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「豊川用水」の建設中

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(1)

「豊川用水」の建設

は じ め に

 昭和30年代にはじまるわが国経済の高度成長の過程で工業化・都市化が進行 し,大都市における工業用水・水道用水の需要は急速に増大しており,水資源        くり

問題は重要な問題となってきた。工業化・都市化の進展は農業に対して水資源

       (2)

の再配分を強く迫っており,従来きわめて強いと考えられていた農業水利秩序 も崩壊し,再編成されつつある。もちろん,農業生産力を発展させるためには 農業水利秩序は改変されねばならないことはいうまでもないが,土地改良事業 として出発した農業水利事業が重化学工業化を中心とした国の地域開発政策に よって変質し,多目的な水利事業に発展することが多い。したがって,単に農 業水利秩序の現状を把握するにとどまらず,それがどのようにして再編成さ れ,そこにいかなる問題が顕在化しつつあるかが明らかにされなかぎり,現代 の水問題,ひいては今後の水資源開発のあり方は論じられないであろう。

 さて,わが国における土地改良事業であるが,その制度的な仕組みの原型は 戦前における耕地整理法(明治32年),水利組合法(明治41年),用排水改良事 業補助要綱(大正12年)等にみることができるが,その本格的な展開は戦後の

ことである。昭和24年に土地改良法が施行され,事業が本格的に実施されるこ とになったが,その内容としては,①潅概排水,区画整理,農道整備,②千 拓,③農用地開発の3点であった。戦後の農政の変化とともに,土地改良事業 の内容もその重点が変化したことはいうまでもないが,「わが国の土地改良の 基本的な方向は食糧増産であり,そのための用排水改良事業が代表的な位置を

     め

しめていた」。したがって,戦後の土地改良の対象地域が大河川中下流平野の         くり

大稲作地帯であったのは,やはり米増産主義の当時の農政と合致したものであ る。しかし,米増産を目的とした農業水利事業が農民自らの蓄積によって可能 であるならば国の補助金に依存する必要はないであろうが,大規模な事業とな ると地元農民の負担のみでは困難な場合が多い。したがって,農民は補助率の 高い国営事業として採択されることを期待するのであるが,農民の強い要望と はことなり採択されないことが多い。というのは,「国の土地改良政策に対し

(2)

て最も効率の高い地域が選ばれ,逆に今日の大規模事業として有効な期待のし        (5)

えないような条件の地域は外されるという傾向をもつ」からである。そのた め,岩元和秋が指摘するように南九州のように本来積極的に国の農業投資がな       (り

されるべきところに投資が少ないという結果になり,いよいよ限界地帯として の性格を強めるのである。

 戦後,わが国で実施された大規模な農業水利事業には二つのタイプがある。

つは水田の潅概用水の確保を目的としたものであり,いま一つは水田だけで なく畑地潅慨をも目的とし,農業用水のほかに水道用水や工業用水を供給する という多目的なものである。本稿でとりあげた「豊川用水」は後者のタイプに 属する。この用水は昭和24年に国営土地改良事業として農林省が着工し,同43 年に愛知用水公団が完成したもので,愛知用水とならんで戦後わが国で建設さ れた大規模な農業用水の一つである。「豊川用水」は愛知県の東三河地域と静 岡県西部に農業用水だけでなく,工業用水,水道用水をも供給する。房総半島 や伊豆半島,丹後半島あるいは能登半島のように半島地域は一般に半農半漁の 村が多いのであるが,農業生産力が低いだけでなく,沿岸漁業の衰退により経 済の高度成長の過程で人口が減少し,現在では過疎問題が大きな社会問題の一 つとさえなっている。これに対して,渥美半島では「豊川用水」によって高い

   (7)

農業所得をあげ過疎問題はないといってよい。すでに多くの人びとが論述して いるように,この地域はきわめて集約的で高度な施設園芸農業を経営してお

(8)

り,おそらく農業用水の効果としては「豊川用水」はまれにみる大事業であっ たといってよかろう。地形的に水源に乏しく,つねに干魅の危険にさらされて いる半島地域の農民はこうした用水を強く求めるのであるが,これまで小規模 な事業が部分的に実施されたことはあるが,大規模に国営の土地改良事業とし てとりあげられることはほとんどなかった。「豊川用水」の下流はわが国の代 表的な稲作地帯でもなく,また全国的にみて農業用水の極度に不足している地 域ともいえない。大河川の下流ならいざ知らず,豊川のように全国的にみて中 規模の河川の下流にどうしてこのように大規模な農業用水が建設されたのであ

ろうか。

 この用水事業はたしかに渥美半島において干魅の被害をなくし,農地を開発 するために必要な農業用水として出発したのであるが,この事業を完成させた エネルギーは工業開発のための工業用水と都市化にともなう水道用水の必要性 であり,そのための先行投資であったにちがいない。したがって,「豊川用水」

は農業用水のみでは実現できないか,あるいは実現できたとしてもかなり長期

(3)

間を要したと思われるが,水道用水,工業用水をも含む多目的な用水となって はじめて建設できたにちがいない。こういう意味において,「豊川用水」はわ が国の地域開発政策の展開,とくに工業開発との関連においてとらえる必要が あろう。用水が建設されるためには受益地域に用水の必要性とそれを実現させ るための強い運動がなければならないことはいうまでもないであろう。しか し,こうした必要性を可能なものとして具体化させるためには,国営事業であ れば国の開発政策と一致しなければならないであろうし,また多額の建設資金 やその負担金の償還,さらにはダム建設や流域変更による水源の確保が必要で あろう。こうした問題が解決されてはじめて大規模な用水は建設されるのでは なかろうか。本稿の目的はこうした点から「豊川用水」建設の条件を明らかに することである。

 これまで農業水利事業の展開については,稲作農業あるいは地主制との関連        (10)

      (9)

においてとらえたものか,農業用水と電力資本との対立のなかで把握したもの がほとんどであり,地域開発政策の展開過程,とくに工業開発との関連におい てとらえたものは意外に少ないのではなかろうか。「豊川用水」建設の歴史は わが国の地域開発政策の歴史であると同時に,戦後における水資源開発の典型 でもある。こういう意味においても,「豊川用水」は好個の素材であろう。「豊 川用水」については既に技術的視点からとりまとめた膨大な「豊川用水技術       (12)

(11)

誌」があるが,このほかには全貌を簡単にとりまとめたものがあるのみで,前 にのべたような視点からとりまとめたものは寡聞にしてその例を一度も聞いた

ことがない。

(註)

