近
代
に
お
け
る
真
言
宗
の
分
派
と
統
合
斎
藤
昭
俊
近 代における真言宗の分 派と統 合 (斎藤 ) 五 四 一 nt _ 一 一 一 は し が き 豊 山 派革
新会
( 匿 真 会 ) 筒志
会 ( 公 論会
) 智 山 派革
政
会 ・ 至 誠 会 古義
派 の統
一 運動
と 分 離あ
と がき
は
し
が
き
こ の研
究 は昭
和
三 十 七年
度
文 部 省 科 学 研 究費
を う け た 「現
代 霜 本 に お け る宗
教 集 団 の 形態
に関
す る総
合 研 究 」 の 一 部 を な す 亀 の で 、現
代 日 本 の 仏 教 諸 宗 派 の 形態
に 関 し て 、 そ の 展 開 を研
究 す る も の で あ る が 、真
言宗
が 古 い 宗 教 一 71 一で あ り、 民 間 信
仰
と 結 び つき
、 貴 族社
会 と 結 び 、葬
式 、寺
檀関
係 に強
く 縛 ら れ 、特
に 加 持 祈濤
を な し 、 又 修 験 と の 関 係 を も ち 、 多 種 多 様 な 形態
を 備 え、分
離
分 派 も多
い の で、仏
教 諸 宗 派 の 中 で も 日 本 的 展 開 を 研 究 す る に 最 も 適 し て い る も の の 一 つ で あ る と考
え た か ら で あ る 。 昭 和 三 十 六 年 度宗
教 年 鑑 に よ る真
言 宗 各 派 か ら の 分 派 を 見 る と 第 一 表 の如
く 四 十 八 派 に な る 。 本 研 究 は そ れ ら の後
づ け を試
み る意
味 に お い て 明治
・ 大 正 時 代 に 逆 上 っ て 、 行 な わ れ た 分 派 的 争 い を 取 上 げ て 考 え て み る こ と に す る 。 明 治 ・ 大 正 時代
に か け て の 宗内
外
に 関 す る 資 料 は 主 と し て 当 時 発 行 さ れ て い た真
言系
の 雑 誌 ・ 新 聞 に た よ る 外 な い が 、新
義 真 言 と し て は 密 厳 教報
( 明 治 二 十 二 年 − 三 十 三 年 ) が あ り 、 智 山 派 で は 智 嶺 新 報 ( 明 治 三 十 四 年昭 和 二 年 ) 、 豊 山 派 で は 加 持 世 界 ( 明 治 三 十 三 年
大 正 七
年
) 、 曲 豆 山 公 論 ( 大 正 三 年 − 六年
) 新 興 ( 大 正 七年
1
昭 和 三 年 ) が あ り 、 古 義 で は伝
燈 ( 明治
二 十 三 年1
三 十 六 年 ) 、 六 大 新 報 ( 明 治 三 十 六 年1
昭 和 十 七 年 ) 同 学 ( 明 治 二 十 三 年二 十 八
年
) 、高
野 の光
( 明 治 二 十 八年
⊥
二 十 年 ) 高 野 山 教 報 ( 明 治 三 十 年1
三 十 四 年 ) 高 野 学 報 ( 大 正 二 年i
二 年 ) 高 野 山 時 報 ( 大 正 三年
ー
) そ の 他 十
善
宝窟
、 遍 照 世界
、密
教 、 神 変 等 の真
言 系 の 雑誌
が あ る。 ( 別 表 二 を参
照 ) 明 治 以 来 の真
言 宗 の 分離
合 同 に 関 し て は 合 同 と い う事
は な さ れ ず 、常
に 分 離 を な し て い る 。 昭 和 十 六 年 の 大真
言 宗 に統
一 さ れ た の は 政 府 権 力 に よ っ て な さ れ た の で 、 決 し て 内 部 か ら の 合 同 で は な い し、 明 治 十 二年
の 一 宗 一管
長 も 政 府 の 命 令 に よ る も の で あ っ た 。 た だ 一 つ 大 正 十 四年
の 古 義真
言 宗 は 明 治 三 十 三 年 に分
離 独 立 し た も の が 、 三 派 (高
野
派 、 御室
派 、 大 覚 寺 派 ) が 合 同 し た も の で あ る 。 別表
三 に あ る よ う に 、 明 治 五 年 に 教導
職 が お か れ て 、 各 宗 に 管 長 、 高 野 山 桜 池院
の 密 道 応 が 初 代 真 言 宗 教 導 職管
長 と な っ た 。 つ い で 六 年 に は 大 教 院 が 設 け ら れ 、 各 地 に 小 教 院 が つ く ら れ た 。 翌年
に は 智 積 院 、 長 谷寺
を 新 義 真 言 宗 の 本 山 と 定 め、管
長 は 四 山 つ ま り 、 金 剛 峯 寺 、 東 寺 、 智 積 院 、 長 谷 寺 で交
番 制 と な っ た 。 八 年 に は 大教
院
が 廃 止 さ れ 、真
言 宗 で は新
古
合 同 の 大 教 院 を 東京
、 芝・真
福 寺 に た て 、 各 地 に中
小 教 院 を た て た 。 十 一 年 に は 仁 和 寺 、 大 覚 寺 、 法 隆 寺、 薬 師 寺 、 西 大 寺 、 唐招
提
寺 の 八 力 寺 が 西 部 真 言 宗 を た て て 、分
離
し た 。 更 に新
義、古
義 分離
し て 、 三 派 一72
一近 代に おける真言宗の分 派と統 合 (斎藤 )
併
立 と い う こ と に な っ た α し か し 十 二 年 に は 別 置管
長 も 認 め ず 分 派 分 離 も認
め な い 内務
省
の方
針
で 一 宗 一 管 長 制 に 復 帰 し 、東
京 湯 島 の 霊雲
寺
で 本 末 合 同 大 成 会 議 を開
き 、 東寺
を 総 本 山 と し 、 初 代 真 言 宗 長者
に 三 条 西 乗 禅 が な っ た が、 各 山 の 間 は う ま く い かず
、 十 五年
法 相 宗 が 独 立 し て 、 再 び輪
番
管 長制
に 復 帰 し た 。 十 八 年 に は 単 称 真 言 宗 と 新 義 真 言 宗 と が 認 可 さ れ る こ と に 至 り 、 二 十 八 年 に は 真 言 律 宗 の分
離
を 見 た 。 こ の 頃 醍 醐寺
、高
野 山 に は 独 立 の 気 運 が き ざ し 、 原 心 猛 座 主 は そ の 運 動 に 奔 走 し て い た が 、 三 十 二年
の 宗 会 で 、 宗 典 を 変 更 し 教 王護
国 寺 、 金 剛 峯 寺 、 仁 和 寺 、 大覚
寺 、 長 谷寺
、智
積
院 、 泉 湧 寺、随
心 院 、 勧 修 寺、 醍醐
寺
は そ れ ぞ れ 宗 典 を 設 け て 管 長 を 別 置 す る こ と に 決 っ た 。分
離 反 対 画 一派
で は 独 立 ま で は 宗 典 に 従 う べ き で 、 許 可 願 は 不 当 で あ る と 分離
反 対 運 動 を起
し た が 、 時 の 内 相 は 新 義 だ け の 独 立 を認
可 す る の は 片 手 落 ち だ か ら 、 行 政 処 分 と し て 分 立 を 認 め よ う と い う 事 に な り 、 真 言 宗 の 分 離 許 可 は 三 十 三 年 八 月 に 下 り た わ け で あ る 。 真 言宗
高 野 派 ( 管 長金
剛
峯 寺 座 主 原 心 猛 ) 真 言宗
御 室 派 ( 管 長仁
和
寺 門 跡泉
智
等 ) 真 言宗
大 覚寺
派 (管
長 大 覚 寺門
跡高
幡 竜 暢 ) 真 言 宗 醍 醐 派 (管
長醍
醐
寺 座 主 和 気 宥 雄 ) 新義
