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智山學報 第12・13 012斎藤 昭俊「近代における真言宗の分派と統合(那須博士古稀記念論文集)」

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(1)

近 代における真言宗の分 派と統 合 (斎藤 ) 五 四     一 nt     _   一     一 一 は し が き 豊 山 派

( 匿 真 会 ) 筒

会 ( 公 論

) 智 山 派

会 ・ 至 誠 会 古

派 の

一 運

と 分 離

と が

こ の

究 は

三 十 七

文 部 省 科 学 研 究

を う け た 「

代 霜 本 に お け る

教 集 団 の 形

す る

合 研 究 」 の 一 部 を な す 亀 の で 、

代 日 本 の 仏 教 諸 宗 派 の 形

に 関 し て 、 そ の 展 開 を

究 す る も の で あ る が 、

が 古 い 宗 教 一 71 一

(2)

で あ り 民 間 信

と 結 び つ

、 貴 族

会 と 結 び 、

式 、

係 に

く 縛 ら れ 、

に 加 持 祈

を な し 、 又 修 験 と の 関 係 を も ち 、 多 種 多 様 な 形

を 備 え

分 派 も

い の で

教 諸 宗 派 の 中 で も 日 本 的 展 開 を 研 究 す る に 最 も 適 し て い る も の の 一 つ で あ る と

え た か ら で あ る 。 昭 和 三 十 六 年 度

教 年 鑑 に よ る

言 宗 各 派 か ら の 分 派 を 見 る と 第 一 表 の

く 四 十 八 派 に な る 。 本 研 究 は そ れ ら の

づ け を

み る

味 に お い て 明

・ 大 正 時 代 に 逆 上 っ て 、 行 な わ れ た 分 派 的 争 い を 取 上 げ て 考 え て み る こ と に す る 。 明 治 ・ 大 正 時

に か け て の 宗

に 関 す る 資 料 は 主 と し て 当 時 発 行 さ れ て い た

の 雑 誌 ・ 新 聞 に た よ る 外 な い が 、

義 真 言 と し て は 密 厳 教

( 明 治 二 十 二 年 − 三 十 三 年 ) が あ り 、 智 山 派 で は 智 嶺 新 報 ( 明 治 三 十 四 年

 

昭 和 二 年 ) 、 豊 山 派 で は 加 持 世 界 ( 明 治 三 十 三 年

 

大 正 七

) 、 曲 豆 山 公 論 ( 大 正 三 年 − 六

) 新 興 ( 大 正 七

1

昭 和 三 年 ) が あ り 、 古 義 で は

燈 ( 明

二 十 三 年

1

三 十 六 年 ) 、 六 大 新 報 ( 明 治 三 十 六 年

1

昭 和 十 七 年 ) 同 学 ( 明 治 二 十 三 年

 

二 十 八

) 、

野 の

( 明 治 二 十 八

二 十 年 ) 高 野 山 教 報 ( 明 治 三 十 年

1

三 十 四 年 ) 高 野 学 報 ( 大 正 二 年

i

二 年 ) 高 野 山 時 報 ( 大 正 三

 

 

  ) そ の 他 十

遍 照 世

教 、 神 変 等 の

言 系 の 雑

が あ る ( 別 表 二 を

照 )   明 治 以 来 の

言 宗 の 分

合 同 に 関 し て は 合 同 と い う

は な さ れ ず 、

に 分 離 を な し て い る 。 昭 和 十 六 年 の 大

言 宗 に

一 さ れ た の は 政 府 権 力 に よ っ て な さ れ た の で 、 決 し て 内 部 か ら の 合 同 で は な い し 明 治 十 二

の 一 宗 一

長 も 政 府 の 命 令 に よ る も の で あ っ た 。 た だ 一 つ 大 正 十 四

の 古 義

言 宗 は 明 治 三 十 三 年 に

離 独 立 し た も の が 、 三 派 (

派 、 御

派 、 大 覚 寺 派 ) が 合 同 し た も の で あ る 。   別

三 に あ る よ う に 、 明 治 五 年 に 教

職 が お か れ て 、 各 宗 に 管 長 、 高 野 山 桜 池

の 密 道 応 が 初 代 真 言 宗 教 導 職

長 と な っ た 。 つ い で 六 年 に は 大 教 院 が 設 け ら れ 、 各 地 に 小 教 院 が つ く ら れ た 。 翌

に は 智 積 院 、 長 谷

を 新 義 真 言 宗 の 本 山 と 定 め

長 は 四 山 つ ま り 、 金 剛 峯 寺 、 東 寺 、 智 積 院 、 長 谷 寺 で

番 制 と な っ た 。 八 年 に は 大

が 廃 止 さ れ 、

言 宗 で は

合 同 の 大 教 院 を 東

、 芝

福 寺 に た て 、 各 地 に

小 教 院 を た て た 。 十 一 年 に は 仁 和 寺 、 大 覚 寺 、 法 隆 寺 薬 師 寺 、 西 大 寺 、 唐

寺 の 八 力 寺 が 西 部 真 言 宗 を た て て 、

し た 。 更 に

義 分

し て 、 三 派 一

72

(3)

近 代に おける真言宗の分 派と統 合 (斎藤 )

立 と い う こ と に な っ た α し か し 十 二 年 に は 別 置

長 も 認 め ず 分 派 分 離 も

め な い 内

で 一 宗 一 管 長 制 に 復 帰 し 、

京 湯 島 の 霊

で 本 末 合 同 大 成 会 議 を

き 、 東

を 総 本 山 と し 、 初 代 真 言 宗 長

に 三 条 西 乗 禅 が な っ た が 各 山 の 間 は う ま く い か

、 十 五

法 相 宗 が 独 立 し て 、 再 び

管 長

に 復 帰 し た 。 十 八 年 に は 単 称 真 言 宗 と 新 義 真 言 宗 と が 認 可 さ れ る こ と に 至 り 、 二 十 八 年 に は 真 言 律 宗 の

を 見 た 。 こ の 頃 醍 醐

野 山 に は 独 立 の 気 運 が き ざ し 、 原 心 猛 座 主 は そ の 運 動 に 奔 走 し て い た が 、 三 十 二

の 宗 会 で 、 宗 典 を 変 更 し 教 王

国 寺 、 金 剛 峯 寺 、 仁 和 寺 、 大

寺 、 長 谷

院 、 泉 湧 寺

心 院 、 勧 修 寺

は そ れ ぞ れ 宗 典 を 設 け て 管 長 を 別 置 す る こ と に 決 っ た 。

離 反 対 画 一

で は 独 立 ま で は 宗 典 に 従 う べ き で 、 許 可 願 は 不 当 で あ る と 分

反 対 運 動 を

し た が 、 時 の 内 相 は 新 義 だ け の 独 立 を

可 す る の は 片 手 落 ち だ か ら 、 行 政 処 分 と し て 分 立 を 認 め よ う と い う 事 に な り 、 真 言 宗 の 分 離 許 可 は 三 十 三 年 八 月 に 下 り た わ け で あ る 。     真 言

高 野 派 ( 管 長

峯 寺 座 主 原 心 猛 )     真 言

御 室 派 ( 管 長

寺 門 跡

 

