シ
ン ハラ
仏 教
徒
の再
生
観
に
つ い て ス リ ラ ン カ ・ウ パ ン ガマ村
で の聞 き
取
り
事
例
の分 析
か ら大
岩
碩
序
1992
年4
月か ら約
一年
間, ス リラ ン カ内陸部高
地 の村 (
仮 称 :ウパ ン ガマ村
)に通っ て , 村 人の生活
に係
わる機 会を得
た 。村
は, 南西部 沿岸の コ ロ ン ボ と内 陸 部の 都 市マ ハ ・ヌ ワ ラ (キ ャ ン デ ィー)を結ぶ 鉄 道 と国道…号
線に 沿っ て, その北 側に位 置 して お り, マ ハ ・ヌ ワ ラか らバ ス で40
分 程の 所にあ る。1
年 聞の 滞在
で,村
人が再
生 とニ ル ヴァ ーナ (シ ン ハ ラ語で は , ニ ワ ナ と言 う)につ い て , どの ように捉えて い る の か を調べ たい と思っ て い た。 と もにどう思 うか ,考
えるか とい う観
念 的 な 内容になるの で , 聞 く者の 態 度や考
え方
が偏 差と して 入 り込む余
地 が大
きい 。 これ を避け る た めには , こ れ ら の観念
が どの よ うに捉 えら れてい る可 能 性が あるの か をで きるか ぎ り把 握 し て , 聞 き取 りに臨 まな け れ ばならない 。 こ うしたこ とか ら,筆
者は,村に入 っ た最初
の6
カ月余 り , 調査はせず,寺
の 住 職か らシ ンハ ラ語を習い なが ら,寺
でぶ らぶ ら して過ご した。寺
に住む若
い 僧と雑 談 した り,寺
に さ ま ざ まな 用 で や っ て来る村 人 と話
しをした り , 寺の 前 を走る鉄道
の踏
切 小屋で ,踏切番
の 人 たちや小 屋 に集 まる村
人と歓
談 し た り, そ こで昼寝
を し た り, とにか く目的を もっ て調 査 をす る こ と な く, 寺の事 あるい は寺
を め ぐる出来 事 を観 察 する 日々 を過 ご した。 その 中で, 再 生や ニ ワ ナ につ い て見聞
きしたこ とが, 聞き取 り をする際
の 予備知
識 あるい は前 理 解 となっ た。 小 論で は, こ うした 見 聞を踏まえて 行っ た, 聞き取 り調 査の 分 析 に基づ き, ウパ ン ガマ 村の 人々 の 再 生観の考 察を行い , それ を介 して , シンハ ラ仏 教徒
の 再生観に言 及 するつ 佃 バ ーリ学仏 教 文 化 学 こ とにする、、
fs
寺
の 生 活 で 見聞 き した
こと
(1
) 再生につ い て村人の 中に再生実 話を 見 聞 き した 人々 がい る。
P
氏の話 し に よれ ば ,1962
年
頃の ある 日, 隣村か ら3
,4 歳
の 娘 を連れ た母 親が村に や っ て きた。娘
は 自分が知っ て い る家は こ こだ と言っ て, 母 の手
を掴んで家の 中に 入 り,自
分 の部
屋 は こ こ で, 白分が使っ てい た机は これ だ とい うよ うに案 内して 回っ た。 その 家の 父 親の 名 前や職業
を口 に した。 すべ て 正 し か っ た。P
氏の 家に も来 て , こ こ に看 護 婦を し て い た 人 が い た と言
っ た。確
か に, そ の 頃P
氏の妹
が看
護婦を し て お り, 一緒に生活 して い た とい う 。 当該の 家の 息 子が6
歳の 頃,1958年
に黄熱病
で死んで お り, そ の3
,4
歳の 娘が 自分の部屋 と言っ た の は, その 息 子の 部屋 であっ た。 母 は娘が こ の村 に 来るこ と を恐れ,遠
くに 引っ 越 して行
っ た と言う
。 また,R
さん の 二 番 日の 息 子が2
歳半 ぐ らい の こ ろ,村の事
, 寺の事
, 象の事
を話
し始
め, 酒 を飲み たい と言い 出した。 こ の 時, 母で あるR
さんは ,す ぐ, ご主人の 父親つ ま り祖 父の事
を思い 出 し た とい う。 祖父 は村
の有
力 者で あ り, 寺の 仕 事 を熱心 に し てい た し, 近 くで 象を飼
っ て い た こ とが あ り, 酒飲み で もあっ た とい う。息
子は , 成長 する に 従 っ て, そ うした話
し は し な く なっ た の で あるが,R
さん は その息
子が祖
父の生 ま れ変わ りだ と考えて い る、,この よ うな再生実 話は新 聞に も載っ て お り,筆
者が滞在
した1 年
あ まりの 間に, 数件そ うした新 聞記事
を見せ て も ら っ た。他 方,再生 は, ある
種
の 説 明原 理 と して用い られ てい る。 隣村の 学校
の教師
を して い るA
氏 は, 鉄 道 沿い の 踏 切 近 くの 家を借 りて住ん で い る。村
の 出身
で ない彼
は 限 ら れた村 人と しか交 際 し な い が , そ の 中の 一 人 がB
氏で ある。B
氏 は鉄道 の 踏切番
を して お り, そ こ に は,B
氏の 他 に も3
人の 踏 切 番が い る。A
氏 は, 自分が なぜ4
人の 踏 切番の 中でB
氏 との み 親 しい の か を, 「前
世 で白
分 とB
氏は親 戚か兄 弟で あ っ たからだ」 と説 明 して い る,、シ ンハ ラ仏 教 徒の再生観につ い て
3
彼は大 学 を出て い る が ,大 学 に入っ て, 以 前か ら何 と な く捉
えて い た再 生 が事
実で ある と確信
する に至っ たと述べ て い る。筆
者は , 先 に述べ た ように, 踏 切 小 屋 にたむろ し てい たの で, 特 にB
氏と は親 し くなっ た。 こ のB
氏 も ま た筆 者に対 して , 二 人 が か くも親 しい の は ,前 世で 二 人が兄弟
であっ たか ら だ と言
い ,同意
を求
め て きた。 こ の よう
に親友
になる と, 二 人 は前 世にお い て 親戚
か兄弟
で あっ た と説 明さ れ る。 他 方,公の 場での ス ピ ー チで も , こ の 再 生 を説明
