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論 文

イギリス多国籍商社「H&C」の

経営システムと収益メカニズム

―Managing Agency Capitalism分析への一接近―

小 池 賢 治

目次 はじめに

第1節 イギリスのFDIとManaging Agency Capitalism 第2節 H&Cの組織と帝国展開 第3節 確立期の経営システムと収益メカニズム 第4節 大戦間期の変化と総括 結びにかえて

は じ め に

本稿は,イギリス海外直接投資(FDI)の主な担い手であった「経営代理商 社」(Managing Agency House:以下,MAH)の経営システムと収益メカニ ズムについて,実証分析を試みたものである。ゴム農園事業の最大手であった Harrisons & Crosfield商会(以下,H&C)を取り上げ,イギリスのFDI,さ らには多国籍企業(MNC・MNE)の特徴を究明している。この論点をめぐっ て展開されたFree Standing Company(FSC)の論争はManaging Agency Sys-tem(以下,MAS)1の再検討に波及し,ChapmanやJonesの労作に少なからず 影響を与えた。しかしMASの本質理解と経営文書,とりわけ各種の仕分帳や 元帳に基づいたMAHの構造分析は残されたままであり,従ってFSC論争の理 論的整理も終わっていない2 公式・非公式のイギリス植民地での事業経営に運用されたMASは,通常の 株式会社制度(以下,ボード・システム:board system)とは全く異質の株 式会社形態であった。大英帝国では,二種類の近代株式会社制度が展開された のである。筆者はMASの本質は外部経営の仮!構!(fiction of externalized

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agement)にあると考えてきたが,この仮構を見誤りミスリーディングな結果 に陥った典型的な事例がFSC論争であった。第1節ではこの論争がMAHと MAS,更にはイギリスのFDIの理解に何を付け加えたかについて検討し,残 された課題を明らかにした。第2節以下では,この課題,つまりMASによる グループ経営の組織構造と収益メカニズムの具体的分析を行っている。その際, 1 拙著『経営代理制度論』(アジア経済研究所,1979)でも述べたように,MAS

を「経営代理制度」,Managing Agent(s)

〈以下,MA〉を「経営代理人」,Man-aging Agencyを「経営代理」と訳すのは,経営請負制度(Subcontracting System)

と同一視され適切ではない。「経営代理仮!構!制度」とするのが本質に近いが,小

論ではMASのままとした。MA又はMAHは,個人,パートナーシップ,株式非 公募会社 (private limited company),株式公募会社 (public limited company) の組織形態をとるが,一律にMA,MAHとした。なおJonesの邦訳『イギリス多 国籍商社史 19・20世紀』(日本経済評論社,2009)で,明らかにMAやMAHを 指すagent(s)の多くが「代理店」と訳されている。 なお,本稿の図表の作成には本学大学院OBである今井誠喜君のお世話になっ た。記して感謝の意を表したい。 2 MASの重要性について,H&Cの中心人物の一人が言及した珍しい例として 大戦間期から戦後にかけて活躍したSir E.Macfadyenがある。「MASは,イギリ ス本国資本と東洋でプランテーション事業を営む在外企業を結ぶ根幹的な(or-ganic)環である」,「MASは,プランテーション産業の要である。MASなくし て全ての必要な機能が,より効率的あるいはより少ないコストで成し遂げられ るとは考えられもしないことである。実際,MASは期待にたがわぬ成果をあげ てきた」と。Macfadyen,‘Managing Agents in the Eastern Plantation Industry’,

Tropical Agriculture, Trin.,31―3(1954),267―71.

本 稿 で 利 用 し たH&Cの 経 営 文 書 は,全 てLondon Metropolitan Archives (LMA)に所蔵されているH&C

Archivesによる。同文書の引用出所にはManu-script No. だけを記しLMAを省略している。

H&Cの経営文書により大戦間期の蓄積構造を検討した数少ない業績として, マクミラン社「東・東南アジア経済研究シリーズ」所収のR.J. Brown, Capital and

Entrepreneurship in South-East Asia(Macmillan Press, 1994)の第3章がある。な

お前掲拙著は,同シリーズの一つとして,編者のMalcolm Falkus教授を通じ翻 訳出版のオファーを受けている。

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H&Cの三種類の事業,つまり¸代理商社時代からの「輸出入と国内販売事業」, ¹新規の「農園経営事業」,そして同事業と共に発展したº「金融・証券・農 地を中心とする不動産等の事業」に分けて検討した。第3節では第一次大戦終 了時までに確立されていた三位一体的なグループ経営と収益の仕組みと特徴, 第4節で大戦間期の変化を究明したい。

第1節 イギリスのFDIとManaging Agency Capitalism

1.視点と課題 イギリスのFDIは,¸「世界の工場」による欧米及び自治領向けと,¹「世 界の商社」によるより大規模な帝国内「一次産品の開発・加工」向けとに大別 できる。前者はボード・システムを採用したが,後者ではもっぱらMASが選 好された。同資源の多くは帝国内に存在し,MAHや鉱業金融商社の垂直統合 として開発された。1908年の有限私会社の法制化と自動車・重電気産業の発展 に伴うブラジル産パラ・ゴムの高価格は未曾有のゴム農園ブームをもたらし, H&Cは三位一体型の多国籍展開を確立する。 MAHの競争優位は,本国の資金・技術・情報,海運・保険などに支えられ た海外との物流ネットワークであった。その支配力が揺らぐ第一次大戦以降に は,M&Aによる拡大と質的深化に転じながら,イギリスのFDI・MNCとし て中心的な役割を担った。筆者はMAHに牽引された植民地の近代産業化を Managing Agency Capitalismと理解しているが,あらかじめその基本的な特 徴点を述べ小論の整理に役立てたい。 ¸ MAHは,A本国に本店を置いたグループと,B第一次大戦前まで植民地 港口都市に本店を置いていたグループにわけられる。前者は,本店と複数の 現地支店との企業内多国籍分業によって,比較的特定の業種を中心に多数の 現地事業を展開した。後者はコルカタに代表され,YuleやBirdのように多 角経営を進めたグループと特定の業種に特化したグループが共存していた。 前者は本国登記会社,後者は海外同胞を主な出資者とする現地登記会社でグ ループを構成し,両者共,MASを運用した。産品の主な市場を植民地外に 求める「開発輸出」型の投資であった。H&Cや大戦間期にH&Cに買収さ れるDuncan Macneillなどは両者を兼営し,スコットランド出身のYuleも本 国登記会社を幾つか持っていた。 3

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¹ 本国に本店を持つMAHは,海外同胞や外国人プランター等から取得した 農地をシティで資本化する一方,農園会社(本国又は現地登記)の買収や経 営請負,更には大手MAHの買収で事業規模を拡大した。第一次大戦中に始 まる現地登記会社や華僑華人(以下,華人)による農園事業への参入と戦後 の経済危機は,経営請負やM&Aの好機となった。 º FSC論争でCassonが「経営の外部化」と表現した間接的経営には,二種 類あった。一つは,CassonやHennartらが展開した請負制である。もう一つ は,筆者の「外部経営の仮構」である3。Chapmanは,これを「legal fiction」 と表現した4。仮構を構築する理由は,「内部経営方式の下に株主や重役とし て得られる利益よりも外部経営方式の下にMAとして得られる利益の方が大 きい」5からに他ならない。追加的な便益については脚注(41)で補足している。 » LokanathanからJonesに至るほとんどの研究者は,外部経営の虚構性を認 識していた6。しかし請負制との同異点を明確に定義してこなかった。筆者 の請負制についての定義は,「他!の!企業家が発起し請負会社から独立した取 締役会を持つ会社の経営の一部又は全体を手数料ベースで代理・代行するシ ステム」ということになる。 3 「間接的経営」のタームはインド会社法でのMAの定義で使われたが,MASを 「外部経営の機構」として捉えたのはわが国のMAS研究の草分けである金田近 二である(金田近二編著『インドの経営代理制度』アジア経済研究所1960,6― 10。この論点を1839年設立のAssam Company等の定款に遡って実証したものに, 拙稿 「イギリス代理商会のグループ経営システム¸―利潤先取り仮説の実証―」 (『駿河台経済論集』17―1,2007)。 4 Chapmanは,前掲拙著に言及した箇所で次のようにMASの本質を衝いている。 ‘Undoubtedly the power and persistence of the British agency houses was at

least partly due to the legal fiction of agency. In reality, the agency houses were not

agents at all but private partnerships that contrived to control public

compa-nies by the device of using the prestige of their name and the British legal sys-tem to have permanent control written into the articles of association of vari-ous companies’,〈イタリックは引用者〉Chapman, Merchant Enterprise in Britain (Cambridge University Press,1992),271.