等 )     真 言

大 覚

派 (

長 大 覚 寺

幡 竜 暢 )     真 言 宗 醍 醐 派 (

寺 座 主 和 気 宥 雄 )     新

言 宗 豊 山 派 (

長 長 谷

化 主 慶 雲

量 )     新 義

言 宗

山 派 (

長 智 積 院 化 主 瑜 伽 教 如 ) 等 の 独 立 派 が 行 な わ れ た が 、 こ れ に 対 し て 古 義 画 一 同 志 会 は

を 起 し 、 議 会 へ

願 運 動 を

し た 。 古 義 四 派 管 長 、 真 言 宗

者 等 が

府 主

で 協 商 会

を も ち 、 連 合 制 規 を 定 め た が 、 古 義 画 一 同 志

成 し な か っ た が 、 翌 三 十 四

二 回

議 で 修 正

を 出 し て 了 承 さ れ 、

合 制 が 確 立 し 、

裁 を 各 派 管 長 か ら 推

す る こ と に な っ た 。

派 し な か っ た 教 王

、 勧

、 随 心 院 、

の 四 山 は 単 称 真 言 宗 と し て

跡 長 宥 匡 が 長 者 を つ と め た が 、 四 十

に は 単 称 真 言 宗 も 分

し 、 73 一

(4)

    真 言 宗 東 寺 派 ( 管 長 教 王

国 寺 長 者 鎌 田

応 )       〃

 

泉 湧 寺 派 ( 管 長

湧 寺 長 老 佐 迫 法 遵 )       〃

 

山 階 派 ( 管 長 勧

長 宥 匡 )       〃   小 野 派 ( 管 長 随 心 院 門 跡 欠 員 中 ) の 四

が 新 た に 派 号 を 称 え 八 派 が 出 揃 っ た 形 に な っ た 。

野 派 は 更 に こ の 連 合 制 か ら 独 立 し よ う と し て

書 を 出 し て 大 正 三 年 に 却 下 さ れ て い る 。 大 正 十 一

に は 古 義 制 度

正 案 が 出 さ れ 、

一 か 分 離 か の 問 題 が 提 起 さ れ 、 同 年 十 一

に は 古 義 臨 時 議 会 が 持 た れ 、 合 理 的 に 改

を す る こ と に 議 決 さ れ た が 翌 十 二 年 に は 醍 醐 、 山 階 、

三 派 の

改 正 反 対 に あ い 、 こ れ が 通 ら な い の で 三 派 は 連 合

退 を 表 明 す る に 至 り 、 遂 に 十 二 月 連 合

体 各 派

の 決 議 を な し た 。 こ れ に

し て

地 に

一 の 運

が 起 さ れ た が 、 合 同 を な し 得 た の は 高 野 派 御 室 派 、 大 覚 寺

の 三 派 で 十 四 年 に は 古 義 真 言 宗 と し て 成 立 し た 。   大 正 時 代 に は 新 義 の 智 山 豊 山 と も に 派 内 の

い が 見 ら れ る が こ れ ら の 派 閥 は 明 治 後 期 か ら の も の で 、 そ の 点 は 智 山 、 豊 山 同 じ で あ る 。 こ れ ら の 特 色 は 派 内 の 政 治 的

い が 主 で あ り 、 明 治 以 来 の 分 離 は 各 山 の 権 力 の 主

と 経 済 力 が 主 た る 原 因 と な っ た 。 他 山 の 下 に お か れ る の を 心 よ し と せ

、 格

を 重 ん じ 、 封 建 的 な 伝 統 を

ろ う と し た 。 こ の 宗 派 対 抗 意 識 と 更 に 派 内 の 派 閥 的 対 立 を 通 し て 宗

形 態 の 一 面 を 検 討 す る こ と と す る 。 一 74 一 二

 

)   明

三 十 五 年 豊 山 派 は 宗

に 先 だ ち 田 端 与 楽 寺 に 於 て 宗

確 立 の

を な し て 、 こ れ を 宗

に 提 出 し た 。 こ の

会 は 三 十 七 年 の 豊 山 派 第 二 次 宗 会 で 意 見 両 派 に 分 れ た と き 、

新 同 盟 会 と 称 し た 。 次 い で 翌 三 十 八 年 本 山 事

長 選 挙 に

っ て 不 穏 の 事 が あ り 、

新 同 盟 会 は 主 義 綱 領 を か か

て 発 会 、 明 け て 一 月 に

を 行 な っ た 。

(5)

近代におる真言宗の分 派 と統 合 (斎藤)   三

五 年 の 加

を 児 る と い く つ か の 改

が の っ て い る 。 そ の

で 、    

の 寺 院

め 、 人 体 組 織 を な す こ と    

を 定 む る は

な る べ く 、 而 し て 其 の

段 を

な ら し む る ご と     住 職 の 現 籍 を

む る こ と    

院 関 係 入 に

死 亡 の 場

に は 、

継 戸 虫 を 加 ふ る こ と    

央 集 権 の 思 を や め 宗 派 の 自 治 制 を 発 達 し む る こ と と

純 が 述 べ て い る の は 或 る 程 度 豊 山

に お け る

新 派 の 意 冤 を 云 っ て い る も の と 見 て よ い と 思 う 。 大 体 豊 山 派 は 二 十 九 年 の

以 来

新 的 な 気 運 が 強 く 、 三 十 五

の 豊 山 派 大 会 で は 「 進 取 的 性 格 を

揚 し 、 宗 治 を 公 論 に

ひ … … 」 の 建 議

が 出 て 。    

院 結 衆 を

し 、 集

は 管 長

と す る     地

の 聯 合

所 を 宗 務

と 改

の 下 に 組 合 を 置 く こ と    

教 を

道 と

し 、

本 的 精

を 定 め た る こ と    

来 の

級 を

と 改 め 、 教 師 称 号 を 大 司

、 司

、 司 數

の 三 級 と せ し こ と 、 併 し

院 に 住 職 す る に は

    相 当 に

れ ば 住 す る

は ざ る こ と     袈

は 大

、 七 条 、 五 条 と し 、 正 衣 を

絹 の 三 種 と す る こ と     色 衣 を

、 萠 黄 黄 、 浅 青 、 香 色 の 六 色 と せ し こ と     尋

中 よ り 除 き

丈 に て

健 し む る こ と     特 等 地 を 廃 し 等 地 一 等 よ り 三 十 等 と な せ し こ と     現 行

六 七

、 六 八

除     寺 院 住 職 は 在 職 中

を 指 定 し 置 く べ き こ と 「

75

 

(6)

等 の 多 く の

が な さ れ 、 こ の 主

を な し た の は 革 新 同 盟 会 で

っ て 、 再 び

患 數

の 言

を か り れ ば 、 革 新 同

会 は 何 故 に 組 織 せ ざ る べ か ら ざ る 乎 と 題 し 、    

人 は 住 職 に つ き て は 法 類 相

に あ ら ず ん ば 全 く 住 職 と 寺 院 と を 分 離 せ し む る を 可 な り と 恩 惟 す … … … 事 相 な     る も の は 死 物 の

院 に 伝 ふ べ

も の に

ら ず 、 活 け る 人 体 に 授 け ざ る べ か ら ず … … … 故 に 本 末 関 係 の

き 今 臼     断 然 解 き た り と て 何 等 の

あ る こ と な し … … … (

に ) 寺 院 聯

糊 を 設 け ざ る べ か ら ざ る な り 、

    と は 一 寺 院 に 他 の 寺 院 を 合 す る に あ ら

、 数 力 寺

り て 団 体 を 組

体 の 主

に 一 人 の

職 を     置 き

他 の 寺 院 を 司

す る も の … … … ( 加 持 世 界 明

三 十 六

一 月 一 日 号 ) と あ る 如 く 、 宗 是 確 立 と 組

の 改 革 を 図 る

図 の も と に

ま っ た

は 明 ら か で あ っ た 。

新 同 盟

は 三 十 八

の 十 二 月 に 行 な わ れ た 惣 本 出 事

長 選 挙 に 当 っ て 時 田 永

、 加

恵 の 二 候 補 が 争 っ た が 、 加

候 補 を 岩 堀 智 道 、 関 澄 道 等 が 推 し た が 、 そ の や り 方 に 極 端 な も の が あ っ た し

法 会 と

し 、 革 新 の

義 を 乱 用 す る に 至 っ た と い う の で 、 宗 治 は 公 論 に 決 せ ざ る べ か ら ず 、 あ く ま で 三 十 五

第 一 次 宗 会 の 革 新 的 宗 是 を 豊 山 派 の 宗 是 と す べ き と し て 、 革 新 同 盟 会 は 豊 山 派 革 新 会 と し て 綱 領 を 左 の