原 理 と した話 しはたびた び 出て くる。 住職
が筆者
を村 人に紹介
する際に, ピン カマ(
仏 教 行事)
の説教
の後
で あっ た が,筆
者が村 人 あるい は寺
と密 接な関係
を長年
持 ち続けて い るの は ,筆 者が , 前世 におい て, この 村に住み, 互い に親
族で あっ たか親友
で あっ た た めで ある と述べ て い た 。この よ
う
に, 再生 は 日常 生 活の脈絡
の もとで実 感 と して感 じ られ て お り , 学歴 が高い か ら再生 に懐 疑 的 とい うこ と も な く,再生 はな か ば事
実と して 意 識さ れ て い る。寺
に住む犬をみ て も, 村人 は誰かの生 まれ変
わ りか も しれ な い とい う 。 こ こ に は筆者 自
身 も再 生 を事実
と思い た くな る ような雰 囲気が あ る。 従っ て, 逆 に, 再生 を否 定 する 人 が い れ ば, その答
えの背
景に ,特
に注
意
しなけれ ば な らない と思っ た。 また, 再生する と答
える 人 が多
い と予 測で きる が, こ れ らの 人々 には, 何 処 にあるい は何
に再生 したい と思 っ てい るの か, そして, 再 生の最終
目標
を何に おい て い るのか を確 認 し な け れ ば な らな い と考えた。(
2)
ニ ワナ につ い てニ ワナ も ま た , 日常 生
活
の 中で見 聞 きする言葉
である。寺
には,菩提
樹や 鐘架
の照 明に使
わ れ る電気
, 僧 坊の トイレ,僧坊
にある長い机や椅 子 など,寄
進 さ れ た色
々 な物がある 。 そ うした物を寄進
した人々 を記 念 して , それ ぞ れ に どこ の 誰が 寄 進 し た か を 書 き記 して ある。 そ こ に は 「ニ ワ ンサ
ァパ パ ター」(
ニ ワナの 至福を願っ て)
とい う文 言が常套句
と して 記されて レ潔
。 例 え ば, ト イレの扉
の 上 に は, 「マ ハ ヌ ワ ラ のS
書店
の店
主Jt
氏が ニ ワ ナ の 至福
を得る こ と を願 っ て,Jt
氏の奥
さん と そ の子 供た ち か ら , この トイ4 パ ー一リ学仏 教 文化学 レが献納 され ま した。
1988
−10
−09
」 とい うように書か れて い る。 これ は, 亡 き夫(
父)
の 供 養の ため に, 家族が トイ レ を作る費
用 を寄 進 した とい う内容 で ある。他
Jf
, こう
したニ ワナ に関わる文 言は,葬儀
の案
内文 に も見ら れ る。 案 内 文に は ,葬 儀が い つ何
処で 行われ るか が書か れて い る。 家 入や親 戚,友
人が, 葬 儀 屋 に依 頼 して印刑
し,道路
に面し た電柱や家の壁 に貼
っ て, 葬 儀 の 日時や場 所を告 知 する,, その紙
而の 中央
には故 人の名前
が書
か れ, その す ぐ下 に, 故人 に対 して ニ ワ ナの 至 福 を願 う 「ニ ワ ンサ ァ パ
ラ ァ ベ ー ワ」
(
ニ ワ ナの 至 福 を人手
で きます
よう
に)
とい う文 言が印刷
さ れ い て い る。 葬 儀屋 が葬 儀 を取 り仕
切る前
は,案
内 文 を村 人 が書い て,各所
に貼
っ て い た と い う。 従っ て, こ の文言は, 葬儀屋 によ る葬式が普 及 した か ら使
わ れ る よう に なっ た わけでは な く, 以前
か ら, 案 内 文の 常 套句
と して使
わ れて い たの で ある、,一一方,寺で行わ れ るピン カマ の 際の 説 教の 折 りに も,僧が説 教を
終
える時 に 言 う常 套句
の 中に, ニ ワナ という言
葉が必 ず 出て くる。僧
は, 「説
教 を聞 い て 生 じた功徳
に よっ て, こ の 世の すべ ての 人々 が ニ ワナを 入手
で きる よう
に, ま た ,こ の 功 徳を神
々 に 回向し,神々 がニ ワ ナ を 入手
で きる ように, さ らに, こ の 功徳
を死者
に 圏向 し, 死 者がニ ワ ナ を 入手
で きる ように願い なさ い 」 と述べ て 説 教を終
わ る 。 また, 「マ イ トゥ リ ー仏 陀に会
っ て , その説
教 を聞き, ニ ワ ナ を 入手で き ますように」 とい う句
を説教
の 終わ りに朗 誦 する 場合
も多
い 。他方
, ニ ワナに関
わ る語句
に は, 先の ニ ワ ン ・サァ パ 以外
に もい ろい ろあ るが , 中で もニ ワ ン ・ダ ァ キーマ (ニ ワ ナ を観る事)
, その動詞形で あ るニ ワ ン ・ダァ キ ナ ワー(
ニ ワ ナ を観る) とい う言い方
が よ く使
われ る。 先の マ イ トゥ リー仏 陀に会 っ て ,ニ ワ ナ を入手
する とい う僧の 言 葉は, 普 通, 「マ イ トゥ リーブ ドゥ ン
ダ ァ カ ラー
ニ ワ ン
ダ ァ キ ン ナ
オー ネ」
(
マ イ トゥ リー仏 陀に会っ て ニ ワナ を観たい)
とい うように言わ れる。 ま た , 「ニ ワ ナ を観た よ うな」 の 意味
である 「ニ ワンダァ キ ン ナ
ワゲ ー 」 とい う慣 用
句
もある。 大 変 難しい 仕 事を なし とげた時 とか,力仕事
を して 疲れ きっ てシ ンハ ラ仏 教 徒の再 生観につ い て
5
帰 宅 して水 浴びをした直後
と かの気
分 を表
現 する語句
と して用い る とい う。 また, ニ ワナ は, 「 ドッ クナ ァ テ ィ キ リーマ 」(
苦の 消 滅)
で ある とい う言い 回 しもか な り耳
に した。 こ の場 合, その苦 をどう
捉 える か に よっ て, 二 つ の 解 釈が可能
である。寺
に住
む19
歳
になる若
い 僧 と, ニ ワナ につ い て話 し て い た時,彼
は, 「 イパ デ ィ ーマドゥ カ イ。 ドッ ク
