• 検索結果がありません。

奈良県小学校社会科教育の歩みとその独自性 −「

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "奈良県小学校社会科教育の歩みとその独自性 −「"

Copied!
19
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

奈良県小学校社会科教育の歩みとその独自性 −「

奈良県小学校社会科教育課程」の変遷を中心にして

著者 田渕 五十生

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 36

号 1

ページ 45‑62

発行年 1987‑11‑25

その他のタイトル The History and Its Characteristic Features of Social Studies Teaching in Primary Schools in Nara Prefecture

URL http://hdl.handle.net/10105/2064

(2)

奈良教育大学紀要 第36巻 第1号(人文・社会)昭和62年 Bull.Nara Univ.Educ.,Vol.36,No.1(cult.& soc.),1987

奈良県小学校社会科教育の歩みとその独自性

‑ 「奈良県小学校社会科教育課程」の変遷を中心にして‑

田淵五十生

(奈良教育大学社会科教育教室) (昭和62年4月20日受理)

1.はじめに

1947年(昭和22年)、超広頚城の総合教科、社会科が発足した。それは、従来の歴史・地理・

修身とは全く異った学習方法を要求するもので、教育現場は一時大混乱に陥った。しかし徐々に、

民主教育の中核教科として意欲的に取組まれ、熱烈な社会科ブームを招来した。けれども、「地 理、歴史の基礎学力低下」批判の前に、そのブームもいつの間にか衰退してしまった。

事実、社会科ほどその性格が大幅に変化した教科はめずらしく、教科の存続をめぐる論議が今 なお継続している(1)

。社会科動揺の原因として、次の二つのことが指摘されている。その一つは、

戦後の左右の思想的対立が、教育内容に直接反映されたという政治問啓であり、もう一つは、

「問題解決学習か系統学習」という教科構造そのものに起因する問題である。

そのような対立が、奈良県という地域に鋭く現象したことは言うまでもないが、奈良県では、

少し興った展開過程を示し、社会科教育実践における独特な様相を皇したのである。というのも、

他府県において、文部省「学習指導要頚Jのカリキュラムがストレートに導入されたのに対して、

奈良県では、県独自の社会科カリキュラム案が作成され、それに基づいて、独自な実践が追究さ れたからである。特に自由な実践が奨励された初期社会科の展開期が他府県より比較的長く、そ の間優れた実践が数多く報告された。

社会科の誕生期、「川口プラソ」と双壁をなしたのが「奈良プラソ」であった。それは「学習 指導要領」の作成者、重松麿泰氏を主事に迎えた奈良女高師附属小学校の教師集団によって実践 されたものである。彼の指導は女高師附小に限定されたものではなく、県下各地に、重松主事を 開む研究会が組織された。

その典型が、1948年(昭和23年)の奈良県社会科作業単元委員会である。メソバーは、奈良の 地域に即した社会科をつくるため、「何を、どう教えるか」を熱心に討議し、その結果を、『奈 良県社会科作業単元基底要覧』として発表したのである。それは、文部省の『小学校社会科学習 指導要領補説』と同時に刊行され、その内容的先取りを行ったものであった。このような意欲的 な雰囲気のなかで、県下各地に、社会科地域教育ブラソが作成され、奈良県は、社会科教育にお ける先進県として、全国から注目を集めるに到ったのである。

本稿の狙いは、小学校社会科に限定して、つぎの3点から、奈良県初期社会科の通産が、どの ような形で発展・継承されたのか、それとも継承されなかったのかを考察し、奈良県社会科の独 自性を確認しようとするものであるO

(1)奈良県社会科教育の歩みを整理して略年表に素描する0

45

(3)

(2)奈良県独自の社会科教育課程(カリキュラム)案の変遷をたどり、その特色を明らかにす る。

(3)奈良県小学校教科等研究会・社会科部会の研究大会に注目して、奈良県社会科の現状と、

その特徴を明らかにする。

以上の報告を通して、奈良県社会科の発展に、いささかの提言ができれば望外の喜びである。

2.奈良県小学校社会科教育の歩み 一一一略年表を中心にして‑

奈良県の小学校社会科教育の軌跡を整理した文献として、 『奈良の社会科  奈良県社会科教 育の系譜一一』と、 『追究する子‑一一奈良の社会科40年I‑‑一刀の2冊がある。いずれも、奈良県 小学校教科等研究会・社会科部会(以下、県小社研)が刊行したものである。

『奈良の社会科』は、 1975年(昭和50年) 、近畿社会科教育協議会(以下、近社研)第22回研 究大会が奈良市飛鳥小学校で開催された記念として出版された。これは、奈良県社会科教育の実 質的30年史で、 500頁に達する大冊であり、初期社会科の展開過程を知る貴重な文献である。ま た、 『追究する子』は、 1986年度、全国小学校社会科研究協議会・奈良大会を記念して刊行され た冊子で、その前半部に、県小社研の歩みが綴られている。

前者は、あまりにも膨大な資料を収録しているが故に、後者は、研究会中心の編成がなされて いるが故に、いずれも編年史的動向が把握しにくい構成になっている。両書から、奈良県教育委 員会、又は県小社研が全県的規模で取組んだ動向を整理したのが、次頁以下の略年表である。右 側に、社会科教育をめぐる全国的動向を書き添えた。奈良県社会科の簡略な推移を知る手がかり になれば幸いである。

午 (昭 和 ) 奈 良 県 小 学 校 社 会 科 教 育 を め ぐ る 動 き 文 部 省 . 全 国 的 動 向

1945 年 20

46 年 (2 1)

47 年 22 )

48 年 (23 )

49 年 (24 )

「奈 良 県 公 民 教 育 研 究 会 」 開 催 、 奈 良 師 範 附 属 国

「新 日本 建 設 の 教 育 の 方 針 」 修 身 . 国 史 及 び 地 理 科 の 停 止

「国 民 学 校 公 民 教 師 用 言 」 民 学 校 、 公 民 教 育 を 開 始 す る ○ の 禿 行

奈 良 師 範 男 子 部 附 小 「社 会 科 指 導 計 画 」 の 発 表 「学 習 指 導 要 債 社 会 科 篇 重 松 鷹 泰 氏 、 奈 良 女 高 師 附 属 小 主 事 に 着 任 ( I ) 試 案 」 の 発 表