く か か げ た 。       、 庸 ポ

ヲ 公 払 禰 二 決 ス ル 蠶 ト     一 、 権

ヲ 併 行 セ シ ム ル コ ト     一 、 複 雑 ナ ル 組 楙 繊 ヲ

ス ル コ ト     一 、 寺 院 ノ 基 礎 ヲ 確 立 ス ル コ ト     一 、 教 霧 ヲ 策 励 ス ル 蠶 ト     一 、 伝 道 ヲ 実 研 施 ス ル コ ト     一 、 簡 厳 ナ ル 館 駄 式 ヲ 行 フ コ ト と し 、

事 三 名 富 田 、 小 林 、 湯 沢 三 十 九 年 三 月 に は 佐 々

、 清 水 田 中 を

事 と す 、 評 議 員 若 干 名 の 組 織 を も っ 一 76 一

(7)

近 代における真言統 合 (斎藤 )

会 す る こ と に な っ た 。 あ げ て 一 月 十 四

B

を 行 い 事

所 を

国 寺

に お き 四 月 か ら 会 報 を

し た 。 一

本 出 事

長 候 補 に 加 藤 某 恵 を 推 し た 一 派 は 三 十 九

二 月 に 豊 山 派 同 志 会 の 素 地 を 作 り 、 四 月 に は 本 部 を 弥 勒 寺 に お い て 幹

、 評 議 員 を 定 め て

会 式 を 行 っ た 。     一 、 本 派 の 統 一 を 期 し

せ て 宗 治 の 改

を 図 る     一 、

学 に 尽

し 本 派 の

盛 を 図 る     一 、

相 助 け 各 自 幸 福 の 増 進 を 図 る と の 主 義 を か か げ 、

に 相 対 立 す る こ と に な っ た 。 五 月 に は

関 誌 「 同 志 」 を 発 刊 し た 。 丁 度 三 月 に は 宗 務 所

長 選 挙 が 行 な わ れ た の で 、 革 新 会 は 早 急 に 手 を 打 っ た と い う

方 も あ る よ う に 、 二 名 の 課 長 は と も に 革 新 会 か ら 当 選 し て い る 。 こ れ は 同

会 の 基 礎 が

ま っ て い な か っ た の で

理 も な い 事 で あ っ た 。 課 長 に は

宮 本 量

が な っ た 。 こ う し た

況 に 不 満 で あ っ た の は 同 志

で あ っ た 。 こ の 両 派 の 対 立 が こ れ 以 上 に な る の を 恐 れ た

が 仲 介 の 勞 を と っ た の が 、 三 十 九

の 十 一 月 で あ っ た が 、 話 は う ま く つ か

、 閣 け て 四 十

二 月 に 宗

長 選

と な っ た 。

会 か ら は 当 時 の 宗 務 長 で あ っ た 高 城

同 志

か ら は

堀 智 道 を そ れ ぞ れ 候 補 に 立 て た が 、 八 → 七 対 四 一 六

で 岩 堀 は 敗 れ た が 、

は 辞 退 し て 、 岩

が 宗 務 長 と な っ た 。 当 時 の

会 議

二 十

十 名 が

新 、 六 名 が 詞

会 で 、 四 名 の

立 で あ る 。 革 新 会

は 宮 本 精

、 丹 生 屋

道 、 南 聖 衛 山 口 永

、 小 林 正 盛 、 木 村 一 城

啓 運 、

網 代

閉 、 清 水

暢 、 同 志 会 は

鑁 識 神 林

伝 、 北 川

秀 、 鹿

、 光 松

秀 、 広 瀬 覚 信 、 中 立 と し て は

田 秀 元 、

田 弘 越 、

明 で あ っ た 。 四 十 一 年 七 月 に は 北 川 文 秀

成 三 、 権 田 雷 斧 が 同 志

を 脱 退 し 、

会 は

散 し た 。 三 十 九 年 末 の 話 合 い も 功 を

せ ず 、 益 々 両

の 対 立 と い う 状 況 の 中 に

一 部 に 本 来 の 意 義 に も と る と の 強 硬 な 意 見 が 出 た 事 に よ っ て

散 す る こ と に な っ た と 思 わ れ る が 、

か に

志 が 集 ま り 、 匡

と い う 名

で 再 登 場 し て 来 た の は 大 正 三

で 同 じ く 、 富 田

縫 小

正 盛 等 を

心 と し て で

っ た 。 一 方

新 会 が

し た の で 、 な り を ひ そ め て し ま っ た 同 志

も 加

精 神 、 湯 沢 竜

を 中 心 に 豊 山 公 論 [ 77 皿

(8)

を 再 組

再 び そ の

立 が 表 面 化 す る と 共 に 、 激 烈 を

め た 。 同 年 九 月 の 宗

長 選 挙 に は 匡

会 系 の 丹 生 屋 隆 道 、 公

を 組

し た 加 藤 精

と が 対 立 候 補 と な っ た

、 八 五 六 対 七 三 六 票 で 匡 真

の 勝 利 と な っ た 事 が 益 々 対 立 を

め る 結 果 と な っ た 。 こ の 時 の 管 長 は 公 論 会 の 岩 堀

で あ っ た た め 、

に 大 き な 問 題 を 起 す こ と に な っ た 。 富 田

長 の あ と 鷲 生 屋 加 藤 で 争 っ て 。 匡 真

は 瀦 持 世 界

を 事 務 所 と し た の で 。 公 論 会 は 新 た に 豊 山 公

を 発 行 し て 、 こ れ に 対 し た 。 翌 四 年 の 宗

議 員

に 際 し て 二

二 十 七 日 の 開

に 先 だ ち 臨

よ り 異

が 申 禺 さ れ た の を 却 下 し た の で 、 匡

会 は 文 部

に 宗 規 を 遵 守 し な い 旨 訴 え 出 た 。 文 部 省 は

務 長 を 召

畏 を 召 換 し て 宗 規 を

守 す べ

鷺 を 注 意 、 主 務 大

の 命

書 が 発 せ ら れ た に も 拘 ら ず 行 な わ れ な い と い う の で 、 文 部

は 岩 堀 智

の 管 長 認 可 を 取 消 し 前 々 管 長

田 霧

( 当

豊 山

長 ) に 事 務 取 扱 を 命 じ た 。 同 臼

生 屋

兼 教

課 長 湯 沢

が 辞

し 、 網 代 智 明 が 臨 時 宗 務 長 に 、 佐 々

教 純 が 庶 務 兼 教 学 課 長 に 、

課 長 の 北 川 文

が や め て 関 澄 道 が な っ た 。 文 部 省

局 は 宗 教 局 長 の 柴 田 駒 三 郎 が

、 荒 木 良

、 加 藤

神 、 関 澄 道 の

表 者 と 会

態 の 収

を 図 っ た 。 次 い て 匡 真 会 代

富 臓 數

木 良 仙 、 公 論 会 代 表 加

精 神 、 関 澄 道 が 数 回 に 亙 っ て 会 見 、 同 三 月 に

明 臨 時 宗 務 長 を 辞 し 、 尾 川 昭 円 が

長 事

と な り 同 日 、 匡 真

表 二 十 九 名 、 公 論

二 十 九 名 の 調 印 を も っ て 両 会 の 協 定 が 成 立 し た 。 六 月 に は 尾 州 昭 円 が 正 式 に 宗 務 長 に な っ た が 、 ま だ 問

