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奈良県配置家庭薬とその振興策 -- 昭和恐慌期の動向を中心として --

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(1)奈良県配置家庭棄とその振興策 ――昭. て 一� 和恐慌期の動向を中心とし ヽ. 1.. 知. 京. 武. 会に席を 得ている®。松原は, 1934年(昭和. はじめに. 2. 「売薬製造」の推移と「売薬統計」. 9) 副議長となる。このほか,売薬業者の地方. 3. 「県立売薬試験場」の設置 4. 奈良県薬学商業学校の命運 5. おわりに. 議会への 進出と いえば, 1929 年 春南北両葛城 郡,磯城郡,高市郡内における町村会議員改選 にあたり,大和売薬同業組合をバックに大量の. 1.. は. じ. め. 組合員が 立候補して注目を あびた。 その数は. に. 100名を?邁し,「楓含晨の立録補みないとこる o•' 1. かつて,「大和売薬」①と称された奈良県配置 家庭薬は,県下を代表する重要産業であり,し ばしばその振興策が叫ばれてきた。とくに業界. '. が多年 その廃止を訴えていた 売薬印紙税が,. 1926年 (大正15) 3, 月に 決定 したことによっ て,その後の発展が約束された かにみえたので ある。確かに,売薬印紙税の廃止が業界に 1 つ. .. のはずみを与えたことは事実であるが,1927年. (昭和 2 ) の金融恐慌, 1929年 (昭和 4) の世 界恐慌は日本経済に深刻な不況をもたらし,大 和売薬にも測り知れない影響を及ぼした。 本稿では,昭和恐慌期における大和売業の振 ヽ. 興更生策を,いわば業界代表ともいえる県会議 員の動きなどをふまえて検討したい。. ヽ. 当時,大和売薬の発展を期するため,同業者 から地方議会への進出が提唱芦れI. .1931 年(昭. 和 6) には,松原利左衛門 (磯城郡),奥村正. •. 置 `f れた。兇年ぢ鍔后薬印紙税 なし」と枷聞に報ぜら. 廃止に絡む諸問題で,多数の同業組合委員が活 動した結果,政治に関心を持つようになったと いう®。 いわゆるロ. ー. カル. ・. リーダ ー の地方政界進出. は広くみられるところである。前記3議員の横 顔をみておくと,こうである。すなわち,松原 利左衛門は,1�76 年(明治 9) 生まれ,代々醤. 油醸造ならびに油屋を営む地方名望家である。. . .. その後家業は姉婿に譲り1·1905年 (明治38) 冬. 頃 から製薬業I<;:携わったという。達摩堂薬房主 としての商策は,「 一服で儲けるより百服で同 じ利を得たい」を信条とし,1931年 頃には県下 第 1 の製産家といわれた©� 奥村正信は1892年. (明治25) 生まれ,. ほぼ代々売薬業を営んでい. る。正永堂薬房主であり,村会議員を歴任,'売 薬印紙廃戻税運動に活躍したとい う。製剤本舗. 信 (高市郡), 仲川房次郎 (吉野郡) の3名の. を以てする大和親和会の組織化にも尽力し,ま. 県会議員を誕生させていたことが注目される。. た売薬の民衆化,産業立国主義を貫徹せんとし. 第 2 次大戦後までの奈良県会議員の定数は30名. であり,松原は 1927年から 連続 3 期, 奥村は 1931年から 1 期,仲川は1931年から連続 3 期県 ① 以下,理解を深めるために,当時の慣用語であ る「売薬」という言葉を使う。予めこの点を断っ ておきたい。. た論客らしい o。 仲川 房次郎は 1895年 (明治 ② 奈良県議会事務局「奈良県議会議員名簿J (1953 年) 65 頁以下。 ③ 奈良新聞,1929年(昭和 4) 5 月 4 日付。 ④ 前田長三郎「大和売薬人物誌」 er大和売薬史J 所収, 1933 年) 5-6 頁。 ® 同上, 45-46頁。. -107. (315)-.

(2) 、紙税の半額が戻されるので,配置してある薬を ン. 、. •編. 28) 生まれ,祖父の代まで庄屋をつとめた名望 ? . • 家だという。 自注独亜の精神りと富み, 191、4年 (大正3)まず販売上の第 一線に立ち, 抜群の. 旦全部回収し;-r'滴斤じ�,, C彩を発送するのである。 ……工場の従業員, 家族が昼夜兼行の三交替. 成績をあげ, 2 年後に製剤業を起こした。のち. で,半年以上も か かった。 …… 大変な手数だっ. 吉野製薬株式会社の創立発起人となる。同社を. たが,先払いの印紙税の半額が戻ってきた。 …. `. 退社後,乃木製剤研究所ならびに仲川新薬研究. ·;iこの還付金が刺激になって,昭和初期の大拡. 所を創立し,頭角をあらわすにいたった。町会. 張が始まり, 活況を呈してくる良と回顧され. 議員を歴任している叱 三者とも,業界の要裁. ている。. 1927年度の組合報告書でも,とくに新規製品. についている。 大和売薬の発展は,何よりも 「生産」と 「販. 等の定価は高すぎるため,不当濫売の弊を引き. 売」の充実にある。1911年(明治44) 2 月大和. 起こすとして,売薬定価の引下げを行うべきだ. 売薬同業組合の設立をみたが,以下,売薬印紙. と指摘している⑪〇. 税廃止後,業界はこの. 2 つの面でどのような動. きを示した かを中心にみていきたい。. 2. 「売薬製造」の推移と「売薬統計」. 廃棄売薬 戻税に ついては, 1926 年 4 月 から 1928年 3 月までの 2 年間で処分を完了したが, . . 県下の処分申請延件数は 2,213件,・[延方数 (銘 柄数) は 2 万826 方, 定価総額は1,271 万2,612 円余, この戻税交付額は 63万5,624円余であっ. . .. 売薬印紙税廃止前後には,業況も大きな変化. た⑫o ところで印紙税に代わって,組合では定. がみられた。これによって売薬業関係者の経費. 価別に分類した証紙を発行し,これを貼らない. 負担が軽減し,そのうえ印紙税分の払い戻しが. と売れない制度を採用した。証紙の購入高で,. あった からである。同業組合の報告書は,生産. 各メ. 高激増の理由を 「廃税に依る新旧品交換による. たのである。各メ. ものと 廃税直後 新拡張とにより激増したるも. のは,組合費などの負担を公平にするためだっ. の」® と記している。 大和売薬同業組合では,. たともいう@。 今度は,この組合証紙全廃運動. 緊急役員会を開いて,政府の廃税趣旨に鑑み,. を起こす動きがみられたが,組合では委員を選. 直ちに売薬定価の1割引下げを断行すべく決議. 定し,反対派と話し合い円満解決したようであ. •• をした。だが,十分に実行されな かったようで. ー. カ ー 別の生産高を計算するしくみになっ ー. カ ー の生産高を明確にする. る ⑭゜ この時期の大和売薬の生産状況を,第 1 表に. ある®。 業界長老の上西音次郎は,「廃止後は. 示そう。1925年と 1926年を比較すると,生産総. 一段と発展していくのだが,不思議なことに, 印紙税に相当する分↑とけ定価が安くなるべきだ. 額では前年を下回ったものの,1926年の方数,. が,たいていの薬は,改訂定価と改称するだけ. 生産総数は 大幅に 伸びている。 対前年の伸び. で,旧定価の値段をつけていた。値下げしたの. は,方数で800 余,生産総数で4,180 万個に達し. l;t -'--部の業者だけだった匹と語っている。 また1926年に 2 代目覚次郎を襲名した森本製. た。当時の県下主要工産品の生産額をみておく. 薬社長の 森本覚次郎は,「経営者になって初め. ⑩ 同上,森本覚次郎氏,薬 日新聞, 1986 年(昭和 61) 7 月 26 日付。 ⑪ 「大和売薬同業組合事業成績」昭和2年度(前 掲「大和売薬史」 所収,35頁)。 ・ ⑫ 同上。 ⑬ 「語り継ぎ「私の薬業史」」増田弥内氏,薬 日新 闘 1986年(昭 61) 1 月 1 日付。 ⑭ 奈良新聞, 1929年(昭和 4) 8 月 6 日付,同 9 日付。. ての大仕事は,印紙税廃止後の処理だった。印 ⑥ 同上,142-143 頁。 ⑦ 「大和売薬同業組合事業成績」大正rn 昭和元年 度(前掲「大和売薬史」所収, r30頁)。 ⑧ 同上,31 頁。 ⑨ 「語り継ぎ「私の薬業史」」 上西音次郎氏,薬 日 新聞,1985年(昭和60) 7 月27 日付。·. r. ヽ. -1081 (316)-.

(3) 第1表 大和売薬の生産状況 年. 職. 次. 1922(大正11) 23( 12) 24( 13) 25( 14) 15) 26( 27( 2) 28( 3) 29( 4) 30( 5) 31( 6) 32( 7) 33( 8) 34( 9) 35( 10) 36( 11) 37( 12) 38( 13). (年末現在). 造場数. 製(醤 塁). 552 534 502 485 526 509 521 534 564 577 574 565 551 543 538 526 533. 注)「奈良県統計書」各年版。. 総. 数 I男i女. 人 987 1,082 1,031 1,068 1,321 1,385 1,583 1,652 1,560 1,524 1,510 1,538 1,562 1,550 1,462 1,480 1,465. ? ? ? ? 851 856 861 897 874 882 867 890 880 868 817 816 792. と,1925年に売薬は1,603万7,000円で第 1 位に. 踊り出たことが注目される。第 2 位は綿織物で. 1,242万9,000円, 第 3 位は 綿糸紡績で1,040 万. 総. 工. 方. ? ? ? ? 470 529 722 755 686 642 437 648 682 682 645 664 673. 数. 1個. 3.314 3,353 3,362 3,243 4,054 4,027 4,505 5,591 5,704 6,658 6,953 7,087 7,485 7,535 7,698 7,544 7,027. 数. 数I価. 53,487.ois 60,630,455 65,273,749 61,888,268 103,732,486 88,375,330 103,306,221 126,207,750 109,134,999 96,196,825 95,154,179 107,142,657 102,078,650 87,745,071 77,801,612 90,404,129 91,381,448. 額 円 s.045.o:n 8,483,310 14,592,059 16,037,841 14,890,774 4,159,341 3,879,162 4,920,231 4,610,174 4,010,452 3,577,695 3,331,044 2,963,405 14,781,751 13,349,876 13,336.268 13,308,646. 悩みが続くのであった。確かに伸び悩んだこと は事実であるが,この激減には統計上の問題も. 絡み合っていた。すなわち,1926 年までは定価. 2,000円, 第 4 位は酒類で 563万円, 第 5 位は. 額で表示されており,1927年以降は卸価額に変. 3,000円, 第 7 位はメリヤスで144万9,000円,. は,当時の新聞が 「昨年中(一 九二七年ー引用. 蚕糸類で 417万7,000円, 第 6 位は蚊帳で242万. わっている点に注意を 要 するのである。この点. 第 8 位は墨で 130 万 1,000円, 第 9 位は醤油で. 者) に作られた各種の薬は計四百十五万九千三. る⑮。 ちな みに, 1911年 (明治44) の段階で. 者) の千四百八十九万七百七十四円に比すると. が酒類, 第 4 位が 売薬, 第 5 位が木製品であ 1926 年の売薬製造場数は, 526に達し, 瞭工. 全く昨年は売薬調査の基本が卸売値段によって なされた為めで,前年は全く売薬包装に記載さ れた定価 によってなされたの相違で事実は左程. 当な増加をみせた。高市郡,南葛城郡,磯城郡. 報じていることからも首肯できよう。売薬生産. 産高が群を抜いている。だが,翌年の売薬生産. の廃止が背景にあったのかもしれない。. て,昭和初期の不況期を 通じて大和売薬の伸び. 四百万円の 産額」という 見出しで, 1932年度. 128万4,000円,第10位は釦で124万3,000円であ は,第 1 位が織物,第 2 位が綿糸紡績,第 3 位 り,売薬の生産額は141万4,000 円であった剣. 数も1,321人となり, それぞれ 前年に比べて相 が中心であり,種類別 では感冒薬,胃腸薬の生. 高は416 万円と 4 分の 1 近くに激減した。そし ⑮ 「奈良県統計書」 1925 年(大正14) 版。 ⑮ 同上, 1911年(明治44) 版。. 百四十円で, これを前年 (一九二六年ー引用 頃). 実に驚威に値する激減振りである,この原因は. の減産 でないと 県統計課では 云っている匹と 価額の表示が大きく変わったのは,売薬印紙税 「不況に抗し得ず, 売薬界振はず, だが一 千. ⑰ 奈良新聞, 1929 年(昭和 4) 3月7 日付。 -109 (317)-.

