紀
州
時
代
吉
宗
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再
構
成
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南
紀
徳
川
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歴
像
の
克
服
藤
本
清
二
郎
は じ め に か つ て 一 九 九 五 年 年 初 か ら N H K 大 河 ド ラ マ ﹁ 第 八 代 将 軍 吉 宗 ﹂ が 放 映 さ れ た 。 こ れ に 先 立 ち 、 紀 州 藩 家 老 三 浦 家 文 1 ︶ 書 を 調 査 し た と こ ろ ﹁ 源 六 ﹂ ﹁ 新 之 助 ﹂ と い う 八 代 将 軍 徳 川 吉 宗 の 幼 名 が 料 に 出 し て い た 。 筆 者 は 幼 少 時 代 ・ 紀 伊 徳 川 藩 主 時 代 の 料 を 紹 介 し て 、 ﹃ 南 紀 徳 川 2 ︶ ﹄ に よ る の で は な く 、 そ の 時 代 の 同 時 代 料 で 吉 宗 像 を 構 成 す る 試 み を 行 っ 3 ︶ た 。 こ れ が 歴 学 研 究 の 方 法 で あ る こ と は 言 う ま で も な い 。 と こ ろ で 、 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ に は 、 第 五 代 将 軍 徳 川 綱 吉 が 紀 伊 家 訪 問 の 際 、 末 子 の 新 之 助 吉 宗 ︶ は 長 兄 ・ 次 兄 と は 区 別 さ れ て 、 す ぐ に は 御 目 見 が で き な か っ た 。 し か し 同 席 老 中 大 久 保 氏 の 計 ら い で 謁 見 で き た と の エ ピ ソ ー ド が 載 せ ら れ て い る こ れ も ド ラ マ 化 さ れ た ︶ 。 三 浦 家 文 書 の 中 に は 当 日 の 謁 見 場 所 、 手 順 を 詳 細 に 記 し た 文 書 も 含 ま れ て お り 、 上 記 エ ピ ソ ー ド が 誤 り で あ る こ と は す で に 約 二 〇 年 前 に 明 ら か と な っ た 。 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ の み に 依 拠 す る の で はな い 、 諸 料 を 駆 し た 歴 学 研 究 の 成 果 は 本 誌 や そ の 他 の 学 術 書 で 開 さ れ た 。 筆 者 以 外 の 研 究 者 も ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ の 限 界 に つ い て 同 様 の 指 摘 を 行 っ て い る 4 ︶ が 、 残 念 な が ら ﹁ ロ ー カ ル な ﹂ 学 術 成 果 は 、 一 般 市 民 の 世 界 に お い て 受 容 さ れ て い な い 面 が あ 5 ︶ る 。 ド ラ マ ・ フ ィ ク シ ョ ン は 論 外 と し て も 、 歴 学 研 究 に お い て も 吉 宗 ﹁ 正 ﹂ に つ い て は 、 母 の 出 自 、 姓 名 等 、 ベ ー ル に 包 ま れ た 部 が 多 く 、 検 討 課 題 は 多 く 残 さ れ て い る 。 ま た 徳 川 頼 宣 を は じ め と す る 紀 伊 徳 川 藩 主 や そ の 家 族 の 参 勤 代 の 移 動 期 日 や 通 行 路 に つ い て は 、 先 に ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ に 加 え 、 三 浦 家 文 書 を 用 い て 検 討 を 加 え た こ と が あ 6 ︶ る 。 そ の 後 吉 宗 の 移 動 、 所 在 地 江 戸 か 和 歌 山 か ︶ に つ い て 点 検 し た と こ ろ 、 ﹃ 徳 川 実 紀 ﹄ で は 江 戸 に い る は ず な の に ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ で は 帰 国 し て い る と い う 重 大 な 問 題 が 発 見 さ れ た 。 そ こ で 、 先 稿 を 再 検 討 す る 必 要 が 生 じ た 。 本 論 で は 、 三 浦 家 文 書 ﹁ 年 中 日 記 ﹂ や 紀 州 街 道 泉 州 信 達 宿 本 陣 角 谷 家 や 吉 宗 ゆ か り の 林 寺 ・ 養 源 寺 に 所 蔵 さ れ て き た 7 ︶ 料 、 既 刊 料 な ど 多 様 な 料 を 用 い て 、 吉 宗 に 関 す る ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ の 記 事 を 点 検 し て 誤 り を 正 し 、 さ ら に 不 明 で あ っ た 事 実 を 解 明 し て 、 紀 州 時 代 の 吉 宗 つ い て の 歴 像 を 再 構 成 す る 。 [ 一 ] 家 大 名 の 成 立 一 ︶ 朱 印 状 の 発 給 吉 宗 は 元 禄 一 〇 年 四 月 の 綱 吉 お 成 り の 際 に 、 兄 長 七 と と も に 、 越 前 国 で 新 知 行 三 万 石 の 家 大 名 に 取 り 立 て ら れ た 。 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ で は 、 兄 長 七 頼 職 、 内 蔵 頭 ︶ に つ い て は 次 の よ う な 記 事 が あ る 五 〇 八 ∼ 五 〇 九 頁 ︶ 。 [ 料 1 ] 前 略 ︶ 於 綱 吉 ︶ 御 前 新 地 三 万 石 御 拝 領 、 於 御 成 書 院 御 盃 頂 戴 、
此 節 主 税 頭 様 ニ モ 新 地 三 万 石 御 拝 領 ① ﹁ 越 前 国 丹 生 郡 之 内 五 十 六 箇 村 高 三 万 石 [ 目 録 在 別 紙 ] 事 充 行 之 、 全 可 令 領 地 之 状 如 件 、 元 禄 十 年 五 月 十 五 日 ○ 御 朱 印 平 内 蔵 頭 殿 ﹂ ② ﹁ 目 録 越 前 国 丹 生 郡 之 内 五 十 六 箇 村 有 定 村 ・ 下 田 村 以 下 略 ︶ 高 合 三 万 石 右 今 度 郡 村 ノ 帳 面 相 改 、 及 上 聞 所 被 成 下 御 朱 印 也 、 仍 執 達 如 件 、 元 禄 十 年 五 月 十 五 日 老 中 ︶ 土 屋 相 模 守 政 直 花 押 ほ か 三 名 略 ︶ 平 内 蔵 頭 殿 ﹂ 右 領 知 受 取 と し て 山 口 御 代 官 所 神 谷 与 一 右 衛 門 被 遣 、 御 代 官 に 被 命 、 七 月 一 日 若 山 出 発 以 下 略 ︶ ① ② ﹁ ﹂ の 部 を 除 い て 、 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ 編 者 堀 内 信 の 叙 述 部 で あ る 。 ① ② は 編 纂 時 に 存 在 し た 文 書 の 引 用 で あ る 。 一 方 、 新 之 助 吉 宗 、 頼 方 ︶ に つ い て は 、 ﹁ 一 四 月 十 一 日 封 為 列 侯 食 邑 三 万 石 在 越 前 丹 生 ﹂ と い う 、 堀 内 が 記 し た 綱 文 の よ う な 叙 述 の み で 、 長 七 の よ う な 叙 述 ・ 文 書 引 用 は な い 。 そ の 代 わ り に ﹁ は じ め に ﹂ で ふ れ た エ ピ ソ ー ド が 紹 介 さ れ て い る 。 吉 宗 に 関 し て は 領 地 朱 印 状 も 目 録 も 不 明 で 、 あ い ま い で あ 8 ︶ る 。 し か し 、 新 知 朱 印 状 の 発 給 に つ い て 三 浦 家 文 書 ﹁ 年 中 日 記 ﹂ に は 次 の よ う に 記 さ れ て い る 。 [ 料 2 ] 六 月 九 日 元 禄 一 〇 年 一 六 九 七> ︶
一 前 略 ︶ 水 野 志 摩 守 方 書 状 到 来 候 、 当 月 三 日 左 京 様 御 登 城 候 様 ニ と 前 日 御 老 中 申 来 、 御 登 城 候 処 、 於 白 書 院 、 内 蔵 頭 様 ・ 主 税 頭 様 御 領 知 之 御 朱 印 、 阿 部 豊 後 守 殿 左 京 様 へ 御 渡 し 、 御 請 取 被 成 候 、 右 御 朱 印 ハ 従 宰 相 様 加 藤 弥 右 衛 門 御 指 添 爰 元 へ 被 遣 候 、 弥 右 衛 門 儀 同 日 江 戸 発 足 、 十 一 日 早 ク ニ 参 着 候 筈 之 由 、 申 来 候 、 後 略 ︶ 六 月 九 日 江 戸 に い る 水 野 志 摩 守 か ら の 書 状 が 三 浦 為 隆 の 手 元 に 届 い た 。 そ の 手 紙 に よ る と 、 六 月 二 日 老 中 か ら 左 京 藩 主 光 貞 弟 、 伊 予 西 条 藩 主 平 頼 純 ︶ に 呼 出 が あ り 、 左 京 が 江 戸 城 に 登 城 す る と 、 老 中 阿 部 豊 後 守 か ら 内 蔵 頭 ・ 主 税 頭 両 人 の 新 知 行 地 の 領 地 朱 印 状 が 手 渡 さ れ た 。 六 月 三 日 手 渡 し の こ と は 、 六 月 一 二 日 の 記 事 で 引 用 さ れ て い る 次 の 六 月 四 日 の ﹁ 御 城 書 之 写 ﹂ で も 記 さ れ て い る 。 [ 料 3 ] 元 禄 一 〇 年 一 六 九 七 六 月 ︶ 同 四 日 一 阿 部 豊 後 守 殿 順 阿 弥 ヲ 以 、 内 蔵 頭 様 ・ 主 税 頭 様 へ 御 領 知 地 御 朱 印 、 昨 日 出 候 ニ 付 、 従 御 両 所 様 為 御 礼 御 家 老 差 越 可 被 遊 候 、 上 々 様 方 へ 御 祝 儀 物 御 差 上 被 成 候 ニ ハ 不 及 申 候 、 殿 様 も 右 之 為 御 礼 御 者 御 差 越 被 遊 候 様 ニ 可 申 上 之 旨 被 仰 聞 候 、 以 上 、 文 中 ﹁ 昨 日 ﹂ と は 六 月 三 日 の こ と で あ り 、 こ の 日 内 蔵 頭 ・ 主 税 頭 の ﹁ 御 領 知 地 御 朱 印 ﹂ が 出 た と 周 知 さ れ て い る 。 そ の 上 で 、 老 中 阿 部 豊 後 守 代 理 人 順 阿 弥 か ら 、 内 蔵 頭 ・ 主 税 頭 そ れ ぞ れ の 家 老 を 派 遣 し て 、 朱 印 状 発 給 の お 礼 を 述 べ る こ と 、 ま た 紀 伊 藩 主 光 貞 か ら も 御 礼 の 者 を 派 遣 す る こ と を 指 示 し た 。 な お 、 ﹁ 御 祝 儀 物 ﹂ 献 上 は 無 用 と し た 。 料 2 に よ る と 左 京 頼 純 ︶ が 受 け 取 っ た 領 地 朱 印 状 は 紀 伊 家 江 戸 藩 邸 で 藩 主 の 留 守 を 預 か る 宰 相 綱 教 ︶ に 渡 さ れ 、 宰 相 は 江 戸 藩 邸 に 詰 め る 加 藤 弥 右 衛 門 に そ れ を 和 歌 山 へ 届 け る よ う に 指 示 し た 。 加 藤 は 六 月 三 日 に 江 戸 を 発 ち 、 六 月 ﹁ 十 一 日 早 ク ﹂ に 和 歌 山 に 到 着 予 定 と 伝 え て い る 。 三 浦 為 隆 は 料 2 に 続 い て ﹁ 右 書 状 則 御 下 屋 敷 へ 持 参 仕 、 御 祝 を も 申 上 ﹂ げ た と 記 録 し て い る 。 す な わ ち 三 浦 の