ナ ァ テ ィ キ リーマ タ
ア ピ ニ ワ ン ダァ キ ン タ ピン カラナワー」
(
生 まれ るこ とは苦
で ある。 苦 を消滅す
る た め に,我
々 は ニ ワ ナ を観
ようと し, 功徳
を行
う) と説 明 して く れ た。 こ こで は , 生 きる こと自体が苦で ある か ら,苦
の消 滅には 生 の消滅
が 必 要で あ り, そ れ を 目指
して功 徳を行 うという
意味
に なり, この場 合の 苦は, 生 きるこ と自体
を意味
し,苦
を な くすこ とであるニ ワナ は 「生 の消 滅」 と捉 えられて い る。 これに対
して, この ドッ ク ・ナ ァ テ ィキ リ ーマ は, ニ ワ ン ・ サ ァ パ と も関連 してい る。 先に述べ た ように,葬儀
の告知文
にニ ワ ン ・サ ァ パ が使わ れ るが , こ れ は, ニ ワナ が 生 の 消 滅 を意 味 する な ら, 死 者に対 して , 再び 生 まれて こない ように と願 うこ とに なる。 この 点を どう思う
か と, 元僧 である村 人と話 してい た とこ ろ,彼
は苦
笑 しなが ら, そ れ はニ ワ ン ・サ ァパ が 「苦
の ない状 態 」 を意味
して い て, 再び 生 まれて くる場合
には, 「苦の な い 状 態」 に生まれ て くる ように と願っ ての こ と だ と し , ニ ワ ナ が そ う簡単 に 入手
で きない こ とを皆 知っ て い るか ら,告
知 文で の ニ ワ ナを 「生の消
滅」 と して よ りも, 次の 世での 「困難
i
の ない状態
」 とい う意 味で捉 えてい る と思 う と説 明 して くれ た 。 この よう
に,苦
の根 源を考 えるニ ワ ナの 捉 え方か ら言え ば, ニ ワ ナ は 「生 の 消 滅 」 に な り, ご く普
通の捉え方か らすれば, ニ ワ ナ は 「困難
の ない 満 足で きる幸
せ な状 態」 を意味す
る。 とすれ ば, ニ ワナ を 至福
とか苦
の ない状態
と捉
える場 合で も, その 意味
する とこ ろ は二通 りあるこ と に な る。後 者
で は, 「生 の消 滅 」 は意 識 さ れて い ない 。 先に言 及 した 「ニ ワ ンダ ァ キ ンナ
ワゲ ー」 とい う慣 用
句
の ニ ワ ナ は ま さに後 者 を意味
して い ると言 えよう。こ の ように,村 人はニ ワナ とい
う
言葉
を日常生活の 中で見 聞き して お り, ニ ワナ につ い て尋ねて も何ら かの答
えが返っ て くる と予想で きる。 しか し,
6
パ ーリ学 仏 教 文 化 学 その 内容
は 一様では ない と考え られ る。 ニ ワナ を至 福 と答 える 人 がい て も, そ こ には二 つ の 捉 え方があ り得る。 生の消
滅 と捉
えて い るの か, そ れ とも世俗
的意 味で の 至福なの か は わ か ら ない 。 聞 く際 に, ニ ワナの 至 福 を得た後,再
生 し続
ける と考
えてい る の か, そ れ と も再 生 は もはや しない と捉 えてい る の か に注 意 し なけれ ばならない と考
え た。 ま た, マ イ トゥ リ ー仏 陀に会 っ て後
, ニ ワ ナを人手する と考えてい るか否か も,確か め な け れ ば な ら ない 点で あっ た。 以L
が, 聞 き取 りをする前 に, ニ ワ ナ を めぐっ て懐
い てい た,筆
者 の 「前理 解」 である。2
.聞 き取
り調
査
の結果
(1
) 聞 き取 りの対 象 ・状 況 ・質 問 項 目 (2)寺の ダーヤ カ は
1992
年の 時 点で約180軒
で ある。 当寺
で は, 現在
, 寺の 行 事 (ウ ェ サ ッ ク祭/雨安
居 期 間の菩
提 樹 供 養 と ダーナ / カ テ ィナ法 衣 会)
に 際して , 印欄 物 を配付
して, 個々 の ダ ーヤ カ に行事
の 日時
を知 らせ る と とも に, 布施の 内 容を確 認 して い る。 こ うした方法
は, 当寺
独 自の もの で あり, 一 般的には, その都 度, 前 もっ て 寺にダ ーヤ カを集め て説 明 する方法 を採 る 。 行事
前に,各
ダ ー ヤ カの 意向
を印翩
物で把 握 する こ とは して い ない 。筆
者は カ テ ィ ナ法 衣会
の案
内文
の ダーヤ カへ の 配付に付 き合っ た。 配 付 役はB
氏 とG
氏で あっ た。 両氏 と もに寺
の 連絡係
を してお り, 住 職の 指 示で あ るい は ダ ーヤ カサバ ーの仕事
と して ,村
人に伝
言を伝
えて 回る役をこなして い る。 配付 さ れ たのは,181
枚で あっ た。181
軒の 家 を回 り, 布施 する食 事や飲み物 の種
類やその材料
の 提供の確
認, そ して ア タ ピ リカラ等の 割 り当て を して 歩 く。法
衣 会の煎
日 には徹
夜 ピリッ ト が予 定 さ れて お り, 多 くの 僧が寺で寝 泊 ま りす る し, また, 法 衣 会 当 日の 昼の食事
を何 人分 も用意
しなけれ ば ならな い 。 相手の 意向
を確 認 し, 例年
通 りで よい か とか今年
は どうす る か と聞い て 回る の で ある。こ の
寺
の ダ ー一一ヤ カ181
軒の 内, 約10
軒 約110
人か ら話 しを聞い た。 出来る か ぎ り, 結婚して 家 庭 を持
つ 人で30
歳 以上 の 人を選ん だ。当
初,10
数年
来のシ ンハ ラ仏 教徒の再 生観につ い て
7
親 友で あるB
氏 とG
氏が付 き添い , 筆 者の シンハ ラ語の 理解
しに くい とこ ろ を相 手に説 明 し て くれ た。 先に述べ た よ うに 二人は寺の 連 絡係 をしてい た の で,二 人 が付 き添 っ て訪 ねて来る こ と に違 和 感 を持つ 村 人はい なかっ た し, 二人 とも敵
