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音読学習時の読字行為 に関す る考察 、 ㌔ \
山 口 政 之
1.内容理解 を伴 わない音読
授業中、教師が一人の子供 を指名 して、その子供 に教科書の一部 を音読 させ るとい う指導は、.小学校の一般学級で広 く行 われている。その ような音読活動の多 くは国語 科の授業の中で行 われている1。 しか し、音読後の子供 に教師が理解 した内容 を尋ね て も、その子供が実は内容 を理解 していなかった とい う話 をMonroe (1951)が嘩介
している。
小学3年生の教師がテクス トの一節 を音読するようにある子 に言 った。その子 は発音上の間違いはな く、手早 く簡単そ うに音読 した
。
「よ くで きたね、ハ ワー ド。」教師は彼 を誉めた。「では、テクス トを閉 じて、何 について書いてあったか、/自分の言葉で話 して くれるかい。」
「えっ‑・㌧‑、 どうして‑・‑」少年はた じろいだ。「先生は僕 に読め と言 っただけ じゃないか。僕 は何が書いてあったかについては注意 を払 っていなかったよ。」2
この話が読みの学習 として問題である点は、ハ ワー ドが上手 な音読 をしたにも関わ らず内容 を理解 していない とい うことだけでな く、ハ ワー ドが内容 を理解 しようとし ない読み方 を身に付 けて しまったことにもある。
この ように子供が音読 をしているのに内容理解が伴 わない とい う指摘 は、 日本で も されている。例 えば伊藤経子 (1988)は自身の授業実践 を振 り返 り、音読する子供 に 内容理解が伴 わない原因の一つ を斉読 に求めている。
斉読 を、たびたびさせていると、 自分の読 む声 を開かずに音読する習慣がつい て、その習慣 は、書いてある文章の文字面だけを音読 してい く習慣 をつけて しま うのではないか、 と思います。感性の柔 らかいお母 さ、んか ら 「娘の音読は、声 も いい し、はっきりと一所懸命読んでいるなあ と思 うのですが、読み終わった とき、
あ らこの子 は何 を読んだのだろうと思います。内容が残 らないのです」 と、ほん とうにどうしてで しょうか、 とい う思いを打 ち明けられたられた とき、学校での 音読学習が、内容 を読み とらないで文字面ばか りを読み上げる習慣 を育てている のではないか と、大反省 をしたのですが、一年生か ら始 まる斉読が、その原因に なっているのではないで しょうか。3
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また、脇明子 (2005)は大学生の 「字は読めるのに本 は読めない」 とい う内容理解 が伴 わない読みの実態 を報告 し、その原因の一つを子供の頃の (貸 し出 しカー ドの利 用枚数による読書冊数の競争 )と分析 している。
一刻 も早 く読み終 えることだけに夢中になって、ページの上 に目を走 らせたの では、想像力は働 きません し、それまでに読んだことと突 き合わせて理解すると いった思考力 も働 きませ ん。それでは読書力が身につかず、小学校高学年か ら中 学 くらいになって、年齢相応 に文字の多い本 を読 もうとすると、歯が立たない と い うことになるわけです。4
このように読みの学習 において内容理解 を等閑に していると思われる実践 を見かけ ることがある。 しか し、 この ような (読み と内容理解 とを切 り離 して行 う授業実践 ) は大正期 に秋田喜三郎 (1922)によって否定 されていた。秋 田は 「始めは全然意味 を 問題 にせずに読みの教授 をな し、読みが一通 り通 じてか ら意味‑ 講義 に移 るとい う 順序 に進む」 とい う授業が、「読み と意味 を区別 しなければ理解 し得ぬ児童 を作 った」
と指摘 し、次の ような主張 をした (ただ し要約 は筆者 による)0
尋常一年の最初か ら常 に意味 と結 びつけて取 り扱い、読み即意味の態度 を訓練 づけることが緊切である。5
教育の主体が教師か ら子供 に変わろうとしていたこの時代 において、秋田によって なされた 「読み即意味」 とい う主張は、現在の国語教育 において も重要な意味 をもつ 読むことの学習思想であ り、秋田以降 日本の国語教育界で表現 は異なるが同様の主張 がなされている。例 えば昭和初期、大西雅雄 (1940)は、音読 をする時に意味 を取 り なが ら読み進めない子供や、その結果 として音読がで きて も内容理解が伴 わない子供
の姿 を次の ように指摘 している。 /