(1)産業計画会議(1971)『水資源をどうする』大成出版社   石橋多聞(1970)『飲み水の危機』東大出版会

  高橋裕(1965)『日本の水問題を考える』講談社

  建設省(1971) 「広域利水調査第1次報告書」

  稲田 裕(1972)「水資源開発の現状と課題」ジュリストNo・513

(2)農業水利問題研究会(1970) 「都市化過程における農業水利一農業用水の都市用

  水への転用と問題点一」

  堺 徳吾(1971)「農業水利合理化の必要性について」農業法研究7

(3)大谷省三(1963)『現代日本農業経済論』農山漁村文化協会,p・130

(4)農業水利問題研究会編(1961)『農業水利秩序の研究』御茶の水書房,P・445

(5)前掲(4)PP.444〜445

(6)梶井功編(1971)『限界地農業の展開』御茶の水書房,pp・312〜314

(4)

⑦ 農林省(1974)「農業所得統計』PP・26〜28

(8)松井貞雄(1967)「渥美半島における温室園芸の地域形成と地域分化」地理学評論,

  第40巻第8号

  松井貞雄(1971)「温室園芸地域の特産地化」地理学評論 第44巻 第4号   亀谷 是(1963)「温室園芸作の生産と流通」京大農学部農林経済学教室   原田公宏(1970)「豊川用水の通水に伴う農業地域の変容とその効果」地理学報告   第34号

(9)馬場 昭(1965)『水利事業の展開と地主制』お茶の水書房   新沢嘉芽統(1955)『農業水利論』東大出版会

  永田恵十郎(1971)『日本農業の水利構造』岩波書店   小池基之(1942)『水田』日本評論社

⑩吉岡金市(1956)『電源開発と農業問題』東洋経済新報社   佐藤武夫(1963)『水利経済論』畑地農業振興会   佐藤武夫(1965)『水の経済学』岩波書店   佐藤武夫(1973)『国土の科学』新日本出版社

⑪ 愛知用水公団(1968)『豊川用水技術誌』

⑫ 畑地農業振興会(1970)『豊川用水』

1 豊川用水の概要

1.豊川・天竜川の自然と利用

 昭和43年に完成した「豊川用水」は,愛知県の東三河地方と静岡県西部に農 業用水,工業用水および水道用水を供給する一大動脈であり,この用水の効果

       (1)

はすでに現われつつあり,今後におけるこの地域の開発に大きな期待がよせら れている。この用水は愛知用水とならんで,戦後のわが国における大規模な用 水事業であり,長い歴史のなかでつくられた歴史的遣産である。しかし,この 用水も豊川や天竜川が存在してはじめて実現したといってよい。

 豊川はその源を愛知県北部の段戸山(標高1,152m)に発し,設楽町田口の 西方を南下し長篠城跡の南で支流の宇連川を合わせ,中央構造線に沿ってほぼ 北東から南西方向に流路をとり,豊橋市北方で渥美湾に注いでいる(第1図)。

その幹線流路延長は77㎞,流域面積は720㎞2である。しかし,第1表か らわかるようにこの川の規模は利根川,石狩川や信濃川などの河川よりはるか に小さく,愛知県内の木曽川や矢作川とくらべても著しく劣っており,規模の うえで全国的にみてほぼ70位前後の河川である。流量は年平均毎秒32.Om3で あり,わが国の主要河川とくらべて非常に少ない。しかし,比流量をみると第

(5)

2表のように年 平均毎秒5.8m8 であって,黒部 川の13.7m3や 大井川の10.5m3 にはおよばない にしてもかなり 大きい。また河 況係数は8,073 を示しきわめて 大きいことがわ かる。したがっ て,流量の季節 的変動の大きい このような川で は利水のうえで

zz水源地

懸墨受益地

卸勒

東部幹線水路L一一㎞

第1図 豊川用水の概要

佐久間

ダム

第1表主要河川の概況

河川名

ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ狩物上上獺根士酷警曽和井野後

石 雄 最 北

阿利富阿信天豊木大吉吉筑

線 路 長 幹 流 延

鶏㌶錫駕叉η㌘㌫皿

流域面積

 ㎞2

14,250 4,180 7,400 10,720 5,480 15,760 3,651 8,340 12,260 4,890

 720

5,275 1,070 2,070 3,700 2,850

最大流量

 m3/S

3,490.4 3,519.4 3,044.2 3,552.6 3,719.0 7,535.0 5,711.5 8,929.7 5,996.0 6,672.5 3,633.0

8,883.4

1,261.0

3,502.9 8,909.3

4,430.0

最小 流量 m3/s 89.8 31.2 21.3

39.1 0.6 6.5 9.5

47.0 29.9

6.5 0.4

48.9

0.0 0.0 10.7

20.5

年平均

流量

m3/s 458.3 266.8 234.6 327.5 119.5 230.5 69.8 430.6 514.8 258.5 32.0 345.3 17.5

61.1

154.0 170.0

河況係数

 388  112  142

 go

5,469 1,153  601  189  200 1,012 8,073  181 1,261 3,502  828  216

観測地点

橋川内米森川端下谷島田沼寺休

ノ  水千

石 椿

堀登丸布清馬小鹿石鵜玉御

中央橋 瀬の下

観測期間 昭和29年

〜34年 13〜34 32〜34 27〜34 13〜34 13〜34 27〜34 26〜34 26〜34 14〜34 19〜34 26〜34 30〜34 28〜33 30〜34 4〜34

(建設省河川局『流量年表』昭和34年資源調査会『日本の資源問題(上)』昭和36年により作成)

(6)

第2表主要河川の比流量

河川名 石狩川 雄物川 最上川 北上川

阿武隈川

利根川 富士川

阿賀野川

信濃川 黒部川 天竜川

豊  川

木曽川 大井川 大和川 吉井川 吉野川 筑後川

観測地点

橋 川

内米森川端

ノ 水

石 椿

堀登丸布清

馬  下

小千谷

島田沼座寺休

愛 鹿 石 鵜

神玉御

中央橋 瀬の下

流域面積

 ㎞2

12,681 4,034 4,346 7,869 4,173 12,458 2,121 6,997 9,843

 667

4,880

 545

4,683 1,160

 671

1,974 3,044 2,315

流域面積 100㎞2当たり

最大螂平∋最小惨均惨測鯛

m3/S 27.5 87.2

70.0 45.1 89.1

60.4 269.2 126.1 60.9 730.0 136.7 666.6 189.6 282.9 187.9 177.4 292.6 191.0

3°°°°°°°°°°°°°°°⁝

/885091300459721974 S

m

243311244832471122

3 . ・ ⁝ 

/774500463010080030 S

 ⁝ 

 ● ・ ・ . ⁝ 

m

OOOOOOOOO100100000

m

36542136513557102357

Vぷ04ユ802ユ27溜β35⑮ユ03

S 昭和29年 34年

13〜34 32〜34

27〜34

13〜34 13〜34 27〜34 26〜34 26〜34 26〜34 14〜34 19〜34 26〜34 32〜34 30〜34 28〜33 30〜34  4〜34

(建設省河川局『流量年表』昭和34年により作成)

も治水の上でも水の制御が困難である。したがって,利水の効果をあげ洪水 を防ぐにはダムの建設を不可欠とする。

 豊川流域,とくにその上流地方は降水に恵まれ,年平均降水量は2,000〜

3,000mmにも達する。また高温で多雨の気候により植物の生育もよく,積極的 な植林事業とあいまって水源酒養林として役立っている。しかし,降水量は6       (2)

