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音楽の普遍性に関する一考察

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(1)

「研究論文」

音楽の普遍性に関する一考察

−−「音楽は国境を越える」という意識はいかに形成されるのか−−

西田治(初等教育講座)

はじめに

音楽は国境を越えるのだろうか。

今回、ある国際交流を目的とした演奏会会場でアンケート調査をしたところ、

上記の問いに対する回答は「音楽は国境を越える」とする意見が97パーセント を占めた。また、このようなアンケート調査をするまでもなく、メディア等でも 一般論として「音楽は国境を越える」という意見を耳にする機会は多い。

しかしながら、民族音楽の分野では、「音楽は国境を越える」という音楽の普遍 性に関しては否定的な見解が優勢であり、今もって決定的な見解が示されない程 に困難なテーマの一つである1。そこで、本稿では音楽の普遍性に関して全般的 な議論を行うのではなく、その一端を明らかにすべく、「「音楽は国境を越える」

という意識がいかに形成されるか」という問いを設定し、焦点を絞り考察を行お うとするものである。

Ⅰ.演奏会概要とアンケート分析

本稿の議論を進める上で一つの切り口を示すのが、国際交流を目的とする演奏 会会場でのアンケートである。議論を始める前に先ずその演奏会の概要とアンケ

ート結果について報告する。

1.演奏会概要

ァンケート調査を行った演奏会は、長崎大学と学術交流協定を結んでいる漢陽

(Han‑Yang)大学・音楽大学の学生よって編成されたウインドオーケストラに ょるワールドコンサートツアー(アメリカ・東京・長崎・対馬での四公演)の一 環として開催されたものである。長崎公演では、長崎大学小中附属学校との共演

も行い、音楽での国際交流を目指しての開催となった。

第一部は漢陽大学による演奏、第二部は長崎大学附属小学校金管バンド部・同 中学校吹奏楽部の演奏が主となってプログラムが進行した(図表1を参照)。この ようなプログラムの流れだったため、第一部の漢陽大学の演奏の際には、附属小 中学校の子どもたちが客席で演奏を聴き、逆に附属小中学校の演奏の際には、漢

一107−

(2)

陽 大 学 の 演 奏 者 た ち が 客 席 で 子 ど も た ち の 演 奏 を 聴 く と い う 光 景 が 見 ら れ た 。 漢 陽 大 学 の 演 奏 を 聴 く 子 ど も た ち の 真 剣 な ま な ざ し 、 子 ど も た ち の 演 奏 を や さ し く 温 か な ま な ざ し で 聴 く 漢 陽 大 学 の 学 生 。 演 奏 そ の も の も 素 晴 ら し か っ た が 、 そ の 光 景 も 非 常 に 印 象 的 で 心 温 ま る も の で あ っ た 。 次 に 示 す 観 客 に よ る ア ン ケ ー ト 中 の 一 文 は 、 そ の 様 子 を よ く 表 し て い るo

小 中 学 校 の 演 奏 の 時 に 大 学 の 方 が 客 席 で や さ し い 表 情 で 聴 い て い ら っ し ゃ い ま し たo 子 ど も た ち は 大 学 の 方 の 演 奏 を し っ か り と 聴 い て い ま し た 。 こ の お 互 い の 姿 こ そ 音 楽 を 通 じ て 持 て る 尊 重 の 気 持 ち だ と 思

います。そして観客もそれを感じることができました。

30

代 ・ 女 性

またアンコールで、は、漢陽大学・附属小中学校の

3

団 体 に よ る 合 同 演 奏 が 行 わ れ た 。 曲 目 は 日 本 の 演 歌 を メ ド レ ー に し た も の と 韓 国 の 民 謡 を テ ー マ に し た 吹 奏 楽 曲 の 二 曲 で あ っ た 。 両 曲 と も に 漢 陽 大 学 ウ イ ン ド オ ー ケ ス ト ラ 指 揮 者 で あ る 柳 田 植 氏 の 提 案 に よ る も の で あ り 、 今 回 の 演 奏 会 の 趣 旨 を よ く 理 解 し て く だ さ つ て の 選 曲 で あ っ た 。 総 勢 約