俗 に 「うわのそ らの聴 き手」があるように、「うわのそ らの読み手」では、真 心の聴 き手 に通 じる筈 はないのである。 これ も要するに音 ・意の連合いかんが分 かれ目である。6
大西の言葉 を借 りれば、冒頭で引用 し美 ハ ワー ドはまさに 「うわのそ らの読み手」
であった し、伊藤や脇が紹介 した学習者の読みの姿 も 「うわのそ らの読み手」であろ う。文章 を読む時には内容理解が伴 うことが 自然で、かつ当然 と考 えている熟達 した 読み手 には、ハ ワー ドの ように音読がで きて も内容理解が伴 わない読み方 を想像する ことが難 しいか もしれない了。 しか し、例 えば 日本語で書かれたパ ソコンのマニュア ルやパ ソコン雑誌 に掲載 されている記事が、 日本語 を母語 としているパ ソコン初心者 にとって一読 しただけでは内容が十分 に理解で きないことがあることは一般的に知 ら
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れている。ネ ッ トの接続やルーターの設定等がマニュアルを読んで もうま くいかない といった経験談 もパ ソコン初心者の間では珍 しいことではない。
では、ハ ワー ドが授業で読んだテクス トがパ ソコンのマニュアルの ように内容理解 が難 しく、読み手の実態 に合 っていなかったのだろうか。「発音上の間違いはな く、
手早 く簡単そ うに音読 した」 とい う叙述か ら、そのようなことは考 えに くい。実は問 題 は子供の側でな く教師の側 にあることを、冒頭の話の後 に続 けてMonroeが次の よ
うに批判 している。
機械的 には読 むが意味 を得 られないハ ワー ドの ような子供 は読み を楽 しめな い。彼 らは読み を使 うことがで きない。つ ま り、彼 らは意味 を取 る過程 において 長 く集中することが難 しい。理解 な しに語 を叫ぶに過 ぎない ということは、実 に 退屈でつ まらないに違いない。従順で礼儀正 しい態度でテクス トの語 を声 に出 し て読 む多 くの子供が私たちの中高学年 にはいるが、内容 はほとんど理解 されてい ない。多 くの場合、子供 に特定の音 と印刷 された文字 を合わせ ることを教 えれば、
教師は自分たちの責任 は終わ りと考 えているか らである。テクス トの意味 を最 も よく理解することを教師は子供 に残 して きた。8
当時のアメリカにおいて文字 と音 との関係 を教 えるフオニ ックスの指導 しか行 わ
・ず、内容理解 に関する指導が十分 になされていない とい う批判である。 日本では小学 校入門期の仮名文字の学習や、各学年の新出漢字の学習等 において文字 と音 との関係 を教 えられている。 これ らは学習指導要領 に示 された内容 なので、 日本中どの学級で も指導 されている。そ してこの ような言語事項の指導 を含みなが ら読みの学習は展開 し、内容理解の指導がなされていることであろう。小学校の国語科学習 において音読 が宿題 にされているとい う話 はよくあるが、内容理解の指導が教室で行われていない とい う指摘 は聞いたことがない。反対 に授業では読解 に時間をかけ過 ぎているので音 読の指導 にもっ と時間をかけるべ きだ とい う指摘 はある9。小学校 における音読指導 の現状 はどうなって きたのだろうか。
2.音読活動 は活発 になったが
21世紀 に入 り、 日本では子供達の音読活動の活性化 を促す3つのブームが起 きた。
1つ 目は (音読 ・日本語 )ブームである。斎藤孝 (2001)は子供 にとって難 しい と思 われる古今東西の名文で 1冊のアンソロジーを編んだ10。斎藤はこれを子供 に与 えて 音読 させ ることを提案 し、名文 を音読する取 り組みが広 まった ものである。 2つ 日は 学力低下問題 に呼応するかのように起 きた く音読 ・百マス計算 )ブームである。岸本 裕史 ・陰山英男 (2001)は音読や計算、学習用語の暗記 などを徹底的に行 うことで成 果 を出 したと報告 した11。 3つ 冒は く音読 ・脳 トレ)ブームである。川島隆太 (2003) は音読 と計算 に取 り組むことの よさを脳科学の研究成果 として 「脳が活性化する」 と 発表 した12。音読や単純 な計算が 「脳 を鍛 える」 とされ、「脳 トレ」 と呼 ばれる ドリ
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ル帳や、携帯ゲーム機のソフ トが販売 され、大人 を巻 き込 んだブーム となった13。特 に (音読 ・脳 下レ)ブームは、認知症 に対 して 「学習療法」 とい う新たなジャンルを 開発することにもつながった14。