月の梅雨期と9月の台風期に集中しており,上流域では山崩れが発生したり,

下流域では洪水が発生し水害にみまわれることがある。そのため,内務省はす        (3)でに明治期に豊川の改修計画をたてたり,昭和10年には大口喜六(豊橋市出身)

      (4)

が第67回帝国議会に建議案を提出しているが,太平洋戦争のため中止となり,

戦後になって昭和35年に工事が再開され,同40年に完成した。これが現在みら れる豊川放水路である。

 豊川から取水する農業用水としては永禄10年(1567)につくられた松原用 水,明治27年(1894)に完成した牟呂用水などがあるが,その受益面積は前者

(7)

       7        の

が833町歩,後者が1,224町歩であり,その規模は比較的小さい。豊川が前に述 べたように流量が豊かでないから当然のことかも知れない。しかし,この川は 川舟による物資の輸送路として鉄道が発達するまで重要な役割を果してきた。

新域が「山の湊」と呼ばれてきたのも,奥三河地域や信州飯田と東海地方をむ すぶ中馬街道の拠点として栄えてきたからである。このほか,発電として牟呂        くの

用水が用いられたのは明治27年のことであり,その後豊川水系に数カ所発電所 が建設されたが,現在は長篠,布里,横川の3発電所をみるのみである。

 東三河地方は西厚東薄の県政のため工業出荷額や県民所得が県全体にしめる       くり

割合は小さく「1割経済」の地位にあった。しかし,東三河地方のこうした状 態は県政のあり方もさることながら,豊川水系の水資源の開発のおくれが大き な要因と考えられていた。昭和30年代に入って東三河地方の工業開発を積極的 にすすめるようになると,豊川水系の水資源開発に県当局も積極的にとりくむ のであるが,水量の不足は静岡県との政治的交渉にまたねばならなかった。

 一方,天竜川は諏訪湖にその源を発し,中央および南アルプスの山々に降る 豊富な水を集めてほぼ中央構造線と並行して南下し,途中三河高原から流下す る大入川や振草川の水をあつめてさらに南下し,浜松市の東南部で遠州灘に注 いでいる。その幹線流路延長は216㎞に及び,その流域面積は4,890㎞2に 達し,わが国有数の大河川である。この河川の流域は降水量が多く,比流量は 毎秒5.3m3である。また平均流量は第1表のように毎秒258.5m3で,豊川 の8倍以上にのぼり,わが国では信濃川,石狩川,阿賀野川,木曽川,北上川 についで大きい。このことが河川の利用価値を高めており,早くから交通路と して利用されてきたし,流域の林業の発展にも役立ってきた。そして農業用 水,観光資源,電力資源としても大きな役割を果してきた。天竜川を利用する 農業用水としては浜名平野に浜名,中ノ町,半場,飯芳の各用水,磐田平野に 磐田,掛塚の各用水があり,天竜川下流の台地の開発に役立ってきた。しかし 静岡県西部の湖西市あたりは未開発のまま残されていた。また,天竜川におけ る電源開発はわが国における電源開発の縮図ともいえ,これと歩調を合せて進 んできた。水力発電方式としては当初水路式が多かったが,しだいにダム式が 増加し戦後になるとその規模が著しく大きくなった。発電所は現在大小36にも のぼるが,主なものとして上流部に大久保・南向の水路式発電所があり,中流 部には泰阜・平岡の二つのダム式発電所,下流部には,佐久間・秋葉の二つの       (8)

ダム式発電所がある。佐久間ダムは昭和28年に電源開発株式会社が着工し,同 31年に完成したもので,その最大出力は35万kwで当時「日本一の佐久間ダム」

(8)

8

といわれた。このダムは天竜川総合開発の一環として建設されたものである。

天竜川の総合開発は昭和26年に本地域が特定地域に指定されるに及んでより具 体化するが,静岡県ではこれに先だち,昭和24年に「天竜川総合開発懇談会」

およびその決定に基づいて「天竜川総合開発調査委員会」を設置し,翌25年に は早やくも天竜川総合開発計画を作成した。

2.豊川用水事業の概要

 戦後,わが国で建設された大規模な農業水利事業を受益面積10,000ha以上 にかぎってみると,第3表のように15地区を数える。このうちA群のものは主 として大河川下流の米作地帯で農業用水の供給を目的としたものであるが,こ れに対してB群のものは東京,名古屋などの大都市とその周辺の都市化・工業 化地域で農業用水のほかに工業用水,水道用水の供給を目的としたものが多 い。これらの事業が農業用水の供給を目的としたものであることはA群,B群

第3表大規模農業水利事業の一覧

1用水名1受益地副面積1地目惨業主体1他の⇒工期

A

B

篠  津

大夕張

手取川第一

手取川

常願寺川 九頭龍川 小坂部川

北海道 北海道

石 石

富福岡 川川山井山

豊川用水 愛知用水 濃尾用水 利根導水路

群馬用水 両総用水

大井川

道前・道後

  hα

11,398 12,196 12,508 12,073 10,458 10,543 12,487 愛知・静岡 愛知・岐阜 愛知・岐阜 埼玉・群馬

群 馬

静愛

岡媛

20,200 15,000 22,070 29,200

10,000

20,895 11,588 13,199

㎞ 19 79

% 08 08 49 58 43 87

 03150454  1  2 22  0 0 2  1  1 11  1 1 1

 ー       ー

田畑田田田畑田田田

農林省 農林省 農林省 農林省 農林省 農林省 農林省水団水団省源団

愛公愛公農水公

林 資

資 源 団 水 公

林 農

省省

林 農 農

000028000058045

40 80 10 90 49 57 20 30 30 60 89 07 51 68 41

む ぐ  ロ り        る    り  エ  ユ

         り編 −占  −占

−凸  ーユ  2   2

ーーー   ー   ー‖ 田畑田畑田畑田田田肪畑田田畑田畑

畑帖

発  電 発電・治水

上水・工水 上水・工水

上水・工水

昭和 年

30〜45

発  電

上水・発電 28〜43 19〜25 27〜43 19〜27 22〜31 23〜29 24〜43 32〜36 32〜43 37〜43 38〜43 18〜40 22〜42 32〜42

(農林省『国営かんがい排水事業要覧』昭和39年,その他により作成)

(9)

9

ともにかわりはないが,A群が水田の潅概用水の供給を目的としているのに対 し,B群は水田の用水だけでなく畑地潅概をも目的としているところに大きな 特色がある。したがって,A群では一部にはダム建設など施設の新設もみられ