の 解 決 を み な か っ た 。 先 に 開 票 し た 大

議 員 選 挙 は 手 続 が 大 会

選 挙 規

に 違 反 し た と い う 理 虫 で

部 大 臣 よ り 取 消 し を

ぜ ら れ 、 九 月 改 め て 選

を 行 な っ た 。

長 、 宗 務 長 、 議 長 、 本 山 事 務 長 の ポ ス ト に 対 し て の 割 ふ り 、 両 派 の 均

た れ る よ う に 、

互 に そ の ポ ス ト に 当 る よ う に 両 派 代 表 者

で 決 ま り 、

う 三 年 を 期 限 と し て 、 つ ま り 大 正 四

三 月 二 十 六 日 の 両 派 調 印 式 よ り 七 年 三 月 二 十 六 日 ま で 両 会

宗 治 を 行 な う 事 に 余

な く な っ て い た か ら で あ る 。 大 正 七

期 限 が い よ い よ 迫 っ て 、 妥 協 を 破 る べ き か 、 合 同 す べ き か と い う

に な っ て 来 た が 、 両

の 連 立 内 閣 で 宗

関 は ゆ る ん で し ま っ た 。 た だ そ の ポ ス ト の

当 だ け を

保 す る に

ぎ な く な っ た 。 宗 務 長

選 の 時

に 至 り 、

次 両 会 は 折 衝 匡 真 会 か ら は 候 補 に 小 林 正 盛 を 出 し 、 公 論 会 は 三 月 二 十 六 日 ま で は 両 会

な れ ば そ の 権 利 一

78

(9)

にお ける真言宗の分派統 合 (斎藤) を 放 棄 し て 改 め て

す る こ と に し て 、 甲 乙 二 本 を つ く り 、 甲 を ひ い た

よ り 三 名 の 候 補 者 を 出 し 、 乙 を ひ い た 方 が 三 名 中 よ り 一 名 を 決

す る こ と の 提 案 が あ っ た が 、 三 名 候

に 反

が あ り 、 甲 者 よ り 一 名 決 定 と い う こ と に な り 宗 会 正 副

長 が そ の 任 に 当 る ( 豊 山 派 は

長 選 挙 を 宗

で 執 行 ) こ と に な っ た が 、 匡 真 会 が

を ひ き 、

ち に 小 林 正 盛 を お す 。

川 快 亮 管 長 、 小 林 正 盛 宗 務 長 で は 両 者 と も 匡

で は お か し い と い う

も あ っ た が 、 公

よ り 教 学 部 長 に 湯 沢 竜

、 庶 務 部 長 に 保 森 覚 円 、 匡 真

よ り 財

部 長 に 本 田 栄

山 事 務 長 に

聖 衝 を そ れ ぞ れ 推

し た 。 か く し て 両 会 の 政 争 も 三 年 に 亙 っ て 続 け ら れ た が 、 両 会 幹 部 は

日 の

争 を 省 み て 、 慚 愧 に 堪 え ぬ 思 い か ら 、

商 が 道 義 的 に 成 立 、 両

合 同 し て

の 人 と な ら ん と し た と い う ( 新 興 一 の 一 ) そ の

会 の 綱

は 次 の 如 く で

る 。     一 、 本 会 は 興 教 大

の 密 厳 新 人 の 大 成 を

説 す     一 、 本 会 は 教 育 の 基 礎 を 確 立 し 其 機 関 の

成 を 期 す     一 、 本 会 は 伝 道 を

作 し 国 運 の 進 展 を

す と あ る 。 豊 山 派 当 初 の

新 的 気 分 も 大 勢 を

し た よ う で あ っ た が や が て 対 立 的 政 争 に よ っ て

政 的 立 場 の

に 主 力 を お く 如 き 有 様 に な ら ざ る を 得 な か っ た 。

っ て 派

の 多 く が 直 面

る 問 題 と は か け 離 れ た 、 中 央 部 だ け の 政

と な り 、 派 内 の 離 心 も 考 え ざ る を 得 な い し 、 こ の 大 正 七

三 月 の 両 会 合 同 に は

内 の

く は 一 応 の 安 心

た よ う で あ る 。 し か し 十

年 に 亙 る 派 閥 的 傾 向 は 全 く 根 強 く 温

人 を 見 る に 匡

、 公 論 に 別 け て 見 る 如 き 習 慣 を 与 え て し ま っ た こ と は

め な い 事 実 と な っ た 。

 

智 山 の 場 合 は 豊 山 よ り

々 遅 れ て 相 対 立 す る

が 出 来 た が 、 政 争 的 性

に 於 て は 同 じ で あ る 。 明

三 十 七

の 四 一

79

(10)

月 の 一 宗 大

に 護 法

な る も の が 中 学 林 を 東

に 移 転 す る こ と を 建

し た 。     一 、 京

は 徒 弟 の 登 校 に 便 な ら ず     二 学 問 の 中 枢 は 京 都 に 非 ず し て

京 な り     三

都 は 学 生 の 大 敵 地 な り     四 、 京 都 は 良 教

る に 困

な り と し て 、 千

永 、 新 村 大 秀 、 榊 原 了 月 、 中 山 盛 雄 等 が 代 表 と な っ て い る 。

法 有

な る も の は か く の

く 関 東 を 地 盤 と し た 人 達 に よ っ て 集 会 が 持 た れ 、 こ れ が 同 年 智 山 派 同 志 会 に 発 展 し た 。 こ れ が 目 的 は 本 末 の 和 融 を 基 礎 と し て 、 智 山 派 の 発 展 を 図 る と い う こ と に あ っ た 。 三 十 八

同 志 会 総 会 で は 早 く も 内 紛 が 生 じ 、 幹 事 の 宮 本 隆

は 「

簿 公 印 の 如 き は 幹 事 の 自 由 に し て

の 嘴 を い る る 所 に

ら ず 」 と 剛

不 遜 な 態

で 、 会 員 激 昂 、 除 名 処

に 及 ん だ の で あ る が こ れ が 分 派 の 原 因 と な っ て 新 た に 智 山 和

会 が 玉 滝 五 十

疋 田 、 榊 原 中 山 、 千

尾 住 、 斎 藤 丸 山 等 を 中 心 に 組

さ れ 、 能 化 よ り 和 協 会 設 立 の 認 可 が あ っ た 。 そ れ に 先 立 ち 同 志 会 は 会 名 、 会 則 を 定 め 、 管 長 の 認 可 を