の い ない 円 満 な人柄であっ た の で,彼
ら二人が来て も拒否
する村 人 はい な かっ た。 ま た ,慣れて くる に従 っ て,自分 一人で行 くように し た が , 相手
が女 性の 場 合に は二人の 内一 人に付 き添い を頼ん だ。質
問文
は作
らず,質
問したい 項 目を念
頭に 入れて 聞 き取
りに臨む よう
に し た。 項 目と して , 先 に述べ た再生 やニ ワ ナに関 する予 備 知 識 ・前
理解
を基に , 次の よ うな4
つ を用 意 した 。死
後
再 生す
る と思 っ て い る のか,再生 す る と し て何 に再生 した い と願 うの か,
ニ ワ ナ につ い て どの よ
う
に考
えて い る の か ,ニ ワナ を観る ため にマ イ トゥ リー仏 陀に会 う必 要が あ る と思 (3> うかの
4
項 目である。 その 他, こ こ での テ ーマ とは直接 関係
し ない項
目につ い て も質
問した。道端
で会
っ て立 ち話 しをしな が ら という
こ と もあ っ た が , 基本 的には家に訪ねて い き,家の中に入っ て 聞 き取 りをした 。 出来 る 限 り雑
談
をしなが ら聞
くよう
に し,話
しの成
り行
きに任
せて順番
を変 え, 相手
に合
わ せ て その表
現の仕 方
も変
えた。 そのた めに, 結 果 的には,4
つ の項
目 を そ れ ぞ れ別 個に切 り離 して,関連づ けずに質 問し たこ と に な る。(
2)
聞き取 り の結
果約 110
人 の聞
き取
りの内
,内容
を充 分 に把握
で きる98
人につ い て 検 討 する こ とにする。98
人の内
, 再生 する と答 えた人が90
名, 再 生す
る とは明言 しな かっ た人が8
名
で あっ た。後者
につ い て は, 興味
深い答
えが返 っ て きた。 そ こには, 次 世 よ りも, この 世 つ ま り現 世 こそ大
切 で あ るとい う考え方が 顕 著 に見 ら れる。 しか し, こ こ で は,紙
面の都 合
上,詳
しく検討
するこ とがで き ない の で, 別の 機 会に論 じたい 。 以下, 再 生 を確信
す る人々 の 見 解 を詳 述 す る こ とにする。〈
再生につ い て〉
聞
き取
りに際して,当
初の 予想
どお り, ほ ぼ90
%の人々 が 再 生す
る と考
え8
パ ・一リ学 仏 教 文 化 学 てい る。 中に は, 再生実話 を 例 に出 して, 再生 は証 明で きる と答える人 もい た。 一般 的に は , 善 業を な し功徳を積め ば良い 所に, 悪 業 を なせ ば悪い 所 に 生 ま れ変わる と答える人 が多
か っ た。善
業悪業
の結 果が再生形 態に結 びつ く とする考え方が 人々 の 間に浸透 してい る。 こ の再生する と確信 する人々 に, どこ に再生 したい と思 うか を聞い た。 人 間界に再生 したい と答 えた人が63
名, 神 界に と答え た 人 が/5
名,一旦神 界 に再生 しそ れ か ら 人間 界へ とし た人が9
名, 何 処 へ 再生 したい と願 うこ とがで き ない と答え たのが3
名で あっ た。多
くの 人 が 人間 界へ の 再生 を予想
し,期待
してい る。 人 間界 と答 えた人々 は, 皆一様 に ,神 界へ の 再生 を願 うこ とに否定 的で ある 。 その 中には, 功 徳 を莫 大に積ま ない と無理で ある と諦め てい る入 もい たが, ほ とん どの 人た ちは,神
界へ の 再生 を一種
の 「か け」 と考
えてい る。神
界では功 徳 を積めず, 唯 一一 功 徳 を得る機 会は , 人間が功 徳を回向
し た時で ある、, 自ら功 徳 を積め ない か ら,神 界におい て終
局を 迎 え, 再び 生 ま れ変わる際に, 功 徳 を使い 果たす結
果と な る。 従っ て, た と え神
界に再生 し た と して も, 悪 業の つ けが 残っ て い る と,次
世で は動物
界に再生する こ と もあ り得る。 こ うした冒 険を冒 して ま で 「か け」 を し, 神 界に 再 生 す るこ と を願 うよ り も, 功 徳の積める唯 一 の世 界で ある 人間 界に再生 し続
けた方
が良
い と書う
の で ある 。 こ れ に対 して ,90
名
中15
名
と少 数
で あるが,神
界へ の 再生願望 を持つ 人々 がい る。 そ こ に は,神
界で功徳
が積め ない とか,神
界に生 ま れて も, 再び 生 ま れ変わる とい う認 識はない 。 そう
した人々 に とっ て ,神界
は, 再 生の最終
的到達点
なの で ある。他方, tiil」*申界 に再 生 して後, 人 間界に 再 生 したい とす る
9
名の人々は , 神 界で の1
日は 人 間界 の1
〔〕0
年に相 当 するか ら,神 界
へ の 再 生 に よっ て , 輪 廻を短 縮す るこ と, つ ま り生 ま れ変わ りの 回 数を減らすこ とが 可能
で あ り, 神 界に再生で きる程の 膨大
な功徳
があっ たの だか ら, 再び人間界
に 再 生する こ とがで きる と考
えて い る。神
界で の 時 問の経 過は緩 ’1
曼であ り , しかも,神
界へ の再 生 を 可能にす る 功徳の 量 は膨 大で あ るか ら , 功 徳の消 滅にそんな に 簡単
に直
面 する はずが ない とい うの で あ る。 しか し, な ぜ,神
界に再生 して か ら, わざ
わ ざ再び人 間界に再生 したい と考 えるの で あ ろ うか。 その理 由 をシ ンハ ラ仏 教 徒の再 生 観につ い て
9
明確
にする た めには, ニ ワナに関す
る村
人の捉
え方
に言 及 しな けれ ば な らな い 。 こ の 点につ い て は後
に詳
しく触
れ る。一方,再生 を
希
望 するこ と は無理 である と捉 えて い る 入 は男 性3