るが,多くは施設の改善,頭首工の合口などを事業内容としているが,これに 対してB群では新たにダム,水路などの建設が主たる事業内容となっている。

そのうえ,事業内容からA群は全て農林省が事業主体となって戦後間もないこ ろに着工し20年代に完成したものが多いのに対し,B群のものは農林省のほか に愛知用水公団や水資源開発公団が事業主体となって昭和30年代に着工し,40 年代に完成したものが多い。また農業用水の受益面積の比較的大きいものはB 群に多くみられる。

 「豊川用水」はB群に属し,戦後わが国で建設された大規模な農業用水の一 つである。この事業は豊川水系の水資源の高度利用をはかり,愛知県の東三河 地方と静岡県湖西市に農業用水,水道用水および工業用水を供給することによ って,地域の総合開発を図ろうとするものである。昭和24年に農林省によって 着工され,同43年に愛知用水公団によって完成した。この事業のため,豊川上 流の宇連川に宇連ダム(鳳来湖ともいう)を築造し貯水するとともに,一方で は天竜川水系の大入川,振草川の流域変更を行なうとともに佐久間ダムからも 最大流量毎秒14トン,年間500万トン以内の水を宇連ダムに導水し取水の安定 を図っている。これらの水は豊川を自然流下して鳳来町大野において設けられ た頭首工により取水され,6㎞の大野導水路により新城市日吉において東西 分水工により東西幹線水路に分水される。東部幹線水路は渥美半島をへて先端 の伊良湖岬まで,西部幹線水路は豊川市をへて蒲郡市にいたる。この二つの幹 線水路により農業用水(年間123百万トン),水道用水(年間68百万トン)およ び工業用水(年間77百万トン)を供給する(第1図)。農業用水の受益面積は 水田8,356ha,畑9,983ha計18,338 ha(昭和45年現在)に及び,とくに畑地 潅概面積の多いのが特徴である。この用水は前述したように愛知用水や群馬用 水などとならんでわが国における戦後の大規模な用大の一つであるが,農業用 水の効果としておそらくわが国でもまれにみる事業であったといえよう。「夢 の用水」とか「世紀の大事業」といわれた愛知用水が当初の農業用水としての 愛知用水から大きく後退してしまい,今日ではまったく工業用水,水道用水と しての愛知用水という感じがする。それにくらべ,「豊川用水」が農業用水と して大きな成果をあげているのは,たんに気候温暖な自然条件に恵まれている というだけでなく,それよりもむしろ水を積極的に利用する農業を農民自らの

(10)

努力によってつくり出したからである。それと同時に,この用水の建設の背後 には長い歴史があり,それはきわめて苦難に満ちた歴史であった。地域の住民 が強い運動をつづけ,国の政策の一つとしてとりあげさせたからである。

 「豊川用水」の計画はすでに戦前からあり,昭和5年には農林省によって

「愛知県渥美八名大規模開墾土地利用計画書」が作成されている。後述するよ うに,「豊川用水」の必要性は十分認識されながら着工されないまま戦時体制 に入り,戦後昭和24年に農林省によって国営土地改良事業として着工された。

そして,「豊川用水」の計画は第4表のように5回も変更され,事業内容の重 点を変えながら昭和43年に愛知用水公団によって完成された。国営土地改良事 業時代の当初計画と第1次変更計画とは受益面積が約2,00011a増加した以外

は大きな変更はない。しかし,第2次変更計画では農業用水のほかに水道用 水,工業用水をも含む多目的の用水へとその性格を大きく変えた。新たに蒲郡 市と湖西市へ水道用水,豊橋市と蒲郡市へ工業用水を供給することになった。

さらに農業用水の受益地域のなかに蒲郡市と湖西市を加えるとともに,牟呂・

松原用水地域をも編入したので,面積が大はばに増加して21,330haとなった。

その結果,必要水量も一挙に2倍以上になったので,水源ととして新たに大入 川の流域変更や佐久間ダムからの導水を行ない水源を確保した。なおすでに第

第4表豊川用水計画の推移 国営土地改良事業

当初計画陵鑓菱鑓

公 団事 業 当初計川変更計画 確定年肺{24…129・4133・・…136・9・・5142・・2・・9

開干 開

受 益 面 積︵町歩︶

用水補給田

田田

畑地かんがい 計

間量り  m

水03

  ユ

 給︵

期補

農 業 用水

4,192 2,738 1,123 2,413

10,468 6/21〜9/30  49,641

4,791 4,065  891 2,724

12,472 6/21〜9/20  72,277

9,373 3,352  783 7,822

21,330 5/6〜9/20

127,046

8,465 2,583

 491

9,450

 894

21,883 周  年 146,700

8,206 2,191

9,785

20,182 周  年 123,200

水道゜静診1 2…841・銘・・9gい44・7・9 事業費(…万円)1・・8・・18・6・・1・7,3・・133・5521銘・79・

(11)

次変更計画では宇連ダムの堤高を10m嵩上げしている。こうした計画の変 更により,もちろん事業費も17,3㏄盾万円とこれまた2倍以上に増加したので あるが,このような大きな変化はいうまでもなく昭和33年4月にこの地域が特 定土地改良事業の実施地域として認可されたからである。そして,昭和36年に

「豊川用水」事業が愛知用水公団に承継されると,水道用水・工業用水は7倍 以上に増加した。東三河地域の工業開発を積極的に行なうための水利権を確保 することがねらいであり,そのための先行投資である。昭和36年に東三河地域 が工業整備特別地域に指定されると,「豊川用水」の性格もいっそう明瞭とな った。昭和36年に愛知用水公団に承継されるまで,「豊川用水」事業は宇連ダ ム,大野頭首工,大野導水路および東部幹線水路の一部が完成されていたのみ であったが,公団事業になると急ピッチで工事はすすんで43年に完成した。な お農業用水の受益面積の内訳をみると,当初計画されていた干拓田が最終的に は全くみられなくなり,逆に用水補給田が増加しているが,やはり多額の投資 を必要とする干拓事業をとりやめ,既耕地の改良に重点を移したものといえよ う。そして}「豊川用水」事業の大きな特色の一つとして,畑地潅慨があげら れるが,その面積は9,785haとなり受益面積の約半分をしめる。

(註)

(1)豊川用水の効果については,1971年9.月25日中部経済地理学研究会で発表したが,

  その概要は経済地理学年報第17巻第2号にまとめたとおりである。

(2)拙稿(1970)「三河高原における山崩れにっいて」地理学評論第43巻第1号

(3)西川 喬(1969)『治水長期計画の歴史』水利科学研究所卦29

(4)昭和10年3月14日第67回帝国議会衆議院建議委員会議事録

(5)農林省京都農地事務局(1949)『豊川農業水利改良事業計画書』p・69

(6)豊橋市史編纂委員会編(1954)『豊橋史紀要』μ49

(7)静岡経済研究所(1973)「東三河開発の現状と展望 一その1現状編一」経済

  月報No.129. p.21

(8)日本人文科学会(1958)r佐久間ダム』東大出版会

亙 地域開発政策の展開と水問題

 わが国の開発政策は農村地域にあっては戦前から戦後の昭和20年代までは少 なくとも農業をいかにして発展させるかが最も重要な問題であった。しかし,

昭和30年代に入ると太平洋ベルト地帯の農村地域でも工業開発を重視するよう

(12)