120

名 の 大 編 成 だ っ た た め 、 ス テ ー ジ は 大 変 窮 屈 な も の となったが、互いの音を聞きながら、気遣いあいながらの演奏は大変感動的で、

「アンコールが最高に良かった J という感想、も多々聞かれたほどだった。観客数 は

2 7 8

名 と 決 し て 多 く は な か っ た が 、 以 上 の よ う に と て も 温 か な 雰 囲 気 の 中 で の演奏会となった。

総勢約

120

名 に よ る リ ハ ー サ ル 風 景

‑108‑

(3)

【図表

1] 

タイトル:漢陽大学ウインドオーケストラ国際交流コンサート in長 崎 指揮者:柳田植(YooJeon Sik) 

共 演 : 長 崎 大 学 附 属 中 学 校 吹 奏 楽 部 ( 指 揮 : 田 中 邦 夫 ) 長崎大学附属小学校金管バンド部(指揮;山口亮介) 開 催 日 時:2007 10 18日(木)18:30開 演

場所:とぎつカナリーホール 曲目:以下のとおり

入場料:無料

1.  グ、ランドマーチ (小長谷宗一)

2.  吹奏楽のための幻想曲「天使ミカエルの嘆き J (藤田玄播) 3.  クラリネットとオーケストラのためのコンチエノレティーノ作品26

( C . M . v .

ウェーパー) 4.  Korea Rhapsody for  Wind Orchestra  (World  Premier) 

(Ahn, Hyo‑Young)  一一一一一一一一休憩一一一一一一一一一

5.  [ 演 奏 : 長 崎 大 学 附 属 中 学 校 吹 奏 楽 部 ] センチュリア (J.スウェアリンジェン) 6.  &7.【演奏:長崎大学附属小学校金管バンド部}

管 打 楽 器 の た め の 祝 典 (J.スウェアリンジェン) ミッキーマウスマーチ

0 .

ド、ット)

8 .

ハイランド讃歌組曲

( P .

ス パ ー ク )

。アンコール(漢陽大学、附属小中学校による合同演奏)

演歌メドレー(北国の春/北酒場/川の流れのように) 小 島 里 美 編 曲 A Miller' s Song (韓国の民謡をテーマとした吹奏楽曲。詳細不明。)

2.

ア ン ケ ー ト 結 果 と 分 析

次 に 、 演 奏 会 当 日 に 観 客 に 対 し て 行 っ た ア ン ケ ー ト の 集 計 結 果 を 紹 介 す る 。 観 客 の 来 場 者 数 は

278

名 で 、 ア ン ケ ー ト 回 収 数 は

112

枚 で あ っ た 。 回 収 率 は

40%

となる。

来場者数(人)

278 

アンケート回収数(枚)

i12 

アンケート回収率

40

ア ン ケ ー ト 内 容 は 大 き く

3

つ の 項 目 に よ り 構 成 し 実 施 し たo 演 奏 会 後 の 短 時 間 に 記 入 す る こ と を 勘 案 し 、 最 小 限 の 項 目 数 と し て い る 。

(4)

① 「 音 楽 で の 国 際 交 流 を 感 じ る こ と が で き ま し た か ?

‑ 1   r

今 回 の 演 奏 会 に 限 ら ず に 考 え て 、

「音楽は国境を越えるj と 思 い ま す

あ ま り 応 じ ら 無 回 答 れなかった !"Q 

まあまあ応L 人れf

H戸。

1"

;~')Ofl

まっfて<!出じ

ら ~'l なかっ fT 0"'0 

カ瓦?J 

そう思う

i

そう思わない

i

無 回 答

109 

そう忠わない

no

煎回答 :

0

.. .

17

, . 