名だが , 彼ら は, 次 世で の再
生の形態
を決定
するの は, 死の直前
の心的状態
であ り, どう
いう
状態
で死ぬの か を予測
で きない 以 上, どこに再生 したい か な ど と希 望する こ と は意 味がない と言う
。 こう
した死の直 前の 心 的 状態
が次
世 で の 再 生形態
の決め手
と な る という捉
え方 は, 村 人の間
に行
き渡
っ てい る。 厂動 物 に再生 し た と して 再び人間
に再
生で きる もの なの か」 を聞い た際に, か な り の 人々 が ,死の直 前に何 事か心配事
や 怒 りが ある と動 物 に再 生 する と答
え, しか し, そ れ は 一 時 的 な事
柄で ある か ら,功
徳 を多
く積
んだ もの は,動
物に再
生 した として も,短
期 間に死 に,再
び人 間に生 まれ変わ っ て くる と説 明す る。 ま た, 「現 世で積ん だ功徳
の結 果 を現 世で受け取 る こと がで きる の か」 (4) との 問い に対 して,多
くの 人々 がで きる と答
え, 功 徳 を多
く積
ん だ者
は, そ の結
果 と して, 現 世での 最後
つ まり死
に際
して, 恐れ が ない 状 態で死 ねる と いう点
を例 証 とし て挙 げて い る。 こ れ は ,再生 の直 接 要 因が 死の直前
の 心 的 状 態に あ る と言 及した答えで は ない が,村
人の 死の 直 前に対す
る関心の深 さ を表
して い る。 こう
した考
え方 に基づ い て, 再生 を次 世の み に 限定
す る 「近視
眼」 的見 方で捉 えよう
とすれ ば, 死の直
前に どの ような状 態でい る か は予 想で きない か ら, 何に再生 したい と は言
えない とい う答 えが返っ てく
る こ と になる と言
えよう
。この ように,
大
半の人 は ,人 間が神 に も動
物に も再生する可能性 を持
ち , 逆に,神が動 物や人間に, 動 物が人 間に再 生す
る こ ともある として い る。先
の 「動物
に再生 し た と して再
び人 間に再 生で きる もの なのか」 を57
名の 人 に 聞い た が ,45
名(
男性
23
名
,女 性22
名 )が 可能 と答 え, 不 可 能 と したの は12
名 (
男 性5
名,女 性7
名)
で あっ た。 ま た, 「困難 に直
面 した時 どの よう
に するの か」 を65
名に聞い た際,神
に功徳
を回向
して援
助 を得るとか,神
は功徳
を欲 しが っ てい るの で善業
をする人 を見
て助
ける と答 えた人が57 名 (
男性19
名
,女
性38
名)
い た。残
りの8
名 (男 性7 名
, 女性
1
名
)
は,神 界
が こ の
10
パ ーリ学 仏 教 文 化 学 世の 中に ある と して ,神 界の 存在
を否 定 してい る。 この 答 えか ら,多 くの人 が,神
を功 徳を必 要 とする存在
と見
な して い る こ とが わか る。 これ は , 神 も また , 再生 の 過 程にあ る もの と捉
えら れて い る こ と を意 味 する と言え よう。す
な わち, 聞き取 りを し た 人 々 の 大半が, 人 ・神 ・動 物の 聞で 相互 に生 まれ変
わ る可 能性が ある とい う再生観
のド
で , そ れ ぞれ, どの ような再生の 形態 が望ま しい か を答えて い るの で あ る、、 しか し, 神 界へ の 再生願 望 を持
っ てい る入は, 神界
を再生 の終着点
と捉
えて い るため, 神 界 を再生 の 過 程 にある も の とは認 識 して い ない と言え よう。〈
ニ ワ ナ につ い て〉で は, ニ ワ ナ に関して ,
村
人は どの ように捉 えて い るの で あろうか 。71
名 の 人々 がニ ワナ と は , 「生 ま れ ない こと」 と考
えてい る。 その 答 え方は さ ま ざ まで あ り, ある人は, ニ ワ ナ を観
れ ば 「イパ デ ィ ーマ ッ クレダ ッ ク
マ リーマ ッ ク
ナ ァ ー」
(
生 ま れ るこ と, 病 気, 死ぬ こ と が ない)
と答 え, そ れは, 風 の ようにな る こ とで あ る と して い る。 他の 人は, 「 ケ レスナテ ィ ウ ノ ッ トゥ
ア ーエ ッ トゥ
イパ デ ィ ン ネ
ナ ァ ー」
(
欲が な くな る と再び 生 まれ る こ と は ない)
と言 い , その状 態がニ ワナであ り, それ を入 手するた め には, 功 徳を積ん で , ヒ タ(
心)
を発展
させ,欲
を消 滅させ る よう努
力 す る必 要が ある と答
えて い る。 こ う答 えた人に 厂本 当に , ニ ワ ナ を観たい と思 うの か」 と尋ね る と, 生 きて い るこ とは 「苦 」 で あ り, 苦か ら逃れ るた めに はニ ワナ を観
る こ とが必 要で あ り, それ を希 望 する と答える。 さ らに, 問 う て, 「生 きて い るこ と は楽
しい こ ともある し , 中には大 金 持 ちがい て安 楽 に 暮ら してい るで は ない か」 と言 うと, 真 面 目な顔 になっ て, 「大 金持 ち は こ の 肚の至 福 に浴れ て い る ように見えるが ,彼
ら は, 財産がい つ 無 くな る か と 心配 し苦
し んで い る。表
面 的に幸
せそ うに見 えて も, 人間には, 生 きてい る 以 上, 変わ らない もの はな く, 何 らかの 苦が付 き ま とう」 と言 う。71
名
すべ て の 人にそ のように質問 した わ けで は ない が, 話 しが弾み, 論 議で きた 人た ち は一一様
に こ の ように受け答
え して い た。こ れ に対 して,
14
名の 人々 は, ニ ワナ とは最高
の至福
であ り ,真
に至福