(4) (昭和7) の製造状況を紹介した面白い新聞記 事がある⑱。 当時製造場数574, 職工数1,510. 人, 製造方数6,953, 製造個数9,515 万4,179,. 定価額1,442 万7,667 円,卸価額357 万7,695 円で あった (第 1 表参照)。 県統計書には売薬生 産. 高として卸価額が示されていたが,郡市別 の定 価額との差は次のとおりであるという。まず製. 造場数では,高市郡の205 (総数の36%) が第. •— 1 位, 次いで南葛城郡の135 (総数の24%) が. 続き, 添上郡の 5 が 最少であった。 生 産高で は,高市郡の定価額806 万5,243 円 (卸価額180. 万7,400円) が第 1 位, 次いで南葛城郡の定価. 額邸8 • 万4,815 円(卸価額112 万6,239 円) が第 2. 第3 表 県下の重要工産額 (1934 年). 重 要工業額10 傑 I -輸 出 品 額 10 傑 円 円 綿糸紡績10,551,208(3 工場) 綿 織 物 5,632,774 綿織物 8,911,281 (923) メ リ ヤ ス 品 1,538,938 製 酒 類 5,661.834 C 140) 生 地 1,591.000 メリヤス 4,340,663 (198) ボ タ 売 薬 2,963,405 (551) 釦 701.000 貝 蚊 帳 1.908,625 ( 25) 同半製品 1,731,000 蚕糸類 1.339,851 ( 70) 水牛釦 325,000 墨 1,122,470 ( 45) 釦 174,000 骨 油 963,766 (139) 生 I 醤 糸 1,450,000 872,244 (541) 蚊 帳 625,364. ;、盗. ,.J..... し. 薬. 230,000. 注) 「奈良県統計書」 1934 年(昭和 9 ) 版より作成。 但し輸出品額は,r 奈良県政の八十年史」 56 頁。. と,高市郡の 場合, 定価額と 卸価額との差は. から,一 躍トップに踊り出ることになる。上述. ヽ. 位, 以下磯城郡, 北葛城郡,吉野郡の順で続 き,やはり添上郡が最少であった。これによる. 4.5倍,南葛城は3.5倍となる。売薬の種類別格 差は, 第 2表の とおりである。皮膚病薬 (外. 用 ),胃腸薬はそれぞれ3.0倍,3.8倍であるが ,. の1925 年のエ 産額第 1 位も定価額と思われる。 売薬の場合,「薬九層倍」などといわれ,利益. 率が大きかったようであり,定価額と卸価額の. その他感冒薬,清涼剤,駆虫剤は4倍を超えて. 乖離が目立っている。統計表示のうえで一貫性. 卸価額との差が4.5倍にも 達し•ており,収益0). 要産業であることには疑問の余地がない。. いる。とくに製造量の多い感冒薬は,定価額と 多い薬であることが察せられよう。 第 2 表 売薬の種類別価額. 譴. 類. l. 冒 薬 胃 腸 薬 皮膚病薬(外用) 清 涼 剤 駆 虫 剤. を欠くわけであるが,売薬が県下を代表する重 1935 年(昭和10) 以降の売薬統計は,定価額 虚. に戻ったようである。定価額は卸価額のほぽ4. I. 定価額(a). I 卸価額b) a/b 円 円 4.5 939,595' 4,212,710 993,256 3,723,426 3.8 303.817 916,153 3.0 256.727 1,100,773 4.3 273,540 4.1 1,119;037. 注)奈良新聞, �933 年(昭和 8) 11月17 日付記事より 作成。 1934 年(昭和 9) 段階の県下重要工産額およ. び輸出品額のベストテンをあげると,第 3表の. -s倍であることを考慮すれば,大和売薬は相 変らず停滞気味といわねばならない(前掲第 1. 表参照)。 この間, 県会議員奥村正信は,1931. 年以降3年間にわたり,県会で売薬統計は「卸 売価格」ではなく 「小売価格」 (定価額) で表. 示すべきで ある旨の 主張を くり返している。. 1931 年の議論を みると,「殊二 売薬価格ヲ算定 致シマス)り場合二卸売価格卜云フ計算方法ハ本. 県ノ生産 ヲ明示ス)レ上二大ナル錯誤ヲ来タスモ. ノデアリマス,何トナレバ其卸売価格ハ,本県. ようになる。売薬は生 産総額 (卸価額) 296 万. ノ生産売薬ハ主トシテ本県に於テハ卸売行為ヲ 営ミマスケレドモ他府県二於テハ小売デ出)レノ. 売薬は• 県 統計で 第 5 位にランクされている. ハ先ヅ以テ小売価格デ示サナケレバ大ナル間違. 3,000円で第 5 位;輸出品額では第10位である。 が,この年定価額では1,456 万9,000 円であった ⑱ 以下,主として,同上, 1933 年(昭和 8) 11 月 17 日付の記事による。. デアリマス,故二本県ノ生 産 ノ基礎トス)レモノ. ヲ生ズルト私ハ信ズルノデアリマス, … •••今本. 員ノ所持シテ居リマス統計二依リマシテハ,南 北葛城,高市,磯城,四郡二於テ売薬生 産 ノ既. -110 C 318)-.

(5) 往五年ノ 其産額ハニ千万円 以上ヲ突破シテ居. 均価格ヲ 以テ 調査 スベキモノデ アリマスル故. 千三百万円以上ヲ優二生産シテ居)レ,但シ定価. 物ナリ農産 物ナリノ生産額ヲ集計シテ公表スル. 算致シマス場 合二,其卸価格ナルモノハ如何ナ. 結果トナルノデアリマス,…… 現二本県カラ関. ル,其他ノ市郡ノ生産ヲ加算スレバ,恐ラクニ. 総額デアリマス,之ヲ県ノ卸方針ノ卸価格二換. 二,売薬ノミ単リ其定価 二依ルコトハ県ノ工産. 上二於テ政府ノ方針二合致シナイト云フヤウナ. ル基準二依ツテ御計算相成ツタカト云フコトヲ. 係府県二照会致シマシテ調査致シマシタ結果,. 置キタイト思ヒマス,先ヅ大阪(此所聞取リ兼. マシテモ,卸売価格ヲ以テ調査致シタト云フ旨. 承ツテ見タイ,… •••一ツノ参考ヲ此際申上ゲテ. ネタリ) 卸価格ノ算定表卜云フモノガアルノデ. アリマス,之二依リマスト前年度 ハ定価 ノ四掛 五分ガ 卸価格 デアルト 此処二 仮定サレテ居ル. (此所聞取兼ネタリ)是ノ四掛二引下ゲル,是. ガ卸価格ダト仮定サレテ居ルー ツノ立派ナル根. 局ノ御意見ヲ伺ヒクイ」® とある。 翌年12 月の. ヘテ発表シテ居ルノニ,他府県二於テ本県ノ産. 業ヲ正確二近イ数字デ発表シテ居ル,即チ富山 県ガ,富山県卜 本県ノ 産業 状況ヲ比較スル場. 合,奈良県ノ売薬ハー 千九百五十万一千円(定 価額ー引用 者)卜発表シテ居)レノデアリマス」⑳ との例を引いて,前年の主張をくり返した。. 県側の回答は,こうである。 すなわち,「昨. 日七番議員ノ御話二依リマスト,各府県ノ売薬. I. 1926(大正15) 27(昭和 2 ) 28( 3) 29( 4) 30( 5) 31( 6) 32( 7) 33( 8). 量商. I. ,. 161 429. I. 221 588 ヽ 221 588 201,545. 49 49. 引用者) 卜云フ 製造高ヲ 発表 セラレテ居1)マ ス,荘二面白イ例ハ本県デハ産業ノ数字ヲ間違. 次. 売. 製眉. 4 4. ラレテ居ルモノハ,四百六十一万円(卸価額一. 年. 68 11. 県会では, 「昭和五年ノ 生産 トシテ弦二発表セ. 第4表 大和売薬等の営業者数. 420 437. 県ノ統計ノ権威ニモ拘ハルカト憂ヘル,此点当. ノ回答ヲ 得テ居ルヤウナ 次第 デアリマス」® と しヽう。. 瑚測. 本ガアルノデアリマス, … •••斯ウシタコトハ本. 富山県,大阪府,岡山県,佐賀県等ノ状況ヲ見. 薬. 製造I請売1行商 929 942 949 970 956 969 993 1,000. 注) 「奈良県統計書」各年版。. 2,742 2,823 2,846 2,887 2,942 3,124 3,213 3,2791. 』. 人. 25,280 30,957 35,422 37,210 40,098 42,937 46,715 49,497. .. 1931 年以降は定価額も調べるようになり,卸. 価額と並記 する場 合が みられたようだが,この 点について,1933 年(昭和8) 12 月の県会で, 奥村正信はやはり卸売価格公表の理由および そ. の算定基礎を問うている。さらに,この県会で. 統計ノ生産額ハ何レモ定価 ノ金額ヲ以テ表示サ. 配布の 「本県ノ県勢卜統計上ノ地位」という小. 奈良県ダケガ卸売価格デ以テ其金額ヲ現ハシテ. し· 「若シ之ヲ全国十位中ノ生産物中二御入レ. レテ居ルトノ御言葉デゴザイマシタ,即チ独リ. 居ルガ,他)府県デハ小売価格ヲ以テ表示シテ. 居ルト云フヤウナ意味ノ御意見ノヤウニ承ツタ ノデアリマス, …・ ・ ・. 農事統計二致シマシテモ,. 又商工統計二致シマシテモ,価格ハ総 テ卸売平. ⑲ 「昭和六年 通常奈良県会会議録J. 246-248頁o 当時大和売薬同業組合は, 南北葛城,磯城,高市 の 4 郡を範囲としており, 別に1922 年(大正 11) 12月添上,生駒,山辺,宇陀,宇智,吉野の各郡 と奈良市を範囲とする奈良県薬業同業組合が設立 されている。 ⑳ 「昭和七年通常奈良県会会議録」 165頁。. 冊子の工業欄に売薬が欠落していることを指摘. ニナルナラバ,本県売薬ハ,正二第 三位デアル. ト云フコトヲ統計課長ハ御記憶願ヒタイ」と発. 言している@。 売薬欠落云々は,全国的デー タ がないため省略したのだと,県側はいう。. 売薬統計上の問題は,このほかにもあるらし. い。売薬営業者数の推移は,県統計によると,. 第 4 表のようになる。1926 年から1933 年までの. 7年間で,とくに請売業者と売薬行商人の増加 ⑪ 同上, 177頁。 @ 「昭和八年通常奈良県会会議録」 320-321頁。. -111 ( 319) -.