「小 学 校 社 会 科 学 習 指 導 要

「奈 良 県 社 会 科 教 育 研 究 会 」 の 発 足 ○ 小 . 中 . 高 の 合 同 研 究 会 で 約 10 年 間 継 続 す る0

『奈 良 県 社 会 科 作 業 単 元 基 底 要 覧 j 発 行

「桜 井 三 小 プ ラ ソ 」 の 実 施 (磯 城 郡 桜 井 町 桜 井 頚 補 説 」 発 行

小 、 桜 井 南 中 、 城 島 小 ) コ ア . カ リ キ ュ ラ ム 連 盟 結

「奈 良 プ ラ ン 」 の 実 施 (女 高 師 附 小 ) 成

歴 史 教 育 者 協 議 会 結 成

「吉 城 プ ラ ソ 」 の 実 施 (奈 良 師 範 女 子 部 附 小 )

女 高 師 附 小 『た しか な 教 育 の 方 法 』 出 版

(4)

奈良県小学校社会科教育の歩みとその独自性

50年(25) 51年(26)

52年(27)

55年(30)

56年(31) 57年32

58年(33)

61年(36)

63年(38) 65年(40)

68年(43) 69年(44) 71年(46) 73年(48) 75年(50) 75年(52)

女子師範附小『奈良吉城プラソー一一生活カリキュ ラムの実践』出版

『奈良県社会科教育課程(案) 』 (25年版)発行

『改訂晩成プラソ』 (高市郡八木町 晩成小、コ ア・カリキュラム)出版

『奈良県社会科教育課程(秦) 』 (27年版)発行

『生駒郡社会科教育課程』広岡亮蔵氏の指導で発

「奈良県社会科教育研究協議会」の発足 小中合 同‑‑40年に改称

近着社会科教育研究会( 「近社研」に加盟する。

第1回「奈良県社会科教育研究大会」開催 F奈良県改訂小学校社会科教育課程』発行 同和教育との関連を考慮する。

第4回「近社研大会」開催(奈良市 飛鳥小) 副読本『わたしたちの大和』発行

『奈良県小学校社会科指導計画』発行

「小・中学校社会科診断テスト」の実施を開始す る。

第10回「近杜研大会」開催(大和高田市 高田小

「奈良県小学校教科等研究会・社会科部会(県小 社研) 」と改称し、小中分離し、研究助成金の対

象となる。

副読本『わたしたちの郷土 奈良県のくらし』発 行

第16回「近社研大会」開催(生駒郡生駒町 生駒 台小)

F奈良県小学校指導計画の手びき』 (71年版)発

教育放送「わたしたちの郷土奈良県」 (4年生番 組)の放送開始

第22回「近社研大会」開催(奈良市 飛鳥小) 県小社研『奈良の社会科』 (30年史)の出版 教育放送「わたしたちのくらし」 (3年生用番組)

「小学校学習指導要領社会 科編(試案) 」 (26年版) 発表

「小学校学習指導要領社会 科編」 (30年版)発表

「小中学校学習指導要領」

(33年版)告示

社会科の初志をつらぬく会 発足

教育科学研究会発足

「小学校学習指導要領」

(43年版)告示

「小学校学習指導要領」

sm

(5)

79年(54) 81年(56) 86年(61)

の放送開始

r奈良県小学校指導計画の手びき』 (79年版) m&

第28回「近社研大会」開催(桜井市 城島中) 全国小学校社会科教育研究大会開催(あやめ池小

・生駒小)

県小社研『追究する子』 (40年史)の刊行

(52年版)告示

臨教審、低学年社会科廃止

「生活科」に統合を示唆

3.奈良県小学校社会科教育課程の変遷とその特色

本節では、奈良県小学校社会科教育課程の変遷を辿り、その特色を確認すると同時に、それを もたらした要田について考察してみたい。

略年表の太字部分は、奈良県教育委員会(その前身、奈良県学務謀も含む)が刊行した社会科 教育課程(塞)である1957年の『奈良県改訂小学校社会科教育課程』からは、 「学習指導要領」

の改訂をうけて作成されるようになったが、それ以前は、 「学習指導要償」の発表とは別個に作 成されたものである。

まず、注目したいことは、奈良県において、独自な社会科教育課程(カリキュラム)案が、前 後7回に亘って作成・刊行され続けた事実である。県単位で独自のカリキュラム編成を行ったケー スは、極めてめずらしく、ここに、奈良県社会科教育の独自性と、その力量を確認することがで

きる。以下、その歴史的経過を、三つの時期に区切って報告する。

(1)初期社会科の展開期

奈良県独自の社会科カリキュラム編成の契機となったのは、 『奈良県社会科作業単元基底要覧』

(1948年)である。この冊子が前例となって、教育課程(塞)が刊行されるようになったのであ る。その「まえがき」に、地域の実態に即したカリキュラムの必要性と、冊子刊行の意図が、次 のように述べられている。

この大きな意義をもつ社会科の特色は、けっきょく各学校、各教師に教科課程の構成が委ねられて いるところにあると思われる。しかし、カリキュラム構成の鍵が、各学校、各教師の手に握られてい るところに、最も困難な問題もまた含まれているというべきであろう0 ・‑中略‑・

もともと、文部省が示したコース・オブ・スタディは、そのはじめに述べられているように、児童 自身の日常生活に存在する問題を発見するためのものであり、児童の生活、学校及び地域社会の特性 に応じて、独自のカリキュラムを立てるための基準であり、資料であって、そこに盛られた内容はそ の性格L、抽象的であり、例示的であって、どの学校にもそのまま適用すべきではない。従って各地 域、各学校においては、文部省の教育計画を前提として、その抽象を地域の実情に応じて具体化し地 域の立場から協力分担して、独自の指導計画をたてることが大切になってくる。 ‑中略‑

文部省においても、社会科教育の現状を打開するために、近く配布される筈の社会科指導安値補説 籍の中で、各地域における作業単元基底設定例をあげるとのことであるが、その線に沿って設けられ たのが、奈良県社会科作業単元基底設定委員会である。

この委員会は、奈良女高師附属小学校の重松主事を委員長として、後述の構成員で六月に組織され

(6)

奈良県小学校社会科教育の歩みとその独自性

49

たO仕事は先ず問題の発見、単元題目の設定に始まり、それに伴う目標、具体的目標、学習活動展開 要領、学習効果の判定等について熱心な研究討議がつづけられた。‑中略‑

要は、作業単元の基氏であって、児童生徒の社会的経験をより豊かにより有効巣なものに発展させて、

立派な社会人を育てあげるために、各学校で行われる各種の調査、問題の発見、作業単元の設定、実際指 導等の際に、このささやかな冊子がいくらかでも役立てば、その使命は達せられるのである(2)

冗長さを顧みず棲々引用したのは、この「まえがき」に、初期社会科の教材編成の基本理念が 明言されているからである。また設定委員会の見識の高さがこの文章に端的に示されている。こ の時の単元一覧表と、基底委員会の構成員は、次の資料1に示すとおりであるO特に興味深いの は、単元の具体的展開事例として示された第4学年の「つつみと私たち」である。ため池のつつ みを主題にした学習活動例が豊富に示され.'二1)奈良盆地なら、どこでも展開可能な単元である。