をシ ンハ ラ仏 教徒の 再生観につ い て
11
入手 した状 態で あ るとい う。 先に も述べ た よ うに ,ニ ワナ を 至福 と す る捉え 方の 背 後には 二通 りの 意味
が あっ た。 そこ で , こう答
えた人には, ニ ワ ナ を観
てか らも再
生す
ると考
えるの か どうか を問う
た。す
る と, 一様
に, ニ ワ ナ を観
て か ら も,再生 し続 ける との 答 えが返っ て きた。 つ ま り, こ こ で の ニ ワ ナの 至 福は 「生 まれ ない こ と 」 で はな く, 衣食住
に恵
ま れ, 最 高の幸
せ を得
る こ と と捉
えら れて い る。 ある人は, ニ ワナ を観た時, 飲食
物が常に入 手で き,常
に 自由
で ある至福 を手
に入れ る と答
えてい る。他
の人 は, 何 で も欲 し い もの が すべ て 入手
で きる神 界
に再
生す
る こ とがニ ワ ナで ある と捉 えて い た。他方
, ニ ワナにつ い て 説 明で きない 人 もい た。 女 性5
名が そ れ に該 当す るが,彼
女た ち はニ ワ ナ とい う言 葉に対 して 反 応 しな かっ た。 た だし, い ず れ も再 生 し続け る ことに疑 問は持
っ てい ない 。〈
マ イ トゥ リー仏 陀 (
未 来 仏)
に つ い て〉
一方, 前に も言 及 した ように, 聞 き取 りを始め る
前
に, マ イ トゥ リ ー仏 陀 つ まり未 来仏がニ ワナの入手
に関係 して い る こ とが,僧
の 説 教 時の 常 套句
か らわかっ てい た。 そ こ で, こ の点
につ い て 聞い てみ るこ とに した。 未 来 仏に つ い て知っ て い る と答
え た人は75
名で , その 内, ニ ワナ を観
る た め に, 未来
仏 に会う
必 要は ない と考えてい る人は19
名
,会
わ なけれ ばニ ワ ナ を観る こと は難 しい としてい る人が56
名
であっ た。 残 りの15
名の 人は未来
仏 につ い て の 知識が な か っ た。聞
き取
りに際して, ニ ワ ナ を観る た めに ,未来
仏に会う
必 要があると思う
か否
か に焦点
を絞
っ た。 未 来 仏とは誰
であ
り, 現在
どこ にい るの か,彼
は, い つ どの よ うな状 況の 下で, この 世 に再生する のか ,未 来仏 につ い て の 知識 をどこか ら得
たの か等の詳 細 な内容 につ い て, すべ て の 人に 聞い た わけで は ない 。 話 しの 流れ に沿
っ て余裕
があっ た時, あるい は思 い 出 した時
に しか聞い て い ない 。 その点
で,情 報
と しては断片 的で は あ る が , そ の話
し をつ なぎ合
わせ る と次の よう
に な る 。マ イ トゥ リー仏 陀は , 現在,神 界 にい るナ ー タ
神
であ る とい う(
ある人は, シ ンハ ラの英
雄 ド トゥ ガ ム ヌ王だ とい い , 他の 人はサマ ン神
だ とい う)
。 ナー タ は, 仏 教 が消 滅 した時代
に人間界
に再
生 し, 仏 陀と な る。 人 が 小 人の よう12 パ ーリ学仏教 文 化 学 にな り,
7
年
の寿命
しか ない時代
がや っ て 来る。 その 時 代, 人は善 業 と悪 業 の 区別が わ か らず,仏法 も消滅 して し まう。 その 時, あ る デ ー ワ ター ワ (神 ) が人々 に, しば らくする と7
日間の 大雨 が降
り, その 雨 に触れた者は, 互い が動 物 に見 え, 殺 し合 うこ とになる と告
げて回っ た。 その 言葉 を信 用 した少 数の 人々 が7
日間の食
料を蓄えて,洞窟
に隠れた。 雨 に濡れた 人た ちは互 い に殺しあっ た。 降 り続
い た大
雨 が止んで 洞 窟か ら出た人たちは , 夥 しい 死 体 を前に し て, 動 物 を殺
すべ きで は ない と話
し合
っ た。 こ こ に,仏教
の 五戒
の .一一つ が復 活 する 。 この 少数の 人た ちか ら子 孫が増え ,大
雨の末
に死 ん だ者
た ち も, 入間とし て 生 ま れ変わ り, 人口 も増 えて い っ た。 次の 世代か ら, 世代 を経る た びに , 戒律
が増 えて ゆ き, 五戒
が授
け ら れ た。 さ らに, 五 世代
を経
て 十 戒が認め ら れ た。 こ うして, 人間に徳
が備
わ るに従っ て,身
長 も伸 び,寿 命
が84
,000
年 にまで延び た。 こ うな る と, 死 は 人々 に とっ て, 身近 な もの で な くな り, 功 徳 を積む必 要性
が感
じ られ な く なる。 功 徳の 重 要 さ がわか ら な くなる につ れて, 寿命
が ま た短縮 し始め, つ い に120
年の 寿命
に まで なっ た 。 この 頃, 入 は歳を取る こ と を はっ きり意 識で き, この 世が苦である こ とを認 識 する よ うになる。 こ の時代
に, ナ ー タ神
が人 間に生 まれ変
わ り, 仏 陀と な り,説 教を して 各地 を巡 り歩 き, 説 教 を 聞い た 人 々 がニ ワナ を観る とい うの で ある。 以 上 は, 主と して ,20
年 程 前 まで , 寺の 日曜 学 校で教 えて い たV
氏か らの話
しを基に ま とめ た もの で ある。 彼 は, 未 来仏 に会 う必 要 が ない と 考えて い る人物だ が, 聞き取 りを した 中で は, 最 も詳
しい 内容 を教 えて くれ た。 こ の他
に も, 大 洪 水が起 き, 生 き延びた 人か ら再び子 孫が増え ,洪 水で死
んだ 入の 中で も, 功 徳の あっ た者たちが 人 間と して生 まれ変わ る が, こ の 時代
に, 未 来 仏が人 間と して生 ま れ, 仏 陀と な り, 説教
をする と話
して くれ た人た ち もい た。 中には , 『マ イ ト ゥ リーワル ナ ナ ーワ』