く べ き こ と 、 会

誘 、 寄 金 の

集 等 の 項 目 の 打 合 せ を す べ く

合 を 持 っ た が 、 既 に 和 協 会 に 対 す べ く も な く

散 し 合 同 す べ く 決 定 し 、 五 月 七 日

観 蔵 院 で 開 散 し 、 同 時 に

山 和 協 会 に 合 流 し た 。 和 協

の 目 的 は 本 末 の

和 と 宗 治 の 円 満 と を 図 る も の で 、 極 め て 現 実 的 で あ っ た が 、 早 速 玉

義 秀 を 庶 務 課 長 に 、 小

を 教 学 課 長 に 推 薦 す る と い う 運 動 を 始 め た 。 和 協

会 式 は 十 一 月 、 会 員 五

〇 名 、 発 会 式 出

者 九 〇 名 で 、 金 剛 僧 正 を 座 長 に し て 、 評 議 員 に 玉 滝 義 秀 五 十

光 竜 、 疋 田 運 猷 、 榊

了 月 、 中 山 盛 雄 、 大 規 快

、 千

、 尾 任 秀 憲 斎 藤

丸 山 覚

等 が な っ た 。 こ こ に

会 は 課 長 の 推 薦 は

論 、 宗

の 候 補 者 の 選 定 宗

長 の 推

を 行 っ て 来 た が こ の 主 流 が

と な り 尾 住 秀

、 角 田 頼 恵

永 、 平 沢 照

、 平 幡 照

、 竹 村

等 が 出 こ れ を 心 よ く 思 わ ぬ 宮 本 隆 範 を 中 心 と し た

梗 会 が 明 治 末 か ら

正 に か け て 現 わ れ て 来 た 。 大 正 二

の 総

で 会 長 に 宮 本

、 幹

に 御 嶽 隆 道 志 田 照 猛 村 山 正 栄 、 倉 持 光 寿 が 選 ば れ て い る 。 こ の

会 一

80

(11)

近代に おける真 書の分派 と統合 斎藤 も 時 を へ ず し て 智 山 至

会 と な っ て い る 。 両 会 が 対 立 し た 最 も 大 き な 事 件 は 大 正 六

本 隆 範 宗 務 長 に 対 す る

対 で あ っ た 。 伊

本 隆 範 の 内 局 は 至 誠 会 の

る 所 で あ っ た が 、

正 会 総 裁

伯 隆 運 は 鈴

法 次 官 や

小 路

相 と 関 係 が あ り 、

府 側 よ り

山 派 内

に つ い て 伊 藤 管 長 に 召 換 が あ り 、 岡 田

相 の

旋 に よ っ て 伊 藤

長 と

顧 問 石 川 照 勤 と の 間 に 種 々 の 協 定 を へ 、 宗 務 長 改

と い う こ と に な り 、 当 の 責 任 者 宗 務 長

本 隆 範 に は 立 候 補 断

せ し め 、

正 会 推

の 青

豊 に も 辞 せ し め て 、 千

永 を 立 て 宗 務 長 に 当 選 さ せ た が 、 轡

宗 盛 管 長 は

憲 に よ っ て 進 ま ん と す る に 、 千

長 を 抑 圧 し 、

に 鬮 田

相 と の 口 約 を

視 し て 革 正

の 千

長 を

し て 宗 務 長 事

取 扱 に

本 隆 範 を

じ た の は 六 年 十 月 で あ っ た 。 文 相 は 十 月 二 十 一 日 管 長 に 対 し 辞

を 勧

ぜ ざ れ ば

長 認 可 取

に す る 旨 通

、 伊

宗 盛 管 長 は 千 葉

務 長 を 解 職 し た 十 月 十 九 日

を 以 っ て 辞

  長

務 取 扱 に は

伽 數 如 が 当 り 、

ち に 千 葉

永 の 免 職

消 し を な し た 。 明 け て 七

一 邦 の 管 長 選 挙 に は

江 存 良 、 石 川 照 勤 、 佐 伯

青 木 栄 豊 の 順 に 得 票 が

り 、 い ず れ も

正 会 に 属 し て 居 り 、 次 い で 行 な わ れ た

正 会 総

で は 総 裁 に 佐 伯 隆 運 、

事 に 旭

、 玉

、 尾 住 秀

、 平 幡 照 法 、 平 沢 照

が 選 ば れ た 。 六

十 二 月 に 行 な わ れ た 第 十 次 臨 時

も ニ カ

に 亙 る 蜜 局 不 儒

問 題 も 菠 糟

し て 平 穏

事 に す み 、 蘯

会 の 爾 巨 頭 と 團 さ れ た 小 林 栄 運

岡 芳 信 を 始 め 、 大

、 大 塚 、 蛭 田 、 本 間 等 が 宮 本 前 宗 務 長 の 不 信 を 認 め 、

正 会 に

加 し て 、 至 誠 会 は 先 緬 り に な り 自 然 消 滅 運 命 を た ど っ た 。

正 会 は 関

を 地

と し て 、 財 力 を 背

に 他 を 吸 収 し て し ま っ た 。 豊 山 の 場 合 は 匡

、 公

と も に 同

約 成 っ て 合 体 し た の と は 違 っ て 、 智 山 の 場 合 は 政 府 権 力 か ら の 打

と 、

に 圧 迫 さ れ た 事 に よ っ て 消 滅 し て し ま っ た 。

山 の 場 合 は 従 っ て

に 派

的 な も の が

ら な か っ た 。 豊 宙 を

と す れ ぽ

山 は 消 極 的

と 云 え る が 、

者 に は 前 者 の よ う な 派 閥 的 強 さ は な い 。

81

(12)

  古 義 画 一 派 は 明 治 三 十 三 年 の 真 言

の 時 か ら あ っ て 、 こ の 画 一 派 は 統 一 の 甲 胄 を 分 離 の 体 に っ け て い る と 評 さ れ て い た 。 当 時 は 古 義 画 一 派

合 派 ( こ れ は 派 内 で は 両 山 分 離 ) 、 各 山 各 立 派 と 分 れ て い た 。 新 義 派 の 方

と し て は     一 、 教 王

国 寺 は 一

の 総 本 山 な れ ば 一 山 の

役 課 及 住 職

新 古 等 分 に 選 出 す べ き も の と す     二 、 事 相 部 本 山 は 固 よ り 非 新 非 古 な る を 以 て

職 は 勿 論 一 山 の 諸 役 課 は 必

新 古 よ り 選 出 す べ き 者 と す     三 、 各 大 本 山 の 寺 法 は 本 来

同 編 成 の

に あ ら ざ れ ば 一 同 服

し 難 し 故 に 各 山 に 会 し て 速 に

正 の

げ ら       れ ん こ と を     四 、 法 務 所 よ り 新 義 派

院 へ の 巡 回

教 は 自

両 化 主 へ 一

せ ら れ た き 事 で あ っ て 、 必

徹 せ ず ん ぼ や ま ず の

で あ っ た ( 明 治 二 十 五

以 来 ) 。 こ れ ら の 分 離 は 遂 に 三 十 三

言 宗 各 派 の 独 立 と な っ て 現 わ れ た 。 三 十 四

に は 古 義 聯 合

が と と の い 、

称 真 言 宗 の 教 王 護 国

、 泉 湧

、 随 心 院 勤 修

の 四 山 が そ れ ぞ れ 東 寺 派

寺 派 、 小 野 派 、 山 階 派 と 独 立 、 古 義 が 完 全 に 八 派 に な っ た の は 四 十

で あ っ た が 、

に こ の 聯 合 制 が 大 正 十 三 年 の 古 義 真 言 宗 の 成 立 ま で 続 く こ と に な る が 、 こ の 古 義

言 宗 の 統 一 問 題 は 統 一 の 難 か し さ を 物 語 る と 同 時 に 、 宗 内 の

に よ っ て 統 一 の 出 来 た 一 つ の 例 で あ る 。   大 正 七

三 月 第 二 回 制 度 調 査 会 に 出

し た 瀬 川 大 憲 岡 本 慈 航 、

本 竜 海 、 融 等 吽 、 和 田 性 海 東 条 隆

、 久

観 雅 、 湯

竜 瑛 は 一 大 一 中 論 に つ い て

じ た が 、 瀬 川 曽 我 野 、 椋 本 、

永 は 一 大 を

都 に 、   一 中 を 高 野 に 、

村 、 湯 崎 東 条 は 両 学 と も 高 野 山 に 設

し 、 先 づ 高 野 山 中 心 統 一 主 義 の 実 現 を 急 が ん と し た 。 こ こ に

わ れ た 京 都 派 と 高 野 派 は 相 対 す る も の と な っ て

に 出 て 来 る 。 こ の 時 は 両 派 と も に 分 離 な ぞ

え て 居 ら

、 大 正 十 一

に は 一 宗 一

行 委 員 会 が 出 来 て 、 八 派 管 長 会 に つ い で 翌 日 行 な わ れ て い る 。 山

派 和 田 管 長 の

を 基 に し て 次 の よ う な 案 が 成 立 し た 。     一 、 高 、 仁 大 、 東 、 勧 随 、 醍 、

の 八 派 は

月 日 を 限 り 派 号 並 び に

長 を

廃 す る こ と 一 82 一

(13)