資料1『奈良県社会科作業単元基氏要覧』

a.単元一覧表

第一一学年 ・私たちの学校 ・おともだち ・たのしいお家 ・私たちの通学道 第二学年 ・お店ごっこ   ・ゆうぴんやさん  ・お百姓さん  ・私たちの村

・火の用心

第二学年 ・町と村のくらし  ・のりもの ・たべものと着物 ・動物と私たち 第四学年 ・昔の人の生活 ・昔の交通通信 ・大和の産物 ・つつみと私たち 第五学年  ・豊かな生活  ・山と海  ・奈良県の産業と日本  ・いろいろの役所 第六学年  ・新聞とラジオ  ・̲̀1二業と動力  ・貿易  ・世界の人々

b.奈良県社会科作業単元基底設定委員 奈良女高師附属小学校主事

同      教      諭 奈 良 高 等 学 校 教 諭

奈良師範男子部附属小学校教諭

同女子部附属小学校教諭 奈 良 市桜 井 小 学校 教 諭 山 辺 朝 和 ′」、学 校 教 諭 生駒 郡 筒 井 小学校校 長 磯城郡桜井 中学校 教諭 磯城郡桜井 小学校 教 諭

宇 郡 大 野 小 学 校 教 諭

高 市郡 八 木 中学校 教 諭 北葛城五位 掌 小学校 長

桜 井 高 等 学 校 教 諭

南葛城郡菖城中学校教諭

吉 野 下 市 中 学 校 教 諭 奈 良 県 学 務 課 長 奈  良  県  税  学

重 松 鷹 泰 倉 富 崇 人 :si 呈  闇  闇 坂  >[蝣 義 杜 松 本 義 光 久保間    浩 高 田 永 輝 抹 間 藤 II

h¥  行 煉 f言

.星,I lm  蝣蝣a  鮮

山 本 斉志雄

杉 本    繁 g^Ki  劉 m 武 若 武 作 tl  色 I'H 郎 中 野 [J^Kil

森  本  蝣 IH

足  ¥f.   浩

1‑. 杵    実

(7)

奈 良 県 指 導 視 学       林       巽 同       今 西 宗 一一 同      太 田 清 治

この基氏設定委員会のメソバーは、いずれも各地の優れた社会科地域教育プラソの作成者・実 践者であったO例えば、倉富異人氏は「奈良プラソ」、久保田浩氏は「吉城プラソ」、山本貴志姓氏は

「桜井三小プラソ」、坂井義雄氏・松本義光氏は「男子師範附小プラソ」というように‑。

「桜井.二三小プラソ」の作成に、山本喜志雄氏と共に参画した茶谷幸一・氏は、往時をふり返って、

次のように述壊している。初期社会科に注がれた情熱の一端を物語って余りあるエピソードであ るo

先ず思い出されることは、桜井町(昭和22・23年ごろ)の三小学校の20才をすぎたばかりの若い教 師が社会科発足と同時に、その指導計画の作成、授業研究にとりくみ、自主的な社会科研究発表会を 開催することが来たということである。‑+昭一

会合は、毎週1回、放課後開くことになっていた。桜井三校社会科研究室を、桜井南中の一室に設 け、社会科関係の図書をならべ、いつでも自由に閲覧出来るようにしてあったが、会場は、三小学校 輪番で、会議はいつも夜遅くまで続けられ、ほとんどの場合、会場校で全員宿直をした。当時三校と も鶏をかっていたが、会議が午前2時‑4時に及ぶこともあり、鶏の鳴き声を聞いて、急いで就寝し たことも何回かあった。戦後の食料・物質不足の時代で、夕食といえば、ねはいかゆ食にたくあん、

あぶらげの色飯といった献立が大部分であった。時には差し入れがあり、みんな斉こんだことが思い 出される。会議の度に各自の分担についての原案を印刷して提出せわはならず、若い女の先生に協力 していただいたこともあった<4)

1950年、『奈良県社会科教育課程(塞)』が発表されたが、これは、前述した『基底要覧』の 改訂版で、単元の精選を大胆に行ったものであった。改訂の主旨が、次のようにのべられている。

特に各学年の指導の角度を定め、望ましい生活経験の発展を各地域各学年学級に於て具体化される ように意を用いた。過去二年間の経験と反省によって、展開の方法もトピック間の連絡も、生活の流 れにふさわしく整理してみた(5)(傍点引用者)

この「指導の角度」という言葉は、奈良女高師附小の「奈良プラソ」の『たしかな教育の方法』

で児童の関心の発展のしかた(6)を踏まえた指導のコツ、指導の重点と理解すべき言葉である。

資料2は、この時の単元表であるが、各学年毎の「学年指導の重点と単元排列の理由」はこの

「指導の角度」に当たるものである。

資料2『奈良県社会科教育課程(秦)』(昭和25年版) 第 一学年    学年指導の重点と単元選定排列の理由

・私たちの学校  ・たのしい秋  たのしいお家 第 二学年    学年指導の重点と単元選定排列の理由

・お店ごっこ  ・のりものごっこ  ・お百姓さん  ・火の用心

第 :̲学年・   学年指導の重点と単元選定排列の理由

(8)

奈良県小学校社会科教育の歩みとその独tfl性

・動物と私たち  ・村と町のくらし  ・着物と家 第四学年・・・ 学年指導の重点と単元選定排列の理由

・昔の人の生活  ・首の交通通信   ・大和の産物 第五学年一    学年指導の重点と単元選定排列の雅由

・明かるい生活  ・奈良県の産業と日本  ・大阪 第六学年    学年指導の重点と単元選定排列の理由

・新聞とラジオ  ・動力と工業  ・日本と世界

51

この『奈良県社会科教育課程(案) 』 (昭和25年版)でなされた単元の精選化は、文部省『小 学校学習指導要領・社会科編』 (昭和26年版)でも採用される。更に、その3章「社会科の学習 内容」において、各学年の「発達の特性」が掲げられているが(7)これこそ、前述した「指導の 角度」に相当するものであった。それは、文部省の改訂委員に、奈良女高師附小の倉富崇人氏が 参画していたことと無関係ではない。彼は、数少ない現場出身の委員であった。

前述の『奈良県社会科作業単元基底要覧』 (昭和23年)の場合も、文部省『小学校社会科学習 指導要領補説』の内容的先取りがなされていたが、この頃、奈良県社会科の推進者達は、いわば 全国社会科の先駆的役割を果していたのである。もちろん、その理論的指導者として重松鷹泰上 事が存在していたことは事実であるが、県下各地に、若き実践家の群像が多数輩川していた事実 を忘れてはならないであろう。