以上3つのブームをまとめてここでは く音読 ブーム)と呼ぶ ことにするが、この音 読ブームでは、 これまでにな くマスコミや商業誌、ゲーム会社等が音読の重要性 を叫 び、関連書籍が書店で平積み となるような出版 ブーム も起 こし、学校や家庭、社会 に おいて子供 を取 り巻 く大人たちの関心 を集めた。そ して、 この ような社会現象 となっ た音読ブームの中で、ブームの火付 け役 となった斎藤、川島の両氏 は文化審議会国語 分科会の委員 に選出された。文化審議会国語分科会 (2003)は答 申の中で 「国語科教 育の在 り方」 として6つの重点項 目を示 し、その うちの1つが 「音読 ・暗唱 と古典 の重視」で、次の ように述べ られている。
音読 によって、国語力や独創力 とかかわる脳の場所が特 に活性化するとい う脳 科学の知見 もあることか ら、積極的に音読 を取 り入れてい くことが大切である。
また、音読することによって、漢字の読みを覚えた り、文章の内容 を確実 に理解 した りで きる。15
「脳科学の知見」 と明記 されているように、音読 に重点 を置 くことの科学的な根拠 に触れている。 この答 申を受 けて、2008年 に告示 された学習指導要領では各学年の
「読むこと」の項 に 「音読」が明記 された。それに加 えて 〔伝統的な言語文化 と国語 の特質に関する事項〕にも 「音読」 を含む次の内容が盛 り込 まれた。
(第3学年及び第4学年)
(ア)易 しい文語調の短歌や俳句 について、情景 を思い浮かべた り、 リズムを 感 じ取 りなが ら音読や暗唱 をした りすること。16
(第5学年及び第6学年)
(ア)親 しみやすい古文や漢文、近代以降の文語調の文章 について、内容の大 体 を知 り、音読すること。17
このように音読ブームの流れの中で学習指導要領の内容の一部は改訂 された. しか し、そ こには音読が音声化のみに偏 らない ように、「情景 を思い浮かべ た り」や 「内 容の大体 を知 り」 といった内容理解 に触れる文言が含 まれている。 こうした点 を考慮 して教室で音読の実践 をす るのであれば、(音読 に対する基礎的な指導 )の在 り方 に も関心が払われなければならない。なお筆者 は 「基礎的」 とい う表現 には く支援方針 の重点化 )とい う考 えを込めている。 まだ馴染んでいないテクス トを音読する子供 に 対 しては、その子供がテクス トの文字情報 を音声化 しているという点 に着 目した支援 を優先 させるのであって、理解 した内容 をどのように音声 として表現 させ るのか とい う指導 を積極的に行 わないことである。 これは音声化が基礎で理解が発展 とい う考 え
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ではない。実際、音読する子供 にとって (音声化の熟達 )と く理解の深化 )は別々に 段階的に行われるのではな く、それ らは音読 を進める過程 において互いに影響 し合い なが ら向上的に変容 してい くものである。しか し、冒頭で紹介 したハ ワー ドの ように、
子供の音読の実態が内容理解 を伴 わない (形式的な音声化 )であるな らば、(理解の 深化 ).を期待することが難 しい。そこに授業 を運営する教師の (音読 に対す る基礎的 な指導 )が必要 となるのである。
こうした改訂 を受 けて小学校 の教室では音読の授業が盛 んになることが予想 され る。実際、平成元年 に示 された学習指導要領で音声言語教育の重視が打 ち出された時 も音読への関心が高 ま り、学級あるいは学校全体 として音読指導が盛 んになって きた
18。そ して現在では、群読 は音読学習における一つの レパー トリー として多 くの教室 で実践 され、枕草子や平家物語の冒頭文が 「伝統的な言語文化」 に親 しむ古典教材 と して子供達 に音読 されている19。 この ように多様 な学習活動が広 ま り、新 たなジャン ルの音読教材が導入 されて きた中で、読みの学習指導 も変わ らざるをえない状況 にあ るのだが、読みの授業 に問題 はないのだろうか。
3.読字 は指導 されているのか
首藤久義 (1999)は音読ブームより以前 に、国語科の授業の間選点 として 「読むこ との授業が難 しい」 ことを指摘 している。
問題の一つは、文章の文字が読めるようになるとい うことが軽視 されて きたこ とにある。読むことの学習 といえば、内容理解が まず考 えられ、読 むことの もう 一つの大事 な側面である、文字が読めるようになるとい う面がおろそかにされて
きたことに、問題があるのである。20