(6) が顕著で あ っ た 。 こ の よ う な 売薬行商 人の 増 加. 正が何か関係 し て い る の か も し れ な い。. は, ま さ に 昭和 恐慌 の 影響を反映 し て い る と み て よ か ろ う が, こ の 数字 は あ ま り に も 過 大す ぎ. 3.. る と い わ れ る 。 表 中 製造 は , い わ ゆ る 製造営業 者 (「売子兼製造」) の こ と で , 1 , 000人 ほ ど が こ れ に従事 し て い た こ と が わ か る 。 そ れ は と も. 「 県立売薬試験場」 の設置. 昭 和 初 期 の 不況 で , 大和売薬が停滞気味 と な っ た こ と は す で に 述 べ た 。 昭和恐慌の影響はや. か く , 行商人の数 に つ い て , 1933年12月 の県会. は り 大 き い が , こ の 点 に つ き , 地元紙は大和 売. で , 奥村正 信 は 「行商 人 ノ 数 ガ 四 万九百八十人. 薬の 売れ行 き が 激減 し た こ と を 伝 え る と と も. 卜 御発 表ニ ナ ツ テ 居)レ, 併 シ 是ハ実際 二 於 テ ー 万三千人 ノ 上 ニ ハ 出 ナ イ ト 考 ヘ ル ノ デ ア リ マ ス , コ ノ 開 キ ガ 極 メ テ 大キ イ ノ デ ア リ マ ス ,. に , 集金が上 ら ぬ様子, さ ら に 配置先の状況等 を 次の よ う に 報 じ て い る ®。. ……. 何処 ヲ 御調 ベ ニ ナ ツ タ カ ヲ 御 尋 ネ 致 シ タ イ 」 と. 本年の産額 は 昨年 よ り 四百万 円 を減 じ た 二. 質 問 し て い る 。 県 側 回 答 は , 「是ハ 内 務省 ノ 衛. 千二百万 円 (定価額ー引 用 者) 見 当 と 予 想 さ. 生局 ノ 方 ノ 統計二 公表サ レ テ 居ルモ ノ ヲ 基礎 ト. れ る , 売子の数 も 約 一万 は年 中 旅 か ら旅への. シ テ 掲載 シ タ 」 と あ る @。. さ ら に 続 け て , 奥村. 売 薬売 り を続 け て い る が, 昨今 は集金意の 如. 正 信 は 「 . . …• ド コ カ ラ 計算 シ テ モ 四 万 人 卜 云 フ. く な ら ず, 旅 に居て旅籠賃 も 稔 出 で き な い苦 し い 破 目 に 陥 り , 残 っ た 集金を 棄て 豆 辿 々 の. モ ノ ハ 出 ナ イ , 強イ テ 四万人 ト イ ウ コ ト デ ア レ バ, 本県 ノ 売薬行商人届 済証下付員数 ガ或ハ四. (捻). 態 た ら く で 大和 に 戻 る 者 が続 出 す る 有様で あ. 万人 ヲ 突破 シ テ 居)レ ノ デ ア リ マ セ ウ 」 と 発言. , ・ る , 殊 に 集 金 の 悪 い所 は信州方面の 繭を本場. し , 県統計課 の 独 自 性の 無 さ を 訴 え て い る 免. と す る 所で 平 年 の 約 三分の 一 し か集金が出来. 以上, 売薬統計 に は難 し い 面 も あ り , 必ず し. な い 惨状で , さ すがの 売薬王国 も 今 や非常な °. も 県側 の 回答で 尽 き て い る と は い い 切 れ な い 。. る ヒ ン チ に 襲 は れて い る 形 で あ る , た ゞ 北海. 組合の デ ー タ は定価額で発表 さ れて い る が, 奥. 道の み は不況 の 影 響が薄 い た め か集金が平年. 村正信 の 主張 と 合わせて み る と ,. 1 つ に は 卸価. 並で割合好成績を示 し て い る た め , 同方面に. 額で公表 さ れ れば産額は随分 と 低 い 数値 に な る. 新 販 路 を 開 か う と す る 傾 向 が あ る が, 余 り 一 ケ 所 に 販 路 開 拓 に 集 中 さ れ る と き は共倒れ と. た点が考 え ら れ よ う 。 つ ま り 県下主要産業 と し. な る た め前途を憂慮す る 向 き が多 い 。. ゜. て の 補助を期待 す る 向 き も あ っ た と 思 わ れ る 。. . .. の で , 県 の 勧 業行政上, 軽視 さ れ る こ と を嫌 っ. だが, よ り 本質的 に は卸価額が公 表 さ れ れ ば 利. 売 薬 の 販 売 は , い わ ゆ る 行商形態で あ り , 何. 益がわ か っ て し ま う わ け で あ り , こ の点 を 回 避. よ り も 信用 が重ん じ ら れ た 。 組合で は , 善行者. し よ う と し た 側面 が 強か っ た の で は な か ろ う. の 表彰 を す る 一方, 不正行商人. か。· 確 か に , 各売薬 メ. ー. カ. ー. の 利益 は 大 き い と. ・. 使用 人の取締. ま り を厳 重 に 行 っ て い る が, 不心得な 製造業者. い え る が, 配置家庭薬 だ け に , 代金 回収 ま で の. が い た こ と も 事実で あ る 。 た と え ば ,. 期間が長 く , 売れ残 り の交換 も あ り , さ ら に配. (昭和 3 ) 12月 大和売薬 に は 不良品 が あ る と の. 1928年. 置薬販売員の 利益が上乗せ さ れ ね ば な ら ぬ と い. 苦情が他府県か ら 出 た 。 県衛生課 な どへ投書が. う 背景 も あ っ た 。 と も あ れ, 1935年以降 は県の. 舞 い 込 ん だ の で あ る が, 具体的 に は質 の 良 く な. 売薬統計 も 定価額 に 戻 っ た よ う で あ る 。 こ の 変. い も の が あ る , 高貴薬の 分量を 少 な く し て い る , 薬 効 の 少 い 薬を 多 く 入れて分量を増や し て. 更 は , 県会に お け る 議論を ふ ま え た こ と の ほ か , 同 年 の 売薬法令施行細則, 同取扱手続 の 改 ⑬ 同上, 321-322, 326頁。 ⑭ 同上, 326-328頁。. い る , と い っ た 不満か ら だ っ た 。 大和売薬の声 価 を落 さ ぬ た め に は取締ま り を厳重 に す る 必要 ⑮ 奈良新聞, 1930年 ( 昭和 5 ) 10月 5 日 付。. -112 C 320 ) -.

(7) 第5表 薬種別 • 製造資格別売薬方数 腸. 胃. 感 駆 感 清. 応 人. 婦. 通. 婦. 咳. 冒 虫. 人. 経 薬. ..,‘に ,r.. 痛. 歯. ...L. ノ‘. 創 心. 膚 経. 病 畜. 尿. 薬 発. 1 , 038 1 .144 505 44 3 408 303 29 7 215 177 201 137 64 62 64 56 53 31 13 18 20 8 14 7 5 20. 丸. 剤 薬 剤. 球. 薬. 痰. 剤. 丸. 病 壮. 神. 蔵. 据i. 腟. 器 痛 病. 柳. 神. 泌. 煎. 神. 花 眼 皮 強 脳 肺 家 脚. 応. 吸. 呼. 頭. 奇 涼. 薬 薬 剤. I従来営業I 薬剤 師. 痛 経 '.,., し .' .). 気. 生. 殖 行. 血 病. 薬 薬 薬 薬 薬 薬 薬 薬 薬 器 薬 薬 薬 湯. 剤 他. 毛. 其. 計. A ロ. I. 32. s, osoJ. 337 210 84 36 40 51 23 123 90 70 22 85 60 74 8 24 21 19 7 18 6 14 1 1 3 52. 1 ,4241. 剤 喜 胃. I医. 426 422 204 198 211 163 3. 138 107 62 89 26 29 17 26. ,. 8 6 8 6 1 4 2 1 3. 2 . 1691. 師. 44 1 30 8 11 4 15 2 13 12 17 2 15 6 10 2 6 5 10 2 4 4 4 1. ,. 240. 注) 「奈良県薬業史」 資料絹 , V 統計12頁。 (「大和売薬同業組合資料」)。 があ っ たが, 県庁技師の談話をみて も , 「業者. の う ち大規模 の も のは年中製作. だ が売子兼製. 造 と い う のが大部分 ゆ え, 製造 期 間 の短い も の 多し,. こ れ ら への 取締り困難なり」® と ある。. 上述のよ う に , 確か に不心得な製造業者がい た. I 獣医師 I 家. '.. 13. ( 1931年6 月 末現在). 伝. 87 36 15 21 29 28 1. I 無資格 l. 3 2 16 1 19 3 2 6 5 1 2. 2. "'. 1 1 ". ... ' '. 1. ' '. 1. 1. 1. 7. 1. '.. 131. 5 11 5 1 2 6. 3051. 381. 合 計. 1 , 937 1 , 853 821 720 694 576 58 7 494 388 375 251 210 160 168 98 97 66 48 39 37 32 28 28 7 24 3 104. 9 . 339. 数を示 し た も のである。 こ れによると , 54.4%. が従 来か ら の営業者で 占 め ら れて いる。薬剤師. が15.2% , 薬剤師使用 は23.2% であり, 無資格. 者はわずか0 . 4% と なって いる。 この デ ー タ に 関 す る限り, 売薬製剤の資格者につ いて は問題. こ と は事実であり, し か も 方 数が多 く , その取. がなか っ たよ う で, 問われるのはその姿勢だけ. 覚 に 待 つ ほかなか っ た。. ば. も う 少 し 違った結果が出るか も しれない。. 締まりに苦慮 し たよ う である。結局 は業者の 自 鴫. こ れに関連 し て . 売 薬製剤の資格等につ いて. みて お き たい。第 5 表は, 193 1 年 (昭和6) 6. 月 末段階における薬種別 • 製造資格別 の売薬方 ⑮ 同上, 1928年(昭和 3) 1 2月 23 日付。. と い う こと になる。ただ売薬営業者総数でみれ. と い う の も , r富 山県薬業史」 通史が, 1927 年度. の同 県売薬営業者 総数1 , 471人を対象に, 売薬. 調剤上の資格問題を論じ, こ う 記 し て いるか ら. である。 すなわち, 「法第 二 十四条資格者が九. -113 C 321)-.