5 金田,前掲書,8―9。

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¼ MASを採用した株式会社では,通常のボード・システムの業務執行機能 が,法的に独立したMA組織として,外部化される。その結果,会社の機構 が「二層又は二重の構造」(以下,「二層構造仮説」と呼ぶ)をとることになる。 第一図は,商人が自身の事業組織をパートナーシップから株式会社(株式 非公募会社を含む)に改組する際,自らの経営機能を外部化し,MA職権に よる取締役兼任により新会社のボードをも支配するMASの構図を示してい る。グループ経営はMA組織(=MAH)を巨大化させ,資金の導管に過ぎ ないグループ各社の登録事務所はMAHの本社ビル内に集められ一括管理さ れる。イギリス会社法(1856年)は,付属定款で会社経営機構を如何ように 6 Lokanathanは,MASのエッセンスを要約した箇所で次のように述べている。 「会社とMAの間でMA契約が結ばれる時,その契約は実際のところ,その会社 のオーナーとマネジャーという(企業家の―引用者)二重の立場(in their dual capacity)の間で交わされる契約に過ぎない」。Lokanathan,‘Entrepreneurship: Supply of Entrepreneur and Technologists with Special Reference to India’, in Kenneth Berrill(ed.), Economic Development with Special Reference to East Asia (London,1964),165―6.また別稿で 「企業家が,自身の右手と左手で交わす契約」 と表現していた。 MASの虚構性を最も知悉していたのは当の企業家たちであったと思われるが, 今でも請負制として解釈する研究者は後を絶たない。「MAとは自からの組織と マネジメントを持つ他の会社から経営を委託される会社で,ほとんどの場合, 彼らを雇う会社の相当数の株を所有する。MASは,植民地の潜在的な経営能力 の欠如を補うために工夫された」。Gijsbert Oonk, ‘Motor or millstone? The managing agency system in Bombay and Ahmedabad, 1859―1930,’Indian

Eco-nomic & Social History Review, 38―4(2001).ただし,OonkはMAのダイナミズム

と柔軟性を指摘した点で従来のMA論とは違っている。Rayは「MAとは個人的 な便益と満足のために,他人のビジネスを経営するグループ」とながら,イン ドの経営改革の処方箋を論じている。K.G. Ray, ‘The forgotton managing agency system: a nineteenth century model of Indian corporate governance,

Social Responsibility Journal ,5―1(2009).請負理解に立つと,企業家の商人的なマ

インドや射利心さらにはOonkのいうダイナミズムといった問題がMAないし MASの問題にすり変えられ,あれこれと的外れな企業家像や経営改善策が描か れる結果となり,真の企業者革命や経営改革に結びつかないことである。

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A (1)Partnership (2)Private or Public Co. Ltd.

  (MAS) (3)MAH

Managing Agency

Commissions

:Leading

 Partner :MA cum  Ex-Officio  Director

AMAH’s Head Office BGroup Cos.’ Office CMAH’s Local Branches DGroup Cos.’ Estates

MAH’s Head Office Building

Overseas B FSC C D も構成することを許し,取締役会も1929年まで任意機関とされたのであった。 MAは,通常,定款とMA契約により,会社の重要な経営要員である「秘 書役」または「秘書財務役」と訳されるSecretaryの機能を兼務した。MA の業務は本国業務と現地業務とに分かれるが,本国業務にはグループ各社の 「秘書役」の代理が含まれた。現地業務は「現地支店(=Local Agents)」 が担当した(第1図参照)。資金力のあるH&CやGuthrieは傘下企業全ての 本国業務と現地業務を自社で専轄したが,その他のMAHは大手を含め本国 か現地業務,又は双方の一部,あるいは相当部分を他のMAHや専門の商会 に請け負わせていた。 MAが秘書役を代理する構図は,YuleやBirdも同様であった。1911年時点 でコルカタ登記の主な農園会社,約80社(MAが明記されていないもの4社) のうち,取締役会を持たない会社が三分の一近く存在した7。MASは,ボー ドの形成まで節約できる省コストで,創業者ファミリーによる排他的経営支 配に適したシステムであったといえる。 ½ H&Cは彼らが起業しMAと秘書役となった会社を「グループ会社」と呼 び,被請負会社等を「アウトサイダー」として区別していた。請負は輸出入・ 第1図 二層構造とMAHの概念図

7 The Investor’s India YearBook:1911(1sted.),Calcuttaによる。

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販売業務に限定されるケース(=commercial agents),現地経営のみを請負 うケース,本国での秘書役も一括して請負うケース,本国秘書役とcommer-cial agentsの組み合わせ8などがあった。独立系の本国及び現地登記の農園 会社や農園主は,より有利な条件を求めてMAHを切り替えた9。優良な被請 負企業を繋ぎ止めるには請負条件に加え,前貸や出資の多寡がポイントで あった。そして優良なものは,M&Aで取り込んでいった。 MASや請負制以外にも,会社組織を取らない事業やボード・システムの 下で被雇用者であるマネジャーらに農園経営を行わせ,必要に応じ専業の巡 回代理人(Visiting Agents)やcommercial agentsを利用するケースもあっ た。しかし,マレー半島部のゴム農園会社に関する限り,圧倒的部分は大手 MAHの傘下に置かれていた。第一次世界大戦中に始まる現地登記及び華人 企業家等による大規模な参入にもかかわらず,彼らのリーダーシップは大戦 間期も維持された10

¾ MASは,FSC論争にも現れる鉱業金融商会(Mining House)の「グルー プ・システム(Group System:GS)」(J. Martin)と類似していた。筆者は, 別稿でGSとMASは外部経営の仮構という点で同一と述べた。しかし鉱業金 融商社の手数料体系は全くベールに包まれたままで,MASとの同異点の検 討は課題として残されている11

¿ MAHに導かれた帝国経済をMA資本主義と捉える以上,現地労働力の分

8 例えばRubber Estate Agency Ltd社は,約40社(約10万エーカー)の本国秘 書役とコマーシャル・エージェントを業としていた(Stock Exchange Yearbook, 1941ed., p.2830)。

9 MS27232,37007にはグループ会社のMA契約が収められ,MS37008には多数 のキャンセルされた契約も収録されている。

10 The Singapore and Malayan Directoryが詳しい。現地登記及び華人らによるプラ ンテーション経営をもカバーした研究として,W.G. Huff, The Economic Growth

of Singapore: Trade and Development in the twentieth Century(Cambridge

Univer-sity Press,1994);Brown, op. cit.