真
言 宗 豊 山 派 (管
長 長 谷寺
化 主 慶 雲海
量 ) 新 義真
言 宗智
山 派 (管
長 智 積 院 化 主 瑜 伽 教 如 ) 等 の 独 立 派 が 行 な わ れ た が 、 こ れ に 対 し て 古 義 画 一 同 志 会 は分
離
反対
運動
を 起 し 、 議 会 へ請
願 運 動 を起
し た 。 古 義 四 派 管 長 、 真 言 宗長
者 等 が政
府 主催
で 協 商 会議
を も ち 、 連 合 制 規 を 定 め た が 、 古 義 画 一 同 志会
は賛
成 し な か っ た が 、 翌 三 十 四年
第
二 回協
商
会
議 で、 修 正案
を 出 し て 了 承 さ れ 、古
義連
合 制 が 確 立 し 、総
裁 を 各 派 管 長 か ら 推薦
す る こ と に な っ た 。分
派 し な か っ た 教 王護
国寺
、 勧修
寺
、 随 心 院 、泉
湧寺
の 四 山 は 単 称 真 言 宗 と し て勧
修
寺
門
跡 長 宥 匡 が 長 者 を つ と め た が 、 四 十年
に は 単 称 真 言 宗 も 分離
し 、 73 一真 言 宗 東 寺 派 ( 管 長 教 王
護
国 寺 長 者 鎌 田観
応 ) 〃泉 湧 寺 派 ( 管 長
泉
湧 寺 長 老 佐 迫 法 遵 ) 〃山 階 派 ( 管 長 勧
修
寺
門跡
長 宥 匡 ) 〃 小 野 派 ( 管 長 随 心 院 門 跡 欠 員 中 ) の 四派
が 新 た に 派 号 を 称 え 八 派 が 出 揃 っ た 形 に な っ た 。高
野 派 は 更 に こ の 連 合 制 か ら 独 立 し よ う と し て嘆
願
書 を 出 し て 大 正 三 年 に 却 下 さ れ て い る 。 大 正 十 一年
に は 古 義 制 度改
正 案 が 出 さ れ 、統
一 か 分 離 か の 問 題 が 提 起 さ れ 、 同 年 十 一月
に は 古 義 臨 時 議 会 が 持 た れ 、 合 理 的 に 改革
を す る こ と に 議 決 さ れ た が、 翌 十 二 年 に は 醍 醐 、 山 階 、小
野
三 派 の制
度
改 正 反 対 に あ い 、 こ れ が 通 ら な い の で 三 派 は 連 合脱
退 を 表 明 す る に 至 り 、 遂 に 十 二 月 連 合解
体 各 派分
離
の 決 議 を な し た 。 こ れ に対
し て各
地 に統
一 の 運動
が 起 さ れ た が 、 合 同 を な し 得 た の は 高 野 派、 御 室 派 、 大 覚 寺派
の 三 派 で 十 四 年 に は 古 義 真 言 宗 と し て 成 立 し た 。 大 正 時 代 に は 新 義 の 智 山、 豊 山 と も に 派 内 の争
い が 見 ら れ る が、 こ れ ら の 派 閥 は 明 治 後 期 か ら の も の で 、 そ の 点 は 智 山 、 豊 山 同 じ で あ る 。 こ れ ら の 特 色 は 派 内 の 政 治 的争
い が 主 で あ り 、 明 治 以 来 の 分 離 は 各 山 の 権 力 の 主張
と 経 済 力 が 主 た る 原 因 と な っ た 。 他 山 の 下 に お か れ る の を 心 よ し と せず
、 格式
を 重 ん じ 、 封 建 的 な 伝 統 を守
ろ う と し た 。 こ の 宗 派 対 抗 意 識 と 更 に 派 内 の 派 閥 的 対 立 を 通 し て 宗派
形 態 の 一 面 を 検 討 す る こ と と す る 。 一 74 一 二豊
山
派
革
新
会
(匡
真
会
)同
志
会
(公
論
会
) 明治
三 十 五 年 豊 山 派 は 宗会
に 先 だ ち 田 端 与 楽 寺 に 於 て 宗是
確 立 の議
を な し て 、 こ れ を 宗会
に 提 出 し た 。 こ の集
会 は 三 十 七 年 の 豊 山 派 第 二 次 宗 会 で 意 見 両 派 に 分 れ た と き 、革
新 同 盟 会 と 称 し た 。 次 い で 翌 三 十 八 年 本 山 事務
長 選 挙 に当
っ て 不 穏 の 事 が あ り 、革
新 同 盟 会 は 主 義 綱 領 を か かげ
て 発 会 、 明 け て 一 月 に発
会式
を 行 な っ た 。近代における真言宗の分 派 と統 合 (斎藤) 三
十
五 年 の 加持
世
界
を 児 る と い く つ か の 改革
案
が の っ て い る 。 そ の中
で 、我
派
の 寺 院組
織
を改
め 、 人 体 組 織 を な す こ と灘
格
を 定 む る は最
も厳
な る べ く 、 而 し て 其 の昇
段 を窪
由
な ら し む る ご と 住 職 の 現 籍 を認
む る こ と寺
院 関 係 入 に住
職
死 亡 の 場念
に は 、後
継 戸 虫 を 加 ふ る こ と中
央 集 権 の 思 を や め、 宗 派 の 自 治 制 を 発 達 し む る こ と と齏
田覈
純 が 述 べ て い る の は 或 る 程 度 豊 山派
に お け る革
新 派 の 意 冤 を 云 っ て い る も の と 見 て よ い と 思 う 。 大 体 豊 山 派 は 二 十 九 年 の宗
会
以 来革
新 的 な 気 運 が 強 く 、 三 十 五年
の 豊 山 派 大 会 で は 「 進 取 的 性 格 を発
揚 し 、 宗 治 を 公 論 に諮
ひ … … 」 の 建 議案
が 出 て 。菩
提
院 結 衆 を廃
し 、 集議
十名
は 管 長特
任
と す る 地方
の 聯 合談
林
所 を 宗 務支
勝
と 改称
其
の 下 に 組 合 を 置 く こ と布
教 を伝
道 と改
称
し 、其
根
本 的 精神
を 定 め た る こ と従
来 の職
級 を位
階
と 改 め 、 教 師 称 号 を 大 司教
、 司教
、 司 數補
の 三 級 と せ し こ と 、 併 し寺
院 に 住 職 す る に は位
階
相 当 にあ
らざ
れ ば 住 す る能
は ざ る こ と 袈裟
は 大衣
、 七 条 、 五 条 と し 、 正 衣 を袍
裳
、直
綴
、素
絹 の 三 種 と す る こ と 色 衣 を緋
、紫
、 萠 黄、 黄 、 浅 青 、 香 色 の 六 色 と せ し こ と 尋格
は宗
憲
中 よ り 除 き其
寺
丈 に て称
健 し む る こ と 特 等 地 を 廃 し 等 地 一 等 よ り 三 十 等 と な せ し こ と 現 行宗
憲
六 七条
、 六 八条
削
除 寺 院 住 職 は 在 職 中後
住候
補
を 指 定 し 置 く べ き こ と 「75
等 の 多 く の
改
革
が な さ れ 、 こ の 主流
を な し た の は 革 新 同 盟 会 であ
っ て 、 再 び富
患 數純
の 言葉
を か り れ ば 、 革 新 同盟
会 は 何 故 に 組 織 せ ざ る べ か ら ざ る 乎 と 題 し 、吾
人 は 住 職 に つ き て は 法 類 相続
に あ ら ず ん ば 全 く 住 職 と 寺 院 と を 分 離 せ し む る を 可 な り と 恩 惟 す … … … 事 相 な る も の は 死 物 の寺
院 に 伝 ふ べき
も の にあ
ら ず 、 活 け る 人 体 に 授 け ざ る べ か ら ず … … … 故 に 本 末 関 係 の魏