(8) ―四 人 と も っ と も 多 く , つ い で 三—0人の無資. 機 ほ か 8 台 の 製薬機械 を設置 し て 出発 し た と い. 格者, 薬剤師を使用 す る も の 一〇六人, 薬剤師. う 。 1930年 1 月 に は . 県立工業試験場売薬部 に. 一. 人, 医 師三九人の順 と な っ て い る 。 無資. お け る 試験報告等の 結果 を組合員 に配布 し て 製. 格者, 不明 あ わ せ て 三三五人が売薬の 調 剤 に 従. 剤 上 の 参考 に 供 し た 。 そ し て , 同 年 4 月 か ら 一. 事 し て い る 。 総数の 約 二三% に 達 し 売薬営業者. 般業者の 求 め に 応 じ 売薬 の 調 剤 を 開始 し た 。 料. の七. の四人に. 一. 人 が無資格者 で あ り . こ れ は調 剤 上. で の 大 き な課題で あ る 」@ と 。. 金は, が,. 当 時 製薬業者 は, そ れぞれ調剤責任者 と し て. 売薬 製形, 調 剤 に よ っ て 異 な っ て い る 最低100匁 に つ き 3 銭 5 厘- 2 円 迄だ っ た. と い う ®。. 薬剤師を招聘す る こ と に な っ て い た が. 費 用 の. 県立工業試験 場 に 併設 さ れ た 売薬試験部の 独. 関 係か ら 薬剤 師 の 名 義借用 が広 く 行われて い た. 立 は 業者 の 課題 で あ り , そ の 後独立運動が展開. の で あ る 。 だ が, こ の 慣例 は弊害が あ り , 薬剤. さ れ た 。 そ し て , 1931年12月 の通常県会最終 日. 師 の 名 義 貸 に は制限が加 え ら れ る こ と に な る 。. に , 奥村正信, 仲 川 房 次郎, 松原利左衛門 の 3. 従来県 内 な ら ば, 薬 剤 師 は 1 人で 3 か所 ま で 名. 県会議員が建議案を提 出 し , 満場 一致で採択を. 義 を 貸与 す る こ と が で き る 規程 に な っ て い た. み た の で あ る 。 こ の 県会 に , 大和 売薬同業組合. が, 「今度 は歩行距離二里, 汽車電車便 な ら ば. か ら 提 出 さ れて い た 陳情書は, そ の 理 由 を こ う. 二十哩 と い ふ制 限 を 加 え る な ど, そ の 他細 目 に. 記 し て い る ®。. 制 限 を 加へ不良製薬者 を極力取締 る 」 方針が打. 今般県会議長宛, 別紙之通 リ 請願書並二 陳情. ち 出 さ れ た®。 売薬法施行規則の 一 部改正が実. 書提 出 致 候 二 就テ ハ 何卒御高配相 賜 リ 度御願. 施 さ れ た の は , 1930年 9 月 の こ と で あ っ た 。. 申 上候 昭 和 六 年十 一月 二十四 日. 従来, 売薬製造の 指導 研究 機 関 は な か っ た. 大和売薬同業組合. が, 1928年 4 月 に 高 田 町の県立工業試験場 内 に. 組長. 売薬試験部が併設 さ れ る こ と に な っ た 。 大和 売 薬 同 業 組合で は , 施設費. 設備 充実費 の 名 目. 県会議長. 「優良処方」 と 「耐久力 の 研. 太兵衛. 情. 書. ヽ. 寄付 し て い る ®。. 島. 郡司太右衛門殿 陳. で , 1928, 29 の両年度 に わ た っ て , 3 , 000 円 を. 中. 県立工業試験場売薬部 ヲ 独立 シ テ 県立売薬試. 究」 を ま っ 先 に 開始 す る と み ら れ た 。 配置家庭. 験所 卜 被成下度, 左 二 其理 由 ヲ 具 申 シ 致ニ. 薬で あ る か ら , 少 な く と も 3 か年の 完包を保つ 必要が あ る と い わ れ, そ の 他 カ ビ の 問題. 製造. 貴職 ノ 御 明 断 相 仰 キ 度 . 此段以連署謹而 及 陳 情候也 理. 方法の研究, 原料薬 品 の 鑑定 な ど が研究課題で. 由. あ っ た 。 た だ 「研究 に 成功 し て も , 一般業 者 は. 多 年要望 セ シ 売薬試験所設立 ノ 義ハ. 昭和三. こ れ が成功 に あ た っ て 特別 に 機械 を購入す る こ. 年四月 県立工業試験場内 二 売薬部 ト シ テ 属 置. と は経 費 等 の 関 係 か ら 到底不可能で あ る か ら ,. セ ラ レ 一 部 之 力 実現セ ラ レ タ ル事 ハ. 貴聰始 メ 関係 当 局 二 対 シ 深 ク 感謝致 ス 次第 ナ リ , 函. 同所が一 般業者か ら 委 任を受 け 製造 を 引 受 け 業 に 目 的 が置 か れ た よ う で あ る 。 新施設 と し て 若. 来 同 部 ハ 日 ヲ 追 フ テ 相 当 ノ 成績 ヲ 示 シ 斯業 ニ (婢) 稗益 セ ラ レ ツ 、 ア リ , 洵 二 本県産業上延 テ ハ. 干の増築 ・ 改造を し て 製薬試験室 に あ て , 学理. 国民保健衛生上慶 福 二 堪 ヘ サ ル所 ナ リ ト ス ,. 的 試験 と 小規模 の工業的試験を行 う た め に 製丸. 然 リ ト 雖 モ 之 力 施設 ヲ 要 ス )レ モ ノ 甚ダ 少 シ ト. ⑰ 「富山県薬業史」 通史 (1987年) 665-666頁。 ⑱ 奈良新聞, 1929年 ( 昭和 4 ) 3 月 19 日 付。 ⑲ 「大和売薬同業組合 事業成績」 昭和 3 , 4 年度 (前掲 「大和売薬史」 所収, 38, 43頁) 。 ⑳ 奈良新聞, 1929年 ( 昭和 4 ) 5 月 12 日 付。. セ ス 之 ヲ 想 フ ニ 現在 ノ 如 ク 工業試験場 二隷 展. 者の 試売 を 容 易 な ら し め よ ふ と す る 」® と こ ろ. •. セ ル状態 二 於 テ ハ到底之 力 整備 ヲ 期 シ 難 キ モ ® 同上, 1930年 ( 昭和 5 ) 4 月 2 日 付。 ⑫ 「昭和六年通常奈良県会会議録」 293-295頁。. -114 ( 322 ) -.

(9) ノト思料 ス, 如何トナレハ普 通商 工関係ノ指. 導研究 ノ機 関 二配 ス ル ニ 貴重ナル人体 ノ衛生 上二立脚 セル特殊試験機 関 ヲ属 セシム )レ ハ, 彼此ノ部 門 ノ性質ヲ異ニ シ之力 発達ヲ阻害ス. ての規程は, 次のとお りで ある®。 奈良県立売薬試験場規則. 第 一条. ノ如 シ. ル ヤ大ナル モノアリト信 ス, 阜免近医学 ノ進歩. ー. 上欠 ク 可 カラサル 家庭 的 必須品 タ ル ニ 到 レ Jレ, 其使命重 キ ニ 鑑ミソ ノ寄属 ヲ改メ之力 独. ー. 卜 其普及 二伴 ヒ, 売薬ハ国民疾病 ノ簡易治療. 立ヲ計リ, 以 テ独 自 ノ智識 卜 技能ヲシテ斯業 ノ向 上発達二資セラレンコトヲ希 フ 次第 ナリ トス. 熟 々 本県斯業 ノ現況ヲ見 ル ニ ソ ノ製産 年額参. 千 万円二上リ米穀 卜 之力 双翼 ヲナシテ本県重 要 物産 ノ大宗 タ リ, 其製造ヲ業トナス モノ壱. 千余名 ヲ下ラス 之力 従業者数千名 二及 ヒ 販売 二携 ハ ル行商人数万二達ス )レ ノ状態ニ シテ,. 之ヵ 間接或ハ直接県経済界二寄与 ス )レ 所実ニ. ,� 盗塁望塁忌閥琵ぼ! ; ド) 正 二其実現ヲ見 ント ス, 今ヤ財 界不況ノ影響ハ斯業 二相当ノ苦難. ヲ来シツ ヽ アリ, 加 之他府県売薬発展著 シク. シテ商事到 Jレ処激甚ヲ加へ, 今ヤ我商城二迫. ル事項. 第二条. 製剤ヲ為 ス コトヲ得. 第三条 場. 商工技手. 場長ハ地方商工技師 ヲ以 テ之二充 ツ. 奈良県立売薬試験場手数料徴収条例. 第一条. 以 ナリ. 翌 年の 県会 に も 同様の 陳情を行 っ て お り,. 1934 C昭和 9 ) 年 4 月 奈良県立売薬試験場 と し. て独立する。その規 則 お よ び手数料徴収につい. 県立売薬試験場 二於 テ依頼 二依リ売. 薬ノ整形加工又ハ封鍼並証印ヲ為 シタ ルト キ ハ 本条 例二依リ手数料 ヲ徴収ス. 第二条 手数料 ハ 左 ノ範 囲 内 二於 テ売薬試験 場長之ヲ定ム 一. 売薬ノ整形加工. 一旺 二付金十銭以 上金六円以 下. 一売薬ノ封印並証印. 百円二付金一銭以 上金一円以 下. 但シ百 個 二満 タ サル端数ハ百 個 トシテ手. 売薬ヲ凌駕 ス ヘ ク ー 大躍進 ヲ試 ム ヘキ 時期ナ. 速 二全部 ヲ独立セシメ其充実ヲ期シ以 テ権威 アル研究指導機関 タラシメンコトヲ庶幾 フ 所. 長. 商工主事補. ノ改善 卜 其向 上ヲ策 シ, 以 テ優劣 ナル他府県. 薬ヲシテ弥 々 ソ ノ向 上発達二資セラルヘ ク ,. 売薬試験場二左 ノ職員ヲ置 ク. 地方商工技師. 斯業将来ノ確立ヲ計リ其隆 昌 ヲ期ス ヘ ク 製剤. 惟 フ ニ 遠 ク 神 代 ヨ リ歴史 的由緒深キ 我大和ノ. 売薬試験場 ハ 前条 ノ規 定二依)レ業務. 二妨ナキ限 リ営業者ノ委託 二応 シ加工又ハ. ラレツ ヽ アリ, 此秋二際シ我 大和売薬ハ須 ク. リトス. 質 疑応答. 六 其ノ他売薬ノ改良発達ヲ図 ルニ必 要 ナ. 賀, 浩賀等各県二於 テハ 官民倶ニ カ ヲ協 セテ. i. 機械 器 具 ノ鑑定. 五 意匠図案 ノ調製. 心二堪ヘサルモノアリト信 ス, 近時富山, 佐. 走 中ニ シテ, 既 二富山(岳五姜也は五衿げ餞計. 分析, 鑑 定及 調査. 四 参考品ノ配布. 業 ノ衰 頬 ヲ見 ンカ之レ影響甚大ニ シテ実二寒. 幹 ヲナス 売薬試験 所ノ設置二付目下大イニ奔. 原料, 材料及製剤二関 ス )レ試験研究,. =. 莫大ナルモノト云 フ ヘシ, 故二若 シー 朝 本産. 其発達ヲ策 シツ 、 アリ殊 二之 力 研究 向 上ノ基. 売薬試験場 二於 テ行 フ 業務 ノ概 目左. 数料 ヲ徴収 ス. 第三条. 附. 手数料 ハ 依頼品交付 ノ際之ヲ徴収ス 則. 本条例ハ 昭和九年四月 一 日 ヨ リ之ヲ施行ス. 売薬試験場の設置と同 時に, 右の規則類が設. 定されたわけで あり, 同 試験場独立の意義は大 き い も のがある。試験研究のほか. 売薬関係者 ⑮ 「奈良県報」 1 , 277号,号外, 1934年(昭和 9 ) 3 月 31 日 付。. -115 ( 323 ) -.