11 Mining Houseは金融支配の強さから鉱業金融商会などと訳出されるが,外部 経営の仮構を表現できるようなネーミングが見つからない。拙稿「鉱山商会と グループ・システム―経営代理制度との比較―」『アジア経済』23―7(1979)。

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析も欠かせない。しかしFSC論争でも労働力については全く言及されていな い。H&Cの ゴ ム 農 園 事 業 の 創 業 者 で あ っ たLampardが 現 地 支 店 マ ネ ジャーとの交信で,最も注意を払っていたのは,クーリーの過不足ない調達 の指示であった。増える一方の帳簿書類の中で,労務関係書類の保管の優先 順位は決して高くなかったと思われる。H&CやFinlay,Wallaceといった 大量の経営文書でも関連するファイルや目録を見ても皆無に等しかった。本 稿に利用できたのはH&Cの断片的資料だけだが,貴重な情報であることに は間違いない(付表3&4参照)。またマレーで巨大な砂糖農園を経営した FSC,Penang Sugar Estetes, Ltd.を分析したL.H.Leesは,土地・労働力・税 制など帝国経済の「政治的枠組み」の重要性を論じているが,本稿では全く 検討できなかった12 À 最後に,FSC論争にも現れる「商人と製造業者」(Wilkins)の対抗軸につ いてである。後でみるようにChapmanのIG概念が「商人のIG」と批判され, Jonesも「レントシーカー」的な理解であるとした。MAHが生産過程よりは 流通過程を,技術よりは流通・融資の支配により意を用いたとの認識は,実 証できるであろうか。 MAHのトップは大戦間期も公の書類で自らの肩書をMerchantsと記し, MAHの社史の多くはMerchantのタイトルが付いている。H&Cは,その事 業広告で「農園会社の秘書役・MA業務」と「Eastern & General Import & Export Merchants」を併記していた。 もう一つの対抗軸は,人と制度,つまり企業人とMAS(=その担い手と してのMA)の対抗軸である。しかしMASが仮構に過ぎないとすれば,こ の対抗軸は再検討されなければならない。Oonkがインド人研究者としては, 初めてと思われるインド人MAのダイナミズムや柔軟性を論じたが,それは インド人企業家自身のダイナミズムであり柔軟性であった。 12 スマトラのDeliを中心に労使関係を分析したものにA.L. Stoler著・中島成久訳 『プランテーションの社会史:デリ/1870―1979』(法政大学出版局,2007)。 L.H.Lee,‘International Management in a Free-Standing Company: The Penang Sugar Estates, Ltd., and the Malayan Sugar Industry, 1851―1914,’Business

His-tory Review,81(2007),32.

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2.FSC論争の成果と課題 ここでの検討は,「Wilkinsの主要論点とそれに対する包括的な批判」(Cor-ley)が集約されている1998年のWilkinsの編著と必要に応じ各論者の先行研究 を参照した。既にわが国でも論争の分析がなされているので,本稿の主題と関 連する部分の検討に限定している13 ¸ Wilkins:論争の端緒は周知の問題提起であった。1)アメリカでは「本 国本社が国際的な競争優位を武器に海外進出した」(ヴァーノン)のに対し, イギリスでは本国国内に何の経営組織や競争優位も持たないFSCがFDIの中 心的な担い手であった,と。しかし,この問題提起はMASの二層構造を切 り離した理解であったため,論争はミスリーディングな展開となった。つま りMAHは「経営組織と国際優位」を持つがためにFSCに該当しないとされ, 表札だけのグループ会社が「FSCの典型」とされたからである。2)「ブラ ス・プレートだけのFSCが,FDIの担い手と成り得たのはなぜか」とWilkins は自問し,「シティの様々な経営諸資源からなるクラスターとの連携」にあっ たとする。このクラスターには「MAHも含まれる」としたことで,結局は, 切り離して連携させただけの話に終わってしまったのである。 3)先進国に進出したFSCは,本国から供給される資金以外の経営諸資源 に欠け,短命で倒産率も高く,ハイテク分野への進出も皆無であった。そし て,4)FSC概念の導入により,イギリスFDIの劣等性やイギリスの衰退が 実証され,イギリス人研究者の奮起を促した,と自画自賛した。さらに ChapmanやGreenhillに言及し,「両者の議論は,FSCと言うよりはアメリカ 13 Wilkins & Schroter(ed.), The Free-Standing Company in the World Economy

1830―1996(Oxford Univ. Press,1998);Business History,36―1&4(1994). 大東和武司,安室憲一,西村閑也はじめ,猿渡啓子,三宅真也らが,それぞ れの専門分野との関係で論じている。大東和武司「フリー・スタンディング・ カンパニィは多国籍企業か」『久留米大学商学研究』(創刊号,1996)。安室憲一・ 四宮由紀子「総合商社の〔市場形成型〕直接投資の分析―英国フリースタンディ ング会社との比較において―」『商大論集』50―5(1999)。三宅真也「総合商社 における海外直接投資(FDI)の戦略的意味合い―フリースタンディング・カン パニー(FSC)との比較と商社ビジネスモデルの変化に関する考察を通じて―」 『国際ビジネス研究学会年報:2006年』。 9

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型のMNC」に近かく,「興味深いことに,アメリカ型が製造業をベースとし たのに対し,両者の議論で主軸となっている中心的な企業(center firms) は商人である。とはいえ,私はFSCが製造業者にのみ適用されるパラダイム とは考えていない」14とした。 南アの鉱業開発のためにイギリス本国で多数の探査会社が起業された (―Chapman)ように,FSC概念はシティに集積された経営諸資源を活用 する多様な形態を示した点で大きな功績があった。しかし「少なくともイギ リスのケースについて言えば,FSC概念は誤称である。FSCの相当部分は ‘free-standing’ではなく,より広範囲な企業グループの一部に過ぎない」15 イギリスFDIの最大の特徴は,皮肉にも「アメリカ型のMNCに近い」とさ れたMAHのグループ経営であった。わが国の総合商社のFDIが「FSCモデ ル」として注目されたように16,FSC概念は多国籍商社の垂直統合に適用で きるユニークな発想であった。しかしイギリス多国籍商社の特性である二層 構造(MAS)によるグループ経営を見誤った結果,Jonesが『イギリス多国 籍商社史』で実証したMAHのダイナミズムを過小評価してしまったと言え よう。 ¹ Corley:CorleyはFSCの量的規模の試算と同時に,FSC概念は理論的にも 実際面でも何の妥当性も持たない17,と痛烈に批判した。1914年現在,世界 のFDIストックは18,029百万米ドルで,内44.6%がFSCであったという。 UKと米はFDI全体の45.3%と14.7%を占め,FSCの割合は80.2%と18.4% であった18。「もし本社が経営資源やノウハウといった中間投入要素を何も持 たないというなら,まず海外事業の立ち上げ自体が非常に困難であり,何ら 実態的な資産を持たない本社が生産活動の整った海外事業の効率的なコント ロールを維持できるわけがない」19と。

14 Wilkins & Schroter, op. cit.,14. 15 Ibid.,345.

16 安室,三宅の前掲論文。 17 Wilkins & Schroter, op. cit.,144. 18 Ibid.,136.

19 Ibid.,143―4.

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西村閑也は「英系海外銀行はFSCの典型」とするWilkinsやJonesに対して, 「きわめて単純化された見方」で,巨大な負債=資産を所有した英系海外銀 行が「本国では銀行業を営んでいなかった」(「銀行業=支店銀行業」)とか, 「重役会とセクレタリーだけで運営されるとは,誰も考えないであろう」と している20 º Casson:1)FSCが「もっぱら植民地の土地資源開発事業」に集中して いることから,Cassonは農園・鉱山開発や鉄道事業など,「同事業に特有な 競争優位の究明がFSCの合理性の根拠になる」21と言う。その特性とは,開発 段階と操業段階とでマネジメントに必要な専門性が大きく異なることである。 開発段階の担い手になれるのは,個々のプロジェクトに特化し専門技術を持 つFSCである。操業段階では特別の技能を要しないので,運営はしばしば外 部化される。特にア ジ ア で は 有 能 な 専 門 家 を 本 社 に 抱 え た「managing agency」(=MAH,引用者)が,開発と操業の段階で指導的な役割を果た した,とする22 2)内部化理論のFSCへの正しい適用は,「情報」もしくは「技術」の輸 出の有無にあるとしてFSCの四分類を行う。最も重要なのはC(技術の輸出 はあるが,情報の輸出はない)とD(技術も情報の輸出もない)のタイプで, 「典型的には他種類の企業―特にmanaging agency―が加わったより広範な 国際的ビジネス・システムの一部と考えられる」23 3)しかし,CassonもMASと請負制の混交から,「FSCは,FDIや鉱業金 融商社の担い手であったか否か」といった議論を提起する。Wilkinsに対す るのと同じ理由(=二層構造の見誤り)で,そうした議論の立て方自体,余 り意味が無い。事実,CassonがFDIやMNCのメルクマールとしている経営 業務は,全てMAHの本店と現地支店が行っていたからである。MAHに 20 西村閑也「国際資本移転と英系海外銀行:1870―1913」『経営史林』38―4(2002), 1―11