き 今 臼 断 然 解 き た り と て 何 等 の支
障
あ る こ と な し … … … (更
に ) 寺 院 聯合
糊 を 設 け ざ る べ か ら ざ る な り 、寺
院
聯
合制
と は 一 寺 院 に 他 の 寺 院 を 合 す る に あ らず
、 数 力 寺相
集
り て 団 体 を 組織
し、 其団
体 の 主任
の寺
院
に 一 人 の住
職 を 置 き其
他 の 寺 院 を 司配
す る も の … … … ( 加 持 世 界 明治
三 十 六年
一 月 一 日 号 ) と あ る 如 く 、 宗 是 確 立 と 組織
の 改 革 を 図 る意
図 の も と に集
ま っ た事
は 明 ら か で あ っ た 。革
新 同 盟会
は 三 十 八年
の 十 二 月 に 行 な わ れ た 惣 本 出 事務
長 選 挙 に 当 っ て 時 田 永麟
、 加藤
果
恵 の 二 候 補 が 争 っ た が 、 加藤
候 補 を 岩 堀 智 道 、 関 澄 道 等 が 推 し た が 、 そ の や り 方 に 極 端 な も の が あ っ た し、革
新為
法 会 と称
し 、 革 新 の名
義 を 乱 用 す る に 至 っ た と い う の で 、 宗 治 は 公 論 に 決 せ ざ る べ か ら ず 、 あ く ま で 三 十 五年
第 一 次 宗 会 の 革 新 的 宗 是 を 豊 山 派 の 宗 是 と す べ き と し て 、 革 新 同 盟 会 は 豊 山 派 革 新 会 と し て 綱 領 を 左 の頗
く か か げ た 。 、 庸 ポ治
ヲ 公 払 禰 二 決 ス ル 蠶 ト 一 、 権義
ヲ 併 行 セ シ ム ル コ ト 一 、 複 雑 ナ ル 組 楙 繊 ヲ排
ス ル コ ト 一 、 寺 院 ノ 基 礎 ヲ 確 立 ス ル コ ト 一 、 教宀 霧 ヲ 策 励 ス ル 蠶 ト 一 、 伝 道 ヲ 実 研 施 ス ル コ ト 一 、 簡 厳 ナ ル 館 駄 式 ヲ 行 フ コ ト と し 、幹
事 三 名 富 田 、 小 林 、 湯 沢、 三 十 九 年 三 月 に は 佐 々木
、 清 水、 田 中 を幹
事 と す 、 評 議 員 若 干 名 の 組 織 を も っ 一 76 一近 代における真言宗の分派と統 合 (斎藤 ) て
発
会 す る こ と に な っ た 。 あ げ て 一 月 十 四B
発
会式
を 行 い 事務
所 を護
国 寺内
に お き 四 月 か ら 会 報 を発
刊
し た 。 一方
惣
本 出 事務
長 候 補 に 加 藤 某 恵 を 推 し た 一 派 は 三 十 九年
二 月 に 豊 山 派 同 志 会 の 素 地 を 作 り 、 四 月 に は 本 部 を 弥 勒 寺 に お い て 幹事
、 評 議 員 を 定 め て発
会 式 を 行 っ た 。 一 、 本 派 の 統 一 を 期 し併
せ て 宗 治 の 改善
を 図 る 一 、教
学 に 尽粋
し 本 派 の隆
盛 を 図 る 一 、緩
急
相 助 け 各 自 幸 福 の 増 進 を 図 る と の 主 義 を か か げ 、革
新会
に 相 対 立 す る こ と に な っ た 。 五 月 に は機
関 誌 「 同 志 」 を 発 刊 し た 。 丁 度 三 月 に は 宗 務 所課
長 選 挙 が 行 な わ れ た の で 、 革 新 会 は 早 急 に 手 を 打 っ た と い う見
方 も あ る よ う に 、 二 名 の 課 長 は と も に 革 新 会 か ら 当 選 し て い る 。 こ れ は 同志
会 の 基 礎 が定
ま っ て い な か っ た の で無
理 も な い 事 で あ っ た 。 課 長 に は永
見
快賢
、 宮 本 量慶
が な っ た 。 こ う し た状
況 に 不 満 で あ っ た の は 同 志会
で あ っ た 。 こ の 両 派 の 対 立 が こ れ 以 上 に な る の を 恐 れ た有
志
が 仲 介 の 勞 を と っ た の が 、 三 十 九年
の 十 一 月 で あ っ た が 、 話 は う ま く つ かず
、 閣 け て 四 十年
二 月 に 宗務
長 選挙
と な っ た 。革
新
会 か ら は 当 時 の 宗 務 長 で あ っ た 高 城義
海
を、 同 志会
か ら は岩
堀 智 道 を そ れ ぞ れ 候 補 に 立 て た が 、 八 → 七 対 四 一 六票
で 岩 堀 は 敗 れ た が 、高
城
は 辞 退 し て 、 岩堀
が 宗 務 長 と な っ た 。 当 時 の宗
会 議員
二 十名
中
十 名 が革
新 、 六 名 が 詞志
会 で 、 四 名 の中
立 で あ る 。 革 新 会議
員
は 宮 本 精誉
、 丹 生 屋隆
道 、 南 聖 衛、 山 口 永陰
、 小 林 正 盛 、 木 村 一 城、 飯泉
啓 運 、藤
村
賢
空、 網 代智
閉 、 清 水祐
暢 、 同 志 会 は林
鑁 識、 神 林戒
伝 、 北 川文
秀 、 鹿野
信毘
、 光 松堯
秀 、 広 瀬 覚 信 、 中 立 と し て は泉
最
善
、沢
田 秀 元 、浅
田 弘 越 、関
本秀
明 で あ っ た 。 四 十 一 年 七 月 に は 北 川 文 秀、森
成 三 、 権 田 雷 斧 が 同 志会
を 脱 退 し 、革
新
会 は解
散 し た 。 三 十 九 年 末 の 話 合 い も 功 を奏
せ ず 、 益 々 両会
の 対 立 と い う 状 況 の 中 に革
新会
一 部 に 本 来 の 意 義 に も と る と の 強 硬 な 意 見 が 出 た 事 に よ っ て解
散 す る こ と に な っ た と 思 わ れ る が 、秘
か に革
新会
の有
志 が 集 ま り 、 匡真
会
と い う 名前
で 再 登 場 し て 来 た の は 大 正 三年
で 同 じ く 、 富 田籔
縫 小林
正 盛 等 を中
心 と し て であ
っ た 。 一 方革
新 会 が解
散
し た の で 、 な り を ひ そ め て し ま っ た 同 志会
も 加藤
精 神 、 湯 沢 竜岳
等
を 中 心 に 豊 山 公 論 [ 77 皿会
を 再 組織
し、 再 び そ の対
立 が 表 面 化 す る と 共 に 、 激 烈 を極
め た 。 同 年 九 月 の 宗務
長 選 挙 に は 匡真
会 系 の 丹 生 屋 隆 道 、 公論
会
を 組織
し た 加 藤 精神
と が 対 立 候 補 と な っ た結
果
、 八 五 六 対 七 三 六 票 で 匡 真会
の 勝 利 と な っ た 事 が 益 々 対 立 を深
め る 結 果 と な っ た 。 こ の 時 の 管 長 は 公 論 会 の 岩 堀智
道
で あ っ た た め 、更
に 大 き な 問 題 を 起 す こ と に な っ た 。 富 田數
純
宗務
長 の あ と 鷲 生 屋、 加 藤 で 争 っ て 。 匡 真会
は 瀦 持 世 界社
を 事 務 所 と し た の で 。 公 論 会 は 新 た に 豊 山 公論
を 発 行 し て 、 こ れ に 対 し た 。 翌 四 年 の 宗会
議 員選
挙
に 際 し て 二月
二 十 七 日 の 開票
に 先 だ ち 臨真
会
よ り 異議
が 申 禺 さ れ た の を 却 下 し た の で 、 匡真