‑ 2   r

そ の 理 由 を 教 え て 下 さ い ( そ う 思 う 理 由

o r

そ う 思 わ な い 理 由 ) 。 自 由 記 述j 抜粋

‑昌莱は通じなくても音楽は理解でき、ともに感じる」とができるからです。 16歳女性

‑音楽のメロディーは共通のものだから、どの国の人も共感できると思う。 55歳女性

z使う昌葉がちがってそれが通じなくても音楽は世界共通で、通じると思うから。 16歳女性

‑昌某を使わなくても音で気持ちを伝える」とができるから。昌葉がわからない国の音楽 でも感動することができる。 17歳女性

‑音楽は共通のものだと思うし、昌葉も必要ないから。 17歳女性

‑昌英は通じないが音楽で気持ちが通じ合うと思う。 41歳女性 '百莱はわからないが音楽は心が通じ合うと思います。 63歳女性

‑メロナイーは万国共通。首某は不要。 53歳男性

,音楽は世界共通。 40歳男性

‑民族に関係なくたましいに訴えるものがある。 52歳女性

‑たとえ昌葉が通じなくても、音楽は人の心に通じるから。 19歳女性。

‑昌莱はわからないけれども音楽は同じ。誰でも理解できる。 70歳女性

‑高菜はなくても曲によって感情(思い)が伝わり、音楽によって共有できる」とが沢山あ

‑音は昌葉と違い、すべて同じなので。 38歳女性

'首葉iまなくても感動する心はどこの国の人とも同じだと思う。すばらしいものを共にす ばらしいと思うことができる。 49歳女性

‑国境を越えないのは「冨葉jだけで、絵も料理も音楽も皆オイシイモノは世界共通オイ

‑芸術にし国自境本は人なとく、現実に外国で活躍する日本人、日本で活躍している外国人もい る。ただ してのアイ,デンテイティはもっていてもらいた。 45歳男性、

‑アート」そ世界共通の百語と信じています。盲葉、宗教、政治を越えて感動を分かち

‑音楽は心にひびくので、」っきょうをこえて世かいのみんなの心にひびいた」とだろうと

‑小中学校の演奏の時に大学の方が客席で、やさしい表情で、聴いていらっしゃいました。

子どもたちは大学の方の演奏をしっかりと聴いていました。このお互いの姿こそ音楽を 通じて持てる尊重の気持ちだと思います。そして観客もそれを感じることがで、きました。 3

‑昌某が通じなくても音楽は世界共通だと思うから。 15歳女性

Eえんそう、うたなどをきいている人も気持ちがいいし、ひいている人も歌っている人も すっきりした気持ちになれるからです。 8歳女性

‑昌葉じゃなく、音楽で気持ちを合わせられるから。 19歳女性

‑人が感動するものは、その人の人生によるけれど、海を渡って、見た」とも会った」とも ない国の人が感動する曲を私たちもともに感動でき、同じ空間を共有できるのは音が 様々な壁を飛び越えて私たちのもとに届いているから。 21歳女性

‑音楽は高菜を越えて、心に何かを感じ取るものだから。何かを感じ取るのは皆同じだと

‑昌葉がいらないから。 22歳女性

‑昌葉は通じないが、音楽で一つにまとまる。 48歳女性

‑白菜はいらないから。年齢未記入女性

(5)

‑ 2

続き

‑日本の曲は世界に広まっているし、たくさんの民ょう曲などが日本にもたくさんはいって きているから。14歳女性。

‑音楽は世界の共通語だと思いました。47歳 女 性

‑園を越えて曲は共通であるし、心に響く音も同じだと思いま、す。年齢未記入女性

‑私たちが」の場で韓国の曲を聴いても感動する」とができるから。12歳 女 性

‑音楽は世界一体になって楽しめ親しみあえる。9歳 男 性

‑音楽は対立する宗教、思想、哲学、経済、政治がないから。年齢未記入男性

‑どの国の人が奏でても音楽は美しいから。年齢未記入女性

‑ドレミは世界共通だから。演奏する喜びもよい演奏を聴いて感動する心も世界共通だ│

から。45歳 女 性

‑音楽はどの国も練習のたまものと思ってます。83歳 男 性

‑言葉がなくても音だけで心を表現で、きるから。38歳 女 性

55

8

っても人間の感性は同じだと思いますので、感動する心は共通のも 歳 女 性

‑音楽は昌葉とか関係なく共有できるから。16歳 女 性

‑員葉はちがっても音楽は世界共通

1 : : :