手 紙 は 藩 主 光 貞 の 元 へ 届 け ら れ た 。 六 月 一 〇 日 の 記 事 に ﹁ 内 蔵 頭 様 ・ 主 税 頭 様 御 雇 之 御 者 伊 丹 新 六 ・ 菅 沼 半 兵 衛 、 於 御 白 書 院 御 目 見 仕 候 由 、 御 箱 肴 一 種 御 献 上 ﹂ と あ る 。 朱 印 状 が 和 歌 山 に 届 く 前 に 、 江 戸 藩 邸 で は す ぐ に 江 戸 城 へ 御 礼 に 者 が 派 遣 さ れ た よ う で あ る 。 ﹁ 御 雇 ﹂ と い う の は 、 伊 丹 ・ 菅 沼 は 紀 州 藩 の 家 臣 で あ り 、 両 人 が 内 蔵 頭 ・ 主 税 頭 の 家 臣 団 に 組 み 込 ま れ て い な い か ら 、 こ の よ う に 表 現 さ れ た の で あ ろ う 。 阿 部 か ら の 指 示 を 受 け る 前 に 江 戸 藩 邸 宰 相 ︶ の 判 断 で 、 と り あ え ず 礼 物 が 将 軍 へ 献 上 さ れ た 。 二 ︶ 朱 印 状 の 和 歌 山 到 着 と 領 地 受 取 加 藤 が 和 歌 山 に 到 着 後 の 様 子 を 見 て お こ う 。 六 月 一 四 日 の 記 事 は 次 の よ う で あ る 。 [ 料 4 ] 六 月 一 四 日 一 自 江 戸 加 藤 弥 右 衛 門 持 参 申 候 御 朱 印 、 今 朝 就 到 来 、 五 ツ 半 過 御 下 屋 敷 へ 上 下 ニ 而 罷 出 候 、 弥 右 衛 門 御 前 江 持 参 、 平 太 夫 召 連 罷 出 候 、 殿 様 御 拝 見 、 其 後 両 少 将 様 御 長 袴 ニ て 御 出 、 拙 者 共 も 罷 出 候 、 内 蔵 頭 様 へ 御 朱 印 殿 様 御 手 自 御 渡 被 遊 、 御 頂 戴 、 御 拝 見 、 箱 之 上 へ 御 差 置 、 御 本 座 へ 御 退 、 次 ニ 主 税 頭 様 御 頂 戴 、 御 作 法 如 初 、 畢 而 、 御 用 達 両 人 出 、 両 通 之 御 朱 印 を 御 机 之 上 ニ 披 置 、 拙 者 共 初 御 用 役 於 御 前 拝 見 仕 候 、 す な わ ち 、 加 藤 は 通 知 さ れ た 予 定 よ り 遅 れ て 六 月 一 四 日 朝 に 和 歌 山 に 到 着 し 、 湊 の 下 屋 敷 で 藩 主 光 貞 に 届 け た 。 三 浦 為 隆 は 五 ツ 半 午 前 九 時 頃 ︶ に そ の 場 に 臨 ん だ 。 朱 印 状 を 受 け 取 っ た 光 貞 は ま ず 内 蔵 頭 へ 手 渡 し た 。 内 蔵 頭 は そ れ を 受 け 取 り 、 そ れ に 目 を 通 し 、 そ れ が 入 っ て い た 箱 の 上 に 置 き 、 元 の 席 へ 戻 っ た 。 つ い で 主 税 頭 に も 同 様 に 手 渡 さ れ 、 箱 の 上 に お い た 。 つ い で 用 達 二 人 に よ っ て ﹁ 両 通 之 御 朱 印 ﹂ は 机 の 上 に 置 か れ 、 家 老 三 浦 や 御 用 役 ら に 披 露 さ れ た 。 主 税 頭 宛 の 朱 印 状 が そ こ に あ っ た こ と は 明 ら か で あ る 。 さ ら に 同 日 の 記 事 に は ﹁ 御 朱 印 御 頂 戴 為 御 礼 、 江 戸 へ 従 殿 様 御 十 人 組 頭 大 崎 数 馬 、 今 日 被 仰 付 候 、 両 少 将 様 ハ 御 家 老 一 人 宛 被 遣 候 ﹂ と あ り 、 老 中 の 指 示 通 り 、 将 軍 へ 御 礼 口 上 の た め 、 光 貞 か ら の 者 と 内 蔵 頭 ・ 主 税 頭 の 家
老 が 一 人 ず つ 派 遣 さ れ た こ と が わ か る 。 さ て 、 こ の 朱 印 状 は 二 通 で あ っ た が 、 そ の 内 の 一 通 、 内 蔵 頭 宛 の も の は 先 に 引 用 し た 元 禄 一 五 年 五 月 一 五 日 付 の 朱 印 状 で あ る 。 発 給 は 五 月 一 五 日 付 で あ る が 、 実 際 に 紀 伊 家 関 係 者 内 蔵 頭 の 関 係 者 ︶ に 渡 さ れ た の は 六 月 三 日 だ っ た の で あ る 。 主 税 頭 宛 の 朱 印 状 も 発 給 さ れ 、 同 時 に 手 渡 さ れ た の ち 和 歌 山 に 届 い た ︶ 。 堀 内 信 が 、 一 方 の 朱 印 状 は 実 際 に 見 て 、 引 用 し た が 、 主 税 頭 宛 の は 見 る こ と が で き な か っ た か ら 引 用 し な か っ た 。 で は ど う な っ た か 。 お そ ら く 吉 宗 が 本 家 徳 川 家 の 養 子 と な り 、 将 軍 職 を 継 い だ 際 に 、 江 戸 へ 持 ち 運 ん だ た め に 紀 伊 德 川 家 和 歌 山 ︶ に は 残 ら な か っ た と え ら れ る 。 知 行 地 目 録 に つ い て も 見 て お こ う 。 [ 料 5 ] 六 月 一 二 日 元 禄 一 〇 年 一 六 九 七> ︶ 一 両 少 将 様 御 領 知 之 御 目 録 、 去 四 日 当 番 阿 部 豊 後 守 殿 宅 ニ て 御 両 所 様 御 留 守 居 へ 御 渡 候 、 御 礼 御 届 之 品 、 御 城 附 相 伺 候 処 、 御 目 録 ハ 御 朱 印 ニ 差 添 申 物 ニ て 候 間 、 曾 而 御 届 ニ 不 及 候 由 、 御 申 聞 候 由 、 す な わ ち 、 目 録 は 朱 印 状 と は 別 に 、 六 月 四 日 老 中 阿 部 の 自 宅 へ 内 蔵 頭 ・ 主 税 頭 の 留 守 居 役 二 名 が 呼 ば れ 手 渡 さ れ た 。 本 来 目 録 は 領 地 朱 印 状 の 附 属 書 類 で 同 時 に 添 え て 渡 さ れ る も の で あ る が 、 今 回 は 同 時 で は な か っ た 。 そ の 事 情 は 不 詳 で あ る 。 し か し 別 途 の お 礼 が 必 要 か と の 問 い に 対 し て は 、 朱 印 状 と 目 録 は 同 時 発 給 で あ る か ら 別 途 御 礼 は 不 要 と の こ と で あ っ た 。 最 後 に 領 地 受 け 取 り 手 続 き に つ い て み て お こ う 。 [ 料 6 ] 六 月 一 六 日 御 城 書 之 写 六 月 六 日 一 内 蔵 頭 様 ・ 主 税 頭 様 御 領 知 御 請 取 被 成 様 之 儀 、 御 勘 定 組 頭 衆 へ 承 合 申 候 処 、 御 年 寄 中 御 勘 定 頭 衆 御 領 知 相
渡 し 可 申 候 旨 証 文 出 申 し 被 申 候 、 右 御 勘 定 頭 衆 証 文 御 両 所 様 御 家 来 衆 へ 、 御 勘 定 所 相 渡 申 候 、 右 証 文 を 以 御 領 知 御 請 取 被 成 候 儀 ニ 御 座 候 由 、 被 申 聞 候 、 以 上 、 [ 料 7 ] 六 月 一 八 日 御 城 書 之 写 六 月 八 日 一 御 勘 定 奉 行 平 美 濃 守 殿 被 申 聞 候 ハ 、 内 蔵 頭 様 ・ 主 税 頭 様 御 領 知 御 請 取 被 遊 候 証 文 、 明 後 十 日 追 手 之 内 下 御 勘 定 所 ニ て 相 渡 可 申 候 間 、 御 両 所 様 御 家 来 四 時 下 勘 定 所 へ 罷 出 候 様 に 可 申 通 候 旨 被 申 聞 候 、 右 御 領 知 為 御 請 取 被 遊 、 其 節 御 領 知 支 配 之 御 代 官 之 手 代 立 合 相 渡 申 候 由 ニ 御 座 候 、 御 代 官 衆 者 立 合 不 被 申 候 由 、 御 勘 定 組 頭 衆 被 申 聞 候 、 六 月 六 日 の ﹁ 御 城 書 ﹂ で は 、 知 行 地 受 取 に つ い て 紀 伊 家 か ら 幕 府 勘 定 組 頭 へ 照 会 し た と こ ろ 、 年 寄 中 老 中 ︶ の ﹁ 御 勘 定 頭 衆 御 領 知 相 渡 し 可 申 候 旨 証 文 ﹂ が 発 行 さ れ 、 そ の 証 文 は 幕 府 ︶ 勘 定 奉 行 所 か ら 内 蔵 頭 ・ 主 税 頭 両 家 の 家 来 へ 渡 さ れ る 。 こ の 証 文 を 持 参 し て 領 地 を 受 取 る こ と と な る と 説 明 さ れ て い る 。 六 月 八 日 の ﹁ 御 城 書 ﹂ で は 、 六 月 一 〇 日 に 追 手 門 の 内 側 に あ る 下 勘 定 所 で 渡 す の で 、 四 時 午 前 一 〇 時 頃 ︶ に 来 る よ う に と の 指 示 が な さ れ た 。 な お 、 領 地 引 渡 の 際 、 現 在 領 知 を 支 配 し て い る 代 官 は 立 ち 会 わ ず 、 そ の 手 代 が 立 ち 会 う と の 旨 が 伝 え ら れ た 。 こ れ ら を 紀 伊 家 に 伝 え た の は 勘 定 組 頭 で あ っ た 。 こ の よ う な 手 筈 が 六 月 八 日 に は 整 っ た 。 和 歌 山 に こ れ が 伝 え ら れ た 、 関 係 者 が 承 知 し た の は 、 六 月 一 六 日 、 同 一 八 日 で あ っ た 。 お お む ね 一 〇 日 遅 れ で 情 報 が 江 戸 か ら 紀 州 へ 伝 え ら れ て い る 。