会 は 文 部雀
に 宗 規 を 遵 守 し な い 旨 訴 え 出 た 。 文 部 省 は宗
務 長 を 召換
、更
に管
畏 を 召 換 し て 宗 規 を遵
守 す べぎ
鷺 を 注 意 、 主 務 大臣
の 命令
書 が 発 せ ら れ た に も 拘 ら ず 行 な わ れ な い と い う の で 、 文 部省
は 岩 堀 智道
の 管 長 認 可 を 取 消 し、 前 々 管 長権
田 霧斧
( 当時
豊 山大
学
長 ) に 事 務 取 扱 を 命 じ た 。 同 臼宗
務
長丹
生 屋隆
道, 庶務
兼 教学
課 長 湯 沢竜
鬢
が 辞任
し 、 網 代 智 明 が 臨 時 宗 務 長 に 、 佐 々木
教 純 が 庶 務 兼 教 学 課 長 に 、会
計
課 長 の 北 川 文秀
が や め て 関 澄 道 が な っ た 。 文 部 省当
局 は 宗 教 局 長 の 柴 田 駒 三 郎 が窟
田籔
純
、 荒 木 良仙
、 加 藤精
神 、 関 澄 道 の代
表 者 と 会談
、事
態 の 収拾
を 図 っ た 。 次 い て 匡 真 会 代表
富 臓 數純
、荒
木 良 仙 、 公 論 会 代 表 加藤
精 神 、 関 澄 道 が 数 回 に 亙 っ て 会 見 、 同 三 月 に網
代
智
明 臨 時 宗 務 長 を 辞 し 、 尾 川 昭 円 が宗
務
長 事務
取扱
と な り、 同 日 、 匡 真会
代
表 二 十 九 名 、 公 論会
代表
二 十 九 名 の 調 印 を も っ て 両 会 の 協 定 が 成 立 し た 。 六 月 に は 尾 州 昭 円 が 正 式 に 宗 務 長 に な っ た が 、 ま だ 問題
の 解 決 を み な か っ た 。 先 に 開 票 し た 大会
議 員 選 挙 は 手 続 が 大 会議
員
選 挙 規則
に 違 反 し た と い う 理 虫 で文
部 大 臣 よ り 取 消 し を命
ぜ ら れ 、 九 月 改 め て 選挙
を 行 な っ た 。管
長 、 宗 務 長 、 議 長 、 本 山 事 務 長 の ポ ス ト に 対 し て の 割 ふ り 、 両 派 の 均衡
が保
た れ る よ う に 、交
互 に そ の ポ ス ト に 当 る よ う に 両 派 代 表 者会
議
で 決 ま り 、向
う 三 年 を 期 限 と し て 、 つ ま り 大 正 四年
三 月 二 十 六 日 の 両 派 調 印 式 よ り 七 年 三 月 二 十 六 日 ま で 両 会妥
協
宗 治 を 行 な う 事 に 余儀
な く な っ て い た か ら で あ る 。 大 正 七年
期 限 が い よ い よ 迫 っ て 、 妥 協 を 破 る べ き か 、 合 同 す べ き か と い う事
に な っ て 来 た が 、 両会
の 連 立 内 閣 で 宗内
の機
関 は ゆ る ん で し ま っ た 。 た だ そ の ポ ス ト の割
当 だ け を確
保 す る に過
ぎ な く な っ た 。 宗 務 長改
選 の 時期
に 至 り 、数
次 両 会 は 折 衝、 匡 真 会 か ら は 候 補 に 小 林 正 盛 を 出 し 、 公 論 会 は 三 月 二 十 六 日 ま で は 両 会契
約中
な れ ば、 そ の 権 利 一78
一近代にお ける真言宗の分派と統 合 (斎藤) を 放 棄 し て 改 め て
抽
籤
す る こ と に し て 、 甲 乙 二 本 を つ く り 、 甲 を ひ い た方
よ り 三 名 の 候 補 者 を 出 し 、 乙 を ひ い た 方 が 三 名 中 よ り 一 名 を 決定
す る こ と の 提 案 が あ っ た が 、 三 名 候補
に 反対
が あ り 、 甲 者 よ り 一 名 決 定 と い う こ と に な り、 宗 会 正 副議
長 が そ の 任 に 当 る ( 豊 山 派 は宗
務
長 選 挙 を 宗会
で 執 行 ) こ と に な っ た が 、 匡 真 会 が甲
を ひ き 、直
ち に 小 林 正 盛 を お す 。早
川 快 亮 管 長 、 小 林 正 盛 宗 務 長 で は 両 者 と も 匡真
で は お か し い と い う声
も あ っ た が 、 公論
会
よ り 教 学 部 長 に 湯 沢 竜岳
、 庶 務 部 長 に 保 森 覚 円 、 匡 真会
よ り 財務
部 長 に 本 田 栄亮
、本
山 事 務 長 に南
聖 衝 を そ れ ぞ れ 推薦
決定
し た 。 か く し て 両 会 の 政 争 も 三 年 に 亙 っ て 続 け ら れ た が 、 両 会 幹 部 は昔
日 の紛
争 を 省 み て 、 慚 愧 に 堪 え ぬ 思 い か ら 、協
商 が 道 義 的 に 成 立 、 両会
合 同 し て新
興
の 人 と な ら ん と し た と い う ( 新 興 一 の 一 ) そ の新
興
会 の 綱領
は 次 の 如 く であ
る 。 一 、 本 会 は 興 教 大師
の 密 厳 新 人 の 大 成 を力
説 す 一 、 本 会 は 教 育 の 基 礎 を 確 立 し 其 機 関 の完
成 を 期 す 一 、 本 会 は 伝 道 を振
作 し 国 運 の 進 展 を期
す と あ る 。 豊 山 派 当 初 の革
新 的 気 分 も 大 勢 を決
し た よ う で あ っ た が、 や が て 対 立 的 政 争 に よ っ て宗
政 的 立 場 の獲
得
に 主 力 を お く 如 き 有 様 に な ら ざ る を 得 な か っ た 。従
っ て 派内
の 多 く が 直 面す
る 問 題 と は か け 離 れ た 、 中 央 部 だ け の 政争
と な り 、 派 内 の 離 心 も 考 え ざ る を 得 な い し 、 こ の 大 正 七年
三 月 の 両 会 合 同 に は派
内 の多
く は 一 応 の 安 心感
を得
た よ う で あ る 。 し か し 十数
年 に 亙 る 派 閥 的 傾 向 は 全 く 根 強 く 温存
し、 人 を 見 る に 匡真
、 公 論 に 別 け て 見 る 如 き 習 慣 を 与 え て し ま っ た こ と は否
め な い 事 実 と な っ た 。三
智
山
派
革
政
会
・至
誠
会
智 山 の 場 合 は 豊 山 よ り少
々 遅 れ て 相 対 立 す る派
が 出 来 た が 、 政 争 的 性格
に 於 て は 同 じ で あ る 。 明治
三 十 七年
の 四 一79
一月 の 一 宗 大
会
に 護 法有
志会
な る も の が 中 学 林 を 東京
に 移 転 す る こ と を 建議
し た 。 一 、 京都
は 徒 弟 の 登 校 に 便 な ら ず 二、 学 問 の 中 枢 は 京 都 に 非 ず し て東
京 な り 三、京
都 は 学 生 の 大 敵 地 な り 四 、 京 都 は 良 教員
を得
る に 困難
な り と し て 、 千葉
賢
永 、 新 村 大 秀 、 榊 原 了 月 、 中 山 盛 雄 等 が 代 表 と な っ て い る 。護
法 有志
会
な る も の は、 か く の如