(10) からの質疑応答あ る い は整形加工な ど で利用さ れたらしいが, 残念ながら, 具体的 な デ. ー. タは. の有志が発起人 と なり, その浄財を も っ て 畝傍 町見瀬 に 私立奈良県薬学校 と して 設立されたの. 得られ ない。 後 に同試験場の充実が課題 と い わ. で あ る ®。. れた。. が, 「大和売薬人物誌」 に よ る と , 中 島太兵衛. 創立当時の資料 は何 も 残 っ て い な い. (南葛城郡葛村, キクテ ン グ本舗 鶴寿堂主) , 吉. 4.. 田 久四郎 (高市郡鴨公村, 帝 国 家庭売薬株式会. 奈 良 県薬学商業学 校 の 命運. 社常務取締役) , 昭和恐慌下, 大和売薬を取り ま く 環境 は 誠 に. 米 田 竹 松 (高市郡今井町, 畝. 傍共同製剤所 神 宮散本舗 主任) ,. 西 岡 徳 之 (高. 厳しい も のが あ っ た。 1 つ に は , 1928年以来,. 市郡鴨公村, 汎愛堂薬房主) らが設立発起人 と. 得意持行商人 に 課せられた年額 2 円の売薬配置. なり, 開校にこぎつけた よ う で あ る ⑲。 初 代校. 税問題が あり, その拡大を意図した県の方針 に. 長 は 中 尾源治郎 (睦軍軍医 部薬剤科卒業, 教培. 対し, 大和売薬同業組合で は対策 に 追 わ れ る 方, 課税撤廃の運 動 を 続けたので あ る ®。. 一. やは. に も立つ),. 専任講師 は永条岩次 (慶応義塾大. 学経済学部卒業, 数学, 商業簿記, 商業要項お. り松原 • 奥村 ・ 仲川の 3 県会議員 は, 深いかか. よ び英語担当) ,. わり を も っ た よ う で あ る 。. 卒業, 国語. 英語. 和漢 , 生薬. 薬品鑑定, 化. .. こ の課税問題, さら に は 売薬行商人の資質 向. 上, その他斯業の発展 を め ざして , 1929年 3 月. 学実験等担当) ,. 松島郁男 (富山薬学専門学校 森里晋七 ( 明 治薬学校卒業,. 数 科 目 を 担当) らで ス タ. ー. ト した⑲。 第 3 回 売. 奈良市で売薬行商人大会が開催された。 大会決. 薬短期講 習 会 は , 1930年 9 月 1 日 から 4 日 間.. 議文の 1 つ に ,. 奈良県薬学校で開催されたが, (受講者196名,. 「県立売薬商業学校 ノ 設立 ヲ 要 実 は , この前年から. 修了者136名) 県庁技師や 工業試験場売薬部主. 販売行商員指導育成のた めの売薬短期講習会が. 任ら に交 っ て , 薬学校のス タ ッ フ も 講師をつ と. 定期的 に開かれ る よ う に な っ ており, 第 1 回受. め て い る 。 テ ー マ は . 校長の 中 尾源次郎が 「 日. 講者 は769名 に達し, 講習修了証が521名に手渡. 本売薬の 変 遷 と 売薬販売員諸氏に希望」, 森里. された と い う ®。. 晋 七 は 「 一 般生 理 衛生」, 松 島 郁 夫 は 「最新薬. 望 ス 」 と い う のが あ る ®。. 営業の基盤 と な る 配置薬販売員の指避 ・ 育成 が 大き な 課題 と されたが, 彼ら は. 一. 方で斯業の. 盛衰を担 っ て い る と 言 っ て も 過言 で は ないから. . .. 品の二. 三 に 就て」, 永条岩次 は 「紳士学 と し て の商業学」で あ っ た気 奈良県 薬学校の 修業 年限 は 2 年で あ っ た。. で あ る 。 売薬行商人大会で要望決議された売薬. 「学籍簿」 に よ る と .. 商業学校設立の件 は , 1930年 (昭和 5 ) 4 月開. 学 (算術 ・ 珠算) ,. 校の運 び と な っ た。 も っ と も 大和売薬同業組合 ⑭ • 1931. 32の両年 に わ た っ て. 大和売薬同業組合 等は, 売薬配置税撤廃の陳情書を県会に提出 し て いる。 1931年11月 の陳情書は, その理 由とし て. 「富山県二於テハ 組合施設二対シ 毎年弐千五百円 ノ 補助金 ヲ 交付 セ ラ レ, 本年度 ノ 如 キ地方財政ノ 緊縮 ニ モ不拘壱千八百七拾五円 ヲ , 又年産額僅ニ 参百万 円 二 過ギザル佐賀県二於テ ハ, 本年四月 臨 時奨励金壱千円 ヲ 又継続的補助金 ト シ テ 壱千 円 計 弐千円 ヲ 交付 シ」 (「 昭和 六年 通常奈良県会会議 録」 298-299頁) と逆に他県で は保護奨励 し て い る状況を強調 し たのである。 ⑮ 前掲 「大和売薬史」 20 7 ノ 1 -208ノ 1 。 ⑮ 「大和売薬同業組合事業成績」 昭和 3 年度 (同 上所収, 39頁)。. 学 科 目 は 修身, 国語, 数. 地理.. 物 理 . 化学. 薬植.. 生薬. 生 理 . 英語, 薬物. 簿記, 売薬商品, 売 薬販売, 局方, 薬鑑. 実 習 , 体操から な っ て い ⑰ 大正末年に は. 県会に薬学専門学枚の設立が建 議 さ れた こ と があ る。 し か し , 財政上の問題か ら 県立薬学専門学校 は 実現をみなか っ た ( 「奈良県 政七十年史」 1962年, 558頁) 。 この点, 同 じ 配個 売薬だが, 宮山県とは 随分追 う 。 こ の時期の富山 県の薬学教育 に つ い て は , 前掲「富山県薬業史」 通史, 744頁以下に 詳 し い。 ⑱ 「大和売薬人物誌」 ( 前 掲 「 大和売薬史」 所収) 4 , 10, 14, 64頁。 ⑲ 同上 , 144, 14 7, 154-156頁。 ⑩ 「大和売薬同業組合事業成績」 昭和 5 年度 (前掲 「大和売薬史」 所収 , 50頁) 。. ー116 (324 ) 一.