[ 二 ] 吉 宗 の 所 在 地 と 参 勤 ・ 帰 国 本 章 で は 、 ま ず 吉 宗 の 参 勤 を 中 心 と す る 移 動 、 江 戸 ・ 国 元 の 所 在 に つ い て 検 討 す る 。 そ の 上 で 、 第 三 代 藩 主 綱 教 ・ 第 四 代 藩 主 頼 職 の 参 勤 ・ 帰 国 に つ い て も 検 討 し 、 先 稿 一 覧 9 ︶ 表 を 再 検 討 し 、 精 緻 化 を は か る こ と と す る 。 一 ︶ 元 禄 一 一 年 の 参 勤 と そ の 経 路 元 禄 一 〇 年 に 新 知 三 万 石 の 大 名 と な っ た 吉 宗 は 兄 頼 職 と と も に 元 禄 一 一 年 一 六 九 八 ︶ 二 月 二 九 日 に 光 貞 に 伴 っ て 江 戸 へ 参 勤 し た こ と は ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ a 五 二 〇 頁 、 b 五 〇 九 頁 、 c 四 六 七 頁 ︶ の 記 事 で 確 認 さ れ て い た 。 [ 料 8 ] a 元 禄 十 一 年 戊 寅 ︶ 一 三 月 従 清 渓 東 観 一 二 月 若 山 御 発 途 、 三 月 三 日 北 伊 勢 通 行 宮 崎 家 旧 記 b 元 禄 ︶ 一 同 十 一 戊 寅 年 三 月 大 納 言 様 御 伴 ニ テ 御 参 府 二 月 廿 九 日 若 山 御 発 駕 、 上 海 道 御 越 、 三 月 三 日 北 伊 勢 御 通 行 被 成 候 宮 崎 家 旧 記 c 三 月 東 観 、 御 参 府 ノ 節 三 月 四 日 坂 御 着 城 、 五 日 吉 田 へ 御 渡 海 被 遊 宮 崎 家 旧 記 料 8 の a は 吉 宗 、 b は 頼 職 、 c は 光 貞 の 動 き を 、 い ず れ も ﹁ 宮 崎 家 旧 記 ﹂ に よ っ て 編 者 堀 内 信 が 記 述 し た も の で あ る 。 こ れ ら に よ り 三 人 が 出 発 地 和 歌 山 か ら 全 行 程 同 道 し た か と い え ば 、 そ れ は 必 ず し も 明 ら か で な い 。 b は 上 海 道 、 c は 坂 経 由 で あ る こ と が わ か る 。 で は a は ど の よ う な 経 路 で あ っ た か 。 ﹁ 北 伊 勢 通 行 ﹂ と あ る が 必 ず し も 明 確 で は な い 。 こ の 点 に つ い て 、 信 達 宿 本 陣 角 谷 家 文 書 ﹁ 元 禄 十 一 年 二 月 廿 九 日 御 休 平 内 蔵 頭 様 ・ 平 主 税 頭 様 ﹂ 冊 10 ︶ 子 ︶ に は [ 料 9 ]
今 度 内 蔵 頭 様 ・ 主 税 頭 様 御 参 府 之 節 、 中 略 ︶ 右 両 殿 様 御 一 所 ニ 同 日 ニ 御 通 り 、 内 蔵 様 ハ 庄 屋 ︶ 信 左 衛 門 へ 御 入 、 主 税 様 ハ 角 谷 ︶ 与 右 衛 門 へ 御 入 、 と い う 記 載 が あ る 。 二 人 が 一 緒 に 信 達 宿 で 休 憩 し て い る こ と が わ か る 。 休 憩 の 場 所 は 内 蔵 頭 頼 職 ︶ が 庄 屋 の 家 、 主 税 頭 吉 宗 ︶ が 本 陣 宿 年 寄 の 家 で あ っ た 。 ま た ﹁ 元 禄 十 五 年 正 月 吉 日 往 来 御 用 ニ 付 留 書 馬 借 覚 帳 信 達 角 谷 与 右 衛 門 ﹂ 以 下 ﹁ 往 来 御 用 留 書 ﹂ と 略 11 ︶ 記 ︶ に は 、 同 年 以 前 の 紀 伊 家 上 海 道 通 行 者 の 名 前 、 及 び 用 意 し た 馬 数 や 調 達 事 情 等 が 記 さ れ て い る 。 こ れ に は 次 の よ う な メ モ 書 き が あ る 。 [ 料 10 ] 大 納 言 様 川 俣 御 通 り 被 遊 、 い せ 御 同 道 之 由 、 元 禄 十 一 寅 二 月 廿 九 日 信 達 御 休 、 和 歌 山 御 立 、 一 平 内 蔵 頭 様 御 宿 信 右 衛 門 所 、 一 同 主 税 頭 様 御 宿 与 右 衛 門 所 、 此 晩 ハ 貝 塚 御 泊 り ニ 御 座 候 、 内 蔵 頭 ・ 主 税 頭 は 同 道 し 、 信 達 宿 休 憩 前 述 ︶ 、 貝 塚 宿 泊 の 事 実 と と も に 、 坂 経 由 川 俣 街 道 通 行 ︶ の 光 貞 と 伊 勢 具 体 地 名 は 不 詳 ︶ で 合 流 し た こ と が 理 解 さ れ る 。 ﹃ 徳 川 実 紀 ﹄ 元 禄 一 一 年 三 月 一 五 日 の 記 事 に ﹁ 十 四 日 紀 伊 大 納 言 光 貞 参 府 に よ っ て 中 略 ︶ 、 ○ 十 五 日 大 納 言 光 貞 内 蔵 頭 頼 職 。 主 税 頭 頼 方 参 観 の 拝 謁 あ り 。 ﹂ と あ り 、 江 戸 に は 三 月 一 四 日 に 到 着 し た こ と が わ か る 。 こ の 後 光 貞 は 元 禄 十 一 年 八 月 二 三 日 以 降 に 吉 宗 を 伴 っ て 帰 国 の 途 に つ く 。 ﹃ 徳 川 実 紀 ﹄ 元 禄 一 一 年 八 月 二 一 日 の 条 に ﹁ 致 仕 紀 伊 大 納 言 光 貞 の も と に 中 略 ︶ 就 封 の い と ま た ま ふ 。 ﹂ と あ り 、 翌 二 二 日 ﹁ 主 税 頭 頼 方 も 同 じ い と ま た ま ふ 。 ﹂ と あ る 。 一 方 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ は こ の 記 事 を 踏 ま え 、 ﹁ 八 月 帰 藩 頼 方 護 従 之 ﹂ ﹁ 八 月 廿 一 日 中 略 ︶ 紀 州 へ ノ 御 暇
被 仰 出 、 主 税 頭 ヘ モ 紀 州 へ ノ 御 暇 被 進 御 伴 被 遊 ﹂ と 記 し て い る 四 六 七 頁 ︶ 。 元 禄 一 一 年 の 江 戸 発 駕 は 八 月 三 〇 日 頃 と 推 測 し て お 12 ︶ く 。 和 歌 山 到 着 に 関 し て 、 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ は 九 月 八 日 熱 田 桑 名 、 九 日 白 子 坂 、 一 〇 日 発 と い う 経 由 地 を 載 せ 、 九 月 一 三 日 に ﹁ 和 歌 山 御 着 、 下 屋 敷 ︶ 御 隠 居 所 へ 直 御 着 座 ﹂ と 記 し て い る 同 前 ︶ 。 一 方 、 ﹁ 往 来 御 用 留 書 ﹂ に ﹁ 寅 ノ 九 月 十 三 日 申 ノ 下 刻 ニ 御 下 屋 敷 へ 入 ﹂ 、 ﹁ 大 納 言 様 ・ 主 税 頭 様 川 俣 御 同 道 被 遊 、 江 戸 御 登 り ﹂ と 二 人 が 同 道 し て 川 俣 街 道 を 通 行 し 、 九 月 一 三 日 の 下 屋 敷 入 り が 確 認 さ れ る 。 こ れ ら は 二 つ の 記 事 は 合 致 し て い る 。 二 ︶ 誤 り の 元 禄 一 四 年 参 勤 記 事 つ ぎ に 、 元 禄 十 二 年 に つ い て は 、 ﹁ 往 来 御 用 留 書 ﹂ の ﹁ 平 主 税 頭 様 江 戸 ニ 御 越 被 為 遊 候 段 々 御 休 之 目 録 前 ﹂ に ﹁ 元 禄 十 二 卯 三 月 日 江 戸 へ 御 越 被 為 遊 候 時 、 信 達 御 休 、 同 与 右 衛 門 方 御 宿 ﹂ と あ る 。 こ の 吉 宗 の 参 勤 は は じ め て 単 独 で あ り 、 現 在 残 さ れ て い る 関 13 ︶ 札 に は ﹁ 三 月 日 平 主 税 頭 休 ﹂ と 記 さ れ て い る 。 こ の 参 勤 、 江 戸 滞 在 は 元 禄 一 五 年 二 月 迄 続 い た 。 こ こ で 問 題 と な る の は 元 禄 一 四 年 の 居 所 地 で あ る 。 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ で は 、 次 の 記 事 a 五 二 一 頁 、 b 四 七 〇 頁 ︶ に よ り 、 一 見 こ の 年 参 勤 し た と 錯 覚 さ せ 14 ︶ る 。 [ 料 11 ] a 元 禄 十 四 年 十 八 歳 九 月 従 清 溪 東 観 b 元 禄 十 四 辛 巳 七 十 六 歳 九 月 東 観 、 将 軍 命 杖 於 朝 九 月 若 山 御 発 、 同 十 四 日 坂 御 着 、 十 五 日 御 鉄 砲 被 遊 中 略 ︶ 吉 田 へ 御 渡 海 宮 崎 家 旧 記 料 11 の a に つ い て 。 清 溪 は 第 二 代 藩 主 光 貞 の こ と で 、 ﹁ 東 観 ﹂ は 参 勤 の こ と で あ る 。 元 禄 一 四 年 九 月 に 主 税 頭
が 光 貞 に 従 っ て 同 道 し て ︶ 参 勤 し た と の 意 で あ る 。 一 方 b で は 主 税 頭 吉 宗 ︶ の 同 道 に つ い て は 記 さ れ て い な い 。 ﹁ 命 杖 於 朝 ﹂ は 光 貞 が 高 齢 ゆ え 、 江 戸 登 城 の 際 に 杖 を 許 可 す る と い う こ と で あ る 。 b の 参 勤 に つ い て は ﹁ 年 中 日 記 ﹂ 九 月 一 二 日 の 条 に ﹁ 大 殿 様 今 朝 御 立 ニ 付 、 殿 様 岩 出 迄 御 送 ニ 被 成 御 座 候 ﹂ 、 一 〇 月 四 日 の 条 に ﹁ 昨 夜 八 ツ 時 江 戸 状 到 来 、 大 殿 様 御 道 中 御 機 嫌 能 先 月 廿 五 日 之 朝 五 ツ 時 過 、 江 戸 へ 御 着 ﹂ と あ り 、 九 月 一 二 日 ∼ 二 五 日 の 参 勤 行 程 を 傍 証 で き る 。 b の 記 事 は 出 典 が ﹁ 宮 崎 家 旧 記 ﹂ と 明 記 さ れ る の に 対 し 、 a に は 出 典 が 明 記 さ れ て い な い 。 編 者 堀 内 信 の 誤 解 、 憶 測 に よ る 書 き 過 ぎ の 可 能 性 が 示 唆 さ れ る 。 さ て 同 道 し た と さ れ る 吉 宗 に つ い て で あ る が 、 吉 宗 は 先 述 の 通 り 、 元 禄 一 二 年 三 月 日 に 和 歌 山 を 出 立 し 、 四 月 一 五 日 以 降 は 江 戸 に い る 。 仮 に 元 禄 一 四 年 九 月 に 光 貞 に 従 っ て 江 戸 へ 行 っ た の で あ れ ば 、 そ の 出 発 前 に 江 戸 か ら 和 歌 山 に 帰 国 し て い な け れ ば な ら な 15 ︶ い 。 し か し ﹁ 年 中 日 記 ﹂ の 記 事 に よ る と 、 元 禄 一 四 年 の 四 月 二 日 の 江 戸 紀 伊 家 中 屋 敷 に 老 中 や 譜 代 衆 を 招 い た 宴 会 に 出 席 し て お り 、 五 月 七 日 に は ﹁ 八 ツ 半 時 退 出 、 ︵ 中 略 ︶ 夫 主 税 頭 様 へ 参 、 今 日 御 以 一 種 被 下 候 御 礼 申 置 、 帰 宿 ﹂ と 在 江 戸 の 三 浦 為 隆 が 記 録 し て い る 。 こ の 頃 吉 宗 が 江 戸 に い る こ と は 明 ら か で あ る 。 と す れ ば 、 こ の 後 、 九 月 ま で の 間 に 、 帰 国 の た め 将 軍 に 暇 乞 い し て い る は ず で あ る 。 ふ つ う 将 軍 か ら の 帰 国 許 可 暇 ︶ に 関 し て は ﹃ 徳 川 実 紀 ﹄ 第 六 編 ︶ に 書 か れ る が 、 そ の 期 間 、 同 書 に は 該 当 の 記 事 が な い 。 一 方 同 書 に は 、 元 禄 一 四 年 六 月 一 四 日 ﹁ 平 内 蔵 頭 頼 職 参 観 ﹂ 、 ま た 九 月 二 五 日 ﹁ 紀 伊 大 納 言 光 貞 参 府 ﹂ と 、 兄 や の 参 勤 は 明 記 さ れ て い る 。 少 し 下 っ て 、 元 禄 一 五 年 二 月 一 二 日 に は ﹁ 紀 伊 大 納 言 光 貞 に 就 封 の 事 仰 下 さ る ﹂ 、 同 一 三 日 ﹁ 主 税 頭 頼 方 も 同 じ ﹂ と あ り 、 光 貞 に 随 行 し て 吉 宗 が 帰 国 す る こ と が 同 時 に 許 可 さ れ た 。 も し 、 五 月 頃 九 月 ま で に ︶ い っ た ん 帰 国 し て い た の で あ れ ば 、 帰 国 の 許 可 暇 乞 い ︶ の 記 事 が あ る は ず で あ る が 、 そ れ が な い 。 と い う こ と は 、 帰 国 の 事 実 が な か っ た の で あ ろ う 。 ま た ﹁ 年 中 日 記 ﹂ の 記 録 者 三 浦 為 隆 は 藩 主 綱 教 ニ