く 関 東 を 地 盤 と し た 人 達 に よ っ て 集 会 が 持 た れ 、 こ れ が 同 年 智 山 派 同 志 会 に 発 展 し た 。 こ れ が 目 的 は 本 末 の 和 融 を 基 礎 と し て 、 智 山 派 の 発 展 を 図 る と い う こ と に あ っ た 。 三 十 八年
同 志 会 総 会 で は 早 く も 内 紛 が 生 じ 、 幹 事 の 宮 本 隆範
は 「名
簿 公 印 の 如 き は 幹 事 の 自 由 に し て会
員
の 嘴 を い る る 所 にあ
ら ず 」 と 剛慢
不 遜 な 態度
に出
で 、 会 員 激 昂 、 除 名 処分
に 及 ん だ の で あ る が、 こ れ が 分 派 の 原 因 と な っ て 新 た に 智 山 和協
会 が 玉 滝、 五 十嵐
、 疋 田 、 榊 原、 中 山 、 千葉
、 尾 住 、 斎 藤、 丸 山 等 を 中 心 に 組織
さ れ 、 能 化 よ り 和 協 会 設 立 の 認 可 が あ っ た 。 そ れ に 先 立 ち 同 志 会 は 会 名 、 会 則 を 定 め 、 管 長 の 認 可 を受
く べ き こ と 、 会員
の勧
誘 、 寄 金 の募
集 等 の 項 目 の 打 合 せ を す べ く会
合 を 持 っ た が 、 既 に 和 協 会 に 対 す べ く も な く解
散 し、 合 同 す べ く 決 定 し 、 五 月 七 日浅
草
観 蔵 院 で 開 散 し 、 同 時 に智
山 和 協 会 に 合 流 し た 。 和 協会
の 目 的 は 本 末 の緩
和 と 宗 治 の 円 満 と を 図 る も の で 、 極 め て 現 実 的 で あ っ た が 、 早 速 玉滝
義 秀 を 庶 務 課 長 に 、 小畠
承範
を 教 学 課 長 に 推 薦 す る と い う 運 動 を 始 め た 。 和 協会
の発
会 式 は 十 一 月 、 会 員 五〇
〇 名 、 発 会 式 出席
者 九 〇 名 で 、 金 剛 僧 正 を 座 長 に し て 、 評 議 員 に 玉 滝 義 秀、 五 十嵐
光 竜 、 疋 田 運 猷 、 榊原
了 月 、 中 山 盛 雄 、 大 規 快尊
、 千葉
賢
永
、 尾 任 秀 憲、 斎 藤護
道、 丸 山 覚雅
等 が な っ た 。 こ こ に和
協
会 は 課 長 の 推 薦 は勿
論 、 宗会
議員
の 候 補 者 の 選 定 宗務
長 の 推薦
を 行 っ て 来 た が、 こ の 主 流 が革
正会
と な り、 尾 住 秀憲
、 角 田 頼 恵、 千葉
賢
永 、 平 沢 照尊
、 平 幡 照法
、 竹 村智
蓮
等 が 出、 こ れ を 心 よ く 思 わ ぬ 宮 本 隆 範 を 中 心 と し た桔
梗 会 が 明 治 末 か ら大
正 に か け て 現 わ れ て 来 た 。 大 正 二年
の桔
梗会
の 総会
で 会 長 に 宮 本隆
範
、 幹事
に 御 嶽 隆 道、 志 田 照 猛、 村 山 正 栄 、 倉 持 光 寿 が 選 ば れ て い る 。 こ の桔
梗
会 一80
一近代に おける真 書宗の分派 と統合 (斎藤) も 時 を へ ず し て 智 山 至
誠
会 と な っ て い る 。 両 会 が 対 立 し た 最 も 大 き な 事 件 は 大 正 六年
宮
本 隆 範 宗 務 長 に 対 す る反
対 で あ っ た 。 伊藤
寒盛
、寓
本 隆 範 の 内 局 は 至 誠 会 の中
耳
る 所 で あ っ た が 、革
正 会 総 裁佐
伯 隆 運 は 鈴木
司
法 次 官 や仲
小 路農
相 と 関 係 が あ り 、政
府 側 よ り智
山 派 内務
に つ い て 伊 藤 管 長 に 召 換 が あ り 、 岡 田文
相 の斡
旋 に よ っ て 伊 藤管
長 と革
正会
顧 問 石 川 照 勤 と の 間 に 種 々 の 協 定 を へ 、 宗 務 長 改選
と い う こ と に な り 、 当 の 責 任 者 宗 務 長宮
本 隆 範 に は 立 候 補 断念
せ し め 、革
正 会 推薦
の 青木
栄
豊 に も 辞 せ し め て 、 千葉
賢
永 を 立 て 宗 務 長 に 当 選 さ せ た が 、 轡藤
宗 盛 管 長 は革
正会
が宗
憲 に よ っ て 進 ま ん と す る に 、 千葉
宗務
長 を 抑 圧 し 、遂
に 鬮 田文
相 と の 口 約 を無
視 し て 革 正会
の 千葉
宗
務
長 を解
職
し て、 宗 務 長 事務
取 扱 に宮
本 隆 範 を命
じ た の は 六 年 十 月 で あ っ た 。 文 相 は 十 月 二 十 一 日 管 長 に 対 し 辞職
を 勧告
、応
ぜ ざ れ ば管
長 認 可 取消
に す る 旨 通達
、 伊藤
宗 盛 管 長 は 千 葉宗
務 長 を 解 職 し た 十 月 十 九 日付
を 以 っ て 辞職
、管
長事
務 取 扱 に は瑜
伽 數 如 が 当 り 、直
ち に 千 葉賢
永 の 免 職取
消 し を な し た 。 明 け て 七年
一 邦 の 管 長 選 挙 に は大
江 存 良 、 石 川 照 勤 、 佐 伯隆
運、 青 木 栄 豊 の 順 に 得 票 があ
り 、 い ず れ も革
正 会 に 属 し て 居 り 、 次 い で 行 な わ れ た革
正 会 総会
で は 総 裁 に 佐 伯 隆 運 、常
任幹
事 に 旭純
栄
、 玉滝
義秀
、 尾 住 秀憲
、 平 幡 照 法 、 平 沢 照尊
が 選 ば れ た 。 六年
十 二 月 に 行 な わ れ た 第 十 次 臨 時宗
会
も ニ カ年
に 亙 る 蜜 局 不 儒任
問 題 も 菠 糟着
し て 平 穏無
事 に す み 、 蘯誠
会 の 爾 巨 頭 と 團 さ れ た 小 林 栄 運、船
岡 芳 信 を 始 め 、 大護
、 大 塚 、 蛭 田 、 本 間 等 が 宮 本 前 宗 務 長 の 不 信 を 認 め 、革
正 会 に参
加 し て 、 至 誠 会 は 先 緬 り に な り、 自 然 消 滅 運 命 を た ど っ た 。革
正 会 は 関東
を 地盤
と し て 、 財 力 を 背景
に 他 を 吸 収 し て し ま っ た 。 豊 山 の 場 合 は 匡真
、 公論
と も に 同格
に協
約 成 っ て 合 体 し た の と は 違 っ て 、 智 山 の 場 合 は 政 府 権 力 か ら の 打撃
と 、財
力
に 圧 迫 さ れ た 事 に よ っ て 消 滅 し て し ま っ た 。智
山 の 場 合 は 従 っ て後
に 派閥
的 な も の が残
ら な か っ た 。 豊 宙 を積
極
的解
消
と す れ ぽ、智
山 は 消 極 的解
消
と 云 え る が 、後
者 に は 前 者 の よ う な 派 閥 的 強 さ は な い 。四
古
義
統
一運
動
と
分
離
一81
一古 義 画 一 派 は 明 治 三 十 三 年 の 真 言
宗
分
離
の 時 か ら あ っ て 、 こ の 画 一 派 は 統 一 の 甲 胄 を 分 離 の 体 に っ け て い る と 評 さ れ て い た 。 当 時 は 古 義 画 一 派、 新義
抱
合 派 ( こ れ は 派 内 で は 両 山 分 離 ) 、 各 山 各 立 派 と 分 れ て い た 。 新 義 派 の 方針
と し て は 一 、 教 王護
国 寺 は 一家
の 総 本 山 な れ ば 一 山 の諸
役 課 及 住 職等