コミュニケーションで、きるからふ17歳 女 性

‑昌葉はちがっても音楽は共通だから。44歳 女 性

関話す昌葉はちがうが、音楽はすべての人に共通のものだから。11歳 女 性

‑昌葉がなくても伝わるものだから。初めての人ともいっしょに楽しめるものだから。46

‑音楽は文化に関係なくit)に響くものだから。48歳 女 性

‑昌葉は伝わらなくても音楽が昌英になって気持ちを伝える」とがで、きるから。10歳 女

L

2

5

性人の心にも響くと思う。言葉とはち

‑音楽は昌葉がなくても心で伝わるものだと思うから。11歳 女 性

‑想いは同じだから。36歳 女 性 F

‑美しい音楽は、'‑'‑ろがとても癒されると思います。44歳 女 性

‑音は翻訳する必要がない。すんなり耳に心に入っていくる。年齢性別未記入

‑文化には、国境はないと思う。68歳 女 性

‑歌など歌詞は分らなくでも音楽の良さは分かる。50歳 男 性

‑曲を作った人の園、演奏する人の国、聴く人の国、」とばは通じなくとも、それぞれの音 楽を愛する気持ちは互いに感じあえると思います。45歳 女 性

‑演奏会で昌語がなくても(違っても)気持ちが伝わってきたから。23歳男性

‑音楽の美しさよ楽しさは、ど」の国に行っても、ど」の国の人でも共通だと思うので…。

43歳 女 性

‑音楽を通じておけば他国に行っても仲良くで、きると,思ったから。11歳 女 性

‑音楽は万国共通。昌葉は通じなくても音は通じます!31歳 女 性

わ一美れしずい、も心のの・美中しカい音色くとないるうのもの覚はえ自ま然すと。心57中へしみいってきます。何ものにもとら

fやさし 女 性

‑音楽によって心を癒されうとる、。」れは人間であればど」の国でも人種の差別なく同じであ ると思う。悲しい事に合 悲しい静かな曲ですこしずつ元気になれるものです。60 lr愛する心は同じで あiると思う。心ひとつ音楽に向かう』とで共

41歳 男 性

‑音楽を聴く」とにより心に伝わるものがあると思う(生音)037宣 男 性 一

質 問 項 目 ② の 分 析 … 理 由 の 内 訳

記 述 さ れ た 理 由 の う ち 「 言 語

J

との 比 較 か ら 説 明 し て い る も の が 多 い 印 象 が あ っ た た め 「言語jを キ ー ワ ー ド と し て 分 析 を 行 っ た の が 以 下 の 結 果 で あ る。「その他」の理由が多種多様である 中、「言語J は 30パ ー セ ン ト の 割 合 を 占 め て い たo

一一一戸一一『 一苦言ふ

' r U

'l から説明Lて :,..:Jr;<:cFf". it&Wi誕磁麗籾蜘』 いるもの │ 

持 団 鐙 往 欝 鰹 欝 強

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日 : 捌 ご 日 器 撤 轄 臓 器 機 購 器 、

"μ 院 部 開 鮮 品 雌 梯 縫 組 慰 霊 亜 亜 碍 錨 濯 韮 明 君 汐 " "

仏総擁護議癒議議鱒議議総 │ 

否認との比較から説明しているもの 34 

(6)

③ 来 場 者 フ ェ イ ス シ ー ト ( 年 齢 、 住 ま い の 場 所 、 性 別 )

蹴 一 女 性 「 張 回 答 │ 合計 1  7 2  I 112  I 

無回答 諒早市その他無日答

1..  100 せ @

│住まい

I !

