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社会福祉学科教授清水海隆

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Academic year: 2021

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黒澤雄三郎先生の御退職によせて

社会福祉学科教授清水海隆

 立正大学社会福祉学部(社会福祉学科)教授黒澤雄三郎先生は,1934(昭和9)年9月のお 生まれであり,2004(平成16)年9月にめでたく70歳の古稀を迎えられた。立正大学の規定に

よる教員の定年年齢である。よって,先生は今年度末で退職される運びとなった。ここに社会 福祉学部の教員の一人として,はなはだ僧越ではあるが,先生の本学在職中のこ労苦に感謝す

る意味で,拙辞を捧げることとしたい。

 社会福祉学部は1996(平成8)年4,月に立正大学短期大学部社会福祉科・幼児教育科を改組 して開設されたが,黒澤先生は担当科目の開設年次の関係で翌年着任された。以来8年間にわ たり,社会福祉学部において養護学校教諭資格取得を目指す学生の教育ならびにその進路決定

にご尽力をいただいたのである。

 先生は,1957(昭和32)年に教職に就くことを目標として埼玉大学教育学部中学校課程美術

科に入学し,中学校教諭(図画工作)・高等学校教諭(図画・工作)の教員免許を取得して,

1961年3月同大学を卒業された。その後,すぐに埼玉県下の教育現場に身を投じ,36年間にわ

たって学校および教育行政という教育現場で活躍をされている。.

 まつ,大学卒業と同時に南埼玉郡蓮田町立蓮田中学校において教員歴を開始し,2年後の 1963年には北足立郡戸田町立戸田中学校に転出されている。戸田中学校には13年間在籍されて いるが,その間1971年目は養護学校教諭の資格を取得され,同校内に新設された特殊学級にお いて5年間にわたり担任をされている。先生と特殊教育の関わりの始まりである。

 その後,1976年には埼玉県立川口養護学校に移られ,また,1978年の川口養護学校三郷分校

開設準備委員就任,同分校教諭を経て,1980年には埼玉県立三郷養護i学校教諭に就任されてい

る。この後,先生はしばらく学校現場から教育行政に移られ,1981年に埼玉県立教育センター 指導主事,1983年には埼玉県教育局特殊教育課指導主事に就かれたが,1984年以降は管理職と して特殊教育現場に戻られた。すなわち,同年埼玉大学教育学部附属養護学校副校長,1986年

埼玉県立久喜養護学校校長,1988年埼玉県立川口養護学校校長,1991年越谷西養護i学校校長を

歴任されたのである。管理職としての就任は先生を諸委員会の役職に導き,1985年埼玉県特殊 教育放送教育研究会副会長,1987年同会長,1988年埼玉県特殊教育振興協議会委員,1992年埼 玉県特殊教育研究会副会長,1994年埼玉県特殊教育学校校長会副会長,同年全国精神薄弱養護 学校校長会埼玉県委員・監事および全国特殊教育学校長会監事など,県内および全国の特殊教

育関係校長会の役員の責を務めている。

 このように先生は,その経歴の多くの部分を教職,とくに特殊教育の分野で活躍され,障害

児教育にその力を傾注されてきたのであり,現在でも先生の後輩の方々が県内各校で管理職と

(2)

して活躍されているとのことである。

 一方,社会福祉学部では学部設置の準備段階より,社会福祉に密接に関係する主要な領域の 一として養護学校教諭資格取得を位置付け,さらに加えて,地元埼玉県下を中心とした周辺地

域の特殊教育事情に精通した方を教員に迎えたいという意向が強く打ち出されていた。

 そして,ようやく1997(平成9)年4月,先生は立正大学社会福祉学部に特殊教育論,特殊 教育課程論,特殊教育実践の研究1・Hをはじめとする科目を担当する助教授として着任さ

れ,2002年には教授に昇格されたのである。

 立正大学ではすでに中学校・高等学校の教員養成が各学部の専門性に応じて行われていた が,養護学校教諭の養成は社会福祉学部の開設に伴って始められた新しい分野である。このた

め先生は着任早々より担当授業はもちろんのこと,養護学校教諭のための教育実習準備等々,

山積する仕事への対応を迫られ,教職を担当されていた武内二三雄先生とともに日々ご尽力を いただいたのである。それらは,教育実習校の開拓・調整といった事務的事項,学生の実習の

事前準備・実習中指導・事後指導といった授業外での学生指導:,さらには,余り求人数あ多く

ない特殊教育現場への就職を目指す学生のための進路相談・採用試験対策等々多岐にわたって いた。今振り返ってみると,あまり周囲には漏らされなかったが,さぞやご苦労されたことと

頭の下がる思いである。

 黒澤先生はご存知の通り,小柄な体躯に白髪まじりの髪をなびかせている。そして,お会い するといつもにっこり微笑んでいる。人柄も温和で声を荒げた場面を思い出すことができな い。着任当初,同じ教育現場とは言っても私学の大学であり,何か事務的な事柄に戸惑うこと があるとよくご相談をいただいた。若輩の筆者にも丁寧に質問され,こちらがかえって恐縮す る思いであった。また,学生への指導も丁寧になされており,研究室や戸外で学生に囲まれて 談笑する先生の姿をたびたび拝見している。先生のご指導によって養護学校現場への就職がか なった学生の感謝の声は多く寄せられており,先生の人柄は孫のような世代の学生にも伝わっ

ていたのであろう。羨ましい限りである。

 お互いに車で通勤していたため,私事を話すことは大学では多くはなかったが,ある年の珍 しくまとまった降雪のあった翌日,大学でお会いした時には,雪かきの話で盛り上がった記憶 がある。その時は,先生がお住まいの寄居町(埼玉県)では熊谷市以上に降雪があり,朝大学 に出勤する前に道路の確保のたあに雪かきをしなくてはならなかった。その様子を腰が痛いと 言いながらも少年のように楽しげに,微笑を浮かべて語られていた。その微笑みの様子は忘れ

ることができない。

 さて,人生80年時代とも言われる昨今,70歳での定年退職は社会からの定年でないことはも

ちろんであろう。一方で,障害児もしくは障害児教育を取り巻く環境は,残念ながら十分に

整っているとは言いがたいのが現状であろう。先生には今後とも地域社会や教育現場におい

て,今まで培ったご経験を活かして,障害を持って生きてゆく子どもたちのための活動にご尽

力をいただけるものと確信している。

(3)

 先生の立正大学社会福祉学部における8年間のご尽力に感謝し,また今後ますますご健康で

なお一層活躍されることとを祈念しつつ,拙辞を捧げるものである。

参照

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