そのような実践力量が昇華されたのが、 1952年の『奈良県社会科教育課程(塞) 』 (昭和27年 版)であった。それは、各学年の単元表から二単元を選び、その実践記録をPJ行したもので、編

集意図が、次のように述べられている。

望ましい新教育の発展のために、社会科の望ましい成長のために幾多の現実的課題を解決すべく、

委員会は、実践の跡を振り返って種々検討を加え、討議をくり返した。

その結果教育課程乃至は学習指導計画が、いかに実践の場に於て、効果的に展開したかの生の姿を 出すことが決定的なものであるとの結論に達し、赤らさまな実践記録を今回は収録しようということ になった次第である。忠実な学習指導の理解や、教育課程の構成展開が事実どのように奈良県下に行 われているのか。どんなにすれば効果的に誰もが安心して実践の歩みを進め得るのかの一一一資料として さらけ出したのである。

しかもわれわれは、われわれの自主的な弾力性あり個性豊かな具体的な展開にこそ今後の社会科発 展の鍵があると信ずるものである。単元はつくるのではなく各自が発見するものであるともいう。

指導要領を理解し優秀な計画をただ右から左に借りるだけでは社会科の進展はないO 教師の自主性自 発性に立った単元構成によってこそ効果的な指導が行われるであろう(8) (傍点,3I用者)

教育現場を信頼し、教職員の自主性を尊重しようとする発想に貫かれた文章である。このよう

に、当時の県教育委員会は、自由な実践をできるだけ保障しようとしたのである。この『奈良県

社会科教育課程(塞) 』に掲載された実践記録の単元と、その編集委員は、次の資料3に示すと

おりである。

(9)

資料3 『奈良県社会科教育課程案』 (昭和27年版) a.掲載単元名

顎‑‑一半'']蝣

第二学年

fc..^一年L

第CM'r叶・

約71f/r牛 笥A'pi「

・たのしい学校  ・村の秋

・お店  ・火の用心

・たのしいクラスの生活  ・家畜と私たちの生活

・大和の産物  ・じゅんかん道路と奈良駅

・奈良盆地とため池  ・工場

・新聞  ・税金のゆくえ

b.奈良県教育課程委員会社会科部委員 高 市 郡 晩成 小 学 校 教 諭 奈良学芸大附属小学校教諭 字 智郡五候 小学校 教 諭 生駒 郡 三 郷 小学 校 教 諭 奈 良 市 大 宮 小学 校 教 諭 山辺郡井戸堂小学校教諭 奈 良 市 飛鳥 小 学校 教 諭 奈 良 市学務 諜指 導 委 員 山 辺 郡 朝 和 小学 校 教 諭 奈良学芸大附属小学校教諭 奈 良 市 鼓 阪 小 学校 教 諭

奈 良 市 佐 保 小 学 校 教 諭

教育委員会事務局指導主事

晦 (‑‑' 英 仁 浦 西  巳代治 長 田  光 男 河 頃 fl‑j  洋

E^BiH^^E

酒 井 康 司 坂 本    学 高 凹 永 輝 箕       操 松 本 義 光 村  田     f

山 本 喜志雄

叫  n一 義 姓

1955年、文部省は、 「学習指導要領」を改訂する。復古的勢ノブは社会科に道徳的内容を要求し、

左右の党派や民間教育団体は、それぞれの立場から、歴史・地理の系統的学習を要求した。それ らの要請に応えて成立したのが1955年版「学習指導要領」であり、社会科の性格は徐々に変化し ていった。

1957年、奈良県教育委員会は、この改訂に対応しながらも‑一定の距離を置いた『奈良県改訂小 学校社会科教育課程』を発表した。次に引用するのは、 「小学校社会科教育課程の改訂について」

と題する文章である。奈良県社会科の独自性を守ろうとする作成委員会の苦渋が表現されている。

指導要領の主旨や県下の実情に鑑み、単元学習を中核とする経験を重んずる学習を展開しなければ、

社会科本来の最大使命とする人間形成上欠くことの出来ない自主的、客観的判断力や道徳的知性の啓 上酎ま観念に終わってしまうと言う、生きた十年の指導体験からの理念を再確立したい.

ただし、従来のfrい形式的活動主義‑は厳しい反省を加え、単元性格の研究、活動類型の厳選によっ て基礎的知識理解の効果的な体得、学習能率の向上を計り、知行の統一を求めたい(9)

また、道徳教育の要請に対しても、 「道徳教育(同和教育を含めて)の重要性にかんがみ、内

容l二にその点を十分配慮するo 」と述べて、観念的道徳教育の導入を警戒し、地域の主要課題で

ある部落差別の解消を、社会科教育の課題として受けとめる姿勢を示している。例えば、 6年歴

(10)

奈良県小学校社会科教育の歩みとその独自性

53

史学習「江戸幕府の政策」の「士農工商のきびしい身分制度」の指導に際して、次のような「指 導上の留意点」を設けている。

◎身分制度は現在まだ身近に残っていることに注意させ、指導の参考に「社会科における同和 教育」33頁の2を参照し、正しい民主政治のあり方をよく理解させることC10)

綜介したのは一例であるが、この外にも、同和教育の視点から、学習内容を再点検した配慮が 随所に見受けられる。このような意図的対応が他府県でなされはじめるのは1960年代の後半であ る。その意味で、奈良県社会科は、同和教育との接点を‑早く模索した独自性もしめしている。

以上のように、この『奈良県改訂小学校社会科教育課程』まで、奈良県は、「学習指導要衝」

とは一定の距離をおいて、初期社会科の精神をできるだけ守り抜こうとしているのである。資料 4は、この時の単元表である。

資料4『奈良県改訂小学校社会科教育課程』(昭和32年版)

社会科単元名一覧表 月

学 4 5 6 7 9 10 ll 12 1 2 3

1 わ たく し たち じようSi. な のりもの 楽 しい秋 年のく れ お う ち もう すぐ

の 学 校 か ら だ こ ′つ こ 二年生

2 おみせやさん 体を 守っ てく れる 駅で働く お ひや く お まわりゆう ぴ ん しようき んじ よ 人 び と 人 ぴ と し よ う さ ん さ ん と で んわぽうし よの人 ぴと

3 私たちの町(村) 保健所(診療所) 災 害 (台風)