新 古 等 分 に 選 出 す べ き も の と す 二 、 事 相 部 本 山 は 固 よ り 非 新 非 古 な る を 以 て住
職 は 勿 論 一 山 の 諸 役 課 は 必ず
新 古 よ り 選 出 す べ き 者 と す 三 、 各 大 本 山 の 寺 法 は 本 来協
同 編 成 の者
に あ ら ざ れ ば 一 同 服庸
し 難 し 故 に 各 山 に 会 し て 速 に改
正 の実
を挙
げ ら れ ん こ と を 四 、 法 務 所 よ り 新 義 派寺
院 へ の 巡 回布
教 は 自今
両 化 主 へ 一任
せ ら れ た き 事 で あ っ て 、 必ず
貫
徹 せ ず ん ぼ や ま ず の勢
で あ っ た ( 明 治 二 十 五年
以 来 ) 。 こ れ ら の 分 離 は 遂 に 三 十 三年
真
言 宗 各 派 の 独 立 と な っ て 現 わ れ た 。 三 十 四年
に は 古 義 聯 合制
が と と の い 、単
称 真 言 宗 の 教 王 護 国寺
、 泉 湧寺
、 随 心 院、 勤 修寺
の 四 山 が そ れ ぞ れ 東 寺 派、 泉湧
寺 派 、 小 野 派 、 山 階 派 と 独 立 、 古 義 が 完 全 に 八 派 に な っ た の は 四 十年
で あ っ た が 、更
に こ の 聯 合 制 が 大 正 十 三 年 の 古 義 真 言 宗 の 成 立 ま で 続 く こ と に な る が 、 こ の 古 義真
言 宗 の 統 一 問 題 は 統 一 の 難 か し さ を 物 語 る と 同 時 に 、 宗 内 の努
力
に よ っ て 統 一 の 出 来 た 一 つ の 例 で あ る 。 大 正 七年
三 月 第 二 回 制 度 調 査 会 に 出席
し た 瀬 川 大 憲、 岡 本 慈 航 、椋
本 竜 海 、 融 等 吽 、 和 田 性 海、 東 条 隆哲
、 久保
観 雅 、 湯崎
竜 瑛 は 一 大 一 中 論 に つ い て論
じ た が 、 瀬 川、 曽 我 野 、 椋 本 、安
永 は 一 大 を京
都 に 、 一 中 を 高 野 に 、藤
村 、 湯 崎、 東 条 は 両 学 と も 高 野 山 に 設置
し 、 先 づ 高 野 山 中 心 統 一 主 義 の 実 現 を 急 が ん と し た 。 こ こ に現
わ れ た 京 都 派 と 高 野 派 は 相 対 す る も の と な っ て常
に 出 て 来 る 。 こ の 時 は 両 派 と も に 分 離 な ぞ考
え て 居 らず
、 大 正 十 一年
に は 一 宗 一管
長実
行 委 員 会 が 出 来 て 、 八 派 管 長 会 に つ い で 翌 日 行 な わ れ て い る 。 山階
派 和 田 管 長 の案
を 基 に し て 次 の よ う な 案 が 成 立 し た 。 一 、 高 、 仁、 大 、 東 、 勧、 随 、 醍 、泉
の 八 派 は年
月 日 を 限 り 派 号 並 び に管
長 を徹
廃 す る こ と 一 82 一近代における真言 宗の分 派 と統合 (斎藤)
二 、 教 王 護 国 寺 並 に 金 圜 峯
寺
を 真 言 宗 両 本 山 と 称 呼 し 、 仁 、 大、 泉 、勧
、 随、 醍 を真
言 宗 六 大 本 出 と 称 呼 す三 、 両 総 本 山 、 六 大 本 鸛 並 び に 五 千 霞 百
余
力寺
を 以 て 一 つ真
言 宗 教 団 と す四 、
真
言 宗 管 長 は 両 総 本 山 を管
摂 し、 両 総本
山 に 住職
し 、 五 千 四 百 余 力 寺 の末
寺 を 統 治 す (但
し 当 分 は 第 五 項の 但 書 に よ る )
五 、 宙 釜… 函 戯 笊 管 長 は 論 ハ 大・ 本 山 佐
職
中 よ叭 ワ ( 住職
就い 仕 の 臓 順 に 依 る ) 轟 父番
溝 四 皿 斎 圃年
晶 腕任
す
る も の と し管
長 就任
由 」 け 愉 兀の 大 本 出 を 兼
務
し 管 長 の任
期 満 了後
は 元 の 大 本 由 に も ど り 任 職 す る も の と す六 、 八 派 の 派 号 並 に
管
長 撤廃
と 同 時 に 本 山 に 一 時 金 七 万 円 を 交 付 す 。 前 項 の 一時
交
付 金 は 各 本 山 に 於 い て元
金を
保
管
し 、 利息
金 の 半額
を 逓 常費
に半
額
を建
築
物 の修
繕 費 に充
当 す る も の と す七 、 毎 年 各 本 山 へ の
交
付 金 ( 臨 時 交 付 金 を 含 む ) は 従 前 の 通 り交
付 し 、 年 々 の 諸 礼 録 金 は 全 部 交 付 せ ざ る こ と八 、 両 総 本 山 並 に 六 大 本 山 の 臨 時 費 は
真
書 一 宗 の負
担 と す九 、
真
言 宗 大 本 由 醍醐
寺 座 主 三 宝 院門
跡
は 剥 に 修 験道
に 関 す る 醍 醐 派管
長 の権
限 を 執 す る こ と を 認 む十
、 八 本 山末
寺
五 千 四 百 余 力寺
が 帰 一 せ ざ る に 於 て は 一 宗 一管
長制
度 鞏 固 な ら ず と 確 信 す る も 本 来 制度
改 正 する 能 は
ざ
れ ば 別 に 法 律 上 よ り 有 力 な る 分離
不 可能
制 度 を設
定 す る 事 (高
野 掬 時 報 二 六 八 兮 ) 以 上 十項
目 に つ き 、 土 宜高
野 派管
長 、 鎌 田 東寺
派 管 長 、 浦 上 仁 和 寺 派 管 長 、 和 田 出階
派 管 長 、泉
泉湧
寺
派 管 長、 平 之 、 醍 醐 寺派
管
長 、 重松
小 野 派管
長 の 外 実 行委
員 と と も に 成 立 さ せ 、 臨 時 聯 合 議 会 に提
出 す る運
び と な っ た 。事
の 起 り は十
年
の定
期 議会
の 五 臼 目 に安
永
竜 瑛 議員
か ら 撮 程変
更
の動
議 に つ づ い て 、管
長嚮
度 改 蕉案
な る も の が 出 さ れ た 。 一 、 聯合
各
派 の派
号 を 撤 廃 し て 一 宗 一管
長 と す る 事 、 二 、 管 長 は 教 王 護 国寺
、 金 剛 峯 寺 を 管 理 す る こ と 、 三 、 仁 、泉
、 大 、勧
、随
、醍
の 六 大 本 山 は管
長 の候
補寺
と し 、 一 宗 よ 弓 確 乎 た る 永 遠 維 持 の 方 法 を 立 つ る こ と の 三 項 匿 で あ っ た 。議
会
は直
ち に 採決
し 、建
議案
に 「 己 上 三 項 目 を 実 行 す る は 急 務 な れ ば 当 局 に命
じ イ、 之 が 実 行 に 関 す る 具体
案
を 作 製 し 、大
正 十 一年
度 内 に 臨 時議
会
を 召 集 し て 、 之 に 提案
縮 議 せ し む る こ と に な り 、 こ の 案 作 成 に要
す る麌
用 五 〇 〇 〇 一 83 一円 を
附
帯 決議
と し て 総 裁 及 各 派 管 長 へ提
出 、 総 裁 は 直 ち に 管 長会
を 開 い て 七 名委
員
を 設 け て 交 渉 折 衝 に 最 善 を つ く さ し む こ と に な り 、 十 年 十 二 月 以 来 、 石 堂恵
猛 、椋
本 竜 海 、 湯 崎 弘 雄 、 蓮 生観
善
、佐
伯 恵 眼 、 神 亀 俊 鐘 、 高 田 良 源 の 七 名 の 実 行 委員
