受け入れない排他的な態. 度や筆者の意見に無関心な態度で読むことではない。つまり、このような読みにおいて対 話は生じないのである。対峙性の中にも、互いを分かり合おう、そこから新たに何かを生 み出そうとする建設的な態度が対話につながるのである。. また、これは第1章1項(2)で述べた河野氏のいう「再構成」や次項で述べる佐藤氏 の言う「編み直し」とも関連づけられる。. 19.
(23) 第3項 「テクストとの対話」「仲間との対話」「自己との対話」. 次に、佐藤学氏が提示する以下の三つの対話的実践について考察する。. 対象との対話 自己との対話. 他者との対話. 佐藤氏はこの三つの対話について「対話的学びの三位一体論」として学びの活動を次の ように定義している8。. 学びの活動を意味と人の関係の編み直し(retexturing relations)として再認識す るとすれば、学びの実践は、学習者と対象との関係、学習者と彼/彼女自身(自己)と. の関係、学習者と他者との関係という三つの関係を編み直す実践として再定義するこ とができるだろう。学ぶ活動は、対象世界の意味を構成する活動であり、自己の輪郭 を探索しかたちつくる活動であり、他者との関係を紡ぎあげる活動である。. さて、これを説明的文章を読むことにおいて考察してみると次のようになる。 まず、読むことにおいて、最初に発生する対話は「対象との対話」である。「対象との対. 話」における対象とは説明的文章の場合は筆者である。そして、筆者はテクストの中に表 れているということから、本論では「対象との対話」を「テクストとの対話」と呼ぶこと にする。つまり、読むという行為の起点は常にテクストにあるため、「テクストとの対話」 が先行するのである。. 図2−1は、教室での授業における「テクストとの対話」を表現している。この図は、 同一のテクストを介して、学習者はそれぞれ「テクストとの対話」を行っている様子を表 す。テクストと学習者を結ぶ矢印は、各学習者とテクストとの間に対話が発生している様 子を表し、矢印の太さは、対話の活性度を表す。また、←→を用いてそれぞれの対話を表 現しているのは、双方を結ぶ線によって新たな共同性の構築が行われていることを表現し、. 線の両端から矢印の先端がそれぞれ反対方向に伸びていることは、対峙性が生じているこ とを表現している。. 例えば、学習者4は「テクストとの対話」を活性化できているが、学習者1や2は「テ クストとの対話」を活性化できていない。このように、同一のテクストを介しても、「テク. ストとの対話」の活性度は一人ひとり異なるのである。なお、対話の活性度は、第1章で 示した三つの観点、つまり既有知識・経験、筆者概念、批判的思考をいかに効果的に活用 できたかという点に大きく影響されると考える。(これら三つの観点の読みの主体性を保障. するための効果的な位置づけについては第1章の第2節にて既述した。. 20.
(24) 学習者1 : :. 学習者5. ttt.)r. t テクスト. 学習者4. 図2−1. 「テクストとの対話」. /辱) ’ ’ ’. 学習者2 f・寧. 学習者5 テクスト. (垂) 学習者・ 図2−2「仲間との対話」. .・・一シ《一㍉、. ( 学習者1 ). /弩鞠一ボノ l l ,’テぐ一陶一\. 学習者5 1 話一学習者2ノ). 学習者・遡) 図2−3「自己との対話」. 21.
(25) テクストとの対話. 仲間との対話 自己との対話. 仲間との対話. 仲間との対話. 既有知識・経験の再構成. 図2−4読みにおける三つの対話の流れ. 次に、各学習者が行った「テクストとの対話」を授業の交流場面で分かち合うことで、 「他者との対話」が発生する。本研究では、これを「仲間との対話」と呼ぶことにする。. 図2−2は学習者が「仲間との対話」を行っている様子を表している。各矢印は、「仲間 との対話」の発生を表し、矢印の太さは、「仲間との対話」の活性度を示している。ここで. 学習者は、各自が行った「テクストとの対話」を他の学習者と交流することによって、自. 分と他の学習者との相違点を見出す。そうすることで相互に対峙性が生まれ、考えの隔た りを埋めようと新たな共同性の構築が行われる過程や結果において「仲間との対話」が活 性化するのである。. 例えば、学習者4と学習者5の間には「仲間との対話」が活性化されているが、これは、. 学習者4と学習者5の間に対峙性が生じ、それを解決しようと新たな共同性の構築が行わ れていることを示す。一方、学習者1と学習者2のように「仲間との対話」が全く発生し ない、あるいは学習者1と学習者5のように活性度が非常に低い場合がある。これは、学 習者1、2、5はともに「テクストとの対話」を十分に活性化できなかったことと関係す る。つまり、「テクストとの対話」を十分に活性化できた学習者の間においてのみ「仲間と の対話」を活性化できるのである。. 最後に、このような「テクストとの対話」や「仲間との対話」の過程や結果において、. 学習者はそれぞれに「自己との対話」を行っている。つまり、テクストや仲間との対話に よってもたらされた異質な考えが自分の下賜知識・経験に影響を与え、新たに既有知識・ 経験を再構成するという過程や結果において「自己との対話」が発生する。図2−3は「自. 22.