21 M. Casson, Information and Organization(Oxford, 1997),chap. 8.;Wilkins & Schroter, op. cit.,100.

22 Ibid.,96. 23 Ibid.,111.

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とって,グループ会社が独自の判断能力や経営のイニシアティヴを持つこと は,彼らの株式を日常的にインサイダー取引する上でも,不都合なことで あった。 4)最も興味深いとするMAHを核としたビジネス・ネットワーク,「より 一般的には帝国システム」では,MAHはFSCを使って大量の自己資本と他 人資本を調達した24。言い換えればMAHは,「巨大で多角化したコングロマ リット経営の不経済を回避するため」,「MA契約によってFSCを外部化し た」25,と喝破したのであった。MA契約は,しかし,Cassonのいうat arm’s lengthの関係にある両者間の契約というよりは,MAHが「自身の右手と左 手で交わす」legal fictionに過ぎなかった。 5)MAHがFSCのリスキーな長期投資を「短期のリターン(short-term re-turns)回収」で担保していた事実も正しく捉えている26。Chandlerの延長線 上で「何の専門性も持たない家族資本主義の脆弱性のシンボル」(Wilkins) とは対極の「ダイナミックな帝国システム」27としてMAHのビジネス・ネッ トワークを捉えたことは,重要な貢献であった。 » Hennart:FSCに共通してみられる特徴は,Cassonのいう土地資産関連事 業開発の特殊なノーハウの内部化ではなく,「自己資本の調達機能にある」 として,FSCの本質を見抜いていたのがHennartであった28。Cassonから「資 金調達の導管だけの会社が,FDI・MNCと言えるのか」との批判に対し, 「情報と技術の移転が伴わなければ,FDI・MNCと言えないのか」と反論 している。両者共,MAHとFSCとを切り離した上での応酬であった。 ¼ Chapman:氏は「FSC概念はIG概念の二番煎じに過ぎず,イ ギ リ ス の FDI・MNEの特質はIGで十分,説明がつく」29とした。イギリス商人資本の 24 Ibid.,124. 25 Ibid.,120,126. 26 Ibid.,126. 27 Ibid.,127.

28 J.F. Hennart, Transaction-Cost Theory and the Free-Standing Firm, Ibid.,65― 98. Hennartにも猿渡の長文の検討がある。「J.-F. Hennartによるフリースタン

ディング・カンパニー論の検討」研究年報『経済学』〔東北大学〕67―1(2005)。

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垂直統合として示されたIG概念の骨子は次の通りであった。1)IGとは, 「海外に,多くの場合,多角化した多数の子会社を起業した企業家又は家族 の事業」である。2)MAH,とくに鉱業金融商社による金融支配が強調さ れ,MAHと鉱業金融商社の双方にIGを適用した。「IGはグローバルにみら れたが,インドと極東での影響力は最も大きかった。逆に北米,欧州,そし てイギリスの国内産業では全くみられなかった」30。3)「母体となる組織が 所有又は支配する事業の多くは,海外で登記されジュニアー・パートナーか 現地駐在のマネジャーの手で,時には全くの別名で現地法規の下で運営」さ れ,「IGの支配者達の手腕は,如何にして他者の資金から利益を引き出す か」31にあった。 4)母体組織がパートナーシップや株式非公募会社とされ,グループの経 済力は覆い隠されているものの,「IGはこれら家族の富と力を維持する手段 であることは間違いない」32。家族外の専門家や知識を巧みに内部化し,事業 の規模と多様性の拡大で,通常の意味合いでのファミリー・ビジネスを超え る存在になった,とも。5)IGの採用によって,利害の錯綜した家族権益 の集合体(Imperial TobaccoやCalico Printers Asson.の巨大製造企業)でみ られた中途半端な指導力を回避することが出来た33,という。ボード・シス テムでは達成しにくい経営権の一元的支配が,MASでは簡単に達成できた ということであろう。 5)「新たな鉱脈を発見し多角化されたIGを構築するために利用されたDe Beerの利益,そして(被代理会社の)会社定款で与えられたほとんど無制 限に近い法規による(経営)支配力」34,そして「IG所有家族やシティの金

融支配家族はシティの支配階級を構成」し,「Balfour Williamson & Co.,H

29 Chapman,‘British-based Investment Group before 1914,’Economic History

Re-view,38(1985)245; Wilkins & Schroter, op. cit.,215―6.

30 Chapman,‘British-based Investment Group,’246. 31 Ibid.,245.

32 Ibid.,243. 33 Ibid.,231―2. 34 Ibid.,242.

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&C,De Beerといったグループの多様なパートナーや取締役は,帝国銀行, 国際銀行,手形交換銀行,そして大手保険会社の取締役を兼任していた。金 融諸機能を内部化したIGと公共事業や海外株式のプロモーションで活躍し たマーチャント・バンクとの明確な線引きは難しかった」35 ロスチャイルド,ベアリング,モルガンといった著名な引受商会兼発行商 会は,「安全な物件,しばしばIGがその価値を保証した投資案件に彼らの投 資を限定していた」。「IGは,資本と支援サービスの(輸出により)現地の エキスパートであったという意味で,IGは依然として商人としての機能を 果たしていた」36とする。 Chapmanは,インド側の資料とイギリス側の経営文書(当時は未整理の 文書も多かったと思われる)を渉猟しながら,MAHと鉱業金融商社の蓄積 の構図を鋭く分析した。しかし次の問題点が指摘される。1)Turrellと Van―Heltenは,Chapmanが「商人のIG」と鉱業金融商社のグループとを同 一視したと,次のように批判する37。後者では,より資本調達が重視され技 術・経営・管理サーヴィスも集中化され,企業家の出自も商人に限定されて いない。鉱山業は再生産不可能な資源開発で,新鉱脈の発見は過剰生産に繋 がり,鉱脈は劣悪な自然環境にある場合が多いことも経営の多様性を生む, と。 更に,2)「IG内部の支配構造」そのものが具体的に分析されていないと した。鉱業金融商社グループはIGとは異なり,明確な「経営の長期目標, 経営構造,市場戦略」を以て規模の経済性を追求していた,という。後段に ついては同意しかねるが,前段の支配構造分析の欠如は本稿の最大のテーマ となる。 3)本国と植民地に本拠を持つMAHの二つのグループが,同列に検討さ れていることである。上記の3)の特徴は,明らかに後者のものであろう。 35 Ibid.,242. 36 Ibid.,246―7.

37 R. Turrell and Van-Helten, J. Jacques,‘The Investment Group: The Missing Link in British Overseas Expansion before 1914’, Economic History Review, 40 (1987),269.