10歳未満

20 :)(1

n .   r

音 楽 は 国 境 を 越 え るj と い う 意 識 の 形 成

民 族 音 楽 の 学 問 分 野 で は 結 論 の 提 出 が 難 解 な テ ー マ で あ る に も か か わ ら ず 、 本 ア ン ケ ー ト で は

97

パ ー セ ン ト の 回 答 者 が 「 音 楽 は 国 境 を 越 え る 」 と 回 答 し たD ま た 、 前 項 ア ン ケ ー ト 分 析 の ②

‑ 2

か ら 言 語 と の 比 較 か ら そ の 理 由 を 説 明 し て い る も の が 多 い こ と が 分 か っ たo よ っ て こ こ で は 言 語 と の 関 係 性 を 手 が か り と し て

「 音 楽 は 国 境 を 越 え る 」 と い う 意 識 が い か に 形 成 さ れ る か に つ い て 考 察 を 行 い た

言 語 に よ る 情 報 の 移 動 は 、 一 般 的 に 次 の [ 図 表

2 1

の よ う に 捉 え ら れ て い るD

こ の 図 か ら 、 情 報 は 送 り 手 か ら 受 け 手 へ と 流 れ る 方 向 性 で あ る こ と が 確 認 で き るo

また言語によるコミュニケーションでは、「共有された知識」が必要であることも 示 さ れ て い るo つ ま り 、 受 け 手 は 送 り 手 か ら の 言 語 化 さ れ た 情 報 を 言 語 処 理 す る だ け の 語 葉 や 言 語 に 関 す る 規 則 を 持 ち 合 わ せ て い な け れ ば 情 報 を 受 信 で き な い と い う こ と に な るo

で は 、 音 楽 が 送 り 手 か ら 受 け 手 へ と 移 動 す る 場 合 は ど う で あ ろ う か 。 一 般 的 に

(7)

は 、 言 語 と 同 様 に 捉 え ら れ て い る と 思 わ れ る 。 し か し 、 音 楽 記 号 学 者 で あ る ジ ャ ン = ジ ャ ッ ク・ナティエは、「発信者→メッ セ ー ジ → 受 信 者

J

という図式を

「古くさいコミュニケーション 理 論 図 式jとして、{図表

3]の

ような図式を示している。

こ こ で は 創 出 さ れ た 音 楽 は 楽 譜 で あ れ 演 奏 で あ れ 「 痕 跡J と 呼 ば れ 、 受 信 者 で あ る 聴 き 手 は そ れ を 主 体 的 に 解 釈 し て 受 け 取 る と い う 図 式 が 示 さ れ て い るO

つまり、音楽は送り手(作曲者、

演 奏 者 ) の 意 図 が そ の ま ま 忠 実 に 受 信 者 ( 聴 き 手 ) に 伝 わ る と い う も の で は な い と い う こ と を 示 唆 し て い るO ま た 合 せ て ナ テ イ エ は 、 音 楽 の 捉 え 方 に も 示 唆 を 与 え て い るo そ れ は 、 多 く の

そ の 音 楽 文 化 の 常 識 な ど ー ー が あ る こ と が 望 ま し い だ ろ う 。 し か し 、 ナ テ ィ エ が 示 す よ う に 受 け 手 が 積 極 的 に 解 釈 し 受 け 取 っ て い る こ と も ま た 一 つ の 事 実 で あ る 。 以 上 を 図 示 す る と 【 図 表

] の よ う に 整 理 さ れ るD

言語飽コミュニケーション過程

【図表3]

深田博己(1999)p.40より引用

l  i 

作 曲 家 が と る 「 音 楽 作 品 は 作 曲

活 動 や 作 品 の 成 立 状 況 の す べ て を 考 え 合 わ せ な け れ ば 意 味 を 持 た な し リ と い う 見 解 や 、 「 音 楽 は 現 に 聴 き 理 解 し て い る 限 り の も の と し て し か 存 在 し な い 」 と い う 一 般 論 や 、 「 音 楽 作 品 は す べ て 作 品 の 持 つ 内 在 的 な 特 徴 に 還 元 す る こ と が で き るjと い う 構 造 主 義 の 立 場 、 そ の い ず れ に も 還 元 す る こ と は で き な い と い う も の で あ る