町紺の

道 青物市場 今の村と昔の村

4 遊び とき まり

奈良盆地と吉野山地 昔 の 街 道 と国 道 大きな町とその働き

5 農山漁村の人々の働きと 日 本 の 工 業 商 業 の 発 達 と

私 た ち の く ら し 消費生活のくふう

6 みんな の意見 私 の 意 見

政 治 と 私 た ち の 生 活 貿易の発達と

交 化 の 交 流 世 界 の 国 々

(2) 「知識理解型」社会科の展開期

「学習指導要領」が官報に告示され、法的拘束力を持つようになると、奈良県社会科教育課程 は、その独自性が失われ、全国一一律のカリキュラムに近づいていく0

1961年、 『奈良県小学校社会科指導計画』が刊行されたが、それは「小・中学校学習指導要額」

(1958年版)の要請に応えたものであった。この「学習指導要領」の改訂で、「道徳の時間」が特設

され、社会科に期待されていた社会認識の実践的側面は捨象されて、社会科はいわゆる「知識理

解型」教科に変質してしまった。この変質を、最も厳しく批判したのが「社会科の初志をつらぬ

(11)

く会」であった。彼らは、あくまで「問題解決型」の初期社会科の理念を守り抜こうとした(it)

その中心的人物は、重松鷹泰氏、上田薫氏らで、いずれも1947年版1951年版「学習指導要領」の 作成者であった。

『奈良県小学校社会科指導計画』でも、「知識理解型」の教材単元を導入した経緯が次のよう に述べられている。

確かに現在こそ、社会から痛烈に批判を受けた地理的・歴史的基礎知識の貧困、社会科教育におけ る道徳的教育の役割の不明、楽観的活動主義、日本のきびしい現実無視の態度、環境資料の不備など の反省のうえに立って、単元学習の本質化、教育的発展系統による能率化によって正しく社会を見、

考えるこどもを育てたいと念軒し、本指導計画の作成を行ったのである。‑中略・・・

小・中学校における内容の一貫性を考え、第6学年までに日本の地理・歴史について基礎的な理解 や概観的はあくができるように工夫する(12)

つぎに示すのは、この時発表された単元配列表である。

資料5『奈良県小学校社会科指導計画』

単元配列表 月

4 5 6 7 . 9 10 11 12 1 2 3

1 わ た した ち 学 校 へ じようぶ な み ん 教 室 なの だ ち と友

運動会 うちの人 の L E:と お 正 道 と 近 所 の

の 学 校 か よ う道 か ら だ と遠 足 月 のりもの あそび場

2 おみせ お ひ や くし 山 や海で 駅 で働 工 場で触 おまわ り しよ うぼ う しよの お じさん

ゆ うぴ ん や さ ん

おい しや さん

近所のくらし や さん ようさん 働 く人 々 く人 々 く人々 さん

3

わた した ちの 町 (相 の よ う す と 人 々の暮 ら し

保 健所

市 役所 ( 町 村役場

とみん な の く らし

災 害 町 村 の の 人 々 の 協 力

町 (村 ) と道 とバス 今 の 町 (村) と昔 の町 (柿 )

4

私達 の町脚

の くら しと 吉 野熊野 総合 開発 さ ま ざ ま な 大昔 の人 々と わ た したちの

暮 ら し

交 通 の 今 と 昔 各地 のつ な

が り

(郷土 の開 発) 土 地の くら し

5 私達 の国 わ が 国 の 農 業 と わ が 国 の 工 業 と そ の 発 達 商 業 や 交 通 の 発 達

と 産 業 そ の 改 善 と 私 た ち の 生 活

6 国 の 政 治 と 私 た ち の 生 活 昔 の 政 治 と 新 し い 世 界 の 国 々 と

文 化 の 発 達 日 本 の 歩 み こ れ か ら の 日 本

(12)

奈良県小学校社会科教育の歩みとその独自性

55

この単元配列表の単元は、 「学習指導要領」 (1958年版)を解説した、文部省『小学校指導書 社会科編』 (1960年版)の主旨にそって作成されたものが多く、 5年(地理) 、 6年(歴史)の 単元構成はそれと全く同一であった。

更に、この『奈良県小学校社会科指導計画』は、従来の『教育課程(塞) 』とは異った性格を 持っていた。即ち、各学年の全単元について詳細な展開案が示されており、これをそのまま教室 に持ち込めば、授業展開が可能という「指導書」的性格のものであった。このような冊子が発行

されたのは、学力テストへの対応からである。

1961年、奈良県教育委員会は、全国学力テストと別個に、県独自の小・中学校社会科診断テス トを実施した。奈良県独自の評価基準を示そうとしたと実施理由が述べられているが(13)それは、

明らかに妥協の産物であった。社会科の知識や理解をテストで計測可能と考えること自体、 「問 題解決型」社会科の学力を重視してきた奈良県社会科の伝統にそぐわないものであった。こうし て、奈良県初期社会科の遺産は大きく崩れ、 「学習指導要領」に忠実なカリキュラムが追求され

るようになったのである。

その典型が、 1968年版「学習指導要領」に対応する『奈良県小学校指導計画の手びき』 (1971 年版)であった。それは、もはや、社会科が単独の冊子を刊行するものではなく、全教科合冊に なって刊行されたものであった。この『指導計画の手びき』の「社会科編」は、前半部に‑1一般的 解説が、後半部に各学年‑単元の展開事例が掲載されている。冒頭に示された単元配列表は、文 部省『小学校指導書社会編』 (1969年)の単元とほとんど同I一一であった。次の資料6は、この時 の単元配列表と作成委員である。

資料6 『奈良県小学校指導計画の手引』 「社会科編」 (1971)

a . 単 元 配 列 表

? >r

4 i 5 ー 6

7 9 10 ll 12 1 2 3 時間教

(杓)

1

わ た した ちの か っ こ う わ た し の い え わ た した ちの き ん じ 上

かっこうめぐり がつこうで 88 しこIとを

する人 みんu

じようぶに ちいさい ときの こと

うちの人のL r と うちの人たち のくらし

うちにくる 人たち かっこうの

まわ り

がつこう ノ、 功}よう みち

みんなで つかう もの

2 みせで はたらく

人ぴと

田やはたけで はたらく人ぴと

山絹 で はたらく 人ぴと

こうばて はたらく人ぴと I

のりもので はたらく人ぴと

ゆうぴんで はたらく 人ぴと

しようぽう L J=の人

ぴと けいさつかん 70

3 わた したちの市 (町村)

のようすと人 々のくらし 市民の くらし 健康で安全な 市 (町村) のくらし

みんなのくらしと 市役所 (町村,牧場) のはたらき

市 (町村) の うつりかわり 105

4 わたしたちの 市 (町村) と 各地域の なかり

奈良県の産業と

人々の くらし さまざまfil土地のくらし 地域の開発 交 通 の 昔 と 今 140

5 わたしたちの 国土と人々 の くらし

わ が 国 の 農 業 かわつてきた

農林水産業 わ が 国 の 工 業 と そ の 発 達 産業の発達 と わたしたちのくらし 140

6 国 の 政 治 と そのはたらき

国 の 歴 史 と 先 人 の は た ら き l

大正から l 昭和へ .