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4)Jonesは,IG概念を「レントシーカー」38と看做し批判している。恐らく 「濡れ手で粟」と言ったMAHの安直な収益の理解に異義を唱えたものであ ろうが,シティの金融資本といったより大きな構図の中で,多国籍商社の海 外展開を捉えようとしたことは貴重な貢献であった。 ½ Greenhill:数少ない中南米研究からGreenhillも地域間の経営形態の多様 性を指摘する39。と同時に,WilkinsやChapmanの分析が1914年で区切られ ていることに違和感を 表 明 し て い る。時 期 区 分 は 研 究 課 題 に よ る が, MAS・IG・GSといった経営システムは第一次大戦によって大きく変質した とは考えられない。インドではMA手数料の生産高から販売高,利潤高への 移行が見られたが,宗主国に対する対抗力の弱かったマレーシアではブミプ トラ政策で外資系のMAHが同政府に買収されるまで,ほぼ戦前期の手数料 体系のままでMASが継続されていたのであった。 ¾ Jones:JonesはMAHの国際的優位を様々な角度から分析してみせること で,FSC論争に終止符を打った感がある。企業グループを三つの類型に分け, 二番目のMASに基づくグループ経営を詳しく検討した。A母体企業が,傘 下企業を完全所有子会社として一元支配するタイプ,BMAHを核としたグ ループ経営,C同族の株式所有はあるが,核となる企業が存在しないグルー プ,である40。しかしChapmanと同様,グループ経営と収益のメカニズムに ついての財務会計資料等に基づいた数値分析が無く,MASの定義も見当た らない。 以上から,次の課題は¸二層構造仮説から,MAHと(FSCとされた)グルー プ会社との経営と果実の支配と収取の関係を具体的な数値に基づいて実証分析

38 G. Jones, op. cit.,159.

39 前掲拙著,168―170.ブミプトラ政策とMASについては,拙稿「ブミプトラ政 策とマレーシアの公企業」小池編『アジアの公企業―官営ビッグ・ビジネスの パフォーマンス―』(アジア経済研究所,1982)。

R.G. Greenhill,‘Investment Group, Free-Standing Company or Multinational? Brazilian Warrant,1909―52’, Business History,37(1995).

40 G. Jones, op. cit., chap.6. Business Groups.

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することである。まず¹第一次大戦頃終了時までに確立されていた三位一体的 なグループ経営と収益の構図と特徴を明らかにし,º大戦間期の変化を究明す る。この作業によって,»Jonesとは違った角度からイギリス多国籍商社の特 殊性と強靭性を実証したい。

第2節 H&Cの組織と帝国展開

1.MAHのグループ経営 H&Cは,MA職権により各社の筆頭取締役を含む一名以上の取締役ポスト を獲得した。各社に対する持ち株は,H&C本体(追加的買い取り〈オプショ ン〉権を含む)と傘下の二つの投資信託会社,そして本社派遣の取締役達の資 格株から構成された。MA契約で各社の本国本社の秘書役(London Secretary-ship)と現地事業の全経営権(Local Agency)を掌握し,手数料の名目で収 益した。 MASの追加的便益41は,グループ経営において際立った。H&C本社取締役 の大幅な兼任42と,同本社へのグループ経営機能の極限までの集中を可能にし 41 旧稿で述べてきたように,MASの追加的便益は次の4点に一般化できる。1) パートナーシップや株式公募会社組織の持つ少数者による所有と経営の排他的 支配機能と,株式公募会社の持つ不特定多数からの資金調達とその運用による 収益機能との巧みな結合である。Millerは,「H&Cの成功のほとんどは,資本 と経営のパートナーシップ的な設計に負うものです」と1937年の株主総会で述 べている(One Hundred Years,67; Annual Report, H & C, Ltd.,1937)。持株とMA 契約で,より確実な傘下会社の所有と利益回収を担保できた。2)持株が少数 でも,契約により経営支配権と手数料請求権が事実上,無期限に保障された。 いわゆる「持たない経営」である。3)手数料の形態と料率の調整で,会社へ のコミットメントと利潤の吸収がコントロールできた。4)防衛的な持株が, ボード・システムに比べ少なくて済み,各社の株式売買枠を広げたことである。 42 1913年版のStock Exchange YearBookには,H&C傘下の会社が30社(The

Rub-ber Plantation Investment Trust Co. Ltd.〔以下,Trust〕を含む)収録されてい る。128の取締役ポストの内,Lampard,Croll,Millerの3名が22,13,8の計 43と全体の34%を占めた。1936年ではE. Macfayden,Miller,A.L. Mathewson

が20,17,14の計51を兼任していた(Brown, op. cit.,54)。

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たからである。農園経営という単一の事業分野で展開された規模の経済性は疑 う余地がない43。傘下農園での優れた品種改良,樹液採集から生ゴム生産に至 る技術改良(Linatex)44,農法・灌漑等の改良実績が他地域の農園に適用され, 価格変動や病虫害・異常気象によるリスクなども多地域・多国籍経営で平均化 されたからである。 H&Cは1907年の会社法改正に伴い株式非公募の有限会社に移行した。発行 済み株式資本£307,500は同商会と関係の深い投資家向け累積的優先株と旧 パートナー(最初の取締役)たち向けの優先的普通株・経営者株で構成され, H&Cと直接的な関係を持たない第三者の出資は£50,000に過ぎなかった (Miller会長の証言)。最初の取締役は会長のLampardとCroll,Brett(同氏の 死去に伴いSwettenhamが選出)ら8名で構成され,1940年には副会長のMac-fadyenを含む5名であった。同社定款によれば,額面1シリングの経営者株 は,最初の取締役たちの話し合いで,取得株数が決められた。各自25%以上の 所有は許されず,取締役等の経営執行に参加していない人物の所有は禁止され た。又60歳から70歳までの10年間に,25%づつ4回に分け定款に定められた価 格で,同社の指定する人物への売却が義務づけられた。

London Joint Stock Bankに預けられたLampardの持株一覧によれば,1911 年10月26日現在で,H&Cの経営者株33,750株(全体の22.5%),優先普通株 22,455株(同15%),累積優先株12,500株(同2.8%),Trust社の1,125株(同 0.2%)を所有していた45 1918/19年の増資を節目に,取締役会から創業家のメンバーが姿を消し,専 門経営者たちが経営者株・後配普通株を占有し,仲間内の投資家から累積的優 先株・優先的普通株で追加資本を調達する構図は変わらなかった(第14表参照)。

43 Chapman,‘British-based Investment Group,’245.

44 Guy Nickalls(ed.), Great Enterprise: A History of Harrisons & Crosfield(Lon-don, the firm,1990),102―13.

45 List of Mr. C. A. Lampard’s Securities at the London Joint Stock Bank, Ltd., 26 Oct. 1911, MS37041―File177)。なお,Lampardの交信記録の多くはMS37041

に収められており,交信相手の個人名又は機関名のアルファベット順に,ファ イル番号が付された300の茶封筒に整理されている。

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同社が株式公募会社に踏み切ったのは1982年のことである。 さらに注目されるのは,パートナーシップ時代に一般に運用されていた「投 資資金に対する6%の利子(interest)の先取り」が継承されたことである。 1922年8月10日の取締役会で,本社と支店(Baker&Co. Ltd. とH&C〔Borneo〕 Ltdを含む)の運用資金に掛かる利息は,イングランド銀行レートに見合うも のとされた(ただし最低6%保証)46 H&Cは,本社事務所が同ビル内にある二つの投資会社,TrustとG.T.S. Syndicate Ltd.(以下,G.T.S.)を持っていた。1909年3月に設立されたTrust はプランテーション業界初の投資信託会社47で,払込資本金は1939年までH& Cを上回っていた。H&Cは手持ちのグループ会社の株とTrust株を交換する 方式で最大の株主となり,TrustのMAとなった。Trustはインド,ボルネオ, スマトラに所有した大規模な茶園をシティで資本化し,H&CがそれらのMA となった48。Trustは,これらの会社に対して相当数の(a very considerable)

オプション権を持っていた。定款規定によりLampardらTrustの取締役は,配 当支払額の10%相当額を追加的に受け取ることが出来た49。G.T.S.は,大戦間 期に起業又は取得した農園会社を対象としていた。 1920年代初めの戦後恐慌で,1923/24年にはTrustの投資額は倍近くに増え た。1928/29には1件当たり£2,500を超える投資残高を持つ会社数が1925年の 倍以上となり,投資額も200万£を超えた(第15表)。1923/24年頃までグルー プ会社に限られていた投融資が,現地登記会社を含むアウトサイダーに一挙に 拡大されたわけである。大手MAHの買収による傘下企業も含めて,TrustとG. T.S.が新会社に投融資し,H&CがMAとなるか,経営を請負う構図が強化さ 46 Excerpt from Minutes of Meeting of the Board held on 10th Aug. 1920:

Subject-Interest on Current Accounts, dated12thAug. 1920, Minutes No.3, MS

37014(3).