におる真言 宗の分 派 と統合 (斎藤)  

 

  二 、 教 王 護 国 寺 並 に 金 圜 峯

を 真 言 宗 両 本 山 と 称 呼 し 、 仁 、 大 泉 、

、 随 醍 を

言 宗 六 大 本 出 と 称 呼 す  

 

三 、 両 総 本 山 、 六 大 本 鸛 並 び に 五 千 霞 百

を 以 て 一 つ

言 宗 教 団 と す  

 

四 、

言 宗 管 長 は 両 総 本 山 を

摂 し 両 総

山 に 住

し 、 五 千 四 百 余 力 寺 の

寺 を 統 治 す (

し 当 分 は 第 五 項  

 

 

  の 但 書 に よ る )  

 

五 、 宙 釜 函 戯 笊 管 長 は 論 ハ 大 本 山 佐

中 よ ワ ( 住

仕 の 臓 順 に 依 る ) 轟 父

溝 四 皿 斎 圃

晶 腕

る も の と し

長 就

由 」 け 愉 兀  

 

 

  の 大 本 出 を 兼

し 管 長 の

期 満 了

は 元 の 大 本 由 に も ど り 任 職 す る も の と す  

 

六 、 八 派 の 派 号 並 に

長 撤

と 同 時 に 本 山 に 一 時 金 七 万 円 を 交 付 す 。 前 項 の 一

付 金 は 各 本 山 に 於 い て

金  

 

 

し 、 利

金 の 半

を 逓 常

物 の

繕 費 に

当 す る も の と す  

 

七 、 毎 年 各 本 山 へ の

付 金 ( 臨 時 交 付 金 を 含 む ) は 従 前 の 通 り

付 し 、 年 々 の 諸 礼 録 金 は 全 部 交 付 せ ざ る こ と  

 

八 、 両 総 本 山 並 に 六 大 本 山 の 臨 時 費 は

書 一 宗 の

担 と す  

 

九 、

言 宗 大 本 由 醍

寺 座 主 三 宝 院

は 剥 に 修 験

に 関 す る 醍 醐 派

長 の

限 を 執 す る こ と を 認 む  

 

、 八 本 山

五 千 四 百 余 力

が 帰 一 せ ざ る に 於 て は 一 宗 一

度 鞏 固 な ら ず と 確 信 す る も 本 来 制

改 正 す  

 

 

る 能 は

れ ば 別 に 法 律 上 よ り 有 力 な る 分

不 可

制 度 を

定 す る 事 (

野 掬 時 報 二 六 八 兮 ) 以 上 十

目 に つ き 、 土 宜

野 派

長 、 鎌 田 東

派 管 長 、 浦 上 仁 和 寺 派 管 長 、 和 田 出

派 管 長 、

派 管 長 平 之 、 醍 醐 寺

長 、 重

小 野 派

長 の 外 実 行

員 と と も に 成 立 さ せ 、 臨 時 聯 合 議 会 に

出 す る

び と な っ た 。

の 起 り は

期 議

の 五 臼 目 に

竜 瑛 議

か ら 撮 程

議 に つ づ い て 、

度 改 蕉

な る も の が 出 さ れ た 。   一 、 聯

派 の

号 を 撤 廃 し て 一 宗 一

長 と す る 事 、 二 、 管 長 は 教 王 護 国

、 金 剛 峯 寺 を 管 理 す る こ と 、 三 、 仁 、

、 大 、

の 六 大 本 山 は

長 の

と し 、 一 宗 よ 弓 確 乎 た る 永 遠 維 持 の 方 法 を 立 つ る こ と の 三 項 匿 で あ っ た 。

ち に 採

し 、

に 「 己 上 三 項 目 を 実 行 す る は 急 務 な れ ば 当 局 に

じ イ 之 が 実 行 に 関 す る 具

を 作 製 し 、

正 十 一

度 内 に 臨 時

を 召 集 し て 、 之 に 提

縮 議 せ し む る こ と に な り 、 こ の 案 作 成 に

す る

用 五 〇 〇 〇 一 83 一

(14)

円 を

帯 決

と し て 総 裁 及 各 派 管 長 へ

出 、 総 裁 は 直 ち に 管 長

を 開 い て 七 名

を 設 け て 交 渉 折 衝 に 最 善 を つ く さ し む こ と に な り 、 十 年 十 二 月 以 来 、 石 堂

猛 、

本 竜 海 、 湯 崎 弘 雄 、 蓮 生

伯 恵 眼 、 神 亀 俊 鐘 、 高 田 良 源 の 七 名 の 実 行 委

が 、 十 一

三 月 第 一 回 委

会 及 び 管 長 会 を 更 に 第 二 回 、 第 三 回 と も っ て 、 こ の 件 に 関 し て の み 臨 時 議

を 鯛 く こ と に な っ て い た 。 こ の 臨 時 宗

に は 多 く の

待 が 寄 せ ら れ た が 一

長 鯔 は

行 不 可 能 と

棄 さ れ て し ま っ た 。 先 の

和 田

は 京 都 派 の も の で あ り 、 高 野 を 中 心 と し て 、 他 の 七

の 派 号 を

し て 統

し 、 金 剛 峯 寺 の 座 主 を も っ て 管 長 と す る も の で あ る 。 こ れ は 瀞 咼 野 派 の 勢 力 が 他 の 七 派 の

よ り も

る こ と を

し た 上 の こ と で あ り 、 又 こ れ を 心 よ く 思 わ な い 本 街 も あ る の が 当 時 の 状 況 で あ っ た 。

院 数 に お い て は 高 野 派 は 他 の 七 派 以 上 で あ り 、

は 遙 か に 上 廻 っ て い る 。 結 果 と し て は こ の 一 宗 一 管 長 欄 に 逆 な 分

向 に

っ て し ま っ た 。 大 正 十 二 年 山

、 小 野 派 、 醍 醐 派 の 三 派 が 聯 合 制 か ら の 脱 退 を 表 明 し た 。 そ こ で 現 状 の ま ま

一 を 促 進

る か 現 聯 合 を

体 し て

し く 統 一 の 方 法 を も つ か 決 し

な か っ た の だ が 、 山 階 、 小 野 、 醍 醐 の 三

が 分

を 倦 く ま で 主 張 す る な ら 、 他 の 五 派 だ け で 統 一 を と 発 言 し た の は 石 堂 恵 猛 で あ る 。 兎 に

一 促 進 会

ん で 新 し く 統 一 を 促 進 せ し め る こ と に な っ た 。

員 に 選 ば れ た の は 藤 村

、 湯 崎 弘 雄 、 石 堂

猛 、

、 谷 内 清 巌 、 宮 崎 忍 海 、 高 見

応 の 七 名 で あ る 。 こ の 統 一 促

会 の

論 は 金 剛 峯 寺 の 現

入 三 分 の 一 を 聯 合 に

使

い 、 八 派 の 統 一 が 不 可 能 な ら 、 五 派 統 一 で も 、 仁 峨 高 の 三 大 派 だ け で も 統 一 を

し よ う と い う

で 進 む 事 に な っ た 。 結 局 大 正 十 二 年 の 聯 合

会 に お い て は

合 解 体 各

分 離 の 決

が な さ れ 、

度 を 改 正 し て 検 知

と し 、 学 校 は 持 ち 分 れ と す る 事 、 担 し 検 知 制 の 法 務 所 は 共 同 事 務 所 的 の も の と す る 事 現 制 度 を 維 持 し て 大 阪 に 一 大 学 を 建 設 す る こ と 京 高 両 学 を 廃 し 、 各 宗 聯 合 大 学 に 参 加 す る こ と 、 現 饑 度 の