になってきた。愛知県の東三河地域における「水」問題はこうした国の開発政 策といかに結びついたのであろうか。

1.農地の改良と開発

(1)水不足と未墾地

 元来,豊川沿岸および渥美半島は気候温暖で交通位置がよく立地条件にあぐ まれながら水不足のため農業の発展がみられなかった。

 潅漉用水の不足する水田は第5表によれば豊橋市=52.9%,宝飯郡=34.5%,

渥美郡=29.7%,八名郡=25.5%と東三河地域は愛知県下でも用水不足のはな はだしい地域である。また昭和24年に愛知県農事試験場が作成した「愛知県農 業地図」をみてもこの地域が知多半島とともに県下でもっとも早越の被害の大 きい地域であることがわかる。そのため農林省農務局が昭和5年に作成した

第5表愛知県の水不足状況

潤沢適 当梢不足ナ

ナルモノ ナルモノ ルモノ囚

否5ナ副計{c岬瓢c}

郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 市 市 市 市 市

市計 知日日羽栗島部多海豆田    飯美名 橋崎宮戸田

井     茂茂楽楽  屋

                    加 加 設 設

   古

  春 春 愛 東 西 丹 葉

中海知碧幡額西東北南宝渥八名豊岡一瀬半合

 876

1,888

 985

1,014

 349

2,517 6,432 1,344 6,406 1,736 1,173

 837  720  214  510  478 988  467  410  712  348

 51 215

30,670

1,534 2,079 2,042 1,574

 244

2,844 4,406 3,557 5,813 2,774 1,441 2,085

 982  343  597

1,517 1,696

 573

1,432

 627  479  go9

 19 775

40,342

 879  742

 73 677

 66 483  737

2,160 3,354

 567  639  740  213  284  182  742  753  229  175

1,139

 44  9

 10 402

14,299

援駕63㌶器袈68鴛鋤蕩㌶=9嶋鰯

 −占        −凸      6

3,696 5,722 3,244 3,405

 674

5,907 12,092 8,220 15,475 5,494 3,514 3,867 1,983 1,116 1,351 3,048 3,822 1,396 2,030 2,848

 871 918

 89

1,435 92,217

33 21 142122151322       一り  

232 76690233596410057229093094063290077544084959250112 %

(帝国農会『状態別耕地に関する調査』昭和18年により作成)

(13)

「愛知県渥美八名二郡大規模開墾土地利用計画書」には「土地利用ノ程度ハ極 メテ粗放ニシテ生産従テ低位ナルモノト謂フヘク山林,原野,海面ハ過半ノ面 積ヲ占メ畑地ハ全面積ノ2割弱ニシテ水田,宅地,池沼其ノ他国有地等残余ノ 地域ヲ占ム。山林・原野ハ民地ト陸軍用地二別タレ小松林又ハ草生地ニシテ生 産ノ見ルヘキモノ少ナシ。……水田ハ既記ノ如ク渓流又ハ大小溜池二用水ノ供 給ヲ受クルモ水源充分ナラスシテ早害ヲ被リ生産力減縮サルルモノ少ナカラス

…… 」とのべている。

 農林省京都農地事務局が昭和24年に作成したr豊川農業水利改良事業計画書』

によれば本地域の水田の53.1%が河川を水源とするが,水源に乏しいこの地域 では溜池・地下水あるいは天水に依存する水田の多いことが特徴である。とく

に天水に依存する水田が13%近くを占めることは注目に値する。豊川流域の豊 橋・豊川両市と八名・宝飯および南設楽郡では河川潅慨による水田が全体の 50%をこえるのに対して,渥美郡では河川潅慨による水田は34%を占あるのみ で,溜池や地下水,天水に依存する水田が多い。溜池(貯水量1,000トン以上)

は域内に315カ所あるが,そのうち167カ所(53.0%)が渥美半島に集中してい る。このように溜池,地下水,天水などに依存せざるを得ない渥美郡では毎年 のように早魅の被害をうけた。したがって,豊川本流を水源とする牟呂用水や 松原用水地域のほかは全て用水不足は深刻であった。

 愛知県(1941)『耕地事業要覧」には「県下二於ケル用水充分ナラサル地方 ハ知多,渥美ノ両郡ヲ始メ豊橋市附近,東春日井,額田郡其他県下各方面二及 ベリ是等ノ地方二於テ近年頻発スル旱越ハ其ノ被害甚大ナルモノアリテ食糧増 産二及ボス影響大ナルモノアリ」とのべている。また愛知県内務部(1918)『

愛知県土地利用調査書」にも水不足の実態が記載されているが,そのうちの若 干についてみるとつぎのとおりである。

 蒲郡市では落合川や西田川が水量に乏しいため,潅慨用水を溜池にたよらざ るを得ない。そのため白竜池や満寿美ガ池など大小41の溜池で市の水田面積568 町歩のうち237町歩を潅概している。しかし「旱年ニハ不足ヲ告クル状態ナリ」

というありさまで,水不足でないときでさえ「水路不完全ナル為メ潅概二困難 ヲ見ツツアリ」という状況であった。八名郡八名村(現新城市)では「用水ハ 溜池或ハ湧出水及宇利川ノ支流ニヨルモノニシテ水量平年二於テ過不足ナキモ 早年ニハ不足ヲ告クル状態」であったし,石巻村(現豊橋市)でも「用水ハ安川 及溜池ニヨリ安川ニヨルモノハ往々旱害ヲ蒙ル」と調査書に記載されている。

二川町(現豊橋市)では「地味良好ナル耕地ナリ然レトモ用排水路ノ組織不完

(14)

全且ツ用水不足ナルカ為メ湿田多クニ毛作ノ如キハ見ルニ足ラス,用水ハ河川 溜池及湧出水二依ルモ不足ヲ告クル」という状況で,高師村(現豊橋市)でも

「用水ハ柳生川二取ルモ不足ヲ来ス事少カラス」という。渥美郡も地形的に水 源に恵まれず溜池によって潅慨しているが,芦ケ池をのぞいては見るべきもの がない。なお伊良湖村や高豊村では地下水によって潅概している所もあるが,

小面積の潅概に利用されているにすぎない。この地域の水不足は東三河ではと くに深刻であった。田原町谷熊では「用水ハ其ノ主ナルモノハ溜池二依ルモ不 足ヲ来スコト大ナリ」,赤羽根町若見では「用水源ハ溜池及湧出水ヲ用フルモ 旱害ヲ被ルコト少カラサル」,あるいは渥美町福江では「用水ハ主トシテ溜池 湧出水ヲ用フルモ旱害ル免ルコト困難且ツ排水不良ニシテ湿田ニテニ毛作ヲ行 フ事難キ状態」であった。湖西市白須賀地区も渥美半島と同様に地形的に水利 に恵まれず旱越の被害が大きかった。そこで昭和28年に白須賀地区から静岡県 知事に対して「豊川用水」への編入の陳情書が提出されているが,そのなかで