47 1914年3月10日付の現地からLampard宛て公信で,MAHによる投資会社が19 社ほど報告されていたが,いずれも中小規模であった。

48 1914年のTrust社年報によれば,次の8社はTrustの起業であった。Bah Lias, Mendaris, North Labis, Wallardie, Wampoe, Bajoe, Djasinga, Meppadi(Annual Report, Trust,1914)。

49 Annual Report, Trust,1909,4.

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れたと言える(この点の実証は後述)。 2.H&Cの組織と機能

¸ 本社の組織と機能

1917年4月12日付で,H&Cはグループの構成と本社各部門の業務内容を社 員に周知徹底させるため,第1表のような‘The Sphere of H & C’を作成し た50。地域別にみたグループ会社の陣容は第2表の通りである。この資料と他 の関連資料51を突き合わせると,第一次大戦までのH&Cの組織と業務内容は 概ね以下のようであった。1844年から続く茶の輸入販売事業は,国内販売担当 の「セイロン・ワーフ部」と地中海沿岸諸国向け輸出を担当した「地中海部」 からなっていた。農園経営事業は,グループ会社とアウトサイダーの経営を担 当した「会社部門(Companies’Dept.)」を中心に,四つの貿易部門(「茶輸入 部」,「ゴム部」,「東洋物産輸入部」,「東洋向輸出部」)から構成された。最重 要部門である「会社部門」は,次の四つの亜部門を擁していた。「会社秘書部」, 「会社経理部」,「会社トランスファー部」,そして1912年7月に上の「ゴム部」 が移籍された「会社ゴム部」である。 「会社部門」は,グループ各社の「秘書部」,「経理部」,「トランスファー部」, 「ゴム部」52の管理監督に加え,現地支店に置かれた「農園MA部」の管理監督 に当たった。農地買収,新会社の起業,エージェンシー契約,投入資材の購入 等について,H&Cと各社間の全ての取決め事項を担当した。「会社トランス ファー部」は,各社の証券発行,登記,配当支払,ブローカーへの株式売買の 指示,名義書換(transfer)等,証券付帯業務を担当する重要かつ多忙な部門 であった。 「茶輸入部」は,茶園事業への参入に伴う各社の栽培茶の販売,ロンドン市

50 H & C,‘Statement of Sphere of Operations of their Head Office Depts. and their Branches and Affiliated Companies,’MS37046/1.

51 MS37050には,重要な経営項目に関するH&C取締役会での決議事項が年次 順に整理されている。

52 各グループ会社がどの程度の自前の常勤スタッフを抱えていたかは未確認で ある。

(20)

第1表 H&Cグループの組織構成

【LONDON HEAD OFFICE】 ¸Secretary’s Dept.

¹Companies’Dept.(Act as Managing Agents & Secretaries for the45companies) 1.Companies’Secretarial Dept. 2.Companies’Accounts Dept.

3.Companies’Transfer Dept. 4.Companies’Rubber Dept.

ºImport Tea Dept. »Rubber Dealing Dept. ¼Eastern Produce Import Dept. ½Eastern Export Dept. ¾Mediterranean Dept. ¿Stationary Dept.

ÀInsurance Dept. ÁShipping Dept. ÂFinance & Accounts Dept. 【BRANCHES】

¸Colombo(Depts.: Management, Finance & Accounts, Estate Agency, Lead Mills, Im-port & ExIm-port Supplies, Rubber & General Produce, Tea, Victoria Mills).

¹Medan(Depts.: Management, Finance & Accounts, Estate Agency, Import, Shipping, Deli Est. Engineering, Insurance, Holt & P. & O. Agency, Bazaar).

ºBatavia(Depts.: Management, Finance & Accounts, Estate Agency, Estate Supplies, Engineering, Rubber & General Produce, Tea, Shipping and Insurance); Bandoeng (Java).

»Kuala Lumpur(Depts.: Management, Estate Agency, Import, Estate Supplies, Finance & Accounts, P. & O. Agency, Engineering, Shipping);Singapore Sub-Branch.

¼Quilon(Depts.: Management, Visiting Agent, Finance & Accounts, Insurance, Estate Agency, Tile Works, Saw Mills, Steamer Agency, Engineering);Calicut, Trivandrum & Kottayam Sub-Branches.

½Calcutta(Depts.: Management, Finance & Accounts, Tea, Insurance). ¾Kobe(Buying Agency for Japanese goods).

¿Montreal(Depts.: Management, Finance & Accounts, Tea). 【AFFILIATES】

¸Harrisons & Eastern Export, Ltd.(Colombo; Branch Office in Calcutta).

¹Harrisons Ramsay Proprietary, Ltd.(Melbourne, Sydney, Adelaide, Brisbane, Welling-ton, Auckland; London Office).

ºIrwin-Harrisons & Crosfield, Inc.(New York, Chicago, Boston & San Francisco). »South Africa Nectar Tea Co., Ltd.(Cape Town).

¼Twining Crosfield & Co., Ltd.(London).

½Baker & Co., Ltd.(Act as Local Agents and/or Secretaries for the 61 Companies or Estates; Singapore, Penang & London Office).

¾Harrisons & Crosfield(Borneo),Ltd.(Sandakan). ¿Harrisons, King & Irwin, Ltd.(Shanghai).

(Source) H & C,‘H & C, Ltd. Sphere of Operations:1917’(H & C Archives, MS37046/2).

(21)

第2表 H&Cグループ会社の資本金と面積の推移

PAID-UP CAPITAL ACQUIRED ACREAGE PLANTED ACREAGE 1913 1920 1930 1940 1913 1920 1930 1940 1913 1920 1930 1940 Trust 725 1,997 2,250 2,469 ― 98,812 35,704 0 ― 13,872 9,666 0 Malay Peninsula(=MP)

Anglo Malay Rubber Co., Ltd. 150 375 413 413 6,556 6,555 8,366 8,345 4,108 4,470 5,782 6,035 Bikam Rubber Estates, Ltd. 60 80 189 545 1,263 1,260 4,859 17,804 993 1,118 3,335 13,261 Cluny Rubber Estates, Ltd. 70 70 70 70 2,000 1,133 1,577 1,453 923 971 1,210 1,430 Coconut Plantations of Perak, Ltd. ― 580 ― ― ― 10,552 ― ― ― 6,405 ― ― Golden Hope Rubber Estates, Ltd. 44 80 281 364 900 2,101 9,803 11,944 850 1,476 6,976 9,835 Hoscote Rubber Estates, Ltd. ― ― ― 175 ― ― ― 9,988 ― ― ― 5,133 Lanadron Rubber Estates, Ltd. 295 295 360 360 10,781 11,544 12,141 13,310 4,877 5,320 5,831 5,974 Ledbury Rubber Estates, Ltd. 69 109 109 109 2,928 2,993 3,203 3,501 1,190 2,257 2,647 2,713 London Asiatic Rub. & Prod. Co., Ltd. 160 354 492 930 6,747 9,523 20,072 46,192 4,342 7,591 13,217 30,310 Malaysia Rubber Co., Ltd. ― 45 45 45 ― 1,136 1,708 1,609 ― 935 1,291 1,322 North Labis Rub. & Prod. Co., Ltd. 60 109 130 ― 5,033 5,033 5,541 ― 1,240 1,508 2,404 ― Pataling Rubber Estates, Ltd. 23 225 225 305 2,205 2,321 2,665 12,265 1,467 1,820 2,146 11,059 Pernambang Rubber Estates, Ltd. ― 222 473 ― ― 2,954 9,908 ― ― 1,589 5,860 ― Rubber Estates of Johore, Ltd. 125 175 188 188 25,000 5,059 5,059 5,059 1,893 2,418 2,647 2,871 Seaport Rubber Estates, Ltd. 174 188 188 188 2,000 1,987 1,987 1,987 929 1,969 1,937 1,934 Selaba Rubber Estates, Ltd. 125 150 ― ― 3,270 4,269 ― ― 2,493 2,990 ― ― Straits Plantations, Ltd. 44 120 415 527 4,309 4,307 16,348 20,711 2,723 2,844 12,438 16,559 Strathisla Rubber Est., Ltd. 34 70 80 80 1,983 2,310 2,232 2,231 1,100 1,515 2,055 2,199 Sungei Dangar Rubber Co., Ltd. 44 66 ― ― 2,041 1,956 ― ― 1,460 1,377 ― ― Sungkai-Chumor Estates, Ltd. 40 100 100 ― 1,720 2,537 2,536 ― 1,462 1,934 2,416 ― Tai Tak Rubber Estates, Ltd. ― 125 133 92 ― 3,180 8,059 4,512 ― 1,650 2,962 2,783 Tangkah Rubber Estates, Ltd. 80 82 ― ― 11,000 3,291 ― ― 1,500 1,595 ― ― Tebolang Rubber Estates, Ltd. ― 64 90 ― ― 2,598 2,598 ― ― 1,606 1,913 ― Victoria Rubber Estates, Ltd. 84 50 ― ― 7,850 3,029 ― ― 1,702 1,478 ― ― Total 1,681 3,734 3,981 4,391 97,586 91,628118,662160,911 35,252 56,836 77,067113,418 SUMATRA