随 行 し て 五 月 二 五 日 に 和 歌 山 に 着 い て い る 。 も し 吉 宗 が 在 国 し て い た な ら ば 、 五 月 ∼ 九 月 に 、 挨 拶 な ど 主 税 頭 の 名 前 が 出 て も よ い は ず で あ る が 、 一 切 見 え な い 。 ま た 、 光 貞 に 同 道 す る の で あ れ ば そ れ に 関 す る 記 事 が あ っ て も お か し く な い が 、 な い 。 つ ま り 、 a 九 月 の 吉 宗 記 事 は 、 そ も そ も 堀 内 信 の 思 い 込 み で 、 勘 違 い と え ざ る を 得 な い 。 吉 宗 が 光 貞 の 参 勤 に ﹁ 従 ﹂ っ た 、 と 書 い た た め 混 乱 が お き た の で あ る 。 筆 者 も こ れ に 巻 き 込 ま れ た 。 三 ︶ 元 禄 一 五 年 ∼ 正 徳 二 年 の 参 勤 ・ 帰 国 そ の 後 の 吉 宗 の 帰 国 は 、 元 禄 一 五 年 二 月 一 九 日 江 戸 発 、 三 月 二 日 和 歌 山 着 で あ る 。 こ れ は 二 月 一 三 日 帰 国 許 可 前 述 ︶ が な さ れ 、 光 貞 に 同 行 し た も の で あ り 、 川 俣 街 道 を 通 行 し 16 ︶ た 。 参 勤 は 、 翌 同 一 六 年 四 月 二 八 日 和 歌 山 発 、 五 月 一 五 日 江 戸 登 城 そ れ ま で に 江 戸 着 ︶ で あ っ た ﹁ 年 中 日 記 ﹂ ︶ 。 元 禄 一 六 年 の 参 勤 に 関 し 、 角 谷 家 文 書 ﹁ 往 来 御 用 留 書 ﹂ に は ﹁ 元 禄 拾 六 未 四 月 廿 八 日 江 戸 へ 御 越 被 為 遊 候 時 、 信 達 御 休 、 与 右 衛 門 方 御 宿 ﹂ と あ り 、 上 方 街 道 を 通 っ た 。 な お 、 ﹁ 元 禄 十 六 未 四 月 廿 八 日 和 歌 山 御 発 駕 、 ﹂ ﹁ 一 主 税 頭 様 与 右 衛 門 所 御 休 ﹂ と の 記 載 に 添 え て 、 ﹁ 山 口 山 ニ 而 御 猪 狩 ︶ し ゝ か り 被 為 遊 候 而 、 御 昼 半 ニ 御 入 、 御 酒 も り 被 遊 候 ﹂ と 記 さ れ て い る 。 山 口 山 は 紀 州 ・ 泉 州 の 国 堺 の 通 行 路 に あ る 低 い 山 で あ る 。 猪 狩 ・ 酒 盛 り は い か に も 豪 快 で あ る 。 吉 宗 二 〇 歳 の 出 来 事 で あ る 。 記 録 は こ の 年 だ け で あ る が 、 他 の 参 勤 時 に も 同 様 な こ と が 推 測 さ れ る 。 さ て 宝 永 元 年 一 七 〇 四 ︶ の 帰 国 に 関 し て は ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ に は 記 事 が 一 切 な い が 、 ﹁ 往 来 御 用 留 書 ﹂ に は 次 の よ う な 記 事 が あ る 。 [ 料 12 ] 御 当 日 宝 永 元 申 六 月 十 六 日 御 国 入 一 主 税 頭 様 江 戸 御 越 被 為 遊 候 時 、 右 之 節 ハ 十 五 日 貝 塚 御 泊 り 、 拾 六 日 之 御 休 山 口 御 殿 ニ 而 候 、 そ れ 故 信 達 は つ れ 申 候 、
こ れ に よ っ て 六 月 一 六 日 に 和 歌 山 に 到 着 し た こ と 、 上 方 街 道 を 通 行 し た こ と が わ か る 。 こ の 留 書 を 記 し た 信 達 本 陣 の 角 谷 家 ︶ 与 右 衛 門 宅 に ﹁ 御 休 ﹂ は 無 か っ た が 、 通 行 し た こ と を 記 録 し て く れ て お り 、 帰 国 の 日 程 を 知 る こ と が で き る 。 さ て 、 宝 永 二 年 一 七 〇 五 ︶ は 大 き な 出 来 事 が 次 々 と 起 こ っ た 年 で あ る 。 ま ず 同 年 四 月 一 二 日 藩 主 綱 教 が 亡 く な り 、 六 月 一 八 日 に 頼 職 が 紀 伊 家 遺 領 藩 主 ︶ を 継 ぎ 、 八 月 八 日 に 大 殿 光 貞 が 亡 く な り 、 さ ら に 九 月 八 日 頼 職 が 亡 く な っ た 。 一 〇 月 六 日 頼 方 が 紀 伊 德 川 家 を 継 ぎ 、 吉 宗 と 改 名 し た 。 こ の 年 の 参 勤 は 頼 職 が 亡 く な っ た 後 の 九 月 二 一 日 和 歌 山 発 、 一 〇 月 四 日 江 戸 着 で あ る が 、 一 〇 月 六 日 の 襲 封 儀 式 の た め で あ っ た 。 a ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ 五 二 五 頁 ︶ 、 b ﹁ 往 来 御 用 留 書 ﹂ に は そ れ ぞ れ 次 の よ う な 記 事 が 記 さ れ て い る 。 [ 料 13 ] a 一 九 月 東 観 一 九 月 廿 一 日 紀 州 御 立 、 同 廿 五 日 北 伊 勢 御 通 行 、 十 月 四 日 江 戸 御 着 宝 鑑 宮 崎 家 旧 記 b 宝 永 弐 年 酉 九 月 廿 日 江 戸 へ 御 発 駕 御 当 日 一 主 税 頭 様 信 達 与 右 衛 門 所 御 休 、 料 13 の a で は 九 月 二 一 日 、 b で は 九 月 二 〇 日 と 一 日 ず れ て い る 。 こ の 日 付 に 関 し て は 、 幸 い も う 一 点 別 の 記 録 が あ る 。 町 奉 行 配 下 の 牢 番 頭 仲 間 が 日 々 書 き 継 い だ ﹁ 万 御 用 控 帳 ﹂ 以 下 ﹃ 城 下 町 警 察 日 記 17 ︶ ﹄ ︶ と 表 記 ︶ に は 、 ﹁ 酉 ノ 九 月 廿 一 日 、 主 税 様 御 発 駕 被 為 成 候 ﹂ と あ り 、 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ の 記 事 と 合 致 す る 。 そ の 後 吉 宗 は 江 戸 に 参 勤 し た ま ま 宝 永 七 年 五 月 迄 帰 国 し て い な い 。 宝 永 七 年 、 藩 主 と し て の 初 帰 国 に 関 す る a ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ 五 三 二 頁 ︶ ・ b ﹃ 城 下 町 警 察 日 記 ﹄ 一 五 九 頁 ︶ の 記 事 は 次 の よ う で あ る 。 [ 料 14 ] 宝 永 七 年 一 七 一 〇> ︶ a 一 四 月 廿 七 日 江 戸 御 発 駕 、 五 月 六 日 熱 田 ヨ リ 御 渡 海 、 同 日 坂 着 城 、 七 日 御 鷹 野 、 八 日 御 発 駕 川 俣 通 り 御 入
国 宮 崎 家 旧 記 b 一 五 月 十 一 日 ニ 殿 様 御 入 国 被 為 成 候 、 料 14 の a に よ る と 四 月 二 七 日 江 戸 発 、 坂 を 経 由 し て 川 俣 街 道 で 和 歌 山 に 到 着 し た こ と は か る が 、 そ れ が 何 日 で あ っ た か は 書 か れ て い な い 。 b に は 五 月 一 一 日 と あ り 、 ま た 林 寺 文 書 ﹁ 御 祈 祷 之 札 図 18 ︶ ﹂ に も ﹁ 今 年 庚 寅 年 六 年 而 和 歌 山 之 御 城 御 入 、 則 五 月 十 一 日 御 入 也 ﹂ と あ る 。 五 月 一 一 日 は 確 実 で あ る 。 つ い で 、 翌 宝 永 八 年 四 月 に 改 元 正 徳 元 年 、 一 七 一 一 ︶ の 参 勤 に つ い て 、 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ は ﹁ 三 月 東 観 ﹂ ﹁ 三 月 四 日 北 伊 勢 御 通 行 被 遊 宮 崎 家 旧 記 ﹂ 五 三 四 頁 ︶ と だ け 記 さ れ て い る が 、 ﹃ 城 下 町 警 察 日 記 ﹄ に は ﹁ 二 月 ︶ 同 日 ニ 御 殿 様 江 戸 へ 御 発 駕 、 御 道 上 海 道 ﹂ 一 八 三 頁 ︶ と あ る 。 こ の 二 月 は 大 の 月 で 日 は 三 〇 日 で あ る 。 前 日 二 月 二 九 日 の 記 事 も あ り 、 日= 二 九 日 と の 認 識 間 違 い の 可 能 性 は 低 い 。 江 戸 着 は 、 ﹃ 徳 川 実 紀 ﹄ 三 月 一 三 日 の 条 に ﹁ 紀 伊 中 納 言 吉 宗 参 府 に よ て 。 井 上 河 内 守 正 岑 し て 慰 労 せ し め ら る ﹂ と あ り 、 一 三 日 と 推 測 さ れ る 。 ち な み に 、 林 寺 ﹁ 御 祈 祷 之 札 図 ﹂ に は ﹁ 宝 永 八 辛 卯 年 二 月 廿 九 日 江 戸 江 御 発 駕 ﹂ と あ り 、 ま た そ の 子 長 福 の 懐 胎 、 着 帯 祈 祷 の 関 わ り で 、 ﹁ 吉 宗 様 三 月 十 一 日 ニ 江 戸 御 着 以 後 之 御 懐 胎 ﹂ と の 文 言 が 記 さ れ て い る 。 一 、 二 日 の ず れ が あ る が 参 と な ろ う 。 ま た 正 徳 二 年 一 七 一 二 ︶ の 帰 国 に つ い て 、 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ に ﹁ 四 月 六 日 吉 田 ヨ リ 渡 海 、 同 日 坂 御 着 城 、 七 日 御 留 、 八 日 田 丸 へ 被 為 成 、 九 日 御 参 宮 、 同 日 田 丸 ヨ リ 丹 生 村 御 止 宿 、 川 俣 通 御 帰 城 被 遊 宮 崎 家 旧 記 ﹂ 五 三 五 頁 ︶ と あ る 。 伊 勢 神 宮 に 立 ち 寄 っ た が 、 江 戸 出 立 の 日 付 、 帰 城 の 日 付 は 不 明 で あ る 。 ﹃ 徳 川 実 紀 ﹄ 四 月 二 日 の 条 に ﹁ 紀 伊 中 納 言 吉 宗 発 程 ﹂ と あ り 、 ﹃ 城 下 町 警 察 日 記 ﹄ に ﹁ 同 四 月 ︶ 十 三 日 御 殿 様 御 機 嫌 能 よ く 御 入 被 為 成 候 ﹂ 二 一 〇 頁 ︶ と 四 月 二 日 発 、 一 三 日 着 で あ っ た こ と が わ か る 。 こ の 和 歌 山 滞 在 中 の 正 徳 二 年 一 〇 月 一 四 日 に 将 軍 家 宣 が 死 去 す る が 、 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ に よ る と 葬 礼 終 了 後 の 同 年 ﹁ 十 一 月 東 観 ﹂ ﹁ 十 一 月 二 日 若 山 発 駕 、 同 五 日 北 伊 勢 御 通 行 、 十 一 月 十 三 日 御 着 座 ﹂ と あ る 五 三 九 頁 ︶ 。 ﹃ 城 下 町 警 察 日