(
マ イ トゥ リー詳 述)
とい う本 を読んで 知っ た とい う人 もい た が,大半
の 人 は,寺
で僧や ウパ …サ カ ・ウパ ー シ カ(
寺
の行事
に参
加 する熱 心 な仏 教 徒の 男 ・女)
か ら説 明 して も らっ た り, 仏 教 日曜 学 校で 習っ た りして 知っ た と答えて い る。 詳しい内容
につ い て は知らな くて も, 膨 大な時 間が経 過 した後
に, 未 来 仏が 人間界シ ンハ ラ仏 教 徒の 再 生 観につ い て
13
に再生 し,悟
りを開
い て仏 陀
と なり, 教え
を説 くという話
し は,皆
が知
っ て い る。この 未 来仏 に会 う必 要が あ る か
否
かにつ い ては,意 見の 分か れる所
であ る。具体
的事例
を通
して, その違
い を明 らかに したい 。事
例1
:V
氏 (
48
歳
, 男性
, 国家 公 務 員)
先の 未 来 仏 につ い て
詳
し く説 明 し て くれ たV
氏で あ る。休
みの 日には, ダ ーヤ カ ・サバ ーの仕事
をこ なす 寺の 有 力 ダーヤ カの 一・t・人であ
る。「そ もそ も , ニ ワ ナ は, アー サ ー ワ
(
欲)
を消 滅 させ る こ とに よっ て, 入 手で きるの で あ る か ら,未 来仏 に会 うため とい っ て ,気
の 遠 くなる程の時 問 を待
つ 必要
が どこ にあるの か。 人 間 と して再 生 を繰
り返 す 過程
で, 徐々 に ヒ タ(
心)
を進歩
させる よう
に努
め ,ニ ワ ナを理 解で きる よう
に なる こ とが重 要で あ り, そ うす れ ば,自
力でニ ワナ を観て再 生 を止め る ことがで きる」 と話
してく
れ た。事
例2
:Bi
氏(
57
歳
, 男性
, 元賃 金
労 働 者)
Bi
氏 も未 来仏に会
う必 要が ない と言 う。 彼は,2 年
生 まで しか学 校 に行 っ て い ない が, 独学
で文字
を覚
え, 説教の 本 を読み学んだ と言 う
。 バ ク ル(
黒 砂 糖)
を作
る仕事
をした り, 煉 瓦 焼 きの 仕事
に従事
して き た賃
金労 働 者であ る。「ニ ワナ とは生ま れ ない こ と で あ り, ニ ワナ を観 る た めに
功徳
を積
まな け れ ばな らない 。 自力
で , ソ ーワ ン , サ ク ル ダ ー ガー ミ , アナ ーガー ミとい う (5> 段 階を経て ア ラハ ッ トに行
ける ように努 力 しなけ れ ば な ら ない 。 ア ラハ ッ ト になれ ばニ ワナ を観
る 。未来
仏に会 うために, どれだ け長
い時
間 を待
た な け れ ばな らない の か。 その必
要は ない 。 自分で 努力 して輪
廻を短
縮 させ る。 こ うした努 力 もせず, 寺に行っ て受
戒 して も意 味がない 。 寺に 日頃 か ら行
く金持
ちで, 貧 しい 者に施 しをし ない者
がい る。 こ れで は, い く ら寺
の仕事
に熱 心であ
っ て も仕方
が ない で は ない か。 功徳
はすべ て ヒ タの 問 題で あ り , ヒ タ の 発展 を考
えて行 動 する こ とが功 徳で あ る。 形式
的なこ とで は何の 意 味 も な い 」 と答えてい る。
14
パ ーリ学 仏 教 文化 学こ れ に対 して, 未 来仏に会 う必 要がある とす る人々 もい る。 事例
3
:W 氏の 母 (56
歳, 元 教 員 )「人
間界
へ の 再 生 を繰 り返 す 過 程で , 瞑想 を行い , ヒ タ を発
展させ た い 。善業
を行
うこ と によっ て, 次 世で は ,前 世 よ りもヒ タ の進
歩した 人 と して生 まれて くる,, すべ て の もの は移 り変
わる。 新 しい 椅子を買っ て も最初 は きれ い で良い が,時
と ともに古
くな り汚れて くる。 こ の よ うに, す べ て の もの に 永久不変 という
こ と は ない 。 この ア ニ ッ テ ィヤ (無 常 )が 理解で き れ ば ,す べ てが ドゥ カ(
苦)
である とわか っ て くる。 ヒ タ を発 展さ せ れ ば, こ うした こ とが真
に理解
で きる よ うにな り, ニ ワナ に近づ くこ とがで きる。善業
を行 うの は , ヒ タを発 展 させ , その 結果 と して 得 られ る ニ ワ ナ を願っ て の こ とで ある。確
かに, ソ ー ワ ンか ら始 まっ て ア ラハ ッ ト に達 する,自
力でニ ワ ナ を観
る道がある が, 自分 に は無 理だ と思っ て い る。 ヒ タ を自力
で 発展
させ るよ うに努力
は す る が, そ れ だ けで は難しい と思 う。 やは り, ニ ワ ナ を観るた め には未 来
仏に会
うこ とが必 要で ある」 と考
えて い る。事例
4
:P
氏(
63
歳, 男性, 農 業 )彼
は神 界
へ 再生 して 後 人 間界に生 まれ たい とし てお り, こ の点
が , 人間界 で再
崖 を繰
り返 す と考
えて い る上述の夫人 と異なる。 しか し,未 来
仏 に会 う
必 要がある と して い る点で は同 じで ある。 彼は, 満 月の 八斎 戒 行事
に必 ず参
加す る 数少ない 男性の 中の 一人で ある。 厂ニ ワ ナ を得るた め には , 三つ の 方法
があ る。 第 一 は , ブ ドゥ ・ウ ィ ーマ (仏 陀 にな る事
) , 第 . 二は, パ セ ーブ ドゥ ・ウ ィ ーマ (パ セ ー仏 陀に なる事)
, そして第
三 に, マ ハ ラハ ッ ト ・ウ ィ ーマ (阿 羅 漢になる事 )である。 第… の仏 陀は ,説 教 を通 して,他人 をニ ワ ナ に導
くこ とが で きる人物で あ り, 釈 迦の後は, 未 来 仏が仏 陀 と なる。 第 二の パ セ ー ブ ドゥ は自