国語科授業が内容理解 を目指 した読解学習 に偏 りがちである点 を指摘 している論者 は他 にもいるのだが、首藤 は 「文字が読めるようになるとい う面がおろそかにされて きたこと」が問題だ と指摘 している。首藤 (1999)によれば、文章 を読むということ には 「読字 と内容理解」が含 まれているとい う21。
秋 田は授 業 も子供 の生活 の一部 である とい う考 えか ら、「読 み」 と 「意味」 とを
「即」 とい う一語で結 びつけて端的に 「読み即意味」 と表現 し、国語科の授業改善 を 提案 した。 しか し、「読み」 とい う言葉 には大抵の場合 「内容理解」 としての 「意味」
が含 まれる。「読み即意味」 は当時の授業改善 としては十分 に意味 を持つ表現であっ たが、当時 と比べて現在 の ように多様化 した学習活動が展開 している教室では、「読 み」 とい う語ではど うして も実践への問題意識の絞 り込みが不足 している感が否めな い。 また、大西のい う 「音 ・意の連合」では、別々に行われた音読 と内容理解が授業 を通 して 「連合」 させ ると誤解 を受ける嫌いがある。
このように考 えてみると、首藤が 「読み」 とい う人間の総合的な営為 を学習活動 と して捉 えた時、「読字」 と 「内容理解」 とい う 2つの概念で理解 していこうとするこ
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とで、授業改善の観点が見えて くる。首藤 は 「読字」 とい う用語 を使い、音読 につい て次の ような説明 をしている。
文字 を読むこと、つ ま り読字 とい うことは、文字 をことばにもどす とい うこと である。 もう少 し詳 しく言 うと、書 き手の心の中に生 じたことばが、文字 に置 き かえられて記録 されているのを、読み手が読み とって、心の中で文字か らことば によみがえらせ るということである。心の中だけで ことばによみがえらせ ると黙 読 になる。そのことばを声 に出すのが音読である。22
「文字 をことばにもど」し、そ して 「ことばを声 に出す」作業が音読であるとい う。
大西が指摘 した 「うわのそ らの読み手」、つ ま り音読 して も意味が取れない とい う状 態は、首藤の言葉で言 えば、「ことばにもどしていない」 とい うことになろう。音読 は文字か ら音声への単純 な変換作業ではない。読字 は精神的な活動であって外か らは 見 えに くい。 しか し、音読 した音声か らは読み手が読字 にどう取 り組んだのかは理解 することがで きる。 ここが授業 を改善する上で重要な点 となる。
音読の授業 を考 える時、当然のこと‑だが音読の授業で求め られる教師の役割 とい う ものは、家庭で保護者が我が子の音読 に耳 を傾 けるの とは異 なる。教師による場の設 定や評価 を含む適切 な指導がなされない限 り、かつて秋田喜三郎が 「読み即意味」 を 訴え、大西雅雄が 「うわのそ らの読み手」 と指摘 したように、音読の活性化 は 「大人 が子供 に音声化 させた」だけで終わることが危倶 される。教科書 をす らす ら読めるよ うにすることを子供 に命 じることが、教師に求め られる音読指導ではない。子供が音 読する姿 を観察 し、その音読の内容 を評価 しなが ら必要に応 じて支援 してい くのであ る。音読する子供の実相 を適切 に捉 えて支援 してい くことが教師に求め られる。
まだ読み馴染んでいないテクス トを音読す る子供の姿 を注意深 く観察 し、その読み 声 に耳 を傾 けると、一体 どんなことに気付 くだろうか。大抵の場合、子供の姿勢や口 の開け方など身体的な様子 よりも、子供の声の大 きさや発音等の読みぶ りの方が気 に なるのではないだろうか。教室で も子供の音読 を総合的に評価する時、音読する時の 体の姿勢が多少 よくな くて も、す らす らと音読が進んでいれば、冒頭のハ ワー ドの教 師のように口を挟 まず子供の音読 に耳 を傾 け続 けるのではないだろうか。
では、子供の音読が どのような様子の時 に、教師は子供の音読 に口を挟みた くなっ た り、実際 に発言 をするのだろうか。それは子供の音読が順調 に進 まな くなった とき であろう。例 えば難 しい言葉の前で音読が止 まって しまった り、読み違 えた りした時 に教師は何 らかの形で支援の言葉 を発するであろう。
漢字が読めないで音読が止 まったのであれば、教師はその漢字の読みを教 えるだろ う。子供が不適切な場所で休止 したならば、教師が子供の音読 を遮 って適切 な場所で 区切 って読んで聞かせ ることをするか もしれない。場合 によっては多少の読み違いに 教師は介入 しないで、子供が音読 を終 えた段階で読み違いを教 えるか もしれない。