(26) 己との対話」の様子を表現している。線の太さは「自己との対話」の活性度を表し、矢印 の軸が弧を描き、その両端にある矢印が向かい合っているのは、自分の既有知識・経験と、. 外部からもたらされた異質な考えとが対峙し合い、新たに既有知識・経験を再構成しよう とする様子を表している。「自己との対話」は、「テクストとの対話」や「仲間との対話」 の結果やその過程において発生するとともに、「テクストの対話」から「仲問との対話」へ. と対話を重ねていくにつれてさらに活性化していく。学習者4や5の「自己との対話」が 他の学習者に比べてより活性化しているように、「テクストとの対話」「仲間との対話」が 十分に活性化できる学習者においては、「自己との対話」も活性化できる可能性が高いので ある。. 「自己との対話」とは、言い換えると自分の既有知識・経験が、「テクストとの対話」や 「仲間との対話」の過程や結果を通して再構成されることである。つまり、「読みの主体性. を保障する説明的文章の学習指導」における最も重要な目的は学習者が「自己との対話」 を行うことである。. これら三つの対話が読みの流れの中でどのように関連しているかを視覚的に表現したの が図2−4である。ここからも分かるように、「テクストとの対話」が起点となり「仲間と の対話」を経るという過程の中で、「自己との対話」は終始行われている。また、「自己と の対話」は矢印の幅が先端に向かって広がっているように、「テクストとの対話」や「仲間 との対話」を重ねるにつれてさらに活性化していく。そして、「自己との対話」の過程や結 果において既有知識・経験の再構成が行われるのである。. 第4項 社会性、自己照射、創造性. 西尾実氏は機能面から見た対話の質的価値について、社会性、自己照射、創造性という 三つの観点を取り上げている9。. 一つ目は、対話の社会性である。対話は相手とやり取りすることで情報や思想を共有す るという社会関係を作る上での基本単位となる。. 二つ目は、対話による自己照射である。他者との相違の中でこそ、自分というものが改 めて照らし返され相対化されてくる。つまり、他者との対話は自分を捉え直す機会となる。. 三つ目は、対話の創造性である。二者が語り合うとき、相手の言葉に触発されて新しい. 考えが浮かんでくることがあるため、対話は相互に啓発し合う行為であり、共同的な対話 は新しいものを生み出す生産的かつ創造的な営みである。. この三つの観点において、社会性は主に「仲間との対話」において育まれる。二点目の 自己照射は「自己との対話」のことを示している。また、三点目の対話の創造性について は、「テクストとの対話」や「仲間との対話」を通して、自分の既有知識・経験が「再構成」. される可能性を示唆していることが分かる。. 23.
(27) 第5項考察のまとめ このように、対話の機能や特徴を考察した結果、次のことが明らかになった。. ・説明的文章を読むことにおいて、「テクストとの対話」が起点となる。そして「テクス トとの対話」を活性化できる学習者の間において「仲間との対話」や「自己との対話」 が活1生化される。. ・ 「自己との対話」の過程や結果において、自分の既有知識・経験が再構成される。つ まり、「自己との対話」は「読みの主体性を保障する」学習指導の到達点であると考え られる。. ・対話が成立するためには対峙性が必要であり、これは批判的思考の必要性を示唆して いる。. ・対話が成立するためには共同性の構築が必要であり、これは批判的思考のあり方が排 他的ではなく建設的なものであることを示唆する。. 第一章で「読みの主体性を保障する説明的文章の学習指導」を次のように定義した。. 自らの既有知識・経験と関わらせながら、筆者のものの見方・考え方を批判的に検 討することを通し、自らの既有知識・経験を再構成すること. 対話の考察から明らかになったように、「読みの主体性を保障する説明的文章の学習指 導」において対話概念を導入する意義は十分に見出せるという結論に至る。. 24.
(28) 第2節方法としての対話 第1項で対話の特徴を考察した結果、この研究で目指す「読みの主体性を保障する説明 的文章の学習指導」において対話概念を導入することに意義を見出せた。しかし、テクス トが与えられれば対話が自然に発生するというものではない。指導者が対話の発生を促す. ような働きかけを行う必要がある。第2節においては、対話をどのような方法で活性化す ればよいのかについて、その方法を探っていきたい。. 第1項 対話を促すテクスト構造 第1項にて、対話には「テクストとの対話」「仲間との対話」「自己との対話」の三つが あることが分かった。説明的文章を読むことにおいて、常にテクストが起点となることか ら「テクストとの対話」は他の二つの対話に先行する。また、「仲間との対話」や「自己と の対話」の活性度は、「テクストとの対話」がいかに活性化されたかに関係することから、 本研究においては「テクストとの対話」を活性化する方法に着目して考察する。また、「仲 間との対話」「自己との対話」を活性化する方法についての研究は、今後の課題としたい。. 山元隆春氏は、読むという行為において、読者がテクストを介して主体的に対話するだ けでなく、テクストの中にも対話を誘う仕掛けが備えられているとし、そのようなテクス トの力や属性を「対話喚起性」と呼ぶ10。. このような「テクストとの対話」を促すテクスト構造を明らかにし、それらとどう関わ っていくかを考えることで、「テクストとの対話」を活性化させる手がかりを導き出す。. (1)テクストの情報性. 難i波博孝氏は、説明的文章におけるテクストの情報性について詳しく考察している。「情. 報性」とは、受容者にとって提示される情報がどの程度新しいことか、あるいはどの程度 予期しないことかを指し示す。また、この「新しさ」は情報の内容についてのみならず形 式も含んでいる。そしてこの「新しさ」によってテクストの連続性は妨害され、受け手の 認知の一貫性に影響を及ぼすことになる11。 難波氏はテクストの情報性について次の三つのレベルがあると述べる12。. 第一次の情報性(11). 予測可能性が非常に高く、自明なものであり受容者の注意は低 く僅かしかひかない。. の聯窃ま教淳の一分野である。(斜体は引用者、以下同じ)。. 第二次の情報性(12). 予測可能だがその可能性は低いもので、テクストの連続性維持 にはさして困難を与えず、しかも新しいことがらを伝えている。. ②聯削ま、教淳の中で褒ら基盤的な麺位〆こある。. 25.
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