世界 の 自然 と 人 々の 生 活 世界の 平 和 140

哲 壷壷南 l 首 l 藤 忘 ニ叫

i

l t

I l l

(13)

b.作成委員

太 田 清 治      生 駒 町 立 生 駒 台 小 学 校 長

奈良県小学校教科等研究会社会科部会長

小 泉 信 司      磯 城 高 市 地 区 担 当 指 導 主 事 古 川 利 文      大和郡山市立片桐小学校教頭 山 本 喜志雄      奈 良 市 立 精 華 小 学 校 教 頭 酒 井 康 司      天 理 市 教 育 委 員 会 指 導 主 事 中 谷 泰一一一郎      奈良 県教育 セ ソ タ ‑研修主事 植 本 利 夫      桜 井 市 立 城 島 小 学 校 教 諭 南   善 之      御 所 市 立 上 ′」、学 校 教 諭 蒲     保      斑 鳩 町 立 斑 鳩 小 学 校 教 諭 庄 司 キクノ      檀 原 市 立 金 橋 小 学 校 教 諭 岡 部 建 明      奈 良 県 教 育 委 員 会 指 導 主 事

「学習指導要領」に忠実な、このような単元配列表が提示されたのは、論ずるまでもなく、

「学習指導要領」の法的拘束力である。けれども、作成委員の構成にも、問題があったと筆者は 考える。作成委員11名中、管理職・指導主事が7名を占め、日常的授業者は4名にすぎないので ある。この構成比である限り、単元設計、配列は抽象的たらざるを得ないであろう。作成委員の 大多数が授業実践者であった初期社会科の展開期と比べて、その構成比の逆転に驚きを禁じ得な い。

(3)社会科の原点を求めての模索期

文部省「小学校指導書社会編」と同一で全国共通の単元表は、1979年の『奈良県小学校指導計 画の手びき』(79年版)の「社会科編」では若干改められ、地域性を加味した「単元配列例」が 示されている。それは、「ゆとりと充実」を唱った、77年版「学習指導要頒」が、地域の実情に 即した弾力的扱いを認めたことに起因している。次点の資料7は、この時の単元配列例である。

まず注目したいことは、この単元配列例、および全学年の展開事例にもう一度、奈良県社会科 の原点に立ち帰り、地域の実態に即した教育課程を追求しようとする姿勢が露見されることであ る。

その経緯は、ささいな事例であるが、2年生の単元配列例から「山や海ではたらくひとびと」

の学習単元が削除されている事実にも窺い知ることができるO本来、2年生の学習内容は、身近 かな労働(働く人々)の直接観察を通して、社会的分業・職業の意味を理解することである。け れども、海のない奈良県においても、「海ではたらく人々」の学習単元が単元表に、そのまま提 示されていたのである。そのような観念性が、今回の改訂ではきっちりと整理されている。

また、4年生の単元配列例でも、「吉野川分水」や「奈良のため池」などの地域教材の比重が 増加している。更に後半部に紹介された展開事例でも、全学年に亘って地域の教材化の視点が貫 かれている。その典型が、6年生の「水平社宣言」を教材化した「大正の人権運動」の実践例で ある(14)

地域重視のこのような傾向は、放送教育の開始にも見ることができる。県小社研は、4年生番

組「わたしたちの郷土奈良県」を自主制作して1973年から放映を開始した。そして1977年には、

(14)

奈良県′」、学校社会科教育の歩みとその独自性

57

新しく3年生番組「わたしたちのくらし」も放映されるようになった(15)

。もちろん、NHK学校

放送も、全学年の社会化番組を放映LているoLかし、'(・'学年の学習内容は、地域学習が主体で ある。したがって、全国共通番組があること自体問題で、生徒の社会認識は、地域から遊離した 観念的なものにならざるを得ないであろう。その意味で、県小社研が地域に即した中学年番組の H:招u作に取組んだことは卓見であったOこのような県域放送を行っているのは、千莫県、埼七 県、神奈川県、奈良県の4県だけで(16)ここにも奈良県社会科・および県小社研の独自性を見る ことができる。

資料7『奈良県′卜学校指導言h画のIT・びき』「社会科舶(1979^‑版)

単元配列例

㌔ 4 5 】 6

7 9 10 ll 12 1 2 j 3

時 間 数

i

わ た し た ち の が つ こ う が つ こ う の ま わ り わ た し の う ち ‑ 6 8 かっこうの!

ともだち かっこうで

しごとをす る人

かっこう . つか う 老衰なの

わたしたち

のあそびば かっこうへかようみち ふゆじたく

〜わた しが , うまれて : か ら

うち の L E IL と

2 はたらく人 お み せ の 人 び と

も の を つ く る 人 ぴ との しこ. と 人や ものをは こぶ人 ぴとの L r と 田 や は た けで こうはではた らく ゆ うぴんを もりものではた らく 70 はた らく人ぴと 人 び と はこぶ人びと 人 ぴ と

3

わたしたちの市 (那 .

村) と奈良県 市 (町 . 村) 民の くらし ち が った 土 地 の く ら し わたしたちの市 (町 .村 ) の 移 り 変 わ り

I

10 5 わたわた したわた しわたし農粟の 工場の人 商店の人 ir>K I /; ち わた したちの土地 と むか し むかしの人ぴ tif L の市(1 * 1).これ

しの かー

!近所ちの校区仁ちの 市町村

仁ちの 奈良県

人ぴ と の暮 し

ひとの くらし ぴとの

くらし の住んでし る土地

自然のちが った土地 の くらし

つかっ た t)の

との生活のよ うすと楽 しみのようす

とその移り変わり の 那. 、 1

4

くらしをささえるはたらき 住 み よ い

まちづくY) き よう土の開発 さ ま ざ ま な 土 Jtb の く ら し くらしと 1 05

こ′み くらし と上 . 下水道

みんなの しせつ

しせき をまも る

奈良盆地 と ため池 吉野川分水

あた1二かく 寒 くて雪の山地の く ら し

平地の く

・r l

海べの く 雨の多い土 多い土地の らし

地のくらし くらし

5

日 本 の 食 料 生 産 日 本 の 工 業 生 産

日 本 の 国 土 10 5 農業の盛んな地域 水産業の

盛んU 地域 工 業 の 盛 ん な 地 域

f

i 世 の 中 の 移 り 変 わ り わ た した ちの

く ら しと 政 治 日 本 と 世 界 】0 5

(4)奈良県社会科の独自性をもたらした要因について

奈良県教育委員会の提示したカリキュラムの歴史的推移を辿ってきたが、その特色は三つの時 期に分けて確認することができる。

第‑‑‑期は、奈良県独自のカリキュラムが作成されて、白山な実践が保障され、全国の先導的役 割を果した初期社会科の展開期(1947‑61年) 。

第二期は、 「学習指導要領」に忠実な奈良県の統一カリキ:lラムが整備され、全国共通の「知 識理解型」社会科が追求された時期(1962年〜73年) 0

第三期は、社会科の原点を見つめ直し、地域の実態に即した社会科カリキュラムが模索され続

けている時期(1974年〜現在) 0

(15)