Allied Sumatra Plantations, Ltd. ― ― 1,400 1,400 ― ― 44,324 39,330 ― ― 22,355 23,846 Asahan Rubber Estates, Ltd. 104 115 130 130 9,500 9,521 9,479 9,479 2,400 2,634 3,613 3,869 Bah Lias Tobacco & Rub. Est., Ltd. 175 321 351 507 40,000 39,616 16,666 30,823 3,200 6,317 8,799 16,172 Bila Rubber Lands, Ltd. 123 126 171 ― 50,000 8,918 8,913 ― 810 2,240 2,630 ― Central Sumatra Rub. & Prod. Est., Ltd. ― 100 100 100 ― 13,540 3,848 4,160 ― 1,500 1,921 2,326 Mendaris Rub. & Prod. Est., Ltd. 175 354 431 431 14,068 14,068 12,767 12,767 3,300 6,094 6,555 6,710 Sialang Rub. & Prod. Est., Ltd. 129 300 300 300 9,480 9,391 9,334 8,389 5,371 6,870 6,819 6,629 Soengei Rampah Rub. & Coco Pln. Co. Ltd. ― 62 85 85 ― 2,119 2,133 2,133 ― 1,848 1,568 1,511 Sumatra Tea Estates. Ltd. ― ― 439 750 ― ― 10,260 25,157 ― ― 5,100 14,977 Sungei Kari Ltd. 54 78 78 ― 1,743 1,743 1,743 ― 793 1,043 1,043 ― Tandjong Rubber Co., Ltd. 98 250 250 250 9,733 9,733 8,388 8,388 4,439 5,886 6,149 6,208 Toerangie Rub. & Prod. Est., Ltd. 50 135 179 179 14,801 14,801 7,796 7,796 1,000 3,047 5,625 5,972 United Serdang Rub. Pln., Ltd. 210 500 1,423 1,423 11,282 19,004 78,814 78,843 10,317 11,191 39,453 41,193 Wampoe Tobacco & Rub. Est., Ltd. 150 175 175 ― 12,780 12,782 2,965 ― 1,094 2,046 2,200 ― Total 1,268 2,516 5,512 5,555173,387155,236217,430227,265 32,724 50,716113,830129,413 JAVA

Ankola Tea & Rubber Co., Ltd. 88 100 60 46 4,413 4,420 4,420 3,778 1,400 1,444 1,820 1,817 Bajoe Kidoel Rub. & Prod. Co., Ltd. 131 218 218 249 13,758 16,783 16,810 34,369 3,200 5,183 8,617 12,424 Djasinga Rub. & Prod. Co., Ltd. 240 436 441 448 41,352 41,352 17,430 19,468 4,464 9,668 9,140 10,583 Kasintoe Rubber Estates, Ltd. 110 120 120 120 3,190 3,778 3,778 3,786 2,350 2,145 2,509 2,717 Langen Rubber Estates, Ltd. 103 125 125 125 4,263 4,263 4,427 4,542 2,254 2,550 3,070 3,156 Total 672 999 964 988 66,976 70,596 46,865 65,943 13,668 20,990 25,156 30,697 CEYLON

Bambrakelly Tea & Rubber Co., Ltd. 75 80 ― ― 1,541 1,567 ― ― 1,413 1,436 ― ― Lunuva Tea & Rubber Est., Ltd. 143 200 633 815 4,989 6,227 14,269 17,733 3,791 4,521 11,801 15,163 Negombo Coconut Estates, Ltd. ― 75 ― ― ― 1,263 ― ― ― 1,100 ― ― Sapumalkande Rubber Co. Ltd. 153 165 ― ― 2,786 3,408 ― ― 1,970 2,570 ― ― Total 371 520 633 815 9,316 12,465 14,269 17,733 7,174 9,627 11,801 15,163 INDIA

East Indian Tea & Prod. Co., Ltd. 130 130 ― ― 23,965 23,758 ― ― 5,580 4,865 ― ― Malayalam Rub. & Prod. Co., Ltd. 328 500 1,790 1,812 16,240 25,727 70,111 70,605 9,365 14,479 37,125 40,579 Meppadi Wynaad Tea Co.,Ltd. 106 106 ― ― 5,137 5,509 ― ― 1,792 1,846 ― ― Wallardie Tea Estates, Ltd. ― 70 ― ― ― 5,289 ― ― ― 1,660 ― ― Total 564 806 1,790 1,812 45,342 60,283 70,111 70,605 16,737 22,850 37,125 40,579 BORNEO

British Borneo Timber Co., Ltd. ― ― 180 180 ― ― ― ― ― ― ― ― GRAND TOTAL 5,28110,57215,31016,210392,607489,020503,041542,457105,555174,891274,645329,270 (Source) Stock Exchange yearbook.

(22)

場での茶取引,各支店が行う茶取引の管理監督,そして各支店や関連会社およ びその他の顧客用にロンドンで茶を買付ける代理人業務などを担当した。「東 洋物産輸入部」は,ゴムと茶以外の全現地産品のロンドン市場での販売,各支 店での同様の業務を管理監督した。「東洋向輸出部」は,各支店と農園向け, その他の東洋向けの各種機械機器・資材の買付けと,現地支店が行う農園への 物品供給,技術指導・管理,現地製造部門などの管理監督に当たった。 「保険部」はロンドンの全倉庫のストックとH&Cのロンドンにある建物と 家財・物品に対する火災保険,海上保険,間接損害保険等の業務と各支店の保 険部門の管理監督であった53 これら本社の諸部門全体をカバーする部局として,「本社秘書部」と「本社 財務経理部」があった。前者は,H&Cの政策全般と本社・支店のスタッフお よび同組織にかかわる総務全般を担当した。後者は本社の財務・経理に加え, バンカーとの折衝や株式ブローカーへの融資など,取締役会の監督の下で行っ ていた。 ¹ 海外支店の組織と機能 海外事業所は,アジア支店と北米,カナダ,オーストラリアの販売拠点から 構成された。販売拠点は当初,代理店・支店という形であったが,各地の老舗 同業者との激しい競争から,彼らとの合弁事業に落ち着いている54。コルカタ を除くアジア支店の部門構成は,地域の業務内容に応じ均一ではなかった(第 1表参照)。支店業務の第一は,本社の指示の下で行う農地の買収交渉,農園 の造成,金融・会計,クーリーの調達と管理,梱包,農園産品の価格査定と本 社への報告書類の作成,在庫管理,倉庫業務,船積,保険,農園への供給物資 の運搬,機械機器の据付けと補修整備など,多岐にわたった。 第二は,アウトサイダーに対する前貸しと経営の一括又は販売のみの請負, そしてゴムや茶の買付と輸出である。第三に,伝統的な本国綿製品や雑貨の輸 入販売業務があり,クーリーの輸送や生活費の前貸し,彼らに販売するコメ輸 入なども重要な収益源であった。第四に,コロンボとコルカタ支店はニュー ヨークの販売拠点Irwin-Harrisons & Crosfield, Inc.の買付代理人として,バタ

53 1913年6月末時点での詳しい保険の内容は,MS37322. 54 合弁会社の詳しい出資比率等については,MS37392.