(11) る丸 1932 年 (昭 和 7 ) 4 月 からは. 別 科 を設 け ている。. 1 年制の. 開校 2 年 目 , す な わ ち 1931 年 ( 昭 和 6 ) 12 月. の県会に, 奥村正信. 仲川 房次郎, 松原利左衛. 門らが提出者とな っ て, 早くも不況下で経営が 困 難であ り, かつ実業教育振興の趣 旨 からも,. 「私立奈良県 薬学校ヲ県二移管 シ 之レヲ県立奈. 県 下各郡二亘リ在学中ナ リ, 而 シテ 之力 維 持経 営 二当 リテ ハ 前記経費 ノ 殆 ン ド 大部分ハ ( 即 チ 四千弐 百弐拾円ナ リ). 一. 般斯業家或ハ篤志 家 ノ. 寄附二侯 チ , 因テ 之力 補充漸 ク 経営セサ ル ヲ得. サ ル 実情ニ ア リ, 加之財界不況ノ 影響ハ 一 層 之 力 補充誠二至難 ナ ル状 態 ナ リト ス 」@ とある。. 同 校は, 1931 年度に組合経 由 で, 300 円の県. 良県実業学校 ト ナ サ レ ン コ ト ヲ望 ム 」 と建議 し. 費補助を得ていたが, 翌 年度の予 算には組み込. 今 日 我ガ奈良県 ノ 売薬 ノ 販売状態 ノ 実状 ヲ申 上. 村. 松原, 仲 川 の3 県譲の努 力 によ っ て教育課. ている。 提 出者の1 人,. 仲川 房次郎は, 「殊二. ゲ ル ナ ラ バ. 此医薬補助 品 デ ア )レ, 即 チ 人命 ヲ 保存 ス ベ キ 所ノ 此売薬 ヲ販売 • ス )レ 方 々 ハ殆 ド 薬. 姓 ノ 者ガ 今 日 ノ 行商二行 ク ト云 フ ヤウ ナ状態二 在)レ ノ デ ア リマス ,. 之ヲ 牲 ヘ テ 申 シマス ナ ラ. バ, 丁度電車運転手二, 運転 ノ 技 価 ノ ナ イ 者ガ. 運転致ス 如ク , 実 二危険千 万二感ズ)レ ノ デ ア リ. .. マス , ソ コ デ此売薬販売方法 ノ 講習二付 キ マシ テ ハ . ー ツ 売薬徒弟学校 ア )レ ノ ミ デ ア リマス ,. 所ガ 今 日 ノ 売薬 界 ノ 実状ヲ考ヘ マス ナ ラ バ, 到. 底此不景気時代二於キ マシテ 此薬学 校 ノ 維 持経. .. 実業補習学校 補助費と し て, 600 円の予 算編入. が認められ た@。. な お薬学校の県立移管 につ い て は, 翌年の県 会でも同様の陳情をしてお り .. `. 餌 ノ 素槌ガ ナ イ ノ デア リマス , 単二昨 日 マデ 百. ま れていな か っ たため陳情に及んだとい う 。 奥. 続いて1933 年12 月 の県会では, 次のよ う に整 理 し た形で陳情を行 っ ている@。 陳. 情. 書. ー , 私立奈良県薬学校県移管二関 ス )レ 件. 私立奈良県薬学校二対 シテ ハ恒二貴職 ノ 御 指導卜御援助 ヲ相賜 リ奉感謝候. 本校 ノ 県移管方 二関 シテ ハ数年来二亘リ陳. 情致居候儀二付左記二之力 要 旨 ヲ陳述仕候. 営 ハ 完 全二出来ナ イ ノ デ ア リマス . 故二私 ハ 之. ー, 大和売薬 ノ 盛衰ハ優秀 ナ ル製剤 ノ 産 出 ト. シテ 此奈良県 ノ 歴史 ア ル光輝 ア ル売薬学校ヲ県. 営 ニ サ レル コ トハ , 奈良県売薬 ノ 向 上発展二資. 卜思料仕候, 即 チ 本県 一 大産業確立卜産業 教育化 ノ 徹底ヲ期 セ ラ ルタメ本校ヲ権威 ア. と提案 理 由 を述べた。 奥村正信は, 「宣 シク 御. ー, 本件 ハ 既 ニ ー昨年ノ 通常県会二於テ 幸二. ヲ一 日 モ 早 ク 県二移管 サ レテ 充実教育ヲサ レマ. ス )レ コ ト絶大デア ラ ウ ト考ヘ ル ノ デ ア リマス 」. 当 局 ハ 本県産業振興 ノ 大局 カ ラ 考ヘ テ . 之ヲ県 二移管サレテ , 以テ 乙 種実業薬学 校 ノ 意義 ア ル. 教育機関 タ ラ シメ ン コ ト ヲ切 二翼 フ 次第 デ ア リ マス 」と補足説 明 し た。 そ の建議は. 採択とな っ た@。. 奈良県 薬学校の経営難 云 々 に 関 し て. は, こ の県会に別に大和売薬同業組合組長. 私. 立奈良県薬学校校長, 同 校設立代表者の3 名 連. 記で. 補助金下付の請願瞥を提 出 し てお り, そ の実情をこ う 記 し ている。 す な わち, 「今本校. 相侯 テ 優良 ナ ル販売従業者ノ 養成二係ル 義. ル 教育 機関 卜致サ レ度事. 満場 ノ 御賛成ヲ得 テ 採択致サレタル 義 ニ シ テ , 既二県民与望 ノ 証左二有之候事. 災 ク ハ , 貴眠 県費 多端 ノ 折柄 ニ ハ 御座候得. 共. 本県 一 大産業タル斯業将来 ノ タメ篤卜御 明鑑相仰度. 何卒特別 ノ 御 詮議 ヲ以テ 速 二本. 件 ヲ実現 ナ シ下サ ル様御高配相賜度. 此 段連 署 ヲ以 テ 謹而及 陳i青候也. 昭 和八 年十二月 十三 日. 大和売薬同業組合 組長. ノ 概況ヲ挙 ク ル ニ . 本年度 ノ 予 算ハ金六千五百. 七拾円 ニ シテ 各講師 ハ 何レモ ノ ノ 専門家ヲ聘 ‘. シ, 現在生徒総数百弐拾 弐名 ニ シテ 之等生徒 ハ @ 「奈良県薬学校学籍簿」によ る 。 @ 「 昭和六年適常奈良県会会議録」 823-828 頁。. 松 原 利左衛門. @ 同上, 297 頁。 @ 「大和売薬同業組合事業 成績」 昭和 6 年度 (前 掲 「大和売薬史」 所収, 56頁)。 ⑮ 「 昭和八年通常奈良県会会議録」 586-588 頁。. -117 C 325 ) -. •.

(12) 私立奈良県薬学校 校長. 中. 尾. 源 治郎. 吉. 田. 久 四郎. 丘. 本 竹次郎. 同 設立代表者. 紹 介者 奥. 村. 奈良県会議長 都 司太右衛門殿. 正. 信. さらに,翌年12 月 の 県会で も ,奥村正信は薬. 学校の 問題について 質 問し,「私共 ハ必ズシモ 学校トシテ 建 テ ナ ク トモ. ー. 個 ノ徒弟養成機関 卜. シテ 勧業方 面デ御考慮 願フ コ トモ亦ー ツ ノ便法 デ ア ルト 考ヘテ 居リマ ス 」 @ と発言 してい る 。. 県立移管の 建議 以降 の 情況をふまえつつ,同業. 者として 「徒弟ノ養成」 に 大 き な関 心を寄 せ, 県の 方針を問 う たの であ る 。. 結局,県側 か ら 前向 きの 回答は得 ら れず,数. 人の手で 経営してきた この 薬学校は, 193 6年 (昭和11) 4 月 大和売薬同業組合の 手で経営され. る ことに な る 。 いよいよ 経営困難とな り ,「私. 立」 から 「組合立」に変わったの である 。修業. 年限は3 年とな り ,校名 も 奈良 県薬学商業学校 と改称された。「学籍簿」 によ る と,学 科 目 も 普 通学科,商業科,薬学科と体系化 し,そ の 内 容. を充実させたよ う であ る 。普 通学科は修身,公. 民科,国語,外 国語,数学 (筆算 ・ 珠算) ,理科. (物理学,化学,生理衛生学,病理学,植物学 ,. 薬用植物学) ,地理,国 史 ,商業科は商 事 要 項 ,. 商業簿記,商品学,薬学 科は薬物学,和漢薬,. ヽ 薬局方 ,その他に作業科,体操 があった@。. 1941年 (昭和16) 3 月 の 生徒募集広告 に よ る. と, . 県指定とあ り ,特典 「卒業生 ハ本県薬種商. 無試験資格ヲ有 ス 」 , 特色 「薬学 二 商業学ヲ加 味ス 」, 入学資格 ( 3 年制) 1 年50名 (尋卒以. 上) , 2 年若 干名 (高卒以上) ,校長陸軍 薬剤官. 森正五郎,試験 は人物考歪となって い る @。 な. お組合経営になって も , 2 年制を併設していた ⑮ 『 昭和九年通常奈良県会会議録」 278頁。 @ 「奈良県売薬商業学校学籟簿」 による。 ⑱ 朝 日新聞奈良 版, 1941 年 (昭和16) 3 月 8 日 付。. よ う である 。但し,別 科 は廃止され る ことにな る 。 薬種商 資格取得が 1 つの 目 玉 だったらし. し 、゜. ところ で 「組合立」 となった も の の ,開校初. 年度 の 県会 (1936年12 月 ) で,松原利左衛門は. や は り 県立移管 を 要 望す る 発言をしてい る 。当. 時大和 売業の 振興 更生策が 論 じ ら れてお り ,. 「 薬屋 ノ暖簾」 「製法上ノ秘伝」 とかい う も の は. 尊重され ねばならないが,他 方 同 業者の よ り 統 制 力 をも った組織化 が叫ばれていた@。 そ の 意 第 6 表 奈良県薬学 商業学校の 卒 業者数 等 年. 度. 学. 本科第 1 回生(昭 5 . 4- 7.3) 2 (昭 6 . 4- 8 . 3) 3 (昭 7 . 4- 9.3) 4 (昭 8.4-10 . 3) 5 (昭 9 . 4�11.3) (昭10 . 4-12 . 3) 6 (昭11 . 4-14 . 3) 7 (昭12.4�14 . 3) 8 (昭12.4-15 . 3) (昭13. 4-15.3) (昭 13 . 4-16 . 3) (昭14. 4�16.3) (昭14.4-17 . 3) 10 (昭15 . 4�17 . 3) (昭15.4-18.3) 11 (昭16 . 4-18.3) (昭16.4-19.3) 12 (昭17.4-19.3) 別科第 1 回生(昭 7.4- 8 . 3) 2 (昭 8.4- 9.3) (昭 9 . 4-10.3) 3 4 (昭10 . 4-1 1 . 3) (昭1 1.4-12 . 3) 5. ,. 注) 1.. 2.. I 入者数 者数 I 者卒数業 I 74 I 9 65人 50 35 26 49 25 40 5 33 11 34 6 39 8 30 14 23 6. 退学. 45 27 24 45 22 32 4 32 8 26 4 38 7 23. 7 10. 5 8 2 4 3 8 1 1 3 8 2 1 1 7 5 7 1 2 2 1. 32. 1. 31. , ,. ,. 16 5 7 5. ゜ ,,. 奈良県薬学校,奈良県薬学 商業学校 「学籍簿」 より作成。 退 学者 数 に は死亡を含む。 ま た本科第9 回生 の 退学者数 に は留級 2 名を含む。. .. ⑲ 1933 年 8 月 に , 県当局 および 製薬業者が相謀 り, 大和売薬振興委員会を設立し, 自 主統制を模 索してい る。 ま た こ の 前年 3 月 以降. 大和売薬同 業組合では 行商地 ごとに行商最寄会を結成 さ せ, 販売統制を通 じて斯業の発展を意図した。 さ ら に 強力 な 統制 機関として, 売薬の 工業組合結成を 1936年頃か ら 県で も 勧奨していたが. そ の 実現は. -1 18 C 326)-.