(ナティエ,

1996: pp.( l ) ー ( 2 )

より筆者要約)。

音 楽 も よ り よ く 理 解 し よ う と す る な ら ば 、 言 語 と 同 様 に 「 共 有 さ れ た 知 識j一 一 音 楽 的 な 語 議や様式、音楽に関する規則、

痕跡

ジャン=ジャック・す子ィヱ(1996)p.19より作図

【図表4]

発信者

発信者

五 日

・‑z

一 一 = ロ

受信者

音 楽

受信者

(8)

受 信 者 の 立 場 と な っ て 考 え て み る と 、 言 語 の 場 合 、 発 信 者 が 何 か を 伝 え て よ う と し て も 受 信 者 が 言 語 処 理 で き な い 時 は 「 理 解 で き な か っ たJ と感じ る の に 対 し 、 音 楽 の 場 合 、 ナ テ ィ エ の 図 式 か ら 考 え る と 、 発 信 者 が 創 出 し た 音 楽 を 受 信 者 は 自 由 に 解 釈 し て 受 け 取 る た め 「 理 解 で き な か っ た 」 と い う 想 い は 抱 か な い と い う こ と に な る 。

ま た こ れ に 加 え て 音 楽 は 言 語 に 比 べ て 表 現 す る も の が 抽 象 的 で あ り 、 受

け 手 の 自 由 度 が 高 い と い う 特 性 も 関 係

していると考えられる(【図表

5

]を参

照)。

以 上 の こ と か ら 、 言 語 は 「 共 有 さ れ た 知 識J が な け れ ば 情 報 を 受 信 す る こ と が で き な い が 、 音 楽 は そ れ が な く て

【図表5

【図表6】

音楽と言語の特性比較

音楽

三壬き五Eヨロロ

抽象的 表現するもの 具体的

高い 受け手の自由度 低い

言語の場合 『共有された知識」がないとコミュニケーションが成立しない 音楽の場合 『共有をれた知議』がなくてもコミュニケーションが成立する

'

(……一

ないが、自ら積筏約に解釈し音楽を受容しているL

\1;HFIIll~)O)Æ:.jl'gìffiLJ\!I;j:

r~~…時料理解できる』ーが生*n.Q

も 情 報 の 送 受 信 が 成 立 す る 。 こ こ か ら

│ 

音 楽 は 国 境 を 越 均 出 意 識 の 形 成

「 言 語 は わ か ら な く て も 音 楽 な ら 分 か

……一………一…一…一

j つ ま り 「 音 楽 は 国 境 を 越 え るj と い う 意 識 が 形 成 さ れ る も の と 考 え ら れ る 。 こ れ が 本 稿 の 結 論 で あ り 、 ま と め る と 【 図 表 6]のように整理される。

m .

再 び 「 音 楽 は 国 境 を 越 え る の かj に つ い て

先 日 、 日 本 、 中 園 、 韓 国 の 三 ヶ 国 の 学 生 に よ る 交 流 コ ン サ ー ト を 聴 く 機 会 に 恵 ま れ た 。 国 際 交 流 を 目 的 と し て い る こ と も あ り 、 演 奏 だ け で は な く ス ピ ー チ を 交 え た プ ロ グ ラ ム 構 成 と な っ て い た

1

1

人 の 学 生 が ま ず 母 国 語 で ス ピ ー チ を 行 い 、 そ れ を 日 本 の 学 生 が 翻 訳 を し 、 そ の 後 、 演 奏 を 行 う と い う 流 れ で あ る 。 曲 目 は 、 い わ ゆ る ク ラ シ ッ ク 音 楽 が 中 心 で あ っ た が 、 い く つ か は 自 国 の 民 族 楽 器 を 用 い て の 伝 統 音 楽 の 演 奏 も 含 ま れ て い た 。 ど の 国 の 学 生 の 演 奏 も そ れ ぞ れ に 良 さ や 特 徴 が あ り 、 「 理 屈 を 超 え 、 や は り 音 楽 は 国 境 を 越 え る