「農地の大部分は山間部及び傾斜面に存在していて水源に乏しく水利に恵まれ ない為例年旱越による被害は甚大であって殊に水田にあっては常時早越地帯と 見るべきものが大半に達し,之が減収量は多大であります」と述べている。

 このように用水不足の甚しかったこの地域ではしばしば早越の被害をこうむ ったが,昭和19年から5力年間の被害面積は1,684.9町歩に及ぷ。とくに被害

市市村村村村村村村村町村村町村町

橋川着名沢茂巻上和郷城響麟芝津

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯ 石三大東新千一小前御

天名郡計閨

川豊岳原戸晶醐江

町村村村町村村村村岬町          村 考杉田神野赤泉伊福

⑰⑱⑲⑳⑳◎⑳⑳⑳㊧⑰

﹁ー渥美郡ー﹂

      第2図 豊川流域の早ばっ状況

(京都農地事務局「豊川総合開発概要書」昭和24年により作成)

(15)

の大きかったのは新城町をはじめとして豊川市,一宮村,千郷村,それに渥美 半島の二川町,高豊村,赤羽根村などであった (第2図)。こうした市町村は 主として溜池潅慨地域で水源に恵まれないところである。なお阜魅の被害の大

きかった昭和22罰こはその面積は5,680町歩に及び,その減収高は9,000石をこ えたといわれる。早越の年にはしばしば水争いが生じたが,農林省の調査報告 書には「渥美郡赤羽根村二於ケル用水ハ溜池二依ルモノ多ク其配分方法二至リ

テハ相当ノ申合口約アリト錐旱天二際スレハ優勝劣敗概シテ溜池附近ノ耕地ハ 水量豊富ナルモ溜池ヲ去ル遠キニ従テ水量ノ欠乏ヲ訴へ往々口論ヲ為ス等用水          (2)

ノ不経済ナル例少カラス」とか,あるいは「八名郡石巻村ハ大字西川二於テハ 川水ヲ水源ト為スモ用水減少スルトキハ上流水ロノモノニ於テ之ヲ独占シ下流 へ少シモ引用セシメス此時期二至レハ作人ハ昼夜水の争奪ヲ之レ事トシ甚シキ        くの

ハ腕力行為二及フコトアリ」とのべている。したがって,古くからこの地域で は雨乞いの行事が行われてきたし,水利慣行も形成されてきた。

 (2)先覚者の運動

 渥美半島は通水前には未墾地が全土の半数以上をしめ,しかも水不足のため 皐越の被害を毎年のように蒙り既耕地の生産力が低く,土地利用は粗放的であ った。したがって,渥美半島に豊川の水を引き潅慨用水として利用しようとい うまさに夢のような構想がすでに戦前からあったのも当然のことであろう。過 去のいくたの用水事業をみても大事業であればあるほどなかなかその実現は困 難をきわめ,国家的な事業としてとりあげられないかぎりきわめてむずかしい ものである。たとえ国家的事業としてとりあげられたとしても,それを支える 住民の強い運動がなければならないし,またそうした運動の先覚者がいないか

ぎり実現しがたい。「豊川用水」の建設には近藤寿市郎(赤羽根町高松出身)

のたゆまない運動があったことを指摘しなければならない。

 近藤寿市郎は日露戦争直後から,わが国の人口増加に対する施策として,移 民と食糧増産の必要性を痛感していた。食糧を増産するとすれば,既耕地の生 産力を高めるか,あるいは耕地を拡張するかのいずれかである。当時の渥美半 島では毎年のように旱害をこうむっていたから,既存の小河川や溜池を利用し て食糧を増産することは不可能であり,既耕地の生産力を高めるにしても,ま た耕地を拡張するにしても,新規の水源を求める以外に方法はないと考えてい た。かれは最初に豊川から水を引くことも考えたが,すでに豊川下流には松原 用水と牟呂用水がひらかれていて,豊川から新規に取水することは困難な状況

(16)

であった。そこで,地下水の利用を考え,日本さく泉商会の技師に調査させた が,適当な水源を求めることはできなかった。その結果やむをえず各町村に溜 池の新設をすすめた。その後,かれは東南アジァへ視察旅行し(大正10年)ジ ャワ島のバンドンで農業水利事業をつぶさに見学したが,そのさい考えついた ことは,もし鳳来寺山の峡谷に大貯水池を造ることができれば,渥美半島の水 不足は解消できるということであった。かれはこの構想を国費で実行するよう 帰朝後愛知県知事川口彦治と県議会に提唱したが,「理想としては至極結構な       (4)るもいうべくして行わるる問題にあらずやと一笑に付し去られた」という。し かし,当時の愛知県耕地課長横田利喜一だけは,この構想に共鳴した。そこで 調査の結果,愛知県北設楽県三輪村大字川合(現南設楽郡鳳来町川合)に貯水 池を造る計画をたて,農林省にたいして国営事業として施行するようにと陳情

したがこの計画は採用されるにいたらなかった。

 大正12年9月,近藤寿市郎は再び愛知県議会議員に当選すると,この運動に いっそう情熱をもやした。そして,昭和2年には県議会において,豊川用水の 必要性をつぎのように強調している。

 「用水上ノ問題二関係致シマシテハ,本県ノ如キ殊二半島ヲナシテ居ル知多郡ノ如 キ,或ハ渥美郡ノ如キハ天水ヲ侯ツノ他ナク,本年ノ如キハ稲ガ枯死致シマシテ実二 哀レナ状態ニァリ已ムナク免税ヲ願ッテ居ルトコロガ幾カ所モァルノデァリマス。又 渥美郡ノ如キハ籾種一粒モナイト言フヤウナ昨年ハ有様デァリマシタガ,又ゾロ本年 モ昨年ヨリ以上ノ悲惨ナ状態二陥ッテ居ルノデァリマスガ,強チ之ハ渥美郡バカリデ ハナイノデアリマス。ソレガ即チ用水ノ完成シテ居ラヌ結果デアリマスルカラ,県下 全体二亘リマシテ之等二対シテ用排水ヲ完備致シマスレバ非常二有益ニナルト言フコ トハ今更私ガ言フ迄モナイ話デアリマス。ソコデ政府ガコノ頃案ヲ樹テマシタ大規模 ナル開墾事業ト言フモノヲ国営デヤルト言フ調査ヲ昭和2年度ヨリ農林省デモッテヤ ッテ居ルヤウデアリマス。調査ダケハ昭和2年度ヨリヤッテ居リマスケレドモガ,ソ ノ調査ノ結果国営デヤル箇所ガ全国デ千カ所トカアルト言フコトデアリマシテ,先ヅ 福島県,京都府ナドガ出テ居ルヤウデアリマスガ,我ガ県ノ如キハ斯ウ言ウ案ガ政府 ヨリ出タナラバ他府県ヨリモ先ンジテヤルヤウニ私ハシテ貰ヒタクト思フノデアリマ ス。デ唯今モ申シマスル通リ米ノ稔ラヌヤウナ,天水ヲ侯ッノ他大キイ河ガァルデモ ナシ,又大キナ用水ヲ取入レルコトノ出来ナイト言フヤウナ所二於キマシテハ技術上 カラ尚一歩進ンデ大規模ナ計画ヲ致シマスレバ,或ハ西加茂郡ノ如キ,或ヒバ宝飯郡 ノ如キ,又ハ知多半島デモ渥美半島デモ,大規模ナル用水工事ヲ致シマシタナラバ,