これは子供の音読 に対する評価 と支援の問題である。 これまで音読の学習 を研究す
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る中で、音読活動 に目的を与 えた り、音読の分担 を子供 に話 し合 わせた りす ることの 有効性 は検討 されて きたが、 とりわけテクス トに読み馴染んでいない段階での理解行 為 としての読字行為その ものに対する評価 はあまり議論 されてこなかったのではない だろうか。それはあまたある音読 に関する実践報告の中に、読字行為その ものの様子 を描写、記述 した ものが非常 に少ないことか らもうかがい知ることがで きる。だか ら、
子供の読字が学習 として どの ように評価 され支援 されて きたのかが実証的に研究 され ることがあま りな く、結局、大 きな声です らす ら音読で きればよしといった評価 に留 まって しまう可能性が生 じて しまう。
この ように読み馴染みの少 ない段階での読字行為 については国語科教育では十分 に 議論'されてこなかったが、特別支援教育では子供の読字行為 における読み違いに着 目
して学習障害のスクリーニ ングとしている。
4.読字行為に着 目 したスクリーニング
2001年、文部科学省 は旧来の 「特殊教育」とい う言い方 を 「特別支援教育」と改め、
その対象 に発達障害者 を含めるようになった23。発達障害 には、学習障害 (LD)千 注意欠陥 ・多動性障害 (AD/HD)、高機能 自閉症、アスベルガー症候群等がある。学 級崩壊等の問題で、これまでに見 られなかった (荒れ )を見せ る子供の存在が注 目さ れるようになったが、そ うした子供の中には注意欠陥 ・多動性障害 と診断 される行動 の特徴 を示す事例があった。 また、学習障害 を持 った子供 は、いわゆる 「勉強が苦手 な子」 と見 られがちで、「怠 け」や 「努力不足」 と思われることが多かった。いずれ の発達障害 も特殊教育 を専 門に学 んで教 師になった者以外 にはなかなか理解 されず、
文部科学省 を始め とする諸機関や学会、そ して様 々なNPO法人等が啓発 に努めている。
そ して2002年か ら特別支援教育が始 まり、普通学級 における学習障害児の存在が知 られるようになった。軽度発達障害の傾向を持つ子供 は40人学級 に約2人はいると伝 えられている24。そ ういった子供のスクリーニ ングの一つ に音読がある。特別支援教 育の領域では音読が学習障害の可能性 を知る手がか りになってお り、 ここに音読 を通
しての学習者理解の可能性が示唆 されている。
国立特殊教育総合研究所 (2003)は、ある県が作成 した、保護者や教師が気 になる 子供 を学習障害か どうか判断するための簡易的な 「チェックリス ト」を紹介 している。
国語、算数、連動、社会性 の4領域があ り、国語 には開 く、話す、読 む、書 くと4 項ある。そ して 「読 む」の内容 は8項 目あ り、その中に 「勝手読み」や 「拾い読み」
とい う言葉がある。
□ 似 た文字 を間違 えて読みやすい
ロ 漢字の読み間違いが多い (ママ ママ 音読み と訓読みの混乱、順序の逆転等)
ロ 助詞や文末 をよみ まちがえる (勝手読み)
□ 一字一字は読めるが拾い読みである
□ 文節 を区切 って読めない ,
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□ 文字や行 をとば して読むことが多い
□ 読むときに過度 に緊張する
口 話のあ らす じや文章のだいたいを読み取 ることがで きない25
一つ一つの項 目か らは深刻 な学習障害が想起 されないが、チェックされる項 目の数 が多 くなれば、保護者 との面談の中でその子供の実情 を知 らせた り、専門機関を紹介 し本格的なスクリーニ ングを受けることを勧めた りするのである。 この ように教室 に おける音読 は簡易的なスクリーニ ングとしての役割 を果た している。
これまでの国語科では、「勝手読み」や 「拾い読み」 は下手 な音読、練習不足 とし て理解 されて きた。そ してその ような子供の読み違いは教師によって訂正 され、正 し く読めるように指導 されることが常であった。それで大方の子供 はおおむね音読がで きるようになっていった。 しか し、音読 に蹟 く子供が学習障害であったならば、障害 ゆえに簡単 には音読が上達 しない。読み違 えた時にはその場で正 しく読めるまで読み 直 させ るような指導が適切でなかった可能性がある26。彼 らは、なぜ、す らす ら読め るようにならないのだろうか。音読の際、何 に蹟 き、何 を苦手 としていたのか。