以上のような展開過程を辿るわけであるが、第‑一期の特色をもたらした要因は、重松鷹泰氏を 奈良の地に迎えたことであった。 「学習指導要領」の精神を教育現場で実証しようというのが、

奈良女高師附属小学校主事就任の動機であったという。特に、女高師附小は、木下竹次以来、合 科教育の伝統がある学校である。 「奈良プラソ」はそのような教育的風土のなかで取り組まれた のである。

この人事が契機となって、同校教師集閉のみならず、県下の熱心な教師を巻き込み、社会科教 育の創造がなされたことは、既に検討したとおりである(,その意味で、奈良県では、理論的指導

・実践の深化という理想的関係が成立し、第1‑1一期の特色をつくり出していったのである。

また、第‑‑期から第二期への移行は、 「学習指導要領」や「学力テスト」等、集権的教育統制 を強化した文部行政に起因していることは論ずるまでもないであろう。また、この頃から、教科 書、および教師用指導書の隼も整備され、 /I:.徒や教師が社会を研究する社会科(Social studies) から、教科書に記述してある知識内容を、そのまま学ぶ社会科に変質してしまったのである(,

4.奈良県小社研の現状と研究大全の特色

前節で第 ‑期、第二期を特色づけた要因について言及したが、第三期の要因には触れなかった。

筆者白身、確固たる要因をまだ特定し得ていない。しかし、その一部が県小社研の研究大会に存 すると思うようになった。以ト、県小社研の研究大会に注目して考察を加えてみたい.

1948年(昭和23年) 、小、中・高の教師が集まって「奈良県社会科教育研究会」が発足したが、

数年後に自然消滅している。これに代って行政・現場が 一体となって組織されたのが、 「奈良県 社会科教育研究協議会」で、 1955%‑ (昭和30年)の結成大会以来、毎年研究大会を開催している。

その会は、当初、小・中の合同組織であったが、 1965年(昭和40年)には小中分離し、小学校 部門は、 「奈良県小学校教科等研究会・社会科部会」という名称に改められ、現在に到っている。

この机織変更は、文部省の助成金対象に対応するためで、全国一一律に県小研が設置された動きの

・環をなしている。

けれども、奈良県小社研の場合、他府県の小社研とは興って、教育放送の番組制作や診断テス トの実施など、実に幅広い活動を行っており、研究大会も毎年開催されている。特に、最近の研 究大会の研究し題と特別講演者は実にユニークで、いわゆる̀離別研究大会とは異なった傾向が窺

えるのである。

社会科の研究会では、どのような主題が掲げられるか、また、どの民間教育団体に所属する講 師が招かれるか、がしばしば問題にされるo いわばテーマの選定と講師の人選に、その研究組織 の性格が反映されるのである.ちなみに、奈良県におしても、第‑‑‑‑期から第二期の移行期には、

文部省祝学官や教科調査官が講演者として頻繁に呼ばれていた。

しかし、 1973年から「社会科の初志をつらぬく会」の実践家が講演者として招かれ、児童の主

体的追究を育てるテーマが掲げられて現在に到っている(17)次頁以下の資料8は、 1973年以後の

研究大会の研究主題と、記念講演者、および演題である。

(16)

奈良県小学校社会科教育の歩みとその独自性 資料8 奈良県小社研、研究大会の研究主題、記念講演者および演題

59

昭和48年度

研究主題: 「現実の社会の見方、考えかたを深めるためには、指導計由や指導をどのよう にすればよいか。 」

特別講演:和歌山市吹上小学校長 竹中輝夫 「社会科指導における現実社会の見か た、考えかた」

昭和49年

研究主題: 「f・どもの追究をささえ、発展させていく社会n学習」

特別講演:奈良育英小学校副校長 高島喜雄 「追究する子ども」

昭和50年度(近杜研22回大会と合同)

大会次第: 「‑∫‑どもの追究をささえ、発展させていく社会科学習」

得別講演:名古屋大学名誉教授 重松鷹泰 「これからの教育課程と社会科」

昭和51年度

研究主題: 「地域性に立脚したひとりひとりの児童が集L』の小で間越を追究していく社会科 ,y.門」

特別講演:和歌山市吹上小学校長 竹中輝夫 「社会科における子どもと教帥と教材J 昭和52年

研究主題: 「子どもが問題をとらえ自ら取り机むにはどうすればよいか」

特別講演:奈良女子大学附属小学校 長岡文夫 「指導要領の改訂と今後の社会料 のあり方」

昭和53年度

研究主題: 「主体的に学習にとりくむ子どもを育てる指導」

特別講演:奈良帝塚山小学校 白岩義雄 「主体的にとりくむ社会科学習」

昭和54年度

研究主題: 「進んで学習に取り組み、見方、考え方を深めるf‑どもの育成」

特別講演:広島大学教授 溝̲L 泰 「これからの社会科によせる期待」

昭和55年

研究主題: 「子どもが追究する社会科学習」

特別講演:兵庫教育大学教授 長岡文雄 「生きる勢いをつける社会科」

昭和56年度

研究主題: 「子どもが追究する社会科学習」

特別講演:日本女子大学教授 小林信郎 「これからの社会科に期待するもの」

昭和57年度

研究主題: 「子どもが追究する社会科学習を求めて.」

特別講演:名古屋大学名誉教授 広岡亮蔵 「社会科指導が当面する問題点」

昭和58年度

研究主題: 「子どもに、主体的に社会事象を追究させるには、どんな教材を、どのように 追究させればよいか」

特別講演:名古屋大学教授 三枝孝弘 「子どもの追究と社会科」

昭和59年度

研究主題: 「子どもに魅力と気力をもたせる社会科学習‑課題の追究をささえる教材と 学習課程を求めて‑」

現地研修:檀原市教育委員会 今西保郎、阪口俊幸

(17)

太字部分の特別講演者について、若干、言及しておきたいO和歌山市吹上小学校は、初期社会 科の展開期、コア・カリキュラムおよび問題解決学習の実践研究校として、全国的に注目された 学校で(18)竹中輝夫氏は、現在、 「社会科の初志をつらぬく会」の副委員長である。また、高島 喜雄氏、長岡文夫氏、白岩義雄氏は、いずれも、かつての「奈良プラソ」の実践者で、三枝孝弘 氏と共に、現在、 「社会科の初志をつらぬく会」の評議員である。この「社会科の初志をつらぬ く会」こそ、 「知識理解型」社会科に抗して、問題解決学習を守り抜こうとして結成された民間 教育団体であった。ここにも、現在の奈良県小社研の独自性・特色を看取することができるであ vm