力で ニ ワ ナ を観
た 人物
で あ る が,説教
に よっ て他
人 を ニ ワ ナに導 くこ と はで き ない 。 第三の 阿羅漢 は, 仏 陀の 教 えに導
か れ て ニ ワ ナ を観
る 人物で あ り, 仏 陀の 生 きて い る時代にの み存 在 する。 凡 人に とっ て 可能
なの は第
三 の方法
であ り,第
二 は無理で ある 。 よ り多
くの功 徳が積め る 状 況へ の 再生 を繰 り返 すこ とに よっ て ヒ タを発 展 さ せ れ ば, パ ウ (悪業
)をシ ンハ ラ仏 教 徒の 再 生観につ い て 15
行 う気
持 ちが 生 じない よう
になる 。 その 結 果, ます
ます功徳
を積む こと に な り, 神 界に再生 す る。 その功 徳の 故に, 未 来仏が説 教 を行 う場 に, 人間 とし て,説 教 を理 解で きる人間 と して ,神 界か ら生 まれ変
わ る ことがで きる。 未来仏
は説 教の 中で, ニ ワナへ の道
を示 し, 僧 に な るこ と を勧
める。 その 場で僧
にな り, ニ ワナへ の 道を歩み,死 後 再 生 する こ とが なくな る」 と して い る。こ の話 しに よれ ば, 先の
V
氏もBi
氏 もパ セ ー仏陀
の 道 を目指 して い る と言 えよう。 さらに, こ の話
し の 中に, 先に指 摘 した, な ぜ神 界か ら人問界
にわざわざ再生 したい と思う
のか とい う疑 問 を解
く鍵がある 。 それは, 人 間 界に再生する未 来仏に会っ て阿羅 漢に なる ためだっ たの で ある。 仏 陀の導
き によっ て ニ ワナ を観
るた めに は , 人 間界
に生 ま れてい なければ な らない との考
えに基づ く。 他 方,未来
仏 に会 う必 要がある と し, 人間界で の 再 生 を繰 り 返すこ と を希 望 する 人 もま た, 「 か け」 を し て未来仏
の時代
に, 動 物 として 生ま れて きたの では か な わ ない と考
えて い る とも言え よう。3
.考察
:ウ
パ ンガ
マ村
に お け る再生 観
(1)
考察
の枠 組み一 表1
の説 明一 一以上の 内容 を基に,
筆
者な りに,再生 をニ ワナ に関連づ けて, 再 生観
を考
察
する前
提 となる枠 組み を明確
に して お く。 ウパ ン ガマ村
の 人々 の再 生観
は,次
の 三つ に分 類で きる と思わ れる。第
一は , 「ニ ワナ を観
て再生 を止め る」 という
最終
目標 を設定 する考
え方,第二 は, ニ ワナ を観た後も再生 を繰 り
返 すこ とを前提
に して, 「再 生 過 程の どこ か で ニ ワ ナの 至福 (
世俗
的 至福)
を得
たい 」 とい う願い を込め た見 方
,第
三 は, ニ ワナ との関 連につ い て は言及 しない ,単
に 「再生 し続ける」 とい うだ けの 捉 え方
で ある。 こ れ らは,先
に も言 及 したニ ワ ナ を巡る捉 え方の 違い に対応 し てお り , その数
は, 第 一の考
えの 人々 が7i名
,第
二 の 見 方の 人々 が14
名
, 第三 が5 名
で あっ た。 一 方 , 未来
仏 に会 うか 会わ ない かで は, その考
え方
に開 きが ある点 を考慮
する と, 「未 来 仏 に 会 う必 要が ない 」, 「未 来仏 に会 う必 要が ある 」 という違
い も重 要 で ある。 こ れ に関連 して , 「未来
仏につ い て知ら ない 」 とい う人々 もい るの で,ユ6 パ …リ学 仏 教 文 化 学 表
1
再
生 を確信
する人々 一一一一一一.一 」 未 来 仏 に .一」「ゴ 未 来仏 に 会 う 未 来仏に会 う必 要がある つ い て 必 要が ない 知ら ない 再 人 人 入 人再 ど願 人 一 .」一一 入 生 間 間 間 間び こ う 聞 問 の 界 界 界 界人 にこ 界 界 最 で で か か間 再と で か 合 終 の の ら ら界 生 は の ら 目 再 再 神 一に しで 再 神 標 生 生 界 旦 生 た き 生 界 ” を を に 神ま い な を に 計 願 繰 繰 生 界れ とい 繰 生 望 り り ま に て り ま 返 返 れ 再 返1
れ し し て 生 し1
て て て し て i E 男性9
15 15
3
…2i
35
ニ ワナ を観て 再生 をLLめ る 一一一一一一一一 女性 一.一一一 一一一一一一一一一一一一一一一一一10
−. 一一一一一一一一一16
一一1〒一一一一一4
一一一一一丁一一目4
冒四w7“四四闇匿1
1
ト 尼−’四’’’”i”匿四’”−’一’”一”「−1
36
一 ■ 1 小計19
31
5
9
3
1
1 137i
楠
・ゆ ど。かで 1男性 「 〒〒一冒7一π一一一π一一一一7−一一一一一一一匿一 『1
冒目一π目ππ一胃冒匿一−四1−一四■四四一−一四■一一一一一一一一−_一一一一一
ll
E_一,一_ 2 ’一一一一一一一一 …ニ ワナの至福 1 (世俗 的至福 )1
女性4
3
21
1312
i
を得たいEi 小計 5 3 2i き 4
14
男性 … F 再 生 し続ける;
女1
生5
i
il
・小 計 15⊥
5
7rヒ 」一一一一一一 総 計 19 56 15 90 この 点 も付 加 した。 こ の再生観と未 来 仏 観の違い に, さ らに再生 願 望 の違い が絡んで くる。 こ うした関係 を表1
に示 した。まず, 「ニ ワ ナ を
観
て 再生 を 止 める」 と考
えてい る人 々71
名
につ い て言
及 する。 その 中で , 「 未 来仏 に会 う必 要が ない 」 とす る 人 々 は19
名で あ る が, その すべ て が, 人 間界
で の再生の 繰 り返 しを考えて い る。 神 界へ の 再生 を望シンハ ラ仏 教 徒の 再 生 観につ い て 17 む 人 はい ない 。 この タイプの 人々 をこ こ で は, 仮に