私ハ遠クハ存ジマセンガ東三河ノ如キ豊川ノ上流鳳来寺山ノ段戸山ノ谷合ヒニー

ッノ用水一潅慨用水ノ計画ヲ樹テマシテ豊川用水トナシ,之ヲ八名郡・宝飯郡・豊

(17)

17 橋・渥美二対スル大用水計画ヲ立案スルナラバ,目下政府ガ奨励シツツアル案二副フ コトガ出来ルノデアリマスガ,之等ノ調査ヲシテ居ラルルカドウカ,私本年ノ予算ヲ 拝見致シマスルノニ,マダソコマデハ私ハ認メマセヌノデアリマスガ斯ウシタ調査費 ハドコニ組ンデアルノカ,又尚ホ将来調査セラルル御方針デァルカ,方針デナイカト 言フコトヲ之ヲ宜ク承リタイ。ソレカラ尚ホ県下ニハー般二畑地ガ多ク5万町歩余ア

リマス上二渥美郡ハ特二不良土ガ多イノデアリマス。不良土ガ2万町歩余モアルノデ アリマス。之等ノ不良土二就テノ研究ヲ農事試験場二托スルコトニ就テ昨年ノ議会デ 吾々満場一致デ提案致シマシタガ,本年ノ予算ヲ見マスルノニ,何等コノ不良土解決 ノー根本的解決スベキ案ガ見当ラヌノデアリマスルガ,或ハ姑息的,申訳的ノモノ ハアルカモ知レマセヌガソレモ御尋ネセヌケレバ分リマセヌガ,ソレ等二就テノ御方        (5)

針如何斯フ言フコトガ承リタイ」

 これに対して,当時の書記官堀田鼎は「潅概用水ノ不足二対スル県ノ考ヘハドウカ ト言フヤウナ点二触レテノ御質問デァリマスガ,之ハ申ス迄モナク自然ノ水一水二 依ッテ耕作ヲナス場合二於テハ従来溜池ソノ他ノ方法二依ッテ潅慨ノ水ヲ講ズルノモ ー ツノ方法デアリマス。御話ノウチニモアリマシタ通リ,国二於テモ可ナリ大規模ノ 潅概用水工事ヲ計画シテ居ルヤウナ,コノ潅慨目的カラ相当ノ調査モナシッツアル,

愛知県トシテモ,二三之二該当スルヤウナトコロモァリマスガ,之等ノ点二就テモ機 会アル毎ニソノ機会ヲ失ハナイヤウニ県当局トシテモ努メテ行キタイト思ッテ居リマ

  (6)

ス……」と答弁している。

 農林省では近藤がのべたように昭和2年から主として1団地500町歩以上の 集団的開墾見込地につき開墾計画を樹立し,主要工事を国営など特別の方法で 開発することに定め,農林省農務局長から昭和2年4月13日,つぎのような通 達が各地方長官(県知事)に発せられた。

 大規模開墾計画二関スル件(昭和2年4月13日付農局第5709号農務局長ヨリ各地方

長官(北海道ヲ除ク)宛通)

 開墾,埋立,干拓又ハ開田等耕地ノ拡張二関シテハ政府ハ夙二各般ノ施設ヲ行ヒ之 力奨励二務トメッッァリトロ其ノ大規模ナルモノニ至リテハ実行容易ナラサル状況二 在リ之等ノ実行方法二付テハ将来特別二之ヲ講スルノ要アルヲ認ムルモ先ッ之力準備 トシテ昭和2年度ヨリ本省二特二職員ヲ設置シ実行上必要ナル計画ヲ立ッルコトニ相 成候二付テハー団地500町歩以上ニシテ事業実行二対スル地元ノ気運進ミ貴官二於テ モ本計画ヲ希望セラルル適当ナル候補地有之候ハ,地区1所在見込面積(陸地測量部 五万分ノー以上ノ図面添付ノコト)其ノ他参考トナルヘキ事項ヲ添へ申出有成変依命 比段通口候也

 追テ本年度設置ノ職員ハ数班ナルヲ以テ申請多数二上ル場合ニハ直二御希望二応シ

(18)

18

 難キモノ多数トナル不免次第二付御了知相成変,尚計画着手ノ場合ハ予メ何分ノ御打  合可致候二付併セテ御了知相成変候

 愛知県当局はこの通達にもとづき豊川沿岸地区の計画の樹立について申請を 行ったところ,同年10月農林省から可知貫一技師ら数人の調査班が派遣されて きた。調査結果は昭和5年に「愛知県渥美八名二郡大規模開墾土地利用計画 書」として発表されたが,これがその後の豊川用水計画の基礎となった。

 昭和7年12月末までに各府県より出された計画申請地区は全国で51地区にも のぼった。このうち農林省が昭和8年までに計画に着手したものは第6表のよ

うに11地区で,本地域の開墾計画は茨城県那珂川両岸に次いで大規模なもので あった。こうして,豊川用水計画が農林省の国営事業の候補地区の一つとして とりあげられてくると,当時の愛知県知事小幡豊治は近藤に「君が狂人じみた       くり事をいうと思っていたが,どうやらものになりそうだ」と語ったという。

 その後,かれは昭和2年9月25日に愛知県議会議員として3選されたが,同 5年の通常県議会で再度つぎのように県当局に対して質問している。

 「……大規模国営開墾ト言フコトガ豊川沿岸,矢作川沿岸,木曽川沿岸等ニハ未ダ 開墾スベキ所ガ沢山アリマシテ,此ノ豊川沿岸二於キマシテ渥美郡ノ如キ八名郡ノ地 方及ビ豊橋方面二於キマシテハ早魅シ非常二用水ヲ引クベキ水路モナクソレガ為二此 ノ食糧問題ノー端ト致シマシテ政府二於テハ斯フ言フ個所ヲ未ダ開墾セザル所ヲ開墾

第6表大規模開墾計画(昭和8年)

木 和 原

岸沼原 宝

山秦

 吹川手 方渥

三 志

矢那印野三八

飯三郡 巨  椋

太刀 洗

川  南

  (青森県)

  (岩手県)

  (福島県)

  (茨城県)

  (千葉県)

  (長野県)