5. お わ リ に

教育課程の変遷を中心にして、奈良県小学校社会科教育の歩みを概観してきた。特に、初期社 会科の展開期、若い教師達が寝食を忘れてカリキュラム作成に取組んだ事実や、県下各地に優れ た実践が輩出し、奈良県社会科が全国をリードした歴史を確認することができた。けれども、そ のような歴史は、現代の教師に自覚的に受けとめられてはじめて意味を持つものである。

現在、初期社会科の実践者の退職が相次いでおり、数年後にはI一一一人残らず教壇から去ってしま うであろう。また、初期社会科展開期の良垂な文献類の散逸も急速に進んでいるo 本稿を整理す るため、文献のほとんどを個人蔵書から拝供せざるを得なかった。というのも、奈良県県立図書 館郷上資料室、奈良県教育セソタ一一資料室、いずれの公共資料施設にも保存されていなかったの である。文献板の早急な収集が望まれる所以である。

初期社会科の教育実践から学ぶべきものは無限である。そのなかでち.彼らが「社会科にいか なる幻をいだき、いかなる情熱を傾注したか」 、その精神をまず、謙虚に学ぶべきであろう。

「ひとりひとりの教師に奈良の社会科の伝統を継承させ、内面化させる、いかなる組織的取り組 みがなされているのか」→旨導当局に、敢えて皇してみたい質問である。

注ならびに引用文献

(l)臨時教育審議会 『教育改革に関する第二次答申』 1980年4月 (2)奈良県学務諜 『奈良県社会科作業単元基底要覧』 1948年 3頁〜5頁 (3)同上苫 89頁 102 頁

(4)奈良県小学校教科等研究会・社会科部会 『奈良の社会科』 1975年132頁133頁 (5)奈良県教育委員会 『奈良県社会科教育課程(塞)』 (昭和25年版)1950年 3月

(6)奈良女高師附属小学校学習研究会 『たしかな教育の方法』 秀美出版1949年16頁〜28頁 (7)文部省 『小学校学習指導要衝社会科編(試案)』 (昭和26年版) 日本書籍1951年12頁〜23頁 (8)奈良県教育委員会 『奈良県社会科教育課程(塞)』 (昭和27年版)1952年 5頁〜6頁

(9)同上 『奈良県改訂小学校社会科教育課程』 1957年 2頁‑3頁 (10)同上書1181ミ

(ll)社会科の初志をつらぬく会 『問題解決学習の展開』明治図書1970年19頁〜30頁 (12)奈良県教育委員会 『奈良県小学校社会科指導計画』 1961年 3貞

(13)奈良県小学校教科等研究会・社会科部会 『奈良の社会科』 310頁 ‑317頁

(14)奈良県教育委員会 『奈良県小学校指導計画の手びき』 「社会科編」 1979年 51頁〜52頁 (15)同上 『放送教育10年の歩み』 1983年

(16)松尾清朝 「社会諜教育と放送教育」奈良県小社研機関誌『社会科教育』第11号1984年 所収

(18)

奈良県′」、学校社会科教育の歩みとその独自性 61 (17)奈良県小学校教科研究会・社会科部会 『追究する子‑奈良の社会科40年‑』 1986年

28貞〜43頁

(18)平間嘉二三・初期社会科実践史研究会 『初期社会科実践史研究』 教育出版セソタ‑ 1986年 363f壬 ‑381頁

〔付記〕 本稿で引用した文献類の大半は、山本貴志姓氏から貸与を受けた。貴重な助言ととも

にここに感謝して筆を欄く。

(19)

The History and Its Characteristic Features of

Social Studies Teaching in Primary Schools in Nara Prefecture

Isoo TABUCHI

( Department of Social Studies Education, Nara University of Education, Nara 630, Japan ) (Received April 20,1987)

SOcial studies, which was a new subject, started in 1947 as the most important subject in the curriculum of primary schools of postwar Japan, which was detremined to be reborn as a democratic nation.

At the beginning, there were many problems in teaching the subject, because it required different methods from those which the Japanese teachers were acquainted with.

But among the teachers in Nara Prefecture there were many engrossed in developing methods of teaching the new subject under the guidance of Professor Takayasu Shigematsu at Nara Women s Higher Norman School, who was also Principal of the

Primary School attached to it.

Late in the 1940s, many excellent reports on their classroom instruction were published by them, which brought about an honorable reputation that in the field of teaching scial studies, Nara was one of the most advanced prefectures in Japan.

The author made clear characteristics of the history of social studies teaching at the primary school level in Nara Prefecture, focusing on these three aspects.

1. To give a general view of the history of social studies instrustion in Nara Prefecture, he made a brief chronological table.

2. To make clear the features of the curriculum, he traced the changes in the social studies curricula which were published by the Board of Education of Nara Prefecture.

3. To make clear the character and tendency of the Association of Primary School Teachers of Social Studies, he classified the lecturers who were invited to speak at its annual meetings.

Finally, the author emphasized that the honorable tradition of social studies

teaching in Nara Prefecture should be maintained by the contemporary teachers.

参照

関連したドキュメント

奈良県立青翔中学校に在籍する生徒の

退職 草加市立瀬崎小学校教諭 堤 博子 退職 草加市立新里小学校教諭 花井 左知 退職 草加市立花栗南小学校教諭 川瀨 真澄 退職 草加市立八幡小学校教諭

退職 春日部市立藤塚小学校教諭 千葉 博子 退職 春日部市立小渕小学校教諭 大高 雅代 退職 春日部市立小渕小学校教諭 中村

新井 幸子 退職 秩父市立吉田小学校教諭 新井 久子 退職 秩父市立吉田小学校教諭 長島 美喜子 退職 横瀬町立横瀬小学校教諭 幸恵 退職 皆野町立皆野小学校教諭 山口

61 異動 十日町市 中条小学校 養護教諭 東屋 杏美 長岡市 前川小学校 養護教諭 62 異動 十日町市 川治小学校 養護教諭 石川 真美 胎内市

資料編 役 名 職  名 氏  名 㻝 委員長 教育委員会教育部参事 石田 周 㻞 副委員長 福生第四小学校 校長 山本 豊彦 㻟 副委員長 福生第三中学校 校長

退職 美里町立東児玉小学校教諭 磐上 和美 退職 美里町立東児玉小学校教諭 久米 退職 美里町立東児玉小学校教諭 後閑 啓子 退職 神川町立丹荘小学校教諭 海北

︵生駒市立壱分小学校教諭︶