に し て 教 育

を 京 高

分 に 交 附 す る

、 京 鄰 両

都 各

に 賦 課 し 、 高 野 両 学 は 高 野 派 に 賦 課 す 、 現 髓 度 に て 一 中 は

野 に 、 一 大 を

都 に

き 大

を 新

し 内 容 を 充

す る 事 但 し 京 高 共 に

立 学 校 の 経 営 は 任 意 と す る

が 確

さ れ 、     現 聯 含 制 規 は

本 に

て 合 理 的

正 の

す る を

む 、

て 当 局 は 各

を へ て 次 期

会 若 く は

時 議

84

(15)

近代における真言 宗 の分派と統合 (斎藤)  

 

を 嬰

し 其 成

を 提 出 す 可 し  

 

右 決 議 す  

 

聯 合 制 規 第 百 十 九

に よ り

を 提 出 す  

 

 

 

 

              提 出 者

 

秦 義 雄  

 

 

 

 

             

  一 嵩 十 九 名 ( 諞 ハ 大 新 報 一

四 四 … 号 ) と あ っ て 、 聯 合 鰯

の 合 理 的 改 正 を め ぐ っ て 分

一 派 が 京 都 派 、

野 派 と 相

ん で 対 立 す る 事 に な っ た 。 十 二

期 議 会 の 前 に

合 法

贋 で は 臨 時 総

、 つ ま り 聯 合 総 裁 の 特 任 を つ く る

に な り

村 、 石 堂 、 岡 本 の

補 が

が っ た が 、

が 高

山 の 後 援 で 、 つ ま り 一 宗 統 一 の 軌 道 を 行 く も の と し て 推 さ れ た 。

に 第 六 聯 合

会 の

を め ぐ っ て 各 地 に 大

応 を 呼 び

し た 。

都 各 山 で は 革・ 新 同

会 を つ く り 、 各 派 の

主 独 立 を 基 礎 と す る 合 理 的 改 正 を 叫 び 、 高 野 山 に は 甲 于 倶 楽 部 、 又 、 徳 島

言 宗

一 同 盟 は 平 等 な る 統 一 を 望 み 、 香 川 、

磨 は 現 制 度

、 備 前 は 高 野 山

心 の

  、 静 岡 、

は 各

自 主 自 営 、

路 は

一 を 決

し た 。 先 に も 述 べ た よ う に 大 正 十 年 の 第 四 聯 合 議

の 一 宗 一 管 長

号 徹

の 提

に 直 接 の 原 因 が あ り 、

行 委 員 の 努 力 に も 拘 ら ず 、 十 一

の 騙 時 議 会 で は 一 宗 〜

は 破 棄 さ れ 、 十 二

の 第 穴

含 議

で 、

の 合 理 的

正 と な っ た 。 つ ま り 現

合 欄 度 は 出 発 点 に 於 て 各 山 の 自 主 自 営 の

よ り

派 号 を 公 称 し た の で あ る に も

ら ず 、 形

的 統 一 を さ せ ら れ た の で あ る と い う

と 各 山

立 の 不 合 理 不 現

性 が あ っ た か ら 連

刷 に な っ た と い う 二 派 に

れ る 。 と も か

各 派 分 離 の 決 議 が な さ れ た が 、

一 連 盟 の 釈

伝 、 瀬 川 大

、 石 堂 慈

、 谷 内

、 脹 部 智 信 、 福 島

浄 、 禰 田 性 海 が

き 、 高 野 、 仁 和

、 大 覚

の 一 瓢 派 が

一 の き

し に あ っ た 。 十 三 年 十 一 月

は 臨 時 部 会 を 開 ぎ 、 座 主 の 告 諭 に 「 … … 第 六

合 議

二 於 ケ ル 制 規 ノ 根

改 正 決

案 二 対 シ テ ハ 本

ハ 固 ヨ リ

議 案 ノ 精 神 ヲ 尊 ブ ベ キ モ ノ ナ リ ト

モ 裏 二 仁 和 寺 大

大 本 山 霧 リ

合 同 ノ 意 ヲ 蓑 明 セ ラ レ シ 晶 対 シ

定 ノ 途 ヲ

キ 速 嵩 時 局 ノ

ラ ン 事 ヲ 望 ム … … 」 と あ る が 、 こ れ に よ る と 仁 ・ 峨 が

極 的 に

い て 居 る よ う に 受 け と れ る が 、 事

は 必 ず 一

85

(16)

し も そ う で な い 。 次 い で 行 な わ れ た 高 野 山 寺 院

会 の 決 議 で 明 ら か で あ る 。     一 、 高 野 中 心 の 一 宗 一 管 長

を 樹 立 す る 為 め 宗 派 合 同 を 行 ふ こ と     二 、 金 剛 峯 寺 を

本 山 と し 、 其 他 を 所 轄 と す る こ と     三 、 合 同 成 立 後 の 宗 派 を 真 言 宗 高 野 派 と 称 す る こ と     四 、 宗 務 、 教 育 、 布 教 の 各

関 を 高 野 山 に 置 く こ と     五 、 管 長 選 挙 は 一 宗 公 選 と す る こ と     六 、 金 剛 峯 寺 々 法 を 確 保 す る 方 法 を

ず る こ と に よ っ て も 明 ら か な 如 く 、 高 野 山 を 中 心 に 合 同 を す る の で な け れ ば 満 足 し な い か ら 他 派 は お も し ろ く な い 。 三 派

渉 経 過 を 見 る と 十 三 年 七 月 仁 和

大 覚 寺 両 派 代 表 六 名 の

委 員 が 高 野 山 に 来 り 、 そ の 回 答 に ← 「 … …

派 ヲ 合 同 シ テ 一 宗 一 管 長 制 度 ヲ

立 シ 金 剛 峯 寺 座 主 ヲ 以 テ

長 ト ス 、 京 都 各 派 二 交

シ テ 極 力

ヲ 促 ス コ ト : ” … 」 (

野 山 時 報 三 五 三 号 ) と あ る が 、 こ れ を 仁 峨 両 山 は の ん で 、 更 に 具 休 的

合 事 項 を

討 し た 。 し か し 仁 峨 両 山 は 本 末 関 係 を 今 ま で の も の と し 、   一

一 管 長 、

本 山 の 関 係 で 行 き た い こ と に は 変 り は な か っ た 。

の 交

員 に は 庄 野 琳 真 、

、 長 谷 川

静 盛 応 、

淵 実 栄 、

田 良 源 、

派 は 石 堂 恵 猛 、 瀬 川 大 憲 、

生 観

、 大 覚 寺 派 は 谷 内 清

、 釈 法 伝 、 服 部 智 信 で あ り 、 三 派 交 渉 委

か ら 五

に 働 き か け た が 、 十 四

一 月 「 同 意 い た し か ね 候 」 の 回 答 が

っ た 。 こ れ ら の 五 派 は 少 数 の 寺 院 を 圧 迫 し て 本 山 を 専 有 し よ う と い う こ と と 、 三 大 派 だ け で