言葉の障害 と教育 に関する問題 については1950年代 に盛 んに 「国語科治療教育」 と して提唱 されたことを府川源一郎 (1989)が整理 し、論文発表当時に国語科治療教育 が 「国語教育界 で話題 にな らないのは どうしてだろうか」 と疑問 を投 げかけている
27.号8。 さらに府川は 「国語科治療教育」の対象 となった学習者 に目を向け、「学業不 振児」 に対する当時の不十分 な対応 について も言及 している。
言語障害児学級 に入級することのない 「読みの遅れた子 ども」 は、 どうなって しまったのだろうか。
大熊や大庭 の始めた 「治療教室」 には、いわゆる言語障害児 と、学業不振児 (特 に国語の読み)が混在 していたはずである。それにもかかわ らず、言語障害 児 については制度が整 って、学習の機会が曲が りな りにも保証 されたが、 もう一 方の対象であった 「読みの遅れ」 をもつ子 どもについては、結局は自分の所属す る母学級へ と、球が打 ち返 されて きただけであった。 これは残念 なことだった と いわなければならない。29
府川のい う 「学業不振児 (特 に国語の読み)」 を正 しく理解す るためには、1950年 代 に国立国語研究所で読みの研究 に精力的に取 り組んだ平井昌夫 による説明が必要で あろう。平井 (1953)は 「読めないこと」 を次のように3つに分類 していた。
読めないことの種類は数が多いが、便宜上(1)読みの不振、(2)読みの困難、(3) 読みの欠陥にわけて分類 してお こう。 (1)の読みの不振では読みの学習全体が振 るわないこと、す なわち正常でないことを考 え、 (2)の読みの困難では児童生徒 が実際に読 んでいるときに示す個 々の読みの困難 を考 え、 (3)の読みの欠陥では
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(29) 読む ときに示す悪い習性 を考 えて分類 してある。30
具体的には、「読みの不振」 には 「まった く読めない」「読みの学習がお くれが ち」
等があ り、「読みの困難」 には 「コ トバ としては知っていて も文字が読めない」「文字 は読めて も単語 と結びあって生 じる総合的な意味がわか らない」等がある。 この よう な子供 は言語障害児学級 に通級 し、適切 な指導 を受けられた。
他方、最後 の 「読 みの欠陥」 には 「あてず っぽ うに別の単語や句 で読 みかえる」
「よぶんな単語や文字 を加 えた り、書いてある単語や文字 をとば した りして読む」「行 をとば して読 む」「ひろい読み をす る」等、いわゆる読み違いの具体例が挙 げ られて いる。平井のい う 「読みの欠陥」の具体的な現われは、 まさに国立特殊教育総合研究 所 (2003)が紹介 した 「チェックリス ト」 と共通 している。近年、特別支援教育の中 で取 り上げ られる軽度発達障害のスクリーニ ングの観点が、平井の言 う 「読みの欠陥」
の研究成果か ら学んでいることが認め られる。
しか し、結局 「読みの欠陥」 を抱 えた子供達 は、府川の言 う通 り 「読みの遅れ」 を もつ子供 として 「自分の所属す る母学級へ と」戻 された。「読みの遅れ」 をもつ子供 は昔 もいた し、今 もいる。だが、そ ういった子供の状況な り背景 を学級担任 も理解 し ていこ/うとするのが現在の特別支援教育の考 え方であ り、その子供の実情 に合 うた学 習支援 をしてい くことが教師の務め となる。
‑特別支援教育が始 ま り、文部科学省及びその関連機関、 日本LD学会、い くつかの NPO法人等 では特別支援教育の啓発 を盛 んに行 っている。 その中でLD(学習障害)
の中核概念 とも言われるデイス レクシアが 「読字障害」や 「難読症」等 と訳 されて取 り上げ られることがある。 また、デイス レクシアヤ失語症等、言葉 に関する障害 を取 り上げることのある音声医学や脳科学の分野では、文字 を読む行為 として 「読字」 と い う言葉が使 われている。そうした関係で特別支援教育の領域で も読字 に注 目し、読 み違いをスクリーニ ングの一つ としている。
これまで国語教育の分野では 「読字」 という用語はこれまであま̀り使用 されていな かった31。 また、表現行為 としての音読学習の実践研究は盛 んだが、それに比べて読 字行為 に注 目する実践研究はとて も少 ない。 しか し、 これまで述べたような現状 をふ まえて、子供の読字行為 に注 目して音読の実相 をより実証的に捉 えるような実践研究 を行い、冒頭のハ ワー ドの ような読みをする子供 を育てないよう古手したい。