記 ﹄ に は ﹁ 霜 月 二 日 、 御 殿 様 御 発 駕 被 為 成 候 ﹂ 二 二 七 頁 ︶ と あ り 、 合 致 す る 。 家 宣 の 死 去 に は 駆 け つ け る こ と が で き な か っ た 。 四 ︶ 誤 り の 正 徳 四 年 ・ 同 五 年 参 勤 記 事 さ て 、 そ の 後 の 参 勤 に つ い て ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ a 五 四 〇 頁 、 b 五 四 一 頁 ︶ は 次 の よ う な 記 事 を 掲 載 し て い る 。 [ 料 15 ] a 一 七 一 四 ︶ 正 徳 四 年 甲 午 三 十 一 歳 四 月 帰 藩 是 年 ︵ 以 下 略 ︶ b 一 七 一 五 ︶ 正 徳 五 年 乙 未 一 三 月 東 観 五 月 拝 日 光 山 ま ず 、 料 15 の a ・ b に は 、 以 前 の 参 勤 に つ い て は 出 典 と し て 記 さ れ た ﹁ 宮 崎 家 旧 記 ﹂ と い う 根 拠 料 が 示 さ れ て い な い 。 そ れ ゆ え こ の 記 事 は 事 実 で な い か も し れ な い と い う 疑 問 が 生 じ る 。 仮 に a ・ b が 事 実 と す れ ば 、 正 徳 四 年 一 七 一 四 ︶ 四 月 か ら 翌 同 五 年 三 月 日 付 は 不 詳 ︶ 、 吉 宗 は 紀 州 和 歌 山 に 居 な け れ ば な ら な い 。 も し 江 戸 に い る こ と を 示 す 料 が 存 在 す る と 、 こ の 間 の 紀 州 在 国 は 事 実 で な い こ と が 証 明 さ れ る 。 ﹃ 徳 川 実 紀 ﹄ の 記 事 を 検 討 す る と 、 正 徳 四 年 四 月 に ﹁ 暇 ﹂ 、 同 五 年 三 月 に ﹁ 参 観 ﹂ の 記 事 は 見 当 た ら な い 。 逆 に こ の 期 間 、 ﹃ 徳 川 実 紀 ﹄ に は 在 江 戸 を 示 す 記 事 が あ る 。 次 の 料 は こ れ を 抜 き だ し た も の で あ る 。 [ 料 16 ] a 一 七 一 四 正 徳 四 年 七 月 ︶ 九 日 中 略 ︶ 此 ほ ど 紀 伊 中 納 言 吉 宗 病 に ふ さ れ し に よ り 。 b 同 年 九 月 ︶ 六 日 の い と ま 下 さ る と て 。 就 封 紀 伊 中 納 言 吉 宗 に 久 世 大 和 守 重 之 。 c 同 年 十 月 ︶ 八 日 中 略 ︶ 増 上 寺 御 法 会 か は る こ と な し 。 昨 日 の ご と く 物 奉 る 大 名 四 十 八 人 。 紀 伊 中 納 言
吉 宗 お な じ に 詣 拝 あ り 。 d 同 年 十 二 月 ︶ 十 一 日 寒 中 に よ り 。 日 光 准 后 弁 法 親 王 中 略 ︶ 紀 伊 中 納 言 吉 宗 中 略 ︶ に 物 た ま は り 。 e 一 七 一 五 正 徳 五 年 二 月 ︶ 七 日 紀 伊 中 納 言 吉 宗 ・ 尾 張 宰 相 継 友 出 仕 し て 御 け し き う か が は る 。 f 同 年 五 月 十 一 日 ︶ 紀 伊 中 納 言 吉 宗 日 光 山 進 拝 の 暇 を 給 ふ 。 a ∼ e の 記 事 は 吉 宗 が そ の 時 江 戸 に い た こ と を 示 す 料 で あ る 。 b に よ る と 九 月 六 日 に 暇 が 出 さ れ た が 、 実 際 に 帰 国 し た 形 跡 は な い 。 家 宣 の あ と 、 当 時 幼 少 の 家 継 が 将 軍 を 継 い だ が 、 吉 宗 は 江 戸 を 離 れ る こ と が で き な か っ た の で あ ろ 19 ︶ う 。 f は 問 題 の 期 間 外 で あ る が 、 引 き 続 い て 江 戸 に い た こ と を 示 し て い る 。 表1 吉宗(主税頭頼方)の参勤・帰国 (改訂版) *典拠 料は『南紀徳川 』:『南』、「年中日記」(三浦家文書):「年」、「年」の番号は「紀州藩家老三浦家文 書目録」(『紀州経済 文化 研究所紀要』第4号、1984年)による。『城下町警察日記』:『城』、『徳川実紀』、 角谷家文書「往来御用留書」:「留」、 林寺文書「御祈祷之札図」:「札」と略記。 ※注(6)前稿の第13表は廃棄する。 西暦 発着年月日 移動関係 着発年月日 参帰 経由等 『徳川実紀』 典拠 備 1696 元禄9.2.28 和歌山→江戸 元禄9.3.13 参 坂経由 3.15光貞参勤拝謁 『南』 4.14将軍に目見 1697 元禄 10.5.16 和歌山←江戸 元禄 10.5.2 帰 坂経由 4.21光貞就封暇給 「年」138『南』「留」 光貞お供 1698 元禄 11.2.29 和歌山→江戸 元禄 11.3.14頃 参 上方・北伊勢 3.15光貞参勤拝謁 『南』「留」 光貞お供 1699 元禄 11.9.13 和歌山←江戸 元禄 11.8.30頃 帰 坂経由 8.22光貞就封暇給 「留」 光貞お供 1699 元禄 12.3.30 和歌山→江戸 元禄 12.4.15頃 参 上方街道 「年」140「留」 1702 元禄 15.3.2 和歌山←江戸 元禄 15.2.19 帰 坂経由 2.12光貞就封暇給 『南』 光貞お供 1703 元禄 16.4.28 和歌山→江戸 元禄 16.5.15頃 参 上方・北伊勢 「年」148「留」 1704 宝永1.6.16 和歌山←江戸 宝永1.6.(上) 帰 上方・北伊勢 「留」 1705 宝永2.9.21 和歌山→江戸 宝永2.10.4 参 上方・北伊勢 『南』『城』 1705 家督を相続> 宝永2.10.6 10.6襲封仰せ 12.1吉宗と改名 1710 宝永7.5.11 和歌山←江戸 宝永7.4.27 帰 坂経由 4・18参勤拝謁 『南』「札」 1711 宝永8.2.30 和歌山→江戸 宝永8.3.13 参 上方・北伊勢 3.13参府慰労 『南』『城』 1712 正徳2.4.13 和歌山←江戸 正徳2.4.2 帰 坂経由 3.22暇 『南』『城』 正徳2.4.9 伊勢参宮 『南』『南』 1712 正徳2.11.2 和歌山→江戸 正徳2.11.13 参 上方・北伊勢 11.13参府慰労 『南』 1716 将軍家相続> 正徳6.4.30
以 上 の よ う に 、 ﹃ 徳 川 実 紀 ﹄ の 記 事 を 検 討 す る と 、 正 徳 四 年 四 月 に ﹁ 暇 ﹂ 、 同 五 年 三 月 に ﹁ 参 観 ﹂ の 記 事 が 見 当 た ら な い こ と は も と よ り 、 逆 に こ の 期 間 に 吉 宗 が 江 戸 に い た こ と を 証 明 す る 記 事 は 多 数 あ り 、 こ の 期 間 紀 州 に は い な か っ た こ と が 明 ら か で あ る 。 吉 宗 は 、 正 徳 二 年 家 継 が 将 軍 職 を 継 い で 以 降 、 同 六 年 に 吉 宗 自 身 が 将 軍 と な る ま で の 足 掛 け 六 年 間 一 回 も 帰 国 し な か っ た 。 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ の 正 徳 四 年 ・ 同 五 年 の 吉 宗 の 帰 国 ・ 参 勤 記 事 は 大 き な 混 乱 を も た ら し 、 紀 州 藩 の 政 治 研 究 に も 負 の 遺 産 を も た ら し た と い わ ざ る を 得 な 20 ︶ い 。 こ れ ら の 成 果 を 表 に ま と め る と 表 1 の よ う に な る 。 五 ︶ 綱 教 ・ 頼 職 綱 教 ・ 頼 職 の 参 勤 代 に つ い て も 点 検 し て お こ う 。 は じ め に 綱 教 に 関 し て 。 第 三 代 藩 主 と な る 綱 教 が ま だ 世 子 の 時 、 綱 教 の 元 禄 三 年 の 参 勤 に 関 し て 、 a ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ 、 b 角 谷 家 文 書 ﹁ 往 来 御 用 留 書 ﹂ に は 次 の よ う に 記 さ れ て い る 。 [ 料 17 ] 元 禄 三 年 一 六 九 〇 ︶ a 元 禄 ︶ 一 同 三 年 午 御 帰 国 ニ 付 、 五 月 江 戸 御 発 駕 、 六 月 朔 日 北 伊 勢 御 通 行 四 日 市 御 泊 被 遊 、 b 元 禄 三 午 ノ 六 月 五 日 晩 貝 塚 御 泊 り 一 紀 伊 中 納 言 様 御 入 国 之 時 右 之 節 、 安 藤 帯 刀 様 御 供 、 御 先 ヘ 御 越 、 同 五 日 之 晩 信 達 与 右 衛 門 所 に 御 泊 り 、 御 荷 物 参 拾 壱 駄 御 座 候 、 中 略 ︶ 後 々 た め 書 し る し 置 申 候 、 同 様 に 、 元 禄 四 年 の 参 勤 に 関 し て 、 そ れ ぞ れ 次 の よ う に 記 さ れ て い る 。 [ 料 18 ] a 一 同 四 年 未 二 月 廿 六 日 和 歌 ︶ 若 山 御 発 駕 、 坂 御 着 座 、 三 月 朔 日 熱 田 へ 御 渡 海 以 上 宮 崎 家 旧 記