(13) 奈良県薬学校入学生の地域分布 ( 1930 年). 第7表 地. 域. I. 別. 高 市 郡 畝 傍 町 阪 合 村 今 高 鴨 高 新. 井 取 公 市 沢. 町 町 村 村 村. 金 越 船 真. 橋 智岡 倉 菅. 村 村 村 村. 人 数. 42人 13 7 5 4 3 3 2 2 1 1 1. 磯 城 郡 香久山村 桜 井 町 村 多 朝 倉 村 城 島 村. I. 比. 率 [ 売薬生産総額. 56 . 8彩 (12, 257) 千円 17 . 6 l , 176 9.5 314 6.8 426 5.4 4,418 4.1 662 207 4.1 2.7 1 . 404 2.7 86 1.4 809 1 , 697 1.4 1.4 299. 13 4 3 3 2 1. 17 . 6 5.4 4.1 4.1 2.7 1.4. (1 , 693) 322 8 311. 9.5 5.4 1.4 1.4 1.4. (6 ,077) 2 , 085 1 , 424 264 177 (1 , 507) 523 92 56 10. 南葛 葛 御 秋 葛. 城郡 村 所 町 津 村 城 村. 7 4 1 1 1. 北葛 新 浮 船 当. 城郡 庄 町 孔 村 園 村 麻 村. 6 2 2 1 1. 8.1 2.7 2.7 1.4 1.4. 吉 野 郡 十津川 村 吉 野 村 大 淀 町 下 市 町. 5 2 1 1 1. 6.8 2.7 1.4 1.4 1.4. 宇. 1 1. 1.4 1.4. 智 郡 五 条 町 計. I. I. 74. I. -I. ' '. . ... 第 8 表 奈良県薬学校入学生の父兄職業 職. 種. 売 薬 業 関 係 農 業 兼 売 薬業 農 業 商 業 無 職 • そ の他 計. I. I. 1930年 4 月 25 人 (33 . 8) 5 ( 6 . 8) 25 (33 . 8) 6 ( 8 . 1) 13 (17 . 6) 74. c-). I. I. 1936 年 4 月 14人 (35 . 0) 3 ( 7 . 5) 16 (40 . 0) 2 ( 5 . 0) 5 (12 . 5) 40 (100. 0). 注) 同上。 父兄職業に は保証人の 場合を含む。 ( ) 内 は比率を示す。 1930 年 4 月 の 「無職 · そ の 他」 に は不明 1 を含む。 味か ら も , 薬学校の 内 容の 充実 は必要 と 認識 さ れ た が, つ ま る と こ ろ 経費 の 問題, 財源難か ら 県立移管 は 具体化 し な い の で あ る 。 一戸二郎知 事は,. 「 … • • • 必 ズ シ モ 県立 卜 云 フ 迄二 行 カ ナ ク. テ モ . 或ハ 町村立或ハ 町村組合立 卜 云 フ ヤ ウ ナ 方法ガ ア ル ノ デ ア リ マ シ テ • … ・ ・ , 唯併 シ 之 ヲ 公 ケ ノ 機 関 二 於 テ 経営 ス )レ方ガ宜 シ イ ト 云 フ 私 ノ 考ヘ ヲ ,. 此際 申 上ゲテ 置 キ タ イ ト 思 ヒ マ ス 」 ®. と 答弁 し て い る 。 こ の 薬学 校 の 入学者数, 退学者数, 卒業者数 の 推 移 は , 第 6 表の と お り で あ る 。 唯一残 っ て い る 「学籍簿 」 を手がか り に得 た デ ー タ で あ る が, 年 々 入学者数 は 減少 し て い る 。 本科第 12 回 生 の入学者数 は募集人員の半分 に も 満 た な い 。 前 年 の 入学者数 も 30 名 で あ り ,. こ の 前後退学者. 数 も 多 い の が 目 立つ 。 入学資格 は ,. 「私立」 時. 代 は 尋常高等小学校尋常科卒業以上. 「組合立」 に な っ て も 3 年制 は 同 様 だ っ た ら し い 。 2 年制 は 同 高 等科卒業以上で あ る 。 第 7 · 8 表 に , そ れ ぞれ薬学校入学生 の地域 分布, 父兄 (保証人含む) の職業を表示 し て お く 。 1929 年 (昭和 4 ) の 同 業組合発表の 生産額 デ ー タ と の 関 連で い う と , 奈良県薬学校 へ の 入. 注) 奈良県薬学校 「学籍簿」 よ り 作成。 但 し売薬生産 総額は, 1929 年の大和売薬同 業 組 合 資料 で あ る ( 「奈良県薬業史」 資料編, W 統計 5 - 8 頁)。 吉 野郡 • 宇智郡の売薬生産総額は不詳。 ( ) は郡合 計を示す。. 学 生 は , や は り 生産額第 1 位 の 高市郡在住者子. 1939年10月 の こ と で あ る 。 当 時, 全国売薬業団体. 連合会大会で も , 傘下団体は速かに工業組合, 商 業組合を結成す る よ う 決議 さ れていた。 大和売薬 工業組合に続いて, 1942 年12 月 販売業者を以て奈 良県配置売薬商業組合が結成 さ れた。 ⑲ 「昭和十一 年通常奈良県会会議録」 345 頁。. -119 ( 327 )-.

(14) 弟が 56 . 8 % を占めて 一 番 多い。しかし,. 生産. どり, 最近で は1, 500万円 (定価額) 程度に半. り, 逆に生 産額第 3 位の磯城郡在住者の方は13. ーニ 何 卜 申 シマ シテ モ , コ ノ 指導機関 , 助成機 関 ガ 乏 シイ トイ フ コ トヲ ... …指摘シナ ケレバナ. 額第 2 位の南葛城郡在住者の入学 生 は 7 名 で あ 名 の入学者があり, それぞれ順位が逆転してい. 減してしまったと述べ,. その原因を, 「先ヅ第. る 。この点 は町村レヴ ェ ルで薬学校入学者数と. ラナ イ ト思 フ ノ デ ア リマ ス , 更ラニ 又経済機構. 生 産額第 1 位は高取町, 第 2 位は葛村, 第 3 位. 謂官公営ノ 売薬 並二全賠連 売薬 ノ 出現ニ ヨ )レ打. 生 産額の関係をみる と, よ り顕著 で あ る 。当 時. は船倉村, 第 4 位は御 所町, 第 5 位は新沢村で. ノ 変転或ハ又医療機関, 機構 ノ 変遷, 或ハ又所. あ る 。薬学校 入学者数は畝傍町が他を大きく引. 撃, 或ハ更ラ ニ 同 業者濫立ニ ヨ ル不正不当 ノ 競 争等 々 ソ ノ 他幾 多ヲ列 挙 ス )レ コ トガ出来)レト思. 井町, そして第 4 位に高取町. 業者で , 組合幹部で あ る だけに , 売薬のことの. き離して第 1 位, 第 2 位は阪合村, 第 3 位は今 ・. 葛村 ・ 香久山村. フ ノ デ ア リマ ス 」 と指摘した@。 自 ら が売薬 当. の 3 つが顔を揃 えてい る 。限 ら れたデ ー タ で あ. みを問題とす る のは我 田 引 水的 だ との誤解を受. 干ずれがあ る ことを示唆してい る といえよ う 。. て, (1)薬学校の県立移管, (2)県立売薬試験場 の. る が, 以上は売薬製造地と配饂員供給 地とは若. 薬学校入学者の父兄職業は売薬業関係者 ( 売. 薬 行商 , 売薬営業, 売薬製造販 売) が圧倒 的 に 多い。しかもこの薬学校は配置薬 販 売員の旋成 を目的 と していた わけで あ る が, 1936 年の場. け る かも し れ1な い と断 りなが ら , その対策とし. 拡充, (3) 売薬課の新設を希望したので あ る 。. まず(1)について。当 業者な ら びに組合は種 々. 対策を研究をしてい る が, や はり県当 局の発展. 助 成策を願 う とい う ので あり,. 何よ りも, 「所. 合, 父兄職業は農業が増加してい る 。昭和初期. 謂 第 一線 ノ 販 売行商員 ノ 素 質改善, 品位向 上,. ょ う としたのかもしれない 。. 関 ヲ充実 ス ル ト イ フ コ ト ガ, 先ヅ第 一 ノ 条件デ. の不況を体験して, 子弟に薬種商資格をと ら せ 19 32 年 (昭和 7) 3 月 の卒業生 は65名 で あ る. が, 卒業時に学籍簿に進路が明記 されてい る の は, 2 5名 (38. 5彩 ) で あ る 。 売薬 行商 販 売 7. 人格教槌 ノ 淘 冶 ヲ図)レ処ノ , 所謂子弟育成 ノ 機 ア リ, 急務中ノ 急務 卜 信ズ)レモ ノ デ ア リ マ ス 」. とした。そして, 大和売薬同 業組合経営の奈良. 県薬学商業 学校は, 「 ソ ノ 設備施設並ビ ニ ソ ノ 貧 弱 ノ 極 ミ デ ア リマ シ. 名 , 家業 · 主家の業務 ( 売薬営業 ・ 売薬製造販. 他各般二 亘リ マ シテ ,. 薬などへ 9 名 , 薬学校雇員 2 名 , その他 1 名 と. ノ ガ ア ルト思フノ デ ア リマ ス 」 とい う 。県か ら. 売) 6 名 , 畝傍製剤, 上 田 薬天堂薬房, 同 仁製. なってい る 。不況か ら の回復とともに, 残 りの. 卒業生 もやがて売薬業界などに身を投 じ たこと と思われ る 。 1939 年 (昭和14) 9 月 の選挙で , 大和売薬 同. 業組合幹部の岡村一雄 (高市郡) も県会に席を. 得てい る 。前掲 「大和売薬人物誌」によ る と, 彼は 岡村愛寿堂 薬房主 岡村 徳太郎の長男 で ,. 1905年 (明治38) 生 まれ, 畝傍中学を修業後,. 家業に従事し, 商 機をみる に敏な人物といわれ. た®。 同 年11 月 の県会で , 県下重 要産業の大和 売薬 はかつて3 , 000万円 (定価額) 近 く の生 産. 高を誇ったものの, ここ10年来退勢の一途をた @ 「大和売薬人物誌」 (前掲 「大和売薬史」 所収) 132頁。. テ, 所期 ノ 目的達成 ノ 上ニ ハ 尚 前途遼遠 タ ル モ. の補助 金として 500円余を交付されてい る が,. 所詮補助 金は補助 金で あり, しかもそれは年々. 減額され, 往年の半額にす ぎなくなってい る 。. 富 山県の薬学教育の充実に比べ, 大きな格差が ⑫ 「 昭和十四年通常奈良県会会議録」 140頁。 なお全睛連売薬は ,薬剤師が代理製剤し, 参加 の組合が農家に配薬し, 預金口座か ら 代金をおと すし く み で あ る 。 ど の稲類 も10銭だ っ た の で 「十 銭売薬」 といわれた (前掲 「富山県薬業史」 通史, 767-768頁)。 各地で み ら れた官公営売薬, 青年 団売薬 も こ れに類す る も の で あ る。 売薬業界の問 題 だ け で は な いが,一連の 「反産運動」 が展開 さ れ る こ とにな る。 売薬業 界の 対策 につ いては, 奈良県薬業史編 さん審議会 「奈良県薬業史」 資料 編, 500-502, 504, 525-528 頁などを 参照 さ れ たしヽ。. -120 ( 328 ) -.