が 、 十 一年
三 月 第 一 回 委員
会 及 び 管 長 会 を 更 に 第 二 回 、 第 三 回 と も っ て 、 こ の 件 に 関 し て の み 臨 時 議会
を 鯛 く こ と に な っ て い た 。 こ の 臨 時 宗会
に は 多 く の期
待 が 寄 せ ら れ た が 一宗
管
長 鯔 は実
行 不 可 能 と破
棄 さ れ て し ま っ た 。 先 の管
長会
和 田案
は 京 都 派 の も の で あ り 、 高 野 を 中 心 と し て 、 他 の 七派
の 派 号 を徹
廃
し て 統合
し 、 金 剛 峯 寺 の 座 主 を も っ て 管 長 と す る も の で あ る 。 こ れ は 瀞 咼 野 派 の 勢 力 が 他 の 七 派 の勢
力
よ り も大
であ
る こ と を自
覚
し た 上 の こ と で あ り 、 又 こ れ を 心 よ く 思 わ な い 本 街 も あ る の が 当 時 の 状 況 で あ っ た 。寺
院 数 に お い て は 高 野 派 は 他 の 七 派 以 上 で あ り 、財
力
は 遙 か に 上 廻 っ て い る 。 結 果 と し て は こ の 一 宗 一 管 長 欄 に 逆 な 分離
の方
向 に向
っ て し ま っ た 。 大 正 十 二 年 山階
派
、 小 野 派 、 醍 醐 派 の 三 派 が 聯 合 制 か ら の 脱 退 を 表 明 し た 。 そ こ で 現 状 の ま ま統
一 を 促 進す
る か 現 聯 合 を解
体 し て新
し く 統 一 の 方 法 を も つ か 決 し得
な か っ た の だ が 、 山 階 、 小 野 、 醍 醐 の 三派
が 分離
を 倦 く ま で 主 張 す る な ら 、 他 の 五 派 だ け で 統 一 を と 発 言 し た の は 石 堂 恵 猛 で あ る 。 兎 に角
、統
一 促 進 会委
員
を選
ん で 新 し く 統 一 を 促 進 せ し め る こ と に な っ た 。委
員 に 選 ば れ た の は 藤 村密
撞
、 湯 崎 弘 雄 、 石 堂恵
猛 、藤
本真
光
、 谷 内 清 巌 、 宮 崎 忍 海 、 高 見寛
応 の 七 名 で あ る 。 こ の 統 一 促進
会 の結
論 は 金 剛 峯 寺 の 現収
入 三 分 の 一 を 聯 合 に使
い 、 八 派 の 統 一 が 不 可 能 な ら 、 五 派 統 一 で も 、 仁 峨 高 の 三 大 派 だ け で も 統 一 を決
行
し よ う と い う線
で 進 む 事 に な っ た 。 結 局 大 正 十 二 年 の 聯 合議
会 に お い て は聯
合 解 体 各派
分 離 の 決議
が な さ れ 、現
制
度 を 改 正 し て 検 知制
と し 、 学 校 は 持 ち 分 れ と す る 事 、 担 し 検 知 制 の 法 務 所 は 共 同 事 務 所 的 の も の と す る 事、 現 制 度 を 維 持 し て 大 阪 に 一 大 学 を 建 設 す る こ と、 京 高 両 学 を 廃 し 、 各 宗 聯 合 大 学 に 参 加 す る こ と 、 現 饑 度 の燼
に し て 教 育費
を 京 高等
分 に 交 附 す る事
、 京 鄰 両学
費
は京
都 各派
に 賦 課 し 、 高 野 両 学 は 高 野 派 に 賦 課 す 、 現 髓 度 に て 一 中 は高
野 に 、 一 大 を京
都 に置
き 大学
校
害
を 新築
し 内 容 を 充実
す る 事、 但 し 京 高 共 に私
立 学 校 の 経 営 は 任 意 と す る事
が 確認
さ れ 、 現 聯 含 制 規 は搬
本 に於
て 合 理 的改
正 の要
す る を認
む 、仍
て 当 局 は 各機
関
の審
議
を へ て 次 期議
会 若 く は臨
時 議会
一84
一近代における真言 宗 の分派と統合 (斎藤)
を 嬰
集
し 其 成案
を 提 出 す 可 し右 決 議 す
右
聯 合 制 規 第 百 十 九条
に よ り之
を 提 出 す提 出 者
秦 義 雄
賛
成港
一 嵩 十 九 名 ( 諞 ハ 大 新 報 一〇
… 四 四 … 号 ) と あ っ て 、 聯 合 鰯規
の 合 理 的 改 正 を め ぐ っ て 分離
派、統
一 派 が 京 都 派 、高
野 派 と 相結
ん で 対 立 す る 事 に な っ た 。 十 二年
の定
期 議 会 の 前 に聯
合 法務
贋 で は 臨 時 総務
、 つ ま り 聯 合 総 裁 の 特 任 を つ く る事
に な り、藤
村 、 石 堂 、 岡 本 の候
補 があ
が っ た が 、藤
村密
憧
が 高野
山 の 後 援 で 、 つ ま り 一 宗 統 一 の 軌 道 を 行 く も の と し て 推 さ れ た 。更
に 第 六 聯 合議
会 の決
議
を め ぐ っ て 各 地 に 大き
な反
応 を 呼 び起
し た 。京
都 各 山 で は 革・ 新 同憲
・ 会 を つ く り 、 各 派 の自
主 独 立 を 基 礎 と す る 合 理 的 改 正 を 叫 び 、 高 野 山 に は 甲 于 倶 楽 部 、 又 、 徳 島真
言 宗統
一 同 盟 は 平 等 な る 統 一 を 望 み 、 香 川 、播
磨 は 現 制 度維
持
、 備 前 は 高 野 山中
心 の統
、 静 岡 、寓
山県
は 各派
自 主 自 営 、淡
路 は高
野中
心統
一 を 決議
し た 。 先 に も 述 べ た よ う に 大 正 十 年 の 第 四 聯 合 議会
の 一 宗 一 管 長派
号 徹廃
の 提案
に 直 接 の 原 因 が あ り 、実
行 委 員 の 努 力 に も 拘 ら ず 、 十 一年
の 騙 時 議 会 で は 一 宗 〜管
長繃
は 破 棄 さ れ 、 十 二年
の 第 穴聯
含 議会
で 、聯
合制
度
の 合 理 的改
正 と な っ た 。 つ ま り 現聯
合 欄 度 は 出 発 点 に 於 て 各 山 の 自 主 自 営 の精
神
よ り各
派 号 を 公 称 し た の で あ る に も拘
ら ず 、 形式
的 統 一 を さ せ ら れ た の で あ る と い う見
方
と 各 山各
立 の 不 合 理 不 現筴
性 が あ っ た か ら 連合
湘 刷 に な っ た と い う 二 派 に分
れ る 。 と も かく
各 派 分 離 の 決 議 が な さ れ た が 、統
一 連 盟 の 釈法
伝 、 瀬 川 大憲
、 石 堂 慈猛
、 谷 内清
巌
、 脹 部 智 信 、 福 島律
浄 、 禰 田 性 海 が動
き 、 高 野 、 仁 和毒
、 大 覚寺
の 一 瓢 派 が統
一 の きざ
し に あ っ た 。 十 三 年 十 一 月高
野
派
は 臨 時 部 会 を 開 ぎ 、 座 主 の 告 諭 に 「 … … 第 六聯
合 議会
二 於 ケ ル 制 規 ノ 根本
的
改 正 決議
案 二 対 シ テ ハ 本派
ハ 固 ヨ リ決
議 案 ノ 精 神 ヲ 尊 ブ ベ キ モ ノ ナ リ ト雖
モ 裏 二 仁 和 寺 大覚
寺
ノ両
大 本 山 霧 リ宗
派
合 同 ノ 意 ヲ 蓑 明 セ ラ レ シ 晶 対 シ商
議
協
定 ノ 途 ヲ開
キ 速 嵩 時 局 ノ安
定
ヲ計