の あ と 直 ち に 合 同 へ と い う 五 派 に と っ て は

外 的 立 場 に お か れ た こ と も 原 因 で あ っ た 。

言 宗 の 合 同 分 離 は 決 し て 末 派

院 の 与

に よ っ て 行 な わ れ た も の で な い が 今 回 の 合 同 は 大

寺 に し ろ 、

和 寺 に し ろ 末

か ら つ

ら れ た 形 で あ る 。 大 覚

本 末 協 議

の 決 議

( 高 野 山 時 報 三 五 三 号 ) に よ っ て も 、 仁 和

本 末

代 で の 決

に よ っ て も 明 ら か で あ る 。 そ し て 各 地 に 催 さ れ た

一 の 決 議 に よ っ て も 見 る こ と が 出

る 。 真 言 宗 統 一 連 盟 は 第 七

合 議

前 日 ( 十 四 ・ 六 ・ 二 四 ) に 全 国 有 志 大

を 開 き 、 三 派 合 同 は 高 野 山 中 心 主 義 の

神 に 基 き そ の 成 立 断 行 を

す る こ 一

86

(17)

近 代に お ける真 言派 と統 合 斎藤 ) と を 確 認 、 第 七

会 に 三 派 合 同 を 提 案 す る よ う に 働

か け た 。 こ の 第 七 議 会 は

の 議 会 と な っ た が 、 五 派 の 分 立 も 認 め 、 三 派 の 合 同 も

め て も ら う こ と に し 五 派

は 椋 本 竜 海 を 中 心 に 集 っ て い た が 、 石 堂 議 長 、 神

副 議 長 を 使 者 と し て 連 盟 会 本 部 に 来 り 、 八 派 は 一 応 分 離 し 、 新

典 の 認 可 を 得 て 、 そ れ を 三 派 は

施 せ ず に 、

長 作 製 の 合 同 新 宗

の 認 可 を

請 す る こ と の

を し た 。 し か し 三 派 は 管 長 間 の 協 約 に し て 宗

に 表 わ さ な い こ と を 主 張 し て 譲 ら

に 協 約 の 精

を 軽 く 取

っ て 各 自 宗 典 宗 規 の 上 に

わ し 、 三 派 は こ れ を 実 施 せ

、 三 派 合 同 の 新

典 の 認 可 申

を 五 派 も 承 認 す る こ と で

合 い が つ い た 。 「 真 言 宗 」 名 を 称 え る こ と に つ い て 五

よ り 抗

が 出 、 結 局 古 義

言 宗 で

四 年 十 二 月 に

可 に な っ た 。 結 局 京

の 醍 勧 、

の 三 山 が 自 主 自 営 を 申 出 た こ と が 原 因 と な っ て 発 展 し た が 、 そ の 原 因 に 又

心 院 対 善 通

問 題 が あ り 、 こ の 問 題 を 一

し て

派 自 主 自

合 制 を 稀 薄 化 し よ う と し た 事 が 、

野 山 中 心 主 義 に 飛 火 し 、

盟 を あ お る 結 果 に な っ た 。 又 本 山 の 面 目 に 固

し て の 運

に 終 始 す る 結 果 に も な り 、 結

統 一 派 は 統 一 を 、

派 は 分 離 を 余

な く さ せ ら れ た わ け で あ る 。 (

野 中 心 主 義 は 金 剛 峯 寺 の 歴 史 的 存 在 の 外 に 、 高 野 山 は 他 の 五

山 を 合 せ た 以 上 の 経 済 力 と 末 寺 と を も っ て い た こ と が 大 き な 勢 力 と な っ て い る と 思 わ れ る )

 

  こ こ に 挙 げ た 三 つ の 例 に よ っ て 宗 教

団 の 特

す る 事 は 出 来 な い が 、 い く つ か の

的 な も の を あ げ る

は 可

で あ る 。   一 つ は 法 流 は 人

心 で な け れ ば な ら ず 、

院 中 心 で は な い と 呼 ば れ な が ら 、 幾 多 の 争 い の 中 に

心 が 更 に 大 寺 院 中 心 的

力 と の 関 係 へ

ん で 行 っ た こ と で あ る 。   二 は 改

体 で あ っ た も の が 政 争 的 対 立 に 捲 き 込 ま れ 、

に は 派 閥 を

成 し て 、 そ の

に の こ し た こ と で あ る 。 一 87 一

(18)

  三 、 派 閥

対 立 が

治 の 均 衡 を

つ と い う 結 果 、 地 方 寺 院 の 直 面 す る 問

と か け 離 れ て し ま っ た 。   四 、 名

の 推

団 体 で あ っ た も の が 派 閥 を つ く り 、

力 と 結 び つ い た 。   五 、 各 山

立 は 少

寺 院 の 圧 迫 の 上 に あ る と い う 考 え か ら 各 山 各 立 の 不 合 理 制 が 出 て く る べ き だ し 、 各 山 各 立 を 認 る 点 か ら は 聯 合 制 は 各 山 各 立 の

主 自

の 圧 迫 に な る 。 常 に

合 と 分

を は ら ん で い る 。   六 、 大 寺 院 は 常 に 小 寺 院 を 圧

す る 。 宗 派 的 小

団 を も お さ え る 。

と 伝 統 か ら く る 横 暴 で あ る が 、

に 経 済 力 の 面 か ら 云 え る 。 又 、 近 代

本 主 義 の 発 展 と 考 え 合 わ さ る べ き で あ る 。   七 従 っ て 信

為 本 の 宗 教 集 団 と い う 裏 面 に は 、 宗 教

団 独 自 の も の で は な く 、 極 め て 普 遍 的 な 形 態 的 特

り 出 す こ と が 出 来 る 。   以 上 の よ う な 結 論 め い た こ と を あ げ る な ら ば 、 宗 教 集 団 は 形 成 的 形 態 を

え る こ と に

く の 力 を な し て い る こ と が 分 る の で

る 。 更 に 大 き な 事 と し て 、 政 治 権 力 の 介 入 が あ る 。 政 府 が 諸

団 に 大 き な 権 力 を も っ て 望 み 、 そ の 集 団 を 脚 下 に 抑 え て 、 中 央 集 権 的 専 制 を 行 な っ て い た こ と で あ る 。

本 主

の 発

に 伴 っ て 、 政 府 の

力 は

教 集 団 に 大 き く 作 用 し 、 宗 教 集 団 は 政

的 普 遍 形 態 を 資 本 主 義 的 経

機 構 の 中 に 同 時 的 発

を し て い っ た も の と 思 わ れ る が 、 こ の 点 に つ い て は 社 会 経

の 研 究 に ま つ も の で あ る 。 特 に 宗

の 方 々 の 御 批 判 を 戴 き た い と 同 時 に 、 明 治 以

の 宗 団 に 関 す る 資 料 、 宗 派 人 に 関 す る

料 を お

ち の 方 も 多 い と 思 い ま す が 、 お 見 せ

け た ら 望 外 の

び と 存 ず る 次

で あ る 。 第 一

昭 和 三 十 六

 

言 系 教 団                       三           ● 真 言 毘 盧 舎 那 宗 昭 二 十 一 ・ 九 ( 大 阪 放 岡 ・ 千 手 寺 )           [       三 ・ 四           ● 一 切 宗 昭 = 二 二 二 ( 下 関 )       ● 天 宗 昭 二 十 二 ・ 四 ( 日 野 )                       十 三 寺 院 教 会 数 ● 霊 山 寺 真 言 宗 ( 奈 良 ・ 霊 山 寺 )   ● 真 言 宗 五 智 教 団 昭 二 十 一 ・ 四                       八 ( 愛 知 ・ 鳳 来 寺 ) 一

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