5.読字行為 に注 目した授業記銀の必要性
授業研究の報告 においては、授業の一部分が授業記録 として示 され、そ うした事実 を根拠 に論考が進め られることが多い。教師 と子供の発言 を詳細 に記述す るTC型の 授業記録 は分量が多い と読みに、くく全体像がつかみに くい とい う欠点 をかかえている ものの、教師 と子供の発言や行動 による相互作用の関係 を適切 に切 り取 って授業の事 実 として示す とい う実証性 は、授業研究 をまとめた研究紀要や論文等 に求め られる要
件の一つ として挙げることがで きるだろう。 ,
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しか し、音読の実践場面 を報告 した文献では、TC型の授業記録の ような実証性 を 備 えた ものはあま りない。実践者 自身による報告の多 くは、 自身の実践が どの ように 展開 したのか、その概略 を紹介する形で記述 されている。そうした報告の多 くが報告 の 目的 として実践場面の一部 を詳細 に検討す るのではな く、一つの単元や年間を通 し ての学級経営、音読指導 を重視 した学校経営 といった教育の全体像 を報告す ることに 主眼を置いているか らである。だか ら、音読の授業場面の一部分 に着 目し、教師の指 導言 と子供の反応 といった相互作用の関係 を詳細 に文字化 して考察 を加 えるような実 践研究はそう多 くはない。
また、編集 された書籍や教育雑誌等 に掲載 された実践 ・研究論文では、特集テーマ に沿 った形で子供の音読の実態 を具体的に考察 しているものがある。そこで記述 され た子供の音読の実態は、多 くの場合、報告者の印象で実践場面か ら切 り取 られている。
授業者 による報告 にはTC型の ように教 師 と子供 の相互作用が具体的かつ詳細 に記述 されているものは少 な く、執筆者の印象 に残 った事例が記述 されている。
音読学習を改善するためには、子供の読字行為の実相 をより包括的かつ客観的に捉 えるために、音読する子供の姿 を具体的かつ詳細 に記述す ることか ら始めたい。lこの 点 を考慮 して、音読時における読字研究 を始めるべ きではないだろうか。
(敬愛大学国際学部准教授 平成8年度修了生)
注
1 国語科以外で も、例 えば算数の教科書や道徳の副読本、学習指導以外の 目的で配 布 されたプリン ト等 を音読 させ ることは少なか らずある。
2 MoⅣoe,M (1951)p.170.邦訳 は筆者 による。
3 伊藤経子 (1988)p.38 4 脇直子 (2005)p.113
5 (1922)pp.70‑72。ただ し、引用 に際 して、字体 と仮名遣いは現代 の標準的な形 に 直 した。
6 大西雅雄 (初版1940、3版1942)pp.75‑76
7 米原万里 (2007)ロシア語会議通訳で作家の米原 は内容理解 を伴わない音読がで きることを指摘 している。原 は自身が子供の頃にプラハのソヴイエ ト学校で受け た とい う、読書後 に要約 して話す教育 について綴 っている。そこで 「声 に出 して きれいに読む、純粋 に音だけ、文字だけを追って読むことは、ある意味では内容 を把握 していな くて もで きるんです。」 (pp.173‑174)と述べている。
8 Monroe,M (1951)pp.170‑171
9 例 えば、八戸音読研究会 ・左館秀之助編著 (1985)『授業 を変 える音読のすすめ』
や青木幹勇 (1989)『音読指導入門』、いずれ も明治図書
10 斎藤孝 (2001)『声 に出 して読みたい 日本語』草思社。斎藤 (2001)以降、同 じ 傾向の書籍が多 く出版 され同書はベス トセラーになった。これが (音読 ・日本語 )
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ブームの始 ま りと思 われる。
11岸本裕史 ・陰山英男 (2001)『やっぱ り 「読み ・書 き ・計算」で学力再生』小学館 12 川島隆太 (2003)
『
「音読」すれば頭が よ くなる』 たちばな出版13 しか し、その一方で脳 トレを批判す る文献がい くつか発表 されている。例 えば、
茂木健一郎 (2004)は 「この ドリルを反復す る と前頭葉が鍛 えられる」等 と言 う のは 「みの もんたの脳科学」 である と郷捻 している。茂木健一郎 (2004)『脳 の 中の小 さな神 々』柏書房p.530
14 川島隆太監修 、学習療法研究会 (2005)『学習療法 part2第2回学習療法 国際 シ ンポジウム』 くもん出版
15 文化審議会国語分科会 (2003)p16 16 文部科学省 (2008)p.23