ラ ン 事 ヲ 望 ム … … 」 と あ る が 、 こ れ に よ る と 仁 ・ 峨 が積
極 的 に動
い て 居 る よ う に 受 け と れ る が 、 事実
は 必 ず 一85
一し も そ う で な い 。 次 い で 行 な わ れ た 高 野 山 寺 院
総
会 の 決 議 で 明 ら か で あ る 。 一 、 高 野 中 心 の 一 宗 一 管 長制
を 樹 立 す る 為 め 宗 派 合 同 を 行 ふ こ と 二 、 金 剛 峯 寺 を能
轄総
本 山 と し 、 其 他 を 所 轄 と す る こ と 三 、 合 同 成 立 後 の 宗 派 を 真 言 宗 高 野 派 と 称 す る こ と 四 、 宗 務 、 教 育 、 布 教 の 各機
関 を 高 野 山 に 置 く こ と 五 、 管 長 選 挙 は 一 宗 公 選 と す る こ と 六 、 金 剛 峯 寺 々 法 を 確 保 す る 方 法 を講
ず る こ と に よ っ て も 明 ら か な 如 く 、 高 野 山 を 中 心 に 合 同 を す る の で な け れ ば 満 足 し な い か ら 他 派 は お も し ろ く な い 。 三 派交
渉 経 過 を 見 る と、 十 三 年 七 月 仁 和寺
大 覚 寺 両 派 代 表 六 名 の交
渉
委 員 が 高 野 山 に 来 り 、 そ の 回 答 に ← 「 … …各
派 ヲ 合 同 シ テ 一 宗 一 管 長 制 度 ヲ樹
立 シ 金 剛 峯 寺 座 主 ヲ 以 テ管
長 ト ス 、 京 都 各 派 二 交渉
シ テ 極 力合
同
ヲ 促 ス コ ト : ” … 」 (高
野 山 時 報 三 五 三 号 ) と あ る が 、 こ れ を 仁 峨 両 山 は の ん で 、 更 に 具 休 的申
合 事 項 を検
討 し た 。 し か し 仁 峨 両 山 は 本 末 関 係 を 今 ま で の も の と し 、 一宗
一 管 長 、数
本 山 の 関 係 で 行 き た い こ と に は 変 り は な か っ た 。高
野
派
の 交渉
委
員 に は 庄 野 琳 真 、鼓
義算
、 長 谷 川覚
明、 静 盛 応 、真
淵 実 栄 、高
田 良 源 、御
室
派 は 石 堂 恵 猛 、 瀬 川 大 憲 、蓮
生 観善
、 大 覚 寺 派 は 谷 内 清巌
、 釈 法 伝 、 服 部 智 信 で あ り 、 三 派 交 渉 委員
か ら 五派
に 働 き か け た が 、 十 四年
一 月 「 同 意 い た し か ね 候 」 の 回 答 があ
っ た 。 こ れ ら の 五 派 は 少 数 の 寺 院 を 圧 迫 し て 本 山 を 専 有 し よ う と い う こ と と 、 三 大 派 だ け で分
離
決議
の あ と 直 ち に 合 同 へ と い う 五 派 に と っ て は疎
外 的 立 場 に お か れ た こ と も 原 因 で あ っ た 。真
言 宗 の 合 同 分 離 は 決 し て 末 派寺
院 の 与論
に よ っ て 行 な わ れ た も の で な い が、 今 回 の 合 同 は 大覚
寺 に し ろ 、仁
和 寺 に し ろ 末徒
か ら つき
あげ
ら れ た 形 で あ る 。 大 覚寺
本 末 協 議会
の 決 議文
( 高 野 山 時 報 三 五 三 号 ) に よ っ て も 、 仁 和寺
本 末総
代 で の 決定
に よ っ て も 明 ら か で あ る 。 そ し て 各 地 に 催 さ れ た統
一 の 決 議 に よ っ て も 見 る こ と が 出来
る 。 真 言 宗 統 一 連 盟 は 第 七聯
合 議会
前 日 ( 十 四 ・ 六 ・ 二 四 ) に 全 国 有 志 大会
を 開 き 、 三 派 合 同 は 高 野 山 中 心 主 義 の精
神 に 基 き そ の 成 立 断 行 を期
す る こ 一86
一近 代に お ける真 言宗の 分派 と統 合 (斎藤 ) と を 確 認 、 第 七
議
会 に 三 派 合 同 を 提 案 す る よ う に 働き
か け た 。 こ の 第 七 議 会 は最
後
の 議 会 と な っ た が 、 五 派 の 分 立 も 認 め 、 三 派 の 合 同 も認
め て も ら う こ と に し、 五 派議
員
は 椋 本 竜 海 を 中 心 に 集 っ て い た が 、 石 堂 議 長 、 神亀
副 議 長 を 使 者 と し て 連 盟 会 本 部 に 来 り 、 八 派 は 一 応 分 離 し 、 新宗
典 の 認 可 を 得 て 、 そ れ を 三 派 は実
施 せ ず に 、管
長 作 製 の 合 同 新 宗典
の 認 可 を申
請 す る こ と の提
案
を し た 。 し か し 三 派 は 管 長 間 の 協 約 に し て 宗規
に 表 わ さ な い こ と を 主 張 し て 譲 らず
、遂
に 協 約 の 精神
を 軽 く 取扱
っ て 各 自 宗 典 宗 規 の 上 に表
わ し 、 三 派 は こ れ を 実 施 せず
、 三 派 合 同 の 新宗
典 の 認 可 申請
を 五 派 も 承 認 す る こ と で話
合 い が つ い た 。 「 真 言 宗 」 名 を 称 え る こ と に つ い て 五派
よ り 抗議
が 出 、 結 局 古 義真
言 宗 で十
四 年 十 二 月 に認
可 に な っ た 。 結 局 京都
の 醍、 勧 、随
の 三 山 が 自 主 自 営 を 申 出 た こ と が 原 因 と な っ て 発 展 し た が 、 そ の 原 因 に 又随
心 院 対 善 通寺
問 題 が あ り 、 こ の 問 題 を 一転
し て各
派 自 主 自営
の聯
合 制 を 稀 薄 化 し よ う と し た 事 が 、高
野 山 中 心 主 義 に 飛 火 し 、統
一連
盟 を あ お る 結 果 に な っ た 。 又 本 山 の 面 目 に 固執
し て の 運動
に 終 始 す る 結 果 に も な り 、 結局
統 一 派 は 統 一 を 、分
離
派 は 分 離 を 余儀
な く さ せ ら れ た わ け で あ る 。 (高
野 中 心 主 義 は 金 剛 峯 寺 の 歴 史 的 存 在 の 外 に 、 高 野 山 は 他 の 五本
山 を 合 せ た 以 上 の 経 済 力 と 末 寺 と を も っ て い た こ と が 大 き な 勢 力 と な っ て い る と 思 わ れ る )五
あ
と
が
き
こ こ に 挙 げ た 三 つ の 例 に よ っ て 宗 教集
団 の 特質
を規
制
す る 事 は 出 来 な い が 、 い く つ か の特
質
的 な も の を あ げ る事
は 可能
で あ る 。 一 つ は 法 流 は 人中
心 で な け れ ば な ら ず 、寺
院 中 心 で は な い と 呼 ば れ な が ら 、 幾 多 の 争 い の 中 に寺
院中
心 が 更 に 大 寺 院 中 心 的経
済
力 と の 関 係 へ進
ん で 行 っ た こ と で あ る 。 二 は 改革
的団
体 で あ っ た も の が 政 争 的 対 立 に 捲 き 込 ま れ 、遂
に は 派 閥 を構
成 し て 、 そ の意
識
を後
に の こ し た こ と で あ る 。 一 87 一三 、 派 閥