J

と 思 わ せ ら れ る も の で あ

ったO

さ て 、 「 音 楽 は 国 境 を 超 え な い 」 と す る 民 族 音 楽 に お け る 見 解 は 、 安 易 に 白 文 化 の 尺 度 で 他 文 化 を と ら え て し ま う こ と へ の 警 鐘 で あ る 、 と 私 は 捉 え て い る 。 民 族 音 楽 学 者 ・ 徳 丸 吉 彦 は 次 の よ う に 述 べ る 。

音 楽 が 「 国 際 的Jだ 、 と い う 表 現 は 、 言 語 が 異 な る 割 に 、 類 似 の 音 楽 様 式

(9)

を も っ て い た ヨ ー ロ ッ パ の 一 部 が 言 い 出 し た こ と で あ る 。 ド イ ツ 語 と フ ラ ン ス 語 が 異 な る の に 、 バ ッ ハ が フ ラ ン ス の 管 弦 楽 法 を 使 い 、 フ ラ ン ス の 聴 衆 が モ ー ツ ア ル ト を 聴 い た り す る の を 見 れ ば 、 な る ほ ど 、 狭 い 地 域 で は 、 音 楽 は 言 語 よ り は 国 境 を 容 易 に 超 え る 、 と い う こ と を 感 じ た 人 々 が い て も 不 思 議 で は な い 。 し か し 、 こ れ を 拡 大 し て 使 う よ う に な る と 、 大 き な 間 違 い を 犯 す こ と に な る 。 世 界 中 に 国 々 を 越 え て 「 普 遍 的 にj通 用 す る よ う に な っ た 音 楽 様 式 は な い 。 ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 第 九 交 響 曲 が 東 ア ジ ア の 日 本 で 歌 わ れ て い る か らといって、それは、世界の音楽として通用するものではない。これを歌い、

聴 く の は 、 ド イ ツ 文 化 、 と く に ド イ ツ の 文 芸 と 音 楽 の 基 礎 を な す 部 分 が 教 育 さ れ て い る 国 に 限 ら れ る か ら で あ るo (徳丸吉彦

1996:  p.139

1 4 0 )

徳 、 丸 が 指 摘 す る よ う に 、 あ る 文 化 の 音 楽 を 本 当 の 意 味 で 分 か る た め に は 、 そ れ 相 応 の 教 育 が 施 さ れ て い た け れ ば 理 解 は で き な い 。 西 洋 音 楽 を 理 解 す る た め に は 、 や は り 西 洋 音 楽 の 基 礎 的 な 部 分 の 教 育 が 必 要 と な り 、 あ る 民 族 音 楽 を 理 解 し よ う と す る な ら ば 、 や は り そ の 民 族 の 文 化 に つ い て 学 ぶ 必 要 が あ るO そ こ に 音 楽 教 育 の 一 つ の 可 能 性 が あ る と も 言 え るo そ し て ま た 、 時 を 超 え 、 文 化 を 越 え て の 普 遍 的 な 音 楽 と い う も の は 存 在 し な い で あ ろ う こ と も 確 か で あ る 。

しかし、「通じ合いたい」という「想しりや「願しリを持つ人々の交流の場では、

や は り 音 楽 は 国 境 を 越 え る の で あ るo それは思考を伴う頭での理解ではなく、想、

い を 受 け 取 る 心 で の 交 流 と い う 意 味 に お い て で あ るD そ し て 、 そ の 想 い や 願 い が きっかけとなり、本当の意味での異文化理解、相互理解の道が開けるのであれば、

そ れ は 素 晴 ら し い こ と で あ ろ う 。 こ の 意 味 に お い て 、 私 は 次 の 民 族 音 楽 学 者 ・ ブ ラッキングの意見に心から同感する。