(15) ある こ とを強調し@, 年来の 「 薬学商業学 校 ノ. シテ ,加 フ ル ニ 国民学校制度布 カ ル ヽ ニ 当 リ. 県移管トイ フ 問題 ハ 実二大和売薬界 ノ必死 ノ重. 生徒 ノ募集難ハ追増 ヲ 予 想セラレ,之ガ経営. ある⑭。. 十六 年十一月 十九 日 及 十二月 十一 日 ノ両度ニ. 大問題 デ ア リ マ ス」 との希望 を く り返 したので だが, こ のたび も 三 島 誠也 知 事は,. 「率直二 申 上 ゲマ スト, … • • • コ レハ 薬学 二止 マ. 頗 ル 困 難 ナ ル事態二立到 リ タ ル ヲ 以テ ,昭和 亘 リ 組合役員,顧 問 ,相談役,教育委員及元. ラズ売薬行商人 ヲ 養成ス)レ ト イ フ ヤウナ 特殊ナ. 設立者ノ協議会 ヲ 開催 シ,之ガ経 営上二関 シ. フ コ ト ヨ リ モ 寸性質 ヲ 異二致シテ 居 リ マ スカ ラ,尚更県立移管 ト イ フ コ ト ニ ハ 余程 ヨ ク ナ ツ. リ ,依ツ テ 十二月 二十三 日 開催 ノ通常組合会. 目 的 ヲ 有 ツ テ 居 リ マ シテ ,一般 薬学 ノ教育 ト イ ー. . .. 懇談 ヲ ナ シタ ル処多数ハ 之ガ廃校 ヲ 希望シタ. ニ 於テ ,正式二諮問 シタ ル ニ 何レモ 廃校二意. テ 参 リ マ セ ヌ ト イ フ ト,困難デアラウカ ト思 ヒ. 見ノ一致 ヲ 見タ リ ,故二在校生 ノ卒業 ヲ 待 ツ. 移管致シマ シテ 充実ス)レヤウナ 財 政的 余地モ コ. 新入学 生 ノ募集ヲ 行 ハ サル コ ト ヽ ナ シタ リ. マ ス,殊二県ノ今 ノヤウナ 財 政デ ハ 之 ヲ 県立二 ゞ. ザ イ マ セ ヌ ノデ,モ ウ少シー ツ 組合ノ方デ勉強. シテ 貰 ツ テ ,… …」 と い う こ とに終始したので ある@。. テ 廃校スル事二決 シ,昭和十七年度二於ケル. 第 2 の県立 売薬試験場 の拡充につ い ては,さ. き に本県売薬業の重 要性に鑑みて独立は認め ら. 「私立」 時代以来, 毎 年県か ら 一定額の補助. れた も のの,「併 シナ ガラ現状ハ未ダ工業試験場. の力 も 預 っ て 余りあっ たと い えよう。 補助 金. ク ,謂 ハ バ名 ノ ミ ノ独立デ ア ル ト 申 サ ヽ. )レ ヲ 得. .. 金を得てい たが,業界を背景に選 出された議員. は,1939, 40 の両年が400円,1941年は440円,. 1942 年は330円であっ た®。. 1941年 (昭和16) 12 月 , こ の学校は生徒募集. 二隷属致シテ ヲ リ マ シタ 時代 卜 何等異 ナ ル 処ナ. ザル コ ト ヲ 深 ク 遺憾二存ズ)レ ノデ ア リ マ ス, . . . … 余 リ ニ 設備施設ガ貧弱デア リ 場 内 ガ余 リ ニ モ. 狭溢デア リ マ ス,… • • • コ レガ県立 カ ト思ハル ヽ. 意の如 く な ら ず ,加 えて卒業生の大部 分 も その. 程誠二貧弱 ノ限 リ デ ア リ マ シテ ,更二事業費 ニ. い に廃校と決 ま っ た。 経営難が最大の理由であ. シ得Jレ デ ア リ マ セ ウ」 との現状に立ち,事業費. 目 的 である行商に従事する者が少な く なり,っ. っ た。 1942 年 (昭和17) にお ける新入生の募 集. 於キ マ シテ モ ,カ バカ リ ニ テ ハ果 シテ 何 ヲ カ ナ. の増大等を訴えて い る。 と く に売薬試験場 は,. を停止し,1944 年 (昭和19) 3 月 の卒業生を も. 高 田 町にあるため,本県売薬業の主産 地と離れ. 告書」 は, こ の点につ き ,次のように記してい る®。. 場 ヲ 業者 密 集ノ 地帯二 適当ノ場 所ヲ 詮考サレ. っ て,その使命を終えたのである。 組合の 「報. 昭和十一 年四 月 以来 ,本組合ノ経営二係)レ奈. 良 県薬学商業学校ハ,其 ノ程度ガ現代二相応. て お り, 何かと不便だとい う。 「先ヅ 売薬試験. テ ,本格的 ナ 建築 ヲ 速 カ ニ 実現 セラレタ イ ノデ ア リ マ ス」と希望してい る⑲。. 第 3 の問題 につ い て。 当時県の売薬行政の所. 管 は衛生課であり,その振興等につ い ては商工. シカラヌ ト 一般 社会 ノ 認識 ヲ 欠 ク 嫌 ヒ ア リ. 課 が担当であっ たが,い わゆる戦時体制 下,物. 部分ハ 其 ノ 目 的 タ ル行商二従事ス)レ者僅少二. に売薬 原材料 の 払底で 悩 ま されて い た。 そ こ. テ ,生徒 ノ募集意 ノ如 ク ナラズ且卒業生ノ大. ⑬ 同上,14 1-143 頁。 ⑭ 同上, 153頁o ⑮ 同上, 15 1頁。 ⑮ 「大和売薬同業組合各年度業務 成績報告書」 に よる。 ⑰ 「大和売薬 同業組合 昭和十六年度業務成績報告 書」 3 頁。. 資統制 ,物資逼迫が進むなかで,業界は,と く. で, 「行政事務 ヲ 単 一 化 シ画 ー化 スル コ ト ニ 依 ッ テ 本県特殊産業,主 要産業タ ル大和売薬ノ指. 導 並二監督 ノ徹底 ヲ 期 シ,併 セ テ 資材獲得ノ円. 滑合理化 ヲ 図ラシム ナラバ誠二意義 ア ル コ ト ヽ 思 フ ノデア リ マ ス,… • ••ー ツ 新シイ 売薬課 ト イ. ⑱ 「昭和十四 年通常奈良県会会議録」 145-146頁。. -121 ( 32 9)-.

(16) フ モ ノ ヲ 新設セ ラ ル 、 御 意志 ナ キ ヤ 長官閣下 ノ 御見解 ヲ 伺 ヒ タ イ ノ デ ア リ マ ス 」 ⑲ と し た の で あ る。. っ た と いわれる よ う に凰. 販売面 に お い て も 懸. 案事項の解決 に苦慮 し て い る 。 最後 に , 国 民健康保険制度 と 海外 売薬 に ふれ. こ れ ら に 対す る 三 島 誠也知事の 回 答 は , こ う. て , 本 稿 を 終 え る こ と に し た い 。 1934年 (昭和. で あ る 。 す な わ ち , 「売薬試験場 ノ 問題デア リ. 9 ) 7 月 内 務省社会局 か ら , 国 民健康保険制度. マ ス ガ, 之ハ成程行 ッ テ 見 マ シ テ モ 仰 セ ノ 通 リ. 要網案が非公 式 に 発表 さ れ る と , 売上げ減を深. 千五百万 円 (定価額ー引 用 者) モ 産 ス ル ヤ ウ ナ. 刻 に 考 え た 業 界 は , 当 然 の こ と な が ら 反対運動. 本試験場 卜 致 シ マ シ テ ハ 不充分 卜 考 ヘ マ ス , … …県財政ガ許 ス ヤ ウ ニ ナ リ マ ス レ バ ナ ル ベ ク 早. 機会を 見つ け て 国 保 反対の 立場を貫 い た が,. を展開 し て い く 。 1938年 ま で , 業 界 は あ ら ゆ る. ク 充実 ス )レ ヤ ウ ニ シ テ , 御希望 二 副 フ ヤ ウ ニ 致. 1936年 (昭和11) 12月 の 県会 に ,. シ タ イ ト 思 ヒ マ ス 」, 「 次 二 売薬課 ト イ フ , 県庁. 門 , 仲川 房次郎 ほ か 2 名 が 提案者 と な っ て ,. 内 ニ ー課 ヲ 設 ケ タ ラ ト イ フ オ 話 デ ア リ マ ス , コ. 「本制度 ニ ヨ )レ 影響ハ 国 民経済上将又本県 一大. レ モ ソ ノ 当 業者 ノ 立 場 カ ラ 申 シ マ ス ト 私 ハ尤 モ ダ ト 存 ジ マ ス , . . . 響 . . 何 力 話 デ モ ア レ バ今 ノ ヤ ウ. 産業 タ ル大和売薬 二 対 シ 致命的脅威 ヲ 加 フ ル モ. 二 商工課 二 行 ツ タ リ , 衛生課 二 行 ツ タ リ ス )レ ヨ. 置 ヲ 講 セ ラ レ 度」@ と 建議 し て い る 。 も っ と も ,. 直 グ ー課. 当 時 の世論は業界の 国保反対 に 冷 や や かで あ っ. リ 便利 ガ 多 イ , 之ハ仰 セ ノ 通 リ ,. ……. ノ ニシテ,. …. 松原利左衛. • • • 本制度制定 二 対 シ 速 カ ニ可然処. ヲ 創設ス ル ト イ フ コ ト ハ ー 寸現状 デ ハ 困 難 カ ト. た と い う 。 同 法 は , 1938年 4 月 公布, 7 月 か ら. 思 ヒ マ ス ガ, 併 シ 御希望ハ充分二 承 ツ テ 置 ク コ. 実施 さ れ る こ と に な っ た 。. ト ニ致 シ マ ス 」 と い う こ と で あ っ た®。. 大和 売薬 は , 第 1 次大戦 の好況 期 に東南ア ジ ア か ら ハ ワ イ ま で広 い 販路を確保 し て 全盛 期 を. 5.. お. わ. り. 迎 え た が, 他方1933年 ご ろ か ら , そ の 振興更生. に. 策 と し て 「満 州 」 進 出 を 意図 し た こ と が注 目 さ れ 以 上, 主 と し て 昭 和 恐慌期 に お け る 大和 売薬. る 。 県 も 同方面への 販路拡大を奨励 し て お り ,. の 振興更生策を, 業界代表の 県会議員 の 動 き を. 県会議員奥村正信 は ,. ふ ま え , 「生産」 と 「 販売」 の 2 つ の 側面か ら. 売薬の満 州 国 進 出 は 頗 る 有望」@ と 語 っ た 。 大. 同地視察の結果, 「大和. みて き た 。 昭和 10年代以前 と 以後で は , 時代背. 和 売薬満蒙輸 出組 合をつ く り , さ ら に 1935 年に. 景 も 違 う が, 前者 の 時期 に は か な り 業界 の 利 益. は協和製薬公 司 を創設 し た の で あ る 。 詳細 は,. 代表 と い う 形 の 議論が 目 立 っ て い た と い え よ. 別 の 機会 に 譲 る が,. う 。 会議録 に は , 彼 ら の 発 言 中 , し ば し ば 「笑. め は か な い 夢 に 終わ っ た と い わ ね ば な ら な い。. 「満 州」 進 出 は , 戦争の た. 声起 コ ル」 と 付記 さ れて お り , 相 当 業界の た め に 献進 的 な 活動 を し た こ と が う か が わ れ る 。 後 者 の 時 期 の議論 は 後 に つ な が る 面 も あ る 。 県財 政逼迫の折柄, 限 界 は あ っ た も の の , 売薬試験. く付記> 薬学校の 「学籍締」 の利用 に あ た っ て は , 奈 良県製薬協同組合の各位に 多大の ご高配を賜わ っ た。 記 し て, 心か ら 謝意を表す る 。. 場 に し ろ , 薬学商業学校に し ろ , 彼 ら に支 え ら れ た 面 は 大 き か っ た と 思わ れ る 。 反面, 彼 ら の 存在があ っ て も , 県下 に 同 業組合が 2 つ存在 し た こ と も あ り , 工業組合の 結成 に は か な り の 時 間 を要 し た の で あ る 。 ま た 当 時, 行商最寄総会 で 「不正請求」 と 「 ニ セ 回 リ 」 が常 に 問題 と な ⑲ 同上, 148頁。 ® 同上, 152頁。. @ 「語 り 継ぎ 「私の薬業史J」 藤 田 敏夫氏, 薬 日 新 聞, 1988年 ( 昭和63) 7 月 30 日 付。 @ 「昭和十一年通常奈良県会会議録」 786頁。 ⑬ 奈良新聞, 1933年 ( 昭和 8 ) 8 月 15 日 付。. -122 C 330 ) -.

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参照

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