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ビア支店はニューヨークとメルボルンの販売拠点Harrisons Ramsay Proprie-tary, Ltd.の買付代理人として,傘下会社以外の茶も含め買付に当たった。第 五に,以上の業務にかかわる本国の海運会社,保険会社,機械機器メーカー, その他輸入品のメーカーの現地総代理店業務である55 最後に,現地での必要に応じ,簡単な加工や製造工場なども自家用と市販用 に運営した。コロンボでは現地から欧米への直輸に伴い,製茶工場に加えてブ レンド・包装といった施設の併設,タイルや包装用ホイル(lead foil)の生産 (鉛の地金はカルカッタから調達)に加え,現地の「ウバ銀行」(Bank of Uva Ltd.)のMA・秘書役などがそれである。銀行業にMASが適用されるのは非常 に珍しい。メダン支店では製茶工場などに設置されていた各種機器のエンジニ アリング業務をDeli Estates Engineering and General Union, Ltd.として企業 化し,同支店がMA・秘書役となっていた。コイロンではココヤシ繊維製品, タイル,茶箱と家具などの生産と販売も行っていたのである。

º アジア支店の人的構成

断片的な統計からアジア支店の人的構成と給与について見ておこう。まずコ ロンボ支店での1914年3月分の給料についてみよう。同支店の従業員は大洋州 向け直輸を担当していたHarrisons & Eastern Export Ltd社の従業員も兼ねて いたため,以下の報酬は両社からの合計月額である。ヨーロッパ人スタッフは 3名で,1,000ルピー2名,700ルピー1名であった。インド人スタッフは12名 で,150ルピー1名,70∼75ルピー3名,50∼65ルピー3名,25∼40ルピー5 名であった56。次に1923年12月末現在での支店別のイギリス人スタッフの構成 は次の通りであった57。¸バタヴィア(バンドンを含む)13名,¹コルカタ4 名,ºコロンボ16名,»メダン(地域支店を含む)27名、¼コイロン(コーチ 55 H&Cが代理店契約を結んでいた本国の会社数は,1917年4月現在でコロン ボ6社,メダン38社,バタビア14社,クアラ・ルンプル15社,コイロン19社, コルカタ2社であった(H & C,‘The Statement of Sphere’)。

56 H&C and H&EE, Statement showing how the salaries and wages for the month of March 1914 have been allocated between the two Companies, MS 37208/1.

57 以下はMS37341所収の資料による。

(24)

ンを含む)15名,½ボルネオ10名,¾中国7名、¿神戸3名。給与データのあ るコロンボでは,マネジャー1名,財務会計3名,農園2名,茶2名,ゴム2 名,輸入3名,工場1名,そして本国休暇が1名で,時期はかなりずれるが 1939/40年の給与体系は次のようであった。 マネジャー(1920年6月採用,1938年11月着任で3年契約)の給料はRs.2,000, 手当としてRs.200,社宅・車付き,コミッションとして支店利益の2%,支店 売上の1/4%が追加された。各部門の長は,Rs.1,650からRs.1,900の給与に コミッションとして支店の利益の1/4%から3/4%,又は担当部門の利益の 1%から7.5%を得ていた。支店の利益にリンクしていた会計士と財務・会計 が1/2%,農園担当の2名が3/4%と1/2%,工場担当1/4%であった。 担当部門の収益にリンクしていたのは,茶の1%(休暇中)と2%,ゴムの5%, 輸入の7.5%と4%,出荷(船積)5%,保険3%であった。又特別ボーナス として,茶・農園・ゴム部門の長に年£50,輸入部門の長に£100が支給され ている。部門長以外のスタッフは,着任時に概ねRs.500からスタートして,年 Rs.25のベアであった。マネジャーを含む全スタッフは着任から3∼5年の雇 用契約であった。クーリーについては従業者数と賃金統計を付表3と4に纏め ておいた。 3.農園事業の展開と国際環境 ¸ 第一次大戦終結まで イギリスのプランテーション投資は,銀貨の大幅下落に刺激された1894∼97 年のインド・スリランカ向けブームの後,1905年から1911年にかけゴム農園の 起業ラッシュを迎える。1906年頃までスリランカとマレー半島に進出していた ゴム園の産出量は未だ少量で,世界の供給の大半はブラジル産の野生パラ・ゴ ムであった。しかし1909年になるとブームはジャワ,スマトラ,インド,スリ ランカに波及し,ゴム価格が1lb.当たり12s.9d.の高値を付けた1910年には東ア フリカ・中南米にも及び,1909∼10の2年間に300社を超えるポンド会社が起 業された58。1エーカー当たり生ゴム生産は,おおよそ作付4年後の50 lbsか

58 以上は,Stock Exchange Yearbookの1913年版から各社の登記時点と農園所在地 を集計した暫定値である。

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ら5年後には150 lbs,7年後300 lbs,そして9年後からは400 lbsへと上昇す る59。したがって,生産調整が非常に難しい反面,各種の経営合理化と相まっ てコスト・ダウン60も着実に進捗する。1912∼13年には価格が大幅に下落した にもかかわらず,1914年のアジアでの生産量は前年比44%,15,16年には同 33%増で16年の生産量は12.3万トンに達した61。一方,1913∼14の2年間で1lb. 当たり10ペンスのコストダウンが報告されているが,その後もコストの低下は 続いた62 Lampardは1903年から1905年にかけ,直接,現地に赴いてH.W. Brettら老練 なプランター達の協力を得ながら,幾つもの優良農園を実地見聞の上で買い取 り,順次Pataling,Anglo-Malay,Golden Hope社として起業した。各社の目 論見書には,「エージェントと秘書役」63がH&Cであること,LampardやBrett はじめビッグ・ネームを取締役一覧に配置し,高名な取引銀行名,著名な株式 ブローカー名,豊富で低廉なクーリーの存在,高率の期待収益率などと共に刷 り込み,一般投資家の誘引を図った。彼は自動車と電気産業の二大ゴム・ユー ザーの高成長,アジアのゴム・プランテーションが先行する南米産のパラ・ゴ ムに取って代わることなど,シティの用心深い投資家たちに「千載一遇のチャ ンス」と訴えた。コロンボに滞在していたCrollも1908年10月には「(ゴム農園 の)Agencyビジネスは,H&Cが獲得すべき最も望ましい事業」であり,折 からのスランプで「非常に多くのプランテーションが農園整備の段階で資金繰 り窮しており,今がチャンス」64としていた。LampardはCrollに対し,「我々の 株式投資はAgencyビジネス獲得のためで,目的が達成されれば直ちに売却し て他の物件に投資することです。株式の売却をためらう必要は全くありませ 59 MS37152所収の統計による。 60 London Asiatic社ではエーカー当たり産出量が,1910年の42 lbsから1940年に は460 lbs,1982年には1,519 lbsに達していた(Guy Nickalls〔ed.〕,op. cit., 113)。 61‘1914: Production and Consumption,’MS37152所収のファイル。

62 Annual Report, H & C, Ltd.,1914,15.

63 1910/11年のブーム期の株式公募広告(The Times)やそれ以降のStock Exchange

Yearbookでも,MAの表記は稀で,単にAgentsかSecretariesだけの記載にとどま

る会社が多く,MASが少数派であったかのような印象を与える。 64 Croll to the Directors(H&C),1Oct.1908,

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