b 一 中 将 様 江 戸 へ 御 発 駕 、 元 禄 四 未 二 月 廿 七 日 御 伴 安 藤 帯 刀 様 、 川 俣 ︶ か ば た 通 り ヲ 御 通 り 被 為 成 候 、 帯 刀 様 者 上 海 道 被 遊 候 、 つ い で 、 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ に は 元 禄 七 年 ・ 同 八 年 の 記 事 が な い が 、 元 禄 七 年 の 帰 国 に 関 し て 角 谷 家 文 書 ﹁ 往 来 御 用 留 書 ﹂ に は 次 の よ う な 記 事 が あ る 。 [ 料 19 ] 一 宰 相 様 江 戸 御 登 り 、 元 禄 七 戌 ノ 初 ノ 五 月 十 五 日 御 城 着 、 貝 塚 御 泊 り 、 す な わ ち 、 元 禄 七 年 五 月 一 五 日 に 和 歌 山 城 へ 到 着 し て い る こ と が わ か る 。 江 戸 発 駕 は 不 詳 で あ る が 、 慣 例 で は 貝 塚 伯 は お そ ら く 一 四 日 で あ ろ う 。 な お 帰 国 旅 行 は ﹁ 御 登 り ﹂ と 呼 ば れ て い る 。 ま た 元 禄 八 年 一 六 九 五 ︶ に 関 し て 、 三 浦 家 文 書 ﹁ 年 中 日 記 ﹂ 元 禄 八 年 二 月 二 七 日 の 記 事 に ﹁ 此 度 上 海 道 御 越 被 遊 候 ニ 付 、 太 井 瀬 御 場 へ 罷 出 御 目 見 仕 ﹂ と あ り 、 同 年 三 月 一 八 日 の 記 事 に ﹁ 宰 相 様 去 十 二 日 江 戸 御 着 ﹂ と あ る 。 こ の 前 半 記 事 の 上 海 道 上 方 街 道 ︶ を 行 き 、 江 戸 に 着 い た 後 半 記 事 の ︶ ﹁ 宰 相 ﹂ は 綱 教 で あ 21 ︶ る 。 当 年 の 綱 教 の 参 勤 は 和 歌 山 を 二 月 二 七 日 に 発 駕 し 、 三 月 一 二 日 江 戸 着 で あ っ た こ と が 確 認 さ れ る 。 さ ら に ﹁ 往 来 御 用 留 書 ﹂ に は ﹁ 元 禄 八 亥 二 月 廿 七 日 、 御 名 替 り 宰 相 様 江 戸 ヘ 御 発 駕 、 信 達 御 休 関 札 ハ 二 月 廿 七 日 ニ 御 打 被 遊 候 ﹂ と あ り 、 整 合 し て い る 。 信 達 宿 で は 休 憩 と な っ て お り 、 関 札 が 同 日 に 掛 け ら れ た 。 先 稿 第 10 表 ︶ で は 元 禄 八 年 の 参 勤 が 脱 落 し て い た 。 次 に 頼 職 に 関 し て 。 元 禄 九 年 ∼ 同 一 一 年 は 吉 宗 と 同 様 で あ る 。 元 禄 一 三 年 の 帰 国 は 光 貞 お 供 で あ り 、 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ の 記 事 四 六 九 ∼ 七 〇 頁 ︶ に よ り 、 八 月 一 一 日 暇 、 一 一 日 江 戸 発 駕 、 坂 経 由 川 俣 通 り で あ っ た 。 和 歌 山 着 は 、 九 月 二 日 に 光 貞 が ﹁ 和 歌 御 宮 仏 殿 へ 御 参 詣 ﹂ と あ り 同 前 ︶ 、 九 月 一 日 着 と 推 定 さ れ る 。 ま た 元 禄 一 四 年 の 参 勤 に つ い て 、 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ の 記 事 五 一 〇 頁 ︶ に は 、 五 月 二 七 日 和 歌 山 発 と し て い る が 、 江 戸 着 が 記 さ れ て い な い 。 三 浦 家 文 書 ﹁ 年 中 日 記 ﹂ 一 四 五
に 同 日 発 、 六 月 一 一 日 着 が 記 さ れ て い る 。 ま た 角 谷 家 文 書 元 禄 一 四 年 五 月 二 〇 日 ﹁ 平 内 蔵 頭 御 用 人 書 出 し ﹂ 四 二 一 六 ︶ に は 、 五 月 二 〇 日 に 信 達 宿 本 陣 関 係 者 が 和 歌 山 城 下 の 御 用 人 屋 敷 ま で 出 か け て 、 関 札 や 昼 食 に つ い て 事 前 相 談 し て い る こ と が わ か る 。 上 方 街 道 を 通 行 し た こ と は 言 う ま で も な い 。 元 禄 一 六 年 一 七 〇 三 ︶ 帰 国 、 宝 永 元 年 一 七 〇 四 ︶ の 参 勤 に つ い て は 前 稿 か ら 深 ま っ た 点 は 特 に な い 。 さ て 、 宝 永 二 年 一 七 〇 五 ︶ 紀 伊 德 川 家 を 継 い だ 内 蔵 頭 は 江 戸 に い た が 、 光 貞 の 危 篤 を 聞 い て 急 遽 、 早 駈 け で 帰 国 し た 。 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ に は 次 の よ う な 記 事 が あ る ︵ 五 一 〇 ∼ 一 一 頁 ︶ 。 [ 料 20 ] 七 月 帰 藩 、 看 清 溪 病 七 月 二 十 日 江 戸 御 発 駕 、 御 道 中 十 日 振 ノ 由 ニ テ 、 同 廿 五 日 北 伊 勢 御 通 行 、 若 山 へ 御 入 被 成 、 宮 崎 家 旧 記 中 略 ︶ 明 君 徳 備 抄 ニ 曰 ク 中 略 ︶ 七 月 十 九 日 ノ 夜 江 戸 発 足 、 昼 夜 ノ テ モ ナ ク 急 ギ 紀 州 ヘ 馳 登 ラ セ 給 フ こ の 記 事 で は 、 江 戸 発 足 が 七 月 の 一 九 日 か 二 〇 日 か 、 ま た 和 歌 山 到 着 が 何 日 か は 不 明 で あ る 。 一 方 、 ﹃ 城 下 町 警 察 日 記 ﹄ に は 和 歌 山 到 着 に つ い て 次 の よ う に 記 さ れ て い る 一 二 五 頁 ︶ 。 [ 料 21 ] 酉 七 月 廿 八 日 ニ 一 内 蔵 頭 様 御 入 部 被 為 成 候 、 但 シ 江 州 土 山 ヲ 廿 七 日 朝 御 立 に て 、 夫 ハ 御 宿 り な し ニ 、 廿 八 日 ニ 午 後 五 時 頃 ︶ 七 ツ 半 ニ 御 下 屋 敷 へ 御 入 被 為 成 候 而 、 午 後 一 〇 時 ︶ 四 ツ 前 ニ 御 本 丸 へ 御 着 座 被 為 成 候 、 御 は や が け 故 、 手 回 り 之 御 伴 中 計 中 略 ︶ 、 但 シ 午 昼 前 一 ノ 〇 時 四 頃 ︶ ツ ニ 大 坂 ノ 御 上 り 、 同 午 後 五 時 頃 ︶ 七 ツ 半 ニ 下 や し き へ 御 入 被 為 成 候 、 是 も 山 口 ノ 御 殿 ニ て 御 伴 中 ヲ 御 待 被 成 候 故 、 御 之 由 ニ 承 り 候 、 こ れ に よ れ ば 七 月 二 十 七 日 土 山 経 由 、 二 十 八 日 午 前 中 大 坂 、 午 後 五 時 頃 に 下 屋 敷 に 着 い た 。 出 発 が 十 九 日 な ら 足 掛 け 十 日 で あ る 。 相 当 な 無 理 で あ る 。 光 貞 の 死 去 は 八 月 八 日 で あ っ た か ら 、 死 に 目 に は 間 に 合 っ た が 、 こ の 無 理 が
表2 綱教の参勤・帰国 (改訂版) *典拠 料は表1に同じ。 ※注(6)前稿の第10表は廃棄する。 西暦 発着年月日 移動関係 着発年月日 参帰 経由等 『徳川実紀』 典拠 備 1688 元禄元.5.13 和歌山←江戸 元禄元4 帰 坂経由 『南』 初入 1689 元禄2.正 和歌山→江戸 元禄2.閏正 14 参 坂経由 閏正 14参府慰労 『南』 1690 元禄3.6.6 和歌山←江戸 元禄3.5 帰 上方・北伊勢 4.29就封暇給 『南』「留」 1691 元禄4.2.27 和歌山→江戸 元禄4.3.14頃 参 坂経由 3.15参勤拝謁 『南』「留」3.26宰相任官 1692 元禄5.(9) 和歌山←江戸 元禄5.9 帰 坂経由 9.2暇給 1693 元禄6.2.26 和歌山→江戸 元禄6.3.10 参 3.10参府慰労 『南』 1694 元禄7.5.15 和歌山←江戸 元禄7.(5) 帰 上海道 4.14就封暇給 「留」 1695 元禄8.2.27 和歌山→江戸 元禄8.3.12 参 上海道 3.15参勤拝謁 「留」 1698 家督相続> 元禄 11.4.22 綱教襲封伝え 1699 元禄 12.5.15 和歌山←江戸 元禄 12.5.2 帰 坂経由 4.15就封暇給 『南』 1700 元禄 13.2.27 和歌山→江戸 元禄 13.3.11 参 上方・北伊勢 3.11参府慰労 「年」143『南』 為隆・志摩お供 1701 元禄 14.5.25 和歌山←江戸 元禄 14.5.12 帰 上方・北伊勢 「年」145『南』 4.2御台、鶴姫訪問 1702 元禄 15.(2.19) 和歌山→江戸 元禄 15.3.9 参 坂経由 3.11参勤拝謁 『南』 1703 元禄 16.4.25 和歌山←江戸 元禄 16.4.12 帰 上方・北伊勢 3.27就封暇給 「年」148『南』「留」 1704 元禄 17.2.28 和歌山→江戸 元禄 17.3.12 参 上方・北伊勢 3.12参府慰労 『南』「留」為隆・伊達お供 1705 宝永2.4.29 和歌山←江戸 宝永2.4.15 帰 上方・北伊勢 4.2就封、餞 『南』「留」為隆・岡野お供 表3 内蔵頭頼職の参勤・帰国 (改訂版) *典拠 料は表1に同じ。 ※注(6)前稿の第12表は廃棄する。 西暦 発着年月日 移動関係 着発年月日 参帰 経由等 『徳 川 実 紀』 典拠 備 1696 元禄9.2.28 和歌山→江戸 元禄9.3.13 参 坂経由 3.15光貞参勤拝謁 『南』 4.14将軍に目見 1697 元禄10.5.16 和歌山←江戸 元禄 10.5.2 帰 坂経由 4.28光貞暇給 「年」138『南』「留」光貞お伴 1698 元禄11.2.29 和歌山→江戸 元禄 11.3.14頃 参 上方・北伊勢 3.15光貞参勤拝謁 『南』「留」光貞お伴 1700 元禄13.9.1 和歌山←江戸 元禄 13.8.18 帰 坂経由 8.11光貞暇給 「年」144『南』 光貞お伴 1701 元禄14.5.27 和歌山→江戸 元禄 14.6.11 参 上方・北伊勢 6.14参勤 「年」145『南』「留」 1703 元禄16.6.18 和歌山←江戸 元禄 16.6.2頃 帰 6.1暇給 「年」148 1704 宝永元6.(下) 和歌山→江戸 宝永元7.10頃 参 7.11参勤 『南』 1705 家督を相続> 宝永2.6.18 6.18襲封仰せ 1705 宝永2.7.28 和歌山←江戸 宝永2.7.20 帰 上方・北伊勢 『城』
内 蔵 頭 の 命 を 縮 め た の で あ ろ う 。 以 上 の 成 果 を ま と め た の が 表 2 ・ 表 3 で あ る 。 [ 三 ] 浄 円 院 の 動 き 林 寺 と 養 源 寺 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ に は 、 吉 宗 が 将 軍 就 任 後 の 享 保 一 〇 年 一 七 二 五 ︶ 一 二 月 に 、 浄 円 院 の 意 向 で 祠 堂 金 一 四 一 六 両 三 歩 が 京 金 御 蔵 に 預 け ら れ 、 そ の 利 子 金 一 七 〇 両 ・ 銀 五 が 、 江 の 林 寺 一 〇 〇 両 ︶ と 広 の 養 源 寺 六 六 両 ︶ の ﹁ 祈 祷 料 其 外 ﹂ に 下 さ れ た 。 そ の 後 金 額 は 半 減 さ れ た が 、 明 治 二 年 一 二 月 以 降 は 、 徳 川 家 の 家 令 所 か ら 年 々 一 二 月 に 下 付 さ れ て い る と 記 し て い る 第 一 六 冊 七 三 八 頁 ︶ 。 出 典 は 明 記 さ れ て い な い が 、 こ の よ う な 明 治 期 の 実 態 か ら 、 両 寺 は 浄 円 院 と 関 わ り 深 い こ と が 予 測 さ れ る 。 浄 円 院 の 動 き と の 関 わ り の 始 ま り に つ い て 確 認 し て お こ う 。 一 ︶ 林 寺 の 設 置 林 寺 林 禅 寺 ︶ 秘 仏 の 千 手 観 音 坐 像 光 背 裏 に は 次 の よ う な 墨 書 銘 が あ 22 ︶ る 。 [ 料 22 ] 此 千 手 大 士 者 安 阿 弥 之 上 々 作 也 、 昔 紀 州 根 来 山 之 中 数 室 院 有 七 観 音 、 同 作 也 、 其 中 之 一 尊 也 、 有 仏 縁 、 入 洞 上 宗 旨 、 伝 法 之 沙 門 天 旭 大 中 之 寺 、 仍 荘 厳 再 興 、 而 回 向 無 上 菩 提 霊 験 之 大 士 故 、 授 紀 伊 之 太 守 大 納 言 ︶ 亜 相 之 第 ︶ 弟 三 子 護 法 之 大 壇 那 平 新 之 助 、 令 守 此 之 武 運 長 久 ・ 子 孫 繁 栄 、 繁 盛 万 万 歳 、 元 禄 九 丙 子 年 菊 月 吉 祥 日 天 旭 記 花 押 ︶ 墨 書 を な し た の は 林 寺 開 基 の 天 旭 大 中 で あ る が 、 同 僧 の 記 す と こ ろ は 、 こ の 千 手 観 音 坐 像 は 昔 根 来 山 数 室 院 に あ っ た 七 観 音 の 一 つ で 、 曹 洞 宗 の 天 旭 の 寺 を 荘 厳 し て い る 。 こ の 千 手 仏 の 功 徳 を 紀 州 藩 主 光 貞 の 三 男 平 新 之 助 に 授 け 、 そ の 霊 験 に よ り ﹁ ﹂ 新 之 助 ︶ の 武 運 長 久 ・ 子 孫 繁 栄 を 祈 る 、 と い う 内 容 で あ る 。