原 (静岡県)

  (愛知県)

池 (京都府)

原 (福岡県)

原 (宮崎県)

面 積  (町歩)

開⇒開畑}計

3,300

 873

3,000 15,000 3,750

 500

3,617 5,400

 700  800

1,250

 800  500 1,000  350  300  278  300  200  250

4,100

 873

3,500 16,000 4,100

 800

3,895 5,700

 700

1,000 1,500

事業費(千円)

6,050 2,550 8,270 30,000 14,670

10,737 17,000 2,210

4,484

(農林省農務局『第8次耕地拡張改良事業要覧』により作成)

(19)

19 シテソウシテ見込ミノアルベキ所ヲ政府ハ全国デ今候補地トシテ居ル所ハ大規模国営

トシテ七ケ所トカアルソウデァリマスガ,其ノ七ケ所ノ中二豊川ノ上流即チ上流トハ 申シテモ山ノ手二於キマシテ堰堤ヲ築イテ之レガ水路ニヨツテソウシテ開墾スベク此 処二少クトモ七八千町歩ハ出来ヤウト斯ウ言フ見込ミダソウデアリマス。其ノコトハ ー二年前ヨリ政府ガ着眼セラレテ御調べニナツテ居ルヤウニ聞イテ居リマスガドノ位 ヒノ程度二進ンデ居ルカ,政府ガ手ヲツケラレテ居ルト言フコトヲ聞ク所ニヨリマス ト地元ニハ諮問ニナツテ聞タ(テ)来タヨウニ聞イテ居リマスガ,其ノ諮問ノ結果御見 込ミハ県二於テハドノ程度デアルカト言フコトヲ私ハ此ノ際二聞イテ地方民ニモ安心 スルヤウ或ハ之レカラ尚ホ陳情シ嘆願シテモヤラナケレバナラント言フ都合モアリマ        (8) スカラー寸此ノ際二承ツテ置キタイ……」。

これに対し県耕地課長横田利喜一はつぎのように答弁している。

 「八名郡,渥美郡ノ両郡二亘リマシテ,開墾適地ガ大分アルノデアリマス。尚用水 不足地モ大分アルノデ国ノ方二其ノ調査ヲ御願ヒシテ居ルノデアリマス。其処デ三四 年地下水利用ハドウデアルカト言フヤウナコトモアリマシタカラ地下水ノ調査ヲ致シ マシタ。其ノ結果ハ余リ見込ミガアリマセンデシタ。ソレデ豊川ヲ水源池トシテ溜池 ヲ椿ラへ潅慨スル外ナカラウト云フコトニナッテ農林省二於テソレヲ調査スルコトニ ナツテ居リマス。貯水ノ水源及ビ開墾事業ハドウデアルカト云フ見込ミニ付テ最近町 村関係農会ノ方ニモ御訊ネシテ大体二於テ是非ヤツテ貰ヒタイト云フ希望モアリマシ タノデ其ノ意見ヲ附シテ只今農林省ノ方カラ技術者ヲ派遣シテソシテ調査二取カカル

         (9)

コトニナツテ居リマス」。

 彼は農林省が作成した「愛知県渥美八名二郡大規模開墾土地利用計画書」の 概要書を受益市町村に配布し,自から陣頭に立って計画が夢でなく実現可能で あるとの啓蒙宣伝を行った。

  さらに近藤は,「此レ以上ハ県二於カセラレテモ成ルベク迅速二農林省其ノ他政

府へ要求致サレマシテ運ビノツクヤウニ願イタイノデ実ハ本会ノ建議案トシテ議長ノ  御手許マデ農林大臣,内閣総理大臣,大蔵大臣二向ッテ意見書ガ提出シテアルカラ御        く の

取廻シガ願ヒタイノデアリマス」と要求している。

その時の意見書は次のとおりである。

我国食糧問題並農村振興問題二関シ殊二刻下我国二於ケル不景気ノ深刻化スルト共

二都鄙二亘リ失業者益々増加スルニ際シ之力対策トシテ政府二於テ大規模開墾主要工

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事国営ヲ実行セラルルハ最モ有利且ツ適切ナルモノナルヲ信ス本県二於テハ豊川矢作 川及木曽川沿岸八名渥美両郡二於ケル該事業ハ大二之力実現ヲ熱望シツツアリ{乃テ政 府ハ本事業ガ国家的剴切ナルニ鑑ミ昭和6年度ヨリ十分ナル施設ヲ講セラレンコトヲ 望ム

右府県制第44条二依リ意見書及提出候也

 昭和5年12月23日 愛知県会議長 野 田 正 昇 殿 殿 殿

 之

助治

準忠

口上田浜井町

臣臣臣大大

内大農

 こうして,愛知県も積極的に運動したが,なかなか実行に移されなかった。

昭和7年,衆議院議員となった近藤寿市郎は,第62回帝国議会衆議院(昭和7年 6月)に「愛知県下渥美外二郡国営開墾実施二関スル建議案」を提出した。そ れによると「愛知県内東三河ヲ貫通スル豊川ノ上流北設楽郡三輪村地内宇連川 ノ渓谷ヲ堰止メー大貯水池ヲ築キ之ヲ灌概用二供スル計画ノ下二八名郡ノ原 野,渥美郡ノ高師原,天伯原,老津原,宝飯郡ノ本野ケ原其ノ他豊橋市内ノ原野 等開墾ヲ為ストキハ約1万町歩以上ノ耕地ヲ得ヘク既二農林省二於テモ之が調 査ヲ為シツツアル,由ナルカ現今ノ国情二鑑ミ食糧問題ハ勿論農林振興ノー端       (11)

トシテ速二之力工ヲ起サレムコトヲ望ム」。とのべている。

 さらに近藤は議会(昭和8年2月)に再び建議案を提出しているがこれには 高師原,天伯原などの他に,新たに田原湾や福江湾の海面干拓もとりあげ,こ の地域が開墾されずに放置されていた点について土壌,水利などの点から説明

している。

 しかし,昭和初期はいわゆる農村不況時代であった。昭和5年には世界的豊 作と国内の未曽有の米の増産の結果から農産物価格の大暴落を来たし,豊作飢 鐘を招来した。政府はこのため減反政策のほか,食糧増産の打ち切りなどを提 案し,かつ,農家の負債については農山漁村失業臨時対策低利資金の供給など の措置がとらたが,同6年には大正2年つぐ大凶作となり,昭和7年から3力 年計画をもって「時局匡救耕地関係農業土木事業」を起し,農民救済の政策が

とられた。このような社会的経済的不安な事情の下にあって,この地域の開墾 計画の建議案は国会で毎回(昭和7年および昭和8年)万場一致で可決された が,それば,あくまでも緊急を要する問題としてとりあげられたものではな く,多分に政治的な配慮の下に行はれたものであったと思われる。すなわち,

京都府の巨椋池干拓事業(開田715町歩開畑2町歩計地区面積717町歩)が開墾

参照

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