音 楽 学 と 民 族 音 楽 学 に 関 心 を 抱 い て い る 人 達 は 、 私 が 、 さ ま ざ ま な 音 楽 シ ス テ ム を 比 較 す る 基 盤 は 何 も な い と か 、 音 楽 行 動 に 関 す る 普 遍 的 理 論 は 可 能 性 が な い と か 、 通 文 化 的 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン は 全 く 期 待 で き な い と か 言 っ て い る よ う で 、 失 望 す る か も し れ な いD し か し 、 わ れ わ れ 自 身 の 経 験 を 考 え て み れ ば 、 実 際 に は そ う で な い と い う こ と が わ か る は ず で あ るD 音 楽 は 時 間 と 文 化 を 越 え る こ と が で き るOモ ー ツ ア ル ト や ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 時 代 の 人 々 の 心 を 興 奮 さ せ た 音 楽 は 、 わ れ わ れ が 彼 ら と 文 化 も 社 会 も 共 有 し て い な い に も か か わ ら ず 、 今 も な お わ れ わ れ の 心 を 興 奮 さ せ る 。 ( 中 略 ) 同 様 に 何 百 年 も 前 に 作 ら れ た に 違 い な い 幾 つ か の ヴ ェ ン ダ の 歌 は 、 今 も ヴ エ ン ダ の 人 々 を 、 そ し て 私 を 、 興 奮 さ せ るo ( 中 略 ) 私 は 、 わ れ わ れ が そ れ ら の 音 楽 を そ の 演 奏 者 と 全 く 同 じ 仕 方 で 受 け 取 っ て い る と は 言 わ な い が 、 わ れ わ れ 自 身 の 経 験 は 、 通 文 化 的 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に 何 ら か の 可 能 性 が あ る こ と を 思 わ せ る 。 こ れ に つ い て の 説 明 は 、 音 楽 の 深 層 構 造 の レ ヴ ェ ル に は 、 た と え 、 そ れ が 表 層 構 造 に は 現 れ な く て も 、 人 間 の 精 神 に 共 通 の 要 素 が あ る と い う 事 実 に 見 出

(10)

す べ き だ と 、 私 は 確 信 し て い る 口 ( ブ ラ ッ キ ン グ

1978:  p.155

156)

以 上 の よ う に 、 表 層 構 造 レ ヴ ェ ル 一 一 様 式 や 音 列 の 構 成 の レ ヴ ェ ル ー ー で は 音 楽 は 国 境 を 超 え な い こ と は 事 実 だ が 、 人 間 の 精 村iと い う 深 層 構 造 レ ヴ ェ ル に お い て そ れ は 可 能 で あ る 、 と ブ ラ ッ キ ン グ は 述 べ る 。

「音楽は国境を越える

J

一 ー そ の 言 葉 の 根 底 に あ る も の は 、 国 や 言 葉 が 違 く と も 何 か で 通 じ あ い た い ( 通 じ 合 え る は ず だ ) と い う 想 い や 願 い な の で は な い か 、 と 私 は 考 え るo

こ の 点 に つ て は 、 柘 植 元 一 (1991)の 「 音 楽 の 普 遍 性Jpp.227231に 概 説 的 で 詳 し い 記 述がある。

付 記

本 研 究 は 、 長 崎 大 学 大 学 高 度 化 推 進 経 費 「 新 任 教 員 の 教 育 研 究 推 進 経 費 」 か ら の一部支援を受けた。

引 用 ・ 参 考 文 献

柘 植 元 一

(1991) W

世 界 音 楽 へ の 招 待 』 音 楽 之 友 社 徳 丸 吉 彦

(1996)

W民 族 音 楽 理 論 』 放 送 大 学 振 興 会

ナティエ,ジャン=ジャック

(1996)

W音 楽 記 号 学 』 足 立 美 比 古 訳 , 春 秋 社 ネ ト ル , ブ ル ー ノ . 細 川 修 平 訳

(1989)

W世 界 音 楽 の 時 代 』 勤 草 書 房 深 田 博 巳

(1999)

Wコ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 心 理 学 』 北 大 路 書 房

ブ ラ ッ キ ン グ , ジ ョ ン

(1978)

~人間の音楽性』徳丸吉彦訳,岩波書応

参照

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