年 代 は 元 禄 九 年 一 六 九 六 ︶ 九 月 で あ る 。 こ の 年 三 月 に 光 貞 が 頼 職 ・ 頼 方 新 之 助 ︶ を 伴 っ て 参 府 し 、 四 月 に 将 軍 に 初 謁 見 し 、 同 年 末 一 二 月 に 従 四 位 下 少 将 に 叙 任 さ れ る が 、 丁 度 そ の 中 間 の 時 点 で あ る 。 天 旭 が こ の 時 点 で 浄 円 院 の 下 へ 出 入 り し て い た か 否 か が 問 題 と な る が 、 も し 出 入 り し て い た な ら ば 、 光 貞 一 行 の 参 府 と そ の 目 的 を 知 っ て い た 可 能 性 が あ る 。 こ の 墨 書 銘 は 事 実 上 千 手 観 音 へ の 願 文 と 理 解 さ れ る 。 誰 の 願 い か と 云 え ば 、 少 年 の 域 を 出 な い 新 之 助 数 え 一 三 歳 ︶ が 、 将 軍 お 目 見 え 後 に 無 事 に 叙 任 さ れ 、 大 名 に 取 立 ら れ る こ と ﹁ 武 運 ﹂ ︶ を 祈 っ て い る の は 母 浄 円 院 で あ る 。 こ の 母 の 心 願 を う け て 僧 天 旭 が 仏 に 祈 願 し て い る の で あ る 。 母 浄 円 院 は か つ て よ り 知 っ て い た で あ ろ う 僧 天 23 ︶ 旭 に 祈 祷 を 依 頼 し た 。 と こ ろ で 、 同 寺 に は 天 旭 が 記 し た ﹁ 御 祈 祷 之 札 図 ﹂ と い う 記 録 が あ る 。 こ の 記 録 に は 宝 永 二 年 一 七 〇 五 ︶ 以 降 の 祈 祷 に 関 す る 記 録 が ま と め て 記 録 さ れ て い る 。 そ の 内 、 宝 永 二 年 九 月 に は 吉 宗 が 頼 職 か ら の 家 督 相 続 承 認 を 求 め に 参 府 す る の で あ る が 、 出 駕 に 先 立 つ 一 四 日 に ﹁ 転 読 大 般 若 経 勤 御 祈 祷 ﹂ め 、 ﹁ 其 御 札 ﹂ を ﹁ 御 乗 物 之 内 ﹂ に 納 め た と あ る 。 天 旭 は 吉 宗 ・ 浄 円 院 の き わ め て 近 い 位 置 に い て 、 重 要 な 祈 祷 奉 仕 を し て い る こ と が わ か る 。 吉 宗 は 参 府 し 、 一 〇 月 六 日 襲 封 許 可 後 、 同 七 日 に 将 軍 に 謁 見 し 、 礼 を 述 べ た こ と が ﹃ 徳 川 実 紀 ﹄ に よ っ て 確 認 さ れ る が 、 ﹁ 御 祈 祷 之 札 図 ﹂ に は ﹁ 御 座 之 間 御 対 面 、 御 懇 意 之 上 意 ﹂ と 記 さ れ 、 一 一 月 二 八 日 ﹁ 上 エ 様 中 略 ︶江 御 対 面 、 御 家 督 御 相 続 之 御 礼 御 祝 儀 御 勤 ﹂ と 記 さ れ て い る 。 ﹃ 徳 川 実 紀 ﹄ に は ﹁ 襲 封 を 謝 せ ら れ ﹂ 云 々 と あ り 、 符 合 す る 。 ま た ﹁ 十 二 月 七 日 従 浄 円 院 様 右 之 儀 為 セ 二 御 知 ラ 一 ﹂ と あ り 、 家 督 相 続 の 様 子 は 、 す ぐ に 一 〇 日 後 ︶ 浄 円 院 を 通 じ て 詳 細 に 和 歌 山 の 天 旭 の 耳 に 入 っ て い た 。 林 寺 の 開 基 に 関 し て 、 同 記 録 に は 、 ﹁ 宝 永 三 ︶ 同 年 三 月 十 日 、 従 浄 円 院 様 河 合 善 休 江 、 東 江 屋 敷 地 奉 上 為 御 悦 ト 御 祝 儀 ニ 金 子 百 両 被 レ 下 、 善 休 拝 受 ス ﹂ と あ り 、 ま た ﹁ 同 年 卯 月 日 、 従 浄 円 院 以 宮 中 ノ 島 村 林 庵 奉 指 上 者 、 為 御 祝 儀 金
拾 五 両 被 下 、 持 主 拝 受 ス ﹂ と あ る 。 こ の 記 事 の 意 味 す る と こ ろ は 、 宝 永 三 年 三 月 一 〇 日 に 浄 円 院 か ら 河 合 善 休 へ 、 東 江 の 同 人 屋 敷 地 の 提 供 に 対 す る 祝 儀 代 金 ︶ 一 〇 〇 両 が 渡 さ れ 、 ま た 四 月 日 に は 宮 郷 中 島 村 に あ っ た 林 庵 の 寺 号 を 金 一 五 両 で 買 い 取 っ た と い う こ と で あ ろ う 。 つ ま り 、 宝 永 三 年 三 、 四 月 に 浄 円 院 の 意 志 に よ っ て 東 江 村 に 新 し く 林 寺 が 生 す る 準 備 が 行 わ れ た と 理 解 さ れ る 。 ま た 現 在 同 寺 移 転 し て 和 歌 山 市 上 野 ︶ で 勤 行 に 用 さ れ て い る 大 に は 、 そ の 縁 に 刻 印 銘 が 確 認 さ れ る 。 [ 料 23 ] 右 回 り ︶ 奉 寄 進 紀 州 海 士 郡 東 江 村 梅 岑 山 林 禅 寺 願 主 和 歌 山 嶋 孫 左 衛 門 宗 胤 左 廻 り ︶ 宝 永 丙 戌 年 九 月 吉 日 堀 川 住 筑 後 大 掾 常 味 作 こ れ に よ れ ば 、 こ の 大 は 宝 永 三 年 一 七 〇 六 ︶ 丙 戌 九 月 に 京 都 堀 川 住 の 職 人 が 作 り 、 和 歌 山 の 嶋 孫 左 衛 門 不 詳 ︶ に よ っ て 林 寺 に 奉 納 さ れ た こ と が わ か る 。 お そ ら く 堂 宇 が 立 さ れ た 際 の 奉 納 で あ ろ う 。 吉 宗 が 藩 主 と な っ た こ と を 記 念 し て 、 祈 祷 で 貢 献 し た 天 旭 に 浄 円 院 ・ 吉 宗 が 寺 を 寄 進 し た 。 こ の よ う に 東 江 村 に 寺 地 ・ 堂 宇 が 整 備 さ れ た が 、 ﹁ 宝 永 七 庚 寅 年 六 月 廿 七 日 、 吉 宗 ︶ 中 納 言 様 林 寺 江 御 入 ﹂ と い う よ う に 、 吉 宗 は 帰 国 後 初 め て 参 詣 し た 。 ま た ﹁ 同 年 九 月 廿 日 ニ 、 浄 円 院 様 林 寺 江 御 参 詣 也 ﹂ と あ る が 、 浄 円 院 は 和 歌 山 に 居 り 、 参 詣 は 初 め て で は な い で あ ろ う 。 元 禄 九 年 一 九 九 六 ︶ の 千 手 観 音 坐 像 祈 願 か ら 宝 永 三 年 一 七 〇 六 ︶ 寺 地 設 置 ま で 約 一 〇 年 が 経 過 し て い る 。 そ の 間 、 種 々 の 祈 祷 、 祈 願 を 担 っ た と 推 測 さ れ る が 、 当 初 の 新 之 助 武 運 祈 願 が 家 督 相 続 と い う 形 で 実 現 し た こ と に よ り 、 浄 円 院 の 天 旭 へ の 信 頼 は き わ め て 深 く な っ た で あ ろ う 。 天 旭 は そ の 後 浄 円 院 の 下 へ 通 い 、 吉 宗 家 族 の 祈 祷 を 恒 例 的 に 勤 め て い る 。 ﹃ 南 紀 徳 川 ﹄ 第 一 六 冊 ︶ で は 、 古 老 の 談 と し て 、 湊 24 ︶ 園 の 住 職 僧 が 、 立 寄 っ た 吉 宗 の ﹁ 御 人 相 を 奉 感 、 天 下 御
相 続 に 相 違 無 御 座 旨 申 上 候 ﹂ と し 、 そ の 通 り と な っ た の で 林 寺 を 立 し 、 そ こ へ 移 っ た と 伝 え て い る ︵ 七 三 八 頁 ︶ 。 ま た ﹁ 一 説 ﹂ と し て 、 ﹁ 林 寺 の 開 祖 は 人 相 を 見 て 前 途 を 予 ︶ 預 言 す る ﹂ 。 吉 宗 が ﹁ 寺 辺 御 遊 歩 の 折 か ら ﹂ 、 開 祖 僧 天 旭 ︶ が 吉 宗 の 顔 を 見 て 、 ﹁ 近 き 内 高 位 に 登 ら せ 給 ふ 事 御 顔 容 に 顕 れ 候 ﹂ と い い 、 す ぐ 後 に 吉 宗 は 藩 主 と な り 、 さ ら に 将 軍 と な っ た の で 、 ﹁ 寺 御 立 、 四 町 四 方 の 場 所 ﹂ を 賜 っ た と の 内 容 を 紹 介 し て い る 同 前 ︶ 。 し か し こ の 古 老 談 や ﹁ 一 説 ﹂ は 、 林 寺 立 の 重 要 な 契 機 と な っ た 右 の 祈 願 や 浄 円 院 に つ い て は 一 切 触 れ て お ら ず 、 後 に 付 会 さ れ た も の で 、 歴 事 実 と し て は 間 違 い で あ ろ う 。 当 時 の 祈 祷 や 祈 願 を あ り の ま ま に 見 る べ き で あ ろ う 。 浄 円 院 は 吉 宗 が 将 軍 と な っ た 三 年 後 の 享 保 三 年 一 七 一 八 ︶ に 江 戸 城 に 移 る が 、 和 歌 山 を 離 れ る に 当 た り 、 次 の 直 状 を 残 し 、 毎 年 一 〇 〇 両 支 給 を 約 束 し 、 方 吉 宗 ︶ ・ 長 福 ・ 小 次 郎 の 定 例 祈 祷 を 依 頼 し た 。 [ 料 24 ] 林 寺 文 書 ﹁ 御 祈 祷 之 札 図 ﹂ 所 載 ︶ 浄 円 院 様 御 手 印 被 下 候 記 写 一 、 金 御 印 百 両 、 右 者 方 様 長 福 様 ・ 小 次 郎 様 年 中 為 二 御 祈 祷 料 一 毎 年 極 月 ニ 遣 シ 候 、 例 年 之 通 リ 御 祈 祷 被 レ 勤 メ 、 巻 数 ス 正 五 九 月 、 薬 込 頭 ラ マ デ 迄 可 レ 被 二 差 越 一 候 、 右 之 御 祈 祷 料 茂 薬 込 頭 遣 シ 申 筈 ニ 候 間 、 左 様 ニ 可 被 心 得 候 、 右 者 永 永 遣 申 候 、 以 上 、 戌 四 月 浄 円 院 御 印 林 寺 エ 以 上 の よ う に 、 浄 円 院 は 吉 宗 の 少 年 期 、 母 と し て 子 ど も の 無 事 ・ 成 功 を 願 い 、 縁 の あ っ た 僧 曹 洞 宗 ︶ に 祈 祷 を 頼 ん だ こ と が き っ か け と な っ て 林 寺 の 祈 祷 が 発 展 し た 。 二 ︶ 養 源 寺 の 設 置 と 大 黒 天 信 仰 つ い で 広 の 養 源 寺 に つ い て 見 て お こ う 。 ま ず 三 浦 家 文 書 ﹁ 年 中 日 記 ﹂ 正 徳 五 年 四 月 二 八 日 a ︶ 、 五 月 一 日 b ︶ の