17文部科学省 (2008)p.26
18増 田信一 (1994)『音声言語教育実践史研究』学芸図書
19教育出版株式会社 のホームページには、平成23年度用小学校 国語教科書の 「編集 の趣意 と特色」 において古典教材 を取 り上 げていることが紹介 されている。
20首藤久義 (1999)p.57 21首藤久義 (1999)
22 首藤久義 (1999)pp.54‑55
23 文部科学省 (2001)「21世紀 の特殊教育の在 り方 について 〜一人一人のニーズ に応 じた特別 な支援 の在 り方 について〜 (最終報告)」
24 文部科学省 (2002)「通常の学級 に在籍す る特別 な教育的支援 を必要 とす る児童 生徒 に関す る全 国実態調査」 では、集計結果 として 「知的発達 に遅れはない もの の、学習面や行動面で著 しい困難 をもっている と担任教 師が回答 した児童生徒 の 割合」 を 「6.3%」 と報告 している。 このデー タが広 まって、「どの学校、 どの学 級で も40人学級 な ら約 2人は特別支援の対象児である」 と言われている。
25 国立特殊教育総合研究所 (2003)「学習障害児 の実態把握、指導方法、支援体制 に関す る実証的研究」p.ll
26小菅宏 (2009)『僕 は、字が読めない。』集英社 インターナシ ョナル 著者が イ ンタビュー形式で取 り上げる南雲明彦 は学習障害の中核概念 ともいわれる読字障 害 (デ イス レクシア)であ り、学校 の授業だけでな く私生活や就職 における苦悩 の様子が克明に記 されている。
27府川源一郎 (1989)この中で府川は 「国語科治療教育」が当時の国立国語研究所 の輿水実や平井昌夫 らによって推進 され、平井の指導助言 を受 けていた大熊喜代 松が公立小学校 において 「国語治療教室」 を担任 して 「学業不振児」 に対す る指 導 を始め、それが特殊教育の一領域である言語障害児教育 に発展 したことを述べ ている。
28 原 田大介 (2010)「特別支援 の観点か ら見 た国語科教育 の問題 ‑ 発達障害 ・ 特別 なニーズ ・インクルージ ョンの考察 を中心 に‑
」
『国語科教育』第六十八15 2‑
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集、pp.67‑74。府川 (1989)か らお よそ20年経 ち、全 国大学 国語教育学会 の学会 誌 に特別支援教育の立場 か ら考察 された論文が掲載 された ことか ら、国語教育界
も新 たな学習者研究 に関心 を持 ち始めた と思 われる。
29 府川源一郎 (1989)p.345 30 平井 昌夫 (1953)pp.197‑198
31 輿水実 (1960)『国語教育用語辞典』(明治図書)には 「読字力」 とい う項があ り、
冒頭 で 「文字 を読 む力」 と端 的 に説 明 されてい るが、 「読字」 については取 り立 てて説明 を してい ない。 しか し、平井 昌夫 (1955)『国語教育ハ ン ドブ ック』 (牧 書房)、西尾実 ら (初版1957、第4版1962)『国語教育辞典』 (朝倉書店)、国語教 育研 究所編 (1988)『国語教育研 究大辞典』 (明治 図書)、 日本 国語教育学会 (初 版2001、第3版2004)『国語教育辞典』 (朝倉書店) といった辞典 、 さらには電子 辞書 の複数辞書検索 (広辞苑、明鏡、類語例解辞典、 ブ リタニ カ国際大百科事典 等) に も 「読字」 とい う項が なか った。
引用文献
秋 田喜三郎 (1922)F児童 中心 国藷 の新学習法』明治図書
文化審議会国語分科会 (2003)「これか らの時代 に求め られ る国語力 について」
府川源一郎 (1989)
「
「国語科治療教育」 の検討 ‑ 1950年代 の国語学力観‑ 」『横浜国立大学教育紀要』vol.29,pp.329‑347 平井 昌夫 (1953)『国語 の学習指導法』 開隆堂 伊藤経子 (1988)『音読 の授業』国土社 文部科学省 (2008)『小学校学習指導要領』
Monroe,M (1951)GrowingintoReading,Scott,Foresman andCompany, 大西雅雄 (初版1940、3版1942)『朗読学 一教育 的言語学序説‑』修文館 首藤久義 (1999)「理論編
」
『こ とばが ひろが るⅠ』東洋館 出版社pp.1‑145 脇直子 (2005)『読 む力 は生 きる力』岩波書店米原万里 (2007)『米原万里の 「愛の法則」』集英社新書
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