記 事 か ら 見 て ゆ こ う 。 [ 料 25 ] a 一 浄 円 院 様 今 朝 和 歌 御 宮 江 御 参 詣 、 出 嶋 塩 津 江 御 渡 海 被 成 候 、 今 晩 者 椒 御 殿 ニ 御 宿 、 明 日 養 源 寺 へ 御 参 詣 、 又 椒 ニ 御 止 宿 、 日 御 帰 被 成 候 筈 、 b 一 浄 円 院 様 昨 夕 椒 御 帰 り 被 成 候 ニ 付 、 四 時 出 宅 、 御 下 屋 敷 へ 罷 出 、 伺 御 機 嫌 、 且 又 江 戸 仲 間 頃 日 申 越 候 御 内 証 目 出 度 御 事 の 御 歓 を も 無 急 度 申 上 候 処 、 御 二 番 目 様 の 御 事 ニ 付 、 急 度 ハ 不 被 仰 聞 候 、 以 下 略 ︶ 四 月 二 八 日 浄 円 院 は 和 歌 東 照 宮 へ 参 詣 後 、 同 所 の 出 嶋 か ら 海 上 を 塩 津 へ 渡 り 、 そ の 日 は 椒 に 宿 泊 し 、 翌 二 九 日 陸 路 、 広 の 養 源 寺 へ 参 詣 し た 。 そ の 日 も 椒 に 泊 ま っ た a ︶ 。 ち な み に 椒 に は 徳 川 家 の 別 荘 が あ っ た 。 b は 五 月 一 日 の 記 事 で あ る が 、 浄 円 院 は 三 〇 日 に 帰 宅 し た 。 家 老 三 浦 為 隆 は 浄 円 院 の 下 屋 敷 へ の 帰 り を 心 待 ち し て い た こ と を 示 し て い る 。 何 故 待 っ て い た か と い う と 吉 宗 第 二 子 懐 妊 と い う 情 報 を 得 て 、 ぜ ひ と も 浄 円 院 に お 祝 い を 言 わ ね ば な ら な い と え て い た か ら で あ る 。 四 月 二 四 日 の ﹁ 年 中 日 記 ﹂ 記 事 に ﹁ 殿 様 御 側 ニ 而 被 召 仕 候 女 中 懐 胎 之 人 有 之 、 当 月 被 着 帯 筈 之 由 ﹂ 、 江 戸 で 富 喜 兵 衛 が 為 隆 の 仲 間 へ ﹁ 内 証 ﹂ で 伝 え た と あ り 、 和 歌 山 の 為 隆 も 懐 胎 を 知 っ た 。 こ の 着 帯 は ﹁ 江 戸 御 内 証 懐 胎 之 女 中 、 先 月 廿 九 日 被 着 帯 候 由 ﹂ 五 月 七 日 ︶ と あ り 、 着 帯 日 は 丁 度 浄 円 院 が 養 源 寺 へ 参 詣 し た 日 で あ る 。 浄 円 院 は 当 然 な が ら 、 為 隆 よ り も 早 く 江 戸 か ら 第 二 子 懐 胎 の 情 報 を 聞 い て い た 。 ﹁ 当 月 被 着 帯 筈 ﹂ と い う 情 報 を 聞 い た 浄 円 院 は 、 四 月 二 七 日 ﹁ 浄 円 院 様 明 日 椒 へ 御 越 ニ 付 今 夕 者 上 候 ﹂ と 記 録 さ れ て お り 、 前 日 の 夕 方 頃 に 三 浦 為 隆 に 椒 宿 泊 を 知 ら せ た 。 し か し 懐 妊 の 件 は 内 証 扱 い で も あ り ︶ 安 産 祈 願 と は 告 げ な か っ た よ う に 思 わ れ る 。 告 げ ら れ た と し て も 三 浦 為 隆 は 、 な ぜ 養 源 寺 か 理 解 で き な か っ た で あ ろ う 。 第 一 子 長 福 の 懐 胎 着 帯 の 時 の 対 応 は 記 録 に な い が 、 第 二 番 目 の 孫 生 に 際 し て 、 家 老 三 浦 為 隆 に 目 的 も 知 ら せ ず 養 源 寺 へ 参 詣 し た の は 、 浄 円 院 と 養 源 寺 の 関 係 が き わ め て 私 的 で 、 半 ば 非 開 的 な こ と で あ っ た に よ る の で あ ろ う 。
こ の 点 は 浄 円 院 の 出 自 に 関 わ る 問 題 で も あ る 。 す な わ ち 浄 円 院 の 母 が 男 女 二 人 の 子 供 を 連 れ て 京 都 か ら 和 歌 山 に た ど り 着 き 、 母 の 病 気 で 行 き 倒 れ 、 城 下 大 立 寺 の 世 話 に な り 、 さ ら に 熊 野 へ の 巡 礼 途 中 、 養 源 寺 で 再 び 行 き 倒 れ た 。 熊 野 詣 で の 帰 路 同 寺 に 立 寄 り 、 紀 州 に 留 ま る 決 断 を し た と の 伝 承 が あ る 。 そ の 時 の 少 女 が 浄 円 院 で あ る と 判 断 さ れ 25 ︶ る 。 養 源 寺 は 浄 円 院 に と っ て か け が い の な い 存 在 で あ り 、 吉 宗 家 族 の 繁 栄 を 祖 母 浄 円 院 ︶ が こ の 寺 に 祈 願 す る の は 当 然 の 成 り 行 き で あ る 。 同 寺 に は 寺 宝 と し て ﹁ 大 黒 天 ﹂ 画 像 、 日 蓮 の 讃 ︶ が 伝 わ る が 、 そ の 由 来 と し て ﹁ 二 百 年 許 以 前 、 肥 後 国 の 廻 難 風 に ひ て 殆 覆 ら ん と せ し 時 、 舟 中 に 此 像 を 持 て る 者 あ り て 、 一 心 に 祈 念 せ し に 、 難 な く 広 浦 に 着 し ぬ 。 水 主 等 当 寺 に 来 り て 此 事 を 語 り 、 大 黒 天 の 此 地 に 留 ら ん と す る 意 あ る 故 な ら ん と て 、 当 寺 に 納 む と い ふ 。 ﹂ と 記 さ れ て い 26 ︶ る 。 ﹁ 大 黒 天 の 此 地 に 留 ら ん と す る 意 ﹂ は 浄 円 院 の 母 の 意 、 大 国 天 は 浄 円 院 ら 親 子 三 人 、 海 難 は 三 人 の 巡 礼 の 旅 を ア ナ ロ ジ ー さ せ た も の で は な か ろ う か 。 大 黒 天 の 由 来 に つ い て は さ て お く と し て 、 い ず れ に し て も 浄 円 院 の 出 自= 巡 礼 説 を 前 提 に し な い と 、 養 源 寺 へ の 参 詣 、 着 帯 祈 願 、 同 寺 へ の 信 仰 、 思 い 入 れ は 理 解 で き な い で あ ろ う 。 な お 、 同 寺 の 記 録 ﹁ 検 束 帳 ﹂ に ﹁ 当 寺 へ 両 度 迄 被 為 成 、 右 大 黒 天 御 拝 見 被 為 遊 ﹂ と あ る が 、 ﹃ 紀 伊 国 名 所 図 会 ﹄ に は ﹁ 御 潜 藩 の 日 、 宝 永 四 年 此 像 を 御 覧 あ り 、 翌 年 御 実 母 浄 円 院 夫 人 も 御 覧 あ り て 、 に 変 装 を 加 え 給 ひ 27 ︶ ﹂ と 記 さ れ て い る 。 表 1 の よ う に 宝 永 四 年 一 七 〇 七 ︶ は 参 勤 中 で 、 紀 州 に は 在 国 し て い な い 。 宝 永 七 年 に 帰 国 す る が 、 ど こ か の 段 階 で ﹁ 七 ﹂ を ﹁ 四 ﹂ と 誤 解 し た 可 能 性 が あ る 。 浄 円 院 は 吉 宗 よ り も 先 に 宝 永 五 年 に 参 詣 し て お り 、 母 の 動 き が 注 目 さ れ る 。 吉 宗 は 宝 永 七 年 一 七 一 〇 ︶ 五 月 ∼ 同 八 年 正 徳 元 、 一 七 一 一 ︶ 二 月 、 正 徳 二 年 一 七 一 二 ︶ 四 月 ∼ 一 一 月 に 帰 国 し て い る 。 同 寺 ﹁ 検 束 帳 ﹂ に は ﹁ 正 徳 卯 年 広 村 御 殿 跡 五 捨 間 四 方 程 之 所 不 残 寺 地 ニ 被 下 置 候 ﹂ 、 ま た ﹁ 寛 徳 院 様 御 殿 不 残 江 戸 表 舟 ニ て 御 積 廻 被 遊 、 右 拝 領 地 ヘ 本 堂 御 成 座 敷 其 外 諸 宇 共 御 立 被 遊 被 下 候 ﹂ と 記 さ れ て い る 。 お そ ら く
先 の 参 詣 後 、 翌 年 宝 永 八 年 正 月 ∼ 二 月 に 再 度 参 詣 が あ っ て 、 そ の 時 に 広 御 殿 の 空 地 を 養 源 寺 に 寄 進 し た と 推 測 さ れ る 。 正 徳 元 年 の 改 元 は 四 月 で あ る が 、 寺 の 言 い 伝 え は や や の ち に 記 さ れ た も の で 、 宝 永 八 年 を 正 徳 元 年 と 認 識 し 、 記 録 し た も の で あ ろ う 。 注 目 さ れ る の は 、 吉 宗 が 紀 州 へ 出 駕 し た 宝 永 七 年 四 月 の 一 か 月 後 、 正 室 眞 之 宮 理 子 寛 徳 院 ︶ は 五 月 二 二 日 に 流 産 し 、 六 月 四 日 に 亡 く な っ て い る こ と で あ る 。 吉 宗 が 翌 年 正 月 ∼ 二 月 に 養 源 寺 へ 参 詣 し た の は 、 こ れ を 紀 州 で 弔 う た め で あ ろ う 。 吉 宗 に と っ て も 養 源 寺 は 心 の 支 え と な る 特 別 の 寺 で あ っ た 。 こ の 時 、 寛 徳 院 追 善 の た め 養 源 寺 立 を 思 い 立 ち 、 決 断 し た の で は な い か と 推 測 さ れ る 。 た だ し 、 一 周 忌 の 法 要 が 六 月 四 日 江 戸 で 執 り 行 わ れ て い る か 28 ︶ ら 、 具 体 的 な 着 手 は そ れ 以 降 で あ ろ う 。 寛 徳 院 御 殿 の 資 材 は 翌 正 徳 二 年 一 二 月 に 江 戸 作 事 所 で 荷 造 り さ れ 、 二 艘 で 海 路 紀 州 に 運 ば れ 29 ︶ た 。 帰 国 年 正 徳 二 年 に 養 源 寺 普 請 石 垣 ・ 地 平 シ ︶ は 進 し 、 同 年 吉 宗 が 江 戸 参 勤 に 出 発 し た 約 一 年 後 、 移 築 の 様 子 を 、 養 源 寺 は 江 戸 詰 め 重 臣 の 富 喜 兵 衛 に 手 紙 を 出 し 、 報 告 し た 。 そ れ に 対 す る 返 30 ︶ 書 が 次 の 料 で あ る 。 [ 料 26 ] 富 喜 兵 衛 重 基 書 状 御 札 令 拝 見 候 、 如 来 意 、 殿 様 ・ 長 福 様 益 御 機 嫌 能 被 為 成 御 座 、 恐 悦 御 同 前 之 御 事 候 、 於 其 御 地 浄 円 院 様 益 御 安 全 被 為 成 御 座 、 奉 恐 悦 候 、 然 者 此 度 、 従 浄 円 院 様 養 源 寺 御 立 被 仰 付 、 本 堂 諸 宇 結 構 出 来 、 忝 と の 御 事 御 尤 存 候 、 弥 御 繁 昌 之 御 祈 祷 可 被 成 と 目 出 度 奉 存 候 、 猶 重 而 可 申 達 候 、 恐 惶 謹 言 、 十 二 月 廿 九 日 富 喜 兵 衛 重 基 花 押 ︶ 養 源 寺 様 御 報 こ の 返 書 で は 、 江 戸 の 吉 宗 と 長 福 の 無 事 の 様 子 を 知 ら せ 、 和 歌 山 に い る 浄 円 院 の 安 全 を 歓 び 、 そ の 上 で 養 源 寺 築 の 様 子 を 確 認 し て い る 。 築 は ﹁ 結 構 出 来 ﹂ と の こ と で あ る 。 こ の 年 代 は 本 堂 が ﹁ 結 構 出 来 ﹂ と あ り 、 っ て 資